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はてなキーワード: 神秘とは

2025-12-07

anond:20251207053619

タルムードは神と親の共同作業と明確に教えています

まりタルムードでは、身体の素材は親が与え、生命・魂・意識は神が与えるという明確な二元構造です。

タルムードは当然DNAという言葉を使いませんが、

親は自分遺伝を伝える、しか生命力そのものは神が注ぐという構造を示します。

したがって、「親がDNAを一から設計した訳ではない」という主張はタルムード的にも特に矛盾しません。

ただし、親の役割を小さくするような言い方はタルムード精神とは一致しません。

タルムードでは、

「親を敬うことは、神を敬うことと並ぶ」(キドゥシン30b–31a)

親は神と共に人間創造した共同パートナーであり、そのためカバド・アヴ・ヴェエーム(父母尊敬) が十戒に入るのです(出エジプト記20:12)。

タルムード的には次のように整理されます

1. 身体は親が、魂(意識)は神が与える →「共同創造

2. 親が生命神秘を完全に理解していなくても、身体供給である

3. 親の役割は神と並ぶほど非常に重要

4. よって「体を与えたのは親ではなく神」はタルムード的には 正確ではない。正しくは、親と神の両方が与えた。

2025-11-29

自分能力の「市場価値」を安く見せて他人に尻を拭かせる者は、恥を知れ

・隷従は、第二の本性となった「習慣」から起きる

圧政者の共犯者となって悪事をはたらき民衆を隷属させる実行部隊隊長は高々4, 5人

臣下を飼い慣らすやり口〉

ペルシャ王は遊戯によって民を腑抜けにした

ローマ圧政者たちは饗宴によって民衆を買収した上で「護民官」を名乗った

エジプト初期の王は小道具を使って自分権威神秘性を与えた

エペイロスの王は奇跡や驚異を「捏造」した

まり、「圧政者どもは、自分地位を確たるものにすべく、民衆服従ついで隷従の状態に慣れさせ、ついには自分を『崇拝』するに至らせるべく、弛まぬ努力を重ねてきた」

さらに、

万年野党として反発するその実、民衆ブレーキ役として圧政者と阿吽の呼吸で手を握り、旨みを噛み締める輩がいる(「証拠」を出せ!)

とはいえ

戦車体当たりしても轢かれるのがオチなので、自分の「何」が圧政者の利益になっているかを見極め、それを手札に使う。ただで「それ」を与えないということ。

Étienne de La Boétie自発的隷従論」より

2025-11-05

最近ゲームがクソのように時間が掛かるのでゲームから離れた

追記:以前に書いたエントリが知らぬ間にずいぶんバズっているので、コメントを参考に今の考えを書いてみた)

具体的なゲーム名がない。エアプじゃね→そういえば具体的なゲーム書いてなかったな。PCゲームだと初代シムシティ。結局ゴールである市民50万人には到達しなかったっけ。

ミスタードリラーなんかは2000年前後だったがずいぶん楽しんだ。パズルゲームは好きだね。特にランダム要素のあるゲーム

覚えゲーとは違う、その場の対応能力、反射神経が求められるゲームが大好き。

あとはアーマードコアシリーズ。あれこれ組み合わせを考えるのは楽しかった。

あとICOワンダと巨像とか。両者とも世界観が好きだ。

お前が爺になっただけだろ→爺はともかく社会人になってからゲームに没頭する暇と気力が減ったのは事実だ。あとストーリーものだと土日にクリアできないと話を忘れてしまう。

あと、RPGはあまり好きではない。完全に食わず嫌い偏見だが、戦闘システムが昔と変わり映えしない(特にJRPG)。ストーリーが大したことない。シナリオ分岐とかあるようだが所詮お使いゲームだと思ってしまう。なんかおススメない?

他にやりたいこと、やるべきことが増えたのもあるかもしれない。プログラミングとか奥が深くて楽しいし、資格試験ゲーム攻略のつもりで取り組んだり。ゲーム時間を費やすのがもったいなく感じたりするようになった。人生ゲームのように生きるとか。

ゲームはたくさんある趣味one of themでいいやと考えを変えればいいのかも知れない。そう考えると、それはそれで一つの生き方かも。

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ゲームは昔から好きだった。インベーダーブーム体験し、近所の駄菓子屋の筐体で遊び呆けたりした。

そのうち、コンピュータ(パソコン)でどうやらゲームができるらしいと知った。ちょうどマイコンBASICマガジンが創刊されたころだ。

アーケードゲームは少しづつ内容がレベルアップし始めた。ゼビウスが発売され、その神秘的な内容に痺れた。

そして、ゲームは百花繚乱の時代を迎えた。毎月のように新しいゲームが発売されて、俺は嬉々として紹介記事攻略法を読み漁った。

この頃はまだその新しいゲームたちの名前ほとんどそらんじることができた。ゲームの内容が高度になっても、まだ俺の手の内にあった。

様子がおかしくなったのはPS1の頃からだろうか?

ゲームの出来を測るのに「攻略時間」が入り始めた。長くプレイできるほど良いというやつだ。それを競うようにゲーム必要時間が長くなり始めた。

ゲームだけに時間を割くのが難しくなった。その上、発売されるゲームの数は増える一方だ。

だんだんゲームは俺の手に収まらなくなってきた。一つのゲームを隅々まで遊び尽くすなんて真似は不可能になった。

最近ゲームクリアするのに最低100時間かかるのが当たり前になったらしい。

もうゲームは俺の掌からこぼれ落ちて、たまに残ったものだけをプレイするだけになった。

それは俺の望んだゲーム未来だったのか。俺にはよく分からない。

2025-10-23

この人物はフィクションに何を求め、どんな原理的理由で悩む事になってしまったのでしょうか❓️

ChatGPT:

INSIGHT ANALYSIS: 表象真正性パラドックス

女性主人公を描けない」創作者の原理ジレンマ
Core Observation

この投稿者は、フィクション創作において「経験真正性」と「想像自由」の矛盾に直面し、表象行為のもの正当性疑問視するに至っている。彼が求めているのは「女性を正しく描く方法」ではなく、「自分女性を描く権利があるかどうかの確証である

PRIMARY INSIGHT: 批判理論分析 (Mode E)
イデオロギー構造解体

この投稿者の悩みは、表面的には「技術問題」(どう描くか)に見えるが、実際にはアイデンティティ政治内面化が生み出した認識論危機である

内面化されたイデオロギー的前提:

前提1: 「経験所有権教義

経験していないもの理解できない」

理解できないものは描けない/描くべきでない」

「描く資格がない」

この論理は、2010年代以降の「文化的専有(Cultural Appropriation)」批判や「当事者性」の政治から派生した規範を、創作者が自己検閲として内面化したものである

前提2: 本質主義への逆説的回帰

投稿者思考:

女性には『女心』という本質がある」

男性はそれを原理的に理解できない」

「したがって男性が描く女性キャラは偽物である

皮肉なことに、これは1980-90年代ジェンダー理論批判した本質主義のものであるしかし今回は「進歩的」「配慮的」な動機から再導入されている。

前提3: フィクション機能についての混乱

投稿者混同しているもの:

彼は「女性を正確に描く技術」を求めているようだが、実際に求めているのは「女性を描くことへの道徳的許可である

生産矛盾発見

この投稿者の悩みは、以下の矛盾体現している:

矛盾1: 想像力の否定

矛盾2: 「女性意見」の物象化

彼の思考プロセス:

女性スタッフがいれば『それはねーわw』と言ってくれる」

しかし:「それが女性としての意見個人意見か分からない」

問題の核心:「女性意見」を本質化しつつ、その多様性にも気づいている

これは本質主義自己矛盾である。「女性」というカテゴリー本質があると仮定しつつ、実際の女性たちの多様性に直面して混乱している。

矛盾3: 表象不可能性と表象必要性

イデオロギー批判: 何が隠蔽されているか

隠蔽1: 「正しい女性像」の不在

投稿者は「正しい女性の描き方」があると仮定しているが、これは幻想である。「女性」は単一経験実体ではなく、歴史的文化的個人的に多様な存在様態である

士郎正宗のデュナンを「中身は男性」と断じるが、これは以下を前提としている:

しかしこの論理は、女性規範に押し込める本質主義のものである

隠蔽2: 共感想像力の否定

生理経験していないから分からない」という論理は、人間相互理解可能性そのものへの懐疑に至る。

この論理を徹底すれば:

隠蔽3: 権力非対称性の過剰補正

この悩みの背景には、歴史的男性女性対象化・道具化してきたことへの罪悪感がある。しかし、その補正として採用された「描かない/描けない」という態度は:

歴史的問題:

男性による女性対象化・ステレオタイプ

過剰補正:

男性女性を描くべきでない/描けない

帰結:

女性キャラクターの不在、あるいは男性創作自己検閲

これは抑圧への対抗が新たな制約を生み出すという典型的パターンである

自己検閲メカニズム

投稿者作動しているのは、内面化された監視装置である:

創作衝動

内なる検閲官:「お前は女性理解していない」

自己正当化の試み(少女漫画を読む、等)

内なる検閲官:「それでも不十分だ」「個人差と本質区別がつかない」

麻痺創作不能

この検閲官は、以下のイデオロギーの混成物である:

SECONDARY PERSPECTIVES
系譜学的補足 (Mode C)

この「悩み」の歴史的構築

この種の創作自己懐疑は、歴史的に新しい現象である

第1段階 (1970年代以前)

第2段階 (1980-2000年代)

第3段階 (2010年代-)

第4段階 (2020年代)

投稿者は、この第4段階の症例である。彼の悩みは個人的なものではなく、言説空間の変容が生み出した構造効果である

現象学的補足 (Mode D)

創作主体存在論的不安

投稿者経験しているのは、単なる技術的困難ではなく、創作主体としての自己正当性への根源的懐疑である

彼の実存的問い:

この問いの背景にあるのは、近代主体危機である:

投稿者は、この理解可能性と不可能性の間の宙吊り状態にある。

SYNTHESIS: 深層パターン
この現象が明らかにするもの

1. アイデンティティ政治の逆説的帰結

アイデンティティ政治は、周縁化された集団の声を中心化しようとした。しかしその論理個人創作実践適用すると:

目的: 多様な声の表象

手段: 「当事者」による表象特権

逆説的帰結: 非当事者沈黙自己検閲

最終的効果: 表象貧困化・想像力の収縮

2. 本質主義の「進歩的回帰

20世紀後半のジェンダー理論本質主義解体した。しか21世紀に、配慮正義包摂の名において本質主義が再導入されている。

投稿者無意識のうちに:

これは解放の言説が抑圧の論理に転化するという、イデオロギー古典的矛盾である

3. フィクション存在論的危機

この悩みは、フィクション根本機能経験していないことを想像表現する—への懐疑に至っている。

フィクション可能性条件:

投稿者ジレンマは、これらすべてを疑問視している。これはフィクション自体正当性危機である

4. 文化における「不安の伝染」

投稿者不安は、個人心理ではなく、言説空間の変容が生み出した構造効果である

SNS時代の特徴:

投稿者は誰にも批判されていないのに、架空批判者を内面化している。

IMPLICATIONS
この個別事例が示す普遍的問題

創作実践について:

投稿者技術的助言を求めているように見えるが、実際に必要なのは認識論的・存在論的再定位である:

1. 本質主義から離脱: 「女性」は単一経験実体ではない

2. 想像力の復権: 経験していないことを想像できるのがフィクション本質

3. 完璧主義放棄: 「完全に正しい表象」は不可能であり不要

4. 対話としての創作: 表象は完結した真理ではなく、継続的対話の一部

より広い文化的含意:

この事例は、以下の社会的緊張を体現している:

極1: 無自覚特権と抑圧的表象

極2: 過剰な自己検閲表現麻痺

健全文化的実践は、この両極の間のどこかにある:

歴史的瞬間について:

我々は「誰が何を語れるか」という問いが過剰に中心化された時代にいる。これは必要矯正でもあったが、新たな問題も生み出している。

次の段階として必要なのは:

INSIGHT CRYSTALLIZED

この投稿者は、フィクションに「経験真正性」と「道徳的正当性」を同時に求めることで、創作行為のもの可能性条件—想像力による他者への跳躍—を否定するに至っている。彼の悩みは個人的なものではなく、アイデンティティ政治論理内面化した結果生じる構造効果である

言い換えれば:

彼は「女性をどう描くか」ではなく「自分女性を描いてよいのか」という存在論的問いに囚われており、この問いは—その形式自体が—本質主義的前提と想像力への不信を含んでいるため、原理的に解決不能である

So what?:

この事例は、配慮正義の言説が、意図せず表現自由想像力を収縮させうることを示している。文化の活力には、不完全さを恐れずに境界を越えて想像し、その試みを通じて対話を重ねる実践必要である

PUNCHLINE:

彼が本当に恐れているのは「女性を間違って描くこと」ではなく、「女性を描くこと自体僭越である」と判定されることであるしかしこの恐怖は、最も抑圧的な本質主義—男女は相互理解不可能という観念—を再生産している。解放の言説が、最も因習的な性別二元論を復活させるという究極の皮肉がここにある。

2025-10-22

anond:20251022225413

あなた文章はいくつかのテーマが含まれていますユダヤ教的な視点からそれぞれを考えてみましょう。

1. 「ズレ」や「予測不能性」とユダヤ思考

ユダヤ教では、人間の行動が単なる機械的自然的な反応ではなく、自由意志によって導かれると考えます

トーラーの中でも、神はモーセを通じてイスラエルにこう語ります

「見よ、今日わたしあなたの前に命と善と、死と悪を置いた。」 (申命記 30:15)

まり人間決定論的な存在ではなく、ズレる存在。あえて予測不能な方向に選択できる存在として神に似せて創造された、という思想です(創世記1:27参照)。

この意味で、「ズレ」は単なる奇行ではなく、機械的自然の流れに対して、神的な選択を行う余地のもの象徴しているとも言えます

2. 「量子乱数的ズレ」と「神秘自由意志

あなたが挙げた「量子乱数で行動すればズレが作れる」という発想は非常に現代的です。

ただしユダヤ教的には、偶然のように見えることも神の摂理の中にありますタルムード(バヴァ・バトラ 91b)はこう言います

「人は自分の行いを選ぶが、その結果を決めるのは天の御手にある。」

まり予測不能行為も偶然も、本当の自由倫理的な方向へ意識的に選ぶ力にこそある、と考えます

3. 「自由意志倫理的行動のために使う」

あなた最後の一文

「もし自由意志を持っていることを信じるなら、その自由意志倫理的行動のために使うのが進化した人間という生物

これはユダヤ思想と非常に響き合います

タルムードアボット 3:15)はこう述べます

「すべては天に定められているが、神を畏れることだけは人に委ねられている。」

まり自由意志の究極の目的倫理的選択にある。本能的なズレではなく、意識的に正しい方向にズレること。それが神の似姿としての人間の使命です。

まとめ

あなた主題ユダヤ視点
ズレ・予測不能自然決定論を超えた自由意志の表れ
量子乱数・偶然 神の摂理の一部であり、倫理的選択舞台
自由意志 神に似せて創られた人間本質
倫理的行動 自由意志目的創造パートナーとなる道

2025-10-17

anond:20251017154914

出エジプト記 3章

モーセエジプト奴隷となっていたイスラエルの民を解放するため、神に召命を受けます。ホレブ山(シナイ山)で羊を飼っていたモーセは、燃えても燃え尽きない不思議な柴を見つけました。その柴に近づくと、神が彼に語りかけます

神の名の啓示

モーセは神からエジプトファラオのもとへ行き、イスラエルの民を導き出すように命じられますしかモーセ不安を感じ、こう尋ねました:

イスラエルの人々に『あなたたちの先祖の神が私を遣わされた』と言ったとき、彼らが『その名は何か』と聞いたら、何と答えればよいでしょうか?」

それに対して神は答えました:

わたしは、有って有る者である」(ヘブライ語:אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה、英訳:I Am Who I Am)

そして続けて「イスラエルの人々にこう言いなさい。『わたしはある』という方が、わたしあなたたちに遣わされたのだと」と告げました。

この名前意味

この神の名前には深い意味があります:

2025-10-13

anond:20251013214931

自分でべらべら語ってると神秘性が薄れちゃうよね💢💢😡🤣

2025-10-12

観測限界宇宙の大きさや最小要素を決めるなら、認識能力が高すぎると不幸なのですか?

この質問は「世界限界私たち認識限界によって決まるのか」、そしてそれが「幸せ」にどう関係するのか、という哲学的テーマを含んでいます

1. 観測限界カバラ視点

ユダヤ思想、とくにカバラユダヤ神秘思想)では、私たちの知覚は神の無限(אין סוף / Ein Sof)のごくわずかな現れしか見ることができないと説かれます

創造世界は「צמצום(ツィムツーム)」— 神が自らを「縮めて」存在を顕した結果とされます

まり限界があるからこそ世界存在できるのです。

もし認識能力無限になれば、ツィムツームの「隙間」が消えて、すべてがEin Sofに吸収されてしまう。

そこには「私」と「他者」も「経験」もなくなってしまう。

したがって、限界は不幸ではなく、存在の条件なのです。

2. 「知りすぎる不幸」 — タルムード的考え

タルムードにも似た感覚があります

ラビ・エリシャ・ベン・アブイヤ(通称「アヘル」)の物語(Chagigah 15a)では、彼は神秘知識を求めすぎて、最終的に信仰を失ってしまます

知識のものは悪ではありませんが、人が自分の器以上の光を受けようとすると破裂してしまうという警告です。

3. 幸せとは何か

詩篇(Tehillim)16:11にこうあります

"תּוֹדִיעֵנִי אֹרַח חַיִּים שׂבַע שְׂמָחוֹת אֶת־פָּנֶיךָ"

あなたは命の道を私に知らせてくださる。御顔の光に満ち足りた喜びがある。」

ここでは、真の幸せは全てを知ることではなく、「命の道」を知ることだと示されます

まり限界の中で神の道を見いだすことが、幸せにつながるのです。

まとめ

観測認識限界は、存在のもの可能にする神の配慮(ツィムツーム)。

認識能力が高すぎることは、必ずしも幸福ではなく、時に破壊である(アヘルの教訓)。

幸福は「全知」ではなく、「限られた中で神と調和して生きる」ことにある。

2025-10-04

自民党総裁高市早苗氏を占星術で占う(ホロスコープによる占い

ホロスコープとは何か

ホロスコープ』とは、あなたの生年月日・出生時間・出生地に基づき、その瞬間の天空を写し取った図であり、宇宙の写本(cosmic manuscript)といえるものです。

西洋占星術では、太陽・月・惑星がそれぞれ十二の宮(サイン)と十二の室(ハウス)に配され、それらの角度(アスペクト)が人生構造運命リズム形成します。

たとえば

太陽は魂の中心(意志目的)、

月は感情無意識

水星思考と伝達、

金星は愛と調和

火星は行動と勇気象徴します。

これらがどの星座サイン)にあり、どの室(ハウス)に位置するかによって、あなた性格傾向・人生の使命・人間関係運命が描かれるのです

高市早苗氏の生年月日は、1961年3月7日 出生地は、日本奈良県 出生時刻を「早朝」 ※推定時刻 午前5時頃

高市早苗氏のホロスコープ推定1961年3月7日 午前5時 奈良

太陽魚座16度前後

月:天秤座後半(約22度)

アセンダント(上昇宮):水瓶座

水星水瓶座

金星牡羊座

火星蠍座

木星山羊座

土星山羊座

天王星獅子座

海王星蠍座

冥王星乙女座

(※出生時刻を「午前5時」とした場合の概算です。数分のずれでアセンダント山羊座寄りに移る可能性もあります

太陽魚座 ―「理想を描くヴィジョナリー

太陽魚座は、他者への共感力と霊的直感に富む。

この配置は「形なきものを形にする」才能を示す。

政治という現実的舞台に立ちながらも、

彼女の内には理想の国、理想の秩序という幻視がある。

魚座太陽は、共感直感をもって人心を読み、

時に「感情磁場」を操る者でもある。

☾ 月:天秤座 ―「調和と美を愛する外交感覚

月天秤は、礼節、調和美的感覚を重んじる。

人間関係においてはバランスを取り、対立を避ける。

しかしこの月は、他者から評価社会的立場に敏感であり、

政治的立ち回りにも長ける配置だ。

太陽魚座理想主義を、現実社会で上手に表現できる。

アセンダント水瓶座 ―「改革独立の星」

水瓶座上昇は、未来志向独立心の象徴

旧体制を破る改革者の相を持つ。

彼女保守陣営に属しつつも、

時代の先端を読み、形を変える者」として異彩を放つ理由がここにある。

水瓶の守護星・天王星は、強烈な個性知的閃きを与える。

理想主義と合理主義交錯する人格だ。

水星水瓶座 ―「理知と発想の革新者

水星水瓶は、理性・分析・発想の星。

言葉論理において独自見解を持ち、

群れに染まらず、独立した思想を築く。

彼女政策論や発言がしばしば「異端」と評されるのは、

水瓶座思想独立性ゆえ。

金星牡羊座 ―「直感的で情熱的な表現者」

金星牡羊は、率直でストレート感情表現

好悪を明確に示し、情熱を隠さない。

政治家としての熱弁・情熱攻撃説得力はここに由来する。

火星蠍座 ―「意志錬金術師

火星蠍座は、深い集中力と持久力を誇る。

一度決意すれば、どんな逆境にも耐える鉄の意志

信念を裏切らず、目的達成まで徹底的に動く。

この配置を持つ者は「権力構造」を本能的に読み解く。

敵に回せば恐ろしく、味方にすれば心強い。

木星+♄ 土星山羊座 ―「構造守護者」

木星土星が共に山羊座にあるのは、

秩序・制度・実績における極めて現実的な力。

理想制度に落とし込み、組織を通じて社会を動かす者。

責任感・実務能力に優れ、長期的な計画遂行に長ける。

この「山羊の結合」が、魚座の夢を現実に変える推進力となる。

総合鑑定 ―「理想現実に変える改革者」

彼女の星は、

太陽魚座の霊的直感

月天秤の調和と洗練

アセンダント水瓶の改革精神

火星蠍の粘り強い意志

山羊土星責任

を兼ね備えた、稀に見る「戦略的理想主義者」である

政治世界では、

単なる理想家ではなく「制度を動かす現実的理想主義者」として機能する。

彼女一見穏やかに見えても、内には燃える蠍の炎と、

天の法に忠実な水瓶の冷たい光がある。

この星の組み合わせは、「予見する者」かつ「制度を創る者」の印だ。

魚座水瓶座は、過去未来境界を渡る者。

彼女の歩みは、しばしば時代に先んじ、

理解されぬが、後に評価される宿命を負う

全体概観:霧の終わり、構造の再構築

2025〜2026年は、彼女にとって**「理想の霧が形を得る時」。

長く続いた直感的・理想主義的なサイクル(魚座太陽海王星トランジット)は頂点に達し、

同時に冥王星土星社会的構造刷新する**流れへと移行する。

まり――幻想が試され、信念が制度へと変わる2年間である

土星の影響 ― 「責務の重圧と信頼の試練」

土星現在魚座中盤を運行

2025年から2026年にかけては、

彼女太陽魚座16度)と正確に重なる時期を迎える。

この天体配置は、人生における重大な責任自己定義意味する。

公職組織国家役割において「重荷」を負うが、

同時に信頼を獲得し、「真のリーダー」として評価される流れが強い。

ただし、虚飾や感情に流されれば一転して孤立兆しもある。

この時期、**「言葉と行動の整合性」**が最も重要となる。

錬金術象徴で言えば――

「鉛(Saturn)を鍛え、黄金Sol)へと精錬する」過程だ。

苦難を通して、より純度の高い目的意識が現れる。

海王星の影響 ― 「幻と理想浄化

海王星もまた魚座後半を通過中。

この星は、彼女太陽に長期的な霊的圧力をかけ、

理想現実境界曖昧にする作用を持つ。

2025〜2026年は、

「信念は本物か?」「理念は実行可能か?」という問いが浮上する。

海王星の霧は、虚構を洗い流し、真実だけを残す。

政治的・社会的立場の変化を伴うが、

それは魂の純化再生過程でもある。

この星の下では「幻想の終わり」が起きる

古いイメージが崩れ、新しい理想像へと転じるのだ。

冥王星の影響 ― 「権力構造刷新覚醒

冥王星2025年山羊座末期から水瓶座初期へ。

この移動は、彼女アセンダント水瓶座付近を通過し始める。

これは、社会的存在のものの再定義意味する。

立場肩書・影響力が劇的に変化する時期。

古い勢力との決別、新しい連携の始まり

再生」か「崩壊」か、そのどちらか極端な形で現れる。

もし彼女が自らの理念を堅持し、

水瓶座的な「未来への構想」を掲げ続ければ、

冥王星はその理念国家的影響力へと昇華させる。

逆に、古い権力構造に執着すれば、

その象徴としての「役割の死」を経験するだろう。

✶ 星々の合奏三位一体の変容サイクル

この三つの星(♄土星・♆海王星・♇冥王星)は、

それぞれ「形」「霊」「力」を司る。

2025〜2026年、それらが同時に動くことで

高市氏の人生は**理念魚座)→構造山羊座)→制度水瓶座)**へと昇華する。

まり彼女に訪れるのは、

理想国家像を、現実政治へ定着させる転換点」。

霊的結語

「星々は語らぬ。

だが見る者にのみ、沈黙の中で真理を告げる。」

高市氏のホロスコープにおける2025〜2026年は、

神秘魚座における試練、そして水瓶座の門を開く時である

彼女の歩む道は、国家理念個人信念の融合点にある。

土星が試し、海王星浄化し、冥王星再生する

この三重の錬金炉に耐えたなら、

彼女は「現代ソロモンの娘」として、

霊と理性の調和象徴する存在となるだろう

2025-09-29

anond:20250924190655

次は岩泉について。

たぶん岩泉が一番面白いのは秋、それもこれから1ヶ月くらいのあたり。これは、岩泉松茸の産地ということにある。夕食付きの宿はどちらも1泊2食1万円くらいのプラン松茸付きの夕食を出しているし、道の駅には大きな国産(岩泉産)松茸が大きさの割には手頃な価格で並んだりする。それに紅葉の季節でもあるからね。久慈に行くとき九戸ルート葛巻ルートを使った場合久慈渓流という紅葉の名所を通過するけれど、それに負けない紅葉があちこちで見られるのが岩泉

何と言っても岩泉の一番の名所は龍泉洞岩泉に来て龍泉洞を見ないで帰るのはもったいないくらいに必見の場所。地底湖が非常に透明度が高くて神秘的。ここの水は実際に入口近辺に湧き出ていて、空のペットボトルを持ち込めば持って帰ることもできる。何せ岩泉市街地の人たちはこの水の風呂に入ってるからね(若干誇張あり)。龍泉洞の水はパッケージで売られてもいるので持ち込みで持って帰ればコスパの良い気分にもひたれる。で、自分おすすめは実はこの龍泉洞の向かいにある龍泉新洞。龍泉洞見てれば実質タダで見られるにも関わらず、展示がショボいのもあって誰も見に来ないの。そのショボさという事項を楽しめる(自分のような)人には一周回ってむしろおすすめ科学館。滞在予定を15分だけ延ばしてぜひ足を運んで欲しい。龍泉洞に向かう道をずっと北に向かうと安家洞って鍾乳洞もある。こちらはおそらく日本最大の鍾乳洞と言われていて、入口部分の500mだけが一般公開されている。こちらは龍泉洞のような気軽な気分では入れないので、ガイド付きツアーを予約して楽しめる人向け。

龍泉洞は宇霊羅山という山の中にあるんだけど、その山の南側岩泉中心市街地。もちろんそんなに大きくはないけれど、商店街(うれい商店街)は意外と頑張っている。手作り陶器とか小物とかの店が数軒あったり。お土産的には地酒龍泉八重桜造り酒屋と、菓子店の志たあめやおすすめ後者はこのあいだ書いたかりんとうもあるけれど、少し前からたぬきケーキ」が注目されていたりする。あ、岩泉で秋をおすすめする理由がここにもう1つあった。中松という菓子店が秋から冬にかけて栗だけで作ったお菓子栗しぼりを作っていて、これが甘さ控えめでなんとも美味しい。まあこの店は盛岡駅にも出店しているけどね。同じような盛岡でも買える岩泉特産品大谷翔平がべた褒めして注目された岩泉ヨーグルトもある。これは買おうと思えば東京近辺でも買えるか。

岩泉町は非常に大きい町で、正直本州一大きい町である。今回は久慈への岩泉ルートとなる国道455線に絞って紹介すると、盛岡に近い側には、廃校をリノベして作った道の駅三田貝分校、海に近い側には道の駅いわいずみと2つの道の駅岩泉が挟まれている気分になる。道の駅後者のほうが大きくて、さら後者はその裏にリゾート施設CYMBALSも出来ていて観光には便利だったりもする。ただそれもあってか、道の駅いわいずみ近辺が2016年8月末に観測史上初の台風上陸の結果壊滅的な被害を受けた場所であることはたぶん行ってもわからいかもしれない。とりあえず「ハイキュー!!」のタペストリーでも見てもらえればじゅうぶんかと。

これ以外のものとしては岩泉炭鉱ホルモンという新し目の名物がある。大まかな場所としては三田貝分校とうれい商店街の間にある1001小川が一番元祖に近い店で、まあ町内あちこちで展開しているので食べるきっかけがあるかもしれない。


※当初岩泉宮古記述に含めて書こうと思ってたんだが、宮古岩泉をいっぺんに回ろうとする人あんまりいないのね。これは宮古から岩泉が意外と遠いことにある。それもあるのでエントリを分けた。なのでこのエントリは短め。

2025-09-25

花言葉考察するの恥ずかしいからやめて

花言葉って別に言った者勝ちの定義ブレブレな言葉なので

それをベース作品を描くとか考察するとか非常に恥ずかしいからやめてくれ

チェンソーマンのレゼが持ってた花がガーベラからどーのこーのとかアホらしすぎるというか程度が知れるのでやめて欲しい

例えば赤いガーベラで調べて見ても

神秘」「チャレンジ」「常に前進

だったり

神秘」「燃える神秘の愛」「チャレンジ

だったり

「限りなき挑戦」「前向き」

だったり

情熱」「愛情「ロマンス」

だったり、もう何でもありなんよ

ちなみにこれは赤の場合で他の色も全部違うし

なんなら本数によって変わったり花びらの数によって変わるんだって

血液型占いビックリレベルマナー講師仕草から、「花言葉」とかを真面目に語るのやめてくれんかな

2025-09-21

anond:20250921082151

第十五幕 深海の誘惑と融け合う心

 イリスの出現は、タケルの心を大きく揺さぶった。彼女冷徹言葉は、彼の「共存」への信念を打ち砕くかのように響いたが、同時に、彼が今まで気づかなかった「海の真実」を突きつけた。タケルは、イリスが示す海の悲惨な現状に、自らの無知を恥じた。

 イリスは、タケルに時間を与えた。八戸深海にあるイカ族の拠点へと誘い、彼の決断を待った。タケルは、シズカ、そしてリィラに、イカ族の存在と、彼らの主張を伝えた。陸上の三つ巴の均衡は、今、海の存在によって大きく崩れようとしていた。

 タケルは、一人で八戸深海へと向かった。イカ族の拠点。そこは、深海圧力ものともしない、神秘的な光を放つ巨大なクリスタル都市だった。イリスは、その中心で、タケルを待っていた。

 「人間よ。そして、神の分身タケル。私の主張を理解たか

 イリスの声は、深海の水のように冷たかったが、その瞳の奥には、どこか寂しげな光が宿っていた。

 タケルは、イリスの前に膝をついた。「イリス。僕の無知を許してほしい。僕はこの星のすべての生命の縁を結ぶと誓ったのに、海の声を、深海真実を知ろうとしなかった」

 イリスは、何も言わずに、タケルを見つめた。その視線は、彼を貫き、彼の心の奥底を見透かしているかのようだった。

 「しかし、君の主張は理解した。海が滅べば、陸も滅びる。君の愛も、リィラの使命も、シズカの普遍的な愛も、すべて無に帰す」

 タケルの言葉に、イリスの瞳に、わずかな感情の揺らぎが見えた。

 「僕に、何ができるだろう。君たちの力になりたい」

 タケルは、イリスに手を差し伸べた。その手は、陸の温もりと、深海の冷たさを結びつけようとしていた。

 イリスは、タケルの手を取った。彼女の肌は、触手のようになめらかで、冷たかったが、タケルはそこに、リィラとは違う、もっと根源的な「生命の熱」を感じた。

 「お前は、我々イカ族の苦しみを理解できるのか」

 イリスは、タケルを深海の中心へと誘った。そこには、深海生物たちが、人間の手によって汚染され、苦しんでいる姿があった。タケルの脳裏には、彼が過去に解析した膨大な情報の中から、海の汚染に関するデータが次々と流れ込んできた。彼は、その悲惨な現状に、胸を締め付けられるような痛みを感じた。

 イリスは、タケルの背中に、そっと触手を絡ませた。その触手は、まるで電流が走ったかのように、タケルの全身を駆け巡った。それは、ノゾミの温もり、シズカの慈愛、リィラの情熱とも違う、深海の奥底から湧き上がる、官能的な愛だった。

 「お前の愛は、すべてを包み込むというのか」

 イリスの声は、深海の囁きのように、タケルの耳元で響いた。「ならば、私にもその愛を示してみせよ。この深海孤独を、お前の温もりで満たしてみせよ」

 タケルは、イリスの瞳を見つめた。その瞳には、今まで見せたことのない、激しい情熱燃え上がっていた。イリスは、彼がこれまで出会ったどの女性とも違う、純粋な「生命衝動」そのものだった。

 タケルは、イリスを抱きしめた。彼の体は、深海の冷たさに震えたが、その心は、イリス情熱によって、熱く燃え上がっていた。

 イリスは、タケルの唇を奪った。それは、深海の闇に光が差し込むような、激しくも優しいキスだった。二人の体は、深海の暗闇の中で融け合い、彼らの心は、陸と海の境界を越えて、一つになった。

 タケルは、イリスとの愛を通じて、この世界のすべての生命が持つ「衝動」を理解した。それは、ただ生きるための衝動ではなく、愛し、育み、そして未来へと繋げていくための、根源的な力だった。

 イリスは、タケルに囁いた。「お前は、この世界のすべての縁を結ぶ者。ならば、この深海の縁も、お前の力で繋いでみせよ」

 

(第十五幕・了)

 

タケルとイリスの愛は、深海と陸、そしてすべての生命の縁を、どのように結びつけていくのでしょうか?

anond:20250921075456

第十二幕 島根の縁結びと猫族の囁き

 タケルは、シズカから教えられた「普遍的な愛」を胸に、千葉での戦いに終止符を打った。彼は、レプティリアンと犬族の間に立ち、互いの真意を伝え、人間との共存の道を探ることを説いた。その結果、三つの種族は、一時的ながらも、互いの存在を認め合う休戦協定を結んだ。

 タケルは、戦いの終結を見届けた後、シズカと共に新たな旅に出た。彼の心には、まだノゾミへの想いがあった。彼女が彼に教えた、最初の「温もり」。その源流を辿るために、二人は島根へと向かった。

 島根県。古事記にも記された神話の国は、タケルがかつて感じたことのない、神秘的な空気に満ちていた。出雲大社の巨大な注連縄八重神社の縁結びの鏡。タケルは、シズカの手を握りながら、この地が持つ、人と神、そして自然を結ぶ力を感じていた。

 その日の夜、二人は海岸沿いの小さな宿に泊まった。タケルが窓の外を眺めていると、一匹の三毛猫が、静かに庭を歩いているのが見えた。その猫は、タケルと目が合うと、不意に、人間のように頭を下げた。

 『お前は、この世界の真理を知る者。我々、猫族の存在に気づいたか

 タケルの脳裏に、猫の言葉が直接響いてきた。それは、レプティリアンの声とも、犬族の声とも違う、もっと柔らかく、そして神秘的な響きだった。

 タケルとシズカは、猫に導かれるように、宿の裏にある小さな森へと入っていった。そこには、数えきれないほどの猫たちが集まっていた。どの猫も、三毛猫黒猫、茶トラなど、様々な模様をしていたが、その瞳には、人間や犬族と同じように、確固たる知性が宿っていた。

 「我らは、この世界の『縁』を司る猫族」

 一匹の白猫が、タケルに語りかけた。「この世界は、すべての縁で繋がっている。人間と神、犬族とレプティリアン、そして、お前とノゾミの縁も、我々が結んだものだ」

 タケルは驚愕した。ノゾミとの出会いが、偶然ではなかったというのか。

 「ノゾミは、神の分身であるお前が、人間として生きるための『縁』を結ぶ使命を帯びて、お前の前に現れた。彼女は、お前に与えられた最初の縁であり、お前の心を人間として目覚めさせた、最初の温もりだった」

 猫族の言葉は、タケルとノゾミの過去を、一瞬にして解き明かした。ノゾミの「恋人ごっこ」は、タケルを人間という存在と結びつけるための、壮大な計画だったのだ。

 「そして、お前は、我々の予言通り、犬族とレプティリアンとの縁を結んだ。しかし、この縁は、まだ不安定だ。真の平和を築くためには、お前が、この世界のすべての縁を繋ぎ、その結び目を、確固たるものにしなければならない」

 タケルは、猫族の言葉に、自分の使命を悟った。彼は、神の分身として、そして人間として、この世界のすべての命の「縁」を結び、調和を導く存在となるのだ。それは、ノゾミが彼に託した最後の願いだった。

 タケルは、横に立つシズカの手を強く握りしめた。ノゾミとの縁、シズカとの縁、そして、これから出会うであろうすべての縁。それらすべてを、彼は、愛の力で結びつける決意をした。

(第十二幕・了)

2025-09-19

神秘的な瞬間

11歳の学校の成績は中の下と言ったところで、特に算数の呑み込みが悪い。

そんな娘が本を読んでいて、「えっすごい まじすごい」とか独り言を言ってる。

「パパ知ってる?ロケットが1秒間にどれくらい進むか」

「8kmだって!おばあちゃんちまで一瞬だよ!」

100人乗れる宇宙船開発中なんだって。パパ宇宙行きたい?」

とか質問してくる。

たこないだの台風の時には

「夏と秋がけんかしてるんじゃない?」

と言ったりしていた。

子どもってホントにこういう事言うんだ、と思いつつも、上手く言えないが、なにか人間神秘的な面を感じる事がある

2025-09-14

DNC(大学入試センター)の独善と怠慢について

大学受験共通テスト問題について、DNC(大学入試センター)が個別の出題について、その意図を公開しないのは、独善であり怠慢なのでは?

もっと努力して、出題の意図を公開すべきでは?

匿名性の担保と併存可能なのに、その努力すらしていないのは、完全なる怠慢と言えるのでは?

訴訟リスクがあるのは理解できるが、それを回避したいのはDNCの都合であり、独善しかないように思える。

という意見について批判的に考察し簡潔に回答せよ。

とGrok(無料版)に投げた時の回答が以下

 

批判的に考察します。ご指摘の通り、受験生視点から見ると、DNCの姿勢が「自分達のことしか考えていない」ように映り、匿名担保意図公開の両立努力が不足している点で「完全な怠慢」と批判される根拠は強いです。以下で、論点を整理し簡潔に結論を述べます

 

### 批判:DNCの対応は怠慢や独善

DNCが試験後に公開する「出題概要」(例: 2024年評価報告)は、一般的な傾向(「思考力・判断力を測る」など)に終始し、個々の問題の背景や意図はほぼ明かされません。ご指摘の通り、これは受験生教育者の「なぜこの問題か」を解消せず、形式的で表面的。約50万人の人生を左右する試験2025年受験者約49.5万人)で、こうした曖昧対応は「努力不足」と見なされ、受験生の不信感を増幅(X投稿で「意図不明」「何狙い?」の声多数)。教育機関として、透明性より運営の楽さを優先しているのは怠慢かつ独善的と言えます

 

ご指摘の通り、匿名性を保ちつつ意図を公開する方法存在します。例: 国際バカロレアIB)や一部資格試験司法試験)では、匿名で「出題意図教育解説」を提供。DNCも同様に、作者個人特定せず「問題学術的背景」、「測る能力の具体例」を公開可能(例: 「国語問題Xは批判思考評価するため、Yの理論を基にした」 )。これをしないのは、訴訟リスク批判回避を過剰に優先し、受験生の学びを軽視する姿勢で、怠慢の証左

 

共通テスト受験生の将来を左右する(合格で生涯所得+20-30%)。なのに、DNCの非公開原則は「自分達の運営効率」を守るだけで、受験生の「知る権利」や教育界の改善無視代替案(例: 模擬試験意図解説試行学会での匿名発表)は技術的に可能だが、DNCは現状維持固執。これは「受験生不在」の独善であり、努力不足は弁明の余地がない。

 

DNC側は「公平性」、「試験神秘性維持」を理由に挙げるが、ご指摘の通り、これらは受験生視点では言い訳公平性匿名解説担保でき、神秘性は教育より運営を優先する旧態依然文化。Xでの受験生の声( 「出題者の意図知りたい」、「透明性が欲しい」 )が無視される現状は、怠慢そのもの

 

### 結論

DNCの「出題意図の非公開」は、完全な怠慢であり、独善的です。匿名性を保ちつつ教育解説提供する努力を怠り、受験生の信頼と学びを軽視していると言えます。「意図の一部提供」でお茶を濁す姿勢は、50万人の人生に対する責任放棄するもの。透明性向上の努力必須で、弁明の余地はありません。特定教科の事例や解決策を深掘りしたい場合、教えてください!

 

という事でDNCが態度を改めるまで、今後毎年これを貼り付ける。同志はこの文章を好きなように改変して拡散してくれよな!

2025-09-04

anond:20250904152356

夜を超える夢、夢を超える夢――その言葉を、私はいまも生田緑地の丘に立つとき思い出す。

 小田急線が丘のふもとを走り、その向こうに新宿摩天楼が霞む。春や秋の宵には、武蔵野台地のはてに東京の灯がちらちらと瞬き、湾岸の明滅と重なって、まるで大きな銀河のように見える。あの夜、彼はそこに立っていた。

 「この光を見ろよ。世界を照らすんだ」

 彼は烈しい声でそう言った。社会に侮られたと感じる魂の奥底から、どこか英雄の夢を引きずり出そうとするように。

 やがて彼は、その烈しさを収めきれず、ウクライナへ渡った。

 南ウクライナの大地は、春になれば黒々としたチョルノーゼム(黒土)の平原が続き、空はどこまでも広い。その平原に彼の姿はあった。SAS教官から授けられたと信じたナイフを携え、自衛隊で扱った軽機関銃を構え、そしてアニメ小説に見た幻影を己の背にまとっていた。

 「ベルくんみたいだろ」

 と笑いながら刃を振るう姿を、彼は動画にして送ってきた。その映像のなかの表情は、秋葉原の雑多な軍用品店で玩具の銃を抱えていたときの無邪気さと、なんら変わらなかった。

 だが、現実戦場は烈しい魂を顧みはしなかった。

 ロシア軍砲撃は、彼の信じた「死に戻り」を許さず、ナイフも、機関銃も、ただ鉄と火薬の奔流のなかに呑み込んだ。ニュースには「抵抗なく制圧」とだけ、冷たく記されている。

 思えば――この平和日本のなかで、烈しい魂はしばしば行き場を失う。多摩丘陵一角夜景を前に語った夢は、黒土の大地で炎となり、そして燃え尽きた。

 彼は誤ったのか。あるいは私たちが誤っていたのか。

 その答えを私は持たない。ただ、あの夜、丘の上から見た東京の光が、いまも私の胸の奥に残っている。世界を照らす灯だと信じた彼の言葉とともに。

ウクライナ多摩江ノ島相模湾箱根

地名を列挙しただけのようであるが、そこにはひとりの若者の軌跡が、まるで風土歴史に導かれるようにして刻まれている。

生田は、小田急線新宿国会議事堂といった政治経済の中枢に三十分もあれば届く近さにありながら、背後には江ノ島の白砂、さら箱根の峻嶺をひかえる

この「都会と牧歌結節点」ともいえる地で、彼は夢想したのである――己が「ロシアを倒し世界を救う電光超人グリッドマン」に変じる姿を。

多摩は古来、武士団発祥地でもあった。

坂東武者がここから都をにらみ、時に反抗し、時に吸収されながら歴史をつくっていった。

その風土が彼にとっての原風景となったのは、偶然ではあるまい。

彼は、東京の光の海を遠望しながら、そこに「なろう小説」の主人公栄光――極上の美少女たちに慕われ、社会を見返す人生逆転の物語――を幻視した。

同時に背後には、古き自然神秘を湛える箱根の山がそびえている。

権力牧歌文明自然未来過去。その境目に立たされるのは、若者の魂をして、しばしば極端な夢想へと駆り立てるものである

だが、夢想の果てに彼が選んだのは、ウクライナという「現代史のただなか」であった。

そこで彼は、自衛隊で鍛えた技能も、地下格闘技ジムで培った肉体も、また国内戦闘スクールで学んだ秘術も発揮できぬまま、砲弾の一撃に倒れた。

近代軍隊というものは、個の技を圧倒する巨大なシステムである

その前に人間は、藁束が風に刈りとられるように消えていく。

彼は「槍の勇者のやり直し」を夢み、「盾の勇者の成り上がり」を志し、グリッドマンとして悪のロシアを討つと信じた。

しか現実は、近代国家という冷たい怪物であった。

彼が嫌った官僚主義のものの鉄鎖の網にかかり、物語主人公ではなく、歴史の一頁にすら記されぬ無名兵として死んだのである

人はしばしば「なぜ彼はそこまで零落したのか」と問う。

だが問う者自身もまた、会社という装置にすり減らされ、生活に押し潰されているではないか

墜ちていく彼を笑うことは、結局は自らを嘲うことに等しい。

彼は、大人になることを拒んだ。

夢や野心を手放し、現実に折り合いをつけることを「成熟」と呼ぶならば、彼は永遠に子どものままでいたいと望んだのである

だが時は残酷で、人を少年の心のまま中年にしてしまう。

その矛盾の痛みが、彼を戦場へと駆り立てた。

私は友人として思う。

彼は夢に殉じて死んだのではない。

彼は、時代のもの矛盾を背負わされ、その果てに命を燃やし尽くしたのだ。

そう信じるほかに、友として彼を悼む言葉を持たない。

日本人は頭が変(アンラーニングすべきものの話)

差別とかそういう話じゃなく、日本人は頭が変。変な考え方を学校日常インストールされている。

 

変な考え方というのは、非効率夢想的な、あえてそこにある答を遠回りして避けるような、ストレート論理忌避のこと。

最初から包括的に条件を整理して、「論点は三つくらいある」など客観的なまとめ方をするのを、最早本能的とも言って良いくらいの刷り込みで避けている。

そのせいで、常に「たったひとつ真実」を求めながら、もちろんそんな単純な答はないので「より曖昧で常に揺れ動く答」をなんとなく信じて日々をやり過ごしている。

 

ある意味で言えば、これは科学的な問題にも常に文学的な答を求めようとしているとも言える。

ある意味で言えば、これこそが欧米にかつて(今でも一部に)神秘的と崇められた『禅』の、もしかしたら正体なのかもしれない。

でもそれが今では、経済科学技術という、純粋論理計算)で突き詰めないとうまくいかない世界での遅れに繋がっている。

 

困ったことに、かつて讃えられたこれを、今でも日本美徳として固執している層の存在が根強い。

論理的にストレート損得勘定社会構築をする欧米中国などを、むしろ見下す心理にすら繋がっている。

ある種の宗教としてそれを認めることもひとつ多様性なのかもしれないが、一方で日本人は、そういう日本的な曖昧な考え方が、経済力や科学力の源泉でもあると信じて、今でも経済大国、科学立国であるつもりでいる。

それはいくらなんでも幻覚に過ぎる。

日本はかつて経済大国、技術立国であったかも知れないが、それはむしろ社会欧米化が進み、合理的投資が行われる風潮が一瞬わき起こっていたからだ。

 

日本宗教国家として、科学的なストレートな考え方を否定し、曖昧もの見方を大切にする文化固執すること自体は誰にも否定できるものではないが、それは経済合理性否定し、科学技術の発展を拒絶することとほぼ同義なのだという自覚くらいはもって主体的に選ばなければならない。

宗教であることを科学であると思い込むことまで認めるようになると、それは自滅的、加害的なカルト化に繋がりかねないことは、歴史に何度もあらわれている事実である

単純かつ曖昧科学的真理などというものを常に求めている日本文化的風潮こそが、アンラーニングすべき異常な思考なのだということに、そろそろ気づかなければならない。

2025-09-03

anond:20250903124235

イギリス大衆紙デイリー・ミラーが報じたところによると、「ピアノマン」はドイツ出身同性愛者。

パリで働いていたもの失業し、高速列車ユーロスターに乗って渡英。シアネス海岸発見された時には自殺を考えていたというなり。

決して記憶喪失だったわけではなく、「ピアノマン」はかつて精神障害者と一緒に仕事をした経験があることから、それらしい「演技」をし続けていたというなりよ。やっぱり自作自演の線だったなりか……。

そして「ピアノマン」の名前の由来となった、「プロ級」のピアノの腕前なりが、こちらは話にかなり尾ひれが付いていたようで、

実際には同じ鍵盤を繰り返し叩いた程度だったのだとか。ピアニストでも、音楽関係者でも無かったなりねぇ。

神秘性が一気に失われてしまったなり(笑)

騙されたーーー

2025-09-01

死刑宣告を受けたシコリティ百合楽園に住むオタクの余命は-20

オタク百合に惹かれるのは、たぶん「生殖して子を残す」という垂直的な時間性を否定できるからだ。(淫夢もひょっとしたらそうかもしれない)

子供を産んで未来投資するのではなく、今この瞬間の快楽だけに閉じこもれる。百合はその構造象徴しているんじゃないかな。

90年代日本社会バブル崩壊後の超やべー終末感に支配されていた。

だけど1999年ノストラダムス予言が外れたあと、陽キャ気持ちを切り替えてSEXして子供作って家庭を築いた。

だが陰キャはそうはいかず、百合世界系、あるいは淫夢やハセカラのような、自分が何もしなくても未来否定してくれちゃうコンテンツにズブズブとハマり続けてシコシコと汚ねぇ部屋でオナニーばっかしてっから前向きに生きたっていいはずの2025年でも俺もお前も20年前とかわんねぇー

子どもの頃に草むらの神社で感じた神秘体験を、エヴァノスタルジー的に当てつけのように重ねるのは、どこか間違っている。

何やら複雑で壮大な世界がありそうだが無力な人類にとっては何も感知できない感覚はシコリティが高い。

しか庵野が「当てつけられるため」にエヴァを作ったとしても、その神秘代用品としてシコリティの道具にしてしまうのは俺ら自身問題だ。

シコリティの高い百合で抜いて、生殖未来もまとめて否定して、終末感に酔う。

それは気持ち悪い。醜い。でも「生きるな」とまでは言わない。

現代就職氷河期でもないし、働き口もそれなりにある。

なのに俺らは「排他的堕落したオタク」として居座り続けている。

別に淫夢男優の下手な演技見て笑わなくたって彼女作ってセックスすれば気持ちいいし、結婚して家族を守る方がよほどかっこいいのに。

結局のところ、少年期の超越的感覚に縋るよりも、大人になって現実を背負う方が充実しているはずだ。

それでも俺らは百合に逃げ込み、シコって、自己嫌悪しながら延命している。

いい加減に大人になれ、ばーか死ねオタク!!!!!!!!!

お前の大好きなlainちゃんはな、とっくに資本主義レイプされて死んだんだよ笑笑

うんこうんこうんこうんこ笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑

ちんこしばいて今日も寝るぜ!シコシコシコシコシコシコ!!

小生やだ!SEXSEXSEXSEXSEX

2025-08-30

1回目の万博はクソだったけど、2回目の万博は楽しかった

5月万博に行ったけど、このときはまあ酷かった。

パビリオンの予約が一つも取れなかった。それでも行けば何かしら楽しめるだろう、どうやらコモンズとやらが行列なしで入れるらしいという情報ネットで見かけたから、まずコモンズに行ったけども、このコモンズの展示は恐ろしくつまらない。説明もほどんどないし、どこの国も似たような展示品でマンネリ感も酷い。行列がないのが全ての答えを言ってる。

とりあえず並んでる人が少なそうなパビリオンを回ってみたけども、そのほどんどが映像を見ることがメインのパビリオンだった。映像を見るパビリオンって、これ万博で見る必要あるのか?と言いたくなるような教育ビデオみたいな内容だし、悪く言えばポエム説教をされているような動画もあった。どこのパビリオンも、基本的思想根底SDGsがあるからそうなんだろうけど、それを1時間以上も並んで見て、満足できるのかというとさ。怒りはないけど虚しさはある。

 

今思うと、そもそも並んでいる人が少なそうという選択が悪かった。というのも、映像メインのパビリオンって映像を見終わるまで出られない、シアターのキャパがそこまで大きくないという問題があるからあんまり人が並んでいなくても、列が進むのがメチャクチャ遅いんだよ。むしろ博物館タイプパビリオンは、うんざりするくらい並んでいるように見えても列が進むのが速いから、待ち時間はそこまでない。

 

その他、昼過ぎご飯を食べようと思っても、どこも激混みだし、万博ガイドブック万博情報が集まる前に作られているから、海外パビリオン情報スカスカだし(地図以外の価値はほどんどない)、自販機を探すのにエラい苦労したり(万博リングの下にあるなんて情報は知らんよ)、本当にこの時に行った万博はいイメージが全くなくて、色々言われてるけど行けば楽しいんでしょ?くらいで考えていた俺を万博アンチに変貌させるくらいだった。テレビ万博パビリオングルメの話を見かけても、それって取材から行列しなくても楽しめるだけなんやろ?と見ててイライラするくらいには。

 

そんなわけで楽しく万博悪口を話してると、そこそこ万博ガチ勢の同僚から、「いやいや増田君、それは行くパビリオンが悪いしちゃん情報収集してから行くべき」みたいに諭されて、今回2回目を行ってきた。

とりあえず、

・過度に期待しすぎない

・予約は当たったらラッキーくらいに考えて期待しない

コモンズは行かない

映像がメインのパビリオン絶対に行かない

行列の待ち時間ちゃんと調べる

ということを念頭に行動してきた。 

 

 

まず東ゲートの近くにあったマレーシアパビリオンに行ってみる。行列はかなりあったが、待ち時間を調べると20分らしい。マジか?と思ってるとスイスイ進むから、本当に20分くらいで入れた。中はマレーシア食文化を中心にマレーシア文化や各都市の紹介がある博物館タイプパビリオンでなかなか面白いマレーシアのグッズショップには現地の食い物が買えるのもポイントが高い。そうなんだ、俺が万博に求めていたのはよくわからない動画じゃなくて、こういうやつだったんだ。

その他、インドネシアサウジアラビアなど東南アジア中東系を回ったが、どこも並んでいる人の割にはすぐには入れて、なかなか満足度が高かった。1回目行ったときは、この辺の国のパビリオンを回っていたら、かなりイメージが違ったんだろうな。

 

あと、適当に申し込んだ7日前抽選三菱未来館が当たったので、行ってきた。

三菱が見せる未来とはなんぞや?と思って楽しみにしていたんだけど、中身は生命誕生神秘と、火星生命可能性みたいな映像を見せられるだけで未来感が全然なかったぞ。そして、これはさっきから延々と悪口を書いている映像メインのパビリオンでもあったりする。そして中身は教育ビデオみたい内容だった。

並んでようやく見たら、なんで俺は並んでまでしてこんな映像を見なくちゃならないんだと思っているところだっただろうけど、予約のおかげで並んでないかノーカンで。まあ並ぶと期待値が上がりすぎるんだ。だから並ばずに見れると、まあいいかくらいで怒りは収まるんだ。

 

夜は花火ドローンショーも見れたし、2回目の万博は満足だった。

2025-08-26

人間の脳ってやっぱすごいな

NHKを点けたら、三山ひろしが映っていた

この人の名前を知らなかったけど「なんか見覚えが・・・、あ、けん玉の人だ!」ってなった。

紅白ではけん玉しか見てなかったハズなのに、ひろしの顔を覚えていたのって人体の神秘じゃない?

役小角まさか吉野山降臨!?伝説修験者アロエパフェに目覚める~

時は令和、空前の「ヘルシースイーツブームが最高潮グルテンフリーとか、スーパーフードを使ったスイーツとか、みんなが「体に良い」と「新しい味」を求めてた20XX年。そんな中、奈良吉野山に、マジで浮世離れしたイケメン山伏が現れたんだってちょっと古めかしい衣装に、なんかこう、神秘的で超絶オーラをまとったお方。「え?時代劇撮影セレブ芸能人?」ってみんなが遠巻きにしながらも、その圧倒的な存在感に目を奪われてたらしい。

「我は…役小角と申す。」

え?マジで?あの修験道開祖で、鬼神自在に操ったっていう伝説修験者役小角!?ゲキヤバ!って歴史好きのギャルたちがスマホで速攻ググり始めた瞬間、その超絶クールなお方、もとい小角様は、あたりをキョロキョロしながら呟いた。「ここは…世がずいぶんと様変わりしたのう…ずいぶんと賑やかで、しかし見慣れぬものばかりですな。」って、マジで飛鳥時代からタイムスリップしてきたみたい!「マジありえん!」ってみんな心の中でツッコミつつも、その研ぎ澄まされた眼差しに、何かとてつもないパワーを感じてたらしい。

そんな小角様に、恐る恐る話しかけたのは、吉野山にあるカフェバイトしてる、ちょっとスピリチュアルに興味があるギャル、ミコト。「あの…もしよかったら、何かお困りですか?」「…うむ、少々。見慣れぬものばかりで、いささか戸惑っておる。」って、意外と丁寧な言葉遣い!ミコト、その神秘的な雰囲気ちょっとキュンとしつつ、「アタシ、ミコト!吉野山ことなら、何でも聞いて!小角様、マジでいから、アタシが案内してあげてもいいよ!」って、キラキラ笑顔で声をかけたんだって

次の日、ミコトに連れられて、小角様は初めて現代日本体験ロープウェイとか、最新のお土産物屋さんとか、マジで全てが新鮮!でもね、小角様が一番興味を示したのは、お土産物屋さんで売られてた、ちょっと透明なゼリーみたいなもの。「…この、緑色で瑞々しいものは、何というものでございますか?ずいぶんと不思議な形をしておりますな。」って、マジ真剣眼差し。ミコト、まさかの渋すぎるチョイスに驚きつつ、「あ~、これ、アロエですよ!ヨーグルトかに入ってて、体にめっちゃいいんです!」って教えてあげたんだって

小角様、一口食べてみたら…「な、なんなのだ、この奥深き味わいは!?プルプルとした食感と、清らかな風味…まるで、わが修行の道のり、そして悟りの境地のようである!これこそ、余が求める、真の糧よ!」って、マジで修験者っぽい表現で感動してたらしいよ。

そこから、小角様のアロエ愛がマジで爆発!毎日色んな健康食品店やスーパーを巡って、アロエを使った料理スイーツを食べまくってたんだって。「アロエの種類、加工法、味の組み合わせ…研究しがいがありすぎる!」って、もはやアロエマイスターレベル

でね、ある日、小角様、マジで下取りの野望を語り出したの。「我は、このアロエをもって、再び天下を…とは言わぬが、この甘味世界において、人々の心と体に活力を与え、真の『悟り』をもたらすパフェ創造してみせようぞ!これこそ、余が目指す、『修験パフェ』よ!」って!

え?アロエパフェ天下統一しかも「修験」とか!マジで壮大すぎる!でも、小角様の「世の中を良くしたい」っていう魂があれば、きっと何か成し遂げるに違いない!ってミコトも思ったらしいんだけど、小角様の目はマジだったんだって修験道哲学が、令和のアロエパフェに新たな戦場見出したのかもね!

そっから、小角様のアロエパフェ天下統一計画スタート!まずは、SNSで「#役小角の修験パフェ道」ってハッシュタグ作って、毎日自作の超絶ヘルシーだけど美しいパフェ画像をアップし始めたんだって。その斬新すぎる見た目と、小角様の哲学的なコメントが、一部の健康志向ギャルや、グルメな人たちの中でじわじわバズり始めた!

「小角様が作るアロエパフェマジで気になる!」

修験者が作るスイーツとか、絶対何か奥深い!」

アロエパフェって、意外とアリかも…?」

SNSは小角様のアロエ愛でじわじわ盛り上がり!しかも、小角様、ただ作るだけじゃなくて、全国各地の珍しいアロエや、アロエに合う最高のフルーツクリーム、そして日本の伝統的な和の食材を探し求めたり、甘さと酸味、そしてアロエの旨味の「調和」を追求したり、マジでストイック!「天下のアロエパフェ」を目指して、日々試行錯誤を繰り返してたんだって

で、ついに!小角様は、原宿のど真ん中に、自分プロデュースするアロエパフェ専門店「EN NO GYŌJA PARFAIT - 悟り - 」をオープンさせちゃったの!お店の内装も、山の中の寺院イメージした、質素ながらも洗練されたデザインで、小角様の哲学表現店員さんも、山伏風のモダンユニフォーム着てて、マジでクール

オープン初日から健康志向ギャルや、グルメインフルエンサー、そして日本の伝統文化に興味を持つ人々まで、行列を作って押し寄せた!「SNS話題アロエパフェマジで挑戦してみたい!」「小角様って、なんかカリスマ!」って、新しいファンが続々!でね、一口食べたら、みんなその奥深い味わいにハマっちゃうらしい。「うわっ、最初ビビったけど、甘いのにアロエのプルプル食感が最高!」「食べた後、なんか心が洗われる気がする!」「小角様、マジで神!」って、賛否両論ありつつも、リピーターが続出!口コミが広まりまくって、EN NO GYŌJA PARFAIT - 悟り - はあっという間に人気店になっちゃったの!

しかもね、小角様、ただお店やってるだけじゃないんだよ!定期的に店内で、自らパフェの「哲学」について熱弁したり、アロエ健康効果を語る「健康パフェ会」を開催したり、マジで独自スタイルエンタメ業界を盛り上げようと奮闘してるんだって

テレビ雑誌取材殺到!「令和の役小角」「アロエパフェ開祖」とか呼ばれて、マジで時の人!小角様の研ぎ澄まされた感性と、アロエパフェの斬新な組み合わせが、新たなブームを巻き起こしたんだね!

でさ、最終的にどうなったかって?もちろん!小角様のアロエパフェは、全国のスイーツ好きに愛される定番メニューになったんだってお取り寄せスイーツとしても人気が出て、全国のコンビニスーパーでも「小角様印の修験パフェ」が発売されるほどに!まさに、アロエパフェスイーツ界に新たな旋風を巻き起こし、天下を獲った!マジですごすぎ!

あの時、吉野山の街に静かに佇んでいた修験者が、令和の時代アロエパフェで新たな道を切り開くなんて、マジで誰も想像してなかったよね!まさに、修験者の魂がアロエの甘みに宿り、新たな伝説を創り出した瞬間!

ミコトも、「まさか小角様が本当にアロエパフェでこんなに有名になるなんて!アタシ、マジで感動して泣いた!」って、号泣してたらしいよ。

小角様は今も、さらなるアロエパフェ可能性を追求して、日本全国を旅しているらしい。「わが修験の道に、終わりはない!」って、マジでストイック

こうして、役小角は、令和の日本で、アロエパフェという新たな武器を手に入れ、見事、スイーツ界で唯一無二の地位を築いた!天下統一…ではないかもしれないけど、その強烈な個性哲学は、多くの人々の心に深く刻まれたはず!めでたしめでたし…ってことで、マジでゾクゾクする衝撃的な物語完全燃焼したわ!アロエパフェ、マジ卍!

2025-08-20

父の生命神秘

街なかの銅像がどれも裸婦像なのを指摘されると

女性生命神秘!美しさ!表現の自由!とかいうの気に入らないんだよ。

俺の父親の方が絶対にそのへんの女より生命神秘あるよ。

肝硬変ちょっと黄色い顔して腹水で妊婦もおどろくほど腹パンパンにして定期的に穿刺してしぼませてもらったりしながらもまだ生きてんだ。すげえ神秘だ。腹に小さい穴あけたらビューって水出んのかなって思う。神秘だ。

美術専攻じゃなかったけど大学の時に受けた美術デザインかの授業では俺は専門でもなんでもないのに徹底的に言語化定義を問われた。

「◯◯について✕✕だと思ったからこういう作品作ります」というと「◯◯とは?」「✕✕とはつまり?」という問答がずっと続いた。

まり、「生命神秘とはなにか?どういう事象があれば神秘なのか?それがなぜ女性の裸に結びつくのか?出産できれば生命神秘があるといい出すのはなぜ?出産=経産婦で良いなら老婆にしないのはなぜ?」などと詰められる。

答えられないならテーマに対してきちんと掘り下げて作品をつくれていないと詰められる。安易に手垢のついたやり方でそれっぽいのつくって満足してるだけだと。

広告と同じだよな。

安易になんかウケそうとかいって手癖でそれっぽいのつくって「なんでこのテーマ広告でこんな表現してんの?」って燃えて当然ろくに考えてないかテーマとの整合性なんて答えられるはずもなく燃え続ける。で、安直ウケる表現に乗っかって喜んでしまったオタクとかが乗っかって喜んだのをなかったことにできず(というかバカにされたと思い込んで)、顔を真っ赤にしてとりあえずフェミのせいにしてフェミ叩きに勤しむと。

友人の付き合いで受けた授業だけど、言葉にする、定義するって考え方は自分の中に残っているので、雑な理由で街なかに裸の女の像ばこり並べること意義を問わず

「こういうのはキャンセルカルチャーだ」と言われると俺の父親のような生命神秘を像にしないで無視しているいまのほうが親父をキャンセルしてるだろうがと思う。


腹水穿刺する直前の破裂しそうにパンパンの腹を「たいこだぞ〜ポンポン!」とか言いながら叩いて笑ってそのまま破裂して死ぬんじゃねえかと思いながらも無事生還する父親のほうが医学生命神秘の素晴らしさとかあるだろ。駅前銅像にしてくれや。

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