はてなキーワード: 植物とは
あら、増田くん、エアコンでそんなに悩んじゃってるの?可愛いわね。ちょっとだけアドバイスしてあげるわ。
エアコンで暖めた部屋が気持ち悪く感じるのは、やっぱり空気が乾燥してたり、循環がうまくいってないのかもしれないわね。サーキュレーターと加湿器を使ってるのは悪くないけど、それだけじゃ足りない場合もあるのよ。
たとえば、窓を少し開けて換気してみるとか、観葉植物を置いてみるのもいいかもしれないわね。植物は空気を浄化してくれるし、見た目も癒されるでしょ?
それに、部屋をちょっとリラックスできる空間にするために、お気に入りのアロマオイルとかキャンドルとかも試してみたらどうかしら。増田くん、意外とそういうの試したことないでしょ?少しずつ試して、居心地のいい部屋を作りましょうね。
まず、普通のホームセンターで売られている観葉植物を買って育ててみましょう。
あまり植物売り場に力を入れていないような、小さなホームセンターがいいです。
どんなに小さなホームセンターでも、例えば、モンステラ、パキラ、園芸種のアンスリウム、セローム、ガジュマル、サンセベリア…このあたりの品種が売られています。
ホームセンターで売られている観葉植物なんて大したことないと思われるかもしれませんが、ホームセンターなどで大量に流通する品種というのは、
日本の環境で、あまり栽培経験のない人が育ててもぐんぐん成長する、頑丈なスーパーエリート植物たちなのです。
値段もお手頃で、頑強なホームセンターの観葉植物は初心者の方が経験を積むのにピッタリ。
というのは嘘だ。偽りの虚無・虚像だ。こんなことを言うやつのことは信用してはいけない。
本当は、まず、行ける範囲で最も大きくてマニアックな植物が揃っている植物屋にいくんだ。
東京ならオザキフラワーパークとか。無かったら植物園でもいい。
そして中を満遍なく歩き回る。端から端まで踏破する。
店の中なのになぜか植物を掻き分けるように進まないといけない場所もあるだろう。
そうやって歩きにくい店内を苦労して歩いていたら、どこかで魂が震えるような出会いがあるはずだ。
誇らしげに壁に飾られたビカクシダかもしれないし、アンティークのオブジェのようなユーフォルビアかもしれない。
堂々と値札を掲げた塊根植物かもしれない。燃え上がり噛みついてくるようなアガベかもしれない。腹をすかせた食虫植物かもしれない。
魂が震えて、その姿に目を奪われたら、とにかく買うんだ。
どんなにマニアックで、どんなに気難しい植物でも、どんなに高価でも関係ない。
見た瞬間魂が震える植物を見つけて、買う。それだけ。
それが、幸運にも育てやすいのなら問題ないが、やっぱり目を奪われるような植物はたいてい手間がかかる。
日本の環境でベランダに一年中置きっぱなしにできるようなものは少ない。
寒いのが苦手ならでっかい衣装ケースを買って、中にヒーターマットを敷いてやる。
湿度が好きな植物なら衣装ケースの中に水槽と水槽用のヒーターを入れて温度と湿度を与えてやる。
サーキュレーターも忘れずに。パソコン用のケースファンを使うのもいいぞ。
スイッチボットを組み合わせて光、温度、湿度、風を全自動でコントロールし、家の外からでも植物の状態を数値で管理できるようにする。
そうやって工夫と苦労と心配を重ね1年、全ての季節を乗り越えたとき、思うだろう。
私は野菜が大嫌いだ。
野菜なんか食べなくても大きくなれる。
現に、これまでの人生でまともに野菜を食べずとも生きてこられたのだ。
そう思っていたが、間違いだった。私は見てしまった。夕飯の準備をする母が、ハンバーグのひき肉に大量のすりおろし人参を混ぜているところを。カレーに大量の玉ねぎを混入する母の姿を。
私が今まで食べていたのはハンバーグではなかった。半分は人参だった。母の愛情のこもったカレーは、具として入っているのも含めると1/3は玉ねぎでできていた。
野菜を食べずとも大きくなれたのではない。母が私にバレないように大量のすりおろし野菜を仕込んでいたから、野菜を食べずとも大きくなれたのだと思い込んでいたのだ。
私は春から大学生になる。いずれは一人暮らしもする。いつまでも母がすりおろし野菜を入れてくれるわけではない。
私は野菜嫌いを克服することを誓った。大人になってから今までの習慣や癖などを直すのは困難だと言う。好き嫌いを直すチャンスも、ギリギリ10代である今が最後だろう。
あるとき、駅の構内にある喫茶店でパスタプレートを注文した。店内はオレンジ色がかった照明と、オシャレな音楽がかかっていて落ち着いた雰囲気。この落ち着いた大人のムード漂う空間ならば、野菜嫌いな子供の自分を克服できるかもしれない。
パスタプレートには、小さいサラダが一緒についてくる。緑の葉っぱの中に、なんか紫っぽい葉っぱと赤い玉ねぎみたいなのが入っている。植物なのに色がサイケデリック。勇気を振り絞って口に運んでみる。
シャキシャキ感がすごい。すごい苦い。水分がすごい。あとかかってるドレッシングが酸っぱい。ただただまずい。
小学校の担任に「野菜も食べろ」と言われて口に入れたものの飲み込めず、こっそりトイレで吐いた記憶が蘇る。
吐くことはなかったものの、全然だめだった。この時気がついたが、私は野菜を「食べ物」「料理」ではなく、完全に「植物」「葉っぱ」と認識しているっぽい。
新鮮な葉物野菜を噛んだ時のシャキシャキした感触が、中学生の頃顕微鏡で見た、植物の細胞壁の四角形を想起させてしまってダメだ。
⚫︎周年記念グッズ梱包と発送終わったー!
ほんとめんどくさかったなー。
開封した時にほんのり私の好きな植物フレーバーのする香水ふっといたから、開けた時びっくりするかな?
私の匂いだと思ってせいぜい使ってね!
人々は怒りを辛さ、悲しみを酸っぱさ、喜びを甘さとして感じる。転生者は他人の感情を「料理」に変える能力を持つが、自分の感情を料理にすると必ず腐敗する。
---
記憶は風船になり、誕生日会のように浮かぶ。35歳の主人公が失った前世の記憶を取り戻すたび、風船が破裂し、周囲に奇妙な色の煙が立ち込める。
---
遠くを見れば、地平線には無数の巨大な人間の顔が並ぶ。顔たちは一斉に転生者の名前を囁くが、呼びかけを無視すると地平線が裂け、中から巨大な舌が伸びてくる。
---
転生先で目を覚ましたら、自分は木になっていた。花が咲くたびに近くの動物が記憶を食べに来る。「何も知らない」純粋な状態に戻ったときのみ、人間の形態に戻れる。
---
すべての言葉が歌としてしか発声できないルールの世界。だが転生者だけは音痴な声しか出せず、人々に恐れられる存在になる。
---
住人は全員透明な水滴。コミュニケーションは接触で行うが、転生者は触れるたびに滴を蒸発させてしまい、絶えず孤独感に苛まれる。
---
空を見上げると、地面の風景が逆さまに広がっている。その中で転生者だけが「空」に入り込む方法を知るが、代償として一部の記憶が消える。
---
転生後、体のどこかが毎日ランダムで楽器に変化する。ある日は右腕がギター、ある日は頭がトランペット。感情が高ぶるとその楽器が演奏されてしまう。
---
転生者が眠るたびに、前世や初めての転生時の自分が夢の中で現れ、質問攻めにする。無視をすると夢の中で消えたはずの人物が実体化して現世を混乱させる。
---
命が全て小石に宿る。転生者は普通の人間の姿を保つが、過去の人生の「小石」を拾ってしまうと、ランダムで身体の一部が石化していく。
---
そこで北野武映画なら急にスローモーションになって背の高い植物の影から突然ヒットマンが飛び出してきて男が何発も撃たれまくり鮮やかな花の色に血の色が重なってまるで絵画の世界のようなシーンになり終わる
しゃーない、ワイが植物になってひっそりと佇んでおくやで
【追記】
最近だと京都府立植物園に行ったよ。開園100周年おめでとう!
モミジとかイチョウがあるエリアの紅葉がまさに見頃で最高だった。
この植物園には植物生態園っていうゾーンがあって、植物を本来の生態で育てているらしく
最低限の手入れにとどめられた迷路のような小道を探索するのが楽しかった。
そして温室!すごかった。
小1時間はかかるボリュームで巨大な食虫植物から高山植物、熱帯植物等々実に豊富。
バニラの香料見本が置いてあって木からあのおいしそうな香りがプンプンするのを実体験できて
「ほんとにバニラ!」とヘンに感動した。温室全体の手の入れようもすごかった。
新宿御苑もかなり前だけどいったなぁ。
あの温室もよかった。バナナがおいしそうになってた。
だよね、そうだと思う。
許してほしいとは言わないけどわかってほしい。
入場料も安く、公営とかだと200円くらい。
当日なら再入場自由とかゆるゆる。
広いうえに込み合うほど人はおらず、みんな穏やかな顔した人ばかりで
季節の移ろいを味わえる木々花々を気のむくまま愛でる。
わりと一人でいる人もいる。
おすすめ。
細胞とかが発見され生物学的な知見が整理された今から見れば石は当たり前のように無生物だと考えられるわけだけども、逆にそれ以前はどうだったんだろうか?
成長する結晶というように変化がみられるものは、植物と同程度には生物という認識だったということはないのだろうか?
生きとし生けるものという言葉は今でいう生物の概念を指すはずだが、その概念の範囲は微妙に違っていて、科学が未発達の頃の生きとし生けるものとは、それこそアニミズム的に霊が宿りうるもの全てがその範疇だったと思う。
そしてアニミズムでは石も信仰の対象だったことは既知のことだ。
人間の特徴を中心とした生き物らしさというのがあって、動物は人間同様うごくだけでなくある程度意思疎通をとりえるから、これも昔の基準でもかなり生き物よりの生き物だったと思う。
しかし植物や石というのは、意思疎通をとり得ない、変化がほぼないあるいはものすごくゆっくりという点では違いがなく、細胞などという単位が発見されていないようなときには人間からみた生物らしさというのはどちらも大差なかったのではないか。
細胞というものが発見されて、それは生物の定義を定めるうえでの原器たりうる人間が持っていたものだから、細胞の有無が生物かどうかをわける基準として再規定されることとなり、そこでようやく石は植物と異なる非生物ということになったのではないか?
植物園に行ったよ
GWに来たときはちんぽに似たサボテンを探すのに熱中してたけど、今回はシダとかランとか頑張れば家で育てられなくもない(けど己には無理そうな)植物がどうにも気になって何度も往復してしまったよ
中でも特にギュッとなったのがリトープスというたぶん多肉植物で、小さい小さいゾウの足みたいな質感の肉の裂け目から白い菊みたいな花がワッと咲いていて、それが鉢でたくさん並んでいて、ここがコーナンなら置き場も考えずに買って帰ってたかもしれないな
植物園を出たあとは外の公園をぶらぶらして、焼き芋の屋台の値段だけ確認してやっぱやめて電車に乗って、乗り換え駅の本屋で金原ひとみの新刊を買って帰って飯食って読んだよ
主人公の追い詰められたときの気の狂いかたに覚えがあって、まあだからこうしていま何の疑問もなくいい気分で過ごした日の記録を書いておこうと思ったわけだ
シーツとかを洗濯して、パンを買いにいって、切って冷凍しなきゃいけないんだけど面倒になって足元ヒーターの前でインリンオブジョイトイになっています 火だこができるからやめたほうがいいね
ごめん。タイトルがアホでしたので変えました。盆栽10選ではなくて樹種10選ですね。
盆栽10選となるとどうなるんだろ。ちょっとわかりません。まさか国風展じゃないだろうし、大宮のでもなさそうだし。
誰々の何ちゃら、っていう盆栽で指定できるんだろうか?誰かお願い。
盆栽は植木や観葉植物とは違う。ざっくり言うと、手間をかけて小さく育てるのが盆栽、手間をかけずに自由気ままに育てるのが植木。特になにもしないのが観葉植物。はっきり違うわけではなく、なだらかなグラデーションがある。でも実際に樹を「小さく育てる」ことを主眼に置くと、色々やることが出てくるわけで。朝に歯磨きするように、ペットに食事をあげるように、樹に水やりする習慣を持てない人にとっては大変。なので、観葉植物を選んでください。
鉢を合わせて楽しむのが盆栽の醍醐味という意見もあるが、それはフラワーアレンジメントやコーデックスやガーデニングの人たちも楽しそうにやってるし、まあそっちでもいいよね。しばらく植物に慣れたら盆栽、という感じなんでしょうかね。その点では、確かにジジイの趣味といわれるのもわかる気がする。
絵文字でも盆栽は松。波平さんがいじってるのも五葉松かな?五葉松は頑丈だから人気で、幼苗に多少の無理をしても大丈夫。
あと成長が早いので見守るのが楽しい。5年、10年でも日々が楽しみだし、持ち込んで20年も経ってくると、神々しくなってくる。
これが100年、400年だと、と想像すると、なるべく若い時期に始めた方がよかった、と後悔すること間違いなしです。
真柏も丈夫な樹。これも成長が早く、古木の風格を出しやすい。お分かりかと思うが、これはタイパがよいということでもある。
たいていの盆栽の展示会に必ずある樹種で、いろいろと参考にできる名樹がたくさんある。
シャリとかジンとかの、幹の一部を枯れさせて古い樹に見せる遊びも楽しめるし、盆栽の魅力が一番詰まっている樹種。
葉先を触ってチクチクする方の松。五葉松とはまったく趣が異なる。好みの問題もあるが両方持ってるとなお楽しい。
半懸崖や懸崖にすると、その葉の特徴もあって、自生樹のようなワイルドさが映える。
自然の風景を鉢の上に持ち込むことを盆栽の魅力と考えるなら黒松がぴったり。
樹形、幹肌、花と、一年中楽しみの多い樹。甲州野梅が有名(高いけどね)。
「桜切るバカ梅切らぬバカ」という言葉もあって、素人ながら手をかけてもどんどん成長してくれる。
失敗して手に負えなくなったとしてもやり直しが利く。
長寿梅はボケの矮性、ウメモドキはモチノキの一種で、どちらもまったく梅ではない。他にもオウバイ、ロウバイなどもある。
梅に風流を求めてきた日本の先輩諸氏の感性で、梅の名前が付けられているところが、なにか歴史を感じる。
梅買う前にこっちから始めるのもあり。それほど高くないし、きれいな花を咲かせることを目標に育てられる。
「実もの」と呼ばれる樹。実がでかいし普通に食べられるので、植木や庭木にして実を収穫することを楽しむ人も多いのでは?
盆栽だと花芽を限定してギュッと小さく締める。旺盛に育つので、中品以上にかっこよく育てるのは結構大変。
だからと言って小さく育てるのもなかなか。手のかかる子だけに、コロリとした実が成ると感動する。
カリンとかヒメリンゴとかのでかい実はダサい、という好みの問題もあり、小さい実のヤブコウジも良い。
いかにも「樹!」という雰囲気ではなく、一見すると草かな?というヒョロヒョロ〜とした細い佇まいがなんともかわいい。
部屋にこれが飾ってあったりすると、一気に品の良さが増すと思います!
とはいっても、ヤブコウジは落葉樹で、はっきり言うと渋い趣味。いかにも和室!っていう場所もいまどきないだろうし。
となると、常緑のピラカンサがよいかな? 白い小さな花が咲いたあと、秋には小さな赤い実がワーっとついて景気がよい。
鉢さえ変えれば、より観葉植物的に飾れるし。飾ることを考えたらピラカンサの方が無難なのかも。
ヤブコウジのヒョロヒョロ〜や、松柏類のウネウネ〜の情緒よりも、まっすぐ立つ樹の方がかっこいいよね!と思うならこれ。
街路樹にも多く見られるのでありがたみはないんだが、これが鉢の上に乗っかると非常に姿が良い。箒作りを目指したい。
また、根の張り方もかっこよく、植え替え時に修正できるのも楽しみ。
紅葉は文句なし。しかし本当は一年中、四季折々の姿がドラマチックで美しい。
理由はなんとなくわかる。人と関わることをうっすら“コンテンツ”だと思っているから。
でも大体飽きる。「大体こういう奴なんだろうな」と予想できるから。恋愛イベントもやることが決まっていて自由度が低い。
なんだこいつつまんねー奴だな、と思ってしまう。日本で似たような教育受けてるから当たり前なんだけどね。
会ったって面白くないから、家帰って本読んだり映画観た方がタイパいいじゃんと思う。
そういうのが態度に出まくるからうまく行かなくなる。
友人と会うのもつまらない。自分が見てきた面白い話を話すことだけに終始する。彼らの話は大して進捗もない。
こいつらつまんねぇなと思ってしまった。見ないようにしてたのに思ってしまった。
彼らは毎日淡々と過ごしてるように見える。こわい。どうして植物のように生きられるんだ。飽きたりしないのだろうか。
あの曲は何故か歌詞の意味を曲解してマジレスしたり、いちゃもんつけたりする人が多いから、そういう人が満足するであろう歌詞を考えてみた。
ーーーー
優れた者以外淘汰しろ
花屋の店先に並んだ
いろんな花を見ていた
劣ったものは間引かれる
この中でどれが一番か決めて
他の花を廃棄して
優れた花だけになる
一人一人違うからその中で
一番を決めようよ
そうさ僕らは
世界で一番を決めるべき
優れた遺伝子だけ残すのさ
優れた者、美しい者
だけの世界をつくるべきだ
優劣をはっきりさせよう
劣った者には断種して
子供を作れなくしよう
そうして優れた者だけに
人類全体の形質を
優良なものにするのさ
やらないと人類は滅ぶ
劣った者が繁殖すれば
そうさ僕らも
世界で一番を決めるべき
優れた遺伝子だけ残すのさ
優れた者、美しい者
だけの世界をつくるべきだ
優れた者と劣った者
前者の遺伝子だけ残すべきだ
ナンバーワンじゃない者たちは
不妊手術して淘汰しよう
どこのスーパー、ドラッグストアに行ってもリカルデントが無い。あの噛み応えと味の持続力は他のガムじゃ替えが効かないのに。
少し前まではたまにツルハドラッグで目撃したんだけど、ここ最近はCloretsとXYLITOLが外来植物みたいに繁茂してきてガムコーナーの席が奪われている。あんな外人のtinpoみてぇなフニャフニャのガムなんか食えるか。
耐えかねてAmazonで買ったんだけど、Amazonで買うと3個セットとかになってちょっと多い上に、3個全部味が統一されていて嫌だ。しかもAmazonで食品買うの少し怖くねーか。封切られてなかったから大丈夫だと信じて毎日食べてますよ。
しかし今机の上に置いてあるリカルデントのボトルの底には残り3粒しかないので今日明日には何としても手に入れなきゃいけない。
回った店舗
友人(バ金持ち)が「どんな豪邸でも時がたてばタダ同然になる」という事実に絶望し、
「ならば、価値が下がらないように歴史に残るような家にすればよいじゃないか!」と思いつき
将来有望な若き建築家に「ここに君の最高傑作になるような家を建ててほしい」
と言って家作りを依頼した。
予算は潤沢で土地も広く建築家は相当張り切ったらしい・・しかし、完成した物件に招待された私は愕然とした。
外観:特定防止のため詳細は伏せるが妙に波打っており階段状でところどころ円形の突起がある。
車庫:ベンツマークの門がありそれが回転する。友人はベンツを常用しておりそれを建築家が汲んだそうだが、
友人は「この家にいる限り一生ベンツにしか乗れない」と嘆いていた。
庭 :見たことのない植物が植わっていた。備え付けのヒーターで加温しないと冬には枯れるらしい。
玄関:3階まで階段が続く。玄関以外の1階や2階に行くには一度3階に行き両サイドにある螺旋階段を
リビング:3階から入り2階までの吹き抜けになっていて無数の円柱が屹立していた。それぞれの頂に椅子や
キッチン:リビングの真ん中に鎮座しており木の細かい格子で囲われており座敷牢のようだった。牢屋の中で奴
風呂:入口が段差になっており風呂場全体が浴槽になる。土地はふんだんにあったはずなのになぜか面積の
寝室:すごい傾斜になっており上から滑り降りるように入室する、強制的に一方通行で外に出るときは下側
の穴を使わなければならない。
数億を使い我が家を変態ハウスにされた友人は激怒し、建築家にどこにも公表しないことを厳命し、珍奇な
物件を取材に来るあらゆるメディアを拒絶した。この物件で歴史に残ろうと張り切っていた建築家には最も重
い罰だろう。こうして「歴史に残るような名建築」は「歴史に残すことを許されない迷物件」となった。
そして、一つだけ謎が残った。
友人曰く、建築家に悪意はなかった。前述のとおり、やる気と熱意があり、期待に応えるため必死の様子だった
らしい。むしろ、「素人が口を出して芸術性が損なわれたら困る。有名建築家ならば居住性は最優先に考える
だろう。」と言って完成まで一度も現場に来なかった友人側に責任があるだろう。それでも、こんなおかしな物件
が出来上がるのはおかしいだろう。