はてなキーワード: 不用とは
→解決する気があまりなく、事実上放置。物価高が止まる気配まったくなし。
○外交問題
→中国に対して不用意な発言連発で現場は大混乱。イラン戦争では世界中の国(アメリカの世論を含む)で唯一トランプを支持する姿勢を表明。原油・ナフサ不足も、いまのところ確保の目処がたったというニュースはないのに、節約を呼びかけることもしない。
○消費減税
→場当たり発言を繰り返すばかりで一貫性がなく、選挙中も曖昧な態度に終始。現在もまったくやる気がない。個人的には大反対なので、このままつぶれてほしいが。
→TM報告書から、ズブズブな関係は明らかに。完全に黙殺を決め込んでおり、隙あらば関係修復まで考えてそうな気配。
→世論調査では7割超が女性天皇支持だが、高市首相は男系絶対死守で、生まれた時から民間人である元皇族の子孫を天皇にすることを可能にするという、もともとは保守論壇の中でも非常識なカルト的主張だった改正案を真面目に推進。
○その他
官僚のレクを受けない、素人勉強で独学する、記者会見をほとんどしない、党首討論にも応じない、自民党の幹部とも会わず官邸にこもりっきり、夫が異常な社会保障嫌いカルトで介護保険すら利用せず、家事と介護に疲弊して睡眠不足、などなど。
岸田・石破のほうが圧倒的にまともだったことは明らかなのに、なぜ岸田・石破政権は支持率が低く、高市政権は高いのか。支持率が低い理由として上記の問題が挙げられていたから、なおさら不可解である。Youtubeが悪い。
「あ、鳴つた。」
と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾をかぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。
「近いやうだね。」
「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」
「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」
「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」
「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐるから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます。
母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段は絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。
この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである。物語を創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ。
ムカシ ムカシノオ話ヨ
などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである。
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瘤取り
ムカシ ムカシノオ話ヨ
ミギノ ホホニ ジヤマツケナ
このお爺さんは、四国の阿波、剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐるものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近に於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語を舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽、歌舞伎、芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、
ムカシ ムカシノオ話ヨ
と壕の片隅に於いて、絵本を読みながら、その絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)
このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独なものである。孤独だから酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然に孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである。若い時から無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。
「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、
「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しますから。」と言ふ。
お爺さんは浮かぬ顔になる。
また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。
けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのである。しかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。
「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」
言はなくたつていい事である。
お婆さんも息子も、黙つてゐる。
「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。
「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。
「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。
アルヒ アサカラ ヨイテンキ
このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、
「よい眺めぢやなう。」
と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、
「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、
「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、
「いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分の可愛い孫のやうに思ひ、自分の孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのである。けふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、
「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである。
カゼガ ゴウゴウ フイテキテ
春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、
「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」
と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、
「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である。
「はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」
とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜の大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、
「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである。
ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ
この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、
「これは、いけない。」
と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。
「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、
ミレバ フシギダ ユメデシヨカ
といふ事になるのである。
見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議の光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いからである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪の性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇の鬼才何某先生の傑作、などといふ文句が新聞の新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実を暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉を使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万の醜悪な綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供の絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである。
見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである。
お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、
「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり、隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物ともつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐる種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山の隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである。地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林の賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山の隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐるから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山の隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人と呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかいふ言葉は、まるで無意味なものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、
「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく。
スグニ トビダシ ヲドツタラ
コブガ フラフラ ユレルノデ
お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、
赤い襷に迷ふも無理やない
嫁も笠きて行かぬか来い来い
とかいふ阿波の俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、
大谷通れば石ばかり
笹山通れば笹ばかり
とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。
ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ
ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ
ソノ ヤクソクノ オシルシニ
と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。
お爺さんは驚き、
「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。
コブヲ トラレタ オヂイサン
ツマラナサウニ ホホヲ ナデ
オヤマヲ オリテ ユキマシタ
瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。
「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。
「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失してゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである。
家に帰るとお婆さんは、
「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。
「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議な出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。
「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。
「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。
「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。
「うむ。」
「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」
「さうだらう。」
結局、このお爺さんの一家に於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるとかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24
現代の告白のマナー講座を始めます。非モテのおじさんもどうぞ、後方でよければお座りください。
まず、
だって、考えてみてください。大人の「告白」って言ってしまえば、ちん
これとほぼ同義です。
関係性が築けてない相手に言われたことを想像してみてください。怖いでしょう?
断ったら逆ギレされるかもしれない。変な噂を流されるかもしれない。女性は、断るだけでも体力と気力を消耗します。
お互い恋愛に興味が出始める年齢。ちんちんを前面に押し出さず、大人になるための階段。
「お試しで付き合ってみる」
が公に許される年齢が中高生までなのです。
その答えこそが「段階を踏む」です。
まず挨拶する。
世間話が毎回できるなら連絡先を。
複数飲みが隣で盛り上がるなら2人で。
2人で数回遊びに行くなら”告白”する。
どこかで段階を踏めなかったら諦めるか、同じ段を繰り返す。
もちろん、これだけが全てじゃない。
当時の彼氏の家に行こうと思い連絡をした
「今から家行くね」
「信じられないかもしれないんだけど寝てる間に空き巣に入られて色々あって○○警察署にいるからそっちに来れる?」と
着くやいなや、彼が刑事さんとともに出てくる
彼は刑事さんの手を借りながら少し足を引きずっている
「来てくれてありがと、俺寝てないから帰って寝ていい?」と。
警察官の車に乗り、家まで送ってもらう。
その車の中で彼は何があったか話し始めた。
彼は夜の時間に仕事をしているので、朝9時頃に就寝する。いつもの癖でパンツだけで寝ていた。
1LDKのその家に空き巣が入ったのだ。明かりも消していて無人だと思われたのだろう。不用心だが家の鍵は開けっ放しだったそうだ。とはいえオートロックのある住宅街のマンション。そんな事件は聞いていなかった。
物音で目覚めた彼は体を起こす。すると黒い人影と目が合う。急いで逃げ出す犯人。血の気が多い彼はパンツ姿のまま外に出て捕まえようとする。もみ合いになったとき犯人が小型のナイフを出し、足技を決められているその足を何度か刺した。
血が出て痛いはずなのにアドレナリンが出ていて気づかなかったらしい。
マンションの廊下で取っ組み合いになっているところ、通行人が通った。女性だった。がその光景はひどく、黒ずくめの男がパンイチの男に足技をかけられていて黒ずくめの男はパンイチ男の足をナイフで傷つけている。これではどちらが犯人だかわからない。
彼氏は通行人を説得し警察を呼んでもらうことに成功。警察到着後身柄が確保された。
調べによると同じマンションの違う部屋のものを持っていたので現行犯で捕まったそうだ。
それに服もきる
が、鍵を開けられたらどうだろうか
こわい。
彼のマンションはセキュリティかゆるいとかでもない、どのようにオートロックを乗り越えたかというとゴミ捨て場がフェンスを登れば入れるらしい、そこからの侵入だそうだ
いまだに、だ。
これは昔の話だがそんな感じの夢を見たので
Kwaidan: The Sole-Eyes of Namegata
外題
見返し
附・編者註
目次
一 題字
二 序
三 本文
(一)黑泥の地
(二)ばばさま
(三)若き男の來訪
(四)見えねえ泥
(五)夢
(六)跡
四 結語
五 編者註
六 刊記
題字
常陸行方の低濕地に、足の裏をもつて泥の底のものを見る老婆ありしといふ。
人これを笑ひて農の熟練となす者あり、また半ば恐れて妖異となす者あり。
されど土地の人々は、ただ「ばばさま」と呼んで、久しくそのことを語りつたへた。
序
この小篇は、神田神保町の古書肆にて、偶然手に入れたる無署名の豆冊子をもとに、讀み下しの便を加へたるものである。
原本は和綴じ、表紙薄鼠、題簽すでに半ば剝がれ、奧付なく、印刷の年を詳らかにせぬ。
文體は舊き譯文めき、しかも土地の語りをそのまま活かしたる箇所少なからず、いづれの人の筆になるかを知り得ない。
されど、その粗朴なる筆の運びのうちに、常陸の濕地と黑泥との氣配、また農の技と怪異との境目の曖昧さが、いかにも得も言はれぬ迫力をもつて記されゐることに、私はひそかに心を惹かれた。
世には、水に關する怪談多し。
河童あり、沼の主あり、また足を引くもの、名を呼ぶもの、影のみ通るもの等、數へあぐれば際限なし。
されど泥に關する怪談は、存外少い。
泥は水のやうに光を返さず、火のやうに姿を變へず、ただ默して重く、人の足もとを知るのみである。
ゆゑにこそ、その底に棲むものは、想像のうちにすら形を結びにくい。
本篇に現はるる老婆も、さだめてその類であらう。
あるひはその兩つは、もとより別なるものではないのかもしれぬ。
以下に載するところ、多少の字句は改めたれど、趣意はおほむね原本のままに從つた。
本文
(一)黑泥の地
人の恐怖よりもなほ深き黑泥の中に蓮の育つ常陸の低濕地には、かつて足の裏をもつてものを見る老婆が住んでゐたといはれる。
その地は、夏にあつては水いまだ温まず、冬にあつては風ことに骨を透す。
見渡すかぎり蓮田つゞき、ところどころに細き水路ありて、葦の葉はひそかに鳴る。
旅人の眼には、ただ平らにして寂しき一帶と映るのみなれど、土地の人々は、その泥の下に、見ゆるより多くのもの潛むことを知つてゐる。
(二)ばばさま
この老婆の名を、今これを記す者は知ることができぬ。
村の者もただ「ばばさま」とのみ呼びて、そのほかの名を口にせぬゆゑである。
あるひは久しく人に忘れられたるか、あるひは初めより、そのやうなものは必要なかりしやもしれぬ。
いづれにしても、彼女はただ、蓮田の中に立つ一つの古き姿として記憶されてゐる。
その背は小さく、顏の皺は深く、眼は濁りて、遠きものを見る力はすでに衰へてゐたといふ。
されど、こと蓮根を掘る折にかぎり、彼女は誰よりも確かに、誰よりも速く、泥の底にある實りのありかを知つた。
彼女は長き胴長を履き、朝まだきより泥の中に入り、しばしば身じろぎもせず立ちつくしたのち、
「ここだ」
と低く言つて、そこへ手を差し入れるのであつた。
すると必ず、太く、折れの少い、見事な蓮根が引き上げられたといふ。
若き者らは、はじめ、その技をただ年季のしわざと思うた。
老いたる者らは、年季のみではあるまいと考へた。
彼らは笑ひつゝも、彼女の足もとを見た。
なぜなら、老婆は泥の中を歩むにあたり、眼で見る者のやうには進まず、むしろ足の裏にて地の氣配を探るごとく、きはめて靜かに、かつためらひなく足を運んだからである。
(三)若き男の來訪
ある年の秋、稻の刈り取りもほゞ終り、空の色の急に薄くなりはじめた頃、他所より一人の若き男がその村へ來た。
郡の役所に勤める書記であつたとも、測量の手傳ひをする者であつたともいふ。
いづれにせよ、その男は土地の理に暗く、しかも珍しき話を好む性質であつた。
宿の主人より老婆のことを聞き、
と言つて笑つたが、翌朝にはもう、その蓮田へ出かけて行つた。
朝靄はまだ水の上に低く殘り、蓮の枯葉はところどころ黑ずみて、風もなく、鳥の聲もなかつた。
男は畦に立ち、しばらく老婆の仕事ぶりを眺めた。
老婆は彼の來たるを知りながら、振り向きもせず、ただ泥の中に佇んでゐた。
やがて彼女は、片足をわづかに沈め、次にもう一方の足を靜かに移した。
その樣は、歩むといふよりも、泥の下にある何ものかと相談してゐるやうであつた。
(四)見えねえ泥
「そこから先へ來るでねえ。」
男は驚き、
「なぜだ」
と問うた。
老婆はなほ振り返らず、
「見えねえ泥がある」
と言つた。
彼の眼には、前なる泥も後ろなる泥も、同じやうに黑く、同じやうに靜かに見えたからである。
されど村の若い衆の一人が、すぐに畦の端より叫んで、
「旦那、そこは踏まねえほうがいい」
と言つた。
その聲には、單なる親切以上のもの、すなはち古くから傳へ聞く禁忌に觸れることを恐れる響きがあつた。
男はなほも半信半疑であつたが、いくぶん氣味惡くなり、足を止めた。
すると老婆は、やうやく少しだけ顏を向けた。
その濁つた眼は、男を見たやうにも見えず、また見透したやうにも思はれた。
そして彼女は、まるで獨り言のやうに、かう言つた。
「泥にもよ、口を開く日つてもんがある。」
その日の晝すぎ、村のはづれの別の蓮田で、一人の若者が膝まで泥に沈み、危ふく身を取られかけた。
幸ひ近くにゐた者らに引き上げられて命は助かつたが、彼はあとで、
と、眞青な顏で語つたといふ。
その晩、宿に戻つた男は、主人に向つて、晝間のことを語つた。
すると主人は酒を注ぎつゝ、しばらく默つてゐたが、やがて小聲にて言つた。
「ばばさまは、足の裏で蓮根のありかを知るだけぢやねえ。
泥の機嫌も、人の氣配も、ときには不幸の來る道筋までも知るつて話だ。」
男は笑はうとしたが、うまく笑ふことができなかつた。
彼の腦裡には、朝靄の中に立つ老婆の小さき背と、泥の中へわづかに沈んでゆくその足とが、いつまでも離れなかつたからである。
(五)夢
その夜、男は奇妙なる夢を見た。
黑き水の上に蓮の葉の影のみ浮かび、その下に無數の白きもの蠢いてゐた。
よく見れば、それは人の眼であつた。
そして、夢の中のどこかで、老婆の聲がした。
「上ばかり見てる者ぁ、泥に喰はれつど。」
男は叫んで目を覺ましたが、宿の部屋には月の光もなく、ただ床板の下を水の流れるやうな音だけが、しばらくやまなかつたといふ。
(六)跡
翌朝、男は再び蓮田へ赴いたが、老婆の姿はなかつた。
ただ、昨夜の雨もなきに、畦の端に一つの濕りありて、その上に殘されたる足跡のみ、子供のものにも似て小さかつた。
村の者は、ばばさまはもう奧の田へ行つたのだらうと言つた。
されど、その年のうちに彼女を見た者は、つひに誰もなかつた。
その後、幾年かののちにその村を過ぎたる旅人の話によれば、蓮根は例年にも增してよく太り、泥は前年より深くなつたといふ。
また、朝霧の濃き日には、畦の向かうに小さき影の立つを見たる者ありとも傳へられる。
しかし近づけば、そこには何もなく、ただ黑泥の面に細き波紋のみ廣がつてゐたといふ。
されば今に至るも、行方の古き農家には、子供の不用意に蓮田へ入らぬやう戒めるとき、かう言ふ者がある。
「上ばかり見て歩ぐな。泥は足の裏で見ろ。」
結語
本篇の老婆は、まことに妖なりしや、または永年泥に親しみたる農婦の技が、人々の想像のうちにかく變じたるものなりしや、今となつては知るよしもない。
思ふに、土地に深く住む者は、しだいに土地の理を身につけ、その理のいくぶんかは、外より來たる者には怪異としか見えぬ。
水の深さを眼で測る者あれば、風の變りを肌で知る者あり。
また泥の機嫌を足の裏で知る者のありしとて、あながち荒唐ともいふべからず。
しかれども、人は理解し得ぬ技を見れば、やがてそれに名を與へる。
名を與へられたる技は、つひに傳説となり、傳説はいつしか怪談となる。
かくして「足の裏をもつてものを見る老婆」は、常陸の一農婦であると同時に、行方の黑泥そのものの記憶ともなつたのであらう。
もし讀者が、秋の曇れる朝、蓮田の畦を一人歩むことあらば、みだりに足を進むることなかれ。
ときとしてそれは口を開き、またごくまれには、人よりも先に人の行く先を知る。
その時、もし畦の向かうに小さき影を見ても、これを呼んではならぬ。
ただ足もとを見、心して歩むがよい。
さもなくば、行方の黑泥は、讀者にもまた、ひそかに眼をひらくかもしれぬ。
編者註
一、本篇に見ゆる「行方」は、常陸國南部の低濕地一帶を指すものと思はれるが、原本には郡村名の明記なし。蓮田・水路・黑泥の描寫より推して、霞ヶ浦沿岸のいづれかの村落を想定せしものか。
二、「足の裏をもつてものを見る」とは、文字通りの妖異を意味するよりも、泥中における農作業の熟練が、口碑のうちに誇張されたるものと解することもできる。しかれども、原文の調子はこれを單なる比喩に留めず、怪異と技能との中間に置かんとする意を有する。
三、本文中の「見えねえ泥」「泥にもよ、口を開く日つてもんがある」等の語は、編者の補作にあらず、原本にほぼそのまま見ゆる。地方語の色合ひ濃きも、全體の譯文體を損はぬゆゑ、そのまま殘した。
四、「上ばかり見て歩ぐな。泥は足の裏で見ろ。」の句は、本篇の終末に添へられたる戒めの詞なり。いかにも教訓めきてゐるが、同時に本篇の怪異を日常へ引き戻す效果を有し、頗る味はふべき一句と思はれる。
五、原本には欄外に鉛筆にて「足裏眼」と記したる書入れあり。後人の附記なるべし。題簽の缺落を補ふため、編者は便宜上これを採り、「行方の足裏眼」の題を立てた。
六、本文の夢の場面に見ゆる「無數の白き眼」のイメージは、八雲流怪談の譯文を聯想せしむるも、これを直ちに模倣と斷ずるは早計なり。むしろ大正末乃至昭和初期の地方出版に見らるゝ、怪談飜案物の一種と見るべきか。
七、原本の紙質はきはめて粗く、活字もまた不揃ひなり。豆本として配布せられたる私家版、あるひは地方新聞附録の拔刷等の可能性を考ふれど、確證なし。
刊記
編者 不詳
著者 不詳
印所 不詳
刊年 不詳
令和某年仲秋
神田神保町舊書肆藏本に據り
假に之を寫す
SFホラーの文脈を完全に踏襲した神話みたいな映画だった、65点。
2089年、考古学者の主人公は巨人と人類が宇宙の十字の星を指さす壁画を発見。その星を目指し旅立つ。その星はエンジニーアと呼ばれる人類の創造主の星でその基地を発見するも、エンジニアはなぜか全滅しておりいろいろあって乗組員はバラバラになってしまう。アンドロイドの裏切りで主人公の恋人は死亡し、主人公は懐妊、生き残っていたエンジニアは地球を滅ぼしに行こうとするし、おなじみユタニさんもやってきててんやわんや。私たちどうなっちゃうの~~?
というような映画。
剛力彩芽が爆散するか、俺が字幕で映画を見る集中力を取り戻しさえすれば+5点はあげたい。それくらい、主人公のエリザベスの声が壊滅的で、マジで吹き替えがヘタクソすぎて真剣なシーンや悲痛なシーンでも「こいつ煽っているのでは?」みたいな常に魅力20%減みたいな状態での視聴になった。
配給会社はもっと考えた方がいいよ。剛力彩芽さんを吹き替えに登用!って広告だけ出しておいて実際にはプロにやらせるとか、誰も損しない方法を考えた方がいい。ネットフリックスに来てたから見たけど、今から見る人は絶対に字幕がオススメ。
内容としてはSFらしくいろんなパーツをそれっぽく組み合わせて設定を浮かび上がらせる手法は見事だし、エンジニアの星の背景についても語りすぎないように十分に気を使われているし、結局何でこんな危険な遺跡を作ったんだよ!→地球侵略用でした!という展開も面白くてよい。宇宙船、遺跡内のビジュアルもいいし特に祭事部屋のレリーフや天井の造形は本当に素晴らしいし、ホログラフィック演出もめちゃくちゃ綺麗。宇宙の砂嵐みたいなのに襲われるシーンもいや死ぬだろと思わされる迫力があってよかった。いや死ぬだろ。
一方でホラー映画の定石に則ってクルーはだいたいバカに作られていてそれが世界規模の大企業であるウェイランド社が社命をかけて行うプロジェクトにアサインされたプロフェッショナルとして正しい態度なのかというのは非常に疑問。
特に地質学者と生物学者。典型的な「こんなところにいられるか」ムーブで迷子になるのも意味わからんし(来た道をシンプルに戻れよ)、生態がまったくわからん未知の生物に不用意に近づいて腕折られて傷口が露出しているにもかかわらずナイフでその生命体を切れと指示する。傷口から血が入ったら死ぬ確率だいぶあるよ。こんなバカ連れてくるなよ。
とはいえ、初期エイリアン特有のなんかおきそう、おきそうといったじめっとした怖さから一転、物理的に強敵が襲い掛かってきてドタバタした怖さになる感じも健在でアクションにあんまり振らないSFホラーとしてしっかり作られてた。
冒頭で3万年くらい前に地球にやってきたエンジニアが黒い液体を飲んで身体がバラバラになってその破片から生命を誕生させる。そして物語中盤で、今度はアンドロイドであるディビッドが黒い液体を主人公の恋人に飲ませる。そして恋人とセクロスした主人公は新生命を懐妊し、恋人は死亡する。そして、主人公が腹を裂いて取り出した新生命は生き残っていたエンジニーアをイラマチオしてその胎内をぶち破ってプロトタイプエイリアンが誕生する。
というように、旧世代を殺して新世代が誕生するという円環を成した構造になっている。作中でエンジニアは人類への攻撃基地として舞台となっている星に来ていたであろうことがわかるが、この理屈で言うなら新世界を作るために旧世界を滅ぼす必要があるということだろうと思う。
プリエイリアンを懐妊する主人公だが不妊で悩んでおり子供が産めない自分は生物足りえないのではないかと悩んでいる描写があったりするが聖母マリアを意識してるのは間違いないと思う。まぁ普通にセックスはしたんだけど。話は逸れるけど、この出産シーンがよくてねぇ。治療ポッドで腹をぱっくり割って、鉗子で広げて、UFOキャッチャーで腹の中の何かを掴んで取り出したら謎生命体で暴れ出すもんだから、手でへその緒ぶっちぎってホッチキスでバチバチ傷を留めるっていうのをモザイクなしでやってくれる。えらい!このシーンだけど10点プラスしちゃう。
その後、切腹後なのに血まみれで痛み止め打ちまくりながら走り回る主人公の姿は壮絶なんだけど、声が剛力彩芽でガン萎え。バーニング、許せねぇ。
戻して、そういう意味では最初のエンジニアが黒い液体を飲んで生命誕生させるのも処女懐胎だし、最後のエンジニアとプリエイリアンがオーラルセックスして生命が誕生するのも処女懐胎。祭事部屋の壁にはエイリアンが両手を広げた姿で刻印されていたけど、味方によっては磔にされたキリストにも見える。つまりこの映画はSF版新約聖書だったんだよ!ナ、ナンダッテー!地球は……滅亡する。
それに限らず、壁画で見つかった星が十字の形に配置されているのもそうだし、主人公がパパからもらった十字架のネックレスに執着しているのもそうだし、そう考えたらコールドスリープから覚めたイドニス・イェルバ船長がのんきにクリスマストゥリーを作ってて怒られるのも象徴的。
この作品の第二の主人公と言ってもいい(コールドスリープからみんなが覚めるまでの間、宇宙船独居生活を満喫しているオープニングシークエンスがめっちゃ好き)エイリアンシリーズおなじみユタニ社製アンドロイドの名前がDavidなのもキリストが新約聖書内でダビデ(David)の子と呼ばれているのを想起させないだろうか。そしてDavidが与えた黒い液体で主人公は懐妊する。キバヤシ、つまりどういうことなんだ?地球は……滅
神に作られた人に作られたアンドロイドに作られた新生命に作られたプロトタイプエイリアン(神殺し)という形でエイリアン誕生神話の円環が閉じるのもよい。
まぁ、タイトルがプロメテウス(ギリシャ神話)なのでキリスト教関係ないやないか!となっちゃうのがこの説の難点なんだけど、Davidが主人公の夢をスキャンしたときに「人が死んだみたいやけどパパは手助けしないの?」「あれは違う神を信仰してる奴らやからええんや」みたいな話が出てくるので、ギリシャ神話VSキリスト教の話なのかもしれないしそうじゃないのかもしれない。俺はカソリックだからキリスト教パートはチョトワカルけど他はわからんので。
そんなこんなで、ちゃんとよく考えられたSFホラー映画の佳作だと思うのでちょうど今ネフリで注目作の棚に並んでいるので見てなかった人は見てみるといいと思います。字幕で。もしくは悲しい気持ちになるためなら吹き替えでもOK。
増田の脳内と関係ない話だし、仮に増田の脳内と関係があるのだとしたら、
職場は「A業務をやるための場所」であって、「誰がどれだけ我慢できるか選手権」じゃない
自宅も同じだ
・増田:A業務を片付けるためにいる ・増田:物音に過敏。感染症も気になる ・先輩:A業務を片付けるためにいる ・先輩:咳がうるさいが防げない生理的な反応 → 雇用主は、増田を在宅勤務にするか、先輩を在宅勤務にすれば良い。会社がやるべき調整まで社員にで抱え込ませるべきではない
在宅勤務できない職種の解決方法については思い浮かばないので、
不用意なことは言うの避けるけど、少なくとも日本の司法の判断はそういう判断だね
合理的配慮について自分から申し出るのが難しい(あるいは給与や雇用条件に悪影響が出そう)なら、
自宅についてもそうだね
コストを適切に払わないDQNな親と管理会社には強くいうべきだけど、
【声明】
この度は、私の過去の不用意な発言とそれに付随する X での投稿内容により、関係者の皆様に多大なるご迷惑をおかけし、またご不安な思いをさせてしまった方々に心よりお詫び申し上げます。己の言動にかかる責任を自覚し、深く反省すると共に、二度とこのような間違いを犯さぬよう認識を改めていきたく存じます。
事態の発生より声明文の掲出まで、時間が掛かってしまい申し訳ございません。
この間、今回の事態の当事者でもある長谷川氏への謝罪釈明を行い和解に努めると共に、当時の事実関係の整理に時間を要しておりました。今回の事態を招いたことに関して、私自身に非があることは心より反省しております。ですが、一連の事態の中で、私に関して発信された言説については、当時の状況や事実とは異なる部分もあり、下記に経緯を説明させていただきたく存じます。
当時、大学サークル内で使われていた当該語句について、直接の発生がどこからかは不明ですが、私および関わりのある友人の間では、決して障がい者差別を意図して使用していたものではありません。
私自身もスキゾイドパーソナリティ障害を抱えており、それを知る友人や、同様に疾患を抱える友人との間での自虐としての意図のみで口にすることがありました。
当時は当事者間の限定的な使用だったとはいえ、語句自体の持つ不適切性や、第三者が受け止める印象について考えが及ばなかったことを悔悟しております。
今回の事態の発端となった長谷川氏に対してはその後、私の過去の不適切な発言および Xでの応酬の内容について、メッセージアプリ上のやり取りにて直接謝罪いたしました。同時に、当該語句の発言当時の状況については、一部事実との相違や認識の齟齬があることを伝え、その後、弁護士を介して和解に至る道を模索してまいりましたが、残念ながら叶いませんでした。
当方の認識や当時の関係者からの証言と、長谷川氏の認識および発信された言説の間には大きな齟齬があること、また今回の事態に端を発する、各関係者へのこれ以上の被害を防ぐため、この度、司法を介した解決と、客観的な事実関係を明らかにすることを目的とした提訴を行いました。提訴に至った経緯については別紙にて掲載いたします。公判の結果が確定次第、改めてご報告いたします。
夫は人と飲むのが好きな人だ。
飲み会の幹事もよくやるし、学生時代からの友人ともよく飲みに行っていた。
しかし40代になってから、夫の飲み会がガクンと減った。夫が誘っても、誰も来てくれなくなったのだ。
もちろん周囲の友人みんなも、家庭を持って独身の時より自由に使えるお金も減ったので、そう頻繁に飲まなくなったというのはあるだろう。
しかし回数を減らしたとかいうレベルでなく、夫が誘っても全然集まらないので開催されなくなってしまったのだ。
原因はおそらく、夫にある。
まず、そもそも夫には年上の友人がいない。同年代が2割くらいで後の8割はすべて年下の友人だった。
学生時代はよく言えば結束の強い、悪く言えば上下関係に厳しいサークルに所属していたので、後輩たちは夫が一言「飲み会やるぞ」と言えばみんな二つ返事で飛んできてくれていた。
社会人になってもそれは同じで、夫は後輩だけを連れてよく飲みに行っていた。
だが、最近ではコンプライアンスだのハラスメントだのが騒がれるようになり、会社の後輩をあまり飲みに誘えなくなってしまった。
現に夫は人事に小言を言われたそうで(詳しい内容はしらないけれど)以降、会社の友人を誘っての頻繁な飲み会は開かなくなった。
そこで夫は再び学生時代の友人に声を掛けたが、これがまた一向に集まらないという事態になった。
きっと「先輩が言っているから」で来てくれていた人たちが、卒業して何年も経ち強制力が薄まったので来ないという結果になったのだろう。
みんな「先輩」が言っているから来ていただけで、その立場が弱まったら「妻がうるさくて」「子どもがまだ小さいので」「仕事が忙しくて」と言い訳を並べて来なくなる程度の、そんな人望しかなかったのだ。
もちろん、その言い訳だって100%嘘ではないだろう。だが、その言い訳を乗り越えてまで会いに来てくれる人はいなかった。
なぜそんなに人望がないのか。
それもわかっている。
夫は自分の友人が集まらなくなってから、やたらと私の友人たちと飲みたがるようになった。
私は学生時代所属していた部活が男女分け隔てなく仲が良く、それぞれ家庭を持ってもその家庭ぐるみで年に数回、飲み会をしたりBBQをしたりしていた。
夫もその場にしきりに参加するようになったのだが、明らかに空気を悪くしている場面を何度か目にした。
夫はよく名前の知られた大企業勤めで、年収は1000万ほど。せいぜい課長クラスなので、そこまでエリートなわけではないが、それでも比較的上位層ではある。
そのため、中流層が多い私の友人たちの中では、マウントが取りやすいのである。
例えば友人が「一軒家は無理でもマンション購入したくて」と言えば「いや絶対一軒家の方がいいよ!俺もマイホームはめちゃくちゃこだわってさぁ〜」と相手の想定してる予算を丸無視して語り始まる。友人夫婦は参考になりもしない話をされて、愛想笑いをするだけになる。
また、まだ子どものいない友人夫婦に「40代で産んでる人もいるし諦めない方がいいって!子どもは本当かわいいよ〜」と、無神経に話してしまう。
どんな事情で今現在彼ら夫婦に子どもがいないのかわからないのだから、不用意に触れなくてもいいのに触れてしまう。友人夫婦はやっぱり愛想笑いを返すだけ。
私がどんなにフォローしても、一度言ったことは取り消せないし、夫本人が何一つ気にしていない。
一から十まで、そんな感じなのだ。隙あらばマウントをとり自慢語りを始めてしまう。
長年の夢だった職業についた友人にも、自分より年収が低いというだけで「それしか稼げないの?転職したほうがいいんじゃない?」とか平気で言う。本人はいいアドバイスをしているつもりなのがまたしんどい。
彼女はあなたより年収が低くても学生時代からその職につくのが夢で、いま不満なくその仕事をしているのだから、転職をすすめる意味などないのだと、なぜ気付けないんだろう。
私が何度「ああいう言い方はやめてほしい」とか「それぞれ事情があるんだから不用意に話さないで」と言っても、その場ではわかったと言うが、一向に改善されない。
唯一、友人の中に明らかに夫より稼いでいて社会的地位も高い人が1人いるのだが、夫も彼には勝てないと認識しているため、彼が参加するとなると「◯◯さんも来るの?」と少し嫌そうな顔をする。
そして飲み会の最中も彼とだけは話をしたがらない。一度彼に「おれ、夫さんに嫌われてる?何かまずいこと言っちゃったりしたかな?」と確認されたくらいだ(私が代わりに謝ることになった)
私の友人たちは、良識があり穏やかな人が多いので、その場では多少気を悪くしても「もうあなたの夫は呼ばない」とか「来なくていい」とは言わない。毎回ちゃんと私たち夫婦にも声はかけてくれる。しかし私も、夫を連れて行くのが少し心苦しくなっている。そしてまた夫がやらかしたら、いよいよ本当に呼ばれなくなるのではと思ってもいる。
夫は悪い人ではないのだ。子煩悩だしちゃんと稼いでくれるし暴力をふるったりなども一切ない。
自民党に投票するような奴は愚か者だと思っているが、今回の選挙で自民党が大勝したのは一般大衆の多くが自民党に投票したからで、今回の衆院選で自民党に投票した大衆の心理を推測してみた。
高市は「台湾危機は存立危機事態」と発言し、これを賢明な人たちは日本を危険に晒す発言だと感じたが、一般大衆は「全体主義国の中国が民主主義国の台湾を侵略するのは悪であり、民主主義国の日本の自衛隊と米軍が協力して台湾を守るために戦うのは当然!高市さんは正しい」と考えた。
その後高市発言に反発した中国は日本に様々な圧力をかけてきた。賢明な人々は「高市の不用意な発言で日本の平和が脅かされている」と考えたが、大衆は「中国はやっぱり怖い。台湾が中国に占領されたら次は沖縄や九州も中国に侵略されるかも。米軍との集団的自衛権で日本を守る決意を示した高市さんを支持しよう」となった。
概ねこんな感じではなかろうか。