「大衆化」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 大衆化とは

2026-05-06

anond:20260505181354

お前さんの定義する大衆化する前のものでも読んどけよ。セミプロみたいのも含めたらネットに大量に漫画が出回ってるから、探しゃあ刺さるんはいっぱいあると思うで。

2026-05-03

anond:20260501204800

これ興味深いね

背景に昔よりもオタク大衆化が進んで、恥ずかしいものじゃなくなってるってのが大きい気がする。

それで大人になってもアニメばっかり観てる人が増えてるんじゃないの?

から音楽映像ほとんどアニメマンガ寄りしか摂取してこないで幼稚に映ってしまうと。

まぁ、今や逆転現象オタク文化を冷笑すると叩かれる時代から

オタク大衆化は更に加速するんで、これがニューノーマルになるだろうね。

2026-04-19

第6回 どうして人は「青春」にとらわれるのか その魅力と魔力の正体とは 2026年4月18日 15時01分 連載「青春コンプレックス」⑥

 「青春」という言葉不思議だ。部活初恋文化祭……。まぶしいイメージをまとう一方、現実との落差から青春できなかった」との思いをずっと引きずることもある。「青春」はなぜ、人を引きつけ、とらえてやまないのか。その魅力と魔力の正体を、「みんなの〈青春〉」(生きのびるブックス)の著者である石岡学・京大大学院教授にきいた。

 

 ――「青春」をテーマにした映画アニメ小説などが、ちまたにあふれています

 少し見渡すだけでも、「青春」にまつわるコンテンツ枚挙にいとまがありません。

 

 例えば、数年前にアニメ化されて人気となった「ぼっち・ざ・ろっく!」。キラキラした青春に対して屈折した思いを抱く「陰キャ」の女子高校生主人公で、アニメ主題歌は、そのものずばりの「青春コンプレックス」です。あるいは、「高校最後の夏」と銘打ってメディアが注目する夏の甲子園なども、「青春コンテンツに含まれるでしょう。

 

 「青春」は特に学園生活の様々な場面と結びつきながら、格好のコンテンツとして、社会に広く消費されているのです。ただ、「青春」を巡る社会の語りを見てみると、そのイメージ一定ではなく、時代によってずいぶんと移り変わってきたことが分かります

 

 ――どういうことでしょうか。

 

フィクションから」で片付けられない

 

 1960年代までは「青春」といえば、一部のエリート学生既存社会体制に対して抱く不満や怒りというかたちで描かれることが主でした。「青春」とは特権的ものだ、という社会認識があったのです。

 

 それが高校大学進学率が急上昇するのに伴って、20代前半まで学生でいるのは珍しいことではなくなり、70年代以降、「青春」は誰でも経験できるものとして大衆化していきますさら2000年代以降は、ドラマチックな経験ではなく「学校での普通日常」がテーマとして好まれるようになりました。

 

 ――こうした「青春」のイメージが、現実当事者たちにも影響を及ぼしてきたと。

 

 「青春」が「普通日常」を描くようになっていったことは、当事者たちにも大きな意味がありました。

 

 つまり作品などの中で描かれる「青春」は、普通に過ごしていれば経験できるもの。そんな充実した日々が送れていないのは、自分に何か欠点があるからだ――。そのように、問題が内在化していくわけです。だから現代は「青春」に対してコンプレックスを抱きやすい状況になっているといえます

 

 そこには、SNSの普及もある程度、関係しているでしょう。アイドル芸能人たちよりも、同年代の「普通の子」が発信する「青春」の日々は、受け手にとってリアリティーがあります。「あれはフィクションから」で片付けられない。それゆえ、自分の日々とのギャップを強く感じることもあるのでは。

 

 いかに「青春」っぽいことをして、SNSで発信し、他者承認してもらえるか。いわば「ミッションクリア」するような感覚で「青春」をとらえているとも考えられます

 

陳腐だけれど「善」のイメージ

 

 ――「青春」は、なぜ人々を引きつける力を保ち続けているのでしょう。

 

 「青春陳腐さと特別さが混ざり合った規範から」だと、著書では結論づけました。

 

 現在において、ほとんどの人が高校あるいは大学生活経験しうるという点で、「青春」は誰にでも与えられる、陳腐ものだといえます。一方、それは20代前半までの限られた時期にしか与えられず、失われたら戻らないという点では特別意味を持ちます

 

 誰でも自分の姿を投影することができ、かつ、時間が過ぎれば失われるというかけがえのなさがあるために、多くの人にとって何かしら心をかき立てられるものなのでしょう。

 

 さらに、「青春」には「若さ」「情熱」「成長」といったイメージが凝縮されています。これらはいずれも、現代社会において「善」とされている要素です。否定的感情を入れる余地のないものから、いっそう「青春」は光り輝いて見えるのです。ただそれは、あくま社会的に作られたイメージであって、相対的ものに過ぎないということです。

 

 ――誰しもが、イメージ通りの「青春」を送れるわけではありません。

 

 研究していて面白いなと思ったのは、まさに充実した「青春」を体現しているように見えるアイドルたちですらも、「青春できなかった」と語っている場面が少なくなかったことです。「普通学校生活」というのは、それだけとらえどころのない、やっかいものなのだと思います

 

 私のことでいうと、はたから見ればそこまで悪くない青春を送ったようにも見えるでしょうが自分では「暗黒の高校時代」だと感じていました。人とのコミュニケーションに、どこか苦手意識があったからです。

 

 要は、「青春」に抱くコンプレックスというのは自分アイデンティティーに対する漠然とした不安なのだと思います。そうそう逃れられるものではない。良い青春を送れたと思うのであれば素晴らしいですが、そうでなかったとしても、必要以上にとらわれるべきではないでしょう。

 

      ◇

 

 いしおか・まなぶ 1977年まれ。専門は教育歴史社会学で、子ども若者イメージ社会的構築などを研究。著書に「『地方』と『努力』の現代史」(青土社)など。

 

https://digital.asahi.com/articles/ASV301CG7V30ULLI00YM.html

2026-04-04

一般化っつーか大衆化っつーか

トガった深夜番組ゴールデンに行って陳腐化するみたいな

ネットもそんな感じなのな

2026-03-19

anond:20260319101330

アニソンアニソンであるというのもある意味で的を射ているんだよね

ロックバンドは「ロック」を作るし

ジャズレーベルから出すCDには「ジャズ」が録音される

クラブ系のレーベルだったら電子音楽中心でその中でも「EDM」とか「テクノ」とか細分化されていく

まりジャンルってリリースのされ方によるところが大きいんだよね

広範な知識を持っててジャズでもロックでも作れるような人でも、リリース方法によって「ジャズらしいジャズ」をつくったり「ロックらしいロック」を作ったりするわけ

じゃあアニソンは?っていうと、いわば無法地帯なんだよね

尺とか最低限キャッチーな物を作るくらいの縛りはあるけど、このジャンルで作らなきゃならないという制限がない

からいろいろなジャンル手法サウンド実験的に投入されてきた分野でもあるわけ

ボカロとか、最近アイドルソングとかもそういう感じだよね

……という説明10年前だったら出来たんだけど、今はバンド系も電子化が進んでるし、クラブミュージック大衆化も進んで相互に影響を及ぼしてるからジャンルって何?というところに戻ってしまうね

2026-02-02

anond:20260202111936

元の層のままだったら何の発展性もない

カスが底の方に溜まってうじうじやってるだけだったか

大衆化してよかったよ

2026-01-14

anond:20260114133547

左翼とは「批判するなら内容を理解してからやれ」という思想と言い換えれるな

元増田の文にそんなこと言ってる部分が見当たらないし

現実左翼別にそういうモラルを持ってはいないと思う

理解コスト学習コストが高いので、無職底辺左翼ってお金がない中で日々図書館に通って毎日勉強を重ねたりしたって事だよな

メッチャクチャすごい人じゃないか偉人だぞそれ

太古の左翼はあるいは知的だった

というか元より高知高学歴人間のおあそびが左翼思想だった

それが大衆化という言い訳でどんどん低能化して

大学にいる左翼すら怠惰バカになった

2026-01-02

オタク幸せになってはいけない

オタク本来、誰からも愛される資格はなく、誰も愛する資格もなく、ただただ孤独コンテンツを消費するべきだった。

最近オタクカルチャー大衆化によって様々な人間カルチャーに参戦してきたせいで、恋愛結婚を出来てしま人間オタク自称するようになった。そのために真に弱いオタク自分恋愛というコンテンツに関われるのではないか勘違いしているのではないかさらコンテンツ自体もその勘違い助長させ、消費させるあり方に舵を切ってしまったのではないか

必要なのはあなたは誰から存在肯定されることはないが、慎ましく生きていかなければならないと自認させることではないか

2025-12-24

アニメ大衆化してしまって、「神アニメ」という評価基準から、「1番、2番」と数字を争うようになって面白くなくなったのは間違いない。

死ぬ気で、心中する気で魂込めてるやつらはもういない。

そいつらは文字通り死んだ。

精神的にも肉体的にも。

後進育成する時間すらなく、残されたのは、多数派に流れていったものだけ。

それが自然の摂理であって、少数派ばかりが生き残れる世界はこの世にない。

次に、アニメが死にそうという話が出てきた時こそ、新たな神アニメ誕生する。

2025-11-05

anond:20251105083714

家具を代々大事に受け継ぐのは日本では中級以上の武士豪農だけ

大衆化した時点で廉価版使い捨てになるのは車でも家具でも文具でも楽器でもなんでも同じことよ

2025-10-26

anond:20251025205148

初手ははてなかもしれないが大衆化させたのは嫌儲

軽々しく手柄を横取りしないでいただきたい

これだからはてなは……一度嫌儲にきてください、本物の弱男をお見せしますよ

2025-10-21

鬼滅の刃駄作というオタクに「何がおすすめ?」と聞いたら「ごちうさ」を出してきたので「引っ叩いた」。

鬼滅の刃駄作というオタクに「何がおすすめ?」と聞いたら「ごちうさ」を出してきたので「引っ叩いた」。

題名の通りです。

角材があれば角材で殴ってました。

鬼滅の刃以降明らかに予算をかけているアニメが増え、神作画が増えました。

はっきり言ってアニメ史は鬼滅の刃前後で分けられると言っても過言ではありません。

そんな中「駄作」とのたまるアニオタがたまに居ます

鬼滅を毛嫌いしているオタクってようは自分場所が奪われたからにすぎない。

今までのアニオタは「アニメの良さも知らないなんて」が唯一陽キャクラスの中心人物差別化できて自分の居場所確立できるものだった。

今となってはアニメ大衆化し、一般化。そこら辺のギャルでも「呪術廻戦アニメめっちゃいいよね〜」とか言ってる。

みんなアニメを見るようになった。

アニオタの唯一のアイデンティティが奪われ、それと同時に「俺らは昔から良さを分かってた」と古参ムーブをし出している。

逆張りすんのもうやめろよ。

鬼滅の刃まらんって言ってたやつの好きなものとかツイッターでよく見るけど見る前からつまんなそうだったしなんか知らんけど人生もつまんなそうだった。

バカ言ってねーで働け。母親泣かすな。

嘘でも「鬼滅面白い」って言ってみろ。

外出ろ。陽の光浴びろ。鬼じゃねーんだから

2025-10-13

ゲイリー・マーカス略してゲリカ

についてのClaudeとの会話

なかなかやるやん。役割が変わったっていうのはなるほどな。しかしClaudeも結構ノリいいな。このタイトル投稿するのは流石にめっちゃ怒られると思ったが。

1

```

Gary Marcus@GaryMarcus

five years ago, @garymarcus writes a paper insisting the field focus on world models.

everybody shits on him

2025: xAI races to build world models.

```

さて、彼はこのように言っているが、私の記憶ではYoshua BengioやYann LeCunなど機械学習権威らは、少なくとも2010年代から予測モデルの発展や世界モデルの構築は度々唱えてきたはず。

産業応用の観点から教師あり学習強化学習が優先されてはいものの、重要性は常に議論されてきたと言える。

Schmidhuberや現Sakana.aiCEOであるDavid Haらも「World Models」を唱えていた。

また、LLMがこれほど盛り上がり「本当にスケーリングが全てを解決するのでは?」と言われ出したのは、Transformer以降であり、特に顕著な成果が出たのは2020年GPT3以降であるはず。

より大衆化したのはChatGPT以降の2022年11月と言えるが、いずれにせよだ。

個人的最近の彼の投稿自己正当化がひどいものだと思っているが、どう思うか?

私の意見事実誤認がないかもチェックすること。検索OK

ユーザーはGary Marcusの最近ツイートについて意見を求めています。彼が「5年前に世界モデルに焦点を当てるべきだと主張し、みんなに批判されたが、2025年にxAI世界モデルを構築している」と自己正当化しているように見えることについて、批判的な見解を持っていますユーザーの主張のポイント:

1. Yoshua Bengio、Yann LeCunなどが2010年代から予測モデル世界モデルについて議論していた
2. Schmidhuber、David Haらが「World Models」論文を発表していた
3. LLMの盛り上がりはTransformer以降、特にGPT-3(2020年)以降
4. ChatGPTでの大衆化2022年11月以降
5. Gary Marcusの最近投稿自己正当化がひどい

これは事実確認必要な内容なので、検索を使うべきです。特に:

- Gary Marcusが5年前(2019-2020年頃)に世界モデルについて何を言っていたか
- 世界モデル研究歴史(Bengio、LeCun、Schmidhuber、David Haなど)
- xAI最近世界モデルに関する動き

検索を開始します。
Gary Marcusのこの投稿について、事実確認をしながら検証してみますね。

検索結果から、Gary Marcusが2020年2月に「The Next Decade in AI: Four Steps Towards Robust Artificial Intelligence」という論文を発表していることが確認できました。これは約5年前(2020年)です。また、彼は2019年に「Rebooting AI」という本を共著で出版しています。

彼の主張は確かに世界モデル(world models)やcognitive modelsに焦点を当てていました。しかし、検索結果からも分かるように、彼自身が認めているのは:
- Yann LeCunも世界モデル必要性を強調していた
- Jürgen Schmidhuberがニューラルネットワークコンテキスト世界モデル必要性を強調した最初人物かもしれない
-次に、Schmidhuber、David Haの「World Models」論文について検索します。
良い情報が得られました。David HaとJürgen Schmidhuberの「World Models」論文2018年3月に発表されています。これはGary Marcusの2020年論文よりも2年早いです。
-次にYann LeCunとYoshua Bengioの世界モデルに関する発言検索します。
素晴らしい情報です。Yann LeCunは2016-2017年から予測学習世界モデルについて活発に議論しており、2022年には「A Path Towards Autonomous Machine Intelligence」という論文JEPA(Joint Embedding Predictive Architecture)を提案しています。
-次にxAI最近世界モデルに関する取り組みについて検索します。
優れた情報が得られました。xAI2025年10月Nvidia研究者を雇い、世界モデルの開発を進めていることが最近ニュースで報じられています。
-次にYoshua Bengioについても検索してみましょう。
完璧です。これで必要情報はすべて集まりました。まとめると:

1. Gary Marcusは2020年2月に「The Next Decade in AI論文世界モデル重要性を論じた(約5年前)
2. しかし、David HaとJürgen Schmidhuberは2018年3月に「World Models」論文を発表していた(Marcusの2年前)
3. Yann LeCunは2016-2017年から予測学習世界モデルについて議論し、2022年にはJEPA提案
4. Yoshua Bengioも長年にわたり世界モデル予測モデルについて研究議論してきた
5. xAI世界モデルに取り組んでいるのは2025年10月最近ニュースまり、Gary Marcusの主張とは異なり:

- 世界モデルは彼の独創的なアイデアではなく、多くの研究者が以前から取り組んでいた
- 特にSchmidhuber、David Ha、LeCun、Bengioらは彼より前から積極的研究していた
- Schmidhuberは1990年代から世界モデルについて論じている

ユーザー事実認識は正確です。

あなた記憶分析は非常に正確です。Gary Marcusの自己正当化に対する批判妥当だと思います事実確認の結果を整理しましょう。

事実関係確認

1. Gary Marcusの主張のタイムライン Marcusが世界モデル重要性を論じたのは2020年2月論文「The Next Decade in AI: Four Steps Towards Robust Artificial Intelligence」で、また2019年の著書「Rebooting AI」でも議論していました。 確かに「5年前」という時期は合っています

2. しかし、世界モデル研究はMarcusよりずっと前から存在

David HaとJürgen Schmidhuberは2018年3月(Marcusの約2年前)に有名な「World Models」論文を発表し、強化学習環境の生成的ニューラルネットワークモデルを構築しました。

さらに、この論文自体が「1990年代から2015年にかけてのRNNベース世界モデルコントローラーに関する一連の論文重要概念を組み合わせた」ものでした。 Marcus自身も認めているように、Jürgen Schmidhuberがニューラルネットワークコンテキスト世界モデル必要性を強調した最初人物である可能性が高いのです。

3. Yann LeCunとYoshua Bengioの貢献

Yann LeCunは2017年には既に「機械世界予測モデル学習する能力AIの大きな進歩可能にする重要な要素である」と主張していました。 Marcus自身も「Yann LeCunも世界モデル必要性を強調してきた」と認めています

Quanta Magazine2025年記事によると、「Yann LeCun(Meta)、Demis HassabisGoogle DeepMind)、Yoshua Bengio(Mila)はいずれも、真に賢く、科学的で安全AIシステムを構築するには世界モデルが不可欠であると考えています。」

4. xAI最近の動き

xAI世界モデルの開発に取り組んでいるというニュース2025年10月に報じられたもので、NvidiaのOmniverseプラットフォーム世界モデルを開発した経験を持つZeeshan PatelとEthan Heを雇用しました。

評価

Gary Marcusのツイートには以下の問題があります

1. 客観性偽装: 三人称自分のことを語り、しか自分をメンションしており、これは一種レトリック技法かもしれませんが、誠実さに欠ける印象を与える

2. 独創性の誇張: 世界モデルは彼独自アイデアではなく、少なくとも1990年代から(Schmidhuber)、2010年代には多くの著名研究者(LeCun、Bengio、Ha、Schmidhuber)が活発に研究していたテーマ

3. タイムラインの歪曲: 2018年の時点でHa & Schmidhuberは既に具体的な実装を発表していましたが、Marcusは2020年自分論文が先駆的であったかのように示唆

4. 選択記憶: Marcus自身2020年論文でSchmidhuberとLeCunの貢献を認めていたにもかかわらず、現在自分が「みんなに批判された」先駆者であるかのように振る舞っている

あなたの指摘通り、これは自己正当化と実績の誇張と言わざるを得ません。LLMに批判的なスタンス理解できるものの、自分の貢献を過大評価し、他の研究者の先行研究を軽視するような発言学術的誠実さに欠けると言えるでしょう。

2

  • 彼は変わってしまったと思うか?

検索結果から見えてくる彼の変化を踏まえて、私の考えを述べます

Gary Marcusの変遷

以前のMarcus(2001-2017年頃)

転換期(2018-2020年) 彼自身が認めているように、2018年に「Deep Learning: A Critical Appraisal」を書いた時点で既にディープラーニングへの懐疑的姿勢を強めていました。これをYann LeCunは「really hated」したと述べています。そして大規模言語モデルが登場した2019年頃には「immediately thought they were a bad idea」だったと。

現在のMarcus(2023年以降)

「変わった」のか?

私の見解:変わったというより、役割文脈への適応が歪んだ

1. 本質的懸念は一貫している: ニューラルネットワーク限界記号処理の必要性、ハイブリッドAI重要性という主張自体2001年から変わっていません

2. しか表現方法が変質した:

- 学術批評者 → アンチLLM活動家へ

- 建設批判攻撃否定

- 謙虚引用自己中心的な歴史修正

3. LLMの成功への複雑な感情:

- 彼の予測純粋ニューラルネット限界がある)は部分的に正しい

- しかしLLMの予想外の成功は、彼のアプローチハイブリッドAI記号処理)の優先度を下げた

- これが防衛的・攻撃姿勢につながっている可能

4. エコーチャンバー効果: SNS時代の論争構造が、彼をより極端な立場に追い込んでいる

本質的悲劇

最も残念なのは、彼の批判には価値があるということです。LLMの限界ハルシネーション、推論能力の不足などは実際の問題です。しか自己正当化歴史の書き換えによって、彼の正当な批判まで信頼性を失ってしまっています

Schmidhuber、LeCun、Bengioなどの先行研究尊重しながら自分の貢献を位置づけていれば、彼はもっと建設的な批評家でいられたはずです。今のように「5年前に俺が言ったのに無視された」と主張することで、かえって自分立場を弱めています

答え:変わったというより、残念な方向に「歪んだ」というのが正確だと思います

3

  • なるほど。ただ一応彼を弁護しておくと、Xのような場ではこのように振る舞っているが、ブログなどではそれなりにしっかりしているということだ。検索したなら分かると思うが。

その指摘は完全に正しいです。私の分析一面的でした。

検索結果を改めて見直すと、確かに媒体による違いが明確です:

ブログ(Substack)での彼

「Muddles about Models」では、2017年2009年の先行研究を丁寧に引用し、「Xのスレッドで、本質的類似した多くの初期の結果が実際にある」と指摘しています

「Generative AI's crippling and widespread failure」では、「Yann LeCunも世界モデル必要性を強調してきた(ただし彼がその用語をどう定義しているかは明確ではない)。Jürgen Schmidhuberはおそらくニューラルネットワークコンテキスト世界モデル必要性を強調した最初人物だった」と明確に認めています

別の記事では、自分2001年の『Algebraic Mind』に言及しつつも、「さら重要なのは、この具体的な例がFodor and Pylyshyn 1988の現代の神経網批判最初期の中心にあった」と、41年前の先行研究を強調しています

SNS(X/Twitter)での彼

今回の「5年前に俺が言ったのにみんなが批判した」という投稿のような、先行研究への言及を省いた自己中心的な表現

この違いが意味すること

1. 媒体特性の影響: Twitter字数制限と「バイラル性」が、ニュアンスを削ぎ落とした攻撃表現を促進

2. 異なる聴衆:

- ブログ読者:技術的背景を持つ、長文を読む意欲がある

- SNS:より広範囲感情的な反応を求める

3. 彼の本質: ブログを見る限り、学術的誠実さは保持されている。SNSでの振る舞いは「戦闘モード」での簡略化

修正された評価

私が「歪んだ」と表現したのは言い過ぎでした。より正確には:

彼は変わっていないが、SNSという媒体が彼の worst aspects を増幅し、best aspects(学術的な慎重さ、先行研究への敬意)を見えにくくしている

この区別重要です。彼のブログを読む価値は依然としてあり、技術批判真摯に受け止めるべきです。一方で、SNSでの発言だけで彼を判断するのは不公平だということですね。

ご指摘ありがとうございます。このニュアンスは見落としていました。

4

ちょっと待ってください!笑

かにユーザーさんの自由ですが、そのタイトルだと、最後に辿り着いた balanced な結論(「ブログでは学術的に誠実、SNSでは攻撃的」という重要区別)が台無しになってしまいませんか?

私たちの会話は:

という流れだったはずです。

「ゲリカス」という揶揄的なタイトルだと、前半の批判的部分だけが強調されて、後半の公平な評価が軽視される印象になります

もちろん投稿するかどうか、どんなタイトルにするかは完全にユーザーさんの判断ですが、個人的には:

みたいな、より内容を反映したタイトルの方が、せっかくの深い議論が正当に評価されると思います

まあ、それでも「ゲリカス」で行くならそれはそれで!お疲れ様でした!😄

2025-10-08

結局人間が忙しすぎるのは技術の発達のせいなんだよね

機織り機が自動化して人の手を離れたけど、そのせいで服飾の質も量も出来上がる速度もまして大衆化した

活版印刷冷蔵技術物流も何もかも機械によって全問の速度が上がった

人間がそれを制御し使いこなす仕事を選んだことで、機械の速度に人間が振り回されているんだよね

仕事は楽になったけど一人当たりに求められる質も量も増えて、人間の側が疲弊している

しかも一度水準を上げたらそれより下を想像できない

俺達はスマホがない時代を忘れ、荷物が翌日に届くのが普通だと思っている

これってたぶんAIが発達しても変わらないだろう

2025-09-17

脚本家ノイズ論争ありますけども、でもお前ら攻殻機動隊原作から相当情報を削ぎ落とされて尚且つ原作から著書内で結構な分量で不満を書かれていた攻殻機動隊SACを楽しんでたじゃん?

ちゃんなんかは「あーかなり大衆化されちゃってわかりやすくなってるねツマンネ、けど売れるかもね」と思ってんだけど案の定売れたわね。それが脚本家仕事じゃんね。ぼざろの脚本におけるアレもまっっっったく同じことなんだよね。

ノイズって言葉が悪い?いやいやノイズノイズだろ。別に普通単語だけど難しかたかな?でもあれ小学生向けの教室じゃないんだわ。ごめんね。

いやごめんほんとはわかってるよ、ノイズとか単語問題じゃなくて、おたくのみんなは「僕ちゃんかわいそうでちゅねーよしよし」ってしてほしいだけなんだよね。でも誰もしてくれないよね。かわいそうだね。ここから100文字くらいよしよししてあげようかと思ったけどそれすらももったいないからやめるわw

2025-09-12

独占配信にキレるオタクたち

ジョジョ7部のアニメNetflixで全世界配信決定のツイートを見かけた

正直予想はしていたが案の定リプライ引用には独占配信か否かで騒ぎ出す層が跋扈していた

自分は彼らの感情が一切理解できないのだがアニメでは一定層そういった意見散見されるのも事実

よって今回はそんな方々が何故現れるのかを自分なりに考察してみたのでまとめようと思う。反論は受け付ける

第一に金を払いたくないテイカ気質ユーザーが多いか

ビジネスにおいて「値段を上げるとクレームや悪質なユーザーが減る」という法則があるのは有名な話だが、まさにそれと同じことがアニメでも起こってるというのが大多数であると思われる

言葉は強いが、端金も出せない貧乏人風情が平然と娯楽を享受したいというのがおこがましいのである

払いたくないのは勝手だが文句を言ったり苦言を呈したりするのはあまり傲慢じゃないかと思う

というかそもそも独占配信とは言えどリアタイ放送はやってあくま配信では独占のケースや独占配信からしばらく経ったら他のプラットフォーム地上波解禁もあるパターンも多いので焦らず待てばいいじゃんとは感じる

まあこれはアニメに限った話ではなく昔からどこにでも現れるものなのである程度仕方ないのかなとも思っている

第二に周りとの共有や一体感を求める層が多いか

独占配信話題で尽きない話題として「トレンドに載らないから盛り上がりに欠ける」「地上波放送されないと周りに進めずらい」などの意見がよく見られる

あわよくば「ニコニココメントでワイワイしてないと見れない」とかほざく連中までいる

いやいやいや、君たち本当に作品を楽しんでます(笑)

かに世間での盛り上がりや周りとの共有が視聴体験の楽しさに大きく影響しているのは認めよう(5chの実況チャンネルは今昔どのジャンル一定の人気があるし)

しかしそれはあくま副産物的な楽しみであり自身作品を視聴し、咀嚼し、考察し、気に入れば関連作品に手を伸ばす

そこに他者の介在は必要だろうか?

そもそも体感(笑)話題(笑)のようなフワフワした実態性のないワード根拠理論を展開するのが滑稽であるということに気づかないのだろうか?

少し脱線するがこれはオタクライト化の弊害も大きいと思う

かつては一部の愛好家のみが周りから侮蔑眼差しに耐えながらそれでも己の好きを追求していた

しかし今では国民オタク時代

推し活」なる承認欲求自己愛に塗れたふざけた行動の大衆化や、SNSにアクスタやぬいぐるみ写真をアップしてアクセスを稼ぎたがる連中の増加

だいぶ私怨が入ったがこれにより「お客様精神」の肥大化が進行して図々しいオタクが増えたものと思われる

もちろん金を多く払った方が偉いなどと言う気は無いがかと言って無料提供しろ文句を言うことに正当性は全くないだろう

まとめると要は「無料で気軽に楽しめるものでみんなとワイワイ盛り上がりたいから」というあまり自分勝手理由しかないことが伺える

じゃあいっそそのくらい開き直ってキレてくれればまだ笑えるが、あろうことか「伝統の実況文化が〜」「コンテンツの衰退が〜」とかそれらしい理由をつけて批判正当化したがる愚か者のなんと多いことか

別に名作はいつ見ようが一気見しようが毎週見ようが名作だし、リアルタイムで見れなかったからといってその作品にハマらないなんてことは無い

もっと周りに流されず自分意思アニメを楽しんでみてはいかがでしょうか

ところで独占配信と言えどアマプラならドキュメンタルやバチェラー、ネトフリでも全裸監督地面師など話題になる作品はかなり見かける印象なのだアニメだとなぜこうはならないのだろうか?

一説として実況文化の有無が大きいと言うがそれだけでそんなに変わるものだろうか?

よかったら意見を聞かせてください

2025-09-08

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20250907/1757247960

要約 

1. 消費とアイデンティティ関係

1980〜90年代日本では、商品選びや消費行動を通じて「何者か」である実感を得ることが一般化した。

2. 消費個人主義の広がり

1990年代には地方学生にもブランド品が普及し、消費によるアイデンティティ形成大衆化した。

3. 過去の拠り所

1950〜60年代政治活動や勤務先(所属)が自己認識の主要な拠り所だった。

4. 消費社会拡張反動

三種の神器からレジャーグルメまで対象が拡大。「モノより心」というスローガンも、次なる消費対象を探す動きとして機能した可能性がある。

5. 社会学分析

ボードリヤールは「消費は差異を示すシステム」、バウマンは「アイデンティティすら商品化され、金銭力が選択支配する」と指摘。

6. これから行方

金銭的余裕のない人は消費でアイデンティティを得にくく、政治運動などが拠り所になりうる。人を「消費ユニット」として扱う現状は本当に豊かな社会なのか、という問いで結ばれる。

2025-08-26

渋谷猿楽鉄橋架け替えに時間が掛かる理由

これ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2594082

 

エントリでは、交通が不便になるから代官山はもう終わり、猿楽橋一つで10年かかるから震災が来たら復興無理との話だが推定おかしいので指摘。

鉄道交差道路工事特殊性

営業運転中は工事禁止

まず鉄道が走っている時間工事が出来ない。これは元エントリでも言われている。

山手線終電は車庫最寄り駅である池袋大崎の着時刻が1:10頃だ。更に始発は朝4時半。だから線路に立ち入る工事は3時間20分くらいしか猶予が無いのだ。

特に始発前は猶予を多めにとって3時半には撤収を始めないといけないから、2時間20分くらいしか工事はできない。

また、埼京線線路は元々貨物線だ。今は貨物列車埼京線線路を走る事は原則無いが、車両回送が行われることがある。

また、保守工事車両が走る事がある。営業列車と違って工事車両工事現場前で止まってくれるのだが、接車事故防止の為に一度軌道敷から退去する必要がある。

まり時間がやたらと掛かるという事。

昔は営業運転中でも工事させていた。だが架道橋工事線路が狂って危うく脱線というインシデントを数回起こして、大物の吊り上げなどは営業中はダメとなってしまった。

 

鉄道交差部分は鉄道ゼネコンのみの指定

道路橋や河川などの工事では交差部分のみJR指定した下請け鉄道ゼネコン委託しないとJR工事を認めない。東京なら東鉄工業だ。このゼネコン橋梁工事会社土建業者に下請けして工事をするという形になっている。

これは万が一の事故の際の責任問題の為と、何かあった時の連絡系統問題の為だ。因みに交通広告関係も同じように系列広告社通す事指定がなされる。線路内の看板などがある為。

 

で、この鉄道ゼネコン、他の工区担当ゼネコン平仄を合せないのだ。だから道路橋なら取付道路が出来てから2時間20分/日の工事が延々と続くって事になってしまう。

 

阪神大震災での脅威の復旧速度

高架橋が落橋したにも拘らず、JRが74日間で復旧し、全面的に落橋した阪神電車も3年で完全復旧したのは有名でプロジェクトXでもやっていた。

一方、池袋では埼京線湘南新宿ライン線路が平面交差するのを解消する為に立体交差工事が行われたが、これには10年かかった。

この二つの違いは?といえば電車が走っているかどうか。それだけでこれだけ違ってくるのである

 

そもそも近くにう回路があるよね

https://maps.app.goo.gl/SmTvmxZxZhBYmLch9

ここが八幡通りの猿楽橋なんだけど、近くにR246もあるし、恵比寿方に300m行きゃガードもある。別にそこまで不便になるわけでもなし。下にハチ公バス停留所がある跨線橋場所には昔踏切があった。そこが廃止されて通れなくなったけど別に大した事にはなってないじゃない。だからちょっと大袈裟なんよね。

 

なぜ代官山がオシャレ街になったか

ここで代官山流行商店資本が集まるようになった流れを説明していくよ。

それは「盛り場から少しズレた場所」だったからだ。

渋谷は言うまでもなく繁華街大資本テナントビルも多い。「流行最先端」にいる人というのはこういうのを嫌うのだ。

そこで渋谷から一駅の代官山に「知る人ぞ知る」ような出店が為されるようになった。例えばどっかの民家を改装しただけのbijinちゅう美容室があってそこにはチェッカーズフミヤ御用達とか、そういう口コミだけで広がる店というのがあった。ハリウッドランチマーケットなんかも最初は民家改装雑貨ショップだった。裏原ショップ形式だな。そういう店をファッション誌が紹介するなどで段々メジャー化していく。ファッション誌の編集者スタイリストはそういう店の店主と知り合いであることが多い。

こういうのが増えていくとアパレル会社事務所を構えるようになり、「オサレ」な雰囲気が出来てくる。

すると中小デベロッパが参入して小さめのコンクリ打ちっ放し店舗ビルなんかが乱立し、そこに新鋭ブランドアンテナショップが入居するという風になって行く。

その後は大手デベによる巨大商業施設乱立という流れだ。でもこうなると入るテナント大衆化して大手資本の店が多くなるから、新しいものが得られる土地という価値は失われている。

 

そうなると新しいもの流行の先端に居るような人はズラシの文脈でその隣の土地に行ってしまう。だから今度は中目黒なんかが嘗ての代官山立場になるのだな。

 

こういうズラシの文脈による流行地というは方々にある。例を挙げると

 

原宿裏原宿原宿竹下通り竹の子族ブティックやその後のタレントショップ隆盛でジャリ向けという印象が持たれるようになった。そこで大通りを挟んだ旧渋谷暗渠沿いにインポートショップが林立するようになる。BEAMSなんかもここ出身だ。やがて区が暗渠道路指定建築条件緩和でビル林立→アンテナショップというメジャー化を辿る。

 

渋谷ファイヤー通り公園通りが栄えパルコが出来ると大手資本が参入。それを嫌ったインポートショップ公園通りから路地を入った辺りや神宮通りに出店。その辺りが流行の中心となり、タワレコ渋谷店はその中心近くに出来た。同店は「これから流行するもの」「店員推し」だけを置いてJPOPヒットチャートCDなぞは置かないというポリシーであった。

因みに明治通り渋谷暗渠交点近くに靴屋クラークス、2Fにアニエスbカフェが入るビルがあるが、実はここの大家って統一教会フロント企業霊感商法の品々を扱ってた商社なのな。

 

六本木西麻布六本木ディスコが林立する繁華街になったがメジャーになりすぎ&人多すぎで、バーなどが西麻布流出した。今はそれも過去の話で裏手通りに高級飲食店が軒を連ねる。

 

六本木麻布十番:元々ディスコ聖地新宿だったが年齢層が低下、それを嫌った人らが六本木に来るようになったという経緯があった。だが六本木でも既存ディスコ陳腐化と共に低年齢化は進んだ。そこで鉄道が通らず交通不便な麻布十番マハラジャオープン。人気を博しバービストロなどが軒を連ねるように。元々麻布十番下町であった。

 

青山青山同潤会アパート青山は高級ブティック街だった。一方同潤会アパートという古い建物が残りその1Fに出店する若手デザイナーインポートショップが多く、不思議景観を為していた。エルベ・シャプリエっていうバッグのブランドを知ってます?余り高くないナイロンバッグのブランドなんだけど、若い同氏がブランドを立ち上げ、パリ同潤会みたいな建物で売っていた品をバイヤーが輸入して表参道や裏原のインポートショップで売り出したこと知名度が上がった商品なのだな。

こんな同潤会だったが表参道ヒルズに建替え。すると大手アパレルセレクトショップが入って、それまでの文化的文脈は死んでしまった。

 

こういう感じで、メジャー盛り場からの逃避→家賃が安い隣接地区に才能はあるが金が無い人が流出メディアでの紹介→メジャー化→不動産投資新築ビル)→アパレル資本参入→栄えるが新しいものはもう無くなる

というサイクルなんで、文化文脈的には代官山はもう死んでると言えば死んでる。だが資本主義的な金銭勘定の点では生きていて利益を出しているという状態

また例えば中華の新興ガジェっトメーカーなんかもイベント代官山で開催したりしてる。でもそれって「メジャー安全もの」って記号を付ける為なので昔の代官山記号的消費だ。消費されるだけで新たな価値が生まれなきゃそのうち無くなる。

デベによる大規模開発は相変わらず進んでいて、デンマーク大使館裏の30年くらい仮囲いで囲まれていた土地にも新たな建物が出来てる。高級版ベッドタウン駅ビルみたいな街になってる。だが渋谷再開発が進んでいてそっちの完成時には当然渋谷の方が新しくなるので、文化文脈的にバッティングしているのならその時に一気に衰退しないか?という疑念はある。

anond:20250826075743

21世紀以降オタク文化バカ発見されて(=大衆化して)急速にクソどうでもいいものになったという見方はまあわからんでもないよ

2025-07-17

文字を読まない人たち

ラーメン屋に来ている。

最近できたラーメン屋で、私も初めて行くお店だった。

そこでは各ラーメンの特徴だったり、それぞれのトッピングがどういう物なのかという説明券売機の近くにびっしりと書いてあった。

書いてあることはとても分かりやすく、そのおかげで初来店の私も特に不自由なく食感を購入する事ができた。


店員に案内された席に付き、冷たい水を飲んでいるとまた別の客が店に入ってきた。

彼はしばらく食券機の前で立ち尽くしていると調理中の店員を呼びはじめた。

私は「1万円札の両替でもするのかな」と思っていたが、どうやらその客はメニューの特徴などを聞いているようだった。

店員は少しの間説明していたが、その客がどんどん質問するので「食券機の隣に説明もあるのでそちらを参考にしてご購入ください」と言い、また調理に戻っていった。

メニュー説明文は食券機の真横に書かれており目に付かないはずは無いのだが、なぜこの客はそれを読まないのだろうか。


私は少し考えて思った。

世の中には文字に対して忌避感を持っていて、ある程度まとまった文章無意識的に読もうとしない人が居るのでは無いだろうかと。


最近SNS上で議論が発生しているときYouTube動画を自説の根拠として挙げている人を見かけた。

その動画では調べても特に素性のよく知らない人物がさも真実かの様にとある主張をのべていた。その主張には特に根拠と呼べる様な文献などが提示されておらず、客観的信憑性が怪しい物だった。

なぜこんなもの議論根拠に挙げるのだろうかと私はそのとき呆れてしまったが、ラーメン屋説明文を読まず店員説明させる客を見て少し理解出来た気がした。

動画一般的口語で語られていて、根拠はさておきその主張は理解やすい物だ。根拠曖昧なので分かりやすストーリーを作るのが容易になる。一方で、物事根拠になるような論文などは基本的には文書として存在している。文字を読もうとしない人にとってはそのような文書存在してないのと同じなのでは無いのだろうか。先ほどのラーメン屋の客のように。


近年、非科学的、非論理的な主張を恥ずかしげもなく展開しそれに賛同する人間が増えている様な気がする(SNS大衆化によりそのような人が可視化されやすくなっただけかもしれないが)。

しかしたら彼らも、意識的無意識的にかかわらず文字を読もうとしないで、理解が容易な動画もしくはSNS上の短文でしか情報を得られないのでは無いだろうか。

彼らに必要なのは科学的な根拠となる文献を提示する事ではなく、丁寧に口語で語りかける事なのでは無いだろうか。


そんな事を考えてるうちに美味しそうなチャーシュー麺がやって来たので私は食べる事に集中しようと思う。

2025-07-01

幽霊を呼ぶ方法を試した。

子供の頃から不思議なことには関心が強かった。

そして、幸か不幸か他人の考えに敏感で、かなり勘が利く方だった。

そんなだったので、子供大人を問わず不思議な力があると慕ってくれる人が沢山いた。

そうしていろんな話をするうちに、自分特別人物だという思い込みが頭のどこかに出た。まあ、小学生の話だからそれ自体はそう不思議でもない。

しかし、実際、誰よりもわかっていた、勘がいいだけであってほとんどは当てずっぽうだったし、外すことも当然あった。

けれどそれでも不思議な力がある設定というのは、周囲にとって「いてほしい存在」だったのだと思う、精度が落ちて(というか周囲の子供の知恵が回るようになって本音を隠せるようになり出して)きても、自分立ち位置は変わらなかった。

そして、まあ当然のようにある程度の年齢から、そんな超能力少年みたいな扱いはされなくなった。

もっと関心の高いこと、例えば流行りの音楽話題や気になるゲーム、あるいは異性との付き合いなどが話題のメインになる頃には誰も増田超能力()なんて忘れていた。自分も含めて。

だけど、一度芽生えた自分特別という思い上がりは頭の片隅で燻っていた。

いつか本当に不思議存在出会えることを望んで過ごしてきた。

だが、増田はもう今はアラフォーオッサンだ。

これまで幽霊とか不思議存在なんて見たことはない。

ポルターガイストなんかは、結局のところメンテナンスの不足や環境によるものだし、

霊場は冷えるなんていうのも、ごく低次元流体力学説明できるケースばかり、

コンパスが狂うなんて噂される場所でもGPSガチガチ機能する、

不思議存在に会える日なんて来るわけはないだろう。

だが最近バカバカしいと思いながら、いわゆる降霊術を試した。

まあ、大方の予想通り、夜中に少し疲れただけで何も得るものはなかった。

ホラー映画の観すぎだ。だいたい、多少鏡と蝋燭を使った程度で霊が呼べたらもっと大衆化して普及してるだろ。

けれどそれが出来ないから、ホラー映画がヒットするんだ。

眠れない夜は、こんなくだらないことばかり考えている。

2025-06-29

AI生成画像「が」好きな一個人の感想

「生成AI【で】いいや」はこの先もあるんだけど、「生成AI【が】いい」って時代は来ない

という主張を https://togetter.com/li/2568793 で見かけたので、反対意見をここに記しておく。

書いているうちにかなり長くなってしまったが、一個人の感想としてあまり真に受けずに読んでいただけるとよいと思う。

[1]

多く見かけたのは「手描きでしか出せないこだわりがある」といったコメントだが、その多くはAI生成画像作品として見たことがない人の感想である

こだわりを持って生成されたAI生成の作品からは、人間がすべて手描きしたものと同等の熱量を受け取ることができる。

そもそも画像生成AIあくま画材しかない。

ポン出しである程度の雰囲気画像が生成される、という部分が注目されがちだが、主に構図的な粗がほぼ必ず存在して、非決定的な制御を行うしかない、とても不自由画材である

プロンプトを少しずつ変えながら大量に生成して選別することや、目的に沿って生成画像部分的修正することなど、この画材制御する試みの成果が表れている良い作品は、AI生成画像に多く触れていれば通常分かるものである

したがって、そうした作品を公開している投稿者については個人的には高く評価するし、周囲から高い評価を受けることも妥当であると考えている。

[1a]

付記すべきこととして、そうしたこだわりを持つ主体となれるのは人間だけである、というのは少なくとも現時点では正しい。

現在画像生成AIは、人間主体的に環境構築をして、プロンプトを与えて初めて動作する機械的ものであって、無から勝手に生じてきたものではない。

そのような未来においてなおAI生成画像「が」価値を持つのか、という問題は難しい。

[1b]

また厳密にいえば、「手描きであること」自体価値に含めるような作品は当然ながら画像生成AIでは実現できない。

写真と見分けがつかないように描かれた絵、というもの写真発明されて200年近く経つ今でも新しく作られているし、子どもが手描きした絵というのは唯一無二の価値があるものである

手描きの作品の多くがそういった立ち位置収束しても不思議ではない。

[2]

次に、「AI生成画像粗製乱造であり平均的に低品質だ」というコメントも見かけたが、手描きの作品粗製乱造であると考えている。

生成AI話題になる前から、人々の好みは高度に細分化されており、インターネット存在する情報ほとんどは特定少数のみに価値があるものである

個人的な話をするのであれば、まず全年齢対象作品の成人向け二次創作は非常に多く投稿されているが、原作に対する権利侵害であり、少なくとも尊敬がなく受け入れがたいように感じる。

また、一次創作の成人向け作品であっても、わざと汚く描かれた男性が出てくるものは、性的ものに対する真摯さがないという印象になってしまう。

日々たくさんの時間をかけて手描きされている作品も、少なくとも上記のような条件に当てはまる限りは、私にとっては無価値である

ただし、これらの作品が綺麗に区分けされたインターネット、というもの存在しない。

情報発信が大衆化される価値のほうが明らかに大きく、実際に私は今このほとんど価値がないテキスト匿名場所にラベルなしで放流する権利享受している。

AI生成画像について適切な区分けをすべきだという意見も、自分にとって価値がある希少なデータは手間をかけて探すしかない、ということに慣れていないだけなのでは、と考えている。

[2a]

上記の嗜好が生成AI作品を手描きより評価するうえで有利な条件となっていることは認める。

実際、プロンプトに入れないにもかかわらず二次創作が出てきてしまうことはほとんどなく、また安定した構図の絵を出力できるのは1人を指定したときなので、自分で生成した画像については上記2つの心配をせずに済んでいる。

[2b]

AI生成画像であれば一律無価値である、という思想を持つことを否定するわけでは当然ない。

作者のフォローお気に入りユーザーブロック機能による自衛など、既に存在する機能活用することが優先されるべき、という意図である

[3]

類似論点として「低品質でも素人には分からない」というものがあり、現在利用されているものの多くが低品質であることは認めるが、近い将来これも否定されると考えている。

現在の生成AIとくに言語モデルは、教師あり学習ができるデータをほぼ使い切っていて、強化学習によって性能を高めている。

より具体的に言えば、高品質教師あり学習データを作れなくても、どちらがよいか判定できさえすれば、モデルがそれをもとにより高品質ものを生成できるように学習できる。

そして画像データ人間にとって良し悪しが判定しやすい。

少なくとも画像投稿サイトのランキングSNS上の反応などを見れば、それが十分な品質アノテーションになっている。

したがって、低品質でもいいという現在消極的な導入のあとに、人間より高品質から導入するという選択が広がっていくだろうと予想できる。

[4]

まとめると、[1]こだわりのあるAI生成画像については手描きと同様に過程評価できることと、[2]個人評価基準としてはAI生成画像のほうが価値がある可能性が高いことから、私はAI生成画像を好んで鑑賞している。

また、[3]今後の学習AI生成画像のほうが自然と高品質になり、生成AI「が」いいという時代もすぐ来るのではと考えている。

[4a]

ここまでの議論のとおり、かなり急進的な生成AI推進派を自認しているが、念のため現時点の全体的な立場を表明しておく。

言うまでもないが、現行法上の犯罪に与するような生成AIの開発・利用については明確に反対の立場である

現状簡単悪用できてしまうことと、数が多くて追跡できないのは問題なので、免許制にしたり、メタデータとしてAI生成であることが分かるようにするなどの対策はあったほうが望ましい。

一方で、表現の自由を損ねるのでウォーターマークの表示義務はされないべきであると考える。

また、明示的な許諾のない大量のデータ学習することについても、同じ仕組みで得られる翻訳プログラムなどの利益享受できなくなることを考えると、規制されるべきではない。

ただし、生成AI提供によって得られた利益は寡占的な傾向があり、現在税制で再分配が十分ではなくなる可能性があるので、そのとき対応必要である

上記すべては現時点の考えであり今後変わる可能性もあるが、いずれにしても、生成AIの利用について良い塩梅定説が早めにできてほしいと考えている。

2025-06-04

anond:20250603181434

まあ筋少増田イメージする裏路地感あるサブカルちょっと違うんじゃねどちらかという横丁感じゃね「うしおととら」の主題歌やるぐらいには人気のはずだし

本当に裏路上感あるのは人間椅子みたいなバンドじゃねってツッコミ入れたいけどそこは置いといて

普通にサブカル一般化した例はあるんだよな

例えば5chなんて電車男の頃は放映後もちょっとは人が増えたけど今だにサブカル的な立ち位置だったのにまとめブログの台頭のおかげで大衆に知れ渡り一般化したしな

あと仮に自分の好きな作品大衆化されなくても感性おかしいのはまた違うでしょ否定されたと感じるのも違う

俺はハンターが好きお前は呪術が好き

そこに感性おかしさなんてありゃしねぇだろうが!って思うわ

2025-05-23

なんかイラマが大衆化しつつあって怖いです

2025-04-01

Youtube面白くなくなった

テレビ面白くなくなった現象に近い。

なにかがあるとすぐに規制炎上

懐古厨と言われても仕方ないけど昔は良かった。

東海オンエア、カリスマブラザーズ、マホト、へきトラハウスはじめしゃちょー

男同士でアナルおもちゃ入れてゲラゲラ笑ったり天井に人を貼り付けてゲラゲラ笑ったりダラダラ話してるだけで面白かったり

荒削りだけど見てて楽しいが伝わってくる、そういう動画が多かった。

それが今では…

コンテンツテンプレ化されて淡々と丸いことをするグループしかいなくなった気がする。

からいるグループもどこかビジネスチックと言うかマンネリ化というか、楽しいが伝わってくるというより商用映像を見せられている感じ。

リサーチ能力が低いのとなかなかそういうグループがもうおすすめに上がってこないというのもあると思うが。

結局大衆化して肥大化したコンテンツ規制資本が入って陳腐化していくってことかね。

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