はてなキーワード: 二次元とは
グループサウンズのメンバーがこの間お亡くなりになり、残されたメンバーのお悔やみポストに多数のファンのリプがあったが
リアルタイムファンのアカウントをクリックしてみら、BL系含むイケメンのガワを被ったvtuberやバーチャル声優関係のリポストで埋まっていた
ジャニーズ性加害騒動の前からSnowMan以外は売り上げも動員も下降線で雑誌の部数も検索数も激減してたけど
イケメンがわちゃわちゃしてたら二次元でも外国人でもなんでもいいのが露呈したよね
ジークアクスはキャラクターの死が軽い。作品自体が「アムロでなくシャアがガンダムを盗んでたら」というifの二次創作であり、
分岐ややり直しが容易にできるゲーム感覚がベースになっているのもあるし、制作側がアニメのオマージュ・セルフパロディを繰り返して「アニメを模したアニメ」として現実から非常に遠ざかった記号化の極みにいるというのもある。
別に日本の二次元カルチャーを叩きたいのではない。こういうゲーム的だったりマルチバース的な感覚に基づいた作品作りはアメリカのヒーローもののほうが先行しているからだ。
キャラクターの描写も浅い。行間が広い、余白を残してある、といった美化した解釈が難しい「落丁」に近いような雑さ。カットの繋ぎが滑らかでなく、総集編のような粗い繋ぎ目の急展開。
(10話ではマチュのケツカメラからシャリアの壁ドンへの繋ぎが酷いものだった。9話の予告に壁ドン赤面を入れてバズらせることが重要であり、キャラクターの動きを自然にすることには意味がない)
だから短いわりに内容が濃かったと視聴後に感じるのではなく、視聴しながら「詰め込まれている」という感覚を常に覚え続ける。
作品として何が言いたいのかも軸がなく毎話うろうろして繋がっていないし、12話という尺が限られているなかでマチュ娼婦落ちなどの夏コミネタの提供と、SNSバズネタの提供、ガンプラの販促を行わなければならないという、『ノルマ』の存在だけが感じられる。
しかしそれこそがミーハーなオタク中高年男性が今求めている流行りのコンテンツであり、底が浅かろうが楽しければいい、なぜ中高年男性は深みを持っていなければならないのか?という問いにも感じられる。
元ネタが乃木坂で何が悪いのか?アイドルの何が罪なのか?ジャニオタの女子と同じように「若い、ビジュの良い異性のガワ」に中高年男性が喜んでいたとして何が悪いのか?
連想したのはハンチバックである。これは重度身体障害者を主人公とした小説で、主人公の思考・発想などが信じられないほど性格が悪い。ネタバレにならないよう一応詳細は伏せるが、はっきり言って腐っている。怠惰系の屑さではなく、積極的・加害的に腐っている。
しかし障害者の女性は天使のように心が美しいものである、という24時間テレビ的な圧力・幻想・期待に抗って、フィクションの世界では非常に尖った「性格が腐っている」という女性障害者像を打ち出したという点で、高く評価されるべき作品である。これは解放である。
ガンダムジークアクスも、中高年男性への「中身があるべき」という圧力・幻想・期待からの解放につながるのでは。ガノタはリアルロボットものに対して「深みのあるキャラクター描写」であるとか「説得力のある政治描写」があると言い張ってきた。
しかし、ジークアクスには明らかにそのような重さはなく、二次創作・マーベルっぽいマルチバース妄想、女子高生オリキャラ、女子高生がいきなり男の前で下着になったり、目が死んでいる子どもが娼館にいたりするエロ、
バスク・オムがどうたらという旧作同窓会的な大騒ぎ、毒ケーキという雑すぎて二次創作で騒ぐしかないネタ、モブが大量に死んで「大きな爆発のパワーを感じる」という小学生感覚のおかしみ、などなど
ひたすら軽薄でミーハーでバズ的で、オタクのおじさんの文化祭的だ。おじさんだって中身が無くて良いのだ。ゲームのような大量死を面白がって良いのだ。
やりたいことは結局、射精と、つるんで騒ぐことと、ロボットおもちゃ遊びである。子供向けロボットアニメとリアルロボットは違うという主張を必死で行っているグループもいるが、さすがに無理がある。
ガンダムの収益化のコアは、ロボットおもちゃ遊びである。ガンプラが売られているコーナーは玩具のコーナーである。ロボットおもちゃは男児が遊ぶもので、いずれ卒業するものとされていたのを、
一生卒業せずにおじさんになっても遊び続けられるようにして少子高齢化社会に適応したのがガンダムである。
(水星の魔女には外国人に売って市場を広げようとした努力が感じられたが、海外のLGBTQ+活動家が度が過ぎた暴れ方をして複雑な状況になってしまった。ジークアクスには水星の魔女で見たような海外目配せの試みは感じられない。完全に国内の高齢層を向いている)
視聴者がおもちゃから卒業したくないから、ファーストは終わらせてもらえずにZ、ZZと続き、マーベルのようなマルチバースに至った。それが2025年のガンダムである。
中身が何もないことについて、SNSでつるんで騒いでいて良い。エロと露悪という、浪人生が好きそうな内容で一生騒ぎ続け、現実では友達がいない分SNSで集団になって騒ぎ、一歩も成長していないままおもちゃ遊びをしていて良い。
これはおじさんの解放である。ガノタは必死に衒学的に理屈をこね回して深い人間であるふりなどしなくて良い。オリキャラJKのパンツと、乳比べと、おもちゃが好きなだけの軽薄な人間で良いのだ。論理的である必要性もない。
「40歳なのに、ずっとガンダムの話してるの!」これの何が悪いのか?という無条件肯定である。
「ガンダムは普通のアニメと違って深いから良いのだ」こういう言い訳は要らないのだ。深いオタクであるふりをしなくて良い。懐かしいオマージュ早押しクイズと、JKの乳と売春と、ロボットおもちゃだけで良い。
重度女性障害者は天使のような性格をしていなくてはならないという客体化の圧力を振り払い、腐った性格を打ち出したハンチバックに似た、これは「軽薄おじさん」「空っぽおじさん」「無成長おじさん」完全解放の金字塔だ。
そして、その為の努力もしていない俺は、おそらくその中でも下位に属するのでしょう。
「弱者男性」という言葉が流行り出してから、もう一年経ったのでしょうか。今日もXのおすすめ欄は手垢のついた男女対立煽りと二次元イラストを提供し続けてくれています。
俺はボタンを押せば餌がもらえると信じている猿のようにTLを更新し続けます。タチの悪いことに、餌は途切れる心配もありません。こういうのを「感情をハックされる」と言うらしいです。Xに書いてありました。
夜遅くに帰る時、飲み屋街の近くで、よく男と女の連れを目にします。手は大体恋人繋ぎか腰にやっているか。
俺はそれを見て、言い表しようもない悔しさ、焦燥感に駆られます。
その度に、頭の中で、必死に自分がこうでない理由をこねくり回すのです。
あまりにも繰り返したせいで、自分がモテない理由を考えることが得意になりました。
俺は怠け者だから。一人が好きだから。出不精だから。男の友達はいるから。本気を出せば。そのうちいつか。
高校も、卒業して入った職場も男社会で、およそ女性との喋り方など知りません。ましてや肌の色など。
そうなのでしょう。男性向けの自己啓発本は、全てこの二つを如何に手に入れるかという話題に終始しているように思います。
いや、それ以前に、XとYの染色体を持って生まれた以上、本能的に女を手にしたいと思うのです。
一生懸命考えた言い訳の数々は、一人で寝転がる狭いワンルームの中でしか通用しません。職場の先輩は、食事や見た目に気を遣って女の子を取っ替え引っ替えしています。まず見た目に無頓着な俺が女性の気を引ける訳がない。
そんなことは分かっている。それでも、モテるために努力できないのは、ただ俺が怠惰だから。それは、いつか怠惰でなくなる日が来たら、俺だって彼女の一人くらい作れるんだぞというみっともない保身と妄想、言い訳のかき揚げ。猫も食わないでしょう。
インスタのストーリーに上がっている、同期がかわいい彼女とディズニーを満喫している画像を見て、やりどころのない不満を覚えます。それが悔しさなのか、怒りなのか、焦りなのか、よくわかりません。
遊園地の類など、決して好きではないはずなのに。
コミュニケーションが苦手。とかく趣味がないので、会話デッキが成立しないのです。まさか休みの日はだらだらXを見て、時々ニコ動を見つつシコって寝るだけなどとは言えません。旅行が好きですが、鉄道趣味が高じて常人には引かれるルートばかり。これもデッキには入りません。
そのくせ出不精。家でゴロゴロしてる時間だけが唯一人生でじんわりとした幸福感を味わわせてくれます。
俺だって、夏は浴衣の彼女と花火を見にデートしていみたい。秋は温泉旅行に。冬は一つのこたつにでも入ってのんびり。春になったら花見にでも。
全部ソシャゲが叶えてくれました。あるいはその同人誌。もとより手に入らないものなので、安く手に入る代替品で十分酔えるのです。
弱者男性というのは、本来自分の様な人には用いるべきではないのでしょう。世の中には、自分より明確に「弱者」である人がいるのだから。
匿名ダイアリーを読んでいると、つくづく自分の環境は恵まれているのだなと感じます。少なくも衣食住に困ったことはありませんし、精神疾患も患っていません(おそらく)。
俺は、きっと弱者男性ですらない、ただ弱い男。
錯視図形は、私たちの目がとらえた情報が、脳で処理される過程で誤った解釈をされることで生じる「目の錯覚」です。私たちは普段、外界をそのまま見ているつもりでいますが、実際には脳が過去の経験や知識に基づいて情報を補完・推測しているため、そこにズレが生じることがあります。
### 錯視図形の種類
錯視図形には様々な種類がありますが、代表的なものをいくつかご紹介します。
私たちが錯視であることにすぐに気づかないのは、私たちの脳が外界の情報を効率的に処理するための「情報処理の近道」や「無意識の補完」を行っているためです。
1. **情報処理の省略と推測:** 私たちの脳は、常に膨大な視覚情報を取り込んでいます。その全てを詳細に分析していては時間がかかりすぎるため、脳は過去の経験や知識、文脈などに基づいて情報を推測し、不足している部分を補完しようとします。錯視は、この「推測」が現実とズレることで生じます。例えば、ポンゾ錯視では、遠近感の cues (手がかり) に基づいて、遠くにあるように見える線は実際には長いものだと脳が自動的に判断してしまうため、同じ長さの線でも異なって見えてしまうのです。
2. **恒常性(Constancy)の働き:** 私たちの脳には、物の大きさ、形、色などが、見る角度や照明条件が変わっても同じものであると認識しようとする「恒常性」という働きがあります。例えば、離れたところにある自動車も、近くにある自動車も、網膜に映る大きさは異なりますが、脳は同じ大きさの自動車であると認識します。錯視の中には、この恒常性の働きが、図形の文脈によって誤作動を起こすことで生じるものがあります。
3. **視覚の曖昧性の解消:** 私たちの目に映る網膜像は二次元の平面像ですが、脳はそこから三次元の空間を再構築しようとします。このとき、二次元像には複数の三次元解釈が可能である場合があります。脳は最もらしい解釈を選び出すため、例えば不可能図形のように、実際には存在しない形であっても、特定の視点からは立体的に見えてしまうことがあります。これは、脳が二次元の図形を三次元で「あり得る形」として解釈しようとするためです。
4. **脳の神経細胞の特性:** 運動錯視などは、脳の視覚野にある特定の神経細胞の活動パターンや、処理速度の違いによって生じることが示唆されています。例えば、「蛇の回転」のような錯視は、輝度(明るさ)のコントラストが異なる部分の脳内処理速度に差があるため、静止画にもかかわらず、その差が連続的な動きとして知覚されると考えられています。
このように、錯視は私たちの視覚システムが、複雑な外界を効率的かつ合理的に解釈しようとする過程で生じる、一種の「バグ」のようなものです。しかし、それは決して不完全なシステムを意味するのではなく、むしろ外界を迅速かつ適切に認識するための、脳の高度な情報処理能力の表れとも言えるでしょう。私たちは錯視を体験することで、いかに脳が世界を「解釈」しているかを知ることができます。
アラサー腐女子です。確か新卒で働き始めたあたりで刀剣乱舞-ONLINE -がサービス開始しました。
Twitterで流れてくる顔のいい男たちを集めたりカップリングさせたりするため(あとpixivの神二次創作の解像度を上げるため)サーバー解放日にPC前で待機して豊後になんとか滑り込みました。まあハマりました。
来る日も来る日も出陣遠征鍛刀を繰り返し着々と刀帳を埋める日々。嘘です虎徹全然来なかった、チキンな進軍しかしないから(だってケガすると可哀想じゃん)検非違使が全然出てこなくて……。ドロップが源氏に入れ替わった後も兄者が来なくて膝丸がずっといない兄呼んでて可哀想だった……。ちなみに三日月と小狐丸はそんなに執着してなかったうちにとうらぶポケットのキャンペーンかなんかで貰えてラッキーだった。
貞ちゃん実装時はTLが沸いたし大包平のときはもっと爆沸きだった。トレンド上3つぐらい「大包平」「イエスカネヒラ」とかで埋まってたのマジで面白かった。
実物の刀もいっぱい見に行ったし地元にも実装刀の展示があったから、フォロワーに会いに行ったり刀のついでで会いに来てもらったりした。あの時期が一番ネットの知り合いと会ってたと思う。無茶なスケジュールで一人旅もした、行ったことない県に行けてよかった。
刀ステが先だっけ?発表順。情報が流れ始めた時TLでフォロワーたちがなんだかそわそわしていたので演出とか出演俳優とか?は豪華だったっぽい気配だけ感じていた。
それまでにもテニスとかで2.5次元展開が盛んなのは認識してたけど、どハマりしてる自ジャンルがそうなったことはなかったから若干興味はあった、どんなもんかな〜って。
で、キャストのビジュアルが出た。人間が刀剣男士の格好してるやつ。TLもトレンドも沸いてた。公式からのRTで回ってきたから画像見た。
そりゃみなさん人気俳優ですから顔立ちは整っていらっしゃいますよ。イケメンですよ。股下も長めでいらっしゃいますよ。
でもやっぱさ〜〜〜二次元見慣れてるから変なんだって。jpgのこと愛してるから立体の違和感すごいんだって。
これに映画館の10倍ぐらいするたっけーチケット代払うのは……無理!!!物好きのみなさんよろしくお願いします!!!ノットフォーミー!!!
で一回見なかったことにした。
舞台も同様にやっぱり変だな……と思ったのでこれもスルー。てか書いてて思ったんだけど、舞台はともかくミュージカルってなに???なんで歌うの?刀が。歌ってる場合か?歴史修正主義者との戦いに集中してくれ。
TLは沸いてた(2回目)けど、まあ自分がハマってるのはゲーム本体だしな〜と思って全てを無視した。そのうちゲーム内先行応募とかの通知も来てた覚えがあるけど全スルーした。
初報から半年〜1年ぐらいの期間だったと思うけど、やっぱ変だな?とずっと思ってた。
2.5次元展開が……多すぎる!!!なんなら新マップ追加より多い!!!
TLもすごく賑わっている!レポのイラストとか流れてくる!pixivのキャプションにも「※舞台ネタ注意」とか書かれ始めた!知らん!観てない!ごめん!!!
展開が多いから刀剣男士のコスプレをする成人男性の新しい写真が不定期に回ってくる。だからどうして成人男性が無理してショタの短刀の格好をなさるの!?わからない!!!せめて子供を連れてきて!!!変だから!!!
この辺から摂取量が増えたことによる過剰な免疫反応的な感じで2.5次元のすべてが嫌になってきた。なので俳優っぽい人は全員ブロックし始めた。だがそれっぽいアカウントをブロックしてもブロックしても別の俳優のアカウントが雨後の筍のように生えてくる〜〜〜ていうか俳優をブロックするだけだと舞台公式がRTする未捕捉の俳優がフォロワーからのRTなどで回ってくる〜〜〜フォロワーのことは好きでフォローしたけど最近ミュとステの話しかしないよ貴女の本丸の男士の話が聞きたいよ〜〜〜ミュートにすると日常ツイートも見えなくなって心の距離が離れていくよ〜〜〜そして推し(当時この言葉あんまり使われてなかった気がするけどどう言い表してたんだっけ……)がいずれきっと成人男性の変なコスプレとして消費されるの、い、嫌だ〜〜〜〜〜!!!!!
Twitterはオタクとしてのみならずニュースやオタク関係以外のトレンドを拾うのに必須のライフラインと化していた。だが疲れ切った私のクソザコメンタルではもはや刀剣乱舞とは2.5次元の脅威(成人男性によるショタや二次元イケメンの似合わないコスプレ)と密接に関連したホラーコンテンツなのである。
刀剣乱舞のことを考えると……つらい!
悲しみのうちにこんちゃんを1000件のブロックの末席に加え私は本丸を棄てた。嘘ですDMMアカウントは消しませんでした。貧乏性なので。
当たり前だがこの10年、いやもっとか、2.5次元コンテンツは隆盛を極めている。めでたいことです。
救いを求め友達の勧めで履修した移動先のジャンルもあっという間にミュージカルを始めた。なんなら刀剣乱舞よりコンテンツ規模が小さいから俳優の皆さんがなんかこう、もっと素朴なお顔をされていた。リアルで会ったらかっこいいんだろうけども。
俳優だとかステージメディアだとかのブロック数は今メインアカウントの設定欄確認したら3000を超えていた、と思ったけど多分ここには『2.5次元舞台関係に好意的な発言をしたFF内外一般オタクアカウント』も多めに含まれているはずだ。狂いの最盛期はそれぐらい見境なくブロックしてた。
2.5次元が本当に憎かった。今は単に嫌いなだけだけど、ピーク時は確かに憎しみを抱いていた。
私はjpgを愛してオタクをやっているのにどうしてわざわざ三次元の人間に再現させようとするの?無理なのに。作画が全然違うのに。
2.5次元を推すフォロワーたちが俳優の人をキャラ名で呼んで喜んでるのも全然わからなかった。あなたたち画面に映っているイケメンと残念コスプレ成人男性を同じ存在として扱ってそれで、最初に愛した元のキャラクターに失礼だと思わないんですか?
あと俳優の方がやってる、自認をキャラクターにして写真あげたりするなりきりムーブがま〜〜〜〜〜じで許せなかった。懺悔ですが有害コンテンツとして通報したことあります。キモすぎて。どうせ届かなかっただろうからイカレ野郎のキモムーブだと思って許して!
思い返せば本当に気持ち悪かったですね、憎しみが極まっていた時期の自分。今はここまで攻撃性ないと思います。年取って体力なくなったし。静かにブロックしてるだけです。
話が散らかってきたのでもうオチに持って行かせてもらうと刀剣乱舞は再開しています!今は一生懸命鍵集めてる。宝物庫にまだ持ってない男士入ってるんだよなあ、課金していいかなあ。
再開のきっかけは百振配布キャンペーンです。ここまで読んだ人何人いるかわかんないけど全員審神者だろうからご存じかとは思いますが、年末年始?あたりにログインするだけで刀剣男士百振(キャラクター百体)もらえるキャンペーンやってたんですね。
貧乏性の血が疼きました。往時に比べたら疎遠になったけどジャンル移動しても付き合ってくれてるフォロワーの推しや、TLを駆け抜けていった好みの男士や、歴女()やってた時の推し武将の佩刀、真面目にやってた頃お世話になった近侍の兄弟刀などなどが……ログインするだけで……!?いいんですか……!?
しちゃった(ログイン)そのままずるずるとプレイ再開して今に至る(雲次は間に合わなかった)のと並行して、ひょっとして今なら憎しみも薄れて向き合えるのでは?2.5と……と思ってその頃やってた舞台かなんかの画像を見に行きました。
やっぱ変!!!!!!!!三次元の人間、鼻デカ!!!!!!!!!顎広!!!!!!!!!!!
やっぱねえ、二次元を愛している人が触れていいコンテンツではないですわ、2.5次元。
ミュだとかステだとかでキャラの掘り下げとかあるらしいけど、いらん!!!必殺「うちの本丸」で今後もやらせていただきますね〜もうこないからね〜
7年ぐらいブランクあるし、ゲームの方かなりアップデート入ってて知らん機能知らんボタンがいっぱいあるのでX(旧Twitter)で検索かけて情報収集してみたんだけど、そうすると先人や攻略勢の皆様による有用な知見と一緒におすすめタブにい〜っぱい2.5次元情報が流れてくるんですわワハハ なのでもう少なくとも本アカウントで刀剣乱舞の話はしません!!!Gの話するとGが来るって言うじゃん!!!呼ばない!!!!!
でも久しぶりに会った自本丸の刀たちは懐かしくてかっこいいし、金槍が遠戦で何もできないまま死ぬと気持ちいいし、キャンペーンで来た男士から新たな推しも見つけたし、やっぱ好きだな〜刀剣乱舞。と心底思いました。
これからは攻撃性を抑えつつ、棲み分けとブロックを駆使してなるべく2.5次元を目に入れないようにして刀剣乱舞と付き合っていこうと思います。
それはそれとして刀は野球しないだろ!!!!!!ドームで歌うな!!!!!!!!!!!いや本丸で三角ベースに本気出してる太刀打刀見たくないのかと言われたら嘘になりますが……
追伸:コンセプト上の問題で江の男士とは相容れないような気がしていたが豊前から平成ライダーの主人公っぽい波動を感じているので歩み寄ってはいきたい、Zeppは行かない。
映画観に行くんじゃなかったなー
しかも一緒に観に行った奴もあれやし
嫌な思い出に塗り替えられてしまった
小ネタが少し入るくらいなら別に気にならんが全キャラ当てはまって、行動までそれになるの意味わからんわ
もうそれガンダムジークアスクのキャラじゃなくてガワ二次元、中身三次元アイドルキャラのガンダムの名前がついたアニメだろ
見続けても新キャラとかキャラの行動全てがこれ全部アイドルなんだなって思えて何見てんだろうってなりそうだからもう見るのやめた
初期ガンダム見たことないから色々検索してたらこれに行き着いて悲しくなったわ
初めてガンダム好きになれそうで絵柄もキャラも映画もおもしれーし主人公の声優の演技好きだからこれはハマるわって思ってたのにかなり残念
あーあ、SNSやめてーわ
前々から定期的にXでは議論になるけど、最近トワウォのヒットのせいか
「生モノや半ナマジャンルで活動するなら鍵かけろ! 隠れてやれ! 過去の歴史から学べ!」
みたいな腐女子の学級会がよく流れてくる
はっきりいうと自分はこういうこと言う人も同人誌に「◯◯禁」って書く人も大っ嫌いだ
自分の近しいタレントの同人誌が流れてくることもある 事務所に頼まれて買いに行ったこともある
自分だけじゃないよ ほとんどの関係者は同人誌の存在は把握してる
それでも見逃してるのは大抵は正直面倒くさいから よほどひどければ警告しようか、くらいで
チェックするけどチェックするにも見なきゃいけないから正直キッツイし
もしくはこいつら頭おかしいんじゃねえの、ってせせら笑うか
自分が二次元の中で男同士S◯Xさせられてる様子を見たい人間はまずいない
ただまあ、芸能人という生き物は「傷つくこと」が仕事だとみんな自覚してるからなんとか耐える
でも自分は芸能人そのものでないから、鍵かけたり検索避けしたりして
「配慮してますよ」っていう顔してる、その態度に一番腹が立つんだ
そんなん配慮でもなんでもねえよ。当人が傷ついたらなんか保証してくれんの? できないよね?
傷つくことをわかってやってるんだよね? 加害だよ加害
そういう人たちのファンで彼らへの愛を作品にしたいならこそこそしてんじゃねえよ
こそこそしなきゃいけないような「表現」ならそんなんやるなよ、誰も頼んでねえよ
最近、なんだか日本が変わってしまったような感覚がある。駅でも電車でも、目に入るのはやたらと大きなキャリーケースを引いた外国人観光客の姿。通勤ラッシュの混雑の中で彼らと鉢合わせようものなら、朝からげんなりしてしまう。渋谷の店では、外国人店員が外国人客を相手にしている光景に、ここは本当に日本なのかと錯覚すら覚える。正直に言えば、私は「外国人が嫌い」なのではなく、「その土地の文化やマナーを理解せずに振る舞う外国人」に対して強い違和感を抱いている。
そして、こうした違和感は以前どこかで感じたことがある——その既視感の正体は、かつてのインターネットだ。私はアラサー世代で、小学生の頃からネットに親しんできた。初期のインターネットは、表に出しづらい趣味を持つ者たちがひっそりと身を寄せる、いわば「教室の隅」のような空間だった。匿名性があり、二次元のキャラやゲームを愛する人々が、共感を求めて集っていた。私もそのひとりだった。
だが今や、ネットは陽キャと化した。自撮りをあげる美人、議論をふっかけ合うフェミとアンチ、風俗嬢が主役の時代である。オタクの居場所はリアルイベントにまで奪われ、匿名性の裏でささやかな共感を交わすことも、今や下手をすれば炎上の種になる。かつてのインターネット文化は、静かに死につつある。
それでも、誰もが自由にネットに触れられる今の時代には意義があるし、オタク趣味を隠さずに済む空気ができたことも、前向きな変化ではある。だが、そこにあった文化や空気を無視し、何の理解もないまま踏み込んできてルールを書き換えるような動きには、どうしても反発心が芽生える。
だから私は思う。今の日本に対して抱く違和感も、まさにこれと同じなのではないか。新たな層の参入によって文化の姿が根底から変えられようとしている。理解や住み分けがないままに価値観が塗り替えられていけば、私はまた自分の居場所を失ってしまうのではないかという、不安と寂しさがある。ただ、それを言葉にしたところで、大声にはなり得ない。だが私は記録しておきたい。好きだったものが静かに変わっていく痛みを、見て見ぬふりはしたくないのだ。
最近の日本、なんかおかしくない?と薄々感じていた今日この頃。
とにかく外人が多すぎる。
電車に乗っても、どこの駅で降りても、クソでかいキャリーを抱えた外人まみれ。
通勤時にあのクソデカキャリーに出会ってしまった日には朝からテンション爆下がり。
渋谷に遊びに行ったとき、外国人店員が外国人客の相手をしている光景を見た時は海外旅行にでも来たんかと思った。
というか、「郷に入っては郷に従え」ができない外国人アンチだ。
日本という国に来てもなお自国の価値観とマナーで行動する人々の気が知れず、理解する気もない頑固人間なのだ。
というのは前置きで、なんとなくこの「その地の文化をよく知りもせずに楽しそうだから、流行っているからという理由だけで踏み込んできて荒らしている」みたいな状況に既視感を覚えていた。
その既視感の正体がようやく判明した、という話。
そう、インターネットだ。
私は四捨五入すると30歳になるいわゆるアラサー。インターネットに参入したのは小学5年生の時。
まだ物心がついているかも怪しいガキの頃から掲示板や個人サイトに張り付き続けた結果、こんな偏屈な日記を匿名で書いてしまうようなバケモンになってしまった。
私が参入し始めたころのインターネットは、人に言えないような趣味のある人が匿名で集まって好きなものの話をコソコソしているような、教室の隅と言うにもおこがましいくらい陰鬱でじめじめとした場所だった。
ここで言う人に言えないような趣味というのは、例えば異常性癖があるとか、実は犯罪者だとかそういうことではなくて、ただ単に「二次元のキャラが好き」「日がな一日ゲームをやり続けている」みたいな、令和の今であれば誰しもがオープンにしているような趣味のことだ。当時は、それくらいオタクに対しての風当たりは厳しかったように思う。
でも、だからこそ、二次元のキャラに恋をしていたブスの私はそこに居場所を見つけたのだ。
それが今では、かわいい女がバカスカと自撮りを掲載し、フェミニストと男が日々戦いを繰り広げ、風俗嬢が人権を得ているような、そんな場所になってしまっている。
私が好きだったインターネット、もといオタク文化は今やどこにも存在しない。
同人イベントやコラボ云々、ライブなどのリアルイベントに参加しようものなら、異常におしゃれでかわいい女たちばかりでブスの私の居場所なんてどこにもなくなっている。
誰にも言えない好きなことを発信して、たまたまそれを見つけた同志と匿名のやり取りができる。そんな世界だったはずが、今や下手に発信しようものならなにもかもが炎上の可能性を孕んでいる。
エロ同人がクレジットカードで買えなくなっただとか、エロ同人に登場するランドセルにモザイクがかかっていたりだとか、そんな世界をだれが望んでいたのだろうか…
まあそれはそれとして、インターネットが誰でも気軽に触れられるオープンな場所になったことも、自分がオタクであることをひた隠しにする必要がなくなったことも、喜ばしいことだと思ってはいる。
ただ、先人がコソコソ築き上げてきた文化を踏み荒らされたことが気に入らない。
理解の余地も、住み分けの努力もしないまま、既にそこにあったものにいちゃもんを付けることの何が正義なのか。
さみしいし悔しい。たったそれだけの個人的な感情ではあるのだが、ここで話は冒頭に戻る。
インターネットという文化は、時代の移り変わりと共に全く違うものへと姿を変えた。
新しい層の参入により、在り方が丸っと変わったと思う。
今の日本に対して私が抱いている既視感が本当にそうなのであれば、私が愛する日本はこのまま全く別の何かに変わってしまうのではないかと杞憂しているのだ。
このまま相互理解と住み分けが為されないまま時間が過ぎていくのならば、また私は居場所を失くしてしまうかもしれない。
怖いよ~~(泣)(泣)(泣)
推し活がポップでおしゃれでみんなやってて、「インスタのあのかわいい女の子もやってるおしゃれな行為」みたいになってることへの嫌悪感、めちゃ分かる。
最近、メディアでやたら「推し活ブーム」とか、あげくの果てには概念コーデとか推しの担当カラーで身の周りを揃えてみるとか、
やたらポップに紹介していてびっくりする。通学バックに推しのプロマイドをデコってキーホルダーにしている学生、めっちゃ増えたよね。
自分が学生の頃って、あれをやっている人はごく一部だった気がする。流行ってなかろうと誰かを推すのが日常だった人たち。
最近、自分の友達(30代の女性)までもが「推し活したいから推しがほしい」と言い出した。
その友達は、アイドルやミュージシャンやスポーツ選手や二次元のキャラクターを狂おしいほど応援するという経験がない人で、
推しがひとつもない自分は流行に乗れてないと思って焦っているらしい。
友だちと好きなアイドルとか見に行って、うちわとか作ったりして、推し活自慢とかしてみたいらしい。そうか~そう思うのか~。
狂おしいほど好きな対象がまず先にあって、対象を応援するためにトチ狂って過剰な消費行動してお布施してるんですよ。
あんなものおしゃれでもなんでもない、愛というより因縁とか業とかそういう類ですよ。
おれはハゲだ。正確には、髪の毛はある。卵の黄身を頭皮に塗りつける療法にも頼った。だが、今や二次元バーコードの模様ほども残っていない。最近、おれは業務用のバーコードスキャナーで頭をスキャンすることにした。頭髪管理だ。昨日は9784120122219、今日は1921222006807。明日は
最近「推し活」というのが世間的なブームになってきている。ってか最近でもないかもしれない。
ホテルやカフェでは「推し活プラン」というのができ、推しのぬいぐるみに着せる服は100均でも売るようになった。
かく言う私も4年前くらいは、すすんでぬいぐるみを買い写真を撮るなどしていたのだが、
最近はそのブームに対して忌避感を覚えるようになってしまった。
まあ、十中八九年齢によるものがあるのだろうけど、整理するために書いていこうと思う。
ソシャゲやVtuberのスパチャに代表されるが、お金を払うことがオタクのアイデンティティになってきてしまっている。
以前のオタクと比較すると、愛を語るのに「お金を多く払うこと」「消費をすること」が重要になってきている肌感がある。
まあAKBのCD商法とかあったけど、それがアニメやゲームなどの二次元コンテンツにまで入り込んできてしまっている。
だいたい、消費活動をすることはいいけどそれを「推し活」とかいうキラキラワードにして、競争のような状態にさせて、
あげくのはてにプリキュアのような子供向けコンテンツでそういうことを事前に勉強させるのってよくないんじゃない?
と思ってしまう。
加えてメディアに煽られた大手企業が「推し活」をターゲットとしてどんどん消費活動を応援するようになっている。
こう、上手く言語化することができないんだけど、歯車に組み込まれてしまったような気持ち悪さを感じてしまう。
某グループYouTuberの話だが、その中に一人生得的に不器用な方がいた。
YouTubeの企画の中でも何度か不器用さがわかるエピソードを披露したりするのだが、
コメントをぱっと見たときには「ふーん」くらいに感じていたが、だんだんかみ砕いていくうちに
「いや、人の不器用さに対して『かわいい』ってなんだよ」と思うようになってしまった。
ASDグレーゾーンのため、時々人の気持ちがわからず発言してしまったりしたことがある。
そのたびに「天然」「かわいい」と言われてきた。こっちは真面目にやっているのにだ。
ちょっと前に九月さんを発端とした「メロシコ論争」があったが、男性女性問わず
「生身の人間をキャラクター化すること」の恐ろしさ・おぞましさにもっと自覚的になるべきではないだろうか。
一生懸命にやっていることを褒めるつもりが、ぬいぐるみのようなものに押し込める行為になってないか、
ゲームも動画もアニメもドラマも映画も無限にあるのに、履修スピードが追い付かない。
というか、全部履修しなきゃって思ってしまうところがあって、流行ってるアニメを見ることが義務になってきてしまってる節がある。
逆張りしたくないんだけど、流行ってるコンテンツを流行ってる時に見ることのハードルが相当高いし、
また、ソシャゲに関してはイベントが多すぎる!いやマジで働いているオタクでソシャゲやるのどうやってんの?ちゃんと仕事できてる?寝てる?
ソシャゲもソシャゲで一つで完結するのではなく、別作品とつながってたり舞台化とつながっていたりと、
SNSでオタクのつながりが可視化されるようになって猶更、「すべてを履修しなくては推しを名乗れない」ことが
増えてきている。
軽ーい強迫観念持ちとしては「これも履修しなきゃ」と義務になってきてしまい、「愛」とは一体…?というような感じになってきてしまっている。
まあ、平たく言えば自分が昨今のオタクコンテンツに向いていないんだろうなあ。
でも、今までずっとオタクだったからオタクコンテンツに乗れないとただの「無」になっちゃうよ~という恐怖感がある。
似たような悩みを持つ人がいたらうれしいなと思い、筆をおきます。
2025/06/03 追記
なんか思ったより多くの反応をもらってびっくりしてます。
こんなにお気持ち100%(しかも日本語下手)なのに読んでくれてありがとうございます……。
わかるよっていう人がいてちょっとうれしかった。下手なりに言語化はしてみるものだなあ。
「そんなに人のこと気にしなくてよくない?」って反応が一番多かったかな?
めちゃくちゃわかる!平たく言えば最近の流行についていけなかった個人の問題だから、
他人のこととか評価とか気にしなければいいよねっていうのも頭ではわかってる。わかってんだけどな……。
わかってるんだけど、強迫観念が常に付きまとうようになってしまってるんですよね(これもお前個人のせいだろと言われたらぐうの音も出ない)
他人のことを気にしない、でいるにはSNSで個々の世界がつながりすぎてしまって、
新グッズが発売されたりイベントが起きると札束ではたき合うオタクが見えてしまって、
それを「人は人、自分は自分」で片づけられるほど私は心を強く持つことができなかったよ。ごめんね。
あと、「コンテンツは慈善事業じゃないから、お金を費やさないと…!」っていう意見もあった。そうだよね、営利企業だもんね。
でも、自分含む多くのオタクが「支えなきゃ支えなきゃ」ってしていたコンテンツが、
かじ取りを間違えて変な方向にアピールし始めて、サービス終了して、オタクの恨み言があふれるようになって……。
っていうのを何度か経験したからもうそんな純粋な気持ちになれないや。
推しに対しての愛は本物だと信じたいし、あの時推しのオタクをしていて楽しかった気持ちは本物だけど、
その代償に自分の暮らしやメンタルを犠牲にすることを是とする風潮はちょっと変じゃない?と思うようになってしまった老年期のオタクの独り言でした。