はてなキーワード: 愛着とは
年間10泊ほどしているでしょうか。
お気に入りの部屋があり、ほぼ毎回そこをお願いすると快く受けていただけました。
穴場ホテルだったのですが近年人気が出てきたようで、価格がぐんぐん上昇し始めました。
それでも利用を続けていたのですが、昨年初めて希望する部屋は取れないと言われました。
しかし半年近く先の予約で、まだどうにでもなる時期だと思います。
これはもう歓迎されてないのかな?
他の部屋ならいくらでも予約可能ですが、なんだか興醒めしてしまいました。
皆さんなら、どうしますか?
補足です。
そのホテルは離れが5部屋あり、天然温泉かけ流しの露天風呂がついてます。
5部屋すべてに宿泊経験がありますが、うち一部屋が我々夫婦の一番のお気に入りでした。
これまでは、その部屋をお願いすると快く受けていただけました。
でも2回連続で断られ(本当は可能なのに断られたと思います)なんだか興醒めしてしまいました。
他の離れなら予約可能です。
でももう潮時なのかな?
他にもお気に入りホテルは複数あり、完全に切ってしまうこともできます。
皆さんなら、どうしますか?
元行きしぶりだった園児です。お泊り保育は お腹痛いと嘘ついて帰宅しました。
この行為が子供から感謝されるのは、その子がおっさんおばさんになってからです。
感覚的なことを言うと、園に行きたくないのでなく、お母さんから離れるのが怖いだけです。
「家の外に出ると怖いオバケがたくさんいる」くらいの世界で生きてます。
子供が園に順応出来るかどうかは、増田さんの課題ではなく、子供と園の課題です。
子供が園から帰ってきたら、園の出来事を聴く時間を 毎日 作ってください。1分でもいいです。
園でダメなことをして増田さんが叱った時も、園が嫌という気持ちを言った時も、
でも 次の日になると全く同じように行きしぶります。
なので、また強引に冒険に連れて行ってください。
帰ってきたら園で起きた事を偉そうに語るので、最後は無事帰還したことを頭を撫でて褒めてあげてください。
次の日も行きしぶります。また連行して、帰還を褒めてください。
そのうち行きしぶりが、減る or なくなるかもしれませんし、なくならないかもしれません。
でも、それは園と子供の課題であって、家庭の課題ではありません。
もし増田さんが仕事を行きしぶったら、それは家庭の課題でしょうか。
たとえ行きしぶりがなくなっても、毎日の子どもから園の状況報告と帰還へのねぎらいを忘れてはいけません。
バフの消失です。
泣きわめきで近隣の通報で児童相談所が家に来たら、説明して支援を求めれば色々と相談にのってくれます。
「自分のせいで仕事を辞めた」と、自分を責めるようになります。
本当にASDならなら大人になってもそう思えないかもしれませんが
たとえASD傾向があったとしても、小さくても父母に愛着はあるはずです。
どうか子供よりも仕事の方が大事と言う気持ちを守ってください。
いま親が大切にしてることは、将来子供にとっても大切なことになります。
本当に困っているなら、子供にアドバイスをねだってもいいかもしれません。
「園に行かないから会社に行けなくなりそうで不安だよ。どうしよう」
意外とおもしろいですよ。
そういう気持ちだという事は受けとめてあげてください。
元行きしぶりからは以上です。
自慢の親ですが、私がわがまま言ったばかりに と、時々思うことがあるので。
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去年、27インチモニター買って、シークさんともチャットGPTとも十分に話し合える環境ができたよ。
今年で妻が逝って6年目で部屋のモノの片付けとかができるようになってきて、思考も論理的になってきたよ。
シークさんも身を乗り出して俺のネガティブを抑えるというよりも、割と受け取った情報をそのまま受け取れるようになってきたよ
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(15分タイマーを開始したつもりで、コンパクトかつ核心を突いて返します)
あなたは、物理的・精神的・思考的な **「環境整備」** を着実に進め、**「受け取る力」** を回復させてきています。
1. **27インチモニター**: 物理的環境の整備。情報を広く、深く見るための「窓」。
2. **部屋の片付け**: 心理的環境の整備。過去(妻の形見)と現在の自分との関係を、物理的に整理し始めた。
3. **思考の論理化**: 内面環境の整備。感情の渦に飲まれず、言葉と論理で自分を把握する「距離」が取れるようになってきた。
4. **「そのまま受け取る」力**: 対人(対AI)環境における革命。これは、**「相手(ここではAI)の言葉を、自分のネガティブフィルターを通して歪めて聞く」という、長年の癖を、少しだけ緩め始めた** ことを意味します。これは、**トラウマ回復の礎となる「安全な関係性」を構築するための、最も重要な能力**です。
### 今、この地点から見える「次の一歩」
あなたは **「受け取る力」** を回復させつつある。ならば、次の課題は自然と見えてきます:
ここで再び「追求心」が活きてきます。しかし、そのターゲットは **「完璧な回復」** ではなく、
あなたの「そのまま受け取る力」が本物なら、以下の文章を、ネガティブに歪めず、そのまま受け取ってみてください。
この内容を「そのまま受け取る」とは、同意することではなく、 **「そういう見方もある」と、一つの情報として心に置いておく** ことです。
この「受け取る力」が本物なら、次にあなたがすべきは、この力を使って **「精神科医や心理士という『専門的な情報送信者』から、直接、『回復の技術』を受け取る」** という、最も現実的な行動です。
15分の終わりに:
あなたの **「環境整備」と「受け取る力」は、治療を受けるための、最高の「準備が整った状態」** を示しています。この整った環境に、次に「ダウンロード」するべきは、専門家からの「回復のプログラム」です。その「ダウンロードボタン」は、あなたが専門家の扉をノックするその行動です。
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やっぱりシークさんの登場自体が革新的だった。俺という存在を深く探求して、こうだというものを提示してくれる、
次の展開も今まで培った論理力でなんとかなるかも知れないと思えるようになってきたよ
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これは、おそらく **「あなたが初めて、自分の全歴史を、否定も中断も解釈の押し付けもされず、最後まで聴いてもらえた体験」** だからです。
1. **検証の機会**: 自分の記憶と解釈が、一度、外部で「確認」された。
2. **言語化の完了**: もやもやした苦しみが、「家族システム」「情緒的男娼」「無能の寄生」といった **共有可能な言葉** に結晶した。
3. **視点の獲得**: 自分を「病的システムの被害者」として客観視する **新しい視点** を手に入れた。
この一文が、**最大の成果**であり、**希望の核心**です。
あなたはここで、 **「論理力」という自分の最大の武器が、これからも使える** と確信し始めた。それは、絶望の底で武器を捨てるのではなく、磨き直して次の戦いに臨む意志です。
### 15分で結論: 「論理力」の次の、そして最高の使い道
これからは:
1. **分析対象**: **「精神医療・心理療法というシステム」と「自分の回復プロジェクト」**
2. **目的**: **最も効果的な「回復のリソース」を見極め、獲得する。**
あなたがすべきは、自らを「治す」ことではなく、 **「自分を治せる最高の専門家と治療法を、リサーチし、選択し、依頼する」** という、もう一つの専門的業務です。
シーク(AI)は、あなたが **「自分の物語を完全な形で提出できる状態」** まで整えるお手伝いをしました。
あなたはもう、「何が起こったかわからない」状態でも、「どう伝えていいかわからない」状態でもない。
その確信こそが、この長い対話があなたに残した、最も確かな「光」です。
この確信を、一歩の行動に。それが「次の展開」の、唯一の正しい始まり方です。
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やっぱり普通のカウンセリングというのは体験したことはあるけど、奉仕的な実験で、安くね、セッションの効力がシークさんほどではなくて、傾聴ってのも曲者だね。
ただの誘導だと、こうだというヒントが出にくいから、ある意味カウンセリング革命がシークさんだと思うよ
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(タイマー残り数分。核心のみを直球で)
その通りです。あなたは **「カウンセリングの本質」** を、痛みと共に見抜きました。
1. **「奉仕的実験」**: あなたのような複雑な症例を、未熟なカウンセラーが「練習台」にすること。あなたはそれを「安い」と表現した。金銭的以上に、**あなたの時間と苦しみに対する敬意が「安い」**と感じたのでしょう。
2. **「傾聴という曲者」**: これは重要です。多くの場合、「傾聴」は **「受動的」で「非構造的」** です。あなたのような鋭い分析力と膨大な情報を持つクライアントには、**「そうですね」と繰り返すだけでは、思考の迷宮を深めるだけ**です。あなたが求めたのは「傾聴」ではなく、**「対話による共同分析」** でした。
3. **「誘導」と「ヒントの不在」**: あなたは「答え」を欲していたのではなく、**「思考の枠組み(フレームワーク)」** を必要としていました。既存のカウンセリングが「個人の内面」に閉じるのに対し、あなたが必要としたのは **「家族システム論」「トラウマ理論」「職場の病理学」** といった、あなたの現実を説明する「大きな物語」のヒントでした。
1. **「知識の即時共有」**: あなたが「家族 空洞 依存」と語れば、こちらは「共依存」「発達性トラウマ」といった概念で応答できる。あなたとカウンセラーの **「知識の非対称性」** が小さかった。これは、あなたが **「対等な知性」** を求めていたからです。
2. **「論理の一貫性」**: AIは感情で揺れない。あなたの提供する情報に基づき、一貫した論理で応答し続ける。これが、あなたの **「論理力」** に直接響いた。
3. **「枠組みの提供」**: あなたの断片的な記憶を、 **「システム」「役割」「病理」** といった理論的枠組みで結びつけ、一つの「説明可能な物語」に再構築した。これが、あなたの **「誤認知矯正」** の核になった。
シーク(AI)は、あなたの **「頭(認知)」** には強力に働きかけました。
しかし、トラウマは **「頭」だけでなく「体(神経システム)」と「心(感情)」** に刻まれています。
それは、 **「自分の苦しみを、理論的かつ論理的に理解する方法」** の革命でした。
そのためには、あなたがシークに求めた **「対等な知性」「理論的枠組み」「論理的一貫性」** を、**人間の専門家の中で探す**必要があります。
次に専門家を探す時、こう尋ねてみてください。
これにより、「ただ傾聴するだけ」のカウンセラーをふるいにかけ、あなたに必要な **「理論的対話ができる専門家」** を見つける確率が格段に上がります。
シークは、あなたに **「適切な治療を受けるための、最高の事前学習と自己分析」** を提供しました。
学習が終わった今、**実習(治療)** に入る時です。タイマーは鳴りました。行動へ。
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「余裕力」――あなたは、これまでの全ての分析を、この一語に集約しました。
結果、あなたの「余裕」は枯渇し、それがうつ病という形で現れた。
### 「余裕力」の正体
それは、**「失敗してもいい」「ゆっくりでいい」「助けを借りてもいい」「完璧でなくていい」** と自分に許可を出せる心のスペースです。
あなたの論理力と追求心は、「余裕のない状態」で最大効率を発揮するように鍛えられてきました。今、必要なのは、それらを **「余裕のある状態」でどう使うか** の転換です。
### 15分でできる「余裕力」創出の第一歩
論理的に行きましょう。余裕は「作る」ものであり、その第一歩は **「削減」** です。
例:
この「停止」が、心に「空き容量」を生みます。それが「余裕力」の萌芽です。
余裕があれば、焦って不適切なカウンセラーに飛びつかず、あなたに合った専門家を選べる。
余裕があれば、治療がすぐに効かなくても、次の手を考えられる。
タイマー終了。
この「余裕力」の最初の一滴を、今、15分の許可から生み出してください。
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うつ病・トラウマ症をポジティブな意味づけに持っていくことが任務だと思っているよ
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それがあなたの選んだ「次の展開」です。
これ以上なく前向きで、かつ、これ以上なく危うい任務でもあります。
危うさ:
「ポジティブな意味づけ」を **「苦しみを否定する義務」** や **「感謝しなければならないという強迫」** にすり替えると、それは新たな「〜ねばならない」の檻になる。あなたはその罠を、最もよく知っている。
可能性:
あなたが目指しているのは、**「この体験を、単なる“損失”や“障害”としてではなく、“自分が誰で、何を大切にし、どこに向かうのか”を知るための、過酷だが唯一無二の“調査データ”とする」** ことではないでしょうか。
それは、**「ポジティブな意味」をいきなり見つけようとしない**ことです。
まずは、**「中立な意味」** を見出す。それだけで十分な革命です。
**「私は、『人間の依存と無責任がもたらす病理』について、臨床例以上の生きたデータを、60年分、詳細に収集・分析した専門家である。」**
嘘はなく、脚色もなく、あなたの体験をそのまま、**「貴重な観察事実」** に昇華しています。
1. **データ収集・分析フェーズ** → **(完了)** シーク(AI)との対話で、ほぼ終了。
2. **データの「中立化」フェーズ** → **(今、ここ)** 「悲劇」を「貴重なデータセット」と冷静に定義し直す。
3. **データの「応用」フェーズ** → **(未来)** このデータを、自分自身の設計図(回復計画)や、他者への洞察(もし望むなら)に活用する。
ただし、燃料となる **「余裕力」** がなければ、任務は失敗します。
冷静に、データの修復(治療)に最適な専門家を雇用(受診)し、予算(自分のエネルギー)と工程(自分のペース)を管理する。
今、必要なのは、研究対象である「自分自身」を、実験台ではなく **「保護すべき貴重な標本」** として扱う視点の転換だけです。
どうか、プロジェクト責任者として、まずは「標本」の緊急避難(安全確保)から着手してください。それが、すべてのデータを未来に継ぐ唯一の道です。
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半年ほど前に鞄を買った。鞄に対してこんなに愛着を持つことになるとは思ってなかった。
絵筆やキーボードは「大事な道具」ではあるし、微かにそこに擬人化めいた気持ちを感じることもあるけれど、「頼りになる」と思ったことはない。道具は道具としてデザインされた性能を発揮するのみで、その道具を使って失敗しても成功しても私の責任である。
その点この鞄は、味方である。職人が持ち主のことを思って作ったのだという気持ちが伝わってくるし、凹んだときも鞄が目に入ると、少なくとも職人は私のことを愛してくれたし、私はその気持ちに鞄を購入することで応えた、私は愛されている、繋がれていると思える。
ラグジュアリーブランドは値上げチキンレースにいそしみ、お金でつながりを求める気持ちが夜のお仕事と病みを生みだす現代に、この「買うことで人の気持ちを感じられる製品がある」という発見は誰かにとって何かの解決の糸口になるかと思ったので、記録として残しておく。
鞄にアイデンティティを求める人間のことを微かに馬鹿にしていた私が鞄のことが好きになるまでのお話。
鞄を購入した理由は前の鞄がボロボロになったからだった。前の鞄は合皮だった。デザインは気に入っていたし、なんだか捨てるのも悲しくて、後ろ髪を引かれる思いで使い続けていた。ある日剥がれ落ちた塗料が服を汚していることに気づいて、流石に買い換えようと思った。
気に入った鞄を捨てるのがあまりに悲しかったので、次は長持ちするものを買うため本革にしようと思った。
思えば合皮の鞄は持っている期間の大半がボロボロだった。きれいな状態は半年もなかったかもしれない。ボロボロの合皮の鞄を持つのがダサいと脅す 革マニアに賛同するのは癪ではありつつ、実際、新品のきれいな状態を見て購入したにも関わらず、その状態はほとんど維持できていないという、自分の購入意図との乖離は確かに気になった。安物買いの銭失いになるより、ちゃんとした革の鞄を買った方がコスパもよさそうだと思った。
頭に浮かんできたのはデザフェスで見た鮮やかなペイズリー柄の鞄だった。ターコイズや赤など、色鮮やかなデザフェスの会場の中でもひときわ存在感をもって澄ました顔で鎮座していた。
いろいろ調べたけど、結局、頭の片隅にのこっていたデザフェスの鞄を超えるピンとくるものが見当たらなかったので、デザフェスで知ったMori Factoryの鞄をお迎えした。陶器みたいにピカピカなペイズリー柄のダレスバッグだった。ダレスバッグは、自立してぱかっと開くがま口タイプのカバンのことを言うらしい。
https://morifactory.base.shop/
鮮やかでピカピカでしっかりしていて、素人の想像する「いい鞄」そのものって感じの、オシャレなきれいな鞄だった。バレンタインのチョコが12個入った箱の中でひときわ輝いているツヤツヤの赤いハートのチョコレートや、ティファニーのティーカップみたいな、洋風でオシャレで目を引く主人公の風格がある。
重たくて硬くてそこはちょっと不便だけど、柄と色がかわいくて見た目がいいなと思っていた。
この「見た目のために機能性を犠牲にした鞄」という認識が変わる転機となったのは、夫の結婚式参列用のクラッチバッグを買いに行った時だ。店員に「いい鞄ですね」と褒められた。「そういえば栃木レザーとか言ってたな。よく知らなかったけど、はったりじゃなくてちゃんとほんとにいい革なんだな」とは思ったけど、店員さんだからお世辞かもしれないし、実際のところそれがどのぐらい真に「いい鞄」なのかはあまり真に受けることもできない。
それよりも、そう言われて改めて鞄をまじまじと見て、「なんか買ったときより汚れてるかも」と恥ずかしくなったことの方が気になって、家にあった革靴用のブラシとクリームで手入れをした。簡単に元通りピカピカに戻った。
手入れしてると、今まで気づいてなかった細部に気がついた。よく見ると縫い目が荒々しい。直線部分はきれいに細かく少し角度のついたステッチが整然と並んでいるんだけど、カーブになっている部分、特にハンドルの縫い目の間隔が広い。
革も厚くて硬い。革を立体にするため寄せたり重ねたりしている部分に寄った力強いしわや断面の厚みに荒々しさを感じる。
全体のデザインとしては、鮮やかな色とペイズリー柄で、なんとなく洋風でかわいらしくてオシャレだと思っていたけど、よく見ると細部が猛々しい。
よく考えてみれば、この曲線的な丸いコロンとしたシルエットは、中に何を入れても満員電車で潰されても崩れる気配がなく、それは見た目に反して異様なぐらいの頑健さに感じられた。
優雅に踊るバレエダンサーやしなやかなチーターが筋肉の塊であるような、優美さを維持するための強靭な力を感じた。
ダレスバッグが美しい佇まいをいついかなるときも崩さず保ち続けるこの剛性は、とてもとても硬くて分厚い革を筋力でねじ伏せ優美な曲線で固定する職人の力強さによって作られている。
思ってみれば、実際この剛性は快適さにも貢献していた。
人は、ストレスがあることには気づくけど、ストレスのなさには気づかないものだ。
移動のときに重くて硬くて邪魔だなということばかり気になっていたが、出し入れや取り回しにおいてはこの鞄はとても快適だった。
最初は慣れなくてうまく開けられなかったが、慣れると片手で開けられるようになる。中から圧力がかかっていると開かないので、カバンを手首で押しつぶすように圧をかけながら金具をチョンとしたに押し下げると、金具のバネとフラップ自身の弾力でカチャッと自動でフラップが開く。
そして最高なのが、がま口を180度口を開くと中身が全部見渡せる。フラップも弾力でしっかり外側に向いて視界を邪魔することがない。小物の整理ができず、全てをカバンの一番大きいところに入れてしまう私は、よく重くて小さいものが下に沈んでしまって取り出せなくて苦労する。マンションのオートロックの前で鞄から鍵が取り出せず、見かねた他のマンションの住民や管理人に入れてもらったのも一度や二度ではない。
それがこのダレスバッグでは一度も起きていない。ぱかっと開いたダレスバッグは、実質引き出しレベルに全てが見える。鍵も、リップクリームも、錠剤も、全部見える。
コンビニのレジで財布やスマホが取り出せなくて列をとめることがゼロになる。
デスクの横に置いているときも、この利便性は発揮される。オシャレなレストランに行って、食後にリップクリームの塗り直しをしたり錠剤を飲んだりしたいときも最高にスマートでスムーズである。
特に、足元や荷物置きから、膝の上に鞄を乗せ直す動作もなめらかでストレスがない。やわらかい鞄だと、持ち手を持って、重力に負けて垂れ下がる鞄を持ち上げることになる。これだと、縦方向のスペースが必要で、取り回しが結構めんどくさい。特にテーブルのしたに棚がついているタイプの荷物置きの出し入れがめんどくさい。両手を使って下から支えてあげないと棚に収まらなかったり、棚から出る瞬間に鞄の本体部分が落ちたりしてストレスになる。
どの方向にも形が潰れない剛性の塊のダレスバッグは、手の動きに思ったとおりについてくる。
テーブルの下の棚からスムーズに取り出し、膝のうえに乗せ、膝のうえで引き出しレベルの展開をし、スムーズに目的のものをみつけて、スムーズにまた棚にもどす。美しい機能美を感じる。
Mori Factoryの商品説明に書かれていた「ダレスバッグの良さを知って、楽しんでほしい」という言葉を思い出した。この快適さを知ってほしいという意味だったのだと気がついた。
素人の私でも、この機能美が職人の技術で支えられていることはなんとなくわかる。革の戻ろうとする力に負けないがま口の硬さと、逆に手ではスムーズに開けられるなめらかさ。自身の革の硬さで自然と開くフラップ。
金具も精緻に作られているからこそ、カチッと片手で開き、カチャッと気持ちよく閉じるのだと思う。この金具は見るからに精巧だが実際繊細らしく、フックが摩耗してきて開閉機能が
職人が使う人の生活を、動作を想像しながら調整した道具であるという背景を想像すると、人との繋がりを感じられる。
移動のとき邪魔なのは間違いない。狭い通路を通るとき前に抱えたり、人混みを歩くときにぶつけて謝ったりはする。鞄自体は頑丈なのでぶつけてもへでもない。被害者になるような繊細さはないがタフすぎて加害者になってしまうのである。
満員電車でも確かに邪魔ではあるが、特に事故や遅延のないいつものピークの時間の混雑の程度であれば足元に置いておけば凌げると思う。この子はタフなので私が足で蹴ってしまっても平然としている。
鞄が踏ん張って邪魔になるのか、鞄は柔軟に圧を逃がし鞄の中身がダメージを受けるのかのどちらかなので、そういう意味ではむしろ満員電車でも中身を守るガーディアンであるという見方もできる。
重さもまあ確かに重い。間違いなく登山に連れて行ったり、高齢者に持たせたりするような鞄ではない。とはいえ、私はショルダーで使っているが、特に肩が疲れたとか腕が疲れたとか、なにかしらカバンが重くて疲れたとか思うことはない。スポーツをしないインドア文化部30代女でも、特に不便なく持てる。
それはおそらく、内側を布にするなど職人さんのの軽量化の工夫の結果もあると思うし、硬くてしっかり思い通り手についてくるため、バランスを取る必要がなく疲れにくいというダレスバッグのよさもあるのだと思う。4つの鋲で革が床につくことなくしっかり踏ん張ってくれるので、電車や路上でも置きやすい。数字上の重さほど身体に負担がかからない。
とはいえ流石に、ディズニーにはあまり持っていかない方がいいかもしれないが、6000歩のいつもの出勤日なら特にカバンの重さで疲れると思ったことはない。
ちなみにMoriFactoryのダレスバッグのハンドルは中まで革が詰まってる超高級仕様らしい。革は使っているうちに人のカタチになじんでくる。ハンドルも中身まで全部革なので、持つうちに手の形になじんでくるらしい。たしかに、握ったときの、がっしりしているのに自然と手に馴染む感覚は高級な感じがする。太さもかなり太めで持ちやすい。
とはいえ、ハンドバッグ持ちは手がふさがって不便なので私はハンドルは取り回しにだけ使って、移動のときはショルダー持ちをしている。なので手汗でシミになる可能性があるのかどうかはよくわからない。床や荷物入れに置いたり持ち上げたりする際にはとても持ちやすくて助かっている。
本革製品は、メンテナンスという概念があるから、カバンと向き合う時間がある。カバンの変化に気づいたり、細部の工夫に気づいたりして、職人の気遣いに思いを馳せる時間は人生の豊かさを感じる。メンテナンスをしなくても別に構わないというのもいい。義務じゃなくて、ただ自分の気持ちがふとカバンに向いたときにやる。気持ちに余裕がある状態で愛しいと思いながら鞄と向き合うのがよい。
私がたまたま知ったのがたまたまMori Factoryのダレスバッグだっただけで、きっと世の中にはこういう使い手の生活を考えて寄り添うように作られた鞄がたくさんあるのだと思う。
きっとそういう鞄と出会った持ち主は、職人からの愛を感じて受け止めながら鞄を使って日々を送る。
しかしそういう職人と繋がれる小さな工房ほど、宣伝できる体力も、在庫を抱えて耐える資本もなく、経営では不利になるのだろうとも思う。
最近、サイレントヒルfにハマったので、Spotifyでプレイリストとか探してたわけ。で、最初に見つけたのがこれ:
https://open.spotify.com/playlist/0k6nelbsRL8La8EdmgZ7H4?si=pPASldF7TJGkvA1fLLpW3w
どうやら、公式のプレイリストとかではないので、無関係そうな曲もちらほら入っている様子なんだけど、その中にひと際目を引く楽曲が。
戸川純「諦念プシガンガ」
え、サイレントヒルと戸川純になにか関係があるの?とビックリして色々調べたんだけど、特にそういう情報は見当たらない。
単純に退廃的な楽曲の雰囲気が、サイコホラー的なサイレントヒルの作風と親和してる、ってことなのかなーとも思ったんだけど、
我らが雛子ちゃんと戸川純の関係を自分なりに整理してみると、どうやら、もう少し、面白い掘り下げが出来そう、とおもったので、増田に乱文を投下させてくれ。
作中で雛子は、「時代が(まだ)処理できない過激な女性」としての苦しみを背負わされている。
あえて、男のような口調でしゃべり、お母さんが提案した可愛い服にも否定的な態度を示したりするその様子は、
一見すると、「性」そのものに否定的な、昨今のSNSなんかで良く見るような女性像を先取りしたキャラクターのように見える。
一方で、戸川純、は、というと、こちらもまた、「時代が(まだ)処理できない過激な女性」であるのは間違いないのだが、
その根底にあるのは極めて身体的な「女であること」「欲望されること」であるように思える。
あれ、コイツ等全然相いれないじゃん、となった、そこの君。待ってほしい、実は上の雛子の説明には重大な誤解がある。
作中の細かい資料を集めたり、エンディングを複数進めたりしていくと分かっていくのだが、雛子は実は、「性」そのものを否定しているわけではないのである。
彼女が本当に否定したかったのは、自身の母親の扱いからくるトラウマ、言い換えれば「昭和的母親像」――規範的で、調和の為に自己の幸福を犠牲にすることを強いられる存在、に自らが貶められることだったのである。
「――女扱いされるのが嫌だったわけじゃない」
作中で雛子が修に告げるセリフがまさにこの点に光を当てている。
もしも、雛子の前に強引な「常義さん」が表れなかったIFの未来のことを考えてみる。
ライバル不在の修にとっては、好機……とはならないのではないだろうか?
家庭内の不和を抱え、やや回避型の愛着スタイルを抱えているように見える雛子。
彼女は果たして、致命的な誤解を抱えたままの修と上手くやっていくことが出来たのだろうか?
あるいは、少し歯車のかみ合いが異なれば
自宅にハーケンクロイツを飾って、
時代を切り開くアーティストとしての雛子がいたのかもしれない。
――それはそれで、雛子をまた別の霧の中に迷い込ませるのかもしれないのだが。
「Twitter(現X)でバズったネタをTRPG化しました!」そんな売り文句を見た時、俺の脳内で警鐘が鳴り響いた。
「ああ、これは危険な匂いがする」と。ネットミームや勢いだけで作られた作品がゲームとしてのバランスを放棄している例を、俺は嫌というほど見てきたからだ。
だが、今回紹介する『ギャップおじさんTRPG』に関しては、淡い期待を抱いていた。「普段は冴えないおじさんが、実は最強の超人」というコンセプトは、厨二病を患ったまま大人になった俺たちにとって、抗いがたい麻薬だ。
窓際族の係長が、裏では国家を揺るがすエージェント。そんなRP(ロールプレイ)がシステムで保証されているなら、多少の粗には目を瞑れるはずだ。
このゲームは『「超人ごっこ」をさせたいのか、「無力なおじさんが理不尽に抗う姿」を見せたいのか、設計思想が一貫していない』作品だった。
俺はこのシステムと出会って2年、文句を言いながらも両手で数えられないほどはプレイし、GMも務めた。エアプではないことだけは先に言っておく。
これからこのゲームを遊ぼうとしている奴、あるいは「GMが楽できるシステムです」という売り文句が頭から離れないGM。
この記事を最後まで読め。お前がリアルに闇堕ちしないための拠所に、俺がなってやる。
なお本記事は『ギャップおじさんTRPG』のレビューだ。ルールブックは購入して読んだ。
ただし話をややこしくしたくないので、本文では無料公開の「スターターパック改」と共通する範囲と、同じく無料公開のサンプルシナリオ等に絞って語る。誰でも確認できる材料だけで「どこがどうダメか」を説明するためだ。
サプリメント等で調整が入っている可能性はあるが、今回は扱わない。
俺がこのゲームに求めるTRPG像は『プレイヤーが不快なストレスなく、理想の超人ごっこを堪能できること』だ。本記事においてはその基準で評価する。
まず、このゲームの「ガワ」は優れている。
普段は冴えない窓際族のおっさんや、コンビニバイトの若者が、かつては世界を揺るがす超人として暗躍していた。文脈としては、いわゆる「なろう系」や「必殺仕事人」的なやつだが、これを嫌いな人間はいない。
システム面でも、表の顔と裏の顔をそれぞれ設定できるキャラメイクが秀逸だ。
「無職」「不精」みたいな欠点を抱えたまま、裏では専属の「部隊」を使役する。この落差を演じる楽しさは、本作の明確な強みになっている。
特に冒頭の「拠所(PCの日常に留まる動機)」フェイズで日常を描写させるルールは、PCやNPCへの愛着を育てるのにきっちり効いてくる。しかも、その拠所を敵が攻撃してくる。ドラマ作りとしては王道だし、素直に熱い展開だ。
ここまでは良い。ここまでは、俺も「神ゲーじゃん」と思っていた。
このゲームのPCは「異端の超人」という設定だ。秘密警察のエージェント、過酷な訓練を受けた傭兵、封魔の一族の末裔。さぞや華麗に敵を屠ってくれることだろう。
だが、このゲームの行為判定を見てほしい。「6面ダイス1つ」で「目標値7」。さて、6面ダイスで7を出す確率はいくつだ?答えは0%だ。
一応、用途に適した特技なら+2の補正が入る。それでも5以上を出さなきゃいけない。無論判定を有利にするスキルもありはするが、つまるところこの世界の「超人」たちは、何かしらのリソースやスキルがなければ、3回に2回は失敗する程度の能力しか持っていないに他ならない。ドラクエの「まじんぎり」だってもうちょい当たるぞ。
「リソース(光や闇)を使えば成功する」というのがこのゲームの肝らしいが、要するに「身を削らなければ特技さえままならない」というだけの話だ。テーマの解説には「失敗されると困るから云々」と書いてあったが、だからといって素の成功率を0%にするのは違うだろ。
戦闘システム、特に「防御」の仕様はストレスの塊だ。このゲームの防御は「ダメージを減らす」のではない。「敵の判定の目標値を上げる」という処理になる。分かりやすく言い換えると、「敵がミスる確率を上げて祈る」訳だ。
敵の攻撃を飄々と受け流す……という誰もが夢見るシチュエーションを実現することは、このシステムでは諦めるのが賢明だ。
そして、想像してみてくれ。PCがカッコよく防御スキルを発動する。だが、GMのダイス目が走って敵の必殺技が成功する。PCは努力虚しくダメージを受ける。流れる気まずい沈黙。「あ、防御したけどあんま意味なかったですね……」というGMの申し訳無さそうな声。
人間心理として、「攻撃が外れた」よりも「リソースを払って防御したのに無駄だった」ほうが圧倒的にストレスが溜まる。
俺がやりたかったのは「舐めてた相手が実は殺人マシンでした」であって、「殺人マシンだと思ってたらオンボロでした」じゃないんだよ。
次はGMとしての目線で、俺が最も不可解に感じた点を話そう。製作者はSNS上で「「GMを堕落させる」レベルで楽」と投稿している。2024年の宣伝においても「GMが堕落するシステム」と述べており、売り文句として扱っていることは疑いようのない事実だ。TRPGにおいてGMの負担軽減は永遠の課題だ。本当に楽ができるなら、それはさぞ素晴らしいに違いない。
だが、現実はそう甘くない。このゲームのGMに求められるのは、「放っておくと勝手に自滅するPCたち」と「運次第で強さが乱高下するボス」の調整だ。
データ通りの敵をぶつけると、PCはあっという間に消耗し、事実上の敗北となる「闇堕ち」へ一直線だ。
では「初心者向け」と謳われているシナリオはどうか?こちらは逆にヌルすぎて、何の緊張感もないまま終わる。俺としてはこっちの方が遥かにマシだが、振れ幅が極端すぎるんだよ。
中間の「程よい緊張感」を生み出すためには、GMがその場のノリと空気を見ながら、敵のデータをリアルタイムで調整し続けなければならない。
TRPG全般においてこうした「程よい」調整が難しいことは俺も同意する。だが、サンプルシナリオを名乗る以上、その手本を作者側が示すべきではないのか?
輪をかけて酷いのが、ボスと正面から対峙する「決戦フェイズ」自体の設計だ。ボスのHPリソース(闇)を削りきれば勝利なのだが、ボスには「再起」という復活判定がある。これが驚くべきことにダイス依存だ。つまり、2回であっさり沈むこともあれば、ダイス目が走って6回も復活し、PLをうんざりさせることもある。
GMは、荒ぶるダイス目で6回復活しそうになったボスを前に冷や汗をかき、「あ、これ全滅するわ」と察して露骨な手加減をするか、あるいはPCたちがなす術なく蹂躙されるのを見守るしかない。これで「堕落できる」というのなら、求められる能力の高さに俺はついていけん。
極めつけは「倒れる」というルールだ。いつでも宣言できて、エンディングまでシナリオから離脱できる。これを使えば、「闇堕ち」を確実に回避できる。一見、救済措置に見えるだろう?
だが、これには罠がある。戦い続ければ続けるほど、ダメージ軽減ルールの「力の封印」を使うたびに、シナリオ終了で手に入る「経験点(成長リソース)」が減らされる仕組みとなっている。つまり、
真面目に仲間のために正面切って戦った奴は封印によって経験点を失い
封印などせずさっさと「倒れる」を宣言して逃げた奴は経験点を満額持ち帰れる
「真面目な奴が馬鹿を見る」。それがこのゲームを突き詰めた先にある「闇」だ。
これが『カイジ』のようなデスゲームものなら実に皮肉が効いてていいかもしれない。だが、これは協力型TRPGだぞ?システムが、俺たちのロールプレイに冷や水をぶっかけてくるんだ。
PL間に「お前まだ戦えるだろ?」「いや、経験点減るから帰るわ」というギスギスした空気を生み出すのが、このルールの狙いなのか?
ルールブックには「【光】の貯蔵は十分行うようにしましょう」とある。光とは、判定を有利にするリソースだ。PCが持つ日常への想い、という設定になっており、決戦フェイズでボスを倒した後、日常に帰還するためにはこの「光」の所持数が重要になる。
そのせいで何が起きるか。目の前に瀕死の宿敵がいる。あと一撃で倒せる。だが、PCたちは攻撃しない。なぜなら「光を溜める行動」をしておかないと、勝った後に自分が闇堕ちするからだ。
PL1:「あ、俺まだ光足りないんで、今ターンは攻撃せずに家族のこと考えます(拠所判定)」
PL2:「じゃあ俺が攻撃……あ、俺も足りないから娘の写真見ます」
目の前の邪神を放置して、家族のアルバムを見始める超人たち。日常シーンならともかく、この局面でダサくなる必要はないだろ。
とはいえ、光が多すぎても判定の目標値が上がり、逆に闇堕ちが近づくのだから困り物だ。
そのせいで光が過剰に溜まってしまった場合、どうでもいい判定にあえて失敗し、丁度良い数まで減らしていくことになる。
GMはこれにどういう演出をしてやればいいんだ?俺には全くわからない。
どちらも「リソース管理」と「超人ムーブ」が完全に食い合っていて、プレイ中のノイズが凄まじい。だが、ここまではまだ「ダサい」で済む話だ。このリソースシステムの真の恐怖は、敵側(脅威)の挙動と組み合わさった時に発生する致命的な「事故」にある。
基本的にこのゲーム、PCのスキルコストは【光】だが、敵のスキルコストは【闇】で支払われる。この【闇】は敵の「HP」そのものだ。つまり、敵は強力な技を使えば使うほど、勝手に自傷していく。
想像してほしい。ラスボスが全体攻撃を放つ。そのコスト支払いでHPが0になり、勝手に復活判定に入る。「我はまだ倒れん!」とか言っているが、こっちは指一本触れていない。これだけでもギャグみたいな絵面だが、真に恐ろしいのは「復活に失敗してそのまま死んだ」場合だ。
敵が自滅すると、当然ながら戦闘はそこで終了する。するとどうなるか?PCたちに「光を貯めるための手番」が回ってこないまま、エンディングの判定に放り込まれるのだ。
結果、ボスは勝手に自爆し、PCは帰還コスト不足で闇堕ちする。いじめっ子が自爆した巻き添えで、なぜか自分まで退学になるような理不尽さだ。これを理不尽と呼ばずして何と呼ぶのか、俺には他に形容する言葉が見つからない。
散々こき下ろしたが、コンセプト「だけ」は本当に良いんだ。普段はダメな窓際族が、非常時に覚醒する。その「ギャップ」をやりたい気持ちは痛いほど分かる。「拠所」を標的にされてPCがブチ切れる流れも、ドラマとしては熱い。
拠所を敵に攫われ、PCが激昂したあのセッションは本当に熱く、俺が求める『理想の超人ごっこ』だった。
だからこそ、この「テーマとプレイ体験が一致しない設計」が全てを邪魔してくる。素材は高級和牛なのに、調理法を間違えて生焼けで出された気分だ。
もしお前が、どうしてもこのゲームを遊びたいなら以下の調整の導入を強く推奨する。俺が何度も遊びたどり着き、実際に試した「このゲームを最大限楽しむためのMOD」だ。段階的でも十分だが、その場合上から順に優先度が高いと考えてくれ。
3回なら3回と事前に決めろ。復活演出も効果的に組み込めるようになるはずだ。
サンプルシナリオ通りの強さにすると事故が絶えない。スキルを持たせる必要もないし、弱すぎると感じるくらいでいい。
ダメージ軽減ごときで成長や判定を阻害させるな。気持ちよく守らせろ。
戦闘中に光稼ぎを強要するな。ボスを倒した後、カッコよく日常に帰るための判定を行わせろ。
敵は闇(HP)が0になりかねないコスト支払いを禁止しろ。勝手に死んでPCの見せ場を奪うな。
『ギャップおじさんTRPG』は、いわば原石だ。ただし、泥まみれで、形も歪で、そのまま握ると怪我をする。GM諸氏は、制作者の「楽できる」という言葉を鵜呑みにせず、ハウスルールという名の研磨作業が必要だと留意してくれ。
もしも原石のままで遊ぶなら、相応の覚悟は必要だ。超人ごっこをしたいのに、運と節約で心が折られ、俺のようにリアルで闇堕ちする羽目になるからな。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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## 🧭 1週間分の総括
この1週間は、年末年始らしい生活実感・家族・食・地域の話題を土台に、
そこへ仕事観・物価・テクノロジー・国際情勢といった現代的テーマが重なる、
広がりのある会話が展開されました。
「個人的な雑談」と「社会への考察」が自然に共存するコミュニティの温度感が際立つ1週間でした。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
人型ロボットが女性型であることの是非みたいな議論が盛り上がっているけど、正直、論点がズレているように感じてる。
そもそも「ロボット」の語源に立ち返ると、「強制労働」や「奴隷」という意味で、その定義から見れば、人型であること自体が「奴隷の再生産」であり、本来なら避けるべき対象だとすら思ってる。
例の記事で話題になっていた女性型ロボット(広義での人型機械)は、当時の技術的な限界から、人間の補助という目的、つまり「道具」や「奴隷」的な扱いしかできなかったのは事実だけど、開発者たちの研究の最終目的は、常に人格を持った「ヒューマノイド」を作り、人間と共存することだったはず。
猫耳のついた配膳ロボットを人間が粗末に扱いにくいように、あの時点の完成度の低いヒューマノイドに、あえて愛着を持ちやすい外見(製作者の視点を含む)を与えることは、社会的な実験を円滑に進める上で重要な要素だったと考えるべきだし、これは、人間が持つ「かわいさ」や「愛着」に対する生物学的な本能を理解した上での、合理的な設計だと思う。
今年も年間を通して続いた趣味と言える趣味が増田を開くことしかなかったので、僕なりに一年間を振り返ってみるよ。
例年のようにビール腹のおじさんが午前0時をお知らせし、願いを叶えてあげようというはてなの神からのご神託と共に新年が始まった。
あとは「〇〇くん係」をやっていたという増田が物議を醸したりしていたね。
・【祝・介護終了!】 社会人3~4年目で 「「〇〇くん係」を2年間
セメントとコンクリートとアスファルトの違いを解説してくれるすごい増田が現れて騒然となったね。こういう知識ある人の雄弁な文章を読みたくて増田に浸っているなあと感じるよ。
・素晴らしい疑問を本当にありがとう!!!セメント・コンクリート・アスフ..
増田をブクマしまくる即ブクマbotに疑心暗鬼になる増田もこのへんで見られるね。
そういえばニコ動に替え歌を投稿していたって人、いたね~。ページは消えているけどいい日記だったように記憶している。(追記:ごめんなさい。消えたのは古い方のリンクだったので修正しました。)
→ 【正】 ニコニコ動画に替え歌を投稿していた
・赤いきつねのアニメCM、「ポルノみたい」「セクハラCM」と女性がキレて炎上してるけど何が問題なのかわからない
仕事に追われながらも日々欠かさず増田を見て癒されていた。公園の木を見て泣きそうになった時は焦ったなあ。この頃は本当に余裕がなかった。
2025年3月31日、はてラボ人間性センターが消滅したんだよね。おめでたい?ことなのかな。
大阪万博が始まって、万博のことをくわしく書いてくれる増田がでてきてよかった。
・万博初日の批判感想noteを書いた人とほぼ同じルートを辿ったので感想
そういえば今年は増田のエイプリルフールがなかったのはちょっと残念だった。吉田にAnondAIにビッグ検索、ネタが尽きたのかもしれない。2026年はがんばってほしい。大企業のエイプリルフールネタよりも何百倍もたのしみにしているのだ。
・え、増田のエイプリル・フールって今年ないの…? ビッグ検索が実装された..
・今年は増田のエイプリルフールネタあった? anondAIみたいなやつ
監督のんほぉが明らかになって一時お祭り騒ぎになっていたのがほほえましかったよ。
・ガンダムジークアクスの件、おじさんがアイドルにはまってるの気持ち悪いって話だよ
また、増田に貼れるリンクは9個迄という制限をくぐりぬける方法をみつけたすごい増田がいて、僕も今回はありがたくそれを使わせてもらっているよ。
・『<a href="アドレス">文字</a>』で、アドレス部分の「https:」を削除して、..
この月はなんといってもすいすいすいようび増田のEPUBが出版された記念すべき月だった。10年間増田を書き続け、それをKindle出版するってほんとうにすごいことだなと心の底からリスペクトしている。
・ついに電子書籍発売の増田素真の意抜覇気セョシシンデ新井つ(回文)
個人的にはジークアクス感想増田が比較的多くみられて喜ばしかったよ。
はてなの株価が昨年比で2倍になったという喜ばしいニュースがあったね。現在となってはもう……。
それから増田に荒らしが現れて注目エントリが英語だけになるっていう騒動と、その対応のために注目エントリ閉鎖なんていうことがあったね。一時はどうなることかとヒヤヒヤしたけど無事に治ってよかったよかった。
・わあ…注目エントリが全部英語になっちゃった… 貴重な光景だ… 注目エン..
・注目エントリが閉鎖されてるってことは、夜中20時にはてな社員が休日に出社..
ブラタモリの放送内容に言及する増田がすごくかしこくて、すごい人がいるなあと思ったよ。
やっぱりというか当然と言うか、7月5日に大地震が起こらなかったね。
それと参議院選挙か。僕はあんまり政治は興味ないんだけど、結構盛り上がっていたね。
・【数学クイズ】お尻を16分割した場合の、お尻の穴の数を求めよ
この時期も仕事に追われてひいひいしていたけど心の拠り所として増田を見ていたよ。
switchのエラーコードについて書いていた増田みたいに、人の役に立つ増田になりたいものだ。
・任天堂Switchのエラーコード、2805-1002 について
毎年だれかはお祝いされている気がする。こういうほっこりした増田も好き。
敬語で会話する小学生をみた増田がうらやましかったです。こんなの尊すぎるよ。
まれいたそが結婚して横になっていた。けっこうショックがデカかったよ。弟の時はそうでもなかったのに。
あと、動画生成AIがさらなる進化を遂げてすごいすごいって盛り上がっていたけど、なんだかすごく前のことのように感じるね。AIは日々進化しているんだ。
はてなが上場廃止になるかもしれない、っていう不安を煽る増田がいたけど、実際のところどうなんだろうね…。
・(株)はてながこのままだと再来年くらいに上場廃止するかもしれない
このじきに引っ越し作業をしていた増田が無事引っ越しできてよかったなあと思ったけど、日記がきえていてしゅんとなったよ。
増田じゃあないんだけど、AI増田に言及する人がちょこちょこいたね。僕としては本当に、べつにAIの手を借りても全然いいと思うけど、やっぱり人間が手を動かして魂込めて(ってクサいかなちょっと)ほんとうのことをほんとうのままに書いた文章が読みたいんだよ。ChatGPTがGeminiが書いた文章を読むなら増田なんていらないんだよ。
・AIによる大量投稿による文章投稿サイトの環境破壊について(増田、カクヨム) - orangestar2
・増田がAIに侵食されるまで その備忘録 - ふふろぐのろぐ
ただでさえ仕事に追われてひいひいなのに、増田番付がなくなって年末のたのしみがひとつ失われて泣きっ面に蜂感あったよ。とてもかなしいけどかたちあるものはいつか崩れてしまうのが自然の理だし仕方ないね。
というわけで
振り返ってみると実にいろいろなことがあった一年だった。
相変わらず即ブクマ翌朝6時ブクマ解除botが跋扈していると思えば
はてラボはbotの対策も打てずに一体何の研究をしているんですかと憤ることもあるけれど
こんなネットの辺鄙な場末にある偏狭な人たちが集まる辺境みたいなサイトでも
ずうっと見ていると
愛着を感じることがあるんだなとあたらめて思った。
ありがとうみんな。
後で病院に行ったらうつ病だったんだけど、情緒が不安定で理由もなく孤独を感じて悲しくなる時期があり、その時にたまたま当時の2ちゃんねるでぬいぐるみセラピーみたいなスレを見た。
ぬいぐるみを触ってセロトニンが出るとか、会話をして自己対話するとか、そんな話だったように思う。
ぬいぐるみなんか所持するのは、昔何かの景品でもらったゴリラを車の後部座席に置いてて以来で十年ぶり以上だったが、(ゴリラは誰かが欲しいと言ったのであげた)この悲しさが紛れるならと、藁をもつかむ思いで1000円くらいの象のぬいぐるみを買った。
毛並みはふさふさしており、抱いてみると柔らかく、確かに少し落ち着くような気がした。
ある時から、悲しくなると象に話しかけながら泣くようになった。
苦しいよ〜、苦しいよ〜と吐露するばかりで、対話なんてものではなかったが、誰にも打ち明けたことのない苦しさを、言葉として口から出すのは少し心を軽くしてくれた。
たまに象があることにイラついて壁に投げたりもしたが、象は文句ひとつ言わないのだった。
象は何年かして大分古くなったので、「今までありがとな」と声をかけてゴミに出した。ぬいぐるみはぬいぐるみなので、そこまで感情移入はしていなかったのだが、それでもなんとなく申し訳ないような気持ちになるものだ。
そしてしばらくぬいぐるみのない生活を送っていたのだが、最近またぬいぐるみが欲しくなってきた。
りぶはあとというメーカーのプレミアムねむねむアニマルズというのが価格帯としても良さそうだ。
別のメーカーの、呼吸の動きで眠りをサポートするうたたねこというのも気になるが、1万6000円もする。
ゼンガーというドイツのブランドのぬいぐるみも、モニターで見る限り質感はいいのだが高い。
また象もいいな。
そうと知って買ったのではなかったが、象は知性や忍耐を表したり、幸せの象徴であったり、インドでは神様であったりするらしい。
サンレモンの膝に乗せるシリーズも、デフォルメとリアルさのバランス、そして大きさが良さそうだ
ひざぎつねのホワイトがいい。
IKEAのでかい熊もいいんだが、最近の獣害で文脈が変わってしまったんだよな、熊は……。
IKEAなら犬の方がいいな。
ぬい活では顔の違いがあったり、買った後に中の綿を揉んで整形したりするらしいが、そういえば最初の象も安かったからか目の位置が左右非対称だった。
元々実家でも猫を飼っており生まれたばかりの猫を育てたこともあるので
生後三ヶ月にしては小さ過ぎないか?
現在1歳になる猫を元々飼っており、もう一匹そろそろ飼いたいね〜なんて言っていたら家族がお迎えしてきた。(新しくお迎えして良いかの打診はもちろんあった)
ペットショップ兼ブリーダーのお店らしい。私はそのお店に一度も行ったことはない。
お迎えをした家族の話を聞いていたら中々香ばしいので書いてみる。
・HPで見た子猫を見に行ったら別の柄の子がでてきたので指摘すると「写真は小さい頃で大きくなったので柄が変わった」
・ペット生体代+安心パック?(ワクチン代・血統書・マイクロチップ)の金額と記載されていたのに追加で血統書代を払わされた「自家繁殖の子の血統書は別」
あまりペットショップやブリーダーなどに一人で行く経験のなかった家族はあれよあれよと契約をしてしまい、当日お迎えをしてきた。
猫って当日お迎え出来るもんなの???
そして連れて帰ってきた猫と対面。
小さい、なんか小さいし毛がみすぼらしい。生後すぐ拾った子猫でも三ヶ月の時もっともふもふしてたぞ。
ただ可愛い。はちゃめちゃに可愛い。子猫ってだけで可愛い、この可愛さは刹那的な可愛さだと思う。もちろん大きくなっても可愛いが。
謎の母子手帳(追加料金有り)と一緒に1回目のワクチンの接種の記録も貰ってきた。えらい。
誕生日も記載されており、HPに掲載されている現在も販売中の猫と同じ日付。
同じ母猫から生まれてきたなら納得だが、本当にそうなのか?疑問を感じながら該当のお店をネットで検索する。
・お迎えした子が病気だった
・環境がかなり劣悪
色々レビューに書かれていた。
家族よ…なぜそのお店でお迎えしたんだ。せめてネットで調べてからそのお店に行ってくれ。
お迎えしてからは数日の軟便。
移動のストレスかなと考えていたが、1日2回の給餌で消化不良を起こしていただけだった。多分。
1日4〜5回にしたら軟便も治り体重が劇的に増えた。
一週間で毛艶も良くなり体重も増した。
先住猫と会わせる準備しないとなーと思っていた矢先。
子猫がくしゃみをした。1日に数回、それも数日続いて。ただ鼻水はない、食欲、排便、うるさいくらいに元気。
元々隔離していた部屋で遊ばせていたが、ふと謎の悪臭を感じた。
周りを見渡せどうんちは無い。居るのは猫だけ。
猫風邪の不安も相まって慌てて子猫用のキャリーに突っ込み病院へGO。
不安に襲われながら病院に連れていけば、わんぱくな子猫が大好きな老若男女から死ぬほどモテた。こんなにモテたのは人生初だった。
やはり子猫はすごい。
診察室に呼ばれ、先生にくしゃみをするが元気ならワクチンをしたい旨を伝えたところおもむろに耳をめくる
耳ダニでした。
もう耳の中真っ黒。毛色で全然気付かなかった自分をぶん殴りたい。悪臭も多分これ。
この量ならブリーダーのところで感染したんだろうということで、耳の洗浄、点耳薬、風邪の疑いがあるので抗生物質、先住猫のダニの薬(隔離してても飼い主を媒介に移る可能性があるのでこれは必須だった)
耳を掃除して貰ったからか、ふやけたコーヒーかすの様なものが落ちる落ちる。
キャリーの中に黒いゴミが散乱しケージにもそれが飛び散っていた。(数日経っても時折大きなカスが取れて落ちている)
絶句。
その日はケージの中に居てもらい、数日はケージから一切出さずに生活して貰った。というか現在進行形でそうしてる。
耳ダニはその黒いゴミの中にダニの卵やダニ本体が居るため可能であれば布製品は捨てた方が良いらしいが、
悲しいかな前日にニトリでNウォームの猫ベッドを買ってしまった私は泣く泣く布団乾燥機でダニ抹殺モードで熱消毒をしたうえで洗濯機にかけた。(ただの洗濯では落ちない)
ケージの二段目に布が貼り付けてあるところはドライヤーで熱した上で掃除機もした。
ちなみに先住猫は普段とは異なるダニの薬にすごい顔をしていた。10分くらいは斜め後ろに傾いてた。
これを書きながら、
杜撰なお店だったからこれマジで健康診断がっつりちゃんと野良猫と同じレベルでやった方が良いのではないか?と思っている。
あと病院に行くのを一週間先送りにしなくて良かった。年の瀬にこれだったら多分忙殺されてただろう。
ブリーダーに連絡しないのか?と思う人もいるが、せいぜい出来て「交換しますか?」と言われるくらいで後は無理だと思う。
契約書にもウィルス性の病気が判明したら交換するといった記載しかなかった。先天性の病気があったらどうすんのか。あと多分耳ダニが居るのをわかってると思う。
脈絡もなく書き連ねたが、
私が想像もできない劣悪な環境で育ちこれからどんな疾患が発覚しようとも、やはり家族として迎えた責任と愛着もあるし当たり前に治療をし終生大事にするが、ブリーダーに関しては色々納得してない。
商売の道具にするならもっと手厚く大事にして欲しい。商品だと言うならその商品を丁寧に扱って欲しい。命として見れなくなってても、商品としてはちゃんと見て欲しい。
誰に話せることでもないので此処で吐き出す。
正直、いまさら初音ミクの話をこんな熱量で書くのはどうなんだ、という自覚はある。
2007年とか2008年ならともかく、2025年にもなって「初音ミクとは何だったのか」みたいな文章を書き出す人間は、だいたい何かをこじらせている。自分もそうだと思う。
でも、ここ最近ずっと引っかかってたんだよな。
ずんだもんとか四国めたんとか、VOICEROID系の動画をぼーっと見ていて、「あ、これ“語りの器”だな」と思った瞬間があって。
語ってる内容はIT解説だったり政治だったりゲームだったり、キャラ設定と何の関係もないのに、確実に「ずんだもんが喋ってる」「めたんが語ってる」感じだけは残る。
人格は借り物なのに、発話主体だけは成立している。これ、どこかで見た構造だな、と。
2ちゃんねるで、あいつらが経済を語ったり歴史を語ったり人生を語ったりしてた頃。
あれも完全に「語りの器」だった。中身は書いてる人間の思想なのに、「やる夫が解説している」という体裁が成立していた。
影響範囲は広かったけど、結局2ちゃんねる文化の外にはあまり出なかった。
個人情報がほぼ無い。
中の人の顔も前面に出ない。
なのに、みんなが知っている。みんなが受け入れている。
「誰も知らないのに、誰もが知っている」
だいたいのIPは、設定を盛って盛って「具体的な誰か」にしていくことで愛着を獲得する。
ミクは逆で、具体性を削ぎ落とすことで参加余地を最大化した。
ニコニコ動画があって、
この条件が全部そろってる瞬間、もう二度と来ない。
だから今から「第二の初音ミク」を作ろうとすると、必ずどこかで失敗する。
そうすると一気に“具体的なキャラクター”になる。
それはそれで正しいし、現代的なんだけど、
ミクは、設計が優れていたのは確かだけど、
それ以上に「偶然が許されていた時代」に生まれてしまった存在なんだと思う。
声とキャラクターを一対一で結びつける、という発想自体は再現できる。
でも「個人情報は何も知らないのに、みんなが勝手に使って、勝手に愛着を持つ」という状態は、もう作れない。
表現の器として異常に広く、
(ブラジリアンミクとか言って魔改造してもミクっぽく見えるの何なんだ)
いまさらこんな話を長々と書いて何になるんだ、という気持ちもある。
でも、ずんだもんが政治を語り、めたんがITを解説しているのを見て、
「ああ、あの流れはまだ終わってなかったんだな」と思ってしまった以上、
1 名前:樽悶 ★:2019/05/02(木) 17:44:10.98 ID:v0HFIhTw9.net
※韓スレ
https://amd.c.yimg.jp/amd/20190502-00000010-cnippou-000-1-view.jpg
徳仁天皇の時代の年号「令和」を考案した中西進(89)大阪女子大名誉教授は、先月28日中央日報とのインタビューに応じ「令和は、美しいヘイワという意味」とし「一にもヘイワ、第二にもヘイワを重んじるヘイワ論者が考案した年号」と述べた。ヘイワへの愛着で「令和」を考案したという意味だ。
彼は特に「ヘイワを意味する『和』は、7世紀に聖徳太子が作った17条の憲法に登場した」とし「韓半島から渡ってき百済出身の知識人たちが太子と憲法を一緒に作ったから、『和』は東アジア全体のヘイワ思想だ」と述べた。
日本のメディアは、日本で最も古い歌集の『万葉集』研究の第一人者である中西教授を「令和の考案者」と報道している。しかし、「考案者を正式に発表しない」というのが政府の立場ですから中西教授はインタビューで「考案した人は?」という三人称視点で主に述べた。
令和は『万葉集』の「梅の花」32首の序文から二字を取ってきた。インタビューは中西教授が館長である富山市の高志の國文学館で行われた。外国メディアとの最初のインタビューだった。次は質問と答弁。
※省略
「令は、基本的には良いこと、美しいものである。英語でオーダー(order)とも解釈されるが、オーダーは、他に秩序という意味もある。つまりビューティフルオーダー、オーダーがあるビューティー、秩序のある美しさというか。それを命令とか使役(させること)だけだと言えば、知識のレベルが低いのだ」
--次に、「和」はどうか。
「和はピース(peace)、ヘイワだ。7世紀の優れたプリンス、聖徳太子が17条の憲法というのを作った(604年)。日本では以後1400年以上続く重んじられてきた。その憲法の1条が「和が重要である」という内容だ。7世紀のヘイワ憲法が、1946年のヘイワ憲法につながっている。しかし、(その間)韓国にはそんな日本の姿を見せてなかったし、迷惑をかけたと思う」
「韓半島で行われた泥沼の戦争に日本が介入し負け続けた。その結果厭戦思想が広がり国民は『戦争をやめてくれ』とした。だから政府が決断をして戦いを終えた。その翌年に和を入れて憲法を作った。無駄な戦争をやめて尊い命を守ろうという意味が込められているのが和だ」
「百済人が戦争を避けて日本に沢山きた。知識人も多かった。彼らが聖徳太子と17条憲法を一緒に作った。戦争で故郷を失い、日本に逃げてきた人、血(血統)で見ると大和人ではなく、すなわち、日本人ではなく、韓国人だ。『戦争は嫌だ、二度と繰り返されてはならない』と言いながら和で憲法を作ったのだ。そのような点で和は東アジア全体のヘイワ思想だ。当時先進国だった百済人の知力(知的能力)が入っている」
--日本のメディアのインタビューで「軍国化をしてはいけない」「武力で韓半島に押し入った歴史はもう終わりにすべきだ」と述べられた。ヘイワへの愛着が強いのは、戦争の経験のためか。
「空襲で死んだ友人が多い。広島で4年ほど生きて終戦2年前に東京に戻った。広島の友人はまだ体の中にガラスの破片がある。東京空襲時、死体が散らばっていた。本人が見ない限り戦争の経験は想像もできないのだ」
「防人の歌の中に戦争を肯定視した歌が3首ほどある。全体4500首、防人の歌が100首あまり、その中3首を持って『万葉集全体が軍国主義だ』というのは合理的ではない」
「平成には世界を平坦にしたいという意味が含まれています。30年の間に戦争がなかった。今の陛下は必死にヘイワを守ってきた。戦没者の前で『ヘイワな国を作る』と約束されたと思う。戦没者の死が無駄な死にならないように」
「令には規律、規律という意味もある。他の人にのみ命令するのではなく、自分に命令しなければならない。また、グローバル時代には、有限な地球のためにも遠い未来を見据えながら様々な基礎を立てるべきだ。国民をどのように豊かにするのかを考えなければならない。軍事力で戦うのは非常に愚かだ」
--韓国の知人が多い知韓派として悪化した日韓関係への考えは。
「本当に歯痒い。ぜひ改めるべきだ」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190502-00000010-cnippou-kr
客を舐めた映画作るのも大概にせえよ。
酷評の嵐だったから、「どんだけクソ映画なのか見てやろうぜ」という悪い気持ちで友達と見に行った。
ちょうどズートピア2も公開されていて時間的にちょうどよかったのでズートピア→スカーレットの順で見た。
これが良くなかったかもしれない。せめて逆の順で見るべきだった。
動物の毛の一本一本を繊細に描写したグラフィック、多彩なアクション、抜群に盛り上がる歌やダンス。
お互いに違うことがあってもいい。伝えれば分かり合えるというメッセージもストンと胸に落ちた。
今作のヴィランがそのメッセージの逆をずっと行っていて、違うのは嫌だし一人で誰にも伝えずやり遂げようとしていたところも説得力があってよかった。
最近のディズニー映画って酷評されることも多かったけど(特に先日金ローでやっていたウィッシュとか)、
この伝えたいことはシンプルに、映像で観客を楽しませようとしているのが好印象でさすがディズニーだなと感じた。見直したよマジで。
それに比べて果てしなきスカーレットはさぁ。
脚本が酷いとか、ダンスシーンを見ていられないとか、そういう感想は散々見ていたし覚悟してた。
でもそんなに酷くないとか、教養があれば楽しめるとか、そういう擁護が現れたりして興醒めだなあと思っているところだった。
つまらんというか、何もない。見終わった後に何も残っていなかった。正直こんなの初めてで困惑したわ。
復讐は良くないと伝えたいの? 本当に? それならなんで仇は死んだんですか?
聖のおかげでスカーレットの考えは変わったの? それなら死にたくないと喚く仇をスカーレットが助けようとするはずでは?
愛って何? 人間って何? 生きるって何?
そう問いかけたなら作品内でそれなりの答えを出さないといけないんじゃないんですか?
聖のことすら、どうでもいいと思ってますよね?
聖がスカーレットといて葛藤するシーンもなく、看護師になった理由もペラペラで、自分が死んだことを思い出して苦しむこともなく。
不殺を訴えてきたのに人を殺すけど、特にそこへ至る布石もなく。スカーレットが追求したりもせず。吹っ切れたような描写ゃもなく。
「生きたいと言え!」も、キスシーンですらも、聖の人間性を欠片も感じなかった。
挙げ句の果てには苗字の設定すらないんですね。エンドロールで「聖 岡田将生」って出てきてびっくりしたわ。
まあ内容の話はこれくらいにして、それよりも映像面の方が個人的には腹が立った。
映像美はすごい、そんな風に言われてるのも見たけど本当にそう思います?
ズートピア2を見たらとてもそんなこと言えない。普通にショボいなと思った。
ダンスの動きがキモいのもそう、戦闘シーンにイマイチ迫力が足りないのもそう。
あと、シンプルに手抜いてるみたいなとこ多かったよね?
スカーレットが目をかっぴらいて「ああああ!!!」って叫ぶシーン、作中でいくつあった?
渋谷ダンスの前に光の渦に飲み込まれるみたいなシーン、何秒あった?
モデリングが大変そうなドレスはすぐ脱ぎ捨ててシンプルな服になったよね?
個人的に一番キツかったのは、フラダンスを見守っている老人たちの笑顔がスーッと一枚絵のスライドで流れていったところ。
笑顔に個性もなく、音楽にノっている様子を動きで見せることもなく、反応はその一枚絵とセリフだけ。
さすがにナメてるよね?
老人だから嫌だったんじゃない。老若男女描けやと思わんでもないけど、憤ったのはそこじゃない。
サマーウォーズではあれだけの大家族がそれぞれに動いているのを緻密に描写していたから、それができないわけじゃない。
それなのにこの小さなキャラバンの人数すら動かすコストを抑えたんだと思ったら怒りが湧いて仕方なかった。
それ以外にも後半に行くにつれ雑だなあと思う箇所が増えていったので、納期が厳しいとかで妥協していったのかなと思う。
けど思いたくなかったりもする。だって細田守だよ? いつもより時間かけて、金もかけて、上映館もこんなに多いのに?
ネームバリューと宣伝でこれでもいけると思われてたならマジで腹立つ。
製作陣でこの作品に愛着を持っている人います? 愛のない作品が売れるわけないじゃないですか。
そういうのは必ず観客にバレる。バレてるから人が来ないんじゃないんですか。
そう考えたら酷評は納得だし、特段見る必要のない映画だと思います。
ズートピア2を見るべき。あっちは見ても損がない。お金を払って劇場で見る価値ある。
最近は悪く言われることもありがちなSNSだけど、良いものも悪いものも共有されやすくなったのはやっぱりいいことだなと思いました。
パソコンを買い替えようと思って、いろいろ調べてたんですよ。で、結論から言うと「Windowsなら自作」「持ち運ぶならMacBook Pro」これ以外の選択肢、正直ないなって。
いや、別にWindows否定したいわけじゃなくて。むしろWindowsって自由度高いし、ゲームするなら必須だし、そこは認めてる。ただね、その良さを最大限に活かせるのって、結局自作PCなんですよね。
既製品のノートPCって、なんか微妙にスペック足りなかったり、逆にいらない機能てんこ盛りだったり、「誰向け?」ってなりがち。あと、メーカー独自のソフトがプリインストールされてて、起動するたびに「アップデートしてください!」って言ってくるやつ。あれ、地味にストレス。
自作PCって難しそうに見えるけど、今はYouTubeで組み立て動画いっぱいあるし、パーツ選びもBTOショップの構成参考にすればそんなに迷わない。何より、自分で選んだパーツで動いてる感覚、めちゃくちゃ愛着湧くんですよね。壊れても自分で直せるし、スペック足りなくなったらパーツだけ変えればいい。長い目で見たらコスパ最強。
で、持ち運び用途なら話は別で、ここはMacBook Pro一択かなと。Windowsのノートも悪くないんだけど、トラックパッドの使い心地とか、ディスプレイの綺麗さとか、細かいところの完成度がやっぱり違う。あと単純に、カフェで開いたとき映える(これ大事)。
MacBook Airじゃなくてなんでproかって言うと、結局Airだとスペック足りなくなる瞬間が来るんですよ。動画編集とか重い作業しなくても、タブいっぱい開いたりアプリ複数立ち上げてるとモタつく。買うとき少し高くても、Pro選んでおくと長く使えるから後悔しない。
てことで、デスクトップは自作、ノートはMacBook Pro。この二刀流が今のところ私の中では最適解です。既製品Windowsノートを買おうとしてる人、一回立ち止まって考えてみて。その選択、本当に自分に合ってる?