はてなキーワード: あっちこっちとは
長くなりそうなので初めに端的に主張をまとめておくと
「素人がしゃしゃり出てきて有識者ヅラしてあることないこと言うなks」
です。
素人は黙っとれ---。までは言わない。素人の意見も大事です。
ここ数日、東京ビッグサイトで国際ロボット展が開催されています。
特に2023年以降急伸してきた中国のヒューマノイドロボットが、これほど一般の目に触れるのはおそらく初めてだと思います。
国内外学会では以前から見かけますが、一般向けの露出は今回が最大級かと。
その影響で、ヒューマノイドに関する話題が各所で上がっています。
10数年ヒューマノイドに関わってきましたが、盛りに嬉しさを覚えつつも、いわゆる「AI驚き屋」をはじめとするプロ素人が業界の案内人になっている現状に怒り覚えています。
今、YouTubeで “humanoid robot” と検索すると大量のプロモーション動画が出ます。
しかし、多くは"チャンピオンデータ"、何度も試行した中の成功例だけを抜き取った映像です。
それを知らずに
などと言い始める。んなわけあるかい。
こんなキラキラした成功例だけ見てるだけでヒューマノイド研究者名乗ってる◯◯も少なくない。
さらに質が悪いのは、その程度のプロ素人をメディアが“有識者”として呼んで解説や講演をさせている。
ホンダトヨタ、早稲田東大、産総研を差し置いてぽっと出のヒューマノイドウォッチャープロ素人を起用するのすごいですよね。
世の中、実績なくても詳しそうなツラするだけで有識者になれるんだなぁ。
加えて、「うちもヒューマノイドを作ります!」と軽々しく口にするベンチャー経営者も増えています。
しかし米中が成果を出せているのは圧倒的な資金と人員があるから。
無責任にプレスリリースだけ出して成果を出さない奴らが「日本はやっぱりダメ」という空気を強くする。
本当に迷惑。
夢を持つのは良い。
業界に喧嘩売ってる割に成果出してないビックマウスツイッターマンもいるし迷惑。
実際、あの手の動画の裏には無数の失敗と試行が積み重なってます。
そもそも現状を理解していたら二足歩行のヒューマノイドでビジネスをやろうなんて思わないはず。
「ルンバでいいじゃん」「車輪で十分」という批判はもうずっとある。
これに答えられた企業研究機関はあるのか?答えたとして、実際に示せたか?
ないです。
米中の実際に働いているとされている動画も、上半身しか使っていなかったり、地面が完全に平坦だったりと、「本当に二足歩行が必要?」というものばかり。
それ十数年前にホンダと産総研がやってますよ。んで、金にならんって辞めてますよ。
「AIでできるようになるといいな」
「AIでできるようになる(断言)」
あなた誰??何をした人??具体的にどうやるの??
ツイッター青バッジマン「米中はここまでできている。なのに日本は…」
誰ですか?
プロ素人の最大の問題は、ヒューマノイドの現実を誇張して広めること。
一般の人が期待するレベル、たとえば"福島原発の復旧作業に投入できるレベル"には現状まったく届きません。
原発事故の際には「なぜヒューマノイドを使わないのか」と批判もありました。(梶田秀司先生の「ヒューマノイドロボット 」にて語られています。)
その経緯があったからか、日本の企業研究機関は安易にヒューマノイドを再開しなかったんじゃないでしょうか。知らんけど。
さらに、2022年頃までは(今も?)ヒューマノイド開発という名目では研究資金は獲得できませんでした。
最悪、「ヒューマノイドはやはり役に立たない」という再評価がされかねない。
以上、あまり推敲せずに書いたので話があっちこっちに飛んでますが、総じて言いたいのは、
です。
Xでヒコロヒーさんが『BRUTUS』に寄稿したエッセイがバズり、今度はそれに対して「そんなに刺さらなかった」と発言したアカウントがバズり、色々な意見(というか論争)が交わされている。
実際にエッセイを読んでみたけれど、少なくとも名文ではない。自称読書垢やnote界隈が絶賛するような、素晴らしい文章とも思えない。
だけどこれは別に「私に刺さらなかった」という話ではない。彼女の文はそもそも、日本語文章としてみれば悪文というだけの話だ。
「私が話したい出来事が言葉となって口から抽出された時点で、相手の受け取り方は相手次第であるが故にずれが生じることがあり、それはいかなるコミュニケーションにおいても不可避めいていることであるが、余計なことを言われてげんなりすることも、そういうことではないと釈明することも面倒臭い。」
(原文ママ)
最初これを読んだ時、ええ?と思った。
一文で100字以上というのは文章としていかがなものかと思う。口語をそのまま書き写したらこのようになるのかもしれないけれど、日本語文章として見れば不適格だろう。言ってしまえば読みづらいし伝わりづらいのだ。
まず、あまりにも一文が長いせいで、主語と述語の対応関係が非常に分かりづらい。「私が話したい出来事が~」と始まって、その後に「相手の受け取り方は~」、「それは~」と、次々主語が移り変わる。
しかも、一文の中で主語が目まぐるしく変化したと思いきや、最後は「面倒くさい」という述語で終わっており、結局この文の主語は筆者である「わたしは」ということになる。しかもその「わたしは」の部分は本来「余計なことを~」の前に置かれるべきなのに、この文ではその肝心な部分が省かれているせいで、結局何の話をしているのか一読して見えてこない。
主語があっちにいったりこっちにいったりするせいで、一般論なのか著者の視点なのか、その階層構造も判別としない。また、「出来事を口にする」というのをわざわざ「抽出される」という受け身のよく分からない言い換えにする必要も感じられない。
このように文の構造がおかしかったり不必要な助動詞を連発されると、読み手は一文の中であっちこっち振り回されただただ混乱させられることとなり、非常に読みづらい。
というか、文章を書く者として読点句読点を使い分ける意識は無いのだろうか。
「単純に今日がハードで疲れたと弱音を吐くことさえ、相手によっては「自慢げだ」などと思われることもあるだろう、さらに相手がよしなになろうとしている男性である場合なら、彼らのプライドを無駄に刺激して、むやみに自信を奪うかやたらと張り合われるかの二択となって煩わしい思いをするだけである。とにかく自己開示はしたくない。厄介なだけだ。」
主語が抜けている点、読点句読点が使い分けれらていない点について言うのは止めにしても、この文にもやや問題がある。
「よしなになろうとしている男性」、「彼ら」、「相手」というのは全て同一の対象を参照する言葉だと思われるが、表現がそれぞれバラバラで人称も安定しないために、イメージが掴みにくい。
ちなみに、「よしなに」という表現もおかしい。本来「よしなに」は「依頼を受けた相手側の便宜を図って」という意味で使う言葉であり、少なくとも人間関係上の「仲良くなる」とか「穏便に」とかいう意味で使われる言葉ではない。
また、文後半の「むやみに自信を奪うかやたらと張り合われるか」の部分は並列助詞「~か」を使っているが、この場合「むやみに自信を奪う」のは筆者であり、「やたらと張り合う」のは相手であろう。
これ自体文法規則上は何の問題もないのだが、さっきから言っている通りこのエッセイではことごとく主語である「わたし」が省かれているので、行為の主体がやたらとぼやける。
文脈的に、後者の「やたらと張り合う」は前の「よしなになろうとしている男性」を引き継いでいるので意味は通るが、前者の「むやみに自信を奪う」は、ここまで出てこなかった筆者が突然出てくるので混乱しやすい。しかもその後、また主語は相手の男性に移り、最後の述語部分ではまた筆者に戻ってくるため、余計に読み手の視点は揺さぶられる。
とまあこんな感じに、このエッセイには日本語の文章表現として見ればほとんど悪文に近いものがいくつも散見される。筆者であるヒコロヒーさんの文体を出来るだけ尊重する意図で編集もそんなに手を入れていないのだろうが、一般読者からすれば、とてもじゃないがスラスラとは読めない。まあ目が滑る。
ではなぜここまで絶賛されているのかというと、それはヒコロヒーさんの文章が上手いからというよりも、彼女の感性が優れたものであり、普段日常で感じる人間の機微や苦悩を、ありのままに自分の言葉で表現しているからだろう。
ただ、その感性やセンスを褒めたたえるのは大いに結構だが、優れた文章表現かと言われると、それには大いに反対である。一つの文章として見れば、少なくともこれはあまり良い文章とは言えない。
逆に、この文章があまり良い出来ではないからといって、そこに書いてあるテーマまでひどいかと言われると、それもまた違う。
彼女の言っている内容自体は心に響くテーマだと思うし、伝わりづらいが、何となく言いたいことにも同意できる。こういうあまり人に言えない心の悩みをスラリと代弁してくれるところが、彼女がウケた理由になっているのだろう。
結局何が言いたいのかと言うと、このエッセイについて絶賛であろうが否定的であろうが、それが「文章」についてなのか、「テーマや筆者の感性についてなのか」を、どちらももう少し考えた方がいいと思うのである。
絶賛派は、正直言って文章というものを読まなすぎである。これをスラスラと読むのは、普通の活字に慣れている人間には無理だろう。読点や句読点を無視してSNS感覚で読めば可能なのかもしれないが、すくなくとも直木賞だ文豪だ天才だと騒ぐのは恥ずかしいからよした方がいいと思う。
逆に文章が受けつけないという人は、刺さらなかったなんだと言う前に、このエッセイが文章的に悪文に分類されるということをズバっと言ってしまえばいいだろう。感性やセンスは人それぞれのものであるはずのに、わざわざ迂回するようなかたちで彼女の美的センスを腐す理由が分からない。批判が怖いなら、そもそも触れるべきじゃない。
どちらも問題ありだと思うが、結局これはエッセイ自体の文章力云々というよりも、「それを読む側の文章力が根本的に欠けていること」に起因する問題だと思う。どちらも思うことはあるけれど、どうせそれを上手く140字の文章にもできないだけのことだろう。
大学1年生の息子が雨穴の「変な○○」シリーズを立て続けに読んで(ちゃんと紙の本で新刊で買って読んでた)はまったらしく、こういう感じのない?と聞いてきた。
僕も最近、ああいうモキュメンタリーっぽいホラーが好きだったので数冊貸してあげたところ、読み終わっての感想に「悪くないんだけど、もうちょっとミステリーっぽいのが好きなんだと気づいたわ」と言ってきた。
うーん、そういう場合、一番最適なのはたぶん京極夏彦なんだろうけど、あいにく自分は未読で家にもない。ちょっとホラーっぽいミステリーねえ、ミステリーの文庫本はトランクルームに閉まってるか実家だなとしばらく思案。
書棚の奥の方をあさったら、島田荘司の「異邦の騎士」が出てきた。数年前に近所のブックオフで100円棚にあって買ったのを棚に刺したままにしていたやつだ。本当は「占星術殺人事件」か「斜め屋敷の犯罪」の方がベターなんだけど今、手元にはないので、まあ、これでいいかと読んでみなと渡した。
翌日、読んでる?と聞いてみたら、「100Pくらい読んだけどまだわからん、っつうか、昭和の話かあと思ったら、主人公が昭和25年生まれで、うわーとなった」 「東横線とか横浜とか高円寺とかたぶん俺の知ってるそれとは違うんだろうなとなった」 「ああ、J-POPがさげすまれてた時代ね、ジャズが人気あった時代かあと思った」とか面白い感想を言い出した。
なので、しばらくほっといたら翌日も「話がすすまねえよ。あっちこっち行きすぎだよ」と愚痴ってたが、すまん、御手洗潔シリーズって全部そんなんなんだよと返すしかなかった。
翌々日くらいに「読み終わった」と言いに来たので、感想を聞いたら「いくらミスリードといっても真ん中250Pくらいいらねーじゃねーかと思った」 「御手洗、一気に解決しすぎなんだよお前はと思った」 「いったい何を読まされたんだよ俺は」と言っていて、ああそれは御手洗潔シリーズの正しい感想だわと嬉しかった。ちなみにドラマで御手洗潔役は玉木宏がやってたぞと伝えたら「それは絶対違う」と笑ってた。うんそうだよね。
読みながらReturn To Foreverの「浪漫の騎士」をSpotifyで聞いたそうで、俺が最初に読んだ頃はそういう読み方はできなかったのでちょっと羨ましかった。活字で読んだ音楽をその場で確認できるのはほんとにいい時代だと思う。
息子に「異邦の騎士」を渡したのは、この小説は僕が父から渡された小説だったからでもある。ちょうど自分が息子と同じくらいの年齢のころ、父から気まぐれに「これ面白かったから読んでみな」と渡されたのがノベルズ版の「異邦の騎士」だった。ミステリーって探偵が出てきて、依頼者がいて、殺人事件を解き明かしてみたいなやつでしょというくらいの認識でいた当時の自分には、そういう典型ではないこの「異邦の騎士」が御手洗と主人公の掛け合いの面白さもあり、非常にはまって読んでしまい、そこから立て続けに図書館で借りたり、本屋で買ったりして読みまくったのだった。
かといって、ミステリーマニアになったりするほどではなかったのは、どちらかと言ったら、この本は"面白いミステリー"の枠ではなく”父に薦められた面白い本”の枠だったからだと思う。
父は雑食な本好きで僕が学生の頃は家に何十冊もノベルズのたぐいがあった。僕が本を読むようになった頃は架空戦記ものにはまってしまっていたので自分の嗜好とはかなり違っていたが、中高生のころは何冊かは彼に教えられて読むようになった本がある。最初に薦められたのはたぶん「ぼくらの七日間戦争」だった。ちょうど映画化するころの話。まあ、あれは息子に読ませようと買ってきたのかもしれない。あと、高橋克彦なんかもすすめられた記憶がある。
結果的に「異邦の騎士」は父から僕へ、僕から息子へと三代をつなぐ小説となったわけだ。今度、墓参りにいったら父に報告しておこう。
息子は、課題があるからしばらく小説はやめとくが終わったらまた読むわと言ってたので、今度は書庫で探すかブックオフで拾うかして「占星術殺人事件」を渡そうと思う。
【追記】
書いてなくてすまんな、親父は8年前に死んでんだわ
話せない趣味
Youtube → くだらない動画しか観ていない。登録者10万人でも、日本の人口的にマイナーなので話が合わない。
読書 → 具体的なタイトルを出すと、そのタイトルの解説をしなくてはならないのでめんどい。学問系とかだったら「写像ってなんすか?」とか聞かれて答えに詰まると気まずい。
プログラミング → 「何作るの?」と言われても、データをあっちこっちするだけのもので説明がめんどい。「電卓とかですかね」と言ったら、「まだ電卓作ってるの?」といじられ続けたので、二度と言わない。
日記 → 「世間的には少数派という意味」で趣味だと思うけど、趣味として言っていいのかわからない。
筋トレ → 筋トレって言うのは孤独に己の内面と向き合うことなんだよ。見せつけるものじゃない。昼食にプロテインを摂るとバレやすい。
話せる趣味
ゲーム → Steamのよくわからないゲームをやっている。同じ返答を維持し続けるために、FPS・ローグライク・シミュレーションなどリプレイ性が高いものが良い。
変に流行りのゲームや終わりがあるゲームを言うと、「まだそれやってるの?」となったとき面倒なので。
Steamのフレンドになったら本当に何やってるか話す。ただSteamでゲームやってる人は現実の人にフレンドを申し込んだりはしない。
(↓編集した)
朝ドラの。
フィクションなんだけど、フィクションすぎて、「それはちょっとあり得なくないか」ってなってる。
(父上なんで祝言の日まで落ち武者ヘアなんだよーとか)
脳の変換が間に合ってないんよ。
当時の風習込みで見てる時代劇モードと、アニメの時代・歴史物を見るときのファンタジー寄りのフィクションモードの間をあっちこっちしてる感じ。
(追記:時代劇っていうと大河とか水戸黄門ぽいね。時代物とかコスチュームドラマとかヒストリカルフィクションとか広義の意味よ、って長ぇわ)
ほら明治ってまだ封建的で旧武家家族なんかは結構厳しかったりするじゃない。
杉本鉞子の『武士の娘』でさ、アメリカ育ちの娘を連れて日本に帰国したら母(祖母)がまー厳しくて娘さんたちがたちまち萎縮しちゃったっていう。
去年の虎に翼でも、当時の民法では財産にせよ相続にせよ女は家の付属物扱いだったみたいなさ。
アニメだったら楽だったのに。
ヘブンさんが出るまでは粘るか~。
これ毎回「役に立たないと思われてた研究から思わぬ成功が生まれるんだ」みたいな擁護の論法が出るんだけど、
そのたび「そっちじゃねえ」と思ったりする
自分の理解としては「そっち方面の話が分かるやつの母数が多いほど、トップの仕事の能率が上がるのが良い」だと思ってて
つまり常人の100倍1000倍、頭の回転の良い奴に頭の回転1倍のスタッフを付けたら能率ガタ落ちでしょ、って
だいたい、1000倍デキるやつが常人のあたふたしてるのを面倒見る羽目になるよね
二世三世議員に振り回されて要らない仕事増やされる官僚みたいにさ
周囲がついていけないと、デキる奴がやりたいことを始めたくても全部自分で準備しなきゃいけない
なんか成果を出しても、成果を理解できる程度の能力が同業界に10人や100人、出来るだけ大勢いないと成果が埋もれかねない
そう考えるなら、1000倍デキる能力を持つ奴のやってることをサポートするには、
その100倍デキるスタッフを支えるそれぞれのサブスタッフには、常人より10倍デキる奴が複数いて欲しいし、
1000倍デキると思われてたやつがミスって捏造論文なんか出しちゃったとしてもダメだしできるよう、
でさ、そういうふうに、そこそこデキるスタッフやサブスタッフを、ただ1000倍デキる奴の仕事待ちにはしたくないわけよ
じゃあ、他の事やらすか、って考えた時、1000倍デキる奴の専門領域の、
膨大な裾野の周辺領域の基礎研究みたいのをやらすのって、飼っておくには効率いいよね
基礎研究大事ってのの本来の意味は、そういう「専門知識に関われる、そこそこデキる人数を増やして囲い込むこと」だと思ってる
これを「この基礎研究やってるやつら、普段何してるかよくわからんから切っていいよね」ってやると、トップの能率がガタ落ちしてく
たとえば、理解してない常人が見当はずれな質問して話の腰を折るようなイメージ
話が分かるやつがそこそこ溢れてれば、たとえば研究者があちこちにいて、
研究者にはならなかったけど話ついてけるやつが民間にそこそこいて、
メディアにも話が分かるやつがそこそこ混じってれば
KindleUltimateで無料だった第七女子会彷徨って漫画を読んだんだけどさ!
性格の悪い藤子不二雄(元からそうだけど)みたいな基本一話完結の不条理SF女子友情漫画かと思いきや
最終巻で「OIOI、いつからこの展開を考えてたんだよ!」ってな感じの怒涛の回収に入り
これまで散逸的に飛び散っていたエピソードや設定をうまく拾って大団円で終わる
めちゃくちゃいい漫画だったんだよ!
でさ、そういう最終巻で伏線がバリバリ回収される作品だったら当然だけど
このエピソードどこにあったっけ、あそこだっけどこだっけってめちゃめちゃ読み返したくなるじゃん?
パラパラパラ~って読み返したいのに、あっちこっちの巻から拾い読みしたいのに
私は元々細かく読み返すタイプだったから電書っていまいち使い勝手よくないな~とは思ってたけどさ
同時並行的にいろんな本読むのにも向いてないし、電子書籍もまだまだこれからですな
第七女子会彷徨は今度ブッコフかなんか行った時に100円だったら普通に紙で揃え直したいと思った
次は何読むかな~小林さんちのメイドラゴンが無料キャンペーンやってたし
内容まったく知らないけど一時期めっちゃ話題になってたし読んでみようかな~
【追記】
作品の定価購入を強制してくる奴がキモい(anond:20250609171555)
毎日朝も早くから息子が起こしてくる、腹が減ったのと電車の動画を見せろという要求だ。
テレビで電車の動画を流してるあいだにご飯を用意、作ってでも食わないでバナナを寄越せと主張してくる。
おむつを変えたり保湿をしながらあっちこっちに歩き回る息子に服を着せてあげて出発。
お迎えに行くと俺の顔をみるなり笑顔で走ってくる、しかし持っているお気に入りの消防車の玩具は頑として離さない。
帰ってきたらゲームやドラマを見る間もなくご飯を用意したり食べさせたりを妻と分担するが、また食べなかったりデザートを寄越せおっぱいを飲ませろと主張。
食べ終わったらお風呂にいれて体を洗って一緒に湯船で少し遊んでから、妻にバトンタッチで着替えとかをお願いする。
着替えが終わったら歯磨きをさせるが、これがもう嫌がってしょうがない、電車やしなぷしゅ、アンパンマンなんかで意識を散らしてる間にやるしかない。
歯磨きが終わったら寝かしつけ、絵本を何冊か読んであげていると前まで言えなかった言葉を拙いながら言おうとしている。
絵本を読み終わってもぐるぐる回ったり、俺の頭の上に乗ろうとしたり、顔に触ってきたりでしばらく暇な上にだるい。
毎日のように発見や成長があって、子供が生まれる前とは比較にならないほど生活に彩りと変化があって、比較が出来ないほど幸せ。
真面目に作品を作ろうとせずにしょうもないアイドルネタを仕込む事にばっか熱心になってる様な奴が音頭取ってるせいだったんだな
ガンダムで更に初代の地続きっていうおんぶに抱っこ状態なのにそこですらちゃんと自分で話作らずに
元ネタやらその匂わせでやれあのキャラやロボが出ただのあの場所が出ただのしょうもない言葉遊びだのを定期的に出してあっちこっちに目配せしながら驚き屋のゴミ共に褒められたいっていう感情がありありと溢れてる駄作
それがジークアクスっていうガンダムシリーズが新たに生み出した巨大なクソ
Xの反応では~とか先行上映が盛り上がってるから~みたいな自分の感性じゃなくて他人の反応伺ってエコチェンに入り浸って無断転載の画像で会話してる様な連中にはこれが良い作品に見えるのかね
こいつらって作品や物語じゃなくてそこにある要素しか見てないし気にしてないから内容がペラッペラで児童向けの絵本未満の無理がある世界観と展開だらけでもそこに違和感を感じる事すら出来ない
エヴァはまだ自分の作品で勝手にやってたからまだ良いがジークアクスについてはもう本当に擁護しようがない
絵柄がやる気ないとかロボの造形がキモいとか世界観が意味不明とか以前の問題
わざとなのか知らんが「俺はまだ本気出してない」をずっとやるつもり満々な作品作りの姿勢に反吐が出る
カラーだからとかガイナだからとか庵野だからとか鶴巻だからとか言い訳してる馬鹿も居るがそんなもん作品に何の関係もない
どこの誰が作ったもんだろうが大物気取って寒いオタクのノリを出すばかりでちゃんと真面目に作ってないもんはただのゴミでしかない
内容が同人誌レベルなんだからマジでただの同人誌にしときゃそれで良かった
わざわざ映像化するような域にまで中身が仕上がってないんだわ
これまでのガンダム作品でも駄作と呼ばれてる作品は幾つかあったがこいつは頭一つ抜けてる
ここまで酷いもんが出てくるとは思わなかった
アニメーションの利点(一部欠点)として、「全ての構図はアニメ製作者が意図を持って配置することが出来る」というのがある。
実写だと予算の都合とかロケの都合とかで描けないものでも、アニメなら好きなものを並べて好きな構図でそれを描けるってことで、つまりその分手が抜けないから欠点とも言える、ってことなんだけど。
これを声高に単著(映像の原則)まで出して主張していたのが富野由悠季なわけだ。
よりによって彼が中心になって作っていた過去の名作のif作品に、いろいろな要素を並べていったら、そりゃ深読みされてもしょうがない、っていうか、原則的にはそれは深読みするまでもなくそういう意図があるものって読まれちゃうよねと。
映画版の方に関わってた別の先輩のほうもあっちこっちからインスパイアしていたけど、引用元を散らしていたのはそれがあくまで遊びであってメインの主張じゃない、って逃げだよね。
それを集中して1ヶ所からインスパイアされまくっているのは、その対象によほどはまり込んだのか、それともそれしか引用できそうなものを知らないか、どっちなんだろうね。