はてなキーワード: 自罰とは
※専門家でもないし、ネットの情報を鵜呑みにしているため、あくまで私の精神面が成長したというのをそれっぽい単語を用いて使っているだけです。用法・定義が間違ってたらごめん。
自他境界がハッキリしている人たちと会話する機会に恵まれ、対話を重ねていくことで気付かされ、矯正されてきたというのが正しいかもしれない。
それでも十年近くかかったし、同世代と話していると自他境界が曖昧だと思う人はそれなりにいて、根深い問題なんだなと思った。
自分がどのように認識して、どのようなプロセスで改善されてきたかを日記として残しておきたい。
・相手を遊びに誘うことができない
育った環境のせいか、ご機嫌伺いのような癖が抜けず相手に対して100%のパフォーマンスを見せなければ、という思考状態だった。
プライベートでも仕事でも乗り気じゃなくても断ることができず心から嬉しいような演技をしてしまう。どうしても断らないといけなかったりしたときには相手が不機嫌にならないようにフォローをしにいくほどのご機嫌伺いマンだった。
どうやって改善したのかというと、正直ハッキリ分からない。劇的な出来事があった訳でもない。
ただ、先ほども述べた通り、周りにいた自他境界がハッキリしている人達と対話していくうちに思考のベースラインを都度見直ししてきたのが良かったのだと思う。
例えば、以下のような流れを繰り返していった。
3.「~だから、厳密にはウチの仕事じゃないよね?」と上司が説明してくれる。
3.その場は言い訳したりしつつも(じゃあ誰の仕事なんだ?なんで請けてしまったんだ?)を思考していく。
4.自分が請けなくても仕事は回ること、今回はその責任はないことを言い聞かせる。
認められたい・助けることで好かれたい・断ることで嫌われたくないなど。(ここが一番難しい)
5.次回以降同じシチュエーションがあれば、仕事を断ってみる。少しドキドキする。
4は自分の醜いところに向き合う必要があるので恥ずかしかった。
「認められたい」は承認欲求の現れだから(あることが悪いことだとは思わないが)、自分を犠牲にして他人に自分の隙間を埋めてもらう必要はない、と言い聞かせた。
(余談だが、承認欲求が人より大きい自覚もある。そういう人だと底に穴が空いてるのがそもそも問題なので、水を注ぐより底の修理を優先するべきだと考えている。まだ悟りには至ってないが、私は認められたかったんだね、と自覚するだけで効いてきている気がする。)
「助けることで好かれたい」についても、好かれてどうしたいのかを想像してみた。
好かれることで飲み会に誘って欲しいのか、冗談を言い合える仲になりたいのか、他の人にいい人だと広めて欲しいのか、異性であれば下心を叶えたいのか。
そして驚いたんだが好かれた先のビジョンが全くなかった。正直飲み会に誘われても困るし、冗談を言い合える仲になりたいとかもないし、いい人だと広めて欲しいがそこまでの野望も能力もないし、下心もない。
あと、こういうときに仕事を頼む人は本当に代わりにやってくれる人を探しているだけであって、助けてくれたことを恩義に感じる人はかなり少ない。よってあまり意味は無い。
好かれることは経過であって結果ではない。まさに目的と手段が入れ替わっているのが思考していて自分でびっくりした。
好かれなければと強迫観念のように思っていたのに、好かれても嬉しい要素があんまり無かった。
もちろん、仕事に限らず属しているコミュニティで自分の価値を上げたい=好かれたいとは未だに思ってしまうが、世の中そんな簡単に尽くしたからといって上がるようにはなっていない。適正な範囲で少し努力するくらいが凡人には合ってるのだと思う。
最後に、自他境界薄いあるあるだと思うのが「断ることで嫌われたくない」だと思う。
これは自分に置き換えるというのをよくやった。
自分が仕事を正当でない部署の人に頼んだが断られた。これで嫌い!にはならない。せいぜいま、そうだよな……で諦めるくらいだと思う。
お菓子とか物をあげてしまうタイプの人であれば、自分がお菓子をもらえなかったら嫌いになるかを考える。ならないのが普通だと思う。
もしかしたら偶に、だから嫌い!になる人もいるかもしれないが嫌われたからといって、いい大人になった今、徒党を組んでいじめられたりとかは考えづらい。LINEでブロックするなり、上司に相談してNG組み合わせリストとして運用してもらうとか、最悪仕事を辞めればいい。
自分だったら嫌いにならないのに、嫌われてしまう!と咄嗟になってしまうのが自他境界薄い人間の難しいところである。
長々と仕事の例で書いたが、プライベートでも似たように思考するなり置き換えするなりしていった結果、遊びを断ったり、遊びに誘ったり(断られてもそうなのね、で流したり)がなかなかのレベルでこなせるようになってきたと思う。
何もしてないのに不機嫌になる人も怖くはない。不機嫌になる人自身の問題だからだ。
他にも、友人と会話してて寄り添うためにトーンに同調したりするが帰宅した頃にはケロッとしているし、なんなら切り替えて他のことをやれる。
本当に、人間として成長できたのが嬉しい。
物事をハッキリ言える・捉えられるようになったのでストレスも減った。
上手く行ったら褒めて、失敗したら責任追求して別の人に変える
・複雑、大規模な事業をやるにはこの戦略を取るしかない(例:王様など)
・本人の能力は高くなくて良い
・問題の中身がわからないので、 担当者に騙されるリスクがある
・問題の中身がわからないので、似た問題を解決できないことがある
・嫌われる
・解決できる人が居なければ詰む
・成長しない
・自分ひとりで完結する
・誰もやってくれない問題も
・人を動かす面倒くささがない
・問題の中身を知ってるので、切り分けができる、大きな問題や複雑な問題も解決できる
・成長する
・責任を人のせいにしないので好かれる
・自分でやるハメになる
・下っ端になりがち
・常に誰かのせいにしてる
例:「◯◯のせいだろ」「◯◯が悪い」
・「誰が」を重視する
・権威主義的
・人脈を重視
・他罰的
・問題が何かを気にしている
例:「◯◯が問題」
・「何を」を重視する
・理屈をこねる
・人脈は軽視
・自罰的
もちろん人によって両方まざってるし、最も優秀な人は両方を使い分けられる
自分は問題追求型が強くて、責任追求が苦手、スイッチングが難しい
一番言いたいのは、「責任追求型と、問題追求型の人は話が噛み合わない」ということ
別の生き物みたい
___
たまに、「これってどうすればいいの?」ってひたすら人に聞いてる人を見かけるけど、あれ責任追求型だよね
店員とかが餌食になる
あと、たぶんだけど責任追求型の人ってAIを上手く使えないんじゃないかな
次に考えたいこと
・両方をどういう観点で混ぜるか、使い分けるか
アラサー増田の10年以上前の体験談と愚痴です。予め言っておくと、セクハラの話だけど男女対立の話じゃないしそういう話に持っていくつもりはないよ。あと長いよ。
私も講師も特定されたくないのでちょっとフェイク情報を混入させているよ。
あと最近あったテレビ関係の事案とは特に関係がないしそれきっかけで書こうとか便乗とかではないよ。ていうかニュース見る度フラバするからそんな連日話題にしないでほしいよあれ。
10代の頃とある舞台を観劇して「これやりたい!」と思い立ち、まずは舞台や映画方面に強いスクールに入った。
演劇の勉強は楽しかったしやりがいも多くて役者は目指したいなぁと思った反面、卒業生の進路として一番多い小劇団系は経営が厳しいところも多くて(それ以外にも色々と理由はあったが)入るのは躊躇われた。
色々と迷っている中で、学内オーディションでいくつかの大手声優事務所の担当者が来るスクールが目に留まり、そちらへ進むことにした。
今思えばここで役者業は完全に見切りつけて就職目指して、演劇は趣味で続けるって選択をしておけば良かったのかも。
役者一本で食べていくなんて小劇団に入ろうが大手事務所に入ろうが確率の低い運ゲーであることに変わりはないわけだし。
ともあれ私は声優スクールに進んでしまい、そこでも演技を楽しみレッスンに勤しんでいた。
前のスクールでそれなりに経験を積んでいた私は未経験者の多い声優スクールでは上手い方であり、講師陣にもそれなりに気に入られていた(と、思っている)。正直調子に乗っていた。
真っ当に教え子として接してくれた講師も勿論多かった、というか9割9分そういう素晴らしい講師だったけど、そうじゃない講師が1人いた。
演劇にしろ声優にしろ、スクールの講師の人達って生徒たちに舞台や映画をお勧めしてくださることが多く、その講師も例に漏れずたくさんの作品をお勧めしてきた。
その講師とか言うのもややこしいからH氏としておく。とにかくH氏は私に色々な舞台や映画をおすすめしてくれた。
私はお勧めされたものは積極的に観るタイプで、尚且つその感想をお勧めしてくれた人に語りまくるタイプでもあった。
私の感想?着眼点?を気に入った(ように見えただけで実際の興味は女体だけだったかもしれない)H氏は、「飲みながら語ろう」と私を居酒屋に誘ってきた。
当時の私はまだ20歳そこそこで社会経験が乏しく世間知らずであり、そして自分の憧れる業界に長くいる人と懇意になる=業界でチャンスが巡ってきやすいのでは!?なんておめでたい思考も持っていた。要するに考え無しのアホだった。
1軒目では途中でたまたま同じ店にいたスクールのクラスメイトの乱入なんかもあったりしながら演劇論で盛り上がり1時間ほどでお開き。楽しかったなぁと1人帰路についたところでH氏から電話が。「飲み直したい、2人でもっと演劇について語りたい」と。
前述の通りのおめでたい思考に更に酔いがプラスされ都内随一のアホで迂闊な女となっていた私は、そんな話を額面通り真に受けて釣られてしまった。もっと行間を読めるようになりましょう。
そこで半個室の居酒屋に連れていかれ、H氏から「奢りだからどんどん飲んでいいよ」と言われ、まあまあ強めのお酒をしこたま飲んでしまった。当たり前だが他人の金だろうとベロベロになるまで酒を飲んではいけない。
朝までその居酒屋でH氏と飲んで語り明かすつもりだったんだけど、めっちゃ酔ってたのと10年以上前だからこのあたりの記憶が曖昧なんだけど何でか場所変えることになったんだよな(ちなみに人生において記憶が曖昧になるくらいまで酒を飲んだのは後にも先にもこの1件だけだよ)。確か始発まではやってない店だった気がする。
始発まで別の店で飲むんだと思ってたんだけど(実際に行く店名まで話してた気がするんだけど)、H氏は徐に手を繋いできて、私はラブホに連れていかれた。演劇論を語り合うんですよね…?
ホテルついた途端H氏はバイアグラを飲みはじめ(ていうか今思ったけどバイアグラ日常的に持ち歩いてんのかよこいつ)、ようやく「これはマズイことになってるのでは」と酔いが醒めてきたんだけども時すでに遅し。本当に遅すぎ。私より立場も体格も上な人間を拒絶できるわけもなく、せめて口同士のキスとセックスだけは勘弁してくれとH氏のご機嫌を伺いながらなんとか一線は超えずに済ませた。演劇論?そんなものはない。
身体は触られ舐められまくり、「○○ちゃん(H氏の本名の下の名前)って呼んで」とか「赤ちゃんプレイが好き」とか気持ち悪い甘え方をされ、「自分の子供と同い年の女の子相手なんて興奮するなぁ」とか「胸に目がいって授業に集中できないよ」とかこれまた気持ち悪いことを言われたりなんぞして私のトラウマには完全に強烈に刻まれまくったりしたがなんとかかんとか一線は超えずに朝を迎えホテルを出て解散し、始発の電車に乗ってなんとかかんとか家路についた。てか結婚してたんかいお前。あやうく不倫相手となってもっと泥沼に突っ込むところだったぞ。父親がこんなでお子さんも可哀想すぎるよ。
このときに着ていた服はH氏の臭いがついたような気がしてしまい全部捨てた。気に入ってたんだけどねその服ね。ボトムに至っては確か着たの2回目くらいだったぞ。
まもなくH氏から謝罪のメールを送られて、私の内心は絶対に許さんぞスケベジジイめという気持ちではあったのだが、気持ちとは裏腹に「気にしないでください」と返信してしまい、スクールに訴えることもしなかった。
スクール内で出来た友人たちとの関係とか、自分の進路とか色々なことが壊れてしまうのが怖くて何も言い出せないまま卒業してしまった。自分の被害訴えようとすると友人たちやスクール自体に迷惑が掛かりそうな気がして(あと周りから講師とホテル行った女と思われるのも嫌で)我慢する方が良いような気がしてしまった。
もしこの時の私の判断のせいで後輩たちに次の被害者が生まれたりしてたら本当に申し訳ない。
子供の時から自分が我慢すれば丸く収まると思っているような人間だったけれど、そんなの大きな間違いだったんだよな。気づくのが遅すぎたな。
その後、私はそのスクールの学内オーディションで声優事務所の養成所に受かりそのままその養成所に進み、その養成所でもレッスンに励んだり小さい舞台にちょっとずつ出たりはしていたけれど、ある日突然駅のホームで泣きながら過呼吸を起こしメンクリでパニック障害と診断され養成所を辞めざるを得なくなった。
H氏の出来事があって以降、スクールや養成所で中年の男性の講師に褒められることに少なからず恐怖を感じるようになったり(別に他の講師たちは何一つ悪くない)、「このままプロになったらいつかH氏と再会するんだろうか」「私が成功したらH氏の武勇伝に使われるんだな」という不安に常に苛まれたり、その一方で男性に言い寄られると断れない貞操観念ゼロの状態になったり、あと単にバイトとの両立キツくて睡眠時間削られてたりと今思えばパニック障害に陥るのも当然のメンヘラ具合だった。
でもここまでメンヘラ女になっておいてやばいお薬とか葉っぱとかやらず処方薬ODとか自傷とかもせず借金もこさえずに生き延びてるの正直かなり偉いと思う(こうして無理矢理にでも自画自賛しないと本当に人生やってらんない)
10年以上も昔のことをなんで今更増田に書いてんのかというと半年ほど前にやってみたいゲームのキャストをチェックしていたら久々にH氏の名前を見て発作出ちゃったからなんだよね。
H氏はそんな大々的に売れてるような声優ではないし、私は今は他の趣味もできたしアニメも滅多に見ないゲームもほぼやらないので運良く数年間は名前を見ることはなかったんだけど。
あんなことしても平気で生きてて、今でも声優の仕事やってんだとか、どっかでまだ講師やって若い女に手出してんのかなとかH氏の家族って何も知らんのかなとか色々と考えて虚しくなっちゃった。(でも軽く調べた限り前のスクールの系列校も含め講師として名前は載ってなかった。講師業そのものも辞めてるといいけども)
H氏はこれ以外にも、出演したアニメや共演者や業界関係者を平気でdisったり毒親持ちの生徒に親を大事にしろとか説教したりぶっちゃけ授業自体も時間全然守らないわ中身グダグダだわで色々アレな人間だったんだけど、ここを語ると更に長くなるし話ブレるんでやめるね。
何年もずっとこのことは誰にも家族にも言えなかったし向き合うのが嫌すぎてネットに書き込むこともしなかった。ただ、長年通院しているメンクリの主治医に去年このことをやっと言うことができて、めちゃくちゃ自罰的になっていた私を宥めすかしてくださり少しだけ気持ちを軽くすることができた。やっぱ内に抱え込んでないで少しは吐き出した方がいいのかもしれない。でも家族には言えないな。
てかこれ書き始めたの去年の秋なのに踏ん切りつかなくて今日ようやく投稿できたわけなので、こういう体験談って打ち明けるのかなり難しいしメンタル的にキツイよな。やっぱ性被害なんて体験しないに限る。
これを読んでる夢を追ってる若い増田いたら(いるのか?)、憧れの業界の人に気に入られても2人っきりになるのだけは避けた方がいいということを覚えていてほしい。自分はブスだから大丈夫とか思うなよ、私はブスだけど大丈夫じゃなかったぞ。
本当に9割9分の講師はマトモで良い人だったよ。男女問わず。恩師と呼べるような人もいるしH氏みたいなのは例外中の例外だと思ってる。(今思うとH氏は治療が必要なレベルの性依存な人だったのでは?という気がしている)
ただ、どれだけ業界の1人に気に入られ親しくなろうと、その業界でのチャンスが巡ってくるわけじゃないよ。ただの一講師に仕事紹介したり事務所紹介したりとかそんな権限ないし。
どれだけその人に傷つけられようとも業界も誰も救ってくれないし、相手は平気な顔して生き続けてるし、こっちは10年以上メンクリ通って安定剤飲み続けるだけ。
正直なところそんな狭き門の不安定な業界なんて目指さず就職しろ安定を取れって言いたいけど、てかぶっちゃけセクハラとか関係なく真面目にお芝居勉強してきた人ほど世に溢れるヘッタクソな芝居にイライラさせられるので演劇関係の道なんて目指さない方が人生充実すると思うんだけど、
まあ目指したくなっちゃうもんな〜。自分は何とかなるって思っちゃうもんな。
だからせめて自衛できるところは自衛しておくれ。自分の人生に責任取れるの自分しかいないし。
こういう世界って生き残るのに才能の有無ってあんまり関係なくて、心身に異常をきたした人(と、借金で首が回らなくなった人)から脱落していくようになっていると思うんだよね。だから最低限心身の健康は守ろうな。
何の話?これそういう教訓話で良いのか?
まあいいや
何度も言われていることだけれど、そもそも似たような悲劇がたくさん繰り返されているから何度も言われるのだ。
まず、メンヘラ人間はなぜかやけに見た目がいいことが多い。というか、友人関係や恋人関係が成立しうるくらいのコミュニティにおいて、深く関わる前ならば「かわいいから」「かっこいいから」で許されていることが多く、結果として仮にブサイクならばとっくに弾き出されていたようなやべーやつ、見目が良いから生き残ったという話なのかもしれない。じっさい俺がいま付き合ってるメンヘラ女もすげーかわいい。
しかしそのかわいさに絆されて付き合い始めたら、その先には地獄が待っている。まず、なにかのトラブルにたいして、やつらは表面上「自分がが悪い」と言う。この「自分が悪い」という気持ち自体は嘘ではないのだろうが、そのあとに口をひらけば「XXのせいで自分はこうなってしまっているのだ」と言う。自罰的ではあるが、他責的なのだ。自分が悪い、と自分を罰しながらも、自分がそうなった責任は他人に転嫁している。最初のうちは「親のせいで」とか「周りのともだちのせいで」という話が多いだろう。そしてその「まわりの友達」や「親」を悪者にしたトークで同情者を募り、また「味方」を取り込んでゆく。そして、そこに「恋人」という役割で関わり始めたら、終わりの始まりだ。すぐに「私がこんなにダメなのは恋人かこんなにひどいから」というストーリーをあっというまに作り上げて、自分自身で信じていく。自分自身がそう信じてしまったらもう客観的にどうかなどは関係ない。それが本人にとって真実だから客観的事実がどうであろうと関係ない。
この「わたしがこんな状態なのはXのせい」という他罰性と、「わたしはダメな人間だ」の自罰性が絡まり合って、メンヘラはほんとうに「どう扱っても自己嫌悪してるか他人を激しく攻撃しているかしかしてない触りにくい人間」になっていく。そして周りの人間をおおいに困惑させ、傷つけ、結果として周りの人間は去っていく。
そしたらまた「わたしはなんてダメなんだ。わたしがこんなにダメなのはXXに(親に、恋人に、いままでの友達に、通っている病院の先生に)ああいうことをされたからだ」のループに入っていく。だから、自責の念と他罰性を強く持ったメンヘラには関わるべきではない。可能ならばいますぐ逃げるべきだ。
では、メンヘラは救われないのか? わたしは、彼らは他人の力では救われないと思う。他人の力で救われようとしているメンヘラは他人を不幸にするだけだ。しかし自分自身のケアの方法を覚えたり身につけたりすることができるメンヘラ、支援者に対して誠実に向き合えるメンヘラはきっと救われてほしいし、そうじゃないとしたらあまりに悲しいことじゃないか、と思う。
いくら相手の見目がよく、相手のことを大事だと感じられて、いくらあなたが「だからこそ自分が必要なんだ」と思うような優しい人間でも、取り返しがつかなくなる前に他責性の強い(なんども見てきたように自罰性の強さと他責性の強さは両立するのだ)メンヘラ人間とは距離を置いた方がいい。いままでも同様の警告は多く書かれてきたし、この文章だってそれらと同じく、ほとんどの悲劇を救うことはないんだろう。
それでも、自罰的で他責的なメンヘラが自らの他責性に気づくきっかけになったら、あるいは自罰的で他責的なメンヘラの支援者が逃げるきっかけになったら、すこしでも役立てたら、と思う。
自罰的で他責的なメンヘラの相手をするのは楽ではない。まずはそれを改めて確認しよう。自罰に対してはなるべくよりそいと安心を、他責に対しては同調せずにその考えから距離を取ることを大事にしよう。他責のターゲットが自分である場合は、あえてその問題を軽く扱う、触れない、気分の変化を待つなどの自衛をすることが、結果的に長期的な支援につながるはずだ、がんばろう
スレッタが許す許さないを決めるのは、プロスペラがエリクトのためにスレッタを作り児童労働者として使役してきた(きょうだい児・搾取子の立場に置いていた)ことについてまでであって、偽旗作戦でアーシアンを大量に殺したりクワイエット・ゼロ発動を邪魔する宇宙議会連合の軍人を大量に殺したことについては、スレッタは被害者でもなんでもないので許す権限などない。プロスペラの掌の上で転がされ思い通りに操作された大失敗罪でミオリネがアーシアンの憎悪の的になり、シャディクがクワイエット・ゼロの罪まで背負って逮捕されているけど、意味が分からない。これは本当に監督に対して「何をやっているか分かっているのか」といいたい。
目の前で何かが起きたとき、現象の原因や意味や今後予想されることなどはスレッタには分からない。ファラクトに勝手に乗り込んだノレアにニカが踏みつぶされそうになるのをスレッタは見ていて、すぐに体が動いてバイクで助けるけど、何が起きているか分かってない(その場でニカの死を防げればすぐに忘れる)からその後の学園テロも防げない。プロスペラ、エリクト、ミオリネが大事な存在であり、あとは地球寮のみんながいじめられていたら助けてほしいとグエルに頼むし、目の前で困っている人がいたらモブであっても救助するために体が動く。でも情報の処理や理解が何もできない。物事を長く覚えておくこともできないようだ。
スレッタアンチだからバカ扱いをしているとかではなく、ミオリネに何を言われても意味が分かっておらずミオリネを絶望させたシーンも、結局こういうことなんじゃないかと。でも、スレッタは頑丈。落ち込んでも盗み食いするし、頭が悪くてブレーキが壊れているところはあるが基本的には善性に基づいて行動するため他人の憎悪に飲み込まれないのがスレッタの美点でもある。スレッタはショックを受けても寝られるし食べられるし、体がよく動くことが取り柄の、頭はよくないが鈍感さが良いほうにも作用している健康的な子だ。最後に全身麻痺になっていて信じられなかった。ろくに教育を受けられず思考力もなく、学校を建てるだけ建てて、あの後どうするのか。
ミオリネの生存確率を上げるための制度として決闘により結婚相手を強制的に決める制度が有効だった・合理的だったとは欠片も思えない。しかし最終的にミオリネはデリングの愛を感じて態度が軟化、グエルもフェンシング(死ぬほどしょうもないシーン)の機会を設けてホルダーをスレッタに譲るという形でデリングの顔を立てながらスレッタとミオリネの結婚が決まっており、耐え難かった。ミオリネの誕生日も過ぎ、ミオリネがグループ総裁になるくらいだし、あんなルールは全くの無効になっているのだから、無視すべきであった。コングロマリットの総裁選がU-20な件は笑って流したが、トロフィー追認はその種の「所詮アニメのリアリティレベルだから」で流す気には到底なれなかった。
シャディク嫌いと言うと「わかってねー」みたいになるのも嫌い。真空ジェシカとトム・ブラウン褒めないとセンス悪い認定するインターネット同調圧力のようだ。うざい。あのキャラクターが高度だとは思わない。他作品では比較的ヴィランを好きになる性質の人間なのに、シャディクのことはストレートに嫌いだった。
アーシアンの地位向上の革命を目指しているが、ソフィやノレアやニカなど貧民アーシアンを使い捨てにすることについての葛藤・合理化の過程が何も見えない。ミオリネとグエルは両方上級国民みたいなもんだけど、ミオリネは好き(ただしクエタテロのときは一旦安全を諦める)、グエルには上級への嫉妬でネチネチした感情を向ける(ミオリネ自身の選択という部分を認めずにグエルに責任転嫁して逆恨みする)、というのがもう、好き嫌いの部分で完全に嫌いで。孤児からアカデミー時代の回想等も一切ないし、シャディクガールズのための自己犠牲も「シャディクガールズ自身に罪を償わせろ」としか思わなかったから、嫌いな部分をカバーできるような同情・共感できる要素が一個も出てこなかった。これが監督が特に力を入れたキャラクターなら、本当に感性が合わないとしか言いようがない。
グエル:スレッタが泣かされている→泣かせた4号を決闘で倒す(だれも望んでない行為だし失敗)
ラウダ:ペトラが意識不明にされ学園が壊され学生がじゃんじゃん殺されグエルがおかしくなった→諸悪の根源のミオリネをガンダムで倒す(だれも望んでない行為だし失敗)
不快な出来事が発生したら敵を探して倒して解決(ジェターク社の経営難はデリングを暗殺して解決)というヴィム脳ムーブをやめましょうねということなんだろうが、やめましょうのその先がどうなったのかが全く分からない。長男に対して虐待のような真似を繰り返すが大企業を存続させて雇用を生んでもいたヴィム・ジェタークという人物を、長男が引き受けてそのパターナリズムを再構築する部分を、グエルがやったんですか?どういう着地なんですか?途中の認識についても着地についても、説明が一切ないので空虚。父殺しについても意味がよくわからない。スレッタと同じタイミングでグエルも人を殺したら、その偶然の一致がなんか面白いということだった?結局最後まで共闘しないし、スレッタはグエルから何の影響も受けないし、関係がなかった。無関係なところで勝手に偶然同じタイミングの殺人していることと失恋しか無いとは、結局何がしたかったのか…。
退寮や退学といった虐待に耐えかねて家出した件について、対話を諦めたグエルの罪であるかのような扱いは許し難い。ヴィム・ジェタークは対話不能の相手であり、弟も味方ではなかった。グエルの家出は「批判されるべき逃げ」ではない。弟に殺されかけたのもグエルに殺されるほどの問題があり責められても仕方ないような話ではない。全体的に、デリングやヴィムの側の対話放棄は無罪で、子供側の「無理解」や逃げは有罪であるという非対称が酷い。
金儲けのために人体実験やって貧民殺してた金持ちが資産を失って面白いというエンディング。
5号は絵の場所を見つける前向きな旅をしているので復讐に囚われていない、までは良いんだが、ニカが自首して服役を描いておいて、明確な人殺しがバレずにCEOが無罪放免になっているのは何?資産を失ったとはいえ、殺り得でしたねとしか思えない。
こっちもスレッタが4号に恋をしたってだけで退場なんだよな。ペイル周りで意味らしきものが感じられたのは、スレッタのストーリーとは一切交わらない部分の、5号のセリフくらいだ。スレッタの頭が悪くて大概のことを聞き流したり忘れるから、ジェタークやペイルとの絡みがあまり意味を持たないんだよな。というか、シャディクとの対峙についても意味あったか?シャディクが勝手に決めることについてスレッタが抵抗し、勝ったことに意味があるかと思ってた。無かった。
ニカがおかしいことに気づいていながらマルタンが身内を通報することをためらったため、通報のタイミングが大幅に遅れて学園テロが発生して大勢が死んだわけだが、視聴者は「マルタンがニカを売った」「チンコロ野郎」とキレており、このアニメの視聴者層に対して絶望した。
マルタンはニカの怪しい動きをクエタで見てから何度も対話を求めており、ニカが拒絶しつづけて、ついにテロが発生したという流れがあったうえで、最後マルタンが「もっとニカに対して対話を求めていればよかった」と反省していたのも完全に意味不明だった。マルタンはニカに話してくれと求めていた。反省するとしたら対話を求め「ニカ待ち」をしている間にテロが起きて、大勢の人命が失われたことだろ。マルタンとニカの罪の辺りのシナリオは完全に意味不明。だれかこの異常なくだりを解説してくれ。
欠陥を愛そうというコンセプトは感じられるが、欠陥の描写ばかりで美点の描写が下手だからシャディクなどを「普通に」嫌いになる。
スレッタは嫌いではないが、「どんぶり飯をたんと食え」のような祖父母→孫感情の矛先というか、食い意地の張った哺乳類の幼体に向ける好感であり、人物としては「頭が悪い」としか言いようがないので、あの状態で学校を建てて理事長なり校長なりをやるのかと思うと意味が分からないと思う。
ガンダムシリーズ初の女性主人公で頭が悪い主人公だったので別の文脈が乗り不快。女性主人公二作目で頭が悪かったらこういう不快さはなかった(男性主人公の愛すべきバカキャラはいる)。ガンダムシリーズ初の女性主人公で異性愛フラグを折ったうえでの同性婚成立をやったのも面倒くさかった。異性愛フラグを立てたうえで折っておかないと悪意にまみれたレズのチン堕ち勢が押し寄せてきて尊いスレミオを破壊されるだろうから予め封じておきたかったのかもしれないが、まず百合ガンダムなどなぜ女性主人公の二作目以降でやってくれなかったのか。それにSF的な説明なしで全員バイセクシャルであるという設定のつもりなら、おかしい。そんなものには誰もついていかない。同性愛嫌悪者どころか、腐女子や百合豚ですらついていけない異常な人間観だろう。同性愛者、両性愛者、異性愛者、無性愛者がいる、その多様性を描けていない。ファンダムまでもが、同性愛以外を叩く百合豚と腐女子、異性愛以外を叩く男女カプ厨という多様性の真逆の地獄になっている。こんな糞以下のファンダムは滅びるべきである。
さらに同性愛以外のテーマも盛り込みすぎて、一個一個の社会問題の扱いが雑、尺が足りていないから全部が浅くてつまみ食い。「いろいろありますが、難しいですね」という大上段に構えた、優等生的な冷淡さがそこにあった。最も連想するのは、サンフランシスコの社会的弱者を守るための万引きの無罪化だ。当事者性が全くないエリートが頭の中で弱者保護を考えた結果、万引きの無罪化を行い、ホームレスよりはさすがにマシな立場にあった個人規模の小売店が万引き被害により経営が成り立たなくなり廃業を余儀なくされていく、その種の持続不可能な弱者保護、お世話係をよそに押し付けたうえでのマイノリティ保護。結果、攻撃的・搾取的な人間が蔓延してコントロールを失い、この事態を引き起こした自罰を行うだけになる流れだ。社会問題の取り扱い方に、現実味がないのだ。ニカやミオリネのお花畑が憎悪を生んだ、あの雰囲気が通底している。
仲良くなった人を見下す所
これだけ
そういう相手に見下された場合、俺がそいつの視点で見て間違った事をしたりだとか、少し危うい事をすると、彼らは普段自分に課している罰を俺に与えてくる
俺には彼らがそれを求めているように見える。
自分が「ここまで自信を卑下している事を否定してほしい、自罰的なのを止めてほしい」というのが信頼した相手に対して求めている事だと俺は思う。
今回俺はこれができなかった。その場では、ああ気に障ったならごめんねみたいな、無難な事を言ってしまって、切り込めなかった。
次は永久に来ないと思うけど、もし似たようなケースがあれば対応しようと思う。
今回の失敗をいつまでも考えていると脳が腐りそうなのでここに書き留めておく。
そもそも「育児」って言葉の定義やらイメージが人によって同一じゃないんだから、その難易度の話がすりあわせできるはずがないんだよ。
昭和の頃なんてほぼ放し飼いだったぞ。難易度なんて存在しなかった。
いまは「親ガチャ」って言葉があるけど、昭和以前は「子どもガチャ」で、うまく育つか生き残るかは子ども次第。不良になったり無能だったら「子どもガチャ失敗」っていって子ども側に責任転嫁してたくらいだ(腐ったみかんとか平気で言ってた)。
つまり、育児が難しいって言ってる人は、その発言者の育児のイメージが難易度の高いもので、自分が設定したハードルを自分では突破不可能って言ってるに過ぎないよ。自罰的とも言える。まぁ自罰できるほど豊かになって暇になって他に趣味がないもんだから、育児ジャンルでマウント取り合う競技が発生しただけなんだけどね。ポケモンバトルみたいなものだ。
https://anond.hatelabo.jp/20240714201952
紆余曲折あって、気持ちに折り合いがついたのでこの時の自分の問題点について考えてみようと思い立ち、この記事を書いています。
今回もきわめて頭の悪いお気持ち長文になると思うので、三行でまとめると
です。
先に恥を晒しておくと、私は学生時代、オタク=犯罪者予備軍という偏見がある時代で、変なテンションだったためにクラスで完全に孤立していたオタクです。
発達かどうか診断を受けたことはないのですが、未だにすぐ浮かれて中二病みたいな思考・自己認識になって一人ではしゃいでしまうので知性は低いと思います。
頭がおかしい女オタクというだけでもキツいのに、就職氷河期世代で、手に職をつけないとマズイという絶望的な空気の中「イラストレーターとして大成すればそんなの関係ないし、本当にマズくなったら死ねばいい」と楽観的に考え、手に職をつけず、それしか縋れるものがないため辞められずここまで来てしまった真性のバカです。
親の反対を押し切って大喧嘩の末に上京したため勘当されており、友達もおらず、インターネットの関係が私の交友関係の全てです。
挽回のチャンスは沢山あったはずなのに、ニコニコ全盛期は二次創作の手描き動画や人力ボカロに(時にはバイトをズル休みするほど)時間を費やしていましたし、イナゴ腐女子が問題になった頃は同人発の漫画家や同人の収入の話に釣られてまさにイナゴとして同人を描いていましたし、そもそも絵を描いていない時は一日中Twitterで時間を浪費していました。
そういう人間の自語りなので、絵師を高潔な存在だと思っている人にとっては受け入れがたい話だと思います。
信じようと信じまいと事実は変わらないので一向に構いませんが、自語り以上の目的が本当にないため、深読みは避けて頂けると助かります。
(故意に深読み嘘情報を流してバズを狙っていた私が言うのもどうかと思いますが、他意の無い文章に壮大な陰謀の伏線を見出されると少し焦ります)
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マトモに交流する相手がTwitterにしかいない時点でお察しなのですが、更に
「絵を描いていてえらい。描ける人はすごい」
「絵師は絵を提供する立場なので、クライアントがゴミだった場合は他の絵師が被害に遭わないよう晒した方がいい」
といった絵師に都合のいい話をする人ばかりをフォローし、都合悪いことを言う人をブロックし、何をやっても擁護されるコミュニティを構築していました。
想像がつかないかもしれませんが、私のような人は絵を描いていると、案外普通にいます。
ハッシュタグを付けて、オリジナルキャラクターの絵を年単位で描いたことがある人なら「ああ…」と思う人もいるのではないでしょうか。
何というか、止める人のいない環境を自分で構築したから、自業自得でここまで拗らせてしまったのだなと痛感しています。
前回Twitterで
「当事者がこんな客観的に物事を考えられるはずがない。つまり嘘」
という意見が散見されましたが、これはおおよそ生成AI規制派として活動している時、絵を描かない人たちが
「本物の絵師なら○○するはずがない」
という、絵師視点から見るとかなり怪しい決めつけを仲間内で広める行為が横行しており、この流れを商業利用しようとした私からすると
(お金も入らないし、ここに居たら話の通じない人認定されて現状が悪化して終わるだけだ)
と危機感が生まれ、なんだか全部嫌になってしまい、正気に戻ったからです。
前回の記事が、私の本心を全て打ち明けた懺悔であったにも関わらず、Twitterはしっかり本筋から外れた部分(文章の書き方や誤植、絵の描き方)を嘘認定することで盛り上がっていて、はてなのコメントでは本文に対しての知見や叱責をくれる人が多かったのを見て、やはり胸中を打ち明ける場所がはてなで良かったし、ここで降りる決断ができたのは正しい判断だったと再認識することができました。
本当に、はてなでのしっかりとした叱責に背中を押して貰えたと思っています。本当にありがとうございます。
自分が何を間違っていたか、「そもそも○○しなければよかったのに」と行動を根本を否定していくことは簡単ですが、結果ありきではなく今回(AI論争を知名度向上に結び付けるという発想、その行動内容)のどの部分が失敗だったのか考える必要があると思いました。
自力で考えてみたところ、
*思想で知名度を得ると、同調する思想の痛快さを目的に人が集まるので、思想の関係ない絵には興味がない。
*生成AI規制派の行動が過激化した時、どうやって清算するか全く考えていなかったので、取り返しがつかなくなった。
*やり方が攻撃的かつ陰湿だったので、マトモな人ならトラブルを懸念して「この人に絵を頼みたい」と思わない。
*そもそもAIどころか技術全般に疎いのに、偏見とお気持ちだけで押し切ろうとした。(今調べても、APIという専門技術のことがわからないので理解は困難)
という、「その後どうしたいのか」「ターゲットはどこか」「ゴールは何なのか」ということをロクに考えておらず、下調べも一切せずノリで飛びついたことが大きな原因だったと思い至りました。
勿論それ以外にも原因は沢山あると思うのですが、今の私の頭で考えるのはこれが限界です。
この先は外からの言葉ではなく、ちゃんと実社会に向き合って、失敗による恥を以て己の異常性に気づいた方がいいと思っています。
語るまでもないです。
恐らく敬語が混ざっているから優良誤認している人がいると思うのですが、私は自分が悪いと思っている時だけ冷静で、自分が悪くないと思っていることに苦言を呈されると顔真っ赤で噛みついて、グチグチと共通のフォロワーに悪口を流す、プライドだけ高い害獣ヒスおばさんです。
この腐った性根はすぐに叩き直せるようなものではないので、せめてこれ以上周りに害をまき散らさないよう、相手の言い分をよく聞いて自らの非を受け入れるよう自罰的な姿勢で努めたいと思っています。
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悪銭身に付かずというのは本当で、私が今まで知名度目的の同人などで得た金はただ「絵が上手い」という感想と一時しのぎの小金にしかなっておらず、性格が悪く上から目線だったためこの歳であるべき交友関係が一切なく、人としてなんの成長もしなかったので、今はその莫大な払いきれるかわからないほどのツケを自力で払うべき時が来たのだと感じています。
私事ですが、来月から派遣社員になるので、自分が無知で不出来で人を貶めるような卑劣な人間であるという立場を弁えたうえで、二度と同じ過ちを繰り返さないよう地に足をつけて生きていきたいと思います。
私の自滅が「こういう信じられない身の滅ぼし方をした人もいる」ということで、誰かの知見になって、同じ轍を踏む絵師が一人でも減れば幸いです。
「戦争を扱った日本の作品で「敵国の兵士による市民への暴力」について描いているもの」
普通に原爆フィルムの現物のこっとるがなhttps://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-53648562
ファットマン・リトルボーイ(日本におちた原爆のアダ名)おとした兵士も最近までのうのうと生きてて悪いことしたなんておもってもなかったんだよ
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO90168730V00C15A8000000/
この分析にはいくつかの正しい点がありますが、全てが正確とは限りません。
ただし、この分析が全ての側面を網羅しているわけではなく、他の要因や視点も考慮する必要があります。
この分析がAIによる出力である可能性はありますが、確定することは難しいです。以下の点を考慮すると、AIによる出力の可能性が高いかもしれません:
ただし、人間の専門家も同様の分析を行うことができるため、AIによる出力であると断定することはできません。どちらにせよ、この分析は一つの視点として参考にする価値がありますが、他の視点や専門家の意見も併せて考慮することが重要です。