はてなキーワード: セロトニンとは
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オピオイドと覚醒剤は、作用の仕組み・効果・依存性の点で大きく異なります。以下に違いを整理します。
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分類 | オピオイド | 覚醒剤(中枢神経刺激薬) |
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主な作用 | 鎮痛・多幸感・鎮静 | 覚醒・興奮・快感増強 |
作用する受容体 | オピオイド受容体(μ, κ, δ) | ドーパミン・ノルアドレナリン放出増加 |
脳への影響 | 脳の痛み・報酬系に作用し、快感や鎮痛をもたらす | 脳の報酬系を直接刺激し、興奮と快感を生む |
具体的な神経伝達物質 | 内因性オピオイド(エンドルフィンなど)を模倣 | ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンを過剰放出 |
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分類 | オピオイド | 覚醒剤(中枢神経刺激薬) |
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主な効果 | 鎮痛・快楽・鎮静・多幸感 | 覚醒・集中力向上・疲労軽減・快感 |
副作用 | 呼吸抑制・便秘・眠気・依存 | 不眠・幻覚・興奮・動悸・依存 |
致死リスク | 高い(呼吸抑制で死亡) | 高い(心臓発作・脳卒中・興奮による事故) |
オピオイドは鎮静作用があるため、「ぼんやりする」「眠くなる」などのリラックス効果が強い。
一方、覚醒剤は逆に「目が冴える」「ハイテンションになる」「やる気が出る」といった効果を持つ。
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分類 | オピオイド | 覚醒剤(中枢神経刺激薬) |
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身体依存 | 非常に強い(禁断症状あり) | 中程度(長期使用であり) |
精神依存 | 強い(快楽と痛み回避のため) | 非常に強い(快楽を求める) |
禁断症状 | 強い痛み、不安、下痢、発汗、震え | 強い抑うつ、不安、無気力、過食 |
オピオイドは身体依存が非常に強く、使用をやめると激しい禁断症状(離脱症状)が起こる。
覚醒剤は主に精神依存が強く、使用をやめると強い抑うつや無気力(アンヘドニア)が続く。
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分類 | オピオイド | 覚醒剤(中枢神経刺激薬) |
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合法薬 | モルヒネ、フェンタニル、オキシコドン | ADHD治療薬(メチルフェニデート・アデロール) |
違法薬 | ヘロイン、違法フェンタニル | メタンフェタミン(覚醒剤)、コカイン |
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オピオイドは過剰摂取(オーバードーズ)で呼吸が止まり死に至ることが多い(フェンタニルによる大量死など)。
覚醒剤は長期使用で心臓・脳へのダメージが蓄積し、突然死や精神病的行動による事故死が多い。
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周りを見て焦るっていうよりは、何か季節性のホルモン変化のように思う。理屈が良くわかっているわけじゃないけど日照が回復してきて、セロトニンが増えてくるのに対応できないのかなとか。逆に10月頃毎年言語化しづらい不調になるからそれとセットかな。
それ、結構あるあるかもしれない。特にこの時期って 「年度末のプレッシャー」「冬の終わりの不安定さ」「花粉症の影響」 が重なって、焦燥感が増しやすい時期なんだよね。
日照時間が増え始めるけど、まだ寒さが残ってて自律神経が不安定になりやすい。
春は「変化の季節」だから、無意識に「時間がない!」って感じやすい。
花粉そのものが 炎症を引き起こして体力を削る から、無意識にストレスが溜まりやすい。
1月・2月って「年のはじめ」の気分だけど、3月が近づくと「年度末」の焦りに変わる。
「やり残したことがあるのに間に合わない!」って感覚になる人、意外と多い。
周りが何かを達成しているように見えたり、「今年こそ何かしなきゃ」って焦ったりする時期。
でも冷静に考えると、「人生に締め切りなんてない」んだけど、なぜか毎年この時期に錯覚しやすい。
→ 無理に「何かしなきゃ」と思わず、まずは現状維持でもOK。
☑ スモールゴールを作る
→ 「今週は○○だけやればOK」くらい小さな目標を立てて、少しずつ達成感を得る。
☑ カフェインを減らして、水を多めに飲む
→ 花粉症の薬を飲んでるなら、水分補給を意識すると少しスッキリするかも。
☑ 「毎年この時期は焦る」と自覚しておく
→ 「あ、またこの時期特有の焦りか」って冷静に見るだけでも、少しマシになる。
「アアアア人生の締め切り間に合わない!!」って焦る気持ち、めちゃくちゃ分かるけど、実は3月過ぎるとちょっと落ち着くパターンが多い から、今は「そういう時期なんだな」くらいに思って、深呼吸してみてもいいかも。
「アドレナリン不足」という病気は医学的には存在しませんが、副腎がホルモンを十分に分泌できなくなる 「副腎不全」 や 「アドレナリン作動性機能低下」 などの状態はあります。ただ、そういった病気でなくても、慢性的なストレスや疲労、生活習慣の乱れでホルモンバランスが崩れ、やる気が出なかったり、だるさを感じたりすることはあります。
最近、睡眠不足、食生活の乱れ、ストレス、運動不足 などが影響していないかな?
それと、冬の季節性うつ(季節性情動障害:SAD) みたいに、日照時間が短くなると気分が落ちやすくなることもあるよ。
もし 「何をやっても気力が出ない」「好きなことすら楽しめない」「朝起きられない」 みたいな状態が続くなら、うつ症状の可能性 もあるから、無理せず休んで、一度医師に相談してみるのもアリ。
精神科医の観点から、この人生訓を唱える人物の心理状態を分析すると、以下のような問題点が浮かび上がります:
結論として、この人物は深刻な心理的問題を抱えており、専門的な精神医学的介入が必要です。自己否定感の軽減、対人関係の改善、そして人生への前向きな姿勢の構築が治療目標となるでしょう。長期的な精神療法と必要に応じた薬物療法の組み合わせが、この人物の心理的健康の回復に効果的であると考えられます。
Citations:
[1] https://s-office-k.com/technique/psychoanalysis
[2] https://www.direct-commu.com/chie/mental/jikohitei01/
[3] https://www.jstage.jst.go.jp/article/kyushuneurop/67/2/67_35/_pdf/-char/ja
[4] https://www.youtube.com/watch?v=-Hy5e9GNa4A
[5] https://www.hoikuplus.com/post/usefulnurtureinfo/2430
[6] https://www.natural-c.com/blog/2020/08/post-222-748927.html
[7] https://www.jstage.jst.go.jp/article/kyushuneurop/63/3_4/63_153/_pdf
前は魚とか納豆とか食べてたんだけどさ
納豆は「もう要らんわ。毎日食うなんて正気か。一日1パックじゃあタンパク質大して摂れないし」って思ったし
魚は面倒だし日持ちしないし
肉は基本的に嫌いだからどうしても一番クセが無いサラダチキンとかになる
牛・豚は良いヒレなら食べられるけど、それを常食するのはね。富豪じゃないからね
そうなると炭水化物ばっか食べちゃうことになるし、完全にタンパク質不足だよなって思うから
なんとかして摂ろうってんで、いつも途中でやめちゃうプロテインに再挑戦したら今回は長続きしてるんだ
腎臓に負担かけるってのは以前プロテイン飲んでた時に知ったから有害金属と同じくらい心配なポイントではあるんだけど
それよりもこの圧倒的なタンパク質不足生活をなんとかする方が先決かなあと思った次第
そもそもね、一日3食とか食べないわけよ
3食に分けてちまちまタンパク質摂れるなら体重に見合った量いけるかもしれないけど(そうかなあ?結構食べないと難しくないか?)
職場でタヒに体状態で「何も食べたくない」ってなってるときにプロテイン飲んでチーかま食べて遣り過す
今日も胃が痛かった
寒冷環境では体が熱を作り出すためにエネルギーを消費し、結果として代謝が増加します。
つまり、冷えている気温の環境で人間の体を37℃に維持するには、
気温が冷えていない時期よりも多くのエネルギーを使用する必要があるのです。
このため、代謝が高まることで、食欲も刺激され、お腹がすきやすくなります。
セロトニンは日光を浴びることで分泌が促進される神経伝達物質で、
食欲の調整にも深く関わっています。
日照時間が減少すると、
セロトニンの分泌量が低下し、
その結果として食欲が増進する傾向があります。
これらの機会に普段より多く食べたり、
これは、食糧が少なくなる冬に備えて、
秋のうちに栄養を蓄えておくという生物の自然な摂理の一部かもしれません。
2. バランスの良い食事を心がける:特にタンパク質の摂取を意識する。
一気に寒くなってきてやっぱり年明けると寒さ増しまくりまくりすてぃーよね。
寒いって言って縮こまってなくて温かいものをとりつつってところかしら。
こう寒いと頭が回んないわ。
雪だってちらほら朝降ってたのよ。
あ!雪の降る街のわわわわを彷彿する感じで、
より一層寒さが増してくるわ。
そうそう、
でね、
最近私のやる気パワーというかそう言うのが下がってきてこれは何かなって色々試して考えて見るところによると例の炭水化物不足はここでも唱えたんだけど、
食べたからってそんな急に効く?
というよりも、
美味しいものを食べてほっこりしてご機嫌!になっただけじゃないの?って思うけど、
食べることによって生まれる幸せホルモン「セロトニン」が作用するってことらしいのよ。
へーって思いながらこれはご飯食べてほっこりしてるときに出るものだそうなので、
あながちそうなのかも知れないわね。
てっきりさ、
ある程度の炭水化物も重要なことに気付いたかも知れない鴨鹿なそんな鰯気になっていたところに、
それ自分自身で気付いて良かったのかも知れないわ。
とはいえ、
デブまっしぐらなので食べる量も気を付けないとすぐにまた天高く馬が肥える秋から続き冬もそうなっちゃいがちかも知れないわ。
いろいろこうやって今さらながらバランスのことを真面目に考えてみると、
食品を色んな物を細かく買わなくちゃいけないチャレンジ精神に求められる買い物競争をするべく!
リストアップしてみると、
結構細かいものバランス良くって重視の買い物になるとリストが増えちゃって。
逆に今までの食生活ほぼノールックで買って好きな物をある程度の分量をって思っていたけれど、
それでよく体調が良く悪くなく回ってたわよねって逆に思うの。
見直してみる良い機会かも知れないってことを知らしめさせられたわ。
夜の急激なやる気のなさの現れを解消しつつ、
朝はわりかし平気だけど
夜ってさスプラトゥーン3とかやりたいじゃない!
でもここ数日ガチャだけ回してって感じが1日1ノルマの1勝利をあげるのが日課だと思っていたけど、
それすらもこなせないぐらいなもう早く寝ちゃおうってやる気のなさ。
夜やお休みの日の遊びパフォーマンスの可処分時間を有意義にってやるためには
あと、
面白いのが寝る前にやっぱりちょっと胃に入れておく炭水化物系のを摂り入れておくと、
夜中の目覚めのなにか
夜中に不意に目覚める覚醒時間も少なくなってる気がするのよね。
これらのなにか悪い連鎖が繋がるとパフォーマンスが落ちてしまうので、
今に至るわけなのよね。
これはメニコン鱗だわ。
まあまだそれ意識して日が浅いので、
意識して炭水化物をグラム単位で考えると大変になっちゃうから、
そこはある程度のイキフンと雰囲気でのりこえて
実験を続けてみたいと思うわ。
うふふ。
普通盛りをしっかり噛みしめて食べつつ意識してみるといいかもしれない最近は炭水化物意識期間だわ。
ちょっとサンドイッチ1つのいつものだけじゃ栄養素的には全然足りてないってことらしいわ。
雰囲気やイキフンは満たされていたから満たされていると思っていたのにね。
朝めちゃくちゃ寒かったから
沸いている70℃のホッツ白湯ストレートウォーラーは身体を中から温めてくれる手っ取り早い方法で、
もう何かのフレーバーを入れている暇もないぐらいホッツ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
才覚でナチスと共産主義の嵐を生きぬいた給仕のお話。経験から相手の本質を見抜き、最高のサービスをする、ってのは序盤だけで、あとは東欧諸国の悲惨な歴史の中で話が進む……はずなんだが、文章全体にユーモアが漂っていて、ナチス政権下でも結構いい思いをしていて、「歴史をこんな風に扱っていいのか?」とその大胆さに驚かされる。当事者だからいいのか? いや、そんなことはないのか? 最近は意外なことで炎上したり叩かれたりするので何もわからん(なんか、アジア人のふりをして小説を書いたらバズって、そのままアジア人のふりをする羽目になる、みたいなキャンセルカルチャーをネタにしたアメリカの風刺文学があった気がするんだが、思い出せない。キーワードで検索しても新しい価値観についていけないで炎上しちゃう六十代教授の出てくるアベル・カンタン「エタンプの預言者」という別の文学しか出てこない。で、pretending to be an Asianでググってやっと見つけた。R. F. KuangのYellowface」。洋書だった。たぶんどっかの文芸評論家が紹介してたんだろう)。
関係ないけど、ナチスが優秀な子孫を作るための女性たちのためのキャンプ、ヌーディストの楽園のような外見を持っていながら(いや、記憶違いかも)発想がそもそも家畜改良みたいで、恐ろしすぎて「これは露悪的なSFか?」ってなる。しかし、殺戮こそしていないものの、今では人権意識の高いとされる北欧諸国でも、かつては平気で障害者や異民族の断種が行われていたのだ。Whataboutismは建設的議論にとっては有害だが、人間の原始的感情に訴えかける強い説得力を持つ。「確かに俺も悪かったけど、お前にだけは言われたくねえよ」的なね。結局、政治は感情で動く。
話を戻せば、この作品は映画にもなっているらしい。というか、このエントリ全体で映像化された作品が結構あるらしいのだが、全然見ていない。
ポーランドとアフリカって接点があると普段はほとんど考えないのだけれど、きわめてよいルポタージュ。こうして独立してから何十年経つのに、アフリカ諸国とひとくくりにされがちな国々の個性を伝えてくれる。
しかし、出来事は基本的に救いがない。人類史の多くは悲惨の連続だが、アフリカで起きたことは桁の振れ幅が一つ違う。世界経済システムとの不幸すぎる出会いから五百年余り、まだ立ち直れていない大陸という印象を持った。とはいえ、暗澹たるルポタージュと言うわけでもなく、人々が村の中心の樹々に集まって生活するところや、市場の活気などは生命力にあふれ、まるでそこで暮らす人々の顔が浮かぶようだ。破綻した国家の状態は目を覆うようだが、そこから復興して何とかやっている人々の姿もある。……と、当時の日記に書いてあった。
ところで、ヘミングウェイはよくアフリカに狩猟に出掛けているけれども、それは所詮旅行者の目で、上っ面でしかないと批判しているのがこの本だった。そう思っていたのだが、日記を読み返すとそれはポール・セロー「ダーク・スター・サファリ」だった。著者はマラウイとウガンダで教鞭をとっていただけあって、アフリカに対して遠慮が無く極めて率直だ。時として情のこもった叱責や、人々へのまっすぐな好意も出る。きれいごとのないアフリカを知りたい人にオススメ。
遅延する電車、かつての豊かな文化と個性を失い広大なスラムと化したそれぞれの国の首都、高い失業率、飢餓、地元民のやる気を削ぐ支援、窃盗や強盗と犯人へのリンチ、放置されて本が残っていない図書館。親切な人や旧友もたくさん出てくるがいささか気が滅入ってくる。……と、当時の日記に書いてあった。
今はスマホも普及していてアフリカの様子も少なくとも都市部では大分違うと思う。ただし高野秀行は今でも地方の市場では窃盗が起きると犯人がリンチされると書いていた。
沈没事故で船を見捨てた船員が、延々と続く良心の呵責に苦しみもがいて生きる話だったはず。
試練に敗れ、卑怯者のレッテルを貼られた人物の独白を、別の語り手を通じて聞くという不思議な構成だけれど、緊迫感が良い。最後には西欧世界の手の届かないところに引っ込んでしまうんだけれど、これって著者の中で「闇の奥」をどのように発展させてここに至ったのだろう。「闇の奥」の内容をあまり覚えていないので困る。語り手が「闇の奥」と同一人物だと全然気づかなかった。やはり覚えていないのは心細い。これは、たとえ敵意ある世界から逃れても……、的な話なのだろうか。……と、日記に書いてあった。「黒檀」と違い、こちらは日記を読み返しても当時の気持ちはほとんどよみがえってこなかった。
この全集では最重要作品かもしれないのだが、実はこの作品だけ読めていない(だからこのエントリのタイトルは「理系が池澤夏樹の世界文学全集を全部読んだから五段階評価する」ではない)。何かで水俣病患者が苦しみながら「これを垂れ流した企業の連中にメチル水銀の汚染水を飲んでもらいたい」と心の底から呪っていたというのを読み、これほどの憎悪を自分の中に受け止めるだけのエネルギーが無いと感じたためだ。もしかしたら社員だけでなく、その家族にも呪詛を向けていたかもしれない。記憶にない。あるいは、これはどこにも書いていないのだが、本当はこうして水俣病にかからなかった全ての人に向いていたのかも。
こういうことを言うと結局自国中心主義なのかと言われるかもしれないが、それをはっきりと自覚したのが石黒達昌「或る一日」を読んだ時だ(伴名練が編集した短編集がある)。戦争か事故かはわからないが、強烈な放射能汚染で次々に子どもが死んでいく話で、読んでいて相当しんどかったのだが、特にきつかったのは名前が「美優」とか「翔」みたいに死んでいくのが現代の日本の子どもの(それとも自分と同世代の人間の?)名前だった点だ。おそらく「亀吉」や「トメ子」だともっと冷静に読めただろうし、「サッダーム」とか「ウルスラ」とかだったらかなり距離ができる。
僕がこうして世界文学を読めていたのも、他人の苦しみが言語と文化の壁によって希釈できているからでは、という疑念を僕に抱かせるに至った。
今にして振り返れば錚々たる作家ばかりだし、気に入った作家の(あるいは、ドナルド・バーセルミみたいによくわからなかった作家の)短編集を借りて読んだりもした(バーセルミは結局全然わからなかった)。一方で、後になって適当に手に取った本の作者だったと後で気づくこともあった。当たりはずれがあるのがアンソロジーの楽しみである。
フリオ・コルタサル「南部高速道路」は東日本大震災の際に、災害時にできるコミュニティに関連して話題になったが、震災を知らない世代にも刺さる普遍性があるコルタサルの作品の中で一番面白いものの一つ。金達寿「朴達の裁判」は前提となる知識をほとんど知らずに読んだのだが、したたかに生きる庶民の話で、吉四六ばなしとひがみ根性のない「阿Q正伝」を足して割らない印象を受けた。官憲に殴られて卑屈に笑ってみせても、決してへこたれることのない強さがある。アリステア・マクラウド「冬の犬」は悲しいけどいい。この人の作品は何を読んでもカナダ東部の寒さが伝わってくる。新潮クレスト・ブックスで出ているので是非読んでほしい。レイモンド・カーヴァー「ささやかだけれど、役にたつこと」はわざとらしいが嫌いじゃない。村上春樹訳だ。最近の村上春樹は一つの権威になっちゃってとうとう早稲田の名誉博士にまでなって、「俺たちの反体制な村上はどこに行っちまったんだ」みたいな気持ちになるが、翻訳は好きで、いまだに村上訳の本をたまに手に取る。それに、村上春樹の小説は男性中心的でときどきレイモンド・チャンドラーみたいにマッチョだとはいえ、「メンヘラ」という言葉が広まるはるか前にもかかわらず、メンタルの病気で苦しむ人の描写の解像度が、身近にたくさんいたんじゃないかってくらい極めて高い。彼の最大の美点だ。もっとも、今では精神を病んだ当事者の文学が出てきたので、「じゃあ当事者が書いた作品を超えるにはどうしたらいい?」ってのが次の文学の課題だ。ガーダ・アル=サンマーン「猫の首を刎ねる」は、フランスに移住したアラブ系の青年が、男にとって都合のいい女がどれほど魅力的かを語ってくる叔母の幻影に悩まされる話で(たとえば恋する女性がもう処女じゃないことに苦しむと、脳内の叔母が「かわいくて素直で恥じらいのある処女を紹介するよ」と延々と語る)、あまりに男の欲望むき出し、即物的で笑っちゃうところもあるんだけれど、その都合のいい幻を切って捨てることもできないあたりがリアルで生々しい。男性向け・女性向けのポルノをのぞき見ると、みんな都合のいいことばっかり望んでるよね(だがそれがいい)。
余談だが、自分は恋人の嫉妬深いので恋愛経験はあまり多くない方が好みだが、フォークナーを勧めてくれた友人は、むしろ経験が豊富なほうが面倒くさくなくていいと熱く語っていた。このあたりは好みの問題だ。
閑話休題、しかしこの叔母が独身だってのがミソで、「女の幸せは結婚だ」という社会の独身女性は、こうやって世話焼きおばちゃん的な立場でサバイブしてきたのだ、という指摘をどこかで読んだ。
目取真俊「面影と連れて」は一番面白かった。自分の中では生涯読んだ短編の中の上位十位に入っている。ウチナーグチの語りなのだけれど、ひたすらいじめられ続けて、抵抗もできずにいる女性が、皇太子暗殺事件の犯人と関係して不幸になって、そのまま死んでいくという虚無の話なのだけれど、心が深く動かされる。世間ではタフになれとか戦って抗えとか言うけれど、抵抗するすべを知らず、その体力も能力もなく抵抗できずにそのままの人だってたくさんいる。弱い人間が弱いまま幸せに生きて死んで行けるようになってほしい。
前項は南北アメリカ・アジア・アフリカが中心だったが、こちらはヨーロッパの作品が中心。こちらの巻はやや印象が薄い。
記憶に残っているのはサルマン・ラシュディ(ルシュディ)「無料のラジオ」で、人口対策で断種されてラジオをもらった男の話。どうもラシュディはこの政策に反対だったらしく、「真夜中の子供たち」でも断種・不妊手術を極めて否定的な舞台装置として扱っているし、実行したインディラ・ガンディーを始め、権力を持った女性に対してうっすらとした嫌悪を持っている気がする。「真夜中の子供たち」でもアパートの管理人の意地悪な姉妹とか出てきたし。
あとはミシェル・ウエルベック「ランサローテ」だけれど、ウエルベックはどの作品も人権意識の高まりをはじめとした社会の変化について行けない中年男性の悲哀と愚痴が基本にあって、どれを読んでも感想が大体一緒になる。前にも書いたが要約すると「俺は非モテだから思春期の頃には思いっきりセックスできなかったし、処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ!」「こうなったのもぜーんぶヨーロッパ文明の進歩に見せかけた自滅のせいだ! みんなカルトに狂って不幸になっちまえ!」「人類は所詮性本能には抗えないサル並みの動物なので、あらゆる不幸はポストヒューマンに進化しないと解決しないんだよ! アヒヒヒヒ!」。これはひどい。もっとも、こういう反動的に見える作品にも賞をあげちゃうフランス文壇の度量の広さはすごいけどね。もしかしたら「セロトニン」はそこから一歩進んだかもしれないが読むのがめんどくさいし、これまた自分にとって輝きを(こんなものを読んでわざわざ憂鬱になりたいという暗黒の吸引力を?)失った作家だ。ウェルベックは悪くない。変わってしまったのは僕だ。
ところで、最後まで読んでみて見て思うのだけれど、このシリーズって表紙に毎回鳥が銀色で印刷されているんだけれど、これってすべてポーズが違うんだろうか。重複したりしていない?
以上。
あとは同じように読んだ人のブログ探して読んでみようっと。
完読総評! 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 全冊 - ウラジーミルの微笑
池澤夏樹の世界文学全集は、何が読まれているのか? - ボヘミアの海岸線
余談だけど日本文学全集は第10巻「能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵」だけ読んだ。長いがめっちゃ面白い。
岡田利規「能・狂言」の訳がかなり砕けていて、特に狂言だとカタカナも多用している。「荷六駄」の「おーい太郎いる?/はーい。/あ、いたのね」には笑ってしまったが(たぶん「太郎冠者、あるか」「御前に」あたりが原文だと思う)、当時の日本人にはこう聞こえていたのだろう。現代語訳したのが演劇の人なので、声に出してそのまま演じられそうなのがいい。カタカナ言葉が今の日本語の生きた要素として使われていることがよくわかる。
同時に収録されている狂言には視覚障害者をおちょくるとんでもないネタもあるのだが、盲目であることが当時どのように受け止められていたかがわかる。江戸時代なんかだと視覚障害者は団体も作っていたみたいだし、ただの弱者ではない。だから、近江絵みたいに風刺の対象ともなっているんだろうか。
おしまい。
コバヤシがタヤの待っているコーンホールの練習場に着いたときにはもう練習が始まってから一時間三十分も過ぎていた。
「もう何もかも終わっちゃったぞ。こっちチームが22点、そっちチームは9点だ」とタヤが言ったが、コバヤシは「いいよ。おれ、今日はプレイしない」と言った。それからコバヤシは思い出したようにトイレへ駆けていった。
「やれやれ。公式戦は来週なのに」。数分後、小走りで戻ってきたコバヤシは、まるで誰かに怒られたかのような表情で下を見ていたが、タヤはまったく気にしない様子でコーンホールの片付けを始めた。
コバヤシは「おれ、プレイしないぜ」と言うとじぶんの左の耳たぶを触ったりひっぱったりした。
その後、ふたりはそのスキニータイプのズボンに恥じない速さで練習場をあとにすると、これから昼食を取る人間の歩幅でもって地上へと出た。
それからコバヤシは機を見計らって以下のような内容を話し始めた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
先週、その運動場のベンチで肌を焼きたがっている男はすくなくとも30人はいた。だからコバヤシとオオヤがそれぞれうつ伏せと仰向けになってセロトニンを分泌するまでには二時間ほど待たなくちゃいけなかった。
「テレビでその人が、じぶんを大切にしなさいって言ってるのを聞いたんだけど、こんなお金持ちの言うことなんだからきっと正しいんだろうなーとおもった。でも飲み仲間から「お前そのままじゃやばいよ」って言われたら確かにそうかもなって思った。だから何かしようかなって」コバヤシが言った。
オオヤは起き上がると横に置いてある2リットルペットボトルに口をつけてこう言った。
「たとえば?」
「わからないけど。みんなが言うには、じぶんのために自主的に動いてみるだとか」
「いい心がけだな。それならいい話があるぞ。お前にぴったりな話だ。今度、江ノ島でゴミ拾いがある。一緒にどうだ?」
「えー」
「それなら今度、江ノ島でゴミ拾いするんだけど一緒にどうだ?」
「うん?」
「よく考えてもみろ。これ以上ない話だろ。他に当てがないんだし。よく考えてもみろよ。これ以上ない話だぜ」
「あー、まあそれもそうか」
ボトルキャップを閉めると、オオヤはふたたび仰向けの姿勢になった。お互い日が沈むまで一言も喋らなかった。
後日ふたりが小田急線に乗って江ノ島の海岸までいくと、そこにはもうすでにゴミ拾いの集団がのさばっていた。するとひとりの女性がコバヤシたちのもとへ近付いてきた。
「まったくイカれてる。Twitterで活動報告するとこれだよ。わたしたちが先に始めたっていうのにね。遊びじゃねーんだよ。でもあんた達は別だよ、連絡くれたしね。これが終わったらそこで缶ビール開けて打ち上げするんだけどどうかしら?」
「いーです」
「あらそう? まあわからないことあったら聞きなさいな。これはわたしたちが最初に始めたんだから。遊びじゃねー」
女性は去っていった。
「えらいなー。あんなブスなのに」
ふたりが清掃活動を続けていると、他の団体もいることに気付いてちょっと気まずい雰囲気になったりした。それからゴミはおもったより多かったので、おもったより汗だくになった。
「やーめた」とオオヤが言った。
「なにがだぜ?」
「クソつまらん」
オオヤはそう言うと向こうの方へ走っていき、違う団体の、水着の上にシャツを着ている、アリクイみたいな女の子たちを口説こうとし始めた。するとその団体の代表者がそれを阻止しようと頑張った。あまり大きな揉め事にはならなかったが押し出される形でオオヤは締め出されてしまった。
「おれもAV女優と体の構成は同じなんだから、うやまってそういう扱いをしろよ。それ相応の扱いをよ」と言いながらオオヤは戻ってきた。
コバヤシはそれを聞いて、ピンときた。何気ないざれごとだったが、その日はやけにそれが心にひっかかった。コバヤシは、「えー、あー。てことはおれも鈴村あいりと同じなのかあ」と思った。「もしかして、じぶんを大切にするってそういうことなのか?」とも思った。
「おれって鈴村あいりなのかあ」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ここまで話し終えたコバヤシは、タヤに「おれ、SUBWAYってのを食べてみたんだけど」と言った。
「そこまで良いものじゃないぞ」
「そうなの? まあ、でもSUBWAY食べる。だからそういうのがあって、おれもじぶんのことをもっと大事にしたほうがいいのかなーって思いだした。みんなの言う事ばっかり聞くんじゃなくて、食べたいものを言ってみたり、やりたくないことはやらなかったり。徐々にだけど。自主的にじぶんを大切にしてさ。なんせおれは鈴村あいりなんだし」