はてなキーワード: 毀損とは
ヒトラーに類似とかそれ以前に純粋に政権与党総裁としても総理大臣としても無能なだけ
言わなくてもいいことを言って中国との外交関係を毀損(これは中国の揚げ足取りにやられた感もあるが、十分注意すべきだった)
政権の支持率と政党の支持率を混同して立憲民主と公明に嵌められて政権基盤を危機に陥れる
これで支持できる方がおかしいですよね
フリードマンの理論に忠実に日本経済を眺めれば、この結論は感情論でも陰謀論でもなく、単なる算術の帰結にすぎない。
貨幣は実体経済の上に外生的に価値を持つのではなく、供給量と需要、そして期待によって価値が決まるという貨幣数量説を出発点に置けば、インフレは常に貨幣的現象であり、財政赤字の規模や美辞麗句でごまかせる問題ではない。
日本は長年、国債発行で歳出を賄い、それを中央銀行が事実上吸収することで低金利と安定を演出してきたが、これは構造的には借金で借金を返すロールオーバーを続けているだけで、健全化ではなく時間稼ぎの自己放尿にすぎない。
合理的期待を持つ経済主体は、いずれ貨幣供給の増加が物価に転嫁されることを織り込み始める。
その瞬間、賃金交渉、価格設定、資産配分が同時に動き、インフレ期待が自己実現的に加速する。
政府は成長戦略を語り、日銀は出口論を先送りし、評論家は「日本は特別だ」と唱えるが、それらはすべて観測不能な奇跡に賭ける態度であり、フリードマン流に言えば政策当局自身の自己放尿である。
財政規律を失った国家が、インフレ税という見えない形で国民から徴収し、実質債務を薄めようとするなら、そのコストは通貨価値の毀損として社会全体にばらまかれる。
結果として起きるのは、財政放漫と金融緩和のダブル放尿であり、片方だけを批判してもう片方を免罪する態度こそが最も非科学的だ。
市場は期待で動き、期待は一度アンカーを失えば、理屈通りに暴走する。
日本経済が今立っているのは、奇跡を信じて延命するか、痛みを伴う調整で信認を守るかの分岐点であり、どちらを選んでも魔法はない。
http://nob-piazza.cocolog-nifty.com/update/2015/08/post-5d2b.html
などなど。
フレイザー報告書で「KCIAと密接な関係にある」と指摘されたのが統一教会
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c12101/
https://note.com/light_coot554/n/nd86a07f9db3f
https://21cult.web.fc2.com/mayaku.htm
マイナスを取り入れるのでなく
インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 1
インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 2
インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 3
インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 4 結論
つまらない状況というのは、単にコンテンツがつまらないというだけでなく、つまらないものがおもしろいものとして受け入れられる空気ができることだ。
自分個人はつまらないと感じているが、ほかのみんなはおもしろがっているらしいと感じるような、そういう空気があるのがつまらない場所だ。
ネットでもどこでも、つまらない空気が生まれるのは、一般人とやり取りするための礼儀作法、社交辞令、規範意識といったものが広く一般的に共有されるようになるからであり、つまらない人間というのはそういうものを身に着けた存在だ。
ネットでおもしろいことをしていたのは、意識的にであれ無意識にであれ、そういう社交辞令の悪影響から逃れたがった人間だった、と思う。
ネットのおもしろさは、無意味な社交の中からは生まれえないものだ。
社交のための社交などない場所が広がっていき、それゆえ本当に価値あるものだけが生み出される場所ができあがっていくのではないかという期待が、ネットのおもしろさだったのだ。
その期待がなぜ潰えてしまったのかといえば、おもしろい人によるおもしろい場所での振る舞い方や持つべき意識といったものを誰も自覚せず、体系化もせず、おもしろさを生み出す方法論を大勢に伝えることができなかったからだ。
おもしろい場所を維持するには、そこにいる誰もがおもしろさを損なわない振る舞いでやり取りしないといけない。
最初は、本能的にそれを知っている人間だけが自然に集まって、自然にやり取りしていた。
でなければあるいは、誰とも交流しないような人間が一人でおもしろいことをしていた。
そういう活動の仕方は明示されたものではなかったから、そうしないとおもしろさが損なわれるということを誰も知ることができなかった。
一方で、普通の仕方のやり取りは誰でも知っているし、普通の社交を嫌悪している人間でさえ知っている。
普通の一般的な社交の仕方に取って代わる規範を誰にでもわかるように提示できなかったから、つまらない活動を促進する作法で人々がやり取りするのを止められず、ネットはつまらなくなったのだ。
結局どうするべきなのかといえば、人におもしろい活動を促進し、おもしろさを損なわせず、つまらないものをはびこらせない振る舞いと作法を明確かつ詳細に規定し、おもしろい人間しか守ることのできない規範を作り、その規範を守れる人間だけで活動するべきなのだ。
つまらない作法とはたとえば、つまらないものや、つまらない人間につまらないと言えないといったことだ。
もしそうしたとすれば、そのつまらない人間は、礼儀を守れとか、個人の価値観を尊重しろというようなことを言うだろうし、またそういう主張の正当性は一般的に認められている。
あるいはまた、他者から賞賛された場合、その人やその人のやることに賞賛を返さなければならず、その相手が気に入らなくても否定できなくなる。
だから、つまらない人間から肯定されれば、意に反してその相手のやることをおもしろいと言わなければならなくなる。
そういう規範があるせいで、局つまらない行為が排除されず、むしろ人々に認められさえするということになってしまう。
人には礼節を守り、相手の名誉を守り、損ねてはいけないこと、そして相手に名誉や称賛などの利益を与えないといけないこと、とりわけ、相手からこちらの名誉を尊重されたり与えられたりすれば(たとえこちらが名誉を望んでいないとしても)相手に名誉と賞賛をお返ししなければならないこと、という規範がある。
そういったことを実践するのが、一般的な社交のしかたというわけだ。
つまり、他者に利益を与えること、他者から利益を与えられる権利であるところの名誉を与えること、他者の名誉を損ねないこと、という規範だ。
それを相手に返礼という利益を与えることを拒否することになるからだ。
明らかに無価値な人間の価値を否定することができず、価値ある活動の助けにならない相手からの賞賛を拒否することもできず、価値ある活動が制限されていくことでつまらない状況が作られる。
一般的な礼儀や規範というのは、他者に利益を与えることをよしとしている。
一般的な規範の根本的な目的は、それを守る人間に名誉を与え保証すること、だと言える。
人とやり取りするときにはそのように考えて振る舞わなければならないと、誰もが無意識に考えている。
しかし名誉が与えられるからといって、その相手が価値を実現する能力を持っていることは保証されない。
むしろ、お互いに名誉を保証し、与え合わなければならないせいで、価値を実現する活動をしたり、価値を実現する能力を身につけることが妨げられる。
また、大して能力がなくつまらないことしかできないが名誉をえようとする人間が不当に名誉だけをえるすべを磨こうとするし、そういう人間が排除されずにのさばる。
相手の名誉を尊重し賞賛によって相手の活動を促そうとするのは、価値ある活動の促進にまったく効果がなく、反対に、おもしろいことを最初からするつもりがない人間を寄せ付ける餌にしかならないのだ。
だからむしろ反対に、名誉を発生させないような規範を作らなければならない。
価値あるとかおもしろいと感じたら、それを生み出した人に賞賛や名誉や報酬を与えるのが好ましい、むしろそうするべきであるという規範意識が、おもしろいものを促進するどころか衰弱させ、むしろつまらない人間を呼び寄せ、つまらないものを増やしているのだ。
その代わりに、人を賞賛せず、人が名誉を持つことを禁じ、名誉が毀損されることに異議を挟むような人間を排除しないといけない。
そのような環境でこそ、おもしろい人間が集まり、価値あるものがより多く生み出されるというのがここで主張したいことだ。
本来、価値あるもののために活動して生きるということは、どんなものが自分の感性を刺激して満足させるのかを知り、そういったものを手に入れるにはどんな手段を実践すればいいのかを知り、実行することだ。
しかしある種の人間は、自分の感性の働きを自覚することに熱心になろうとしない。
何が自分を満足させるのか、何に価値があるのかを知ろうとはせず、他人が欲しがっているものを欲しがるだけだ。
そしてそれを手に入れるために、自分でどんな手段を取るべきかを考えるのではなく、名誉をえたり、他者に施しをすることで、他者から報酬として何かを手に入れようとする。
何に価値があるのかという知見を増やそうとしたり、どんなことをすればどんなものが手に入るのかという因果関係を見極めようとはしない。
彼らはあくまで、自分の感性を刺激するものではなく、他人が欲しがっているものを見て自分が何を欲しがるべきなのかを学び、またそれを他人から与えられるという方法でのみそれを手に入れようとする。
そのために、賞賛されているものから価値観を学び、他者から賞賛をえることで自分の名誉を高め、他者から報酬をえようとする。
名誉と礼儀の規範がある場所は、本来感性を持つものが自身の感性に正直に振る舞わなければ正常に機能しないのだが、そこにはつまらない人間が欲しがる餌が豊富にあるため、自分の感性を持たないつまらない人間が大挙してやってきて、機能不全に陥る。
価値ある活動がなされる場所を維持するにはこのような人間を排除する以外にない。
彼らが何か努力して価値あるものを生み出す能力を身につけることは不可能だ。
なぜなら、そもそも他者から何かを学ぼうとするその姿勢そのものが、自発性の欠如を示しているからだ。
他者から何かを学ぼうとする人間は、自分のやることをお手本となるものと比べて、自分の能力を測り、それを報酬とする。
また、お手本とどれだけ近いかは、自発性を持たない人間でも判断でき、それゆえセンスのない人間でも他者を評価できるようになり、つまらない人間同士で報酬を与え合うようになる。
昨日書いた記事は何と一名ブクマしてコメントまでしてくれた。これまで無反応だったことを思えば快挙である。
「粘着質でメタな批判」というまさに先の記事にピッタリの秀逸なコメントをしていただいて、ありがたい限りである(皮肉抜き)。
さて、昨日書いた與那覇潤は二人いる!?というブログの早速答え合わせが出たようだ。
センモンカを駆逐せよですか。まあこれはいつものホンモノのたわごとなので、中身は全くない。うすら寒い(笑)だの「うおおおお!」だの、滑り倒していることにさえ気づかないド滑り芸も板についてきたようだ。
歴史学をゴミを貶す與那覇だが、当然のことながらこれらの姿勢は虚勢である。
すでに與那覇の虚妄は一連のダイヤリーで白日の下にさらしてきたので問わない。気になる人ははてなで検索してほしい。ほとんど書いてるの私なので(笑)。與那覇よ、もっと注目されるような議論しようよ…。
問題は、與那覇が朝日の記事で安心や共感を掲げながら、他方でこの記事では全くそういったことを出さないところである。やっぱり與那覇は余所行きと内向きを意識的に使い分けているのだろう。そして、内向きのセンモンカ批判は全く通用しないことくらい與那覇は理解しているので、そういう面は隠しているのだ。
これが與那覇が二人いるという答え合わせでなくてなんだというのか。
ちなみに與那覇は自らを予言者かのごとくふるまって「テキチューテキチュー!」とはしゃいでいるが、その種明かしを自らしているのでご紹介!
https://note.com/yonahajun/n/n7bf7e827a192
はい、「個人を標的にしない!」「構造を論じる!」ですね。これ、要するに物事を全部あいまいにして何か起きたら全部「おれのいったとおり!!」というインチキ占い商法です。
こんなことを大真面目に種明かししてはしゃいでいるのだから世話はない。
でも、最近の與那覇は個人攻撃ばっかりしてないか?と思われるかもしれないが、関係ない。なぜなら「個人の言動や行動を問題視=その背景に学問やセンモンカの問題がある=全体の問題」に全部つなぎ合わせて批判できるからである。その背景や違いなんてどうでもいい。ただ自分が批判できて気持ちよくなれたらそれでいいのだ。これこそ、ホンモノ流詭弁術である!
『中国化する日本』というインチキ文明論で一旗揚げてからというもの、與那覇は専らこの「構造を論じる」という名の藁人形論法に終始してきた。この個別の問題を全体の問題に結び付けて牽強付会とこじつけで全体を論じる姿勢こそ「ホンモノ」流である。
バカなんじゃないかと思ったそこのあなた。大正解である。あとは自分がそうだと思った事実やSNSの言動をテキトーにつなぎ合わせればそれっぽい論の完成である。
この人、ずっとこうやっていい加減に生きてきたんだろうね…。誰も注意する人がいなかったのか、呆れて皆去っていったのか。
さて、ここからは私の予言がいきなりテキチューしたのでそれを紹介して終わりにしたい。
私は與那覇がセンモンカを駆逐せよとか裁判せよ等と言っているが、全く本気ではないと昨日論じた。
ttps://anond.hatelabo.jp/20260106195506
もう答え合わせの時間だ(早いよ!)。與那覇のこの記事。センモンカを駆逐!!!と叫んでいるが具体的な話は一切ない!繰り返すが一切ない!與那覇は番組出演をはしゃいでいるが、彼が批判するセンモンカとやらはネット番組にも各種メディアにも今でも大手を振って出演している。與那覇と勝負してもメディア露出度ではかなわないだろう。え、なんかすごくメディア露出を喜んでるけど愚弄している人たちに業績でもメディア露出でも知名度でも負けて…それでどうやってここから大逆転するんですか?ぜひともホンモノの逆転術を聞かせてください!
なぜ與那覇は具体的な自分の達成目標を掲げないのか。いや、掲げられないのか。
だってできないんだもん!!
身もふたもないことを言えばそういうことになる。與那覇は無力で、彼のバカげた議論が主流になることなどありえないし、あまり表に出すぎると過去の悪行やオープンレター、呉座敗訴、『中国化する日本』のインチキ等々が白日の下にさらされる。だから、いわば石の下に隠れるようにしつつ、こうして限られた世界で気持ちよくなりたいだけなのだ。
威勢のいいことを言って(例えば戦前で言うと本土決戦!くらい?)、裏ではそんなつもりはなくて新聞やメディアでは当たり障りことしか言わない。
結局処世術と自分が気持ちよくなりたい欲求がカオスに混ざり合った結果、「與那覇という人は二人いる」ことになったのだった。
>>(円の信用はどうなるの?)
1兆円を熊本TSMCに投資して、10年で1兆円以上が戻る見込みなら、信用を毀損するどころか、成長力と外貨獲得力を底上げする話でしょう。
「円の信用」を持ち出すなら、まずは 投資の期待収益を数字で語れ。借金という単語だけで思考停止してるように見える。
本当にこの程度のレベルで話しているのだろうか?
引用終わり
はい、「この程度のレベルで話してい」ます。で、この意見にもどうせ反論しないでしょ。だって自分が気持ちよくなりたいだけなんだもん!ホンモノはそれが許されるんだもん!!
今日も今日とて「この飯くそまずいしなんだこの味付け!センスねぇんだよ!」とクレーム入れておいた。與那覇は顔を真っ赤にしてこの文面を見ているか「またかよ…」とうんざりして無視するか、最初から見ないと決めているかのどれかだろうが、バカな議論を愚弄し続けることもまた、一つの言論なので、間違っても與那覇は「キャンセル」などしないように!
最後に。早速與那覇さん!私の予言を的中させてくれてありがとう!もし、反論したいなら全部の記事を読んで『中国化する日本』の批判になんで黙ってたのかからよろしくお願いいたします!!
「『二つの悪は二つの正義を作らない(Two wrongs don’t make two rights.)』とでもいうべき原理が重要です。チョムスキーの主張はその逆。『どちらも悪いのだから互いに相手を責められない』という理屈は、一見誠実ですが、どちらの悪も許してしまっている。つまり、自己批判の倫理的根拠をも掘り崩しているのです。『米国よ、ロシアを裁く資格があるのか』という主張は結局、強国が他国を抑圧するという悪を容認しあう『悪のなれ合い』です」
「ハマスの民間人虐殺に憤るイスラエル国民の間では、自軍によるガザ住民虐殺を当然の報いと見る者も多い。自国の戦争犯罪が敵のそれで帳消しにされるという論理は、それぞれの悪を相乗的に積み重ねることを合理化する危険な詭弁です」
「この倒錯的な『二悪が二正を作る』論は、実は我々人間が陥りやすい落とし穴です。とりわけ戦争責任論をめぐる議論に、この自己正当化欲求が典型的に表れています」
――いわゆる「勝者の裁き」批判ですね。
「そうです。第2次大戦後のニュルンベルク裁判や東京裁判に対して、ドイツや日本からいまだに上がり続けています。これは、『何人も自己の事件の裁判官たりえず』という法原理に反する、という手続き的欠陥の指摘というよりも、『連合国の国々も植民地支配や侵略を行ってきたし、原爆や無差別爆撃という戦争犯罪も犯したのに、なぜ我々だけ断罪されなければならないのか』という実体的な不満です。敗戦国の私たちに強い心理的訴求力を持つ言説ですが、極めて自壊的です」
「裁く側の二重基準を、裁かれる側が批判するのは正しい。ただ、『お前らが裁かれないなら我々も許される』という二悪二正論に開き直る者は、公正な裁きが依拠する政治道徳原理の規範性を否定しているのです。『勝者の正義』の欺瞞(ぎまん)を真に正そうとするなら、この原理を尊重し自らの悪を認めたうえで、相手を裁き返さなければならないのです」
「弱き者は強き者が作る秩序に従え、という『力の論理』に迎合するシニシズムをこれ以上、広げないためには、ウクライナ戦争もガザ戦争も、正義が回復されるかたちで終結させなければなりません」
――力の支配ではなく、法の支配によって実現すべき「正義」とは、いったい何でしょう。
「その前に、法とは何か、そして法は正義とどう絡むのか、考えてみましょう。すなわち『悪法も法なのか』という問題です。これをめぐっては、法実証主義と自然法論の伝統的な対立があります。前者では、法を実定法に限定し、正義とは切り離します。そのため、それぞれの社会の価値観に基づく法が制定され、調停不能に陥って『文明の衝突』を招きかねません。一方で後者は、客観的正義たる自然法に反するものは法ではない、と主張します。こちらはこちらで、無政府主義を呼び込みかねません」
「私はどちらでもなく、『法は正義への企てである』と規定します。法は正義を真摯(しんし)に追求している限りにおいて法たり得る、という立場です。その意味では国際法も、世界正義への企てだと捉えます」
「それでは『正義』とは何でしょうか。一口に正義といっても、それを全体利益の最大化と見なす功利主義や、個人の自由や権利を絶対視するリバタリアニズムなど、その具体的基準に関し、様々な思想が対立競合しています。ただ、これらはすべて『正義の諸構想(conceptions of justice)』です。様々な立場が競合できるのは、それらに通底する共通制約原理があるから。それが『正義概念(the concept of justice)』です」
「私が考える正義概念の規範は、『普遍化が不可能な差別は禁止する』です。分かりやすく言えば、『得するのが自分だからいい』『損するのが他者だからいい』という要求や行動を排除せよ、ということです。この規範は『自分の行動や要求が、他者と視点や立場を反転させても正当化できるかどうか吟味しなさい』という、反転可能性テストも要請します」
「この正義概念は、何が最善の正義構想かを一義的に特定はしませんが、およそ正義構想の名に値しないものを排除する消極的制約原理として強い規範的な統制力をもちます。それは『正義のレース』の優勝者を決める判定基準ではなく、このレースへの参加資格をテストするものです」
「他者の負担にただ乗りするフリーライダーや、ご都合主義的なダブルスタンダードは、この厳しいテストが課すハードルを越えられません。外国人に正当な権利を保障せずに労働力を搾取する。民主主義や人権を掲げてイラクに侵攻しながら、専制的首長国家のクウェートやサウジアラビアとは友好関係を維持する。ハマスの戦争責任は問うのに、イスラエルの蛮行は座視する――これらは明確に正義概念に反しています」
「自らの正義構想に照らして正当性(rightness)がないと見なす政治的決定でも、共通の正義概念に照らして公正な政治的競争のルールに従ってなされたのなら、正統性(legitimacy)あるものとして尊重しなければならない。このルールを保障するのが『法の支配』です。立憲主義とは、この『法の支配』の理念を、成文憲法のなかに具現化するものです」
「正義の諸構想が国内社会以上に鋭く分裂し対立する国際社会においても、『正義概念』の共通原理に基づいて、安全保障体制や法秩序が築かれる必要があります。例えば、人道的介入をうたいながら大国の友好国か敵対国かによって選別的に武力行使を発動するのでは、正統性を調達することはできないのです」
「米国はバイデン政権時代、イスラエルの戦争犯罪を追及する国際刑事裁判所(ICC)がネタニヤフ首相らへの逮捕状を発行したことを強く非難しました。一方で、ロシアが報復措置まで取ったプーチン大統領への逮捕状は正当とし、自らはICCに加盟していないにもかかわらず、各国に逮捕への協力を求めました。このあからさまな二重基準は、誰の戦争犯罪であれ厳正に裁くというICCに託された国際法の使命をおとしめるものです」
されど国連 夢の断片を回収し修復を
――世界正義を貫徹し、実現するには、どのような具体的措置が必要ですか。
「世界では今、欧州連合(EU)のような『超国家体』や、巨大多国籍企業や国際NGOなどの『脱国家体』の存在感が増しています。しかしどちらも、民主性や説明責任の欠如といった欠陥を抱えている。私は、やはり主権国家を中心にしたシステムを再評価すべきだと考えます」
「国内で至上の権力をもつ危険物である主権国家は、個人の人権を保障するという責任を果たすことによってのみ承認され、存在し得ます。世界は『諸国家のムラ』であり、その基本原理は、国力格差にかかわらず平等に扱う『主権対等原則』です。もちろん、これは一つの虚構です。しかし虚構だからこそ、巨大な力の格差という現実を補正し、大国の横暴に抗する規範として意義を持ちます。このムラでは、どの国も他の国に依存せずには生き残れない。国際法というおきてを破った国は、この互酬性ネットワークから村八分の制裁が科されるからです」
「国連は現在、様々な欠点があるとはいえ、国際的正統性を調達し、諸国家や超国家体、脱国家体などが連携し調整を図る上で、最も広範な包含力を持ちます。もちろん、戦勝国支配の残滓(ざんし)である常任理事国の拒否権を制約するなど、安保理改革は必須です。そのための国連憲章改正にも、5大国は拒否権を行使できます。でもそれは結局、自分たちの国際的威信を低下させ、軍事力・経済力以上に重要な正統性調達力というソフトパワーを毀損(きそん)することになる。他の国々が団結して非難の声を上げれば、国際的圧力に耐え続けることは難しいはずです」
「先ほど私は『国連の夢は破れた』と言いました。人類が自らに加えた殺戮(さつりく)と迫害の罪業はあまりに巨大で、それを克服する試みは20世紀中に達成できなかった。21世紀の四半世紀が過ぎても、克服できていません。しかし、夢は消えたわけではない。破れた夢の断片を再回収し、修復し、より強靱(きょうじん)なものに再編する――その地道な努力を続けなければなりません。私たちに、他に選択肢はないのです」
井上達夫さん
いのうえ・たつお 1954年生まれ。95年から2020年まで東京大学大学院法学政治学研究科教授を務め、現在は東京大学名誉教授。「法という企て」「現代の貧困」「世界正義論」「立憲主義という企て」「普遍の再生」「規範と法命題」「ウクライナ戦争と向き合う」「悪が勝つのか?」など著書多数。
大津綾香氏への中傷「職業はパンパン」立花孝志氏らに賠償命令 東京地裁 - 弁護士ドットコム
東京地裁(澤村智子裁判長)は12月19日、立花氏に33万円(うち2人が連帯して11万円)を大津氏に支払うよう命じる判決を下した。
https://www.youtube.com/watch?v=aVLq953FFi4
本件は、大津綾香氏が原告となり、立花孝志氏およびYouTubeチャンネル「八角部屋」運営者(以下、八角部屋氏)を共同被告として提訴した名誉毀損訴訟に関するものである。被告らの代理人には福永活也弁護士が就任した。
2️⃣「ハメ撮り動画」の存在を示唆し、その公開を望んでいるかのように述べた発言
に集約される。原告はこれらの発言が社会的評価を低下させる名誉毀損にあたるとして、約1100万円の損害賠償を請求している。
いずれの発言も「社会的評価の低下」には該当しないという点に主眼を置いている。
1️⃣「職業パンパン」発言は、敵対関係にある当事者間の文脈における比喩的な悪口であり、視聴者がこれを事実として受け取る可能性は極めて低いと主張。
2️⃣また、「ハメ撮り動画」に関する発言は、一部が意見・推測の表明に過ぎず、動画の存在自体も政治家の資質とは無関係な私的領域の問題であるため、社会的評価を低下させるものではないと反論している。
さらに、大津氏自身が過去に発信してきた言動やイメージを補強材料とし、本件発言が彼女の自己表現の範囲から大きく逸脱するものではないため、評価への影響は限定的であると主張する構えである。
福永弁護士は、本件が名誉毀損一本で争われている点を被告側に有利な要素と見ており、勝訴の可能性は十分にあると分析しているが、発言自体には行き過ぎた点があったことも認めている。
原告側の請求は、立花氏による以下の二つの発言が社会的評価を低下させたとするものである。
八角部屋氏のYouTube撮影を前提とした場で、立花氏が「あいつパンパンやろ」「職業パンパンや」と発言したこと。
• 「パンパン」とは、戦後直後に在日米軍兵士を相手にした売春婦を指す俗語である。
• 原告は、この発言が自身が売春婦であるとの事実を摘示し、名誉を毀損したと主張している。
立花氏が、大津氏に「ハメ撮り動画」が存在すること、および彼女がその動画の公開を望んでいるかのような発言をしたこと。
• 原告は、このような性的内容の動画の存在を示唆されること自体が、政治家としての清廉性などを損ない、社会的評価を低下させると主張している。
福永弁護士は、いずれの争点においても「社会的評価の低下」は認められないとして、以下の通り反論を展開する方針である。
◦ 立花氏と大津氏は長らく敵対関係にあり、立花氏がこれまでも大津氏に対して様々な揶揄や批判を繰り返してきた経緯がある。
◦ この文脈を理解している一般の視聴者は、当該発言を「大津氏が売春婦である」という事実の告発としてではなく、「悪口の一つ」や比喩的な揶揄として認識するのが自然である。
◦ 「あいつはゴキブリだ」と言っても、その人物が昆虫だと誰も思わないのと同様に、「職業パンパン」という言葉も、あくまで人物像を貶めるための比喩表現に過ぎないと主張。
◦ 立花氏は「職業パンパン」発言の直後に「あいつはいろんな男性から奢ってもらっとる」と続けている。
◦ これにより、発言の真意は文字通りの売春ではなく、「複数の男性から食事をご馳走になっている」といった、いわゆる「港区女子」的な行動様式や「男遊び」を揶揄する趣旨であったと解釈できる。この行為自体は、社会的評価を低下させるものではない。
◦ 「パンパン」という表現自体は品位を欠き、大津氏の感情を害する「名誉感情侵害(侮辱)」に該当する可能性はあり得る。
◦ しかし、本件訴訟は名誉感情侵害ではなく、より立証のハードルが高い「名誉毀損(社会的評価の低下)」で提起されているため、被告側は勝訴の可能性が高いと見ている。
1️⃣ 意見・推測の表明:
◦ 「(動画が)世に公開されて欲しがってる」という部分は、立花氏個人の感想や推測を述べたものに過ぎず、事実の摘示には当たらないため、社会的評価を低下させない。
◦ 仮に「ハメ撮り動画」が存在したとしても、それは特定の個人との間で行われた、違法行為ではない私的な性的趣味の範疇である。
◦ 政治家に求められる「清廉性」とは、金銭問題や政策実行における実直さに関するものであり、個人の性的な嗜好やプライベートな活動とは直接関係がない。したがって、動画の存在自体が社会的評価を低下させるとは言えない。
◦ 万が一、社会的評価の低下が認められる場合に備え、以下の点を主張する。
▪ 真実性: 立花氏は、過去に大津氏本人から対面でそのような話を聞いたと主張しており、法廷で証言する可能性がある。
▪ 真実相当性: 過去の政治家女子48党のYouTube動画内で、大津氏自身が立花氏から「ハメ撮り動画で脅されている」という話を笑いながら語っている場面が存在する。この様子から、発言内容に真実相当性が認められる可能性がある。
• 大津氏はこれまで、自身のSNS等を通じて、性に対して保守的ではないキャラクターを自ら表現してきた。
• 具体例:
◦ バーのイベントで、高額なシャンパンの対価として「えちえちな写真」の送付を特典にしていた。
◦ 「縛り方講座」といった趣旨のインスタグラムストーリーを投稿。
• これらの自己表現に鑑みれば、本件で問題となっている発言は、大津氏が自ら築き上げてきたパブリックイメージから大きくかけ離れたものではなく、社会的評価に与える影響は軽微であると主張する。
• 勝訴の可能性: 全面的に勝訴できる可能性は「半々ぐらい」と評価。特に、原告が「名誉感情侵害」ではなく「名誉毀損」で請求している点が、被告側にとって有利に働くと分析している。
• 損害賠償額の見込み:仮に敗訴した場合でも、請求額の1100万円が認められることはなく、認められるとしても20~30万円程度にとどまると予測している。
• 戦略的評価: 原告側が「名誉感情侵害」で提訴していれば、少額ながらも勝訴の可能性は高かったと推測。社会的評価の低下を一点突破で争う現行の戦略は、被告側に反論の余地を大きく与えている。
• 発言内容への言及: 福永弁護士は、法的な勝算とは別に、立花氏の発言が「言い過ぎ」であり、もっと慎重であるべきだったとの見解も示している。
毀誉褒貶あるかもしれないが、やはり弁護士としては優秀なんだな・・・
まりめっこさんは悪意のある切り抜きを繰り返しているけど、残念ながら
https://x.com/mrmk0120/status/2001961959403753761
https://x.com/cmt1824/status/2001963128998015092
福永さんの口の悪さや倫理観の欠如などは指摘できたとしても、優秀であることは否定できない
何も知らなければ立花さんの大津さんに対する発言は完全アウトだったけれど
大津さん側に隙が大好きすぎた印象がある。
ゲーム機の成功とはなんぞやという話で、従来のハード屋の王道戦略は、
1. ハードをとにかくたくさん売る
2. ソフトがたくさん売れる
3の手数料がデカいから逆ざやでもとにかくハードを売って、ハード中心の経済圏を作る戦略を取るわけですね
この王道戦略に照らし合わせると確かに Xbox は失敗してることになるわけです
でも、この戦略は、サードパーティの売上に大きく依存するビジネスモデルになっていて、昨今揺らぎ始めてるんですね
例えば
そこで Microsoft はこの従来の戦略から早々に降りて Game Pass や全てが Xbox になるというアカウント中心の経済圏に方針転換したわけですね
Game Pass の加入者数が当初の目標であった2030年までに1億人に大きく届いていない点に関しては、戦略が破綻したというよりかは、加入者数を無理やり追い続けると LTV が毀損する局面に突入してきたから、値上げ、day 1 タイトルの調整、各プランの差別化によって規模優先から継続収益や LTV の最大化に舵を切ったと考える方が合理的なんじゃないかと思います
なので、ハード単体で見ると失敗しているけど、ゲーム事業としては少なくともまだ失敗と断定するフェーズではないというのが妥当な評価じゃないですかね
ワイは外国国章損壊罪は撤廃しろ派だけど、それはそれとして元増田の理解も間違っている。
外国国旗損壊罪って観光できた外国人が自国の旗を燃やしたりしても、適用されるんでしょ?
外国国章損壊罪は「外国の威信」を損ねることを罪に問うもの。ここでの「外国の威信」とは、抽象的なソフトパワーではなく具体的な外国の公権力、つまり外国政府である。
これまで処罰された数少ない事例は、1961年に中華民国総領事館へ乱入し国章を隠蔽した台湾人(台湾独立活動家)に科されたものだ。ダイレクトに外国(中華民国政府)の威信を毀損している。
確かにアメリカ人観光客がアメリカ大使館に侵入して国旗を引きずり下ろしたり国章にウンコを投げつけたりしたら外国国章損壊罪が適用されるが、それが超レアケースであることはわかるだろう。
逆に、「中国人が街宣車から中華民国の国旗を奪い取った」「中国人が万国旗から中華民国の国旗をむしり取った」「日本人がデパートに吊るされていた中華人民共和国の国旗を引きずり下ろした」「日本人が手製の中華人民共和国の国旗を踏みつけた」「日本人がデモでロシアの国旗を引きずりまわした」などの事案は、外国による訴えがあったものの、いずれも外国国章損壊罪には問われていない。民間の団体が掲げる旗を傷つけるのは単に器物損壊だし、手製の旗なら何をしようが自由ということだ。
さらにいえば、この罪は外国からの請求があって初めて公訴が提起される。要するに、外国政府が「うちの国の国旗を侮辱したけしからんやつらを取り締まってくれ」と言い出して初めて罪に問われる。
アメリカ市民がデモで米国国旗を燃やす程度なら、アメリカは言論の自由を尊重して日本側に「外国国章損壊罪で取り締まれ」と請求することはないだろうし、仮に請求してきたとしても(トランプ政権はやりそうで怖い)、上で書いたようにそもそも罪にならない可能性が高い。
まあ、それはそれとして、じゃあ「外国国章損壊罪でしか取り締まれない行為」って何だ? って考えると、めちゃくちゃ狭いと思う。大使館に侵入して国旗を引きずり下ろして踏みつけるとか、国章にペンキをぶちまけるとか、それはそもそも器物損壊罪とか住居侵入罪とかそういう別の罪でじゅうぶん取り締まれるわけで……
ありうるとしたら、「町中の普通のビルに入居している小国の大使館の国章の前にものを置いて隠蔽する」とかそういう行為か。たとえば公道に面したところに掲示されている国章なら、前にものを置いて隠した場合には器物損壊罪でも住居侵入罪でも取り締まれなさそう。でもそれ、超レアケースだよね……
個人的には、外国国章損壊罪と礼拝所不敬罪は、別の罪でじゅうぶんに処罰できるうえに国民の思想・良心の自由を制約しているからなくすべきだと思うし、同時に高市・はやく辞めろ・早苗が進めている国旗損壊罪の提案にも反対だけど、それはそれとして外国国章損壊罪の処罰範囲がめちゃくちゃ狭いことは知っておいたほうがいいんじゃないかなぁと思った。
「教育虐待ガー」とか言ってる層って、マジで日本の教育システムを単なるブラックボックスとして捉えてるんだよね。
でも実際は、日本の教育は 競争アルゴリズムに基づく階層ソートシステム なんだよ。
入力パラメータ(学習量)を下げれば、アウトプット(進学・所得・婚姻市場ポジション)が劣化するのは 仕様 であって感情論じゃない。
だから「可哀想だから詰め込みやめろ」と言うのは、システムの根幹ロジックを理解せずに設定値を勝手に下げる危険なパラメータ変更なんだよ。
日本社会は
つまり教育を削るという行為は、スコアリング関数の入力値を意図的に下げるのと同義。
当然、最終アウトプットは弱者男性という低スコア領域に落ち込む可能性が跳ね上がる。
これを下げた瞬間、
進学機会が減少(選択肢のサブセット化)
という 不可逆なデグレードが発生する。
これを回避するには、インプットを削らないのが最も効率的なんだよ。
まるで、性能要件を理解しない非エンジニアが、「その処理重くない?」とだけ言ってくる感じ。
それは 数千万〜数億円規模の長期的機会損失 という隠れたデフォルト・リスク。
でも外野はただの**無責任ノイズ(noise)**を発してるだけで、何ひとつ責任領域を持たない。
損失補償者(compensator)
意思決定権者(decision owner)
が一致している必要がある。
しかし「教育虐待ガー派」は意思決定に関わるくせに、リスクも損失も負わない。
これ、システム開発なら完全に アンチパターン(責任分離の破綻) なんだよ。
「サラリーマンの平均生涯年収3億円」はよく語られるけど、教育量の削減によって階層ダウンした場合、これは普通に大きく失われる期待値なんだよ。
つまり外野が無責任に発する「可哀想」って言葉は、他人の将来資産を数億単位で毀損するトリガーになり得る。
そのリスクを認識していない時点で、教育議論に参加する資格がない。
最終的に問うべきなのはこれ。
当然、誰も取らないし、払わない。
最近、俺は自分の精神がどのような状況下で動揺し、脆さを露呈するのか、その自己理解が深まってきた。具体的に、俺の心をざわつかせたのは以下のような事象だ。
それは「金銭的な損害」や「実害」そのものではない。俺が真に恐れているのは、自分のあずかり知らぬところで、社会システムから不当に評価され、拒絶されているのではないかという疑心暗鬼だ。
顔の見えない誰か、あるいは無機質なアルゴリズムによって、自分の社会的信用が勝手に毀損され、包囲網が狭められているような閉塞感。この見えない評判への恐怖こそが、現代におけるストレスの根源なのだ。
だが、こうした正体不明の不安に襲われたときこそ、防衛策が必要になる。
それが、「まあ、どうでもいいか」とあえて口に出し、思考を強制終了させるひと呼吸だ。
これは単なる逃避ではなく、過剰防衛する脳を鎮めるための技術である。
例えば、極端な話、国家の情報機関が俺を何らかの手違いで「テロリストの一味」だと誤認識し、監視対象にしていたと仮定しよう。常人ならパニックになるかもしれない。
だが、冷静に考えてみてほしい。それで一体どうなるというのだ?映画のように即座に暗殺されるのか? 日本の法治国家において、そんなことは万に一つも起こり得ない。
むしろ、彼らが俺を監視すればするほど、明らかになるのは「俺がいかに無害で、平凡な市民であるか」という事実だけだ。24時間監視されたところで、俺の潔白性がより強固に証明されるに過ぎない。
システムが俺を敵認定し、ブロックし、排除しようとするなら、それもまた一興かもしれない。
映画マトリックスのモーフィアスのように、俺はこの管理社会にとって予期せぬバグであり、警戒すべき存在として扱われている。そう解釈することだってできる。
システム上のエラーも、SNSの凍結も、他人の悪意ある書き込みも、結局は俺の人生の本質とは無関係なノイズに過ぎない。
他人の評価や、社会システムのご機嫌取りに自分の幸福を委ねている限り、この動揺は永遠に続く。だからこそ、意識的に遮断するのだ。
真に楽に生きるための必要条件。それは、自分のコントロールできない事象に対して執着を手放すことだ。
社会的な評価や世間体といった、実体のないものをゴミと割り切り、そこから静かに手を引くこと。
ヨーロッパの石積やレンガ積の建物と違って、鉄筋コンクリート(RC造)は中に鉄筋が入っている。コンクリート(水酸化カルシウム)はアルカリ性なのでアルカリ性の雰囲気下にある鉄筋は腐食しない。
しかしながら、コンクリート(水酸化カルシウム)は大気中の二酸化炭素と反応し炭酸カルシウムになる。炭酸カルシウムは強度的には問題ないが中性なので、中性の雰囲気の中で鉄筋が腐食し、腐食によって膨張、コンクリートを破壊する。これを「爆裂」と言う。これによって、構造が毀損していく。ちな、ローマのパンテオン等の古代のコンクリート建造物はとっくに中性化してるが、無筋なので問題ない。
この問題は、鉄筋の上に被ってるコンクリートの厚さである「かぶり厚」を増やす、鉄筋をステンレスにすることで鉄筋そのものを錆びにくくする、補修工事の際に再アルカリ化をするなど、技術的に解決策があるがコストが高く経済的ではない。
地震の外力や寒暖差による収縮などでコンクリートに微細な亀裂が生じていく。これにより、前述の中性化が進んだり、水の侵入による問題などが出てくる。
これらは制震工法による地震動の抑制、外断熱、微生物カプセルによる自己修復などの対策があるが、やはりコストが高く経済的ではない。
1981年6月より前に建築確認を受けた建物は耐震性能が十分ではないので、まあ死んでも文句が言えない。また、1999年の省エネ基準より前の建築物は断熱性が大きく劣っている。もちろんこれらを改修することは可能だが、改修にはかなりのコストがかかる。
また、古い建物では、配管の方式がスラブ下配管(下階の天井裏に排水管を通す方式)だったり、階高(上下のスラブの間)が狭く拡張性が無く、光ファイバや空調の増設に対応できるスリーブ(躯体に開けた穴)が無いなどの問題もある。スリーブは困難ながらもまだどうにかすることはできるが、階高や配管の位置はどうしようもない。
住居系以外でも、今日日OAフロアの無いオフィスビルなどは余りにビミョーだろう。
築年数が経過すれば給水管や排水管の更新が必要になるが、これはかなりコストがかかる。光ファイバを通すには配管やスペースが必要だ。8K放送に対応するには共聴設備の配線を全部交換するしかない。建物の電気容量には限界があり、さらに電力が必要なら幹線から変えなくてはならない。
これらはどうにかすることはできるが、上記の通り躯体が陳腐化し、何千万、何億とかかる防水工事が控えているならば、わざわざここを改修しようとは思わないだろう。有り体に言って無駄金だ。
「◯◯は◯◯と違ってダメだな」とか「◯◯の出す作品なんてどうせクソだろ」みたいな
表現の自由を批判したり表現の自由戦士はーとか普段から言ってる人がまとめサイトみたいな事言ってんのはいいんだ
そんなロクでもないサイトの誇張・デマだらけの記事を鵜呑みにするからロクな知識も持たず考えも出来ず
表現の自由関連でもマトモな事が言えないという説得力が増すだけだから問題ねえんだ
でも表現の自由を支持する人が個人・作品・企業関連で対立煽りしたり
表現の自由の正当性にもヒビが入ってしまうからマジで辞めて欲しいんだ