はてなキーワード: こはちとは
なんか、みんな自分の好きなジャンルのランキングつけてて楽しそうなので俺もやってみる。
会社がリモートになってから、がっつりサウナにハマって(今は身体考えてほどほどにしてる)、
あんまり出社しなくて良い&社外秘とかのセキュリティに関係がほぼない仕事ってのもあって、
今は週2くらいでは都内のどっかの銭湯で風呂入って仕事してる。
そんなわけで、俺の個人的なコワーキング銭湯ランキングをつけてみる。
ここに上がってないのでオススメあったら、マジで教えて欲しい。新しいところ開拓したい!
第5位 花景の湯(よみうりランド)
よみうりランド併設の温浴施設。最近できたばっかりなのでめちゃくちゃ綺麗。
ここの売りは山に向かって広がる絶景の露天風呂。もうとにかく最高に気持ち良い。
露天風呂ランキングだったら、圧勝でここが一番。コワーキングスペースは横並びの個別席で6席ほど。
基本的には遊びに来る人しかいないので、今のところはそんなに席が埋まることはない。
前までは岩盤浴(有料)を利用しないと使えなかったが、今は3席くらい一般ユーザにも開放された。
コワーキングやってると浴衣なので冷えてくるんだけど、時々岩盤浴で温まってチャージとかすると捗る。
飯が美味しいのも最高。料亭監修のメニューがあって力入れてる。
まあ、それでもここでしか得られない成分はある。
第4位 「ROOFTOP」&「LIFEWORK」(西荻窪)
西荻窪駅近くのコワーキングスペースが運営しているサウナ。
薄暗く落ち着く広いサウナと、20席以上は余裕である外気浴チェアが魅力。
コワーキングスペースがメインの業態ということもあって、デスクが無茶苦茶(多分50席以上)ある。
そして、転れる漫画スペースやフリードリンク、ちょっとしたお菓子といった至れり尽くせり。
仕事用のブースもあるので、オンミしたい時とかにも使いやすい。
私語禁止ゾーンとかも設定されてて、今一番勢いのあるコワーキング銭湯グループ。
少し若い人&カップル比率が多めでおっさん一人だとちょっとだけ居心地が微妙。
第3位 かるまる(池袋)
池袋で話題になったハイレベルサウナ。サウナ、休憩、食事と全部がクオリティが高い。
サウナは外気浴あり、フィンランド式の薪サウナありと、まぁサウナ好きなら文句なし。
コワーキングスペースもオンラインでミーティングできるゾーンと
特に作業スペースの机がでかいので、色々と広げながら作業してても余裕。
男性専用&私語は基本NGなのでうるさくないのもとても素晴らしい。
欠点は値段が他のところよりも少し高いので、ちょっとプチ贅沢になる。
あとは、オンミスペースが区切られてないので、そっちで作業すると少しうるさい。
横浜でヘビロテしてるコワーキング銭湯。来年の3月でリニューアル閉館ということを聞いて大ショックを受ける程度には、よく行ってる。(代わりは同じく横浜のスカイスパなんだろうけど、今でも混んでてほとんど席を取れないんよな…。)
特筆するべきはコワーキングプランの2200円。これは相当にやすい。
都内の普通のコワーキングスペースだって3000円/終日以上するところがほとんどなのに、
風呂とサウナがついて2200円は破格。そして、コワーキングユーザを増やすことを念頭に置いているので
席が個別になっている。窓際の外の明るい日差しが入りながらの作業は格別に楽しい。
漫画も程よく(本棚3つくらい)置いてあって疲れた時にちょこっと読むのに良い。
金曜日は(フードを頼めば)ワンドリンク無料とか、700円でドリンクバー(ちょっと高いけど)付けられたりするので
一日いるのに快適にいられる。風呂も広い温泉でサウナも大型のドライサウナ。
露天風呂に外気浴と、一通り全てのものが揃っている点も素晴らしい。
欠点はご飯がおいしくないこと。隣の長岡食堂(美味しいラーメン屋)で大盛り食って、夜まで頑張ってねばる必要がある。
栄えある第1位は両国の江戸遊。コワーキングするための究極の銭湯と言って良いだろう。
男性フロアにコワーキングスペース20席以上、女性フロア(は行ったことないから知らんけど)にもあるらしい。
共通のフロアにもテーブルがあったりと、とにかく作業がやりやすい。
椅子席、座布団席、ミーティングできる個室(5〜6人で入れる)と、もはや風呂のあるオフィス。
4000円以下で宿泊もできるので、もうどうにもらなんので泊まって仕上げる!ムーブとかもできる。
サウナも高温/低温でちゃんと2つ。温泉ではないものの、露天には薬湯があって火鍋みたいな臭いのする強烈な湯がある。
それが最高に温まって病みつきになる。会員になるとデフォルト結構割引されるし、
そして、ここはご飯もうまい。俺は毎回焼き魚定食を愛しているが、大戸屋とかと同じレベルくらいのクオリティがある。
男性専用ではないので、パートナーと一緒にきても楽しめるし最強銭湯である。
欠点はほぼ思い当たらないんだけど男性フロアのトイレが1個しかなくて、利用者が集中するので若干汚れがちなのが
気になるくらい。(掃除の頻度上げて欲しい)
みんなもおすすめあったら教えてください。。
<今回の選外>
・HOME | MONSTER WORK&SAUNA(吉祥寺)※未来訪
<追記>
おおたかの森は近くに打ち合わせに行った帰りに風呂に寄っただけで、仕事はしたことなかったから今度行ってみる。ありがとう!
ちなみに同じ系列の中山の「横濱スパヒルズ竜泉寺の湯」も良いよ(サウナばかデカくて圧巻!)。
コワーキングスペースは、岩盤浴の中にあるから注意な。
子供が走り回ってて&ギャン泣き、増田的には仕事どころではなかったよ。
平日だと違うのかもしれないけど。
同じように「RAKU SPA鶴見」もいいんだけど、子供多すぎ。
・キンクイどう?
風呂は楽しい。サウナもすげー楽しい。飛び込める水風呂も気持ち良いし。
総じてクオリティ高いので良いと思う。
ここも子供が多いのと、あと遠いのが難点かな。あとはカウンター机だけで、デスクが無いんよね。
(追加)ブコメで成金趣味って書いてる人いて、なるほどと思った。なんか設備はいいんだけど、イマイチ雰囲気が好きにはなれないのは俺の気のせいかと思ったけど、確かにあのセンスが苦手なんだと気づいたわ。(同系列のスパジアムジャポンにも同じ感覚がある)
・TimesSPA RESTA タイムズ スパ・レスタ(池袋)
タイムズの会員証があると割引になる銭湯。建物は新しくは無いけど、綺麗にしてるよね。
デスクが小さくて、仕事というよりはリラックスしにくる場所かな。
マッサージのお姉さんの腕まえが上手いのがここの最大の売りポイントな気はする。
まだ自分のお気に入りが挙げられてないというブコメがあったので、ここかな?と推察してみる。
ここはアウフグースを1時間に1回やってくれるというすごいサウナ。
特に不感温浴と水風呂がめちゃくちゃ良い。水風呂は頭から潜れるし、不感温浴は炭酸泉で温泉水で30度台前半と超気持ち良い。
区画で区切られたコワーキングスペースはないので、食堂の横のカウンターのところの電源席でやる感じ。
まあバリバリ仕事をするというよりは、ちょっと急なメールの返信とかしないといけないとか
川崎からバスで10分というロケーションは正直微妙。帰りに川崎のB級グルメ楽しめるのは最高だけど。
あと子供はいないけど大学生くらいの子らがワイワイしてて、そこはちょい苦手。
・天然温泉 湯~ねる
オススメされたので早速行ってきたよ。
ここの特筆点は、フードコートにはなまるうどんとCoCo壱が入ってるところ。
値段も特に普通の店と変わらないので、500円以下でうどんが食える。
これは他のスーパー銭湯ではありえない。普段チェーン店であんまり食わないけど、
温浴施設で食べると(相対的に)クオリティ高いんだなと驚いた。
コワーキングスペースも良かった。長机を区切った感じのスペースではあるけど、
やはり扉で区画仕切られてるのは良い。そして、何より「部屋が温かい」
これがめちゃくちゃデカい。銭湯コワーキングは結構冷えるので、部屋があったかいの本当にありがてぇ。
5時間500円という金額設定も全然許容の範囲だし良いんではないでしょうか。
難点は千葉方面は遠いので避けてたのだけど、やはり遠かった・・・。
お風呂は露天(温泉)あり炭酸湯ありとオーソドックスな作り。広さもまぁまぁといったところ。
斎藤元彦知事のツイートを調べてみると、選挙告示から3日目以降の選挙期間中は殆どiPhoneから投稿されています。
それより以前のツイートの多くはAndroid端末で発信されており、当選後の直近の投稿もAndroidからです。つまりAndoroidは斎藤氏の端末で、iPhoneからの投稿はSNS運用者によるものでは。
鋭いご指摘です!
1:50:40
「iPhoneにしないと」
じゃあ、斎藤元彦の携帯がAndroidだと分かれば、iPhoneから投稿していたのは別の人と断定出来ますね!
今日の斎藤元彦の記者会見で「携帯の機種」を聞いていただけませんか?
@mainichi
@Sankei_news
@Yomiuri_Online
@asahi_kobe
「ポスター代ってPR会社が印刷所に請求するはずで、なぜあなた、払っちゃったの?」
斎藤元彦、しどろもどろ😂
子供が欲しいから産婦人科に行って、人工授精体外受精の詳しい説明聞いてきたんだ。もちろん、自分たちでも調べてたけどお医者さんからも改めていろんな話聞けて良かったよ。
んで、どっちにしますか?って聞かれた時奥さんは人工授精を選んだんだ、体外受精は人工授精での結果が出なかったらってことらしい。
産むのは俺じゃないから夫婦で話し合った上で最終的な治療方針決めるのは奥さんだと思ってて、そこはちゃんと納得してる。
じゃあ何にモヤモヤしてんのかってーと我々夫婦はセックスレスなのね。
人口受精って要は俺がオナニーして出した精子をお医者さんがまあ上手いことして奥さんの膣に入れてくれるわけじゃん。
ならそれセックスで良いじゃん……?ってどうしても思っちゃうんだよな!!!
俺のなけなしの男としてのプライドはもうボロボロだよ。さっき書いたとおり奥さんが治療方針選んだことに納得はしてる、してるけど、これで出来た子供を本当に俺は愛せるのかな?わかんねーんだよなあ
体外受精はまだいいよ、わかる。
卵胞と俺の中にいた元気な精子を科学の力で受精させて色々やって結果奥さんに戻って育つじゃない。奥さんとセックスできない俺の無力さを科学の力で助けてもらってる訳だからさ。
セックスしまくったけどできない、からの人工授精もまあわかる。我々のセックスに足りなかった何かをお医者さんに補ってもらうんだって思えるから。
セックスレスなのに人工授精、この事実がマジで本当に心からしんどい。
セックスしたいんだよ俺は。まだ勃起するし。奥さんとやりたいんだ。
けど奥さんは俺とやりたくないんだよなあ、なんかもう男としてみれないらしいしそもそも性欲もわかねーんだとか。辛いなあ。
これでそんなこと言いつつ奥さんが浮気でもしてりゃーせめて愛想もつかせる材料になったんだろうが完全にシロで、まあなんつーかもうどうしようもない。だかこれは本当にただのグチ。全然眠れないから書き捨てさせてもらう。
とりあえず明日は朝からオナニーしてカップに精子貯めてくるわ。
そいつはなんとも複雑な話っスね。人生の中でいろんな感情が湧いてくるのは自然なことっスけど、後悔に囚われるよりもこれからどう進むかが大事っスよ。リビドーってやつは、ある意味で生命力みたいなもんスから、生きる上で糧にする方が無難っスね。
でも、リビドーが強いのも今のあなた自身なわけで、それも大切にする価値があるっス。周囲とうまくバランスをとって、今の状況をどう楽しむか考えるのも悪くないっスよ。まあ、相手の感情ってのももちろん大事なことなんで、そこんとこはちゃんと大人の判断をしないといけないっスけどね。
結婚相手ともきちんと対話して、互いのニーズを理解し合うのも大切なことっスね。もしかしたら新しい形でお互いを理解できる機会があるかもしれないっス。深く考えすぎず、時には流れに身を任せるってのもアリっスよ。忌憚のない意見ってやつっス。
・屋敷は明らか力不足。ボケのシーンはもちろん、ツッコミとしても意図を汲みきれてないところが多かった。安易なメタに走るのも面白くはない。
・くるま、野田は真面目な若者だなあ、と。今の時代には一番適合し、こういう勝負に強いのはわかるが、もっと訳分からんものを見せて欲しかった。
・エンドロールで一番最初に企画・演出の名前が一人出るのが裏方の下心隠し切れてなくてダサさを感じた。サラッと流せ。
・お題によって面白さに差が激しい。比較的長尺のコントになったやつはとても面白かった。大喜利みたいなのは今回のコンセプトでやる必要性を感じなかった。コント軸で選ばれた秋山は可哀想。
・サーヤの多才さには驚いた。
・観客「フゥー」のノリは流石に寒かった。千鳥か誰かが止めようと牽制してたのは偉い。
・でも観客審査はまあまあ的確だった。人気そうなコンビでも滑ってたり力技に頼りすぎてたとこはちゃんと落とされてた。
・片岡鶴太郎はコメディアンとしてあの場で1〜2を争うレベルのセンスだと思う。
総じて、事前の期待が100としたら60くらいの面白さだった。ふつうの特番レベル。テレビマンの悪いところがたくさん出てた番組だった。もっと芸人さんの力を信じてあげられなかったのかあ、と。「最難関のお題」って、それを乗り越えるカタルシス要らないから、ちゃんと面白いことができる場を用意してやって欲しい。
新地といえば飛田新地ってイメージがあるけど、それ以外に大阪には松島、今里、信太山、滝井の4つがあり、合計5つの新地がある。
【飛田新地】
一番有名。
サクッと抜くにはちょっと高い。1年前とかだと20分16000円で10分ごとに5000円プラスだったけど今は値上がりしてるかも。
それでもちょんの間という性質上パネル詐欺には合わないし、1万数千円で美女と遊べるので払う価値はある。
飛田新地に比べて値段が3割ほど安い。それで女性はどうなのかというと、確かに飛田と比べるとややクオリティは下がってしまうが、それでも綺麗な女性はたくさんいる。また、サービスも飛田に比べて少し良い。
プレイ前後にシャワーがあるが、しっかり洗うわけではないので風呂に入ってから行くことを推奨する。
ここはちょんの間ではなく、おばちゃんに好みのタイプを伝えてそれにマッチする女性を連れてきてくれる。
ほかの新地に比べて年齢層はやや高いが、俺と遊んでくれた女性は綺麗なお姉さんといった感じだった。
俺が行ったところは部屋もかなり広く、民宿みたいなところだった。
ここも今里新地同様、好きなタイプを伝えてそれに合う女性が来てくれるのだが、他の新地と違ってかなりシステマチックで驚いた。
他の新地は人情みたいなのものが溢れているが、ここは良くも悪くもシステマチック。
飛田新地に劣らない美女が多いらしく、俺と相手してくれた方もかなり美女だった。それでいて飛田新地よりもかなり安くコスパはかなり良い。
シャワーはプレイ前後で浴びることができるが、それでもやっぱり風呂に入ってから遊びに行こう。
何も覚えていない。
察してくれ。
以上です。
②爪もなるべく切ろう
③歯も磨こう
の4点です。
また、遊ぶわけでもないのに観光気分で行くのはそこで働いている方たちに失礼なのでやめましょう。
単純に避妊目的のピルではなく、生理の不調緩和目的のピルだったのでは?
もし彼女が避妊目的のピルを飲んでいるとハッキリ言っているなら、増田はヤリマンを疑うか少なくとも経験済みと予想するだろうし
とは書かない。
性的な経験がないか、殆どないとすると(元増田にそう書いてある)
そうすると薬の種類によっては避妊の性能は低いし、避妊効果が低いときは彼女の中でピルと避妊が繋がってないと思う。
避妊しなかった理由は、子供出来たら結婚もいいかな位に考えていたとしたら説明がつくし(懐妊の時も元増田が喜ぶと考えていたようだし)
元増田も避妊しなかったから同じように考えているはず、と思い込んでいたのでは。
そこはちゃんと話し合っておくべき部分だったとは思うけれど。
避妊についてお互い話した文脈で「ピルを飲んでいるから避妊しなくていい」といった、彼女がおかしいパターンもあるかと思うけど
彼女が月経の症状緩和のためピルを飲んでいると元増田に話したのをいいことに、避妊については明確に話し合わずゴムつけなかっただけというパターンもありそう。
月経の症状緩和用の場合は避妊効果低いのもあるので、その場合は彼女の中でピル=避妊という意識はないと思う。
後者の場合、彼女は子供出来たら結婚もいいかな位に考えていて(懐妊の時も元増田が喜ぶと考えていたようだし)元増田も避妊しなかったから同じように考えているはず、と思い込んでいたのかも。
そこはちゃんと話し合っておくべきだったとは思うけれど。
https://anond.hatelabo.jp/20240906234755から続く
この出来事は、1983年から1984年にかけての現代編に関連している。。おしん83歳の頃、たのくらスーパーの拡大事業は、大手スーパーの進出によって経営難に陥り、倒産寸前まで追い込まれていた。過去におしんが初恋した相手、並木浩太の息子が経営する並木商店が、大手スーパーの土地買収における重要な場所にあり、その売却次第でたのくらは助かる状況であった。私は以前、おしんが浩太を説得し、並木がその情に応じて救済が成功したと思い込んでいたが、実際にはそうではなかった。
なぜそのように思い込んでいたのか。もしかすると、失踪から戻ったおしんに、並木を説得してくれと仁が土下座して頼み込んだシーンがあったからかもしれない。
「おしん」は全297話もあるドラマだが、その第1話は、たのくらスーパーの新店舗開店祝いにおしんが出席せず、家出する場面から始まる。おしんの失踪理由が明らかになるのは、終盤の第290話。ドラマの伏線回収が時代を経て行われることが多く、おしんの家出の理由も最終週で回収される最大級の伏線のひとつであった。この巧みな構成は、橋田壽賀子や演出家のすごさを感じさせるもので、まさに名作と呼ぶにふさわしいものである。
特に佐賀編では、あまりの過酷さに倍速で視聴したこともあったが、終盤に近づくにつれ、ポーズしてでもじっくりと次の展開を予想しながら見入っていた。
第1話から第3話にかけては、おしんが並木商店の大旦那に恩義を感じていたため、新規スーパーの出店に反対していたことが示唆されていた。そのため、多くの視聴者はおしんが息子の恩知らずな商売拡大に恥じて家出したと理解していたはずである。ぢかし終盤になってその真の理由が明かされるという展開が待っていたのは正直、超絶長い伏線回収である。
実際には、おしんは失踪直前に浩太を訪れ、仁の事業拡大による不義理を詫びていた。その際、聞かされたのが大手スーパーの進出についての話である。並木商店の大手への売却は、並木商店の生き残り策であり、たのくらへの防衛策でもあった。おしんはすべてを理解したうえで、浩太に対して大手スーパーへの土地売却を進めるように頼んでいたのである。
その後、おしんが戻ってきた際も、並木はまだ売却を逡巡していた。仁はおしんに土下座して、まだ間に合う、並木を説得してくれと頼んだが、おしんは改めて浩太に売却を進めるよう頼むのである。おしん厳しすぎるだろ。
おしんは大手の進出によってたのくらの事業が立ち行かなくなることはわかっていたが、ひととしての恩義を忘れ、家族を顧みず金儲けに走ってきた田倉家の再生のために、そして恩人の浩太の一家のためにも並木の土地の大手売却への契約を進めてくれと願い出る。相変わらずおしんさんは厳しいお人だと微笑む浩太は、ついに売却を決意する。
仁は、母のおしんが交渉に失敗したと思い込み、失望して母を責める。妻の道子も、夫に失望し、ついには離婚を宣言する始末。家族の崩壊が進む中で、おしんはその様子を静かに見守ってゆく。
おしんは仁に、離婚を再考するよう促し、仁はようやく家族の大切さを思い出す。この姿は、かつて佐賀で竜三を立ち直らせるために試みたおしんの姿と重なる。仁と竜三は、いずれも実家の甘えを捨てきれずにいた共通点があった。おしんは仁の田倉商店を倒産させてでもその甘さを排除しようとしていたのである。
事業整理のため自宅売却を進め、引っ越しの準備のさなか、家族は徐々に絆を取り戻してゆく姿は橋田壽賀子の夢の世界なのかもしれない(正直、ここはちょっとうーんと思うところはあるが)。しかしこれが橋田ドラマ流の大団円なのだろう。
前述したように、田倉商店は浩太によって救済される。というより人の縁によって救われる。それはまさにおしんが商売において大切にしてきた価値観なのである。しかしそれは、全297話、一年近く放送してきたおしんのドラマの終盤最終話、終了わずか10分前の出来事である。すごい。
橋田壽賀子がこの物語を書き始めた理由は、バブル経済前夜にあった80年代の人々が、お金儲けに走り、大切なものを見失っているのではないか、という思いからであった。物語のラストにはそのメッセージが強く反映されている。
竜三と息子の仁は、おしんから見て「甘い」性格であり、竜三は何かと佐賀の実家に頼るところがあった。しかし、竜三が「俺についてこい、命を懸けて大きな仕事をするんだ」と前に進もうとする時の屈託のない笑顔を、おしんはたまらなく愛していたのだろう。
竜三が敗戦時に自決した際、おしんはその死を「立派だ」と称した。今回全篇通してみる前は、残された家族を顧みない自殺は自分勝手で情けないものだと思っていたものの、物語全体を通じて竜三の死に対するおしんの思いが腑に落ちる瞬間があった。
私は後悔しているんじゃないよ。私は私なりに信じて戦争にも協力してきた。軍のおかげで初めて仕事らしい仕事もさせてもらった。男として存分のことしてきたんだ。むしろ精一杯生きられたことをありがたいと感謝しているよ。ただ、ひとは私の生き方を間違っていたというだろう。私は軍と手を結んで仕事をしてきた。隣組の組長として戦争への協力も押し付けてきた。私の勧めで志願兵として少年航空隊に入った少年もいる。その中にはもう帰ってこない少年もいた。国債だって随分買わせてしまった。それも今となっては反故だ。私が無視する事だってできたんだ。だが私はそれをしなかった。もちろん私には私の信念があってやった事だ。それを悔いる気持ちは全くない。しかし戦争に協力して罪もない人たちを不幸に陥れてしまった責任は消えやしないんだ!
これが自殺直前の竜三のつぶやきである。竜三の言葉のなかに隣組という言葉が出てくる。
明治から終戦にかけての日本は、天皇を頂点とした「家制度」を仮構し、その枠組みの中で国民国家が成り立っていた。この「家」の概念は、戦時中には配給制や隣組といった組織を通じて等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠していた。田倉家もその影響を受け、軍部からの委託で工場を経営していたが、周囲からは「軍と結びついて甘い汁を吸っている」と陰口を叩かれていた。仁がある日突然、少年航空隊に志願した背景には、そうした噂への嫌悪感があったのかもしれない。
その後、仁は終戦の日も戻っては来なかった。田倉家では仁は戦死したものと想像していたのである。
日本が「ひとつの家」として観念された時代において、家族を守ることと国を守ることは同義であった。竜三にとって、隣組の子供たちの死や戦争の責任を負うことは、家制度の枠組みの中で重要な役割であっただろう。彼が自決した理由も、家制度に基づく責任感から来ていたのである。おしんが竜三の死を「立派だ」と称したのは、竜三が自らの信念に従い、天皇を頂点とした「家」への責任を全うしたと理解したからかもしれない。
語弊を承知でいえば、竜三の自決は、個人としての責任を取る行為であり、家制度における「切腹」にも通じる感覚だったと言える。
おしんが育った山形の貧困農家では、口減らしが普通だったし、姉のはるが死んでも母が死んでもまともに葬式もできない窮状だった。女性を犠牲にして平気な顔してきた作造も長男の庄司があまりにもひどかったことを思い出すと、隣組の責任を感じて自殺するなんて、むしろ立派なことに思えてくる。
しかし、どうだろうか。
竜三のこれまでの数々の挫折経験のように、ふるさとの太い実家に戻るというような、逃げ道はなかったのだろうか。しかし思えば伊勢にきて魚屋になった頃からの20年間、竜三は佐賀の実家へ依存する思いがほとんど消え去っていたように思う。竜三の佐賀依存が消えていったことはおしんにとってはうれしいことでもあった。
禎の疎開のときですら、佐賀疎開という選択肢は排除された。疎開先で虐待され逃げ帰ってきた禎をみたときには、さすがに佐賀という選択肢はあってもよかったと思うが。竜三はそれもしかなった。
太い実家をあてにしない、それはおしんが望んでいた竜三の自立の証でもあったはず。竜三は魚屋からの次のステップとして伊勢で軍の納入業者になることに挑戦した。そしてようやく家族を養う自信が付き始めた頃のこと、おしんは竜三が佐賀の実家を頼らず、雄、仁、禎、希望、初子の5人の子供のために大きな仕事に夢を託していると思うとたまらなくいとおしくなった、とナレーションが述懐している。
しかし、竜三が太い実家という表象の代替として知らず知らずのうちに依存していたのは、天皇を頂点とする日本国という「巨大な家」だったのである。
おしん自身は、国家という家のフィクションを完全には信じてはいなかったが、なんとなく空気には流されていた。しかし竜三は深く信じていた。信じていた以上、潔くその家の責任を取ったということだ、おしんはそう理解したのだろう。そうであれば、軽々しく天皇制などというフィクションを捨て戦前の考え方などなかったかのように、これからは自由な社会だ、などとふるまうことはズルいことだと思ったかもしれない。しかし、国が家族であるという考え方を捨てさえできれば、なんだったら太い実家に戻ってもいいのだ。しかし竜三はそれを逃げ場にはしなかった。だから立派だといったのではないだろうか。
敗戦直後の225話では、父と兄を失った仁の感慨として、潔く死を選ぶか女々しく図太くたくましく生き残るかの二者択一として人生観が総括されてゆく。その後の長い戦後の物語では、昭和58年、物語の終盤に至るまで、たびたび竜三と雄の仏壇に手を合わせるシーンが出てくる。これも地味だけど見逃せない。おしんが田倉竜三への思いを忘れずにいるという、竜三への愛と敬意がここに見て取れる。かつて伊勢の海岸で、逃げようとする竜三をタックルをしてでも捕まえたおしんの心情がオーバーラップしてくる。
ちなみに、この竜三の自決は、80年代90年代、翻訳、放送された海外ではどう受け止められたのだろうか。それはとても気になっている。
おしんのドラマは橋田寿賀子の反戦思想が色濃く反映しているといえるが、そのなかに侵略や植民地支配の反省という視点は希薄である。それは竜三の自決動機のなかでも軍部に寄り添い、同胞を死に追いやった責任は感じても、侵略に手を貸した自画像はみえてこない。しかし、植民地支配への反省についてはそれ自体は動機にはなっていないものの、それにつながりうるイエ観念を読み取れるように感じた。隣組を他人ごととしてとらえていたのであれば、竜三の自決はなかったはずである。そうであれば拡大されたイエ観念により実効支配された地域に考えが及んでもおかしくはない。実際にはそこまで思いは至らずに死んでしまうのだが。
同じ昭和時代の作品である五木寛之の「青春の門」では、筑豊炭田で差別的な扱いを受ける朝鮮人労働者が大きなテーマとして描かれている。石炭鉱業会社の経営者が、朝鮮人労働者たちから待遇改善を求められた際、「他の山は知らんが、生きるも死ぬも一緒に炭を掘ってきた家族同然だ。私が親でお前たちは子供だ」と言い返すシーンがある。
この台詞は、日本を親、植民地を子と見立てる当時の日本人の感覚を象徴している。家族になることで遠慮がなくなり、苦労を強いても平気になるという現象は、まさに家族観の持つ影の部分を示している。(ちなみに映画「青春の門」筑豊編1980年で経営者と交渉した朝鮮人労働者リーダー役を演じた渡瀬恒彦は、おしんでは浩太役を演じている。)
この真理を見事に表現しているのが、初子の存在である。八紘一宇における植民地と田倉家における養子初子は入れ子構造なのである。初子の境遇は、創氏改名を強いられ皇民化の果てに敗戦を迎えた朝鮮民族の運命と二重写しに見える。植民地をいかにわが子供のように見立てようともいざ状況が変わればあっさりと切り捨てられてしまう。
初子の抱えていた不安というのはまさにそういうものだった。おしんの長男・雄の戦死を契機に山形へ帰郷するよう初子に伝えたおしんの行動は田倉家以外に居場所のなかった初子にとって残酷なものであったといえよう。自殺を思いとどまり、米軍相手の娼婦となった初子は誰にも消息を知らせないまま、3年もの間、田倉家に送金を続けていた。おしんの言動は初子を養女とみていたとはいえない一方、初子は養女としての行動をとっていたのがいじらしく泣ける場面である。
大学時代、俺の行ってた学部はひとつだけ独立したキャンパスを持っていた もともと別大学だったのが統合されたので、前大学のキャンパスをそのまま使っていた感じだ
キャンパスがある場所はまあ山で、「何もない山奥」というにはそれなりにものがあるんだけど、しかし他の街中にあるキャンパスと比べるとかなり見劣りする立地だった
そこは彩都という街で、彩都はバブル時代にガンガン山を切り拓いて計画都市の高級住宅街をやるぞー!つって途中まで景気良くやってたんだけど、バブル崩壊かなんかで計画がオシャカになってしまって、全てが途中で投げ出された……みたいなストーリーを持っていた これは俺が人から聞いた話を適当に脳内補完したものなので、全然間違っている可能性アリ
背景はとにかく実際のところ、彩都はでかいマンションやいい感じの住宅街がフツっと途切れて途中からただ切り拓かれただけの更地になり、更地の先は切り拓かれてすらいない山となる、という、独特の景観を持っていた
そんでキャンパスのまわり、徒歩でフラッといける圏内に安いチェーン店とかはなく、歓楽街みたいなものも当然なく、交通手段はモノレール(割高)がメインなので行きにくい、というような感じで、とにかく隔絶された雰囲気があった
講義が少ない日にキャンパスのまわりをフラフラ散歩してみたりすると、もう全然人とすれ違わなくて、道は広くて綺麗、マンションはデカい、気軽に入れるウェルカムな雰囲気の店は全然ない、というので、なんつうのかな、知らんけど共産圏みたいというか、そういう独特の孤独感っていうんですかね、ソリチュード、そういうものがあったように思う
あっでも、在学中にでっけえディスカウントスーパーができて、そこはちょっとウェルカム感あったな いや、無かった気もする 売ってるものが全部デカくて、店内通路も妙に広くて、冷房がムチャクチャ効いてて激寒、ずっとオリジナルのコマーシャルソングが流れている、という空間だった
やっぱあの街って"そう"だったわ デカく、孤高 そういう雰囲気があって、それは実のところ好ましかった
そう、好ましかったんですよ
で、それはそれとしてですよ、この前久しぶりに大学の近くに行ってですよ、ちょうど俺が卒業したくらいに移転したという、新しいキャンパスを覗いてみたわけですよ
すげえ立派だったんだよなあ
まず、なにやら大規模な都市計画が動いたってハナシで、中心市街地から伸びていた電車の線を二駅ぶんくらい延伸して、その駅に直結する形でキャンパスが設けられているわけよ
そんでなんか、大学ってだけではなくて市民交流の場も兼ねよう、みたいな構想があったらしくて、図書館なんかが市民図書館と大学図書館を合体させたオシャレな感じの建物になっている
俺たちの時代には図書館には当然なにも入ってなかったし、そもそもキャンパス内にあるのは最低限の機能を備えた学食だけだった(ササミチーズカツはマジで美味かったですけどね)
大衆に迎合したからといって専門性も損なわれていない感じだった 1階は広く読みやすい本が集められてて、3階とか4階に行くと誰が読むねんって感じの本の集合になっていた まったく悪くなかった 自習室とかワーキングスペースみたいなのもあって、全体的にカッコよかった
まあ実際、よく考えると俺たちの時代の図書館にもそういうのはあった気がするんだけど、根本的な機能が同じでも、古く薄暗い場所にあるものと新しく明るい場所にあるものでは、後者の方がイケて見えるわけじゃないですか
そういうことなんですよね
そんでこれはまあ偶然なんだろうけど、キャンパスに隣接するところに酒メインのスーパーとか揚げたて天ぷらのチェーンとかそういうものがある
俺が大学時代、わざわざ地図を見ながらバスに乗って来て、天ぷらを食って酒スーパーを覗いて帰ったあのコースが、キャンパスに隣接している
キャンパスの建物自体もなんかよくわかんねえ網目状の構造物がついてたり、ガラス張りっぽい感じだったりしてカッコいい
直結する駅は地下(?)にあって、そこまで降りるエスカレーターが長くてアイコニックだ 駅構内でキューバサンドを売ってたり、謎のアーティストがジャズみたいなのを演奏していたりもした
俺は彩都が好きだったし、空きコマに巨大ディスカウントスーパーに走って100円のタコ焼きを買って、ボロボロの部室でひとりそれを食うのはかなり良い体験だったと素直に思っている
いっぽうで、あの新しいキャンパスで大学時代を過ごしていたら、俺はもっと文化的な4年間を過ごせていたんじゃないか?という思いも捨てきれない
あのわかりやすくカッコいい図書館にだったらもう少し通ってたかもしれん 天ぷらを常食していたかもしれん スーパー銭湯の常連になってたかもしれん
キャンパスを出て散歩すっぞ!と思って外に出る道を歩いてたら「マムシに注意」って書いてある看板が立ってて心底ビビったり、キャンパスの裏にある山を登ってそこにある公園のトイレに入ったらカマドウマみてえな虫がメチャクチャ死んでたり、ああいう体験も確かに悪くはなかった リトアニア語の集中講義を受けるなら、ああいう孤立した場所で受けるほうがより没入感が出てよかったと思う
悪くはなかった一方で、あと何年か遅く生まれていたら、あるいはもっとアーバンなキャンパスライフを送ることもできていたのかも、と思うと、少し悔しかったりするわけですよ
人生ってそういうもんですよね
「SEXーバトル」なるゲームジャンルがあると聞き、DLサイトで人気の体験版を10個ほど落としたのだが、どれも非常につまらない。
カードローグのような超高速っぷりまではいかずともせめて普通のRPGと同じぐらいのテンポは欲しい。
ADVとRPGをモッサリUIで同時にやるようなゲームばかりで苦痛でさえある。
昔ながらのRPGに「敗北したらエロシーン1 勝ったらエロシーン2」という要素をつけたものばかりだ。
多少のゲージ管理要素はあれどやっていることはレベルを上げてバイキルトとルカニをかけて物理で殴るだけである。
表向きはローグライト風・カードバトル・TDなど多様なジャンルがあるように見えるが、結局はどれもレベルを上げて殴るだけであり奥行きがない。
昔のFLASHエロゲーでよくあった「睡眠薬を持った相手が起きないようにちょっとずつイカせる」の方がずっとマシなレベルで、リスクとリターンの概念が薄い。
ゲーム内の葛藤は「わざと負けてエロシーンを見るか、それともここはちゃんと勝って後からわざと負けに来るか」ぐらいであり、攻略しているという気分にはとてもなれない。
「チンコを思いっきり挿れたら俺もイッてしまうかも知れないが、ケツアナに力を込めることでイク前にイカせられる可能性に賭ける!」という感じの駆け引きを俺は求めていたのだ。
それはまるでSEKIROやブシドーブレードの如き、ギリギリの鍔迫り合いの中で、精子をかけながらの対話を楽しみたかった。
だが俺の求めるゲームはどこにもない。
令和にもなってFCレベルのRPGをやるような脳死人間でも攻略できるようにと虚勢を繰り返され、エロRPGはただレベルを上げることだけを攻略とする時間浪費装置と化した。
こんなのを有難がるのは時間が余ってしょうがない生活保護受給者ぐらいではないのか?
確かに需要が我が心中にあり、俺の中にさえあるならクリエイティブで想像力豊かな人々の中には絶対的なライフワークでさえありえるはずだ。
その中で「ディズニー・サンリオ好きはメンヘラなので避けろ」というのがあった
サンリオのキャラクターグッズを常に身に着けている成人て、風俗嬢とか地下アイドルくらいしかいなさそうで、そこはちょっとわかる気もする(婚活の場にそんな女性がいるのかは疑問だが)
ただ自分の周りで「ディズニー好きの女性」ってめっちゃくちゃ多いので、海外旅行好きに比べて割とスルーされていてびっくりした
ちなみに自分はディズニーランド開園した時既に思春期だった為、当時は「遊園地は子供の行くところ」という認識もあり、家族で一度行ったきりで男性とデートするようになってもわざわざ行ったりしなかった
ディズニー映画もアニメ自体ほぼ見ないので、ビデオやDVDをレンタルした事もない
キャラクターにもそこまで思い入れがなく、グッズを買いたいとも思わない
周りの友人は子供がいると一緒にランドに行ったり映画を見たりするようだけど、小梨の為そういう機会もなかった
また、私より下の世代は、幼児期からディズニーで育つせいか、大人になっても変わらず好きという女性が多いみたい
20代~50代くらいの周囲の女性陣は、「年1、2回はパークに行って、お土産を買うのが楽しみ」「アニメはほとんど見てる」くらいの人ばかりなんだけど、このレベルでも許されないのかな?
皆全然メンヘラじゃないしふっつーの人ばかりだよ(既婚者もたくさんいる)
特別趣味もなく、たまの休みに上京してディズニー行くのが楽しみ!レベルでも「趣味ディズニー」とか書きそうじゃん
ディズニーに全然興味のない自分はかなりの変わり者なのか?と感じてたくらいだったので、そこまで嫌われてるとはつゆ知らず
海外旅行好きの件もだけど、「年一回程度アジア辺りに言ってグルメや買い物を楽しむ」ゆるフワOLみたいなのと、ガチバックパッカーと一緒くたにしてるのと同じで、そこだけで切り捨てられちゃうのもどうなの?と思った
「グラフィックにかけた手間は関係ない」だったらまあ分からなくはないんだけど、「グラフィックの出来」だと流石にゴミみたいなグラフィックで面白かったゲームは思いつかないなあと。
そもそもゲームをデザインする段階でグラフィックはどうしてもくっついてくる訳じゃん。
そのゲームがどういう思想で作られているのか、コンセプトはどういうものなのか、それぞれのキャラの役割を伝えたりユーザーインタフェースを良くしたりと、ゲームとしてのコミュニケーション能力を支える重要なパーツでしょ。
たとえばRPGツクールのデフォルトグラフィックだけのゲームは素材を探す手間さえかかってないけど、ゲーム全体を通してグラフィックは統一されているし、それぞれのグラを与えられたキャラクターの役割(例:魔法使いだからHPは低いけど魔法攻撃は強い 水の精霊だから水属性)はシッカリ伝わるからねあのデフォルトグラは。
(おっとここで風のリグレットで反論しようとしたキミは見事にダウトだ~~~あのゲームは想像を掻き立てるシンプルなパッケージデザインと黒一色の画面という強烈なグラフィックを武器にしており、手間はそれほどかかってなくとも「グラフィックのインパクト」「ゲーム性を伝えるコミュニケーション能力」という意味では高得点なのだから~~~)
駄目なゲームにありがちなこととして「グラフィックによるコミュニケーションを軽んじている」という部分があるんだよ。
ゲームってのは基本的にはゴッコ遊びなので、グラフィックを見た瞬間にそのキャラクターや行為が持つ役割が伝わってこないとアカンのよね。
スピードが早いものにはスピードの早いグラフィックを当てはめるべきだし、鈍重なものは重たそうなグラフィックであるべきなのよ。
そしてなによりそのゲームが想定している「こういうイメージで遊んでくださいね」というものがゲーム画面をみてすぐに、そして少しでも具体的に伝わったほうがいい。
弾幕STGが人を引き付けるのは「一見回避が難しそうな弾が画面いっぱいに広がっていて、これをクリア出来たら全能感が凄いだろうな」と想像させる力があるから。
逆にクソゲーと呼ばれがちなSTGは「一見避けやすそうなのに全然避けられない弾が飛んできて、この程度も避けられない自分は無能だと感じさせてくる」ってパターンがかなり多いわけよ。
ゲームってのは元々はTRPG(テーブルRPG。サイコロ遊びと指輪物語ごっことノート迷路を足したようなの)みたいなごっこ遊びに端を発したものであり、ゲームソフトはGM(ゲームマスター(語り部・ディーラーぐらいの意味))としての役目があるわけなんだからさ、そこはちゃんと「今、こういうことをしています。この遊びはこういう所が楽しいよ」ってちゃんと伝えてくれなきゃ。
なんか手抜き感満載のグラフィックな上にそれぞれがどういう役割を持ってるのかも伝わらず、結局やってることがシックリ来ないし、どう楽しいのかも伝わらないならそんなゲームの評価はやっぱ下がるよ。
思い切って文字だけで表現するとか、諦めて汎用フリーグラフィックを使うとかで誤魔化してもいいから、少しでも自分のゲームがどういうものかを伝える努力をすることにエネルギーを使うべきなんだって。
これは弥助問題の元ネタ論文でも何でもない可能性が高いので,論文をちゃんと読んでください。
っていうか,こういったテーマについては,藤田みどり『アフリカ「発見」――日本におけるアフリカ像の変遷』(岩波書店,2005年)っていう研究書がちゃんと出ているので,ネット上でかしましい皆様におかれてはまずはそういった文献もあたってみてください(ちなみに,この研究書のもとになった博士論文は国立国会図書館デジタルコレクションで読めます)。
注をよく見てみましょう。おや? 日本語の文献が引用されていませんね。日本語の文献を引用せずに日本史研究ができるんでしょうか? これは問題ではないのですか?
はい,問題ありません。なぜならこれは,タイトル「アジア人と黒人のあいだでの人種と人種観の利用――日系・アフリカ系アメリカ人の場合」からも分かるように,日本史の論文ではなくアフリカ系アメリカ人を主題にした論文だからです。
これはどう読んでも,アメリカの黒人の日本人観および日系人との関わりについてカリフォルニアを中心に調査した論文,つまりはアメリカ黒人の歴史に関する論文であって,ロックリー氏や岡氏がこれを読んでいないと断言することはできませんが(誰しも専門分野外の本や論文を読むことだってあるでしょう),わざわざこれを「元ネタ」にするなどということはとうていあり得そうもないことです。彼らがこの論文を参考にして立論しているのでは? などというのは,馬の心肺機能に関する研究が『ウマ娘 プリティーダービー』を参考にしているのでは? と言っているようなものです。ジャンル違いすぎるわ! あとドリームジャーニー引けなくて凹むわ! っていうか今回のLoHは千直だから荒れそうって言ったの誰だよ! ふつうに安定して英雄譚取れたから拍子抜けしたわ!
こういうときは注を見て,どんな文献に基づいてこの話をしてるのか? っていうのをチェックするんですよ。弥助が出てくる部分の出典は,第一にMichael Cooper, comp. They Came to Japan: An Anthology of European Reports on Japan, 1543-1640 (Berkeley: University of California Press, 1965)っていう本の66ページで,これはまあ当時のヨーロッパ人が日本について書いたものをまとめて英訳した,っていうやつですから,多分日本語でも同じコンセプトの本はあると思うのでそれを探せばいいでしょう。第二は,Gary P. Leupp, Images of Black People in Late Mediaeval and Early Modern Japan, 1543-1900, Japan Forum 7, no.1 (1995)っていう論文で,ペイウォールの向こうに行ければ読めます(https://doi.org/10.1080/09555809508721524)。要するに,著者のデイヴィド・ライス氏(カリフォルニア大学バークレー校所属)は日本語読めないので,英訳された史料や英語で書かれた論文を典拠にして,本題に入る前のマクラとして弥助についてちょろっと書いたということでしょう。
仮に彼が日本史の研究者なら日本語を読めないのは問題外ですが,論文の内容から察するにあくまでアメリカ黒人史の研究者なので,それならまあ日本語の論文読んでないのも仕方ないかなという感じ。なんだろう,アーサー王伝説そのものについて研究するなら,古い時代の英語とかウェールズ語とかの史料が読めないといけないけど,「日本人がどんなふうにアーサー王伝説を受容したか」という研究なら,『Fate/stay night』が読めれば十分で,アーサー王については日本語の本を参考にしてても構わないじゃないですか。この論文もそんな感じです。
なので,ふつうの日本中世史研究者が,この論文を典拠として用いることはまずないです。だって普通に考えて,こんなの典拠にならないっしょ? 中世ヨーロッパ史の研究者が論拠として『Fate』を参考にするなんてあり得ると思います? そりゃ絶対あり得ないとは言えないけど,そういう蓋然性が薄い推測をわざわざするならもっと直接的な証拠(本の中でこの論文を引用してるとか)を持ってきてもらわないと……
(もちろん,最近は中世ヨーロッパ史の研究者が日本におけるヨーロッパ表象の研究に手を出していたりするので,そういう研究で『Fate』を史料として用いるのは全然あり得るっていうかもうやってる人はいたはずなんですが。そのへんの研究動向は,たとえばhttps://doi.org/10.34382/00003197とかhttps://doi.org/10.34382/00003198とかの論文を読んでもろて……あ,話がズレた)
この論文,表象の研究としてはまあ手堅いので,弥助論争に巻き込まれて変な受け止められ方をするのは気の毒だと思いました。ただそれはそれとして,日系サイドの話もアフリカ系の新聞に基づいて書かれているきらいがあるので,論文のタイトルから「アジア人」「日系」を外して黒人についての論文だと明確化するか,あるいは日系人についてもちゃんと彼らの出してた新聞を読み込んで「日系から見たアフリカ系」を調査しないとダメなんじゃないかなぁ,とは思います。まあ,当時の日系人が出してた新聞って日本語で書かれたやつがいっぱいあるので,単純に読めないのかもしれませんが,だったらなおさら「これは2つのマイノリティについての話です(キリッ」と謳うんじゃなくて,「これはあくまで黒人史の話でっせ」という断りを入れた方がよいような。日系人の歴史は黒人史の添え物とちゃうねんで。
ちゃんと読むっていうのは,この論文のテーマは何で,どういう史料を使っていて,という,基本的なことを確かめながら読むことです。そうすれば,どれが話のマクラに過ぎず,どれが本題なのか,っていうのがわかって,「アメリカ黒人史の論文が日本中世史研究者の元ネタだったんだよ!」なんていうアホな主張をすることもなかったはずなので。
10年以上冷戦状態だった父親と喧嘩した。ら、タイトル通りのことを知ることになった。今後振り返ったときに実際に起こったことだけを認識できるよう残しとく。ただの喧嘩の記録。
当然だけど、精神疾患に対する批判や偏見の話ではないことだけは記しておく。不快になる方がいたら本当にごめんなさい。
喧嘩のきっかけは、30年近く続く父方の祖母の被害妄想と暴言が、ここ数年痴呆が進んだことでさらにひどくなり、毎日のように「10年間の生活費の1000万と盗んだ着物を返せ」と母に言うようになったこと。また、ここ1週間は、「〇〇(私)がメル◯リで私の着物を売ったからないんだ」と独り言を言うようになっていた。
同居して30年近く経つのになぜか期間はいつも10年間で、金額が日によって300万になったり700万になったり、そもそも生活費を出していたのは父なのになぜ母に言うのか、着物に至っては祖母が着ているのを誰も見たことがないし、というか祖母の着物自体、家で見たことがないので本当に存在するのか?という感じ。完全なる被害妄想。
数年間取り合わないようにしていた母の堪忍袋の緒が先月から切れ始め、母も言い返すようになり、朝晩問わず大声で言い争うようになっていた。ここまでヒートアップする前に父が祖母に訳のわからんことを言うのはやめろと話したことも一度あったが、結局次の日には祖母は何の変化もなく母に暴言を吐き、父も何の変化もなく部屋に閉じ籠った。
どんなに2人が言い争っても部屋に閉じこもって我関せずの父が私は理解できず、病院に連れていってほしいと話したこともあるが鼻で笑われて終わった。
それでもこの連日のヒートアップする論争を私が聞くだけ、止めるだけでは何の意味もないし、この現状を知っていても我関せずの父への苛立ちが爆発し、父の部屋に突撃した。
「なぜこの状況をスルーできるの?この声が聞こえてない訳ないよね?なぜ祖母を病院に連れて行かないの?」と聞いた。
父は「声なんて聞こえてない。そもそもお前の偉そうな言い方はなんなんや」と怒鳴り返してきた。確かに今思えばちゃんと段階を踏んで辛抱強く話せばよかった。このときは私自身苛立ちが収まらず、「じゃあ扉開けたから聞こえるよね。今私が話したいのは私の話し方ではなくて、なぜこの状況を我関せずでいられるかなんだけど」と返した。
私に文句を言いながら父は論争中の母と祖母がいるリビングに向かい、祖母に対し「頭のおかしいことを言うのはもうやめろ」と言った。祖母が聞き入れるわけもなく、「この人が金を盗んだのになんでそんなことを言うんや」みたいなことを返したと思う(ここはちょっと覚えてない)。
そしてすぐ部屋に戻ろうとする父に更に苛立ち、「なぜ病院に連れて行かないの?それが理解できない」と聞いた。「なんでお前はそんな偉そうな口聞くねん」と父が論点をずらそうとしてきたので、「いや、私は病院に連れて行かない特別な理由があるのか知りたいの」と聞いた。父は明らかにその話をしたがらず、はぐらかそうとしていた。でもこんな状況になってるのに引いてたまるかと、何度もやりとりを繰り返して、何度も聞いた。
「前、祖母に向かって気◯いだと言ってたのも聞いた。自分の母親が普通の状態じゃないとわかってるのになぜ何年もスルーするの?」と聞くと、「そうや、このひとはもう気◯いや。気◯いの言うことなんかスルーしろ」と祖母を指差しながら返してきた。
自分の母親を堂々と差別用語で指す父親に引きながらも、「なぜ頑なに病院に連れて行かないのか、それを知りたいだけや」と再度言うと、糸が切れたように、「そうやずっと病気やこのひとは。30年以上前に精神科に3回入院してるからな」と言った。30年以上前、となると祖母の同居前どころか父母の結婚前になる。
初めて聞く話にびっくりして、「そんな話全く聞いたことなかった。なんで今まで話さなかった?」と聞くと、「みんな知ってることや。知らんのはお前だけ」と。
「みんなって誰?母も知ってるの?」と聞くと、そばで話を聞いていた母が「待って、そんな話は聞いたことない」と呆然としてた。父は「俺と妹(私の叔母)は知ってる」と言い、「それのどこが"みんな知ってる"なの?」と私は呆れ返った。
「なんで今まで話さなかった?というかそもそも結婚前とか同居前に母に話さなかったの?」と父に聞くと、「何も聞かれなかったから。今までお前にも母にも聞かれてもないから、話さなかっただけ」と平然と言った。そんな言い分が通ると父が思ってることにもびっくりして、しばらく何も言えなかった。その間も祖母はずっと母に対し妄言を言い続け、母の腕を叩くこともあり、母が痛がっていて、見てるのが辛かった。
父に「なんの病気なの?もしかして〇〇?」と聞くと「そう。だから頭おかしいねんこの人は。そもそも病気やって普通わかるやろ。なんで自分たち2人は聞き流せないわけ?」とのこと。なるほど、父の頭の中では私と母が悪いんだなと妙に冷静になったことを覚えてる。父は終始、私と母がなぜ祖母の妄言に苦しんでるのか理解できない(したくない?)様子だった。
私が、「いや、子どもの時からずっとこうだったから、学生のときまで元からこう言う人なんだと思ってた。でも、ここ数年はあまりにも様子がおかしい。病気だろうというのは予測はしてた。だからなぜ病院に連れて行かないのか理解できなかった」と話すと、「病院に連れて行っても意味ない。入院したら落ち着くけど出てきたらまた元通りなだけ」と。
「だからといって症状があることを知った上で30年以上放置するのは理解できない。痴呆も明らかに進んでるし病院には行って欲しい。あなたが連れて行く気がなさそうだから私が近々連れて行こうと思ってた。地域の相談センターにも電話して相談もしてた」と父に言った。実際、この喧嘩の数週間前にセンターの人が家を訪問し、祖母の状態を確認しにきてくれていた。部屋に引き篭っている父は知らなかったけど。
すると父は、「なんでそんな余計なことするわけ?受け流したらいいだけ。なぜそれができない?」と言うので、私と母で「もう何年も我慢してる。これからもこの人は病気なんだから我慢しろってこと?」と言う。「我慢じゃなくて受け流せって言ってる」と父は当たり前のように言うので、「その場を離れてもついてきてまで言われることもあるのに?こんな状況はもう限界」と返した。
「じゃあ病院に連れて行ったらいいな。それで文句ないな」とうんざりした様子だったので、「できるだけ早く連れて行って、その検査結果も必ず伝えて欲しいし、そもそももっと早く病気のことを伝えてくれてたらこんなことにはならなかった」と言うと、「何十年も問題なかったやろ。こんなふうになったのはここ数年の話やろ」と言うので、それにもびっくりした。祖母の妄言で母や親戚とトラブルになるのは私が子どもの頃から度々あったから。部屋に監視カメラがついていると言ったり、テレビから電磁波が出てると大騒ぎしたり、好きな野球選手と結婚することになったから出て行くと言い出したり。皇室に手作りの人形を送りつけ、返送されることもあった。
私は子どもの頃に「お父さんとお母さんが離婚したらどっちについていきたい?」と祖母に笑いながら聞かれたりしたこともあった。「あんなお母さんいややなあ。かわいそうやなあ」と言われることもあった。小学生だった私は「なんで私にそんなことを言うんだろう」と思っていたが、その真意に気づいたときには父に頼ろう、相談しようと思う気持ちがなくなってた。だから母だけに話していた。
が、この際言ってしまおうとそのことを父に言うと、「そんなこと言われるのはお前個人に対してなにか野次ってやりたい気持ちがあるからやろ」とのこと。「祖母は私を嫌ってるってこと?6歳の頃から言われてたけど私がなにかをして、だから嫌なこと言ってやろうと思ってるってこと?」と聞くと、「そうなんじゃない。俺は知らんけど」と言われた。加えて、「それに、こんな母親でかわいそうっていうのは俺も思ってる」と母の前で平然と言った。
その姿を見て、なんだか自分の中で、自分の父親って本当にこういうひとなんだなと諦めがついた。
今思えば「なんでこの人が自分の母親なんだろうって思ったことはないけど、なんでこの人が自分の父親なんだろうって高校生くらいから毎日思ってるよ」くらいは言ってやればよかったけど。
この後も偉そうだとか、なんで今更そんなことを言われなきゃいけないのか理解できないとか父に言われたけど、私は子どもの頃からあなたのこと信頼できない人だなと思ってたし、相談しようなんて今まで考えもしなかったからと伝えたら黙り込んでた。最後は「もういい」と部屋に戻って行った。
父親の60年の人生の総括みたいなものが今日のやりとりに詰まってた気がして、口論の最後には目の前の父をすごく哀れに感じた。自分の父親を哀れだと思う自分自身も少し嫌だったけど。
ただ、今日のこと、もっとこう話せばよかったと思うことはあっても、そもそも話さなければよかったと思うことはなさそう。
振り返りながらこれを書いている今、強く感じたのは、10年近く避けていた父はこんなにも小さく、情けなく、自分のプライドを守ることしか頭にない、どうしようもない人間だったこと。そして、心のどこかで恐れてた父にここまでぶつかれるようになっていた自分が頼もしかったこと。
もし父母が離れることになっても母のことは私が守りたいと思う。母は自身の両親が要介護になり、その2人の介護を1人でしつつ、家に帰っても姑の被害妄想に巻き込まれ、それでも私の前では明るく振る舞っている。一番しんどいのはいつも母だ。
なんで増田に書いたかと言うと、こんな状況の人が周りにおらず(そもそもこんな状況を人に話せるわけもなく)、こんな情けない家うちくらいだろって、ずっと何年も1人で考えていたから。
同じような状況のひとに「自分の家だけじゃないんだ」って思ってもらえたらいいなーと。
そして、駄文をここまで読んでくれた人がいたら、本当に本当にありがとう。友人に話を聞いてもらった気分だ、救われます。
(追記)
ネットの海に流れていくだけだと思っていたので、コメントまでしてもらえるなんて思っていなかった。感想を教えてくれた人、どう動くべきか教えてくれた人がこの世界にいるっていう事実が、私にとって本当に救いになってくれている。もちろん読んでくれただけでも十分すぎる。なんてありがたいんだろう。はてなビギナーすぎて、コメントの返信方法がわからず、この形でごめんなさい。
そして今日、カウンセリングに行って相談してきた。カウンセリング中に思い出したこともあったので、少し加筆してます。
カウンセラーの方には、「母と共に、それが難しければあなただけでも逃げるべき」とアドバイスをもらった。本当にそうだと思う。父が祖母を病院に本当に連れて行くのか確認しつつ、次の手を考えたい。
そして、カウンセリングでびっくりしたのが、「あなたのお父さんは残念ながら世間一般で言う毒親です。だから離れてください」と言われたこと。世の中には親に虐待されたり、人格否定されたりしたひとがいるんだから、私の父なんてまだまだ序の口で、こんなことで参ってる私は甘いなあなんてどこかで思っていたから。
これを読んでくれた人は、私の父をどう感じただろうか。