はてなキーワード: すみっことは
26.5時間
ゼスティリア<アライズ<<ヴェスペリア<ベルセリア<シンフォニア
って感じかなー
いろいろマップのすみっことか探しにいくので時間かけちゃったからそれなかったら20時間いけたんじゃないかなーと思う
ヴェスペリアあたりから戦闘システムが複雑になってきて秘奥義とか一度も出さずに終わるとか増えてきたし、
中途半端にアクション性ましててでも攻撃途中でキャンセルしたりもできないし、
敵妨害する技もタイムリーに使えないしでストレスたまるゲームだったわ
ふたつ世界があって属性ごとの国とかめぐって最後は大ボス倒して世界すくうっていうテイルズテンプレ
敵がHPけずりきってるのにナンチャラっていう必殺技じゃないと倒しきれないのがすげーストレスだった
あとスーパーアーマーでこっちの攻撃にひるまなくてヒットストップ感もないから爽快感がまじでないんだよな
一番むかついたのはバトルんときに戦場をぐるぐる突進しまくるやつ
突進とめたくてもゲージたまってねーし、魔法となえてるときだとよけれねーしですぐ死ぬからマジでうざかった
ちぐはぐ感すごかった
衣装もほぼ変更できるのないし、やたら鼻眼鏡的なアクセサリーは手に入るけど世界観とあわなすぎてつけるきになんなかった
シオンはパンツっぽいの見れるけどケツ側ロンスカで見えにくいからつまらんしそもそもエロいと思わない
全部会話で説明しようとしてて専門用語だらけでほんまつまらんかった
バトル
エッグの本が来ない。正座をしていても来ない。不在票も入らない。
「発送しました!」が、来たのが今日だ。そんなにすぐは届かない。大人だから騒がない。
東京ではゴリラのごとく雨が降り。ネットで見た街は洪水のようだった。
そんな日にも本を届けてくれる人たちがいるらしい。
そんな日に、本は届かなくても問題ないだろう。
宇宙のスケールからはマイナーPASSできるような小物たちだ。
星々の運行にはたぶん1ミリも影響しない。人類も特に宇宙に影響はしない。
宇宙からしてみれば、太陽・・・アー、あれね?知ってる知ってる!
せいぜいそんな感じだろう。無だ。我々は無なのだ。
宇宙がなんといおうと、おれはそうすると決めたのだ。
正直、おれは本を入手しても、せいぜい書影をネットにアップするみたいな、
本の内容をどうこう言える身分じゃない。
ただちょっと、たまにウケウリぐらいはさせてもらうかもしれない。
あいつには黙っておこう。
おれは暇すぎて考えている。
なぜ、エッグのようなやつは今までいなかったのだろう。
昔は監査の教科書といえば、重厚な異常点みたいなオブジェだった。
きっと大先生が書いたに違いない。そんなアトモスフィアをまとったやつだ。
かつておれを「ちょっと来たまえ」したような世代とは、どうも違う。
新たな年長者像とはそういうものなのかも知れない。
「最近の若者は」なんてことは、塀から落ちても言わなさそうだ。
思えば、おれがヤングだったころの大先生は、まさにアガリという雰囲気だった。
パソコンができなかろうが、会社のことが何一つ説明できなかろうが。アイツらはなんかエラかった。
彼らが何をなした結果そうなれたのか、それを詳しく聞くことができなかったのは残念だ。
カネボーとかと一緒に、そういったものはあっという間に過去のものとなってしまった。
エッグは次の世代だ。会計がビッグバンし、監査は脱魔術化された。
なんとか時代について行こうと必死だった、アイツならそんな風に言いそうだ。
そうなんだろか。
そのうち何割の者が、しがみつこうとしたら本当にしがみつけるレベルの人間だったのか、
おれは疑問に思う。
ともかく。
それがエッグのようなやつが生まれる土壌を作った要因のひとつなのではないかとおれは思う。
あと、考えられるのは、やはりインターネットだろう。
エッグはSNS越しにすら人柄のパワーでヘイトを遠ざける特殊能力をもったスゲエやつだ。
退職後、直ちにSNSの荒海に乗り出し、あっという間に確固たるポジションを気付いた。
その力をどうやって養ったのか、ヤツが死ぬまでに、いつか問い詰めてみたい。
小一時間ではすまない。
そもそも、リアルワールドで盤石な地位を気付いたアラ還枠に、ネットはさほど必要ではない。
そこに敢えて進出し、柔軟にカルチャーを学び(もともと親しんでいた可能性はあるが)、
だいたい仕事が忙しくなったりして、すぐにフェードアウトしてしまうもんである。
そこを、しつこくやり続ける、それがエッグだ。
おれも、結構な期間、noteを毎日更新したことがあるので知っている。
週3日であっても、書くことを続けるのは非常に難しい。
実践するのが極めて難しいこともまた、誰もが知っていることだ。
独立会計士なら、わかると思うが、仕事を「やらない」ことはとても難しい。
エッグほどの重鎮であれば、ひっきりなしに色んな誘いがあっただろう。
仮に、そういうのにホイホイ乗っかっていると、いまのエッグはない。
自らMVVフリークと言っているように。やること/やらないこと、をハッキリ決めているのだろう。
確かに、彼がミッションとしている、「若者のサポート」のためには、
ネットコミュニティにポジションを確保するのは、必要なことだ。
てらいなく正攻法ができるのは、王道を歩んできた者ならではの強みなのかも知れない。
そんな風にも思う。
とにかく、エッグは時代とテクノロジーと個人の資質がかけ合わさって生まれた、
他にも何か要因があるのかも知れないが、おれはそこまで頭が良くないのでわからない。
エッグが唯一無二とは言わない。空いているポジションは誰かが埋める。それも宇宙の法則だ。
しかし、そんな時代にも、主人公になれる可能性を持ったやつとそうでないやつは間違いなく存在する。
その秘訣はいったい何なのか。おれはそんな視点でエッグの本を読むつもりだ。
心底、待ち遠しい。
そんな時代に、業界のすみっこで生きられたことを、おれは嬉しく思う。
俺は学生時代からずっと楽器をやってて、社会人になっても惰性で続けていた。
楽器は、単音楽器だ。だからひとりでやっても音楽として完結しにくいしあんまり面白くない。だから、いつも何かしらのバンドに所属していた。
バンドといっても、ロックバンドのような4ピースバンドとかそんな感じの規模感のものではない。
ビッグバンドとかスカバンドとか吹奏楽とかオーケストラとかそう言うイメージ。
俺は社会人になってから、いつも平メンバーとしてどこかしらのバンドに所属し、たまに雑務をやることもあったが、大体はただプレイヤーとして参加していた。
地方のこの界隈では俺は割とプレイングスキルがある方で、プレイヤーとして重宝されがちだった。
その一方で俺はめちゃくちゃコミュ障で、活動後の飲み会とかはあんまり参加しないor参加してもすみっこで延々と生ビールを舐めてるだけだった。
ただ、活動の時は割と大人数の中でも目立つくらいに「上手い側」の人間だったからか、そんな感じでも声をかけてくれる人がいたり慕ってくれる人がいたりした。
楽器自体はもちろんアクティビティとして好きだったが、それ以上に対人スキルがなくても人と接するツールとして重要だった。仕事が忙しくてなかなか時間が取れないとき、辞めようと思うこともあったが、そのことを思うと辞められなかった。半ば惰性になっても、続けていた。
20代も後半に差し掛かった頃、ネットで新たにバンドメンバーの募集があった。
そのバンドはこれから新規で立ち上げるバンドだそうで、設立メンバーを募集していた。
そして、そのバンドがやるジャンルが、俺がずっとやってみたかったジャンルだった。
おもえば、長い年月ですっかり忘れていたけど、これがやりたくて、この楽器を手に取ったんだった。そんなジャンルだった。
俺は今までになく熱量を持って応募した。
ジャンルが珍しかったためか、楽器経験はあるがバンド経験がないという人は多かった。このバンドの発起人自身もそう言う人で、とても驚いた。大人になってから楽器を始めた初心者もいた。
楽器経験も長く、バンドもいくらか経験があった俺は、右も左も分からないその烏合の衆に頼られて、俺は初めて「運営側」となってバンドに参加することになった。
運営側って大変だった。
これまで平メンバーとして参加していたバンドで、何となく知ったことや、耳に入ってきたこと、実際自分がやってきたこと、それらの知識を総動員して運営して行った。
まずは実務の部分。最初に会計の整備、予算をざっくり出して会費などが決まったら、名簿や規約の整備、活動会場の選定や手配、地域の施設を利用するための組織登録、連盟(社会人サークルの互助会のようなもん)への登録申請。
ある程度軌道に乗ったら、広報活動。SNSやWebサイト、チラシなどの運用。メンバーはまだまだ足りなかったので、かき集めなければならなかった。募集要項のとりきめ。
演奏が様になってきたら、次は披露する場を設けたい。公民館はその手のイベントを各週末にやるために奔走してる場合が多いので売り込み。他にも自主開催のために箱を手配。また会計、広報、そして楽曲の利用許可申請。
珍しいジャンルのバンドだったためか、ズブの素人から俺のように経験が長いのもいたし、セミプロみたいなのも入ってきて、メンバーはカオス状態だった。
俺はプレイングの面でもメンバーを引っ張って行かなければならなかった。
まず、ガンガン高難度の楽曲に挑戦したい人、易しい楽曲を楽しく演奏したい人、それらの要望をなるべく公約数化してセットリストを作成。もちろん著作権などの権利的に可能な範囲におさめなければならない。
そして、できるひと、できないひと、その人の得意なこと、苦手なこと、把握して、アンサンブルの整理と調整。
俺が今まで1プレイヤーとして肌感覚でやってきたことを言語化したり、音楽理論として頭に入っていることをわかりやすく噛み砕くなどして、わからない人にも伝える。そして、俺よりウエの腕っぷしの人からは、吸収したり、教えてもらったり。
メンバーたちの不満の聞き取り。あの曲は難しすぎて苦痛とか、今回のセットリストは好きな曲が少なくてしんどいとか、あの人の演奏は不快だとか、あの人が臭くてとなりで演奏するのが苦痛とか。
要望の聞き取りもした。こんな音楽や楽曲やってみたいと言う話から、合宿をしたい、BBQをしたい、とかそんなことも。
運営は大変だった。
俺には向いてないな、なんて思うこともいっぱいあった。
でも、ここでは俺がやりたかった音楽ジャンルができる。ずっとやりたかった音楽ができる。そのためなら、円滑に運営を転がすために、そしてできる限り良い演奏をするために、できることはなんでもやった。
色々やっていく中で、俺は成長した。
俺はいままで、「趣味は音楽」と言ってきたが、そうで無かったことに気づいた。俺が今までやってきたのはアクティビティとしての楽器に過ぎなかった。
生まれも育ちも暮らしも楽器経験も年齢も性別も違うまわりの人たちと一緒に、できるだけ「みんなが」納得できる演奏をするために必要な調和。その結果出力される演奏が、音楽だった。と、個人的な感想を得た。
これは、
ぶつかることは多いし、納得ではなく妥協を求めることも求められることもあるし、
アクティビティとしての楽器演奏より、だいぶ不快で、難解で、不合理で、不条理で、とても楽しかった。
次に、対人コミュニケーション能力の向上。
立場上、大きなものから些細なものまでメンバー同士のトラブルに第三者として接する機会が多かった。
コミュ障でもできる相手vs自分のとりあえず共感だけしておけばそれなりに円滑に進む(し円滑にならなかったら切れば良い)人間関係とは違って、
生々しい本音と建前と解決課題がある他人vs他人の関係に目をくばせ時にバンドのために(と言う立場で)口を挟まねばならない状況で、人の心の機微というか、人間の本質のようなものをたくさんインプットした。
このインプットによって、アウトプット=俺の対人技術も、それなりに向上したように思う。
ところで俺は社会人になってずっと、一日VSコードを触るタイプの仕事をしていた。言われたことを淡々とこなすだけと言って差し支えない仕事をしていた。
30にも差し掛かると、同じ会社に居座るにしても転職するにしても、ディレクション側というか、マネジメント側というか、そういう立場への進化を求められる気配がする。
ずっと「無理だなー嫌だなー俺には向いてないしなーでも一生ドカタの最前線(というほど先進企業でもないが)で新しい技術や言語を身につけていかなければならないのもつらい」と思いながらグダグダとitドカタをやっていた。
しかし、昨年、この「趣味」の経験から、「なんかいけそうじゃね?」と思えて、一歩踏み出すことができた。
ほかにも、このバンドで恋人もできた。今までの俺の、卑屈で根暗で斜に構えた人生では望むべくもないような、
強く優しく気立てが良く、心の底を打ち明けられる素敵な恋人ができた。
思えば、俺は趣味自体はずっともっていたわけだが、このように「自分が本当にやりたい音楽ジャンル」に触れた瞬間、人生がこのように切り開いた。趣味も突き詰めれば自分の人生の糧となる。
趣味は素晴らしいよ。はてなのみんなも、斜めや上から構えたはてな特有のセンテンスで集めたスターも確かに人生の素晴らしい糧ではあるが、
外に出て人と接する趣味もまた良い。
太陽光+風力+地熱+水力+天然ガス+石炭+石油+原子力+バイオ
なんか色んなエネルギー供給手段が複合され、相互の欠点を相互で補ってすごいバランスいい
・現実
or
の二択になっちゃった
「欧州の電力事情」の解説増田は上記を解説。この状態は理想の状況からするとアカンよなあと思ってるが、再エネは投資家に人気すぎて金勘定としては回ってしまってるので、投資の回転がもう止まらない、これは欧州EVゴリ押しpgrみたいな理解だとやべーよと言ってる
原子力+再エネの理想の未来が待ってるよ!とか言ってるのが「電力料金増田」を自称してる増田。原子力と再エネの組み合わせ相性が悪くて無理なのを「どっちが悪いとかないよ! それぞれに良い面も悪い面もあるんだよ!」と、理想の状況を前提にして語ってるが、でも現実はそうなってなくてアカン、と説明してる欧州の電力事情解説増田に真正面から反論できず、てきとうにすみっこをつついてる
と読んだ
むかしむかし、あるところに「まほうつかい」と
「おじいさん」が住んでいました。
ある日、おじいさんは年金を受け取りに街へ
まほうつかいが川で洗濯をしようとすると、川の上流に箱が捨てられていました。中を見てみると
そこには裸の赤ちゃんが寝てました。
「まあなんてかわいいこなんでしょう」
まほうつかいがそう思って、手を伸ばすと
「おぎゃあおぎゃあ」とすごい声で赤ちゃんが泣き出しました。それはそれはすごい声で、獣は逃げ出し、木は揺れて、まほうつかいは鼓膜を守ろうと耳をふさいでしまうぐらいでした
すると、川から桃が一つどんぶらこどんぶらこと
流れて来たので、まほうつかいはそれに「えい」と魔法をかけると桃が大きくなりました。
「とりあえずここにはいってなさい」と
そうして、まほうつかいは大きな桃をゆりかごの様に持ち帰りました。
まほうつかいはおじいさんに事のあらすじを説明しましたが、年金に浮かれたじいさんは全く聞く耳を持ちません。しまいには包丁を取り出して、桃を真っ二つに割ってしまいました
おじいさんはやっと、まほうつかいの話を理解しました。そうして、桃から生まれた女の子を
脈略も無く「新田玲蘭」と名付け
玲蘭はまほうつかいとおじいさんに愛されて
ある日玲蘭は二人に「鬼ヶ島で舞踏会が行われているとか噂があって、面白そうなのでいくね」と
言いました。
まほうつかいはシンデレラに金色のドレスとガラスの靴を履く魔法をあげました
おじいさんはきびだんごをくれました
そうして、鬼ヶ島へ向かっていると
行こうとゆうんだい?」
行くのです。この格好は一時的なもので、きれいなドレスは持っています」
女性はそれを聞いて「ははぁ、こいつは嘘つきの頭がおかしいやつかもしれないぞ」と思い
玲蘭についていく事になりました
こうして、鬼ヶ島へたどり着いた二人
島を歩くと、音楽が聴こえてきました
そこでは鬼たちが踊りを踊っていましたが、なにか楽しくなさそうに踊っています
「鬼さん鬼さん、どうしてそんな楽しくなさそうに踊っているの?」玲蘭は聞きました
「だって鬼どうしで踊るのは飽き飽きしたよ。
人間と踊りたいなぁ出来るなら…ん?」
鬼たちは玲蘭の姿を見て、びっくり!
あわあわし出したと思ったら、次々と「私と踊ってください!」と玲蘭に頼みました
踊ってあげました。嫌がっていた女性も見ていたら踊りたくなって、いつの間にか踊っていました
次第に、噂が島中に広まって、鬼の大将がやって来ました。鬼の大将はとても恐ろしい顔をしていましたが、玲蘭に一目惚れしてしまいました
「ええ、もちろん」玲蘭は大将の手をやさしく握ると、すらりすらりと踊りだしました
鬼の大将は踊りが実はあんまり得意ではありませんでしたが、玲蘭に合わせているとまるで風に流されてるみたいに楽しく踊れました
そうして、踊り疲れてついに玲蘭も帰らなきゃいけない時間になってしまいました
玲蘭は「いつか会いに来てくれる時のためにこれをあずかっててください」と大将にドレス・ガラスの靴をあずけました。
そうして、もう一人の女性は鬼ヶ島へ住むことになり、玲蘭は家へ帰りました
数ヶ月が経ち、鬼の大将は「玲蘭ちゃんに会いに行く!」と女性が止めるのを振り切って島から玲蘭のところへ向かってしまいました
街へつくと、鬼の大将は靴を見せて「この靴の持ち主を知りませんか?」と聞いてまわりました
靴を抱えて座り込んでしまいました
そこへ、一人の女性が通りかかって
「こんなところに座っていたらおしりがつめたくなっちゃいますよ」と声をかけました
みるとその女性は格好こそ違いましたが、間違いなく玲蘭でした
「れ、玲蘭さん…」大将は涙を流しながらぴかぴかに輝いたガラスの靴を渡しました
「まあ、覚えていてくださったのですね。靴が戻ってきたら踊りたいなと思っていたのですよ」
玲蘭は大将の冷たくなった手を引くと、街の中心に走っていきました。そして、大将と何回も何回もぐるぐるとまわりました。まるであの時みたいに何回も…
大将が言いましたが
玲蘭は笑って「いいえ、雨なら誰もあなたをいじめたり嫌ったりする人は来ませんから」と大将を持ち上げてしまいました
大将は玲蘭の力にびっくりしましたが、今度は逆に大将が玲蘭を持ち上げてしまいました
そうして、疲れるまで踊った二人は空が晴れた瞬間に互いに「好き」とぶちまけました
すると、家に篭っていた人々が飛び出して、祝福の踊りや歌をみんなそれぞれ披露しだしたのです
そして、鬼ヶ島ではいつでもダンスパーティーが開かれる様になって、いくつもダンスホールが建てられて、いくつもの出会いが産まれました
でも、その中心では恐ろしい顔をした鬼とガラスの靴を履いた女の子が誰よりも楽しそうに踊っているそうで、島を歩いているとまほうつかいやおじいさんに出会えるかもしれないとか…
をおわり)
未だに「謎の半導体メーカー」程度の認識の方になぜNVIDIAが時価総額世界4位なのかをあれこれ説明する必要があるので短めにメモ。半導体業界のすみっこの人間なので機械学習まわりの説明は適当です
・~1993年 AI冬の時代。エージェントシステムがさほど成果を挙げられなかったり。まだ半導体やメモリの性能は現代とくらべてはるかに劣り、現代のような大規模データを用いた統計的処理など考えられなかった。2006年のディープラーニングの発明まで実質的な停滞は続く。
・1995年 NVIDIAが最初のグラフィックアクセラレータ製品NV1を発売。
・1999年 NVIDIAがGeForce 256発売。GPUという名が初めて使われる。以降、NVIDIAはGPU業界1位の座を守り続ける。
・2006年 GPGPU向け開発基盤CUDAを発表。以降、その並列計算に特化した性能を大規模コンピューティングに活用しようという動きが続く。
・2006年 ディープラーニングの発明。のちのビッグデータブームに乗り、これまでよりはるかに高性能なAIを模索する動きが始まる(第3次AIブームのおこり)
・2006年 CPU業界2位のAMDがGPU業界2位のATIを買収、チップセットにGPUを統合することで事実上自社製品をNVIDIAと切り離す戦略に出る。CPU業界1位のインテルも、同じく自社CPUに自社製GPUを統合する動きを強める。NVIDIAはこれまでの主力だったGPUチップセット製品の販売を終了し、データセンター向けGPGPUのTeslaシリーズ、ゲーム用外付けGPUのGeForceシリーズ、ARM系CPUと自社GPUを統合したTegraシリーズの3製品に整理する。このうちTeslaシリーズが性能向上やマイクロアーキテクチャ変更を経て現代のAIサーバ製品に直接つながる。GeForceシリーズはゲーマー向け需要や暗号通貨マイニング向け需要も取り込み成長。Tegraシリーズは後継品がNintendoSwitchに採用される。
・2012年 ディープラーニングが画像認識コンテストで圧倒的な成績を収め、実質的な第3次AIブームが始まる。
・2017年 Transformerモデル発表。これまでのNN・DLと異なり並列化で性能を上げるのが容易=デカい計算機を使えばAIの性能が上がる時代に突入。
・2018年 IBMがNVIDIAと開発した「Summit」がスパコン世界ランキング1位の座を5年ぶりに中国から奪還。全計算のうち96%がGPUによって処理され、HPC(ハイパフォーマンスコンピューティング)におけるGPUの地位は決定的になる。NVIDIAの開発したCPU-GPU間の高速リンク「NVLink」が大規模に活用される。「Summit」は2020年に「富岳」にトップを奪われるまで1位を維持。
・2018~2021年 BERTやXLNet、GPT2など大規模言語モデルの幕開け。まだ研究者が使うレベル。
・2019年 NVIDIA CEOジェスン・ファン(革ジャンおぢ)が「ムーアの法則は終わった」と見解を表明。半導体のシングルスレッド性能の向上は限界に達し、チップレットを始めとした並列化・集積化アーキテクチャ勝負の時代に入る。
・2022年 NVIDIAがH100発表。Transformerモデルの学習・推論機能を大幅に強化したサーバ向けGPUで、もはや単体でもスパコンと呼べる性能を発揮する。H100はコアチップGH100をTSMC N4プロセスで製造、SK Hynix製HBMとともにTSMC CoWoSパッケージング技術で集積したパッケージ。※N4プロセスは最新のiPhone向けSoCで採用されたN3プロセスの1つ前の世代だが、サーバ/デスクトップ製品向けプロセスとモバイル製品向けプロセスはクロックや電流量が異なり、HPC向けはN4が最新と言ってよい。
・2022年 画像生成AIブーム。DALL-E2、Midjourney、Stable Diffusionなどが相次いで発表。
・2022年 ChatGPT発表。アクティブユーザ1億人達成に2カ月は史上最速。
・2023年 ChatGPT有料版公開。Microsoft Copilot、Google Bard(Gemini)など商用化への動きが相次ぐ。各企業がNVIDIA H100の大量調達に動く。
・2024年 NVIDIAが時価総額世界4位に到達。半導体メーカー売上ランキング世界1位達成(予定)。
こうして見るとNVIDIAにとっての転換点は「ディープラーニングの発明」「GPGPU向けプログラミング環境CUDAの発表」「チップセットの販売からコンピューティングユニットの販売に転換」という3つが同時に起こった2006年であると言えそう。以降、NVIDIAはゲーマー向け製品やモバイル向け製品を販売する裏で、CUDAによってGPGPUの独占を続け、仮装通貨マイニングやスパコンでの活躍と言ったホップステップを経て今回の大きな飛躍を成し遂げた、と綺麗にまとめられるだろう。
某大手企業の支店のすみっこに派遣されて2年半ほど働いてます。
2/1に新しい支店長が来ました。
今日2/2定時少し前に、その人が、増田のいるすみっこの島にやってきました。
いきなり「お疲れ様です。あら、そのノートパソコンじゃモニターもキーボードも小さくて大変そうですねえ。」
と声をかけられて、びっくりし振り返り
えっなに?誰?あっ新しい支店長さんだ!あわ!あわ!となった。
「っ?…あ、あ、あ、そうですね!あはは!」
その後も、にこにこしながら、すみっこの島で働いてる人たちにも、ひとりひとり声をかけていかれました。
昨日は朝礼で挨拶だけだったので、今日は金曜日だし職場のすみずみまで出向き、全員に声をかけていたようです。
支店長が、すみっこの島から離れてしばらくして、どきどきしてたのが落ち着いたら
(そうなんだよ。このノートパソコン小さいし、疲れるんだよ!)と改めて思いました。
だから、自分で買ったパソコンスタンドとキーボードとマウスも持ち込んで、工夫してがんばって仕事しています。
それを、自分でも忘れていたけど、持ち込みのことは話してないからもちろん知らないにしても
って言われた、ちょっと心配してもらったことに、びっくりして、嬉しくなりました。
初めて見たから思ったことだったとしても、大変そうと気付いて声かけてもらえるって有り難かったです。
そういえば、新しい支店長の朝礼の挨拶も、聴きやすく話が入ってきて、さすが長に任命される人だな、かっこいいなと思いました。
(でも派遣社員の増田は関わることはないんだろうな、まいいけど。)と、すん。としていました。
増田は派遣で3ヶ月更新なので、多分次の3月でこの支店での契約は終了してしまいそうですが、この支店長のいる職場なら、他の人も気持ち良く働けそうで良いなと思います。
おまえらすみっコぐらしの映画が公開しているのに、すみっコぐらしの話をやらねえな。ネットのすみっこにいるんだから親和性はバッチリなのによ。
ただ、前二作にあったような思想の強さは今回はナシ。最後の方に取って付けたように「物を大事にするのは大切なこと」「なかまは大事」というメッセージを入れてくるけど、そこまで全体的なテーマとして表れているわけでもないしな。
というか、すみっコたちって結構ドライなところも多いから(今回の映画のぺんぎん(本物)に対するぞんざいな扱いなんかまさにそう)、なかまは大事と言われても、う~ん???という感じは割とする。
さてさて、今回の映画もいつものようにイントロで、すみっコたちのメインキャラクター全員の紹介から始まるので、この映画で初めてすみっコを知ったという人でも安心。
今回はすみっコたちが迷い込んだ森にある玩具工場を舞台に話が繰り広げられるわけだけど、予告編にこの工場には何か裏がある……?と、匂わせた内容になっているだけあって、中盤以降は急にホラータッチな内容になってくる。工場長の真相が明らかになるシーンや、みにっコたちが工場から脱出して街にたどり着くシーンはそこそこ怖い。
あと、ホラーを緩和するためか、ギャグシーンも多め。すみっコたちが工場から脱出するシーンは、かなりシリアスな展開にもかかわらず、妙なことやってるから変な笑いが出てくる。あのとんかつのラジコンカーはどうなってるんだよ。
そんなわけで、全体的にちょこまか動き回るすみっコたちが可愛らしく(非常に重要)、話としてもまあ綺麗にまとまっていて、ワクワクしながら見れる程度には面白かった。エンディング~エピローグの映画そのものも巻き込んだ話のまとめ方も、なかなか手の込んだ展開になってて好き。
でも、今回はメッセージ性を弱めにして単に子供が楽しめるだけの映画にしている感が強いのは確かにそうなんだけど、大人が見るとね、玩具工場のあれやこれがブラックジョークにしか見えなくなかったりする……。
玩具工場に迷い込んだすみっコたちは、工場長からのお願いもあって、玩具工場で働くことになる。
始めはみんな和気藹々と玩具作りをしていたんだけども、次第に工場の設備が改善されるにつれ、単なる流れ作業を淡々とやるだけになる。
仕舞いにはすみっコが機械に巻き込まれても、フェールセーフ機能が無かったり、その件ですみっコが大変なことになっても、持ち場を離れるなと言われたり、さらには過剰なノルマを突き付けられたり。
さすがにこんな工場で仕事なんかしてられるか!と、すみっコたちが反乱を起こして、工場を脱出しようとするけども、工場の入り口には見張りのロボットなんかもいたりして、前述の工場からの脱出の話につながるわけ。
いやもうこの辺は、大人目線で見ると、現場猫でも見ているかのようなブラックジョークの塊にしか見えない。
全くすみっコぐらしで、なんてことやろうとするんだ。
あと、そうそう今回の映画のテーマソングは「すみっコディスコ」というタイトルで、当然ながら「すみっコ」の単語が歌詞に入りまくりなので、最近のアニソンはアニメのタイトルを歌詞に入れないと嘆いている御方にはぜひお勧めしておきたい。
今日公開される、すみっコの映画『ツギハギ工場のふしぎなコ』のチケットを予約してたからだ。
俺がすみっコの魅力にやられたのは、妻の影響。
1作目・2作目はアマプラで視聴し、その可愛さと感動のストーリーに悶絶した。
それなのに、妻からは「映画館で観るとまた格別やから」と聞かされた。
アマプラでさえこんなに可愛くて感動するんだから、映画館で観ちゃったらもう幸せすぎて宇宙まで飛んでいっちゃうんじゃないかな、と心配してた。
公開初日の今日、映画を見終わった妻と俺は、2人とも言葉を失っていた。
せっかくのすみっコの映画なのに、しかも69分しかない短い映画なのに、途中で「はよ終わらんかな・・・」とすら思ってしまっている自分にドン引きした。
個人的に、なぜ今回の映画がこんなに残念だったのかを考えてみた。
もちろん、本作を観て心から満足した方もいるだろうから、以下はあくまでも俺の主観。
Xの投稿を観る限りでは「感動した」「かわいかった」っていう声が大多数だから、俺の感覚が正しいとは思わない。
俺と同じように本作にモヤモヤしたっていう人にとっては、多少なりとも共感できる要素があるのではと思う。
すみっコに必然性を求めるなと思われるかもしれないが、そういうことじゃない。
1作目・2作目はファンタジー要素がありつつも、ストーリー全体として「なぜ物語が始まるのか」「なぜこんな展開になるのか」がはっきりしていた。
しろくまのもとに、ぺんぎん(本物)がぬいぐるみを持ってくるところから、話は始まる。
ぬいぐるみは、しろくまが実家で大切にしていたという設定になっている。
俺が記憶している限り、ぺんぎん(本物)がしろくまのもとにぬいぐるみを持ってきた動機がはっきりしない。
いや、まぁ「しろくまが大事にしていたぬいぐるみだからしろくまの元に届けてあげよう」と考えたんだろうとは思う。
ぺんぎん(本物)としろくまが親友のような関係であることは、にわかすみっコファンの俺にでもわかる。
けど、なんでぺんぎん(本物)がしろくまの実家に行ったのか、なんでしろくまの親御さんや兄弟からぬいぐるみを預けられたのかが、全然わからない。
このぬいぐるみは本作の中でけっこう大切なポジションなのに、そのへんの背景がわからないから、ストーリーにいまひとつ没入できなかった。
それから、工場でおもちゃ作りに励むことになったすみっコたちが、なぜ文句を言わずに働き続けるのかもわからない。
企画会議でも活発に意見を交換し、新商品の開発に積極的に取り組んでいた。
くま工場長から課せられるノルマは日々増え続けていき、持ち場を少しでも離れればロボットアームで定位置に強制連行される様は、お世辞にも楽しそうには見えなかった。
すみっコたちがおもちゃ作りを頑張る明確な理由は、なにひとつなかった。
一応、食べ放題の社員食堂があったり、豪華な寝室が用意されていたりと、福利厚生は充実していたように思う。
でも、別にすみっコたちって食いしん坊でもなければ、住処に困ってるわけでもないじゃないか。
(第一、工場のすみっこにあるソファでみんなで固まって寝てたから、寝室に関してはほぼ使ってないし)
たとえば、「すみっコらんどに帰れなくなっちゃった・・・!」的な理由があるなら、工場で頑張って働くのもまだわかる。
けど、そもそも徒歩でたどり着いた工場なんだから、帰りだって徒歩圏内のはずだ。
なんでくま工場長の言いなりになって働き続けているのか理解に苦しむ。
ひょっとしたら、「仕事が苦しくても辞められない日本人」的なところを投影しているのかもしれない。
でもそれなら、「苦しいけど、くま工場長に悪いから辞められないね・・・」的なすみっコたちの葛藤があってしかるべきだ。
そのへんが描かれていないので、すみっコたちがあたかも自分の意思なくただひたすら奴隷のように働いているように見えてしまった。
俺はすみっコの可愛い姿を見たいのであって、可哀想な姿を見たいわけではなかった。
必然制の希薄さ、という点と少しかぶるが、とってつけたような展開が続いたことも、映画に没入できなかった理由のひとつだ。
途中、何度かアクシデントが発生した。
たとえば、とんかつが大量発生したり、おもちゃがすみっコらんどを席巻したり。
でも、各アクシデントが次の展開につながることはなかった。
アクシデントを解決して、ホッと一息ついたら、また次のアクシデント・・・という感じで、脈絡のない小話が延々と続いているような印象だった。
とんかつの増殖については、ロゴマークを消すとおもちゃが命を失う・・・という設定が明らかになる伏線になってはいるが、このロゴマーク設定もけっこう雑だった。
おもちゃ工場でロゴマークをつけると、おもちゃに命が吹き込まれ、自分の意思で動くようになる。
で、そのロゴマークをこすって消すと、動かなくなる。
この設定はけっこう大事な気がしたが、割とあっさり無視されていた。
たとえば、くま工場長が実はおもちゃだった・・・という衝撃の事実が判明するシーン。
くま工場長は動かなくなってしまっていたが、ロゴマークははっきりと印字されたままだった。
細かいところでは、しろくまが持っていたぬいぐるみにもロゴマークがはっきり印字されていたのに、なぜ動かなかったのかという謎も残る。
まぁしろくまのぬいぐるみに関しては、経年劣化で動かなくなったという見方もできるけど。
でもそれなら、ロゴマークが薄れてしまってるなどの工夫は必要なのではと思う。
おもちゃ作りを放棄したすみっコたちに激おこになり、工場が暴走する。
で、その暴走が実は苦い過去の思い出によるものだったと判明する。
そのとき、すみっコたちは「役に立たなくたって仲間だよ」と言い、工場を笑顔にする。
なんつーか、唐突な流れすぎて感動が追いつかなかった。
ありがちな感動展開でうまくまとめようとした感じが拭えない。
てか工場に対して仲間意識を持つなら、くま工場長への心配があってしかるべきだろと思うが、すみっコたちは全然くま工場長のことは忘れているようだった。
そのあたりのアンバランスさも、すげー気になった。
そして何より、すみっコたちが楽しくなさそうだった。
これは俺の主観かもしれないが、少なくとも俺はそう感じた。
本作のすみっコたちは、楽しそうじゃなかったのだ。
「自分たちがやりたいから、これをやる」っていう、前向きな雰囲気が感じられなかった。
もしかして、くま工場長からの褒め言葉に縛られているのでは・・・?と心配にすらなった。
くま工場長は、すみっコたちを工場にスカウトする際、みんなのことを一人ひとり褒めた。
だけど今思うと、すみっコたちを思い通りに働かせるために操作しようとしているようにしか思えない。
っていうネガティブな感情をもってるわけだが、映画館の来場者特典として「くま工場長のほめスクラッチカード」ってのがもらえる。
硬貨でこすると褒めのセリフが浮かび上がってくるという代物だ。
俺のカードは「だいじょうぶ!みんな、すごいから!」、妻のカードは「サクサク!」だった。
(サクサク!がなぜ褒め言葉になるのかは、映画を観た方ならお分かりになると思う)
いや、この話の流れで、このカードもらって喜ぶお客さんっているんだろうか。
このあたりの細部の手抜き加減も、すげー残念だった。
とまぁ、今回の映画は本当に心底残念だったわけだけど、俺がすみっコ好きなのは変わらない。
今のところ2年周期で映画が出ているから、また2年後、2025年に4作目のすみっコ映画が公開されたなら、俺は間違いなく公開初日に観に行くだろう。