はてなキーワード: 自分本位とは
あるインフルエンサーが友達の結婚式に白っぽい服を着ていったところ炎上した
来賓は花嫁を目立たせるために地味な服にしないといけないらしい
曰く、ウェディングドレスと同系色の服を着てくるのはマナー違反であり『配慮のない人』なのだそうだ
ずんだもんというキャラクターに近い配色の服装をTwitterに投稿した女性が服のセンスをボコボコに叩かれていた
曰く、『こういう芋女が着ていい服ではない』『こういう芋女がフリフリの服を着るからオタクのイメージが悪くなる(?)』とのことだ
Twitterに生息する日本の女を見ていてつくづく思うんだが、なんであいつらは「本人(たち)が良いのならそれで良いのだろう」という考え方ができないのだろうか
Twitterの女発の炎上事件は正直なんでその人が叩かれているのか意味わかんないものばかりだ
彼女らはコチコチに固まりきった自分本位の勝手なルールを『常識』だと盲信し、それから外れる人を『マナー違反』だと糾弾する
そして外部から「いや別にそんなルール無くない?」などと突っ込まれようものならグチグチグチグチグチグチグチグチと仲間内の間でひたすら愚痴を言い合う
まぁ正直正解はわかっている
結局、彼女らは小学校の頃いじめられるなり親が毒親だったりして自己肯定感を育てられなかったカースト下位の化け物たちだ
自分と他人との境界があいまいで、単に自分が気に入らない事物と世間一般的に嫌われている事物の区別がつかない
「私は世間の皆を代表して配慮を求めているだけ!」などという言い訳がないと何の自己主張もできない哀れな存在なのだ
いい歳して「ねーねー!〇〇ちゃんが買い食いしてるのを見たの!これってよくないと思うよねー!?」「よくなーい!!」みたいな学級会ごっこに興じて、満たされることのない過去のトラウマを慰めている
多分発達障害を持っている人も多いだろう
昔々、ある村に増田という名の男が住んでいました。増田はその村の魔法使いでしたが、彼はいつも村人たちが困る問題の解決を怠り、自分勝手なことばかりしていました。村の人々は彼のことを「クズの魔法使い」と呼んでいました。
増田は日がな一日、自分の家で使い道のない魔法を研究して過ごしていました。村では頻繁に作物が枯れることが問題となっていましたが、増田はそれに関心を示さず、村人たちは困り果てていました。そんなある日、村に恐ろしいドラゴンが近づいているとの噂が広まりました。村人たちは誰もが恐れ、どうすればいいのか途方に暮れました。
村の長老は増田に助けを求めました。「増田さん、あなたの力でドランゴを追い払ってください。」と。しかし、増田は「俺はそんなことに興味がないんだ」と冷たく言い放ちました。それでも村人たちは増田にすがりつき、なんとか村を守ってほしいと何度もお願いしました。
その後も村人たちは増田を説得し続けましたが、彼は一向に動こうとしませんでした。ところが、ある日のこと、増田の住んでいる家にドラゴンが襲ってきました。増田は自身の家が破壊されるのを見て、初めて事の重大さに気付きました。しかし、もう手遅れでした。彼は魔法の杖を振りかざしても、封じ込める力を持つ言葉を発することができず、ドラゴンは村を焼き尽くし、そして去っていきました。
村は焦土と化し、増田は何もできなかった自分をただ見下ろすことしかできませんでした。それから村の人々は誰一人として戻ってくることはなく、村は二度と元の賑わいを取り戻しませんでした。
教訓:他人のために力を使うことを忘れ、自分本位でいたら、いずれ自分にも災いが降りかかる。
𝔅𝔞𝔡 𝔈𝔫𝔡.
https://anond.hatelabo.jp/20241204221719
コレなんか典型だな
こういう人って、自分はアニメオタクじゃなかったんだ、みたいな自覚を持てないのよね
---------------------------------------------
例えば好きにもいくつかある
・ただただそれが好き
・それが巧い(or 知識がある)として褒められる事が好き
・それを好きな奴らが好き
大抵の場合、原因がどれであっても
自分が好きなのは自分だったんだけど、オタ活が好きだと勘違いしちゃってた人の末路
それが30超えると難しくなっていく
アンチになるんだよね
それこそ速い人は30で「あ、違ったわ」となる
哀しい生き物なのよ
そりゃ狂うんだよ
相方だったり、子供だったりが日常に入ってきて、プライオリティが置換されるんだ
それを行えず
それでも社会に出ていくんだよ
自分を褒めてくれる、一緒に行動してくれる、自分に興味を持ってくれる人が居ないと生きていけない
早めに気付ければ、俺には居場所が必要なんだと意識を変えられる
でも、それすらも出来ない類の人らが居る
そうするともう狂うよりない
最先端の事に次々手を出すようになるし
「あぁ」ってなる諸兄もいるでしょ?
そういう人はあまり誘われなくなったりする
だから付き合いが維持できない
結果、45で何もかもを失って狂う
もうすっかり会いたくないと思っている相手が、そういえばまだ恋人だったので別れてきた。
19時に駅前で合流。
ゆっくり話ができる店がいいかな~それとも大衆居酒屋のほうが気楽かな~と尋ねてみたら、
音楽をゆったり楽しむタイプの喫茶店(夜なのでバー営業)に行きたいと言う。
昔一緒に行ったことがあるし、まったりお喋りするにはいいけれど、こちらは食事もしていない。
「静かなお店がいいならあそこに静かめの和食料理屋があるよ、大衆寄りでもいいならそっちのお店はおいしいよ」
提案してみたけど「ん~なるほど~~」と返事を濁して歩こうとする。
土地勘はこちらのほうがあるのでどこに向かおうとしているのか聞いたら「喫茶店」だそうだ。
「もう少し食べられるところがいいんだけど……」
「でも話をするなら静かなお店だと思う」
こういう根っからの自分本位なところが本当に嫌だったことを思い出した。
「食べられるところがいいって伝えたのに自分は食事したから気にしなかったよね。おなか減ってるんだなとか違うお店がいいんだなとか考えなかったよね。自分がここって決めたからそれ以外の選択肢消してて目の前にいる相手のことなんてまるで考えなかったよね」
傷ついた顔してたけど、そういうナルシシズムさえいらないからちゃんと反省して欲しい。
もうすっかり会いたくないと思っている相手が、そういえばまだ恋人だったので別れてきた。
19時に駅前で合流。
ゆっくり話ができる店がいいかな~それとも大衆居酒屋のほうが気楽かな~と尋ねてみたら、
音楽をゆったり楽しむタイプの喫茶店(夜なのでバー営業)に行きたいと言う。
昔一緒に行ったことがあるし、まったりお喋りするにはいいけれど、こちらは食事もしていない。
「静かなお店がいいならあそこに静かめの和食料理屋があるよ、大衆寄りでもいいならそっちのお店はおいしいよ」
提案してみたけど「ん~なるほど~~」と返事を濁して歩こうとする。
土地勘はこちらのほうがあるのでどこに向かおうとしているのか聞いたら「喫茶店」だそうだ。
「もう少し食べられるところがいいんだけど……」
「でも話をするなら静かなお店だと思う」
こういう根っからの自分本位なところが本当に嫌だったことを思い出した。
「食べられるところがいいって伝えたのに自分は食事したから気にしなかったよね。おなか減ってるんだなとか違うお店がいいんだなとか考えなかったよね。自分がここって決めたからそれ以外の選択肢消してて目の前にいる相手のことなんてまるで考えなかったよね」
傷ついた顔してたけど、そういうナルシシズムさえいらないからちゃんと反省して欲しい。
今Xなどでたくさん燃えている「日本の出生率の低下」の話題について、最も憤りを感じている層のわたしです(40代既婚子なし)
出生率が下がることによる色々な社会的変化はポジティブなものはおそらくないであろうという気持ちは分かる。わたしもずっとそう思ってきた。
かと言ってわたしに子どもを持たない選択をする人に全く偏見はない。
なのになぜ耳が痛いのかというと、わたしが不妊治療を今まさに経験しており、夫側の原因で、子どもが持てないことが分かったから。
わたしは障害のある子どもに関わる仕事をしているから、高齢出産に伴う障害のリスク、親子ともに健康にその後の人生を歩める可能性が年齢と共にぐんと下がることも学術的、見聞きした経験的に体感している。
加えて,不妊治療を始めた時に「そもそも自然妊娠で授かり、無事に胎内で育ち、無事に産める可能性」が40代を境に急落することも説明され、始めてすぐに、人工受精や体外受精を前提に治療を開始するという治療方針のもと、夫婦の検査及び体質改善などを進めてきた。
わたしたちは結婚して10年未満ではあるが、時々は夫婦生活もあり、それでも自然に授からないのも不思議には感じていたけれど、開始した当初には楽観視していた。
「授からないのではないかな?」ではなく、医師の治療方針と同じく「安全に合理的に授かれる最短の道を選ぶ」ために不妊治療を開始したテンション感だった。
男性不妊は珍しいことではない。不妊治療を受ける半分くらいはその原因があり、また、100人に一人くらいは全く精子のないいわゆる無精子の状態もあると。
だけど、告げられた時にやはり「えっまさか」「あーーーそうなの…」と二人で声が出た。
予想していなかったのだ。
人は正常バイアスをかけたいものであり、自分にとって悪い方のシナリオというのは、ないであろうと考えたいものだ。
診断結果を告げられた時に担当の先生から出た次の言葉は「どうしますか、さらに治療を続けますか?」だった。
今思えば、100人に一人だ。そして、私たちは40代だ。その時点で、断念してもおかしくないという状況を暗に言ってくれていたのだと思う。
それでも夫がすぐに「僕はどうすればいいですか」 と次の治療を求めてくれた。
結果的に、男性不妊の専門医にもかかり、精密検査,遺伝子検査まで受けて、最終的に、物理的に手術をして使用できる精子があるかどうかの、これ以上進むところのない手術まで受けてくれた。
私も私で、それを受けてすぐに体外受精を行える段取りを組むため、自分の勤務を最大限に調整してもらい、体の準備も整えていた。
だけど、3分の2くらい成功すると言われていたその手術の結果、無情にも「夫の子は持てない」という事実が確定した。
100人に1人の、3分の1の確率が、私たちにめぐってきた、それだけのことなのだけど。
それを踏まえても、私は子どもを諦められない。
でも夫のせいにもしたくない。
夫も傷ついている。
そんな諸々の葛藤とストレスが重なり私は軽度の鬱になり、眠れなくなり、希死念慮も出て、仕事を休むことになった。
夫婦の間にもなんとも言えない違和感のようなものが生じているように感じる。
ただ子どもを望んだ結果が、ここまでになるなんて。
この先、と言って男性不妊のクリニックの先生が提言してくれた道は3つ。
夫と話し合った結果、やはり「私と血が繋がってるとはいえ、他人の子を育てる気にはなれない」と言われた。
実際、他者の精子提供で妊娠する道についても詳しく説明をされたが、日本ではまだ、成功率が1桁%くらいの治療でしか、夫以外の人工授精が認められていないらしい。
しかも、子どもが大人になっても、自分の生物学的な父親を知る権利がないという。
それでは、子どもが幸せに育つ確率自体がまたぐんと下がってしまう。
では、夫の親族にドナーになってもらう道はどうか。夫もそれならば自分の愛着が湧くであろう。日本にも少ないけれどそのように子どもを持った人がいるらしい。
答えはそれもノーだった。
今の日本の生殖医療では親族間の提供は倫理的に、タブーとされているらしい。
何故?他人の精子はいいのに、夫の親族間がだめだという倫理観とは??
私も夫も容易に理解ができなかった。
どの道にも間違いはない。けどどの道が正解かは分からない。
今、いつ鬱症状がひどくなるか分からない状態で正直、どの道を受け入れること自体が,私たち夫婦にとって難しい。
そうこうしているうちに、私も年老いていく。
どうしようもない。
出生率の低下が、女性が自分本位になったからとか、収入が低いからとか、男性が子育てする支えが足りないからとか。
そんなレベルじゃない、産みたいのに産めなくて苦しんでいる人はまだ何パターンもあることを、私は身をもって体感したから、今の出生率低下の原因をあれこれ言うトレンドに憤っているのだ。
何がわかる?
そして、なぜこんなに子どもが欲しい人に、荊の道ばかり用意されているの?
もちろん、子どもを持つ以上、生まれた子どもにとって最大の利益となる環境が用意できることが大切だ。
そのための倫理観なのであろうが、私にはどうしても、こんなに少子化が悪とされる風潮の中、「身体的にどうしても生物学的に自分達だけの子どもが持てない」人への救済がないんだろうかと、そこに憤っている。
私たちだけじゃないはずだ、こんなどうしようもない気持ちと、よくわからない「倫理観」に憤っているのは。
もし、同じような境遇を体験したことがある人がいたり、生殖医療における倫理観に悔しい人,意見をいただける人の目に留まったら、少しは次の道を考える糸口になるかもしれない、と思って書いています。乱筆で失礼しました。
私には五歳年上の兄がいる。
私は彼氏との結婚を見据えて同棲することになり、近々実家を出る予定だ。
そうなると実家には兄と母の二人だけが残ることになるが、この兄と母のこれからの生活が心配で仕方ない。
兄は特に粗暴な性格ではないけれど、ナチュラルに優しくないところがある。自分本位で周囲への配慮が薄く、やりたくないことは絶対にやらない、そんな兄なのだ。
ある日の夕食後、ふと兄に言ってみた。
「たまには兄さんも料理してみたら?」
「嫌だよ。今更めんどくさいし、興味もない」と、兄は無関心に答えた。
その瞬間、兄が常に母や私に「めんどくさいこと」を押し付けていることについてどう思っているのか、疑問に思った。
また別の日、母が怪我をして、私が車で病院に連れて行ったときのこと。
「お母さんを連れて行けて良かった。前に免許を取らないって言って教習所をキャンセルしてたけど、まだ30代のうちに免許取ってみたら?」と提案してみた。
すると兄は、「え、いいよ。運転興味ないし。もし事故ったら嫌だし。妹が免許取ってくれてて助かった。ありがとう」とあっさり返した。
「でも私がいなかったらどうするの?」と問うと、兄は「タクシーか救急車でいいでしょ」と言った。
その時、私は母が気を使うタイプだから、タクシーや救急車を使うことを躊躇うだろうと思ったが、兄はそんなことを考えもしない様子だった。
兄が一人暮らしをしようとしたこともあった。それは2019年末頃のことだ。
社会人になって数年、金銭的に余裕も出てきて、一人暮らしを始める友人も増えてきたためだろう。現実的に通勤時間を短くしたいという思いもあったようだ。
しかし、コロナの流行によりそのきっかけを逃し、それ以降兄が再び一人暮らしを計画している素振りは全くない。
もし一人暮らしをしていたら、もう少し母や日常の家事に対する想像力が育まれていただろうか?
我が家では基本的に母か私が食料品の買い出しをしている。私が実家を出た後は、母だけが買い物をすることになるだろう。それに対して兄が特に何も感じていない様子に、内心呆れることがある。
神奈川の田舎で、車があった方が便利だけれども、電車も発達している地域に住んでいることもあり、兄にとっては免許を取る理由が全くないようだ。
兄の社会性が薄れていったこととコロナは無関係ではないと思う。
以前は嫌々ながらも上司や会社の人と飲み会をして、そのときの話題を食卓で披露することがあった。コロナで在宅勤務が定着し、通勤や社交の機会がなくなったことで、兄の外出は本当に減った。
コロナが明けてから会社の飲み会が再開されたようだが、今や皆が参加するわけではなく、兄は全く出席しなくなった。
もともと友達が多いタイプではなかったため、休日は部屋にこもってゲームをするか、Vtuberの配信を見るかしている。平日も夕食のときだけ顔を出し、その後は自室に戻る。
私が出て行った後に兄と母が食卓を共にするだろうか?兄はゲームやネット配信を見ることを優先し、食事のタイミングをずらしてしまうのではないか?母は兄がそうしても何も言わず、一人で食事を取るだろう。
ゲームをして配信を見ているだけでも、人間は歳を取る。兄は今後どんな中年になっていくのだろうか。
来月中旬には私はもう実家にはいない。実家には年に一度か二度顔を出す程度だろう。そのたびに、少しずつ老いていく母と、少しずつ社会性を失っていく兄を見ることになるのだろうかと思うと、少し憂鬱になる。
罪悪感を吐き出させてくれ。
当方、あと数か月で三十路になる彼女いない歴=年齢の魔法使い候補生。
少し前からマッチングアプリを始めたり、婚活イベントに行ったりしている。
きっかけは、友人が結婚したり、父が入院(現在は普通に完治)したりで、将来、疎遠や死別により現在の人間関係が途絶えて自分が孤独になる未来を思い描いてしまったから。
大の男が言うには情けない台詞だが、俺はかなりハッキリと孤独が怖い。
だから、強いつながりを持つ『家族』という関係を、いずれ自分より先になくなる両親以外に欲して、結婚を志した。
だが、そこで大きな問題になるのが俺が精神疾患持ちという点だ。
まあ、『持ち』といっても、かかってから数か月程度のビギナーで、今のところ社会生活も向精神薬パワーで破綻せずに送れている。
が、それでも、通院歴のある精神病患者であるということには違いない。
当たり前だが、プロフィールに「○○病持ちです!」なんて書いてはいない。
誰だって汚点はあって、普通はそれを初対面の人に堂々とひけらかしたりはしないので、未記載それ自体が悪いことだとは思わない。
が、もし親しい間柄のお相手ができて、精神疾患のことを告げ、それで別れることになったら、お相手の時間を無駄にしてしまったことに対してはきっと罪悪感を覚えるだろう。
まだそういう相手がいるわけではないので、ある種、捕らぬ狸の皮算用的ではあるが、そんな未来を考えると気が重くなる。
わりと原因が外的なモノでハッキリしており、一年もすれば確実に状況は変わるので、おそらくそこまで耐えればなんとかなると想定でいる。
ただ、精神疾患の通院歴があると、ローンや保険で3~5年は審査で問題になるので、結婚ということ考えるとお相手に迷惑をかける可能性が高いことには変わりない。
いや、これも言い訳だ。
上記を踏まえた上で、それでも精神疾患現役で婚活をするよりは解消してから婚活をした方がマシなのではないかという考えはある。
ただ、はてなでも少し前に話題になっていたが、ろくな恋愛経験もない三十路が婚活で成功するのは非常にハードルが高い。
それを少しでも成功の確率を上げようと思ったら、一秒でも早く動きだし、女性と話す経験などを積むことが大切なハズだ。
だがそんな人間でも全く罪悪感を抱かないわけではない。
あとで消すだろうけど、せめてここでその罪悪感を吐き出させてくれ。
総額数百万の借金をようやく完済した。
社会人になりたての時期からアラフォーに至る今まで、約20年にわたる返済人生を歩んで、ようやくここまで来た。
これまでに借りた総額で言えば数百万円ではきかないと思う。借りては返し、返しては借り、を繰り返していた長い時期を考えると、これまでの所得の10%を借りていたとしても、総額1,000万円近い金額だったのかもしれない。恐ろしいことだ。
借金問題に詳しい増田の読み手ならお察しだろうが、多額の借金を返済できたのは任意整理を行なったからである。数年前に思い立って法律事務所へ赴き、相談を経たのちに任意整理に至った。借入先には忍びないが背に腹はかえられぬ。実行可能な返済計画に従って、利子を除いて淡々と返済を続けた結果、ある程度前倒しで完済することができた。
任意整理によって信用情報に傷がつくのを躊躇していた私に司法書士が放った「客観的に見てあなたの家計は終わっています。任意整理すべきです」という言葉が強く印象に残っている。
ではなぜそのような借金をするに至ったのか。借金問題に詳しい増田の読み手ならばお分かりだろう。
そうです。ただの浪費です。
私はギャンブルもせず、酒も人並み、衣食住も身の丈にあった暮らしをしていると自認している。少しずつではあるが人並みに地位を築き、所得を絶やさず増やしてきた。にも関わらず振り向けば常にそこに借金があった。
新卒入社した会社の手取りは約18万円。当時にしても決して低くない金額だった。将来に投資しようとかなり安いアパートにひとり暮らしをして、家賃を除いた生活費が毎月13万円程度あったはずである。携帯代1万円、ネットと電話代1万円、奨学金返済が1万5千円、光熱費8千円。残りは少なく見積もっても毎月7万円程度は生活費・食費として残るはずだった。今振り返ってみても、余裕のある生活が送れる所得、なんなら貯金をしっかりすべき所得に思える。
所得だけを見て「自分は人並み程度にはお金の心配がない生活が送れるはず」「支出傾向から考えても普通の生活が送れないわけがない」という思い込みがあったことが、借金生活をスタートする土台であったと確信できる。要するに、自分は借金とは無縁の生活が送れる、借金などとは無縁の人並みの暮らしができないはずがない、という甘えた考えがあったのだ。
当時の暮らし。毎朝起きてすぐタバコを吸って、朝食は会社のデスクで菓子パンと缶コーヒー、昼食は数百円の弁当、夜もラーメンやら外食やら。一杯ひっかけて帰ることもしばしば。たまに自炊。休日は映画館やらDVDレンタル、欲しい本や漫画があれば躊躇せず買い、ブックオフで古本を買いあさり、季節が変われば新しい服やスニーカーを新調。出かけたらタバコが吸えるコーヒーショップで一服。誘われれば飲み会にも行くし、彼女には奢るし、休日はどこかで外食をする。
気がつくと、手元にお金は残らなかった。残るわけがなかった。 自分の欲望はささやかなもので、日々の労働の対価として当然に享受してもよい消費だと思っていた。 これくらいの消費行動・金銭感覚は周りを見渡しても当たり前で、パチンコで数万円負けた、なんて笑う同僚よりも自分はまともなんだと思っていた。 だが当然に現金はすぐになくなり、給料日を心待ちにする日々が続いた。
ある時、ATMにキャッシングという項目を見つけ、クレジットカードを入れて1万円を引き出してみた。すると現金が現れた。
返済方法にリボ払いという選択肢がある。押すと返済額が毎月定額になった。
当時よく上司や友人がクレジットカードのことを「魔法のカード」などと笑っていたが、買い物だけではなく、まさか現金までも引き出せるとは。
給料日までの現金に飢えた自分にとって、まさに魔法であった。
ここから先の展開は予想に難くないだろう。足りない現金を埋めるためにキャッシング。預金がなくとも借入金の上限はまだまだある。毎月遅れることなく返し続けていれば問題ないのではないか。だが一向に元本が減らない。まあそんなもんか……。今月も借りては返し、返しては借り……。
若い時の苦労は買ってでもしろ、などと見栄を張って、自分は劣っていないと思い込むために金を使うことは未来への投資。
そんな欺瞞で自分を正当化する。
結局、そんな生活を15年以上送ってきた。
そんな私でも結婚をした。結婚式なんてできず、子どもを作る余裕なんてなかったが幸せだった。この人を幸せにしたいと心から思っていた。
短い結婚生活だが幸せだった。借金はあったけど幸せだった。正しく言うならば、幸せだったけど借金はあった。
借金とは別の問題で離婚をしたが、借金は遠因のひとつであった。自分本位の生活を送ってきた仇だ。
夫婦間のストレスを言い訳に風俗に通いを覚えて浪費する額が一気に増えた。離婚のストレスを言い訳に女性と遊んだ。遊ぶ金はもちろん自転車操業だ。住宅ローンなんて組めやしない。
自分はこれでも極度の貧困よりはマシなほうで、借家もあるし仕事も収入もある。地位も得てきたし、借入先も銀行系で闇金ではない。だから自分は普通の暮らしをしてしかるべき、という勘違いをこの期に及んで続けてきた結果、皮肉にも、自分は明らかに普通ではない生活をしていたのだった。
自分の愚かさを認めるのは、決して難しいことではない。毎月1万円ずつ返済していた時ですら自分は愚かだと自覚はしていた。
難しいのは、その愚かさを改めることだ。
借金を借金と思わずに、限度額いっぱいまで余裕があると感じてしまっていた愚かさ、自分は普通の収入を得ているし闇金にも手を出していない、それゆえ金銭的苦悩とは縁がないという短絡さ、支出を抑えてもどこかで気を緩めて使ってしまう消費依存傾向、こうしたアホ思考とマネーリテラシーの低さ、それを改めようとしないバカさ。
それらの問題を根本的に見つめ、改めることが早い段階で必要だったはずだ。
自分はアホでどうしようもない、という自己憐憫だけにとどまらず、何がなんでも事態を改善する行動、改める意思。それが何より困難なことだった。
もちろん固定費を削ったり、家計簿をつけたり、支出を管理したり、食費・交際費を節約したりもした。だがそうした行為も破綻してからでは遅かった。アンコントロールな状態に陥った借金と利息はもはや手がつけられない。燃え広がった火災にコップで水をかけるようなものなのである。
世の中は様々な借金に満ちている。闇金や消費者金融、キャッシングにリボ払い、住宅ローンに割賦サービス、おまとめローン、奨学金。
これを読んでいる増田の読み手におかれては、借り入れなどとは無縁で、支出と収入のバランスを保ち、資産形成にも励んでいることだろう。
だが、もしそうでない方がいるのであれば、どうか借金とはうまく付き合っていってほしいと心から願う。
返すために借りるとか、複数社の借入であるとか、イリーガルな借金に手を出すなど、引き返せない状況に差し掛かるまえに、信頼できる人、あるいは窓口へ相談してみて欲しい。そして、どうか思いとどまって欲しい。どんなに苦しくても引き返す手段はちゃんとある。私だって完済できたのだ、まずはあきらめないことだ。
借金は、欲望をブーストさせ、思った以上に人生をスポイルし、自らの可能性を削っていく。
もしこの世に「人生に利する賢い借金」というものがあるのならば、あなたは自分が思うよりずっと賢くなければならない。
少なくとも私はそう思う。
今日、最後の返済をした。これで完済となります、と電話口でオペレーターが言うのを聞いて、電話を切った。
空に向かって「……やっと終わった」と言った。やっと終わった。何回か口に出した。身体が軽くなった気がして、めまいがした。
人生の半分をともに過ごしてきた借金、負債。文字通り負ってきたものをようやく手放すことができたのだ。
ずっと我慢していた本を買おうかな、ぱりっとしたシャツを仕立てようかな、スマホを新しくしようかな。
もう給料日に10万円を借入先へ振り込む必要はないんだ。これからはストレスのない、幸せな生活が待っている。
別れた妻が笑う顔が好きだった。
なのに泣かせてしまった。
将来は人並みに結婚式をして子どもを育てるものだと思っていた。
ずっとなりたかった職業があった。せまくても自分の家が欲しかった。心からの友達が欲しかった。親孝行をしたかった。
今はただ後悔しかない。
借金なんてしなければ良かった。
これからいくら幸せになれたとしても、得られず失ってしまったものばかりが目にうつる。
長かった夏が終わり、秋が始まろうとしている。
もう二度と帰ってくるなよ。
肉じゃがを得意料理に挙げちゃう人はかなりの確率で自分本位のメシマズ
自分一人で食べる分には大したことない。手間かかるだけで煮物だから火入れで生だったり焦がすリスクは低いし、醤油と砂糖ベースの甘辛味はかんたん酢のCMみたいに鍋にドボドボやっても派手に壊さない。
ただ、人に食べさせるとなると話が違う。増田は煮崩れするのを問題としているが、その煮崩れが好きな人が結構いる。つゆだくが好きな人、無水が好きな人、色が濃いのが好きな人、ダシ多め派、豚肉派、牛肉派とまあ好みが分かれまくる。100人いたら100種類の好みがあるって言っていいくらい違う。自分にとっての美味しいが他人にとって美味しいとは限らない。カレーもそうだけどこのタイプの料理は好みが割れすぎる。
これを得意料理って言える人はその怖さを知らない自分の味覚が絶対と信じ込んでいる自信過剰な人なので関わらない方がいい。もう少し味が薄い方が好きとか言おうものならブチ切れられるで。婚活なら男女問わず即切りでいいと思う。
高齢出産アンチなので、40近くなって子供産もうとか考えてるバカは今すぐ去勢して欲しい。
子供が恥ずかしく思うだとか、
障害児だとか、
そんな分かりやすいところじゃなくて、
世間とズレた感覚の子供が出来上がることなんだよね…。(あんまり認識されてないと思うけど)
友達もできないし、
ジジババと話し合わないでしょ?
使う言葉違うでしょ?
そんな親が育てた子供は、大多数の子供と違う感覚を持ってて、それが世間から見たら変な子なわけ。
きついオタクだったり、
話しててなんかン?ってなる子だったり、
なんか変な知恵とか持ってたり、
自慢したがりだったり、
そういう子って大体親が高齢なんですよね。。
寂しい思いとか辛い思いとかしてる。
親ガチャ失敗とか言われるんだろうなぁ〜。
かわいそう。
その年まで子供作らなかったor作れなかったのは
自分本位で子供欲しい〜って老体から世間ズレした子産み落とすの恐怖でしかない。
その世間からのズレを認識しないまま今日まで来てなんか美談にしてるだけ。
絶対どっかで生きづらさを感じてるはず。
普通の若者が経験しない心配事が増える。子供からしたら迷惑でしかない。
しかもその子供も世間ズレしてて他人に迷惑なり不快感を与えてるから最悪。
金があればいいとかじゃないからね??
ボケは金じゃ直せないんだし、
30代になるくらいまでずっとどこか浮いてる感じで生きてきた。
中学時代は基本的に仲の良い友達と呼べるのは一人しかいなかった。誰かと一緒にいるより一人の時のほうが楽しかった。
別にスポーツもできないし大人しかったのでイジメられても全然おかしくなかったと思うが不思議と標的にはされなかった。
中三くらいになると一人でずっと机につっぷして寝てる感じで過ごしてた。
高校時代になるといよいよ学校そのものになんの意味も感じなくなって授業中含めて寝てる事が多かった。
周りからはなんかよくわからんやつという感じで、仲良くもならないしイジられたりもしなかった。
どこか不気味な感じがあったのかもしれない。とにかく俺は一人ぼっちなのにめちゃくちゃ堂々としていた。
大学ではなんとなく仲間みたいなのができた。
別に自分が好きな人たちと仲良くなっていったとかじゃなくて、たまたまグループの中になんとなく属してたくらいの。
大学でも基本的に一人で好きに行動してた。ちなみに中高大と彼女はなぜかできてた。でも彼女についてもそこまで執着してなかった。
卒業した後はしばらくはフリーターでバイト先の人らと遊んだりしてた。
虚無ってわけではなくてやりたいことっていうのは常にあって、一人で色んな事して充実していた。
具体的には車を買ってあちこちドライブ行くとか、見たい映画が山ほどあったり、音楽作るのにハマったのもそのころだ。
音楽に関してはバンドをやりたくなったのでそこは仲間が必要になったんだが、別に誰でもよくて楽器できる人がいたら声かけて一緒に遊んだりしてた。
そんな青春時代で、俺は人からなぜか羨ましがられることが多かった。
「なんか自分を持ってる」「他人に振り回されない」「どこか謎めいてて気になる(女性から)」そんな感じのことを言われる事が多かった。
周りもみんな若いからまだまだ表面的なとこで人を見てしまうのだ。
実際の中身としては特になんにも考えてないだけだったし、人から嫌われるのもイヤだったし傷つくことも普通にたくさんあった。
だけど人の気持ちが分からないから結果的に自分のしたいようにしてしまってるだけだった。
付き合った彼女なんかは別れる時には「なに考えてるかわからない」「もっと心を開いてほしかった」とか言われる事も何回もあった。
他人を気にしない俺は優しく見えていたんだと思う。だけど付き合ってくうちに優しいっていうか私のことどうでもいい?って気づいたんだろう。
まあこっちとしてはちゃんと好きなつもりではいたんだけど、好きは好きだが心を開くってどうすればいいの・・って感じだったので泣かれて終わる事が多かった。
今振り返れば「自分の居場所」なんて概念自体まったく存在してなかった。
世界は常に自分とはあまり関係がないように思えて、精神的に居心地の良い場所なんて考えたことすらなかった。
そんな感じなので社会に出て当たり前に苦労した。
しばらくはメッキが剥がれてないので「こいつ不器用だな」って感じでけっこう可愛がられたとは思う。しかし自分自身が徐々にほころびを感じ始める。
「なんか俺やっぱなじめてないな」ようやくここで他者とのズレを認識しはじめる。会社組織というのはやはりそういう人間を浮き彫りにしてしまう。
それからの俺は他人を意識するようになった。その結果まったく魅力がなくなった。
今までの俺は中身がバカであれ、他人のことなどほとんど気にしてなかった。だからズバズバ鋭い意見も平気で言えたし、「自分の生き方」を持ってる人みたいな見られ方もしていたのだ。
しかし周りを気にするようになった途端、単なるポンコツと化していく。慣れないことなんかしないほうがいいのに、変に周りを意識しすぎてあらゆることがうまくいかなくなっていった。
その頃になると俺は「心地よい居場所が欲しい」と思うようになっていた。
仕事で自分が求められてると感じたい、人に愛されてると感じたい、そんな承認欲求がふつふつと湧いてきたのだ。
それから何年もの間周りに評価されよう、愛されようと努力していたがうまくいかなかった。こんなに求めてるのに認めてもらえない事で心は荒んでいった。
その頃学生時代の仲間と久しぶりに会うことがあった。
「増田君、来ないかもなって言ってたんだよ」「いっつもフラっといなくなってたし」
ついでに当時付き合ってた元カノとも会えた。
「そんなに自分の事話す人だっけ?」とおかしそうに笑っていた。
確かに自分の事なんてほとんど他人に話さなかったなと思い出す。
俺は今仕事でもプライベートでも、かつての自分を取り戻すべく意識的に心を閉ざすようにしている。
色んな人に言われて他人に心の扉を開くような努力もしてきたが、今はまったくそんな必要はないなと思っている。
仕事で成功するには仕事の出来だけじゃなく、それを正しく周りにアピールできる事が重要だと俺は思ってる。