注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
西日本のド田舎に生まれる。 信号機すらない田舎だ。 電車など当然なく、バスも日に数本だった。 小学校... 西日本のド田舎に生まれる。 信号機すらない田舎だ。 電車など当然なく、バスも日に数本だった。 小学校のクラスは10人程度。 複式学級にはギリギリならなかった。 勉強は楽しかった。 わかるのが楽しかったし、わかる奴には次々と新しい課題を出してくれるのも楽しかった。 算数の授業にはなぜか二人の先生がついており、わかる子は難しい問題を投げ、わからない子には先生がつきっきりで教えていた。 俺の他にも勉強がやたらできる奴がいて、そいつと競争したり、一緒に問題を解いたりもしていた。 事実上、少人数教育と習熟度別の学習が実現できていたわけで、教育環境はド田舎にしてはかなり良い方だったと思われる。 勉強も運動もできたが、人間関係は苦手だった。 俺はいわゆる積極奇異型のASDだった。 距離感や話し掛けるタイミングがおかしい。 今思えばそのおかしさを笑われていたこともあったように思うが、当時の俺は自分が笑われ
2025/01/14 リンク