はてなキーワード: 役者とは
エクソシストの映画の撮影前、主人公の神父役の役者が変死してしまう。その代役にアル中で業界を干されているラッセル・クロウが選ばれ、なんかうまく行ってない娘は付き人として撮影に参加。しかし、アル中で脳が委縮したラッセルはろくに台詞も覚えられないし体調も悪い。そうこうしているうちにラッセルの様子がどんどんおかしくなっていき、撮影現場では異変が起き始める。もやしこの映画は呪われているのでは、ラッセル親子の行く末は……
みたいな話。
ちゅ~~~~~~~~~~~と半端やなぁ(ちゃらんぽらん感)。
いや、やらんとしてることはわかるんよ。トラウマの苦悩、演技で自分を追い込むことによる変容、信仰の脆さ、親子の絆、そしてエクソシスト映画。でもこれらを全部やろうとした結果、全部中途半端になってる。
ラッセルは敬虔なキリスト教徒だったんだけどいつも通り幼少期に神父にケツ掘られててそれがトラウマになっている。その後、役者として大成するもトラウマから逃れるために酒と薬の日々を送り、妻が大病を患って死んだ際には更生施設に入っていて死に目にも会えてないので娘との間には距離がある。
そんな彼が皮肉なことに敬虔な神父の役をやることになってストレスはたまり、ディレクターからは過去のこと、酒浸りだけではなく幼少期のことまでをチクチク責められるしどんどん様子がおかしくなっていくが、そのうち本当に悪魔に取りつかれてしまう。
でもここの"役に押しつぶされる"展開がめっちゃ薄いから、悪魔に憑かれる展開へのジャンプがめっちゃ弱い。序盤からラッセルはずーっと鬱々してるし様子がおかしいから、悪魔に取りつかれておかしくなるっていうギャップが薄い。もろちん、これは悪魔?それとも本人?っていうサスペンスはあるんだけど見てる側からすればどっちでもよくね?ってなっちゃう。悪魔だろうが本人だろうが様子がおかしいのには変わりないし。
また、ラッセルが抱えているトラウマが作中で解消されるという展開もない。後半はもうずーっと悪魔に取りつかれて様子がおかしいラッセルが大暴れしていて、これを親子の絆で取り戻す展開かと思いきやまったくそんなことはなく。映画のアドバイザーとして参加していたプロ神父が「ワイがラッセルの中の悪魔を引き受ける!」つって悪魔を吸収し、ラッセルと娘、あとなんかぬるっといてた共演女優みんなでお祈りを唱えた結果、爆発炎上して終了。
別にトラウマの解消はそんなに簡単なものじゃないにせよ、何らかの進展があってもええやん。っていうか、あるべきでしょ。神父様の自己犠牲によって助かりました、まぁ、神父に性加害されたことがトラウマだったのが神父にもいい奴もいるんだよ!で和らいだという考え方ができなくもないけど。でもラッセル、悪魔に取りつかれた神父の脳天に十字架ぶっ刺してるんだよな……殺人だよ……ハッ!?神父の恨みを神父で晴らしてスッキリした!ってこと!?
どんな映画やねん。
信仰の脆さに関しては敬虔な神父として娘に寄り添いこの事件の解決に動いてくれてた神父が悪魔を吸収する際に、彼自身も父親である神父から強制的に洗礼を授けられた存在だったことがわかるんだけど、まぁ、だから何?って感じで。そのことが今回の悪魔祓いに特に有効に働く要素もなかったし。
そりゃ、俳優として神父を演じることで悪魔化したが本心で神を信じていたラッセルと、神父であることを強要されてある意味神父を演じていた神父という対比と、最後の最後で神父として神の御業を見せて大往生してよかったねって感じなのかもしれないけど、少なくともそう見えるように脚本が作られていない。
つーか、神父燃えて死んで次のシーンでラッセルがなんか手紙書いてるシーンで終わるの適当すぎないか。
結局何の話やってんってなるわ。
やりたいことがいろいろあるのはわかるけど少なくとも映画としての接続はうんちだったからか、かなり退屈だった。
まぁそんな感じかな。
あと冒頭から画面が一生薄暗いから目が疲れるしメリハリもなくなってると思う。ラッセルが悪魔に憑かれた表現も、今日日それ?って感じの既視感があるものばっかりでナンダカナーって感じ。ジャンプスケアはちょいちょいあるのでビックリホラーとしてはギリ楽しめるかな。
なので、まぁ、悪魔祓い映画コンプ勢にはギリオススメ。ラッセルが悪魔祓いする映画だったらヴァチカンの方を見た方がいいと思いました。
その2
主人公の下呂くんは女性に免疫のない「毒使い」。行動を共にする結婚アドバイザーの城崎は、見た目は美女だが実は男性という。
特殊能力を持った殺し屋と闘いながら、様々な女性と出逢う展開ってところか。
登場人物の名前は、他にも姫川や嬉野など温泉地の名前にちなんでいるのが特徴的。
アクションシーンもよく動いて凄いと感じるけれど、私としてはバトル以外のシーンの方が好き。
メシアニメは私の好物です。メイドさんもかわいいし、食べ物も美味しそう。
コンビニおにぎり、ナナチキ(セブンイレブンジャパン)、信玄餅(桔梗屋)、たまごボーロ(大阪前田製菓)、サトウのごはん(サトウ食品)、ポカリスエット(大塚製薬)、築地さとうビーフカレー(吉祥寺さとう)、おいしい牛乳(明治)、はちみつ&れもん(加藤美蜂園本舗)、いちごチョコクリーム(マリオンクレープ)など、実在する製品が多数登場。コンビニもセブンイレブンがそのまま描かれている。
食べ物以外にも豆知識が紹介されたり、「鍵をきちんとかけたか気になって確認したくなる」「鯛焼き、頭から食べるかお尻から食べるか問題」など、日常の「あるある」を挟むのもポイント。
おいしそうだし、かわいいし、勉強になるし、ずっと見てられる。
担任の先生は可愛い顔でグラマーだけど、学校中では「怖い先生」と噂されている。
でもそれは単なるコミュ症なだけで、実は声もひょろひょろで体力もない、よわよわ先生だった。
ラッキースケベ系ですね。あと皆んな体の大きさに比べて顔が小さい。
これ、15分でいいかなー。
首を切ることで前世の力を引き出し、前世の偉人の才能を得た者たちが戦うバトルアクション。
主人公は天下の大泥棒・石川五右衛門の才能を持ち、他者の才能まで盗み出すことができる。
「全ての才能を盗み出し、歴史を総括するほどの人物になってやろう」と思っているが、根は優しい人。
人によっては「ドッペルゲンガーは恋をする」というタイトルで知られているかも。
舞台は静岡市。パーマンのコピーロボットのように、能力で生まれた自分のレプリカが学校へ通う物語。
レプリカが過ごす青春や恋、そしてそれを通して本体側が変化していく様が描かれている。
5話でタイトル回収、一旦終わりといった感じ。
〜これはいじっぱりな二人が、「愛してるゲーム」に翻弄される物語である〜
幼なじみ同士で、「愛してる」って言って照れさせた方が負けというゲームを続けている、恋愛頭脳戦。
幼少の頃は単なる「からかい」だったようだが、互いを意識するようになってからは、この関係を繋ぎ止めるためのゲームになっているようにも感じる。
サンデーならではの、「魔法使いが長生きしすぎるやつ」「勇者の声マジイケボだよね」「あの世界の住人銅像たてすぎじゃない?」といった小ネタがあったり。
3年ぶりの2期。
異世界転移した先で万能農具を片手に農業生活をしていたら、様々な種族が移住してきて、村ができて村長になっちゃいました。さらに子供も出来ちゃった。
鉄腕ダッシュの「DASH村」や「DASH海岸」が好きな人は好きかも(あそこまで本格的ではないが)。
異世界でのんびりスローライフと言いながらバトル多めになる作品が多い中、こちらは基本的に農業や村開拓を続ける感じ。
4話で村民同士が戦う武闘会(お祭り行事)があるが、農業アニメと舐めていたら驚くくらい、しっかりとしたバトル描写になっていた。
きらら。秋田から東京のお嬢様学校へ編入するはずだったのが、女子寮を兼ねる漫画喫茶「ヘッジホッグ」に住み込みで働くことに。
住居は一畳間、漫画喫茶暮らしということでこのタイトル。あとはいつもの可愛い女の子たちの日常コメディ。
客があまり登場せず、登場しても店内トラブルで帰ってもらうことが多いため、経営している感があまりない。
荒川弘が描く幻怪ファンタジー。1話の驚きの展開で、掴みはオッケーじゃないでしょうか。
主人公の「どうなってんだよ、これ」「なんなんだよ、なにがおこってんだよ」という反応、私自身もまさにそれでした。
OPはVaundy、EDはyama、Vaundyとのタッグで、作詞・作曲・編曲をすべてVaundyが担当している。
冴えない陰キャだった頃の自分へタイムリープし、灰色だった青春を「虹色に染めてやる」という作品。
主人公はコミュ障ではあるものの、前世でもそれなりの経験を重ねており、第二の人生ではあっさりカースト上位にいてモテる「強くてニューゲーム」状態。
ただ自己肯定感は相変わらず低く、そんな主人公と周囲の間に生まれる「不協和音」や「ギスギス感」が個人的に好き。
3話でAqua Timez『決意の朝』が歌われる。もう20年前の曲なんだよなー。
幼馴染が主人公を「あなた」と呼ぶ点には少し違和感を感じる。名前呼びか「あんた」ならしっくりくるのだが。詩ちゃんかわいい
OPは前島亜美、EDは愛美。EDのアニメーションの担当は、ズーマー好きなんかな。
主人公の女の子・スピカは、ある日言葉を話す猫と出会う。その正体は有名な天才魔術師。
お互いの利害が一致し、猫と師弟関係を結んで1等魔術師を目指す物語。
スピカは猫の封印を解くことができる(時間制限あり)。封印解除には魔力の注入が必要だが、ただし魔力は尻に入れる。
「天才になれなかった全ての人へ」2019年にドラマ化されている。
絵を描くのが好きだけれど才能がない光一。
絵の才能を持ちながら、父の死をきっかけに描くことを止めてしまった左利きの女の子、エレン。
仲がいい訳ではなかったが、結果的に光一がエレンの背中を押す形となり、それぞれの人生が進んでいく。
光一の社会人パートは緊張しながら見るなあ。私にも神谷さんみたいな人いたなあ
テレビではテレ東系列,AT-Xだけ。一部地方では放送されていない。これ全国放送してほしかった
OPはALI、ちょっとバブルガム・ブラザーズのWON’T BE LONGを思い出す歌。
1年ぶりの2期。前世では最強の王と呼ばれながらどこか孤独な人生だったが、転生先では家族や友人に囲まれながら心身共に成長していく。
今シーズンも地上波はテレビ東京のみで、全国ネットではない。BSでも放送して欲しかった。
OPはSIX LOUNGE、EDは22/7。Season1のEDはアーサーが走りながら成長していく感じだったが、Season2はテシアがそんな感じ。
テシアがヒロインなのは分かるけど、私の中ではジャスミンがヒロイン。
『野生のラスボスが現れた!』と同じく、アニメと同じタイミングでサンソフトからゲーム化された作品。
夏休みの前日に当たる終業式の日、教室に入ろうとした瞬間に異世界転移してしまう。
過剰とも取れるオーバーリアクションや奇行が目立ち、テンションが変なアニメに感じたかな。
転移直後に出会ったエルフとは2話で別れ、主人公は新たなパーティーを組む。
一方、エルフたちのパーティーストーリーも並行して進んでいて、これまた1クールでは収まりきらない感じかな。
天才王子と自称悪役令嬢ポンコツ転生者との、ハートフルストーリー。
令嬢バーティアは転生者、王子セシルはゲーム世界のキャラクター。
乙女ゲームの悪役令嬢へ転生してしまうというよくあるパターン。
が、特色は、よくある転生悪役令嬢話とは役割が逆になっている点。
通常はゲームの展開を全て知る転生者が世界を変えていくものだけれど、
今作は、完璧なセシル殿下がバーティアを観察し、言動や行動を基に世界を変えていく展開が面白い。
感情などないようにあれこれこなすセシルだが、オモシレー女、バーティア嬢に心動かされていく。
EDの絵いいなー。
2期で飽きてきたのだけれど、今回は好きかも。主にテンポが良くなった気がする。
「愚者の奇行団」とは対立したくなかったという思いも何とかなりそうだし。
ハッコンのランクがついにレベル3へ。ランクアップは1期7話以来。
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の作者による作品。
四季の神々から与えられた特別な力で各地に季節を巡らせるという世界のお話。
そんな春の季節の「代行者」と、その代行者を守る護衛官の物語が描かれている。
その時何があったのか、そして戻ってくるまでに何があったのかは、毎話少しずつ明らかにされていく。
6話まで観ると大体の状況が掴めてくるのと、EDの持つ意味も分かってくる構成。さくらの声の人の演技にちょっと感動。
それぞれのエピソードの終盤で登場人物の感情が溢れる様子、感動を誘う演出は、まさに『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』といったところ。
タイトルも内容もなかなかクセのある作品。現代アニメーションの見本市。
女神の力で別の世界の「何か変なモノ」に転生し、その世界を見届けて人生を終え、女神の元へ戻って異世界での出来事を確認する。そしてまた転生しての繰り返し。
転生先の世界は毎回異なるクリエイターが担当しており、アニメだけではない多様な表現が試されてる。
特殊な映像や演出が目に飛びすぎて、全然話が頭に入ってこない……というより、むしろ「違う面白さ」がある。
EDはshallm。EDでは本編のメイキング映像が流れるのも特徴的。
女の子が酒を飲む作品です。 私の中でこういった系は『たくのみ』以来かもしれない。あと今作はタイトル通り百合度が高い。
お酒の豆知識をゆっくり解説してくれるコーナーがあるが、どう聞いても、どう見てもひなたとあおいです(クレジットには「スマホの声」と記載)。
いいですね、酒アニメ。私も角打ちによく行きます。私は芋のくっさいのが好きです。 酒の味なんて分からず、酔いと雰囲気だけ楽しむ「ダメな大人」になってしまいましたが。
EDは毎回同じ曲だが、歌う人(キャラ)が毎回違う。 EDアニメーションも毎回異なり、登場人物の「ある日のストーリー」を描く《ヤマノススメ Next Summit》方式。
2年ぶりの2期。間があいたが1期振り返り特番があったので助かった。
魔法至上主義の世界で、まともに魔法が使えない「落ちこぼれ」主人公が剣で活躍する話。
2期では落第し、失意に沈む主人公ウィル。街では年越しの大結界を張る行事が行われていた。
無事に結界が張られたと思った矢先、不穏な魔法円が出現し、街はモンスターに襲われる。
1期ではダンジョンを潜っていたら本来ここには現れるはずがない高レベルなモンスターが登場したり、
今回は街が突如戦場になったりと、ダンまちを見ている人は既視感を抱く展開(原作者が同じ)。
まさか第16話の杖と剣が交わるウィストリアまでがプロローグだったとは
2009年にKAT-TUNの亀梨和也でドラマ化されている。 美味しんぼのワイン版と表現するのは少し雑か。
1話ではそこまで気にならなかったけど、さすがに2話以降は気になってきた。(プロの声優ではないとはいえ、それでも上手い方だとは思う)
話は面白いのだけれど、やはりこの声と展開の早さが、私にはちょっとしっくりきません。
田舎の空き家を管理する主人公と、そこに集まる霊獣たちの物語。
異世界放浪メシの「フェル」に似たキャラクターがいるので、スライムの「スイ」がいても違和感なさそう(「我、山神ぞ」すみません)。
主人公には霊を祓う力があり、メモ用紙に文字を書くだけで、その辺の陰陽師以上の力を持つ霊祓いアイテムになる。
背景がすごく綺麗で、そこまで大盛り上がりする展開はないけれど、落ち着いて見られる個人的に結構好きな作品。
めちゃくちゃ好きなんだが。
歌劇学校を舞台に、決して華やかではない「人と人との歴史を紡ぐ青春群像劇」。映画にしてもいいのでは。
話によって焦点を当てる登場人物が変わり、時代や場所も淡島・鎌倉・広島ところころと変わるため、少し頭の中が大変に感じる人もいるかも。
登場人物はそれぞれどこかで繋がっており、後になって「この人はあのエピソードの人か」と気づくと楽しくなる。
公式サイト(https://awajima-anime.com/story/)の各ストーリーページ下部にある相関図を見ると、つながりが分かりやすい。
同作者の過去作で、鎌倉が舞台だった『青い花』(漫画/2009年アニメ化)とも少しつながりがある。
1年半ぶりの4期。私は少数派かもしれないけどバトルより会議の方が好きです。
勇者と魔王みたいな善悪2者対立した話なら力でバトって分かりやすいんだけど、
こうも役者や国や思惑が増えてきたら会議がないとしっくりこないので。
さてこの度はテンペスト評議会への参加の件。欲まみれで舐めている議員たちはどうなるか
・「さあ行くぞ(ガチでレジェンド過ぎるキャラ名) 俺の舌と身体を貸してやる!」
かっこよすぎやろ
・数多のコピーバンドが演奏しまくったレジェンド名曲の元ネタ歌手みたいな
どっかでみた「数多のコピーバンドがどれだけ演奏しても結局勝つのは
漫画力によって読者ワイが
キャラクターの演技力を分らせられるタイプの役者描写、ありがてぇ…
全然雰囲気違うテーマなのにめちゃくちゃ面白い作品をお出ししてくれるの
ほんま天才すぎる
500年前のシェイクスピアの描いた
・なんか北斗の拳みたいになったなと思ったら北斗の拳元ネタだったでござる
赤ペン先生通り越すんやなって
摂取できない栄養素 ハルロド作石先生は腐女子への媚がない作家さんという
イメージがあるのでより一層染み入る
どんな苦境でもシェイクくんを支えてくれ
陰ながら寄り添ってくれる健気幼馴染くんは
シェイクスピアに健気に寄り添い支え続けるし一周回ってようわからん…(好き )
一人だけ風と木の詩やん…ってなった
・ワースくん、本屋さんを信頼できねえ…と言いつつも
まああの人の持ってくる種本がないとそもそも脚本始まんねえもんな…
・キャラの過去掘り下げエピで小学館?でやってた方のスキャン画像が
見開きででてくるのめちゃくちゃ大人の都合感じたな…
なんか色々あったんやなって…
出てくるのは同じキャラなのに出版社とか編集さんとか変わると全く別物になるんだなと思った
顔の前で腕を組んで自信満々顔のシェイクが黒背景で言い放つ「(ガチレジェンド名作 )だ!」が
・毎回巻末に載る資料の量がエグい
・実質ロミジュリ前で最終巻だが
めちゃくちゃ読んでて気持ちのいい所で終わったし
ロミジュリは子供同士の恋愛の話だからリチャードは演者として出ないから
残念だけど…まあ…しゃーないか…楽しませてくれてセンキュー!と
潔く諦めがついた
終戦直後の沖縄で米軍基地から物資を盗んで市井の人に配布する強盗団を結成していた瑛太と妻夫木と窪田、そして瑛太の恋人の広瀬すずら。ある日、基地に潜入して武器を盗もうとするも失敗、逃走中に留守番の広瀬はともかく3人ははぐれてしまう。そして6年後、捕まって刑務所に行った窪田はヤクザに、妻夫木は刑事に、広瀬は女教師にそしてリーダーの瑛太は行方不明になっていた。瑛太の行方をそれぞれの立場から追う、3人だったが戦後の沖縄の大きな歴史のうねりに翻弄されていく。
みたいな話。
とりあえず沖縄基地問題にあんま興味がなくて3時間越えは長いなぁ~って人は多分見る必要ない。
なんか超分厚い原作があるらしいって話は知ってて、まぁそっちでは戦後の沖縄の歴史と人間ドラマを濃密に描けているんだと思うんだけど、それを映画化するにあたってどこを残してどこを切るのかという判断をぶっちゃけ失敗していると思う。この映画191分もあるのに人間ドラマを描くのか沖縄の戦後史を描くのか圧倒的にどっちつかずだし、沖縄戦後史に振るには全然覚悟が足りないと思う。
まず人間ドラマなんだけど、基本的には主人公妻夫木らオキナワンチュたちの精神的支柱だった瑛太がある日の侵入失敗後に行方不明になってしまい彼を探すことがこの映画のメインだと思うんだけ、これがすげーふんわりしてんだよ。
妻夫木は瑛太を探すために刑事になったんだけど、その設定も序盤にちょろっと米兵がらみの殺人事件を捜査するパートが入って、その後、米軍諜報部の人間と組んで不良軍人を協力して捕まえる代わりに情報をもらう感じになるんだけど別になんかそんな重要な情報出てこない。さらに深入りすると本土の人間が乗り込んできて拷問されたりするんだけど、これもあんま意味が分からんのよな。
一方の窪田は刑務所でヤクザネットワークに加盟してそこから情報を掴んでいくんだけど、そこがもう断片的にしか描かれなくて「はい、情報出しときますね~」って感じで全然情報が集まっていくわくわく感やスリリングさ謎解き感がない。まぁ、妻夫木よりはマシだけど。そして瑛太の件とは別に関係なく米兵狩りを始める。
広瀬は頑張って瑛太が奪った物資で建てた小学校で女教師になりました。
なお、小学校には米軍機が墜落して爆散した模様。そしてその後、瑛太とかとは関係なく沖縄開放運動家になります。
あと、なんか序盤では花売ってたわけわからんガキがその後、急に成長してイケメンになるんだけど、で、こいつは誰やねん。なんか急にイケメンわいてきたなと思ったら花売りのガキだったってなるんだけど別にこいつなんか花売ってただけで何の存在感もなかったしなぁって感じ。で、実際にはこいつが一番のキーマンで実は米軍の偉い人が現地民孕ませて作った子供で、その現地民がたまたま瑛太たちが侵入した日に米軍基地に侵入していて爆裂出産。そこに瑛太がうっかり出くわして子供を託され、育てていたのでした。
そしてうっかり撃たれたイケメンに導かれた3人は浜辺に移動するとそこには白骨化した瑛太がおり、安易な回想シーンで真実が流れなぜかたぶんその回想シーンを見ていた3人は感動するのであった。何の話やこれ。
ちなみに米軍諜報部と本土の軍関係者が隠そうとしていたのはこの隠し子スキャンダルのことでした。意味わからん。
瑛太はもう死んだ母親と赤ん坊に出くわしただけでその出自は知らんし、イケメンは当然当時赤ん坊なのでそのことは知らん。まぁ偉い人と現地妻の写真が入った首飾りは持ってたけど別にそれがなんにもならんし、なんなら何を現地妻と写真撮ってるねんという話だし。別に撮ったけど肉体関係はなかったって言えば全部収まる話だし。この話に何の引きがあるねん。ばからしい。
じゃあこのメインストーリーを雑に扱って何をやっているのかっていうと、沖縄戦後史の紹介をやっているのね。
米兵による現地民への被害。逮捕しようにもMPがやってきて米軍に連れ去られ無罪にされてしまう。米軍機が墜落してきて子供たちが被害にあうも無罪。苛烈化する市民運動。この忘れられた米軍統治下の沖縄の様子をしっかり映すことに時間をかけている。そして妻夫木と広瀬はそこの渦中にある存在として歴史に翻弄される必要があるので本題の瑛太捜索に時間を全然割けない。
もちろんこれを戦後80年記念に映像化することに意義はあると思うし、特にたっぷり金をかけて作ったであろう終盤の大見せ場のゴザ暴動のシーンなんかは十二分に見応えがあったけど、でもなんていうか映画の本筋と全然接続してないからどうしたってのめりこみが弱くなる。まぁこれに関しては俺が沖縄に全然興味がないからそうなっちゃうのかもしれないけど、なんていうか思想強いなぁって感じ。
でも別に、俺はイラク戦争興味なくてもアメリカン・スナイパーは面白かったしベトナム戦争知らなくてもランボー(無印)は面白かったし、ドンバス紛争知らなくてもコードネーム:レイブンは面白かったからなぁ。だからこそ、大事なのは何を見せるかだと思うんだよな。
たぶん製作陣は沖縄の戦後史を見せることが大事だと思ったんだと思うんだけど、でも、たぶん映画ってそうじゃないんだよ。三者三葉の立場で瑛太を追う中でそこに横たわる困難として沖縄の呪われた戦後史がにじみ出てきてしまう。そういう感じのほうがちゃんと面白い映画になったと思うんだよ。本だったらいいよ、心置きなく全部書けるから。でも映画、映像媒体はそうじゃないじゃん。時間制限がある中で何を描くのか、何を描かないのか。そして直接は描かない中でも見せることが腕ってもんじゃねぇの?
じゃあ沖縄戦後史には全力投球で完璧なのかというの全然でさぁ。
最終的に窪田が米軍基地にテロを仕掛けるんだけどそこで妻夫木と妻夫木の論争になるんだけど。「返還されても沖縄は何も変わらない。だから俺はテロでアメリカだけじゃなくて本土の人間にも沖縄の怒りを知らしめるんだ。怒りで世界を変えるんだ」派の窪田に対して、妻夫木は「暴力じゃ何も変わらない(陳腐)。でも諦めなければ10年後、20年後には世界は変わっているはずだ。人間は愚かじゃないから今の沖縄みたいな間違った状況が続くはずがない」と諭すんだけど、10年後も20年後もそんな変わってないのを知ってる人間がこれ書くのなんかグロいんだよな。
もちろん、まぁ変わってないんですけどね(嘲笑)みたいな映画らしい悪意があるのかっていうとなんかそんな感じでもないんよ。これがブラック・クランズマンみたいにエンディングの前、暴動も治まり日常に戻った主人公たちがテレビをつけると久米宏が沖縄米兵少女暴行事件を伝える映像が流れるとかだったら覚悟あるやんと思うけどさ。なになんかキラキラディベートタイムで消費してんねんと思う。
あとそれで言うと、窪田が急に最後に本土人にキレてたけど、この問題で重要なのはアメリカ人よりもむしろ本土人なのに作中ではその視点はほとんど登場しない。あまりに片手落ちすぎる。
他にもいいたいことは山ほどあるんだけど、とにかくたぶんだけどこれ原作読めばいいだけの映画なんだよ。
もろちん、日本映画史上有数の25億の金をかけて当時の街並みを再現して2000人のエキストラバージンオリーブオイルを集めて撮った暴動シーンなんかはスケール感があってよかったけどだったら191分もいらないんだよ絶対。そこまでの吸引力はないよ。ただ、役者はよかった。みんな芸達者で特に瑛太は薄汚れていてもこいつが青学の柱なんやなっていうのが一目見てわかるような沖縄の太陽みたいな役をよく演じてたと思う。
まぁそんな感じかな。沖縄基地問題に関心がある左翼と沖縄人が見ればいい映画で、エンタメ系が好きな人は別に無理してみる必要ないと思う。長いし。110分くらいだったら50点くらいあっていいと思うけど、そこからさらにホラー映画1本分見せられてこのオチだったからこの点数で提出です。
あと、これは完全に余談なんだけど俺は全然つまんなくてこれホンマにどういう態度で見るべき映画なんやと思って、↑まで書いてからいくつか解説動画を見たんだけどこれがちょっと面白くてさ。
まずエンタメ映画を多く紹介しているチャンネルではおおむね不評で論としては意義は認めるし映像も頑張っているけど映画としては散漫という評価。
そしてこれを絶賛している人の多く、というかほとんどが作品じゃなくて作品背景、沖縄にはこんな歴史があってぇ米軍はこんなにひどくてぇだからこの映画を作るってことには意義があってぇみたいなことが評のほとんどを占めていて、作品の内容じゃなくて意義を評価するって方法があるんだなぁという学びを得た。
Hatelabo::AnonymousDiary The Movie。75点。
酒屋の自販機を破壊した罪で逮捕された自称サトウジロウを取り調べることになった染谷将太。そんな染谷にサトウは自分は霊感があり、秋葉原で何か起きる気がすると言い出す。何言うてるねんと思っていたら秋葉原で爆弾が爆発。サトウはこれはあと三度起きると言い染谷の説得もむなしく2発目が爆発。本庁から乗り込んできたゴリキャリの渡部篤郎と天才肌の山田裕貴にバトンタッチ。警察組織VSサトウジロウの戦いが幕を開ける。
みたいな話。
いや、面白かった。
佐藤二朗オンステージって感じで多くの福田作品で見せる感情の入ってないクソ演技をさせたら日本一の異名を持つ佐藤らしい空虚な異物としてのサトウジロウを完全に演じきっていて意外にいい役者だなぁって思った。一方で一見柔和が陰気で神経質で権力的な渡部や、覇気のない染谷、無邪気な天才山田あたりはなんか"いつもの感じ"で弱く見えたかな。製作的にも今回は佐藤二朗を見てくださいって感じだったんかな。
で、話としては激ヤバ組織である警察相手にそのヤバいところをサトウがガンガンに打ち返してそれを突き付け崩していく。恩義のある刑事を庇った結果冷や飯食わされて無気力な染谷、功名心とエリート意識にとらわれる伊勢、自身を規律と権力の代表者であると思い込んでいる渡部、自分を天才と思い込んでいる山田、そしてなんか外にいるやっぱり功名心に囚われた矢吹巡査。それぞれの抱える火薬にサトウが口巧みに火をつけて次々と爆破していく。
一方でサトウ本人に実は主張はない。この計画自体も元々はサトウのものではなく、殺人現場に夜な夜な忍び込んではシコっていたことが週刊誌に取り上げられ大バッシングを受けて自殺した刑事の家族が計画したもので、サトウはそれに後乗りしただけ。途中で犯行声明動画が投稿され、そこで動機らしきものを語るがそれも元の犯人の動画を模倣しただけ。取調室内で語るほとんどのことはウソであり、相手を翻弄したいだけ。
途中、功名心から足を吹っ飛ばされた矢吹のバディである伊藤沙莉がサトウを罰しようと取調室に乗り込んできた際にサトウはその悪意を一身に受け射精する。また、渡部を執拗に挑発し渡部が自負する規律と倫理の代表者という仮面を強引に剥がし自分の指をへし折らせる際にも笑っている。彼はブラックホールのように相手の感情を取り込むことだけを目的に動いているように見える。
つまるところ彼は空虚な内面にSNS上で得た空虚な情報を吸収し、それを凶悪なエントリやトラックバックで発散することで他者の感情を煽り怒らせ自分に対するレスを誘発しそのことでシコる増田の化身のような人間であると言える。つまりこの映画もまた増田である。
最もサトウに近い無邪気な天才山田を徹底的に煽り最終的に彼が天才ゆえに持つ厭世観や世間への身下しを引き出し彼は取調室を去る。そして組織という社会の中で抗えない大きな流れの中で無気力な一般人としての染谷と再会したサトウは「お前、この大騒動でワクワクしてただろ」と社会不安が起きると急にウキウキしだしSNS煽りをはじめ、「お前はこのままダラダラ生きていくのか」と煽るが、染谷は「俺は別にそれが不幸だとは思わない」ときっぱりと線を引く。
それを見たサトウは「今回は引き分けと山田に伝えろ」と告げる。
彼は今回の事件で出会ったすべての人間、渡部、山田、伊勢、伊藤、矢吹、明日香の心の中の爆弾すべてに火をつけることに成功したが、唯一今回の事件の発端となったシコり刑事に寄り添った染谷の爆弾には火をつけることができなかった。だから彼は今回の勝利をいったんは放棄したんだろうと思った。どれだけ煽っても煽りに乗ってこなかった増田に、まだ増田も捨てたもんじゃないなと独り言ちる俺のように。
空虚なサトウがその空虚さゆえに相手にの心の爆弾を爆破するという作品のメインテーマに全部りしているので、ロジックで見れば決していい出来とは言えない。犯人はシコり刑事が電車に飛び込んだことで多額の借金を背負って一家離散したという設定だが、金だけならそんなもんは相続放棄すればよくね?と思うし、元々山手線を爆破する予定で爆弾を作っててその計画自体はもうほぼ完遂してたのに何で爆弾そんなに余ってたん?って感じだし、その爆弾も缶やペットボトルに仕込んで自販機に入れてたって話だけど山手線の自販機に売れ行き的にもさすがにリスク高すぎね?
渡部を破壊したホームレスと園児を秤にかけた爆破事件も実際にはホームレスの炊き出しと幼稚園、両方に爆弾を仕掛けていて渡部に幼稚園を選ばせて「お前は死んだのがホームレスでほっとしただろ!」って突き付けてたけど、これうまいこと爆弾が見つからなくてどっちも爆発してたらどうするつもりだったんやろかと思うし。
真面目に見たらツッコミどころ満載でう~んってなるけど、サトウジロウの暗号ゲーム自体がフィクションラインだいぶ低いよねって言われたら確かにな~、なんか悪役がなぞなぞ出してくるレベル帯の作品、アメコミとかそういう感じで見るべきなんだろう。
まぁそんな感じかな。
画で言うと冒頭のアキバ爆破シーンめっちゃ頑張ってたし、何よりサトウジロウと警察たちの鼻詰まる攻防戦をたっぷり楽しめる。ぶっちゃけ俺は大したメッセージ性は感じなかったけどサトウジロウは増田だったと考えると、俺の中にもサトウジロウという爆弾は眠っていると言えたり言えなかったりするかもしれないししないかもしれない。
6人殺害の容疑で有罪判決を受けたイドリス・エルバは仮釈放審議会に挑むもにべもなく断られブチ切れて脱走。捕まる前に付き合ってたジョカノのところに行くと、なんか知らん男と仲睦まじくしたっぽいのでブチ切れて殺害。車で逃走中にブチ切れて交通事故を起こしウロウロ歩いていると主人公の黒人女性の家にたどり着く。イドリスが殺人犯と知らない黒人女性は彼を迎え入れてしまい、ドタバタ劇が幕を開ける。
みたいな話。
イドリスが本当にひどい役でさぁ。イドリスだけあって演技はちゃんとしてるんだけど脚本がバカすぎて、最初、仮釈放審議会では理性的な人間であるアピールから入るんだけど、審査官の一人にちょっと煽られたら目の前がキーンなってブチ切れ。彼女に会って彼女が浮気してると思うとキーンなってブチ切れ。主人公の友人にちょっと煽られたらキーンなってブチ切れ。なんやこいつ。
いかにも困った無害な人っぽい感じで主人公の家に侵入して信頼を得ていくんだけど、そもそも何がしたいのかイチミリもわからん。車が事故って逃走手段がないのでそれを何とかしなければいけないというのはわかる。わかるけどなんかそれを探してる感じもない。ちょろちょろ主人公にコナかけながら一方で電話線を切断し、刃物を隠す犯人ムーブ。
そのせいでイドリスを信用していた主人公に「あいつなんかおかしくね?」って気づかれる。なにやってだ。
主人公はロースクールで夫と出会って元地方検事局で検事をやってたキレもの設定だけどイドリスをコロッと信じて、親友が不信がってても気にせず決定的な証拠が出てくるまでは気付かず、その後は頭を使って反撃するでもなく隠れて刃物で刺すアサシンムーブ。
車で移動中に人質をバッチリとられているのにすれ違ったパトカーに合図を送ってそれに気づかれ、警官を前にモタモタマゴマゴ。最終的にこいつのせいでパトカーに乗ってた警官はイドリスに撃ち殺されてしまう。遺族への賠償金お前が払っとけよ。
最後はドタバタアクションの末に銃でイドリスを撃ち殺して終わり!
これ、元検事設定いった?
ストーリー的なツイストとしてはイドリスの彼女の付き合ってた相手が、実は主人公の旦那だったことが最後にわかって主人公が旦那にパンチして終わりっていうのはまぁ、あ、そうなんや程度の驚きはあったけど、別に話の本筋には関係なくね?って思う。
この作品が「(狂暴で凶悪で汚い)男性と戦う女性」をエンパワーメントするために撮られた映画であるなら、知性的な感じを見せておいてすぐにキレて暴力を振るうイドリスや、結婚することで検事としてのキャリアを失った主人公にお前が選んだことだと糾弾し仕事にかまけて家のことを全部主人公に押し付けながらも外に女を作っていたモラハラ夫が登場する必然性はあったと思うけど、言い方は悪いけどあまりにも「そのための設定」すぎて、あーはいはいって感じ。
とにかくこの映画でなければ見られない新鮮な展開とかは一切なく、キレやすいバカな殺人犯が乗り込んできててんやわんやあって、移動しててんやわんやあって最終的に主人公が銃を奪って撃ち殺して終了!っていう1000回は見た展開をいまさら再生産してどうしたかったの?って感じの作品だった。
いまふと思ったけど、
ただ、「そう見せるのが巧いだけ」なんだと思う
温厚篤実だったり本当に仕事熱心だったり他利的だったり誠実なんかではないんだろう
そう振る舞っているだけ(本当はヤベーものを抱えていて、それを表に出さない。ごく稀に漏れる程度)
演技が下手な奴は「異常者」扱い
神経発達障なんかは完全な「大根役者」
勿論「本物」も居る。本当に「出来た人」
「生まれつき」もしくは「多大な努力によって『そうなった』」人達
「本物」になるのは難しくても、「役者」になることはある程度の努力で可能だからな
演技巧者とまではいかなくても、人に伝わる演技が出来るくらいにはなっておきたいものだ
本当は幼少期から徐々に演技力を身につけていくべきなんだけど、自分でそれに気付ける子は稀だろう
偶に大人がピンポイントで演技指導したりするけど、それじゃ足りないんだよな
だから社会に出る前に付け焼き刃でもいいので、ある程度モノにしておかないと
要らん苦労をすることになる
親御さんはお子さんを立派な俳優に仕立てることを忘れないで欲しい
親心としては「本物」になって欲しいだろうけど、それは「指導」でなれるもんじゃないのよ
自分の子が「本物」じゃないなと早い段階で気づくだろうから、そっからは演技指導に入ってくれ
でも、「演技巧すぎる犯罪者」とかにならないように目を光らせてくれよな
割と居るよな。まあ、虐め加害者なんかはこの類よな
あと、横国出てサッカー上手くて教員になって文科大臣優秀教職員賞とか貰いながら学生に猥褻行為を働いてお縄になる様なタイプな
新人賞やコンテストを開催して才能を発掘してそいつの面白い作品を作る、みたいな行為をしてこなかった。競争がない。
ハリウッドの映画業界、日本の漫画やラノベには、作品を作りたいが競争に勝てなくて鬱屈してる若者、みたいなやつが必ずいるよな。
テレビドラマには居ない。監督やってるけど仕事がないって愚痴ってるやつ、脚本を持ち込んだけど採用されないで落ち込んでる奴がいない。
そんなわけで面白い作品を作る能力を持つやつが少なく、だから作品が面白くない。
役者とか金のせいじゃないと思うわ。
なんかもうヘンなやつしか出てこないヘンな映画だった。64点。
生まれつきまるで特殊メイクみたいなヘンな顔の主人公は売れない役者をやっている。ある日隣の家に越してきた劇作家志望の美女と仲良くなる。謎の先端医療で顔を治療し、イケメンになった主人公は元の自分が死んだことにして新しい人生を始める。そうして不動産セールスマンとして成功した主人公はある日、街で劇作家となった美女と再会。彼女が当時の自分を元ネタにした劇を作っていると知り、素性を隠して主演に応募、当選する。しかしそこに、過去の自分にそっくりなヘンな顔の男オズワルドが現れ……
というお話。
とにかくこの美女がすげーヘンなっていうか嫌な女でさ。
最初はめっちゃキモい顔の主人公に分け隔てなく優しくしてくれる女神みたいな感じで出てくるんだけど、後々彼女は演劇の脚本づくりのためにキモい顔のある種の障碍者の写真をコレクションしていたことが分かり、主人公に優しくしていたのはもしかして取材だったのでは?という疑惑が立ち上がってきたり。
主人公(キモメン)を元ネタにした舞台に関して、主人公(イケメン)が質問しても元ネタには一切言及しなかったり、挙句の果てに「キモメンってだけで主役にするのはどうなの?搾取じゃない?」とかいう現代の当事者キャスティングに爆弾を投げ込んできたりする。一方で、同じくキモメンだけど明るくて才気あふれるオズワルドが現れると一転して「やっぱ当事者が演じなきゃ」とか言い出す。
その後も「お前は友達だから最後にキモメンがイケメンになるように脚本変えたったからお前はイケメン役で出ろ」と言い出したり、劇が成功してオズワルドが評価されると「最後にイケメンになるのやっぱ変だからお前の出番なしで」と主人公に告げたり、こいつマジでイチミリも芯がないんよね。なんかご高説垂れとったけど。
あと主人公(イケメン)とセックスするときに主人公(キモメン)の仮面を被らせてセックスさせて「やっぱありえないは」と爆笑しだすところとかマジでキモい。
キモメンがゆえに自信がなく常におどおどしていた主人公の鏡合わせに登場するもっとひどいキモメンのオズワルドは顔に関わらず明るく快活で社交的で多趣味で才能に溢れる完璧人間のように描写されているが実際のところは割とサイコパスなヤベー奴だ俺は思う。
彼は常に主人公を認めるような発言を繰り返すけど、実際に劇にアサインされる段階になると別に断らないし主役だった主人公が最後のワンシーンだけになるという屈辱を与えられていても「でも最後に目立つ役だからいいじゃん」と言い、その後、自分が評価されて最後のワンシーンも外そうとなったときも「客の気持ちを考えたら当然そうするべき」と主人公を切り捨てる。
最後に錯乱した主人公が「お前が俺の人生を奪った!」とオズワルドに襲い掛かった際には得意の格闘術で主人公を投げ飛ばし、その結果、崩れてきたセットの下敷きになり主人公は四肢の自由を失う。ことの時にオズワルドが発した言葉が彼の本質を表している。「ごめん、つい力加減ができなくて」
つまるところ彼は悪意なくうっかり人のことを取り返しがつかないくらい傷つけることができる人間だってことよね。明るい奴あるある。
そう考えると主人公は極めてわかりやすい弱者として登場する。キモメンだから俺はうまくいかないんだと考えてオドオドと自信なく生きているがある日を境に顔が改善し成功を収めるが本質は変わらない。どことなく常にオドオドとしていて、むしろ顔が良くなった分、自分の思い通りにならないとすぐにイライラするようになる。
そして自分が捨てた顔を持って、しかし自分が得られなかったものを全部持っているオズワルドが登場すると途端に精神のバランスを崩し、嫉妬し、彼の真似をしてすべてを失う。そして出所した後、最後のシーンでオズワルドに「君は何も変わらないなぁ」と笑われるところで幕を閉じる。
顔を変えても名前を変えても「別人」にはなれない。魂に染み付いた負け犬の匂いは消えないのだ。ナムナム。主人公の顔が変わってからの転身は、ずっと続けてても何にもならんかったSNSのアカウントを消して新しいアカウントをウソの経歴で作り上げる現代のリセット病みたいなのを感じた。でもSNSリセットして上手くいった奴見たことないんだよな。無能はどこに言っても無能なんだ。やめろ!
途中で2度、リンカーンの銅像を演じるパントマイマーが出てくるけどあれって「40歳を過ぎたら自分の"顔"に責任を持て」っていう名言を匂わせてるんだろうな。うるせーな。でも結局、そういう話なんだよな。主人公が顔が変わったときに自分はキモメンと同じ人間だと周囲に告げられていたら、自分の顔(名前)に責任を持てていたら。
まぁ、そんな感じかな。
個人的にはクソビッチが言ってた「キモメンの役をキモメンだからって理由だけでやらせるのはどうなの」っていう当事者キャスティングの闇が結構面白いなと思っていて、彼女の作った劇は主人公(キモメン)が元ネタだから、主人公こそ当事者なんだけど主人公は今はイケメンだから当事者じゃないってことになって、別に本当は当事者じゃない顔がキモいだけのオズワルドに役を取られちゃう。でもこれってメタな視点で見ると主人公役のウィンターソルジャーは元々イケメンだから作中の主人公(キモメン)の当事者じゃないんだよな。
当事者じゃない奴が演じる役が当事者性を剥ぎ取られて当事者じゃない当事者が演じることになり、それがヒットして映画化する際には本当に当事者じゃない奴が演じることになる。摩訶不思議アドベンチャー。
現代のルッキズム問題、当事者キャスティング問題、意識高い系カス、そして普遍的なお前がダメなのはお前の境遇の問題なのか問題といろんな問題がどかどか出てくるので何かには共感できるんじゃないかとは思うので、まぁ、そういうの好きな人にはオススメ。
いやもうタランティーノ好きすぎ侍。56点。
ボストンの精肉店で働く双子の敬虔なクリスチャンである主人公たちはある日、行きつけのバーの地上げにやってきたロシアンマフィアともめごとになってしまい、いろいろあって彼らを殺害。事件の解決にスゴ腕すぎるゲイのデフォーFBI捜査官が乗り込んでくるも、2人は自首。相手はマフィアやし市民の反発もすごそうやし、まぁええかとなり主人公たちは留置所に泊まるがそこで「悪を倒せと轟叫ぶ」と神の啓示を受ける。処刑人として悪の駆除活動を始める彼らとそれを追うデフォー、そしてマフィアたちの戦いが幕を開ける。
みたいな話。
っていうかそれ以上でも以下でもないというか。
もめごとになる→カットが切り替わって警察が現場に駆け付ける→デフォーが神がかった推理を披露する→実際の映像が流れるという、意図的に時系列を前後、交錯させる編集がもうタランティーノっぽいし、音楽の緊張した場面で敢えて明るい音楽をかけるところとかもぽい。
なにより、主人公たちの仲間になるイタリアンマフィアの下っ端がボスに呼ばれてジョークを披露させられる場面があって、それがめっちゃ皮肉の利いたいいジョークなんだけど別にそれがストーリーに何も絡んでこない。ストーリーと無関係な小粋な小噺を差し込むのはもう自認タランティーノなんよ。
そしてタランティーノ映画にありがちなんだけど役者がめちゃくちゃいい。今やミスター・ウォーキングデッドと化したノーマン・リーダスのデビュー当時のピチピチの姿が見られるし、兄貴役のショーンも無鉄砲ながらも繊細な役をよく演じていた。そしてデフォーだよなぁ。捜査にのめり込みすぎる没入型推理を怪演としかいいようがない演技プランで演じきっていて本当にすごい。
いっぽうでストーリーとしては個人的には宗教の嫌なところ出てるなぁって感じがして個人的にはあんま好きになれない。もろちん、一貫性は担保されていて元々デフォーは主人公たちのことをひどく嫌悪して逮捕しようと躍起になるが、後々彼らの活動に賛同し始め最終的には協力者になる。これは最初の殺人が彼らの因縁から始まった喧嘩の延長線上だったからで、その後、留置所で彼らが福音を受け神の処刑人になって「正義」を執行するようになったからと思われる。
デフォーが自身の考えを改めるシーンは自分に自信がなくなり自暴自棄になって泥酔したデフォーがフラフラとそれと知らずに教会に侵入し、告解室で眠りこけてしまうというバチ当たりな行為に及ぶ。そこで主人公たちの味方のイタリアンマフィアが彼を始末しようと告解室の神父側に侵入し、あわやと言うところで主人公に止められ「神の助け」によって命を救われたデフォーが(そうとは知らずに)悔い改め神の下に下るという展開もナンダカナーって感じ。
そして最終的に謎の殺し屋が主人公たちと同じ神の戦士だったことが分かり、神のファミリーが結成され最後は裁判所で神に変わって裁きを下すところで話が終わる。というのが、なんかもうカソリック教徒だけど日本人の感覚として正直ちょっとウゲゲとなってしまう。
そんな中で最後にインタビュー映像として彼らのしていることが正義なのか悪なのかそれぞれの意見の住人を映すことで絶妙にバランスを取ろうとしている姿勢は感じられた。
アクションに関してはまぁ良くも悪くもないという感じで、天井に吊るされてぐるぐる回りながら撃ったりとか、黒い前開けスーツでのスタイリッシュな銃撃とかはその後のアクション作品にいろんな影響があったんだろうなと思いつつも、見てる俺が令和だからこれが新しかったのかこれもパクりなのかよくわからんなぁという感じ。
下っ端の仲間が両手を広げて二丁拳銃で銃撃してその後、その腕を交差してまた撃つという典型的なスタイリッシュ銃撃をギャグ的に消費している点は、タランティーノフォロワーらしい冷笑仕草で俺は結構好き。
まぁそんな感じかな。
タランティーノフォロワーとしてのコメディスタイリッシュアクションとしてはそれなりの強度は確かにあると思うし、役者もいいしこういう映画が好きやねんという層が確かにいるのはわかるしその層にはオススメはできるけど、個人的にはあんまハマんなかったかな。
地政学的な文脈で見るという前提ではありますが、朝鮮半島を舞台にした「大陸勢力 vs 海洋勢力」の衝突という構図は歴史の中で形を変えて繰り返されています。
朝鮮戦争を「第3次日清戦争」と捉える考え方は、歴史ファンの間でも一種のメタファーとして語られることがありますが、正確には「役者が入れ替わり、規模がグローバル化したアップグレード版」と言えるかもしれません。
いくつかのポイントで、その共通点と決定的な違いを整理してみましょう。
朝鮮半島は、大陸(中国・ロシア)にとっては「海への出口」であり、海洋勢力(日本・アメリカ)にとっては「大陸への足がかり」です。この「半島というチョークポイント」を巡る争いという点では、まさに日清戦争と同じ構造です。
※日本は直接参戦していませんが、米軍の「後方兵站基地」として事実上、海洋勢力側の不可欠なパーツでした。
一方で、朝鮮戦争には「日清戦争」という枠組みには収まりきらない20世紀特有の複雑さがあります。
日清戦争は「帝国主義的な利権と影響力」の奪い合いでしたが、朝鮮戦争は「共産主義 vs 自由主義」という、世界を二分するイデオロギーの衝突でした。単なる国の領土問題ではなく、「どちらのシステムが世界を支配するか」という聖戦の側面があったのです。
主役はあくまでアメリカです。もしこれを無理やり名付けるなら、「米中戦争の朝鮮代理戦争」の方が実態に近いかもしれません。
日清戦争当時は、朝鮮(李氏朝鮮)の意向は二の次で、大国が勝手に戦っている側面が強かったです。しかし、朝鮮戦争は北と南がそれぞれの正義を掲げて激突した「内戦」からスタートしています。ここに外部勢力が「介入」したという形です。
| 項目 | 日清戦争 (1894) | 朝鮮戦争 (1950) |
|---|---|---|
| 大陸側主役 | 清(中国) | 中国(義勇軍)・ソ連 |
| 海洋側主役 | 日本 | アメリカ(国連軍) |
| 日本の役割 | 当事者(プレイヤー) | 後方基地(サポーター) |
| 主な争点 | 朝鮮への宗主権・権益 | イデオロギー・冷戦の主導権 |
地政学の文脈では「朝鮮半島の支配権を巡る大陸と海洋の衝突」という歴史のテンプレートになぞらえられる朝鮮戦争は「第3次」に見えます。
ただ、日本が「戦う主体」から「アメリカの盾であり工場」へと変化したこと、そして核兵器の影がちらつく冷戦構造であったことを踏まえると、「日清戦争の皮を被った、実質的な第3次世界大戦の局地戦」と呼ぶのが、より現代的な解釈かもしれません。
絶対に低知能でネタバレなしでワクワクしながら見た方が面白いギミック系ホラー映画の佳作。66点。
主人公たちはホラー系ドッキリ番組スケア・キャンペーンの撮影クルー。今日も今日とて病院の警備員をドッキリにかけたり楽しく番組作りをしていたが、上司から最近視聴率が落ちてきていること、Y〇utubeの似たような尖ったホラー企画屋の台頭でキッズ人気を取られていることを叱責される。一発逆転の策としてとある事件が起きた廃精神病院を舞台に、ターゲットに元従業員で患者だった男をアサイン。本気のドッキリを仕掛けるがなんとその男は、本気の殺人鬼だった。ドッキリで終わらない一晩が幕を開ける。
みたいな話。
ここからネタバレするのでそういう映画好きな人はもう見に行ったほうがいい。U-NEXTで見たけど3/31で配信が終わるらしい。
で、みたいな話。ではなくてぇ。
実は元従業員で患者だった男は実は仕掛け人で、自分が仕掛け人だと思っている女性スタッフ主人公への逆ドッキリだったという話になる。このネタバラシまでの緊迫感がよくてねぇ。ドッキリ対象の男が見るからになんかヤバ男で、あ、ガチのやつ連れてきちゃった!?ってなって徐々に異常性が明らかになっていって、お化け役の女の子をペーパーナイフで殺害しちゃうし、その後も次々と仕掛け人やスタッフを殺害していく。血もいっぱい出るし、にちゃにちゃ笑いながら追いかけてくるのもよいし、ホラー見てるぜぇ!って感じでボク満足。
とにかくここのパートがちゃんとしているから、ネタバラシされたときに「あ~、そっか~!そうなるよねぇ!」ってなれるし、まぁ、ちゃんと考えたらこのネタ自体は読めてもおかしくないんだけど「これがドッキリなのはすぐわかるので退屈な展開が続く(評論家ヅラ)」みたいなテンションで見るよりは絶対に気づかずに見る方が楽しい。
後はこの映画、ドッキリの裏側お仕事映画としても楽しいのがよい。ヤバ男(役者)にどうやって仕掛けていくのか、大規模クルーではないのでうまく誘導するために頑張ったり、うまくいかなくて急遽バタバタと計画を変更したりとホラー系ドッキリ番組って本当にこんな感じで撮ってそうだなぁって思える。
で、中盤でドッキリだったことがバレるんだけど、なんとそこからその廃病院に尖ったホラー企画屋が乗り込んでくる展開になって、しかもそいつらはドッキリではなくガチの殺人集団だったことが明らかになり、今度こそ"ガチ"で主人公たちクルーがどんどん殺害されていく。彼らはいろんな武器で武装していてサービス精神豊富なのはとてもよい、んだけども。
まぁここは良し悪しだと思うんだけど、こいつらがなんでそんなことをしているのか一生わからない。ある意味で言えば純然たる無邪気な承認欲求と悪意の権化ってことで、数字や名声のためにFAKEを作っている主人公たちの鏡写しみたいな感じ(主人公たちは大人で企画屋が少年?なのもそう)なのはわかるんだけど、なんかもうちょっとバックボーンがわかった方が俺はよかったかな。
あとは襲われる立場になってから主人公たちがとにかく防戦一方で、武器のメンテを怠ったマヌケを一匹倒す以外はひたすら攻められ続けるのが、まぁリアルっちゃリアルなんだろうけどなんかもうちょっと反撃パートがあった方が楽しかったかな。でもこの辺は完全に好みだと思う。
序盤中盤にあったお仕事映画としての楽しさが後半はほとんど活きてこないのがもったいないなって思った。ドッキリ仕事で培ったテクニックで反撃するみたいな展開があれば面白かったのになと。
まぁそんな感じかな。
最初にドッキリチュートリアルがあって、そのあと本格ホラー路線に移行したと思いきやそれもドッキリでな~んだと思ったら、ドッキリで済まないガチの連中が乗り込んでくるというツイストのきいた展開がかなり良くできてたホラーの佳作。スラッシャーホラー好きな人には普通にオススメ。
ゴールデンカムイ、楽しく見てるんだけど実写はまじで役者の顔の良さで保ってるところが多いので2.5次元舞台とかで耐性強い人間じゃないと無理だと言う難点がある
あと動物系は普通に着ぐるみCGが強すぎてお遊戯になってしまう、頑張ってたけども これも2.5オタクは心の瞳でみれるのでいい
私は画面に熊はほとんど出てこない感じでやるのかとみるまで思ってた、ジョーズみたいな 演出力でどうにか
この世の大型動物系映像作品で違和感ない映画ってどうやってんだろうな、誰かおすすめ映画教えてくれよ、ジュラシックパークは恐竜だからベクトル違うし、パディントンは熊だけどあれ程のCGは難しいやろうし
オタクに絶賛されてるのは原作準拠でいい役者揃えてるし邦画にしては衣装汚しとか絵面がだいぶいいし原作の大切な部分残しつつ実写にして違和感のないよりベターな演出に昇華されてたりで丁寧に作られてるのがわかるからだろうけど、
コスプレ味はどうしてもあるし原作からして下ネタ含め愉快なシーンが多くて、ファンには刺さるけど、ただの映画としては人にすすめにくい いや、面白いんですよ 私は好きなんですよ でもToLOVEるやいちご100%を1番好きな漫画ですと大声ですすめる人間は滅多におらんやろ
実写映画刀剣乱舞1はその点上手かったな、コスプレ感を戦隊戦士的な感じで昇華されてて 戦隊映画に全身カラーピチスーツ出てきて文句言う人はおらんからね けど普通の映画みようと思ってたらびっくりするやん
オタク的にはとっても嬉しいけどラッコ鍋のシーンとかほんまにまじ気まずい、どうしたらいいのかわからん
ドンパチアクション映画だと思って家族でMr&Mrsスミスみてたら気まずくなったの思い出した、映画違いじゃないか調べたらMr&Mrsスミスはベッドシーンがないというブログが出てきたので私の思い違いかもしれないが
テッドとかデットプールみたいにそういう映画だとしてプロモーションすればウケる層もあるんだろうけど、作りが難しいラインだからそのプロモーションに振り切るのも難しい
公式Twitterみてると結構そっち寄りのプロモーションなのかもしれないが
今回の映画はただでさえシリーズ物の途中、しかもドラマが挟まるので途中参戦でこの1本だけ見てというのもムズい
あと裸絵の痛バとか持ってるオタクとかいるのも界隈の印象にだいぶ痛い 萌ええろキャラのショッパーとかに文句言ってたオタク生きてる?
それにしてもキャストほんまにすごい、全員にびっくりする
桜井ユキとかそのキャスティングよく思いついたなと思うし、演技もビジュアルも凄すぎる 今回の映画で印象に残るシーン家永がベスト あとドラマのあのシーン変な気持ちになった、恋かもしれん 写真集買おうかと思ったら私にはセクシーすぎたので断念した
工藤阿須加もすごい、今まであんま好みじゃないなと思ってたんだけど見れば見るほど刺さる
原作キャラとの見た目ギャップがいちばん大きい俳優だと思うけどそれを感じさせない納得感
というか、原作月島は顔立ちとして目付きが悪いと思ってたんだけど、工藤阿須加みてたらあのしかめ面が解釈なのかもと思った 工藤阿須加の目は丸くてきゅるきゅる、月島もその可能性がある
稲葉友もすごかった 正直宇佐美が美男子設定なのフゥン?と思ってたんですけどめちゃくちゃ納得しました 3次元に起こされることで納得ができる
あと全体的に厚みのある俳優ばかりで大変助かる 軍服は特に体が薄いと説得力もなければ着られてる感が出てしまうので厚みってすごい大事だし、それで並んで違和感のないシルエットに全体でなってるの大変有難い
先日俳優陣の身長についてTwitterでバズってたけど、原作想定より全体的に大きくなってるけどそれで違和感なく収まってるのもすごい 相対的に山田杏奈が小柄に見える、メアリージュンもスタイルめちゃくちゃいいからね、それでも男性陣といると華奢な女性に見えるのが本当に、いいですよね、ね、谷垣
チカパシが大きくなっていることについても一緒にいる旅の長さを感じて私はよかった いっぱい食べてよく寝ろ
杉元と二階堂のシーンも激アツだった、山﨑賢人がアクション上手いのはキングダムでもみたが身体能力が高いんだなと思う もしくはそう見せる演技である 杉元解釈
WOWOWくん、予算度外視のいかれ制作ほんまにありがとう、お金は大事だよ、できればそのまま作り続けてくださいよろしくお願いします
色々言ったんですけどこれだけは言わせて欲しい
ほまにごーどんの顔がいい、ごーどんの顔がみたくて見ている迄ある
ごーどん顔好みと思ったことないのにごーどんの顔みたくて実写一気見したからほんまにすごい
ごーどん尾形が飯を食ってる姿だけで元気100倍アンパンマンになれる
いろんな晋三がいるんだなあ
大屋 晋三(大屋 晉三[1]、おおや しんぞう、1894年〈明治27年〉7月5日[2][3][4][5][6] - 1980年〈昭和55年〉3月9日[7][5][6])は、日本の政治家、実業家。運輸大臣、商工大臣、参議院議員、帝人社長。戦前から戦後にかけて通算26年間にわたって帝人社長を務めた。妻は大屋政子。
山田 晋三(やまだ しんぞう、1973年9月8日 - )は、日本のアメリカンフットボール選手、コーチ、教育者。現在は筑波大学体育スポーツ局次長(大学教員としての職位は准教授)を務める[1]。
片山 晋三(かたやま しんぞう、1846年(弘化3年)7月26日 - 1890年(明治23年)12月6日[1])は、シテ方観世流能楽師。6世片山九郎右衛門。諱は豊光[2]、また光吉、九郎三郎、一とも名乗る[3]。幕末から明治期にかけて活躍し、当時の関西を代表する能役者の一人であった。
その温室は、あとから地図で確かめれば「バービカン・コンサバトリー」と呼ばれている場所だった。
ロンドンの真ん中で、コンクリートの箱の三階にひっそりと載せられた、ちょっと場違いな熱帯雨林。
その日の私はロンドンのシティで、あまり気の進まない打ち合わせに向かう途中でした。
Googleマップはいつものように、何ひとつ悪びれることなく、私を間違った方向へと導いていく。
細長い路地をいくつか曲がっているうちに、ガラスとコンクリートが入り乱れた無表情な建物の谷間に迷い込んでしまった。
ビル風が、誰かの忘れたメールみたいに、足もとをせわしなくすり抜けていく。
時間はあきらかに足りていないのに、靴紐だけがほどけていく、そういう午後でした。
やっとのことで辿りついたバービカン・センターの入口は、劇場やギャラリーの看板でごちゃごちゃしていて、そのどれもが私とは無関係に見えた。
でも、エスカレーターを乗り継いでいるうちに、「Conservatory →」という小さな案内板が、ふと視界の端に引っかかった。
誰かが悪ふざけで貼った冗談みたいに、そこだけ文字の温度が違っていた。
私は予定より遅れているくせに、吸い込まれるようにその矢印の方へと歩いていってしまった。
ビジネス・パーソンとしては明らかに失格ですが、旅人としてなら、まあ合格だったのかもしれません。
コンサバトリーの扉を押し開けると、空気が一段、体温ごと入れ替わったような気がした。
中は、湿り気を帯びた別種の時間で満たされていた。
熱帯雨林をそのままビルの三階に引っ越してきたような空間で、シダの長い葉が廊下にせり出し、椰子の影がコンクリートの壁にやわらかい傷をつけている。
ロンドン第二の規模というその温室は、コンサートホールの上に土を盛り、そこに無理やり根付かされた植物たちの、少し騒がしい仮住まいだった。
足を踏み入れると、まず匂いが来る。
土と水と、少しだけ古い配管の匂い。
東京の地下鉄の匂いとはまるで違うが、どちらも人間がこしらえた迷路の匂いだ。
その迷路の隙間という隙間から、モンステラやドラセナやバナナの葉が伸びてきて、コンクリートの論理に異議申し立てをしている。
彼らは声を持たないが、葉のかたちと光沢で、じゅうぶん雄弁だった。
頭上にはガラスの天井が高くかぶさっていて、その下を、ヤシとシダがビルの梁をなぞるように伸びている。
少し離れたところには、乾いた空気の一角があって、サボテンや多肉植物が、別の惑星の住人みたいな顔でこちらを眺めている。
ロンドンの曇り空から落ちてきた光は、ガラスを透過するあいだに少し丸くなり、その丸くなった光が葉の縁をなぞる。
それは、仕事のメールがフォルダを三つくぐって届くあいだに、言葉の角を落としてしまうのと、どこか似ていた。
世界は、フィルターを一枚通過するたびに、少しだけ不正確になっていく。
「切羽詰まる」という言葉を、私はいつも、、終電間際の改札といっしょに思い浮かべてしまう。
でもあの日のロンドンで切羽詰まっていたのは、終電ではなく、スケジュール表の余白だった。
会議と会議のあいだに挟まれた三十分という数字が、じわじわと縮んでいく。
その縮みゆく時間の隙間に、バービカンの温室は、するりと滑り込んできた。
まるで、誰かがエクセルのシートの裏側に、秘密のタブを隠しておいたみたいに。
温室の小径を歩いていると、ところどころに池があって、鯉や草魚が、あまりやる気のない役者のように水の中を一周してみせる。
水音は、遠くから聞こえるコピー機の音に少し似ているが、こちらには紙もインクトナーもいらない。
ただ水が石に触れ、魚が水を押すだけだ。
きっとここも、もともとは劇場の舞台装置のために計画された場所なのだろう。
舞台の上では芝居が進み、舞台の上の上では植物が茂り、そのずっと下の地下鉄では人々が愚痴をこぼしながら通勤している。
現代生活というのも、考えてみれば、そう悪くない三段構造の劇場だ。
ただ、私たちはふだん、いちばん下の階で、湿気のぬけた顔をして立っている。
そして、そこで数十分ばかり、誰か別人の人生を借りるようにして時間を過ごす。
そういうことが、一年に一度くらいなら起きてもかまわない。
資料をひもとけば、このバービカン・コンサバトリーは「ロンドン第二のガラスハウス」とか、「都市型の温室」といった定型句で説明されるのかもしれない。
一五〇〇種を超える植物、適切に保たれた気温と湿度、そういう数字を並べることもできる。
でも、あの日の私にとってそれは、名称のない、ただの「迷い込んだ温室」だった。
名前のないものは、たいてい、こちらの心の側に名前を要求してくる。
だから私は、そこを勝手に「終電間際の温室」と呼ぶことにした。
時間がここだけ、半歩ずれて流れている。
届くのは、少し冷たいガラス越しの光と、換気システムの低い唸りと、落ち葉を掃く係員のほうきの音だけだ。
その音を聞いていると、自分の中の、使いかけのまま放置された感情が、ひとつずつ棚から下ろされていく。
「ああ、私はちょっと疲れているんだな」と、ようやく理解する。
やがて私はスマートフォンを取り出し、現実の世界へ逆戻りするための検索をした。
その過程で、ここが「Barbican Conservatory」と呼ばれていることを知る。
でも、魔法というのは、弱くなったあとに記憶として定着するのだと思う。
そこを出て、再び灰色の廊下とエスカレーターを乗り継ぎ、午後の会議室にたどり着いたとき、私は十分ほど遅刻していた。
遅刻の言い訳として、「すみません、温室に迷い込んでいました」と正直に言うわけにはいかない。
そのかわりに、「エレベーターが混んでいて」とか、「出口を間違えて」とか、いくつかのありきたりな言葉を適当に組み合わせた。
それは嘘ではなかったが、真実でもなかった。
ロンドンから戻ってしばらくしても、あの温室のことが、ときどき頭に浮かぶ。
メールの返信をしながら、ふと指が止まり、脳裏にシダの葉の輪郭がちらつく。
飛行機にさえ乗ってしまえば、地下鉄を乗り継いで、エスカレーターを三本と階段を二つ上がって、あのガラスの天井の下に再び立つこともできるだろう。
でも、おそらく次に行ったときには、あの日と同じ温室は、もうそこにはない。
温室というのは、建物のことじゃない。
切羽詰まった移動の途中で、ふいに足を止めさせる、あの妙な違和感のことだ。
そこで、なまぬるい湿気と、少し冷たいガラスと、名も知らない葉のかたちが、一時的な共犯関係を結ぶ。
その共犯関係に巻き込まれた人間だけが、あとからそれを「思い出」と呼ぶ。
バービカン・コンサバトリーが、世界で二番目に大きなロンドンの温室であることは、きっとそのうち忘れてしまうだろう。
でも、「名前も知らない温室に迷い込んで、会議に遅刻したことがある」という事実は、たぶん私の中で、これからも長いあいだ、奇妙なかたちをした記憶の温室として残っていくはずだ。
VTuberのトーカーは、正直な所で社会を舐めすぎだし仕事を舐めすぎている。
なんでそんな事を思ったかと言うと、VTuberの仕事の休み方にある。
顔出しもしていないのに、ちょっとした事で躓いてお休みします宣言。
君等仕事ってなんだか分かる?って話。これが個人でやっている人なら良いよ。不定期更新みたいな対応で十分。
だけど、事務所に所属しているようなVTuberが適応障害になりましたから休みます、じゃないんだよ。
仕事として金をもらっているのならプロ意識を見せなよって思うんですよ。
が、VTuberにはそういう意識を持っている人が多いとは思えない。売れている人らは多少認識しているのかと思うけどね。
ちやほやされる事に集中しすぎて、批判されたりすると直ぐにメンタルが傷ついてー傷ついてーと休むようなのは仕事としてやるべきじゃないでしょう。
それともVTuberは遊びの延長線上にある存在だと思っているのかなと。
遊びとしてやっているなら個人でやるべきでしょうが。事務所に所属してるなら社会人としてしっかりやんなさいよって話。
ろくに人生も学びもせずにVTuberという一つの仕事で責任を責任とも思わないような奴らは駄目なんだよ。
君等を支援してくれている人らは、毎日辛いことがあっても仕事して金もらって金注ぎ込んでくれてるんでしょ。
トーカーなら批判されるのも当たり前だし、そんなものはTVで活躍してきた芸能人だって、その辺の舞台専用の役者だって、同様に批判されてきている。
まして、YouTuberと比べたら、顔出しもしないで皮を取り替えるだけで違う人物になれるなんていう甘っちょろい生き方が出来る時点で、
すでに十分甘やかされているのに、どこまで無責任に生きてるの。
youtubeやその他の動画配信サイトで収益も何もなくなったり、そもそも人気が無くなって興味を惹かれなくなったらどうするの?
今までのようにダラッとトーカーでゲームやったりしながら金を稼ぐなんて出来なくなったら、君等に何が残るのよ?
本作は、ジャンプでかつて連載されていた少年漫画であり、女優を目指す少女と彼女の才能に魅せられた映画監督とを軸に、役者の世界を描いている。
中でも、9巻から描かれる舞台「羅刹女」を巡る物語の、特にサイド甲(主人公側)の演技は、現代のSNS問題を反映した非常に興味深い内容と言える。
そこで、「羅刹女」の物語を再解釈しつつ、マンガワン騒動で荒れる昨今のSNSを捉え直してみようと思う。
あらすじ等の解説はしないので、アクタージュ本編を先に読むことを推奨する。
三蔵法師一行の行手を阻む火焔山の炎を消すため、孫悟空は羅刹女に芭蕉扇を貸すよう要求するが、断られてしまう。
孫悟空は羅刹女を倒すことで、あるいは騙すことによって芭蕉扇を手に入れようとする。
三蔵法師は、あくまで羅刹女と対話することで、火焔山の炎を消してもらおうとする。
猪八戒と沙悟浄は、三蔵法師による説得の最中に割り込んで羅刹女を攻撃し、彼女の怒りを呼び戻してしまう。
一行の行動は(三蔵法師を除けば)無礼そのものであり、炎を消すことに正当性があったとしても、羅刹女には怒る権利がある。
むしろ、夫・牛魔王の不倫に対する怒りや、息子・紅孩児の悲報を受けての悲しみこそが、彼女を怒らせる原動力となっている。
彼女にとっては「怒ること」それ自体が目的であり、孫悟空たちの横暴は暴れるための理由づけでしかない。
読者が今回の件で怒るべきは、マンガワン運営側の不適切な対応が主である。
しかし、刑罰の軽さという司法上の問題や、特に関係のない過去の小学館の不祥事も含めて、彼らは攻撃材料にしている。
さらには、論理の不適切さを指摘した第三者や、意見表明をしない漫画家など、少しでも自分の意に反すると感じた対象に無条件に攻撃し出す人すらいる。
怒りの原点が事件そのものにあったとしても、彼らも羅刹女と同様、ただ八つ当たりがしたいだけのように見える。
このような羅刹女の人物像について言及される場面がscene95にである。
今回のマンガワンの騒動、あるいは政治や教育、男女差の問題など、常日頃から何らかの事象に怒り続けている人々はSNS上に数多く存在する。
彼らは読者であり国民であり、性別を有する人間であるため、これらの問題全てに対して当事者である。
しかし、彼らは本当に、それぞれの事象に純粋に怒っているのだろうか?
日頃の鬱憤、喪失の悲しみ、社会に対する無力感などをぶつける先を求めているだけではないか?
「社会は一貫して狂っており、だからこそ自らは一貫して怒り続けなければならない」
そのような、ある種の強迫観念囚われているだけでないのだろうか?
怒っている人に「あなたはただ誰かに八つ当たりしたいだけでしょう?」と言うのは簡単だ。
しかし、それをストレートに伝えたところで、単なる煽りか論点ずらしと思われ、さらなる怒りを買うだけである。
だからこそ、舞台「羅刹女」においては、彼女に共感し理解しようと努力する三蔵法師が説得役となる。
とにかく怒りをぶつけようとする羅刹女は、三蔵法師の柔らかな態度と、そこから放たれるある種の正論にたじろぐ。
怒り狂う人間に対しては、感情を理解しようとする第三者からの説得が効果的であることが、ここで強く表現されている。
しかし先述の通り、三蔵法師の説得は、猪八戒と沙悟浄の横入りによって一度失敗する。
彼らは三蔵法師の手下であり味方である一方で、三蔵法師が羅刹女を説得する上では障害となっている。
「火焔山の炎を消したい」という目的こそ一致しているが、取るべき手段が真逆なのだ。
同じ主張であっても、優しく諭すように伝える人もいれば、他人を馬鹿にするような表現を使う人もいる。
常識的な対応をしていたはずの人間が、レッテル張りと罵倒によって冷静さを失い、過激な発言を繰り返すようになることは多い。
だが、これは他人を馬鹿にする人間が悪である、という単純な話ではない。
他者を罵倒し嘲笑う人々のうち一定数は、自らの主張を通すためには説得より攻撃が適切であると信じている。
他人の醜態を笑い、徹底的に馬鹿にすることが、相手の反省に繋がると考えているのだろう。
そして、力づくで奪うことも、罵倒によって意見を通そうとすることも、確かに手段の1つではあるのだ。
終盤、羅刹女は孫悟空・猪八戒・沙悟浄を倒した上で、再び三蔵法師と対峙する。
そして、3人を痛めつけながら、三蔵法師に「私を許してみろ」と詰め寄る。
もちろんこれは「許せるわけがない」と確信しているからこその行動である。
対して三蔵法師は、怒りを顔に浮かべつつも、「あなたを許します」と答える。
この会話は少し奇妙な流れと言える。
先に羅刹女に手を出したのは孫悟空であって、反撃を受けて痛めつけられたのは自業自得である。
問答の流れに沿うとはいえ、三蔵法師が「あなたを許します」というのは、手下が無礼な行いをした後の態度としては尊大すぎる。
「頼みを断られたから強硬手段に出たら返り討ちにされました」に対して怒るのは、それこそ八つ当たりだ。
しかし、だからこそ三蔵法師の怒りの表情は羅刹女の鏡として機能する。
しかし羅刹女にとって、自分が孫悟空たちに怒る理由は、彼らの横暴に対してでなければならない。
怒る自らを肯定するためには、今の怒りが八つ当たりだと認めるわけにはいかないからだ。
だからこそ、自らが孫悟空たちを痛めつけたならば、三蔵法師には怒ってもらわねばならない。
そうでなければ、怒っている自分がおかしいと証明されてしまうからだ。
ところが三蔵法師は、八つ当たりに近い無意味な怒りの醜さと、その感情を理解しつつも「許す」と宣言して見せる。
結果として、鏡を見るような形で、羅刹女は自らの醜さを理解することになる。
SNS上でも、過激に他者を批判していた人が、より過激な発言をする第三者を見て少し冷静になる事例がたまに見られる。
自らの醜悪さは、鏡写しの他者を見せつけなければ理解できない。
ただし、その醜い姿が自分であると認識できなければ、自らを省みることには繋がらないだろう。
現代社会においては、ダブルスタンダードを避け、常に一貫性を保つことが求められ続けている。
「理由の説明があれば意見・考えが変わっても良い」と言う人もいるが、これまでの考えが過ちだと公の場で認めるのはなかなか勇気がいるし、仮に認めたとしても、その説明をあらゆる人間が読んでくれるとは限らない。
だからこそ人々は一貫して怒り続けなければならないだろう。
怒りに震える羅刹女の救いは、怒りのために用意された舞台の中にはなかった。
目を向けていなかった、舞台の外にこそ彼女の「豊かさ」があり、それは演技から外されて初めて見えるものであった。
マンガワン騒動では、直接関わりのある作家や運営、編集者だけでなく、単に連載を持っているだけの他の作家や、事情を知らなかったであろう小学館の他の部署に対しても批判が相次いでいる。
特に、日頃からSNSを活用し、発言しないことにすら意味を見出されるようになった人々は、その影響をダイレクトに受けているように見える。
SNS上の人格、その一貫性という物語に囚われてしまうと、際限のない怒りに呑まれ、論理的な判断ができなくなってしまう。
アクタージュの「羅刹女」は、マンガワン騒動の外部からもたらされた、SNS社会に対する警鐘であり、醜さを映す鏡であり、彼らへの救済である。