はてなキーワード: ソフトスキルとは
スズキのパイ包み焼きソースショロンを作ることもできるし、江戸前鮨を握ることもできる。
買い出しは含まずに、1h~2hで家中のタッパーを埋め尽くすほどの作り置き(5~6品)を用意することができるし、
それによって、朝食の用意や弁当の用意が劇的にラクになり、あわただしい平日の朝を、比較的ゆったりと過ごすことができている。
思いっきり過言すれば、作り置きには料理と人生のすべてが詰まっている。
家庭料理であるし、特別なものではないから敷居は低い一方で、品質・速度・品数の三つを高めていくことを意識しながら取り組めば劇的な料理スキル向上に加え、仕事全般に生かしうる思考スキルの向上が期待できる。何よりも楽しい。
具体的には以下のスキルが、週末を重ねるたびに向上していくのを実感できるはずである
・早く、かつ高品質な作り置きを複数品用意しながらも、後片付け工数を最小化するための段取り設計能力
・家にある食材や買ってきた食材をもとに、それっぽいレシピを考えるための思考の瞬発力
私はその挫折をあなたが乗り越えるためのノウハウを持っている。
私はそれを作り置きシステム、と呼んでいる
・具体的には包丁を扱うことができる、強火と弱火の違いが判る、直材は同じサイズに切り分けたほうが良いと知っている、家に調理器具(フライパン、電子レンジ、オーブントースターなど)が存在し、日常的に利用している、といった読者を想定している
・また四人家族程度までを想定している。それ以上の人数の場合も基本な考え方は変わらないと思われるが、単純に量が増えるので調理アプローチが変わる可能性はある
作り置きを週末に用意したいと考えている人は多いものの、以下のようなハードルがあってなかなかできない、続かないことが多いのではないか
・普通の人は4品も5品も料理することを考えるだけでうんざりする。
・そんなにレシピの引き出しないよー。クックパッド見てもなんか食材がたくさん書いてあるし、工程も複雑だし……。
・レシピが決まっても、買い物リストを作るのも面倒、作る段取りをあれしてこれしてと考えるのも面倒、できてみたら鍋と皿の山がシンクに……。
・これならコンビニでいいや……
・料理中級者以上にあるあるだが、何を作っても自分好みの味にはなるのだが、全部同じ味になってしまう……。
・結果、すぐ飽きる
・まず、上記の問題は、レシピ検討における基本的な考え方や、段取り設計にかかる基本的な考え方が備わっていないがゆえに起きていると考えている
・多くの人は、個別のレシピを見る⇒おいしそう!つくってみよう!⇒また別のレシピをみる⇒つくってみよう!を繰り返していると理解している
・この場合、包丁の扱いや火加減、味付けなどのハードスキル自体は自然と向上していく一方で、個別レシピを抽象化したレシピ設計の考え方や調理工程設計~調理~後片付けの考え方といったソフトスキルが身についていないものを思われる
・ソフトスキルである”個別レシピを抽象化した基本的な考え方”があれば、個別レシピを探さなくとも料理を低負荷高品質で用意することが可能になる
作り置きにおける材料と調理方法の基本的な考え方は以下の①と②である。
この①と②だけ頭に叩き込んでおけば、買い出し前のレシピ検討はほとんど不要である
・食材(野菜、肉、魚など)+調味料(さしすせそ等)+薬味(ハーブ、わさびなど)+油
・食材~油の選択×加熱方法(生、炒め、ロースト、蒸し、茹で等)×調味タイミング(加熱前 or 加熱中 or 加熱後)
・具体的には、ナスとピーマンのみそ炒めを作るのではなく、ナスのみそ炒めとピーマン塩こぶ和えを作るということである
・具体的な効用として、
⇒ナスとピーマンをそれぞれ切って合わせて炒める手間も、ナスを切って炒め、ピーマンを切って塩こぶ和えを作る手間も変わらない
⇒ナスとピーマンの炒め物程度のものでも、ナスとピーマン両方に適切に火が入っている状態にするのは難しい
⇒料理は色と似ている。あれこれ混ぜれば混ぜるだけ、よくわからない、全部同じ味になる
・これは一種類とは言わないが、六味(五味+うまみ)のうち、一つの料理に適用するのは2種類に抑えたほうがいい(塩味担当の調味料+それ以外の味)
・これは複数の種類の作り置きを、それぞれ違う飽きない味にするためには、それぞれの品のエッジをある程度たたせたほうがいいからである
・一品だけ食べるとちょっとものたりないな、と感じても、いろいろたべたら飽きずに満足、という世界観を目指している
・スーパーにいって、その時特売になっているもの、ピン!ときた食材、薬味、調味料をバンバンかごに入れていく。以上である
・上記で説明したレシピ検討の原則にのっとっていればよいため、何を買ってもいい
・買った食材の数と品数は完全に一致するので、食材の組み合わせなども考えなくてよい
・上記を実現するためには、
ことが肝要となる。
1つは漬物系
3つは炒め/茹で系
に配分するイメージ
具体的なプロセスとしては
①放置系準備
②放置系加熱(or漬け)開始
③手間系準備
④手間系加熱
⑤全品完成
加熱せずとも食えるもの⇒加熱必須なもの、の順に下ごしらえする。
具体的には野菜⇒魚⇒肉の順に下ごしらえする
火入れ工程では水の出にくいもの(根菜類や肉魚)⇒水の出やすいもの(ナスやキャベツ)の順番に調理する
・ナス
・きゅうり
・ピーマン
・かぼちゃ
・いわし
・鶏もも肉
と設計
①きゅうりをスライス、塩と酢(調味料は二つまでのルール)、練りからしと混ぜて放置(砂糖は加えないこと!)
②かぼちゃを適当な大きさに切る。塩、オリーブオイル、ニンニクのすりおろし(調味料、薬味、油が一種類ずつ)と混ぜてオーブンに広げ加熱開始(オーブントースターでもよい)
⑥そうこうするうちにかぼちゃのローストが完成しているので、取り出す
⑩15分くらいして火が通ったらおろしショウガをたっぷり入れる
⑪そうこうするうちにイワシが焼けたら、ほぐしてちぎった梅干し、刻み葱と和える
・いわしの梅和え
スズキのパイ包み焼きソースショロンを作ることもできるし、江戸前鮨を握ることもできる。
買い出しは含まずに、1h~2hで家中のタッパーを埋め尽くすほどの作り置き(5~6品)を用意することができるし、
それによって、朝食の用意や弁当の用意が劇的にラクになり、あわただしい平日の朝を、比較的ゆったりと過ごすことができている。
思いっきり過言すれば、作り置きには料理と人生のすべてが詰まっている。
家庭料理であるし、特別なものではないから敷居は低い一方で、品質・速度・品数の三つを高めていくことを意識しながら取り組めば劇的な料理スキル向上に加え、仕事全般に生かしうる思考スキルの向上が期待できる。何よりも楽しい。
具体的には以下のスキルが、週末を重ねるたびに向上していくのを実感できるはずである
・早く、かつ高品質な作り置きを複数品用意しながらも、後片付け工数を最小化するための段取り設計能力
・家にある食材や買ってきた食材をもとに、それっぽいレシピを考えるための思考の瞬発力
私はその挫折をあなたが乗り越えるためのノウハウを持っている。
私はそれを作り置きシステム、と呼んでいる
・具体的には包丁を扱うことができる、強火と弱火の違いが判る、直材は同じサイズに切り分けたほうが良いと知っている、家に調理器具(フライパン、電子レンジ、オーブントースターなど)が存在し、日常的に利用している、といった読者を想定している
・また四人家族程度までを想定している。それ以上の人数の場合も基本な考え方は変わらないと思われるが、単純に量が増えるので調理アプローチが変わる可能性はある
作り置きを週末に用意したいと考えている人は多いものの、以下のようなハードルがあってなかなかできない、続かないことが多いのではないか
・普通の人は4品も5品も料理することを考えるだけでうんざりする。
・そんなにレシピの引き出しないよー。クックパッド見てもなんか食材がたくさん書いてあるし、工程も複雑だし……。
・レシピが決まっても、買い物リストを作るのも面倒、作る段取りをあれしてこれしてと考えるのも面倒、できてみたら鍋と皿の山がシンクに……。
・これならコンビニでいいや……
・料理中級者以上にあるあるだが、何を作っても自分好みの味にはなるのだが、全部同じ味になってしまう……。
・結果、すぐ飽きる
・まず、上記の問題は、レシピ検討における基本的な考え方や、段取り設計にかかる基本的な考え方が備わっていないがゆえに起きていると考えている
・多くの人は、個別のレシピを見る⇒おいしそう!つくってみよう!⇒また別のレシピをみる⇒つくってみよう!を繰り返していると理解している
・この場合、包丁の扱いや火加減、味付けなどのハードスキル自体は自然と向上していく一方で、個別レシピを抽象化したレシピ設計の考え方や調理工程設計~調理~後片付けの考え方といったソフトスキルが身についていないものを思われる
・ソフトスキルである”個別レシピを抽象化した基本的な考え方”があれば、個別レシピを探さなくとも料理を低負荷高品質で用意することが可能になる
作り置きにおける材料と調理方法の基本的な考え方は以下の①と②である。
この①と②だけ頭に叩き込んでおけば、買い出し前のレシピ検討はほとんど不要である
・食材(野菜、肉、魚など)+調味料(さしすせそ等)+薬味(ハーブ、わさびなど)+油
・食材~油の選択×加熱方法(生、炒め、ロースト、蒸し、茹で等)×調味タイミング(加熱前 or 加熱中 or 加熱後)
・具体的には、ナスとピーマンのみそ炒めを作るのではなく、ナスのみそ炒めとピーマン塩こぶ和えを作るということである
・具体的な効用として、
⇒ナスとピーマンをそれぞれ切って合わせて炒める手間も、ナスを切って炒め、ピーマンを切って塩こぶ和えを作る手間も変わらない
⇒ナスとピーマンの炒め物程度のものでも、ナスとピーマン両方に適切に火が入っている状態にするのは難しい
⇒料理は色と似ている。あれこれ混ぜれば混ぜるだけ、よくわからない、全部同じ味になる
・これは一種類とは言わないが、六味(五味+うまみ)のうち、一つの料理に適用するのは2種類に抑えたほうがいい(塩味担当の調味料+それ以外の味)
・これは複数の種類の作り置きを、それぞれ違う飽きない味にするためには、それぞれの品のエッジをある程度たたせたほうがいいからである
・一品だけ食べるとちょっとものたりないな、と感じても、いろいろたべたら飽きずに満足、という世界観を目指している
・スーパーにいって、その時特売になっているもの、ピン!ときた食材、薬味、調味料をバンバンかごに入れていく。以上である
・上記で説明したレシピ検討の原則にのっとっていればよいため、何を買ってもいい
・買った食材の数と品数は完全に一致するので、食材の組み合わせなども考えなくてよい
・上記を実現するためには、
ことが肝要となる。
1つは漬物系
3つは炒め/茹で系
に配分するイメージ
具体的なプロセスとしては
①放置系準備
②放置系加熱(or漬け)開始
③手間系準備
④手間系加熱
⑤全品完成
加熱せずとも食えるもの⇒加熱必須なもの、の順に下ごしらえする。
具体的には野菜⇒魚⇒肉の順に下ごしらえする
火入れ工程では水の出にくいもの(根菜類や肉魚)⇒水の出やすいもの(ナスやキャベツ)の順番に調理する
・ナス
・きゅうり
・ピーマン
・かぼちゃ
・いわし
・鶏もも肉
と設計
①きゅうりをスライス、塩と酢(調味料は二つまでのルール)、練りからしと混ぜて放置(砂糖は加えないこと!)
②かぼちゃを適当な大きさに切る。塩、オリーブオイル、ニンニクのすりおろし(調味料、薬味、油が一種類ずつ)と混ぜてオーブンに広げ加熱開始(オーブントースターでもよい)
⑥そうこうするうちにかぼちゃのローストが完成しているので、取り出す
⑩15分くらいして火が通ったらおろしショウガをたっぷり入れる
⑪そうこうするうちにイワシが焼けたら、ほぐしてちぎった梅干し、刻み葱と和える
・いわしの梅和え
Xなどでは未だにコンサルの素晴らしさやコンサルによるマウンティングが跋扈しているが、現役として違和感があるため、思っていることをまとめて記しておく。
なお、ここでの「コンサルになる」とは自称ではなく、なんらかのコンサルティングサービスを提供する企業(戦コンとか総コンとか)に就職することを指す。
本件、主な読者として、コンサルに新たに就職した新卒あるいは中途、あるいはコンサルを頻繁に使っている事業会社に加え、業界に何らかしら物申したい現役/OBを想定する。
まず、前提としてこれらの企業に勤める人間は、論理的思考や資料作成あるいはプレゼンに長けているので、一見スーパービジネスマンに見えるかもしれないが、個々人の能力値は大したことはない。また業界知見が豊富な人は稀。現代のコンサルは、多かれ少なかれ人材派遣ビジネスに近付いているように思う。
一方、いわゆるコンサル企業は並の人間を「速く即戦力にさせる」仕組みはとりわけ秀でているように思う。最近のコンサルは規模拡大に伴い、DXなどの大量投入系の案件が好まれる傾向があり、すぐにパッと見だけでもそれっぽく動ける人間を育成したいが故、この仕組みを作る(あるいはそれらしくするためのブランディング)ことに投資する傾向が強いように思う。
さて、前置きが長くなったが、コンサル企業の人材育成の仕組みは主にカルチャー、ハードスキル、ソフトスキルに分解されると思われる。
一番重要な、そして最近働き方改革や急拡大で最も危うくなっているのが、カルチャーだ。
これはいわゆるプロ意識、ストイックさ、それゆえのハードワークが挙げられる。
プロ意識についてはドラッカー「プロフェッショナルの条件」などに記載があるような、やりきる力、あるいはグリットとでもいうような気合い/根性がまず挙げられる。これが無い個人はまず伸びないし、入社してもお互い不幸になると思われる。
ストイックさは、論理的な正しさ、資料の細かさなど、兎にも角にもこだわり抜くこと。「神は細部に宿る」とはよく言われる通り。
ハードワークはこれらを実現する手段である。逆説的だが、仕事の成果が高ければハードワークは必ずしも必須ではない。
ハードスキルについては、論理的思考、資料作成、プレゼンテーションに大別される。これらについては各種書籍で定型化されており、ここで詳説するまでもないだろう。入社時、あるいは入社数ヶ月以内に一定自学自習していることが前提であろうし、それが出来ないのであれば上述のプロ意識のように、入社しないことが懸命である。
ソフトスキルは、論点の発見、キャッチアップ力、コミュニケーション力に大別される。これに関しては、一朝一夕には身に付けにくく、これこそがコンサルが徒弟制度的要素が強くなりがちな点であるし、ある意味醍醐味になる(あるいは、企業内コンサルなどがあまりワークしなくなる)ところだと思われる。
論点の発見については、仮説検証の繰り返しをして精度を上げていくことが肝要である。これは良い師、良いクライアントに恵まれなければなかなか育成しにくいと思うし、自身も育成に常に悩んでいる。
キャッチアップについては、いろいろな案件の経験を積むことで、メタ的に課題解決の力を上げることである。コミュニケーションについてはその裏返しで、いろいろな上司部下、あるいはクライアントとの接点の中で関係性をメタ的に構築することである。これらについても能力や育成は個々人によるところが大きく、育成する側としていつも悩むところである。自分の場合は毎度抽象度の高いことしか言えないし、結局は自分なりに自分としてのコツを掴むほかないのかもしれない、とも思う。
さて、業界の今後の展望についても触れておきたい。コンサル自体は急拡大あるいはコンサル卒業生の市場内増加に伴い陳腐化している。コロナ禍で少し延命されただけで、今後はコンサルの価値も急速にデフレしていくだろう。
実際、戦コンも総コンも実態としてはクライアントの人手不足に伴うアウトソース然とした案件が増えているのではないか。また、広告代理店、総合商社、メーカーなどもコンサル人材の育成やブティックコンサルをM&Aすることでコンサル企業とそうでない企業の垣根も急速に無くなってきている。
中長期的にコンサルという仕事が無くなることはないが、今のように高い給与水準あるいはレアな職能であり続けることは難しいように思う。
昨今蔓延る自称コンサルの台頭に伴うバックラッシュもおそらく相当数あるであろう。
現役諸氏、あるいはこれからコンサルを目指す皆様については、「一人前」にはなるべく効率的になっていただいた上で、+αの味付けになるようなスキルセットや業界への洞察を得ない限りは陳腐化はやむを得ないだろう。
また、能力が一定高い人が進む、モラトリアム的な「潰しが効く」キャリアである時代はもう終わったと思われる。そういうつもりで今後参加を検討される方は、なおのこと超早期の「一人前」化、そして現時点での出口戦略の仮説立案もお勧めする。
エンジニアとしての自分に、まさかこんな形で「限界」を突きつけられる日が来るとは思わなかった。技術が進歩していくのは当然の流れだし、自分自身もエンジニアとして日々勉強を重ね、トレンドを追いかけながらキャリアを積み上げてきた。それでも「生成AI」という存在がここまで急激に注目を浴び、しかも自分の労働価値を根底から揺るがすほどのインパクトを持って現れるとは、正直なところ想定外だったとしか言いようがない。
自分がエンジニアとしてやってきたことは、プログラミング言語の仕様を理解し、アルゴリズムを考え、設計書を読み込み、エラーと向き合いながら少しずつ完成度を高めていく――そんな地道な作業の積み重ねだ。時には新しい言語やフレームワークを学んで試行錯誤を繰り返し、何とか動かすところまでもっていき、ようやく使えるプロダクトとして世に送り出す。このプロセスを通じて、エンジニアとしての「自分らしさ」や「スキルの高さ」をアピールし、労働市場での価値を維持してきた。そのためには新しいツールを使いこなす技術だけでなく、バグを追い詰める根気や、仕様を理解して予期せぬ事態に対処する能力も必要だった。
しかし、生成AI――特に大規模言語モデルをはじめとする機械学習ベースのシステムは、そうしたエンジニアの「頑張り方」を一気に変えてしまう可能性がある。いや、可能性というよりも既に変えつつあると言っていいだろう。たとえばコードの自動生成がここまで進化してきたことで、「ちょっとしたプログラムなら数行のプロンプトを入れるだけでボイラープレート的なコードは瞬時に作成できる」「ある程度のアルゴリズムも提案してくれる」という状況が生まれつつある。かつてはコピペやスタック・オーバーフローを駆使しながら苦戦していたような領域が、今や自然言語で指示を与えるだけである程度完成した形で出てくる。そんな光景を目の当たりにすると、複雑な気持ちにならざるを得ない。
まずは単純に「すごい」という感情が湧き上がる。「こんなことまでできるんだ」「AIの進化って本当にすさまじいな」という畏敬の念。しかし同時に、「自分が今まで必死で学んできた技術やノウハウはどうなるのだろう」という不安や焦りが胸を支配してくる。自分はエンジニアとして、アルゴリズムの知識やコードの品質向上のためのテクニックを磨いてきた。それなりに自信もあった。けれど生成AIは、そうしたノウハウを内包するかのように、エンジニアがコツコツ積み上げてきた経験を一気に飛び越える成果物を生み出してしまうことがある。もちろんまだAIには弱点もあるし、すべてが完璧に自動化されるわけではない。だけど、これだけ急激に進化を続ける技術を目の当たりにすると、5年後、10年後にはどうなっているのか、想像すらつかない。
「仕事が奪われる」という言葉は、AIの台頭とともによくささやかれるフレーズだ。これまでも機械化によって多くの工場労働者が職を失ったり、ホワイトカラーの事務作業がRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)によって自動化されたり、そういった話はあった。でも、自分に限って言えば「エンジニアは大丈夫だろう」と、どこかで高をくくっていた。プログラムを書く行為自体がクリエイティブであり、人間の頭を必要とする作業だと思っていたからだ。それが今、生成AIというものが「あらゆる文章を生み出せる」だけでなく「ある程度のプログラムも生成できる」存在として登場し始めたことで、エンジニアの仕事というものが「人間である必要があるのか?」と問われ始めているようにも感じられる。
もちろん今のところ、生成AIが吐き出すコードは完璧ではないし、大規模なシステムを最初から最後まで構築できるほどの統合能力はまだないとされる。しかし、それは今時点の話でしかない。明日にも新たなモデルやフレームワークが登場し、問題を解決する手段が生み出されれば、あっという間に追いつかれ、追い抜かれてしまう可能性だってある。「AIにはこんなことはできないだろう」と思っていたら、数か月後にはAIがあっさりそれをやってのける。そんな現象を、ここ数年だけでも何度も目にしてきた。だからこそ、「エンジニアとしての自分は今どの地点に立っているのか」「これから何を武器にして仕事を続けていけばいいのか」、その問いに対する答えが見つからないまま、ただただ焦りと不安が募る。
さらに厳しいのは、会社側も生成AIの有用性を認識し始めているということだ。開発現場で役立つことが証明されれば、「新しく人を雇うよりもAIのサブスクリプションを使ってコスト削減を目指そう」となるのは自然な流れだろう。一人のエンジニアを雇うためには給料や福利厚生も用意しなければならないが、AIの利用料は安価なもので済む可能性が高い。ソフトウェア更新や学習データのチューニングなどのコストはかかるにせよ、「人間をまるごと雇う」よりはリスクが少ないかもしれない。そうなると、企業は本当に優秀なトップエンジニアだけを厳選して雇い、その他の多くのポジションは「AIと最小限のオペレーター」で回すという極端な体制を敷くかもしれない。そのとき自分が「優秀なトップエンジニア」の枠に入れるのかというと、正直自信はない。
「だったらAIに負けない技術を身につければいい」と言われるかもしれない。だけど、そもそもAIと真っ向勝負しようとすることに意味があるのかどうか、疑問に感じてしまう。自分がもともとエンジニアを目指したのは、単純にプログラミングが好きだったからだ。パズルを解くようにロジックを組み立て、コンピュータが自分の指示通りに動く瞬間の喜びは格別だったし、それによって誰かの役に立てるということがモチベーションにもなっていた。けれど今、あまりにも急激に進化するAIに対して「対抗心を燃やす」という発想自体が、もはや時代遅れなのかもしれないと思い始めている。
さらに言えば、生成AIに対する嫌悪感よりも、「便利だから使ってみたい」という好奇心もある。実際に使ってみると、驚くほどのスピードでコードの雛形が出力されるし、対話的に「ここをもう少し効率良く書き直して」と指示を出すと、それも的確に応えてくれる。自分で試行錯誤する時間が大幅に削減されるから、プロダクトの品質やリリースのスピードを考えると、間違いなく使ったほうが得なのだ。矛盾しているようだが、「使わなければ置いていかれる」し、「使えば自分の労働の意味が薄れる」というジレンマを抱えながら、結局AIを利用せざるを得ない状況に追い込まれている。
では、エンジニアとしての自分の「価値」をどこに求めればいいのか。かつてはコードが書けること自体が大きな武器だったが、もはやそれはAIに取って代わられつつあると感じている。もちろんまだAIだけでは設計やデバッグ、ユーザー要件の細かい調整などは完全に任せられない場面も多い。しかし、それも時間の問題で「徐々に可能になるだろう」という予感がある。最終的には、エンジニアに求められるのは「想像力」や「コミュニケーション能力」、あるいは「プロジェクトマネジメント能力」など、いわゆるソフトスキル方面にシフトしていくのではないか――そんな仮説がよく語られるが、それらだってAIが補佐できるようになれば、結局は人間を凌駕してしまうかもしれない。
こうした不安や疑問を抱えながらも、結局のところ人間である自分が生き残るためには「自分にしかできない価値」を見つけるしかないのだろう。けれど、その「価値」が何なのかがわからない。目立った才能や芸術的センスがあるわけでもなく、人の上に立って組織を率いる能力があるわけでもない。ただ、エンジニアとしてプログラムを書くのが好きで、それを仕事にしてきた。それが今、AIの登場によって脅かされている。こんなにも大きな変革の波の中で、自分がどう行動すればいいのか、まったく見当がつかない。夜中にふと目が覚めて、「この先、本当にやっていけるのか」と胸がざわつくこともしばしばだ。
一方で、生成AIが社会的に広まっていく中で、個人的には「使い方次第では新しい価値を生み出せるかもしれない」という期待も抱いているのも事実だ。たとえば、生成AIを活用して自分自身のアイデアを迅速に形にできれば、スタートアップのように少人数でも新しいビジネスを興せるかもしれない。あるいは、AIが不得意な領域――例えば人の感情や文化的背景に深く根ざしたコミュニケーション――をエンジニアの視点からサポートし、新しいサービスを企画・設計できるかもしれない。そう考えると、絶望の中にも一筋の光は見えるし、自分の存在意義を発見できる可能性はゼロではないと思う。
しかし、それが実現できるかどうかはまさに「自分次第」であり、そのための行動指針や学習計画すら、AIに頼る時代が訪れているのが現実だ。今後は、単にプログラムを書く技能だけでなく、AIと共存しながら効率的にプロダクトを生み出すプロセスをデザインできる人材が求められるのかもしれない。ただ、そんな広範囲なスキルセットを短期間で身につけることは非常に難しく、結局「AIを使いこなす者」と「使いこなせない者」の間に大きな格差が広がっていくのだろう。もしかすると、自分はその波に乗り遅れてしまうのではないか――そんな予感が拭えない。
「エンジニアだけど生成AIが出てきたおかげでもう限界」と嘆く自分が、この先どんなキャリアを積み上げられるのか、正直なところ自信はない。最悪の場合、技術の進化についていけずに職を失うことだって十分ありうるだろう。けれど、何もせずに指をくわえて見ているだけでは、本当に何も生まれないし変わらない。自分自身を鼓舞するつもりで言うが、結局は行動するしかないのだと思う。幸いにして、生成AIを使うためのハードルはそこまで高くない。オープンソースのプラットフォームや無料で試せるモデルだってある。とりあえずは、それらに積極的に触れながら、「AIだからこそ作れるものは何か」を模索するしかないのだろう。
このままいけば、自分が持っているプログラミングの知識やスキルは、今後ますますAIにとって代わられるかもしれない。でも、だからと言ってエンジニアという職業が完全に消滅するわけではないはずだ。AIがさらに発達したとき、逆に言えば「人間にしか扱えない領域」というのが再定義される可能性もある。その領域を早めに見つけて、そこへシフトしていくのか、それともAIと競合するのではなく共存しながら自分の働き方をアップデートするのか――どちらにせよ、自分自身の手で道を切り拓く覚悟が必要だ。
正直、今は「もう限界だ」と思う瞬間が頻繁にやってくる。理不尽なほどに速い技術の変化についていくのは大変だし、自分よりも若くて吸収が早い人材がどんどん出てくる。そんな中で、生成AIのような強力なツールまで活用されたら「自分の居場所は本当に残っているのだろうか」と不安になるのも無理はない。それでも、変化を憂うだけでは一歩も前に進めない。結局、AIが台頭する前も、プログラミング言語が進歩して自動化が進むたびに「もうエンジニアは不要になる」と言われ続けてきた歴史がある。それでもエンジニアは生き残ってきたし、新しい技術を取り込みながら活躍の場を広げてきた。今回の変化は今までより大きいかもしれないが、それでもまだ自分にできることはあるはずだ。
大事なのは、この逆境の中で諦めずに「次の一手」を模索し続けることだと思う。生成AIによって生まれる新しいニーズや、まだ誰も開拓していない領域を探りながら、自分なりの強みを見出していく。あるいは、AIが苦手とする部分――倫理や法的な制約、複数ステークホルダーとの調整など――をうまくリードできる立場に立つ。そんな方向性を模索するうちに、意外な道が開ける可能性だってある。目先の「限界」という言葉に呑まれて立ち止まってしまうより、嘆きながらでも手を動かし、AIも使いこなしながら活路を探っていくしかない――それが今の正直な思いだ。
言うは易く行うは難し。だけど、少なくとも「もう限界だ」と嘆いているだけじゃ何も変わらない。こんな風にどこかに文章として吐き出すことで、自分の不安や焦りを整理しているのが実際のところだ。そして、もし同じような不安を抱えているエンジニアがいるなら、互いに情報を交換し、励まし合いながら新しい時代に挑戦していきたい。生成AIがもたらす未来は決してバラ色ばかりではないかもしれないが、そこには想像もつかない面白さや可能性も潜んでいるはずだ。自分の「限界」を超えるチャンスでもあると信じて、今は前を向いて進むしかないのだろう。
人間には向き不向きがあって当たり前で、「超得意なこと」と「あんまり得意じゃないこと」は各々によってさまざま
苦手に対する質問は、そのレーダーチャートの手っ取り早い見極めと、業務に対して凸凹がハマるかを見てるに過ぎない
面接官の気持ちになって考えよう。彼らはどうのレーダーチャートを見極め、ひいては「仕事ができそう」と判断しているのか?
当然、「超得意なことが業務内容にフィットしていて」「苦手なことが業務と関連がない、あるいは努力でカバーしている」ことが分かればいい
このうち前者は職務経歴書に散々書いてあるんだから、流れとして後者を質問するのは意地悪でも何でもなく当然の結論なんだよ
応募者としてできることは、特にカバー力のアピールが望ましい。「業務と関連がない」かどうかはかなり運でコントロールできないからね
他の人のヘルプを頼んだなり、本を読んで自力で頑張るなり、深夜まで残ってしりぬぐいをしたなり・・・どれも正解。ただ会社のカラーに合うかは別問題
社風に合うか、能力以外のソフトスキルを測るにも実に手っ取り早い。一石二鳥の質問なんだよ
つまりね
対策してけよこれくらい
技術発信や研究やOSS活動や事業でも成果を出している社会的にも評価されているトップエンジニア「(色々やってみたし何でも作れるが)エンジニアも事業や組織の方を向くことが大事」
↓
特に成果もない中間層エンジニア「そうだそうだ。ビジネス知識やソフトスキルを磨くべきだ。」
↓
若手エンジニア「エンジニアは事業が第一なんだ。技術はあくまでツールなんだ。」
この場合、若手は悪くない。 いずれ技術がなければ何も出来ない事に気付くだろうし。
キモいのは中間層。 トップ層の言葉を猿真似で伝えようとしてる時間があったら、技術を磨け。 大規模開発をやってみろ。OSSをやってみろ。お前らが事業で成果が出ないのは、事業の要求に答え続ける技術がないからだ。
https://anond.hatelabo.jp/20240915210019
就職し最低限やっていくための処理能力、常識をもった大卒を効率的に供給している
これは受験に全く労力がかからないことを考えると十分ペイしていると思われるし
最近のブルーカラー労働は現場仕事だけしていればいい層は少なく
最初はブルーカラーだけでもすぐ次の職位(チームリーダークラス)でホワイトカラー能力を要求する構造になっているので
そこでわざわざリスキリングするより最低限の4大卒をとったほうが生産性が高いので
一方、むしろ今余っているのはCランクぐらいの、非専門職でプライム市場上場文系総合職を狙うも
新卒就職でそこに行けず、かといって専門知識もないのでFラン4大と同じレベルの就職しかできない層だ
この層はそれなりの大学に入ってしまったことで妙なプライドがつき、適正な就職先を選べなくなり
低待遇の中小事務職や公的セクターなどを非正規で転々とする羽目になることが多い
もちろんこういうところを出ても本人のソフトスキル(コミュ力、顔、やる気、体力など)が高ければ
普通に新卒でそういったところの総合職に入れたり、歩合制の営業で成り上がれたりするが
問題はそういった能力は大学教育で後から身につく可能性が低いということだ
部活や体育会も任意参加で、もともと能力ややる気がある人間を選別しているだけだし
ソフトスキルが低い人間は4年後変わらないどころか、モラトリアムでサボってもっと低くなることも珍しくない
逆に、こういう大学に自力で勉強して入れる層は処理能力や常識はすでに高卒時点で備えている
もちろん、これらの層にとっても自発的に学問や専門能力を伸ばしたりする方向なら大学も意味があるといえるが
非専門職の文系総合職の新卒就職としてやっていくためには価値の低いスキルセットだ
単純に本人の将来のためになっていない
文系総合職のうちこれらの中間層がつけた職種は明らかに減少しておりこれからも増えることはない
ソフトスキルと学力、どちらも兼ね備えたトップ層を除いたら、学力に偏った能力を持つ層は
エンジニア、IT、医療、法曹、学者、といった専門職につくほうが社会のためでも本人のためでもある
だからFランではなくこれらのCランクで専門性のつかない文系大学をつぶしてリスキリングと専門性獲得のために
作り変えるほうがよほど理にかなっているんだよな
SIerでマネージャーまで出世し、いくつかのスタートアップでEMやCTOを経験してる。
https://anond.hatelabo.jp/20240728023355
エンジニアもビジネスだとか、生成AIだとか、本当つまらないよね。俺もそう思ってるよ。
ビジネス成果も禄に出してなければ、OSSで活躍している訳でもない、コミュニケーションがちょっと得意なその辺のスタートアップのCTOとかに、ビジネスイベントや飲み屋でそう言われてさ。
「これからは生成AIだ」とか「エンジニアにもビジネス意識を植え付けよう」って。「評価や採用も技術発信もそうしよう」「その方が儲かるぞ」って。
JTCがコンサルに弱いのと同じでさ、エンジニア業界で評価されていないキラキラCTOみたいな人でもさ、なんか不思議な力で言われてそうなるのよ。
そして「うちのエンジニアは、多くの会社と違って、ビジネスの事考えてるし、開発生産性も高くて、生成AIも使いこなす!」みたいな事を言いたい訳よCEOや役員や株主も。
多くの会社ではそういう事って出来てないからさ、誇り高く気持ち良い訳よ。
そしたらさ、俺も家族が居るし、今の社内のマネージャー陣との関係を壊したくないから「そうですよね、検討してみます」って言うしかないじゃん。
ビジネスだビジネスだ生成AIだビジネスだとか、ソフトスキルが最も重要だとか、そういうのずっと言ってるエンジニアに技術者的に尊敬出来る人が全然居ない事も承知の上でさ。
自分は技術を磨いて今の立場に居るし、メンバーに「いや君はもっとこの技術が出来ないとキャリア的に後々しんどくなるよ」「技術に没頭する時間があったほうがいいよ」みたいな指導を散々してきた上でさ。
時流に乗ったフリして、偉い人に振る舞っていかないといけないってワケ。
周りの実績あるトップエンジニアやCTOだってさ、みんな技術でのし上がってきてる人ばかり。
若い頃から技術にどっぷりつかって、元増田みたいに徹夜しながらハードウェアもソフトウェアも触り倒して、技術的な実績と評価の上に今の立場にいる。
そんな生存バイアスの塊みたいな人も、偉くなっていくと次第にみんな口を揃えて言うんだよ「エンジニアも生成AI!」「エンジニアもビジネス!」ってね。
今そういう立場が求められていて、その人にも生活と家族があるからね。
そしたらもう負のループだよ。
一回社内でビジネスだAIだって言ったら、お金や人が動きはじめちゃってなかなか引けない。
その体を見せるためにも外部登壇はそういう話ばかりになって、気付けばキラキラCTOの出来上がりってワケ。
自分達の使っている技術は極めていてビジネス理解をしているエンジニアこそ最高で、転職する技術を身に付けるような技術オタクな文化は否定する。
「事業貢献や事業関心が出来ないと行き詰まるよ!生き残れないよ!」と言ってアドバイスしたフリしてね。
つまり俺ね。
そりゃあ、そういう人に群がって、驚き屋とか典型的な変な人も寄ってくる業界になるワケよ。
でもごめんね。俺には止められない。
また明日にはイベントに登壇して「エンジニアも生成AI!」「エンジニアもビジネス!」「エンジニアもソフトスキルが最重要!」って言ってるよ。ああ技術。懺悔。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/zenn.dev/sta/articles/2024-08-10-sat-what_is_si
Web系とSIerがネット上では対立してるって言ってるけど、Web系がSIerや電機メーカ(組み込み系)を馬鹿にする内容がほとんどだよね。
ソフトウェアで食ってるという共通点だけで、ビジネスモデルが違えば求められるスキルセットも全く違う(Web系はハードスキル、SIやメーカはソフトスキルを重視しがち)のに、自分たちの基準で他人を測ることに何の意味があんの?
そんなにWeb系が賢くてSIが馬鹿なら、SIの方が儲けてるんだからさっさと成り代わって代わりに稼げばいいじゃん。個人単位でも技術力軽視なSIerに異世界転生して無双とか出来るんじゃないの?でも現実はそうなってないよね?なんでだと思う?
恋愛市場で男らしさの軸でしか評価されないことを嘆いていると理解した。でも三高がもてはやされていた数十年前ならまだしも、今は伝統的な「男らしさ」以外も加点対象でしょ。
例えば家事や育児面でのスキルがあるとか、他にも円滑なコミュニケーションができるかといったソフトスキルを加点対象にしている女性は多いよ。
昔みたいに夫は外で金稼いで来さえすれば良い時代ではなくなって家庭に貢献する手段は増えたし、女性側も昔よりいろいろな角度で男性を見ていると思う。
逆に男らしさに全振りした人がその他の能力低すぎて結婚相手見つけづらかったり、結婚後うまくいかなかったりみたいな話も周囲でよく聞くようになってきた。
まあ残念なのは「男らしさ」能力の低い人って大抵総合力も低いというか、そもそもあらゆる点で能力が低いがゆえに低学歴で低収入みたいなことがあるのが現実だよね。どの軸で評価しても最初から負けてるんだから、分相応な相手を選ぶしかないよ。
飲み屋でビール片手に、後輩に語りかける感じで話すよ。今日は、AIがどれだけプログラマーに影響を与えてるか、特にChatGPTについて話そうと思うんだ。
まず、ChatGPTってのはすごいよ。俺たちが昔必死に学んだことを、秒で答えちゃうんだから。でも、だからって俺たちプログラマーが完全に不要になるわけじゃないんだ。実際、ChatGPTが得意なのは単純で定型的なタスクなんだよ。例えば、基本的なデータ処理スクリプトとか、テンプレートベースのコード生成、単純なデバッグやエラーハンドリング、そしてドキュメント作成なんかはChatGPTに任せられる。
じゃあ、俺たちプログラマーの役割はどうなるかって?もっと高度な問題解決とか創造性が求められるようになるんだよ。複雑なシステムの設計や高度なアルゴリズムの開発は、やっぱり人間の得意分野だ。ChatGPTにはまだそこまでの理解力や創造性はないからね。
でも、これまでインターンやジュニアプログラマーがやってきた基本的な作業がChatGPTに取って代わられると、彼らが経験を積む場所がなくなるんじゃないかって心配もあるよな。これにはどう対処すればいいか?
まず、教育の場を再定義する必要がある。メンター制度を強化して、シニアプログラマーが直接ジュニアを指導するのがいいだろう。リアルなプロジェクトに参加させて、実際の問題解決を体験させるんだ。ChatGPTはサポートツールとして使えばいい。例えば、基礎的な質問にはChatGPTが答えて、シニアはより複雑な問題や高度な質問に対応する。
次に、ソフトスキルの育成も重要だ。チームでのコミュニケーション能力やコラボレーションスキルを磨く機会を増やすんだ。ペアプログラミングやコードレビューを通じて、実際に協力して問題を解決する力をつけることが大切だ。
それに加えて、高度な技術トレーニングも必要だ。オンラインコースや社内ワークショップを活用して、最新技術を学ぶ機会を提供するんだ。ジュニアプログラマーが自分で学び続ける意欲を持つようにサポートするんだよ。
シニアプログラマーやメンターには、新しいスキルセットが求められるようになる。技術的な専門知識はもちろん、教育能力やフィードバックの提供方法、対話スキル、プロジェクト管理能力、そしてモチベーションを高める力が必要になるんだ。俺たち自身も常に学び続け、適応し続ける必要がある。
だから、ChatGPTが登場したからといってプログラマーが不要になるわけじゃない。むしろ、俺たちの役割はさらに重要になる。AIと共存し、お互いの強みを活かしながら、より高度なスキルを身につけていく必要があるんだよ。
未来のプログラミングの姿は、AIと人間が協力し合うことで成り立つ。新しい技術を学び続け、常に自己研鑽を怠らずにいれば、どんな時代でも必要とされるプログラマーでいられるはずだ。AIをうまく活用しながら、俺たちの強みを最大限に発揮していこうぜ。
https://nazology.net/archives/134954
インセルのグループは精神的に非常に問題を抱えていること、認知に歪みがあること、被害者意識が強いこと、自閉症スペクトラム障害(ASD)の発生率が高いことが明らかになりました。
世界的に見た自閉症スペクトラム障害(ASD)の有病率は0.62%なのに対し、インセルの人々の中では、18~30%と非常に高いこともわかりました。
独身である主な理由としては、恋愛のスキルが低い、外見が良くない、社交的でない、恥ずかしがり屋という4つの点が多く挙げられました。
いろいろ説明されているけど「ASDはインセルになりやすい」に集約できるのでは?
世の中にはイケメンではないし金持ちでもない男性がモテているケースもあるけど、そういう男性の性質ってASDの対極みたいな、高いソフトスキルの持ち主だし。
コミュニケーションで人を楽しませたり癒したりするのが上手い人気者タイプというのかな。こういう男性、ADHDにはいるけど、ASDには一人もいないんだよね。
ASDって自閉だから、コミュニケーションで基本的に人を傷つける。それも他人に興味があって意図的に傷つけようとしているんじゃなく、
他人に興味がなく、自分の都合しか考えられないような自閉的な脳のつくりに生まれてきているから、後天的に改善される可能性がない。
ADHDの不注意改善に使うような薬もないしね。ASDは打つ手がないんだよ。
ASDだからコミュニケーションで人を傷つけるけど、表層的なスペックが高いから人が寄ってくる。
容姿が悪くて低学歴のASDは、人生の早期にいじめ・不登校・引きこもりなどの挫折に至るんだけど、
高学歴でイケメンのASDは、容姿と知能のパワーで乗り切って、一部上場企業に就職できたり結婚できたりするんだよね。
ただ、ASDの本人が苦しんで退職してしまったり、離婚になってしまうケースも多いのだけど。
容姿が悪くて低学歴のASDが、高学歴イケメン金持ちASDが結婚できているのを見て、
「女は男の金と容姿だけを見ている」って思いこんでしまうのも仕方ない。
ASDには世界がそのように見えてしまうだろうと思う。だってソフトスキルが理解できないのだもの。
薬もないし治療もないし、「金」や「イケメン」などのカードを切れない生まれだったら、人生が終わってしまう酷いデバフ要素がASDだよね。
ADHDには美容整形したりファッションに浪費したりと、人からどう見られるかを過剰に気にするタイプも多いのだけど、
ASDについては「身だしなみ崩壊」レベルで無頓着な人が多い。だから後天的に容姿レベルを上げるのも「脳」のほうの問題のせいで難しくて詰んでる。
恋愛経験皆無の36歳webエンジニア、この前業績不振ということで会社都合で退職になった。
有名企業で働いてたし、給料も人並み以上貰ってたたことが矜持となってたんだけど、そのプライドもズタズタになったまま就職活動をしてる。
ところが全く決まらない。歳の割にマネージメント経験なんてないので、そのレベルの求人がそもそもあまりない。
受けた企業の人事からは「うちは営業中心の企業なので、陽キャではないあなたと合うかどうかが懸念点です」と言われた。暗に「お前陰キャだから来るな」と言われてるものだ。
他にも「技術力はあるけどソフトスキルが足りない」とか「ストレス耐性がなさそう」など技術力以外の部分が足を引っ張ってる。
思えば大学院時代も就活で全く何も決まらずに、就留までして技術面接だけで受かるような会社を選んだ。しかし中途となると技術だけではやっていけない。
アルコールを飲む量もどんどん増えていき、パチンコにも手を出し始めた。
実家に頼ってしまうと、完全にこどおじ無職なのでそんなことしたくない。
自分は仕事と学歴がある分だけ弱者男性とは違うと思っていたが、ここまで堕ちてしまうとは俺も思わなかった。どうにかならないのか。
単純にそこまで腹を割って話し合う関係をお前が相手と築けなかっただけだろ
ジャップオスだってまともにバーバルコミュニケーションできてない奴だらけじゃん?
日本男の会話スキルの無さコミュニケーションスキルの乏しさには毎回驚くんだけど。インターの男の子なんか黙ってるだけイキってるだけキモい顔で膨れ面してるだけのキショい日本オスガキと教育と出来が違うよね。
雰囲気柔らかいし物腰柔らかいし相手を不快にさせないし雰囲気よく会話ができるし、話を膨らませながら親切で丁寧に自己開示してジョークを挟みつつ気遣いができるしお茶目で距離を縮めるのも関係を作るのも上手い
日本オスガキの場合は子供どころか大人になっても永遠に中学生のままの幼稚なオスガキだらけだしな。インターの幼稚園児男子にも負けてるよ
言語化できなくて横暴で自己中、相手にきちんと説明できない癇癪持ち、感情からすぐ逃げてて他責する奴、マネジメント能力のない奴、包容力がなくて他人のカバーができない奴、定型なのに文脈も読めないアスペ、無責任で癇癪だけ起こしてるガキ、悲劇に浸るか当たり散らすだけで反省できないガキ、他人のメンターになれない幼稚なガキ、ソフトスキルのないガキ、アンガーマネジメントのできないガキ、中学生すぎても露悪的な冷笑ネタを永遠に面白いと勘違いしてる永遠に精神年齢ガキのままのキモ成人オス、感情を適切に表現できない幼稚さを男らしさ(笑)だと勘違いしてカッコつけてるキモガキ、利他精神のないガキ、相手にとって心理的安全を作れないガキ、幼稚なガキばかりじゃん
総務部長の甥っ子の大学の後輩を縁故採用、というルートで正社員の事務職をしている男性が社内にいる。
社内で派遣で事務をしているのは全員女性。彼女たちは家族のせいでパフォーマンスを制限されているが、
子供を産む前は正社員として働いていた人たちで、能力的には優秀。
派遣労働という待遇であっても1枠に対して40名50名の応募があるので、上澄みを採用できる。
有名企業の事務職枠であればもっと激戦であろうと思う。勝ち残るのは優秀な女性ということになる。
事務職に対して男性の応募は少ない。また、女性と比べて男性で事務職を希望する人はやる気がない。
同じ作業はバッチ処理できるようになってきているので、今の事務職は「気づくこと」が求められる。
営業には不注意な人間がやけに多い。気づくこと、おせっかいをやくこと、みたいなスキルが事務職に求められたりする。
性格的な適性みたいなもので、このスキルは資格や経験で明確に示すことができない。
向いている人は向いてるし、できない人はできない。コミュニケーション能力が低いタイプはたいていできない。
正直なところ、遺伝や、きょうだいの世話をした経験、部活の後輩の世話をした経験など、
男性の事務職希望者はコミュニケーション能力が低い。
縁故採用の男性社員はコミュニケーション能力が高く、フットワークが軽いタイプだが。
男性の事務職希望者は、コミュニケーション能力が低いため営業などの仕事には就けず、
理系的素質もないので開発職にも就けず、事務職に求められる「気づき」「おせっかい」といったソフトスキルもない。
「営利団体では使い道がない感じの男性」が、事務職という仕事を小馬鹿にした雰囲気を醸し出しながら、
事務職希望で応募してくる。そして応募してくる人数自体も少ない。
当然、採用されるのは「子供のせいでパフォーマンス制限されてるけど本来は優秀な女性」になる。
それを男性差別といわれても。言葉を正確にして、「能力差別」と言ってくれ。
ソフトウェア開発なんて業務経験ほとんど関係ないでしょう。頭の悪い人はずっと頭が悪いし頭が良い人は頭が良いものだ。業務経験というのが社会人フルタイムで業務として働いた経験しか数えられないのは本当にクソだと思う。もちろんほとんどの人間がバカなのでこうなってしまっていることは理解している。しかしそれにしてもギョームケイケンは過大評価されすぎである。チームで働くとかコミュニケーションを取るとか指導をするとかそういったソフトスキルがギョームだと発生するため経験として数えられがちだがソフトウェアエンジニアなんてほとんどがコミュ障オタクなんだからギョームケイケンのあるおっさんの方が最近の若い子よりコミュニケーション下手だなんとことはよくあるよね。ギョームケイケンは差別!
派遣という雇用形態が世に浸透してから20年は経とうという令和の現在、"派遣=クソ"という世間のイメージは当時から今でも変わってない。
しかし、私は派遣は多くの日本人を救っていると思う。順を追って説明したい。
まずね、派遣社員は全てにおいてスキルが滅茶苦茶低い。まじでビックリする。
これまでの経験上、派遣社員は以下の項目が2つ以上当てはまる。
・専門スキル無し
・やる気無し
と言う人もいます。
そりゃいるよ。
でも何百人に一人とか、ゼロコンマからはじまる超絶低いパーセンテージ。超少数派の例外は議論の対象に加えたら終わりがないので、語るべきをもたない
ちなみに有能な派遣社員と言われてるのは、だいたい「子持ちのママ」
つまり、有能だけど正社員ほど労働に時間を投下できないから、好きで派遣という雇用形態を選んでる。
という意見もあるが、
仕事ができれば正社員のオファーが来るよ。そりゃ会社によっては派遣から正社員に上がり辛いだろうけど、転職すればいい話。
仕事をこなせるハードスキルはあっても、コミュ力のようなソフトスキルが足りてなく、周りをかき乱すタイプは多い。やばいのはそれを自覚していないこと
就職氷河期世代はスキルの積み上げがし辛い環境に産まれたから正社員になりにくいという、世代間の格差も多少はあるものの、景気が良いときに転職したり日頃から勉強しておけば簡単に正社員になれるだろう。
スキルもなければやる気もない。奇跡的にスキルがあっても、チームの和を乱してトラブルを起こすコミュ障。話が長く、要点を掻い摘んで話せない。寝癖直さないし化粧しないし身だしなみからできてない。
"派遣という雇用形態が存在しなければ、正社員率は上がる" という意見はよく聞く。
低スキルは選考で弾かれるものの、多少は正社員率は上がるかもしれない。ただし多少ね。
人材が確保できないから選考基準を緩めなければならないだろう。
本来全くスキルが足りてない派遣社員の人が正社員になったら、まず仕事ができる人から詰められます。
「なんで私と給料同じなのに、何もできないの?なんでマトモに会話できないの?」
と。
絶対そういう壁にぶち当たる。
多少給料もらえるとはいえ、こんなに詰められるぐらいなら、お気楽に派遣する方が良いのでは。そこまでして本当に正社員になりたいの?
お気楽にできない派遣先もあるかもしれないけど、期間が決まってて嫌なら次の派遣先にポンポン変えれるなら、お気楽と言わざるを得ない。
そして正社員側だって、何もできない人にかき乱されて成果が上がらず、お互いに不幸になる。
何もしたくない、何もできないのに、無理矢理正社員になっても、零細ブラックしか受け入れ先はない。
本当にそれでいいの?
それなら派遣の方がいいと思う
正社員からしても、派遣の人がミスしてもいちいちキレない。給与体系も違うし、別会社だから、キレるのはマナー違反とさえ思う。
もう日本は誰でも正社員になれる時代じゃないし、正社員になっても安泰じゃない。
このまま少子高齢化で沈んでいくだろう。
性格が悪くてキツイ投稿かもしれないが、本当に人生変えたいなら勉強してスキル磨く以外、打開する方法はない。
いまの日本は昔と違う。
自戒をこめて
https://qiita.com/muumu/items/1da55b3c8760cec6d25c
うちの会社には有用な情報を共有するためのグループチャンネルがあって、頻繁にこういった記事がシェアされてる。そんで、この記事も「非常にためになる。皆でソフトスキルを高めていこう」って注釈と共にあるメンバーにシェアされてた。
それ自体はありがたいことなんだけど、難しさを感じたのはこのメンバーこそが「有害な振る舞いをする人」とチームで認識されてる人なのよね。指摘に対してすぐ怒りを滲ませ反論する、やり方にこだわりがあり周囲のペースに合わせない、攻撃的なメッセージをチャットに投稿する、等、自分も正直あまり関わりたくない。
ブログ記事を読んで自分は真っ先にこの人が思い浮かんだのだけど、当の本人は周囲のソフトスキルの低さを懸念してるのだと思うと(はっきり言ってそのメンバー以外のソフトスキルは高い)、ああいったメッセージは届けたい人には届かないんだなと改めて感じた。
https://qiita.com/muumu/items/1da55b3c8760cec6d25c を読んで。
個別にはうなずけるところ、気をつけたほうがいいところなどあり基本的には良い話だと思ったけど。
関係部署全体で取り決めた方針と自分の考えが食い違った時、チーム内での議論を経ずにいきなり社内チャットで意見をブロードキャストして関係部署に混乱をもたらす
そうですね、その「取り決めた方針」とやらで問題が解決するならブロードキャストして表沙汰にしたりしないでしょうね。
方針って結局後回しにする(以後やることはない)とかそういうやつでしょ?
そんで結局「後回し」にしたツケとか、「食い違った方針による被害」を被ってるのはその「難しい人」なんじゃないんです?
その「難しい人」すごく単純に、自身に被害が来るから文句言ってるだけだったりしないかね。みんなのために文句言わず人柱になるのがソフトスキル高い高いって感じ?
拗ねてしまうと、たとえば今まで攻撃的ながら周囲に意見やアドバイスをしていたのが、それらを一切やめて手助けや協力もしなくなり、さらなる混乱がチームにもたらされます。
あたかも「『難しい人』が手助けしてくれなくなるから悪いんですぅ」みたいな書き方にみえるけどそらそうやろとしか思えない。
そもそもそれってその人の役割だったのか? 好意…というよりやらんと仕方ないからやってただけなんじゃないの? しかも結構な負担になっていない? ちょっとしたサポートやアドバイス程度なら「さらなる混乱がチームにもたらされます」なんて大仰な書き方しませんよね。
また、ここに書かれているような人なら多分、ロールとしてちゃんと割り当ててるなら役割を全うしようとするんじゃないのとは思う。拗ねたとか拗ねないとかで「仕事」放棄したりはしないでしょ。
またフィードバックの仕方も、「やっていることは良いが方法を工夫したらどうだ」みたいなふうに、あくまで「方法」として指摘するのであれば聞き入れるケースもあるんじゃないかとは思うよ。(これは「プロセスやルールをチームで定める」といったように記事内でも意識されてるようには思う)
逆になんかわからんけどお前が悪いみたいに言われたらそりゃやる気なくなる…というより、「ならやらんほうがまし」って判断するだけじゃない。その「意見やアドバイス」とやらは他のひとがやったればいいっしょ。
で、なんかまあ俺も上のとおりに多分俺も「難しい人」扱いなんだろうなって思うところはある。
ただそれ別にやりたくないっつーか、むしろやりたくないっつーか。やらんでいいならやらんほうがいいっつーか。
だからそういうのやめようかなって思うときもあるんだけど、それで回らなかったら余計な被害被るの俺だし、その選択をする勇気(と余裕)がないわけよ。
夏のこの時期にこういうことを書きなぐりたくなるのはわかる。
個人的な経験をいうとその大変さを解決するにはいくつかの選択肢があると思う。
まず一番いいのは、外部の環境を探すこと。プログラマのアルバイトとかインターンの中には、あまり経験がなくても学生なら雇ってくれる募集もたまにある。増田が低レイヤー寄りの技術に関心があるなら、それを学べるバイト先を探すのが良いだろう。無いかもしれないけどね。
もしそれができないなら、ある程度ゴールや学ぶべき内容が明確な分野を選んで独学するのが良いと思う。具体的には競技プログラミングや資格試験など。
競プロは役に立たないなんて言う人もいるけど、少なくとも研究や就活のためにプログラミングを学ぶのであれば最も費用対効果の高い分野の1つなんじゃないだろうか。
アプリ作るのがいいなら、ウェブ開発は自由すぎるのでiOS開発等が迷わなくていいと思う。
あとは、本を全部読もうとしないで、手を動かせるところまで読んだらまずはコードを動かしたり修正したりしながら遊んで、その過程で湧き上がる自然な疑問を元に学習を始めると良い。ソフトスキルズにそんなことが書いてあった。