はてなキーワード: スニーカー文庫とは
45,000,000 転生したらスライムだった件 GCノベルズ
30,000,000 ソードアート・オンライン 電撃文庫
17,000,000 ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか GA文庫
14,850,000 無職転生~異世界行ったら本気だす~ MFブックス
14,000,000 魔法科高校の劣等生(原作小説) 電撃文庫
13,100,000 ソードアート・オンライン 電撃文庫
13,000,000 Re:ゼロから始める異世界生活 MF文庫J
いつどこで見たかはすっかり忘れてしまったが、リベラルな言論で著名な方が、以下のようなことを言っていた。
「氷河期世代は不況のせいにして就職できず流されてきて、今になって苦しいという。何故20代の時にお国と闘わなかったんだ。今更苦しいと言っても自業自得」
仰っていることは尤もなのだが、しかし当時は連帯しようとかデモをしよう、国に掛け合おうなどという考えはないに等しかった。何故だろう? と氷河期世代たる増田は考えて、すぐに結論が出た。
左翼の皆さん、我々の世代に嫌われてたんだよ。左翼にも色々あると言われそうだけど、あの頃の左翼的な思想を持った連中なんて、どれもこれも十把一絡げで嫌われていた。
昭和50年代生まれの我々は義務教育期間中、一度や二度はいわゆる日教組のアカ教師と遭遇し、嫌な思いをさせられている。かつて学生闘士と呼ばれていたような、親より少し年上の定年間近の老教師が、特に地方の、子供も少なく1クラス30人にも満たないような増田の学校にも必ず1人はいて、何かと教育現場を引っ掻き回していた。最近あまり聞かれなくなった式典での国旗掲揚不起立や教科書の君が代ページを貼り合わせる問題が、周囲を田んぼと山に囲まれたど田舎の我が母校でも起きた。
増田の担任にはならなかったが、当該クラスにPTA会長の子供もいたことで、その後大人たちの間では大変な騒動にもなっていた。
教師の体罰がまだ当たり前だった時代、アカ教師は手こそ上げないものの、従順な女子児童への露骨な依怙贔屓や反抗的な男子児童への横暴な発言は、学年を超えて伝わってきて嫌われていた。
その頃はインターネットがなく、テレビと新聞が主な情報源だった。番組改編時にはよく衝撃映像や昭和の記録映像として東大講堂での騒乱やよど号ハイジャック事件、あさま山荘に鉄球をぶつけるシーンがよく流れていた。その度に「かつての日本は荒れていたのだな」「その原因を作ったのはあのアカ教師の仲間なんだな」と、幼心に刷り込まれていたのかもしれない。
あの頃は、一部のメディアにも左翼の活動を忌避する空気が作られていたのかもしれない。いわゆる自虐史観が幅を利かせていた教育業界に新しい教科書を作る会が出てくる一方で、司馬遼太郎によるドラマティックな司馬史観がこれでもかともてはやされている時代でもあった。
高校、大学(増田が通ったのは地方の駅弁ですらない田舎にあった)と進学するにつれ、ますます左翼的な勢力は目につかなくなっていった。教師や教授陣にそれっぽい思想を持っている人がいなかったわけではないが、押しつけることはなく、オルグされる同世代も見かけなかった。他の大学の学園祭に行った時、明らかに学生らしくない数人のおっさんが垂れ幕の前で9条がー、と威張り散らしているのを見かけたくらいだ。
ちなみに阪神・淡路大震災も増田の学生時代に起きた。燃え落ちた街、横倒しになった高速道路の映像はあまりにも衝撃的だった。現代でこんなことが起きてしまうのかと呆然としたのを覚えている。救援活動に来た自衛隊を批判する勢力は、露骨に白い目で見られていた。
オウム真理教が問題を起こしたのも同じ年だ。あの頃のマスコミの狂乱は、今の統一教会報道の比では無かった。テレビには毎日のように信者が登場してめちゃくちゃな言動を繰り広げ、一般紙からスポーツ新聞までが彼らについてあらゆることを書き立てた。氷河期世代が過激な新興宗教に拒絶的な態度をとりやすいのも、オウムや、その他宗教団体が原因である。
オウムだけではなく、当時はあらゆる新興宗教団体がしつこい勧誘で嫌われていた時代だったのだ。少し大きな駅に行くと、手相の勉強をしていると称する者は壺や印鑑を売ろうとしてくるし、あなたの幸せを祈らせろとつきまとってくる者もいるし、選挙があれば○○党に投票しろ、新聞をとれとうるさい。個人情報がダダ漏れの時代ということもあり、これらの勧誘を掻い潜るのは至難の業だった。
増田も宗教2世である元同級生からの勧誘に辟易とし、家族の闘病について信仰心が足りないからだと言われた時には速やかに絶縁を申し出た。元同級生が悲しそうな顔をしていたのを、今でも覚えている。かつてはスニーカー文庫を貸しあった仲だったのに残念だった。
働きだしてから、といっても増田は就職できずフリーターになったのだが、ようやく田舎にもインターネットというものが普及してきた。2ちゃんねるが登場したが、そこでも左翼は馬鹿にされる対象でしかなかった。制服を強要されているのが虐待だと国際的な場で主張した政治家の息子が笑われたりしていたのもその頃だ。
だからその後、若者を中心としたSEALDsが出てきた時はびっくりした。いつのまにか、増田の親世代ですら触れたがらないアカの思想にばっちり染まった彼らは、SNSでつながることに抵抗を持たない世代としての強みを活かし、あっというまに増えていった。いつのまにそんな思想が、もう絶滅したと思っていたアカが若者の口を借りて復活するとは予想外だった。
30歳を超えた増田には、SEALDsの輝きが眩しくうつったが、羨ましくはなかった。主張があまりにも幼く感じたからだ。かつてアカ教師に仕込まれた児童が湾岸戦争時の自衛隊派遣に絡めて「戦争には反対です。憲法9条に反するから、自衛隊はやめた方がいいと思います」と言わされていたのを思い出させた。このときは自衛官を親族に持つ子供が他の学年にいて、家族が学校にクレームを入れて大問題になった。
増田はネットの匿名文化にも浸っていたため、「学生のうちにこんなに顔を晒して発言していたらこの先大変だろうな」と思ったりしたものだ。
結局SEALDsは解散したが、その後、リベラルと言われる勢力は以前よりも目につくようになってきた。だがやはり、氷河期世代の姿は少ない。
そんな中で発せられたのが「氷河期世代は何故闘わなかったのか」である。
正直に言おう。
我々の世代に、国と闘う余裕はなかった。そんな暇があれば働くことを選んだだろう。
そして、あの横暴で陰険な、アカ教師のような人になりたくなかったのだ。
その結果、「闘わなかった」と怒られる。
今の視点で見れば、何とでも言えるよな。あの頃のリベラルなど、今よりずっと情けなかったのに。
ここからは余談。
数年前、増田が住む街の施設で日教組の全国大会があり、警察が規制線を張っていた。警察が守っているのは、会場へ向かう年老いてしょぼくれた、とっくに定年退職を迎えて何年も経た老人の群れである。みんな「日教組○○県支部」と書いた幟をもって、俯きがちにトボトボと歩いている。総じて服の色は地味で、男女問わず髪の毛もボサボサで、見た目にも元気がない。
その規制線の外、ギリギリの場所に愛国的なことを叫ぶ街宣車が止まっていた。車の上から老人たちに向かって元気に「国賊」などとがなりたてている中年男性は、増田と同世代か少し上くらいに見えた。
どこにも若者がいない。交通規制を促している警察官が一番若いくらいだ。
かつてはヘルメットをかぶりゲバ棒を手に機動隊に向かっていたかもしれない人々が、中年にどやしつけられ(ほぼ因縁だが)、国家権力に守られながらトボトボと歩いている。
どんな気持ちで歩いているのだろう。会場には共産党を代表する大物政治家が来場するとポスターにあった。世代交代を頑なに拒み、トップに君臨し続けているその政治家を見て、彼らの心は慰められるのだろうか。
だが天下をとれなかった彼らも、闘わなかったと言われる氷河期世代も、下の世代からは同じに見えているのかもしれない。これを書いている増田に、左翼も日教組も共産主義も新左翼も革マルも中核派も赤軍派もリベラルも、まるで区別がつかないように。
仕方ない、そういうものだ。
これを読んでるみんなは、俺たちのようになるなよ。
最近、マンガとかラノベのタイトルは長くないとダメだって迷信がある。
なんでも、タイトルが短いと売れないらしい。作家に編集がダメ出しするそうだ。
なろうの長文タイトルが効果的なのは、表紙イラストや帯コメントみたいなものがないからわかる。
でもそれは説明的な帯が必要なのであって、仮にネット書店での露出対策としてもサブタイトルを付ければいい話だろう。
(この戦略は例えば芳文社の「ほうかご再テンセイ!」がやってる戦略でもある)
しかし、なんでもかんでもダメという編集ばかりに出版社がなってしまっているのだと、もう出版社はダメのではと思ってしまう。
編集者が余計な仕事をして本を売れなくするのなら編集者不要論も加速していくに違いない。
ラノベではマンガ化にあたってネットでの発表時の短い元のタイトルに戻すケースもちょっとづつ出てきた。
これはネットでの発表時のタイトルが「偽聖女クソオブザイヤー」だったのが、
書籍化した際に「理想の聖女?残念、偽聖女でした!〜クソオブザイヤーと呼ばれた悪役に転生したんだが〜」と改題された。
それがマンガになるにあたって、「偽聖女クソオブザイヤー~理想の聖女? 残念、偽聖女でした!~」という間を取ったようなタイトルになったのである。
別の例として「フシノカミ」もある。
同じく、発表時のタイトルは「フシノカミ」で、書籍化で「フシノカミ ~辺境から始める文明再生記~」と改題された。
これだと普通「フシノカミ」の方が大きく表紙に書かれるのが常識的だと思うのだが、何をとち狂ったのか「辺境から始める文明再生記」のほうを大きく書く、主従が逆転したデザインになっていた。
しかし、コミック版になってクソデカサブタイトルが表紙から駆逐され、サブタイトルのフォントサイズが同じになって平たく表示されることになった。
この2つに共通していえることは、短くてキャッチーで覚えやすいタイトルの方がマンガでは支持されていたであろうところだ。
この粗製乱造時代に差別化のために説明的なタイトルが必要なことはわかるが、それ以上に選んでもらった後のことを考える必要があると思う。
タイトル付けのセンスがない編集が読者に支持されていないのは明確に明らかであろう。
編集者は一度タイトルの付け方についてしっかり考え直してほしい。
(「魔王令嬢の仰せのままに」を「魔王令嬢の執行者 ~魔王国に追放された無能勇者、隠された天与スキルで無双する~」に改題したせいで気づけなかったの許してないからな!)
その10年ぶりってのは、スニーカー文庫が他レーベルに負けてる原因を考えるなかで「ずっと大賞出てないの流石にまずいでしょ」って話になって、それで大賞を出したみたいな話だったと思うで。
あかほりさとるや中村うさぎのポジションに憧れていたのに、今のラノベにはそのポジションが失われている件。
あかほりさとる、中村うさぎといえば、ライトでギャグとエロ多めのいわゆるジュニア文学で絶大的な人気のあった作家である。ジュニア文学は児童文学とは明確に違う。売り場も分かれてた。レーベルは主にスニーカー文庫。残念ながら今は古本を買う以外に読む手段がない。
同じスニーカー文庫と言っても、当時のジュニア文学は現在のラノベとは地続きではない。当時はラノベ作家というより、ゲームライターやアニメの脚本家が小説もどきを書いていたようなもので、今のラノベはラノベの新人賞から始まったスレイヤーズの発展だと思う。
その後、ラノベは独自の発展を遂げる。ラノベとはこうあるべきものという型がファンや出版社により形づけられ、それをブギーポップが型破りして今のラノベは完成した。
当時、あかほりさとるや中村うさぎを好きだった少年少女はラノベにはついてこず、小説読みを卒業するか年相応の恋愛ものかミステリー、古典文学へと進んでいったのである。その裏でラノベ界では涼宮ハルヒや西尾維新が流行りラノベの春が訪れている。
だが、いつしかラノベはオタクのものであって少年少女のものではなくなった。かつての少年少女が読んでいたジュニア文学はラノベに地位を追われ絶滅していたのである。そして現代、ラノベは売れなくなった。
ラノベの想定読者はオタク層である。少年少女ではない。少年少女向けの児童文学は売り上げが伸びているらしい。ジュニア文学も少年少女が想定読者だったはずだ。だが、児童文学からあかほりさとるや中村うさぎの系列の作品は出ない。もちろんラノベからも出ない。
今、当時の読者たちがウェブ小説でなろう小説を書いている。あかほりさとるや中村うさぎの遺伝子は実はウェブ小説に生きているのかもしれない。
所々圧を感じた
・BLドラマCDのご先祖様のBLドラマカセットテープを生で見れて感動した
・JUNEが今のBL文化の始祖とか角川が0年代BLブイブイやってたのは認識していたがどういう流れでそうなったのか知れてほぇ〜ってなった
雑誌JUNEでやってた中島梓さんの投稿小説添削コーナが人気だったから本出そうってなったけどJUNE出版社は雑誌の書籍化しない会社だったから中島梓さんが他社に作家さんを紹介して他社で本を出すってなってその中でも特に意欲的だったのが角川+一社あって
角川はスニーカー文庫から出してたけど後にルビー文庫としてレーベルができたと
しかし指揮者とコンダクターがバチバチだと周りの演奏者気まずい 昔のやおいは今のコンプラ・価値観で見たらアッってなるところがあるんじゃ しかし好き
・関係者様のJUNEから学園ものへの移り変わりへのインタビュー、面白かった 耽美は芸術でそこから芸術減らしてエンタメ比重多くしたのがBLみたいなやつも
・コミケジャンル変遷グラフ動画、ジャンル諸行無常の風情を感じた 同人女の萌と感情を燃料に回り続けるエンジンや しかし令和にスラダンが流行ジャンルになったりこれだからやめられねえぜ
やおいレディ達の話す「同人から商業移行した作家あるある」とか
50代位のマダムのが話してた「昔は漫画大好きで読んでたけど思春期になると段々表立って好きなものについて意思表示するのが恥ずかしくなった 当時クラスに表立ってオタクやってる子達はいて少しあれだったけど今みると彼女たちは好きなものを楽しくやってて素敵なことだったんだろうな」という話とか60か70代のマダムの「小学校の頃にパタリロ読んでた」とか
展覧会しゃないけど本棚プロジェクションマッピングもオサレでよかった 本燃やす演出で「え、ええんか!?」ってなったけど「ま、まあ大切なのは物質自体の本ではなく本を読んだ人が受け取ったメッセージだから…!」と切り消えて楽しませて頂いた
建物でっけえ!
ただ、そのやり方は、異論はあるだろうけど現在ラノベを自称するレーベルから出てるか否かでざっくり
例えば、角川文庫とスニーカー文庫両方から出た(ウィキペ見たらコミックエース版とかあったのだが知らなかった)とか
角川文庫版もラノベの売り上げに入れてたらラノベだけど、多分そんな面倒なことしてなさそうだし
じゃあ、中身の文章一緒でラノベか否かが変わるのかという(変わるのかもしれないが)
なるべく公式に近い、影響力のあるところが調査とか目的でざっくり定義決めるってのは多分昔からやってて
そこもざっくりしかやってないから結局細かいところの定義は定まってない(はず)
好きなアイドルアンケートとかでも、アイドルの一覧をアンケート取る側が用意してるわけではなく回答者が自分がアイドルだと思う中から好きなものを挙げるので
もう何回目でしょうか、この手の定義論争は。
少女漫画か否かレーベルで決まるなら移籍した途端に少女漫画でなくなるのか、などと、ラノベ定義論の時と全く同じことを言っています。
まさにスニーカー文庫から角川文庫に移った実例がいくつかあったため、エッジケースとしてよく議論されていました。
外形は全く同じなんですよ。
ラノベ定義論争、SF定義論争、本格ミステリ定義論争、ハイファンタジー定義論争、ロック定義論争、メタル定義論争、渋谷系定義論争、ロキノン系定義論争、オープンワールド定義論争……
あのねえ、数学用語の定義ならともかく、人の世に、はっきりくっきりここからここまでがこの言葉の範疇ですって線引けるような概念なんか無いんですよ。
エッジケースなんて人によって判断が分かれて当然でしょう。
それでも、少なくともワンピースは少女漫画ではないし、ガラスの仮面は誰に聞いても少女漫画といえる。
少女漫画という概念に定義はなく、それでも明確に、皆に共通するイメージがあるんです。
それはレーベルだったり、内容だったり、読者層だったり、色んな要素なんです。
どれかひとつじゃない。
要素全部なんです。
全部なんですが、全部満たしていることが要件ではない。
少女漫画っぽさっていうのは、色んな要素でちょっとずつ結びついている。
あれとこれはここが似ている、こっちはこういう要素が似ている、似てる・似てる・似てるを繰り返し、あまり似ていない両端の漫画同士でも同じ少女漫画というカテゴリに入れられる。
ウィトゲンシュタインは「ゲーム」という単語の定義でこれを説明しました。
一人でやるゲームもある。勝敗のつかないゲームもある。会話だけで行うゲームもある。
サッカーとソリティアとマインクラフトはその構成要素は全く似ていないですが、どれもゲームと呼ばれます。これらうまく包含してしかもゲームでないものを含まないようにする定義など不可能なのです。
上に挙げた全ての定義論争はこれと同じです。
我々が扱っているのはそもそも自然言語だということを真摯に認識すべきなんです。
どうして定義なんかしないといけないのでしょうか。
https://ssl4.eir-parts.net/doc/9468/ir_material2/158791/00.pdf
そんなわけで日付変わって6月22日はKADOKAWA社の株主総会である。
KADOKAWAといえば小学館・集英社・講談社などとならぶ業界大手であるが、ほか3社と違って上場している分、株主総会であれこれ一般の株主さんが発言・質問する余地がわりとある。
だが「株をもってるので株主総会には行くけれど、といって何を聞けばいいのかわからない」という諸兄もおられるであろう。
ということで、ここでは上記のIR情報なんかを眺めながら、このへんを聞いてみると面白いかもしれないですね、というポイントをまとめてみる。
むろん、IR情報そのほかの情報からわかる程度のことでしかないので、この増田はなんの内部情報でも機密情報でもありません。あしからず。
よく見るとわかるのだが、WEBサービス事業については事業投資がない。
ポータルでは、「niconico」における“選択と集中”の加速による収益構造の改善と、「ニコニコチャンネル」におけるコンテンツの拡充によるチャンネル有料会員数の増加を図ってまいります。
とあるのだが、つまり特に新規の開発だったりアップデートとかもしていなくて、損してる事業をカットして利益を出している、というだけである。
それゆえに、
という質問が、実は今回の資料でもっともクリティカルなところかもしれない。
普通に考えると、そうですよ未来においてはクローズするんですよお察しくださいよという意味なのかなと思うが、実際聞かれたらどうこたえるのか、というのはある。
今のプレミアムのお客さんに「今後はクローズしていくのですが、引き続きよろしくお願いします」ということは言えないだろうし。
IP事業といえばメディアコングロマリットたる同社の中核でもある…のだが、意外とつかみにくいところもある。
全体としては成績がよく、それはあっぱれなことじゃないですか、という風に一見するとなるのだけれど、詳しく見ていくとそう簡単ではなかったりする。
IP創出においては、新人作家の育成を行うとともに、投稿数とユーザー数の伸長が続く小説投稿サイト「カクヨム」や「魔法のiらんど」等を通じたネット投稿原作の創作支援を加速し、原作発掘の強化に取り組んでおります。
とあるのだが、ここでライトノベル系でかつて隆盛していた「小説新人賞」が特筆されていないのがポイントである。
三崎尚人 @nmisaki
KADOKAWAの株主総会。「文芸でヒット作もなくカクヨム等で新人発掘するのは無駄では?」という質問が出版社の株主総会で出るのは衝撃。もちろん、「新しい作家さんを育てていくのは役目なのでチャレンジは続けて行く」と青柳さんがちゃんと答えていましたが。
というツイートがあったが、質問にしろ回答にしろちょっと惜しいと感じる。質問もズレているのだが、じゃあこの回答がそのまま真か?と考えるとちょっとアヤシイよね、という話をする。
実際のところ、たとえばこんな感じで質問されるとKADOKAWAのライトノベル系の事業としては非常に痛いはずだ。
このあたりの質問をされると、たぶん結構痛い、はずだ、と思う。どういうことか。
たしかに『聖女の魔力は万能です』とか『ひげを剃る。そして女子高生を拾う。』とか、たとえば今クールを見ても「小説家になろう」や「カクヨム」発の作品は続々アニメ化されている…のだが。
たとえば『ソードアート・オンライン』『この素晴らしい世界に祝福を!』『Re:ゼロから始める異世界生活』『魔法科高校の劣等生』『オーバーロード』『幼女戦記』といった大ヒット作はいずれも遠ざかっている、というのが実情かと思われる。
特にA6文庫版のライトノベルでは、今もってここに挙げたような作品(このすばはもう完結したけれども)が各レーベルを背負っているという状態で、「次のリゼロ」「次のSAO」が長いこと出ていない(ファミ通文庫は「次の孫」がおらず、どうなったか…は公式サイトを見てください)。
これに拍車をかけるのが2番目の質問で、上記のような「次の超大作が出ない」状態ではあるのだけれど、しかし同社のライトノベル事業の中心は確実に「ネット投稿原作」に主軸を移している…というか「それしかない」という状態になっている。
たとえば角川スニーカー文庫の公式サイト https://sneakerbunko.jp/ で当月の新作なんかを見てみると、
こんなラインナップなわけだが、どの程度が「ネット投稿原作」かといえば(なんだか間違い探しみたいだけど)『魔眼で始める下剋上 魔女とつくる眷属ハーレム』以外は全部ネット投稿原作である。
ていうか残るこのひとつも、GA文庫で『ハンドレッド』を書いていた箕崎准先生がなろうっぽく書いたファンタジーで、つまり「なろうかカクヨムに原作があった作品」か「メディアミックスしたラノベ作家がなろうっぽく書いた作品」しかないという状態である。地獄…。
「またまたー、この月だけでしょ、大げさな~」と思われる諸兄においては、スニーカー文庫の近刊を1年くらい遡ってみるとよい。オリジナルありません。スニーカー大賞を受賞した作家さんたち、みんなどこ行ってしまったん…?
で、これは別にスニーカー文庫だけがそうというわけではなく、富士見ファンタジア文庫、ファミ通文庫あたりも同じ状態である。
そしてライト文芸では富士見L文庫などもかなりネット投稿原作小説に軸足を移しつつあって、ここまでの流れを理解すれば
というのが実際かなりアヤシイことが把握できるはずだ。
ライトノベルの定義論とかやってる場合ではないのであって、実は特にKADOKAWAのライトノベルは「=WEB小説」になるかどうかの曲がり角にある、と言ってよい。もしかするとここで「いや、『探偵はもう、死んでいる』と『スパイ教室』がある」と思われた諸兄におかれましては、KADOKAWAさんの新人賞で毎年何作品が受賞して何冊が刊行されているのかを確認されたい。
「ごくわずかな当たった作品以外は、受賞作家の2作目も出せない」というのが、2021年のKADOKAWAのライトノベル事業の傾向である(電撃/MFは多少抗っているくさいが、そんなMF文庫Jでも売れているのはYouTubeマンガのノベライズだったりする)。
https://ssl4.eir-parts.net/doc/9468/ir_material_for_fiscal_ym1/99258/00.pdf
なんかを見てみても「Webでの新人発掘を強化」とは書かれていても新人賞についてはまったく書かれていなかったりするので、これはもうKADOKAWAは新人発掘の手段としては新人賞を諦めた、とみるべきだとは(資料だけを見ていると)思うが、それを確かめることは必要…というか、ラノベファンの諸兄はぜひ直接聞いて、確かめてみるとよい。
コミック事業についても似たようなところがあって、こちらもかろうじて『ダンジョン飯』がIR資料には記載されているが、これはかれこれ2014年開始の作品だったりする。
じゃあそのほかは?というと、アニメ化が発表された『異世界おじさん』はTwitter/Pixiv発だったり、おけけパワー中島でおなじみ『私のジャンルに「神」がいます』もTwitter発だったり…と、つまり自前のプラットフォームから屋台骨を支えられるヒット作がなかなか出せていない…のが現状で(『異種族レビュアーズ』はあるけどね)、主軸としてはWEB発の作品への声掛けだったり、あるいはなろう小説のコミカライズや、ピッコマあたりで連載されている縦読みコミックの書籍化作品だったりする(『外科医エリーゼ』など)
これを「原作発掘の強化がされている」と肯定的に見るのか「自主開発能力が弱体化してネット原作に頼っている」と否定的に見るかは難しい。
集英社などが自前のプラットフォームである「ジャンプ+」で『SPY×FAMILY』『怪獣8号』など次々新規のヒット作を出していることと比較すると、あまり楽観的には見られないか…というところ。
で。コミックでいうともう少し面白いのは、ピッコマことKAKAOとの関係性についてである。
KAKAOといえば、2020年8月タイミングでKADOKAWA株を5パーセント以上取得したことが報じられた。
https://www.nikkei.com/article/DGXLASFL21HLU_R20C20A8000000/
実はこのあともちまちま買い進められており、もうちょっと増えている。資料にある
ってやつである。意外と持ち株比率第1位だったりする(2位はカワンゴ)。
ので、何気に馬鹿にならない比率で韓国勢に買い進められたのが2020年のKADOKAWA株だった。
https://ssl4.eir-parts.net/doc/9468/ir_material_for_fiscal_ym1/99258/00.pdf
なぜかといえばカカオのサービスであるところの「ピッコマ」がいま一押ししているのがこの縦読みコミック…ピッコマ的には「SMARTOON」というやつであり、KADOKAWAの縦読みコミック振興策が「ピッコマとの協業」のための施策なのか「ピッコマとの競合」のための施策なのかが、非常に気になるところなのだった。
ちょっと話が戻るのだが、先ほど触れていた出版事業については、IPの開発に加えてこんなことが書いてある。
同時に、営業力を活かしたきめ細かなマーケティングにより、生産部数の最適化とそれによる返品部数の最少化を進め、収益の最大化を目指してまいります。2022年3月期より順次稼働予定の製造・物流一体の最新鋭工場につきましては、小ロット適時製造と適時配送を実現することで、製造コストの削減や更なる返品率の改善を行い、業界が直面している物流問題にも対処しながら、中長期的に収益力を向上させてまいります。
この工場は、ちょうど株主総会も開かれるところざわサクラタウンにある例のアレだが、ここで注目するのは「適時配送」の方である。
https://www.kadokawa.co.jp/houjindirect/
というのを持っている。上記の適時配送についてもこうした独自のシステムが活用されるのか――というところで出たのが、下記の報道である。
https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1324469.html
講談社・集英社・小学館と丸紅、出版流通改革で新会社、というこれである。もちろんKADOKAWAにおける流通改革・DXというのはかなり前から企図されていて、こうした動きよりも先にシステムを整えていると考えられる。
そこで気になるのが、KADOKAWAはこの新会社のシステムを使うのか(参画するのか)、あるいは対抗するのか、というところである。
というのは、実はこの適宜製造の計画においてもけっこう難しい問題として立ちはだかる(ので、聞かれると面倒くさい質問である)と思われる。
なぜかといえば、仮にこの新会社による流通がデファクトスタンダードになった場合に、KADOKAWAは「流通のデファクトスタンダードをとるのか、あるいはガラパゴス化した自社独自の流通戦略を維持するのか」という選択を迫られる可能性があるから(そして、その可能性はそう低くもない、と思われる)。前者はせっかく作ったシステムの破棄や修正を意味しているし、後者にはデファクトから外れることによるリスクがある(特に、大手三社が多くの割合を占めているコミック流通などにおいて…)
というか適宜製造と適時配送のシステムを自社でもっていたのなら、上記みたいな会社が出現する前に一ツ橋や音羽に呼びかけて自社のシステムが業界スタンダードになるようにふるまえばよかったのに…とも思うが、後知恵ではある。
誰か聞いておいてほしいことをまとめてみました。なんかバランス悪いなあ…。
基本的に各種の公開情報の組み合わせでしかないので既知の事項かと思いますが、株主総会にご出席の皆様の参考になれば幸いです。
・あるSF編集者が自分の担当したアンソロジー本(『日本SFの臨界点』と『2010年代SF傑作選』)の表紙を掲載し、そのツイートが広くバズった。
・それを見てある読者が twitter で以下のような発言を行い、反響を呼んだ。
「なんでSF小説とかアンソロの表紙って漫画・アニメ絵の女の子ばっかなの?恥ずかしくて持ち歩けないんだけど。自らターゲット狭めてマーケット小さくしてる気がする。(中略)誰も彼も「売れるから」で思考停止している気がしてならない。」
それに対して当該編集者がfusseterで以下のような反論を行った。
・「女の子」に関して
・イラストレーターには『性別を指定しない抽象的なキャラクター像』で発注したもので、『女の子』ではない,
・キャラクター的であることそのものに対する違和感にしても、少なくとも現場ではそういうものにしようという意向ではなかった。
・「恥ずかしい」に関して。
・特に若年層ではキャラ絵が「恥ずかしい」と思う感性はあまりないはず。
・キャラ絵が想像力を狭めるということはなく、むしろ想像力を喚起するもの。
・表紙に対する意見について
・表紙を描くイラストレーターたちにも評判を気にして傷つくなどの感情はあるんだから、そういう人に届く危険を認識したうえでSNSを使え。
・事実として違う(SFマガジンの書評欄に見られる書籍の表紙を引き合いにだして)。
・今回の表紙の意図について
二者間で応答された論点は以下のように要約される。
1.なぜSF小説・アンソロの表紙はキャラ絵の女の子ばかりなのか
1.は事実認識としては適当ではない。ただ、主観的で不正確な感覚でも、その感覚が広範に共有されていればシーンに対する認識としては強度を持つ。
たとえば、読者の記憶に残りやすい「目立つ」コンテンツの表紙にアニメ絵率が高かった(ように思える)場合、多くのユーザーは「表紙にアニメ絵ばかり」という認識を持ち、関係するアクターやシーンの振る舞いもその認識に沿って動いていく可能性がある。
ハヤカワは伊藤計劃の『ハーモニー』『虐殺器官』の文庫化の際に、伊藤計劃作品のアニメ映画でキャラデザを務めたredjuiceを起用した。ちなみに表紙に、ではない。本をすっぽり覆うタイプのオビにイラストを反映させたのだ。実質的には「アニメ絵の表紙になった」とみなされても仕方がないし、事実そのように勘違いしている人も散見される。
シライシユウコのイラストレーションに対するファンダムの記憶は伊藤計劃や百合SFと密接に結びついており、2010年代の「気分」を確実に決定づけていた。
「シライシユウコが表紙を描くこと」は他のイラストレーター(キャラ絵寄りであれそうでないであれ)が担当するより確実にある種の指向性を帯びやすい。
どういう指向性か、と問われるとなかなか言語化しにくいが、このイラストレーターが伊藤計劃の『ハーモニー』の単行本版の表紙を担当したこと、伴名練のデビュー作である『少女禁区』の表紙を担当したこと、ライトノベル作家の短編が多く採られた『ゼロ年代SF傑作選』の表紙も担当し『2010年代SF傑作選』がその「再登板」でもあること、百合SFブームを決定づけた『SFマガジン』の百合SF特集号の表紙も担当していたこと、等々から鑑みて、「百合SF」に代表される近年のSFを代表するイラストレーターとみなされうる、といったところだろうか。
もちろん、シライシユウコは上記以外にも多くのすばらしい仕事を残している。ヤングの『時をとめた少女』など『2010年代SF傑作選』よりも「少女性」が強い絵も描く一方で、円城塔の『エピローグ』(単行本版)やヴァーリイの『逆行の夏』などのようなさほど「少女性」が目立たない絵もある。
そうしたイラストレーターが表紙を担当することで、某評論家のいうように様々な出自、トーンを持つ収録作のイメージを一つのカタにはめることになるのは否めない。それはイラストレーターの罪ではない。
『日本SFの臨界点』に関して言えば、伴名練が編纂するということで『なめらかな世界と、その敵』での「キャラ絵の人物がアップになっている表紙」が文脈的に意識されているのだろう。
『なめらかな世界と、その敵』の収録作はジュブナイル的な色彩を帯びた作品が多く、表紙の選択はかぎりなくマッチしていたと思う。だがその文脈を発表年代も書き手もバラバラなアンソロに持ち込むのは(表紙を決めるのは編集者なので作家ではなく編集部として)作品群を「私物化」、あるいは領土化する行為として糾弾されてもしかたがない。
とはいえ、アンソロジーを編集するのはひとつの創作活動でもある。DJのようなものだ。どんな作品を選ぶか、どんな順番で収録するか、といったことが作品個々の印象や読み味を大きく左右し、「一冊」のイメージを決める。その点で、表紙を「私物化」するのも表現の一部であるかもしれない。増田個人の意識としてはアンソロの表紙もまた(アンソロ自体のコンセプトにもよるが)「私物化」されるべきと考える。
ハヤカワは伴名練という作家に過剰な文脈を背負わせすぎなきらいもあり、それはあまりよろしくないと感じるが、『日本SFの臨界点』は伴名練の作品・批評のひとつとして見なすべきではないか。
アンソロを編纂するということはそのくらい暴力性を孕んだ行為なのだ。「埋もれた作品を発掘する」などといった無邪気な善性だけで成り立っているものではない。作品について一切指向性を持たせたくないのなら、表紙をつけず、amazon あたりで短編単位でひとつずつ売るしかない。
2.に関しては編集者の反応があまり噛み合っていない。「恥ずかしい」と感じることはどこまでも個人的な感情なので、「若者には違和感がない」と反論してもあまり意味がない。発端となったツイートで「恥ずかしい」に続く文がマーケティングの話なので、マーケティングの話をされていると思ってもしょうがないというか、増田も普通に読んでればそう取ると思うが。
また、編集者の立場としてはイラストレーターを守りたい気持ちで「いや、恥ずかしくないんですよ」と反論したくなるのもわかる。表紙についての議論をすることに対してやや脅迫的ともとれる言辞をしているのも、そうした仲間を守りたい意識のあらわれだろう。その判断は編集者として間違ってはいない。
ともあれ、その人が「恥ずかしい」と感じたならば「恥ずかしい」のは仕方がない。また、読者や作家にもそうした感覚に共感する人々が一定数存在するようなので、そうした心情を斟酌しないのはいかがなものかと思う。最低でも文面の上ではそうした消費者の感情に向き合うふりくらいはしておくべきではなかったか。
Twitterではよく「表紙が恥ずかしくて買えないとかガキか」という意見が目にされたが、そういうマウントの取り方もよくないと思う。
3.については(元の発言者は重要視していないとしているが)完璧に食い違っている。片方は「キャラ絵にすることでターゲットを狭める」と主張し、もう片方は「キャラ絵にすることでターゲットを広げる」と主張している。百合SFブームを仕掛け成功させたことや、この論争がそもそも『2010年代傑作選』と『日本SFの臨界点』が"バズった"結果生じたものであることを踏まえると、(編集者もまたマーケティングのプロではないにしろ)編集者側に理があるように思える。
SFというものはキャラクター文化と親和的なのだから、そっち方面から未開拓の読者を拾った方がよいと判断するのは筋が通っている。「キャラ絵で買わない新規消費者」より「キャラ絵がついてることで買ってくれる新規消費者」ほうを多く見積もっているのだ。興味を持ってくれる読者層を有効に開拓してこなかった業界の怠慢を一挙に巻き返そうとしている節はあるにしろ。
ある一定の方向へ突出しすぎている表紙を出すことでそれ以外の読者を切り捨ててしまう可能性はある。たとえば、ライトノベルの表紙絵はキャラ絵を好む読者以外へのリーチをハナから諦めている。キャラ絵を用いてる点では『臨界点』と変わらないが、よりパラメータがいわゆるオタク寄りに調整されている。最近、スニーカー文庫のハルヒが角川文庫から再発されるにあたり、有名ないとうのいぢの表紙から実写を用いたいかにも一般向けの表紙へ切り替わったことがあった。これは「キャラ絵を切り捨てる層」への訴求を試みた例だろう。
ハルヒのメインターゲットであった層を掘り尽くしたので、本来ターゲットにしていなかった層も掘る余裕が出てきたのだ。メガヒット作ならではの展開といえるだろう。
間口を広く取れるのは後者だ。特定の層により訴えるのは前者だ。
どちらを取るかは出版社の戦略次第だ。ハヤカワが大手より体力の低い中小出版社であることも考慮にいれるべきかもしれない。
だが、特定の層に訴えるマーケティングはときにその層に含まれていないと感じた消費者への疎外感を生じさせる。そのことには出版社は自覚的であるべきだろう
個人的な感想をいえば、シライシユウコ絵が「マンガ・アニメ的絵」だという意識はあまりなかった。林静一から中村祐介に至るイラストレーターの系譜(もちろん彼らにくらべたらややまんが的ではある)に連なるような存在として認知していた。
『臨界点』のイラストもそこまでキャラ絵として意識していなかった。「恥ずかしい」と感じられるキャラ絵とは、それこそライトノベルの表紙絵くらいのレベルだと思っていたのだ。
たとえば、『臨界点』がライトノベル的な表紙であったら、増田も「切り捨てられた」と感じたことだろう(それはそれとして本を買いはする)。
こんなことを萌え絵に対して不感症になっている典型的な日本人の謗りを受けそうであるし、実際そういう面も否めないのだろう。増田はよくTwitterで論争になる公共の場所で広告に使われる萌え絵について「恥ずかしいだろ」と(その是非とは別のレイヤーで)思ってしまう人だ。本当に「恥ずかしさ」の基準はひとそれぞれだなと思う。
今回話題になった表紙が即女性に対するオブジェクティフィケーションにつながるとは思わない。
一方で、キャラ絵を用いたSF小説の表紙が女性という表象にまったく何も背負わせていないとも思わない。本人たちが意図するしないにかかわらず、文脈的には「百合SFムーブメントを作り上げた編集者」が、「伊藤計劃の百合SFやSFマガジンの百合特集号の表紙を描き、百合のイメージが強いイラストレーター」や「百合SFムーブメントの一翼を担った新進作家」と作ったものなのだ。人はそこに「少女」を見る。その「少女」は私たちの築き上げてきた「少女」のイメージを背負っている。そこに無自覚ではいられない。
私たちはどのレベルの「恥ずかしさ」で合意するのか。SFという貧しく狭い領域でマーケティングとコンプライアンスをどう天秤にかけていくのか。
今はまだ問いの出ない問題だ。作家にしろ編集者にしろ読者にしろ、一個人ではどうにもならない問題でもある。
だが、他人の感じる「恥ずかしさ」を「時代遅れ」と切り捨てることなく、あるいは読者同士で向き合うことで、ある方向へ流れていけるかもしれない。そこから先は、未来の話だ。作家たちの語るべき領域だ。
余談。あるミステリ作家が「消費者の意見に対して真剣に向き合わず、味方を囲い込んでる」と例の編集者にキレてブロックしたことについて。むしろ、fusseterの文面ではTwitterでの論争の不毛さに触れているように、犬笛にならないように注意を払っているように感じた。よくやるように擁護ツイートのRT連発みたいな行為にも走っていないし。
個々のフォロワーたちが発言したり群れたりするのは止められないだろうし、それを「味方を囲い込んでる」ように見えたとすれば、多分に先入観が強い。
「意見に向き合え」というのはその通りだと思う。本人がおそらく可能な限り真摯に向き合っているつもりなのはfusseterで重ねられるエクスキューズからも読み取れるが、だとしても人はどこかで何かから目を逸らしてしまうものだ。当事者になればなるほど防衛機制は強まる。ただ例の編集者は自分に対して意見を言ってくる人を尽く敵と見做して戦争をしかけるタイプには見えないし、あの作家の言うことなら無碍にはしないはずなので、ブロックする前に意見交換を行なって互いの認知を均したほうが幾分有益であったはずだ。
この問題については意見を出してる作家や業界関係者でさえ恐る恐るというか、批判にしろ擁護にしろ通り一辺倒のことしか言っていない印象がある。
その穏当さが党派的な対立を強めていはしないか。業界のトピックとして捉えるなら、公の場で作家同士でもっと突っ込んだ話し合いを行うべきではないのか。
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既にアニメ化が決まってるやつとヒット予想。
△「安達としまむら」
○「ひげを剃る。そして女子高生を拾う。」
△「スーパーカブ」
△「回復術士のやり直し」
△「ぼくたちのリメイク」
△「魔女の旅々」
「スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました」
「たとえばラストダンジョン前の村の少年が序盤の街で暮らすような物語」
○「弱キャラ友崎くん」
△「モンスター娘のお医者さん」
△「乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…」
◎「無職転生」
◎「蜘蛛ですが、何か?」