はてなキーワード: がっかりとは
二人でお酒を少し飲んで2万5千円くらいのとこ。地方都市です。
湯葉の上にウニを乗せ自家製のポン酢醤油のジュレがかかっている。湯葉の優しい甘さとウニの濃厚さが合っている上にジュレがウニの濃さをさっぱりさせバランスを取ってくれている。1品目から居酒屋とは違う…
塩、わさび、土佐醤油とお好みで。ハタは5日間寝かせたらしい。刺身ってそんなに持つのか。甘味が強くもっちりしていて美味しい。アオリイカはねっとりしているが隠し包丁が入っていて噛み心地が良い。思わずあまーい!と言いたくなる。それぞれ3切れずつしかなかったけど全部塩で食えば良かったと後悔。刺身って塩で食う方が美味いのか…
特に工夫なく半分に切って上から自家製のポン酢醤油のジュレをかけただけ。なーんだ、と少しがっかりして食べたらさ1品目のポン酢醤油に比べ味が段違いに濃い、柑橘の味と香りが界王拳使ったんか?と言わんばかりに段違い。生牡蠣特有の生臭さが吹き飛んで美味い。パートナーは生の貝食えない人だったのに食ってるよ…
地元の奥で取れるらしい高い筍と鳴門のワカメ。そら素材は美味いけどこの出汁なんなん?雑味、えぐみという言葉が無い世界線に迷いこんだのかってくらい旨味しか感じられない透き通った味。思わず「うまっ!」って言ったら若い店主が「出汁にはこだわってるんですよ」と言ってくれた。恥ずかしい…
和食屋でレバーパテと思ったら看板商品らしい。レバーパテの上に栗のコーヒー煮を乗せ最中で挟んであり手で食べた。臭みもクセを取り払われてただただレバーの旨味しかないパテに栗の味が上乗せされるんだけどコーヒーのかすかな匂いと味がくど過ぎないよう止めてくれてるのよね~。こんなん至福すぎる。あと5個くれ…。季節によってイチゴだったりマンゴーだったりするらしい。
なにコレ?里芋じゃん。違うわ、里芋のねっとり感そのままに甘みが強くなってるわ。里芋よりスクールカースト上位に位置してたわ。里芋すまんな…
個人的ベスト。なんで脂と油を組み合わせてさっぱりと脂の旨味を純粋に堪能できるんだよ、意味分からん。行者ニンニクのおかげ?舌の上は確かに油まみれなのになぜかさっぱり感を感じてしまう。脳がバグったな…
若竹煮と同じ出汁に勢子ガニの内子と外子、身を混ぜて炊いたカブの上からかけたもの。プチプチ感やらカニの旨味が加わった出汁の旨さやら炊いたカブの上品な味がそれぞれ邪魔せず美味しく頂きました。贅沢な料理だな、が真っ先に浮かんだ感想です…
太平洋側でもアカムツ(のどぐろ)って獲れるのね。切り身に何度か熱した油をかけ、その後炭火で焼いたため皮がパリパリ、かつ半生状態のため脂が乗りに乗ったアカムツが最高の状態で味わえる。和食の魚料理ってよく焼きしかないと思っていたけど半生もあるのね。よく焼きの焼き魚は滅べと思ってしまった…。いや、鮮度によって仕方ないのは分かってますけど。
と言っても鍋ではなく信州牛プレミアムを割り下でレアに煮て、半熟の黄身を添えお皿に盛って提供される。こんなの旨いに決まってるじゃないですか。案の定旨味が脳天を突き抜けていきましたよ。
締めの一品。今まで食べたいくらの醤油漬けは醤油味が強すぎる、舌がツンツン刺激されるんだよ、今出してくれたいくらのように醤油が強すぎずいくらの美味しさを引き立たせる脇役くらいにしてくれ。醤油が違うのか、出汁の割合が違うのか分からんけど腹いっぱいだったのに思わずおかわりしてしまうほど美味しかった。あっさりしたいくらの醤油漬けってなかなか無いよね。
和食って素材勝負なとこあるし、高い店言っても大して変わらないだろ、と少しみくびっていた過去の自分を恥じてしまうくらい美味しかった。
また行こ。
・「年齢詐称してませんか?」と言ってきた
健康状態を気にされるような痩せ方をして、老けてしまってるのでは?
・こちらから話を振らないと喋らないし返事も短くて会話が続かない
上と同じで会ってからがっかりだったので、話もしたくないし奢りたくもなくなったんじゃないか。恋人候補とか言ってくれたのは精一杯のフォローだったとか
その趣味だとあなたは消費者でしかない。熱中する仕事も無く、給料使って娯楽を見るだけ。女なら許容されるかもしれないけど、同じような層で探す男はろくでもないよ。仕事も楽しんでない、スポーツもしてない、何かを能動的に極めるわけでもない。そのなかでガチャをしたらそうなっちゃう
折田氏がYoutubeで公開し、19日14時20分時点で非公開にされた動画のサムネイルです。
折田氏が自らを「SNS仕掛け人」「関係者」と称し、斎藤元彦知事の選挙戦について述べたとみられる動画ですが、折田氏のnote投稿が注目される前の段階で非公開になったため、見た人が殆どいない「幻の動画」です。
そんな中で、数少ない視聴者で斎藤氏支持者の「ワンコ」さんの証言はとても興味深いものです。
ワンコさんは、おそらく動画内の折田氏の発言として「この時はこのフェーズでこれをして」と記していますが、これは折田氏が選挙戦でSNS運用を巡る企画立案をしていたと取れる証言では。
@wanko2011
さいとうさんのsns戦略を司っていたと言う社長がYouTubeで発信していた。
一般ボランティアとかで、さいとうさんを応援していただけに、裏側の暴露話とか聞きたくなかった😔
なんかとても、がっかりした😢
私の頑張りは、無駄だったような気がした。
@wanko2011
何か、この社長に私は踊らされてさいとうさんを応援してたのは、何なんやろう?って、本当にさいとうさんで良かったのか、モヤモヤしています。
ただ、snsに踊らされて、この社長の引いたレールに乗らされただけなのか?
https://youtu.be/Z_-Y_QLTI-E?si=y84gvETweP0J9kWA
https://megalodon.jp/2024-1208-1903-38/https://x.com:443/wanko2011/status/1858724323626013100
最近、性暴力とその表現に関する話題が次々 Xのタイムラインに流れてきて、この仕様ってなんなの、と思う。思うけれど、その一方で男女(と一旦は括らせてほしい)の性暴力への解像度の差にガックリきてしまい、あまりにもがっかりしたので筆を取る。
わたしは若い女で、比較的フェミニズムに関心がある方だと思う。そして漫画などを好むオタクだし、エロ表現の良さも分かる。
以前、似たような境遇の女の子の友達がいた。ある日、彼女が落ち込んでいたので話を聞くと、どうやら地下鉄で男の人に付き纏われたらしい。彼女は座っていて、向こうは側に立っていた。初めの方は不躾な視線に耐えていたけれどとうとう我慢できず、電車が停車した際に立ち上がって一度外に出、車両を変えようとしたところ着いてきたという。これには慌て、駅の中を逃げまどって何本か電車を見送った後にようやく再び乗車することができた。
しかし、まだ不幸は続く。電車から降りて逃げている途中、気に入りの帽子を落としてしまった。一応は落とし物センターに問い合わせたけれど、万が一帽子が戻ってきても複雑だ、と彼女はこぼす。お気に入りの帽子なのに、これからはそれを見るたびに男の人に追いかけられた嫌な記憶を思い起こすことになるからだ。
この話を聞いたときに、わたしもすごく嫌な気持ちになった。この件は決して事件として表面に浮かぶことなく、ただ個人のなかの嫌な記憶としてのみ残り続ける。帽子を落としたのは彼女の不注意だったかもしれないが、それほどに焦り怖い思いをしたということでもある。お気に入りの帽子で外に出かけるときでさえ常に警戒していなければいけないだなんて、そしてそれが特定の性別に多く降りかかるだなんて、どれほど生きづらい世界なのだろう。
話は変わる。新聞社の事件事故の欄を見ていると、盗撮や痴漢、路上抱きつきなどの性加害事件のあまりの多さに愕然とする。そしてその裏には事件化されなかっただけの事案がたくさんあるし、そして事件化することのできない(例えば先ほどの友達の話のような)嫌がらせはもっと多いのだろう、と想像してしまう。少なくともわたしはそういう場面に出くわしたり話を聞いたりしたことがそれなりにあったので、そんな世界の見え方を想像もしない人を大量にタイムラインで見かけて言葉を失ってしまった。
そして、この身体ひいては性にまつわる体験の差(つまり女の方が性被害にあいやすいこと)がエロ表現の扱いについての分かり合えなさに繋がっているんだろうな、と。そう邪推してしまう。
そもそも、表現というのは社会の情勢や価値観や規範と全く切り離して考えることのできないものだろう。わたしは、〈社会、そしてそこで生きる個人〉と〈個人によって生み出される表現〉とは相互に影響を与え合うものだと思う。例えば表現は社会で生きる人間によって生み出される以上、そこでの価値観の影響を受けるし、反対に、表現が社会や個人に影響を与えたりとある価値観を強めたりすることもあるはずだ。つまり、表現は社会の外側にはいられない。なぜなら社会の中で生み出され社会の中で受容されるものなのだから。そしてだからこそ表現は社会にとって大きな意味を持ったり、大きな役割を担ったりする。
フェミニストは二次元と三次元の区別がつかない。あるいは、自他境界が曖昧すぎてただの絵に自己を投影している。エロ表現を忌避するのは過度な潔癖であり、お気持ちでしかない。こういう批判がある。フェミニストの中ではもはやエロ絵を燃やすことが目的化されている。そうしてコンテンツの邪魔をする。こうも言われている。じゃあエロ表現は悪なのか。それともエロ表現を悪とすることが悪なのか。
ポルノグラフィ(エロ絵や漫画、アダルトビデオなどをまとめてこう呼んでみる)は現実の性犯罪を助長させるのか、反対に妄想の中で欲望を満たすことで抑止に繋がっているのか。この議論は散々されてきたことと思うが、そうではないやり方でエロ表現が問題視されていることの妥当性を示したいと思う。
ここで重要となるのが、先ほど述べた、表現は社会の外側には出られない事実である。つまり、エロ表現がどの程度実際の性犯罪者を加害へと駆り立てたのかは分からない、分からないのだけれど、少なくとも今が、性犯罪や性加害が女性にとって身近な脅威である社会、なことに間違いはない。つまり、そのように性加害が蔓延している、その上法律や公権力による抑止力にもあまり期待できないと感じている人が相当数いる社会で、性加害描写を含むエロをエンタメとして手軽に発信し、楽しむのは一体どうなの、ということである。ここで注意したいのは、エロ表現を楽しむのが一概にダメだ、悪だということではないことだ。序盤に性暴力にしぼった書き出しをしてしまい、例えば倫理的に性暴力をエロコンテンツに含むべきではないなどという意見も当然あるだろうからややこしくなったと反省しているが、一応わたしの意見を述べておくと現実の被害者がいない限りは、そして実際の事件を下敷きにするなどしていなければ、性暴力をエロの表現のひとつとして楽しむことも認められるべきだと思う。ただし、そのためには実際の性暴力が人々にとって遠い脅威となり、表現としての性暴力は受容できるけれど現実では絶対にしていけない行為だ、という認識が強く世間に浸透していなければいけないと思う。つまり、表現は社会に影響を与えたり与えられたりする以上、行為Aを美化したり単純な快として描くことで人々を脅かすようなチャレンジングな表現は、その表現が発表された程度では揺るがされない強固な価値観、すなわち行為Aは絶対いけないよね、という価値観が広まった社会でしか受けつけられないのだと思う。
また、そういうチャレンジングな表現で社会の価値観を問うたり挑発したりすることも表現の役割ではあるのだけれど、その場合はそれによって生じる反発、批判を受け止める責任が表現者にはあるし、少なくともそのようなチャレンジングな表現だと理解して発信する必要があると思う。が、現状のエロ表現の現状、例えば痴漢や無理やり、分からせなどという言葉が単なるエロいものとして使われたり、ヒロインへのセクハラが当たり前のように行われたりするような現状は、これらが現実では特定の人々にとって脅威となる危うい表現であることを自覚した上で発信を行なってきたものとはとても思えないし、そしてこれがチャレンジングな表現とみなされるほど、残念ながら社会の価値観は醸成されていない。
ちなみに。こういう話では必ず、殺人も現実では大罪なのだから公にして良い表現として認められなくなるじゃないか、などという意見が出てくる。これもわたしの理屈で言えば、殺人がごく身近になった社会では殺人の表現の扱いには当然慎重になることと思うので、今現在殺人をエンタメとして気安く受容できているというのはそれだけ殺人が身近な存在ではなくかつ殺人が絶対にいけないことだという考えが一般に共有されている社会だからなのではないか、と考える。(もっと言うと殺人表現をエンタメ化していると言っても多くは人を殺すことを話のメインとして肯定的に描いているわけではないだろうから、エロをメインに描き性暴力などについてもその罪をなあなあにしがちなエロ表現とは単純には比較できないのだけれど。例えば、快楽殺人者の目線で人を刺すときの感覚の快感、その殺し方の手法などを詳細に描く作品があったらそれなりに物議を醸しそうなものと思うし)
同じように、戦闘シーンを快として描く表現は暴力が基本的に日常の外にある社会だからこそ許容されるし、ヤのつく職業の社会を描くことも、ヤの根絶が共通認識で目指されてきた社会だから可能なのではないか。
つまり、エロ表現を自由に描くためには、絶対に性暴力、性加害はいけないと人々が共通に認識し、実際の事件に対しても反発をしていかないといけないのだ。よく、表現の自由戦士と呼ばれる人たちは表現と現実とを切り離して考えろ、と言うが、先に言った通り表現は現実社会の外には出られないのであり、そうである以上表現と社会とは全く無関係、無影響だと無理筋な主張をするのではなく、現実では絶対にいけない、だがゾーニングを行った上で表現としては受容することができる、とそのような形で〈表現と現実社会の区別〉をつけるべきではないか。
恐らく、フェミニストでエロ表現に苦言を呈している人たちはまず性加害が絶えない社会を嘆き、その中でエロ表現を無責任に(ゾーニングが不十分、あるいはそこで表現されていることが現実においては加害にあたるという自覚がないなどして)発信することを批判してきた。一方で、エロ表現を好む人からしてみれば、恐らく当人たちはそのような犯罪を実際に犯したわけではないのであり、つまり何も悪いことをしていないにも関わらず理不尽に絡まれ、規制されそうになっている、と感じることだろう。ここに、現実社会の性被害への解像度の差からくる認識のズレが発生し、多くは不毛な論争になってしまっていると感じる。このズレを認識することが、現実にある性加害へNOをつきつけそしてマニアたちがエロ表現を楽しめるような成熟した社会にするための第一歩なのではないか。
補足:Xではエロ表現の話題が男女論に持ち込まれること、また表現規制うんぬんはフェミニズムの文脈が強いことから男女論のようにして書いてしまったが、もちろん男女問わず性加害を行うやつもいるし被害に遭う人もいるし、そしてそれら全てにNOを突きつける社会になってほしいとわたしは思う。ただ男女で比較すると女性の方が残念ながらそういう目にあうリスクが高いのであり、その解像度の差がエロ表現に対する見え方の違いに繋がっているのでは、と思い、今回はこのように男女論のように見える形で文章を書いてしまった。これが新たな男女の対立を呼ぶということは決してわたしの本意ではないと、述べておきたい。
増田は赤スパチャのトナカイというタイトルの童話を知っているかな。
むかしむかし、赤いスーパーチャットをするトナカイがいました。彼の名前はトナカイで、友達からは「スパチャートナカイ」と呼ばれていました。トナカイはいつもクリスマスイブになると、サンタクロースのお手伝いをしながら、インターネットで人気の動画配信者に大きなスーパーチャットを送るのが楽しみでした。
ある年のクリスマスイブ、トナカイはスーパーチャットを送るために一生懸命に働いて、お金を貯めていました。そしてついにその日、サンタクロースとともに世界中を飛び回りながら、配信者たちの夢を応援するためのスーパーチャットを送りました。
しかし、誰もトナカイのことを認識してくれず、名前もメッセージも無視されてしまいました。それでもトナカイはがっかりすることなく、次の年も、そしてまた次の年も、変わらずにスーパーチャットを贈り続けました。それは、トナカイ自身が心からプレゼントを贈る喜びを知っていたからなのです。そしてある日、トナカイはふと気づきました。自分が何かを与えることで、最も大切な宝物、つまり「奉仕する心」を手に入れていたことを…。
増田はPS5Proを買いにというタイトルの童話を知っているかな。
寒い冬が北方から、狐の親子の棲んでいる森へもやって来ました。子狐の名前はフェンでした。フェンはとても好奇心が強く、この冬、自分の巣穴を飛び出して冒険をしたくてたまりませんでした。ある日、フェンは都会の話を耳にしました。そこにはガラスの鼻を持つ不思議な箱―それはPS5Proと呼ばれていました―があると言います。それを手に入れれば、すごく楽しいゲームができるのだとか。
フェンはその話に魅了され、寒さを忘れて母狐に「都会へ行ってそのPS5Proを手に入れたい!」と話しました。母狐は心配しましたが、フェンが強く希望したので見送ることにしました。
街にたどり着いたフェンは、靴屋の店先で足を止めました。そこに立つサリという女の子が、彼の興味を引いたからです。サリはフェンが困っているのを見て、PS5Proを売っている場所まで案内してくれることにしました。彼女はフェンの計画に興味を持ち、一緒にゲームを見に行くことを約束しました。
途中で多くの人や機械に出会い、フェンはいくつも危険を乗り越えます。ついに電気屋の前にたどり着きましたが、店の中には既にPS5Proはありませんでした。がっかりしたフェンは途方に暮れました。サリも悲しい顔をしましたが、どこかで温かいチョコレートを飲もうとフェンを誘いました。
その日、フェンはPS5Proを手にすることはできませんでしたが、新しい友達サリと心温まる経験をすることができました。そして、何かを得る以上に誰かと分かち合う経験が大切なことだと知ることができました。
ℋ𝒶𝓅𝓅𝓎 ℰ𝓃𝒹.
注:下記に記すのは今回のセールで買ったものばかりではなく過去のセールで買ったものも含まれています
1.プロジェクタ
2.プロテインとかハイカカオチョコ1kgはアマのセールでしか買わない。切れる頃に次のセールが来るシステム
3.ワイヤレスイヤホンは買っちゃう。今回もAnkerのA40買った。寝ホンとして使っている。価格の割にノイキャン良い。2個目の購入(1個目の充電が切れた時に使う控え)
Ankerの買ってからオーテクの良さげなやつ見つけてちょっとがっかりした。バッテリー持ちが異常。でもオーテクは音があまり好きじゃないしハウジングでかそうで寝ホンには向かなさそうなので保留。でも緑のはきれいだなー。外用として使いたいかも
Bose QuietComfort Ultra Earbudsもノイキャン良さそうだけど接続切れまくるとかいう評価がついてて微妙。もうちょっと良くなったらいつかのセールで買うかも
5.ドリンクメイトの炭酸水メーカー。あんまり使ってない。夏場は100%フルーツジュースにガス入れて飲んでた
6.フードシーラー。この間初めて使った。調理済みの魚をパックした。べんり
7.夏場に重宝したのはタイガーの炭酸ボトル。炭酸飲料を入れられる魔法瓶は良い
8.無線LAN中継機。お風呂場でもネットが繋がりやすくなった
9.あとは普通にノートPCとかSSDとか。自分はテレビ持ってないのでディスプレイやプロジェクタにぶっ刺す為にFireTVStickは新しいの出ると買ってる
さいごに。何か買って届いたら「ドライバーさんにありがとう」とアマの検索ボックスに入力しよう。アレクサ使ってる人は同じ台詞を話しかけるのでも可
この方が過去にアニメ鬼滅の刃の演出の問題についてもわかりやすく解説してるので読んでほしい。
↓
(太字で79と振られている所からの2022/7/14の一連のツイート)
これはほんの一例で、アニメ版は翻案をせず漫画をただそのままアニメにして原作の意図がめちゃくちゃになってる場面が多い。
2年経った今年の柱稽古編でも相変わらずでがっかりしてしまった。
結界で守られていたはずの珠世の元に産屋敷の使いのカラスが現れる。かたや鬼、かたや鬼殺隊の緊張感ある会話が始まり、上の階からは危機を察知した愈史郎が猛然と駆けつける足音が……するのだけど、
原作はうまく漫画表現の嘘を使って時間の経過を感じさせないのに、アニメはセリフをばかみたいに忠実に、無駄にイケボのカラスがゆっくりねっとり語るので、何十秒も経っているのに愈史郎はいっこうに現れないという間抜けなシーンになってしまってる。
(参考
https://dodoyo.jp/wp-content/uploads/2021/03/kimetsunoyaiba-kasugaigarasu28.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=9cwJ4jx001E)
ほかにも風柱・不死川実弥とその弟・玄弥の場面。
「才能ないから鬼殺隊を辞めろ」と吐き捨て廊下を去っていく実弥に玄弥が必死に言葉をかける。
ここも原作では違和感ないのにアニメはセリフや構図をそのまま再現してるせいで、玄弥が長々と喋るあいだ実弥は廊下をゆ〜っくりゆ〜っくり歩いて去ろうとするという意味不明なシーンになってる。
(参考
https://kimetsu-yaiba.net/wp-content/uploads/2021/07/%E7%8E%84%E5%BC%A53215.jpg
https://img.youtube.com/vi/UAchHbsHgvU/mqdefault.jpg)
そんな感じのヘンテコ場面がいくつもあって、別に原作知らない人でも「なんかここおかしいな?」と感じると思う。
原作で1コマで描かれたような動きを膨らませて「リッチでゴージャス」に表現していてすごい。
(余談だけどアクションシーンは原作より上みたいな意見はおかしい吾峠呼世晴先生はそこには拘ってないから細かく描写してないのだしアニメはそこを膨らませてアニメならではのウリにしただけで優劣の関係じゃなくて別々の良さ閑話休題)
でも、バトル中に炭治郎たちの心の声をなんの工夫もなく喋らせるのでぶつ切りで原作のような緊迫感はなくなってる。
動きと思考が同時並行の激しい死闘が「動く・考える・動く・考える」という余裕のある戦いになってる感じ。
アニメ鬼滅の刃は映像で興奮させて音楽や声優さんの演技で泣かせる体験装置としてはよくできてるけど、作品としてはお世辞にも出来がよいとは言えないと思う。
この調子だと無限城編も期待はできないし、正直映画館行くかは迷ってる。
まあ見たら絶対泣くけど。
男子男系がいかに大切か、途中で女を挟むと何がダメなのか、女はただの男を繋ぐだけのもの、女は大切な遺伝子を残せない、
あれで子供なんか産みたくないなって思った人多いだろうね
実際産まないまま死んでいくつもりだよ
どう見てもすべての行がチラッチラッしてて草なんよ
厳密にはアイドルじゃないけど
練習生の時は結構華々しかったと思う。ダンスは上手くなかったけどみるみるうちに上達して、歌はもっとはっきりうまくなって。惜しいところでデビューできなかったけど、きっとどこかでこの子はアイドルになってくれるんだろう、と思ってた。初期の方に出たグッズも熱が高まったせいかかなり高値になってたけどメルカリで買って、もっと早く好きになればよかったな、デビューしたらアクスタが出るだろうから一緒に並べたいな、と思って日々ワクワクしていた。
しばらくしてその子がSNSを始めたという報せがあった。不穏な空気が流れた。しないって言ってたのにな。その子が発信するたびにあの時あんなに珍しくてありがたかった写真や文章の価値が下がっていく音がした。文章なんて顕著だった。口を開けば余計なことしか言わない。写真はただただずっと可愛かった。もちろんそんなSNS運用がうまくいくはずもなく瞬く間に炎上した。ダンスの上達よりも早かった気がする。アカウントが消えた時は嬉しかった。あぁ、炎上したけど誰かが拾ってくれたんだ、って。いやでもそれよりももう幻滅しないで済むんだ、という歪な安堵があった。この頃にはすっかりグッズの値段は下がっていた。
そのあと長くない時間が経って結局その子は夜の道に進んだことを知った。それからは救えない日々が続く。詳しくは言わないけどまたSNSを開設してアンチを煽ったり、偽物が出てきたりしてずっと振り回されっぱなしだった。なんで好きになったっけ、なんで好きじゃなくなれないんだろう。なんてのは毎日考えた。その子が好きだと言ったお菓子をみれば落ち込み、その子が好きだと言った動物をみれば涙すら出た。他のあぶれた練習生たちはほとんどデビューしていた。もうあの子にアイドルになって欲しいとは言わないけど、もう私をがっかりさせないで欲しい。私の人生を救ったままの一番星でいて欲しい。もうあなたの顔は見たくないのです。私は嫌いになれないから、お願いだから、お願いだからどうか伝説になって、SNSからは姿を消してください。もう付き合いきれないよ。でも仕方ないくらい大好きなんだ。
つかそもそもデートで女性をちょっといいレストランに連れていくって意味って、男がセンスの良さとか懐具合とかそういうので女を釣るためのバブルの頃のフーシューじゃん?
最近の若い男の人はそういう意味多分あんまわかってないからサイゼリヤとか行くんじゃないかって気はしてる。
実際もうそんな高いご飯食べなくてもサイゼリヤとかで別に十分だしな…
なのでなんかそれで女性が怒るのはちょっと意味がわからんなと思う。
サイゼリヤに連れて行かれることに、やっすい女として扱われているっていうメッセージを感じ取って怒ってるんだとしたら、最近の男の人はそこまで考えてないんじゃないだろうか…
なんか美味しいもの食べられる!って思ったのにサイゼリヤでがっかりした、とかならもう自腹で美味しいところ行ったらいいよ…とか思う。
これまでの世論を見ていたら到底こんなふうには考えない筈なんだけどな。
これまで、子殺し事例への世論は常に母親に同情的だったじゃん。子供が障害児であれば尚更、だよ。
今回の実名報道も子育て大変だよね、子供が障害児だったら殺してもいいよね、
という母親への同情を深めて世論を誘導し障害児への安楽死(殺処分)へと制度を進める目的にしか見えない。
にーにー
@00kate22
障がいある子供死なせたシングルマザーを実名報道するって普通に考えて見せしめだよね
”上手く”産まなかったこと、”上手く”ケア役を全うしなかったこと、夫という後ろ盾がないこと…
女が背負わされたものを、上手いことやらないとこんな酷い目にあうぞ、男のために女は上手く産めっていう
この人自称レズビアンなんだから、自ら男と番ったヘテロ女が女(娘)を殺した事に対して厳しく糾弾してくれるかと思ったら反対でがっかりだ。