はてなキーワード: エリアとは
去年こんな記事があった。
当時は「ふーん」という感じだったが、実際にケンタッキーが近くにあるエリアに引っ越してアプリを使ってみると、この記事から一年以上経っていてもあまりの使いにくさに驚いた。
マクドナルドやスターバックスは数年前にほぼ完成形のモバイルオーダーを構築しているのに、逆に不思議になったので少し調べてみた。
それは「注文してから作る」のではなく、「注文の15〜20分前に作り始める」 というプロセス管理の難しさにある。
ケンタッキーのチキンは15〜20分前に調理を開始しなければならず、その後45分程度の保温時間を過ぎると廃棄となるため、45分以内に売り切る必要がある。
この難題を解決するために Cognizant OrderServ が採用されたと考えられる。
OrderServは店舗ごとのリソース(キッチン機材・人員・注文数)を把握し、新しい注文を適切な時間に割り当てることでリソースの平準化を実現する。さらに、店舗単位でメニューやクーポン表示を制御できるため、当時の「顧客ID統合による高度なマーケティング」構想にも合致していた。
既存のKDS(Kitchen Display System)や決済との統合、持ち帰り・デリバリー対応なども含め、当時のKFCが目指していた大枠の構想をほぼ実現していた。
ただし細部では使いにくく、React やアプリとの親和性も高いとは言えず、実際にはほとんどのユーザーがモバイルオーダーを利用していない(Web画面表示時に呼ばれる店舗リソース取得APIの反応から推測)、今のAI技術から見ればやや原始的。
一方、アメリカでは親会社の Yum! Brands が買収した Dragontail や Byte by Yum により、モバイルオーダーからキッチンの調理タイミング、人員配置までを一元管理する仕組みを構築しているらしい。
中国版KFCはさらに高度な統合を行っているらしい(ChatGPT情報)。
1. アプリまたはWebで、かなり先の時間帯を指定して注文する(この時間指定はなぜか過去の時間も選べてしまう)。
2. 決済を行う(毎回3Dセキュア認証が走る。VeriTransから取得したトークンを保持していないようだ)。
3. 店舗に到着したら、Web画面に表示される「店舗に到着」ボタンのHTML要素の `data-inactive="true"` を `false` に書き換える。これにより注文が店舗に送信され、KDSに表示される。
Cognizant OrderServ は店舗単位でのカスタマイズが可能で、「今すぐ注文(Quick Pick-Up)」のような機能も設定次第で実装できる(タイ版では既に導入済み)。
他にも設定項目はいくつかあるため、「自分の良く行く店舗をこのような設定にしてほしい」と要望を出すのも一案かもしれない。
各国のケンタッキーのサイトを見たが、どの国のケンタッキーもあんまりチキンで勝負していない感じがした。日本のケンタッキーはチキンで勝負している、そこは素晴らしい。
2025/11/7に杉並区西荻窪駅と練馬区富士見台駅エリアに出来たトライアルGO行ってきた。
印象:
品ぞろえはまいばすけっととほぼ変わらない。「惣菜」が主な違いに感じた。「価格」もまいばすけっととほぼ変わらないか、数円安いぐらい。棚が高め。通路が広めなのでベビーカーでもギリギリ行ける。会計はセルフレジのみ。現金かトライアルのプリペイドカードとNECが作ったと思われる顔認証決済。セルフレジは4~5台あった。商品を一つずつ自分でスキャンする。結局常時最低2人は店員が必要だと思ったが、もし常時レジがほぼ稼働していたらすごい。防犯対策は良く分からないが、hikvisionとvivotekのカメラがあった。LiDARとかも使っているのか。
「惣菜」はさいたま市にあるセントラルキッチン、練馬区豊玉南にあるセントラルキッチンで製造していて、魚介系だけ西友の吉祥寺店で製造している。そのため新規店舗の立地がこのエリアになったのだと思われる。まいばすけっとの「惣菜」は各地の工場で作っている印象なので、「惣菜」に投資している感じはある。
1000円ぐらい買うと、たぶんまいばすけっとやコンビニで買うに比べて50円ぐらい安くなるので、「価格」も来店動機になる。頻繫に通ってもらうことで、現金決済ではなくトライアルのプリペイドカードを作ってもらうことが分岐点なのだと思われる。そのあとは、何らかの金融商品での投資回収を想定しているのではないか。西荻窪と富士見台という微妙な位置の違いだが、20~30代の独身世帯と50代以上の独身世帯の消費動向の違いを分析したいのか。次の出店はさいたま市近郊か。
とはいえ、「惣菜」と「価格」で自分が何回も行くイメージも持てなかったし、プリペイドカードを作るイメージも持てなかった。
商品の豊富さとか新しさとかユニークさとかそうした観点で勝負していない感じはした。もしその金融商品が住宅ローンまで行ったら凄い。そのとき日本経済は2007年ごろのアメリカのような不動産価格の上昇ムードになるのではないか。ひとまずセブンイレブンは早くセルフレジを全国展開した方が良い(所沢の航空公園駅店でしか見たことがない)。同じ元セゾングループのファミマは、現段階で、特に学ぶべきものはないのではないか。
印象:
郊外のショッピングモールで大きな無印店舗を見かけることはあるが、無印単体の郊外店は初めてだったので、どういうところにあるのかすごく楽しみだった。
確かに、幹線道路沿いにはあった。ただ、ここは目的地にはなりにくい気がした。店内は消費をする以外の行動は許されないような空間に感じた。ikeaの港北ニュータウン店のようにふらっと行きたい感じが無かった。セゾングループによくある記号の操作で新しいことをしている感が裏目に出てしまっているようだった。無印良品の家とかあるのだから空間でもっと勝負した方が良かったのでは。実際、URとのコラボ部屋もikeaよりも無印良品の方が個人的には気になるものが多い。新所沢のパルコにしろ小手指の西友にしろセゾングループの郊外店はどこも賞味期限(尼崎のつかしんは温泉で復活)があったが、不動産開発の失敗で解体した企業体であることを改めて感じられた。
教員が権利を勝ち取った話を書いて約1年。ふとこの記事のはてなブックマークをみると、こんなコメントがあった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4760869331639768992/comment/htnmiki
反応としては記事最後にあるように隣の先生が「まったく…」的な態度を取ったくらいで、職員室崩壊にはなっていない。
いきなりすみません、「ま~た甘々なゆとり・Z世代が何か言ってる」と思うかもしれませんが、少し愚痴らせてください。
前記事の通り、ただですら荒れているのになぜか委託研究をしている上に行事が多数ある学校だったことに加え、
こちらの状況や意向の聴取なく、経験のない運動部の顧問(一応主顧問は別にいたが)を当てられた。
生徒が度々やらかすので、次の授業まで時間がないのに臨時の全校・学年集会・下校指導が開かれることがしばしばあった。
担任でなくても給食指導に当たる必要があった。朝の会の最中や授業のないコマも見回りをする必要があった。
翌年からはチーム担任制(学級担任を固定せず全教員がローテーションで担任業務を行う)となったらしい。
臨時教員は難しい仕事を任せないのが一般的だが、なぜか正規教員と同じことを求めていた。
他都道府県や高校では臨時教員は年次目標作成や面談、研究授業、担任がなかったり一部が省略されるが、ここでは正規教員と同じことをさせられる。
(やむを得ない)遅刻や病気にもかなり厳しい。
電車の遅延の場合でも、教務主任と管理職それぞれに直接厳しい叱責を受ける必要があった。病気休暇は書類があれば問題ないが、なぜか管理職は取得を嫌がる。
「勤務時間の割り振り」(前記事参照)の取得も自由ではない。
教務主任も「割り振りを使える日が指定されている学校もあるよ」という。有給休暇を連続して取得すると、「こういう時はいろんな先生に謝っとけ」と言われる。
どこにも明記されていないのに服装を厳しく指摘(オフィスカジュアルもNGという)されたり、休憩時間中ですらスマホや職員室を離れることを禁止される。
複数回やることになる謎の職員トイレ掃除。
プリントで生徒に分かりやすい図を見せようとコピー機を使うと、校長「インク代が高いからやめろ」。
毎朝の朝礼で、校長が「校長室通信」と称して、教員の指導力や勤務態度などを批判する文章を配っていた。
自身による批判もあれば、どこかから引用したものもあった。しまいには「教員の魅力を伝えて採用試験の受験者数を増やそう」。無理。
極めつけは、(給与や休日振替もないにもかかわらず)始業30分前や土曜日の出勤を強制されそうになったこと、当たり前のように時間外に会議や研修があること。
部活動指導など。隣の先生すら「休日に無給で出ろ」と言う始末(何とか回避したが)。外部指導員制度はあるが、管理職が導入に消極的。
性格きつめのA先生
着任当初から怒鳴りつけられた。このほか、授業を見ては「生徒に迷惑だ」と言うなど。管理職を味方につけるため面倒。
意見を聞いておきながら、「まぁ違いますけどね」「通らないと思うけど成長と思ってください」と。何のために聞いたんだ。
校長と教頭及び教務主任
同じく厳しい。全員私と同じ教科だからか、目につきやすいのか。教員が病気休暇を取ることをやたらと嫌がる。教務主任はやる気がありすぎてうざい。
こだわりの強いB先生
仕切りたがり屋。鍋奉行の学級学年運営版。個人でやる分には構わないが、こちらを巻き込んでくるので厄介。学年会議の話を長くして帰りを遅くする要因。
隣の机のC先生
やはりこだわりが強い。人間関係を強要してくる(教員間の人間関係が生徒に響くからだとか)。飲み会の欠席を伝えると何度も確認してきた。
勤務環境とは無関係だが、次のような要素も大変になった理由かもしれない。いずれも今年は解決しているが。
その前の年に母親(同じ県の高校で教員をしていた)が脳神経系の疾患により救急搬送され、当時療養中だった。
奨学金の返済が残っていた。年度当初で約70万円。月の返済額は8千円だが万が一に備え毎月8万円を返済用口座に入金していた。
学部(2種・240万円)は前年度末に繰上返済を済ませていた。大学院(1種・計120万円)の分も12月で返済残額に到達した。その後繰上返済により今年9月に返済終了。
かなり気温が高い(10月末までかなり暑かった)年で、体調に悪影響があった。
荒れている学校なので生徒が授業中騒ぎまわるのは当たり前だが、放課後に何かやらかして近所から苦情が来ることもしばしばあった。
文字通り、学年の複数の生徒(やはり授業中態度の悪い主犯格)がピンポンダッシュをしたというもの。
犯人を特定し、怖い先生複数人で指導していたところ、そのうちの1人が暴れ出した。服薬しないと暴れる生徒だったが、試験的に服薬を止めていた矢先のこと。
保護者を呼びつけ毎日の服薬を確約させたが、その後も本人がその通り服用しているか怪しい。
私の担当学年の生徒ではないが、市内複数校の暴走族グループに入っている生徒がいたらしい。
体育祭に集団で来ると噂があり、全校で対応することになった。私は危険を感じ、家族の病気を理由にして年次有給休暇を取得した。
2年以上は生徒本人の行動や人間関係を理解して担任やクラス編成を決められる(ヤバい生徒を分散できる)のだが、1年(当時の担当学年)はそうもいかない。
一応小学校から申し送りは来るが伝聞証拠に過ぎず、ヤバい生徒(しばしば保護者もヤバい)が偏ってしまうことがある。
本年度の1年は特にヤバいといわれていたが、その中でもヤバい生徒(上記の暴れる生徒もここ)が集まったうえ優しい女性のD先生(同い年)が担任になってしまった。
ついにメンタルがやられ休職。担当授業を自習としていたがそれも限界になり、教務主任(該当教科の免許未取得)が授業をすることに。
代替要員が見つからないので、臨時免許(無資格者を宛がうための免許)を持たせて採用しその場をしのいだ。担任は学年主任(再任用最終年度)が引き継いだ。
最終的にその先生は復帰するが、他の女性教員と支援員さん複数人で対応しても生徒が教室を走り回るありさま。こちらが怒鳴りつけて少しは落ち着いたが。
とはいえ結論から話すと、居づらくなったりといったことは特に起きなかった。強いていうなら、私の病気休暇申請書が消えていたところだが。隠されたのかな?
また、管理職から残業命令はできないので、同僚からメモや口頭で「仕事があるから帰るなよ」と言われる程度(無視したが)。結局なんだかんだで
と配慮してもらえた。
嫌な顔をしているのは先述のA先生と校長くらいだが、特にダメージはなし。A先生はこちらが挨拶しても無視という態度だが、特に問題はない。
(挨拶無視はマウントの一種らしいが、同世代で出世争いをしているならともかく、年の離れた私にマウントを取る意味はないのだが…)
「君の教職に対するモチベーションはその程度なんだね。もう君には何も言わないから」
→言われるうちが華とかいうけど放置してくれると個人的にはありがたい。
「もう30歳でしょ、将来どうするか決めないと中途半端になるよ」
転職の決め手になったのは、次年度のクラス編成会議。あろうことか、次年度の担任をさせられそうになった。
もう耐えられないと思い、「それなら退職していいっすか」と言ったが流された。管理職に伝えてみても「君責任感はないの?」と。退職勧奨してたじゃないっすか。
仕方ないので退職代行に頼ることにした。公務員の依頼は多くの業者が引き受けないというので、同じ県に事務所をもつ弁護士に頼ることにした。
終業後、事務所に赴き現状を話した。ところが、有給休暇の残り日数の都合で即日退職はできず、連絡もこちらの在校時間中になるとのこと。
だが背に腹は代えられない。そのまま依頼し、後日実行してもらったところ、あっさり受理された。なんだそれ。
それからは特に他の先生から何かされることはなかったが、C先生と喧嘩することになった。
「3年生を送る会」の準備が原因だった。研究委託校ということもありICTを活用しようということで、生徒に出し物のアンケートフォームを作ることになった。
多数あるものから第3希望まで選ぶもののため、第4希望以降の回答は必要ないが、C先生は「ポチポチするのは面白いだろうからそれも入れて。今日中に作って」と。
作ったものの、結局それは忘れ去られ。次々と要領を得ない指示を出され。そしてある日の朝礼後、突然、
C先生「出し物の準備どこまでできた?」
C先生「作ってほしいのはこんなんじゃない。もっといいものを作ってよ」
私「(よくわからないな)それならもっと早く具体的に言ってくださいよ」
C先生「そんな言い方ないでしょ!!」
教頭「お前ら何してんだよ!!落ち着いてください!!」
この場は引き離される形で収束。昼過ぎに教頭に呼ばれた。また怒られるんだろうなと思ったら、
教頭「いろいろ嫌な思いしたと思うけど、あと少しだから。ほんの少しでも居心地が変わるからC先生に謝って仲直りしたら?」
やたらと威圧感のある教頭が優しくなって不気味だった。学年の先生も手のひらの返しようである。
授業もすべて終わり、いよいよ修了式。私は退職するので、離任挨拶をすることに。
全文は忘れたが、この学校であった嫌だったことや管理職から受けた叱責のことを話した気がする。校長の顔がみるみる曇っていく。
悪い空気感を察したのか、他学年の先生に「時間で~す!!」と止められた。そういえばこの先生、研修会で私が講師に悩みを相談したとき割って止めてきたような。
最後に「校長室通信」を持ってきて全職員と校長の目の前で破き、校長に投げつけた。
学年主任は(なぜか笑顔で)「後で謝っときなさい」と。その後E先生に個室に呼ばれる。離任挨拶(という名の学校批判)の原稿全見て
E先生「どこも一緒だと思うよ、他の仕事探したら?どうしても教員になりたい理由はあるの?」
私「免許職なので再就職がしやすいですし、そこそこの給料が得られるからです」
私「嫌です」
職員室に戻ると、校長が一人でさっきの紙くずの掃除をしていた。
残りの有給休暇が少なかったこともあり、修了式から数日は出勤する必要があった。
C先生には「今までお世話になったんだから下駄箱とかロッカーも掃除しなよ」といわれたが、無視した。
私の後任を探そうにも、現職・新採用どちらも本採用教員が確保できず。担当は別でも該当教科の免許をもつ教員も充当できなかったようだ。
同じ教科の普通免許保持者に絞ると、臨時教員も見つからず、臨時教員として採用された新卒者に臨時免許を持たせ、2教科の担当にして回すことになったらしい。
事務手続き上仕方ないのだが、この学校は事務の催促がうるさいことも特徴だ。
まず、保険証について。普通は最終出勤日後も退職日までは使え、「年度が替わってから郵送してくれればいいですよ」と料金後納郵便の封筒を渡してくれる。
が、本校は「まだ到着していないがいつ返すんだ」という催促が毎日。最終出勤日後も毎日電話がきた。
この件以外にも、「離任式と送別会に出るか、早く回答しろ」というのが退職日を過ぎてからも毎日かかってきた。疲れてるんですから節度を持ってくださいよ…。
離任式。私以外にも他の臨時教員全員、校長(当日欠席)、教務主任、学年主任、特別支援学級担任、D先生などが一緒に離任する。
生徒や職員の前で離任の訓話をするのだが、皮肉を混ぜてみた。大体こんな感じ。
君らは草野球選手。大谷翔平じゃない。努力しても大概うまくいかない。だったら自分が得意なことに力を注げ。
(注:草野球と大谷翔平の例えはこちらのnoteを参考にしました)
権利は最大限主張しろ。私も「残業代出せや」って教務主任にキレたことがあるし。
いじめはどこでもある。私だってA先生に怒鳴られたことがあるし。
なぜか訓話の途中でマイクの電源が切れたが、声量があったので後ろの生徒にも問題なく聞こえたはず。
離任式が終わり、控室に戻る。その時、担当していた部活の主顧問(口調や表情はやさしいがオーラが怖い。おそらく新年度の学年主任か)に呼ばれ
「このあと学年のお別れ会があるけど、さっきの感じなら正直言って参加させられないね。きちんとした態度でいれるなら参加してもいいけど、どうする?」
A先生はその性格からして「何言ってんだこいつ」とスルーしたはず。なぜ問題視するんだろう。私を叱責しろとでも管理職に訴えてプチ騒ぎになったのかな?
成り行きで学年のお別れ会にも参加。変わったことはA先生がいなかったくらいで、つつがなく終了。
生徒は「A先生にいじめられたんですか!?」と興味津々だったが、適当にあしらって帰宅。
余りに疲れたので、休養に入った。沖縄の離島めぐりやデレマス・シャニマスライブに行くなどリフレッシュ。
とはいえ、このままニートを続けると貯金が尽きるので、職探し。他の都道府県の公立学校教員募集を当たってみると、いろんなところからお誘いが。
1つ目は中学校。私は中高2教科で教員免許を持っているものの経験のない教科でのオファーだった。お誘いがあったのでとりあえず面談へ。
だが、遠方の学校で非常勤のうえ、担当コマの希望は通らないという。前任校以上に荒れており「面談した日も生徒がトイレを破壊した」とのことで、辞退した。
2つ目は進学に力を入れている高等学校。こちらは両教科で常勤教員の募集があったので、経験教科で応募した。
その日中に電話が来て、翌日面談に。「未経験教科の方が不足しているので、そちらの担当になっていただけませんか」とのことで、承諾。
前年ひどい目に遭ったので、「時間外在校はできません」と強く伝えると「大丈夫です、もうそういう時代じゃないですから」と。
学年団に入らず(つまり担任ではない)、年次目標の作成や面談も必要ない。部活も指導員がいるためほとんど関わらなくてよい。
職員エリア含めた学校の半分くらいは清掃は業者がやってくれ、清掃指導も週2回だけでよくなった。
着任後も何件もオファーの電話が来た。ここまでやらかしたのに、なぜか前任校のある都道府県からも。
ふと前任校のことが少し気になってホームページをのぞいてみると、学校だよりに地域住民へのお詫びと訓話が書かれていた。今度は何をやらかしたんだろうか。
元々中高2教科で免許を持っていたが、万が一のため免許は多めにとっておこうと考え一昨年から通信制大学に入り3教科目の取得に動いていた。
また、昨年度から当時の担当教科で1種免許を専修免許にアップグレードするため働きながら大学院に入りなおしていた。
そして今年9月末、これらの単位取得が完了した。免許申請に必要な「人物に関する証明書」も現任校が作成を快諾してくれた。
今は4教科目の1種免許取得を進めており、そのあとは残りの教科も専修免許にアップグレードしようと考えている。
加えて、確定拠出型年金の申し込みを行い、月の積み立て最大金額で投資するほか、米国株などにも投資している。将来働かなくて済むよう計画を練る。
あと、やっぱりまだ嫌な思いは消えないから、在職中受けたことを内容証明で教育委員会教育長とかその自治体の長にでも送ろうかな。
町場まで車で50分、旧村部の人口が1000人を切っいる、もう限界集落どころかそれを突破したような所で看取り民みたいに暮らしてる増田です。
どうもこんんちは。
何故か、ハンターの協会も、森熊協会も、正反対のところ両方が熊の出没はソーラーが原因と言いだしていて、なんかおかしな方向に行きそうな雰囲気だが、まじやめてくれ。
むしろ人と山との間にソーラーを作って、緩衝地帯にするべきだ。風力でも水力でもいいが、そうやって活用するべき。
最近、熊や野生動物の出没で、メガソーラーがやり玉に挙がってるのがどうも気になるんだよね。
むしろ、メガソーラーとか野生動物対策にちょうどいいシステムだと思うんだけど。
どうするかというと、山付けの耕作放棄地や、かつての村落の荒れ地をソーラー発電にする。
その上で、その収益で周辺を整備する。
整備すると言っても家を建てるとかじゃなくて、ロボット・ラジコン草刈り機が歩いて回れる程度に凹凸を均して整備するとか、風水害で崩れないように土留めや排水をきちんと整備するとかその程度でよい。
そうしてくれればかなり広い面積でも守人が一人でメンテを回せる。
そうして山と里の間にソーラーという緩衝地帯を作って、従来は里山が担っていた、人の住む世界と野生動物が棲む世界の間を区別できる訳だ。
里山や畑をソーラーにすることを自然破壊だという人がいるが、これはそこに暮らす人間としてははっきり逆だと言える。
放置されないためにソーラー発電所はかなり有用だ。その金で地域を守っている。
問題は、放置されたところだ。ここがやばい。竹林などになったらもう最悪で、排水も上手くないから大雨などが降るとあっという間に崩れたりする。
かつて人が植えた果樹が残っていたりするとそれも野生動物を呼んでしまうが、放置されてでかくなった木は切るだけでも金がかかる。
里山はほっとくと里山じゃなくなる。単なる山になる。そうなると山と同じ災害が起きるようになる。それは当たり前の話だが、それは人の暮らす町の近くで山と同じ災害がおきるということだ。遠く離れているから関係ないと思うかもしれないが、あなたの近くに流れている川はどこから来ているかとか考えてみてほしい。
経験的に最悪なのが竹林で、古い段々畑で放置するとほぼ崩れる。次が山林に帰る前の荒れた状態が危ない。蔓植物が蔓延るのも厄介。
きちんと植生がついて山になると地盤は安定してくるが、今度は野生動物が住む場所に変わって人間のエリアではなくなる。土砂災害になるよりはマシと植林するという手もあるが、植林しても今度は林業従事者が足りなくてメンテが行き届かない。
そうなってしまうのを、ソーラーを設置することによって、きちんと排水は設置されるようになるし、草刈りなどの整備は最低限であっても森に帰らない程度には行われる。フェンスなどで囲まれる上に食べ物などはないので、適切に処置すれば野生動物には荒らされにくい。
ソーラーは放置されてしまう土地をきちんと利益を上げて、その利益で守っていくと言う商材としては最適なのだ。
実は俺も何カ所かソーラー発電所(メガソーラーではない。規模は事業用としては小規模)の草刈りや除草剤散などのメンテナンスを請け負っている。その意味でこれはポジショントークだが、そう言う施設があるところの近くでは、放置されているところに比べて野生動物の被害は少ないと思う。
そりゃ、かつてそこに人家があった時代に比べたら増えてはいるだろうが、放置よりはかなりマシだ。
再エネを変に敵視するようなことにしないでくれ。単に目立つだけだ。そして目立つということは野生動物に対しても目立つのだから、町と山を隔てるのに適するという事も理解してくれ。
前カカット、プルムは中盤最大の布石を完成させた。アレンバのカスートで得た奥義、トトンの「静かなる配置」である。この一手は、ペルトリの盤面中央における優位性を根底から揺るがすものだった。
戦況は、ペルトリが持ち駒であるタテモを盤面右翼に展開し、72サナーフという驚異的な効率でエリアをデレに染め上げ、優勢を誇っていた。タテモの動きは、その機敏さから「ペルトリの鐘」と形容され、若き才能の象徴として対戦界隈では恐れられていた。
プルムは焦らず、そのタテモのスングを許容し、自身のサンのいくつかをゲデン。これこそが、古の敗戦で学んだ「サリング」から得た教訓であった。サンを捨てたことで生まれた空間に、静かにペーアを挟み込み、タテモの機動力を封じるレキアの防壁を築き上げたのだ。
カカット18、ペルトリはここで初めて長考に入る。プルムが意図的に作ったとされる中央の隙間を攻撃し、コリを狙うか、それとも「レキアの防壁」を崩し、タテモを再展開するか。彼女は前者を選択した。中央にペルファを投入し、プルムのトトンを一時的に孤立させることに成功。この手に対し、解説者たちはペルトリの勝利を確信した。
カカット15、プルムは次の手番で、孤立したトトンをあえてローイドさせた。トトンは孤立することで真価を発揮する「ケドンのカスート」の応用戦術であり、これによりペルトリが獲得したはずの2コリは瞬時にユドへと変質し、実質的な得点にはならなかった。ペルトリの選択は、老獪なプルムの掌の上であったことが証明された瞬間である。
(→終盤解説:その2へ続く)
BOOKOFFで200〜300円の日本人作家の文庫本エリアを歩いていると、ちょうど棚の終わりかけ辺りに60歳くらいの人がずっと佇んでいる。何周してもその人がどかないので、作家名「わ」に近づけない。当人は頻繁に文庫本を次々と棚から引き出してはしまい引き出してはしまいを繰り返しているので何をそんなに吟味してるのかと見ると、その棚だけ官能小説の棚じゃねーか。
なんでBOOKOFFって外国人作家の棚は2つしかない(安い文庫本とまだ値が下がってない文庫本の2つ)のに、官能小説に棚一つ割いてんだよ。そんで官能小説に限っては中古は容易に嫌でしょ。
ユニクロで靴下を買った。お会計のところはガラガラの選び放題だったけど笑顔が眩しいお姉さんが「お会計はこちらでお願いしまぁす!」とニコニコ満面の笑みで案内してくれてすごく嬉しかった。ほくほくした気分で支払いを済ませて買った靴下をカバンに仕舞っていたら「ちょっと店員さんいないんですけどぉ!」とアラフィフっぽい女性客のイヤ〜な声が聞こえてきた。お会計エリアの隅にポイント引換コーナー?みたいなのがあって、ババアはそこに立っていた。なんやその嫌な呼び方…そんな呼び方しなくても…と思っていたらさっきの笑顔シャイニーお姉さんが申し訳ございませんお客様〜と笑顔を崩さずにササッと対応しに行くのが見えて心がクゥーンとなってしまった。お姉さん尊すぎる…!
大阪と家賃を比較するが、その前にアメリカと日本では高層住宅の価格構造が根本的に異なることも先に書いておく。
日本では高層階ほど高い。
この日本の常識はアメリカでは通用しない、展望は価格の重要な要素だが、
同じ物件内で高層階よりも低層階の方が人気で高いケースは往々にしてある。窓の向きもほぼ価格に反映されない。
ブルックリンには低層アパートメントが多く残っているが、多くは上階より1階の方が人気であることも蛇足ながら書いておきたい。
ブルックリンと同じ条件、City Hallから橋を渡った伝統的な住宅エリア、で見れば新大阪駅周辺が妥当であろう。
3LDK65平米でざっくりと14万円程度が相場
額面ざっと6倍であっている
これも併せて書いておく。
くだらねー記事が多くてさ、嫌になるよね
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN301AH0Q5A031C2000000/?n_cid=SNSTW005
だから、まず比較するべきはNY市と東京23区であるってわかるよね
たいてい「NYの家賃が」って言うときに出てくる情報はNY市だが、比較対象はいつだって東京都だ、わざとやってんだと思う
大体55m²の家賃で
というわけで、ざっくり実質3倍である(1ドル100円なら2倍)
23区 推計、約600万円
というわけで、ざっくり2倍である
じゃあ6倍ってどこから来たのか?
→NY市では住宅の最低の狭さが制限されています、なのでニューヨーカーはよくルームシェアしているわけですが
まあでも、NY激狭ルームシェアで限界暮らししても、家賃は15万円はかかる(ベッド置いたら終わり、風呂トイレ共同みたいなレベル)
23区ならいうて7万円くらいで借りれるだろうから、やっぱ2倍くらいだろうね、賃金差と物価差を考えればそこまでではない
ちなみにNYよりヤバいのが香港、犬小屋みたいな場所で家賃20万円超える
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こういう、センセーショナルな「NY物価ヤバい」みたいな記事、何十本と見たんだけど
たとえば狭い部屋で「家賃が20万で〜」みたいな動画があったとして、コメント欄は「東京よりもずっと高い」って騒ぐんだけど
こいつら23区の人気エリアだったらふつうに1LDKで20万超える、みたいなのをそもそも知らないんだろうなって、ちょっとおもしろい
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例えばさあ
月5000ドル(75万円)
https://suumo.jp/chintai/jnc_000102520598/?bc=100470337140
月65万円
42平米くらい、同じくマンハッタンに近いブルックリンのお手頃なやつ
https://streeteasy.com/building/30_64-21-street-astoria/1
月1450ドル(21万円)
40平米くらい、麻布のお手頃なやつ
https://suumo.jp/chintai/jnc_000102287524/?bc=100468266800
月18万円
なー?
写真のことは完全に素人だが、どの写真も「いい…」としか言いようがない。
とりあえずflickrを見てほしい。膨大な枚数が丁寧にソートされており、見やすさからも本人の仕事の几帳面さが窺える。
https://www.flickr.com/people/mikkagashi/
三日画師さんを知ったのは通っていた大学の最寄り駅で大規模な再開発があり、その頃の風景が失われてしまったのがきっかけだった。
当時ガラケーだったのもあり写真が手元に全く無いことに気が付き、せめて気持ちだけでもと検索したところでたまたま三日画師さんのアルバムを見つけた。
しかもまさに自分が通っていた時代の写真が大量にアップされていたのも驚いた。
その後flickrにアップされている写真はほぼ閲覧した。どの写真も凝りに凝った一枚というよりも、そこに住んでいる人の目に入っているであろう風景がありのまま撮影されている。三日画師さんとは生活エリアが近いようで、いくらでも見たことがある光景が出てくる(そしてもう見れない。ほとんど何かしらの再開発が入っているから)。
残念ながら三日画師さんのアカウントは長らく更新がない。twitterのアカウントも検査入院の報告で止まっている。それでもこの誰かの心象風景ときっと重なるであろう貴重な写真がインターネットに埋もれていってしまうのが惜しいので、ひっそりとここにアップしておきたい。
シャア・アズナブルがそう呟いたとき、彼の前に広がっていたのは、最新作『Pokémon LEGENDS Z-A』の都市型マップだった。
だがその眼差しは、どこか冷ややかだった。
「私は“変革”を信じてきた男だ。しかし、彼らの言う進化は、単なる焼き直しにすぎない。」
シャアが指摘するのは、シリーズが“変化”を装いながらも、根底では“保守”にとどまっている点だ。
それは、彼が戦った地球連邦と同じ、惰性と官僚主義の循環である。
「彼らは“新しい舞台”を見せたがっている。だがそれは、宇宙を恐れる地球の民のような閉じた空想だ。」
ポケモンの“新作”が描く都市――ゼロワン・エリアのきらびやかさ。
シャアはこうも語る。
「ポケモンは、少年の自由な夢を奪った。捕まえる喜びを、管理の喜びに変えてしまったのだ。」
新作ではスマートデバイス、デジタル管理、AIトレーナーなどが導入されている。
だがそれは、プレイヤーの「想像力」を削ぎ落とす方向に働いている――とシャアは警鐘を鳴らす。
“最適解”という名のアルゴリズムに従って動くだけだ。」
「確かに、最近のポケモンは“感じる”より“分析する”ゲームになった。」
◆ガチャ化する愛、量産される感動
「彼らは“希少性”で愛を売っている。
限定フォーム、特別配信、メガシンカの再販――まるでジオンの量産型モビルスーツだ。」
ポケモンの収集が、いまや“課金の最適化”と結びついていることに、シャアは憤りを隠さない。
かつて彼が理想とした「宇宙移民の自由」は、ここでは「限定イベント」という監獄に閉じ込められている。
それを“コミュニティ”と呼んでいるのだ。」
それでも彼は最後に、こう結ぶ。
ポケモンという文化が、再び“感じる”ゲームへと還る日を、私は待っている。」
その背に、残された者たちは何を感じたのか。