・あるSF編集者が自分の担当したアンソロジー本(『日本SFの臨界点』と『2010年代SF傑作選』)の表紙を掲載し、そのツイートが広くバズった。
・それを見てある読者が twitter で以下のような発言を行い、反響を呼んだ。
「なんでSF小説とかアンソロの表紙って漫画・アニメ絵の女の子ばっかなの?恥ずかしくて持ち歩けないんだけど。自らターゲット狭めてマーケット小さくしてる気がする。(中略)誰も彼も「売れるから」で思考停止している気がしてならない。」
それに対して当該編集者がfusseterで以下のような反論を行った。
・「女の子」に関して
・イラストレーターには『性別を指定しない抽象的なキャラクター像』で発注したもので、『女の子』ではない,
・キャラクター的であることそのものに対する違和感にしても、少なくとも現場ではそういうものにしようという意向ではなかった。
・「恥ずかしい」に関して。
・特に若年層ではキャラ絵が「恥ずかしい」と思う感性はあまりないはず。
・キャラ絵が想像力を狭めるということはなく、むしろ想像力を喚起するもの。
・表紙に対する意見について
・表紙を描くイラストレーターたちにも評判を気にして傷つくなどの感情はあるんだから、そういう人に届く危険を認識したうえでSNSを使え。
・事実として違う(SFマガジンの書評欄に見られる書籍の表紙を引き合いにだして)。
・今回の表紙の意図について
二者間で応答された論点は以下のように要約される。
1.なぜSF小説・アンソロの表紙はキャラ絵の女の子ばかりなのか
1.は事実認識としては適当ではない。ただ、主観的で不正確な感覚でも、その感覚が広範に共有されていればシーンに対する認識としては強度を持つ。
たとえば、読者の記憶に残りやすい「目立つ」コンテンツの表紙にアニメ絵率が高かった(ように思える)場合、多くのユーザーは「表紙にアニメ絵ばかり」という認識を持ち、関係するアクターやシーンの振る舞いもその認識に沿って動いていく可能性がある。
ハヤカワは伊藤計劃の『ハーモニー』『虐殺器官』の文庫化の際に、伊藤計劃作品のアニメ映画でキャラデザを務めたredjuiceを起用した。ちなみに表紙に、ではない。本をすっぽり覆うタイプのオビにイラストを反映させたのだ。実質的には「アニメ絵の表紙になった」とみなされても仕方がないし、事実そのように勘違いしている人も散見される。
シライシユウコのイラストレーションに対するファンダムの記憶は伊藤計劃や百合SFと密接に結びついており、2010年代の「気分」を確実に決定づけていた。
「シライシユウコが表紙を描くこと」は他のイラストレーター(キャラ絵寄りであれそうでないであれ)が担当するより確実にある種の指向性を帯びやすい。
どういう指向性か、と問われるとなかなか言語化しにくいが、このイラストレーターが伊藤計劃の『ハーモニー』の単行本版の表紙を担当したこと、伴名練のデビュー作である『少女禁区』の表紙を担当したこと、ライトノベル作家の短編が多く採られた『ゼロ年代SF傑作選』の表紙も担当し『2010年代SF傑作選』がその「再登板」でもあること、百合SFブームを決定づけた『SFマガジン』の百合SF特集号の表紙も担当していたこと、等々から鑑みて、「百合SF」に代表される近年のSFを代表するイラストレーターとみなされうる、といったところだろうか。
もちろん、シライシユウコは上記以外にも多くのすばらしい仕事を残している。ヤングの『時をとめた少女』など『2010年代SF傑作選』よりも「少女性」が強い絵も描く一方で、円城塔の『エピローグ』(単行本版)やヴァーリイの『逆行の夏』などのようなさほど「少女性」が目立たない絵もある。
そうしたイラストレーターが表紙を担当することで、某評論家のいうように様々な出自、トーンを持つ収録作のイメージを一つのカタにはめることになるのは否めない。それはイラストレーターの罪ではない。
『日本SFの臨界点』に関して言えば、伴名練が編纂するということで『なめらかな世界と、その敵』での「キャラ絵の人物がアップになっている表紙」が文脈的に意識されているのだろう。
『なめらかな世界と、その敵』の収録作はジュブナイル的な色彩を帯びた作品が多く、表紙の選択はかぎりなくマッチしていたと思う。だがその文脈を発表年代も書き手もバラバラなアンソロに持ち込むのは(表紙を決めるのは編集者なので作家ではなく編集部として)作品群を「私物化」、あるいは領土化する行為として糾弾されてもしかたがない。
とはいえ、アンソロジーを編集するのはひとつの創作活動でもある。DJのようなものだ。どんな作品を選ぶか、どんな順番で収録するか、といったことが作品個々の印象や読み味を大きく左右し、「一冊」のイメージを決める。その点で、表紙を「私物化」するのも表現の一部であるかもしれない。増田個人の意識としてはアンソロの表紙もまた(アンソロ自体のコンセプトにもよるが)「私物化」されるべきと考える。
ハヤカワは伴名練という作家に過剰な文脈を背負わせすぎなきらいもあり、それはあまりよろしくないと感じるが、『日本SFの臨界点』は伴名練の作品・批評のひとつとして見なすべきではないか。
アンソロを編纂するということはそのくらい暴力性を孕んだ行為なのだ。「埋もれた作品を発掘する」などといった無邪気な善性だけで成り立っているものではない。作品について一切指向性を持たせたくないのなら、表紙をつけず、amazon あたりで短編単位でひとつずつ売るしかない。
2.に関しては編集者の反応があまり噛み合っていない。「恥ずかしい」と感じることはどこまでも個人的な感情なので、「若者には違和感がない」と反論してもあまり意味がない。発端となったツイートで「恥ずかしい」に続く文がマーケティングの話なので、マーケティングの話をされていると思ってもしょうがないというか、増田も普通に読んでればそう取ると思うが。
また、編集者の立場としてはイラストレーターを守りたい気持ちで「いや、恥ずかしくないんですよ」と反論したくなるのもわかる。表紙についての議論をすることに対してやや脅迫的ともとれる言辞をしているのも、そうした仲間を守りたい意識のあらわれだろう。その判断は編集者として間違ってはいない。
ともあれ、その人が「恥ずかしい」と感じたならば「恥ずかしい」のは仕方がない。また、読者や作家にもそうした感覚に共感する人々が一定数存在するようなので、そうした心情を斟酌しないのはいかがなものかと思う。最低でも文面の上ではそうした消費者の感情に向き合うふりくらいはしておくべきではなかったか。
Twitterではよく「表紙が恥ずかしくて買えないとかガキか」という意見が目にされたが、そういうマウントの取り方もよくないと思う。
3.については(元の発言者は重要視していないとしているが)完璧に食い違っている。片方は「キャラ絵にすることでターゲットを狭める」と主張し、もう片方は「キャラ絵にすることでターゲットを広げる」と主張している。百合SFブームを仕掛け成功させたことや、この論争がそもそも『2010年代傑作選』と『日本SFの臨界点』が"バズった"結果生じたものであることを踏まえると、(編集者もまたマーケティングのプロではないにしろ)編集者側に理があるように思える。
SFというものはキャラクター文化と親和的なのだから、そっち方面から未開拓の読者を拾った方がよいと判断するのは筋が通っている。「キャラ絵で買わない新規消費者」より「キャラ絵がついてることで買ってくれる新規消費者」ほうを多く見積もっているのだ。興味を持ってくれる読者層を有効に開拓してこなかった業界の怠慢を一挙に巻き返そうとしている節はあるにしろ。
ある一定の方向へ突出しすぎている表紙を出すことでそれ以外の読者を切り捨ててしまう可能性はある。たとえば、ライトノベルの表紙絵はキャラ絵を好む読者以外へのリーチをハナから諦めている。キャラ絵を用いてる点では『臨界点』と変わらないが、よりパラメータがいわゆるオタク寄りに調整されている。最近、スニーカー文庫のハルヒが角川文庫から再発されるにあたり、有名ないとうのいぢの表紙から実写を用いたいかにも一般向けの表紙へ切り替わったことがあった。これは「キャラ絵を切り捨てる層」への訴求を試みた例だろう。
ハルヒのメインターゲットであった層を掘り尽くしたので、本来ターゲットにしていなかった層も掘る余裕が出てきたのだ。メガヒット作ならではの展開といえるだろう。
間口を広く取れるのは後者だ。特定の層により訴えるのは前者だ。
どちらを取るかは出版社の戦略次第だ。ハヤカワが大手より体力の低い中小出版社であることも考慮にいれるべきかもしれない。
だが、特定の層に訴えるマーケティングはときにその層に含まれていないと感じた消費者への疎外感を生じさせる。そのことには出版社は自覚的であるべきだろう
個人的な感想をいえば、シライシユウコ絵が「マンガ・アニメ的絵」だという意識はあまりなかった。林静一から中村祐介に至るイラストレーターの系譜(もちろん彼らにくらべたらややまんが的ではある)に連なるような存在として認知していた。
『臨界点』のイラストもそこまでキャラ絵として意識していなかった。「恥ずかしい」と感じられるキャラ絵とは、それこそライトノベルの表紙絵くらいのレベルだと思っていたのだ。
たとえば、『臨界点』がライトノベル的な表紙であったら、増田も「切り捨てられた」と感じたことだろう(それはそれとして本を買いはする)。
こんなことを萌え絵に対して不感症になっている典型的な日本人の謗りを受けそうであるし、実際そういう面も否めないのだろう。増田はよくTwitterで論争になる公共の場所で広告に使われる萌え絵について「恥ずかしいだろ」と(その是非とは別のレイヤーで)思ってしまう人だ。本当に「恥ずかしさ」の基準はひとそれぞれだなと思う。
今回話題になった表紙が即女性に対するオブジェクティフィケーションにつながるとは思わない。
一方で、キャラ絵を用いたSF小説の表紙が女性という表象にまったく何も背負わせていないとも思わない。本人たちが意図するしないにかかわらず、文脈的には「百合SFムーブメントを作り上げた編集者」が、「伊藤計劃の百合SFやSFマガジンの百合特集号の表紙を描き、百合のイメージが強いイラストレーター」や「百合SFムーブメントの一翼を担った新進作家」と作ったものなのだ。人はそこに「少女」を見る。その「少女」は私たちの築き上げてきた「少女」のイメージを背負っている。そこに無自覚ではいられない。
私たちはどのレベルの「恥ずかしさ」で合意するのか。SFという貧しく狭い領域でマーケティングとコンプライアンスをどう天秤にかけていくのか。
今はまだ問いの出ない問題だ。作家にしろ編集者にしろ読者にしろ、一個人ではどうにもならない問題でもある。
だが、他人の感じる「恥ずかしさ」を「時代遅れ」と切り捨てることなく、あるいは読者同士で向き合うことで、ある方向へ流れていけるかもしれない。そこから先は、未来の話だ。作家たちの語るべき領域だ。
余談。あるミステリ作家が「消費者の意見に対して真剣に向き合わず、味方を囲い込んでる」と例の編集者にキレてブロックしたことについて。むしろ、fusseterの文面ではTwitterでの論争の不毛さに触れているように、犬笛にならないように注意を払っているように感じた。よくやるように擁護ツイートのRT連発みたいな行為にも走っていないし。
個々のフォロワーたちが発言したり群れたりするのは止められないだろうし、それを「味方を囲い込んでる」ように見えたとすれば、多分に先入観が強い。
「意見に向き合え」というのはその通りだと思う。本人がおそらく可能な限り真摯に向き合っているつもりなのはfusseterで重ねられるエクスキューズからも読み取れるが、だとしても人はどこかで何かから目を逸らしてしまうものだ。当事者になればなるほど防衛機制は強まる。ただ例の編集者は自分に対して意見を言ってくる人を尽く敵と見做して戦争をしかけるタイプには見えないし、あの作家の言うことなら無碍にはしないはずなので、ブロックする前に意見交換を行なって互いの認知を均したほうが幾分有益であったはずだ。
この問題については意見を出してる作家や業界関係者でさえ恐る恐るというか、批判にしろ擁護にしろ通り一辺倒のことしか言っていない印象がある。
その穏当さが党派的な対立を強めていはしないか。業界のトピックとして捉えるなら、公の場で作家同士でもっと突っ込んだ話し合いを行うべきではないのか。
SFなんてキモヲタコンテンツ中のキモヲタコンテンツなのになんで今さらそんな表層の体裁を気にする必要があるのかさっぱりわからない。外野から見て
SF業界には美少女イラストが嫌いな層も多数存在するから アンソロジーの表紙で美少女イラストを採用したら批判されるのは当たり前
それはそう 何かしたら批判する人はいる でも批判されたからってすべてに対象する必要はない
そもそもリアルフィクションとかも知らないし ハヤカワJAの新刊表紙とかも確認してない層でしょ 明らかにSF読みじゃないよ
ごく少数のサンプルを見て思ったことを さもそのカテゴリ全体のことかのように主語を拡大して データに基づかない思い付きの理屈を強めの言葉で言う っていうよくあるやつ
一生ベリーローダンでシコってサイエントロジーに布施でもしてろ 口を開いたらドラフティングダンで殴りつけてやる
ペリー・ローダンのリブート版がtoi8絵で刊行されたけど売れなかった話してる?
SFおじさんを“万有引力”号に詰め込んで深海状态にしないで恒星間飛行させる話だよ
美少女イラスト(若年層)vsペリーローダン的な絵(年寄り層)という軸だけではなくて vsミニマリズムハードコア派(岩波文庫みたいに表紙イラスト要らない) vs中道派(特定の層におも...
ロクに新刊チェックもしてないアホはSF読みではありえないし、 そいつの誤謬が「強度を持つ」こともないよ。 いま増田で「アニメが衰退してる〜」とか言ってるアホがいるけど構図は...
SFは未だに面倒臭い。
何に対して、「恥ずかしい」のだろう。amazonなり使えば誰にも見られず買うことが出来るし、買ってしまえばカバー掛けるなり表紙捨てるなりすればまた誰にも見られることはない。真...
中学生ぐらいの思春期の子のことを言ってるんじゃないのか 使えるお金が親からもらった小銭だけで、できれば朝礼後の読書時間とかにもってけるようなデザインがいいみたいな 今ど...
角川ホラー文庫とかひどいもんだぞ
こりゃ『チー牛』って忌み嫌われるわそりゃ
SFの小説表紙なのであれば THE・SF! みたいな感じの表紙が良いなぁ。 「なんだこれ??」って気になってしまう意味不明な絵とか。 それこそUFOとか。 アニメキャラ出されると凄く萎...
アニメキャラ出されると凄く萎える。 想像力がそっちに持っていかれるし、つまらない。 これわかる。アニメ絵に限らないが美女絵は日本人俳優のベタな演技みたいな解像度になる...
水曜日のダウンタウンあたりで 同じ小説をアニメキャラにした場合と、不思議な謎絵にした場合 どちらのほうが売れるかとか、やってほしいね。
この表紙に噛みついている人にも、比較的穏当で理性的・客観的な立場で話している増田に対しても、変な"界隈"意識みたいなのが見え隠れして、申し訳ないが気持ち悪く感じる。 売り...
まあ反応せずサンドバッグになれってことだよなあ。ご提言ありがとうございますとか反応したって信者は叩くんだし・・・。 売れなきゃおしまいの業界なのにね。 誰も彼も「売れ...
まあ燃えてるハヤカワだけでいいじゃろ。 https://www.hayakawa-online.co.jp/shopbrand/shurui_1/ https://www.hayakawa-online.co.jp/shopbrand/shurui_3/ マイナス宇宙へ 時間の貯水槽 円環宇宙の戦士少女 ツイ...
、シライシユウコ絵が「マンガ・アニメ的絵」だという意識はあまりなかった。林静一から中村祐介に至るイラストレーターの系譜(もちろん彼らにくらべたらややまんが的ではある)...
『女の子』じゃないって反論になってないよな 「パンツじゃないから恥ずかしくないもん」とか言っててよく恥ずかしくないな
どうみてもパンツなのにパンツじゃないと言い張ってる状態、なのか? 実物がググってもいまいち出てこないんでわからないんだが
これで女の子じゃないもんはクッソワロタ https://www.amazon.co.jp/dp/4150314411 https://www.amazon.co.jp/dp/4150314403 https://www.amazon.co.jp/dp/4150314152 https://www.amazon.co.jp/dp/4150314160 anond:20200702095000
そもそも「伊藤計劃以後」も「百合SF」も売り方でちょっと燃えたりしたんだから、 ハヤカワは伴名練という作家に過剰な文脈を背負わせすぎなきらいもあり、それはあまりよろしくな...
「ハヤカワ編集はじめSF界隈がまるでSNS時代の扇動手法を小説か何かで知っていたかのように心得過ぎていて背筋が寒い」まで読んだ
最近のハヤカワ編集って限界オタク的な寒いノリでバズを狙っててマジでキモいよね。
編集は本を売るのが仕事でしょ
それは書店員の仕事やぞ
他はともかくイラストレーターが傷付くという反論はめっちゃ的外れだな。
都合のいい時には弱者を盾にして弱者様が傷つくからやめろって言うくせに
「今はまだ問いの出ない問題」ではなくて「今はまだ問いの答えが出ない問題」の脱字では? 「問題として認識されておらず、問いすら立てられていない...
私から言わせてもらえば、エロのイラストで読者を釣らなければ売り上げられない境ホラが三流小説に過ぎなかっただけの話。 地道にシナリオの良さでファンを獲得して、同時に世界観...
境ホラをエロ目的で買ってる奴いねえだろw
そもそも『宇宙塵』の半世紀前の号に載ってた短編やら30年前のマイナー雑誌に載ってた短編やらを発掘して誰でも手に入れられるアンソロにまとめたってだけでめちゃくちゃ偉いんだか...
ホッホッホ、作品名を攻撃の呪文のように扱うようになったらオシマイですぞ。
そもそも伊藤計劃のSFって、瀬戸内寂聴の仏教みたいなもので こんなものの売り方してる人への批判が表面化しないことこそがディストピア。
表現にけしからんとい言ったり、感覚のアップデートを求める人たちにしばしばにじむ、こういう感覚はひどく不誠実だ。 このSF表紙増田はできる限り公平で真面目に書こうとしている...
ていうか、「キャラ絵を気持ち悪いと感じるのは当たり前」という前提で、なぜこのような表紙がはやるのか?みたいな議論よりも 何故SFオタクはキャラ絵を受け入れないのか?って方...
女性が描いてあるのを見つけると騒ぎ出す奴もおとなしくなるし良い事ずくめだな https://anond.hatelabo.jp/20200701175011
SF小説の場合、表紙の美少女イラストを見て反射的に買ってしまうような 下半身直結系の読者は相手にせずに 硬派な表紙にしてマス層をターゲットに販売した方が売り上げが伸びそう
少年ジャンプ+掲載の漫画に対してゾーニングがぁぁぁってキレてたレベルのどうしようもない人たちですよ?
あの2冊の表紙と、2冊の編者(この記事にある「当該する編集者」ではなくアンソロを組んだ作家さん)の人の表題作の表紙のことを言っているのなら、正直に意見するとその作家と...