はてなキーワード: 歯車とは
最近「推し活」というのが世間的なブームになってきている。ってか最近でもないかもしれない。
ホテルやカフェでは「推し活プラン」というのができ、推しのぬいぐるみに着せる服は100均でも売るようになった。
かく言う私も4年前くらいは、すすんでぬいぐるみを買い写真を撮るなどしていたのだが、
最近はそのブームに対して忌避感を覚えるようになってしまった。
まあ、十中八九年齢によるものがあるのだろうけど、整理するために書いていこうと思う。
ソシャゲやVtuberのスパチャに代表されるが、お金を払うことがオタクのアイデンティティになってきてしまっている。
以前のオタクと比較すると、愛を語るのに「お金を多く払うこと」「消費をすること」が重要になってきている肌感がある。
まあAKBのCD商法とかあったけど、それがアニメやゲームなどの二次元コンテンツにまで入り込んできてしまっている。
だいたい、消費活動をすることはいいけどそれを「推し活」とかいうキラキラワードにして、競争のような状態にさせて、
あげくのはてにプリキュアのような子供向けコンテンツでそういうことを事前に勉強させるのってよくないんじゃない?
と思ってしまう。
加えてメディアに煽られた大手企業が「推し活」をターゲットとしてどんどん消費活動を応援するようになっている。
こう、上手く言語化することができないんだけど、歯車に組み込まれてしまったような気持ち悪さを感じてしまう。
某グループYouTuberの話だが、その中に一人生得的に不器用な方がいた。
YouTubeの企画の中でも何度か不器用さがわかるエピソードを披露したりするのだが、
コメントをぱっと見たときには「ふーん」くらいに感じていたが、だんだんかみ砕いていくうちに
「いや、人の不器用さに対して『かわいい』ってなんだよ」と思うようになってしまった。
ASDグレーゾーンのため、時々人の気持ちがわからず発言してしまったりしたことがある。
そのたびに「天然」「かわいい」と言われてきた。こっちは真面目にやっているのにだ。
ちょっと前に九月さんを発端とした「メロシコ論争」があったが、男性女性問わず
「生身の人間をキャラクター化すること」の恐ろしさ・おぞましさにもっと自覚的になるべきではないだろうか。
一生懸命にやっていることを褒めるつもりが、ぬいぐるみのようなものに押し込める行為になってないか、
ゲームも動画もアニメもドラマも映画も無限にあるのに、履修スピードが追い付かない。
というか、全部履修しなきゃって思ってしまうところがあって、流行ってるアニメを見ることが義務になってきてしまってる節がある。
逆張りしたくないんだけど、流行ってるコンテンツを流行ってる時に見ることのハードルが相当高いし、
また、ソシャゲに関してはイベントが多すぎる!いやマジで働いているオタクでソシャゲやるのどうやってんの?ちゃんと仕事できてる?寝てる?
ソシャゲもソシャゲで一つで完結するのではなく、別作品とつながってたり舞台化とつながっていたりと、
SNSでオタクのつながりが可視化されるようになって猶更、「すべてを履修しなくては推しを名乗れない」ことが
増えてきている。
軽ーい強迫観念持ちとしては「これも履修しなきゃ」と義務になってきてしまい、「愛」とは一体…?というような感じになってきてしまっている。
まあ、平たく言えば自分が昨今のオタクコンテンツに向いていないんだろうなあ。
でも、今までずっとオタクだったからオタクコンテンツに乗れないとただの「無」になっちゃうよ~という恐怖感がある。
似たような悩みを持つ人がいたらうれしいなと思い、筆をおきます。
バブル崩壊の傷がまだ癒えぬ頃、
文学界に異彩を放つ男がいた。倉上龍。
彼は著作でこう叫んだ。
「我々の国は、どれだけの金を使いながら、何を失ったのか。
特に、あの4000億円の“開発資金”を巡って、どれだけの命が奪われたのか。」
倉上の言葉は痛烈だった。
彼が名指ししたのは、祐介の会社であり、
「金額が膨大すぎて、国も責任を曖昧にし、現場はただの駒となった。
それが真実だ。」
---
そして時は進む。
構造改革の嵐が吹き荒れた。
祐介は知っていた。
それは、現場の切り捨てだった。
あの頃の労働環境は、それ以前の比ではなかった。」
---
だが、その彼らも、結局は巨大な仕組みの歯車に過ぎなかった。
---
祐介は今も、あの時の現場の声を忘れない。
「公共工事代金の未払いは、まさに国に殺されたも同然だった。」
「小泉・竹中の構造改革が進む中、安倍政権はその尻拭いに奔走し、
---
倉上龍の言説は今も、建設現場の片隅で消えずに響いている。
それでも祐介は生きている。
壊れた梁の下で、何が失われ、誰がそれを奪ったのかを、
語り継ぐために。
はてなで子供にiPhoneを買い与えないとかの親の話が話題になってたけど、最新のiPhoneすら子どもに買ってやれない親、正直もう終わってると思うんですよ。
「贅沢はさせたくない」とか「Androidで十分」とか言ってるけど、それ、ただの無知と経済感覚ゼロの開き直りでしかない。今の時代、iPhoneはただの“スマホ”じゃない。その時代の世界のテクノロジーの頂点、技術・文化・美意識の粋が詰まった、現代人の教養端末なんですよ。それを「高い」とか「中学生には贅沢」とか言って切り捨てるの、単にお前がその価値を理解できてないだけじゃん。
芸術だの音楽だの、子どもには本物に触れさせたいとか言ってるんでしょ? 一流の体験には金がかかるっていう当たり前のことを、なぜかiPhoneだけには適用しないのマジで謎。音楽も芸術も今の人類の最先端に触れようと思ったらそれこそ何百万、何千万、何億円とかかる。でも、毎日触れて、毎日学べて、世界最先端の感性が染み込むiPhone はいくらよ。たった20万円ぽっち。
しかもiPhoneはリセールバリューも高い。手数料ゼロのローンもある。まともに使ってれば1〜2年後でも10万円前後で売れる。つまり実質負担は数万円。 それすら計算できずに「高い高い」と騒いでる親、経済リテラシーの感性皆無すぎて見てられない。
「うちはお金に余裕がないんで…」じゃねえんだよ。損得の思考がないだけ。 リセールバリューも考えられないって、マジで一回まともに物買う練習した方がいい。
親の側がアップデートできてないのに、「子どもには将来のために努力を」とか説教してるの、滑稽すぎて笑えない。iPhoneも買ってやれない環境で、子どもにどんな未来を描けって言うんだよ。型落ちAndroidで情報感度ゼロの人間に育てて、ブラック企業の歯車でも目指してんのかよ。
いいか? iPhoneは、ただのガジェットじゃない。世界の技術の最先端を肌で理解させる“現代社会のパスポート”なんだよ。 それすら与えられない親が、教育とか格差とか社会とか語るなって話。親の感性の貧困と、経済リテラシーの欠如こそが、いちばん最悪な子どもの機会の剥奪だろ。
日本共産党は311の震災で前線の背中を撃つ以外の能力が無い事が露見したものの方向性を変えられず、亀裂音を立てながら破綻した歯車を回し続けている。
弱者救済のポジションはメロリン、逆張り王のポジションでさえひろゆきに奪われ、00年代に書かれたアンサイクロペディアの記載にある「居て欲しい逆張り政党」という褒め言葉という価値を失った。
抜本的な改革が必要である。そう誰もが気づきつつも年功序列の著しい共産党の塵のようなリソースはひたすら老人たちの介護に回さ続ける。これでは自民党と何ら変わらない。
三代続く由緒正しい共産党員である私はこの有り様を嘆きつつ、年齢という壁に阻まれ何の影響を与える事も出来ていない。
せめて、共産党員の中にも開明的な人も居るという事を知ってもらいたい。
日本共産党は無力なガラクタの癖に旧ソ連の幻想を捨てきれず、身の丈に合わない活動をして自滅する傾向がある。
小さな図体を意識し、以下の3軸だけを実現するよう社会活動を行う必要性があると考える。
現在の日本では、精神疾患からの貧困のスパイラルが強く問題視されている。劣悪な労働環境の為にうつ病を患った国民は金銭苦を伴い、通院費すら捻出出来ないという事例が多く発生している。
彼らを救済する為、共産党員への福祉を充実させる為、および日本経済を復活させる為、精神科の医療費を無償化する事により労働者人口の増大を訴える必要性があると私は考える。
また彼らは共産党の深い信念にシンパシーを抱く層が多い為、新しい党員の候補として活用出来る可能性が極めて高い。
またトランスジェンダーに関しては現在の日本共産党の若手筆頭の為、優先して優遇する必要性がある。
彼らは共産党の深い信念、および精神科医療費の無償化に強い関心を抱く傾向があり、率先して反AIを打ち立てる事により強力な支援が得られる可能性が高い。
そもそもメーデーに参加出来る労働者は休みを取る事が出来る特権階級または暇な老人だけで、一般労働者は加われない。だから党と国民の間で乖離が発生する。
この解決の為、または国民の安息日を増やす為にもメーデーを祝日化する事を強く提案する。
その上にメーデーを祝日化する事により、日本の法律では祝日と祝日に挟まれた日が祝日と化すオセロルールがある為、休日が実質3日増加する。
この効果は絶大と想定され、中高生といった若手にも共産党の素晴らしさを訴える事が出来る。
バカはお前の方だ。
心の中のガキを殺せとか言って自己放尿するその態度自体が、未熟な自己否定というオナニーでしかない。
まず理解しろ。インナーチャイルドとは、感情の原型であり、神経系の基礎プログラムだ。
それを無理やり抑圧し、否定し、破壊しようとする行為は、精神医学的に言えば解離や自己破壊衝動の温床になる。そんなもんを「成長」と呼ぶのは、ただの誤認識だ。
お前は自分の心を殺したつもりかもしれんが、実際は抑圧の地雷を埋めただけだ。
それがいつか爆発して、パニック障害・アルコール依存・DV・燃え尽き・鬱・過労死・自殺、どれかの形で「後から」ツケがくる。統計を見ろ、論文を読め。現実を直視しろ。
今の社会で求められるのは「冷酷な奴隷」じゃない。自己調整できる高精度な適応者だ。
情動の制御、自己理解、他者との協調。それを可能にするのが「未熟な自己をあやし、整え、育てる」というプロセスだ。
自分の幼児性を肯定するのは、「甘え」じゃない。理性あるアダルト自己が内的システムを再構築する作業だ。
そういうセルフメンテナンスができないやつは、会社でも家庭でも必ず壊れる。
ハイパフォーマーの条件を見ろ、EQ(Emotional Intelligence)を無視したやつは出世できん。
昼メシのUber EatsつつきながらSlack眺めてたら、非公開チャンネルに不穏ワードが爆誕してて笑った。
いや、笑えんわ。いよいよ “アクセに身売り” の噂、ほぼ確だって?
──は? はぁ!? こちとら週イチLTで「世界ぶっ壊す!」って雄叫びあげてる最強ベンチャー様だぞ?
週末はReact+Next.jsで自社プロダクトを夜な夜な爆速リリース、PRは秒でセルフマージ。
朝会は “OKR?知らん!” のテンションで「とりまKPIは宇宙!」とか言っときゃ許される──それがカルチャーだった。
なのに今日、CTOがAll-Handsで「合流シナジー」とかカタカナ並べ始めた瞬間、チームのZoomが凍りついた。
カメラ越しでも分かる、あの “終わった” 空気。マイク切ってDiscord裏窓で叫ぶしかなかったわ。
ポモドーロが爆散した。
達成度は「クォータリー360レビュー」でランク付け? 何それ、ブラック魔導書?
──はぁ? 技術書1冊で超えるんだけど? 草。枯れるわ。
オフィスだって、“カフェスペース”に鎮座してたレゴ・デロリアン撤去だと?
あのレゴが何百万の調達ミスを救ったか、シニア層は知らねぇんだよな。
Slackの新人チャンネルでは、案の定「これでもポジティブに行きましょ!」とか空元気のスタンプが飛び交ってる。
悪いけど無理ゲー。
そこに“PMOガバナンス”をねじ込むとか、自分のGitの履歴に「Fix governance breach」ってコミット残す罰ゲームかよ。
夜、恒例の“深夜メトリクス祭り”でGrafana眺めながら、ふと思った。
でもそれ、オレたちが「自由にぶっ壊せる」から叩き出せた数字だ。
明日からアクセ式チェックリストで “承認フロー: 7-Step” とかついたら?
ま、とりあえず社外公開してないOSS支援botのトークンだけは今夜中にrevokeしとく。
次に会議室で名刺交換するころには、名刺のロゴが白黒の世界支配企業になってるかもしれんしな。
でも──絶対忘れんなよ。
“自由はForkできる”。
巨大コンサルのバグに巻き込まれても、オレのGitHubアカウントだけは、スタートアップ魂フルコミットでPushし続ける。
ジグザグに捧げる現代詩
誰も俺を助けないでくれ
意外と困ってない
困ってるなんて言ってない
鍵閉めた?気になるけど実は閉まってなくてもいい。田舎育ちでもないが。郊外でもないが
ほら、大丈夫!キュリオ?とかスイッチボット?とかで閉めてもいいけどさ、セキュリティと自由はトレードオフだよ。無料飯《タダメシ》は無いし、安全地帯で収穫される芋にはリンが希薄だ
GANTZってなんであんな撃たないの?葛藤や戦時における平和な人間の悲哀を描きたいなら西部戦線異状なしがやってるし、ゲーム形式の軽さをスパイスにシニシズムを炒め込むならテンポが悪い
あゝ、奥さんは肛門と糞便を描くべき。暗黙裡に腐り続ける身体で鳴き続ける腸の要請と社会の用意したドレスコードは、噛み合わない歯車であり、軋んだ音をサブスク
糞便を描いた作品などピンクフラミンゴやソドムの市や、マニア向けのポルノや、それくらいやでほんま
このテーマを極めたら偉いよ。その、最初の電車のシーンで「なんか、ホントはやったほうがいいけどいまいちインセンティブ働かないとやるって感じにならんよね」ってテーマを扱ったの、真理ではあるが、図としてイマイチでさ、小説にしたら?
知りませんですけどもね。(現代詩は結びを〔ころすぞ〕か〔しらねぇよ〕で締める決まりがあるが、実在人物に言及した場合、法理的要請から〔しらねぇよ〕の採択が望ましいとされる)
ここで一句
イクイクイク(字余り)イクイ(字足らず)クイクイクイクイクイクイイクイクイクイクイクイクイクイクイクイクイクイク(字余り)
現場にいようが経営層にいようが、パフォーマンスは客観的な価値を生む行動の積み重ねであって、誰の発言かで正しさは変わらない。
経営者でなければ発言権がないという前提こそ、怠惰と責任転嫁の温床だ。
「たかが従業員」と立場を卑下することで義務を放棄しようとする論法は、自己矛盾そのもの。
給与をもらっている時点で労働契約が発生しており、対価に見合うアウトプットを出すのは当然。
それを「意識高い」などと揶揄して逃げ道にするのは、無能の常套句に過ぎない。責任を持ちたくないなら給料の分もらう資格はない。
経営者というのは会社全体の持続性を考える立場であって、従業員のパフォーマンスを前提にして戦略を立てている。
そこに「俺は経営者じゃないから知るか」は通用しない。全体の歯車としての自覚がなければ、組織の一部として存在する意味がない。
チームスポーツで「俺は控えだから走らなくていいよね」と言っているのと同じ。そんな選手は即ベンチ外だ。
目ぇ覚ました瞬間、天井の模様でピンと来た。ここ、セリアタウンの吹き抜けじゃない。古びた漆喰と丸い照明――地球で暮らしとった頃の実家の天井や。視線を巡らせると、壁のカレンダーも古式ゆかしき紙のやつ。しかも “令和七年” の大きな文字が五月を指し示しとる。おまけに横では静かな寝息。掛け布団の向こうに髪の影が見えて、そっとめくったらフェミちゃんが丸くなって寝とる。
起き上がって窓を少し開けると、外からツバメの鳴き声。二百年未来の預言機械とは違う、伸びやかな声や。これで確信した。ワイは2125年の今日から――いや、ちょうど百年分巻き戻って2025年の地球に飛ばされとる。
台所に行くと、吊るし袋の中からゴミーが「ぽふっ」と顔を出した。羽毛みたいな身体がふわりと光って元気そのもの。未来でも過去でも彼はマイペースや。指を立てたら同じポーズで返してくる。
お湯を沸かしながら、頭の片隅でマハカルの大乱動の映像がざわついた。あれが始まるまでに百年の猶予。止められる可能性はきっとある。こっちで情報を集める価値はでかい。
カチッ、とケトルが沸騰を知らせる音と同時に寝室の戸がきしんで、フェミちゃんが髪をぐしゃぐしゃのまま顔を出した。
「ほなバター。で、その顔は何?」
「後でゆっくり説明する。たぶん、めちゃくちゃ長い話になるから」
トーストが跳ね上がる音と一緒に、未来で見た黒い嵐の轟音が遠い記憶になっていく。だが忘れたらあかん。今ここで動けるのはワイだけかもしれんのや。
「ま、あんたが黙ってるときはだいたい世界の終わりを考えとる。落ち着いたら散歩しよ。話ぐらい聞いたるわ」
ゴミーが窓辺で羽ばたきながら朝の光をプリズムみたいに散らす。いつもと変わらん、けど確かに違う。ワイはバターナイフを握り直し、刻まれた日付をもう一度確認した。2025年5月1日。ここが起点。
今日のできごと。
鉛のように重い体を引きずり会社に向かう。
誰からも期待されず、無視されている。でもそれでいい。私はもう疲れたのだ。
いつもの様に、変わり映えのない、ただ繰り返されるだけのくたびれた日々。
「風呂入るのだるいなぁ・・」そんなことを思いながら、自分の部屋に入った。
部屋には魔物がいた。
魔物は赤い目でじっと私の様子を探っている。
おそらく、隙をついて一気に襲いかかるつもりだ。
私は視線を逸らし、見なかったふりをして部屋のドアを閉めた。
ちょっと時間を空けて、5分後くらいにドアを開けてみると魔物はいなくなっていた。
部屋の様子を見ると、壁と床に黒い点々がところどころに染みを作っていた。
魔物の残り香が部屋に充満していたので、窓を全開にして空気を入れ替えることにした。
冷たい空気が部屋の中に入ってきた。
毎朝、同じ時間に点滅するあの信号。あれはただの交通整理だと思っているのか? 甘いな。甘すぎる。あれは同期の合図だ。我々を規定のリズムに嵌め込むための。
考えてみろ。なぜいつも同じタイミングで赤になる? なぜあの交差点だけ妙に待ち時間が長いと感じる?偶然? プログラム?違う。あれは「調整」されているんだ。誰によって? それが問題だ。
見えない糸。我々はそれに操られている。通勤ルート、休憩時間、昼食のメニュー選びでさえ、大きな流れの中に組み込まれているとしたら?
最近、カラスが増えたと思わないか。彼らの目も、どこか不自然に光っている気がする。まさかな。いや、しかし。
壁のシミもそうだ。昨日まではあんな形ではなかったはずだ。あれは地図を示しているのか? それとも警告か?
この文章も監視されているのだろう。特定の単語に反応するフィルターがあるはずだ。「信号」「調整」「カラス」「シミ」。これでマーキングされた。
だが、書かずにはいられなかった。誰か、気づいている者はいないのか? 同じ違和感を抱いている者は?
わたし「なんで、こんな…自分でもわかるくらい負のオーラまとってんの。」
弱者男性「スペックだけなら勝ち組のはずなのに、気づいたら内側から腐ってた。」
弱者男性「それだけじゃない。」
弱者男性「一緒にいる時間が長すぎると、負の感情がうつるんだよ。」
弱者男性「鏡合わせみたいに互いの闇を映し合ってさ。」
わたし「自分の醜さを他人の中に見つけると、逃げ場なくなるよな。」
わたし「それでどんどんチー牛化が進行していくわけだ。」
弱者男性「醜い容姿で世界中から嫌われ、女を憎み、すべてを他責にする存在。」
わたし「でもさ、ほんとはわかってるんだよね。」
弱者男性「わかってるよ。」
弱者男性「でも認めたら終わりだろ。」
(チー牛が異様なスピードで突進してくる)
わたし「こっち来んなっての!!」
(ふたりは部屋を飛び出し、闇の中へと走り去る)
ああ、春ですか。まあ、確かにカレンダーはそう言ってますね。でもあなたのその感傷的なつぶやき、まるで去年の花粉症の苦しみを完全に忘れたか、あるいは脳の記憶領域がスギ花粉で埋め尽くされたかのようで。
春ですって? そうですね、自然界は再生の季節ですよ。でも人間界は相変わらずで、SNSには「春だな~」という無脳な投稿が再生産され、まるで思考停止のループ。桜の花びらより軽いあなたの知性が風に舞っていますね。
「春だな」って、何が? 税金の支払いが迫ってくること? 新入社員という名の使い捨て労働力が大量投入されること? それとも花粉、黄砂、PM2.5で呼吸が罰ゲームになること? ああ、素晴らしい季節ですね。生きててよかった。
春が来たからって、あなたの人生に突然ポジティブな変化が訪れるとでも? 桜が咲いたところで、あなたの自己啓発本の積読タワーは相変わらずですよ。その「春だな」の一言で、空虚な日常をごまかそうとしてるのが見え見えです。
自然界のサイクルとやらに感傷的になる前に、あなたの部屋のサイクル(汚れ→さらに汚れ)でも見直したら? 春の訪れを感じるどころか、カビの繁殖を感じるレベルですよ。
ああ、春。就活生には地獄の季節。花粉症患者には拷問の季節。あなたのような浅はかなつぶやきをする人には「そうですね」としか返せない人々をイライラさせる季節。素晴らしいですね。
春ですよ! 新しい始まりです! といって、あなたが去年やり残したこと、挫折した目標、消えたやる気、全部そのままじゃないですか。桜が咲こうが、あなたのダメさは枯れ木同然。
「春だな」というありきたりな感想。その陳腐さは、コンビニの桜味商品並みのオリジナリティですね。せめて「春の訪れに、私はまた一年無為に過ごしたことを思い知らされる」くらいの自覚はあるのかしら?
春ですね、確かに。でもあなたのその言葉、まるでAIが自動生成したような薄っぺらさ。感情の深度がインスタントコーヒー並みに希薄です。もっと捻ったメタファーはないのか? 例えば「春は社会という歯車にまた噛み込まれる季節」とか。
ああ、春。あなたのような人々が一斉に「癒される~」とか言い出す季節。でも現実は、クソみたいな日常が色を変えただけ。桜のピンクに染められても、あなたの愚かさは相変わらず真っ黒ですよ。
春が来たからって、何か変わる? あなたのその怠惰な性格、自己中心的な思考、浅はかな価値観、全部そのままでしょ。季節が変わったところで、中身までリニューアルされると思った? 残念、人間はそう都合よくできてません。
「春だな」という安易な言葉。その裏には「何も考えるな、感じろ」という思考停止の命令が隠れてますね。まるで「とにかく盛り上がれ」という強制された陽気さ。春の嵐よりうるさいのは、こういう薄っぺらなポジティブ思考です。
春ですって? 社会の歯車がまた回り始める音が聞こえますか? 新年度という名のシステマティックな暴力が始まりますよ。あなたの「春だな」という言葉は、その暴力を美化するためのBGMに過ぎません。
ああ、春。自然は再生するというのに、あなたは相変わらず同じ過ちを繰り返す。去年と全く成長してないじゃないですか。桜の木は年輪を重ねるというのに、あなたの脳内は1周回って同じ場所。立派な停滞ぶりです。
春の訪れを喜ぶ前に、あなたの人生の冬を何とかしたら? 人間関係もキャリアも趣味も、すべてが凍りついたままじゃないですか。自然界のサイクルとあなたの成長が完全に同期してないことに気付いてる?
「春だな」という言葉の軽さ。まるでその一言で、自分が何か深いことを言ったかのような錯覚。その自己満足、春の陽気に浮かれた花粉のようです。一瞬で消えますね。
春が来たからといって、あなたの内面まで花咲くと思った? 残念、そこは不毛の地のまま。むしろ「春なのに何も変わらない自分」に気付いてさらに憂鬱になるのがオチでしょう。
ああ、春。この季節だけなぜか哲学者になる人が増えるよね。「命の尊さ」とか語りだして。でもそのくせ普段は平然とコンビニで使い捨て商品を買い漁る。矛盾もいいとこです。
春の訪れに感傷的になる暇があったら、まずはあなたの部屋の掃除をしたら? 冬物のコートの下から出てくるのは、去年の食べかけのお菓子じゃないですか。自然の循環より、あなたの生活のループの方が深刻ですよ。
「春だな」という言葉に込められた無内容さ。その空虚な響きは、あなたの頭の中をそのまま反映しています。せめて「春が来ても何も感じない」くらいの自己認識があれば救われるのですが。
春ですよ! 希望の季節です! ……と言い張る人々の、その根拠のない楽観主義。現実を見ろよ。春が来ようが、世界は相変わらずクソだらけ。あなたのその能天気さ、むしろ病気ですよ。
というわけで、春だな、とつぶやくあなたに春の訪れを祝うよりも、まずは自分自身の陳腐さを反省することをお勧めします。自然界のサイクルにすがる前に、自分という惨状と向き合いなさい。それができたら、まあ、それもまた春の奇跡ですね。