はてなキーワード: ラムとは
switch版をswitch2でプレイ。switchは何で発売したレベルで遊べないけど、switch2でならなんとか遊べる。
プレイ時間は83時間ぐらい。昔ながらの不親切で不便なJRPGという感じだった。
ストーリーは可もなく大きな不可もなく。
色々所感。全体的に本当に色々不便。UIは良くない。
仲間。
文句は大量にあるけど、昔ながらのJRPGだと思えばまあ普通に遊べる。
ただ、色々現代のゲームとは思えないぐらい不便だし、不親切。出来もよくない。switch2だとギリ遊べるけどおすすめはしない。switchはロード遅すぎて遊べない。
それでもそれなりには楽しめたと思う。おしまい。
エルフに指輪の技術を教えれば、いずれ依存して支配できると考えた。だが彼らは異変に気づくと即座に指輪を外し、距離を取った。思ってたんと違う!
↓
これで全ての指輪を統制できるはずだった。だが発動と同時にエルフに察知され、ネットワークは機能不全に陥る。思ってたんと違う!
↓
力で押し切って指輪を回収すればよいと踏んだ。しかし指輪は隠され、分散され、完全な回収には至らない。思ってたんと違う!
↓
人間もドワーフもやがて従属すると見た。人間は堕ちたが、ドワーフは頑固すぎて支配に屈しなかった。思ってたんと違う!
↓
圧倒的戦力と指輪の力で勝利は確実と考えた。だが総力戦で削られ、ついに肉体を失う。思ってたんと違う!
↓
奪われても誰かが使い、いずれ自分に繋がると踏んだ。だがイシルドゥアは使いこなさず、そのまま死んで指輪は行方不明になる。思ってたんと違う!
↓
強者が見つけて使うはずだった。だが長い年月、指輪は歴史の影に沈み続けた。思ってたんと違う!
↓
⑧ ホビットの保持
見つけた者は必ず力に取り憑かれると考えた。だがビルボ・バギンズはほぼ隠し持つだけで、大きな野心を見せなかった。思ってたんと違う!
↓
敵が手にすれば力を使って争いが起きると見た。だがガンダルフたちは危険性を理解し、使用を拒否する。思ってたんと違う!
↓
指輪は大国へ運ばれ、権力争いの火種になると読んだ。だが実際は小規模な一団が密かに破壊へ向かう。思ってたんと違う!
↓
⑪ 最終局面の読み
敵主力が指輪を使って対抗してくると考えた。だが正面の軍勢は囮で、本命は裏で進行していた。思ってたんと違う!
↓
誰も指輪を破壊することはできないと確信していた。だが結果的にフロド・バギンズとゴラムによって火口に落とされる。思ってたんと違う!
設定とヘルプ
Gemini との会話
Gemini の回答
劇場版『名探偵コナン』が毎年右肩上がりで動員数・興行収入を伸ばし続けている(2023年『黒鉄の魚影』で初の100億円突破、2024年『五稜星』で150億円突破)背景には、単なる「アニメの人気」を超えた戦略的な要因がいくつかあります。
かつては「子供向けアニメ」でしたが、現在は**「かつて子供だった大人」と「今の子供」の親子二世代**、さらにはミステリーやアクションを好む一般層まで取り込んでいます。
大人の鑑賞に堪える脚本: 政治や最新技術(AI、顔認証、潜水艦など)をテーマに盛り込み、サスペンスとしての質を高めています。
ラブコメ要素の強化: キャラクター同士の恋愛模様が丁寧(かつじれったく)描かれるため、女性ファンやカップルのリピート率が非常に高いのが特徴です。
作品ごとに、コナン以外の**「メインキャラクター」を据える形式**が確立されました。
キャラ人気による爆発: 安室透(降谷零)をメインに据えた『ゼロの執行人』や、灰原哀にフォーカスした『黒鉄の魚影』など、特定のキャラクターに熱狂的なファン(いわゆる「安室の女」など)がつき、その「推し」を応援するために何度も劇場へ足を運ぶ「追いコナン」という現象が定着しました。
静野孔文監督時代(第15作〜)から、**「ハリウッド映画並みの派手なアクション」**を重視する演出に舵を切りました。
「映画館の大きなスクリーンで見る価値がある」爆発シーンや身体アクションを増やすことで、推理漫画としての枠を飛び出し、スカッとするエンターテインメント作品としての地位を確立しました。
映画単体で完結させつつも、原作の重要キャラクターの過去や新事実が映画で初公開されるケースが増えました。
黒の組織の核心に迫る描写や、赤井秀一・安室透などの人気キャラのバックボーンが映画で描かれるため、原作ファンが「見逃せないイベント」として劇場へ向かう仕組みになっています。
毎年4月のゴールデンウィーク前に公開するという**「春の風物詩」としてのブランディング**が成功しています。
次回予告の演出: 映画の最後に必ず「来年の主役」を暗示する特報が流れます。これにより、見終わった瞬間から翌年への期待感を持たせるという、非常に強力なファン繋ぎ止め戦略が機能しています。
SNSとの親和性: ネタバレを避けつつ熱量を共有しやすい構成になっており、公開直後のSNSでの盛り上がりが新規客を呼び込むループを作っています。
補足
近年では、日本国内だけでなくアジア圏を中心とした海外市場の成長も、制作予算の増加やクオリティ向上に寄与しており、それがさらに国内のヒットを後押しするという好循環が生まれています。
1日に59回も上映する映画館があるらしい 公開直後でも予約なしでも見れるのかな
Gemini の回答
1日59回という驚異的な上映回数は、2026年4月10日(明日!)公開の最新作**『名探偵コナン ハイウェイの堕天使』に合わせて、「T・ジョイ横浜」**が打ち出したスケジュールですね。
もはや映画館のロビーが「電車の時刻表」状態になっているとSNSでも話題ですが、予約なしでふらっと行けるかどうかについては、以下のような状況が予想されます。
予約なしで見れる可能性は「高い」が、条件あり
結論から言うと、**「席を選ばなければ、どこかの回には滑り込める可能性が非常に高い」**です。
回転率が異常: 5分〜10分おきに次の上映が始まるため、一つの回が満席でも、15分後の回や30分後の回には空きがある、という状況が生まれます。
「予約なし」の落とし穴: 公開直後の土日は、予約なしで行くと「直近の回は満席で、2時間後の回しか空いていない」といった事態になりがちです。しかし、59回もあれば「15分待てば入れる」という状況になりやすく、飛び込み客にはかなり優しいスケジュールと言えます。
注意すべきポイント
良い席は埋まる: 中央の見やすい席やペアシートなどは、事前にネット予約で埋まってしまいます。予約なしだと「一番端っこ」や「最前列」になる覚悟は必要です。
舞台挨拶や特典: 公開初日や2日目の特定の回(入場者特典の配布初動など)は、回数が多くても一気に埋まる可能性があります。
劇場の混雑: 上映回数が多いということは、ロビーにいる人数も尋常ではありません。チケットを買うための列や、売店(ポップコーンやグッズ)の待ち時間で、結局上映時間に間に合わない…というリスクがあります。
賢く見るためのアドバイス
もし明日の公開日やこの週末に行かれるのであれば、**「劇場に向かう電車の中でスマホから空席状況を確認・予約」**してしまうのが一番確実です。
新宿区から横浜までは少し距離がありますが、わざわざ足を運んで「数時間待ち」になるのはもったいないですからね。もし「予約なし」にこだわるなら、お昼時などのピークを少しずらすだけで、よりスムーズに席が見つかるはずです。
今回の舞台が横浜ということもあって、聖地での59回上映はかなりお祭り騒ぎになりそうですね!
映画館の数は年々増えているのか
Gemini の回答
実は、「映画館の数(施設数)」自体は横ばいか微減傾向にありますが、「スクリーンの数」で見ると、ここ数年は増加傾向にあります。
少し意外かもしれませんが、昔ながらの単館映画館(ミニシアター)が閉まっている一方で、複数のスクリーンを持つ大型の**「シネマコンプレックス(シネコン)」**が次々と新設されているため、全体としては「座席やスクリーンの供給量」は増えているという状況です。
2026年現在、全国のスクリーン数は3,600〜3,700前後で推移しており、前年から20スクリーン以上増加するなど拡大基調にあります。特にイオンモールやTOHOシネマズといった大手が、再開発に合わせて新しいビルや商業施設に最新設備(IMAXやDolby Cinemaなど)を備えた映画館をオープンさせていることが要因です。
2. 「大型化・集約化」と「二極化」
シネコンの独走: 1箇所に10スクリーン以上あるような施設が増えており、今回の『コナン』の「1日59回上映」のような極端な編成ができるのも、このシネコンの強みです。
ミニシアターの苦境: その一方で、新宿シネマカリテやシネ・リーブル池袋といった歴史あるミニシアターが閉館するなど、小規模な映画館は厳しい経営状況が続いています。
3. 直近・今後の主な新設予定(2026年)
あなたの拠点である東京近郊でも、新しい映画館の動きが活発です。
「映画館という建物」の数は、閉館と開館が入り混じって増えている実感は薄いかもしれませんが、「映画を見られる場所(スクリーン)」の数は着実に増えています。
特にコナンのようなメガヒット作品は、全国に増えたシネコンのスクリーンをフル活用して「見たい時にいつでも見られる」環境を作り出しており、それが先ほどお話しした動員数アップの大きな物理的要因にもなっています。
Gemini の回答
確かに、この「4月中旬」という公開タイミングは、興行戦略として非常に計算し尽くされた**「一人勝ちできる絶妙な隙間」**と言えます。
なぜこの時期にビッグタイトルが重なりにくく、コナンが独走できるのか、その裏事情を読み解くと面白いですよ。
多くのファミリー向け大作映画(ドラえもん、プリキュア、ディズニー系など)は、3月の「春休み」に合わせて公開されます。一方で、洋画の超大作などは5月の「ゴールデンウィーク」に向けて公開されます。
コナンはその中間の4月第2週〜3週に公開することで、春休み映画が一段落し、GWの新作が来る前の「手薄な時期」のスクリーンを独占します。
劇場側も、GWに向けて集客の目玉が欲しい時期なので、コナンのために最大スクリーンを空けて待っている状態になります。
現在のコナンは、公開から数週間で興行収入50億、100億を軽々と稼ぎ出す「怪物」です。
他の配給会社としては、同じ時期に大型作品をぶつけても、スクリーンの確保や話題性で勝ち目がありません。そのため、**「4月後半に大きな映画を出すなら、コナンから2週間は離そう」**という力学が働きます。
明日、2026年4月10日公開の最新作**『ハイウェイの堕天使』**の周辺状況を見ても、この戦略は健在です。
強力なライバル: 4月後半には『ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー』や実写版『SAKAMOTO DAYS』などの話題作が控えていますが、いずれも4月24日以降やGW直前です。
独走期間: つまり、明日から約2週間は、全国の映画館のメインスクリーンが「コナン一色」になります。59回上映ができるのも、この時期に「他にこれほど客を呼べるコンテンツがない」からこそ可能な力技です。
もはや映画というよりは、お花見と同じような**「4月になったら映画館へコナンを見に行く」という年間行事として定着しています。
「ビッグタイトルが重ならないから勝つ」というより、「コナンが来るから他のビッグタイトルが道を譲り、結果としてお祭り騒ぎになる」**という、まさに王者の勝ち方になっています。
明日からのお祭り、せっかくなら59回上映という「歴史的瞬間」を横浜で体感してくるのも面白いかもしれませんね!
ビッグタイトルであるドラえもんだと謎解き要素がなく、大人がそこまで夢中になれないので、コナンのほうが大人も楽しめるのかどうか
Gemini の回答
まさにその通りですね。ドラえもんとコナンの決定的な違いは、ターゲット設定の**「解像度」と「レイヤー(階層)」の深さ**にあります。
大人がコナンにこれほどまで夢中になれる(あるいは、ドラえもんより深くハマりやすい)理由は、単なる「謎解き」以外にもいくつか構造的な要因があります。
ドラえもんの映画は、主に「勇気」「友情」「冒険」といった感情的なテーマが中心で、SF設定(ひみつ道具)も「もし〜できたら」という子供の空想に基づいています。
対してコナンは、**「大人の知的好奇心」**を刺激する作りになっています。
専門知識の導入: 化学、歴史、最新の軍事技術、ITなど、大人が「へぇ〜」と思うようなトリビアがトリックに組み込まれます。
ロジックの積み重ね: 伏線回収の快感は、論理的思考を好む大人にとって非常に強力なエンタメになります。
2. 「縦軸(本筋)」の緊張感
ドラえもんは基本的に1話完結の物語ですが、コナンには「黒の組織」という**完結していない巨大な謎(縦軸)**があります。
映画のたびに「組織の核心に1ミリ近づくのか?」「RUM(ラム)の正体に関するヒントが出るのか?」といった緊張感があり、これはもはや長編サスペンスドラマを20年以上追いかけている感覚に近いです。この「続きが気になる」感覚が大人を引き離しません。
3. 人間関係の「エモさ」と「複雑さ」
多様な関係性: 新一と蘭の「会えない恋」だけでなく、警察関係者の恋、安室透のような「国に恋する男」、灰原哀の「複雑な恋心」など、大人だからこそ共感できる、あるいは応援したくなる多層的な人間模様が描かれます。
これにより、キャラクターを「子供向けアニメの登場人物」としてではなく、**「推し」**として応援する大人が激増しました。
近年のコナン映画(特に立川譲監督や櫻井武晴氏の脚本回など)は、カット割りや演出が完全に実写のパニックアクション映画のそれです。
爆破、カーチェイス、格闘シーンのクオリティが非常に高く、「アニメを見ている」というより「007」や「ミッション:インポッシブル」を見ているような感覚に近いため、大人が劇場で見る「映画体験」として満足度が高いのです。
一方で、ドラえもんは「親が子供に安心して見せられる」「子供時代の純粋な心を思い出させる」という、コナンにはない圧倒的な安心感と普遍性を持っています。
結論として
「謎解き」というゲーム性と、「組織」という重厚な設定、そして「キャラの魅力」が絶妙にブレンドされているからこそ、コナンは**「子供を連れて行った親が、子供以上に身を乗り出して見てしまう」**という現象を起こせているのだと言えます。
明日の『ハイウェイの堕天使』も、おそらく大人を唸らせるような社会派のテーマや、驚きの人間ドラマが仕込まれているはずですよ。
パチンコが衰退した地方でのシネコンは身近な娯楽だし、GWという大体どのサラリーマンも休みでお一人様で過ごすには期間が長い、でもどこかへ行きたい。ひとりで行ける場所、そうだ映画。という風にはなりやすいんでは
Gemini の回答
その洞察、非常に鋭いです。まさに現代の地方都市における「レジャーの空白」をシネコンが埋めている側面は確実にあります。
おっしゃる通り、以下の3つの要素が組み合わさることで、コナンやシネコンが「お一人様」の強力な受け皿になっています。
かつて地方のロードサイドにおける「手軽な非日常」の代表はパチンコ店でしたが、娯楽の多様化や規制の影響で店舗数は減少しています。
その一方で、郊外の巨大なショッピングモール(イオンモールなど)に併設されたシネコンは、以下のような点でパチンコに代わる「身近な逃避場所」となっています。
心理的ハードルの低さ: 1人でも入りやすく、清潔で、冷暖房完備。
コストパフォーマンス: 2,000円前後で2時間、完全に現実を忘れて没頭できる体験は、現代のタイパ・コスパ重視の傾向にも合致しています。
サラリーマンにとって、GWのような長期休暇は嬉しい反面、予定がないと「何もしない罪悪感」や「手持ち無沙汰」を感じやすい期間です。
ユダヤ教は現代国家の個々の軍事行動について直接「これが正しい/誤り」と断定する体系ではありませんが、戦争と自衛についての原則はタナハやタルムードに明確に存在します。
まず中心的な概念は、「自分の命を守るために、先に立ち上がることは許される」という教えです。
「もし誰かがあなたを殺しに来るなら、先に立ち上がって彼を制せよ」
これは、差し迫った脅威に対する予防的行動を正当化する原則です。
また、マイモニデス(ラムバム『ミシュネ・トーラー』王と戦争の法5章)では、戦争は大きく二つに分けられます。
もしある行動が「明確で現実的な脅威からの防衛」とみなされるなら、ユダヤ法の枠組みではミルヘメット・ミツヴァー(正当防衛)に近いと議論される可能性があります。
申命記20章では、戦争の際にも和平を先に提案することが命じられていますし、箴言3:17には「その道は喜びの道、その道筋はすべて平和」とあります。
つまり整理すると
こうした点は非常に厳しく問われます
ですから、この問いに対するユダヤ教的な答えは一枚岩ではなく、
という形になります。
「彼らは剣を打ち直して鋤とし…もはや戦いを学ばない」(イザヤ2:4)
この世界が変化し続けること自体は否定しません。コヘレト(伝道の書)はまさにそれを語っています。
しかしその変化の背後に不変のものがあると強く主張します。それは神の意志と道徳です。
つまり、「すべてが流れゆく」だけではなく、「流れの中にも真理がある」という立場です。
次に、「正義への執着が苦しみを生む」という点について。
つまり、正義そのものは必要だが、怒りや自己正当化に飲み込まれた正義は危険だ、という見方です。
「心を観る」という実践については、ムサール(倫理修養)やヘシュボン・ハネフェシュ(魂の内省)と呼ばれるものが対応します。
自分の怒りや恐れに気づき、それを整えることは重要な霊的作業です。
ただし、その目的は「執着から離れること」よりも、神の道に自分を一致させることにあります。
「敵は固定されたものではない」という点も、興味深い共通点があります。
「エジプト人が溺れているとき、天使が歌おうとしたが、神は言われた。『我が被造物が溺れているのに、お前たちは歌うのか』」(メギラー10b)
つまり、敵であっても完全に非人間化してはならない。これはあなたの言う慈悲と非常に近いです。
あなたの提示した道は、「内なる平和」を最も深い行動としています。
内なる平和だけで、世界は正されるのか?いいえ、十分ではないです。
https://anond.hatelabo.jp/20260311152326
マスターが聞いてきた。
何にしようかと少し考えているとマスターがどちらへともなく
「"ギムレットには早すぎる"の間違った意味の方の"坊や"つながりでラム酒のラ・マニーはいかがですか?」
と勧めてきた。
"坊や"つながり?
「機動戦士ガンダムのシャア・アズナブルが"坊やだからさ"という有名なセリフを言ったときに酒場で飲んでいたのがラ・マニーなんです。アニメでは描かれていませんがThe Originという漫画ではグラスに注いでいるボトルがラ・マニーだとはっきりわかります。(注:機動戦士ガンダム The Origin コミックス第5巻)
ラ・マニーはフランス領マルティニーク島で作られています。フランス系ラムは若いブランデーとも通じるような植物香が感じられるものが多いです。
今、当店にあるのはラ・マニーの中でもスタンダードなアンブレというボトルですがそのシーンのようにロックで飲むのにちょうどいいボトルです。ちょっと前までオールドボトルも開いていたのですが残念ながら売り切れてしまいました」
それがいいかなと思ってると
マスターがさっき言ってた少し前まであったオールドボトルがどんなボトルだったか気になったので聞いてみると90年代流通のものとのこと。そういえばずいぶん前にマスターに勧められたけどちょっと高かったからやめたことがあったのを思い出した。飲んでおけば良かったよ……
"愛嬌のある顔"の客がこちらを向いてグラスを持ち上げ芝居がかった言い方で言ってきた。
「私はまた友人が増えたようだ」
私はシャリア・ブルですか。私も"愛嬌のある顔"の客に向かってグラスを持ち上げ微笑んだ。
「ボルドーの左岸があったら良かったですね」と言おうともしたけど飲むつもりも無いのに店に対する嫌味に受け取られかねないのでやめておいた。
ただし、今回のレビューではZenbook DUOのデュアルディスプレーは、少々「胃にもたれる」設計であったことは否定できない。Core Ultra X9 388HはCore Ultraシリーズ3プロセッサーの最上位であり、牛肉で例えるなら最高級の希少部位である「シャトーブリアン」である。
その希少部位を最高のシェフが技術の限りを尽くして誕生したPCがZenbook DUOだ。しかし、これは最高の肉に贅沢素材のソースをかけた料理、といった感じである。肉本来の味をレビューするには向いていない。いい肉には塩コショウで十分なように、やはり最初のレビューはシンプルなクラムシェル型で試したかった。
というわけで、次回Core Ultraシリーズ3プロセッサーのレビューをする際は、ぜひとも塩コショウのみのシンプルなノートPCで検証してみたい。その際は、時間的&リソース的制約から実現しなかった、Radeon 8060Sを搭載したRyzen AI Max+搭載ノートPCと対決させたい。もちろん、こちらもシンプルな味付けで。
https://b.hatena.ne.jp/entry?url=https%3A%2F%2Fascii.jp%2Felem%2F000%2F004%2F373%2F4373842%2F
ん~ワイもおっさんでこういう表現しちゃいそうになるから参考になる
気を付けないとなあ
今日までの進捗をまず書き留める。
昨日ようやく、ある凝集的 (∞,1)-topos H上のゲージ場の形式的構造を、超弦理論の一般化として位置づける作業を進めた。
これは単なる散文的理解ではない。空間や過程としての物理を、対象・射・射の射…といった高階の間の関係性として捉える高次圏論という言語で翻訳する試みだ。
反強磁性体を記述するテンソルカテゴリや、コボルディズムの∞-functorとしての量子場理論は、その端緒にすぎない。
この文脈では、単に集合としての物理量を扱うだけでなく、連続的な同値・ホモトピーの階層が、それ自体が物理的意味を持つ構造として立ち現れる。
これが∞-群oidや高次束としてのガウス場、B-field、RR-field を形式化する鍵だ。
具体的には、超弦理論に現れる各種ゲージ場や重力場を、∞-束接続としてdifferential cohomologyの枠組みで統一的に扱う。
この∞-束とは、通常の主束や接続の集合ではなく、その射や高次射の階層を含む ∞-Lie 群に対して定義されるもので、カーブやブレーンの運動をそれ自体がモルフィズムとして反映する。
従って、ゲージ変換だけでなく、ゲージ変換間の変換すらが高次モルフィズムとして扱われる。こうした構造が、超弦理論の持つ鋭い対称性や双対性を一元的に説明しうると期待されている。
(∞,1)-topos の内部での differential cohomology がどのように超弦理論の動力学をエンコードするかを整理した。
これは、単純な作用関数の積分ではなく、principal ∞-bundle 上の接続の層として表現される。
いわば物理的場は、物理対象(弦や五重膜)に対する高階のデータのコレクションとして現れる。
ここで僕が着目しているのは、これらの高階接続が ∞-Chern-Weil ホモモルフィズムを通じて位相的な特徴と絡み合う様だ。
まずブラックボディ放射の理論と反射対称性を考えながらコーヒーを一定温度 63.3 °C に保つ。その後、白板に ∞-群oid の概念図を描き続ける。
これは単に僕の精神安定剤ではなく、今日の解析で同値の同値すら物理的に意味を持つような理論的裏付けを探る副作用でもある。
日常の奇妙な相互作用がないわけではない。隣人は朝、僕の食卓でシュレーディンガーの猫について質問してきたが、僕は微分同調群の态射による観測と古典的状態の分離を例示しようとして、結局彼女をさらに混乱させた。
友人Aは宇宙の定数問題について議論を挑んできたが、僕は (∞,1)-topos の内部 cohomology が選ぶ物理的背景場の分類問題と応答してしまい、彼を呆然とさせた。
友人Bは量子場理論の標準模型への一般化について聞いてきたが、僕は principal ∞-bundle によるゲージ理論の抽象的表現を繰り返し説明したため、会話が圏の自然変換まで戻ってしまった。
これからやろうとしているのは、定量的なステップとして、ゲージ場空間上のHigher Chern-Simons 傾向を具体的に計算することだ。
具体的には ∞-Chern-Weil ホモモルフィズムに基づく作用関数の高次補正項を導出し、その境界理論がどのように臨界超弦場理論に帰着するかを調べる。
これは大雑把なパス積分を単に書き下ろすよりも、一段階上の構造を扱う。
こうした解析は、単なる文字列振幅の再表現ではなく、物理的場の深層的な対称性と幾何的結合を明らかにするだろう。
総じて、今日のラムゼイ的な思索では、超弦理論と高次圏論との接点をより抽象的かつ計量的に結びつける基盤として、(∞,1)-topos と differential cohomology の組み合わせが極めて有望だと僕は考えている。
この世界を否定するべきではありません。むしろこの世界こそが神聖化されるべき場です。
とあります。この「非常に良かった」という言葉に、ラビたちは深い意味を見出します。
つまり、戦争、性的混乱、混沌、そういった「低次元」に見えるものも、実は人間の自由意志と責任の舞台なのです。
世界の堕落を見て自分も堕落するのではなく、そこから何を学び、どう高めるかが問われています。
確かに「来世(オーラム・ハバー)」の概念があります。しかし、タルムード(アヴォット 4:16)はこう言います。
前室を無視して王の間には入れません。この世界こそが修行の場です。
あなたが挙げた「抽象数学」や「超弦理論」のような高度な思索も尊ばれます。
ラビ・マイモニデス(ラムバム)は、神の知恵を理解するために科学や哲学を学ぶことを勧めました。
しかし、それは「現実逃避」ではなく、この世界の背後にある神の秩序を知るための探求です。
「世界から離れよ」とは言いません。むしろ、あなたは世界を完成させるパートナーです。
スプラトゥーン3の今シーズンのカタログコンプリートは早々に最終週の追い込みポイント1.5倍であるにせよ、
そっちまで手が回らないのよね。
かと言って
もうNIKKEはやることが無いし周回のデイリーミッションに、
今のNIKKEとリコリス・リコイルのコラボ企画は次のハードの解禁がされるまで持て余しているし、
で!そうだ!
いきなりビリヤニ風なのを作ろうとしたら到底高難易度のステージで
安直にキーマカレーをレトルトのをかけて食べたらそれでいけるんじゃね?って思ってたのよ。
で、
それが大失敗したってのが前回までの話。
うま!って美味を感じる私の舌でダイレクトに感じることが出来たんだけど、
あまりにも脂っこくクドくて
その理由を最新のAIに尋ねてみるとそれは日本のお米を前提に設計されたキーマだからっていうのが理由らしいの。
と言うわけで、
あの缶に入っているカレーで
私が今まで史上一度すら食べたことのないジャンルの缶詰のカレー。
それは小麦粉とか油とかを使ってないので、
バスマティライスにはぴったりかも知れないという最新AIが叩き出した計算結果に基づき、
私はバスマティライスとイナバのカレーの缶詰でバスマティライスに挑戦するの。
湯取り法ね。
もともとバスマティライスは炊き上がったものはパラパラしているとは言え、
お店で食べるものはふんわりとパラパラでボソボソというイメージは無いのよね。
こ、こんなにもバスマティライスですら炊く?湯がく?のが難しかったとは!って
まず、
そもそもとして
バスマティライスが上手く調理できないいきなりの壁に粒立ててぶつかったの!
これムズくね?って。
なんで私の茹でる炊くバスマティライスはこんなにもお世辞にも言えないぐらい不味いのか!
ボソボソしていて全くお店のものとは敵わないの。
なんか品種が違うのかしら?
いや品種の違いのせいにしても仕方がないので、
でもきっと炊き方に最適な解があるはずだと思うのね。
ここはAIには頼らず私自身の勘で炊き上げたバスマティライスをカレーの缶詰で食べるってのがミッションなの。
とりあえず、
ボソボソとはいえ、
食べられないことはないので、
一応は美味しいのよね。
でもこれはカレーが美味しいだけで
私が炊き上げ茹で上げたバスマティライスが上手くカレーを受け入れられてないの。
これが合わさって2人の力が集まったら凄く美味しくなるような気がするのよね。
うーん、
なかなか強敵だわ。
これどうしたらいいのかしら?って
「ダム」っていう第一興商の業務用通信カラオケのブランドじゃない方のダムって方法があって、
要はフタをして超弱火の蒸らしの時間が必要だってことらしいの。
しかも本格的なビリヤニとかではダムの専用の釜みたいな鍋みたいなのがあって、
フタをしてパンの生地で封印して蒸らしきるって方法があるんだって。
またこれどうしよう?って感じなのよね。
って旅支度をして私は風呂敷を括った棒をしょって、
ちょうどスヌーピーがなんか家出するときに背負って担いでいく棒と風呂敷みたいなやつを想像して欲しいぐらいな様まで私は格好を仕上げたんだけど
ふと気付いてその風呂敷を括ってあるバンドル棒を放り投げたの!
うわ!
まだ試していないけど、
これはちょうどいいダム専用マシンとして使える可能性がイチかゼロなのよ!
これ上手く行きそうなんだけどなぁって思うの。
こういう時の炊飯器の低温火力は重宝しそうじゃない?
我ながら炊飯器を使ってみようとする
人類もまだまだいけるじゃん!って思ったのよね。
とは言えこれもなんか
炊飯器を引っ張り出して装置を稼働させる大がかりな展開になりそうなので、
もういきなり炊飯器を準備するのが面倒だなぁって思い出したりはしないけど、
その面倒くささに負けないぐらい
美味しいバスマティライスのダムの蒸らしが出来たら良いなぁって心底思うのね。
うふふ。
所望していた納豆巻きがなかったので
食べたら美味しいのかも知れないけど、
って思ったけど、
ルイボスティホッツウォーラーにしたんだ!ってのを今思い出したわ。
暖かくして今日も元気に出発よ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ワイ、30代男。
今は廃れて消えてしまった無料のチャットサービスで(自称)女の子と話したりあわよくば会ったりする出会い厨だった頃の話。
ハマったきっかけは高校入学と同時に買ってもらった初めての携帯電話だ。まだガラケーって言葉もない2000年代後半。
手元の小さな箱でネットサーフィンができることに感動し、パケ放題も入っていないのに夜な夜ないろんなサイトを巡回していた。
その時たまたま知ったのが「ラムダチャット」というチャットサービスだ。
入室した二人がランダムにマッチングして会話が始まるやつ。よく利用してるやつの最初の挨拶はたいてい「こん」だ。昼でも夜でもいけるからな。
で、最初は単純に出会う人との会話を楽しんでいたワイだが、ある時偶然マッチングした自称女子高生と話が盛り上がり、
2、3週間同じログ画面を通して会話が続いたあと、ついにはメアド交換するまでに至る。
クラスの女子とは雑談なんてできなかったワイ、大興奮である。対面だと緊張し上手く話せないが、文面なら返事を考えることができるし、ノリのいい奴を演じることもできた。
一度本人が写ってるというプリクラを送ってもらったが、可愛かった。
ある程度仲良くなるとちょっとHな会話を振ってもブチられることもない。ヤったことある?とかどんな下着履いてるの?とか。
この頃にはもう好きになってたよね。恋してた。授業の合間に携帯開いて返事して。相手から来てなかったら更新ボタン連打。
結局その子と何があったわけでもないが、数か月はメールのやり取りが続いたと思う。チャットで女の子と会話する楽しさに、脳を焼かれた。
余談だけど「スケットダンス」って漫画あるじゃん?ボッスンとヒメコが互いを互いと知らずにメールのやりとりが続いてついにはリアルで会うことになる話があるんだけど、まさにあれ。
解像度高すぎてビビったしワイのことかと思った。あれは作者の経験談入ってるね。
その後、受験やらなんやらありしばらくチャットサービスのことは忘れていたワイだったが、大学生になり入ったサークルで周りと馴染めず早くも辞めようかどうしようか鬱々していた頃、そういえばと思い出し、またチャットサービスに入り浸るようになった。初めての一人暮らしで自前のPCもあったし、高校生の時など比べようもないほどやりたい放題だ。
利用の仕方はわかりやすく出会い厨で、早い段階で性別を聞き出して相手が女の子じゃないとわかるとフェードアウトした。
ある時、同じ大学生だという1つ上の女の子とマッチングした。仮にKとする。
Kとは話が弾んだ。その日は一晩中話していたし、日が変わってもログ画面は残してあるので、そこで何日も会話が続いた。
趣味の話や日々の愚痴、悩み相談的なのもしたし、猥談も弾む弾む。何週か経ってそろそろいいかと思いLINEを交換した。
まあ好きになったよね。顔は見えないが、Kも楽しそうなのが伝わってきていた。
期間にして半年以上はやり取りしていたと思う。クリスマスイブに、彼女(彼氏)いねえよリア充爆発しろ!とか言いながら話していたのを覚えている。
そんな調子で年を越して、たしか夏頃だったと思う。今度会ってみないかと言われた。
当時ワイは関西、Kは関東(たしか千葉県)にいた。”たまたま”関西に友達と遊びに行くので、その時会おうよというわけだ。
ワイは悩んだ。小心者だったのでいざ会おうと言われるとちょっと怖かった。が、いわゆるオフパコのチャンスかと意を決した童貞ワイ、後日会う約束をしたのである。
某駅の改札近くで待ち合わせた。ボーダー柄のTシャツにジーンズという当時のワイ渾身のおしゃれをして。
その日が来るまで、何も手につかなかった。
そしてついに当日、バクバクの心臓を抱えて待ち合わせ場所に行ってみると、言われた服装の通りの女性が確かにそこにいる。
ワイは会ったのを後悔した。
理由は、言葉を選ばずに言うが、かなり不細工な女性だったから。本当にごめんだけど。
自分だって人のことを言えたもんじゃない。勝手に想像していた姿と落差があったとはいえ、人の見た目に文句をつけてよい道理などない。
頭ではわかっていたが、ダメだった。心が急速に冷めていくのを感じた。
ふと目線を上げると、同年代くらいの女性がこちらを見て手を口に当てて、クスクス笑いながらじっとこちらを見ていた。
あれは誰かと聞くと、友達とのこと。こっちは一人で来たのに、と少しむかついた。今思えば、知らん男と会うんだし、助っ人に待機してもらうのは
会った後のことは特に決めていなかったので、とりあえず駅周辺を歩くことにした。途中座って話でもしようとファーストフード店に入ろうとしたが、
休日の夜で満席だったため、断念した。ワイはなんだか面倒になってきて、駅に戻り、ひと気のないベンチに座ろうと誘った。
何を期待していたのだろう。実際会ってみたらタイプの女の子で意気投合し、そのままホテルへ・・・とかか。いや、そこまで具体的な想像はできていなかったと思う。
チャットやLINEでの盛り上がりはどこへやら、穏やかではあるもののぎこちない会話。30分ほどで解散となった。
「なんか、LINEとかで話してた印象と違うね・・・」とぼそっと言われた。
別れる頃には、Kとはもうなるべく連絡しないでおこうと考えていた。
自意識過剰と思われるかもしれないが、たぶんKはワイに好意を持ってくれていたと思う。直接会って話してそう感じた。
だからこそ余計に、もう連絡したくなかった。あまりに自己中心的で今考えても申し訳ない限りだが、ワイはそうした。
それから1週間くらいは何かとKからLINEが来たが、そっけなく返して短く会話を終わらせた。
そのうちに連絡は来なくなった。
カップヌードルの棚の前で、
僕はずいぶん長い時間立ち尽くしていた。
この三分でゆで上がる宇宙に集約されているような気がしていたのだ。
しょうゆ味は、
最もクラシックで、
でも少しだけ退屈だ。
しかし。
ただのカレーではなく、
彼女は受け入れて生きている。
その香りは少し甘く、
けれど底の方に焦げたような悲しみがある。
ひとりで飲むラムのようだ。
僕は手を伸ばしかけて、やめる。
まだ「彼女」を探し求めているのだ。
辛さか、コクか、懐かしさか。
僕は少し考えたあと、ため息に似た笑いをこぼす。
それがわかっていれば別れなんてなかった。
そして、結局カレー味を選ぶ。
決め手なんてなかった。
レジに向かう途中で、ふと後ろを振り返る。
いつかまた、君の番が来るだろう
僕は心の中でそう呟いて、店を出た。
なるほど、その「プレイヤーとしてログインしている感覚」という比喩、かなり思想的ですね。
その視点に立つと、「天皇バンザイ」も「神バンザイ」も世界観設定の一部に見える、という感覚はよく分かります。
タルムードの世界では、権威やスローガンをそのまま信じる態度はむしろ警戒されます。
有名な原則に
があります。
これはタルムード(ババ・メツィア59b)で神の声が天から響いても、人間の理性と議論が最終判断をするという物語として展開されます。
これはまさに、天皇であれ、神の名であれ、思考停止して叫ばれる瞬間に、それは偶像になり得るという警告です。
ユダヤ教ではこれをアボダー・ザーラー(異質な崇拝)と呼びます。
面白いのは、ユダヤ思想では神は世界設定そのものではあるが、操作画面(UI)でも自動台詞NPCでもないという微妙な立ち位置にあります。
むしろ世界は未完成で、プレイヤー(人間)が修正に参加する(これをティクン・オラムと言います)
なので、
「設定にしか見えない」という距離感は、シニシズムではなくメタ視点を持った参加者に近い。