はてなキーワード: マクロとは
高校までは共学。好きな人いたけど温室育ちらしく遊びを知らず誘えず、帰りの電車で見かけて一緒に帰るだけの日々。昼飯待合室で食べることなっておにぎり喉に詰まらせたなぁ。
社会人なってからも職場は男しかいない。25歳なってから始めた。
1人目。3歳下。ゲームで相思相愛。会った時に初デートクソムーブして引かれた。それでもなんか一泊一緒に。同じベットで、でもダメと。そのまま言う通りに寝たら、寝るんですか?と聞かれた。寝た。次の日ライブ行って楽しかった。彼氏彼女の関係にはならなかったけどその後もゲームを遊ぶ仲に。でもそのうち疎遠になる。
2人目。2歳下。ゲームで仲良くなる。渋谷でデート。色々相性悪かった。ゲーセンで自分の声が掻き消えてつらかった。カフェで休もうと提案したらその場でお別れ、夕食の予約はキャンセル。その後、多分同時並行してたであろう人と付き合っておられた。
3人目。3歳下。ゲームで仲良くなる。並行している人の話とかも素に話されて素直で可愛い人だった。ご飯食べたけど付き合いは無し。自分のファッションセンスが終わってたのでダメだった模様。でも人当たりは好きと言われて以降もゲーム仲間に。そのうち疎遠になる。
4人目。3歳下。ゲームで仲良くなる。飯食べて、彼女の職場の近くのホテルに泊まることに。童貞を卒業する。が、その人には彼氏おった。以降も会うの誘われたが断った。彼氏さん含めゲーム仲間にはなったがそのうち疎遠になる。
5人目。6歳下。ゲームで仲良くなる。すごく内気で物凄く可愛い子だった。出身地が一緒で、帰省した時に会い、食事を共にし、ホテルで一泊し、付き合う。2年ほど付き合うが、彼女が地元の男と2人でゲームしていることが多くなり、遠距離もあり自分のヤキモチで破局。その後彼女は別の人と結婚したが、連絡がきて、ゲーム仲間に。
6人目。1歳上。特にゲーム関係なくやり取りして会う。カフェデートした後車の後部座席に誘われて身体的な接触をする。身体の美しい人だった。仕事のお手伝い(マクロ作成)したら喜んでくれて嬉しかった。引っ張ってってくれるのは嬉しかったが、自己中心的な行動が多く散見され不安があり、付き合いには至らず。
7人目。同年。ゲームしながら仲良くなる。モデルみたいな美しい人だった。初めて会った日は昼から朝まで一緒に過ごした。6年付き合う。3年目の時、転勤で彼女の土地に住むことなったので同棲予定で世帯用借りたが、急遽土地が不便で治安悪いと言われ断られる。6年目でまた転勤となり、ついてきてもらうも、部屋がカビ臭いと言ってすぐ実家に帰り、綺麗にしたらちょっと過ごして田舎無理と言われ地元に帰り、反動で東京まで行って別れる。彼女はすぐ別の人と結婚したがすぐ離婚し、復縁を迫られるものの、彼女の素質的に子育ては難しいと想像し、断る。今でもゲーム仲間。
8人目。同い年。34歳で田舎で焦って会った。飯にいちいち驚いてくれて可愛らしく、方言が愛おしい人だった。無理なものが多く、共に過ごすのには少し不安があったためお断りに。田舎から都会に出るのも疲れたので、転勤ない職に転職をする。
ここまで書いて思ったが、別名保存すぎるな。キモいな自分。なにがしたいんやろ。
本題9人目。2歳下。ゲームしながら仲良くなる。卓越した表現力と感情の豊かさで虜になる。シンママさんで忙しそう、自分の都合を押し付けてしまいそうなところに不安を覚え、誘うに誘い辛く、1ヶ月経っても付き合うに至っていない。んー、遠くに出かけられないし、昼しか会えない。どうやって距離を縮めたらいいかわからない。35歳にもなって経験なさすぎる。
私という存在は先進的な自己家畜化をアイデンティティとおいてしまい、攻撃性を極力敵視してしまった結果、性的な交渉がクソ下手な生存競争に激弱雑魚おじさんになってしまった。お相手さんのノリノリの成り行きでやれやれと仲良くなった経験しかなく、相手が嫌がらないような自己都合をそれなりに押し付けて強引に切り開く恋愛工学的手法がわからず、停滞している。停滞なのか……?
夜寝かしつけ終わった後に相手してくれたり、お昼に子供と一緒に出かけの予定にたまに混ぜてもらったりしかしておらず。家に来てもらうわけにもいかず、上がらせてくださいは付き合った後だよなぁだし、ぬーん。
ゆっくりでええんかなぁ。
その通りです。「インフレ=全員の給料が上がる」ではありません。
マクロの視点: 国全体では「賃上げ率5%」などと言いますが、それはあくまで平均です。→新卒月収40万円(少子化による20代プレミアム) (30代以上は賃金据え置き、40代以降はリストラ、高度人材は年収を上げて募集?)
多くの企業にとって、物価高は「コスト増」です。利益が削られている企業は、社員の給料を上げる余裕がありません。
したがって、「物価は上がるが、自分の月収は据え置き」という人が大量に発生します。これが「実質賃金の低下」の正体です。
→既に2年連続でそのような実績を残した。
増田において俺は、長らく同一の形式・同一の動機で投稿を繰り返してきた。
それは外部から観察すれば、供給曲線が右方にシフトし続ける、いわば自己放尿の持続的過剰供給である。
しかし重要なのは、その供給が制度や思想に強制されたものではなく、あくまで私的選好に基づくものであったという点だ。
そして今、俺はその自己放尿をやめる。
だがこれは、言論の自由に対する否定ではない。むしろ逆だ。自由な発言と競争的な言論市場は最大限に尊重されるべきである。
多様な主体が自己放尿を行い、それが淘汰されるプロセスこそが、情報の価格メカニズムに相当する。
俺はその制度を歓迎しているし、他者の自己放尿を規制しようなどとは微塵も考えていない。
問題は完全に私的な領域にある。すなわち、俺の効用関数の変化だ。
かつては、増田における自己放尿から得られる限界効用は正であった。
しかし時間の経過とともに、その限界効用は逓減し、ついにはほぼゼロに近づいた。
にもかかわらず慣性により供給を続ける状態、それこそが利益ゼロと習慣依存のダブル放尿である。
この状態は非効率である。なぜなら、投入される時間という希少資源が、より高い効用を生む代替用途へと再配分されていないからだ。
価格理論的に言えば、機会費用の無視であり、合理的選択からの逸脱である。
ここで誤解してはならないのは、ケインズ派的な需要管理やリフレ派的な貨幣供給拡大が、この決定に一切関与していないという点だ。
連中の貨幣供給と政策介入のダブル放尿は、あくまでマクロ的な議論であり、俺のミクロ的選択とは独立している。
俺は連中に屈したのではない。単に、俺の主観的評価において、この活動の相対価格が変化しただけである。
むしろこれは、個人の自由な選択の実践である。外部からの強制も、集団的圧力もない。
ただ自らの効用最大化問題を再計算し、その最適解として自己放尿の停止を選んだにすぎない。
この決定は規範的な主張ではない。他者に自己放尿をやめよと説く意図もなければ、言論市場における供給を制限しようという意図もない。
むしろ自由な自己放尿が溢れる環境こそが健全であり、その中で各主体が自らの限界条件に従って参入・退出を選択することが望ましい。
俺は自己放尿をやめる。しかしそれは、思想的敗北ではなく、個人的最適化の帰結である。
そして市場には、これからも無数の自己放尿と、時に自己放尿と他己放尿のダブル放尿が溢れ続けるだろう。それでいい。それが自由市場なのである。
トロッコにたとえたのは「物事がイラン革命で大きく動いた」って意味合いでイランがキーパーソン的に書いた。
そこは歴史を学べばわかると思うしどの研究者も大なり小なり同意する論ではあると思う、ってのは前の増田に書いたよ。
まあ後比喩的な受け取りの違いになるんだけど、トロッコ自身は別に人を轢きたいと思って走ってないじゃん。
だからトロッコであるイランには善悪はない、まっすく進んでるだけってニュアンスもあるよ。
追記:
ごめん最後読み飛ばしてたわ。もしレスバの勝敗にこだわってるなら、もうそこは好きにしていいよ。
差別コメに対して頑張って一応質問には答えて、そのあとの増田とのやり取りで自分がマクロ的に物事を書く理由を言語化できたしそれはすごく有益だったんだけど、
なんか俺以外の横増田が別ツリーでまぜっかえしてきてて変なことになってるので、いいタイミングだし俺の立場を説明して、その対する返答が返ってきたこの時点でとりあえず終わりにしてほしい。
なんか言い逃げで逃げるみたいですまんが、結構頑張って書いた回答へのレスが曲解の上での「敗北宣言ってことで良い?」ってのはちょっと意見のやり取り自体が厳しいと思った。
増田がドクマとして「イスラエルは悪」って思想であれば、視点そのものが違うので、さっき書いたようなお互いの立場説明しあう以上に有益な意見交換はできないと思う。ごめんな。
増田がミクロな視点でイスラエルに批判的でパレスチナ住民に強く同情的で怒りから強い批判トーンで書いてるのは察した。
そんな相手にこういう書き方でよいのかわからないけど、思ってることをはっきり伝えると、俺はもっとマクロにこの問題を扱ってて「トロッコ問題」だと思っている。イランが走らせたトロッコの線路上に、イスラエルとパレスチナの両国民が縛り付けられている状態。ネタニヤフはその現場でレバーを引く役割を押し付けられた(あるいは自ら引き受けた)ただそれだけの男に見てる。ネタニヤフは自国民の利益のためならハマスとも握れるような極めて冷徹な判断力と強い思想があり、トロッコのレバーをイスラエル国民側に引くだけの力があった、そして歴史がその機会を与えただけだろうと思ってるよ。
これが現地の人々の苦境に対してひどく不適切なモノの見方ってのはわかるんだけど、正直に言って、現地のフィルタのない情報も持っておらず、親族や友人に被害が出たわけでもないという完全に第三者の俺は、この問題に関して軽々しく「善悪」をジャッジする立場にないという思いが強い。故にどちらにも心情的に味方することができないイライラもあって、それに蓋をするようにマクロな見方で訳知り顔でものを書くしかないなって思いがずっと気持ちの奥底にある。
こんなひどい行為の前に「判断できない」という無力感やイライラに蓋をするために、マクロな視点で訳知り顔をするしかないというのが、俺の本音なんだと思う。
都内前提で。
応用情報勉強できたならマクロVBAくらいはできる地力はあるはずだから、できるって言っていいと思う。
今の言い方のままだと転職で450超えるのは難しい。
マイクロソフト環境ならVBAとPower Automate使って自動化進めてDXや業務改善できますっていえば求人少ないけど500くらいは行けると思う。Google環境ならできる人はたくさんいるからこのキャリアはあまりおすすめしない。
そっちよりも事務職っていうのに例えば経営企画、人事、経理等の専門知識があれば550超えられると思う。ただそれはリーダーやマネジメントを求められる。
専門分野が本当にない場合は社内異動して身につけたほうが良いと思う
自分ごとのように感じたわ。
経済学を学んできた人間として私が長年思い知らされてきたことのひとつは、技術革命についての予測はほぼ必ず二つの方向に間違えるということだ。短期的な影響を過大評価し、長期的な影響を過小評価する。Amara’s Lawと呼ばれるこの法則は、もう耳にタコができるほど引用されているが、引用している人々の大半がその含意を正しく理解していない。
なぜか。この法則が本当に言っているのは、私たちは技術の生産性への経路(path)を予測するのが絶望的に下手だということであり、それは「長期的にはすごいことになる」という楽観論の根拠にはならないからだ。むしろ謙虚さの根拠である。
1987年、ロバート・ソローが言った有名な一言がある。「コンピュータの時代はどこにでも見えるが、生産性統計の中には見えない」。いわゆるソロー・パラドックスだ。
結局のところ、ソローは間違っていた——ただし、正しくなるまでに約10年かかった。1990年代後半になってようやく、IT投資は全要素生産性(TFP)の統計に姿を現した。そしてその生産性ブームは2004年頃にはもう息切れしていた。つまり、真に生産性が加速した期間はせいぜい7〜8年だった。
ここで問いたい。AIについて、私たちはソロー・パラドックスのどの段階にいるのか?
私の暫定的な答え:まだ最初期、つまり投資は膨大だが生産性統計にはほとんど現れていない段階だ。2024年から2025年にかけて、米国の大手テック企業はAI関連の設備投資に年間2000億ドル以上を注ぎ込んでいる。これはドットコム・バブル期のIT投資をインフレ調整後でも凌駕する規模だ。しかしBLS(労働統計局)の生産性データは頑固に平凡なままである。
これ自体は悲観する理由ではない。1990年代の教訓は、GPT(General Purpose Technology、汎用技術——チャットボットの名前ではない)の生産性効果は補完的な投資と組織変革が追いついて初めて顕在化する、というものだった。電力についてのPaul Davidの古典的研究が示したように、工場が電力を最大限活用するには、建物の設計から生産プロセスまで全面的に作り直す必要があった。それには一世代かかった。
問題は、AIについてこの「一世代」がどのくらい圧縮されるか——あるいはされないか——である。
■ 今回は本当に違うのか
AI推進派(ブースター)たちの主張を整理しよう。彼らの議論は概ね三つの柱からなる。
第一に、AIは「知的労働」を自動化するので、過去の技術革命(肉体労働の機械化)とは質的に異なる。第二に、AIはAI自身の改良に使えるので指数関数的な自己改善が起きる。第三に、したがって従来の経済モデルは適用できない。
率直に言おう。第一の主張には相当の真実がある。第二の主張は経験的にまだ確認されていない。第三の主張はほぼ確実にナンセンスだ。
第一の主張から。確かにLLM(大規模言語モデル)がホワイトカラー業務の一部を代替・補完できることは明らかだ。コードを書く、文書を要約する、定型的な分析をする——これらのタスクでAIが人間と同等かそれ以上のパフォーマンスを示す場面は増えている。そしてこれらはGDP統計の中でかなりの比重を占めるセクターの業務だ。
しかし——そしてこれは大きな「しかし」だが——タスクの自動化と職業の自動化は全く別物である。これはDaron AcemogluとPascal Restrepoの研究が繰り返し示してきたポイントだ。ある職業の30%のタスクが自動化可能だとしても、その職業が消滅するわけではない。むしろ、残りの70%のタスク——AIには(まだ)できない判断、交渉、文脈理解——の相対的価値が上がる。
経済学ではこれを「Oの環理論(O-ring theory)」で考える。宇宙船チャレンジャー号を思い出してほしい。あの事故では、一個のOリングの不具合が全体を破壊した。多くの知的労働もこれに似ている。プロセスの大部分をAIが完璧にこなしても、人間の判断が必要な一箇所が全体の質を規定する。この構造がある限り、「AIが全てを代替する」というシナリオは実現しにくい。
投資の話に戻ろう。
私はバブルかどうかという問いの立て方自体が間違っていると思う。正確な問いはこうだ:現在のAI投資の期待収益率は、資本コストを上回っているか?
NVIDIAの株価は、AI関連の半導体需要が今後5年間にわたって年率30%以上で成長し続けることを織り込んでいる。Microsoftのクラウド事業の評価額は、企業のAI導入率が楽観的なシナリオの上限で推移することを前提としている。これらの仮定が同時に成立するためには、AIの経済的価値が、それこそ過去のどの汎用技術よりも急速に実現されなければならない。
これは不可能ではないが、歴史的な基準率(base rate)を考えれば、かなり強気な賭けだ。
もうひとつ、あまり議論されないが重要なポイントがある。AI投資の地理的・企業的集中度だ。米国のAI設備投資の大部分は事実上5〜6社に集中している。これは1990年代後半のテレコムバブルと構造的に似ている——大量の資本が少数のプレイヤーの「勝者総取り」の賭けに集中し、セクター全体の合理性が個別企業の楽観バイアスの総和によって歪められる。
マクロ経済的により心配なのは、バブルが弾けた場合の波及効果だ。テック企業の設備投資がGDPの相当部分を占めるようになった今日、AIへの期待の急激な修正は、2000年のドットコム・クラッシュよりも大きなマクロ的ショックをもたらす可能性がある。
■ 分配の問題
仮にAI楽観論者が正しいとしよう。AIが本当にGDP成長率を年1〜2ポイント押し上げるとしよう。それでも、私にとって最も重要な問いは変わらない。誰がその果実を得るのか?
過去40年間の技術進歩の歴史は、生産性の上昇が自動的に広く共有されるわけではないことを痛いほど示してきた。実際、skill-biased technological change(技能偏向的技術変化)の文献が明らかにしたのは、ITの普及が賃金格差の拡大と中間層の空洞化に寄与したということだ。
AIの場合、分配効果はさらに極端になる可能性がある。なぜなら、AIが代替するのは(少なくとも当面は)比較的高給のホワイトカラー業務の一部だからだ。パラドキシカルに聞こえるかもしれないが、配管工やクリーニング業者の仕事は、弁護士のパラリーガルやジュニアのプログラマーの仕事よりもAIによる代替に対して安全だ。これは分配の観点から複雑な含意を持つ——単純な「高スキル対低スキル」の図式では捉えきれない再編が起きる。
■ 私が本当に心配していること
以上を踏まえて、AI経済についての私の暫定的な見方をまとめよう。
AIは本物の汎用技術であり、長期的に有意な生産性効果をもたらす可能性が高い。しかし「長期的」が何年を意味するかについて、私たちは驚くほど無知である。現在の投資水準は、その効果が歴史的に例外的な速さで実現されることを前提としている。そしてたとえ楽観的なシナリオが実現しても、分配の問題が自動的に解決されることはない。
私が最も心配しているのは、AIについての公共的議論の質だ。テクノ・ユートピア主義者たちは「AGIが3年以内に来る」と叫び、テクノ・ペシミストたちは「大量失業が来る」と叫ぶ。そしてどちらの陣営も、自分たちの主張がきわめて不確実な予測に基づいていることをほとんど認めない。
経済学を学んだ人間として私が言えるのは、不確実性にはそれ相応の政策的対応がある、ということだ。セーフティネットの強化、教育と訓練への投資、競争政策による市場集中の抑制——これらは、AIがユートピアをもたらす場合でもディストピアをもたらす場合でも、あるいはその中間の(最もありそうな)場合でも、正しい政策だ。
確実性の幻想に基づく政策よりも、不確実性を認めた上でのロバストな政策のほうが、はるかにましだ。これは退屈な結論かもしれない。だが退屈な正しさは、刺激的な間違いに勝る。いつだってそうだ。
こういう事がよくあるんですよ〜という話に対して、ああそれは心理学で言うところの〇〇効果ですね、と言うのって「それはあるあるですね」と言っているだけでしかない気がする
なんちゃら効果とタームを付与してみたり、定性的なものにそれっぽい数式をつけてみたりした所で、結局名前がつく程度にはあるあるネタである、という以上の話になり辛いというか
なんかこの時期になると妙に鼻が詰まったり目が痒くなったりして辛いんですよ
こういう仕組みで発生するので、この薬でそこをハックしてやれば苦しくなくなりますよ
という流れまでがあって初めて「あるある」を超えられるというか
俺が地方公務員になりたいと思った動機は、ただ他人を助けたいという想いからでした。
ド田舎の農家の次男坊として生まれたものの、歳の離れた兄が本当にダメな人で、俺が物心がついたころには家業は傾いていました。父は単身赴任で出稼ぎにいき、母は兄の件で心を病んでしまいました。
幼い俺は世間知らずの餓鬼で、漠然と自分の家と貧しいのはわかっていても、これが普通なのかなあとぼんやり考えていました。クラスでは隅っこ寄りでしたが、不良みたいな感じではなかったかな。
父親も母親も兄弟も家にはおらず、幼い自分のそばには祖母がいました。おばあちゃんの豚丼、玉ねぎが焦げて苦くて油っぽかったなあ。フライパンが焦げるからってたくさんサラダ油いれるから…
世間的には、これはネグレクトと呼ぶようです。どうやらおかしいんだと理解したのは就職してからでした。たしかに家で寂しいと思うことは多かったですね。
幼い頃の俺はかまってちゃんで、独り言が多くて、不潔だけど、それでもそこそこ運動神経もよく、見た目も頭脳もそれほど悪くはなかった。だから、友達でいてくれた人はちゃんといました。 みんなに感謝しています。
たまに彼らの背中を思い出して、「ああ、俺ってあんなにすごい勉強ができて性格も良くて、いい同級生に恵まれたのに、こんなに彼らと距離がついてしまったんだ」と泣くことがあります。せめて友達には胸を張って誇れる人生にしたかったのに。
俺が公務員になろうと思ったのは、「俺みたいに悲しい思いをしてる人を助けられたらいいな」というふんわりした想いからでした。貧乏な生活も嫌でしたし、友達も俺の長所は優しいことだと言ってくれていましたから。
ありがとう、家庭環境が良くなかった俺の心の支えは君たちだった。俺、男なのにメンヘラでごめんな。
運良く採用拡大期に地方公務員試験を突破できました。そりゃあまあ努力もしたけど、マクロ的には運が良かったんだと思います。
けど、就職してからも努力不足もあり、よくなかったなあと思います。新卒一年目は右も左もわからず、上司には迷惑をかけました。新卒二年目で上司がうつ病で離脱してかなりつらかったですね。三年目、優しい人だと思ってた先輩がうつ病を理由に退職しました。周りの上司が彼に対して罵詈雑言を吐いていたのをみて、どうかしていると思いました。
大人に対して「きっと優しくてすごい人たちが外にはたくさんいるはずだ」とぼんやり幻想を持っていましたが、そんなものはすぐに打ち砕かれたのです。管理責任を問われたから、弱った人に陰口を叩く。なんて醜いんだろう。人間はみんな弱くて醜いんだと思わされました。
そして、誰でもない俺自身もまたそういう「醜い大人」になる未来が想像できてしまいました。理想と現実には大きなギャップがあったんです。
そこから紆余曲折あって、犯罪被害を受けたり、他人を助けたい想いを抱えたまま他人を見捨てたり、犯罪者扱いされたり、職場で役割が変わったら無能すぎて辞めたり、実績を残せてうかれたり、命を助けたり、父親が死んだり、いろいろなことがありました。なんだか傷だらけでぼろぼろです。これが普通なのかな? たぶん違うんだろうな。
メンタル弱いのはずっとコンプレックスでしたが、メンヘラだからこそ自分の弱さを克服しようとがんばれた部分があったと思います。それに、これだけ悪い境遇だからこそつらい境遇や、良くない環境に置かれた人の気持ちがほんのすこしだけわかっているつもりです。
いま30歳を間近にして、自分の願いが何なのかをまた問い直しています。うまくいかないことばかりの人生。俺は、どうなりたいんだろう?
以前、俺のことを悲劇のヒーローと形容した人がいます。事実だからこそ傷つきました。
けど、俺に降りかかった不幸はありふれた悲劇なんです。きっと能登半島地震や東日本大震災では、俺以上に辛い思いをした人がいるでしょう。俺はヒーローではなく、誰の心にもある道徳心や思い出、信念を捨てずに保った凡庸な大人なんです。
大人になると道徳や倫理観をゴミ箱に捨てる人がたくさんいますが、俺はまだ大事だと思っています。いい歳してどうなんだとか、まあ、それはそうなんですけどね…
悲劇のヒーローで終わりたくないなあ、と思っています。けど、善い人ではいたい。少なくとも視界に映る善良な人達が、みんなそれなりに幸せでいてほしい。そのためにがんばります。弱者になってしまえば目の前で困ってる人を助けることすらできないから、がんばるんです。
それをメサイアコンプレックスやアダルトチルドレン由来のものだと、既存の概念にあてはめて理解するのは簡単なことです。あるいはそれが運命だと言う人もいるかもしれません。
けれども、だからこそ、俺はその宿命のようなものに抗おうと思っています。この大きな挫折を乗り越えられたらきっと、また歩けるんだと。そして、まだ生きてる身内のためにがんばろうと。そう思うことで、まだぎりぎり生きていけそうです。
マクロ的に見れば男性よりも女性の方が夢を追いにくいのは、統計的に明らかだよ。
「夢追い人」の定義を特定の職種や趣味に限るのは論理的でない。学生の数多くが望むホワイトカラーの会社員という進路を「夢追い人」から除外すべきではない。
https://diamond.jp/articles/-/354373
文部科学省が公表している学校基本調査をもとに計算したところ、2023の浪人率は男子で20.3%、女子で14.8%である。そして、進学校であるほど、また都市圏の高校であるほどこの差は広がるという研究データ(伊佐 夏実「難関大に進学する女子はなぜ少ないのか」教育社会学研究第109集〈2021〉)もある。
マクロって全数じゃないんだが
「女は(結婚さえすれば)」は、マクロの話ではなくミクロの話なんよ。
「結婚すれば」「夫に養われれば」は、女性全員に当て嵌まる訳ではない、ミクロの話だ。
これは逆の方向からの主張でもそうで、「結婚や出産で仕事を辞めざるを得ない」は女性全員に当て嵌まる事象ではないのだから無視すべきだ。
マクロの話だと言うならば、婚姻や子供の有無に関係なく、女性全員に当て嵌まる要素を語らなければならないだろうに。
例えばプロ野球選手。「憧れの職業」の代表格であるこれは、男性にしか許されず、女性はなれない。
その時点でマクロの話で言うならば男性の方が夢追い人にはなりやすいという結論が出る筈
だが?
ライターのヨッピーさんが、「今現在でもマクロな視点で見れば夢追い人になる権利は女性のほうが持ってる人多いんじゃないか」と意見して話題に
https://togetter.com/li/2680368
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2680368
そんな難しく考える必要はないと思っていて。
結局妊娠、出産、育児を自己責任のもと、また、自由恋愛市場で自らいい男を選び取って勝ち取らなくてはならないため、
女の人生がやたら複雑になっているんだよ。
それに比べて男は。まぁなんと単純なことでしょう。
稼ぐ。食う。寝る。以上だ。
そもそも稼がにゃ旦那候補にもあげてもらえない以上、稼がにゃ話にならん。金だよ金。
金ができたらいいもん食えるし、いい女だけるし、嫁さんもらえるし家庭も持てる。
稼げなかったらなにも手に入らない。
男は人生を奪われない。もともと選択肢がないから。全ては稼いでから始まるのだ。
女は様々な要因に人生を奪われる。どの選択肢をとるのもあなた次第よと言われ、強制されることもなく、後手後手で選んだ全てに後悔するから。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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この1週間のチャットは、
「生活感のある雑談 × テック・経済 × 軽い思想議論」が混ざり合った構成だった。
全体として、
「ゆるい雑談コミュニティだが、話題の幅と深さが広い」状態であり、
参加者同士の距離感の近さと知的好奇心の両方が感じられるログだった。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
地頭がいい人の6つの特徴「面倒くさがり」「理由が気になる」あとは?
世間一般では学歴というものは非常に大切で、学歴なんて関係ないという人も実際には大半が高学歴だ。
正直、設問に答えるだけの繰り返しで頭が良くなるとも思えないが、ほとんどの人はそこに価値を見出している。
世間一般では一所懸命に仕事をする人はそれなりに評価されるし、それは悪い事じゃない。
ただ、会社として利益を上げるためにどうするかという一点に絞るなら、昔ならマクロ、今だったらAIを多用するとか、
見方によってはずるをしている、面倒くさがりに見えるような行為でも積極的に採用しなければならない。
それを怠った結果、10年ぐらい後になってから「デジタル化の遅れ」だと騒ぎ始める。
AIも、人間の考える力が衰えるとか、よくわからないことを言っている。日本人がAIの真価に気付くのはまた10年後だろうか。
世間一般では至極当然のように信じられていることであっても、本当に正しいかどうかは自分で確かめてみなければわからない。
日本人の貯蓄額の中央値は、どの世代であってもせいぜい数百万だが、老後の資金はいくら必要かと聞くと、1憶でも足りないという。
現時点で数百万の貯蓄しかない人が、数十年後、老人ホームに入居するためだけに1憶貯金できるとでも?辻褄が合わない。
今までは、ただ乗りしたいだけの高齢者に若者の労働力が食い潰されるだけだったが、代わりがいくらでもいる時代、労働力が無限だった時代はもう終わる。
世間様が我慢は美徳だとか言っているうちに、徳の無い人々が随分と増長し好き放題やっているようじゃないか。勝手にやってろ。俺はもう加担しない。