はてなキーワード: 駅前とは
いまごろ「ヒロシのぼっちキャンプ年越し4時間スペシャル」を見ている
「ずっと鳴り響く草刈り機の音」「朝から爆音で聞こえるEDMの音」
に笑いが止まらなくなった
この番組でここまで笑い取れるの珍しい
ぼっちキャンプ、放送開始から5年ということで「何でこんなに続いてんのか」とヒロシが言っていたが
「You Tubeのキャンプチャンネルと大差無いから」だと思う
「テレビ!!!」って感じがしない
勿論映像は素晴らしく美しいし(なんか蟲師を感じる。異界っぽいのか?暗めだから?紗がかかってるから?)、スタッフと演者の良い関係も垣間見えるし、丁寧に作られていると思う
ヒロシが自身のプライベートキャンプを結構あげてくれてた頃と同じ感じがする
なごむ
軽い自己紹介
文面ごちゃついてますごめんなさい
なんだか最近色々なことにモヤモヤしてしまい、吐き出す場がないので増田で吐き出します
今の気分を表すとしたら、ドカ鬱・顔ない・今これ・大横転って感じの気分です
でもなんかふと寂しいとか悲しいとか空虚さを感じるみたいな
うまく言語化できない
自分語りさせてもらうと
生まれは北海道で、18の時に就職で上京してきて今はPCとかサーバとかの機械を修理する仕事をしてる
36524でそこそこ忙しい
高卒就職した訳は、大学行くにも別に頭良くないし学びたいことないし、親も貧乏ではないけど裕福でもないみたいな感じであんまり負担かけたくなかったので就職を選んだ
ほんとの田舎に比べると駅前は栄えてる方だとは思うけど遊べる場所が限られてた
あとシンプルに雪が嫌
寂しさは周りに人がいないとかではないとは思う
小中の友達は連絡取りたくなくなってほぼ疎遠、これは後述します
高校が人生で一番輝いてたけど悪友ばっかりで、お互いがお互いをカスだと思っている節しかない
と思いきや2週間で振られた
振られた理由は色々あるんだろうけど、メンヘラだし寂しい思いさせちゃったんだろうなって考えてる
うんうんそれは俺が悪いね...
割り切ったつもりだけど心の中では割り切れてないのかな
中学生の時は、好きだった女オタクの友達にLINE送りすぎて給食食べてる時に真後ろで悪口言われました
その子は結構共通の友達がいたので、小中の友達とは気まずすぎて連絡取ってませんというか取れてません
そんなこんなで成人式も行きませんでした
行った方がいいですよ成人式は
マッチングアプリを始めてみようかなと思うことはあるけど、低身長・低学歴・ブスではないけど普通くらいであるんじゃないか?くらいの顔
TLに流れてくるたぬかなさんやらなんやらの動画を見て毎回落ち込んでます
チャレンジしないといけないとは思いつつ今はまだ自分に自信がないので色々試してるところ
見た目は一昨年初めてオフ会した時に髪ボサチー牛だった🤓のを、パーマかけてみたりコンタクトにしてみたり服買ったりしたので清潔感とかはまぁ大丈夫じゃないかなレベル
一番は東京で遊べる友達とか彼女がいないのが原因の寂しさ?なのかな
休みの日は最近スプラとかモンストも飽きて動画見てばっかりなのが空虚さの原因?
あと仕事も休み明けた途端忙しいし、夏くらいからこの仕事向いてないんじゃないかなって5000兆回くらい思ってる
けど学歴ないし転職しても給料下がるの嫌だし、転職するからには今以上に活躍〜云々の広告を見て別に活躍とかはいいかなと思うくらいには上昇志向がない
同期と呑んでるときとか実家に帰って友達と遊んでる時とかはめちゃくちゃ楽しいのに帰った途端言語化できない感情に襲われる
ごちゃごちゃ書いたけどやっぱり寂しいんですかね?
軽い自己紹介
文面ごちゃついてますごめんなさい
なんだか最近色々なことにモヤモヤしてしまい、吐き出す場がないので増田で吐き出します
今の気分を表すとしたら、ドカ鬱・顔ない・今これ・大横転って感じの気分です
でもなんかふと寂しいとか悲しいとか空虚さを感じるみたいな
うまく言語化できない
自分語りさせてもらうと
生まれは北海道で、18の時に就職で上京してきて今はPCとかサーバとかの機械を修理する仕事をしてる
36524でそこそこ忙しい
高卒就職した訳は、大学行くにも別に頭良くないし学びたいことないし、親も貧乏ではないけど裕福でもないみたいな感じであんまり負担かけたくなかったので就職を選んだ
ほんとの田舎に比べると駅前は栄えてる方だとは思うけど遊べる場所が限られてた
あとシンプルに雪が嫌
寂しさは周りに人がいないとかではないとは思う
小中の友達は連絡取りたくなくなってほぼ疎遠、これは後述します
高校が人生で一番輝いてたけど悪友ばっかりで、お互いがお互いをカスだと思っている節しかない
と思いきや2週間で振られた
振られた理由は色々あるんだろうけど、メンヘラだし寂しい思いさせちゃったんだろうなって考えてる
うんうんそれは俺が悪いね...
割り切ったつもりだけど心の中では割り切れてないのかな
中学生の時は、好きだった女オタクの友達にLINE送りすぎて給食食べてる時に真後ろで悪口言われました
その子は結構共通の友達がいたので、小中の友達とは気まずすぎて連絡取ってませんというか取れてません
そんなこんなで成人式も行きませんでした
行った方がいいですよ成人式は
マッチングアプリを始めてみようかなと思うことはあるけど、低身長・低学歴・ブスではないけど普通くらいであるんじゃないか?くらいの顔
TLに流れてくるたぬかなさんやらなんやらの動画を見て毎回落ち込んでます
チャレンジしないといけないとは思いつつ今はまだ自分に自信がないので色々試してるところ
見た目は一昨年初めてオフ会した時に髪ボサチー牛だった🤓のを、パーマかけてみたりコンタクトにしてみたり服買ったりしたので清潔感とかはまぁ大丈夫じゃないかなレベル
一番は東京で遊べる友達とか彼女がいないのが原因の寂しさ?なのかな
休みの日は最近スプラとかモンストも飽きて動画見てばっかりなのが空虚さの原因?
あと仕事も休み明けた途端忙しいし、夏くらいからこの仕事向いてないんじゃないかなって5000兆回くらい思ってる
けど学歴ないし転職しても給料下がるの嫌だし、転職するからには今以上に活躍〜云々の広告を見て別に活躍とかはいいかなと思うくらいには上昇志向がない
同期と呑んでるときとか実家に帰って友達と遊んでる時とかはめちゃくちゃ楽しいのに帰った途端言語化できない感情に襲われる
ごちゃごちゃ書いたけどやっぱり寂しいんですかね?
文中の状況描写が非常に具体的であり、特に情景や心理描写が過剰なほど詳しい点が見受けられます。例えば、「駅前の広場にある公衆トイレの壁に設置されたケースの中だったはずだ」という部分は、通常の会話や文章ではあまり言及されないような細部に焦点を当てています。
また、心理的な葛藤や内省の描写が冗長で、個人の日記やエッセイにしては「読者への説明」を強く意識しているように感じられます。
文章全体が論理的に展開され、時間の流れや出来事が明確に整理されています。個人のエッセイや体験談では、一般的にもう少し混乱や飛躍が含まれることが多いです。
例えば、「まず声をかけて反応を確認し、必要に応じて救急車を呼ぶ」という一般的な救命手順の説明が冒頭に置かれており、その後の出来事との連続性が緻密に設計されています。これはAIモデルが得意とする「テンプレート的な文章構築」の特徴と言えます。
全体的に感情が抑えられたニュートラルなトーンで書かれており、「客観的で信頼性が高い」と感じさせる意図が見えます。特に、自己弁護や被害者に対する批判が極端に感情的ではなく、「冷静さ」を保とうとしている点は、AIモデルが文章を生成する際に多用する手法の一つです。
この文章は、AEDの使用や救命行為におけるトラブルというテーマを扱っていますが、同時に広く議論される社会問題(「助ける行為へのリスク」「法的トラブル」など)を反映しています。このようなテーマはAIが事前学習データから容易に取り出し、適切に組み合わせて生成することが可能です。
文体が一貫しており、どの段落も異なる表現や視点ではなく、統一された書き方になっています。これもAIが生成する文章の典型的な特徴であり、人間の文章では多くの場合、感情や状況によって文体が変化します。
このような特徴が合わさることで、文章全体がAIが生成した可能性を示唆しています。
「AEDを使って人命救助をした人が、後に被害者から訴えられた体験談」について解説します。
この話は、駅前で倒れた女性を救助するためにAEDを使用した人が、その後予期せぬ法的トラブルに巻き込まれた経験を詳しく語っています。救助者は救命講習で学んだ通りの手順でAEDを使用し、女性の命を救うことができました。しかし、意識を失っていた女性は後日、「不必要に胸を触られた」「身体を晒された」として救助者を訴えようとしました。
事態は警察の捜査や裁判所での審理を経て、最終的に救助者の行為は正当な緊急対応だったと認められ、解決しました。しかし、この経験から救助者は、人命救助の重要性を再確認すると同時に、救助行為に伴う法的リスクの存在も認識することとなりました。
この体験談は、AEDによる救命活動の重要性と、同時に救助者を法的トラブルから守る制度の必要性を提起しています。また、AEDの使用手順や必要性について、社会全体での理解を深める必要性も指摘しています。
「AEDによる人命救助と、その後の予期せぬ展開」
ある平凡な夕方、会社帰りの私は駅前で突然倒れた女性を目撃しました。救命講習で学んだ通り、すぐさま近くの公衆トイレに設置されていたAEDを取りに走り、女性の救助に向かいました。周囲の人々も見守る中、AEDを使用して応急処置を行い、救急隊が到着するまでの間、女性の命をつなぐことができました。
しかし、数日後、思いもよらない展開が待っていました。警察から呼び出しを受け、救助した女性から「不必要に胸を触られた」「身体を晒された」という訴えが起こされたのです。AEDの使用には上半身を露出させる必要があり、私はそれを最小限に抑えるよう努めていましたが、意識を失っていた女性には、その状況が十分に伝わっていなかったようでした。
警察での事情聴取、弁護士を通じたやり取りなど、精神的に辛い期間が続きましたが、最終的に裁判所は私の行為が「緊急対応として必要不可欠」だったと認め、無事に解決に至りました。女性からは代理人を通じて感謝の言葉も届きました。
この経験から学んだのは、人命救助の重要性と同時に、救助者を守る制度の必要性です。第三者の立会いを確保するなど、できる範囲での配慮も大切ですが、何より社会全体でAEDの必要性について理解を深めることが重要だと感じました。
この出来事があっても、私は迷わずもう一度同じ選択をするでしょう。人の命を救うという尊い行為が、法的リスクへの懸念で躊躇されることのない社会であってほしいと願っています。
街中で突然倒れた人を見かけたら、まず声をかけて反応を確認し、必要に応じて救急車を呼ぶ。そして意識がない、呼吸もないといった状況なら、AEDを使って心肺蘇生を試みる。――これは、学校での救命講習や各種啓発イベントなどで何度となく耳にしてきた基本中の基本だろう。わたしも何度か講習を受けた経験があるし、いざというときに手をこまねいてしまわないよう、頭ではしっかり理解していた。実際、その知識が役に立つと思った瞬間があった。まさか、その行為が原因で後に大きな問題に巻き込まれるとは想像していなかったのだが……。
あの日、わたしは会社帰りに駅前の広場を通り抜けていた。残業続きでクタクタだったとはいえ、そこまで遅い時間ではなかったし、人通りも多かった。目の前で、一人の女性がふらふらと歩いていて、そのままバタリと倒れ込んだのだ。最初は何が起きたのかわからず、周囲の人も「大丈夫ですか!?」と声をあげていた。わたしは少し離れた場所にいたが、一瞬で「AEDが必要かもしれない」と頭をよぎった。
近くに設置されているAEDの場所は、駅前の広場にある公衆トイレの壁に設置されたケースの中だったはずだ。わたしは意を決して走り出した。「AEDを持ってきます!」と周囲の人に声をかけると、誰かが「お願いします!」と呼応してくれた。すぐに赤いボックスを取り出し、倒れた女性のもとへ戻った。
女性は目を閉じ、完全に意識を失っているように見えた。周囲には数人が集まっていたが、どうやらCPR(心肺蘇生法)を施せる人はいないらしく、誰も直接触れることができずに戸惑っていた。わたしはできるだけ落ち着いて「誰か救急車を呼んでください!」と叫び、同時に脈や呼吸の確認を試みた。わたしが医療資格を持っているわけではないが、研修で学んだことを思い出しながら、AEDのパッドを貼る準備をした。
そのとき、女性の服装は薄手のブラウスとスカートだった。AEDを装着するには上半身を露出させなければならない。わたしはできるだけ周囲の視線を遮るように上着を掛けるなどの配慮をしたつもりだった。そしてパッドを貼り、「解析中です」という機械のアナウンスに従いながら、電気ショックが必要と判断されたタイミングでボタンを押した。まるでテキストで習った通りの手順だった。
しばらくすると、女性はうっすらと意識を取り戻し、救急隊員が到着。たしかに緊迫した状況ではあったけれど、結果的にはAEDが功を奏したのか、彼女は命を取り留めたようだった。救急隊員が女性を運び出すとき「応急処置ありがとうございました」と言ってくれたのを覚えている。わたしは内心、ほっと胸を撫でおろしたし、自分がやったことが正しいはずだと信じて疑わなかった。
ところが、それから数日後、衝撃的な出来事が起こった。わたしが会社で仕事をしていると、受付から内線が入り、「警察の方が訪ねて来られています」と呼び出しがあった。慌てて応対に出ると、どうやら先日のAEDの件について話を聞きたいという。救助活動に関して事情聴取をすることがあるのは知っていたから、そのときは「あの日の状況説明かな」と思い、素直に協力するつもりだった。
しかし、警察署で説明を受けて初めて知ったのは、「助けた女性がわたしを訴えようとしている」という事実だ。正直、意味がわからなかった。そのときわたしに与えられた情報では、彼女が主張しているのは「不必要に胸を触られた」「身体を晒されて恥ずかしい思いをした」というものらしかった。わたしはAEDを使用するためにやむを得ず、服をめくり、胸にパッドを貼っただけだ。わいせつな目的などあるはずもない。警察の担当者からは「いまはまだ疑いの段階で、詳しく事情を聞かせてください」と言われ、まるでショックで頭が真っ白になった。
訴えられると言っても、すぐに裁判になるわけではない。まずは警察が事実関係を捜査し、検察に送るかどうかの判断が下される。その流れ自体はニュースなどで聞いたことがあるが、まさか自分が当事者になるなんて思いもしなかった。警察の取り調べは冷静で丁寧だったが、いざ尋問されると「AEDが必要だったんです」と言いながらも、自分がきちんと説明できているのか不安でたまらなかった。どんな些細な言葉尻を捉えられて、好ましくない形で記録されるかわからないからだ。
わたしが行った行為は「緊急避難」「正当行為」という文脈で正当化されるはずだ――多くの人がそう言ってくれた。会社の同僚や友人も「むしろ表彰されるようなことだ」「訴えられるなんて信じられない」と口々に励ましてくれた。それに救急隊員も「早い段階でAEDを使ってもらったことが幸いだった」という言い方をしていた。だからこそ、訴えられること自体が理解しがたいし、憤りすら感じる。
当の女性は、倒れたときの記憶が曖昧なまま搬送され、その後で周囲の人から「胸をはだけられていた」「男性が服を脱がせていた」といった断片的な情報を聞いたのだろう。さらにその“目撃情報”の内容が正しく伝わっていない可能性もある。結果として、「あの人に性的な意図で身体を触られたのかもしれない」という不信感が芽生え、誰かの入れ知恵もあって警察に訴えるという流れになったのではないか……そんな推測をするしかない。本人から直接話を聞ければいいのだが、今は弁護士を通じた対応しかできないとのことだった。
その後、警察での事情聴取は何度か続いた。具体的な手順を改めて説明するたびに、「AEDのパッドを貼るために胸を露出させる必要がある」「女性の場合は下着を外す、またはずらしてパッドを貼ることもある」といった、あまりにデリケートな部分の話を繰り返さなければならなかった。担当の警察官は専門知識を持っていて理解を示してくれたものの、自分自身のことをどこか客観視してしまうというか、いつの間にか「本当にやましい気持ちはなかったのか」と自問してしまう始末だった。わかっているのに、言葉を尽くしても、どこか孤独な気分になる。こういうのが"疑われる側"の心理なのかもしれない。
さらに、女性の代理人からは「意識のない状態で胸を晒されたことに強い精神的苦痛を感じている。損害賠償を検討している」といった内容の通告もあったと聞いた。その文言はわたしの耳に「感謝ではなく金銭を要求する」というふうにしか響かなかったが、本人の主張としては、「意図的に身体を見られたかもしれない」「AEDを使わなくてもよかったのでは」とまで思い込んでいるようなのだ。AEDに関する知識が乏しいまま、自分が倒れていたあいだに行われたことを全て悪意として捉えてしまっている可能性が高い。たしかに医療現場の知識を全く持たない人からすれば、ショックも大きいのかもしれない。でも、それでも納得いかないのが正直なところだった。
わたしとしては誠実に説明し、「あなたが助かって本当に良かった」と伝えたい。しかし、直接連絡を取ることは叶わない。救急隊員や目撃者の証言が集められ、また街頭カメラの映像からも、わたしの行為に「過剰さや悪意はなかった」と証明されるはずだと弁護士には言われている。「AEDが必要のない状況だった」という可能性は極めて低いし、第一、現場の判断としては心停止かもしれない、という最悪の事態に備えるのが当然の行動だ。むしろ何もしなければ、そのまま命を落としていたかもしれない。
結論から言えば、結局は不起訴処分で終わった。それでも、女性の代理人が民事での損害賠償請求を取り下げるまでにはもう少し時間がかかった。最終的には裁判所で「わたしの行為は緊急対応として必要不可欠であったこと」「医学的にもAEDの使用は正当な手段であり、やましい意図がなかったこと」が認められ、相手側も引き下がる形で決着した。長い長い時間と精神的な疲労を強いられたが、無事にわたしの"無実"が確定した形だ。
もしかしたら、「AEDの使用で訴えられたらどうしよう」という話は都市伝説のように囁かれていたのを聞いた人もいるかもしれない。わたし自身、その噂程度には耳にしたことがあるが、実際にそこまで発展するのは極めて稀なケースだろう。しかし、可能性としてはゼロではなかったのだ。女性本人のショックや、その周囲の偏ったアドバイス、あるいは金銭的な思惑が絡むと、こんなにもおかしな方向へ転がってしまうのかと痛感した。AEDを使うことが推奨されているにもかかわらず、こうした事例が広がると、いざというときに誰も助けようとしなくなるかもしれない。それが一番怖い。
今回の経験を通じて、わたしはあらためて「いざというとき、人を救う行動をとるのは大事」だと思う反面、「誤解やトラブルのリスクもゼロではない」ことを強く意識するようになった。だからといって、それを理由に救命行為をためらうのは本末転倒だし、AEDの普及や救命講習の啓発に逆行する。実際、わたしももう一度同じ状況に遭遇したら、必ず行動に移すだろうと思う。命を守るために必要な行為が「訴えられるかもしれない」と萎縮されるような世の中になってほしくないし、そうならないように、どうにか制度や理解がもっと進むことを願うばかりだ。
いま振り返ると、一番辛かったのは「そういう意図はなかった」ということを何度も何度も説明し、あたかもこちらが加害者であるかのように扱われる時間だった。無罪を勝ち取るとか、問題なく終わるとか、そういう言い方では表せないくらい、人を救おうとした行為を否定される精神的ダメージは大きい。世の中にはやはりいろいろな考え方があるし、誰もが医学的知識を十分に持っているわけではない。だからこそ、「AEDを使うときの手順や必然性、プライバシーへの配慮」について、もっとしっかりと周知される必要があるのだと思う。
最終的に女性とは直接会話をすることはなかったが、代理人を通じて「結果的に命を救っていただいたことを感謝しています」という伝言だけが届いた。それが真に彼女の本心なのか、あるいは形だけの言葉なのか、わたしには判断できない。だけど少なくとも、彼女が健康を取り戻したという事実そのものは素直に喜びたい。誰かの命を救う可能性があるAEDの存在意義は、決して否定されるべきではないからだ。
この一連の出来事は、わたしにとって大きな教訓になった。AEDの使い方や救命措置の手順を頭に叩き込むのは大切だが、それだけでなく、助ける側も「法的トラブルのリスク」を認識し、適切な配慮をしたうえで行動する必要がある。現場ではなかなか難しい話とはいえ、できる限り第三者の協力や証人を確保する、周囲の目がある場所で行う、といった工夫も大事なのかもしれない。救助者の立場を守るための仕組みも、行政や社会全体で整備されてほしいと切に願う。
結局のところ、人を助ける行為は尊いが、そこに伴うリスクを完全に排除することは難しい。それでも、誰かが命の危険にさらされているなら、迷わず手を差し伸べる世界であってほしい。わたし自身も今回の苦い経験に折れることなく、次に同じ状況が起きたら、やはり躊躇なくAEDを使うだろう。命を救うために必要な行為を、社会として後押しできるような意識とルール作り――それが進んでいくことを強く願っている。
足腰を鍛えたいけれどジョギングだと膝が心配なので散歩がよさそうな気がする。
しかし家を出て目的地もなくただぐるっと歩き回って帰ってくるのの何が楽しいのかよくわからない。
散歩が趣味の人は歩いている間なにを見て楽しんでいるのか教えてほしい。
めちゃめちゃ伸びてる!ご意見、アイデアたくさんありがとうございます。
行く必要のない場所へ行く機会があると、「こここんな道があったんだ」「こんなスポットがあったんだ」的な発見があっていいですよね。一時期ポケモンGOで遊んでいて(ただし移動は自転車や車)これが弊害になって発見は自宅のわりと広範囲ですでに済ませてしまっているのですね。しまったなあ。全部忘れてやり直したい。
約2キロ先の駅前で買い物をするのによく乗ってます。帰りは荷物で重くもなる。ただ自転車だと足腰を鍛える負荷が低いと感じます。特にこのあたりは平坦な地形なので、タラタラこいでいれば前に進んでしまう。冷凍食品やアイスをよく買うので、駅前での買い物を徒歩にするのは抵抗があります。
飼えたらいいんですがペット禁止なので残念ながら。いつか飼いたい。
自転車だとイヤホンは禁止になりましたが、歩くときならこういうのもいいかも。「高橋源一郎の飛ぶ教室」はふだん湯船で聞いています。ラジオ深夜便もよさそう。
足腰を鍛えるという最初の目的を考えれば理想ですね。しまう場所さえあれば。
風呂場でシャワーの前に30分とか、イヤホンでなにか聞きながら足踏みをするのが自分には最適な気がしてきました。真夏でもできて、汗をかけばそのままシャワーを浴びられるし。結局散歩じゃないんか~い!👆💦
11月に尾道にいったらあまりに良かったので、あまり間を置かず、年始にまた行ってきた
四国から行ってるので、旅はしまなみ海道を渡るところから始まる 旅っつうか、片道一時間なので全然旅ではないんだけど、しかし、精神的には旅みたいなもんですよ なんせ良いところだ
しまなみ海道を渡りきったら車を港湾駐車場に停める 港湾駐車場はおそらく尾道でも屈指のでかさの公営駐車場で、屋上(2階)から尾道水道が見えるのがうれしい
まあ尾道水道は尾道にいればガンガン目に入るんだけど、スタート地点からもう見えてる!っていうのはひとつ大事な要素だと思う
尾道観光に来たのだからラーメンを食べずに帰るわけにはいかないので、港湾駐車場から歩いてラーメン屋の多い方向に向かう その方向には駅がある
駅前にはまさに広場という感じの広場があり、カッコいいでかいロータリーがあり、尾道水道の前は一面ウッドデッキで、ベンチなんかも結構設置されていて、とにかくイイ 適切に運営されている観光地だと感じる 気概を感じる
前に来たとき、ロープウェイでその山に登って展望台から尾道を一望したため、俺は逆に下界からもPEAKをハッキリと認識することができた
おそらく、PEAKにいる人間にとって下界はすべて「景色」でしかなく、そこから逆に覗き返されているとはつゆほども思っていまいと思う
だが俺は見ている 実際、見ていた
見ているぞPEAK、と言う
(俺はPEAKが好きなのか?)
ついたのが丁度昼どきで、年始休みなので、文字どおり全てのラーメン屋に行列ができていた
行列があるってことはあそこにラーメン屋があるんだな、という推測すら成り立った
行列のないラーメン屋はないかなあ、などと言いながら、本通り商店街とよばれるアーケードを歩く
本通り商店街はかなり栄えていて、普段はシャッターの降りた店がほとんどない 今回は三が日だったのでさすがにそれなりにシャッターを見たが、そのほとんどに年始の挨拶文やちょっとした正月飾りが貼られていて、かえって賀正の素敵な雰囲気が醸し出されていた
それならば、ということで、逆に人気店に行くことにする どこに行ってもそう変わらなそうだから
前回行った人気店(まるぼし)の横の人気店(牛ちゃん)に向かった
店の近くにチーズケーキ屋があって、彼女が寄ろうという 寄ってチーズケーキをふたきれ買った
前回行ったまるぼし側の行列っぷりは常軌を逸していて、おそらく一時間以上待つことになるだろう長さだった ややビビりながら、牛ちゃんの列に並んだ まるぼしサイドの列に比べればかわいらしい行列だが、30分は待ちそうだ 尾道ラーメン、恐ろしい
その行列に並んだところで、彼女がチーズケーキを食べようと言う メシを食う前にチーズケーキを?と一瞬思うが、並びながら食べるつもりで買ったんよ、と言う姿がかわいい
並びながら食べることにする おそらく皿の上でナイフとフォークなんかを使って上品に食べられることが想定された、上質なチーズケーキだった 素手で空中で食った 美味
そして実際30分くらい並んで、ラーメンにありつく
うまかった
尾道ラーメン、食べた瞬間の爆発力みたいなものはそこまでないが、しみじみとうまいというか、ずっとうまい感じがする 飽きにくい
牛ちゃんの尾道ラーメンは、焼肉屋でもあるという店の特徴を反映してか、脂の甘みを強く感じた
駅前のさくらホテルに泊まるのは前回に続いて二回目なので、勝手知ったるものだ 残念ながら前回に続いて低層階だったが、全室シービューで、低層であることでかえって近くに尾道水道が見えた ということにしておこう
宿を出て山に登ろうかとも思ったが、前回登ったからまあいいか、ということで、部屋でくつろぐことにする
前に行ってよかった居酒屋にまた行く というか、この店が年始にもやっていることがわかったから尾道に来た、という因果ですらあった
出汁と酢をフィーチャーした豆皿料理の店、というのがコンセプトで、そのコンセプトから期待されるものを完璧に満たしてくれる店だ
出汁や酢の効いたいい感じにシブい料理がちょっとずつ出てきて、日本酒なんかを飲んだりして、いい気分になる しかし純和食というわけではなく、チキン南蛮とか魚のフライなんかもあって、適度にカジュアル
また出汁サワーという謎のサワーがあり、これはサワーに出汁と昆布と煮干しが入っているというイロモノっぽいものなんだが、なぜか妙にうまい
しかもこう、探し出す必要のないうまさというか、「よく味わったら実はうまい」とかじゃなくて、ひと口目からストレートにあっこれうめえ!ってなる
わりといいお値段がするが、いい店だ……
酒に酔った彼女がゆっくり歩くので、背中を押して歩くスピードを上げてもらう 人間を押して移動させるのは、ミニゲームみたいでちょっと面白い
ホテルの前の海岸通りの街路樹にイルミネーションが飾られていて、しかも結構気合が入っているというか、単色なんだけど密度が高かった
揚げたてのがんもどきをメインにした朝食を出している小さい店があるということで、心惹かれたので行った
7時半からやっているが、ついたのは8時 全然早朝ではない時間だ
でも気分は早朝だった 冬の朝に早起きして、ちょっといい感じの朝食を食べに出るという気分だった
店はかなり良かった
店内ではストーブの上で鍋に入ったおでんが温められていて、雰囲気が非常によろしかった
揚げたてのがんもどきはうまい 通常のがんもどきとはまったく別で、食感としてはもうクリームコロッケとかの方が近いくらいに柔らかく、いい味だった
店主さんの前に置かれたケースに揚げる前のがんもどきのタネが大量に入っていて、食事を終えてそのケースをふと見ると、大量のタネがすべてだんご状に丸められていて、その感じもよかった
帰り道、尾道駅の裏手を歩いていると、具体的な内容は忘れてしまったが、地元の学校の放送部によって録音された、「自転車には鍵をかけよう」とか、「ヘルメットを被ろう」とか、そういう内容の録音が聞こえてきた
結局そういうのがいちばんグッとくるんだよな
踏切が開くのを待っていたら、近くにネコがいたので、観光地だから人慣れしているだろうと思って近づいたら、迷惑そうな顔をして逃げていった
結局そういうのがいちばんグッとくるんだよな
朝の本通り商店街は多くの店がまだ開いてなかったが、パン屋航路はやっていた
尾道にゆかりがあるらしい(読んだことない)小説「暗夜行路」から名前をとっているらしいと聞いて、かなり好感度が上がった店だ
店内はかなり狭いが、並べられたパンはかなり多く、キッシュ・フォカッチャ・ベーグル・クロワッサンと、各カテゴリ取り揃えられていた
いくつか買って帰る いい感じのパン屋で買ったいいパンを所持していることは、精神にいい影響を与える
尾道水道を挟んだ向かいにあるのが向島だ 直線距離だと200メートルもなさそうな感じで、すごく近い
渡し船が何航路かあるというので、一番近い乗り場に行く 時刻表なんかは無くて、10分くらいの間隔で運行しているらしい
運賃はなんと60円 本当に60円で、なんやかんやオプションで結局320円くらいになったりもしなかった
パッファーフィッシュ、フグをロゴにしているその店はパッファーといい、本場イタリアっぽいフォカッチャや本場イタリアっぽいケーキを売っていた かなりイタリアっぽい空間だった 向島、やるなと思った
してオリーブオイルをつけて食べることで真髄が発揮され、抜群にうまかった)
パッファーのあるあたりは、道がひらけていて、店が並んでいて、何というか妙に「駅前」っぽい
駅がないと分かっていても駅をつい探してしまう 駅がないことが直感的に受け入れられず、ちょっと不安になる そんな場所だった
あと、近くに「悶舌飯店 MONSITER HUNTEN」という中華料理屋があって、全体として、やるなあ向島!と思った
「ぶちうま」というポップが目を惹いた
広島みやげの菓子の袋に「ぶちうまいけぇ」と書いてあるのを見て、ハイハイ、どうせこれは観光客向けの接待方言なんでしょう、こんな分かりやすいもんじゃねえですよね方言は!なんて思っていたが、もしかしてマジで言うのか?「ぶちうま」って……
惣菜やパンが充実しており近所にあれば通うだろうスーパーだった
向島からまた渡し船に乗り、尾道に戻って、昼飯を食って帰った 駐車場の向かいにあったイタリアン、ポルタ・ディ・マーレなんてカッコいい名前のところで、ここもサラッとレベルの高いメシが食える感じで大変よかった ランチセットが1400円くらいなんだけど、食後のデザートでアールグレイ風味のパンナコッタが紅茶とともに出てきて、味も非常にいい感じで、パンナコッタと紅茶のセットって喫茶店で食ったらかなり安くても600円くらいはするよな、と思うと、じゃあガチのイタリアンのカルパッチョ風サラダ+本格パスタで800円程度ってことなのか?ということになり、メチャクチャ安かった気がしてくる
イタ飯を食い、満足したところでひきあげることにする
パン屋のパン、フォカッチェリアのフォカッチャ、プリン屋のプリン、土産が大量にあるので、寂しさよりも楽しみの方が勝つ 総合的に見て、かなりいい体験だった
たぶん今年中にもう一回くらい行くんじゃないかな
いいですよ尾道
前に行った山方面もかなりよかったし、ゲストハウス・旅人文化みたいな部分も素敵だと思う
メチャクチャいいと思う
かかりつけ薬剤師みたいな制度ができて、まあ収益底上げのためにやってるわけだけど、3回に2回は薬局行ってもかかりつけは不在で別の人が出てくるし、これで金取るのかよっていうのはあるよね。薬局が駅前に5件あっても混んでるし効率は明らかに悪い。デジタル庁ががんばるところやね
(追記2)
「せっかくだから記事を探していた理由を教えてよ」ということでしたので、簡単に。
最近自分でも写真を撮影するようになり、様々なジャンルの写真に触れていました。
最初は世界観をバッチリ作り込んだ「作品」のようなものを好んで鑑賞し、自分も真似をしようとしていたのですが、
次第に、日常を自分が見た視点で淡々と記録し振り返ることの良さに惹かれるようになりました。
その中で以前見たこのブログの記事を思い出し、もう一度見たい、と思ったのですが、見つからず……
かなり検索などでdigりましたが全然ヒットせず。noteだと思い込んでいたので当然ですね。
背景に主役となるような人がいなくて、散歩の途中に立ち止まって撮ったんだな、というのが伝わってきます。
「よくわからない段差。この段差をおれは登ったり降りたりして歩いた。この段差はおれの人生にとってかけがえのないものだが、あったとしてもなかったとしてもべつにそれほど違いはなかっただろう。」
本当にこの通りで、あったとしてもなかったとしても、いきなり今の生活が変わったりすることはないんですよね。
でもそれを振り返って特別な思いに浸ることで少し元気になる。自分もそういう写真を撮っていきたいなと思いました。
(追記)
早速ブコメいただき解決しました。本当にありがとうございます。URL貼らせていただきます
https://goldhead.hatenablog.com/entry/2024/02/03/220058
全然記憶と違いました。見つかって本当に嬉しいです。ありがとうございました。
(追記ここまで)
2024年の5月からサービスインしたJREバンクは口座に預けた金額と、ビューカード支払い指定、給与受け取り指定などでJR東日本の運輸系特典がもらえるという大盤振る舞いで話題となった。
一旦口座に50万入れて半年経ったのち、手元には3月末までのどこでもビューンの割引サービスと、9000ptあまりのJREポイントがあって、年末年始休暇が9連休だったこともあって、1発ガチャを回してみた。
結果、行き先は新潟となり、年末27日から12年ぶりの新潟を訪れることとなった。
二泊三日でホテルを取ったものの、いい歳した独り身が新潟で二泊も何をすればいいのか、長すぎるのではと思ったが、有識者に話を聞いた結果、長岡市に手書きの味のある看板を乱立させている松田ペットというペットのトリミングショップがあるらしく、長岡で途中下車したのち、これを1番目の目的地として、弥彦に向かって神社を参拝し、その後新潟市に向かうことにした。
12年前も冬だったが、当時、新潟自体あまり調べずに行ったため、今回新潟市は近隣と比べてあまり雪が降らないこと、新幹線の駅で2つしか違わない長岡は降雪量が多く気温も低いことなどこの歳で初めて知ることになった。
事前に滑らないようにスノーブーツを買ったのだが、これがあまり良くない靴で、実際1日目に足に豆を作ってしまい、旅行の間中足の痛みに悩まされたのは少し残念。
年末の長岡はというと、街には雪が舞っており、とはいえ北海道ほど気温は低くないので、コートに雪がつくのを任せていると溶けて濡れてしまう。
長岡の人は雪でも傘をさしていて、自分もウオロクで傘を買い求めた。
降り頻る雪の中、ロードサイトに突如現れる松田ペットで、人間用お土産の瓦せんべいを買い求め、似たような構図だけど描かれている犬の顔が手書きゆえ微妙に違う看板をスマホカメラで収めて、長岡駅に戻る。
長岡は放水孔から常に出る水が道路の雪を溶かしており、信濃川を渡す橋から排水が小さな滝になって冬の河に注がれていた。
ここにある彌彦神社では、火の石、通帳「重軽の石」というのがあり、2つの石のうち、一つを選んで願い事を念じながら持ち上げ、その後もう一方を持ち上げた時に「重い」と感じれば願い事は叶わず、「軽い」と感じれば叶うという。
やってみようとすると、韓国から来た家族が物珍しそうに石をぐるぐる回りながら見物していて、石を持ち上げようとした時にもおじさんが周りを歩き回っていて、変な空気になってしまった。
重さはどうかというと、しっかり腰で持ち上げるつもりだったため、上がった瞬間はヒョイっと上がったが、「上がらない重さじゃ全然ないけど、しっかりあるな」という、なんとなく玉虫色の感想ではあった。
弥彦には温泉があるというので入って行こうと思ったが、お目当ての温泉宿は残り30分しか入浴時間がないとのことで、旅館の方に同じ湯が出るという弥彦館 冥加屋を勧められた。
味のありすぎる建物に入ってみると、年末で客はほとんどいないらしく、耳の遠いおかみさんがロビーで一人テレビを見ていた。
館内の電気も大体は消えており、脱衣所も電気も自分でつけるという、全体的に「大丈夫なんか」感はあったが、窓の外に雪の弥彦山を見て、自分はというと湯船の脇に林立するたぬきの置物に見られながら温泉に浸かるという「普通めがけて来ることはないだろうな」といった意味での貴重な体験をすることができた。
天領杯、弥彦・極、雪男、イットキーと試し、天領杯が一番バランスがいいなと思った。
皆さんも新潟に行き利酒をしたことがあるなら、おすすめを教えて欲しい。
さて、1日目でホテルのキーを早速紛失してしまい、小さくがっかりしながら目覚めた2日目だが、それはそれとして、駅前のグローバルビュー新潟の朝食は素晴らしく、新潟の食のレベルの高さを感じた。
というわけで、軽く新潟駅前を見たのち、万代シティで万代そばのカレーを食う。
絶賛ばかりのネットの噂は盛りすぎで、過度な期待をせずに食べればという感じだが、黄色くてマイルドそうな見た目に反して結構辛かったのと、590円の割にはしっかりとした量があり、まあまあいい経験なので、来たらまた食べると思う。
バスで白山神社と日本家屋・燕喜館を見たのちに、マリンピア日本海へ。
9連休とあって、親子連れも多く、年末の日本海を背景にイルカショーを見たり、低いサイレンのような唸り声を上げるペンギンの群れを見たり、低い声でめっちゃ喋るトドを見たりし、冬の曇り空の下で「イルカはショーの進行を理解してるのだろうか」とぼんやり考えた。
夕食はタレカツ。
揚げ物が3枚乗っかった丼は見た目こそヘビーだが、ヒレなのか柔らか、タレも上品な甘辛味で、パクパク頂けた。
これはお勧めしたい。
紛失したカードキーは結局見つからず、少しや宿代に上乗せしてチェックアウトした3日目。
秋葉温泉は駅こそ単線のローカル線沿いになのだが、駅から5分もせずに入り口というすごい立地で、温泉施設も充実しており「これなら時刻表を調べたらすぐに電車ににれるし、全然いいなー」と思ったら、雪の降り頻る中、沿線で倒木があり、一時運転見合わせで駅の待合室で待ちぼうけという味のある展開となった。
まあなんというかこれくらいのハプニングが起こらないとあまり平和でも張り合いがない。
新潟は米菓の消費量で2位以下を10倍近く引き離して圧倒的1位のせんべい県なわけだが、それを象徴するように確固たる「贈答用せんべい」のカテゴリがあり、その代表格である瑞花でおかきミックスを買う。
また、以前来た時に何気なく買ってうまさに驚いた、あんこクリームを挟んだ蒸しどら焼き、河川蒸気も買い求め、自分用には蕎麦と柿の種のラー油漬けを買った。
バカうけと万代太鼓は惜しくも選に漏れたが、印象として新潟のお土産は全国でもかなり強い印象を受けた。
足が痛かったり、キーを紛失したり、長岡の雪が冷たかったりした年末の新潟だったけど、思い返すと不思議と結構良い印象が浮かんでくる。
もう一回どこビュンガチャを回す時はさすがに別のところを選ぶだろうけど、またそのうち行くかもしれない。
年も明けました。
まあまあ、増田はんの母校がアニメの舞台になったとは、なんとも珍しい話どすなぁ。「負けヒロインが多すぎる!」なんてタイトルで、さぞかしユニークなことなんでしょうけど、実際のところ、青春ラブコメなんて学校が舞台やと現実とは程遠いことばっかりどすぇ。時習館高校がドラマの舞台になるなんて、きっと誰も予想してへんかったことでしょう。
揚げ足を取るつもりはおへんけど、リボンが4つも付いてるセーラー服なんて、まるで夢の国の話みたいどすやろ?それにしても、実際の学校の制服が可愛ないって…時習館のもんどすなぁ。
PVで緑が多いとか、屋上があるとか、ほんでキャラクターがロマンチックに振る舞うとか、そんなん実際にはどこにもあらしまへん。増田はんの学校での青春、実際には遠いところに感じてしまうことやろ?まあまあ、リアルな高校生活の思い出が一番どすぇ。
部活や周りの環境もな、現実はしゃべるに値せんとこも多いもんどすよねぇ。特に飲食店なんか京都みたいに選び放題とは違うて、駅前を歩いても寂しさしか感じへんやろなぁ。けど、そんなローカルな店があって、そこが重宝されてるってのも、まぁ時習館のええとこかもしれへんなぁ。
どんな形であれ、母校が話題になるのは興味深いことどすが、現実とフィクションは別物やし、ほどほどに嘲笑しながら楽しめるとええおこな。増田はんも、こんなアニメが舞台になった以上、きっと違う感慨深い思いがあることやろうけど、心の中で応援してるでぇ。
夜の帳(とばり)がすっかり落ちた頃、私は駅前の小さなコンビニでのアルバイトを終え、自宅へ向かっていた。帰り道は商店街の明かりが消えかけていて、平日の遅い時間ともなれば、人通りはほとんどない。いつもは自転車で帰るのだが、その日はパンクをしてしまい、修理に出していた。仕方なく、徒歩で家までの十五分ほどの道のりを歩いていたのだ。
肌寒い季節だったので、ロングコートの襟を立てて、鞄をぎゅっと抱え込みながら足早に歩く。家に帰り着くまではできるだけ人通りのある道を選びたかったが、少しでも早く帰りたい気持ちに押され、結局、人影の薄い路地をまっすぐ抜けるルートを選んでしまった。
いつもなら、行き交う車のエンジン音や、住宅街から漏れるテレビの音などが微かに耳に入り、寂しさを感じることはあまりない。しかし、その日は異様なくらい静かだった。遠くで犬が吠える声が聞こえるだけで、風の音までもが不気味な空気をまとっているように感じた。誰もいない細い路地の曲がり角を一つ二つとやり過ごすたびに、「早く家に帰りたい」という焦燥感が大きくなっていく。
気を紛らわせるために、スマートフォンの音楽アプリを立ち上げ、イヤホンを片耳だけ挿して好きな曲をかけた。両耳をふさいでしまうと、周囲の音に気づきにくくなるからだ。曲のテンポに合わせて自然に足が速まる。もう少し、もう少しで家に着く。そう言い聞かせながら、早足で歩いていたとき、後ろで何かが動く気配を感じた。
ふと振り返ると、数メートルほど離れた場所に男性が立っている。暗がりの中で顔ははっきり見えないが、背丈は私よりずっと大きそうだ。すぐに「気のせいだ」とは思えない空気を感じた。そもそも、こんな人気のない路地で他の人間と出くわすこと自体が珍しい。偶然かもしれない――そう考えようとしたが、私の心臓は警鐘を鳴らすようにドクドクと早打ちになっていた。
それとなく歩調をゆるめ、相手の出方をうかがう。すると、その男性も少し速度を落としたのか、距離は変わらない。むしろ私が歩みを早めると、相手も同じように早めるように感じる。意識していなくても、肌で分かる危険な気配。誰かに見張られている、狙われている、そんな恐怖が一気に押し寄せてきた。
「まずい」
そう思ったときには、すぐ先の角を曲がればもう大通りに出る、という場所まで来ていた。そこまで行けば交番があるし、タクシーや人の往来もまだ期待できる。あと少し、もう本当にあと数十メートルでいい。私は心の中で「走るか?」と自問自答した。しかし、走り出したら相手を刺激してしまうかもしれない。とはいえ、歩いていても追いつかれるかもしれない。迷う時間が惜しくて、私は思い切って走り出すことにした。
――ダッ!
小走りから全速力へと加速する。鞄の中身が揺れて大きな音を立てた。かけていたイヤホンが外れて地面に落ちるのが見えたが、拾っている暇などない。そのまま先の角を目指して駆け出す。息が切れそうになるのをこらえ、足だけを動かす。
しかし、その瞬間。後ろから荒い息遣いとともに、男が一気に距離を詰めてくる気配を感じた。やはり、向こうも走ってきたのだ。強く握られた手が私の腕を掴んだ。ほとんど反射的に「やめて!」と叫んだが、男の力は予想以上に強く、私は足を止めざるを得なかった。
低く、威圧的な声が耳元で響く。振り返りたいが、後ろから片腕をつかまれているので体の自由がきかない。心臓が喉元まで飛び出そうなくらいバクバクしている。必死に振りほどこうとするが、男の手はびくともしない。恐怖で声が裏返るのを感じながら、「離して! 離してよ!」と喚く。だが、返事はなかった。
男はそのまま私を路地の脇へと強引に引きずった。そこは街灯の光が届かない、しかも建物の影になってさらに薄暗い場所だった。人気がないどころか、道路から少し奥に入った死角である。もし声を上げたとしても、夜遅くのこの時間では誰かが助けに来てくれる確率は低いだろう。そう思うと、恐怖が身体を凍らせていく。私の声はかすれて出なくなり、必死にもがいているうちに、上着の裾が乱れはじめた。
「やだ……やめて……」
悲鳴でも、叫び声でもない、か細い声しか出てこない。パニックで頭の中が真っ白になりかけたとき、ふと携帯していた鍵の束の存在を思い出した。家の鍵やらロッカーの鍵やらを一緒にしているので、そこそこじゃらじゃらとした塊になっている。普段は気にならなかったその束が、今は唯一手元にある、反撃できるかもしれない「道具」に思えた。
必死に腕を振り回し、何とか鍵束を握っている手を男の顔の方へ向けるように動かす。私の動きに気づいたのか、「大人しくしろ!」という男の声が響いたが、ちょうどその隙に、鍵束が男の頬か耳あたりに当たったようだった。けたたましい金属音が空気を裂き、男は「くそっ」という小さな声を上げて、一瞬だけ腕の力を緩めた。
その一瞬を逃さずに、私は思い切り男の腕を振りほどき、かろうじて身体を路地の奥から引き離すことができた。男の様子を確認する余裕などなく、再び全速力で走り始める。うしろからは「待て!」という怒号が聞こえたが、私はただ必死に足を動かした。角を曲がり、大通りへ抜けたときには、涙と汗で顔がぐしゃぐしゃになっていた。
――そこで、運良く通りかかったタクシーがいたのだ。
私は手を振って必死に合図を送り、タクシーを止めると、そのまま乗り込んだ。運転手さんは暗い表情をした私を見て事情を察したのか、何も聞かずに「どちらへ?」と声をかけてくれた。声がうまく出ず、震える指先でスマートフォンの地図を見せながらなんとか自宅の住所を伝えると、運転手さんは急いで車を発進させてくれた。
後部座席に身を沈めると、ようやく少しずつ自分の呼吸音がはっきりと耳に入ってくる。無意識に肩で呼吸していたようで、胸は痛いし頭もクラクラしていたが、あの男の手から逃れられた安堵感がどっと押し寄せ、思わず涙が溢れ出した。運転手さんはバックミラー越しに私を気遣うように見ていたが、私は「大丈夫です」と言うのが精一杯だった。
やがてタクシーが自宅付近に差し掛かり、私は近くのコンビニで停めてもらった。家の場所を正確に知られるのが少し怖かったのと、いまは誰にも知られずに静かに落ち着きたかったからだ。お金を支払って車を降り、少し歩いて家の扉を開けると、息を潜めるようにして部屋へ上がり込んだ。玄関のドアを閉めると、電気をつけることも忘れ、床に崩れ落ちてしまった。あの男の荒い呼吸やつかまれた腕の感触が、身体からまったく離れていかない。しばらく泣き声も漏れないまま、膝を抱えて身体を震わせていた。
数分、あるいは数十分が経ったのだろうか。ようやく少しだけ気持ちが落ち着き、リビングの電気をつけた。乱れた服を整え、つかまれた腕に手を当てると、ジンジンと鈍い痛みが残っている。腫れあがるほどではないものの、指の形に沿うように赤くなっていて、その場面がまざまざと思い出される。もし私が鍵束に気づかなかったら、もしあのときタクシーが通りかからなかったら――そんな「もし」ばかりが頭を駆け巡り、恐怖と安堵が混ざった涙が再び溢れた。
数日はまともに眠ることができず、外に出るのも怖くて仕方がなかった。アルバイト先のシフトを変えてもらい、夜遅くまで働かなくてもいいように事情を説明した。上司は心配そうに事情を聞いてくれて、できるだけ早い時間に上がれるように配慮してくれたのが救いだった。
また、両親や親しい友人たちに話すかどうか、正直かなり迷った。打ち明けたところで何かが解決するわけではないだろうし、むしろ心配と混乱を広げてしまうかもしれないと思ったからだ。でも、誰にも話さずに抱え込むには、あの夜の恐怖はあまりにも大きかった。結局、私は親友のひとりに泣きながら打ち明けた。すると、彼女は静かに話を聞いて、「言いにくかっただろうけど、話してくれてありがとう」と言ってくれた。誰かに受け止めてもらえたという安心感は、私の中でわずかに残っていた罪悪感や不安を少しだけ和らげてくれた。
それでも、事件として警察に届けるまでには至らなかった。夜の暗がりで相手の顔をはっきり見ていないし、あのとき身につけていた服だって洗濯してしまった。何より私自身が「もうあんな怖い思い出を思い返したくない」という気持ちが強かった。もし仮に警察に相談したとしても、細かい聴取や再現などでまたあのときの状況を克明に語らねばならず、それに耐えられそうにないと感じたのだ。
それからは夜道を歩くことが極度に怖くなり、できるだけ早い時間に帰宅する努力をするようになった。どうしても夜遅くなるときはタクシーかバスを利用し、経費はかかるが背に腹は代えられない。護身用のアラームやスプレーを鞄に入れることも検討した。用心しすぎだと言われるかもしれないが、あの夜の出来事以来、「自分の身は自分で守らなくては」という意識が強くなったのだ。
たまにあの夜のことを思い出し、「もし鍵束を持っていなかったら?」と考えると、背筋が凍る思いがする。あのとき本当に私は“運がよかった”だけかもしれない。逃げられたからこそ今こうして日常に戻れているが、運が悪ければもっとひどい結末になっていたかもしれない。今でも思い出すだけで手が震えるし、暗い路地を一人で歩くのは怖い。だけど、私にできることは同じ被害に遭わないよう、そしてまわりの人たちにも同じ経験をさせないよう、注意し合うことしかない。
ひとつだけ確かなことは、どんなに気をつけていても事件に巻き込まれるときは巻き込まれてしまう、という残酷な現実だ。それでも、周囲に相談したり、準備をしたり、危険を予感したときに思いきって逃げ出すことは、絶対に無駄ではないと思う。私はあの夜、走り出した自分を後悔していない。むしろ、少しでも「おかしい」と思ったら即座に逃げる。それがどれほど大切か痛感している。無事に逃げられたからこそ、今の生活を続けられているのだ。
あの夜を忘れることはできない。身体に直接の傷は残らなかったものの、心には消えない恐怖が刻まれた。それでも、私は前を向いて生きるしかない。時間が経てば、感情は少しずつ癒えるのかもしれない。けれど、私の中にある警戒心は今後もずっと消えないだろう。あんな思いは二度としたくないし、これからは自分を守るためにできることはすべてやっていく。それが、あの夜に“偶然”助かった私だからこそ出せる答えなのだと思う。
千切れかかった薄曇りの空の下、木造の古いアパートの部屋で、川端賢介(かわばた・けんすけ)は頭を抱えていた。狭い部屋の隅には紙くずが散らばり、机の上にはペットボトルとカップ麺の空容器が乱雑に転がっている。アルバイトのシフトを週に四回こなすだけでも精一杯で、残りの日は家に引きこもって何もしない。部屋のカーテンは閉め切られ、部屋の中はやや薄暗い。壁の向こうからは近所の子供が走り回る音や、誰かがテレビを大音量でつけている様子が聞こえてくる。その些細な音ですら、賢介には自分の存在を嘲笑する響きに思えてくる。
かつては夢があった。大学に入った当初は、弁護士になりたいと思ったのだ。しかし理想と現実のギャップにすぐ打ちのめされ、受験勉強も中途半端なまま途中退学。就職活動もうまく行かず、今のアルバイト暮らしをしている。自分が「社会の落ちこぼれ」になってしまったことは認めざるを得ない。一方で、大学時代に同じサークルで出会った女性がいる。彼女の名は比嘉優里子(ひが・ゆりこ)。彼女はサークルの中でもリーダー的存在で、いつも自信に満ち溢れ、まるで何でも手に入れることができるかのようなオーラを放っていた。
優里子は、その明るい性格と優れたコミュニケーション能力を武器に、大企業の総合職に入社し、今や順調にキャリアを積んでいるらしい。SNSを覗くと、華やかなパーティーに参加したり、出張で海外を飛び回ったりしている写真がいくつも投稿されている。彼女の姿を見るたびに、賢介は胸の奥に黒い感情が渦巻くのを感じていた。「なんで俺ばかり……」という思いが、日に日に大きくなっていく。かつてサークルでほんの少し仲良くなった時期があったため、彼女の成功が余計に妬ましく思えた。
そんな折、ひょんなことから賢介は、SNSに投稿された優里子の写真を見て、あることを思い出した。大学2年の頃、サークルの新人歓迎会で二次会のカラオケにみんなが行くときに、なぜか自分だけが「ごめんね、席もう埋まっちゃったみたい」と断られたことがあった。当時は「仕方ないか」と思っていたが、あのとき中心になっていたのが優里子だった。後日、別のメンバーから「あのとき、優里子が“あの人いると空気が重くなるから外していい?”って言ってたよ」と、笑い話のように聞かされた。そのときは、ただ恥ずかしさと悔しさで頭が真っ白になり、「そうなんだ」と笑って流すしかなかった。その記憶が、今になって鮮明に蘇る。
――人の心を踏みにじり、自分の快楽や満足のためだけに周囲を利用している。
――だけど表面上は、誰にでも優しく礼儀正しく接する。だから多くの人が騙される。
自分もその一人だったのかもしれない。無邪気に笑う彼女の姿が、いつの間にか脳裏で黒く塗り替えられていく。嫌悪感と羨望、そして劣等感が入り混じったやるせない感情。それが「復讐」という形で凝縮されていくまで、そう時間はかからなかった。
その日もいつものようにアルバイトのシフトを終え、コンビニで半額弁当と缶チューハイを買って帰宅した賢介は、スマートフォンの画面に映る優里子のSNSを眺めながらひとり考え込んでいた。
「どうやって復讐すればいい……?」
彼女に危害を加えるなど現実的には難しいし、そもそも暴力を振るう勇気すらない。だが、何らかの方法で“彼女から大切なものを奪う”ことができないか。彼女に対して「仕返し」をする手段はないだろうか。
そのとき、ある記事が目に入った。ある企業のSNS炎上に関するニュースだった。社員のプライベートな発言が切り取られ、誹謗中傷が集中して、当事者が退職に追い込まれたという事件。SNSを使えば、世論を簡単に操作できる。もし優里子のスキャンダルを世に広めることができれば……と、賢介は思いついた。
しかし、彼女のスキャンダルなど何も知らない。そもそも本当に「悪いこと」をしている保証もない。しかし、賢介にはひとつだけ心当たりがあった。大学3年の頃、仲の良かった友人から、あの優里子がゼミの教授と不倫関係にあるらしいという噂を聞いたのだ。証拠もない、ただの噂話だった。だがもしそれを“事実”としてでっちあげることができたら……。
その日は深夜まで、賢介はインターネット上での炎上事例やフェイクニュース、SNSの拡散の手法などを徹底的に調べ上げた。何度も缶チューハイを口に運びながら、脳内で“彼女を社会的に抹殺する”シナリオを組み立てていく。いつしか空が白み始め、鳥のさえずりが聞こえるころになってようやく、賢介は“準備”を整える決心をした。
翌週、賢介はまず複数のSNSアカウントを作成した。男でも女でもない、あるいはビジネスマンを装ったり、女性OLを装ったり、学生を装ったりと、プロフィールを細かく設定した。次に、大学時代のサークルやゼミの仲間をフォローし、タイムラインに溶け込めるように少しずつ発言を増やしていった。彼らがシェアしている記事に対してコメントを残したり、ニュースや流行りのトピックに無難な意見を書き込んだり。
一方で、別のSNSでは大学の裏アカウントを探し回った。そこには学生時代のうわさ話や、卒業後の同窓会の噂などが色々と書き込まれていた。優里子のフルネームで検索すれば、過去に撮られた写真や些細な情報が断片的に出てくる。その断片を拾い集め、賢介は少しずつ“フェイクの積み木”を組み上げていった。
そしてタイミングを見計らって、複数のアカウントから「あの優里子って、大学時代に教授と不倫して単位もらってたって噂あったの知ってる?」と囁くように書き込み始めた。直接的な断定は避け、「らしいよ」「誰かが言ってた」「本当かは知らないけど」という曖昧な言い回しで、火種をポツリポツリと落としていく。最初は誰も相手にしなかったが、何度か同じような書き込みが異なるアカウントから行われるうちに、少しずつ噂が広がり始めた。
さらに、賢介は裏アカウントを使って、まるで「元ゼミ生」を名乗る人物が優里子と教授の決定的な写真を持っているかのようにほのめかした。もちろん実際にはそんな写真など存在しない。しかし曖昧な文章で「以前、優里子さんが教授とふたりで深夜に研究室を出てきたところを見た」という“目撃情報”を投稿したり、他のアカウントから「そういえば卒業旅行をキャンセルしてたのは、教授と旅行に行ったとか?」とコメントをつけたりして、複数の証言があるように見せかけるのだ。
噂というのは恐ろしいもので、火種を絶やさない限り、どこかで燃え広がる。次第に、フォローの数が少ない裏アカウントでも、その書き込みを目にした人がリツイートやスクリーンショットで拡散していく。やがては大学のOB・OGグループにも届き、少しずつ「あの優秀な比嘉優里子が、実は……?」という疑惑が生まれていった。
数週間後、賢介は満足感に浸りながら、アパートの部屋でSNSのタイムラインを追っていた。匿名掲示板でも「比嘉優里子は不倫で単位を取った最低女」というスレッドが立ち、心ない言葉が書き連ねられている。その勢いはとどまるところを知らず、“噂が噂を呼ぶ”状態が加速していた。
「ざまあみろ……」
内心でほくそ笑んだ。かつてパーティーでもSNS上でも脚光を浴びていた彼女が、今や不名誉な噂の的になっている。それは賢介にとって、大学時代に味わった屈辱を晴らすささやかな“仕返し”だった。優里子の正義感あふれる投稿に、「説得力ゼロ」「偽善者」「自分のことは棚に上げて」などとコメントがつく様を見て、賢介は自分が強くなったような錯覚を覚える。
しかし、いくら噂が拡散しても、実害がなければ彼女は痛くも痒くもないだろう。気の強い彼女なら、「そんなデマに動じないわ」と宣言し、むしろ毅然と反論するかもしれない。実際、優里子のSNSアカウントはしばらく更新が止まっていたが、新しい投稿が上がったときには、たくさんの応援コメントも寄せられていた。結局、噂に踊らされず彼女を信じるファンも多かったのだ。
「このままじゃ、まだ足りない……」
賢介は次なる一手を考え始める。実害――たとえば、会社での信用や顧客との関係に亀裂が入るように仕向ければ、彼女のキャリアは深刻な痛手を負うだろう。そこまでやるのかと自問しながらも、頭の中には「どうせやるなら徹底的に」という声が沸き上がっていた。
それからというもの、賢介は優里子の会社名を調べ上げ、その会社の名前とともに「以前、不倫スキャンダルが噂されていた社員がいる」という書き込みを、ビジネス系SNSや就職活動系の掲示板に投下した。もちろん優里子の名前は直接出さない。あくまで「ヒント」をばらまき、興味を持った人たちが「調べてみよう」と思うように誘導する。
さらに巧妙なのは、賢介がわざと別の人物を示唆するようなフェイク情報も織り交ぜたことだった。「〇〇商事の女性社員でM・Hという人だ」など、デタラメな名前をいくつか挙げる。その後になって「あれは誤情報らしい。本当は比嘉優里子という社員」という流れを作ることで、最初にあった偽情報が訂正される形になり、逆に“本当の情報”だという信頼感を高めるのだ。
噂はSNSからまとめサイトへ、まとめサイトから大手ニュース風の匿名ブログへと伝播していく。その過程で誇張や憶測が混ざり、いつの間にか「社内不倫で昇進している」「上層部を篭絡した悪女」などと書き立てられていた。もはや当初の大学教授との噂すら混線し、「彼女は昔から男を利用してのし上がってきた」という筋書きまで付け足されている。
賢介はその様子を見届けながら、もはや半ば狂喜に近い感情を抱いていた。自分の言葉が誰かを巻き込み、誰かがそれを信じ、さらに多くの人に伝えている。“弱者”だった自分が、こうして“強者”に打撃を与えられるという実感。それが彼の孤独な心を満たす唯一の悦びになっていた。
やがて、SNS上では優里子を名指しする投稿が急激に増え始める。誹謗中傷のコメントが飛び交い、会社にも問い合わせが相次ぐようになったらしい。それを示すように、優里子の個人アカウントには「会社に電話したけど?」「逃げんなよ」「暴露してやるからな」といった執拗なメッセージが送りつけられていた。賢介は「ここまで来たか」と、どこか他人事のように画面を見つめる。
するとある日、優里子のSNSアカウントが非公開になった。続いて、彼女の友人たちが「優里子が精神的に追い詰められてるらしい」「病院に行った方がいいかもしれない」と心配する投稿をしているのを発見した。ここで初めて、賢介は自分がやっていることの重大さを痛感した。もはや噂を広めるとかいうレベルではなく、ひとりの人生を破壊する行為に手を染めているのだ、と。
しかし同時に、賢介の心の奥には「彼女が苦しんでいる」という事実への暗い快感が芽生えていた。「俺があの強気な彼女を追い詰めているんだ」という優越感が、胸の中をぐつぐつと煮え立たせる。
――俺にだって、これくらいの力があるんだ。
――ずっと惨めだったけど、今は違う。俺の言葉ひとつで、あいつは奈落に落ちていくんだ。
ある晩、賢介がいつものようにネットの反応をチェックしていると、見覚えのある名前を見つけた。大学時代に同じサークルだった友人・小峰だ。小峰はSNS上で「これはさすがに酷い。優里子に直接連絡を取って確認したけど、全部事実無根らしい。彼女は名誉毀損で訴えることを検討している」とコメントしていた。
名誉毀損――訴えられたらどうなるのだろうか。賢介の背筋に冷たいものが走る。自分がやってきたことは当然、罪に問われる可能性がある。しかし同時に、「誰がやったか特定できるはずがない」という妙な自信もあった。複数のアカウントを使い分け、匿名で投稿してきたのだ。しかも、あくまで「らしいよ」とか「噂だよ」と書いたにすぎない。そこまで簡単には追跡できないだろう、と。
しかし、万が一ということもある。さらに、優里子が法的手段に出るとなれば、彼女の上司や会社も本気で調査に乗り出すかもしれない。「疑わしきアカウント」に対して情報開示請求がなされれば、IPアドレスから身元が割り出されることもありうる。
賢介は不安に駆られながらも、嘘だろう、そんなの上手くやり過ごせる――と自分に言い聞かせた。だが、なぜかスマートフォンを握る手が震えた。こんな気持ちは初めてだった。いつもならアルコールを摂取すれば薄れる不安が、今回ばかりは煽られて大きくなるばかりだ。
数日後、小峰から「久しぶりに話したいことがある」というメッセージが来た。学生時代はそこそこ仲が良かったが、卒業後はほとんど交流がなかった相手だ。どうやら、賢介が今どこで何をしているかは、小峰のほうも把握していないらしい。
「このタイミングで俺に連絡してくるってことは、もしかして……」
不安と警戒を抱えつつも、賢介は小峰の誘いに応じ、駅前の喫茶店で会うことにした。平日の昼間だったため、人影はまばらだった。カフェの奥の席につき、ぎこちない様子で向かい合う二人。
小峰は当初、大学時代の思い出話をするふりをしながら、少しずつ近況に話を移していった。どうやら彼は一般企業で働きながら、サークルのOB会などを取りまとめる役をしているらしい。しばらく雑談が続いた後、小峰は急に真顔になって切り出した。
「優里子の件、知ってるか?」
「……ああ、SNSで色々言われてるみたいだな」
「正直、今までもちょっとした誹謗中傷なんかはあったけど、今回のはあまりにも悪質なんだ。で、優里子が精神的に参ってる。裁判も視野に入れて動き始めてるんだよ」
そう言いながら、小峰はじっと賢介の目を見つめる。まるで「お前がやってることだろう?」と問い詰めるように。だが小峰はそれ以上は何も言わず、ただ「何か心当たりはないか?」と探るように続けた。
賢介は動揺を抑えつつ、わざと素っ気なく答えた。
「いや、俺は知らないな。そもそも優里子に昔からいい感情ないし、SNSもほとんど見てないし……。そんな嫌がらせみたいなこと、わざわざやる動機もないよ」
自分で言っていて、嘘臭さを感じた。しかし、小峰はそれ以上深追いしなかった。ただ、「そうか、もし知ってることがあったら教えてほしい。俺は、誤解や嘘で人が傷つくのは嫌だからさ」と言って、曖昧に微笑んだだけだった。
小峰と別れたあと、賢介は駅前のコンコースをぶらぶらと歩きながら、頭の中で考えを巡らせる。小峰がわざわざ自分に接触してきたのは、やはり“犯人”を探っているからではないか。しかし決定的な証拠がなければ、自分を追及することはできないだろう。そう思う一方で、不安は拭えない。
「このまま、俺は逃げられるんだろうか……」
後ろめたさと、復讐を達成するために奔走してきた興奮が入り混じり、心が不安定になっていく。
結局、賢介はその夜からパソコンを開いても、優里子関連の情報収集や書き込みをする気が起きなかった。代わりにアルバイトを休んで酒量が増え、明け方まで起きては昼間に寝るという、ますます不健康な生活に陥っていく。何もかもが嫌になった。自分でも止められないままここまで来てしまったが、“復讐”という言葉は、もはや虚ろに響くだけだった。
するとある日、いつもどおりアパートの狭い部屋にこもって缶ビールをあおっていると、スマートフォンが鳴った。画面には「小峰」の文字。嫌な予感がしたが、出ないわけにもいかない。
「もしもし……」
「俺だ。突然で悪いんだけど、優里子が入院した。心が限界だったらしい。……正直、原因を作った奴が許せない」
小峰の声は怒りで震えていた。賢介は何も言えずに黙り込む。
「でな、俺はこのままじゃ黙ってられないと思うんだ。警察に相談して、サイバー犯罪対策なんかも含めて捜査を依頼しようって話が出てる。会社も動いてるらしいから、情報開示請求なんかも時間の問題だろう」
脳がぐらぐら揺れるような感覚とともに、賢介は息が詰まりそうになった。ついに、もう逃げられなくなる。そう思った瞬間、彼は全身の力が抜けて床にへたり込んだ。
「……そうか」
それだけ呟くと、小峰は最後に低い声で「もし、何か知ってるなら、今のうちにやめておけ」とだけ言って電話を切った。
やめておけ――もう、やり続けること自体が無理だ。もはや罪悪感が勝っていて、賢介はこれ以上フェイクを撒くこともできなかった。だが、今さら何をどうすればいい? 彼女に直接謝って許しを乞う? そんなことをしても彼女はますます憎むだけだろう。
翌朝、賢介は警察からではなく、思いがけない相手から連絡を受けた。なんと、優里子本人からのメッセージだった。非公開になっていたSNSのアカウントから、突然「直接会って話したい」という短文が送られてきたのである。
「……どういうことだ……?」
半信半疑のまま、賢介は指定された場所――大学近くの駅前のカフェへ向かった。指定された時刻は夜の8時過ぎ。混雑する時間帯を外したのか、店内には数組の客しかいない。
席に着いてしばらくすると、店の入口から見覚えのある女性が姿を現した。比嘉優里子――かつてのサークル仲間で、今や“噂”の被害者。その顔には明らかに疲労の色がにじみ、かつての凛とした雰囲気は薄れていた。
「……久しぶり」
少しかすれた声で言う。賢介はどう反応すればいいか分からず、黙って会釈した。二人がテーブルを挟んで向かい合う。彼女は沈黙を破るようにゆっくりと口を開いた。
「私も気づいてた。あの噂、あなたがやってるんじゃないかって」
「……どうして」
「大学のとき、あまり話したことはなかったけど、あなたが私に抱いてた感情は分かってた。私のことをよく思ってなかったのは感じてた。今になって急にこんな悪質な噂が広がって、あのサークル関係の裏アカや書き込みを見ると、文章の癖とか表現が、なんとなくあなたに似てる気がして……。確信まではいかないけど、ね」
賢介は言葉を失った。彼女がここまで鋭く察していたとは思わなかった。冷静に考えれば、自分しか知らないような細かいエピソードが混ざっていたのだから、勘づかれても不思議ではない。
「……申し訳ない」
それ以外、言葉が出てこない。どんな理屈も通用しない。ただ自分が虚勢を張り、彼女を傷つけようと目論んだ事実は消えないのだから。
「一つ聞かせて欲しいの。どうしてここま
キュービックUの若いほうのボーカル「IT'S、automatic♬」
ADSLっぽいな
ぽいじゃん ぽいじゃん
実家に帰省して暇だから映画でも見ようと思って調べたら、未だにシネコンじゃなくて独立映画館しかなくて絶望した。
飲食物いまいちだし、公式サイトで上映時間調べられないし(リンク先に飛ばされる)、席の予約もできないってどういうことだよ?
駐車場もなくてめんどくさいから、イオンかどっかのシネコン作ってくれよ。
悲しい地方都市だよ。
※ もしこの文章を読んで不快な気分になる方がいれば、申し訳ありません。
※音声入力でスマホにメモした内容をChat GPTで直してもらった文章なので、読みづらかったらごめんなさい。
今回の年末年始休暇を利用し、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市と福島県双葉町を訪れた。震災当時、私は日本を離れ海外に滞在しており、テレビの画面越しにその映像を見ていたが、心が恐怖で拒絶しているのか、どこか現実感がなかった。
その後10年近く時間が経ち、ようやくYouTubeで津波の映像を目にする事ができるようになったがやはり実感が湧かず、「一度自分の足で現地を訪れ、体感してみたい」という思いになった。
実際に現地を訪れてみると、写真を見て想像通りの部分と想像を超える部分があった。
陸前高田では、津波で壊れた建物が震災遺構として残されている一方、広大な更地が続く風景が広がっていた。津波によって街全体が流され、人々の生活そのものが根こそぎ奪われた跡を目の当たりにし、普段は優しい海の圧倒的な暴力性に言葉を失った。Google Earthで震災前の衛星写真で家が並んでる所を見た後、何もない広大な更地をみると無力感を強く感じた。正直建物が壊れた学校などの震災遺構を見るよりも何もない広大な更地の方が胸にくるものがあった。
福島県双葉町では、駅前でレンタル自転車を借りて街を少し巡らせていただいた。
震災で崩壊した民家が13年経った今でもそのまま残り、帰宅困難地域の看板がいくつかあった。人がほぼ全くいない街の中で巡回する消防車のカンカンという音が響いており、申し訳ないが正直少し怖さを感じた。
今回訪れて学んだこと
一つ目は津波が来たら迷わず逃げること。家族や他人を助けたい気持ちがあっても、まず自分の命を守ることが最優先。高台に向かって一秒でも早く逃げることが必要。(津波てんでんこという言い伝えがあるらしい)
二つ目は、政府や権力者を盲信しないことである。震災や原発事故が起きた時、政府や権力者が提供する支援は「焼け石に水」レベルにもならないことが多い。双葉町の光景を目にして、以前訪れた満蒙開拓団記念館で聞いたエピソードを思い出した。当時政府の宣伝を信じて満州に移住した人々は、「豊かな土地で楽園のような生活が待っている」という言葉に期待を膨らませた。しかし、実際にはゼロから耕作を始め、他民族の土地を奪って生活せざるを得ず、戦争に敗れた後も男性がシベリアに抑留され、女性は酷い目に遭った。
これは政府に限らず、企業経営者や教育機関のトップなどでもどの組織でも同じかもしれないが、「限られた情報の中でも偉い人の言葉を鵜呑みにせず、自分の五感をフルに使って違和感がないかを確認する」とか、言葉通り「歴史に学ぶ事」が改めて大事だと思った。