「自意識」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 自意識とは

2026-05-09

anond:20260509090417

ユニクロジャケットハイブランドジャケットも結局全部中国工場で作ってる。にもかかわらず数百万の値段の差がつくバカらしい。ってのが大衆に広まったせいじゃないの?

 

で、そういうと

ブランドストーリーを買ってんだよ!!

って反撃して来るけどさ

 

ストーリー性があるものならオタクの周りには子供の頃から溢れてて、今も巨大IPとして成長してるのがいくらでもあるじゃん

 

ハイブランドストーリーとしてみてもワクワクしないし、つまらない

ガリガリ長身モデルしか似合わない中国製の高級品を売るのは勝手にすればいいけど

 

ナンバーワンになりたいみたいなキモい自意識自分たちよりもストーリー性をもつ漫画アニメバカにしているので、好かれるのは無理じゃないか

 

ファッションが好きな自分たちだけで盛り上がればいいじゃないか。それで自分たちが最強だというのもいい。それに比べて他はダサいっていうのも、勝手しろ

 

でも生活圏に侵入して来るのだけはクソ。

それから自分たちの狭いサークル内での褒めそやしを外の人間しろ強制するところはカス

 

いやほんと気色悪いと思ってる

2026-05-06

anond:20260505233859

金を稼ぐと自分は有能で優れた人間という自意識が育つ。自信が育つのは悪いことじゃない。ただし他人がその自信に見合った扱いをしてくれるとは限らない。

他人から見れば基本的に「ただの人」だからである

そうすると本人から見た「有能な自分」と、他人から見た「ただの人」という部分で認識に歪みが生じる。

そしてその歪みを正すために過度な消費行動に走る。

たとえばブランド物で身を固めたり、エステだのなんだの自分にやたらと投資したり、手っ取り早く金を払ってチヤホヤしてもらったり。

サービスにやたらうるさい連中はだいたいコレ。

優れた人間であるはずの自分不利益を被るのは許せない。財布の問題ではなくプライド問題

まれ持っての金持ちが案外せせこましいのは「金持ち=私は有能」という自意識が生まれにくく認識の歪みが生じにくいから。

2026-05-04

自意識過剰になりそうになったら全アを見て自意識をなだめる

2026-05-01

SNSごとのユーザー性格比較してみた|ネタでわかる各サービスの違い

【⚠︎この投稿ネタです】(私もバカです)

InstagramYouTubeTikTok

 → 読解力ゼロ、将来なんて気にしない。今が良ければそれで良い若者バカ巣窟

・X(Twitter

 → 読解力3行、小学生レベル文章力で日々マウント合戦する、炎上大好き野次馬根性バカ巣窟

・Threads、blue skymastodon

 → 読解力5行、人生に疲れ、X(Twitter)にも疲れたけどSNS卒業できないバカ巣窟

note

 → 読解力10行、特にこれといった特徴がない無個性バカの聖域。(炎上が起こりにくい) 

ガールズちゃんねる

 → 読解力1行、感情偏見だけで回ってる、被害者意識バカ井戸端サロン

・5ちゃんねる

 → 読解力1~10行(気分次第)、もはや会話じゃなく怒鳴り声の応酬自己矛盾も気にしない老害バカ終着駅

Facebook

 → 読解力20行、説教自己啓発・人脈マウント日常現実評価されない中年バカ避難所

・Quora

 → 読解力100行、長文を書くこと自体目的化した高学歴こじらせバカ博覧会

 ・Amebaブログ

 → 読解力15行、日常美容育児芸能リアルと盛りの間を行き来。共感自己ブランディングで回る“キラキラバカ”の生活展示場。

はてなブログ

 → 読解力30行、冷静に見せかけて内心は承認欲求のかたまり独自ドメイン収益報告でマウントしがちな“静かなバカ”の研究室

はてなブックマーク

 → 読解力5行+一言コメント記事は読まずにタイトルで斬る“知ったか評論家バカ”の闘技場。スターの数が戦闘力

はてな匿名ダイアリー

 → 読解力40行、自意識承認欲求匿名でこじらせた長文の海。たまに名文が生まれるが大半は“共感待ちバカ”の文学ごっこ

Reddit

 → 読解力50行(英語込み)、やたら合理的皮肉屋。賢そうに見えるが結局ミームで全部済ますインテリバカ”の集合体

WordPress

 → 読解力∞、文章というより“布教”。読者不在でも語りたい、孤高のバカたちの電脳寺。

SNSをやらない人

 → 情報リテラシー時間管理能力に優れた、マジでマトモな人。 

オタクサブカルの違いがこれだ!

なんかネットエロ動画漁ってたらふと思ったのでメモ的に書く。

おれはずっと自分オタクなのかサブカルなのかわかりかねていた。

自認はずっとオタクのつもりだが、どうもイメージの中のオタク像とは異なっているように思えてならない。

まり、「趣味に耽溺してそこに自足する」ことがおれにはできない。

少なくともこの10年くらいはそうだった。

常に自意識のことばかり考えて憂鬱だった!

ハクやウダツ、自分の居場所……そんなことばかり考えてきた。

オタクならこういう悩みは抱かないように思う。

周囲のオタクたちはみな趣味アニメゲーム鉄道アイドル?)に没頭して満足気だ。

リアルの悩みなんてあまりないように思える。

そう考えると、俺はサブカル野郎なのかもしれない。

サブカルって結局、どこまでいっても「リアル」に軸足を置いているから、それを享受する人間リアル固執しているんだよな。

音楽映画、(萌系やなろう系じゃない)漫画アートファッション……。

どれもリアル指向性がある。

大塚エイジの言葉を借りればサブカルは「自然主義リアリズム」で、オタクは「アニメ・まんが的リアリズム」。

興味が現実に向いているか空想に向いているか……。

おれも萌アニメとかロボットアニメとか観てると現実を忘れて楽しくなれちゃうけど、でもそこに耽溺し続けることはできないんだよな。

やっぱり土台にはリアルへの興味がある。

そしてリアルへの興味とは、ハク・ウダツ、富、権力、名声への興味。

消費する側ではなく、やっぱりなにかを生み出す側になりたいんだよな。

クリエイターオタクもいる中で乱暴な整理をするが、要するにオタクサブカルの違いというのは、言い換えるなら、

消費者創作者(になりたいヤツも含む)の違いなのではないか

もっといえばこれはメンタリティの違いだ。

消費者メンタリティ創作メンタリティ

何者にもなれないサブカルでいるより、消費者でいることに自足するオタクでいるほうがいいのかもなと思った深夜4時。

2026-04-27

パソコンみたいに脳を増設できる時代は来るかな?

メモリ増設したり、なんならCPUごと変えるとか、脳でもできるようになるかな?

記憶自意識を支える部分は変えずに、計算機能やメモリを増やせたらいいのにな

それは別に脳じゃなくてもいい、機械的ものでいいから、サクッと刺して使えるようになればいいよね

記憶自体も、SDカードみたいなのをブスッとさせば使えたらいい。たとえば六法カードをさせばそこにアクセスできるとかさ

そうなってくるともう自分自身AIになるのかもしれないけど

2026-04-26

dorawii@新刊発売(予定)

gui********さん

2015/4/5 18:38

有り体に言えば、日本アニメオタク市場なんて、今や「斜陽産業

です。「経済にコウケン」とか言った所で、鼻で笑っちゃう程度の

規模に過ぎない。

内閣府によると、日本GDPは09年で474兆0402億円です。

また日本アニメ市場は、日本動画協会によると、アニメ制作企業

の売上としては、'06年に約2145億円、'07年は約1901億円、'08年

は約1842億円、'09年は約1494億円、'10年は約1533億円、'11

は約1580億円、'12年は約1725億円…と右肩下がり。

アニメソフト売上で見ても、日本映像ソフト協会の統計では、

ピークだった'05年に国内で約971億円、'06年は約950億円、

'07年には約894億円、'08年は約779億円、'09年は約736億円、

'10年は約759億円、'11年は約753億円、'12年は約741億円、

'13年は約807億円、と長期横ばいの気息奄々。

また出版科学研究所統計では、'09年度1年間の漫画雑誌

単行本全ての売上げは4187億円。前年比6.6%減。漫画雑誌

売上げ全体は1913億円で、前年比9.4%減(!)だそうで。しかも、

同年の書籍雑誌推定販売金額は1兆9356億円で、売上げの

6割近くを占めてきた雑誌は、12連続マイナスとなっており、

推定販売売上げ部数も過去最悪の落ち込みだったとか。

特に大部数の週刊少年マンガ誌などの凋落は激しいそうで。

矢野経済研究所によると、'12年の日本国内キャラクター版権

商品化ビジネス国内市場規模は、2兆3,075億円でした。7年連続

で減少しています。これは、出版等の版権とグッズ等の商品化権、

併せてです。

アニメ作品自体の、興行セルレンタル配信などの売り上げ

だけの統計としては、メディア開発綜研の発表によると、'11年の

国内市場規模が2197億円です。

この程度で「ケーザイニコケン」だなんて、とてもとても。

ちなみに、「真に」日本経済屋台骨を支える一つである自動車

産業で言いますと、日本自動車工業会によれば'09年の自動車製造

製造品出荷額等は、40兆4,915億円(!)でした。「経済効果」とか

言い出したら、自動車市場買い支える層の方が、ずっと胸を張って

ふんぞり返って良いはずなのに、自家用車オーナーは誰もそんなバカ

な事しやしない。

住宅だって即席麺だって、「アニメ産業」とやらよりずっとずっと

巨大なフィールド日本いくらもある。でも、「オレらが日本経済

にコーケンしてるンだ!wwww」なんてわめく手合いは、「アニメ

とやらにしかいない。

さらにちなみに…

関東財務局によると米本国のザ・ウォルト・ディズニー・カンパニー

名義の'11年期純利益が約52億ドル(約5000億円!)。無論、単純比較

は出来ませんが…。

さら日本アニメの人気の大きな要因は、実は内容の豊かさと

同時に、そこそこの品質でいて安いから。何せ日本アニメ業界

労働環境悪名が高い。「海外で人気」という一見勇ましい

話の裏には、「放送枠の安い“埋めぐさ”として海外で重宝された」…

という悲しい面もあった。

日本アニメ海外DVDの類の安さは、ご存知でしょうか。

何の事は無い、日本国内での減価償却を終えた物件から海外

では安ぅく叩き売っているのです。

しかも、言いたく無いですが海外日本アニメを見てる層なんて、

多くが違法ファンサブ、つまり地下で流通する不法海賊版

字幕付き映像を視聴しているケースばかり。アジア欧米でも。

日本のあの手のコンテンツ海外進出なんて、必ずしも上手く

行ってはいない。

ネット等で「アニメオタクがニポンケーザイをササエてる!wwww」

とか、さも自分の手柄みたいに(←ここ重要)吠え立てるヒトは多い。

そういった層のネタ元は、直接でも間接でも多分この辺でしょう。

野村総研

マニア消費者層はアニメコミックなど

主要5分野で2,900億円市場

ttp://www.nri.co.jp/news/2004/040824.html

これは04年の発表。YouTubeニコ動や、やらおんなどのヤラセ

ステマまとめコピペサイトや、違法動画サイトなど、現在ではシーン

の“大前提”になっている色々が無かった頃の話。いわば「大昔」です。

しかも、この野村の数値は「幅広い一般消費層」と「オタ」を一緒

たにしアイドルゲームだ、果てはパソコン旅行だといった、

いわば“一般層”の消費行動もみんな「オタの手柄だ」みたいに言い

くるめた「水増し」数値なのです。言葉尻でもって、「趣味性の濃い

品の消費」=「オタク」だと、恣意的にハナっから結論ありきで

括っている。

逆に言えば、「オタ経済効果」なんて、最初からそうした「上げ底

ありきの「ホラ」でしか無かったと見ても良い。

なので、この手の「オタクケーザイコーカ」ネタを勇ましく吠える様

な人は、要はただ単にいつも通りアニメヘラヘラ見て、ハシタガネ

でグッズ買っている(敢えてこう言います)だけの事を盾に

自分はニホンをササエる巨(おお)きくリッパな存在だ!」

というイタい夜郎自大の“錯覚”にふけっているだけ。そうやって自我

膨れ上がらせているのです。自分では指一本動かす努力も苦労も無く、

ただ単にいつも通りヘラヘラマンガアニメ見て喜んで、数千円~

多くても数万円程度のハシタ金(敢えてこう言います)を落としている

だけに過ぎないのに。

大体、“経済効果”なんぞで趣味をハク付けしようだなんて、自分

ふける対象が劣っていてゲスでチンケなモノだという劣等感を、

よっぽど抱いているのだろうなぁとしか見えない。通常なら、その

趣味が如何に文化的芸術的文芸であるかを誇るのが、真っ当な

趣味人と言うものでしょうにねぇ。

普段からヘラヘラと喜んで見ているアニメだかマンガかいったモノ

に、いつも通りただ入れ込んでいるというそれだけで、さもオレ様

ちゃんはそのセンモンカさまだ詳しくてグッズ持っててイッパンジン

と違ってて人としてエラくてスゴいンだぞよ!とばかりにのぼせ上がり、

空疎自尊心を満たした気になる…これが語本来意味の「オタク」。

いわば自意識の「タダ乗り」です。

一個の人間が、自分という存在を真に世へ問うなら、自ら自身の掴み

取った努力とか向上心とか、人徳とか功績とかによるのが当然です。

アニメヘラヘラ見て喜ぶだけなんて、わずかなカネと暇さえあれば

誰でも出来ます。そんな事を「おれはオタクさまだ」とか称して振り

かざすなんて、バカげている。

そういう人こそが、「アニメオタクがケーザイコーカでエラくて

スゴい(からただ単に毎日ヘラヘラアニメ見ているだけのオレ様

ちゃんもまた、自動的にリッパでエラい)んだ」とか頼まれもしない

のに吠え立てたがるのです。自尊心と、それと裏腹の劣等感を埋め

合わせる空しい埋めぐさとして。

無論、ご質問主さまはその様な卑しい「下心」なぞとは無縁と存じ

ております

あ、私もマンガアニメは大好きです。DVD類も書籍もグッズ類も

山ほどあります

が、そんな事を盾に「ケーザイをササエテルんだwwww」などと

虚偽を吠えて自尊心を満たした気になどなりはしません…



dorawiiより


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https://anond.hatelabo.jp/20260426163223# 
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2026-04-25

清潔感を出す男の努力って、逆に女性から見てキモく見えないのかな?

30代になって今更、というか30代になってもう若くないからこそ意識してしまうのか?

仕事上のお付き合いや、新しい部署や、その客層などを考えると清潔感意識せざるを得ない環境にある。

それまでよくも悪くも男同士だから!で済んでいたのが、今となっては悪癖となっている部分もあるし、改善しなくてはいけないという責任感もある。

ただそういった清潔感演出する行為のものを、男社会で育ち育てられてきた自分などはキモい行為に感じてしまう。

もちろん服装の身だしなみなどは男社会においても重要できちんとしたスーツの着こなしは最低限出来ていると思う。

あと臭いに関してもきちんと毎日風呂に入っているし、夜ふかしして飲み明かした朝などにはシャワーを浴びてから出勤したりしている。

ただ、これはどうしたらいいんだ?と思う部分がある。

自分はかなりの汗っかきであるのだが、年々歳を重ねる毎に肌が脂性になってきてしまった。

正直寝起きはドロドロ、洗顔してすぐそばから、とくにこれからの暑くなる時期にはテカり始めたりする。

これをどうしたものか?と悩む。

フェイスパウダーというのだろうか?そういった類のものを試してみたところ、確かに専用品だけあってすごくよく出来ている。

自分の肌のテカリが見違えるほどに落ち着く。

ただひとつ気になるのが、どうしたところで白浮きというのだろうか?肌が不自然に白くなっているのは「見れば」わかるはずだ。

もちろん今までのガサツな男だらけの部署だったらそんなことに気づく野郎もいないし、気づいたところで「お前◯イかよ?」とかいコンプラアウトの軽口で済まされるだけだったろう。

しかし、新しい部署ではどうだろうか?

管理職1年目のオッサンが過剰な自意識キモいことしてると思われないだろうか?

あれ?あのオッサン眉毛の手入れとかしてるんじゃない?キモー、とか思われてたら職場雰囲気が悪くなってしまわないだろうか?

などという、自意識のものキモいのは言うまでもないのだが。

とにかく自分としては任された以上よりよい部署にしていきたい。

そのうえで必要であるはずの最低限の身だしなみやマナーを身につける努力はするのは当然だと思う。

ただ男社会で育ってきた自分にはそういった行為のものキモいように感じる。

でも女性の目から見たときはどうなのだろうか?

清潔感への努力キモいのか???

そこがわからない。

2026-04-24

冒頭で「3点」と提示しながら、3つ目の項目が明文化されていません

https://anond.hatelabo.jp/20260424140434

編集者仕事しろ

■主張(要約)

作品への登場を通じて「他者自分という存在のために時間と労力を割いてくれること」の尊さを実感し、それが自己肯定感や生きた証としての深い愛着に繋がっている。

■元記事問題点

冒頭で「3点」と提示しながら、3つ目の項目が明文化されていません(内容から推察すると「自己存在証明承認」にあたります)。

また、全体として「嬉しかった」という感情記述が先行し、なぜそれが「銅像」や「バレンタインチョコ」の比喩に結びつくのかという論理的飛躍が見られます

さらに、特定ネット文化はてな村)の内輪話に終始しており、普遍的な「創作物個人関係性」という視点が不足しています

書き直して

創作物における自己投影:『はてな村奇譚』に見る承認の形

特定創作物に対して、批評的な良し悪しを超えた「抗いがたい愛着」を抱く瞬間がある。

私にとってのそれは、WEB漫画はてな村奇譚』という作品だ。

かつて「はてな村」と呼ばれたコミュニティ舞台にした本作に対し、なぜこれほどまでの思い入れがあるのか。

その理由は、単に知人が描いたからという近接性にあるのではなく

創作という行為を通じて「自己存在他者の手に委ねられ、肯定される」という稀有体験をしたからに他ならない。

本作に深く傾倒する理由は、主に三つの力学に整理できる。

第一に、記号化された自己客観である

私は本作に「金髪魔法使い」という、自身トレードマークを反映したキャラクターとして登場した。

高校時代から敬愛するプロの手によって、自分という存在が「四天王」という物語上の重要役割(たとえそれが「最弱」という道化的な立ち位置であっても)を与えられ

独自ビジュアルで再定義される。この「他者視点による自己再構成」は、単なる自意識の延長では得られない新鮮な自己肯定感をもたらした。

第二に、作品を介した読者との双方向的な距離感だ。

本作は連載中、常に5,000人規模の読者から展開を予想され、議論対象となっていた。

私というキャラクターが登場することを読者が期待し、実際に登場すれば熱狂生まれる。

この「期待と充足」のサイクルを当事者として観察する体験

私を単なる読者から物語共犯者へと引き上げた。

作者から直接献本された書籍も、その密接な関係性の象徴となっている。

第三に、そして最も本質的理由は、他者リソース自分という存在のために費やされることへの感動である

かつての私は、偉人銅像や記念館に対し、本人の名誉欲を満たすための虚栄に過ぎないという冷ややかな視線を送っていた。

しかし、いざ自分物語の一部となり、誰かが私を描くためにペンを動かし

読者が私という存在について思考を巡らせる時間を割いている現実に直面したとき、その認識は一変した。

自分のために誰かが手間暇をかける」という事象のものが、生存証明として機能するのである

これは、バレンタインチョコ価値が味そのものにあるのではなく、贈る相手自分を想起し、準備に費やしたプロセスに宿るのと同義だ。

結論として、この作品は私にとっての「生きた証」であり、名刺代わりのアイデンティティとなった。

たとえ数百万の発行部数を誇るメジャー誌でなくとも

特定コミュニティにおいて明確に記憶され、誰かの創作意欲を刺激したという事実

人生無意味さを打ち消すに十分な重みを持っている。

私たち創作物に深く惹かれるのは、そこに描かれた物語の質もさることながら

その背後にある「自分に向けられた他者眼差し」を感じ取ったときなのかもしれない。

【読者への問い】

あなた特定作品サービスに強い愛着を感じる時

それは「内容の素晴らしさ」に感動しているのでしょうか?

それとも、それに関わることで「自分存在が認められている感覚」を得ているからでしょうか?

2026-04-23

作者はそこまで素人批判批評自作に取り入れないよ

少なくとも自分観測範囲ではあまり見ない

 

批判が無くなるとダメになる」「批評が無いと成長しなくなる」みたいな話、みんな好きだけど(anond:20260421182930 これとか)

プロ編集者同業者プロ批評家)ならまだしも、一般消費者批判批評がそこまで重要意味もつと思うのは、ちょっと流石に思い上がりじゃないかな?

 

大衆」がどうの、「流行」がどうのと言うけど、君たちがそもそも大衆」の一部でしょ(流石に「自分大衆とは違うんだ、特別なんだ」みたいな自意識中学生卒業していると思いたい)

で、大抵の創作物は作る際にまずターゲットを想定するんだよ、そのターゲット層の感想批判なら参考にする事は有るけど、君たちは本当にその作品ターゲットなの?

ターゲットの方を見ず、ターゲット外の批判批評を気にして作品を曲げるのは基本的にやっちゃいけない事だよ

 

「誰かが批判して、それを作者が受け入れ、作品改善する」という単純なストーリーを好んでいる人が多いようだけど、

それが成立するためにはまずその批判が適切で的を得ている必要がある、でも、そんな批判批評、本当に出来てるつもりなの?

そもそも「正しい批判」「正しい批評」なんてあるのかな? それはどのようにして定義され、何によって基礎づけられる? ……みたいなこと考えたことある

「誰かが批判して、それを作者が受け入れ、作品改善する」という単純なストーリーを好む人ほど、実はそこまで深く考えたことが無いし、批判批評に対するメタ意識が無かったりするんだよね(だからこそ単純化しすぎたストーリーを無邪気に信じられる、という話でもある)

 

あと実作者としての目線で言うと、そもそも作品制作プロセスで「批判批評」を参考にする工程が入る事ってやっぱりあんまり無いんだよね

例えば新人賞を取ってデビューする新人作品って、そもそも君たちの目に入る前に完成してるよね。つまりその時点で批評批判による改善はい余地は無いし、

まり初心者からプロとしてデビューできるレベルまでに至る過程に君たちの批判批評が入る余地はないわけだ

で、デビュー後にしても、正直あまりプロ以外の「批判批評」を参考にする工程が入る事はあまりない、編集者の言う事は聞くし参考にするよ? でもそれはプロ意見からだよね(勿論ここは人によるけど)

また、そもそも人気作であればあるほど、感想批評は多くなる。例えば1000の感想批評がある場合あなた感想批評は全体の1/1000という事になるんだけど、これは意識できてるかな?

 

作品改善する」という事に対する解像度の低さも問題だよね

創作経験がない人にありがちな誤解だけど、プラスしかない「改善」なんてほぼあり得ないし、作品にある要素を付け加える「だけ」ということはほぼ無いんだよ

あるものを加えることはあるものを捨てることになる。ただ要素を増やすだけでも「要素が多い」というのがマイナス作用する事は多いから実質上そこでは何かを捨ててる

まりあなたの考える「こうしたらいいのに」って改善案にも何かしらのデメリットはあるし、それを選ばない理由もあるかもしれない、ということ

では何を基準にどう「改善」するか選べばいいのか? その指針のひとつが「ターゲット」だ

その作品は誰に向けたものなのか? 誰にどう思って欲しい作品なのか? そこが重要基準になる。だからこそ「ターゲット」を踏まえない非プロ意見そのままでは利用できないんだよ

 

そもそも、君たちは君たちの批判批評作品にどの位影響し、作品の何%くらいを占めることになると思う? 滅茶苦茶大雑把でいいから具体的に考えてみて欲しい

自分の実感としては1%くらいじゃないかなぁ? と思う。もちろんこれは人によるし、もっと多い作者も居ると思う

で、改めて考えて欲しいんだけど、「批判が無くなるとダメになる」「批評が無いと成長しなくなる」みたいなのって、これ何%を想定してるの?

どう考えても1%とか5%の寄与率の話じゃないよね? その程度の寄与率で「ダメになる」「成長しなくなる」はいくらなんでも大袈裟すぎだよ

かといって寄与率が50%とか考えてるとしたら、まぁ思い上がり過ぎだってのは今までの話で分かるよね

要するにこういう物言いは、自分達の批判批評作品に対する寄与率を具体的に考えたことがないから言えるんだよ

 

まとめると、君たちが「批判が無くなるとダメになる」「批評が無いと成長しなくなる」みたいな事を何でいえるかって言うと、

それは君たちが物事をよく考えてないからなんだよ

よく考えず、雰囲気で口当たりのいい言葉自分にとって気持ちのいい言葉自分に都合のいい言葉大衆流行、媚び、数(という他者矮小化とそれによる自己特別化)、等々)に耽溺しているから言えることなんだよ

作品ターゲットや、批判批評に対するメタ視点、具体的な「創作」や「改善」のプロセス、全体の中の割合、具体的な寄与率、そして「あなた特別ではない」という現実などを考えていればぶつかるはずの壁にぶつかったことがないから言えてるんだよ

 

ま、もしそれでも「批判を受け入れて、改善する」というプロセスを信じたいなら、

まずはこの文章を受け入れて自分を「改善」してみたらいいんじゃないかな?

 

(ちなみに蛇足だけど、プロ批判批評は参考にすると書いたけど、プロ批評家の場合微妙場合もあるね。というのはプロ批評家の批評というのはそれ自体つの作品であり、そこには作為や色々な「工夫」が含まれてたりするからね。

 批評家は批評の中であるストーリー」を構築し、それに沿うように話を作ったりする(その中で沿わないものは捨象したり曲げたりする事もある)し、まず批評家は批評の中で自身ブランディングする必要もあったりする。

 そういう訳で意外と「批評」というのは純粋な「批評」ではないし、それらを踏まえた上である程度距離をとって加工して受け止める必要があったりする)

2026-04-22

anond:20260422220808

第一児ポ法以前はあんな「ロリコンでその罪に震えちゃうけど少女を守りたい。守れん奴は読むな」みたいな自意識なんて全然なかった訳だし

そういう意味ではよく分からんしか言いようがないですね

児ポ法って言えばいいのにって思ってるよ

ガチャにハズレたとしてもそのハズレ遺伝子によって作られた脳に生じた意識自分であって、別の遺伝子だったら自意識も含めてその辺歩いてる赤の他人しかないんじゃないか

ガチャ失敗というのは自分ではなくてもっと優秀な形質を受け継いだ別の個体が産まれればよかったと言っているわけで

それでいいのか?ってなる

2026-04-20

フロントエンドWebエンジニア

Webに限らないIT系ホットエントリ記事に対して心底どうでもいいコメントしてるフロントエンドの人たちがやたら目につく。

この界隈、あまりトレンド流行って廃ってを速いサイクルで回っていくから、本人も気づかないうちに俯瞰的物事を捉える能力劣化していっているんじゃないか

それでいて、その狭い世界いかキャッチアップし続けられているかどうかが一つの業界評価(≒マウント基準)になっていそう。

数年その狭い世界で生きていることに自信を持っている人ほど、自意識が高いままもう修正できなくなっているように見える。

過度に自己評価が高い言動を好んで使うのが目印になっている。

一昔前にはフリーランス(フロントエンド or バックエンド or both)エンジニアとして生計を立てているだけで天狗になって、徐々に距離を置かれている人たちをよく見かけたが、そんなイメージにとても近い感じがしている。

私もそのうちそうなるのかなと思うと恐ろしい。

2026-04-19

anond:20260419101753

ここ数年は、クオリティの割に高くなったな。

ほとんどの人はセンス良くないから、シンプルもので揃えた方がオシャレに見える。

中年オタク個性を出そうとするより、GUマネキン買いした方がオシャレになるのと同様に。

加えて、最近は知らないが、無印は単にものを売るのではなくて「シンプルで丁寧な生活しませんか?」というブランディングで、スタイル提案していた。

それが過度な情報化社会疲れた人たちに刺さったんちゃうかな。

自分たちは、無用な装飾にまみれたダサい人たちとは違う」という自意識も得られるし。

日本北米西欧では、ゲイフォビアの程度に顕著な違いがある

日本海外(主に北米西欧)では、ゲイ」というラベルの貼られ方や、それに伴う社会的圧力ゲイフォビア)の程度に顕著な違いがあることが読み取れます

1. 「ゲイ」と見なされる範囲の広さ

海外特に欧米圏)では、男性日常的な振る舞いや嗜好に対して、非常に厳格な「男性性」の規範存在し、そこから少しでも外れると「ゲイであると決めつけられる傾向があります

2. 猫を飼うことへの価値観の差

男性が猫を飼うこと」に対する反応の差は、両者の違いを象徴しています

3. 歴史的背景とレッテルへの過敏さ

4. 女性嫌悪ミソジニー)との結びつき

海外におけるゲイフォビアは、しばしば女性嫌悪とセットで現れます

このように、海外では「男性らしさ」から逸脱することへの恐怖心が、猫や女性といった特定対象への攻撃性と強く結びついているのが特徴です。

総じて、北米西欧ゲイフォビアは男性些細な行動までをも監視制限するほど範囲が広く、攻撃であるのに対し、日本では個人趣味嗜好に無関心であるという違いが浮き彫りになっています

anond:20260418154907

2026-04-13

努力するイケメンと何もしないブサメン二極化について

職場に、27歳で結婚してもう3児の父になっている先輩がいる。いま40代だが、ずっとジムに通っていて、毎朝きっちりヘアセットして出勤してくる。仕事もできる。家事育児専業主婦奥さんに一任しているらしく、本人はそのぶん仕事自己管理リソースを振っている。

こういう人を見ると、正直「そりゃ勝つだろ」と思ってしまう。体型管理もしている、見た目にも気を使っている、仕事でも結果を出している。人生のいろんな局面で、ちゃん努力を積み上げてきた人なんだろうと思う。

そして実際、その先輩は飲み会でもよく「自分は頑張ってきたし、失敗もしてきた」と語る。そこに嘘はないのだと思う。問題は、その「頑張ってきた」「失敗してきた」が、こちらのそれとは同じ言葉で括れない種類のものだ、ということだ。

 

この前の飲み会で、先輩が10代の頃の恋愛話をしていた。中学高校大学と、ずっと女の子から告白されてきたらしい。でも本人は「告白してくる子と付き合うより、自分から好きになった子を落としたかった」と言う。だから自分からアプローチして、振られたことも何回もある、と。

さらに、中学生の頃の初デートの失敗談も話していた。下見をしていなかったせいで道に迷った、行き先もその場でぐだぐだになってしまった、うまくエスコートできずすごく挫折感があった、と。本人の語り口としては、「俺だって最初からうまくいったわけじゃない。失敗しながら学んだ」という、よくある成長譚だった。

たぶん、その話自体は本当なんだと思う。実際に気まずかったのだろうし、本人なりに傷ついたのだろう。だが、聞いていてずっと引っかかったのは、その失敗談の前提として「常に周りに付き合ってくれる女の子がいた」という事実の重さだった。

告白され続けてきた。自分から好きになった相手に何度か振られた。それでもまた次に行ける。初デートで失敗しても、そもそも中学生の時点で初デートまで辿り着いている。そこに、もう自分とは見えている世界が違う感じがあった。

 

ここで言いたいのは、「イケメン努力していない」という話ではない。むしろ逆だ。彼らの中にはかなり努力している人がいる。ジムに通い、服装に気を使い、会話も改善し、仕事でも結果を出す。

問題は、彼らが努力しているかどうかではなく、努力に対して返ってくるフィードバックの質が根本的に違うことだ。

イケメン人生には、少なくとも若いから「取っ掛かり」がある。話しかければ返事が来る。誘えば検討される。失敗しても、完全なシャットアウトではなく「次はもう少しちゃんとしてほしい」「でも嫌いではない」みたいな、改善可能性を含んだ反応が返ってくる。

もちろん全員が優しいわけではないにせよ、少なくとも人間として評価される土俵には立てる。

これはものすごく大きい。なぜなら、人間ポジティブフィードバックがあると改善を続けられるからだ。筋トレでも勉強でも仕事でもそうだが、少しでも手応えがあると人は続けられる。

恋愛や対人関係も同じで、「やれば多少は良くなる」「失敗しても改善意思があれば…n回目までは…見捨てられない」という経験がある人は、試行錯誤を積み重ねられる。

一方で、ブサメン側にはその取っ掛かりがない。容姿改善努力をしても、良い容姿にはなれないことが多い。

清潔感筋トレ服装、会話術。そういう定番改善策はたしか意味がある。でも、それで劇的に世界が変わる人ばかりではない。そして変わらなかったときに返ってくるフィードバックは、拒絶ですらなく「無視」が基本だ。

これがきつい。拒絶はまだ情報があるが、無視には情報がない。ダメな点がわからない。改善の方向も見えない。そもそも観測されていない。

自分他人人生の画面に表示されていない感じだけが積み重なる。そうなると、人は行動停止と思考停止に入る。

その結果、スタート地点以上の差がつく。スタート地点が良い人は、そこから良いフィードバックを受けながら改善を重ねていく。

からさらに洗練される。見た目も、会話も、仕事も、自己効力感も伸びる。恋愛経験人間関係経験になり、それがまた社会的成功につながる。

逆にスタート地点が悪い人は、最初の時点でつまずき、その後も改善の手応えを得られないまま年齢だけ重ねる。若さという最終的な逃げ道も失われる。

加齢で見た目はさらに不利になり、未経験や自信のなさはコミュニケーションにも出る。行動しないか経験が増えず、経験がないかさらに行動できない。

そして「その年になるまで何をやってたの?自業自得でしょ?」となる。悪循環としてはかなり強い部類だと思う。

自分はこれを、個人努力不足というより、ある種の構造問題として見ている。

もちろん親から虐待を受けていた「トーキッズ」や、ハードコア環境に置かれて前科者になり、その後立ち直れない問題と完全に同じとまでは言い切れない。

置かれている状況も困難の中身も違う。ただ、スタート地点の不利がその後のフィードバックの悪さを呼び、その悪いフィードバックさらに再起を難しくする、という構造はよく似ている。

社会は、家庭環境の悪さ、学歴の不利、犯罪歴の重さについては、少なくとも「自業自得」「他責をやめろ」と切って捨てるのではなく「それは人生に影響するよね」と認める方向に進んできた。

ところが、容姿、とくに男の不利な容姿については、驚くほど軽く扱われる。「中身を磨け」「努力が足りない」で話が終わりがちだ。

でも実際には、容姿が悪いことはかなり強い人生デバフだと思う。しかも厄介なのは、そのデバフが初期値の不利にとどまらず、周囲から返ってくる反応の質そのもの悪化させることだ。

人は反応によって育つ。良い反応を受けて育った人と、無反応の中で萎縮してきた人が、同じ地点に立てるわけがない。

から、冒頭の先輩の「俺も失敗してきた」という言葉モヤモヤする。いや、失敗してきたのは本当なのだろう。

でも、その失敗は、失敗しても次のチャンスがある人の失敗なんだよな、と思ってしまう。失敗が経験値になる世界と、失敗以前に参加権がない世界は、かなり違う。

イケメン怠惰ではない。努力している人は本当にしている。ただ、彼らは女性たちからフィードバックの質がいい。改善を待ってもらえ、再挑戦の余地を与えられる。その環境の中で努力できる。だからますます強くなる。

そしてブサメンは、その逆のスパイラルに落ちやすい。取っ掛かりがなく、無視され、停滞し、老いる。この問題もっと語られていいはずなのに、なぜかずっと「他責をやめろ」で片づけられている。

人生はいろいろなデバフがある。その中で、ブサメンであることは驚くほど可視化されていないデバフだと思う。見えにくいだけで、軽くはない。むしろ、本人の自意識と行動力時間じわじわ削っていくぶん、かなり性質が悪い。

たぶん一番つらいのは、損をしていることそのものより、その損が存在しないことにされることなのだ。

2026-04-04

公式スタッフや作者への「突撃」や誹謗中傷が起きる心理的な背景には、ファン「歪んだ正義感」や「自己アイデンティティ危機が深く関わっています

ソースに基づき、その心理的な要因を整理すると以下のようになります

1. 「公式が間違っている」という認知の歪み

最も大きな要因の一つは、自分妄想解釈こそが正解であり、それに反する展開を描く公式は間違いを犯した」という主客転倒した思い込みです。

一部のファンは、二次創作を「公式予測」や「公式と地続きのもの」と誤認しており、自分の望まない展開(ノマ爆など)を公式による「改悪」や「裏切り」と捉え、正義感からそれを「正そう」として攻撃に走ります

2. アイデンティティ崩壊への恐怖

SNS上で特定カップリングを推すことが、その人のキャラクター性やアイデンティティの根幹になっている場合があります

公式によってそのカップリング否定される(爆破される)ことは、単にストーリーが気に入らないというレベルを超え、「自分自身の存在価値や居場所破壊された」という衝撃を与えます

この恐怖と絶望が、公式への激しい攻撃性へと転じます

3. 「被害者」としての自己正当化

突撃を行う人々は、自分たちを公式の不誠実な描写によって傷つけられた被害者である認識しています

4. 現実逃避先の喪失と「現実」への怒り

一部のファン特に喪女」としての自意識を持つ層など)にとって、作品「生々しい現実自分性別から逃げるためのはけ口」となっています

公式異性愛を確定させることは、彼女らを強制的現実自分がもてない現実や、嫌悪している異性愛主義世界)に引き戻す行為と見なされます

この「安息の地を奪われた」という怒りが、元凶である公式スタッフへと向けられます

5. 陰謀論思想対立への飛躍

ショックが大きすぎるあまり制作側が極右思想統一教会などの宗教団体支配されている」といったデマ陰謀論を信じ込み、それを根拠に「公式浄化しなければならない」という使命感を持って攻撃するケースも報告されています

具体的な事例

ソースでは、以下のような事例が挙げられています

このように、公式への突撃は、ファンとしての分をわきまえず、作品自分思想アイデンティティ肯定するための道具と見なしている」という心理状態から引き起こされています

百合厨と腐女子による異性愛憎悪連盟について

百合厨(女性同士の恋愛を好む層)と腐女子男性同士の恋愛を好む層)という、本来は異なる属性ファンが「異性愛ヘテロ)」を共通の敵として共闘する仕組みには、利害の一致と思想的な背景が深く関わっています

ソースに基づき、そのメカニズム解説します。

1. 邪魔な「異性愛カプ」を排除する利害の一致

特定作品において、自分の推す同性愛カップリングを成立(あるいは妄想を維持)させるために、障害となる異性愛要素を排除したいという目的で協力体制が築かれることがあります

2. 「異性愛主義ヘテロ)」への共通憎悪

作品を楽しむこと以上に、異性愛主義のものが憎い」という思想が、両者を結びつける強力な旗印となります

3. 性別嫌悪過激活動の結びつき

この共闘の背景には、強い男性嫌悪女性嫌悪、あるいは政治的活動フェミニズムアンチフェミニズムが絡んでいるケースが指摘されています

4. 現実逃避先(ファンタジー)の防衛

BL百合を「現実から切り離されたファンタジー」として愛好する層にとって、生々しい現実連想させる異性愛は、自分たちの居場所を壊す「侵略者」に見えることがあります

このように、自分妄想アイデンティティを守るために、邪魔異性愛否定したい」という共通防衛本能が、百合厨と腐女子共闘を生み出す仕組みとなっています

dorawii@新刊発売(予定)

意識という観点で考えてみると、死んだら無になるわけではなく、現実世界でも転生は各地起こっていたとしてもおかしくはないのではないかという考えに至る。

このようなことを言う場合意識の拠り所として魂やそれに相当する概念が持ち出されるが、人口が増え続けているのに永久不滅なる魂を持ち出せば魂に対して入れ物としての肉体が不足していることになるではないか、そうすると意識を持たない人間がいることになるではないか矛盾だ、という指摘が想定される。

ただこれは死んだ瞬間別の肉体に転生するのではないとさえ考えれば解決してしまう瑣末な問題だ。

織田信長現代に転生しているかもしれない。

では転生している信長自身主観にとって、過去信長という存在自分とは連続したものか。

全ての人間は少なくとも脳が生成される以前の時点の記憶を持たずに生まれてくるとされている。

思うに、自分が何かの転生である認識するための要素の核は記憶だ。

自分信長の転生であったとしても、信長であった記憶が引き継げないなら、その転生者にとって信長所詮歴史上の人物しかなく、客体化せざるを得ない。意識連続していても途中であらゆる記憶初期化されることが起これば、その意識連続意識されず、普通はその、主観的にはそれが体験されたとうことにはなっていない、転生というもの否定的に考えるようにしかならない。

これは転生の事実認識が異なるものでありうることをも意味する。

極端に言えば、逆に生まれとき信長前世記憶を持っていたら、誰でも自分信長だと思うようになるということだ。

フィクションの転生物には実は前世記憶であること以外その人間にその前世があったことを証拠付ける設定が何もないことが案外多いわけで、記憶自分が転生者であるという認識を形作っているという考えは実は既にに一般大衆観念になじんでいると言える。

結局私が言いたいのは、死への恐怖への克服だ。

その恐怖の原因の一つは死んだらどうなるかわからいか、せいぜい無になるという考え方によって形作られている。

もし死んだらその瞬間またいつか未来人間に転生するだけだという考えを少しでも信じられるなら、そのようなことを導いた思索の中身の一部でも支持できるのなら、その恐怖も少しはやわらぐのではないだろうか。

私も今私としての記憶自意識を持っている意識を持った肉体は何度も死を経験として今に至っているのではないのかなと思っている。ここで逆に前世記憶があるから前世があるとか、その記憶内容通りの前世があったと考えるのは浅く危うい考えのように思える。ちなみに人口が減少していく場合矛盾はどう解消するのだといわれるとその場合解決はいまのところ浮かばないのでやはり与太話でしかいかもしれない。


dorawiiより


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2026-04-02

映画ドリームシナリオ を見た

存在するだけで、悪。64点。

 

ある日、ハゲの終身教授ニコラス・ケイジの娘がニコケイを夢の中で見たと言う。その後ニコケイはぽつぽつとあった人に夢で見たと言われ始め、それがSNSで公開されるや否や膨大な人からお前を夢で見たという反応が寄せられる。「夢の中に現れる何もしない男」としてバズった彼は一躍調子に乗り始めるが、ある日を境に人々の中での夢の内容が変化、ニコケイは夢の中で害を与えてくる存在として人々からバッシングを受けるようになる。いったい私どうなっちゃうの~?

というようなお話

 

評価めっちゃ難しいんだけど増田向けの映画だと思う。

取り扱われているのは「何かをミームとして消費するSNS利用者浅薄さ」だったり、「なんとなく不快からで行われるキャンセルカルチャーの異常さ」だったり「勝手肥大したイメージで行われるバッシング」だったりっていう増田御用達話題

でもそんな中で俺が感じたのは、制作から視聴者への挑戦。

この話は実は2つのまったく異なる軸がまるで同一軸かのように話が進む。

1つはニコケイ演じる教授の見栄っ張りで自信と自意識が過剰で承認欲求ばかりが肥大してトキシックマスキュリニティにまみれた哀れな中年暴走

もう1つは中年男というぼんやりした社会的ジェンダーイメージ

ニコケイはもう本当にどうしようもない奴で、大学の終身教授かわいい嫁さんと可愛い娘が2人いる以外はほとんど増田みたいな奴でさ。友人と思っている相手からあいつおもんないかパーティー呼ぶのやめようぜってハブられてたり、嫁が男性事業の話をしてただけで嫉妬するくせに自分元カノとばったり会ったら舞い上がってしくじったり、元同僚がより有名な研究者になってネイチャー論文が載るとなったら大学時代の話を持ち出してネチネチ言ったり、張り合おうと俺も本を出すんや!出版社も決まってないし書き始めてもないけど!と自爆したりともう、見ててこいつホンマ……ってなるエピソードがつるべ打ちに出てくる。

そんなニコケイが夢の中で他者を加害する存在になり車に落書きされ、レストランではお前がいると不安から出ていけと言われ客から嫌がらせを受け、生徒から拒絶され、嫁の事業ポシャるところを見て何となく俺たちは「ざまあみろ、お前が悪いんじゃん」という気持ちになる。が、別にニコケイ本人はなんもしてないのだ。

元々ニコケイは夢の中でも「なんもしない、ただ見てくる中年男性」として登場した。もしくは一部の人の中では「えっちなことをしてくる中年男性」として登場する。これは世間的に見てマシなほうの「中年男性」のイメージのものだと言えると思う。でも、でもだよ。中年男性がただ見てくる、のって怖くね?それが何度も何度も続いたら、その先にある暴力の予感を勝手に感じね?

というのが、夢の中のニコケイの変化の本質なんじゃないか

まり中年男性存在するそのこと自体に加害性がある、という異常に差別的イメージ―ーそれこそ、夢の中の加害後の彼が受ける行為ほとんど黒人犯罪者とされていた時代黒人が受けた行為酷似している――がほんのり俺たちの中にある。ということを、ニコケイをウザい中年にすることで正当化させようとしているように俺には見えた。

だけど本来ニコケイがウザい中年であることは、彼がやってもいない加害で世界中からバッシングを受け攻撃されることを決して正当化しないはずだ。だけど、たぶん、見た人の中でも少なくない人は「ニコケイが悪い、彼は加害性がある中年男性からあんな目にあった」と思ったのではないか。そして、それこそが制作陣の逆説的な挑戦だったんじゃないかと思った。

 

ニコケイたまたま大勢の夢に出てくるようになってバズって調子に乗り始める。そうすると当然、見ているこっちもなんやこれしょうもないな、という気持ちになってくるわけ。そしてニコケイ広告代理店に呼ばれ、そこのアシスタント若い美女に声をかけられ「夢の中に出てきたあなたみたいに私をめちゃくちゃにして!」と迫られる。見ているこっちはキレそうになる。しか増田ニコケイは当然無様にも失敗。

したところを境に、ニコケイ大勢の夢で他者を害する存在になる。だけどよく考えてほしいんだけど、ニコケイはこの前後でやってることはなんも変わんないし、世間的にもなんも変わんないはず。アシスタントがそれをSNS投稿した描写もないし、まぁしないでしょ。だとしたらこ事件を境に変わったものは何なのかと言う話になる。

俺たちの視線だよね。

しょうもない男だけど無害(じゅうぶんウザい存在ではあったけど)だったニコケイ調子こいて女に実際に手を出す加害する存在になったと俺たちが認識した瞬間、ニコケイは作中の中の人たちの中でも加害する存在になった。んじゃないかと俺は思った。つまり、俺たちも作中の集合的無意識の一部だったんだよ!ナ、ナンダッテー!!!

そして娘の学校演劇発表会に出ることを禁じられたニコケイ暴走し会場に乗り込み事故的に教師を実際に怪我させてしまう。そのニュースが出回った直後から夢の中にニコケイが現れることはなくなる。肥大した中年男性という害悪イメージが一人の「ニコケイ」になり、「イメージから個人」の話になり、はーしょうもな解散、となったんじゃないか

そうして職も家族もすべてを失ったニコケイはその話を本にして、その本も自分の思い通りにはいかなかったけどもう別にそれでいいやと"今の自分"を少しだけ受け入れる。ニコケイ事件を機に発明された他人の夢の中に入る機械を身に着け、一度も自分を夢に見なかったという妻の夢に入る。そこでのニコケイは妻が以前語ったようにトーキング・ヘッズバカみたいな肩パッドが入ったスーツという肥大した自分自身の象徴のような恰好で会いに行く。

まり彼女にとっては元から彼がそう見えていたんだろうと思う。分不相応自分に振り回されるかわいそうでかわいい人、と。だから彼女だけは彼を夢に見なかった。夢に見なくても目の前にいつもいたのだから彼女に夢であるのが残念だと告げたニコケイゆっくりと宙に消えていって話は終わる。

極めて増田の民のニコケイだったけど増田と違って等身大自分を愛してくれる妻がいたんだから、その妻を等身大自分でただ愛することができていればこんなことは起きなかったんじゃないかとそう思える少し悲しくて少し優しいラストでよかった。

 

まぁ、そんな感じかな。

キャンセルカルチャーミーム化、ハゲSNSでのバズと炎上ジェンダーイメージ増田垂涎のテーマを盛り込んだ意欲作だと思うので暇だったら見てみてほしい。

2026-04-01

自意識高い系

自意識が高いので

何とかしなきゃいけないと思って、仕事で空回りしてしまう。

問い合わせの対応について知ってたり、すぐに答えを持っていたとしても、まずは一旦検討しますと返せるようにするような何かうまい工夫や言い回しがあったら教えて欲しい。

2026-03-29

anond:20260329150313

自分が何者であるかを考えるとき自意識だけじゃなくて外部評価を求めるのって令和の価値観よな

アニメオタクとは?

🥺「ぼくはオタクで詳しくてさ~」

🤥「すごいねぇ、話聞かせてよ」

🥺「今話題の○○は面白いキャラ可愛いし、かなり完成度高いと思うよ!」

🤥「それはただの感想だろ…“オタクの話”じゃない」

🥺「いやいや、これはぼくなりの分析で…」

🤥「どこが分析なんだよ、“印象” を並べてるだけじゃん」

🤥「お前さ、前からそうだけど覇権だの売上だのSNSの評判だの“外側の情報”ばっか拾って、コンテンツの中身を一回も 「分解」 したことないだろ」

🥺「でもちゃんと見てるし好きだよ…」

🤥「見るのと理解するのは別だ

オタクが“カッコいい” “速い”で終わるか?エンジン形式駆動設計思想まで踏み込むから“詳しい”って評価されるんだ」

🤥「作品も同じだ

構成演出脚本作画過去作との文脈、そういう“中身”に触れずに可愛いだの面白いだの言っても、幼稚園児の感想と何ら変わらない」

🥺「でも、みんなそんな感じで語ってるし…」

🤥「それは“流行に乗るための会話”であってオタクの語りじゃない。お前がやってるのは流行を追って会話のネタにしてるだけの、ごく一般的な消費行動だ」

🥺「ぷゆぇ……(オタクけがぼくのアイデンティティなのにぃ🤓)」

🤥「お前はオタクでも分析者でもない

感想分析と言い換えてるだけの一般視聴者

“詳しい自分”っていう自意識捏造してるだけの “一般オジサン” なんだよ」

2026-03-22

anond:20260322004224

そんな理想最初から破綻してる。

 

最近面白い話を読んだぞ。 

昭和に「教養」のちに「自己啓発」が流行ったのは、当時の会社人たちが、能力が成長してるポーズを取るためだったそうだ。

だって、頑張っても、大抵の人間はそんな簡単に目に見えて成長とかしない。成長なんてものは、成長しない時間無限時間過ごした先にしかない。でも会社短期的に各人の査定をしなきゃいけなくて、そこで成長ではなく「頑張ってること」自体評価するようになった。

頑張ってるアピールの道具が、教養自己啓発だった。その道具を使わない奴が、成長見込みのない奴だった。別に自己啓発とかしても資本主義に役立つ仕事能力あがってないけど。

 

からな、お前が言うとこの、自意識だけ膨らんでる奴ら、成長が評価される社会産物なんだってさ。

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