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はてなキーワード: 部活動とは

2025-02-26

anond:20250226131817

そう思ったけどゆとり世代の体育や部活動競争を支持しない姿勢氷河期世代がぶっ叩きまくってたわ

ゆとり世代のお陰だな

2025-02-23

anond:20250223073543

なぜマクドナルドで働きたいと思ったのですか?

「幼い頃からマクドナルドファンで、活気のある雰囲気の中で働きたいと思っていました。特に、チームワークを重視するマクドナルド企業文化に魅力を感じています接客経験を積みたいと考えており、多くのお客様と接する機会のあるマクドナルドで働きたいと思いました。また、効率的業務の流れを学び、自身スキルアップに繋げたいと考えています。」

どのような時間帯や曜日で働けますか?

「平日の夕方から夜の時間帯、または土日の昼間から夜の時間帯を希望します。週に〇日程度働きたいと考えています学校の授業が終わった後の時間帯や、土日の終日など、柔軟に対応できます。」

あなた長所短所を教えてください。

「私の長所は、明るく元気なところです。チームの雰囲気を盛り上げ、積極的コミュニケーションを取ることができます短所は、細かい作業時間がかかってしまうことがある点です。しかし、常に時間配分を意識し、効率的作業できるよう改善に努めています。」

チームで協力して何かを成し遂げた経験はありますか?

高校時代所属していた部活動で、チームの目標達成のために、メンバーと協力して練習に取り組んだ経験があります。それぞれの得意分野を活かし、互いにサポートし合うことで、目標を達成することができました。文化祭の実行委員として、クラスの出し物を成功させるために、役割分担やスケジュール管理を行い、チームで協力して準備を進めました。」

マクドナルドクルーとして、どのような貢献ができると思いますか?

「持ち前の明るさと笑顔で、お客様気持ちの良いサービス提供したいです。また、チームの一員として、積極的業務に取り組み、お店の目標達成に貢献したいと考えています。常に周りに気を配り、困っている人がいれば積極的サポートすることで、チームワークを向上させたいです。」

2025-02-15

ラジオに関するエピソード(お蔵入り記念)

ふと依頼されたラジオに関するエピソードが思いのほか好評でしたが、残念ながらお蔵入りとなったので記念に残します。

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夕方ラジオを聞くと中学校図書室をうっすらと思い出します。

 

中学2年の私は、部活動サボりたい一心図書委員になりました。理由クラス選出の委員2名が週に1回、放課後図書室の受付当番を行うためです。

 

私が通う中学校には放課後にわざわざ図書室に来る勤勉な生徒などおらず、図書室は毎日開店休業でした。

 

そんな「やることがない」図書室の受付において、いつのからFMラジオ流れるようになりました。

きっかけは全く覚えていませんが、とても古いラジカセ東京FMを届けていたことだけは確かです。

 

ラジオから流れる曲やニュース、時折挟まれ交通情報パッシブ提供される情報が2人の会話のきっかけになったのでしょう。

私のサボり兼居眠りの時間は、2人で過ごす時間に変わっていきました。

 

スマホインターネットも無い図書室に流れるラジオの音声が2人の想像力を掻き立てたのかもしれません。

好きな曲の話題番組テーマに関する雑談、いつも渋滞している箱崎ジャンクションに何があるのか。

たわいのない会話をする時間の心地よさ。その感覚だけ強く記憶に刻まれています

 

3年生への進級後も同じクラスになった2人は、明確に申し合わせることもなく、自然図書委員に収まりました。

 

日中クラスでは会話した記憶が全く無いですが、いつのからか当番終わりに一緒に帰り、たまにお互いの家に寄ったり、休日遊んだりもしました。

 

今時の価値観で思い返すと、お付き合いに発展する可能性もあるようにも感じますが、当時ぼけーっと生きていた私は、卒業とともに連絡を取ることもしなかったはずです。

 

正直に申し上げると、相手の顔や声もおぼろげにしか覚えていません。

 

それほどに時が経っても、夕方聴くラジオは30年前の感覚を思い出させ、きっとこれからも心の深い所を撫で続けるのです。

 

おしまい

2025-02-09

娘が所属してる部活が弱い。

まあ聞いてたら「それで強い訳ねえだろ」と思う。

だってよく嫁に部活愚痴を大声で話してるけど、ほぼ全部自分スキルの伸び悩みや周囲との実力差の話じゃなくてメンバーへの不平不満や先輩から理不尽指導にまつわる愚痴ばかりだし。

そもそも指導体制として顧問はほぼ介入せず、上級生がコーチングをやっているらしい。俺が学生時代所属していたサッカー部教師ではない外部の競技経験者が監督としてコーチングしてくれていたけど、そういうのも無い。

この時点で結構詰んでると思う。

経験を1年ないし2年多く積んでるからという面では多少参考になるにせよ、子供子供コーチング(笑)って何を教えられるねんと。

実際、娘の部活は間違いなく教える側の生徒がコーチングのコの字も理解していない。今まであった愚痴に出てきた例だと、客観的事実主観の切り分けも出来ていない状態の決め付けで叱りつける先輩、素行や評判が普段から良くない先輩が自身客観視できないが故に自身指導に反感を持たれる理由理解できずヒステリーを起こした事件、後輩の技術を上げる事でなく自分の指示に従わせる事に目的がすり替わっている先輩等。このような程度の低い問題を抱えた子供モラハラに等しい恐怖政治で下級生を指導するような環境だ。今の学生部活動、ことに大会成績等の実績がパッとしない弱い所はこんな状態普通なのか。最初から分かっていたらやりたいと言われた時に許可しなかった。

さらに、こうした歪な指導を受けて育った結果、大抵の生徒は上級生になるとただ自分が下級生の時に受けた理不尽指導圧力を後輩に強いて気持ち良くなる事に夢中になるらしい。現に今の代の上級生も本筋の競技自体に関する指導そっちのけで先輩への挨拶や態度がどうの雑用がどうのという本筋と関係ない指導執拗に行い、特に1年生は初心者のうちから競技では無くマナー(笑)について日々徹底的に見張られ、指摘を受ける。そうするうちに自身練習時間犠牲にして先輩へのゴマ擦りを徹底した奴が目をかけて貰え、試合にも出やすくなるようだ。

その証拠に、実力は大した事ないのに部長に気に入られている〇〇さんばかり選出されておかしい、上手い子よりも同期のマナー雑用のアラを率先して告発する子が重用されている、等の愚痴はもう耳タコだ。

そんな環境でやってて勝てる訳が無く、得られる物もない、今の大会成績なら名門校の推薦もまず無理、コミュニティとしてもレベルが低い、はっきり言ってやる意味が一切ないので不満がそれだけ出るなら辞めれば良いのにと思うが、一度その発言をしたら散々愚痴を言っていた娘本人がまず大泣き、嫁は「なんでそんな酷い事言うの可哀想でしょあなたは人の心が無いのギャオオン」でブチギレ、結果部活関連の話は「話を聞くだけにして。アドバイスはしないで」と一切聞く耳を持って貰えなくなった。

しか家族特に子供のために有益に使って欲しいと思っている俺の稼ぎを、娘の人生において一切利益をなさな不毛部活動の部費ないし馬鹿にならない額の消耗品費に浪費されるのはあまり気分のいいものではない。それが想像つかないなら嫁も大概人の心がない。

ストレートに言うなら1〜2年先に生まれただけのガキが講師(笑)を勤める低レベルマナー教室(笑)に費やす金と時間を他の自己研鑽に使うか学習塾にでも行ったほうが間違いなく娘の人生において有益だと思うのだが、これを嫁に言うと「可哀想!人の心ガー!子供気持ちガー!」を連呼して確実に発狂するので建設的な話し合いが成立しない。あほくさ。本当に子供の事を第一に考えられているなら今の環境に置き続ける選択こそ何の得もせず害しかない事くらい直ぐ理解出来るだろうに。

給食って女子が完食するんですよ

一人分って女子文なんですよ

男子の家庭が朝飯でかなり食わせないのは虐待ですよ

部活動のありとあらゆるトレーニングが 逆 効 果 なんですよ

馬鹿馬鹿しいでしょ?

でもね、女子家庭の方が割を食ってるんですよ

だって盛り付け男女平等でしょ?

女子の方が割を食っている

男子家庭は朝食で男子カロリーを取らせることと、女子家庭に補助金を与えないといけない

だって不公平じゃん

女子男子より必要消費量が少ないんだから

ただし給食は同じ盛り付けで行う

これのどこに不満なんだよ

分かるでしょう

ちゃごちゃいう奴はモテませんしリスペクトされません

男子家庭はしっかり子供栄養を取らせて、給食費分を女子家庭に回す

これでやっと、やっと平等と言えなくもないくらいになる

将来を考えればもっと女子家庭を夜臼ぐうすべき

聞いてんのか行政

あんたに言ってるんや

男子をそだててますじゃねえんだよ

ふざけんな

不公平改善しろっていってんの

分かってんのか

知らんふりばかりしてさ

馬鹿馬鹿しいよ

女子家庭、つまり半分の家庭

その怒りを思い知れ

2025-02-08

PR】新しい体育の授業

私は心明学大学附属小中学校で体育主任を務めている平岡と申します。

この度は、本稿が取り組んでいる「新しい体育の授業」をご紹介するために筆を取りました。

従来の体育の授業は、スポーツと心身の健全育成の両方に目的が置かれていますが、結果的にどちらも中途半端になってしまっているのが実情です。

その結果として、正しい動きもできないのにスポーツをさせられ、運動嫌いになってしま子どもが多数生み出されてしまっています

また、運動が得意な子どもにとっても、ただのレクリエーションで終わってしまい、競技能力の向上にはあまり役立っていません。

こうした現状を憂慮し、本校では独自プログラムの開発に取り組んできました。

その結果完成したのが本日ご紹介する「新しい体育の授業」です。

「新しい体育の授業」では、スポーツではなく身体健全な発達と身体を動かすプリミティブな喜びを感じられることを目標に設定しています

このため、子どもたちの発達の状態トレーナー分析し、体の使い方のクセや筋力と骨格のバランスを常に把握します。

それを元に、AIを用いて子どもたち一人一人に最適なエクササイズメニュー作成していきます

このエクササイズは、ゲーミフィケーションを取り入れて、楽しく身体を動かすことができるものになっていますので、スポーツが苦手な子どもでも身体を動かす楽しさを味わうことができます

運動が得意で、すでに特定スポーツに取り組んでいる子どもについては、そのスポーツ必要筋肉が身につけられるメニュー提供します。

無意味競争はさせず、子どもたち一人一人が自分自身の成長を喜ぶことができるというのが、私たちの「新しい体育の授業」最大の特徴です。

「新しい体育の授業」の効果は大きく、体力テストの結果は全国平均を大きく上回り、中学部部活動でも飛躍的に成績が向上しています

私たちは、この「新しい体育の授業」こそがこれからの体育教育スタンダードになるべきだと考えており、これを取り入れてくれる仲間を探しています

ご興味を持ってくださった方は、まず資料請求からお願いします。

資料請求は、下記のリンクから申請できます

私たちと共に、日本の体育教育革命を起こしましょう。

2025-02-05

部活

大学落語研究会所属している。

普段部活動を楽しんでいるが時折落研に嫌気がさして落研悪口を言いたくなるので吐き出し。

落研所属する人間はどこか痛い。いや私が他の部活に身を置いていないから、大学自己表現系のサークルは大体同じ感じかもしれないけど。

私の落研一部の人間に嫌気がさすのは古典落語を誰か有名なプロ落語家動画からコピーしといてさも自分面白いかのように錯覚しているところ。他の自己表現部活比較して落研ってあった圧倒的にオリジナリティないよな。

自分ネタ書いて新作作る人も中にはいるけど、大体過去プロ遺物依存する存在しかないよな。

面白いことしたいけど、お笑いサークル所属してネタを書くのはしんどいって人が所属する場所なんじゃないかな。

まあ上に書いた悪口全部自分ことなんですけど。落研では古典落語劣化コピー生産機だし、他でやってる演劇でも何も生み出さずただ役者やってるだけだし。

落研は好きだけど自分オリジナリティコンプレックスを結局増幅させてしまった。

というか落研似た属性人間が多すぎる。落語やって他の活動演劇系やってみてる人大量にいる。その中で自分が最低限しかやってなさすぎてネガティブに突き進んでしまう。

落研なのにオチも作れない人間すみません

2025-01-31

夫婦別姓とかLGBTQとかポリコレ気持ち悪さ

国民ほとんどはどうでもいいと思ってることを一部活動家がギャーッと騒いでどんどん制度を変えていくところ。

ほとんどの一般人が関心なくて「どうでもいいよ。好きにやっていいんじゃない」で制度を変えられてあとから落とし穴が発覚してどうしようも無くなるんじゃないかって恐怖感がある。

活動家夫婦別姓は何十年も議論をしてるのに、全然進まないとかいってるけど国民99.99%はそんな議論知らない。

2025-01-29

anond:20250128211121

部活動をさ、大人もやればいいと思うんだよ

学校限界になったってんで、地域移行しようとしてんじゃん?

あれさ、大人も一緒にやったらよくね?

だってさ、高校までがんばったのにそれっきりって人多すぎでしょ?

元増田の言うようにさ、共通の楽しみがあったら、出会いの場としても良くね?

ただね、はてなにいる紳士淑女なら変態が入り込むリスク無視できないよね?

からさ、一般から募集はしないでさ、地元企業とか団体運営に協力して、そこの従業員けが参加できる形にすんの

そしたらさ、勤務時間うまいこと調整して参加できるじゃん?

さら従業員の中で指導者できる人にはさ、自治体から手当だしてやってもらえばさ、指導者不足も解消できそうじゃん?

部活動地域移行はさ、なんかスタートマイナスからだけんどさ、こんなふうにしたらもっとみんな楽しくなるじゃんね?

2025-01-23

創作企画での青春

ちょっと前、自分はある創作企画に参加した。推し創作者のAが参加すると言ったからだ。

Aは言動や創るものの節々に、この人こういうのが大好きでやってるんだろうなあってのがあって好きだった。

それで企画が始まってから自分はAのキャラとの交流絵を何枚か描いたりした。

ただAは他に仲のいい人が何人かいて、その人との交流が中心であった。まあ仲のいい人とやりたいって思うことが普通だし、こっちが一方的にやってるだけでも全然しかった。というより自分もAさん以外にも色んな交流とかイベント参加とかしたしね。

でも後半、互いの作品群のある部分が共通するという、ちょっとした奇跡が起こった。それを向こうも認知したようで、結構自分キャラを描いてもらえるようになって、ちょっと仲良くなった。

ただ、あることが起こった。

Aと仲が良かった人の一人をBとしよう。Bもかなり熱心に創作をやってた人なんだけど、時々棘のある発言が目立ってたというか、気の強い印象がある人だった。

あと、AやBとはそんな交流が無かった人として、Cが居た。Cは独特の絵柄が魅力的な人ではあるんだけど、時々やや空気が読めない発言をする印象だった。でも、だからこそ屈託のない意見を言う人でもあったと思う。

企画終盤、Bが、作品上でルール上グレーなことをした。それに対しCは、作品撤回するようにと、やや強めの要求をした。

で、AやB、そして自分などが入ってるクローズドチャットがあったんだけど、そこでBがCの要求スクショを添えて、Cに対し結構強めの暴言を吐いた。

さらに、AはCに対して激昂して、オープンSNS上で怒りをしばらく投稿し続けた。

それで、結構荒れてしまった。

なんというか、予兆は割とあったと思う。先述したようなBとCの癖のある人柄もそうだし、Aもこだわりが強いというか、時々凄く感情的になる人だった。

その状況を見た結果、自分創作企画用のアカウントログインするのをやめてしまった。この状況で創作企画のことについて話したり、作品投稿すること自体が、AB/Cのどちらに味方するかを表明するみたいになってしまいそうなのが嫌だったのが大きいと思う。本当はアフターでもっと交流できたかもしれないという惜しさは今もある。

その半年後、ようやく自分はAのアカウントを見るようになった。今は平和創作をしているようで、嬉しかった。BとCは見ていないが、おそらくは彼らも自分の道を歩んでいるだろう。

まあよくある行き違いの話だったかもしれない。でも、あの創作企画とき自分が一番創作熱があったときだったと思うし、それが荒れてしまったのは苦い経験だった。

でも、それ含めて青春だったのかな、と思う。自分中学高校部活動らしい部活動をしなかったので、普通の人はこういう楽しさや行き違いを経験して、それを青春として生きてるのだろうか……ということを、キタタツヤの「青のすみか」を聞きながら考えていた。

2025-01-20

人生主人公ではなくなった~半生を振り返る~

少し前に子どもが生まれから自分人生主人公自分ではなくなったようたように感じ始めた。

いつ自分主人公になり、いつ自分主人公で無くなったのかをつらつら書いていく。

特にオチもないし、話もいろいろ飛ぶので、それでも良ければ読んでいってほしい。

自分の子ども時代

自分田舎比較貧乏な家庭に生まれた。

中学校特に受験などせず公立高校ももちろん公立で、何も考えず家から一番近い高校(一応進学校)に進学した。

この時点では自分アイデンティティなどは特になく、自分主人公ではなかったように思う。

だが高校時代部活動での練習を通じて自己と向き合う機会が増え(これは年齢的な精神の成長もあると思うが)、自分のやりたいことで努力し、成長することが素晴らしいことであると思い始めた。

それが高2の冬だったと思う。その時にやってようやく自分の進路について考え始めた。

大学進学

当時自分なりに考えた結果、京都大学に進学したいと思い始めた。

親に京大に行きたいというと、奨学金を借りて頑張って行ってくれという話になった。

中学生くらいのころ、親から大学に行かせる金はない」と聞いていたが、金がないだけで進学は反対されなかった。

高3最初河合塾模試偏差値45ぐらいだったと思うが、学校先生相談しながら猛勉強を始めた。

金銭的な都合から塾にも行かず、部活夏休みが終わるころまであったが、なぜか自分京大に行く・行けると信じていた。

バカで金がないという逆境で、非常に燃えていたのを覚えている。

この時、自分人生で初めて全力を尽くした。高3の春に45程度だった偏差値も、高3最後模試では65近くまで上がった。

とはいえ何年も前から全力で勉強してきたであろうほかの受験生にはかなわず、1年の自宅浪人(ここでも金がなかった)の結果、早慶に進学した。

ありがたいことに地方出身者向けの給付型奨学金大学からもらうことができ、ほとんど国公立と変わらない学費で進学できた。

受験料を祖父にもらいに行ったことや、実家を出る日、親から10万円を渡され、「これで何とかしろ」と言われたことは、今でもよく覚えている。

ちなみに10万円はPC購入やら何やらで使い果たし、大学までの定期券代を買えなかったのもいい思い出だ。

大学にはキラキラした人間も多かった(初めて本物の帰国子女を見た)が、自分のような貧乏人もおり、楽しくやっていけた。

学業課外活動バイトもいろいろ頑張れたと思う。

だが同時に格差を感じる場面が多かったのもよく覚えている。

親が上場企業社長学生、両親が東大出身早慶進学を親に馬鹿にされた学生

そもそも親の所得の高い早慶においては、学費仕送りもある学生が多く、それがうらやましかった。

自分には奨学金バイトしかなく、得られる経験は彼らと比較して見識の狭いものとなっていたと思う。(この狭い見識は大いに意義のあるものだったが)

一方、人生はここでも、「田舎から出てきた貧乏学生が頑張る」というストーリー主人公だった。

奨学金申請時に親の源泉徴収票を見た際、日本の平均年収に届いていなかったので、自分のことを苦学生扱いしていたのだ。

※衣食住に困ったことはないので、絶対的貧困ではなかった。家にインターネットがなかったり、家電が貰い物だったりとかそのレベルのちょい貧乏である

就職

小中高と、まともなキャリア教育を受けなかった自分は、大学時代キャリア教育で、自分にある無限可能性を初めて感じるに至った。

だが一方で田舎の純朴な少年であった自分は、エリートサラリーマンに対するあこがれなどなく(高校時代京都大学に行った先のビジョンが何もなかった)、課外活動をしながらのゆるい就活をして、それなりに暮らしていける給料上場企業就職するに至った。(学歴のおかげである

就職してからも、まじめに働きつつも頑張りすぎないようにし、余暇趣味に充てて暮らしていた。

大学で培った能力は専ら趣味のために使われていた。

この時の自分特に何でもない、いち社会人だったわけだが、界隈に多少名が知れる程度には趣味に没頭しており、人生主人公自分だった。

結婚子育て

結婚後、夫婦ともに子どもを望んでおり、特に何ごともなく子どもが生まれた。

子育てをしていく中で、ふと違和感が生まれた。

全ての優先順位において、子ども最上位に来るようになったことに気づいた。

平日は仕事中以外は可能な限り育児に参加し、

休日は今までの趣味などすべて捨て、子どもと遊んでいる。

今までは少しでも時間があれば趣味時間を使っていたのだが、それがなくなった。

時間ができても、趣味に対する興味がかなり小さくなってしまっており、ただぼーっと過ごす時間も増えてしまった。

今まで大学に行ったり仕事したり趣味に没頭していたあの時間熱量は何だったのだろうか。

今では、子どもがどんな大人になるのかということが楽しみで、自分がどうでもいいような感覚がある。

ああ、自分人生主人公が、自分ではなく子どもになったんだなと悟ったのだった。

大学進学を考えもしなかったあのころから、何とか大学に行き、食っていける会社で働きながらプライベートでの挑戦を重ねてきたこ自分人生には、相当の想いがあり、今でもはっきりと思い出すことができる。

だが、この人生時間自分のためのものではなく、子どものためのものになった。

これが父親になるということなのだろうか。

2025-01-08

anond:20250107174603

まぁ勧誘活動しなくていいなら部活動みたいなもんだよね

部活動勧誘やるとこもあるから部活動以下か

2025-01-05

繋がれた月 - 螺旋の軌跡

兄の陽斗(はると)と妹の月菜(るな)は、幼い頃から常に寄り添うように生きてきた。両親は共働き多忙を極め、幼い二人はいつも家で二人きりだった。陽斗は明るく活発で、誰とでもすぐに打ち解ける人気者だったが、月菜は内向的で人見知りが激しく、陽斗以外の人と話すのを極端に避けた。陽斗はそんな妹をいつも気遣い、優しく守っていた。

月菜が小学校入学した頃、いじめに遭うようになった。休み時間になると、決まって数人の上級生に取り囲まれ、持ち物を隠されたり、からかわれたりした。誰にも相談できずに一人で抱え込む月菜にとって、唯一の救いは家に帰って陽斗に会うことだった。陽斗はいつも月菜の話を辛抱強く聞き、時には冗談を言って笑わせ、不安でいっぱいの月菜の心を温かく包み込んでくれた。陽斗の存在は、月菜にとって暗闇の中の一筋の光だった。

中学校に進学すると、月菜の陽斗への依存はより深刻になった。学校では常に一人で過ごし、友達を作ろうとしなかった。放課後になると、まっすぐ家に帰り、陽斗が帰ってくるのをひたすら待つの日課となった。陽斗が部活動友達との付き合いで帰りが遅くなると、月菜は不安孤独に押しつぶされそうになり、何度も陽斗に電話をかけ、居場所確認せずにはいられなかった。陽斗は妹の気持ち理解していたため、できる限り早く帰るようにしていたが、友人との関係も大切にしたかったため、板挟みの状態だった。

高校生になった月菜は、将来の進路を考える時期を迎えていた。周りの友達大学進学や就職など、具体的な目標を持ち始めていたが、月菜は何も考えられなかった。彼女の頭の中を占めているのは、ただ陽斗と一緒にいたい、という切実な願いだけだった。将来の夢も、目標も、月菜にとっては陽斗と一緒にいること以外、意味を持たなかった。

ある日、月菜は意を決して陽斗に相談した。「私、将来どうしたらいいんだろう?何もやりたいことがないんだ…」

陽斗は優しく微笑みながらも、どこか困った表情で言った。「月菜、自分のやりたいことを見つけるのは、すごく大切なことだよ。俺と一緒にいたいって気持ちは嬉しいけど、それだけじゃ…自分人生を生きられないよ」

陽斗の言葉は、月菜の胸に深く突き刺さった。陽斗もいつかは自分から離れていくかもしれない。その考えが頭をよぎると、月菜は激しい不安に襲われた。まるで足元の大地が崩れ落ちていくような、底知れない恐怖を感じた。

その夜、月菜は陽斗に懇願するように言った。「私、お兄ちゃんと一緒大学に行きたい。だから、お兄ちゃんと同じ学部を受けることにする」

陽斗は驚きを隠せない。「月菜、本当にそう思ってるのか?俺に合わせるんじゃなくて、自分の本当にやりたいことを考えた方が…」

しかし、月菜は聞く耳を持たなかった。「私はお兄ちゃんと一緒にいたい。それだけなの。お兄ちゃんがいないと、私は…」と言葉を詰まらせ、涙をこぼした。陽斗は妹のあまりの執着に、言葉を失った。

結局、月菜は陽斗と同じ大学の同じ学部受験し、合格した。大学に入ってからも、月菜は常に陽斗の影のように行動した。授業もいつも一緒に受け、昼食も必ず同じテーブルで食べた。陽斗が新しいサークル活動に参加しようとすると、月菜も同じサークルに入り、陽斗がアルバイトを始めると、月菜も同じアルバイト先を選んだ。月菜にとって、陽斗のいない世界存在しなかった。

陽斗は、妹の自分への過剰な依存に、内心では深く悩んでいた。友達と遊びに行こうと誘われても、月菜を一人にしておくのが心配で、なかなか出かけることができなかった。何度か恋人ができたこともあったが、月菜に紹介することができずに、関係が長続きしなかった。恋人たちは皆、月菜の存在に戸惑い、陽斗との間に見えない壁を感じて去っていった。

ある日、陽斗は意を決して月菜に真剣に話をした。「月菜、お前はもっと自分世界を持った方がいい。いつも俺のそばにいるんじゃなくて、自分のやりたいことを見つけて、自分友達を作って…」

月菜は悲しそうな顔で、震える声で言った。「お兄ちゃん…私を置いていくの?私、お兄ちゃんがいないと…何もできない…」

「置いていくわけじゃない。ただ、お前にはもっと自分人生を生きてほしいと思ってるんだ。俺がいなくても、ちゃんと生きていけるんだってことを、知ってほしいんだ」

陽斗の言葉に、月菜は何も言い返せなかった。しかし、月菜の心の中では、陽斗への依存ますます強まっていった。陽斗が自分から離れていくかもしれないという恐怖が、月菜をさらに陽斗に強く縛り付けようとしていた。それはまるで、螺旋階段を登るように、依存の度合いが日に日に増していくようだった。

大学3年生になった頃、陽斗は大学から留学の話を持ちかけられた。海外大学で1年間、自分の専門分野を深く学ぶことができるという、またとないチャンスだった。陽斗は迷ったが、自分の将来のためには、この千載一遇の機会を逃すわけにはいかないと考えた。

留学することを月菜に伝えると、月菜は今まで見たことのないほど激しく動揺した。「お兄ちゃん、行かないで!私を置いて行かないで!お願いだから…」

「月菜、これは俺の将来のためなんだ。お前だっていつまでも俺に頼ってばかりじゃ…」

「私…お兄ちゃんがいないと…生きていけない…」月菜は泣き崩れ、陽斗にしがみついた。陽斗は、妹のあまり依存ぶりに、どうしたらいいのか分からなくなった。自分の夢と妹の未来の間で、深く苦悩した。

結局、陽斗は留学することを決めた。出発の日、月菜は空港まで見送りに来たが、ずっと泣いていた。陽斗は月菜を抱きしめ、「必ず帰ってくるから」と何度も言ったが、月菜の涙は止まらなかった。月菜にとって、陽斗との別れは、世界の終わりを意味していた。

陽斗が留学している間、月菜は完全に心を閉ざしてしまった。大学にもほとんど行かなくなり、薄暗い部屋に閉じこもってばかりいた。食事もろくに取らず、日に日に痩せていった。まるで魂が抜け落ちてしまたかのように、生気のない日々を送っていた。

心配した両親が月菜を病院に連れて行くと、月菜は重度の依存症と診断された。医師からは、専門のカウンセラーによるカウンセリングを受けることを強く勧められた。

カウンセリングを通して、月菜は過去トラウマや、陽斗への過剰な依存根本原因と向き合うことになった。幼い頃から陽斗に依存してきた理由、陽斗がいなくなることへの過剰な恐怖、そして、自分自身の弱さ…。カウンセラーとの対話を通して、月菜は少しずつ自分自身を見つめ直し、自分自身の足で立って生きていくことの大切さを学び始めた。それは、長く暗いトンネルの中で、かすかな光を見つけるような、希望兆しだった。

陽斗が留学から帰国した時、月菜は以前とは別人のように変わっていた。以前のような陰鬱さは消え、穏やかな表情を浮かべていた。以前は陽斗のそばから片時も離れなかった月菜だったが、空港では少し離れた場所から笑顔で陽斗を見つめていた。

空港で陽斗を出迎えた月菜は、少し照れくさそうに、でもはっきりと、笑顔で言った。「お兄ちゃん、おかえり!」

陽斗は、妹の劇的な変化に驚き、そして心から安堵した。月菜の瞳には、以前のような不安依存の色はなく、力強い光が宿っていた。

その後、月菜は自分の本当にやりたいことを見つけ、新たな目標に向かって力強く歩み始めた。陽斗との関係も、以前のような病的な依存関係ではなく、互いを尊重し、支え合う、健全な兄妹関係へと変わっていった。それは、まるで螺旋階段を降りて、地上に降り立ったような、解放感に満ちた変化だった。

二人は

私はブラコンなのかもしれない

 幼い頃から私たちは“セット”として見られてきた。生まれた日も同じ、顔立ちもよく似ている――いわゆる“一卵性双生児”ではないけれど、それでも周りからは「双子っていいね、仲良しでしょ?」と言われ続けてきた。実際に仲が悪いわけではないし、ケンカらしいケンカしたことも数える程度しかない。

 私と兄は同じクラスに入ることが多くて、席替えときはいつも先生が「双子は離しておいたほうがいいわよね」と気をつかってくれたから、わざわざ離れた席にされたりもした。まあ、それはそれで気が楽だった。四六時中、兄の隣りにいるのはちょっと落ち着かないというか、どうも“完全なる一心同体”なんてことはありえないんだと、子どもながらにどこかで感じていたから。

 けれど、周囲のイメージとは裏腹に、私たち姉弟――いや、厳密には数分だけ兄が早く生まれた、という関係性――は、「まるで違うタイプ」の人間だった。性格も、好きなものも、行動パターンも、何もかも対照的

 兄は昔から落ち着いていて、実に要領がいい。小学校の頃から自然リーダー役を任されることが多くて、学級委員をやっていたこともある。友達は多いし、先生からの信頼も厚い。ふと気づけば彼を中心にグループができているような感じで、皆が「○○君に相談すれば大丈夫」「分からないことがあったら○○君に聞けばいい」と頼ってくる。本人はあまり偉ぶることもなく、いつも穏やかに笑いながらうまく場を収めていた。

 一方の私は、人前でしゃべるのも苦手だし、控えめに言っても“引っ込み思案”な性格だ。自己主張しないタイプで、どちらかと言うと集団より一人でいるほうが落ち着く。そんな私の横に、なんでも器用にこなしてしまう兄がいる――それがどれほど大きなコンプレックスを生むか、たぶん兄自身は気づいていない。

 双子の妹としては、兄のことを「尊敬している」という気持ちが確かにある。その一方で、「ああ、また兄が注目を集めてる」「私なんて何をしても目立たない」と思わず拗ねてしまう瞬間だって少なくない。

 たとえば、小学生とき学習発表会の劇で主役を決めるオーディションがあった。私は勇気を出して立候補してみたのだが、結果的にみんなの前でうまくセリフを言えず、途中で声が震えてしまった。恥ずかしくなって固まっていると、「じゃあ代わりに○○君やってみて」と先生が兄を指名した。すると、兄はほとんど練習もしていないはずなのに、しっかりセリフを頭に入れていて、堂々と演じてしまったのだ。そこにいたクラスメイトの拍手と歓声の大きさを思い出すと、今でも胸が苦しくなる。「これだよ、これ」と、みんなが“求める”のはいつも兄の方。私という存在は、最初からオプション扱いなんだ、なんて気持ちになってしまった。

 そうやって、「どうせ私は兄に敵わない」と思うと同時に、兄が称賛される姿を見て心のどこかで誇らしく思う自分もいた。この矛盾した感情を抱えながら成長していくうちに、私は自分がブラコンなのかもしれない、と思い始めた。

 ――ブラコン。そう、兄を強く慕う妹のことを、ネット友達同士の会話なんかでは気軽に「ブラコン」と呼ぶ。でも“好き”と言っても、それが恋愛感情であるはずがない。一方で、ただの家族愛だけとも言い切れない。自分でも整理しきれない妙な感情を“ブラコン”という軽い言葉ごまかしている気もした。

 中学生になってからも、この複雑な関係は続いた。中学校ではクラスが分かれることもあったし、部活動も別だった。兄はバスケ部、私は図書委員。これで少しは「双子セット」から解放されるかと思ったのに、周りの子にはすぐに「バスケ部の○○君の双子なんだ!」「あのイケメンの妹?」なんて言われる。兄が“イケメン”かどうかは正直私にはわからないけど、少なくともモテることは確かだった。

 それを素直に「すごいね」って思えればよかったけれど、現実は違った。私の中にはまたしても“嫉妬”とも言えるような感情が生まれていたのだ。

 兄が女子からチョコをもらってきた日、家に帰ったら「これ、好きな子から?」「気になってる子いるの?」と何気なく聞いてしま自分がいる。いや、妹として話題にするくらいは普通だろう。それでも内心では妙なざわつきを感じる。兄の恋愛想像するたびに、寂しいような、モヤモヤするような感情が胸のあたりで渦巻く。

 私はどうしようもなく「兄を意識しすぎている」と思った。たとえば学校テストの成績が出たとき掲示板に学年順位が張り出されると、私は自分順位より先に兄を探す。兄の成績が上位なら嬉しいし、誇らしい。だけど、いつも兄より下の順位自分がなんだか情けなくもなる。

 結局、私は兄の背中を追いかけているのか、それとも追い抜きたいと思っているのか、自分でもはっきりしない。そんな曖昧気持ちを抱えてしまうせいか勉強部活中途半端なまま、どんどん自分に自信をなくしていった。

 高校受験が迫ったとき先生には「同じ学校を受けることになるよね?」と当然のように言われた。両親も「双子なんだから同じ高校でいいじゃない」と笑っていた。だけど、私は少し反発心を抱いていた。いつまでも「兄の妹」として見られるのは嫌だったし、同じ進路を選ぶのが当たり前というのもなんだか癪に触った。

 しかし、結局は同じ高校に通うことになった。兄の成績ならもっとレベルの高い私立や、他の選択肢もあったはずだけど、彼は家から一番近い、いわゆる“県立の進学校”を選んだ。私としては心の底でほっとしたのかもしれない。だって、違う学校に進んでしまったら、毎日どんな気分になるのか想像もつかなかったから。

 高校に入り、部活も別々、クラスも別々になった。それなのに、噂はすぐに広まった。「あのイケメン双子」だの「お兄さんと妹さん全然似てない」だの、また私は地味な存在として扱われ、兄だけが注目されているという図式が出来上がる。私はその“いつもの光景”に、慣れてしまったのだろうか。辛い、悔しい、というよりも、「ああ、またこれだ」と自分を納得させてしまっていた。

 しかしその一方で、兄が自然クラスでも中心的存在になるのを見て、どこか安心している自分がいる。それは確かにブラコン的な感情なのかもしれない。だって、「あ、また人気者になっちゃってる」「でも、なんだか誇らしいかも」と思ってしまうのだから。変だと思いながらも、これが私の素直な気持ちだった。

 このまま大人になって、いつか兄が誰かと付き合ったり結婚したりすることになったら、私はどんなふうに感じるんだろう――そんな想像をすると、時々息苦しいような、不思議な寂しさが込み上げてくる。兄がいなくなるわけじゃないのに。「家族」から、ずっと一緒に暮らすわけじゃないとわかっているのに、なんとなく孤独を感じずにはいられない自分がいる。兄がいなければ、私のアイデンティティはどうなるのか。自分ひとりで立っていられるのか、不安になる。

 ある日の放課後、私は図書室で一人、本を読みながらうとうとしていた。すると、突然ガタガタと椅子が動く音がして、目の前に兄が座っていた。

「珍しいね。ここで何してんの?」

 兄は私がよくいる場所をわかっていたみたいで、わざわざ探しに来たらしい。

「いや、ちょっと疲れちゃって……寝てた」

 私が照れ隠しにそう言うと、兄は少し笑ってから、「今日部活早めに終わったからさ、待たせちゃ悪いし。帰ろうと思って」とあっさり言った。

 私が彼を待つなんて、そんなの当たり前じゃないのに。いつから私たちは、自然と同じ時間に家を出て、同じ時間に帰るようになっていた。もちろん都合が合わない日は別行動だけど、兄はできるだけ合わせようとしてくれる。

 私は不器用に本を閉じてバッグにしまいながら、少し早足で歩く兄の後ろ姿を見つめた。いつの間にか、背も私よりずっと高くなっていた。昔はほとんど同じ身長だったはずなのに。そんな変化ひとつひとつが、私の心をシクシクと痛めつけるような気がした。

 高校二年のある夜、兄がふいに私の部屋のドアをノックした。ドアを開けると、彼が少し困ったような表情で立っている。いつも余裕たっぷりの顔をしている兄にしては珍しい。

ちょっと、聞いてほしいことがあるんだけど……」

 そう言って兄は部屋に入ってきた。私は慌てて机の周りを片づけ、椅子を勧めた。何か深刻な話でもあるんだろうかと、胸が高鳴る。

「どうしたの?」と聞くと、兄は小さく息をついてから、「……おれ、告白されたんだ」と言った。

 瞬間、私は心臓が大きく跳ねた。体温が上がるのを感じる。なんだ、その話。自慢でもしてるの?――そんな意地悪い言葉が頭をかすめる。けれど、兄が思いのほか真剣な表情をしていることに気づき、私は思わず黙り込んだ。

「その……同じクラスの子なんだけど、バスケ試合をよく応援してくれてて、この前の大会終わってから声をかけられた。ちゃんと考えて答えたいんだけど、自分はどうしたらいいのかわからなくて……」

 兄はもともと人気者だし、告白くらい何度かされてもおかしくはない。けれど、彼がこんなふうに私に相談してくるのは初めてだった。

「どんな子なの?」と私は声を震わせないように気をつけながら尋ねる。

「明るくて、周りを盛り上げるのが得意な感じ。勉強も得意みたいだし、すごく……可愛いと思う」

 そこまで言われて、私はなんとも言えない感情に襲われた。可愛い子。兄がそう表現する女の子。おそらく兄にふさわしい、そういうタイプなんだろう。私とはまるで正反対の…。

 でも、私は笑顔を作って、「いいじゃない。付き合えば?」と返した。兄は意外そうな顔をして、「そっか……でも、なんだか変に緊張して気軽に返事できなくてさ」とさらに眉をひそめる。

「兄ちゃんがいいと思うなら、OKすればいいんだよ。あ、応援してるから

 声が上ずりそうなのをこらえながら、私は精一杯明るい口調を作った。兄は少し安心したように笑って、「そっか……ありがとう」と言い、私の部屋を出て行った。

 扉が閉まった瞬間、私は椅子に崩れ落ちた。ああ、終わった。そんな意味のわからない言葉が頭に浮かんでくる。私にとっては“何かが終わった”気がした。兄がこのまま誰かと付き合って、どんどん私の知らないところで大人になっていく……。その未来を思い描くと、胸の奥に大きな穴が空いたように感じる。

 あの夜から私は兄とどう接していいのかわからなくなった。どんな顔をすればいいのか、何を話せばいいのか。今まで自然と近かった距離が、一気に遠のいてしまったような気がする。

 それでも朝になれば兄と顔を合わせるし、一緒に家を出る。兄は普段通りに私に接してくれる。時には「行ってきます」と頭をポンと叩いて笑ってみせたり、何気ない雑談を振ったり。でも、私は妙なぎこちなさを拭えないまま、まともに目を合わせられなくなってしまった。

 兄のほうは私のそういう態度に気づいているのかいないのか、何も言わない。それが逆に辛かった。私が一方的意識しすぎているだけなんだと思い知らされるようで。

 しかし、数週間ほど経ったある日、兄はふと私の肩を掴んで、ぐるりと向かい合って言った。「お前、最近なんか変じゃない? 具合悪いのか?」と。私はドキッとして何も言えなくなり、目をそらそうとする。

もしかして、あれ……おれが告白された話、嫌だった? ごめん、変な相談して」

 兄はそう言って、気まずそうに視線を落とした。そのとき私は、頭の中がぐちゃぐちゃになったまま、「別に」と口走った。

別に、嫌とかじゃないし。良かったじゃん、兄ちゃん告白されて……」

「うん、でもなんかお前の態度が変だからさ。もしかして反対なのかと思って」

「なんで私が反対しなきゃいけないの。全然いいよ。早くOKすれば?」

 自分でもわかるほどに、投げやりな声になってしまう。兄は少しむっとした様子で、「何だよその言い方」と眉をしかめた。

 あ、もしかして今、兄がちょっと怒ってる? 珍しい。そんなことを考えた瞬間、私は突然涙がこぼれそうになって、慌てて目を閉じた。

「ごめん……」

 小さな声で謝ると、兄はそれ以上は何も言わずに、ほっと息をついて「わかったよ。とりあえず……ごめんな、変な空気なっちゃって」と呟き、また歩き出した。私は動揺したまま、背中を見送るしかなかった。

 私がブラコンなのかもしれない――そう意識し始めたのはいつのからだろう。ずっと昔から、兄は私の“特別”だった。それが家族愛だけなのか、別の感情が混ざっているのか、自分でもわからない。ただ一つ言えるのは、私は兄に強いコンプレックスを持ちながら、同時に強く惹かれているということ。

 テストで負ければ悔しいし、兄が誰かに好意を寄せれば胸が痛い。それでも、兄が元気で笑っていてくれると嬉しい。それはまるで、一方的片想いにも近いかもしれない――なんて考えるのは、やっぱりおかしいのかな。

 あれから何日か経った頃、兄は告白してくれた女の子に対して「もう少し時間がほしい」と伝えたらしく、今も決断できずにいるようだった。どういうことなんだろう。私は聞きたいと思いつつも、なかなか話しかけられないでいる。兄も自分からその話題を振ってはこない。

 でも、この中途半端状態が続くうちに、私は少しだけ気持ちに整理がつきはじめた。もし兄がその子と付き合うことを選んだら、私は素直に応援したい。兄の幸せを喜んであげたい。それが「妹」として当然の気持ちかもしれないし、私が抱えているコンプレックス嫉妬は、所詮家族愛の延長にある“わがまま”なのかもしれない。

 ある放課後、兄と帰り道を歩いていたら、ふいに兄が言った。

「おれさ、たぶん……その子と付き合うことになると思う」

 思わずどきりとしたが、私はできるだけ自然な声で「そっか」と返事した。すると兄は少し笑って、「まあ、お前とはずっと一緒にいるし、いろいろ相談してくれてもいいのに、最近は離れちゃってるからしかったわ」とポツリと呟いた。

別に離れてなんかないよ、兄ちゃんこそ勝手に決めつけないで」

 私は思わずふてくされたような口調になってしまい、すぐに言い過ぎたかと後悔した。でも兄は、「そっか」と柔らかく微笑んで肩をすくめるだけだった。私の中で、何かがほっと緩むのを感じる。兄はいつも通りだ。大きな変化が起きる前の、最後日常みたいにさえ思えた。

 その週末、兄は正直に返事をしたようで、結果として女の子正式に付き合うことになった。その報告を受けたとき、私は不思議と落ち着いていられた。ああ、本当に、兄に素敵な人が現れたんだな。良かった。きっとすごく似合う二人になるんだろうな。

 だけど夜になって一人になったとき、妙に胸が苦しくなって、泣きそうになる自分がいた。まるで失恋でもしたような――いや、これは失恋なのかもしれない。私が心のどこかで抱いていた「一番近い異性としての兄」が、誰かに取られてしまったような気持ち。そうとしか説明できない。

 ただ、それを口にするわけにはいかない。だって、そんなの兄にとっても彼女にとっても迷惑だし、何より自分自身が許せなかった。

 それからは、少しずつだけど状況は変わっていった。兄は放課後彼女と一緒に帰ることが増え、休日部活の合間を縫ってデートに出かけるらしい。家にいる時間も減ってきたし、リビングで顔を合わせてもスマホを気にしていることが多くなった。

 そんな姿を見るたびに、私は初めこそ「何それ」と拗ねそうになったけれど、次第に「ああ、これが普通なんだよね」と思えるようになった。いつまでも双子で一緒に行動して、べったりいられるわけじゃない。私たちはもう、高校生になって、少しずつ大人になる道を歩んでいる。兄が変わっていくように、私も自分自身で変わらなきゃいけない。コンプレックスに振り回されるだけじゃなくて、ちゃん自分人生を築く努力をしなくちゃ。

 そうして意識を切り替えるようになってから、私は自分自身もっと集中しようと考えた。成績を上げるために塾に通うことを決め、大学受験に向けて目標を明確にする。部活には入っていなかったけれど、放課後図書室に残って勉強する習慣をつけた。

 以前なら、兄と差を感じるたびに落ち込んでいたけれど、もうそれはやめよう。兄が私とは別の人生を歩むのは当然のことなんだ。私は私で、やるべきことに打ち込めばいい――そう思えるまでに時間はかかったけれど、兄が“誰かの彼氏”になることで、その覚悟ができた気がする。

 ただ、正直に言えば、私はまだ「兄が好きなんだな」と感じる瞬間がある。家でふと兄の靴が脱ぎ散らかしてあるのを見たら、「もうちゃんと揃えてよ」と文句を言いながらも、心が温かくなる。彼がリビングでぼーっとテレビを見ていると、いつものように軽口を叩き合いたくなる。そんな些細な日常が、やっぱり私は好きだ。だからこそ、これからもずっと“兄の妹”であり続ける自分を大切にしたいと思う。

 確かに、兄と比較して自分卑下してしまうこともあるし、兄に対する“ブラコン”めいた気持ちがふとした瞬間に疼くこともある。けれど、それも私の一部なんだろう。

 それに、コンプレックスを抱えながらも兄を慕っていた時間は、決して無駄ではなかった。兄を目標にしてきたから、こんな自分でも少しだけ頑張ることができたのかもしれない。だって、誰かを目標にしなければ、自分なんか何もせずに投げ出していただろうから

 将来、私たちが進む道はもっとバラバラになるだろう。大学へ行くのか、就職するのか、あるいは兄はさらに先の道を選ぶかもしれない。けれど、たとえどんな道を進もうと、私たち双子でありきょうだい。そこに嘘はないし、その事実は変わらない。

 ――もしかしたら、私は一生「ブラコン」かもしれない。時々、兄のことを思い出して「あの人は今どうしてるんだろう」と胸を締めつけられるように感じるかもしれない。それでも、私には私の人生があるし、兄にも兄の人生がある。お互いが自分の道を歩いて、それでも時々振り返ったときに「相変わらず元気そうだね」と笑い合える。そんな関係理想だ。

 だから私は今、「ブラコンかもしれない」という自分を受け入れつつ、少しずつ前を向こうと思っている。コンプレックスごと受け止めたうえで、兄のことを好きでいるし、同時に自分目標に向けて一歩ずつ前進していく。その先に待っているのがどんな未来なのかはわからない。でも、きっともう少し強くなった私なら、兄の存在に振り回されるばかりじゃなくなる――そんな期待を抱きながら、今日図書室の机に向かう。

 時々、顔を上げて窓の外を見つめると、校庭でバスケをしている兄の姿が見える。仲間と笑い合いながら走り回る姿は、いつも通りキラキラしていて、私の胸をかすかに痛めつける。それでも私は微笑んで、参考書に再び向き合う。

大丈夫大丈夫」と心でつぶやきながら。兄は兄で、私は私。二人で支え合い、時には離れて、それぞれの人生を歩んでいく。私のブラコンはきっと治らないかもしれない。でも、それでいい。そんな自分を認めてあげたら、少しだけ楽になれる気がする。

2025-01-04

部活動論争を眺めている、元教員独り言

部活動自主的にやっているもの、と判断されるならば、拒否すればいいのに!

ここ数ヵ月見かける意見である

もちろん、我々は拒否できる権利がある。しかし、そんな権利所謂仕事辞める前に全部の有休消化します」宣言と同じくらいには、校内で認められないのだ。

(もちろん、教員を辞めるので有休消化します!も基本的には受理されないだろう。なぜなら、おまえがいないと職場が回らない!を体現している現場からである申し訳なくてどんどん辞められなくなるのだ※経験者)

未だに忘れられないことがある。

それは大学卒業し、とある市の採用面接を受けていたときのことである

おじ「では、あなた経験のない部活動顧問になってほしいと言われたらどうしますか?」

ワイ「経験がないため、指導をすることができず、また子供たちが怪我をした際などに責任を取ることができないため、部活動顧問は辞退させていただきますと答えます

おじ「(笑みを消して)違う、もう一度」

ワイ「??教員顧問を受けることは任意ですよね。そのため、私は任意顧問を受けることはできません」

おじ「違う!もう一度だ!なめてるのか!」

ワイ「……子供たちと一緒に練習を行い、そのスポーツについて興味を持ち、子供たちの目標を達成できるように努力いたします」

(この答えをださないとずっとこのまんまだと察して苦渋の決断をした)

おじ「そうだ、その通り。本日面接はここで終わります

ワイ、目が点だったよ。

これ市役所の、市民がいる中でやってるから

これで辞退しますって言えないんだなあ、新卒でこれを経験すると、「あー、部活動無償義務なんだ……ボランティアですら参加は任意なのに、義務でやるんだあ」となります

S県A市の教育委員会さん、ワイは二度とお宅には勤めないと心に誓ってるから、もうメールしてこないでくださいね

他にもこんなこともあった。

校長毎日19時に退勤してるけど、もっと早くかえりなさい。働き方改革だよ」

ワイ「はあ、無理ですよ。」

校長「無理じゃないよ。現にB先生ほとんど毎日定時だ。今日もそうだよ。定時で終わるように業務コントロールしなさい」

ワイ「無理です」

部活動の終了時刻は、18:30だった。

これでも部活指導を終えたらすぐに退勤していたつもりだった。

なお、B先生は、週1の家庭科クラブ(定時までに活動を終える)の顧問こちらは、週5で18:30までみっちり練習を行うテニス部

無理なのだ。定時退勤など。

運動部は大抵、アップなどを我々教員の定時あたりまで行い、それ以降がゲーム練習だったり、試合だったりする。

無理だよ、定時退勤。

従って、我々……特に若い教員は「部活動が当たり前!」という教員に勝てない。

まり休み返上だ。こんなの教職を辞めてやるしかない。

子供たちの方がわかっているのだ。

先生、これ残業なんでしょ?」

先生ありがとう土曜日もきてくれて」

こういう子達が多いと報われる。

こういう地域保護者教員感謝してくれたり、引率のときに現地までは連れてきてくれたりね。

いい人もいるんだ、ネット上にいないだけで。

教員、現うつ病患者独り言でした。

なんかXの部活動論争聞いてたらボソッと言いたくなってしまった。

でも、楽しかったんだ。子供たちと過ごすのは。

土日のプライベートさえ保証されるんなら、ずっとこの仕事してたってくらいには。

2025-01-03

アオのハコを見て

よかった。

上田麗奈さんは変なヒロインばっかりやっててそれはそれで大すきなんだけども、最近王道ヒロインもやっててすき。破壊力抜群。

脳が疲れたときには上田麗奈さんに限る。


だけど、やっぱりスポコ体育会系なんだなって思った。

文系部活青春モノって、だいたいコメディなっちゃうじゃん。

あるいは一応は文系なんだけどスポコンになっちゃうやつ(ちはやふるとかユーフォとか)で。

そうじゃなくて、ちゃん文系部活動をやって、きらきら青春のラブいやつってないのかなって。

2025-01-02

これがモテてるのか自意識過剰なのか教えてほしい

誰とも付き合ったことがないけど異性の友達が多い。

これがモテているのか、男女の友情が成立しているのか、ずっと分からない。

普通は、同じ部活で長い時間過ごした人が自然親友になるものだと思う。しかし、わたし空手部活動で男所帯のなかで放課後を過ごし、組んでいるバンドすら男ばかりだった。移動教室休み時間修学旅行、体育など、もちろん女子同士で過ごしているし仲のいい女の子もたくさんいる。部活以外の男子自分からしかけているわけではなく、女子との交友関係もしっかりあるというアピールがしたい。しかし、やっぱり全体で見ると男子との関係が深い。LINEの上から5人は大抵異性が占め、毎日雑談をする相手も多い。友達がいること自体はうれしいことなのだが、年齢を重ねるごとに異性の友人はいなくなるものなのではないかと思う。それが不安なのだ相手100%友情わたしと関わっているなら、将来縁が切れることを心配しなくていいのだが、恋が混ざっているなら話は違う。ただの自意識過剰ならそれはそれで恥ずかしい。感覚麻痺していて、これが恋愛的な好意からきている行動なのか分からない。男性からされたことのなかで印象的なものを挙げる。

鉱物が好きなのだが、クリスマスサプライズバカデカ岩塩をもらう

誕生日手作りクッキーわたしが好きなキャラクターの絵をくれる

旅行に行くたびにわたしの好きなキャラクターのグッズをくれる

・1500円くらいするライブに毎回来てくれる

SNSアイコンわたしが撮った写真

・生まれ変わったら蚊の幽霊になっておまえに取り憑きたいと言われる

等身大パネルをつくらせてくれと言われる

・愛の伝道師だねと言われる

・愛、とメッセージがくる

・0時ちょうどにお誕生日おめでとうとあけましておめでとうがくる

スケートに誘われる

・おまえの部屋でレコードが聴きたいと言われる

ねこ写真を送ってくる

図書室でふたり勉強する

電話がかかってくる

まあ他にも色々あるんですけど、書き上げてみて、やっぱり自意識過剰かもと思う。普通に友人か?でもにしてはキモいのも混ざってるよね。じゃあキモい男と絡んでるってこと?なにが困ってるって、わたしが人を好きになったときに、相手わたしのことを恋愛的に好きなのかを見極められない。上記の人たちが「友情」なら、わたしの恋はうまくいっていないし、「恋」なら相手が少しでも上記にかすれば恋愛的に好きでいてくれるのかな〜と思える。普通好きな人電話できただけでうれしいはずなのに、わかんねー。異性と雑談してるときの下心率知りたい。まあわたしの顔がめっちゃかわいいわけではないし、ただ女と話している俺wムーブに使われているだけなのかもしれない。わかりません!でももしこいつらがわたしのこと好きなら、いいように利用してる感あって嫌。こいつ知りながら弄んでるだろwみたいなね。

ちなみに告白された回数は7回で付き合ったことはない。たすけてくれ〜い。

2025-01-01

男子部活動女子マネジャーについての疑問

やはり女子マネジャーとは下心でやるものなのか?

いやらしい心で男の側に近寄ろうとしてやるものなのか?

その実態を知りたい。

参考書籍などはあるのだろうか?

2024-12-30

正月は苦手だ

正月は苦手だ。

明日、母と2人暮らす実家に姉が帰省する。父はいない。もう5年以上前に家を出たきり音信不通だ。離婚こそしていないが、法律上は届けを出せばいつでも婚約を解消できる状態にあるらしい。そんな家庭環境に至るまでを濃厚に思い知るから、私はお正月を好きになれない。

年末年始、父と2人で祖父母の家に帰省した日のことを思い出す。おせちが並ぶ食卓を囲んで、母に対する話題がなんとも言えない不穏な空気に包まれていたのを忘れられない。

離婚話のようなはっきりとした内容ではなく、父も「なんだかなあ」と頭を悩ませているような曖昧な会話だった。

当時、私は小学校高学年だった。ある程度の話が分かる年齢ゆえ、深刻な話はしていなかったものの、「(母は姉に)どうしてあんなに勉強させるんだろうなあ。かわいそうなくらい勉強してるよ」と、父が困ったように笑って話していたことは覚えている。私が「姉は自分勉強しているだけだよ」と言ったら、「そうかあ?」と首傾げな相槌をして相手にはしてくれなかった。

母が姉や私に「かわいそうなくらい勉強させている」というのは否定したい。私は母から勉強しろと叱られたり、無理に塾に通わせられたりしたことはない。学校生活に耳を傾けて寄り添ってくれたのは、いつだって母親だった。

母の家庭環境は貧しく「学力はあったのに大学進学できなかった」という話を聞かされており、勉強が満足にできている自分幸せなのだと感じていた。

から見てその光景は「理想子ども押し付け母親」に見えていたのだろうか。

父と2人で帰省をした年、姉は中2か中3で、成績が良く部活動にも打ち込んでいたので正月休み返上していた(のだったっけ……)

から帰省について来なかったのか、その時には既に家族仲に不和があったのか覚えていない。小学生だった私には、家庭に流れる空気が少し冷たくなっているのを感じながらも、その原因がどこにあるのか・どうしたらよいのかは分からなかったのだ。

母と姉が帰省しないことについては、さほど気にしていなかった。その翌年か翌翌年、中学へ上がる頃には私も帰省にはついて行かなくなっていた。「親戚付き合いとはこんなものなのだろう」と思っていた。勉強部活生活の中心で、最優先事項だった。

今になって思うのは、父と母の間で思い描く家庭や教育の在り方にズレがあったのではないかということだ。生まれも育ちも違う人間がともに生きる上で、それぞれの考えが異なるのは当然だ。

本来であれば、その差を話し合いで擦り合わせていく必要があるのに、それをしてこなかった。急に梯子が外れるような崩れ方ではなく、噛み合わない歯車無視して歪みを大きくしてしまった。そんな風にして、私の家庭は今の状態になっていったのだと思う。

正月家族や親戚と久々に顔を合わせる人も多いだろう。年に数回しかない貴重な時間だということは、大人になってこそ分かる。勉強部活が全てだった学生の私に、もし会えるのならば伝えたい。

「みんなでおじいちゃんおばあちゃんの所に行こうよ」

って言うんだ。最年少の、まだ足りない頭のあなたなら言える言葉だ。まあ、今更こんなことを冷たい床の上でポチポチ文字にしても意味がないのだけどね……

来年、私は30になる。父は還暦だろうか。今どんな顔をして笑うんだろう。もう父の笑顔を忘れるくらいの年月が経ってしまった。私はいつまで、お正月記憶に取り憑かれたままだろう。

正月は苦手だ。

2024-12-26

子育て支援は、学生スポーツ関係予算から充ててほしい

部活動とか大学スポーツとか。

教育費をそういうところに使う意味がわからない。

そんなんだから高校大学無償化が遠のくんだ。

少子化対策の方が絶対に優先度が上だ。

部活動につきあわされる先生たちも本当にかわいそうだ。

2024-12-16

小学校ゲートボール部の思い出

小学校部活動で、俺はゲートボール部に入った。

テレビゲートボール番組やってて、それを見て興味を持った。

教えてくれるのは近所のおじいさん。

友達のお爺さんだったから顔見知りだ。

でも残念なことに、部員が少なかった。

そりゃそうだよね、小学生ゲートボールしたい人って少ないもの

それでゲートボール囲碁将棋部と合体して、ゲートボール囲碁将棋部になった。

でも囲碁将棋部だった人は不満そうだった。

囲碁将棋がしたいのになんでゲートボールなんて!という感じだった。

まあ気持ちは分かる。

でもお爺さんはそんな子供たちにも熱心に教えてくれた。

なんとか試合もできるくらいになったゲートボール囲碁将棋部だったが、結局半年でなくなってしまった。

お爺さんの足腰が悪くなってきたので、という理由だった。

結局それに伴い、囲碁将棋部も消滅した。

そんな自分アラフォーを迎えた。

お爺さんから教わったゲートボール技術はまだ覚えている。

老後は必ずゲートボールをして、他の老人たちを驚かせてやろうと思っている。

なんせ小学校の時に直々にゲートボールを教わっているのだ。

絶対アドバンテージがあるに決まっている。

お爺さん、見ててください。

直伝のスパーク打撃、決めて見せます

2024-12-13

令和生まれの子供向けの素養

メガネを使わない運動部活動にて競技経験高校バスケットボールまたはバレーボールが望ましい)

演劇経験付け焼刃ではない人当たりの良さ)

この二つはマスト

2024-12-08

anond:20241208004549

小中高大ずっと毎日通ってたし、部活動も参加してたし、友達結構いたけどほぼ覚えてないわ。断片的な記憶しかない。楽しいと思って通ったことないからだろうな。周りに合わせるのに必死だった。

2024-12-03

anond:20241203174456

まあそういう男多いよな~ってなるだけだから

恒例のミラーリング下手くそ部活動開始って感じ

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