はてなキーワード: ヌルとは
先日、包丁に熱湯と漂白剤を使うことの是非が話題になっていました。
残念ながら清潔さをイメージで捉えて勘違いをしている人が多く、安全のための行為が逆に危険を呼び寄せてしまっていると感じました。
いわゆる潔癖症の人が物事を正しく理解しようとせず「穢れ」だけを取り払おうとして儀式化してしまうような感じですね。
生の食材を扱う和食料理店で20年ほど経験を積んだ増田から汚れって何というお話をしてみたいと思います。
汚れの種類は大きく分けて4つです。
・食べかす
・油汚れ
・傷
どうしてこのような分類をしたのかというと、汚れの種類によってもたらされる結果が変わってくるからです。
・食中毒にならないため
・余計な味をつけないため
・手触り、見た目のイメージ
そんなの当たり前でしょって思うかもしれないんですけど、この辺の話が整理できてないとそれぞれの汚れに対する処理が変わってきてしまいます。
全部おとせばいいとも思うかもしれませんがそれ、本当に落ちてます?逆に汚れの原因になっていませんか?っていう話にもつながってきます。
なぜ安全なのか、すぐに理解できた人は汚れを正しく理解できている人かもしれません。何いってんだクソ増田!って思った人は、汚れをイメージで捉えすぎている危険性があります。
まずは一旦落ち着いて下さい。
油の中で生きられる生物はいませんし、ウィルスも増加することはできません。
ですので油汚れは、食の安全性という面において残っていても問題がないわけです。
しかし、動物性油であれば匂いは残りますし手で触ったときのヌルッとした感覚は決して気持ちの良いものではありません。
だから落とすことが大事ですが、例えば中華鍋など落とす必要がない油もあるということはおぼえておきましょう。
次に食べかすについてです。
ここで、もともとの話題であった最初に熱湯をかけることの危険性を説明します。
このタンパク質というのは、50度以上で固まり始め高温ではしっかりとした固形になります。
食器やまな板に最初に熱湯をかけるということは、その瞬間の殺菌という意味では理にかなっているかもしれませんが、食器に残った目に見えないタンパク質を固形化させるという意味ではとても危険な行為と言えます。
なぜなら、固形化したタンパク質であっても菌やウィルスが増殖するための栄養源になってしまうからです。
その後暗く風通しの悪い食器棚などに収納されてからはどうでしょうか。
特に温度や湿度が正しく管理されているわけでもない場所に例えばゆで卵を置いておいたときにどのような結果になるか、説明するまでもありませんね。
次に傷について。
しかし、問題なのは傷に食べかすなどの汚れが残ってしまう危険性があるという点です。スポンジや界面活性剤では細かな傷の中までをきれいにすることはできません。
つまりどういうことかと言うと、汚れを落としたいからとムキになって強く磨きすぎても、安全性という点においては逆効果になる場合があるということです。
特別な薬品を使う場面が少ない一般的なキッチンにおいてはそれほど気にする必要のないことですが、例えば漂白剤なんかも言ってみれば塩素ですから効果もないのに思考停止で「やっておけば安全」と過剰な使い方をすれば、正しく使うときよりも当然リスクは高くなります。
それではどうやって洗えばいいの?という話ですね。
まずはとにかく冷水か40℃程度のぬるま湯で洗うことが大事です。
さきほどお伝えした通り、最初に熱湯を使うことはタンパク質を凝固させる危険性があります。
いわゆる家庭用の食器洗剤は、そのほとんどが界面活性剤として油分を水に溶けやすくすることで汚れを落とします。
大抵の汚れは流水で落ちますが、粘性の高い油汚れだけが残ってしまうので界面活性剤で流れやすくするというものです。
このとき、食べかすや食べかすを含む油分が正しく洗い流されていれば、食器は清潔な状態と言えます。
つまり、このあとに熱湯をかけたり漂白剤をかける必要というものは基本的にありません。
仮に乾いた食べかすが残っていても、それだけでは菌は増えません。
しかし時期によっては湿気もありますので、食べかすが湿気を吸って水分を持ってしまえば当然菌も増加します。
つまり、食器の洗浄とは以下の3つの工程によって清潔が保たれるようになります。
・汚れをしっかりと落とす。
・界面活性剤で洗い流す。
こうしておけば食器の安全は守られますが、不安であれば使用する前にかるく流水で流すなどすればさらに安全に使用することができます。
ちなみにこの仕組みが理解できていると、最近CMで騒がれているスポンジ内の雑菌の繁殖についても、それ自体が危険ではないということがわかります。
なぜなら、スポンジから直接水分を摂取するわけでもないので、スポンジ内にどれだけ雑菌がいようと界面活性剤とともに洗い流されてしまうからです。
ちなみにですが、菌そのものは直ちに危険な存在ではありません。
人間の免疫機能ではどうにもならないくらいに増殖してしまうから危険なのです。
これは食中毒の危険性にもつながってくる話ですが、死滅させることばかりに注意が向いていると増殖を防ぐことへの注意がおろそかになってしまいます。
煮沸したから大丈夫。熱湯で殺菌したから大丈夫では、本当に安全とは言えないわけですね。
雑菌は、つけない。残さない。増やさない。の3つの対策が必要です。
余談ですが、私の知り合いに毎日いつもポットのお湯を入れ替えている人がいました。
どうしてですか?と聞いてみると返ってきた答えに驚きました。
新鮮な、、、お湯?
しばらく言葉の意味が飲み込めませんでしたが、その日からその人とポットの話をすることはやめました。
この辺は薬と一緒かもしれませんが、人は本当に効果があるものより自分が効果があると信じたものしか選ばないのかもしれません。
ちなみにこの話、厳密なことをいうと毎日水を取り替える方が塩素が残りやすくて危険です。
おそらくはポットにお湯を入れっぱなしにすることで乾燥によってできてしまうカルシウムの塊のことを時間経過によって発生する汚れだと勘違いしているだけの話だとは思うのですが、雑菌が確実に死滅する温度まで沸騰させておいて「新鮮」はないよなって今でもおかしくなります。
え?ポットって電気ポットっですよ?90度以上で保温し続けてるんですよ?
日本の蛇口から出てきてる水道水をポットで沸かせて保温しているのにお湯が腐敗するんですか?
もしかして毎回ポットに畑でとれたてのついた野菜とか入れてます?ボツリヌス菌とかウェルシュ菌をわざわざポットに入れ直してるんですか?
それと塩素の抜ける仕組みと、言わなかったけどトリハロメタンとかって知ってて言ってます?
塩素がしっかりと抜けきって水の入れ替え時に誤って混入しかねない菌さえも滅菌状態にあるお湯を、わざわざ毎日入れ替える科学的根拠をもう少し示してもらっていいですか?
油の部分は誤解させる書き方をしたことは否定しないけど、あのぬるっとした手触りが即座に危険な汚れだと思い込むのは間違いだよという話ですよ。
ちゃんとその後に「食べかすを含む油分が正しく洗い流されていれば」という説明があったけど読んでないんですよね。わかります。
なんというかそういうところが手遅れなんですよねぇ。
これで少なくとも20年以上食中毒は一度も出してないですから。
俺は自認がリベラルであり、SNSでもそっち側に好ましいような情報が多く流れてくる。
流れてくる内容に対して基本的には同意することが多いが、逆に「これは問題だなあ」と考えてしまう場合もあり、こうしたケースが最近も二つあった。で、表題のようなことを思ったんである。
① 答弁中、防衛大臣が「官房長官からコメントのあったとおり、イランによる核開発は許されない」という旨の発言をする
② 記者から「つまり、アメリカによる攻撃を容認するのか」と質問される
③ 「官房長官、外務大臣からも話があったとおり、はい、政府全体としてはそういう立場」と回答
③で「はい」と答えた…ということは、つまるところ支持? という印象は、確かにこの時点では否めない。
しかし、「官房長官、外務大臣からも話があったとおり」という点もふまえて、この両名の答も確認してみる。すると、どちらも「イランの核開発は許されない」というコメントにとどまっており、アメリカの攻撃を支持する、という発言はしていない(もしくは巧みに避けている)ことがわかる。
そうすると、小泉防衛大臣の答弁③の正確な理解は、 「官房長官、外務大臣からも(イランによる核開発は許されないという)話があったとおり、はい、政府全体としては(イランによる核開発は許されないという)そういう立場」以上のものではないことがわかる。
「はい」については、自分の発言の末尾についてしまったものだろう。質問に対する肯定とは解せない。なぜなら、仮に、ここに「アメリカの攻撃を支持」というニュアンスを含ませようとすると、三名の発言の整合性が取れなくなるからである ※ 「小泉防衛大臣は、官房長官・外務大臣がアメリカの対イラン攻撃を支持したと誤解して回答していた」みたいなトンチキな想定をするなら別である。
ことわっておくと、俺は防衛大臣も含めて現政権のことをあまり評価していない。外交として灰色に答弁せざるを得ないことはわかるが、はっきりとアメリカに与しないことを表明してほしかった思いはある。
また、「灰色に回答せざるを得ない内容」のさばき方としては、防衛大臣も隙が大きかったな、とも思う。
おそらく、この場合のタスクは、yesともnoとも答えられない質問をかわしつつ、yesかnoの意味で受け取られる余地は完全につぶしておくことだったと思う。だって、言葉尻を捕らえて「そうか、yesなんだ!」と主張されたら、「いや、noですよ」とは反論できない内容だからだ。そもそもyesかnoかを答えたくないわけだから。
それでも、俺が気に入らないのは、防衛大臣の発言だけではなく、そこで言及&根拠にされている別の要職のコメントにもちゃんとあたれば、「政府が対イラン攻撃を支持!」とは解せないはずだからだ。これは日本語の問題であり、それが仮に、自分の気に入らない相手の発言であろうと(あるいはだからこそ)他人の言葉をないがしろにしないというリテラシーの問題である。
30秒ほどの動画が添えられており、内容としてはバンス副大統領(とトランプらしき人物も映っている)たちがどこかの店内で批判に遭遇している、というもの。キャプションによれば、バンスたちは抗議に屈して店を去ったとされている。
その後、Xのニュースフィード部分にて、「副大統領も大統領も実際は追い出されてなくて、店から出たのは抗議者の方だよ」という記事が掲載されたが、リベラルやパレスチナ支援者を中心にすでに拡散されてしまっており、発信元と思われるアカウントもまだポストを削除していない。ちなみにネットを調べてみると、確かにこのときの抗議をめぐる報道が出てきて、抗議者たちの方が店内から連れ去られた、という内容になっている。
小泉防衛大臣の発言に関する解釈でリテラシーが云々言っておいて恥ずかしいが、実は俺もこれをRPしかけた。
しなかった理由は、「いや、バンスとトランプがいくら人道に反していても、もしくは国際法に違反していても、いま収監されてるわけでもないのに、好きなところでメシを食う自由を侵犯されてもいいのか?」と思ったからだ。
これをRPするのは、パレスチナの話とはまた別に、悪いやつには好きところでメシを食う権利はねえというメッセージだな、と思った。だからRPをいったん止めた。そしたら結論が出る前に考えるのが面倒くさくなり、RPもしないままになった。その面倒くささがデマの拡散に加わることから回避するのにつながったのだ。
動画をはじめとする煽情的な情報について、俺は自分で3つのフィルターをかけてからコメントやRPするかを考える。
・編集や(故意の)曲解がなされていないか(例:上記の小泉防衛大臣の答弁)
・動画や画像としては本物だとして、キャプションが実際の時・場所・状況と一致するか(例:上記のバンスやトランプの一件)
もっとフィルターの多い人もいるかもしれないが、だいたいこんなものだろう。
で、結論として、こんなことをいちいちチェックしている余裕はない、という考えに至った。俺は特段多忙ではない。暇と言っていい。それでも無理である。付き合いきれない。
なので、基本的にそもそも政治がらみのRPをしない。しないが、目に入ってくる個々の内容は深刻で、ついいっちょかみして何か言いたくはなる。
言いたくなるが、時間はないのである。「大統領が~」「首相が~」「何かの本によると~」…どれも深刻だ。でも付き合ってられない。付き合ってられないが、じりじりはする。
だもんで、表題の話に帰ってくる。
もうXの裏っ側でAIが常時走ってて、真偽が疑わしければ自動でコミュニティノート貼るようにしたらいいんじゃないか。もういいよ、俺はそれで。
俄然、ハレルヤ、ビッグブラザー、もしくはウイグル感出てくるが、もういいよ、別に。こういうことを書いてると、お前はもしかして中国、ロシア擁護なのかと言われるが、ちゃんと? 嫌いである。自分の暮らす、もしくは属する西欧的な価値観の民主主義国家で、言葉のコミュニケーションが雑にされるのがもっと嫌いなだけである。
もう今のコミュニティノートみたいな、有識者のユーザーの自治に任せるみたいなヌルいことやってないで、AIが常時スタンバってて、ぱっと走ってきて、ぱっとなんか貼ってくれ。「AI生成だぞ、元の動画から編集されてるぞ、キャプションと実際の日時がズレてるぞ」ってな具合で。
もし、常時走らせるのがコストが大きすぎて省エネするなら、可能性があるときにシグナルが点灯するのでもいい。アテンションエコノミーを重視するプラットフォームなら、インプレッションの上昇や関わってるインフルエンサーの規模で、そのポストがバズりそうかどうか数値化・予測できるだろう。できないか?
身もふたもないことを言えば、プラットフォーム側からすればバズりさえすれば真偽なんかどうでもいいのかもしれない。でも、コミュニティノートなものが導入されたり、バンスの例の記事みたいなものがポップされたり、一応その辺の善悪はあるんだろうし。
だから、もういいよ。正直、俺にはもう目の前のポストの真偽はわからない。俺の周りのやつにもたぶん無理なんだろう。少なくとも俺は、費やせる時間も判断力も心もとない。歳をとって老人になったらなおさら判断はおぼつかなくなるだろう。
早くハレルヤでもスカイネットでも導入して、せめて「そこそこ正しいと思われる=本気で激怒するべき」情報だけにしてくれ。俺のTLを静かにしてくれ。基本的に昆虫と蟹と海外文学のことしか流れてこない平穏なTLだったんだ。割と最近までは。
私が初めてピーナッツコーラを飲んだのは、夏の午後、国立公園の蝉がぐったりと鳴いている頃でした。
ペットボトルの中で、琥珀色の液体の中を微細な泡がせわしなく駆け上っていました。
そのせかせかした泡を見ていると、どうしても人生というものを思い出します。
つまり、始まりは刺激が強く、終わりに近づくにつけてヌルくなる。
ピーナッツコーラというのは、少し不器用な飲み物に感じました。
口に含むと、甘味がどこかで方向を間違えてしまったような味がする。
ピーナッツがコーラという炭酸の世界に招かれてはみたけれど、どうにも居心地が悪そうにしている。
ソーダの泡が彼に「お前も少しは弾けてみたらどうだ」と言う。
しかしピーナッツは、ポケットに手を突っ込んで、じっと下を向いて黙ったまま。
けれど、それが悪いわけではない。
世界には、そういうぎこちない組み合わせが必要だったりします。
ピーナッツバターとジャム、猫と洗濯機、あるいは私と日曜日の朝の増田のように。
ちょっと噛み合わない関係ほど、妙に記憶に残ることだってありますよね。
たぶん、完璧な調和というのは、聴き心地の良いBGMくらいのもので、人間というのは、少しくらい音がずれている方が記憶に残りやすいのだと思います。
飲み終えたピーナッツコーラのボトルをテーブルに置くと、窓の外を風が通り抜けていきました。
その風の中に、ふっとピーナッツの香りが混じっているような気がした。
まるで、私の知らない誰かの思い出がそこに仕込まれていたみたいに。
そう思って、私はもう一度ラベルを見た。
ただのコーラだ。
ハードの進化があったから、ブレワイみたいなそれまでにない体験をくれるソフトが実現できたんだよな。
今は「ちょっと高画質でヌルヌル動く」くらいの感覚だからありがたみが薄いけど、ハードの性能を上げておくことは、一皮剥けるソフトが現れる可能性を潰さないでおくことだと思う
ブーバ/キキ効果(ブーバ キキこうか、Bouba/kiki effect)とは心理学で、言語音と図形の視覚的印象との連想について一般的に見られる関係をいう。
心理学者ヴォルフガング・ケーラーが1929年に初めて報告し、命名はヴィラヤヌル・S・ラマチャンドランによる。
それぞれ丸い曲線とギザギザの直線とからなる2つの図形を被験者に見せる。
どちらか一方の名がブーバで、他方の名がキキであるといい、どちらがどの名だと思うかを聞く。
すると、98%ほどの大多数の人は「曲線図形がブーバで、ギザギザ図形がキキだ」と答える。
しかもこの結果は被験者の母語にはほとんど関係がなく、また大人と幼児でもほとんど変わらないとされる。
このブーバ/キキの対比は一般には、「円唇母音または唇音/非円唇母音または非唇音」と捉えられる。
どのような音からどのような概念を連想するか(音象徴)に関しては、文化・言語の枠を超えた法則はないとされている。
これ見てるおまいらはワイと同じく「APF通信なんか切り取り過ぎじゃね?」って思ったヤツなんやろな
ワイもさすがにヘブライ語はわからんからAI様にお願いしてやってもろたで
普段AIなんて使わんから信頼性はよーわからんが、ワイが見る限りこれまでの報道であったようなエルキンらしい超リアリスト右派の受け答えだなと思ったで
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出演者: イード・シュナビル(キャスター)、ゼエブ・エルキン(国家安全保障内閣メンバー)
「スタジオにはゼエブ・エルキン議員をお迎えしています。議員、お越しいただきありがとうございます。
さて、対イラン軍事作戦の開始から3週間が経過しようとしています。国内では予備役兵の家族から悲鳴が上がり、経済への打撃も日を追うごとに深刻化しています。さらに外交面では、トランプ政権(Mimshal Trump)から、特に世界のエネルギー市場への影響を懸念し、イランのガス田への攻撃をこれ以上拡大させないよう、非常に強い抑制の要請が届いています。
国民は問うています。この戦争の出口はどこにあるのか。我々はただ、終わりの見えない消耗戦に突き進んでいるだけなのでしょうか?」
ゼエブ・エルキン議員(以下、エルキン):
「イード、まずあなたの質問に含まれている『短期的な近視眼』を指摘せねばなりません。コスト(犠牲)を数えることは重要ですが、国家の指導者が見据えるべきは、その対価として得られる『戦略的成果』の巨大さです。
はっきり申し上げましょう。現在、我々がアメリカの同盟国と共に、イランの核施設、弾道ミサイル工場、そして政権を支える軍事インフラを直接叩き潰している。この作戦が継続されている一日一日は、国家イスラエルの生存と将来にとって、『計り知れない天恵(ברכה עצומה / Berakha Atsuma)』に他ならないのです」
シュナビル:
「(遮るように)……『天恵』ですか? 議員、その表現はあまりに過激ではありませんか? 今この瞬間も、テルアビブや南部の市民はサイレンが鳴るたびにシェルターへ避難しています。日常生活が破壊されている国民に向かって、これを『天恵』だと呼ぶのは、あまりに現場の感情とかけ離れているのではないですか?」
エルキン:
「感情的なレトリックで本質を曇らせないでいただきたい。私が歴史家として、そして政治家として申し上げているのは、生存の論理です。
我々が数十年間、恐れ続け、避け続けてきた『イランという癌』を根絶できる歴史的な好機が、今、最高の条件で訪れているのです。トランプ大統領が懸念を示しているのは承知していますが、彼は徹底したリアリストです。我々が今、この『天恵の時間』を使い切り、脅威を完全に排除してみせれば、彼は最終的にその成果を支持するでしょう。
今、ここで『出口』を求めて攻撃を止めることこそが、未来の世代に対する最大の犯罪です。ゆえに、我々の議論の焦点は『いつ終わらせるか』であってはなりません。むしろ逆です。『いかにしてこの戦争を長引かせ、敵のインフラに修復不可能なダメージを与え、被害を最大化させるか』。これこそが、我々が集中すべき唯一の戦略的目標なのです」
シュナビル:
「……『被害を最大化するために、意図的に戦争を長引かせる』。そしてそれを『天恵』と呼ぶ。……非常に明確な、しかし、聞く者によっては**戦慄を覚える(מצמרר / Metsamrer)**ほど重い見解をありがとうございました。
(数秒の沈黙の後)
時刻は8時14分です。続いては、レバノン国境付近での最新の交戦状況について、軍事記者の報告です……
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これに拒否反応を持つヤツも多いんやろうとは思う。わかるわ。
でもエルキンとしては「戦争が良いか悪いかという道徳的議論をしているのではない。存続か滅亡かという生存の議論をしている」ってずっと言い続け取るしその思想は強固や。
この強固なリアリストとしての立場には、旧ソ連今で言うウクライナの出身で、そこからイスラエルに移住したいわゆる「帰還者」って出自が原因としてまずあるんや。
更に大学ではユダヤ史を研究し博士号を取得した上で政治家になっとる。学術的な裏付けを持った思想カッチカチのインテリジェンスモンスター政治家なんや。
ちなみにネタニヤフも親父が歴史家なので思想はカッチカチや。ユダヤ人の歴史を学んだ思想家は結構こういう「弱者からの善意や外交は通用しない」って思想になりがちなんやな。
まーユダヤ史は「善意に頼った共同体がどう滅ぼされてきたか」の記録なんでしゃーないで。ヌルい対応して民族ごとガス室に送られるわけにはいかんからな。
ワイも含めてイスラエルの過激な発言や戦争行為ががピンと来ん日本人としては、核やめろって世界に言ってるヤツの過激なバージョンと思ったらええのかもな。
SNSに存在する考察垢と成り切り垢は創作したかった人間の成れの果てだと思う。
まずは、考察垢だ。
考察とは「物事を明らかにするためによく調べて考えること」という行為のことだ。
「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」が大ヒットした文芸評論家の三宅香帆は
著書「考察する若者たち」の中で批評には正解がないが、考察には正解がある、と論じ
その「正解探し」=「報われること」こそ若者が考察に傾倒する理由の一端だと述べている。
考察に正解がある、という論に私は素直に頷くことはできない。
考察には正解はいらない。必要なのは正解ではなく、正解っぽい結論だと思う。
もちろん、三宅香帆の論じる「考察には正解がある」という論拠は
近年ヒットしたテレビドラマ『あなたの番です』や小説『変な家』など
作品の中に最終的な結末があり、その謎に対しての考察を行うことには正解がある、という意味なのも理解している。
私が考える考察とはコンテンツの中に明確な答えや、結論が描かれていない(または現時点では描かれていない)作品についての考察だ。
小説の結末や1クールのドラマに対しては、明確な答えはあるかも知れないが、
連載中の人気漫画や、過去の名作には答えがない、もしくは答えが示されていないものも多々ある。
よくある例で言えば、大人気漫画『ONE PIECE』において主人公ルフィの最終的な目的の一つである「ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)」の正体などだろう。
一読者として、尾田栄一郎先生の健康とご多幸を願ってやまないが、『ONE PIECE』の結末が示されるのは早くても数年後、下手をすると数十年後になるかも知れない。
その他には、直近新シリーズの制作が発表された『新世紀エヴァンゲリオン』をはじめとする『エヴァンゲリオンシリーズ』も
作中に哲学的、抽象的な表現が多く、一旦は作品として完結した今も多くの考察が作られている。
(主人公碇シンジととあるサブキャラクターの関係性を考察したnoteがバズっていたのは記憶に新しい)
私自身も好きな作品の展開を考察したり、キャラの言動を考察し、時には友人と盛り上がることは大好きだ。
SNSで気軽に考察論を発信し、顔も知らない不特定多数と自身の考察論を発表し、
反応を見ることができるこの時代に考察はもはやエンタメコンテンツの一部だろう。
しかし、考察を専門に発信している考察垢の存在を私はあまり好ましく思っていない。
考察垢はコンテンツや作品の世界観や魅力の一部を切り取り、行間を読み、擬似的に創作活動の真似事をしているに過ぎないと思う。
考察の元々の意味が「よく調べて考える」ということからも、考察垢のほとんどは対象のコンテンツをよく調べ、観察している。
細かいセリフや設定を洗い出し、時には時系列を精査し、漫画であればコマの中のほんのわずかに描かれた絵や描写を見逃さない。
そして、これらの調べあげた情報が「納得性」に繋がる。
調べあげた情報というファクトを積み上げ、編纂し、データとしての価値を高めていくことで納得性がともすれば信頼や確からしさに繋がる。
そして、それらの情報を元に独自の「発見性」のある論拠や結論を示していく。
「発見性」は「納得性」ともやや地続きなのだが、調べあげたデータや根拠に「納得性」があり、
その上に意外性や驚きがありながら「確かにわかる」「あり得そう」「そこには気づかなかった」と思わせる要素があることで考察は見る人の興味を唆る。
あるコンテンツや作品の設定や世界観を活かして新たな作品を創造する二次創作と考察は似ているし、考察も二次創作の一種であると言えるかも知れない。
二次創作については色々とグレーゾーンな部分もあり、二次創作という行為がコンテンツを広めるに少なからず寄与しているという考えもある一方で、
特にドラマのような比較的短期間で終わるものや、映画など単発で終わるものはまだいい。
一番酷いと思うのは長期的に継続しており、まだ終わりが見えないような漫画などのコンテンツの考察だ。
考察には「納得性」と「発見性」が大事だと述べたが、結論だけ見れば荒唐無稽にしか思えない考察も多い。
明確な結果や回答が存在しないコンテンツの考察はどこまでいっても妄想なのだ。
そこに「正解」である必要はなく「正解っぽい結論」があれば考察は盛り上がる。
当たったとしても考察者の自己満足にしか過ぎずコンテンツ側に特にメリットはない。
あ、この展開、考察者の〇〇さんが言ってたのと同じだ、などとなったら終わりだ。
ここでいうのは広く自身の考察を発信している場合を想定しており、個人レベルならいくらでも考察しても良いと思う。
考察垢は、誰かが魂を削って作ったコンテンツの世界観や設定をなぞり、わかりやすい結論というトロの部分しか触っていない。
ふざけるな。ちゃんと米を炊いて、シャリを作り、10年くらい修行してから寿司を握れ。
そもそも考察垢が本質的にやりたかったことは、自ら何かを作りだし、それで人に反応されたり感動することではないのか?
それが出来ないから、誰かが作ったコンテンツという神輿に載っているという考えは本当に1mmもないのか?
いくら膨大な資料を読み込み、情報を整理し、納得性や発見性の高い考察をしたとしても本質的に何も生み出してはいない。
優れたコンテンツのあり得そうな可能性という魂の代謝を拾い集めて形にしているだけの存在が考察垢なのだ。
『ONE PIECE』を考察するな。お前が次の『ONE PIECE』を作れ。
下手でも、人に見られなくても、賞賛されなくても、時にはちょっと叩かれても、創作するという行為はとても尊い行為だ。
仮に考察で賞賛や、注目を集めたとしても決して奢るべきではない。
一次創作こそが神であり、王であり、二次創作はその遥か下にいる下々の民だ。
神がいなければそもそも世界は存在しない。そこを一瞬でも忘れるな。
明文化が必要であったら敬意を忘れない、とでも心の辞書に刻んでおけ。
クリエイター面を決してするな。
考察家さん、それは面白い考察だなぁ、探偵にでもなったらどうですか?
ご自慢の考察力で、嵐で孤立した別荘で起こる凄惨な連続殺人事件でも鮮やかに解決したらどうか?
成り切り垢はもっと単純で、あれは着ぐるみを着て大喜利をしているだけだ。
大喜利のお題で「こんな〇〇ってどんなの?」というタイプのお題がある。
このお題を考える時、最もオーソドックスな考え方は
「ギャルの要素」と「忍者の要素」をそれぞれ抽出し、それを掛け合わせることだ。
と考えれば「ギャルの忍者の手裏剣はデコってある」とかになるだろう。
この要素のどんな部分を抜き出したり、組み合わせの妙や、要素の距離感の妙などがこのタイプの大喜利のポイントだと思っている。
成り切り垢とは特定のキャラクターや人物に成り切って発信をしている。
そして、ほとんどの場合、対象にしているキャラクターが言わなそうなことやギャップのあることも発信している。
しかも、特定のキャラクター像というものは要素やトンマナを抽出しやすいので
残りの要素1つだけを考えれば大喜利は完成する。
代表的なもので言うならビジネスシーンでのあるあるやTIPSを発信するアニメキャラクターアカウントがあるだろう。
あれらは、キャラクターという外側の着ぐるみのキャラクター性や、口調のフォーマットや構文を活用しながら発信し、
しかも発信内容が本来のキャラクターから距離の遠いビジネスの話題ということで違和感があり、一定の面白さが担保されている。
発信の内容/テーマが「伝えたいこと」だとした時に
夏目漱石が相手に好意を伝える際に「月が綺麗ですね」と言ったという、史実的には大分存在が疑われているエピソードがあるが、
これは「好き」という「伝えたいメッセージ」の伝え方を「月が綺麗ですね」というオリジナリティある伝え方にしているのだ。
ダウ90000の蓮見翔も言っていたが「好きという言葉をいかに使わずに、好きということを伝えるかが面白い」のだ。
成り切り垢の話に戻れば、これらのアカウントは、キャラクターという発信手法は固定されている。
しかし、お前たちは本当にやりたかったのはこんなヌルゲーな大喜利なのか?
本当は0から考えた、人が唸るような回答を出したかったのではないか?
特に、どう伝えるか/表現するか、という部分が最もやりたかったんじゃないのか?
あなたならどう告白しますか?というお題に「ジャイアンが言いそうな告白のセリフ」ばかり考えていて楽しいのか?
「俺のリサイタルを一生そばで聴いてくれ」とでも言うのか?お断りです。
滑っても面白くなくても、お前にしか出せない大喜利の答えを作れ。
誰かに成り切るんじゃなくて、お前自身が誰かに認知されるキャラクターになれ。
ウケたとしてもそれはお前がウケたのではない。
大衆に認知され、バックボーンがわかりやすいキャラクターがあるからこそ伝達のスピードが早く、
時にはギャップを生むことでウケているのだ。
考察垢も、成り切り垢も根本にあるのは自らの創作や発信で人に賞賛されたり、褒められたいと言う欲求だと思う。
誰かが作った世界観やキャラクターをインスタントに活用して、創作っぽいことをしているだけではないか?
シンガーソングライターのキタニタツヤは「物知りな批評家」より「ショボい(ショボくとも)作り手」であってほしいと発信していた。
考察垢も成り切り垢も反応されなくても、誰にも見られなくてもショボい作り手であるべきなのではないかと私も思う。
よしんばそういった発信をするとしても、驕るな、勘違いをするな、謙虚であれ。
金儲けをするな。元のコンテンツに敬意を一瞬たりとも忘れるな。そういうことを切に願う。
考察垢や成り切り垢という他人が作ったコンテンツをベースに話している私も大概ろくなものではない。
みんなでショボい作り手になろう。
やっぱ興味深いのは組織的な話やね。
めちゃくちゃダウナーかめちゃくちゃアッパーか、の二波が目立つけれども
うちの職場にいる人は、「ゆるく頑張りたいけど、なんとなく認められたい」的な人が目立つわ。
ほんでその層の人たちがメインで、表面化しない問題起こしたりとか、愚痴言いまくったりしとるわ。
で、その方々のボリュームが多くなると、その細々した火消しの対応をさせられる、
つまりポジティブな事言う人じゃなくて、クソどーでもいい不満がなんとなく優先される感じになってまう。
まあ、それが大体的にめちゃくちゃ良く無いって感じでも正直ないんやけども
ちなみに職場は、いろいろな理不尽とかそういう類のものは特になくて、
そのなかで頑張りきらずにヒマしてる人が、上記みたいな事しとるように見える。
◎表面化しない人間関係について
グループからちょっと嫌がられてたリーダー的な人がやめるとき、
その人のお別れご飯会みたいなものが開かれる話になったそうやが、
みたいな相談が、ちょっと嫌がっていたグループでなされていたらしいで。
嫌なんやったら、行かんでもええやんけ・・・もう会わへんのやからという感想を抱いたわ。
以後会わへん人から表面的によく思われたいとか、どういうテンションで考えてるかワイには理解が及びませんでしたわ。
おう、怒れ怒れー!
その調子で、東北弁を関東者に認めさせてやんな!!(「関西人は関東でも標準語しゃべらずに方言つかってるのズルい」とかヌルいことゆうてんとちゃうで〜)
最近発達障害ないし知的障害を持つ、またはグレーゾーンにある女性のことをみいちゃんと呼ぶことについて、当事者の1人が声を上げたことで、SNS上でさまざまな意見が飛び交っている。
https://x.com/i/status/2022847696424644921
私も当事者(言語性IQと動作性IQの差が40ある)なのでこの件について考えてみたが、私の結論としては『真面目に対処する必要はない』だ。
そもそもなぜみいちゃんと言う呼称が差別に当たるかと言うと、みいちゃんは漫画内で『救いたいと思えない弱者』のシンボルとして、自己中でクソ迷惑な障害者として描かれており、それと等しいとみなす行為だからである。
ショッキングな展開やグロテスクな切り抜きが何度もバズり作品とキャラの認知度が上がった結果、いまや"みいちゃん"は社会的に必要とされないどころか周囲に害をなす敵と言う共通認識が形成されており、その文脈を踏まえたうえで悪意を持って障害者ないしグレーゾーンの女性らをみいちゃんと呼ばないでほしい、という意見は真っ当に思える。
しかし私としては、みいちゃん呼ばわりを取り締まったところで言葉狩りに過ぎず、また第二第三のみいちゃんに代わる侮蔑語が産まれるだけで、意味がないと考える。
これは白痴、足らず、低能、池沼、でんちゃ、ガイジ、ハッタショ、🫚👨⚕️、ジンドクと、差別用語が禁止されるたびに新しい差別用語が生まれてきた歴史的事実から見ても明らかだ。
かの金田一先生も、差別用語そのものを取り締まったところで悪意的に言葉を用いる人間がいる限り、いたちごっこになるだけだと対談で話されている。
では差別的に言葉を使うこと自体を取り締まれるか、と言ったら無理だろう。
そもそも差別しているという意識すらなくほんのジョークや事実確認のつもりでとんでもない侮蔑語をこぼす人など山ほどいるし、それらに道徳的振る舞いや理性を求めるのも難しい。
また平均的な健常者視点では『公的支援の存在またはつながり方を知らず、無治療または全額自腹で社会適応を頑張っている障害者』ですら自分たちの税金で養っているという認識は大なり小なりあり、障害者と健常者の立場が本来は平等であるという認識もそこまで広がっているとは思えない。
もちろん傷つくという声明を上げること自体は否定しないが、差別そのものをなくすことが困難である以上、『来店中はその手の発言を控えてほしい』や、『店の評判を落とす発信は辞めてほしい』以上のことを求めるのは現実的とは言えないのではなかろうか。
そして個人的に気にかかるのが、『性逸脱をせず、倫理観を持ち、指導教育環境を当店では整えており、真面目に働いている私達や他の発達障害の女性にむけて「みいちゃんだ」という言葉を浴びせられることは、とても悲しいことです。』という点だ。
みいちゃんも一応作中では真面目に働いているし、みいちゃんに倫理観がないというのはそもそも作中の描写的に、生育環境や知能の限界で身につけられなかった結果であり、みいちゃんの落ち度と認識することは難しい。
これは恐らく『みいちゃんは努力を怠る自己中で無能な障害者』と認識していて、その意でみいちゃん呼びを好む層に向けての発信かもしれないが、この書き方はさすがに誤解を招くというか、私は初見で『あなたもその立場で能力が不足している障害者をかなり差別してないか!?』と読んでしまった。
もちろん店のサービス品質や従業員の評判を下げないのも店長の仕事とは言え、他を下げて自分たちを上げるような印象を受けてしまうので、それこそ『みいちゃん』という呼び名のスティグマ化に加担していないだろうか……。
この投稿のツリーにて他のスティグマ化する侮蔑語について言及を控え、当事者が声を上げろと言っているあたり、他のスティグマ用語を用いた差別を軽んじているような印象を受けてしまうのも、また……。
https://x.com/i/status/2022937994668487107
筋異常愛者の弱者女性としては、同じく社会的に弱い立場にある人への差別発言にも平等に反駁すべきだと思うし、そこを誤魔化して自分が属する集団への偏見にのみ声を上げるのは、自己中心的な発信に思えてしまう……。
(みいちゃんよりも悪辣かつ人非人かのように描写されているつばさくんあたりにノータッチなのも思うところはある)
(これだから『発達でも女はチン騎士理彼湧いてヌルゲー、男は自殺しかない』って認識が強固になるんだよ!でも実際そうだしな……)
作中のみいちゃんやその他障害者と見なされる文脈で登場するキャラたちの描写について色々とツッコミどころはあるが、ひとまず呼び方の問題については以上とする。