はてなキーワード: 地盤とは
https://youtu.be/Nxp7HruM77c?si=nsf1mjslLlSegZCm
たとえば「萌え」も「伏線」も定義が曖昧なまま推論が組み立てられていく。
定義が曖昧というか、一面を切り取って辞書みたいに「萌え=〇〇」「推し=〇〇」みたいな。
こういう言葉って、使われる時代や文脈(『萌え』なんて何年使われてるんだ)も、使う人のリテラシーもバラバラだと思うんだが……。同じ言葉を使っていてもよくよく聞いたらニュアンスが違うなんてこともあるんじゃないのか?(そのこと自体は否定するつもりはない。むしろ健全だと思う。あくまで推論の出発点として地盤が緩いということ)。
なんでもかんでも「定義」が要るとは思わないが
「『萌え』は可愛いって思う感情だけなんですけど」「推しの場合は『見返り』があって」と言い切ってどんどん話が進むので、納得がいかない。
ドラマを『考察』して(この先の展開や作者の意図=『正解』を当てようとして)視聴している人が増えていて……という話も、ひとことに「増えている」とは?そういう人たちが目につくようになった、ならわかるけど。それでひとくちに「若者」「令和」とくくるのって、思い切りが良すぎないか?
ポリティカルコメディの佳作。増田政治クラスタは見たら笑ったり怒ったりできると思う。72点。
衆議院解散直前に地盤ガチガチの大物議員が倒れ急遽娘、宮沢りえを担ぎ出すことに。10年秘書を務める窪田正孝は政治の世界も世間も知らない素人娘のサポートにてんやわんや。なにもかもうまくいかない選挙活動を続ける中お互いの心境変化があって……
というお話。
個人的に若干ノイズだったのが宮沢りえの役が「バカ政治家」をカリカチュアしすぎていて現実感が薄いこと。
作中でどうやら父親に金を出してもらってネイルサロンを開いてそこのオーナーをやっているらしいことが示されるが、それ以外のパーソナルな情報をごっそり削ぎ落とされているので「そういう存在」として突然生み出されたような違和感がある。
政治家の娘でずっと秘書をやっていたので世間のことがわかっていない。はわかる。
政治家の娘だけど政治に関わっていなかったので政治のことがわかっていない。もわかる。
政治家の娘だから世間のことがわかってないし、政治に関わってないから政治のこともわからない。
は、そんな奴おるかなぁ……?になってしまう。
いちおうネイルサロンで従業員雇ってお商売やってるわけじゃん。いろんな人と話するわけじゃん。たぶんワイドショーとか好きじゃん(偏見)。世間一般的な炎上政治家リテラシーは備わってるんじゃないかなぁと思うのは、もしかしたら自分が所属するレイヤー以外を俺が甘く見すぎてるだけかもしれないけど。
それくらい宮沢りえは過去のバカ政治家炎上事件タスクを次々こなしていく。まぁそれが楽しいんだろと言われれば、確かに笑いましたけど!?と逆ギレするしかないんだけど、一方でこんなことするかなぁという気持ちもあったというお話。
ただ宮沢りえが自体はバカで無神経で甘やかされて育ったお嬢様を溌剌と演じていたし、政治の世界の波にもまれてワールドイズマインだった自分が崩れていくさまを細やかに演じていてよかった。
例えば、爆笑エピソードとして記者に「少子化問題について一言お願いします」と問われた宮沢りえが「結婚してないのに子供を産まないのは怠慢ですよね!」と答え、それを日本国旗アイコンが絶賛するというシーンがあるんだけど。これ実際に2025年に参政党の神谷が街頭演説でやってて反応もその通りで笑っちゃう、2022年の映画なのに。
また、途中で目的が変わって意図的に炎上しに行く展開になるんだけどその中で、敵対陣営の街頭演説中に乗り込んでいって拡声器で怒鳴りたてて妨害するというめちゃくちゃしよるシーンがあるんだけど、これも2024年の補選でつばさの党がやって大問題になったことと類似する。
気になる人も多いと思うけど逆にそれが面白いと思ったのはこういうズレを笑うタイプの作品に登場しがちな「世間の目」役のキャラが今作では登場しない。
地方議員も後援者も選挙事務所の面々もみんな政治の世界にどっぷりのアウトローたちだし、そこに紛れ込んでくる異分子である宮沢りえは世間感覚ゼロのヤバ女。アウトローたちは普通の感覚で見ればおかしいことを言ったりしたりするのを宮沢りえが「それってマジ?」とツッコミ、宮沢りえが政治的におかしなことをするとアウトローたちがツッコむという構図が楽しかった。
そういう意味ではこの作品では世間の目で見てまともなことはほとんど行われない。
また非常にシニカルにかつ現実的に政治の世界を捕えていて、賄賂の分配は非常にロジカルに単なる業務として行われているし、なによりフフってなったのは公示日に新人秘書に「当選しますかね」と聞かれた窪田が「するよ。世論調査の結果もらってるし、見てない?」と答えるところ。既に圧倒的地盤があるので、それをひっくり返されるだけのトラブルがなければ当選することは最初から決まっているという地方政治のある種の冷たさ。シビれるね。
後半の展開としては父親の政治スキャンダルが報じられさらにそれが事実で他の政治家のように秘書が尻尾切りされてシャンシャンになるところを目撃したり、実は父親の意向ではなく擁立で利害が対立した地方議員たちが「全員で操って各自の利権を最大化するためだけ」に自分が選ばれたことを知ったりして、すっかり政治の世界に嫌気がさした宮沢は落選することを決意する。
また窪田も病院で自分の生き方を振り返っていた宮沢の父親から「お前の考える自分の娘の幸せはお前が自分の幸せを押し付けているのではないか。もし(窪田の)娘がお前が考えるのと違う道を行こうとしていてもそれを受け入れてやれ」と言われ"選挙"の正しさを見失っていた自分に気づき宮沢に協力し共に落選を目指す。
ここから政治スキャンダルの証拠を暴露したり、さらに自分でもスキャンダルを起こしてそれを拡散してどんどん炎上しようとするのだが、そのたびに別の大きな社会的問題が発生し話題はかき消え、スキャンダルは別方向から評価されむしろ評価が上がって行ってしまう。
このあたりのドライヴ感はめっちゃ楽しい。こんな都合良くいかんやろ~とも思うのだけれど、小泉内閣の後半に支持率が下がりそうなタイミングでなんか別の大きなトラブルが起きてそれの対応に奔走しているうちにまた支持率が持ち直して、みたいなことが実際あったよなぁとも思ってしまう。政治という大きなうねりの中では個人の意思など問題にならないのだ。
そして最終的に宮沢は当選する。秘書の一番偉い人はこう言う「投票率低いからね」。そう、最低得票数が決まっている以上、投票率が下がる=浮遊票が減れば公示日に「当選する」と言われていた通り何もしなくても看板議員は当選する仕組みになっているのだ。言外のメッセージとして非常に強いものを感じる。
特筆してなかったけど窪田正孝はいい役だった。達観しながら諦観していて"政治的"常識人でありながら一児の父としてかろうじてつま先を現実に残している。
特によかったのは宮沢が選挙の裏側の汚さをマスコミに暴露すると騒ぐシーン。
宮沢に対して「たぶんメディアは相手にしない」と告げつつも「仮に報道されてもこちらとしては把握してないとリリースを出すし、本人に問題があるので信頼できる情報とは言えないとしてこちらが把握している過去のあなたのスキャンダルをどんどん出していくことになる。そうなった場合、仮に落選することができても貴方のその後の人生にも多大な影響を与えることになる」とめちゃくちゃ申し訳なさそうに腰を低く脅迫する。
こいつ終始腰が低いのにデリカシーないしズバズバだしめっちゃいいキャラなんだよな。
宮沢との共闘前の印象的なシーンとしては、ノンデリ発言で宮沢ともめた後に事務所の屋上から「みんなからの扱いが雑で許せない。政治の世界もおかしい!改善されないならもう辞める!」と訴える宮沢に対して屋上に向かい「いまさらやめられない、そういうもんだ」と政治のうねりの中にいる人物として言外にシステムの冷徹さを示し、宮沢をビルから突き落とし(下には緊急用マットが敷いてある)、その後自分も飛び降りるシーン。
最後に自分も飛び降りるところで「こいつはなんだかんだ自分も渦中に寄り添える奴なんだな」と言うのが示されていてこういう人物描写好き。他人にやらせるだけのやつじゃないっていう。秘書の鑑。
全体的に静かなトーンで進行して敢えて面白おかしく描こうというよりも世間の常識は永田町の非常識という言葉があるようにそのズレがコメディとして成立していると確信して作られている強度が高い。真面目に作られているからこそ笑えるコメディ。
かなり乱暴にたとえると、「匈奴=巨大本家の大組」「漢帝国=国家権力」「丁零=北方の独立系武闘派グループ」で、同盟・離反・シマ争い・別名での再編成を何度も繰り返す、極端に長期スパンの抗争劇のようなイメージになる。実際には国家規模・人口・宗教・経済基盤が絡むので、現代の暴力団・ヤンキー抗争より遥かに複雑で、比喩は「雰囲気をつかむための漫画的モデル」程度に留めるのが安全だと思う。
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ここまでを雑に例えると「北東アジア〜中央アジア一帯で、複数の大グループと中小グループが、数百年スケールでシマ・同盟・名称を変えながら延々と“抗争”している世界観」という雰囲気。
DXの波が襲いかかってきている。
それはまさしく騎馬民族の襲来の如くに押し寄せてきていた。
昨日までと同じ今日を送れた可能性が遠い過去へと吹き飛ばされる時代の風のなんと激しいことか。
俺は絶望している。
この巨大な怪物に対して「さあ、今こそお前が先陣を切るときだ。旗を振りかざし我らを導くのだ」とばかりに前へ前へとおしやられていく。
私が暮らしてきた場所よりずっと組織の中核によった場所で決められた業者とシステムは、我々の仕事とは見事に噛み合っていなかった。
談合があったのか、入札の悲劇か、仕様が間違っていたのか、要件定義が杜撰だったのか、これから取り変わっていく地盤のズレを土台工事で誤魔化せよという無理だけが残されている。
俺はもう無理だ。
きっともう俺達は無理だ。
沈みゆく船から逃げ出したい気持ちの中で「44歳公務員マクロおじさんがここで逃げたら、今もらっているたかが700万円の年収すら一生もう届かないんだぞ」と自分を脅して踏みとどまる。
もう終わりだ。
俺の人生は終わったんだ。
終わっていたんだ。
逃げることも出来ない。
進んだ先に栄光もない。
苦しみと責任だけが積み上げられ、自由と創造は取り上げられた。
助けてくれ。
助からないんだ。
終わりだ。
あと10年早く逃げ出していれば、あるいは・・・。
そう思いながら何年過ごしたのか。
妻につぶさせられた。
まるで「私とゲームするのは当然」という空気感で、そのためにタスクを早く終えろと言ってくるし。
勉強のほうが楽しいし意味のある事やってて生活に張りが出るのに、いまは何にもないわ
俺の中でゲームする時間が一番だとずーっと思ってるみたいだけどな。そんなわけねえだろ。
そもそもそんなこと一度も聞いてこねえしな。
「お金が欲しい」とか二度と言うな。
お前のせいで生産的なことをやる時間が全然ねえのに、お前が「お金稼げない無能」みたいな扱いすんな。
いつかはお金の管理をやりだすかなと思って、Amazon アカウント丸投げして 好き放題買わせてみたら、お金のことを気にせずただなんでも買うだけの物体が出来上がったしよ。
俺はお前のために時間も精神も削ってんのに、お前が俺のためにしてくれたことって何かあったっけ?
お前はなんで俺に好かれてると思ってるの?
どこを好かれてると思ってるの?
部屋汚いのがストレスになるとか言い出す癖に、自分では片づけすらできない
「これしたい」「あれしたい」言い続けて何もしねえ。はたから見ててストレスだわ
根本的に「リモートワークなんて疲れない」って思ってるんだよな。
仕事した後にぶっ続けでヒリヒリするゲームし続けるのがどんだけしんどいかわかってないんだよな。
これの疲れが仕事まで影響するんだよな。
というか、俺に対する配慮みたいなのがまったくないんだよな。
「疲れてない?」みたいな気づかいがまったくない。
全人類がお前と同じだと思うなよ。
消費と消費のために生きてるから、端的に言うと消えてくれたほうが節約になるんだよな。
まるで「こんだけ時間あったでしょ」とか言い始めるけど、休日の 16時間ぐらいある可処分時間のうち 3時間しか俺の時間がねえ状態がまずおかしいと思わねえのか。
そのうち 2時間ぐらいはお前のために飯買いに行くし、それ以外は猫の世話するし、それ以外の時間は全部ゲームさせられるしよ。
最低でも 13時間は 俺のための時間じゃねえからな。その時点でおかしいだろ。
しかも、その 3時間なんてニュース読んで AI 関連の記事キャッチアップしてりゃ終わるわ
俺が今まで培ってきた知見だけでやってきてて、いまの AI 時代には追いつかなくなってくるのが目に見えてる。
俺がちょっとキレ出したのを感づいたくせに ごめんねの一言もねえでやんの。
「寝れば治る」みたいな考えかたしてんな。
「数字だけ見れば成功、でも本当に良かったかはかなり微妙」という感じがリアルなんじゃ無いか。
まず集客とか運営面のKPIは普通に達成してて、想定2,820万人に対して実績が2,902万人。有料入場も2,500万超えで黒字ラインも余裕でクリア。参加国数もほぼ想定どおり。イベントとしての数字はちゃんと出てる。
問題はコスト。会場整備費がもともと1,250億の見積もりだったのが気づいたら2,350億に膨らんでて、そのほか日本館とかインフラ整備とか全部合わせると、公共負担だけで軽く数千億。しかも夢洲は地盤対策とかメタンガスとかで金がかかりやすい土地。そこに加えて、地下鉄延伸や道路整備なんかも入れると、どこまでが万博の費用なのかも曖昧なレベル。
運営では序盤のトラブル(通信障害、動員低迷など)が目立ったけど、後半はV字で持ち直した。一方でレジオネラ菌問題や地下鉄トラブル、予約システムの不満など、けっこういろいろやらかしていて、「未来社会」というテーマとズレているという指摘も多い。開催前は「行かない」が8割だったのに、終盤は「行ったら意外と良かった」みたいな声も増えてるという、揺れ幅の大きさがあった。
イメージ戦略、広告・メディア対策が功を奏したのかもしれない。
インフラ面では地下鉄中央線の延伸など、後に残るものもある。ただ、釜ヶ崎の立ち退きとか、IR前提の都市計画とか、誰向けの万博なのか?みたいな点も残る。
いわゆるレガシー的な部分で、夢洲はもともとIR誘致とセットで構想されていて、万博後の土地活用がIR前提になり過ぎているのではみたいな話。
他の万博と比べると、1970年の大阪万博(6,400万人級の化け物イベント)や愛知万博(2,200万人)と比べると、愛知以上1970年以下。期待値が1970大阪の幻想に引っ張られてたせいで、「あの熱狂と比べると…」みたいな落胆が心理的には起きやすいかもしれない。
結局のところ、社会的レガシーはまだ判断できず、今後10〜20年次第だろうし、盛大に失敗した東京五輪ほどではないけど、かつての栄光の再来だ!って胸を張れるほどでもない、「ぼちぼち万博」なんじゃないだろうか。
現実の複雑性を直線一本でぶった切ったつもりになって悦に浸る典型的な自己放尿。
国家の意思決定を「周囲の中国人がYESと言うかNOと言うか」という茶番レベルに縮退させ、国際政治の階層性も、個人の立場の分布も、リスクの非対称性も、全部まとめてゴミ箱に放り込んだまま、勝手に100%だの絶対だのと断定している時点で、論理の地盤が自己放尿している。
そもそも、個人がどんな意見を持つかと、国家が武力行使を決定するかどうかは別問題だし、個人の発言は職場環境、監視、ビザ、経済的依存、家族の安全保障など複数要因の制約下にある。
変数が多次元で絡み合っている状況を、「中国人は必ずこう言う」と一本化し、その一本化を自分の正しさの証明だと勘違いしているから、ロジックになっていない。
さらに、「もし台北が戦場になったらどうする?」という恫喝めいた情動誘導であって、論理じゃなく脅しの形を取った自己放尿。
論証ができない人間ほど、最後は脅しと極端なイメージで相手を黙らせようとする。まさに自己放尿が垂れ流しモードに入り、理性の回路がショートした症状だ。
国家・個人・政策・安全保障を全部ごちゃ混ぜにし、一貫性のない前提を積み上げたまま、自分で作った人形と自分で戦って勝利宣言して自己放尿しているだけ。
ロジックでも洞察でもなく、自分の妄想の中で架空の中国人を動かして「ほら、怖いだろ」と言っているだけだから、議論としては成立していない。
簿記初級に落ちた。
本屋に売っている簿記初級の本(土日で受かる!一冊で初心者もらくらく合格!って書いてある方)を1ヶ月程度熟読し、テスト問題では90点〜100点まで安定して出せるようになってからすごく自信満々に受けに行ったにもかかわらず落ちた。
………
ずっと↑これ。
単語単語はわかる…けど本当にやってない!!!と思うような文脈や問題ばかり。
知ってると思ったのに知らなかった敵に対する恐怖、文字を読み進めるにつれて頭が少しひんやりとした。
試験が終わり、ネット試験のため不合格であることがすぐ表示された。でしょうね。
別に初級を舐めていたわけじゃない。
勉強も自分なりに頑張って自信ありの状態で落ちたという事実に、情けなさを実感して道で静かに泣いた。
通行人にチラチラと見られるし自転車のおばちゃんにはガン見されたしで大変恥ずかしい。
でもそれ以上に何が地獄だったかと言うと試験終わったすぐに元々予約していた映画のチェンソーマンに行かなくてはならないことだった。
気が重かったがお金が勿体ないので行った。
私がどうなろうがチェンソーマンはおもろいし世界は回るのだ。入場特典は枯れていた。
ネット試験の後に何か予定なんて入れるもんじゃないことを学ぶ。
そも何故簿記の3級(3級は持ってると就職転職で有利とよく聞く)ではなく初級を受けたのかというと、少し前に会社を辞めており、簿記の訓練校に行くからその事前準備としての受験だった。
前職退職後、訓練校が気になってることを家族へ伝えたところ「ゆっくり出来るの実家にいる今のうちだけだから訓練行ってきな!」と背中を押してもらい訓練校に申し込んだ。本当にいい家族だと思う。
(家族に対してサプライズで合格発表したかった為受験を言っていなかったことが救い)
でも訓練校の入学までかなり期間が開くため、簿記の勉強を訓練開始前に事前にしてみることにした。
実は私、真剣に検定の勉強をするのが初めてで何処から触れれば良いのか等マジで分かっていない。
そして頭が悪い自覚があり、その上学生の頃から勉強が苦手な為、自分にできると思う勉強をやってみることにした。下記である。
・一冊の参考書を熟読する
・読破する為に一日2p以上頑張って読む
「一冊の参考書を熟読する」
何冊も買ってバラバラに読むより一冊の内容をカンペキにする、すごく分かりやすい。
勉強が不得意な私もできると思った。
「読破する為に一日2p以上頑張って読む」
勉強が苦手な私でも"継続すること"の重要性はわかっていた為、自分が折れないためのハードルとして「一日2p以上」をやってみることにした。
結果惨敗(後3問正解していれば合格)だったが、何故こうなったのか。
・そもそも本が古いんじゃね?
これである。
本はガチで古い。何故なら中古屋で買った第一版だった。最新は第ニ版。
お金が勿体ないがここまで勉強して諦める方がダサすぎるので、不合格だった帰り道で最新のものを購入。改めて気合いを入れる。
因みにその足で何件か本屋へ寄り、他の初級本も探したが見つからなかった。
家で新しい本をざっと見たが、そこまで大きく内容は変わっていないことがわかった。(最終ページのテスト問題は変わってた)
これで「一冊熟読勉強法」は自分に合っていないことが確定した。
他の会社の本も近場で見つからないしメルカリで探すしかないのか?と思ったけど今は大YouTube時代(大YouTube時代?)なので勉強動画を探す。
分かりやすいし応用もききそう。
普通にこの動画だけでも学べると思うが、元々参考書で勉強していた範囲のため、内容がするすると理解できる。
それだけでなく実際の試験で出そうな範囲、言い回しなどをカバーしていた。
実際試験を一度受けた身としては本当に出てくる内容だと思った。
参考書の記述が少なすぎたのではなく、応用力があれば一冊熟読するだけで本当に合格できる内容であったことも理解する。
本には基礎的なことだけしっかりと書かれていたのである。
これまでの人生において、自分には応用力が足りない自覚があった。
学校の勉強も変化球(に見える球)は打ち返せなかったが、その変化球を学ぶことでその動きを覚えることはできた。
知らない変化球じゃなければ致命傷を逃れることができた。※先生によってもテストの点数が大きく変わるタイプではあった
そういえば自動車免許も変化球やひっかけが多いが、教習所でもらった教材だけでもひっかけや応用問題までカバーされていたため、1発合格できたことを思い出した。
私は頭がすごく悪い人間だと思っていたが、基礎問題だけでなく応用問題まで学ぶことでちゃんと理解することができるタイプの人間だったんだ。
動画を見たおかげで、自分の勉強が地盤固めになって身についており、無駄ではなかったことが分かって、1人、部屋で静かに泣いた。
動画を何度も見て約1週間後、改めて簿記初級を受けて無事合格。93点である。その2文字を見ただけで脳と目頭が熱くなった。
これにより私に合っている勉強法がなんとなく分かった。
・基礎固めとして本を一冊熟読する勉強は正しい
・基礎を固めた後、応用問題を解けるようにするべく、自分に合う教材を見つける
これから勉強していく上で、この2点をちゃんとできていればきっと今後も大丈夫だとそう思う。
それに一回不合格になっても世界って回るし、こんな問題が本番で出るんだな〜という知識にもなるし。多分大丈夫な気がしてきた。
合格して嬉しいので、その足でカフェでケーキを食べた。ショートケーキ。
今まで映画は前日より前に予約をしていたが、ゆっくり食べながらその日見たい映画を探すのも、なかなか良い時間かもしれない。
因みに気になる映画が無かったので帰った。
っているけど、若い頃はさすがに図々しいなと思ってた。
今30代になって自分が妊娠してやっとわかったんだけど、妊娠中に働きながら家事育児するのって普通に体力的に無理だから育休中に次の子を産むんだね。
私なんか毎日ほぼ定時帰りの健康妊婦だけど、それでも仕事から帰ってきたら疲れ切って何もする気が起きなくてご飯も作れないからね。
もちろん他の家事も全部夫任せ。
それに子供いるのに仕事辞めちゃったら将来同等の待遇で再就職なんてできないし、一度築いた地盤をそう簡単に手放せないよね。
自分が同じ立場にならないと人ってこんな簡単なことも想像つかないんだな。
みんな他人に優しくしよう。
前から薄々思ってたけど、家庭環境が悪い男って、だいたい服が好き。これは金持ち貧乏は全然関係ない。親が医者でも家庭が終わってたら同じだし、生活ギリギリでも家族がちゃんとしてれば全然違う。単純に、家庭の土台が弱かったり機能してなかったりすると、なぜか服に行く。肌感として、ほぼ例外ない。
まず、普通の男はそんなに服に金を使わない。平均的な生活してるなら、毎月2〜3万円も服に回さないし、ユニクロとかGUで充分満足してる。必要最低限あればいい。おしゃれにハマる時期があっても、せいぜい月1でどっか見に行くくらい。服は人生の中心にはならない。趣味としては軽い部類。
でも、家庭環境が悪い男は違う。彼女いようがいまいが、とにかく買う。古着、ブランド、小物、買い漁る。金があっても買うし、金がなくても買う。クレカで無理して買うやつ、リセールで回すやつ、メルカリ漬けになってるやつ、ストリート好き、モード好き、古着屋巡り中毒。住んでる場所や学歴や収入が違っても、根に同じ匂いがある。
じゃあ、なんで服なのか。理由は単純で、家に拠り所がないから、自分で自分を作る必要があるから。アイデンティティが地盤から供給されないから、外側から拾いに行く。分かりやすく形に残る、自分のための何かが欲しくなる。服は手っ取り早い。まとえば人格の欠片になれるし、外側を変えれば中身も変わった気になれる。自分の輪郭を無理やり作る道具。
そして、服が好きな家庭環境悪いやつの多くは、自分に正直でいたいと願ってる。でも本当の自分は傷だらけだから、直接触るとしんどい。だから、布と色と形でなんとか表現する。服を選ぶことで、傷を隠しながら本当の自分に近づこうとしてる。それが本人に意識されてなくても、行動に出る。
服は、自己救済の一種。自分を肯定する儀式。家で満たされなかったものを、自分で埋めに行く作業。だから服を大事に扱う。対照的に、家庭環境が良い男は服に依存しない。自分が何者かという輪郭は、家族からある程度もらって育つから、外側に縋らなくていい。服はただの布。必要なら買うけど、それ以上の意味はない。背負わせていない。だから2万円のシャツは高い、で終わり。
家庭が崩れていたやつは、コミュニティの軸が家に無い。いるだけで肯定される場所がない。だから外側で自分を守りにいく。服はバリア。シールド。これがあれば話せる、出られる、居場所ができる。だから、季節ごとに買い漁るし、気に入ったら同じ型を色違いで揃えるし、わざわざ地方の古着屋まで遠征したりする。そこまでして手に入れるのは、布ではなく、自分自身の欠片。
あと、服を好きになるのは、感性ではなく構造の問題。家が壊れてると、親からの承認が少ない。承認の総量が足りない状態で育つ。だから外部に出て承認を回収する必要がある。服はその装置。似合うね、センスあるね、それカッコいいね、そういう小さな言葉で、穴を埋める。服は承認の代替物。
そして、家庭環境が悪いやつの服装は、必死さがある。ストリートでも古着でもモードでも、どこか背負っている。良し悪しじゃなく、雰囲気が重い。本気が出てる。自分の形を刻もうとしている。誰かに見てもらいたいとかじゃなく、自分を外側に掴まえようとしてる。家で失ったものを、布で取り戻そうとする。
もちろん全員がそうとは言わない。でも、家庭環境が良い男ほど、服をただの消耗品として扱う傾向が強いし、家庭環境が悪い男ほど、服に人格を投影する。これはもう統計じゃなく現場の肌感。例外はあるにせよ、ほぼそう。
服が好きな男が軽薄とか、服好きはナルシストとか、そういう偏見の話ではない。家庭環境が悪い男にとって、服は心の補装具だ。生き抜くための装甲であり、逃げるための鍵であり、自分を肯定する手段。だからこそ、彼らは服を買い続けるし、そこから離れられない。
家庭に居場所がないと、街に居場所を作るしかない。その第一歩が服。布の中に、自分の価値をそっと隠す。服を買うことで、自分をまだ諦めなくて済む。だから今日も、古着屋を回る。
町場まで車で50分、旧村部の人口が1000人を切っいる、もう限界集落どころかそれを突破したような所で看取り民みたいに暮らしてる増田です。
どうもこんんちは。
何故か、ハンターの協会も、森熊協会も、正反対のところ両方が熊の出没はソーラーが原因と言いだしていて、なんかおかしな方向に行きそうな雰囲気だが、まじやめてくれ。
むしろ人と山との間にソーラーを作って、緩衝地帯にするべきだ。風力でも水力でもいいが、そうやって活用するべき。
最近、熊や野生動物の出没で、メガソーラーがやり玉に挙がってるのがどうも気になるんだよね。
むしろ、メガソーラーとか野生動物対策にちょうどいいシステムだと思うんだけど。
どうするかというと、山付けの耕作放棄地や、かつての村落の荒れ地をソーラー発電にする。
その上で、その収益で周辺を整備する。
整備すると言っても家を建てるとかじゃなくて、ロボット・ラジコン草刈り機が歩いて回れる程度に凹凸を均して整備するとか、風水害で崩れないように土留めや排水をきちんと整備するとかその程度でよい。
そうしてくれればかなり広い面積でも守人が一人でメンテを回せる。
そうして山と里の間にソーラーという緩衝地帯を作って、従来は里山が担っていた、人の住む世界と野生動物が棲む世界の間を区別できる訳だ。
里山や畑をソーラーにすることを自然破壊だという人がいるが、これはそこに暮らす人間としてははっきり逆だと言える。
放置されないためにソーラー発電所はかなり有用だ。その金で地域を守っている。
問題は、放置されたところだ。ここがやばい。竹林などになったらもう最悪で、排水も上手くないから大雨などが降るとあっという間に崩れたりする。
かつて人が植えた果樹が残っていたりするとそれも野生動物を呼んでしまうが、放置されてでかくなった木は切るだけでも金がかかる。
里山はほっとくと里山じゃなくなる。単なる山になる。そうなると山と同じ災害が起きるようになる。それは当たり前の話だが、それは人の暮らす町の近くで山と同じ災害がおきるということだ。遠く離れているから関係ないと思うかもしれないが、あなたの近くに流れている川はどこから来ているかとか考えてみてほしい。
経験的に最悪なのが竹林で、古い段々畑で放置するとほぼ崩れる。次が山林に帰る前の荒れた状態が危ない。蔓植物が蔓延るのも厄介。
きちんと植生がついて山になると地盤は安定してくるが、今度は野生動物が住む場所に変わって人間のエリアではなくなる。土砂災害になるよりはマシと植林するという手もあるが、植林しても今度は林業従事者が足りなくてメンテが行き届かない。
そうなってしまうのを、ソーラーを設置することによって、きちんと排水は設置されるようになるし、草刈りなどの整備は最低限であっても森に帰らない程度には行われる。フェンスなどで囲まれる上に食べ物などはないので、適切に処置すれば野生動物には荒らされにくい。
ソーラーは放置されてしまう土地をきちんと利益を上げて、その利益で守っていくと言う商材としては最適なのだ。
実は俺も何カ所かソーラー発電所(メガソーラーではない。規模は事業用としては小規模)の草刈りや除草剤散などのメンテナンスを請け負っている。その意味でこれはポジショントークだが、そう言う施設があるところの近くでは、放置されているところに比べて野生動物の被害は少ないと思う。
そりゃ、かつてそこに人家があった時代に比べたら増えてはいるだろうが、放置よりはかなりマシだ。
再エネを変に敵視するようなことにしないでくれ。単に目立つだけだ。そして目立つということは野生動物に対しても目立つのだから、町と山を隔てるのに適するという事も理解してくれ。
https://note.com/morinatsuko/n/ndec92cd41e0a
このエントリーに対して、批判をいじめと言うなとするブコメが人気となっている。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/morinatsuko/n/ndec92cd41e0a
しかし何より問題なのはまとめられているつぶやきではなくて、まとめられている人たちが高市が嫌いと言う感情の元、何をしても批判一辺倒なところにあると思う。
皆知れる通り、高市総理の初の外交結果はすでに広く報じられている。
米国のみならず韓国にも快く受け入れられた事は、韓国の李大統領、日本の高市総理のお互いの前評判からしてお互いが覆すほどの大成功と言って良いだろう。
また中国にも毅然と意見を交わしつつ不用意に関係を悪化させるような事は起こらなかった。
こうした事を全く評価せず、やれ肩に手を回しただの媚びただの、女性として恥ずかしいだの、感情で目が曇り悪いところしか見れなくなっている。
それも、人間は人それぞれと多様性を謳ったり、女性に女性らしさを押し付けるなとか、女性の自主性や自立を認めろとか、いかにも個人や女性を尊重し、女性の味方であるように言ってきた人たちが、だ。
まあ、感想も個人の自由だから、気に食わない仕草があるならそれに意見してもいいよ。文句つけてもいい。
でも、良い結果を無視して批判一辺倒はただのヘイトでしかない。
世の中には何から何まで本当に悪い事しかしない人間もいるけども、今実際に外交で手応えのある結果を出した高市総理には不釣り合いな評価に思う。
なんなら反高市な人たちは今、批判のための批判でエコーチャンバーと化していて、もう自身が主張してきた事をかなぐり捨ててる域にも達して、自滅ばかりが目立っている。
(略)これはもう執念で首相の座をとりに来るなと。
結果、なりふり構わず日本維新の会と連立を組むことで首班指名選挙を乗り切りました。でも維新との連立合意には相当な無理があると思います。たとえば、合意書には衆院議員定数の削減を目指すとありますが、これは、維新が言う「身を切る改革」うんぬんの話ではなく、国民の声を国会に届けるための制度設計の話であり、民主主義の根幹に関わる問題です。内閣に責任を持たない閣外協力を選んだ政党と、数日間協議しただけで進めてよいテーマではありません。
維新は「改革」ポーズがウリだが、国政ではずっとなにがしたいのかわからない状態で、大阪の地盤固めのためのパフォーマンスとして国政政党やってきた。
元々標榜するところの政策・理念は公明よりよっぽど自民と親和性があるのにこれまで自民に接近するでもなく取って代わろうとするでもなく漫然と「ゆ党」続けてきたのは「営業」だからである。地元ローカル局で全国区タレント面するためにちょい役ででもキー局に出して貰い続ける必要があるのだ。
そして事あるごとに議員を減らせだの首長の給料返上だのというが、政治家を干上がらせることは何ら「民主的」ではなく、それでも平気な奴しか政治に参入できなくさせる、エスタブリッシュメントによる「政治の家業化」の一端でしかない。
そんなやり口にチョロリと転がされるのは頭パーの大阪のおっさんオバハンだけである。
今回初めて自民に接近したのは、なんのことはない国民・参政に「第三極ポジション」のお株を奪われたからだ。
維新の本質が「営業」であるいっぽうで、自民の本質は「当選のためなら何だって売る」だろう。土下座外交と言われるものも「平和憲法」の墨守も、左翼ではなく自民党政権がずっとやってきたことだ。
政権与党であり続けるためなら何だって売り渡す。だから公明とも組めた。そして今回のこれ。
維新がいつものオバハン受けのためだけの軽〜いノリで制度設計に手を突っ込むことを連立入りの条件に掲げて見せ、
自民もいつもの「与党で居るためならなんでも売り渡す」ノリで、ヒョイパクで呑んだ。
ところでそんな間、立憲は何をしてるのか?
特に何もしてない。というかいつもピンボケの野田よりは辻元がまとめればいいんじゃないかと思うものの、これまでそういう流れは片鱗すら見えないしもう無いだろう。立憲の本質は手頃な斬られ役であり「万年大部屋俳優の吹き溜まり」である。
母が急速に弱って施設入所になるらしい。
そろそろお迎え近いのかなと思う。
疎遠とはいえ動揺したが、20年も前に父が首をつった時も動揺したことを思い出す。
父とも呼びたくない、人を騙し、嘘を繰り返し、面倒臭い全てからは逃げ、妹がした悪さ(些細な悪戯)は私を殴って気を晴らす男。
わざわざ小さい妹の前で私を殴り、妹が泣きながら、姉ちゃんごめん、と、歯を食いしばって泣きながら皿を洗う私のところへ言いに来る光景を30年経った今もよく覚えている。
若い頃は猫を上層階から投げ捨てて本当に地上へ着地できるのかを試みたり、イタコの所へわざわざ出向いて生きているのがわかっている知人を呼び出させてほらおまえは嘘つきだ、とやらかしたり、気に入らない宗教者に殺害予告を繰り返し電話したり、自分がこっぴどく振った女性を複数回逆恨みで脅迫したようで、丁寧な書面でハガキで向こうさんから警察に通報しますよと言う最後通牒のご連絡がきたり(当時、当方女子中学生)、
風呂に入る為着替えていると必ず突然脱衣所へ乱入してきたり(当時以下略)、おまえは俺の血を引いて淫売のはずだからこれを読めと18禁の本とコンドームを渡してきたり(当時以下略勿論未経験、そもそもアトピー重度を患いそれどころではない)、
ピアノを弾いてくれたらもう二度と脅迫の電話をかけてりしないよと言うから弾いてあげたら、全部弾き終わったあと満足そうに脅迫の電話をわざわざ私の前でかけ、唖然としていると嬉しそうに「脅迫じゃない忠告だ」と言い放ったり(たぶんそれをやりたかったんだろう)、
途中、たぶん私の中学生卒業あたりからは当時言うところの精神分裂症になり、より酷くなったが、脅迫の電話をかけたりコソ泥をして捕まったりしているのは私が幼稚園の頃、まだ発症前からだからな。お父さん病気だから仕方ないのよ、じゃないんよ。昔からだよ知らなかったのか妻のくせに。
とにかくズルをする。嘘をつく。人を傷つけるのが大好き。性欲は歪んでいる。キングオブクズ。
物心ついた時からこいつが気持ち悪かった。無理やり口をつけてくる。泣き喚いてしんどくて暴れても笑いながらくすぐる。可愛がっていると思っていたらしいが、こんな気持ち悪いクズは他人だと思って過ごしていて、小学生のある時どうしてもよだれをつけて欲しくないと言ったら他人じゃないんだからいいだろうと笑いながら言われた。母も同じだった。それで腹が立って、いやこの世には自分と他人しかいないと言い返した。どんな小学生だと我ながら思う。その時から誕生日祝いもなくなり、嫌がらせが始まったように覚えている。
この父が首を吊った連絡は、私が空港でまさに海外旅行へ発とうとしているうきうきの瞬間に来た。
同行者もいるのだし旅は続けたが、外にいる一週間、最悪の夢を見続けた。
この父が拝み倒したから結婚したのよ、とつんとして繰り返していた母は自分はまともなつもりだったらしいが、人への脅迫も、私への理不尽な扱いも、全部しょうがないわねえで済ます人間だった。
父は唯一この母を溺愛していて、とにかく言うことをなんでも聞いた。よって私は母の願いを叶えるいいお人形扱いをされていたが止める大人はいなかった。
そして今遠方で暮らしている私のところへ、母のケアマネさんから電話がかかってくる。
もう立って暮らすことがどんどんできなくなっていると。つきましては施設の入所をお勧めすると。
裏の、ずっとお世話になっている彼女の義姉も、もうあまり関わりたくないらしい。
そらそうだ、娘2人もいて1人からは完全に絶縁されているんだから。昨年連絡があった時、私から大伯母に話した内容も効いているのかもしれない。なぜ妹の方は連絡してこないのか、と聞かれ、もう絶縁しています、母の声を聞くと首を吊りたくなるほど情緒が不安定なので、とあの時伝えた。
私はもう乗り越えているのでひとまず電話は出る、時候の挨拶の品も余裕があればする。ただし決して私の家庭には立ち入らせない。母はあの父から私たちを守らないどころか、腹の立つことがあると普段蔑んでいる父に暴力を振るわせようとする人間だった。
その母の終わりが近いと聞いて、
もしかしたら忘れているだけでいい思い出が出てくるのではないか?と、思い出す為にこれを書いた。
残念ながら、掘り起こしたくない残念な思い出しか出てこなかった。
もっと小さい頃のすてきな思い出は、すべて母方の祖父母の家で形成されたものだった。
祖父母がいなかったら私のかろうじての良識、よりよく育っていくための地盤は育まれなかったと思う。
私の伯母も長い事入院していて、お子さんたちはやはり疎遠で他に頼りになる身寄りはおらず、成年後見人がいるようで、同じ人にお願いできると。
色んな話を聞くなか、あっさり話を進めてくれそうで良かったと思う。遺産だっていらんよ、というのは、妹とも一致した意見なので。どこへでも、誰でも、持っていってください。そして私たちの人生を産んでくださってありがとう。今後はたとえ来世があっても父と母になるどころか、一目会う事さえありませんように。
「分けて考えろ」って話なだけなのに。
一生もんのでかい意思決定なんだから、土台となる大事なものとそうでないものを分けて考えなきゃ、実現困難になるし、実現しても不満な結果になりやすいってこと。
恋愛は、結婚という長期的な関係を支える土台としては不安定すぎる。土台の上に乗せてもいいが、土台にするものではない。
結婚する上で、「素敵な異性がいい!」じゃなくて、土台となる一個人としての人間性や性別抜きにしたパートナシップをよく考えた上で、それからどうやって恋愛を育んでいくか考えましょうってこと。
どんなに異性として魅力的な相手でも、DVモラハラと長く付き合うのは無理でしょ。
家を買う上で、「素敵なインテリアがいい!」じゃなくて、土台となる土地選びや躯体性能をよく考えた上で、それからどうやって素敵なインテリアを実現するか考えましょうってこと。
どんなに素敵なインテリアでも、通勤2時間かかって地盤グラグラで隙間風が寒い家に長く住むのは辛いでしょ。
現実的には、家の購入においては予算という目に見える数字があるし規制もあるから、インテリアに予算を使いすぎた結果家が買えないとか家がボロボロってことはほぼ無いだろうけどさ。
こと結婚においては、予算みたいに目に見える数字も無ければ規制も無いから、恋愛を前提条件にした結果、結婚したくてもいつまでも相手が見つからないとか、結婚してもDVモラハラだったみたいなことがザラにあるんだよね。
というよりは次の解散をできるだけ先に延ばしたい意図が透けて見える
国民民主党、参院選で議席を伸ばしたのはいいんだけど弾切れ。主要な候補がみんな当選しちゃった
候補者がいない。有象無象はいてそれを不用意に候補にして叩かれたりしている。
立憲民主党は都道府県と政令指定都市、主要都市には会派があり、町村部にもある場合がある。公明もそう。
ただ、国民民主党はそれがないんだよな。それに伴って党の組織も脆弱。
希望の党が空中分解して、立民と国民に分かれ、さらに国民から立民に多くの議員が分離したことがあったが、小選挙区の支部長を務める国会議員が協議転籍すると、その支部もまるごと移る。
そうして議員を減らした後で、国民はポピュリズムに特化することで最近議員を増やしたのだが、新しい議員には地盤も看板も鞄もない。
地盤と看板と鞄がないと政策議論も情報の吸い上げもできない。だから国民民主党の政策が政争に関わるものしか出てこず、薄っぺらいと言われるのはこのため。
で、今が最も大事な時で、ここでなんとかポピュリズム特化のぺらい提案のワンイシューに毛が生えた程度ではなく、きちんと実力をつけないとマズいと思っているのは国民民主党自身だと思われる。
党が大きくなって権力を持つとあっという間に露呈するので。今回の高市早苗のように。
で、次の選挙すると確実に国民民主党は勢力を伸ばせるんだが、ゴミみたいな連中を議員にして数だけ増やしても無能が露見するだけ
実務が付いてこないと分かっているので時間が欲しいんだろうなと。
なのでのらりくらりと時間稼ぎしている。
立憲民主党もそれを分かっていて、実務は引き受けるつもりでいるんだろうが、玉木はそれが気にくわないのだと思われる。
まず公式の理由は「企業・団体献金の規制を自民党に求めたけど、自民党が『これから検討する』としか言わなくて不十分だった」ってことになってる。26年間も一緒にやってきた連立をいきなり解消するには、正直弱い。
集団的自衛権の時とか、もっと公明党の支持者にとってヤバい案件あったのに、その時は離脱しなかったわけで。
記事読むと斉藤代表が「全国の党員から『自民党の不祥事を説明することに疲れた』という声を聞いた」「地方議員も含めて限界がきている」って言ってる。これ結構重要で、つまりトップが勝手に決めたんじゃなくて、現場から突き上げがあったってこと。
公明党っていうか創価学会の組織って基本的に戸別訪問とか電話作戦とかの地道な選挙活動で成り立ってるわけで、その現場の人たちが「もう無理」って言い始めたら、執行部も動かざるを得ない。
で、なんで現場が疲弊してるかって話なんだけど、まず参議院選挙で負けてる。記事には詳細書いてないけど、公明党にとって関西、特に大阪は「常勝」って呼ばれるくらい伝統的にも絶対に負けられない場所。
そこで敗北したってことは、組織としてのアイデンティティが揺らぐレベルの衝撃だったはず。
なんで関西で負けたかっていうと、一つは維新の存在がある。維新って大阪が地盤で、「改革」「既得権益と戦う」みたいなイメージを前面に出してるわけ。公明党も本来は「クリーンな政治」「庶民の味方」みたいなポジションだったんだけど、自民党と組んでる限り、維新の方が「本物の改革政党」に見えてしまう。
しかも支持層が結構被ってる。都市部の庶民層とか、改革志向の人たちとか。若い世代や創価学会の2世3世にとっては、維新の方が分かりやすくて流れてもおかしくない。
それから統一教会問題。これ記事では明示されてないけど、絶対に関係してる。2022年の安倍元首相の事件以降、自民党と統一教会の関係がめちゃくちゃ問題になったわけで、創価学会っていう宗教組織の政党が、別の宗教団体と癒着してる政党を応援するって、どう考えても説明しづらい。
しかも統一教会って霊感商法とか家庭崩壊とか、女性被害者が多い問題を起こしてきたわけで、選挙活動の実働部隊である女性会員が「もう説明できない」ってなるのは当然だと思う。
政治とカネの問題も続いてる。記事だと「選挙後も秘書が略式起訴」とか書いてあるけど、要するに自民党がずっと同じような不祥事を繰り返してて、公明党は毎回それを弁明する役回りになってたわけ。
で、自民党は「すでに決着済み」みたいな態度で、改革する気があんまりない。公明党からすれば「もう擁護できない」ってなる。
もう一つ大きいのが、池田大作が2023年11月に亡くなったこと。池田氏って創価学会にとって絶対的なカリスマで、「池田先生が決めた自民党との連立路線」っていうのが、どんなに現場が不満でも続けざるを得なかった理由の一つだったはず。
それが亡くなって、カリスマによる統制力が弱まって、現場の声が上に届きやすくなった。だから「疲れた」っていう声が執行部を動かすことができたんじゃないかと思う。
あと組織の高齢化問題もある。創価学会の熱心な会員って高齢化が進んでて、若い世代はそこまで熱心じゃない。
2世3世は親の代ほど池田氏への帰依心がないし、「なんで自民党を応援しなきゃいけないの」って疑問を持つのは自然。選挙活動する人が減ってるし、動員できても士気が低い。そういう構造的な問題が背景にある。
自民党側にも変化がある。昔は二階みたいな人が自民党内で力を持ってて、公明党との調整役をやってた。二階は親中派でもあるから、日中友好を重視する公明党とは価値観も合ってた。
でも今は二階派の影響力が落ちて、高市早苗みたいな保守強硬派が台頭してる。高市氏は対中強硬だし、安全保障でもタカ派。公明党が党内で意見を言いにくくなってるし、橋渡しをしてくれる人もいない。
立憲の野田が「公明党をげたの雪みたいに扱った」って言ってたけど、たぶん本当にそういう空気があったんだと思う。
じゃあ公明党は今後どうするのかっていうと、記事を見る限り「完全に野党になるわけじゃない」って感じ。政策ごとに賛否を判断するし、「人物本位、政策本位で応援できる地域もある」とか言ってる。これ裏を返せば、地域によっては自民党とも協力するし、野党とも協力するってこと。
維新との連携もあり得るし、立憲との部分的な協力もあり得る。かなり柔軟にやっていこうとしてる。
自民党はどうするかっていうと、新しい連立相手を探さなきゃいけない。一番現実的なのは維新。大阪が地盤で、改革志向だし、自民党とイデオロギー的にも近い部分がある。
ただ維新にとっては悩ましい選択で、連立に入れば政策実現のチャンスが広がるけど、「既得権益と戦う」っていうイメージが崩れる。統一教会問題とか政治とカネの問題とかも引き継ぐことになるし、支持者から「自民党と同じになった」って批判される。
もし維新が連立に入ったら、公明党は関西で維新を攻撃する立場になれる。「維新は既得権と手を組んだ」「大阪を裏切って東京の政権にしがみついた」みたいに。
公明党は「常勝関西」で維新に負けたわけだけど、今度は維新を「既得権側」に追い込んで、自分たちは「クリーンな改革政党」のポジションを取り戻そうとしてるのかもしれない。
維新の創設者の橋下徹がどう判断するかも重要。橋下氏は頭がいいから、公明党が仕掛けた罠に気づく可能性もある。「連立に入るな、大阪を守れ」みたいに言うかもしれない。ただ今の維新執行部がどこまで読めてるかは分からない。
参政党っていう選択肢もあるけど、議席が少なすぎて自民党の連立相手としては役不足。国民民主党は現実的な選択肢だけど、連合との関係もあるし、公明党の完全な代替にはならない。
結局のところ、公明党の連立離脱は表向きは「政治とカネ」だけど、実際には複数の要因が積み重なった結果だと思う。常勝関西での敗北、維新の台頭、統一教会問題での説明疲れ、池田氏の死去、会員の高齢化、自民党の保守化、現場からの突き上げ。
そして戦略的な計算もある。このままズルズル自民党と組んで選挙で負け続けるより、一回離脱して「我々は自民党とは違う」って差別化した方が、組織を立て直せるんじゃないかって判断。短期的には政権から外れるけど、中長期的には組織を守れるし、場合によっては数年後に有利な条件で復帰することもできる。
公明党が使ってきた「与党でないと政策実現できない」っていう論理を、今度は維新が使うかもしれないのも皮肉な話。維新が「公明党は26年間、政権内で改革してきた。その方式を我々が引き継ぐ」とか言い出したら、公明党は反論しづらい。
「政権内では改革できない」って言ったら、自分たちの26年間を否定することになるし。でも数年後に維新が同じ問題で苦しんだら、「だから言ったのに」って公明党が正当化される。時間軸での勝負なんだよね。
これは単純な「政治改革への決意」じゃなくて、組織の生き残りをかけた高度な戦略的判断だったんじゃないかと思ってる。表向きの理由と実際の理由が違うのは政治ではよくあることだし、複数の目的を同時に達成しようとしてる感じがする。対外的には「クリーンな政治」、対内的には「もう説明しなくていい」、対維新的には「罠を仕掛ける」、対自民的には「舐めるなよ」みたいな。
まあ結果がどうなるかは今後次第。維新が連立に入るのか、公明党が支持を回復できるのか、自民党がどうなるのか。ただ確実に言えるのは、26年続いた自公連立が終わったのは日本政治の大きな転換点だってこと。しばらくはゴタゴタするだろうし、次の選挙が本当の試金石になると思う。
とりあえず「政治とカネの問題だけで離脱したんでしょ」って理解してる人がいたら、もうちょっと複雑な事情があるってことだけ。
この一言に尽きる。
ChatGPTの新機能「Apps in ChatGPT」が登場した瞬間、フロントエンドという職種の地盤は音を立てて崩れた。
これまでは、Webアプリやサービスは「フロントエンドでUIを作り、バックエンドでデータを返す」
という分業構造の上に成り立っていた。
だがApps in ChatGPTは、その構造をぶち壊す。
ChatGPTのチャット画面内でSpotifyを操作し、Zillowで物件を探しEtsyで買い物をする。
あなたが書いてきたReactコンポーネントもボタンもフォームもすべてAIに吸収される。
もはやユーザーはブラウザを必要としない。URLをコピペすることも無くなるだろう。
「このホテル予約して」と言うだけでAIがAPIを呼び、レスポンスをカルーセル形式で提示する。
ReactもNext.jsも「人間が画面を操作する前提」で存在していた。
でもその前提はもう終わった。
AIがデータを直接受け取り、AI自身が人間に見せるUIを自動生成する。
あなたが設計した美しいフォームもAIにとってはただの "action": "submit" という構造情報にすぎない。
Apps in ChatGPT以降の世界では、
これらが新しいUIだ。
だからこれから必要なのは「見た目を作る人」ではなく、AIが読み取れる形式で世界を記述できる人 だ。
バックエンドに戻れ。
Apps in ChatGPTが意味するのは、
今後必要なのは、AIが扱いやすいデータスキーマを定義する力や認証・権限・トランザクションを安全に扱う力やMCPやWeb APIをAIが使いやすい形に整える力だ。
これは警告だ。猶予は短い。
Apps in ChatGPTの登場は、「AIがUIを直接扱い始めた」という歴史的転換点だ。
あなたがフロントにしがみつく間に、AIはすでにあなたの代わりにUIを描いている。
5年後にはブラウザから色んなサイトにアクセスするという行為は一部のマニアだけ行うものになっているだろう。
もう時間はないぞ。急げ
【速報】ワークライフバランス捨てると高市氏 2025年10月04日 15時11分共同通信
https://www.47news.jp/13246623.html
「全員に馬車馬のように働いてもらう。私自身もワークライフバランスという言葉を捨てる。働いて、働いて、働いていきます」
と言及した。
どんな速報だよ
こんなんにイチャモンつけるようなくっだらねー人間に心底嫌悪感を持つ。
はてな民て結局、しょーもないクレームや被害者ぶりっこや揚げ足取りばっかりのクズみたいな人生送ってる奴らなんだと思う。
自分の人生に対して主体的な覚悟を持って、脇目もふらず何かを頑張ったという経験が一度もない。
自分以外の誰かが猛烈に頑張ることにすらなんかケチをつけたい感情がある。
当たってるだろ?
「全員に馬車馬のように働いてもらう。私自身もワークライフバランスという言葉を捨てる。働いて、働いて、働いていきます」
お前等になんか何も言ってない。
そして先頭に立つ高市自身は「ワークライフバランスという言葉を捨てて働く」と。
これの何が問題なんだ?
そもそもワークライフバランスってのは少子高齢化対策として採用された使用人向けのスローガンだ。
好意的に取れば「使用者は使用人に長時間労働させてはいけません」という労働者権利護持であり、
左翼的問題意識を持って受け取れば「国がライフスタイルにまで介入して子供を持たせようと操作している」標語だ。
だから当然、全員がこんなもん当てはめられなければいけないわけでもない。
例えば経営者なら週7日仕事してたっていいんだしそんな奴は幾らでもいる。
自分が望んでキーエンスに就職する奴なら毎日23時まで働けばいいだけ。
反体制左翼も「うるせえな余計なお世話だよ」と反発や無視をしていい。
で、国会議員になるような人間も経営者やキーエンス側の人間だ。
一般人より遥かに重い負荷で働くのが嫌だって奴はそもそも政治家にならない。
当然ワークライフバランスなんか捨てるだろうし、捨てると公言しても何も問題がない。
なんで高市ぐらいの人間がお前ら弱虫と同じ標語、弱虫を守る為の標語の下にいる必要があるんだよ死ね。
ノブレスオブリージュの表明にまでふんぞり返って揚げ足取りする自称弱者様とか
もはやじんかんのどこにも必要ねえだろ。人の世の害虫というものがいるならお前等だよ。
仮に高市が能力も体力も意志もお前らレベルの凡愚な人間だったとしても
それでも別に常にワークライフバランスを守らなきゃいけないわけではない。
だって高市は64歳で、ライフイベントなんかもう終わってるから。
子供は産まずに人生賭けてやってきた仕事の最後で最大の正念場なんだから
まだなんとか動く身体も頭も振り絞って仕事に全部注ぐに決まってるじゃねーか。
「俺たち弱虫向けの標語を守らなかった!」なんて言うくっそ情けないケチを付けられるわ。
本当に心底くだらない生物、その辺の水たまりに跳ねてるボウフラ程度の値打ちのその生で
いっちょまえの大威張りで自分を肯定できるわ水たまりの外で生きる人間に向かって物申せるわ、本当すげーと思うよ。
(ちなみにこいつらがこれだけ大事にするWLBを日本で盛り上げた政治家も指定難病で無理して働いてたし子がいない)
高市はお前等なんかに何かを頑張れと言ってるのですらないんだけど、
弱虫でない人間が「私は頑張る」つっただけで被害者みたいな気持ちになっちゃうわけだろ?
有益な思考をする知能も精神力も無いんだから、無駄な情報を入れるな。
お前等なんぞ誰からも頼られてないからお前等も無駄な駆動をするな。
気の向くことして飯食ってクソして寝てろ。
それでブコメでなんか、「無能な働き者」みたいな文言を書いてる人間が10人超もいるんだよな。
「無能」て。
俺は心底不思議なんだけど、なんでお前等が高市の能力を見下してるの?
ど~~~~考えても、どの角度から検討しても、高市はお前等なんかより遥かに能力あるだろ。
当人が相当ボンクラでも……ってこともあるいはあるかもしれないが
高市は地盤も看板も鞄もない一般家庭から一代で昇り詰めたししかも女だ。
お前等に高市の人生を歩ませたら社会に出て最初の3年くらいで泣きを入れて
その後の余生全部ネットで被害者意識炸裂させることだけに生を空費する人糞製造機になるわけじゃん。
どうしてそういう当たり前の弁えがないのか、そこが一番不思議なんだよな。
何をどうすればお前等ごときが能力的に高市見下せると勘違いできるの?
人が頑張ると聞いただけでも不愉快になっちゃうようなボウフラちゃんの分際で?
物陰から高市を非難・罵倒する言葉すらほとんど自分の脳を通過してなくて
人口に膾炙しすぎた擦り切れた「無能な働き者」をキリッとした顔で書き付けて
本当にどのような角度でも能力が低いんだよな。
根性もない、気力もない、センスもない、国語力もない、罵り言葉すら自分のものじゃない。
つか
「強い人は言葉遣いからボクたち無能の神経に配慮してよ!」なのか
「ワークライフバランス」なんてのは個人の生活に立ち入る不届き千万であって
むしろ「月月火水木金金」 「欲しがりません勝つまでは」とかに近い。
しかしはてな民は言葉に対するそうした最低限の思考力や注意力もないため、
(そこまで頭が悪いのに自分を経典読みではなくリベラル(笑)だと思っている)
その結果、
「ワークライフバランス」なんていう国による・間に合わせの・不格好なスローガンを
いつのまにかコーランの聖句かなんかぐらいに勘違いするようになって
「あの女が聖句を冒涜的したぞ!」と事件が起きたかのように騒いでるわけ。
こういう奴等に本当に必要だったものって出来もしない進歩思想じゃなくて宗教、
それもイスラム教ぐらい個人の生活に立ち入って来て「ただしいこと」を決めてくれる中世的宗教だったんだよな。
中世までしか適応できない知能レベルで間違って近代に生まれちゃって苦しんでるわけだから。
何故か自分達にちょうどいい価値(古めの宗教や迷信や陰謀論)を見下してるし
自分達より遥かに能力ある女を見て「無能だ」と大騒ぎしている。
政治に関心ある振りをするけど政策なんかは複雑すぎてわからないため、
高市批判するにしても「ワークライフバランス捨てるってゆった!!!」という涜神性を問題にして批判する。
無能の他動症はおめーらだろって思うんだけどね。
モスクへ行け。
背景として高市は夫の高市拓が今年脳梗塞で倒れて要介護になってる。
こいつらどんなきったねえツラしてこれ書いてるんだろ。
夫を介護施設に叩き込んで働くのは許されんのか?
つまりは高市が手ずから流動食食わせてクソ拭いて風呂に入れるのしか認められないってこと?
それ以外の選択肢は不道徳だからこいつらはこんなにニチャついてるわけなのか?
家族の介護を人に任せたら不道徳になるのは要は高市が嫁だから・女だからか?
ほんとに骨の髄までリベラルだなあおめーらは。
それにしても、
夫の介護について「ここが弱点に違いない!」と思いついて実際に書き込むまでのあいだの
どっかの瞬間に我に返って突発的希死念慮に襲われたりしねーのかな。
ボウフラちゃんの脳って便利。人間じゃなかなかこうはいかない。
高市はこういうくだらない生物たちからのあらゆる投石に負けずにここまで上ってきてて、
ついにボウフラが一生解さないなんらかの信念をこれから果たそうとしてるんだろう。
自分の生を何に使うか決めた者と
人間と鬼って感じがする。