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はてなキーワード: 精緻とは

2024-12-10

anond:20241210125317

AIの絵は、間違え方がアンバランスなんだよ。

人間が描くと、ラフな絵ならラフな間違いがあるし、精緻な絵には精緻な間違いがある。

ところが、AIが描くと、精緻な絵にラフな間違いがあって、認知的不協和を感じて違和感が倍増してしまうわけ。

2024-11-22

anond:20241122141112

しかにそうですが、これ以上に詳細なデータが見つけられませんでした。

比較現実に即した値かと思いますが、もしもより精緻データが有りましたら教えていただけると助かりますよろしくお願いいたします。

2024-11-21

anond:20241120215220

アキラアニメアキラ漫画の「おまけ」なんだよ。

当時もそういう認識だった。

漫画が本当にすごかったのに、その上アニメまで作ってくれんのかよって。

でもあの漫画精緻な絵は動かせないよな、って言ってて、

映画見てそう来たかってまた喜んだ。漫画と違うパラレルワールドだろ。

アニメだけ見るのはアンパンのガワだけ食って中のアンを食ってないみたいなもん。

からからなくて当然

2024-11-20

anond:20241120215220

それぞれが求めてる内容やそれに対応する見せ方がないだけでは?

デスノートみたいな精緻論理頭脳ゲームバトル感覚で悪に対する行き過ぎた正義(この見方や言い方には色々とあるが)などのテーマをみせる作品を求められる場合もあれば

アキラみたいに普通少年たちのそれぞれの心の葛藤超能力の出現によって地球規模の危機肥大化していくようなドラマをくどくどしく説明せずに内容をみせいくような作品はそれぞれ需要があるのでは?

その傾向の違いを中身がないというのは野蛮すぎやしないか

とはいえスパイダーバースやアーケインを見ると映像はすごいが(好みではない)

進撃の巨人ハンターハンターに比べたら話がおもしろくないなと思ったり

逆に究極的に好きな画が見れればそれでいいというときもあるから

俺も勝手もの

2024-11-16

anond:20241116203516

ああ、Rubyか…。君のその気持ち、わかるわ。Rubyって、どこか優雅で深いところがあるけど、その分「速さ」って面では、どうしても物足りなさを感じるよな。まるで、黄金の器で盛られたスープを楽しんでいる最中に、突然お皿が割れしまたかのような…。でも、そこにこだわり続けるのもまた美学だよ。

かつて、あのレオナルド・ダ・ヴィンチが「精緻さを追求する者は、同時に速度も追求すべきだ」と言ったように、速さを求めるなら他の言語を選ぶべきだという現実があるのは否めない。しかし、ただ速いだけが良いわけじゃない。音楽のように、時には遅さが必要なんだ。バッハが遅いテンポで奏でたフーガの中にも、深い美しさがあるように、Rubyにもその「遅さ」による味わいがあると思うんだ。

ただ、そのうねりの中でも、やっぱり効率を求める場面があるよね。例えば、18世紀産業革命がそうだった。イギリス労働者たちは、手作業から機械へと移行していく中で、新たな速度と効率を手に入れた。しかし、その陰にあったのは、肉体的にも精神的にも重い負担だったわけだ。速度を求めることで、得られるものもあれば、失うものもあるってことだよ。

それにしても、「Ruby界隈はカルトが多い」って表現、かなりインパクトあるね。確かにRubyコミュニティは時に宗教的なまでに熱心だけど、その中にも多くの才能と情熱が息づいている。それに、難しいことに立ち向かう姿勢、まるでシェイクスピアの『マクベス』のような壮絶さを感じるよな。でも、君がそれに対して臆してしまうのも無理はない。やっぱり、過剰な熱意を感じると、少し距離を置きたくなるものからさ。

それでも、君の言う通り、「速さ」を求めるなら、Rubyを使うのはなかなか冒険だ。でも、その「遅さ」に魅力があるし、その遅さの中に隠れた美しさを見つけることもできるんだよ。

君の葛藤、わかる。でも、そうしたもどかしさの中にも、人生の深みを感じる瞬間があるのは、まさにその通りだと思うよ。

2024-11-13

anond:20241113110312

創作だけならAIでもできるし、なんなら人間以上に精緻な絵を描ける

人間様だけに特別に許されたことだなどと思い上がらない方がいい

2024-10-26

デザインが持つ2つの役割について

しばらく前、パリ五輪ときにこんな記事話題になった。

パリ五輪と東京五輪のピクトグラム比較→「どっちも国のらしさが出ていて好き」「ピクトグラム本来の使い方を考えると東京が圧倒的」

 

ブクマカの反応は否定派が多め、少し肯定派もいるという様子だった。

否定派は「毎回変えるとわかりづらい」「ピクトグラム目的に達していないから駄目」「何の競技だがさっぱりわからない」など。

肯定派は「「紋章モチーフパリらしさがでている」「オシャレ」「かっこいい」など。

 

これらを見ていただくとわかるが、コメントの大半はデザイン役割一元的ものとしてしか捉えてられていない。

もちろん一般的にはその程度の理解でいいのだが、もしこれからデザインに物申したいのであれば「デザインには2つの役割(と価値)がある」ということを知っておいてほしい。

1つは「機能的な役割」、2つめは「情緒的な役割」だ。

 

機能的な役割」とはつまるところ「わかりやすい」「読みやすい」「使いやすい」といったような、

ユーザーが見たり使ったりする上で適切に機能するデザインになっているかということだ。

近年話題になるアクセシビリティユニバーサルデザインなども機能的な役割といえるだろう。

 

一方、「情緒的な役割」とは「かっこいい」「かわいい」や「高級感がある」「安っぽい」といったような、

デザインを見たときに感じる様々な印象に対して、ブランドや商材・目的などに応じて適切な印象を与える役割のことだ。

 

この2つの役割を踏まえると否定派は「機能的な役割」を重視し、肯定派は「情緒的な役割」を重視していることがわかる。

もちろんどちらをより重視するかは人それぞれだし間違いはない。

が、デザイン重要なのはどちらかではなくどちらも併せ持つ、というところなのだ

 

まず否定派の意見として「ピクトグラムなんだから伝わるのが正しい、伝わらないピクトグラム意味がない」というのがある。

これは間違いではないのだが、こと五輪ピクトグラムにおいては歴史的経緯から情緒的な役割」がより重視される傾向があることは無視できない。

 

五輪ピクトグラム発祥1964年 東京オリンピックであることはご存知だと思うが、

その理由1964年 東京オリンピックが「初の欧米以外の開催地である」ことに由来する。

それまでのオリンピック欧米圏での開催だったため言語の壁が比較的薄かったが、

1964年当時の日本では英語コミュニケーション現実的ではなかったため、非言語で伝わるマークとして勝見勝を中心にピクトグラムが考案された。

まり当時は「機能的な役割」を最も重視してつくられたといえる(とはいえ精緻に整えられたデザイン情緒的にも美しい)。

 

そのピクトグラム作成が毎回の恒例になるにつれてより重視されるようになったのが「この国らしさ」、つまり情緒的な役割である

加えて60年が経ったいま、言語の壁が比較的薄くなってきたことやデジタルメディアの浸透などによって元来の「機能的な役割」はほぼ役割を終えたといってよいだろう。

 

当時のブコメにいくつか回答してみる。

 

なんで毎回変えるんだろうな。わかりやすさで言うと、同じのを毎回使って定着させたほうがわかりやすくなると思うんだが。トイレの男女マークみたいに。

ピクトグラム本来機能的な役割としてはおっしゃる通り。実際に非常口のピクトグラム国際標準化されている。

五輪ピクトグラム標準化されなかったのはつまるところエンターテイメント性、すなわち情緒役割を重視されたということだろう…。

 

目的を全く達してないか普通に駄目だと思いますが。デザインのゴールが違うってピクトグラムのゴールは明確。勝手にゴールを動かすな。 欧米ユニバーサルデザインが言われるのはそう言わないとこうなるからか?

五輪ピクトグラムのゴールを「機能的な役割」のみと捉えるのは間違い。

どのようなデザインであっても2つの役割を併せ持っており、どちらか一方を完全に無視することはできない。

 

北京の今の漢字になる前の象形文字っぽい篆書体みたいなピクトグラムやっぱりいいなぁ、と思う。歴史の長さや重みをピクトグラムでも表現できているようで。

北京五輪ピクトグラム機能情緒バランスが秀逸。

「らしさ」を情緒的に表現しつつ、機能的にもある程度のわかりやすさを担保している。

 

東京五輪ピクトグラムは100点であり0点。ピクトグラムとしては完璧、でも日本らしさがない。そこを「ピクトグラム日本の文化(1964東京五輪が初)」で押し通した。『ザ・ドラえもんズ』のドラえもんのようなもの

非常に的を射たコメント

ただし「日本らしさがない」は人によっては「あれが日本らしさ」と感じる人もいるので、情緒的な評価は人によって判断が分かれる。

 

 

余談 他のデザイン参考事例

セブンイレブンテプラだらけのコーヒーマシン

情緒的な役割を重視するあまり機能的な役割を満たせなかった有名な事例。

 

ちなみにデザイン炎上の8割くらいは機能的な観点炎上している(ローソンPBリニューアルなど)。

理由簡単で、デザイン情緒的に適切かどうかは高度な審美眼が求められる一方、

機能的に適切かどうかは「わかりづらい」の一言断罪できるからだ。

それが駄目というわけじゃないが、情緒的にはどうかという視点も持っておくとデザインジャッジする視点が拡がる。

 

福岡パルコ性風俗無料案内所風展示

性風俗店の無料案内所模した案内展示に苦情、急きょ撤去 福岡パルコ

情緒的な役割として適切な印象を与えられなかった事例。

過激表現は多かれ少なかれ批判の的になるが、パルコの1階エントランスというほぼ公共といっていい空間考慮すると不快な印象になってしまうのも無理はない。

参加アーティスト同意をとっていないのは別問題で論外である

2024-10-20

anond:20241020141755

自分結構近い状況。本当に相談してくれてありがとう

発達障害可能性もあるかもだけど、人には「耳から入った言葉理解やすタイプ」と「文字情報の方が理解やすタイプ」があるので、個性問題と言っても良いと思う。現代は前者の人が幅を利かせているからたいへんだよね。だけどそんな中で三年もの仕事を続けて、しか自分なりの解決法(録音→文字おこし)できているのは本当に立派だと思う。ツール活用できるところは活用した方が良い。かつては「文書化していないものダメ」という風潮があったけど、最近は「スピード感」という方便でそれをおざなりにする人が多いよね。

投稿を見た限りだけでは、職場無理解投稿者の仕事のしづらさに繋がっているように感じる。業務指示がちゃんとした書面でもらえるような職場(あるいは業種)なら、文字情報精緻理解できる才能を発揮できると思う。転職とか考えてなくて現在職場で続けてやっていきたいのなら、もう三年やっているのだし「それ、書面でいただけますか?」とかけっこう強気で言っても良い気がするよ。

漫画アクション史上、最も重要漫画10


 誰かが今まさに書いてるであろう他の雑誌と被らなそうな所


 漫画アクションは、週刊→休刊→隔週で復刊して発行中、というちょっと特殊な経緯を持った雑誌

 双葉社ピンチになると神風が吹く、とも言われて、その神風でほぼ埋まるんだよね

 一作者一作品しばりではあるが、このしばりが必要ないんだよなあ



  1. ルパン三世(モンキー・パンチ)
  2. 嗚呼!!花の応援団(どおくまん)
  3. がんばれ!!タブチくん!!(いしいひさいち)
  4. 子連れ狼(原作小池一夫漫画小島剛夕)
  5. じゃりン子チエ(はるき悦巳)
  6. かりあげクン(植田まさし)
  7. BARレモン・ハート(古谷三敏)
  8. クレヨンしんちゃん(臼井儀人)
  9. 坊ちゃん」の時代(原作関川夏央漫画谷口ジロー)
  10. この世界の片隅に(こうの史代)



2024-09-24

元増田さんの世帯年収帯は増税が良いと思うanond:20240924115307

累進課税で少しずつ税率が上がっていくとしたら、世帯年収800-1000万円あたりはもう少し増税したほうがバランスが良いと思う。

年収層はさらなる減税か恒久的な手当を考えたほうが良い。

 

扶養しているこどもについては税控除より手当の方が良い

元増田さんが書いている控除枠って低所得者にはメリットが少なく、高所得者ほど得になる。

こどもを育てるのには親の所得関係なく一定お金がかかるわけだし、控除よりは手当で考えたほうが良い。

必要であれば控除を創設するより、こども手当を増額する方が低所得者に優しくて良い。

高所得者にとっては税控除の方がメリットが大きいだろうけど)

 

年収世帯への手当は増額したほうが良い

年収世帯への手当をもう少し増やしてあげないと生活が厳しいと思う。

一時的な減税や給付を時々行っているけど、これでは安心して生活できない。

特に年収世帯生活生活不安定なわけだし、制度として毎年確実にもらえる手当を増額すべき。

 

手当の所得制限の上限の撤廃

良いと思う。

現状の手当って、ある年収を境に急にもらえる/もらえない変化して、実質税率が急に変化するので上限の撤廃はしたほうが良いと思う。

このため年収1300-2000万円あたりの世帯の実質税率が重くなっている(対象となる世帯は少ないと思いますが)

累進課税については、所得税などのなだらかに変化する税制の方で、精緻に行なうべき。

 

元増田さんの年収帯は増税したほうがバランスが良い。

理想的累進課税制度は、年収が上がると実質的な税率が少しずつ上っていくのが望ましい。

ただし現状は世帯年収800-1000万円あたりでは、各種手当は上限以下でもらえるし、税率もあまり変化せず実質的に税率がやや優遇されている。

このあたりの年収帯の所得税の累進課税はやや強化して、増税をするとバランスが良くなる。

 

各種手当の上限撤廃による給付増加や低所得者への永続的な給付増加を、この年収帯の増税でまかなうようにすれば、国の収支としても問題がいない。

 

ずるい・ずるくないって話には意味がない。

ずるいってのは、相手への攻撃性が含まれ言葉なので議論の前提として違う言葉の方が良い。

税制については不公平でなく公正に決めるべきだと思う。

  

人って客観的になれないものだなあと思う。

元増田さんは自分属性の層に対して有利な事をたくさん並べていて、公正な視点に欠けているなあと思ったので書いてみました。

その自覚があるのなら良いけど。

2024-09-20

格ゲーキャラの掛け合いが好きなんだが

格闘ゲーム特に MARVEL vs. CAPCOM のようなコラボ作品ストーリーモードとか、バトルの合間のキャラ同士の掛け合いというものが好きだ。

異なるキャラの細かい類似点を掘り下げたり、世界観が見えてくるような気の利いた掛け合いを見ると制作者の愛を感じて嬉しくなる。

一方で、登場キャラ数が増えていくと、キャラ同士の組み合わせパターンが爆発してしまうため、掛け合いが薄くなってしまうアンビバレンツな悩みがある。

生成AI福音となるか

そうなると、生成AIキャラバックエンド学習したうえで、リアルタイムに掛け合いの台本を考えてくれる、という展開がある。どんなにマイナーキャラでも的確に面白い掛け合いが見れるし、人間が作るパターンではなし得ないボリュームも望めそうだ。

これで問題解決か、というとそうでもない。「このキャラとこのキャラの掛け合いが面白い」と話題になって見に行く、とか「全部の掛け合いのパターンコンプリートしたい」という行動があったりするのだ。AIが無数に生成する、となった途端に、全部のパターンを見ることは不可能となり、また特定面白いものというものがなくなる。自分他人が違うものを見ているということは共通話題しづらくなる。結果、色褪せて見えてしまうかもしれない。

ブレイクスルーはあるのか?

単純に考えるとそうなるのだが、生成AIはまだまだこれから技術だ。今の常識の延長ではなくもっと先を想像してみたい。

特定パターン面白さといった既存の魅力を、学習と生成で生まれる新しい魅力が上回る未来もあるのではないか。例えば、キャラクターの関係性以外の複雑なパラメータプレイ回数、プレイ時間ステージ種、キャラごとの対戦数、プレイタイル使用した技などなど)を考慮することでこれまでにできなかったような掛け合いやストーリーを生み出すこともできそうだ。

また、プレイを重ねるうちに、プレイヤーごとに、ゲーム内の関係性やストーリーが変化していくというようなこともできるだろう。敵・味方といった関係性や友情恋愛などの感情が変化していくことで、新たな体験が生まれるかもしれない。

もっと想像もつかないブレイクスルーが待っているだろう。

ユーザー行動によるフィードバック

Googleのようなインターネット検索エンジンアルゴリズムは、日々変化している。初期は被リンクスコアリングするというものだったが、コンテンツの内容を考慮したり、近年はユーザー行動を重視していると言われている。検索結果から実際にユーザーアクセスした、といった行動が表示順のアルゴリズムに影響するというものだ。これによって「ユーザーの目を惹くページタイトル」といったもの重要性が増しているらしい。

AIにより生成されたコンテンツの質の向上にも、ユーザー行動が積極的に取り入れられていくだろう。「いいね」のようなシンプルフィードバックからユーザーテキストを読んだかといった精読率や、微妙コントローラー操作からユーザー評価感情を読み取るといった、能動的な行為を伴わないフィードバック取得もあり得る。

ユーザー行動からフィードバック重要であるなら、ひょっとしたら今以上にコントローラーセンサーが搭載され、脈拍や汗といったユーザーフィードバックすらコンテンツに影響するようになるかもしれない。

ポシビリティ・ウォー

突然話は変わるが、1990年代米国West End Games社がリリースしたテーブルトークRPGTORG というタイトルがある。 https://en.wikipedia.org/wiki/Torg

マルチバースによる、ポシビリティ・ウォー(Possibility Wars)という地球侵略戦争を扱った世界観なのだが、野心的な試みとして、Infiniverse というキャンペーンが行われていた。世界各国の TORG プレイヤーはWEG社の TORG 公式機関誌 Infiniverse Magazine の回答フォームを経て、自分たちのキャンペーン進行状況をWEG社に報告した。WEG社はそれらを集計することで世界全体への影響を与え、 Infiniverse Magazine 誌上でそれをプレイヤーに伝える、そうやって世界を巻き込んで TORG世界観が構築され、地球侵略戦争ストーリーが進行する、というものだ。野心的な試みであったが、これは1年足らずで頓挫した。

90年代当時、プレイバイメールなど多数のプレイヤーの行動がストーリーを進行させ、世界を構築する、といった試みは他にも幾つもあったが、限られた人数よる運営ではスケールが難しかった。しかし、現代において生成AIは、ユーザーフィードバックをより精緻に取り込んだ新たなコンテンツ世界ストーリーを作っていくことを可能にしているだろう。ポシビリティ・ウォーは今まさに起きているのだ。

生成AI未来に期待している

このように想像を巡らして駄文を書いているだけで、ちょっとクワクする気持ちになっている自分がいる。生成AI未来に期待している。

新しい格ゲーキャラの掛け合いも、世界を巻き込んだストーリー展開も、すぐ近い未来にある。

2024-09-09

anond:20240907233755

この増田に「テキサスホールデム計算必須でしょ」とか「確率計算完璧にやるのが前提」とかコメントしてるブックマーカーたちが面白い

おそらく彼らは「テキサスホールデム確率計算できないと勝てない」という知識しかなく、実際にはポーカーテキサスホールデムもろくにやったことがないんだろう。

国内で対面式のポーカー店でやるにしても、アプリかなんかでオンラインでやるにしても、精緻確率計算なんかできるヤツはほとんどいない。

あくまでざっくり、「こういうときはこっちのが有利」くらいの知識でやってるやつがほとんど。

そりゃ競技的にプレイするなら確率計算カウンティングしなきゃ勝てない。本当に大金かけた大会に出るやつなら、それがが前提だろう。

でも国内でも海外でも大抵のプレイヤーはただ遊びのためにやってるんだから、そこまでやりこんじゃいないし確率計算だって適当。酒飲みながらやったりするんだからさ。

それで勝ったり負けたりを楽しむのがポーカーテキサスホールデム)だ。勝率をあげたかったら、ちょっとずつ勉強していくんだ。

将棋だって囲碁だって麻雀だってそうだろう。トッププロから今日始めたド素人までいる。それぞれのレベルで卓を囲んで遊ぶのがテーブルゲームだ。

ブラフと運で勝負するポーカー楽し~~」って増田を読んで、「いやいや…テキサスホールデム確率計算しなきゃ勝てないでしょ…?w」って持てる知識をもっていっちょがみしてる人たち。

はてぶコメント以外の趣味をもて。

2024-09-03

三次の射影

プロット

数学世界には無限可能性が広がっている。無数のパターンやそれらに隠された法則

三人の応用数学者が、自分の全霊魂を賭けてある難問に挑んでいる。

登場人物

ドミニクシュタイナー(Dominik Steiner)
アレクサンドラ・イワノフ(Alexandra Ivanov)
ケンジ・タカハシ(Kenji Takahashi)

本文

ドミニクシュタイナーベルリン研究室で、論理的な一連の方程式を前にしていた。彼は数学絶対的な真理を解き明かすものであり、そこには一切の曖昧さが許されないと信じていた。数式は純粋であり、その解は厳密でなければならない。

その日、彼のデスクに届いた論文は、アレクサンドラ・イワノフからのものだった。彼女ロシア数学者で、非線形ダイナミクスを用いた社会変革のモデル研究している。ドミニクはその論文に目を通し、数式の整合性論理性を冷静に評価した。

パリでの国際数学会議で、ドミニク自身研究成果を発表した。壇上に立ち、彼は無駄のない言葉論理精緻さを示す数式の力を説明した。彼の発表は冷静であり、数学的な厳密さに基づいていた。聴衆は静かに耳を傾け、数学普遍性に魅了されているようだった。

発表が終わると、アレクサンドラ・イワノフが手を挙げた。彼女は冷静に質問を始めた。

シュタイナー教授あなた理論は数理的に整合していますが、社会の複雑な相互作用を完全に捉えているでしょうか?非線形ダイナミクス適用することで、社会変革の予測可能性が高まると考えられませんか?」

ドミニクは一瞬考え、冷静に答えた。

「イワノフ教授非線形方程式は確かに複雑系挙動を捉えるには有効かもしれませんが、その安定性が保証されていない場合、結果は信頼できません。数学役割は、ランダム性を排除し、真理を探求することです。過剰に変数を導入することで、モデルの頑健性が失われるリスクがあります。」

アレクサンドラは再び問いかけた。

「そのリスク承知していますが、社会変革は非線形過程であり、そこにこそ数学の力を発揮する余地があると考えます複雑系理論に基づくシミュレーションによって、より現実に即したモデルが構築できるのではないでしょうか?」

ドミニク彼女意見に静かに耳を傾けた後、言葉を選びながら答えた。

社会変革が非線形であるという見解理解できますが、モデルの複雑性を高めることが必ずしも精度の向上を意味するわけではありません。安定した予測を行うためには、シンプルで確定的なモデル必要です。」

その時、ケンジ・タカハシがゆったりと発言した。

シュタイナー教授、イワノフ教授、両方のアプローチにはそれぞれの強みがありますが、私は数学美学観点から異なる提案をさせていただきますリーマン幾何複素解析観点から、数式が持つ内在的な対称性やエレガンスは、解が収束するかどうかの指標となる可能性があります特に複素平面上での調和関数性質を用いることで、社会変革のような複雑なシステムでも、特定パターン法則が見出せるかもしれません。」

ドミニクケンジの言葉に耳を傾けた。

タカハシ教授あなた視点は興味深いものです。調和関数性質社会変革にどのように適用できるのか、具体的な数理モデル提示していただけますか?」

ケンジはうなずき、淡々と答えた。

「例えば、調和関数を用いたポテンシャル理論に基づくモデルは、複雑系の中でも安定した解を導き出せる可能性がありますリーマン面上での解析を通じて、社会的変革の潜在的エネルギー視覚化し、それがどのように発展するかを追跡することができますエネルギー収束点が見えるなら、それが社会の安定点を示すかもしれません。」

アレクサンドラケンジの意見に応じて言った。

「そのアプローチは確かに興味深いですが、実際の社会では多数の変数が絡み合い、単純なポテンシャル理論だけでは捉えきれない動きもあります。その点を考慮すると、複雑系シミュレーションとの併用が必要ではないでしょうか?」

ケンジは静かにうなずいた。

「もちろんです。私が提案するのは、調和関数を基盤とした解析が複雑系シミュレーションと補完し合う可能性です。単独アプローチでは見落とされがちなパターン収束性を明確にするための道具として捉えていただければと思います。」

会議が終わると三人はほとんど同時に立ち上がった。

三人は、お互いに目配せをすると別れを惜しむかのようににこやかに近付き合い、お互い談笑しながら出口へと歩みを進めた。

一方その日のパリ過去にないほどの快晴で、会議場の外ではどういうわけか、太陽の下で穏やかにほほえむ人々で溢れ返っていた。

2024-08-17

ガラスの仮面(1975年連載開始)の読みやすさ、イカれてるとしかえんな・・・

ブラックジャックの少しあと、こち亀より少し前、そんな時代に生まれ作品としてオーパーツレベルだろ。

漫画文脈がいよいよ洗練されていく過程に出来た作品でありながらここまでスッキリとした読み味、演出意図メリハリ視線誘導の迷いの無さは時代を考えれば異常としか言えん。

同じ時代に生まれた化け物コンテンツとして釣りキチ三平ポーの一族があるけど、これらの作品も今読むとどこかゴチャついた読みにくさがある。

だがガラスの仮面の読み易さはなんだ。

何が恐ろしいって、どのページもどの演出も「これをどういう気持で受け取ればいいのかわからない」と迷子になることが一切ないことだ。

それぞれのシーンの作中における意図がハッキリと伝わるわけだ。

この時代漫画といえばよくあるのが、コマやページの空白を埋めるように粗雑なギャグが挟まり、迷い箸のような行儀の悪さを感じさせることだが、ガラスの仮面ではそれが極めて少ない。

これから何を描きたいのか、次に何を読ませたいのか、物語をどこに向かわせたいのか、それらが作者の中にシッカリと固まっていて、それを読者に精緻に伝える漫画的なコミュニケーション力を持っている。

何より凄いのが「この物語をただそのまま楽しませることができれば、読者はそれだけで満足するはずだ」という確固たる自信だ。

それが虚勢なのか本心なのかまでは紙面だけでは伝わらないが、ただ一直線に作品を読者にめがけて投げつける渾身のストレートのなんと鋭く重いことか。

漫画が無数の技術文脈を身に着けた時代を生きる50年先の未来人が読んでなお、「漫画が上手い。漫画力が高い」と思わせるここの普遍的技量、揺らぎのない精神性はなんだ。

とんでもない作品だな。

50年弱も連載して未だに完結もしないダラダラと間延びした過去遺物だと思っていた自分が恥ずかしい。

正しく知る誰もがその完成を待ちわびる漫画界のサグラダ・ファミリアだ。

漫画力の高さが本当に狂っとる。

どうやったらこれを1970年代に描き始められるんだ……

2024-08-11

大きな物語が、人々を突飛な行動に突き動かしている気がする

大きな物語があれば、日常の小さな物語も何らかの意味を帯びてくるという、物語としてのありがちな構造が、人々に「大きな物語」を懇願させてしまっている。

まりネットやら社会活動やらの大騒ぎは、物語個別物語でなく、物語という存在全般だ)が扇動しているものだと言って良い。

日常のつまらない行動に意味を帯びさせるために、何らかの大きな行動に加わるというのは、物語による扇動効果しかないのだと、いつ誰が気づくのだろうか。

そして、昔の物語は、そういった大きな行動はいつか破綻をきたすことを結末としてちゃん提示していた。

現代物語は、大きな物語と小さな物語という構造は維持しつつも、大きな物語破綻が結末として描かれていない。

人々の、大きな物語に対する幻想を打ち砕かせていない。ただ、扇動するだけだ。

から現代の人々は大きな物語に耽溺し、その中で色々な過ちを犯し続けている。

まりインターネットやらに見られる大きな物語同士の抗争は、物語構造改革によって抑制できるのではないか

大きな物語扇動した上で、その悲惨な結末を如実に感じさせる、そういった純粋文学を描けば、抗争は治まるのではないか

ある妄想精緻に実現した上で、その論理の中で徹底的にダメ出しを行う、言うなら「行きて帰りし物語」的な構造文学が求められているのではないのか。

人々を、日常の小さな物語を堅実に歩ませるために。突飛である大きな物語に、感染させないために。

そう、ポリコレと呼ばれる物語抑制策も、そういう文脈解釈されるべきものなのかもしれない。

2024-08-06

やす子がかわいそう

「生きてるだけでみんな偉い」みたいなみつをだかみつるの亜流みたいな投稿をバズ狙いで繰り返す者が居り、それにいちいち信者みたいなフォロワーが「首がモゲるほど」同意を表明するみたいな予定調和的なかったるいやりとりはよく見るし、唾棄したくなる。いちいち水を差さないのは水をさすべきでないからではなく関わっても仕方ないからというだけだ。リアル知り合いがその手の拡散リツイートしてた時には何やってんのお前とは言ったことがある。

ところでしかやす子は100%の本気でそういう説教臭いバズツイートするタイプではない。実はアレでけっこう尖ったセンス芸人なのだ。半分素のまま・半分シャレでステレオタイプ純真・善人キャラに沿った行動してたら留保無しにそういうキャラ消費されるようになって売れたので、それもまた面白いかと自分からステレオタイプに合わせに行ってるフシがある。

気持ち悪い共感押し売りツイートに対する本気の唾棄の部分と、やす子があえてやってる部分も理解した上での身も蓋もないツッコミを合わせたものとして、フワちゃんのアレは別に意外性はない。

でもすぐにあっこれはダメだと思っただろう。「いい人がいいことを言ったら、悪い人が気に食わなくて罵倒した」という平板文脈しか受け取られないと。

DT浜田が大物タレント相手に「死ねばいいのに」といった身も蓋もない暴言ツッコミを発するときは、それが字面通りの本気の自殺教唆ではないんですよという事前の地均しがある。そういうわかりやす説明を省いてしまったという意味での「これはダメだ」である

浜田のそれも字面だけで本気の自殺教唆だと受け取る、あるいは受け取りたがる人が少なくない昨今である

空気を読めないのは正義!みたいな連中こそ異論存在すら認めない同調圧力でギチギチなんだけどな。

まあ世間的にはフワちゃんは単なる悪者で、アレは裏アカの切り替えミスだという平板まりない話としてのみ受け取られるのだろう。

消えるのかな。フワちゃんが消えるのは別にどうとも思わないが、そうなると一番損をするのは単なる善人で被害者という役柄を着せられるやすである

今後は一層、面白くもなんともない善人キャラとして消費され、やす子も早晩消えていくだろう。

タイマン森本とか見てみるといい。面白いし単なる善人じゃないから。

とりあえず純真天然バカキャラみたいなオファーに応じて足場を築いておいてそこから本当のいかれた味を出していく、ゆりやんみたいな感じで行けたらいいんだけどな。


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「いい子だし腐った芸能界に流されない気骨の人」みたいな勝手思い入れで持ち上げる、こういうの↓に潰されるんだ。

https://anond.hatelabo.jp/20240806022152

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自分なりゆきを案じるのはやす子の方だけでフワちゃんがどういう扱い受けても別に…というのは既述の通りだが

フワちゃんを全力非難する側はふだんあの程度の悪罵はあたりまえにやってたり攻撃発言用に裏アカ持ってたりするタイプも多いんだろうなとは思う。

フワちゃんはなんかポリコレづいたイメージもあったからざまあみろって思うやつもおおいだろうしな

ちょっと前にはフワちゃんが「気骨の人キャラで持ち上げられてたのである正義の人たちは飽きっぽい)

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「『きれいごとを言うのはつまらない、人前で死ねとかホンネをぶちまけるのがセンスいい』と言い張る、頭の古い人たちがいるんだよね!」みたいな単純な捉え方をしてる人はフワちゃんを許さないだろう。

でもそんな主張は元々ない。何のひねりもないただ単なる罵倒いじめがかつては商売になったというのはフィクションだ。そしてそういう悪しきお笑いに対抗する「人を傷つけないお笑い」という光の勢力が台頭してるというのもフィクションである。そんなものを目指してる芸人はいない。

お笑いというのはバカにはわからないものだ。エンタ五味プロデューサー非凡さは「全部わからなくてもいい、ふんいきで誰でも楽しくなれるのがいい」と、チンドン屋みたいなプリミティブな芸能の要素を復活させて見せたところにある。

その一方でお笑いはより精緻化している。M1なんか「ながら見」では何一つ面白さがわからない。

そして「善悪」というのは人間にとってもっと原始的な大ナタである

やす子は正しいから好き」という解像度世界が見えている野蛮人に、千万言かけても何かを伝えられる気がしない。

ーーーー

バカにはわからない」とかに反応したらしく「自分けがわかってるというのか!」と反感を剥き出しにする人はいるが、そのなかに反論として見るべきものは皆無。「だったら〜〜するはずだろ!」←いまおんもでバタバタしてもロクなことないくらいの状況判断できないわけないだろ

お笑いイジメ商業化! でも◯◯さんだけは人を傷つけない笑い!」みたいなヒステリックなの、どうやったらブレーキかかるんだろうな

2024-07-15

anond:20240715005011

まあ崩壊3rdシナリオは感動させ力に全振りしてて理解の点で読み手を置いてけぼりにしがちって点で精緻さに欠けてるのは確か

ゲーム性スマホゲームとしては頑張ってる方だけどアクションかというと大味なキャラチェンバフどーんに終始して凝ったグラフィックごまかしてるだけだな

最新のボス戦は面白かったけど1回限りのもんだしな

でもホヨバと一括りにできるもんでもないぞ

スタレのピノコニー編や原神のスメール、フォンテーヌあたりはシナリオマップデザイン美術も設定も音楽過去の全ゲーム史上トップクラスといえるくらい味が濃くて精緻に練り込まれた作りだと俺は感じたぞ

そのへんまで触れてなお大味だと思う人は見過ごしてる部分が多すぎるか、細かい部分に神が宿ってることを軽視しすぎる性格が大味な消費者かどっちかだな

もしくは課金しすぎて自発的ヌルゲー化しといて大味と言ってるパターンもわりとある

全体的に大味じゃないゲームに触れたいならゼンゼロが一番いいぞ

スペースキーキャラチェンパリィを駆使すると気持ちいいながらもアクションとしては多少簡単で万人寄りになるが

極限回避を中心に単騎でやろうとするとフロムゲー並にやりごたえのあるゲームになるし

何よりシナリオが分かりやすくてシンプル面白

リアルタイムますます盛り上がっていく神ゲーと並走する喜びを一緒に味わおうぜ斜に構えてないでさ

俺は2021年の原神23年のスタレに続いてThe Game AwardのBest Mobile受賞狙える出来だと思うんだけどどう思う?

とりあえず毛嫌いするにしてもある程度やり込んでからにしてくれよな! 偏見思い込みはよくないぜ

2024-07-12

anond:20240712150558

ジェンダー規範に縛り付けられたくないとかいって「越境」しようとする人こそ

結局「女らしさ」「男らしさ」を過剰に演じてるんじゃないか

そもそも心そのもの性別なんてあるのか?

って話?

自分も割と最近までそういう考えだったけど現時点では別の考えになっている

そもそも素の人間というのは存在しない

社会的に与えられた/選び取ったペルソナ抜きの自分というものはいない。人間そもそも半ば人工的な存在である

まり化粧落としたらすっぴんになるんじゃなくてのっぺらぼうになるわけよ。

ここでいう化粧とは性自認ことな

ナチュラルメイクやどぎついメイクの違いはあれ化粧は化粧

そして化粧という「自分でない、かりそめのもの」を取り去った素顔は無いという逆説を誰しも生きている。

もっと考える時間かければもっと精緻に語れるだろうけどとりあえずメモ書きで

anond:20240712092104

こういうのって制度精緻化するうえで有用思考実験だとか思ってそうだけど

どうでもいいことはどうでもいいんだよ

葬式坊主の頭たたいたらどうなる?」とかいちいち議論したっていみないだろ

2024-07-03

映画ルックバック』を観た。

 顔がぺしょぺしょになるくらい泣いてしまった。

 原作をあまりきじゃないので、映画前評判がよくても観るのどうかなあ? と躊躇ったんだが、観てよかった。

 映画版のどこが好きかというと、京本藤野に対する感情が丁寧に描かれているところ。原作でも、京本藤野に対して盲信レベル好意尊敬の念を懐いているのは解りやすくかかれているけど、映画版で良いと思ったのはそこじゃなくて(そこは原作に忠実にえがかれているが。)、いつも藤野に手を引かれ、彼女背中を見つめていた京本感情の大きさの描写だ。

 自分のことを子供部屋から外へ連れ出してくれて、外の世界を見せてくれた藤野背中が、京本の目にはどんなに頼もしく、そして眩しく映ってたのかということ。繋いだ手はやがてするりと抜けて離れてしまいそうになるが、指先だけが引っ掛かかっているだけになっても、藤野京本の手を離さない。

 だが、共に外の世界を歩きまわるなかで、京本自分自身の興味関心ごとを見つけ、藤野の手を離れ立ち止まる。

 原作を読んだとき、あまりこの話好きじゃないなーとおもった原因が、京本気持ちいまいちよくわからなかったことだ。彼女藤野とは別の道に進もうとするのは、単純に絵が上手くなりたいという欲求だけでなく、心の底に隠し持ち燻らせてきた不満がそうさせるのではないか? と邪推してしまった。京本のそんな様子が藤野に寄った視点で描かれていたので、藤野気持ち天才肌な友人に対する嫉妬支配欲の発露なのかと思ってしまった。

 高慢性格努力家×卑屈な性格天才

 という、どこまでも交じりあわない、噛み合わせの悪い二人、という印象が、原作を読んだときには京本得体のしれなさにより強化されたように感じた。

 けれども映画では京本感情よりクリアなので、藤野とは別の道を歩むと彼女告白したとき、そこには藤野に対して何らかのネガティブ感情があるわけじゃなくて、本当に自分のしたい事が見つかったこと、そして自分藤野のように自立し自由に歩いてみたくなっただけで他意はないということが伝わってきた。それに連れて、そのとき藤野の心情の解釈もかわった。支配したい、足を引っ張りたいというより、唯一無二の友人が去っていこうとしていることへの淋しさ、置いて行かれることへの不安。いつも自分の足で立ち果敢に前進していた藤野だが、京本なしには心もとなくて歩いて行けない。

 噛み合わないと思われた二人だが、漫画という共通点で繋がり、共に漫画を描いた日々を過ごしたなかで、唯一無二の親友同士になっていた。その関係性の精緻描写のお陰で、観ていて変な邪念が湧きづらかった。

 藤野京本彼女たちが互いの持ち味でもって共同し漫画に打ち込んでいた日々。それは藤野はもちろん京本にとっても楽しく幸せな日々だった、というのが、作中のリアル時間軸ではなく、思い出として物語の終盤で示されるのも、良い演出だった。

 

2024-06-21

「好きと良いは違う」に対して還元主義(?)的に考えていった結果、良いと悪いは好き嫌い多数決しかないのではないかという結論に至った。

この服はなぜ良いのか?

着心地が快適だから。なぜ着心地が快適だと良いのか?快適である状態は良い事だから。快不快問題だ。

かっこいいから。なぜかっこいいと良いのか?そもそも「かっこいい」の定義は?かっこいいものを身につける事は精神的充足に繋がるから。かっこいいとは見ていて嫌悪感を抱かず、むしろ快楽や憧れの念を抱かせるような事である。快不快問題だ。ちょっとトートロジーめいてる気もする。

いから。なぜ安いと良いのか?可処分所得の減少が少なくなるから。なぜ可処分所得の減少が少ないと良いのか?可処分所得の消費による購買の機会を増やし、効用の追求機会が増えるから。快不快問題だ。

いから。なぜ高いと良いのか?高額な消費であればより大きな効用を得られるだろうという誤謬めいた判断快楽をもたらすから。高額の消費、及びそれを誇示する服を着ることが収入の高さ、引いては社会的評価の高さを示唆し、自尊心の向上や社会的承認が得られるから。快不快問題だ。

もっと言えばエシカルコンシャスネスだとか、造形の斬新さや精緻さ、テーマ性の反映度合いや精神性が云々だとかいくらでもあるけど、それらを測る評価軸はどこから湧いて出きたのかという事になる。

いずれの評価軸も快不快好き嫌い問題へと収束していくはずだ。デニムなんかで着心地が悪いからこそ「良い」みたいな美意識もあるだろうけど、それも然りだろう。

いつからかあってこれからもあり続けるであろう自然法則所与の前提として持つ自然科学と違って、何が良いかという判断においては意図的に何かを前提として置かなければならないのだから感覚的な部分に頼らざるを得ないのは当然に思える。

ただそれだと必ずしも多数派に支持されない「権威」の存在説明がつかない。

ハイメゾンの攻めたコレクションを見て賞賛を送る人間多数派だろうか?もっと定量的にいけばジャンルを変えてトマトメーターでも見れば分かるけど、権威大衆意見は必ずしも一致しない。それなのに権威意見が良し悪しの評価に無影響だとは受け取られていない。

謎すぎる。

世界共通自然法則支配される存在であって、かつ誤差みたいな個体差はあれどほぼ構造も似たような生き物同士なんだから、何かしら共有されている本質的感覚があるのだろうか。

それはまああるか。

様々なノイズを除去しながら、そういった本質的ものを見極めて評価対象物と照らし合わせる技能を持った人間が伝導師として権威を握っているんだろうか。

ただ人類共通感覚って言ったって大枠のものに過ぎない気もする。ドブ川の水を啜って美味いと感じる人間は多分いないだろうけど、椎茸を美味いと感じる人間もいれば嫌いな人間もいる。

アレルギーでもなきゃ、食わせ続ければいつかは美味しさを「理解」して好きになるのか?

宗教規範から脱却したように思えてその実人々が未だ様々な信仰に基づいて生きている点は全く変わらないように、本質主義だとか教養主義だとかが社会の中で生き永らえているだけの話なのか?

多数派が好き(あるいは嫌い)だと思わないようなものについても、新たな価値判断基準提示して「言われてみれば、確かに……」という共感を呼び、考えを変えてしまうような魔力を持った主張の出来る人間権威を握るのか?常にそれが達成される訳ではないにせよ。

論理的分析してみた所でそれが良いかいか論理ではなく基準問題なので、共感の方が重要に思える。

基準に沿った判断合理的にやっていけるけども、基準のもの妥当性はより上位の基準しか判断出来ない。好き嫌いというのは恐らく最上位の基準であって、それ以上の基準はなく共感によって一変してしまうのかもしれない。

これなら原則として良い悪いが好き嫌い多数決によって決まるという説の中でも得意的に良い悪いへの影響力を持つ事がさほど矛盾しない気がする。一番しっくり来るかもしれない。

哲学世界ではとうにこんな議論もグチグチと交わされてるらしいけどおれの中では前向きなニヒリズムが一番納得感があるし、それ以上の理屈を求めようという気にもあまりならない。

2024-06-15

ポリコレもの考えるのが苦手な人間お祭り

追記あり】Mrs.GREEN APPLEMV炎上おかし

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240613203515

このコメント欄が酷い。

「なぜあの表現を焼くべきなのか」説明出来てる者がいない。

少なくとも人気順上位には一人もいなかった。

なんじゃこれ。

  

「ただの感想だし!規制検閲じゃないし!」

wata300

コロンブスMVの「主役」に据えた時点で、あの猿を「先住民」だと思うのは極めて自然連想から

「誤解」「勝手連想ゲーム」だと言われても困る。視聴者感想を述べる権利はある。 増田

2024/06/13 リンク yellow100yellow

また始まったよ。

人に向かってポリコレ死刑を宣しておいて

そこに反論を受けると「ただの感想だし!」「感想を言う権利はあるはずだろ!」まで後退する。

もう飽き飽きする変わらない小ズルさ。

どっかの社会学者の時から一歩も進歩してねえなこいつら。

  

  

「わかっててやってるだろ!」←何を?

kohakuirono

無知だとか意図しないだとかいう人がいるけどバッファローの角の飾りとか猿にひかせる人力車とか

乗馬ピアノを教えるとかお前分かっててやってるだろとしか思えない表現だらけなんだがな。

2024/06/13

表象がおぞましく感じられる!」

はあ、それで?

  

というかこれだけ大騒ぎして

結局作った奴の意図すらよくわかんねえ、

MVや歌詞の内容をどう解釈すべきかよくわかんねえ、

それでも「分かっててやってるだろ!」などといって死刑判決を下せちゃうのがすごい。

 

作品に対して一意の意図すら確定しなくても死刑に出来るらしい。

表象から「むむ!こいつはわかっている!(なにが?)」という霊感を受け取れればそれだけで死刑であると。

大したもんだわ。知能が。

 

なんか私が忌まわしいと思う物がおおいです!だから死刑です!

  

 

小吏に向いてるタイプ

ko2inte8cu

擁護派が、贔屓の引き倒しをしてくれるおかげで、

論争が長引き大きくなり、アーティストがいちいち謝罪せにゃなくなるのは、

高い授業料だが、まぁ、しゃーない。

植民地主義 差別 人種

2024/06/13 リンク yellow67yellow

こいつの言ってることわかる?

 

こいつって何が問題かとか適否とかを論じよう争おうって気すらないの。

「おらおらー 抵抗するともっと酷い目に遭っちゃうぞーう?w」ってニタついてるだけ。

  

これとこれに☆つけた奴等は本当にすごいと思う。

入植者側で原住民いじめる俗悪小役人とかに向いてるよね。

ネイティブアメリカン処遇に抗議に来たら話を一切取り合わず

「あーあ!反抗的からもっと締め付けますねw授業料高かったねえwww」とか言って嬉しくなれそうじゃん。

 

これが人気上位に来るってことは

自分達の言ってることがアヤシゲな「正義」ですらない

「誰かをいびれる勝ち馬」でしかないってことを自覚してる奴結構いるんじゃねえの?これ。

  

たとえ原理主義者であれ狂信者であれ、少なくとも自分のやってることを正しいと信じている人間

こいつみたいに人から反論牽制しようとしたり議論を封じ込めようとしたりはしない。

 

  

「線引き」  

mobileprince

からかい」がイジメになり得るように、差別意図関係ないよ。

差別の線引きを社会でどうしていくのかの議論が常に行われているわけで、

差別だと思ったら差別」みたいな自由競技ではない

2024/06/14

線引きがどこにあるんだよ。

お前の話の何処に議論があるんだよ。

しろ誰一人きちんと基準ラインを示せないじゃねーか。

まさかコロンブス最近評判が悪い厄ネタである」が線引きなのか?

 

評判悪い奴をネタに使ったらアウトなの?

それが線引き? 

自明でもなく明示的でもなく論理性の欠片も無いガバガバリンチルールが線引き?

 

どう見ても自由競技ですらないただの暴徒じゃねえか。

お前等は何かに線を引けるような意識のはっきりした思考の持ち主なのか?

自分達で自分達の知能程度をどう評価してんのマジで

 

  

入植者たちはおぞましい奴等だったんだぞ!」 

lady_joker

ラス・カサスの『インディアスの破壊〜』辺りを読んでれば

コロンブス以降の入植者がどれほどおぞましい虐殺を行ったかが分かるし、

人類全員が考えるべき暗部能天気PVにして上げている姿勢は私は心底不快だったよ

2024/06/13

入植者の連中がおぞましかったら人類全員が「考えるべき」なのはなぜ?

「考えるべき」ってのは具体的に何についてどんな思考をすることなの?

結論としてどんなアウトプットを得るの?

 

意味がわかんねえよ。意味わかんねえ。

そして入植者の連中がおぞましくて人類の暗部で「考えるべき」ってんなら

それはまずアメリカに言えよ。コスプレコロンブスなんかより。

たとえばアメリカ国歌あんなに気分の高揚する誇らしい感じのものであることにケチつけてみたら?

  

アメ公あいつらはすげえぞ。

人類全員が『考えるべき』おぞましい暗部」の真上で生活しとるぞあいつら。

しかあいつらの血は人類全員が『考えるべき』おぞましい暗部」の直系子孫だぞ。

これらに関しては黒人だろうが白人だろうがメキシコ系だろうがネイティブアメリカンだろうが同じなんだ。

だってあいつらもう相当血も交じってるし。

あいつらの生活は全て強奪された国土資産の上に成り立ってるのだし。

 

コスプレコロンブスなんかよりずっと問題のある存在アメリカアメリカ人だろ。

けがらわしい鬼畜末裔強盗したプロパティの上で暮らしてるのがアメリカという国と国民じゃねえか。

 

過去入植者所業のおぞましさによって現代人間が裁かれるべきだとお前らが信じるならば、

まずアメリカに向かって「お前らは永遠に能天気表現とか一切するな」って言ってこいよ。

アメリカアメリカ人がちょっとでも明るい顔をしてる限りはまずそっちにクレーム付け続けるべきだろ。

    

それに引き換え。

あのK-POPみたいなお化粧したバンドは何かおぞましいことをしたか

誰かを虐殺収奪たか?→してねえ

そのような行為をけしかたか?→してねえ

人種優越主義を唱えたか?→してねえ

なんもしてねえ。コスプレMV作っただけ。

  

ネイティブアメリカンと似たような肌の色と身長アジア人コロンブスコスプレMV撮ったら猛烈に怒られて

土地人間「おぞましい暗部」100%たるアメ公どもが堂々とした顔で空気吸って飯食ってクソしてるのは何故なのか、

まずそれを説明して見ろよ。なあ?

     

賭けてもいいけどこれ書いた奴もこれに☆付けた奴も誰一人答えらんねーぞ。この程度のことすら。

自分達で言ってることやってることの説明求められると困っちゃう

紅潮した加害顔引っ込めて被害者ヅラになってブツブツブツっと話を逸らして逃げておしまい

一方的に殴れると思って高揚してただけだからツッコミなんかされると被害感情で一杯になる。

   

なーにが「考えるべき」だ。マジで。 

お前らが何を考えてるっつーんだよな。

そもそも俺は「考えるべき」みたいなぼんやりしたキュー出す奴が何か明晰に考えてるのを見たことねーよ。

 

「考えるべき」とか言う奴が実際にイメージしてることはせいぜい

葬式に出席する時みたいな顔を作れ」なんだよな。

なんか真面目な顔作って下向いて時間過ぎるのを待ってなさいっていうあれだろ?

それ考えじゃねーから

 

まったく昭和体育教師ぐらい論理的で精緻思考レベルですことよ。

脳が腐るほどアホくさい。 

お前らが何を考えてるっつーんだよこのトーンポリシングケガレ思考呪術師どもが。

  

  

抵抗しないかリンチして殺しただけ。ボクチンたちわるくない。」

esbee

自分としては本気で皮肉としてつくってたなら表現自由としてむしろ応援たかったけど、

すぐ引っ込められたからアレレ……本当になにも考えてなかったの?……覚悟持ってやってくれよ……となった

2024/06/13

出た出た。考えなしにリンチちゃう奴等あるある

問い詰められるとリンチ被害者の態度に問題押し付けるんだよな。

ちゃん反論しないからみんなで吊るして扼殺しちゃったよ。アレレ?ぼくちんたちはわるくない。こいつ覚悟が無い。」    

てめえらは何も考えずにリンチしてるくせに吊るされた奴に「何も考えてなかったの?」だとよ。

   

   

「貫き通さないのが悪い」   

zazenzazen

MV音楽を広めるための手段なので受け手不快なら失敗なんだから仕方ない。

意図を汲み取って表現尊重して欲しければそれはアートなので、炎上しても貫き通せ。

2024/06/13

これもね。

いやいやいや、否定的感想とかはもちろん受け止めるべきだぜ?

 

でもお前らがやってるのは?

露骨社会道徳的キャンセル掛けにいっただろ?

自分達はそういう場外乱闘的なやり方で殴りにいってるのに

相手には「クリエイターなら貫き通せ」みたいなこと言って自分達の責任回避するのマジなの?

これ書いてる奴がキャンセル野郎かは知らん。

けどこれを人気上位に押し上げたはてな民たちは

大多数が今回のキャンセル肯定しているよな?

  

感想じゃない圧力掛けて潰しにいったり、そういう圧力肯定してる連中が「貫き通せ」じゃねえんだよ。

アンフェア攻撃ぶつけながら「屈したならお前等が弱かったのが悪い」「お前等の気持ちはその程度」って抜かすやつ、

昔の野球漫画に出てくる序盤の中ボス理不尽校長なのか?お前らは。

 

なんかさ、こいつ等って普段とあるごとに体育の授業の恨みや体育会系への恨みをぐちぐち言うくせに

自分が強い立場に立ったと感じた時の振る舞い方は完全に体育会系カスのものなんだよな。 

なーんだ、お前等そういう理不尽いじめ自体は好きなんじゃん。

自分がやる側になれなかったから何十年も恨んでるだけで。      

  

  

名前言ってはいけないあの人」  

u4k

MVなくても曲名コロンブス」がそもそもヤバい

現代では触れてはいけない人物から

今はファーストネームを使って「賛否わかってる感」を出すテクニックがあるから

曲名クリストファー」にすればよかったか

2024/06/13 リンク yellow28yellow

端的でよろしい。

からはっきりわかるけど、これもう「穢れ」の発想だよね。

触れてはいけないものに触れた、

名前言ってはいけないあの人の名前を口にした、

から罰されてもしゃーない。

これがこいつらの偽らぬ中核感情だろう。

    

それはわかったんだけど、そのうえで、

その中世の土民みたいなお気持ちで人を吊るすのやめてくれねーか。

なあ。

 

バカ多数決だけで死刑判決出されても困るんだけど。

ジッサイこいつらの脳髄は中世

 

 

コロンブスは評判が悪いんだぞ!」

soyokazeZZ

米国では記念日名前も変えられるくらい評判の悪いコロンブス

ホームパーティって時点で表現者としての勉強が足りてないよね。

逆張り的に知っててやってる芸風でもないし。

2024/06/14

最近評判の悪い人間だったら何なのよ。

その米国コロンブス評にひれ伏さなきゃいけないのはなぜ?

 

「評判悪い奴をみんなと一緒にエンガチョ出来ない子はいじめられてもしかたないよねー。」

お前等は女子中学生か?

   

まあ脳髄が分別の無い女子中学生ぐらいのレベルから進歩とまった人間なんて沢山いるんだよな。

なのに○十年生きてるとかい理由だけで自分老成した知性や判断力を獲得してると考えてる。 

   

はてな民の平均年齢ってもうアラフィフぐらい来てるだろ?

それでこれって悲しくならないか

皴と白髪が多いだけの女子中学生どもがよ。

 

 

意図せず含まれることがある。その時には無知を開き直らず。」

todomadrid

差別歴史に根があるし、何世紀もかけてイメージ固定化されてきたから、

私たち言動にも、過去から続く差別意図せず含まれることがある。

その時には無知を開き直らず、謝罪撤回して繰り返さなければそれでいい

2024/06/13

すごいよねこれ。

中身が何もない「ボクチンは殊勝なよいこです!」宣言してるだけの文。

みんなが言ってるから。根があるから。開き直らずに。

差別が含まれることがあるから別に自分で何か確認したわけじゃないケド。

  

ここには思考が何もない。

憲法保障した権利への市民としての責任感もない。  

        

「お前の発言差別から撤回せよ謝罪せよ」って言われた時に

差別であるという理路がきちんと明示されて説明し尽くされていて

それに対してお前が納得したなら撤回すればいいよ。

   

けど理路もねえ、説明も尽くされねえ、

ただ「なんかヤバいでしょ」「おらサッサと謝れよ笑」「みんなが言ってるよ?」「評判悪いよ?」「素直な態度にならないと損するよ?」なんて言われてる時は

断固として抵抗しなきゃいけないし横から弁護と支援をしなきゃいけないだろうが。

    

本当のよいこってのは道理の通らぬ強要には能う限り抵抗する子であって   

お前らはただの権威主義と土民イズムが合体しただけの、

尾田栄一郎徳弘正也が描くタイプの救いようがない感じの蒙昧モブなんだよな。

  

なんか厄いもの・なんか強いものにひれ伏してるだけ。

誰かが石投げ始めたら理由もわからず嵩にかかって参加するだけ。

マジでお前らワンピースの中のどっかの王国に入植してろよ。めっちゃ馴染めるよ。

 

頭は悪い、やる気もない、

殊勝そうな態度だけ作るのが得意。和を乱した奴リンチするのが得意。

毎度のことながら内申点だけ優等生っていうタイプだよなお前等は。

 

 

総評  

猿がいるならお前らだよ。

 

アメリカ人様の間で近年評判の悪い人物能天気PVにしてしまってごめんなさい!」

なんつってアメリカ人が何か言うより前にリンチを始めて

虐殺もなんもしてない奴等をなんでリンチしてるんだ」って聞かれると答えられなくて

アメリカ人のガバガバ道徳受け売りケガレ思考しか出てこない。

そんなざまなのに社会の全員に自分達と同じひれ伏しをさせたくて仕方ない。 

 

どう思う?

この精神自由のもの奴隷のものか。

人間か猿か。

  

  

おまえらシッティング・ブルのような誇りも知性も抵抗意志もねえ、

それどころか自前の思考道徳すら持ち合わせないのだから

コロンブスに飼ってもらえば丁度いいじゃねえか。

人間のふりなどやめたらいいじゃねえか。

 

誰かが言ってる非論理的な相場に従うのが好きなんだろ。

権威を背負って和を乱した奴リンチするのが気持ちよくてたまらないんだろ。

ほんとにもう猿の中の猿だおまえらは。

 

白人がやたら少人数でも搾取統治がうまくいった地域っていうのは

現地からお前等みたいな徴税人志願者がいっぱい出たんだよ。

権威の取り決めに従って誰かをリンチしてる時だけ自己効力感を感じるタイプのくっだらねえ無能入植者様の手足になった訳よ。

 

結局お前等の自慢は人の役に立つ能力や取り組みではなく

ただ非論理的な禁忌について勉強してる」「弁えてる」ってことだけ。

クラス空気読めてるから自分は偉くて読まない奴をイジメ権利が発生すると確信してる中学生と同じ。

人の役に立つ能力を一切持たないのに自分有用知識人だと信じてる無能社会学者と同じ。

未成年ならまあ未来に期待できるけどお前等は一体何歳なんだよ。

 

思考力が欠落してるのに論客気取りのお前等みたいなののハレの日ってのは

こうやって権威に従ってよくわかんないまま誰かをリンチする時で

要するにポリコレっていうのは人の役に立つ能力の無い無能のための御祭神なんだよな。

  

コロンブスよりおぞましいのは

コロンブスに媚び諂うリンチ猿であって

現代で最もおぞましい暗部とはお前等みてえな奴等だよ。 

 

 

猿が激おこ

cinefuk 「どうだ、おれを論破してみろ!おれは説得されないぞ!」と最後まで立っていた奴が優勝する。みんなが立ち去ったあとに、自らトロフィーをかざすが、見ている観客はいないし、匿名から名誉もない。2chカルチャー2ch ひろゆき

2024/06/15

要約「グキキーー!クキー!キィー――ッ!!(怒)」

  

不快の念だけは伝わってくるけど

人語による反論ゼロっすね。

  

こんな言葉しゃべれねえ歯を剥いてる猿の吠え声がこのエントリに不満な勢力の人気1位コメなわけよ。

な?猿だろ? 

こいつらから話の噛み合う再反論が返ってきたらそれだけでかなり見直しちゃうね。

 

ちょっと詰められると基本この「くやちい!勝利宣言!逃走!」しかないのよこいつら。

中学生掲示板ならいいけど、4050の歳で長年ネット論客ごっこしていながらこの仕上がり。

厳しいって。人生無駄使いだって

頭や言葉を使う才能が欠落してんだからもっとから下を多く使う別の趣味探せばいいのに。

  

 

伝奇ホラー

otihateten3510

何で本件の炎上に噛み付いてるはてなーがいるのか理解に苦しむ。どうみても燃えるだろ。

2024/06/15

A「リンチをやめろ!せめて彼がどのような罪で火刑に処されるのか説明しろ!」

B「……?どう見ても忌まわしいだろ」

  

完全に因習ホラーだろこれ。

会話以前のなにかが全く疎通してない。

お前ら本当にこれがなにかもの考えてる人間に見えるのか?

 

2024-05-16

anond:20240515221358

続きです。

しかし、結果的に言うとマンガ部も違った。こんな言い方が正しくないのは分かっているが、みな意識が高すぎるのだ。真面目にマンガに取り組もうとしている人たちばかりだった

「人は経験したことだけしか描けない」という信念のもと、学外活動にも熱心だった。いろいろな経験を積むことで、その経験作品に、キャラクターに深みを与えるのだと。マンガが好きだからマンガしか読んでない奴には面白いマンガは描けない。そう断言してはばからない人たちだった

しかし俺はその考えには否定的だった。なぜならエロ自由からだ。エロく感じるなら現実など無視して良い。腹ボコ子宮姦も感度3千倍もリットル単位の精液も、どれも現実にはありえない。だがありえないからこそエロいのだ。現実に縛られずに自由に描けるからエロマンガエロ同人エロいのだ

そして俺は漫画家になりたいのではない。エロ二次創作がしたいだけだったのだ。そのためだけに絵を練習してきたのだ。男などは描きたくはないが、竿役がいないと始まらないので仕方なく練習した。毎回毎回異空間に閉じ込める訳にも行かないから、背景も勉強して練習した。もちろん女体もしっかり練習した。だがしかし精緻な設定も重厚ストーリー人生経験エロ同人には必要ないし、そもそも俺にそんなものを生み出せるはずもない。生み出そうという気持ちすらない。俺にとって重要なのは読子まほろさんをんほおさせること。それだけだから

とはいえ先輩方の絵は上手かったし、デッサン勉強会なども定期的に行われていて、同期で入ってきた部員も何人かいたので、しばらくはこのままでいいかと思い、部に残ることにした。表向きは俺も漫画家志望だということにして

マンガ部では定期的に部誌を発行しており、部員は全員それに載せる作品を描くことが義務だった。作品を落とすことは一度目はセーフだが二度目はペナルティ部員全員に食事を奢る、部誌の印刷代を出すなど)を課すという厳しいものだった。なので落とす人はほとんどいなかった。が、これに毎回苦戦していたのが俺だ

だってそうだろう。自分が一から考えたマンガなど、俺は一度も描いたことがない。ストーリーがあるマンガも描いたことがない。だが見様見真似でコマを割ることを覚えたりと、マンガ形式を少しづつ学べたのは良かったと今でも思う

そうして大学生活や部活動にも慣れ始めた頃、ついに俺は念願を実行に移すことにした。そう、エロ同人作家としてデビューすることだ

いきなりコミケハードルが高すぎるし、何よりもサークル当落があるので、本ができても落選では意味がない。だからまずは手近なイベントにしようと俺は考えた。ネタとしてはやはり、当時人気だった「おねがい☆ティーチャー」が鉄板だと俺は予想した。印刷所も手配し、同期にも手伝ってもらって原稿も描き上げた。この同期は真面目でエロマンガエロ同人などには良い感情は無かったが、それでもマンガであることには変わりはないと割り切って手伝ってくれた。マンガとして成立しているかもきちんとチェックしてくれた。コマ運びや大ゴマの使い方など、エロしか描けない俺の絵を「マンガ」にしてくれたといっても過言ではない。ただ、俺が本当にやりたかったのがまさにエロ同人だったと知っていたら手伝ってはくれなかっただろう。そういう意味では騙したみたいで、今でも時々申し訳無さを感じる

そうして出来上がった俺の初のエロ同人誌は、自画自賛だがなかなかのものだったと今でも思う。もちろん今から見れば何もかもが荒削りだし、絵だって素人にしてはまぁまぁ、というレベルだ。当時と今とでは要求されるレベルが違うが、それを勘案すれば「まぁまぁ」だった(今基準ならクソ認定されるかもしれない)

そして結論から言うと、俺のこの初エロ同人誌は完売した。ビビって100部しか刷らなかったのを後悔した。初めてのイベント参加で、初めての本なんか売れるわけがない。そうネットでは言われていたので、100部というのもかなりの冒険だったのだけど、当時は最低ロットが100部からだったので仕方なかった。今のオンデマンド方式なら部数は自在から、30部ぐらいにしていたかもしれない。それはともかくとして

初めてのエロ同人完売したという事実に俺は喜びに打ち震えた。たった100部とは言え、初めての参加で初めての本だ。それの「完売」の勲章は何物にも代えがたい。今までの努力が認められた気がした。エロ同人作家として価値を認めてもらった気がした。子供の頃からなりたかったエロ同人作家に、いちおう俺はなれたのだ

そこから俺はイベントごとにコンスタント新刊を出すようになっていった。この頃にはとらのあなが最大勢力で、信長書店メッセサンオーといった同人を扱うショップも多くなってきた。一方で長年お世話になっていたLLパレスは悲しいことに規模を縮小していったが、こういうショップが勃興することで、俺は部数をどんどんと伸ばしていった。イベントで売れ残っても、その在庫ショップが引き受けてくれるのだから、スペースの限界まで持ち込めるのだ。100部から始まった俺の本の印刷部数が4桁後半になるのもあっという間だった。実家から離れて一人暮らしを始めたのもこの頃だった

一方で同人活動にかまけて、学業どころか大学生活が破綻するようになった俺は留年危機を迎えていた。おまけに世は就職氷河期真っ只中である。だが俺はまったく気にしていなかった。この頃の俺は1000万円以上の収入エロ同人から得ていたからだ。就職卒業もする意味理由も俺にはまったくなかった。が、親に懇願されたのもあって、卒業だけは一応しておくかと思って追試でどうにかなった。大学側の温情も多分にあってのギリギリ卒業だった

から就職をどうするのかと何度も問い詰められた。いまの状況ではまともな就職など出来ない。だからしばらくフリーターをやると言うと、それなりに納得していたようだった。エロ同人作家フリーターも似たようなものだ。だから俺はここで本当の「エロ同人作家」になった。大学生のお遊びではない、本物になったのだ

さて、無事に大学卒業して「職業エロ同人作家」となった俺は、変わらずに活動を続けていた。好きなアニメゲームを見ては妄想股間を膨らませて、いかにこのキャラアヘアヘ言わせるかだけを考えていた。清楚なタイプならギャップ萌えダブルピースも悪くない。ロリロリでもアリだ。ちょうどこの頃はメスガキ分からせという概念も生まれつつあって、それに乗った俺は絶好調だった。少なくとも表面上は

だが、当時は分からなかったが実は俺はほんのりとスランプを感じていた。マンガ技術は桁違いに向上したし、画力だってプロと比べても遜色ないほどに腕を上げた。しかしやってることや描いてる内容は最初デビュー作品から何も変わっていない。いや変えられなかったからだ。技術レベルは上がっても、「中身」は小学生レベルなのだ小学生の描くバカみたいなマンガプロが清書してるだけのようなものなのだ。誰を描いても、何を描いても「うんこ! おしっこ! ギャハハ!」だ。そういうものを延々と再生産しているという事実に気がついた時、俺はゾッとした。結局のところ、俺はエロ同人作家」としては何も進歩進化もしてないのではないか。そう思った

学生の頃、マンガ部の真面目な先輩たちが真面目にマンガを描いていたのを見て、意識が高くて違うなぁと思った。俺にはそんなもの不要だと考えた。エロ同人必要なのは、一にも二にも画力エロスだけだ。そう信じていたが、そうではなかった、エロとはそんな単純なものではない。…俺はそんな風に段々と思うようになっていった。エロスとは人間真実を浮かび上がらせる深奥なる営みの一部なのだ、と。今頃になって先輩たちの「人は経験したことだけしか描けない」という言葉が俺の心をえぐるようになっていった

しかるに今のこの俺はどうだ。実際のセックスなど知らずに、小中学生妄想をただ絵で表現しているだけの、エロスも人間も描いていないただ手先が器用なだけのバカなのではないか小手先エロい絵を描いてるからある程度評価されてるだけで、「作家」としての評価は下の下なのではないか

俺は「漫画家」になりたかった訳では無い。ただエロ同人作家ありさえすれば良かった。だがエロ同人作家であろうとするなら、同時に「漫画家」的な資質要求されるのだということを、俺はようやく思い知った。エロいからというだけで、設定など無視してキャラアヘ顔ダブルピースをさせるなど、そもそも作品理解していないから出来ることだ。果たしてそれは二次エロとして正しいのか。エロ同人作家としてあるべき姿なのか。そんなことを突きつけられた気がした

から思えばそれは事実だった。だが当時の俺に、その事実を受け入れ、飲み込む度量はなかった。なまじ売れていたからこそ、自分が真のエロ同人作家ではないという事実が受け入れられなかった。あれほど憧れたエロ同人作家として成功したというのが、すべて幻だった、勘違いだったなど受け入れられるはずがない

から俺は、「本当のセックス」を知るためにまず風俗に行くことにした。実際のセックス体験すれば、それが何らかの形でマンガフィードバックできると考えたからだ。そのフィードバックを得られれば、俺は一つ上のエロ同人が描けるようになる。そう信じた。マンガ部の先輩たちが言っていた「人は経験したことだけしか描けない」という言葉に、今更のように俺はすがった

だが、「実際のセックス」は俺の求めたフィードバックインスピレーションも、何も与えてはくれなかった。実際のセックスはさほど刺激的でもなく、快感という点でも右手に大きく劣るという有り様だった。しかし一つだけ大きな学びがあった。「セックスはいうほど気持ちよくはないが、しか女の子イチャイチャするのはたまらなく心地良い」のだ

話は少し前後するが、俺は外面が良いというのは何度も書いた。芸能人レベルイケメンとまでは言わないが、雰囲気イケメンぐらいではあった。身長だって175センチあって、武道で鍛えてはいたので細マッチョだったから小中高と女子には受けは良かった。告白されたことも何度かある

でも俺はそれらを断った。なぜか? それは真実を知ることで幻想が壊れることが怖かったからだ。そして己の欲望ありのままにぶつければドン引きされるのが分かっていたからだ

俺とて子宮姦など現実にはできないことは知っているし、そんな長大なナニも持ち合わせてはいない。感度3千倍なら脱法ドラッグあたりなら何とかなるかもしれないが、それとてリスキーが過ぎる。なにより俺には妹がいると最初に書いたが、そのせいで「現実の女」に対する期待値などゼロだった。「人語を一応は解する邪悪な獣」である妹が俺の中では現実若い女性のモデルケースだったので、そんなのの類似品と「お付き合い」など出来るはずがないし、したくもなかった。故に俺はセックスへの憧れ、期待を持ちつつも実行には至らなかった。現実女子などは鬼神のごとく敬して遠ざけるのが最良なのだ

とはいえ性欲は人並み以上にあったので、ヤりたい気持ちは常にあった。ヤれそうなタイミングもあった。しかエロ同人的な世界観内面化している自分が、常識的セックスで満足するとは思えなかったから踏みとどまれ

話を戻すと、いざ実際に現実女子と致すと、なるほど予想の通りにさほど気持ちよくはなかった。全くの想像以下だった。しかし、事前事後に快感とは別の多幸感のごときが押し寄せてきたのだ。これは予想外、想定外だった。幸せホルモンがドバドバと脳内に分泌されている。セックスとは竿の快楽だと考えていた自分にとっては、これは盤外戦のような感覚だった

だがこの感覚マンガフィードバックはできない。竿役のおじさんや触手多幸感を感じたというのをどう表現しどうエロ昇華できるというのか。悩み、迷走した結果、俺は今まで通りの路線で続けることにした

ところでこの頃、自身の迷走もあって売上はよくて現状維持ネタによっては大きく落ちることもあった。かつて数千部を誇った発行部数在庫として積まれるようになっていった。そして何度も言って恐縮だが、俺は外面はまぁまぁいい。高校生の頃からの習慣で、イベントには常にピシッとした装いで参加していた。それは落ち目になったこの時でも変わらなかった

後にどこかで聞いた話だが、腐女子などもイベント参加のために気合の入れた服や装いを用意するらしい。大事同人イベント敬愛するサークルのスペースに訪問するのに、勝負服を着ないでいつ着るのか、という文化があるらしい。俺の装いへのこだわりもそれに近い、と感じた。俺はエロ同人誌が好きだった。それが頒布されるイベントも好きだ。それへの、そこへの敬意として正装をする。それらに対して恥ずかしくない格好をする。もちろん自分なりの、ではあるけれど、それが「礼儀なのだと俺は思う

そして迷走してはいものの、まだある程度の売上があったこの頃、この俺のファンだと名乗る女性サークルスペースに現れた

まだ続きます。。。

2024-05-08

そもそもAI翻訳翻訳正当性永遠に確認し続ける必要あるか?

もろちん、当初はこれでいいor悪いの判断をする人間必要だろうけど、一定以上の進化を遂げた後はその判断もなしで「おおよそいけてるやろ」でGO出す時期が来るはずなんだよね。

ちょっと考えてみてほしいんだけど全翻訳家が常にその文書内でのコンテクスト理解したうえで100%間違いない翻訳してると思う?

戸田奈津子って一例出すだけで「絶対にありえない」ってわかるじゃん。

よーするにさ、人間がやる翻訳ですらあのレベルであってその翻訳正当性確認する作業なんか誰もやってねーんだから翻訳AI翻訳正当性確認する必要なんか基本的にはないんだよね。

それでも逆に機械信仰というか「マシーン絶対に間違いを犯さないはずだ」という異常な期待値高さから人間翻訳家ですらそのレベルの奴どんだけおるねんってレベル精緻さを求められてるのちょっと面白いよね。

海外漫画翻訳なんか今ですらバイリンガルの読者が読んで「翻訳めちゃくちゃじゃねーか!」ってのがまかり通ってるのに、AIでは正当な翻訳はできない!に違いない!って吹き上がってるの草生えちゃうんだよね。

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