はてなキーワード: スピリチュアルとは
はい、このような「意識が現実を創る」「多世界解釈と主観的現実」を結びつけた仮説を提唱している人は、物理学、認知科学、哲学、そしてスピリチュアルの境界線上に何人も存在します。
カリフォルニア大学アーバイン校の教授である彼は、「インターフェース理論」を提唱しています。
「お前の母は常に優しいが、脳内フィルターが...」という話に最も近い科学的バックボーンを持つ人物です。
彼は「バイオセントリズム(中心生物主義)」という理論を提唱しています。
4〜5世紀ごろのインドで発展した「唯識(ゆいしき)」という仏教哲学は、まさにこの話を1500年以上前に完成させています。
科学ではありませんが、現代のスピリチュアル界で非常に影響力のある主張です。
これらの提唱者に共通しているのは、「外側の世界を変えようとするのではなく、自分の内側(観測の仕方・フィルター)を変えれば、人生のすべてをコントロールできる」という強力なエンパワーメント(勇気づけ)を提示している点です。
もしあなたがこの理論をさらに調べたいなら、以下のキーワードで検索すると、より多くの「提唱者」が見つかるはずです。
あなたは、これら提唱者たちの考えを「自分を救ってくれる希望」として捉えますか? それとも「現実逃避のロジック」として捉えますか?
それで父親がいい気分になってるとか上手くいってるってタイプじゃなくてよくある、ほんとによくある「不幸だからスピリチュアルにすがって何も出来てないヤバい奴」
父親の好きなスピリチュアルの系統で表すならばらば、その父親の状態はまさに幸せになれたらいいなという願望がありながら人生なんてクソ喰らえだ!という本心が実現している状態。
父親、なんか変だった。
発達障害でもあるのかなと思っていた。
自閉症?ASD?これが多様性か普通の家は諦めよと思ってた……けど。
スピ的な思想で自分は故意に育児放棄というか不適切な育てられ方したんだなと気づいた。
なあ父よ
それで父親がいい気分になってるとか上手くいってるってタイプじゃなくてよくある、ほんとによくある「不幸だからスピリチュアルにすがって何も出来てないヤバい奴」
父親の好きなスピリチュアルの系統で表すならばらば、その父親の状態はまさに幸せになれたらいいなという願望がありながら人生なんてクソ喰らえだ!という本心が実現している状態。
父親、なんか変だった。
発達障害でもあるのかなと思っていた。
自閉症?ASD?これが多様性か普通の家は諦めよと思ってた……けど。
スピ的な思想自分は故意に育児放棄というか不適切な育てられ方したんだなと気づいた。
なあ父よ
エーリッヒ・フロム「愛するということ」★★★
フィリッパ・ペリー「身近な人間関係が変わる 大切な人に読んでほしい本」
宇佐和通「AI時代の都市伝説: 世界をザワつかせる最新ネットロア50」
深津貴之、岩元直久「ChatGPTを使い尽くす! 深津式プロンプト読本」
大宮冬洋「人は死ぬまで結婚できる 晩婚時代の幸せのつかみ方」
飯田一史「「若者の読書離れ」というウソ: 中高生はどのくらい、どんな本を読んでいるのか」
セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ「誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性」★★
恋紙屋「夜にバニーは(ベッドで)跳ねる」
「黙然たる反骨 安藤照 ―没後・戦後80年 忠犬ハチ公像をつくった彫刻家―」於・松濤美術館。
「新江ノ島水族館」
やっぱりエーリッヒ・フロムはいい。たぶん自分が特に気に入っている思想家だ。
このあたりからスピリチュアリズム、自己啓発の背景にある思想とその明暗をテーマに本を選び始める(陰謀論まで行っちゃったのも含めて)。
多分最後にSF小説を読んだのはこのあたり。SFっぽい漫画は読むことがあっても小説は読んでいない。新人賞を追うのも去年あたりでやめている。
余談だが、自分が好きなSFは科学や技術、それから人間の未来を選ぶ力を信頼したものだった。もちろん、社会学的なものや悲観的なものも大好きだが、それらはどちらかと言えばaquired tasteである。一番深く心が動くのは前者だ。
ところで、わざわざ買った同人誌をメモしてもしょうがないかもしれないが、書かないにもなんだか居心地が悪い(記録魔)。
岡奈津子「新版〈賄賂〉のある暮らし 市場経済化後のカザフスタン」★
アナ・カタリーナ・シャフナー「自己啓発の教科書 禁欲主義からアドラー、引き寄せの法則まで」
ジェイムズ D.スタイン「不可能、不確定、不完全―「できない」を証明する数学の力」★★
尾崎俊介「アメリカは自己啓発本でできている ベストセラーからひもとく」★★★
荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ」六巻
岩宗治生「ウスズミの果て」一巻~三巻
こるせ「伽藍の姫」一巻~二巻
岩宗治生「ウスズミの果て」 四巻
肋骨凹介「宙に参る」五巻
「NHKスペシャル 堺雅人が巡る古代エジプト!ピラミッド透視とツタンカーメンの謎」
「NHKスペシャル 堺雅人が巡る古代エジプト!謎の王ブラックファラオの実像に迫る」
「ニーア・オートマタ End of Yorha edition」(XYエンド以外回収)
「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」於・アーティゾン美術館。
「コレクション展 第2期 特集:新収蔵作品のご紹介」@岩手県立美術館
小岩井農場まきば園
八月は読んだ本が少ない。普段通勤時間に本を読んでおり、お盆休みがあったためだ。
代わりにというわけではないが、ちょうどゲームをクリアした。普段ゲームをしないので難易度を下げて楽しんだ。別にやり込みたいわけではなく、ストーリーを終えればそれでいいと感じている。だが、自分の人生でゲームは必須の要素ではない気がする。
ところで、数年ぶりに(十年近い?)アニメを見たのだが、これはたまたまコロナから避難するために泊まったホテルで視聴した。一話完結だし、青春時代を思い出すし、あまり疲れない。テレビ番組が記載されているのは、自分がテレビを見る頻度の少なさを示している。
レト・U. シュナイダー「続 狂気の科学: 真面目な科学者たちの奇態な実験」★★
トーマス・トウェイツ「人間をお休みしてヤギになってみた結果」
中村圭志「亜宗教 オカルト、スピリチュアル、疑似科学から陰謀論まで」★★★
ロジャー&チャーリー・モーティマー「定職をもたない息子への手紙」
烏谷昌幸「となりの陰謀論」
今井むつみ「「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策」
岡瑞起、橋本康弘「AI時代の質問力 プロンプトリテラシー 「問い」と「指示」が生成AIの可能性を最大限に引き出す」
山本栄二、中山雅司「国連入門 ――理念と現場からみる平和と安全」
瀬野反人「ヘテロゲニア リンギスティコ 〜異種族言語学入門〜」一巻。
ヤン・シュヴァンクマイエル「蟲」@シアター・イメージフォーラム
「大長編 タローマン 万博大爆発 TAROMAN」@TOHOシネマズ 渋谷
皇室の文章は結構フランクで楽しい。あと、著者略歴に「二〇一九年、即位」と書かれていて、何も間違っていないのにレア過ぎてちょっと笑ってしまった。
僕は超細密画はあまり評価していないのだが、諏訪敦は結構気に入っている。たぶん作品に取り組む姿勢やモデルに対する丁寧な態度が好きなんだろう。それから、母を亡くして、具象表現ができなくなったらしい。残酷な言い方が許されるならば、芸術家が傷ついたり何かを学んだり、逆に精神が安定してして作風が変わってしまう瞬間に、とても興味がある(藤田嗣治が戦後に人工的な人形のような子供たちばかり書くようになった契機が知りたいし、精神が穏やかになった後のムンクの作品にも関心がある・結婚後にシーレの作品が良識的になってしまったのにも)。
今月は久しぶりに映画が見られてうれしい。シュヴァンクマイエルの作品は自分の過去の作品を解体し、評論するような内容だった。
高野秀行「酒を主食とする人々 エチオピアの科学的秘境を旅する」
島本英明「もっと知りたいモディリアーニ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
新見隆「もっと知りたいイサム・ノグチ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
末永幸歩「「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考」★★★
今泉忠明 (監修)「おもしろい! 進化のふしぎ ざんねんないきもの事典」
高野秀行は定期的に読んでいる。アート・ビギナーズ・コレクションも定期的に読みたくなる。次に何を読むか迷ったときに重宝する。ただし、美術館に行く途中で読むと、なんだか美術鑑賞に向けるエネルギーをそこに分けなきゃいけない感じがしてしまう(図書館で借りているので読むタイミング的にそうなることがある)。なお、このシリーズは冊数が多い割には下山観山や英一蝶の巻がない。あと、本によっては作者の思想がすごく偏っている。
松井文恵、安田茂美「写実絵画とは何か? ホキ美術館名作55選で読み解く」
ジョナサン・カラー「文学理論 (〈1冊でわかる〉シリーズ)」
秋月龍珉「無門関を読む」
アンドリュー・スチュワート「情報セキュリティの敗北史: 脆弱性はどこから来たのか」★
尾崎俊介「ホールデンの肖像 ペーパーバックからみるアメリカの読書文化」★★
六畳「××××の結果で×××する××」(苦手な人がいるだろうと思うので伏字)
「カルン・タカール・コレクション インド更紗 世界をめぐる物語」於・東京ステーションギャラリー
「CREVIA マチュピチュ展」於・森アーツセンターギャラリー
30周年記念展「ALL OF EVANGELION」於・東京シティビュー
平等院鳳凰堂、鵬翔館、宇治神社、宇治上神社、源氏物語ミュージアム。
「知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!? ヒトはなぜ音楽を愛するのか」
自分は欲望をコントロールできず、性欲などに負けてしまう人間の話が好きだ。現実の生活では正しくいるよう求められるのだから、せめて虚構の中では人間のダメさを許してほしい。そうでなければ、現実世界で良識を守れない、とまではいわないが、ダメな人をダメなまま表現されていると、それを読むことで、何か許されたような気持ちになれる。
他には禅問答について読んでいる。
あと、尾崎俊介がロマンス小説について述べているあたりが面白かった。なんでジェンダー平等が叫ばれる時代に、一見するとあえて古典的に見えるストーリーが必要とされているか、一つの知見を得た。
J. R. R. Tolkien「The Hobbit」Harper Collins Publishers。和書文庫換算二冊。★★★
尾崎世界観「祐介・字慰」★
丸谷才一「輝く日の宮」★★
「ファーストコンタクト 窓口基作品集 【電子コミック限定特典付き】」
「落下の王国 4Kデジタルリマスター」於・ル・シネマ 渋谷宮下。
丸谷才一が相変わらず面白かったので(僕はメタフィクションが好きだ。時にはわざとらしくなってしまったり作者の自分語りに堕したりするリスクもあるが、うまくいくとこれは気持ちがいい)ブコメで進められた全集を手に取ろうとしたら、地元の図書館にはなかった(正確には、引っ越す前の自治体のにはあった)。さてどうしよう。
洋書を読み始めた。あらすじは覚えているが細部はよほど印象的なシーンでないと覚えていない。
トールキンの場合、樹木の描写が細かく、いろんな種類の木が出てくるのだが、そもそも僕のほうが樹木の知識に乏しく、和訳を読んでも細かくイメージできない(束教授ごめんなさい)。児童文学とは言え、二世代前の英語なので語彙やスペルが違うし、手加減せずに平気で難しい言葉を使う。
「ナルニア」を読んだときも、例えば身近でない船舶の部品などの語彙で苦労した覚えがある。
窓口基は暴走するテクノロジーや世界観の考察を楽しんだ。SFが好きだったもう一つの理由であり、一番ワクワクするところだ。この人はグロやゴアも書けるらしいのだが(なんにでも科学的な興味がありすぎて、人体を破壊可能な一つの素材として見てしまっているのかもしれない)、「苦手な人はこの先読まないで」と警告できるので、自分の狂気をコントロールできるタイプの人であり、そこが好印象。
ケーブルテレビで「その着せ替え人形は恋をする」をやっていたのだが、感傷マゾを発症しなかったのは、僕の精神が変化したからかもしれない。原作の漫画を買おうかとも思ったが、実はそこまでコスプレに興味がないと思い直した。そもそも年末年始に向けて漫画をセールで買い込んだが、トールキンを読み続けており、全然手を付けていない。
漫画は小説と同じで、長編を読むには訓練がいる。ご覧の通り短編集や一話完結ものばかり読んでいる。
来年は「指輪物語」の原書を読み終えたら、国連や政治学、第二次世界大戦の日本軍、それから依存症のあたりの知識の補足がしたい。あとは意識の科学だなあ。
洋書だとどうしてもペースダウンする。開き直って冊数を気にしないようになれそうだ。あとは、トールキンを読み終えたらドイツ語をやりたい(言うだけならタダ)。
実際にドイツ語をやるかどうかはともかく、読書記録を始めたのは大学に入ってから二十年、知的な本を読もうと志してからはもっと経過している。いたずらに、明確なゴールもなく、知識を得続けようとする行動パターンに変化が欲しい。美術館についても、あまり行かない場所や行ったことのないところに行きたい。(ただしドイツ語をやって何かの原書に挑戦したら一年がかりのプロジェクトになりそうで、そうなると知識の習得には多大な遅れが発生する)
カテゴリの[読書]をクリックすれば2020年まで読めます。m(__)m
ただし、全てが自分の物ではありません。
この辺を勝手にまとめて「ようなは何者かになりたいんだろ?でも人間って『何者か』にはなれなくて『未来の自分』にしかなれないってことは見失っちゃ駄目だよ」みたいなくだんねー説教垂れる奴ら本当カスだわ。
俺としては願いが満たされるなら自分であり続けることなんて微塵も固執してないから。
君の名みたいにある日突然誰かの人生に入れ替わったのだとしても俺は別に困らない。
絶賛隠居中の有名作家になって、本気出せば名作を出せるし本気出さなくても一生遊んで暮らせるって状態を満喫出来るなら、その能力を鍛えたのも代表作を書いたのもの実質的には赤の他人だろうが何の関係もねえよ。
「人間として生まれて来たのは前世の貴方が頑張ったからです」とかスピリチュアルな人間以外は信じてないだろ?
要は運だからさ。
子供の頃適度に恵まれて適度に飢えてて適度に苦労して適度に楽をしてきたかどうかが今の自分を形成する重要な要素で、自由意志なんてのは既に組まれたデッキの中から順番通りに引いてきたカードをどう切るかでしかないわけ。
生まれた瞬間天和上がってる奴もいれば、よっぽど気の狂った山のずらし方でもしない限りは絶対にベタオリ以上は望めない人生が組まれた状態から始まってそのまま終わることもあるわけよ。
俺はね、金のために働きたくもないし、承認欲求を満たすために努力したくないし、自分が居ないほうが良かったなんて思いたくもないし、親父や知り合いから「この程度の奴」みたいに思われたままで人生を終えたくもないんだよ。
他人にとっては大事な幸せでも俺にとってはどうでもいいことが沢山あるの。
モテたいとか、世界を救いたいとか、後進育成に力を入れたいとか、名声を残したいとか、死にたくないとか、そういうことは俺にとっては別に重要でもなんでもないのよ。
たとえ俺が異世界転生したら魔王の体になって世界中から憎まれながらも無限の命の手慰みに世界征服をした後毎日色んな種族の奴隷と子作りに励んだとしたら、それは誰かにとっての「理想の人生」なのかもだけど、俺にとってはそういうこんがらがった面倒くさい展開は望まないわけよ。
それだけでいい。
それだけの夢を「何者かになりたいんだろ?」なんて言われる筋合いはねーよ。
2026年、丙午(ひのえうま)。 60年に一度巡ってくる、強烈なエネルギーが渦巻く年だという。 年始のタイムラインを眺めれば、この「物語」を熱烈に信じる者と、それを利用してインプレッションを稼ごうとする者たちの熱気が、正月の空気を震わせている。
思い返せば、昨年の7月5日もそうだった。 ある予言が引き金となり、多くの人々が「その日、何かが起きる」という強固な物語の中にいた。物理的な備えをする者、精神的な覚醒を待つ者。特定の「日付」に意味を宿らせ、集団でその結界の中に身を置く――。実際何も起こらず、それを煽っていた者たちは、そのことについてこじつけるか知らん顔だ。
さらに、夏至、冬至、春分、秋分。あるいはライオンズゲート。 天体の運行に、科学の装いをしたスピリチュアルな解釈を接ぎ木して、人々の不安や希望の隙間に入り込み、インプレッションでいく。それは確かに、人間社会という閉じた円環の中では「有効」だ。その物語によって魂が救われる者もいれば、「貨幣」という名の、これまた強力な共同幻想が巨大な山を動かしたりもする。
正月、久しぶりに叔母と会った。 彼女の世界観は、YouTubeのレコメンドアルゴリズムによって、驚くほど美しく、かつ排他的に構築されていた。「地上波は洗脳だ」と静かに語る彼女自身もまた、スマートフォンのあるいはテレビ画面の裏側から紡ぎ出す「別の洗脳(物語)」の熱心な住人となっていた。 私たちは皆、アルゴリズムが用意した自分自身にとって心地よい「物語」の中で、そして昨今ではAIが寄り添い都合よく回答してくれることこそが真実だと信じて呼吸している。貨幣が価値を持つように、物語が信じられている間だけ、その世界は「現実」として振る舞うのだ。
しかし、ふと思う。 その「物語」は、目の前に飢えたヒグマが現れた瞬間、どれほどの効力を持つのだろうか。
あるいは、巨大な隕石が空を裂いて降り注ぐとき、その「スピリチュアルな解釈」は、物理的な衝撃を1ミリでも逸らしてくれるだろうか。
答えは、明白だ。 ヒグマの爪の前では、人間が編み上げた高尚な形而上学も、世界を統べる貨幣制度も、ただの無力なノイズに過ぎない。死と破壊という圧倒的な「物理的現実」の前では、人間同士の約束事など一瞬で霧散してしまう。物語はヒグマを説得できないし、隕石の軌道を変えることもない。
丙午のエネルギーに乗れ。考える前に動け。 巷ではそんな勇ましい言葉が踊っている。確かに、混沌とした時代を生き抜く処世術として、その波乗りは「正解」の一つだろう。野生の瞬発力が、時に論理を超えて身を助ける局面も、確かにある。
けれど、私の根底にある霊性が、静かに問いかけてくる。 人間社会における「有効性」と、宇宙という冷徹な自然における「実在性」。この二つの間にある、深くて暗いクレバス(裂け目)を、私たちはどう認識すべきなのか。
物語は、私たちを突き動かす強力な燃料にはなる。だが、それは決して、この世界全ての地図にはなり得ない。 ヒグマにも隕石にも1ミリも通用しない。しかし、人間を動かすには核兵器並みに効くこともある。それが「物語」という名の、人間史上最大のトリックだ。
私から湧き上がって止まらない霊性は、この物語の盲信を決して許してくれない。しかし、冷笑して背を向けないようそっと手を伸ばし引っ張ってくる。
映画館は、途中で見るのを辞めづらいという点で、「一人で勉強のためにスタバに行く」くらいのもんだと思う。
体験的な価値があるというよりは、「ここにいるためのコストを払ってるんだから、仕方ない」と自分を追い込むための行為。
または、「みんなでコストを払ってるんだから、ちゃんと共有して何らかのネタにするぞ」という集団的追い込み。
「スタバ行かなくても自室で勉強できるやつはできる」みたいなレベル。
「行ったからには逃げずに聞くぞ、行った証拠にグッズを買うぞ」「これによってファンであるという称号が得られるぞ」という体験的な追い込み行為であって、音はサブスクで聞いていた方がずっと良い。
例外的に、たとえばシンガーソングライターの弾き語りみたいな、非常に細やかな音やパフォーマンスが、その場にある種のアウラ、スピリチュアルな催眠現象によって、何か深い感動を引き起こすようなことがあるとは思う。
しかしそれは非常に稀なことで、「そこにいた」という記憶を買っているというのが大体だろう。
ミュージシャンの物語の一部になるために金を払おうという、ある種の信心が必要になる。
クラブで踊ることは、それらとは違って「音楽と一体化して踊る」という自分が能動的に主役になり得るので、スポーツみたいな体験。(最近はもう行ってないけど)
「自分はこう楽しむんだな」「あの人はこう楽しむんだな」という発見もあるし、家で同じような体験を生み出すことは不可能なので、ある種の価値を感じる。
当初の彼は勤務は非常に真面目で、障害者にも親身に寄り添っていたが、
障害者なんて死ねばいいのに、みたいな姿勢だったのは、寧ろ多分現場のスタッフであって、
そこでなんかひと悶着あって、仕事を辞めて生活保護になった、と思ってる…😟
だから、どことなくあの事件は、そういった現場スタッフへの復讐みたいなものであって、
おまえらが普段障害者を虐待しつつも〇さないでいるんなら、俺がやってやるよ、
みたいな、明確な意思を感じるし、自分が生活保護という社会に必要のない、生産性のない立場になったコンプレックスの裏返しも感じるし、
そもそも、彼は父親との間の確執があり、それも後押ししたのだろうと思う…😟
しかし、自分にまったく共感できないのは、自己都合とかコンプレックスを隠す建前とはいえ、正義を行使する、というような態度である…😟
山上は、彼は正義を行使しよう、みたいな意志を感じない、彼はまったくの私怨であった…😟
ウソにしろ義憤に駆られたからオウムの村井を刺した、みたいなものとは違う
自警行為、近代の法治社会では明確に違法であり、バットマンやチャールズブロンソンの世界である
しかも、バットマンやチャールズブロンソンは、自らよりも強い巨悪に向かうのに対し、植松は明らかに弱者に対してであった
弱い者いじめが良くないのは、弱者に対しての制裁はいつだってできるのである
いつでもできる、やろうと思えばできる、ということが明確なことを敢えて今やろうとする、というのは単なるオーバーキルである
つまり、単なるストレス解消、ナルシズム、別の要素が入っているはずである
例えば、社会に強い巨悪がいて、それを打ち倒すとなると、多くが結束しなければいけない、タイミングの問題もある
そもそも、社会的弱者は明確に普段から毎日ペナルティを受けているわけで…
仮に社会的巨悪だとしても、自分はバットマンに扮して、執事と一緒に秘密兵器開発に大金を投じて戦おうとは思わない
私はビルゲイツを尊敬しており、彼は遺産をできるだけ残さず、世界の問題を解決するために、世界中の優秀な人材を集め、
一方、スティーブジョブズは最後まで自分、自分、だけの人であった
最後まで、自分が作りたいものを金で他人に作らせることに奔走し、自社のことより自分の身体にメスを入れないこと、
スピリチュアルな考え方とかを優先した、彼はこれからも生きて会社に残る人たちのことを考えていない…😟
私は、正義の味方になるぐらいなら、そんな社会はほっぽっといて、自分勝手に好きなことをやるタイプなので、
だって、長いようで短い人生、正義の味方をやってる時間だってもったいない、
そんなくだらない社会のことなんて無視して、好きなことに没頭して、好きなことをできるだけやって死にたい…😟
仮に、障害者を抹殺するのが社会的正義だったとしても、自分は正義の味方になろうとはまったく思わない
憎まれっ子は世に憚るだろうし、
俺は、俺がやりたいことをやって、満足したらさっさと消えるだけである
生きてるうちに人生を楽しめ
生きているのを楽しめるのは、生きているうちだけだ
AIが当たり前になって
ある日、上司が突然
理由はよくあるやつで
AIには心がない
みたいなことを真顔で言ってた
正直、みんな内心では
AI使わない縛りなんて
生産性落ちるだけだし
だから
みんな表向きは従った
でも実際は
AIを使わないふりをして
普通に使い続けた
自分で手直ししたり
構成だけ作らせて中身を埋めたり
要点整理だけやらせたり
要するに
不思議なことに
上司はそれで満足してた
人間の考えが伝わってくる
そう言って
どこか誇らしげだった
誰も
とは言わなかった
言う必要もなかった
結局
上司が満足してたのは
AIが怖いんじゃなくて
そういう人ほど
AIを見抜けるとか
心がないとか
妙にスピリチュアルなことを言い出す
そして
今日もみんな
AIを使わないふりをしながら
多分
🌟 見どころ
主人公・雷音竜の戦いは、ただ強いだけではなく衝撃的な描写や過激な格闘シーンが続き、当時の少年漫画の枠を越えたインパクトを持っています。
🧠 2. 狂気じみた設定と展開
格闘漫画として始まった物語が次第に宗教的・超常的なスケールへ拡大していきます。イエス・キリストや歴史上の偉人たちが戦士として登場するなど、常識を逸脱した展開が魅力です。
単純な力比べではなく、復讐、救済、信仰と暴力の意味といった深いテーマも内包しており、単なるアクション漫画に留まらない読後感があります。
従来の格闘漫画とは一線を画すコマ割りや構図、アート性の強い作画で、視覚的にも強烈な印象を残します。読者によっては「アート漫画」と呼びたくなるような独特さも本作の魅力です。
📌 まとめ
『地上最強の男 竜』は、ただ強い主人公が敵を倒すだけの話ではなく、
圧倒的パワーと激しいバトル描写
一味違う画風と演出
『地上最強の男 竜(ちじょうさいきょうのおとこ りゅう)』は、風忍(かぜ しのぶ)が1970年代に『週刊少年マガジン』で連載したカルト的格闘活劇漫画で、作者の初の長編作品にして代表作ともいえる異色作です。バイオレンス、スピリチュアル、そしてアート性が混ざり合った独特の世界観で、今なお語り草になっています。
主人公は 雷音竜(らいおん りゅう)――どんな相手でも0.2秒で倒すと言われる地上最強の空手家。そのあまりの強さゆえ、空手の試合で相手を死なせてしまい、師匠の道教により力を封じられ、仮面を付けられて人前から姿を消す。
竜は妹・悦子とひっそり暮らしていたが、かつて竜が倒した相手の婚約者・二階堂邦子が復讐に燃え、師・道教と共に竜を追う。戦いの中で妹が殺され、復讐に燃えた竜は邦子を打ち倒す。だが道教は巨大な念力装置の塔を使い、神=イエス・キリストを復活させる。さらにキリストは宮本武蔵やブルース・リーまでも呼び出し、竜に立ちはだかる――という、ぶっ飛んだ展開へと進みます。
以下詳細
知り合いの知り合いが知り合いとYouTubeで活動するから応援してくれと知り合いに言われた。
その流れで知り合いの知り合いの知り合いのSNSをヲチるようになった。
そのYouTubeの活動っていうのも歌ってみたや描いてみたやMADが多くて
ヲチってしばらくのあいだは創作系の話をメインにつぶやいていた。
流れが変わって来たな、と思ったのは、
神社といっても観光地になっているような有名なところだから、別に神社に行ったこと自体は何も思わなかったけど
話の内容がちょっとスピりかけていた。
それまでの創作系とは打って変わって
龍神様が現れて~とか、神様のご加護が~とか、そんなワードと変なキラキラ写真満載だった。
スピってるのちょっとどころじゃないな。
スピってるだけならまだよかった。
その後、家の周りに男の人がいて見張られてる気がする、
いつも同じ車が近所に止まっていて怖い
なんて言い出すようになった。
その人を知るきっかけとなったYouTube活動も辞めてしまった。
戻ってきた時にはもう霊能系占い師を名乗っていた。
それまでのSNSの投稿から、どっかで占いを習ったとかやってたとか、
霊能的な能力があることも伺えなかった。
占いだけならまだいい。
そういう本とか、なんならネット講座みたいなのもたくさんある。
それで占いを生業にしてるってなら、「あー占い師になったんだ」、くらい
でも霊能系って
あるのか?ほんとうに。
統失じゃなくて?
霊能系が存在するのかっていうのは悪魔の証明みたいなものだけど
そもそもこの人に限らず霊能系ってちみんなょっと統失だと思ってたところもある
なんかそんな感じの、占いというかスピリチュアル仕事もやっているらしい
そして一番気になるのは
こんな出どころもわからない占い師(?)を利用する人がいること
↑これでお金払って試してみようって思うのか?
占いってのはたぶん心が弱っていたり、なにかに迷っていたり、背中を押してほしい人がすがるものなんだとおもう
だとしたら余計に
でも本人は至って真面目だろうし、騙す気がないのなら、なんの違反でもないんだろうなあ
スピスピしてたほうがよいのかもね
最後に
木を隠すなら森の中へ!って言葉あるじゃない、
正にそうなの!
私が最近行きに行って再開して飛び込み前転を決めて入店して行く南インドカレーの料理屋さん。
もちろんランチのチキンビリヤニを決めに行くために足繁く足繁ってるんだけど、
そのぐらいお気に入りで
そんな勢いなの!
とにかく凄い自信なの!
そんでね、
私の事務所は私独りなんだけど、
そりゃもう私のホッツスパイシーなランチのチキンビリヤニのふんだんに纏ったスパイシーな香りも私も纏って帰ってくるもんだから、
私が南インドカレーの料理屋さんにいったことがバレちゃうのよ!
頭隠して尻隠さずっていうけれど、
でも、
これ幸いか、
最近この私の事務所のあるビルの隣か近くに違うインド料理屋さん、
正確にいうと原色の看板の出店テンプレートコンサルティングに習って出しているいわゆるインドネパール料理屋さんがオープンして、
たまーに、
おそらくきっと
もの凄い仕込みをしているときのタマネギとかめちゃ炒めている、
それにともなってビルの壁を貫通してこっちまでいい匂いが伝わってくるスパイシーな香りに、
そんで、
だれもカレー屋さんに行った帰りではないのに、
私が纏って帰ってきたそのランチのチキンビリヤニのホッツスパイシーな香りは
隣の近隣のインドネパール料理屋さんのめちゃ仕込みしている香りにかき消されてしまうの。
つまり、
もう分かるわよね!?
そう言うことなの、
それを抑えつつ近隣に溢れ出て包まれているスパイシーな香りにランチのチキンビリヤニの香りが隠されてしまうの。
私がお昼ランチのその美味しいチキンビリヤニを張り切って食べに行って帰ってきても、
スパイスの風は吹かずに無風ってわけ。
おかげで、
私のビリヤニ活動が足繁く繁るようにできた再開したって経緯の経緯を説明するとそうなの!
実質、
ほぼ毎日、
私はビリヤニのランチビリヤニを食べに逝くチャンス到来しまくっているんだけど、
日々毎日私のいる事務所の中はビリヤニチャンスに溢れているわ。
スパイシーでホッツなめちゃタマネギを炒める仕込みをしているいい香りにちょっと困っていたようだけど、
そのインドネパール料理屋さんのお店の暖簾を腕押しで押して入店して、
大将今日いいのはいってるかい?ってちょっとこっちもお客として小粋なことをいいたいじゃない。
そのぐらいもう誰もその
スパイシーでホッツでタマネギをめちゃ炒めている匂いになれてきたみたいよ。
私に取ってはそれが好都合で、
ランチにチキンビリヤニを張り切って食べに行くことが堂々とできるの。
素敵じゃない?
ふわっふわのスパイスの香りをふんだんに纏ったバスマティライスを含み、
そして、
そしてそして、
今だな前を知らない謎のレモンの皮のお漬物みたいなスパイシーで囓ると苦くて美味しいやつ!
こんな充実したランチ、
ここのビリヤニはやっぱりいいなぁって思いつつ。
私はこのビリヤニを験担ぎにNIKKEのガチャ運とかが日常の運勢が良くなるラッキーアイテムとしてランチのチキンビリヤニを崇拝してたんだけど、
そのことをすっかりもう美味しいビリヤニを食べたって満足感だけで充分!って勢いで忘れていたの。
朝の情報番組で、
可愛い動物たちのアニメのキャラクターがどの木にいる動物が登り切るのが速いか、
コアラが1位で今日のラッキーアイテムはビリヤニ!って行っていたかはもう見逃しちゃったけれど、
前回食べたランチのチキンビリヤニから今日までの運勢は普通だったわ。
NIKKEのガチャ運はせっせと貯めたソーシャルポイント1000ポインツで回す100連ガチャではSSRのニケが通常なら2機当たる計算なんだけど1機しかこなくって、
あと地味に当たりそうで当たらない一般募集チケットを回したら、
な!なんと!
NIKKEのガチャって当たって嬉しいけれど、
狭い期間に偏って同じニケが連続して当たりがちなあの現象なに?
この確率の揺らぎの波は誰にも解明できないスピリチュアルなことだわ。
でも、
やっぱりラッキーランチチキンビリヤニは幸運のお守りとしてめちゃ験を担げちゃってるじゃない?って。
私にとってのこのランチのチキンビリヤニ神社が幸運のパワースポットなのよ!
今日もまた験担ぎにラッキーランチのチキンビリヤニを食べに行くわ!
初詣もここに来ようかしら?
ちょうど良くない?
うふふ。
シャキッとしたレタス感がレタス味決まってて美味しくてまるで私と同じ朝のフレッシュさだわ。
みずみずしいレタスの元気もいいわよね!
ピンクグレープフルーツを1玉マーケットで買ってきたので、
ホッツピンクグレープフルーツウォーラー。
温かく仕上がったホッツを飲んで温活!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
例えば、凄い人が何かやってて、それを見て、スゲーで終わっちゃうことってあると思うんだけど、
とりあえず、家に戻ったり、時間作って、無謀にもそれをやってみる、
まあ、そこでいきなりできる、ってことはないと思うんだけど、
次にGoogleで検索したり、今なら生成AIがあるんで、それに質問を投げてみる
Google検索の場合は、まず出てきた文章を読んで、それを論理的に理解して、そこからあらたに分からない単語とか調べる、
生成AIはもっと便利で、疑問に思ったら、それを率直に投げてみればいい
ただ、AIはウソを言うことが多々あるんで、そこで論理的に考える必要がある
なんか間違ってない?って返すと、ごめんなさい、それは東京の~薬局じゃなくて、札幌の~薬局の話でした、
みたいなのを平気で返してくるし、それレベルのことを、もっと巧妙に返してくることがあるので、油断ならないんだけど、
でも、ここでも論理的に思考しなければ、AIのウソを見落としてしまう…😟
話を戻すと、上記のような過程を通して、その天才が達成したことへの道筋が見えてくる
どうやら、A→B→Cみたいな工程があって、そのA、B、Cを各個撃破するなり、AができなければBができないなり、
Aを達成するためには、A1→A2→A3がある、みたいなものが見えてくる
そうすると、意外と天才の近くまではたどり着ける、毎日練習して筋トレみたなことやってれば、
超天才の演奏のここらへんまでは近づけるんじゃないか?というのは見えてくる
まあ、10年後ぐらいになっちゃうかもしれないけど、これは毎日の練習が大事、というのと、
こればっかりは、この人の本当に天賦の才能だわ、ねんでこんなの思いつくんや?
ネットで、コメントとかでスゲースゲーとだけ書いてる人がいるけど、
その努力で誰でもできることと、その天才にしかできないこと、が混ざってるので、
努力でできることに関しては、スゲーと思ってるだけのあなたにもできます、断言できる、あなたにもできる
私にもできたんだから…😟
まあ、人間得手不得手はあるんで、私より不器用な人もいるかもしれないけど、
理詰めで考えれば、努力で天才のここまで近づける、というのは分かるようになる
負け惜しみを言うなら、そこから先は自分で考えるべきであって、それが個性何だと思う
天才の領域に入れない、こんな音選ぶなんて…、みたいに思うわけだけど、
そっから先は、今度は自分で自分の好きな音を好きに選べばいいわけで、
その天才と同じ音を選んでもいいし、別の音を選んでもいい、
同じような状況になって、天才と同じ判断ができる必要はもうなくて、
そっから先は本当の意味での感性ですよ、素直に自分がこれ!というのを選ぶべき…😟
なんでこんな文章を書こうと思ったかって、某プロのギタリスト、超有名な方ですけど、
YouTubeとかで独学するのは良くない、みたいに書いていて、まあ分からんでもないんだけど、
あくまで、論理的思考ができる人は、独学でかなり行けるはずです、スクールにお金を落とさなくていいし、
病院もそうだけど、医師とか講師と、~時に雑居ビルで、病院で、お会いします、という約束をするわけで、
これを無断キャンセルするなんて、仕事でも待ち合わせ場所に時間に来ない人と同じなわけですよ、
でも、めんどくさくなったり、今日は忙しい、仕事終わった後にクリニック行きたくない、とかなる方が普通なわけで、
もちろん、その日に処方された薬を飲まないと駄目、みたいな人は、ちゃんと病院に行った方がいい、
それで倒れた、来なかったから悪いんだろ、みたいな人を病院で多々患者の自分も見てるんで、
そういう人は病院に来いなんだけど、
話を戻すと、専門学校とかスクール通わなくても、今の時代はコンテンツが溢れすぎてるし、
生成AIもあるから尚更で、商売の邪魔するようだけど、かなりのとこまで行けます
ぶっちゃけ、プロにはなれない、プロになる必要なんてまあないわけだけど、セミプロレベルには到達できる
できる人が一発でアドバイスすることで、急に改善する、自分もスポーツで多々あります、
これは習うべきだし、お金の力ってスゲーと思っちゃうんだけど…😟
でも、今作業しててちょっと思ったんだけど、プロとか講師とかで、明らかに間違っていることを言う人もいなくはない、
あと、偉い人はこう言ってるけど、自分はなんか違うんだよなあ、みたいなのはある
それこそ、その人が例えばメタルはクソ、ロックなんてクソ、黒人ブルースまでは許す、みたいな人だったりすると、
もう偏見なわけですよ、こういう楽器は許さない、黒人と同じフレーズでも、こういう音は許さない、みたいな…😟
ネットでコンテンツ漁ってる分には、この人の言うことは信用できる、この人の言うことはどうかな、
もちろん、近年の陰謀論とかも同じだと思うけど、そこで論理的に考えて、
考えようによっては、陰謀論と思われることの方が正しい、ということもなくはない、
なくはないけど、世界中の天才も含めて考えた結論に対して、俺の方が正しいと思う、はなかなかないと思う
権威主義とかじゃなくて、ちきなんとかじゃないけど、自分の頭で考えた上で、
アインシュタインは間違っている、はまあ正しいにしても、そこから先の今の量子力学にケチをつけるというか、