はてなキーワード: ツッコミとは
をやろうと思ったのですが、私の知識不足で企画倒れが決定しました。
多分、俺以外の誰かがやると思うので期待して待ってます。
直感的にそれがあることは分かっていても知識と検証能力の不足によって尻尾を掴めないのがとても歯がゆいですね。
ある種の前世症候群の如く「そうか!俺は実は発達障害だったんだ!」と「目覚めて」しまっている人達の急増はもはや社会問題と言っていいわけですからね。
この状況に対して何らかの調整弁を働かせなければ本物の発達障害の人達が「発達障害を自称するただのワガママな人」と同列に扱われて苦労するのは目に見えています。
誰かが正義の一石を投じてこのブームの暴走を食い止めて欲しい限りです。
正直、漫画ランキングに対してのツッコミなんかでそんなことをやっても仕方がないのは事実ですけどね。
本当に動き出すべきは「本物の発達障害を診ている精神科医師」達だと思います。
実際どうなんでしょうね?
偽物が次々にドアを叩いてくれるぐらいの方が自分たちの客が増えるからラッキーとか思ってたりするんですかね?
それとも、偽物であるか本物であるかを調べる機会を得るためには玉石混交の状態でいいので篩に一度かけさせて欲しいという感じなんでしょうか?
昔は学校教育の中で「コイツ脳の構造が生まれつきヤバイだろ!病院いけ!」みたいな話をオブラートに包んで親御さんに相談したり、保険医が勝手に病院に連れて行ったりも出来ましたが、今はそういうのは難しいでしょうね。
そうなると自然と発見が遅れるリスクがあるわけですから、「気になった時点で一度発達障害かどうか確かめる機会を増やしたほうがいい」という意味では、この「俺俺発達障害」のブームは結果としてプラスなんですかね?
まあ、単なるワガママによる人格破綻であっても、ある種の思考の癖によって本人や周りが生きづらくなっているなら、そこに精神医学や心理学の技術を介入させて軌道修正を行ったほうがいいわけですから、自称だろうが発達障害を理由に医学的なサポートを必要とする姿勢は正しいんですかね?
確かに、自分が発達障害である可能性を視野に入れたうえで検査を受け、そこで出てきた医者のアドバイスを素直に聞くというのは実際正しい気はしますね。
でもそこで「デパスで元気になるから」と薬に頼る道を安易に選んでしまうパターンもゼロじゃないのが恐ろしい。
マイナンバー保険証の件で再燃しましたが、世の中にはちょっと精神病っぽければいくらでも向精神薬を投げつけてしまうような医者も少なくはないと聞きますからね。
単なる「自称発達障害の普通の人」がそういった医者にひっかかって「薬物の力を借りなければ脳内物質のコントロールが出来ない体になってしまった人」になるリスクも無いとは言えません。
うーん。
私が思うに、単にこれは次なる「社会の闇に切り込み現代社会の生きづらさを描くセンシティブな漫画」の人気ジャンルとして立脚するだけなんじゃないかという懸念さえありますね。
実際、一時期の青春文学などにおいては医者から処方された薬物を濫用するという場面が現代人の闇(ニチャァ)の描写として流行ったことはありましたからねえ。
完全自殺マニュアル後の自殺コンテンツブームの如く、自称精神病薬物乱用コンテンツブームが雨後の筍の如く乱立し、それがこのマンガがすごい!として持ち上げられるという流れもあるかもですね。
まあ、それで一度キッチリ社会問題として顕在化することまで含めてのPDCAサイクルとも言えるんですかね。
音楽の名盤というと2000年より前のアルバムを挙げがちだけど、頑張って2000年以降のアルバムを挙げてみるよ!
チャットモンチーのアルバムで一番ポップだと思う。シャングリラも入ってるよ
1stと迷ったがやっぱり2ndにした。全部良い曲!
2ndと迷ったけど1stで。天体観測入ってるし、ベタかもしれんが好き!
Perfumeから選ぶとしたらやっぱりこのアルバムでは?もしくはLEVEL3?
sakanactionと迷った!でも新宝島が好きなのでこっち!
あとは箇条書きであげるよ!
・back number「シャンデリア」
・Vaundy「strobo」
などなど。
自分の好みはポップなのが好きなのでこんな感じです。
そういうYouTuberも苦手だしそれを見てる人も苦手
ここでいうYouTuberは、YouTubeやってる人ではなく
顔出しで、数人でやってるタイプのアレ
狭義のYouTuberね
(厳密にいうとテーマ性の強い人も除く)
1.インタビュイー
4.視聴者
YouTuberって
2.インタビュイー
3.視聴者
なんだよね
このとき、YouTuberってあくまで視聴者の方見てて、インタビュイーをいじる構図なんだよね
これ最高にいじめの構図で
アメリカのインタビューもこういう感じだよね、昔のテレビもこうだったかもしれない
今のテレビは色々批判くらったためかスタジオの芸能人がめちゃくちゃバランスとる立場になってる
YouTuberが悪いというより、そういうの望んでる視聴者が結構な数いて、ヌルいテレビから移動してきてるんだろうけど
個人的にすごい嫌悪感というか、猿を見てるような、あとは性格悪い女グループとか、群れる男子グループを見てる気持ちになる
「弱男と比べたらそりゃチャラ男選ぶに決まってんだろ」
みたいな明後日の方向から飛んでくる謎ツッコミで一段落ついてしまってこの疑問について論議に発展する間もなく潰されることがネットではあまりに多すぎる(潰す動機が不明なので不気味)。
肝心なのは、
チャラ男的な男を毛嫌いしてる、
属性が違いすぎて接していると強いストレスを受け続けてしまう、
こうしたタイプの女までもを手篭めに出来るチャラ男は凄いと思う。
ここからは持論になるのだが、この強さの理由は「チャラ男が相手の好みすら変えるほど魅力が強い」とかそういう話ではないと俺は考える。
性交渉や交際を迫られたときに「どうしよう困ったな。あーあやだな怖いよお」と感じている女性に「私はこのチャラ男を選ばない、跳ね除ける」という選択肢を取らせないようにする面倒くささや圧がチャラ男にはあるのだと。
これが真相だと思う。
不本意性交渉や不本意交際どころか一緒にいて辛いだけの男と不本意結婚すらしてしまう女性のなんと多いことか。
つまり押されて返せない女性というのは一定割合存在していて、チャラ男という人種は「毅然と跳ね除ける」という選択肢を取らせない効果を及ぼすことが出来る女性のタイプのバリエーションに富んでいるのだと思う。
ちょっと前にタイトルに書いた「親が再婚同士で子供が恋愛関係になる漫画ってなんだけっけ?」みたいなネット書き込みに「それマーマレードボーイ!」とツッコミが入る流れを見た。
80年から90年代の漫画だったと思う。少年漫画ではなく少し青年向け。マジな恋愛ものというよりはラブコメ。
主人公は確か中高生くらいのヤンキー。父親が元ヤンキー?で現在は弁護士。
再婚相手になる義母は美人で肝が太い女性。そしてやはり美人でシャキッとした娘がいる。
親同士の再婚で一家の同居がはじまり、すぐに子供達が恋愛関係になりそうになる。
しかし父親が主人公に「俺たちは再婚したのだから子供達のお前らはきょうだいになった。セックスしたら違法。捕まるぞ」と脅す。
夜。ベッドで義母が「本当に捕まるの?」と笑いながら夫に聞くと「再婚同士であれば、その子供達は結婚できる。法的には結ばれようが問題ない」ニヤりと返す。
これが1巻だった気がする。
作者は湘南爆走族の吉田聡だったと思ったけど調べたらそんな作品は出てこなかった。出版元は少年画報社とか、そういう三大メジャーじゃないとこだったと思う。
1週間くらい調べたけど結局わからなかった。
PS4/5で人気のHorizonシリーズをパクったゲーム「LIGHT OF MOTIRAM」が発表されてて動画見たんだけど
冒頭でいきなり赤い草がところどころに群生してて笑ってしまった
Horizonの主人公のアーロイは赤毛なので、赤い草むらでしゃがむと敵から身を隠せるっていう設定なのよ
だからステルスゲームとして遊ばせるために赤い草が点々と自生してるっていう世界になってる
(だったらヴァールとかの他のキャラはなんで隠れられてるんだっていうツッコミはある)
「草原のあちこちにアクセントとして赤い草を生やせばいいんだな!」
ポエムにはならないはずなんだよね
小説でポエム書いちゃうと、ラヴクラフトの詩もそうだけど、映像化は不可能というか、寧ろ詩から想像をかなり膨らませて映像にすることになっちゃう
例えば、ラノベ、涼宮ハルヒだとかでもいいけど、小説、文字表現からアニメになる、映像になると、基本的にはストーリーが詰まってる
文字で言い表せるんだよね、物語がちゃんとしてる、当たり前だけど元が小説だから
でも、AKIRAというか、特に初期の大友とかは漫画だから、絵だから表現できたわけで、絵で描かれたポエムなんだよね
物語として考えるとフワフワしてる、でも、エヴァもそうだよね、雰囲気だけでも、漫画以上の映像、アニメではそれが可能になる
絵で表現されたポエム、理屈はどうでもよくて、視覚効果として気持ちが良ければいい、究極的にはモーションタイポグラフィーとかにもなる
とにかく、観ていて気持ちがいい、その場その場で取り繕ったようなシーンだろうが、セリフ回しが気持ち良ければいい
押井作品とかもそう、宮崎駿が押井氏をそんな風に評価してたこともあったよね、難解な台詞とか表現してるけど、実際は中身がない
でも、それが作品の雰囲気というか、重い空気を作り出したりしてる、繰り返しになるけどエヴァもそう
涼宮ハルヒのアニメを小説に逆変換することは当然可能で、逆変換すれば元の小説になる、それなりの厚さの文字列になる
でも、AKIRAを小説にしても、なんか薄っぺらくなっちゃう気がする
こんな爆発をする、こんなビルがある、そういう映像の凄さを文字表現にしたら、凄い薄っぺらくなっちゃうと思う、AKIRAみたいな映像重視の作品は
別にそのどちらかが正解というわけではなくて、作品の構築方法、攻め方が違うだけであって、どっちも凄いし、どっちも存在していい
まあ、でも、AKIRAもエヴァも、あー、雰囲気ポエムきたー、みたいにツッコミながら視聴しちゃうんだけどね、それも楽しいんだよね
まあ、スタッフロールが全員、末端動画まで日本人だし、まだバブル崩壊後でも余裕がある日本だった時期の映画でもあるし、
今だったら、中国人、韓国人スタッフの名前が並ぶけど、まあ、それなりのクォリティーになってきたというか、
中国は国内の政治とかがああでなければ、もっと自由な表現で日本を超えるぐらい面白いものを作れる可能性も出てきたけどね
やっぱ、AKIRAは全日本のアニメの勢力をスタジオとかを結集した感じがあるよね
それだけ結集できたのは、みんなが大友氏の漫画に、絵に、表現に魅了されたわけで、やっぱりそれって凄いよな、って思う
鳥山明でさえ影響受けてるよね、AKIRAのアニメ見るたびに思っちゃうけど
荒川弘もそうだし、魍魎戦記マダラもそうだし、バスタードは当然そうだし、なんかもうみんな大友を記号として受け入れてるよね
なにかってと球体とか好きだよね、AKIRA見てると
老人とか子供を描くのが好き、女性はつり目でツンツンしてる娘が好き、球体とか単純幾何学形状を大枠に、それをまた緻密に描くのが好き
わろた。もはやツッコミじゃん
想像してみよう
ちょっと推そうと思って「このXXってSFすげえ!神!」と書き込んだとする
そこに「いやXXは間違ってるから」」や「そのXXのアイデアは〇〇って作品の丸パクだから」と横やりが入る
また、なにより、気軽に「XXって神!」と気軽に騒ぐ層が「こういうツッコミをもらいやすいジャンルはビュー数稼ぎづらい」と学習する
読んで欲しいという欲望が抑えきれない作家は、少なくともランキング形式投稿サイトでは”SF”を書くのをやめる
SNS以前、10年前までなら、ネット経由の口コミはありえたと思う
もう編集者や出版社、批評家などのオールドメディア経由でないと露出が難しいのではないか
欧米の連綿たるメインカルチャーの伝統、教会や王権といった権威によって裏付けされたアカデミズムを前提として成立した科学主義を踏まえたインナーサークルに加入するという体裁が曲がりなりにもあって、それ踏まえた上での想像の自由を認めることで成立するジャンルなので
そのあたりを吹っ飛ばすスペースオペラが容認されるのも「こういうのを認めるのが伝統を維持する上で大事」という、カトリックの反宗教改革におけるバロック的演出の活用みたいな算段があるからで、バックに権威が控えてるのは同じ