はてなキーワード: 冒涜とは
BRIGADOONまりんとメランは今見るとロリコン臭が強いけどやはりいい作品だ
1969年から1970年のきっかり1年間が描かれ、戦争で実子を失った老夫婦に拾われ育てられるようになった捨て子の少女まりんと、異世界ブリガドーンからやってきた人造生命体の少年メランの恋物語だ
当初はのび太とドラえもんのような関係性であったが、「ちょっとラブの雰囲気してきたぞ…」と思っていたら愛し合ってディープキスしあう関係にまで発展してしまう
まりんは中1の12歳で胸も平らなので、幼いのにやってることがだいぶ大人でええんかこれ…となる
最初はパンツ見せてもエロのかけらもないまりんがどんどん色っぽくなっていく
大塚芳忠といえば渋いおじ様ボイスの人でありやはりメランの声は渋いのだが、精神年齢17歳ぐらいというメランの演技は次第に少年ボイスに聞こえてくる摩訶不思議
メランには手指がない
右手は銃で左手が銃の戦闘兵器であり、戦いで負傷して折れてもしばらくすれば爪が伸びるようにまた武器が生えてくる
指切りができない代わりに、いつもポニテのまりんは時たま髪のリボンをメランの腕にはめて、約束を果たしたら返してねと言う
まりんは次々と不幸な目に遭う
ただでさえ孤児として嘲笑される上に、世界の鍵を握る存在としてわけのわからん異世界の化け物に襲われ、巻き添えに死者を出し、多くの恨みを買い、遺族には「お前がいなければよかった」と首を絞められる
大阪万博のあった時代なので、太陽の塔が敵に寄生されて人間を虐殺しまくるシーンは中々冒涜的だ
まりんは世界が壊れて混乱に陥る中で飲まず食わずでひとりぼっちで彷徨い、物価の高騰の中で何千円もするパンを盗もうとして折檻され、ついには倒れ、目覚めたときには全盲になっていた
けなげに耐え続けるいい子ではなく、追い詰められるとメランやら周囲の人にすごい八つ当たり暴言をする醜さもある
まりんは当初はメランを感情のないロボのように思っていたが、実際にはメランには最初から情緒があり、ただ使命のために異世界から追ってくる同胞を殺し続けれなければいけないことへの苦しみを押し殺して無感情のごとく振る舞っていた
「メランにはどうせあたしの気持ちはわからない」と癇癪を起こしがちだったまりんだが、
「仲間を殺し続けることが辛かった、僕も寂しい」と本音を打ち明けられメランの心を知る
売れっ子大塚芳忠に比べるとまりん役のKAORIは消えた人なのだが、演技も歌も上手い
よくわかんねぇな。
他人の作ったキャラをグチャグチャな欲望塗れに描くのと、黒人に限らず他人種化するのと、何が違うの。
アニメ漫画の日本人が公式で大抵白人化とか黒人化されて日本人っぽくないのって、「日本人が日本人の容姿に自信持ってない」ことの表れだよな。
まずもともとイイダのイラストはそんなに炎上しているわけじゃなかった、ぶくぶが指摘を受け止めて謝罪したことで反応が巻き起こった
この時点でぶくぶの謝罪の意図を無視して怒るオタクが爆誕した、こいつらはただ日本の創作(お前の創作じゃない)に文句をつけられたことが気に入らないから暴れてるだけでホワイトウォッシュもブラックウォッシュも理解していないと思う、ぶくぶは相手を炎上させるために謝ってみせたとまでいうオタクもいて、自分のエゴを押し付けて正しいと思い込むために勝手に意図を決めつけ創作を守る行為だと正当化する傲慢さに辟易した、この時点で危険だとは思っていた
はっきり言って作者が自分の意志で考えて謝罪したことをオタクが勝手にねじ曲げて暴れるのは迷惑でしかない、もし差別と関係ない内容でも同じことが起こったらと思うとゾッとする、オタクにとって作者が作品への考えを主張し、表明した意思を踏みにじって冒涜するのはもはや誰も指摘すらせず省みられない行為なのだということがわかる、だれもぶくぶの意思を尊重しろとは言わなかった、この事が本当に怖い
人種差別の問題なので、謝罪したことで相手に正当性を与える危険性や、今後の影響などを危惧するのは分かる、でもそんな慎重さや思慮深さとはほど遠い短慮と軽薄さでオタクが勝手に難癖をつけ続け、黒人化された二次創作イラストと声優が批判されるに至った、人種を変えるにしても二次創作と、キャストを変えるのと、作品内の人種を置き換えてしまうこと、そして人種の描写が間違って描かれることは全く違うだろうに
イイダのイラストは、最初の段階では謝罪に追い込まれたなどということはなく、無視できる程度の騒ぎだったが、ぶくぶがイイダというキャラへの理解と愛から確かにそうだったと考えたから出た言葉だったのだと考えている、確かにあのイイダのイラストは褐色肌に見えるからだ
日本人からしたら暗めの肌の色の変化くらい大した違いじゃないかもしれないが、褐色はアラブ系にもインド系にも見える、多様な人種が暮らす国では黒人(のような)キャラの肌色が明るくなることはそのキャラクターの性質そのものが変わって見えてしまうことも考えられる
「イイダというキャラクターへの理解が足りなかった」という反省を感じさせる誠意と愛ある言葉が日本人によって軽んじられ、他のファンアートを貶める動機になっていることが無念でならない、つうかお前ら、ほんとにぶくぶの謝罪を一言一句読んでるのかよ、あくまで「キャラへの愛」と「理解」を通して表現と人種について慎重に配慮したあの言葉の意味がわかってブラックウォッシュを批判しているのか?していないからあのイイダのイラストを使ってブラックウォッシュを批判できるんだろう、まず作者が謝罪したものを使うな、そもそも人のファンアートを自身の主張の攻撃の道具にするな
とにかくあの炎上をブラックウォッシュと繋げて批判するのはオタクのエゴが先行していることを自覚して欲しい、ブラックウォッシュが問題で差別だと思うなら切り分けて批判するべきだし、この炎上に加担しているオタクは発端となった作者の意思とキャラクターへの誠意を踏みにじっていることに気づいていない
最近、「増田で音声サークル主とバトルしてから4ヶ月が経った話」という増田を書いた。
その増田では、この人がいかに成果と発言が乖離し、発言に食いついた人に自分が作った赤字を肩代わりさせているかを書いたわけだが…今回はこの人の発言のヤバさについて紹介したい。
この人は、自分がシナリオライターとして頑張った一年を振り返って
という文章で振り返ってる。
「メスだなぁ〜」
と正直思った。
男にとっては、涙は勲章じゃない。恥ずかしいことだ。
だが、女は泣けば許されるし、自分で泣いたことを暴露すると「がんばったね」という空気になる。
いま書き込みが残っているかどうかは知らないが、サブアカウントに使っていたアカウントでは、様々なフェミ発言をしている。
私に言わせれば、「フェミニスト」を名乗る割には、女性だから許されているものの上でふんぞり返っているようにしか見えない。
男は涙を流すほど悔しいこと・努力したことがあろうとも、表で「泣くほど厳しい環境でがんばりました」なんて言わない。
泣いた時点で、負け判定されるから。
泣きたくなるような努力は私にも、他の男性たちにもあるだろうが…男はそんな事は言わない。
だから、女であることをいいことに「がんばった」などという結果以外を評価して欲しい子どもみたいな心情を、「死ぬほど泣いた」と表現したようにしか見えない。
…いや、その文章を覚えていたからこそ、その先についても語るべきか。
と本人が書くほどに頑張った割に、結果がついてきてない。
そもそもの話、「死ぬほど書いて」も、「泣かせる」ぐらいの返答になるものしか書けない時点で、その人はその仕事に向いてない。
ハラスメントを肯定したいわけじゃないが、「仕事で泣く」ほど失敗する人は、その仕事に適性がないよ…。
仕事とは、誰かができることだから職業として成立してるはず。あなたにとって泣くほど辛いことも、頼むべき人にとっては日課に過ぎない。…その適正差・実力差が問題なんじゃないの?
それを、誰が頼んだわけでもなく、自分で続けて
と努力だけを誇る独りよがりにしか見えない(少なくとも客観的な評価や結果がそのつぶやきの中に組み込まれていない)ことしか言えない時点で、ダメダメだったんじゃないですか?
男なら書くこともはばかれるほど恥ずかしいことを、女の人は書ける。
この時点で、フェミニズムなんて存在しないほど日本は女尊男卑だよ。
それをあなた自身の言動で証明しておきながら、何がフェミニストなのか…。
えこひいきという下駄を吐いて、自由・平等・博愛の精神を説かれても、そんなもの寝言だよ!
フェミニズムに謝れ!
フェミニズムはフランス革命の時に、「女性だって革命に参加したのに、選挙権が男性だけなんて平等でも博愛でもねえぇよ」と憤慨した女性たちが作った思想だよ。
日本の女尊男卑の社会の上でふんぞり返っている人が、安易に使うこと自体がフェミニズムへの侮辱だよ。断頭台に送られるべき冒涜だよ…。
234:名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ eb25-OePM [153.135.146.176]):2024/11/25(月) 15:23:50.69 ID:zhwWCw8P0
ところで、民事刑事を問わず、ほぼどの裁判でも証人なり本人の尋問の際には、
嘘を言わない旨の宣誓があり、傍聴席を含めて起立させられ(ることもあり)ます。
その前には裁判長からの説明があり、このときは仁藤さんだけでなく、
弁護士である神原さんも(太田さんも?)宣誓するものですから、
裁判長が「先生方には釈迦に説法でしょうが」と前置きした上で、
「録音を取っていますから、答えるときは質問者(双方代理人、つまり左右)
のほうではなく、正面を向いて話すようにしてください」と、これは
で、被告・神原元さんに、原告側代理人・中澤先生からの反対尋問が
いろいろとあり、神原さんが常々話されている、裁判のマネタイズ批判に
内容が移り、神原さんが熱っぽい語調になってまいりました。
この時の、前を向かなきゃいけないとわかった上で、わざと
中澤先生に「これは弁護士である貴方に向けても喋ってるんだ!」と
ばかりに語りかける神原さんと、そしてその意図を充分に汲みながら、
無言で腕を動かし「前を向いて、前を」と促す中澤先生のいなすような表情、
その両者の掛け合いが猛烈に面白くて、まさにコント・オブ・コート、
私は御二方とも大好きになってしまいました。
101匹弁ちゃんの対角線に向かい合うだけあって、中澤先生と江藤さんの
ありようは、四騎士の先生方と水原さんの関係とは、ずいぶん異なって
いるように感じられました。
↑以上です。
双方に対して失礼な感じになるかもなーと思いまして。
油断すると余計なこと書くもんですから。たとえば
https://anond.hatelabo.jp/20241123225630
言いたいことはボンヤリとわかるんだけど
(あとラブコメって結局殆どのキャラにそういう不満は発生するよなとも思う)
俺がもっと気にするのは
そもそも筒井大志先生という人がそこまで能力が高いように見えないってことなんだよね。
だからうるかちゃんの件も悪意を見出すより能力の限界だったんじゃね?って思っちゃう。
新連載見てもわかる通り、筒井大志先生は絵のクオリティが低い。
手を抜いてるというより限界まで頑張った絵と落書きみたいな絵との幅が小さいんだよね。
絵を頑張れない人。頑張らずに来た人。それか才能がここまでの人。
途中から人気が出た先生も「外ではデキる女で家ではポンコツ」っていう
元はもう少し理想が高くてメインダブルヒロイン頑張ろうとしてたけど
大したイメージも無い人が変人キャラを作ろうとするとただただ不快な攻撃的アスペになる
というよくあるドツボにはまって連載が終わりかけて
素直なうるかちゃんでなんとか打ち切り回避したって経緯からわかるように
公平の為に言うなら走りながら修正したのは素晴らしかったと思う。
文系はアスペやめて人の心がわかる作中1の凡人常識人になったし、理系は自閉症&うどんという一発芸をつけたし
「なんだこのリストア?」って思うけど連載しながらあれはすげー頑張ったよ。感動した。
絵も設定も構成もほとんどすべての面でちょっとずつ能力が高かったと思う。
(あの人こそもう一作ぐらい描けたと思うけどラブコメは不本意だったのかもね。
これはもうはっきりと言える。
恋愛(または時にはライトなえっちやお色気)を扱うジャンルに真面目に取り組んでない。
一切扱わないっていうなら雑誌の方針だからそれはそれだと思うけど
「ジャンル自体は存置してるのにジャンルを舐めてる」って姿勢を感じちゃうんだよな。
絵もシチュも全てが古臭くて、下品さやモロさのチキンレースをしてるだけなの。脱法的にまんこ描いたからなんなの?っていう。
矢吹は20歳でジャンプ連載始めた早熟児とかだった気がするけど、
10代で固めた技能の殻を破れないって言うか。絵がとにかく小さくまとまってる。キャラ造型も昭和。
ルックバックの主人公も30以降ろくなことにはならねーわ。忌憚のない意見ってやつっス。
それで矢吹とかゆらぎ荘とか昭和のラブコメが去った後も『ひまてん』だろ。
俺『ひまてん』も読んでるだけで腹立つんだわ。
こいつもアップの画面と小さいコマでキャラの情報量がほぼ同じなの。全然頑張らない。
これは何かって、手を抜きたくなってるんだよ。
こなし仕事になってるわけ。楽することが主眼になってるわけ。
仮にもジャンプ連載の立ち上がりで、自分のベストを追うのではなく負担を減らす姿勢が見えてるの。
作者名で調べたら元はラブコメ描いてなくて全く別の漫画が打ち切りになってる。
それでどうしようってなってラブコメ舐めてるジャンプに「ラブコメでも描かない?」って言われて
ラブコメを舐めながらラブコメ描いてんだなって気がする。邪推かなあ?
あとなんか、主人公もヒロインたちも全員同じ顔と同じ表情するんだよね。
連載打ち切りになって次が決まらないまま30過ぎて腐った奴とか
エロ漫画を頑張り切れずにキャリアロンダリングしたいなーみたいな姿勢の腐った奴とか
そういうダメ元素材に「ラブコメでもやってみる?」ってやらせてるジャンプとは全然違う。
きちんと能力高い作家に一級の仕事としてラブコメを振ってるんだよね。
俺はマガジン全体で言えば嫌いだしジャンプよりずっと下だと思うけど
ジャンプがラブコメを心底バカにして蔑視されるべきジャンルだと思ってて
その違いのため。
赤羽骨子は「そのキャラ数と作画エネルギーと構成力要る?」 っていう
過剰カロリーが横溢したようなすごい漫画だった。(正直カロリー抑えた方が売れる気がする)
あれとひまてんを同じ「ラブコメ」と括ること自体冒涜だと思う。
赤羽骨子1回分の10分の1も無いと思うよ。
マジ舐めてるよね。
ジャンプ編集部がラブコメ舐めてるからあんな舐めた仕事で許されてるだけ。
話を最初の出発地点に戻すけど
その姿勢が変わらない限りは微妙な能力の作家がラブコメ枠に投入された
そんなもんを真面目に読んじゃってどうするの、って思う。
もっとず―っと深いところにある。
なんでジャンプってこんなにもラブコメを蔑視してるんだろうな?
「下等なジャンル」みたいな昭和からの方針が残ってんだろうか?
桂正和は異常な才能と情熱で気を吐いたけど、あれは個人の武力を頼み過ぎだったよな。
esbee こういう増田とかブロガーに上から目線のブクマカとかを観ていると、私はせめてクリエイターに最低限のリスペクトを示す、多少なりとも届けがいのある消費者でありたいと思うんですよね……
それはそれとしてジャンプという最高雑誌のラブコメ枠という重責を担うには筒井先生は能力不足だったのではと言ってんの
筒井先生の新連載の推理部分とか、俺は面白くないけど隅々まで精いっぱい考えて頑張ってるのは伝わってくるよ
そういう風に精一杯頑張る人ではあると思う
ひまてんは今のところ頑張ってるようにすら見えない
当初の志望と違っても切り替えてラブコメで頑張るんだ読者を楽しませるんだ一山当てるんだ
みたいな気持ちが伝わってくれば応援したくなるかもしれないけどそれすらない
女の子の魅力を「女子高生社長頑張ってるもんな」みたいなセリフで説明する
実体験でも妄想でもいいけどもっと体温のあるエピソードやシチュを描こうとせえや
という不満があるし何より作画で手抜きをするなと思う
(特に3人目が出てきたあたりがひどくて今は多少持ち直してるか)
一人の作家が一生一度しか出せないテンションとパフォーマンスを見せてたから
そしてラブコメでもそれは同じじゃないの?
マガジンの充実したクオリティ高いラブコメに今からジャンプが勝てるとしたら
活路はそこだと思う
あえて個人の話をするならひまてんの作者だって色々悩むことや辛さもあるのはわかるよ
30過ぎくらいで目指したキャリアと全然違うことになっててなにこの人生とか思ってるのかもしれない、そんな内面はなんもわからんけど
けどメジャーリーグのドジャースで登板してるような立場の人間に
ひまてんを気合いの入った超おもしろいラブコメにして読者をひれ伏させることにしか彼の活路はないだろ
人生最高の気迫で踏ん張るしかないとこでシャバいことやってんじゃねえぞ
偉そうな行為を偉そうな口でやってる俺よりも
「自分は偉そうな人間ではない」という自認で好きにブコメ書いてる奴等とかの方がやべー奴なんじゃねえかと俺は思う
SnowSwallow
ジャンプラブ”コメ”を語るに、篠原健太先生や渡邉築先生をどうして避けるんだ…。ジャンプは少年向けギャグ枠に成人向け変態性を合わせるスタイルも目立つ。最近では林聖二先生も。
わかってるじゃん。
恋するエジソンとか決して高い画力ではないなりにフロー出てた。
「こういう子がかわいい」っていうビジョンとリビドーがあった。
連載中に上達してきてた女の子の可愛さが衝突してたね。
あの人は結局ジャンプにいる間
踏ん切りつかないみたいなところがあったよな。
林聖二!?ってなったけど検索して出てきたテラちゃんのことか?
つか挙げる名前が渋いな。
種トリオ
時間停止おじさん、催眠おじさん、透明化おじさんの三人で構成。
各々の能力は、一人が使っている間他の二人は使うことができない。
三人の内一人でも意識を失った状態になると、能力は使用不可となる。
一日に一度3分間のみ、三人が同時に射精すると黄金おじさんに合体し、全ての能力を同時かつ無制限に使う事が可能となる。
みたいな設定をバイト中に考えてた。
これだとまだ全体的に強すぎるかもしれない。敵も相応じゃないと張り合いが無いな。
合体条件がちょっと緩い気もする。
同時射精より、三人連続で同一人物に中出しすると最強ベイビー誕生とかの方が映えそうだし冒涜的で良いんだよな。
三人が溶け合って身体の中で融合して産まれ直す、という演出にするのも良いか。
でもやっぱりそれだと満を持しての最強フォームになのにもう中出ししちゃってるし、じゃあそっから誰とバトルするんだよって感じになっちゃうな。
どう考えても連携がミソだけど、あんまり一画面におじさんも多いのもちょっとな……まあ三人くらいならいいか。
三人がバラバラの時に能力仕様がバッティングしてイタズラがバレそうになって、お前ッ……ってスマホ越しに揉める場面は浮かんだ。
あと時間停止と催眠は強いけど、透明化だけなんかステルスでコソコソやるのが弱い感じするかもな。
だからこそスネてる部分があって、合体の時にゴネて一悶着、なんて展開も出来るな。
でも合体したら、透明ってあんまり要らなくないか?って気もする。やっぱり透明化は見直しの余地ありかもしれない。
なんとなくトリオにしたけど、デュオというのも良いかも。バディものか。でもそうなると、誰かが能力使用中だと他の誰かは使えないって設定が微妙になってくるかも。
合体時の縛りとして勃起中は能力使用不可というのを入れたけど、それって普段からも結構難儀にならないか?
そもそも合体が必要なくらいの強敵相手なら、やっぱ透明化も無駄じゃないかも。
普段からそれくらいは縛りがあった方がスリルあるんかな。でも流石に途中から能力なしで最後まで行くのは無理があるか。
いや、やってる本人は能力使えなくても別のメンバーが協力してればいいのか。
掘り下げ応えがあるぜ。
いやあ、AI絵師の皆さん、今日もお疲れ様です。どうやらAI技術を使っているだけで「アーティスト」を名乗ってる人たちが、全世界から嫌われ始めていることに気づいていないようですね?「自分の作品が評価されない」「社会がAIアートを認めてくれない」と、すべて周囲や世間のせいにしているようですが、もはやそれは滑稽の域を超えていますよ。
まず、AIにボタンを押させるだけで出てきた画像を「作品」と呼ぶのは、正直勘違いも甚だしいですね。筆一本、ブラシ一本に魂を込めてきたアーティストが何百年と積み上げてきたものに、AI絵師たちは軽々しく乗っかってしまおうというわけですか?甘いですね。アートは技術だけで成り立つものではなく、アーティストが試行錯誤して生み出した過程に意味があるんですよ。
「AIアートを認めない社会が悪い」とのたまうAI絵師たち。ですが、現実を見ましょう。AI絵師が増えれば増えるほど、他のアーティストやクリエイターたちから冷たい視線が飛んでくるのはなぜでしょうか?それは、AIアートが「労力もなく安易に生み出される偽物」と見なされているからです。彼らが自分で「アート」を冒涜しているのに気づかず、世間を「AI嫌い」だと他責にしているだけの話です。
AI絵師たちはアートの本質を理解していないからこそ、AIを「アートの未来」だと誤解しているのでしょう。しかし、アートとは、計算や機械では生み出せない人間の感性、創造性の集大成なのです。ボタン一つで出力された画像に魂はありません。クリエイターたちはAIの支配を拒み、AI絵師たちがいかに「追放されるべき存在」であるかを認識し始めています。
結論として、AI絵師の皆さん、自らが「アーティスト」ではなく「ただのボタンプッシャー」であることを自覚して、せいぜいそのAI技術を楽しんでくださいね。他のアーティストたちは、真のアートを守るため、あなた方を必要としていませんから。
やっぱ自称イジメられてた話を吹聴する奴はクソってのが再認識できた。
斉藤に限らずXでも自分はイジメられてて〜なんて言う奴のプロフ見ると訳わからん病名ずらーっと並べて色んな人に攻撃的なリプ送ってる性悪陰キャ。
でも実際こう言う奴らのイジメって大したことされてないと思う。もしくは誇張しまくった被害妄想。それをイジメとカウントして「イジメ被害者」のポジションで自分はそのせいで捻くれたから他人に暴言吐いても許してねって言う免罪符に使ってる。
本当に酷いイジメに遭ったら自分からペラペラ喋るような精神状態じゃないよ。思い出さないように前向きに生きてんだよ。
自称イジメ被害者の奴らはそういう人たちに対しての冒涜でもある。
俺は前々からそういう印籠のようにイジメられてましたーを出してくる陰キャを軽蔑してたけど、
やっぱり真偽がわからないから言葉だけを真に受けて騙されて同情したり、攻撃的になるのを寛容にする人が多い。そこに付け込んで調子に乗って斉藤のように悪事を犯す。
要は男性権力者とその権力を利用して成り上がった女性芸術家って関係なので
仮に現実でも不倫関係があった場合、その実態は地位を利用した性行為の強要、いわゆる枕営業、要はme too案件だと考えた方がいいと思う
それをあんなふうにソウルメイト、純愛、などとして描くのって、
私はクリスチャンの両親に育てられ、ある時期までは神を信じていた
だが遅まきながら成人後に、聖書に書いてあるような都合の良い神(守り助けてくれる神)はいないんだと気づいた たとえば虐待されて亡くなった小さな子供がいると知りながら神の存在を信じるなら、それは死者への冒涜になると思った 私は小さな犠牲者を冒涜するような人間ではありたくないし、朧げな神よりも目の前の人間の尊厳に天秤が傾くようになった
まあ普通の人は、そもそも神の存在しない地平線から人生をスタートするか、宗教を信じる家庭で育った子も大体は思春期に至る頃には、親を批判的に見れるようになるのに伴い神の存在を自分の中から削除する …んだよね?
生き物は死んで物質として土に還り、脳など、肉体の作用であった思考も共に消える、魂とは人が都合よく作り出した概念であり最初から存在すらしない
多分、大多数の日本人にとっての死生観てそういうものなんだと推察する 私も遅まきながらそういう場所に落ち着いて、長くそこに留まっていた
でも最近、狼狽えている 昔の信仰に戻ることは絶対にないけれど、それとは別として神とか仏の存在を信じる人の気持が切実にわかる ガザとかウクライナを見ていたら、やっぱり天国と地獄はあってほしい
無辜の犠牲者は天国に行って慰められてほしいし、加害者には地獄の業火で永遠に焼かれてほしい (死者を裁いて天国と地獄を管理する存在を便宜的に神と呼称するとして)神にはいてくれないとこまる
たび、死ねば悪行がゼロになるなんて許されるわけがないという考えが頭に過る 神の存在を前提として育てられた私の脳が、勝手に昔の思考の癖をなぞっているのだと分かっていても、それでもなお「神」の存在にすがろうとする 自分は愚かだなと思いながら
いつか悪人は裁かれ相応の報いを受けるのだと信じなければガザの人たちもウクライナの人たちも正気を保てないだろう 一説によればガザではこの1年で30万人近く死んでいるという 誰にも顧みられないまま土砂に埋もれ朽ちていく死体があまりに多すぎる
3.11では2万人が死に、日本中が大混乱と悲嘆に飲み込まれたというのに、何十万人て…
自分を幸せにする神ではなく自分を殺した相手に復讐する神が必要なんだと切実に感じる
もし神がいるとすれば不可知なのだろうと個人的には思う 神はこの世に干渉もしない でも善悪を計る絶対的な存在が別の世界にいて人を見ていてくれなければ困ると思ってしまう
神の存在しない地平線から人生をスタートし、神という考えすらよぎることのない生活をしている人は現代の虐殺を見てどんな事を考えてますか?
※人間も動植物を虐殺して食べてるではないかというツッコミは今は受け付けまられせん
※10.7で殺されたイスラエル人とその加害者ついても勿論同じ事を考えますが、数日で終わった殺戮と1年続く殺戮では自ずと考える時間が違ってきます
車は田ゐの道に重き轍刻みて、静かに旅の媼なむ揺らしける。
「などかは感謝しはべりぬべきや。歩みもままならぬ身に幸ひなる助けにて治療も給へける。さこそは全能の天帝の御わざなれば、慈悲深きあがきみをば遣はし給ふべかんめり。」
御者の翁、前ぞ見据えてなほ黙(もだ)せる。
「あがきみもぞ、天帝の信奉者におはしはべるや…かくの如く見受けはべり。」
媼の眼差し、もだしたる御者の背へ、さらには荷台にて古びたる聖典に止まりぬ。まさに御者との時をぞ映しためる。
御者静かに「然り…信じはべり」とて、さらに「されど、天帝はただ…人のさだめをば弄びたまひはべり。」媼の微笑み穏やかに「まさしく深遠なる御弁(わきま)へにはべらむ」。
車進み行くも道塞ぐ巨木現れ、はからずに停まりにけり。媼は「あなや、如何にしはべらむ。なまむつかし」と言ふものを、御者の降りて巨木に手おきつれば、巨木の姿消えにけり。
「たぐひまれなる奇跡かな。大木の忽然と去りぬ」とも、御者は「ただ除きたるのみ」と冷ややかなりき。媼感じては「為し難くはべり」とて続けるに、「若きとき、あがきみ冒険者にはべるべかめり。かくはべりぬべし。常よりかかる勘がふ外れざらんものなれば。」
今は昔、御者の翁なるタケなむ、悪辣なる徒党の一味にて後ろ暗き途にありたり。その中に、ハンブン、ミノル、コゲ、エンディといふ者なむありにける。
ある夜半、逆巻くせせらぎうち響く中にて、タケが天帝の御姿ぞ冒涜せしものから、どちの一人に目覚ましく、「タケ、何ぞしたるや。これ御姿にて神聖なり。」
タケの「もだせよ。などかは心にかける者あるべき」とて、エンディ怒れるに「わぎみのわざ、此方ぞ汚しつる」と言ひ初めけり。タケは「さあらば、天帝とこそ争へ」とあしらふ。さらにエンディは「けしからず」と争ふ。他のどちの言ひけるに、「タケ、かかるわざによりて宛て行なひ給はらむものなり。」タケは嘲りて「天罰など、あり得ぬ事なり」と答ひき。
「などかうは然様に言い閉ぢしや」と問はれければ、タケの顔苦々しく、「幼きときの友、祈りて粮料(れうれう)乞ひたるも、飢えにてこそはかなくなりにけれ。おはせしかば、かれをば救ひ給ふべかりしを」と言ひくくむ。「故に、天帝なむあらぬ。」タケの言い腹立ちやまず。
エンディは「されど、などて天帝とこそ争へと言ひしや」と惑ふ。嘲りて「天帝とあらざらば、誰と争ふべし」とて鼻まじろきをしたり。別のどち更に問ふ。
「ミノル、わぎみの信ずる神が貶められたり。公腹(おほやけばら)ぞ示さむや」
「あれは我が信奉する神にはあらず。争ふなどよしなしごとなり」
また他のどち「はかなきことなり」と痴(をこ)がる。コゲ、ハンブンに向かひて「如何にせむ?」
「タケよ、いでや行かむ」「行かむや」
ハンブンのきもちやまず、「わぎみ、いつとなし、かかるわざぞ続けむ」とて聖典に添へおきつつ、「天帝、祈りや崇拝をもって我らをば救ひ給はず」とぞ言いける。
驚きて「何と」と問い返されしものから、ハンブンは「天帝、見守れども助け給はず。相応の苦難を授け給ふばかりなり」と語る。タケは「などかくはするぞ」とて憤(むつか)るもまた、別のどちも「ハンブン、わぎみの信じたることなるのみや」と疑ふ。
「信ぜず。長きにわたり、さかしらなる大人、天帝ぞ正しきとせむがための理(ことはり)なるも、をかし。民草を実(まめ)ならしむるためなれば、ひとへに侯(こう)がため。」
タケも心得ずして「無道なり」。タケを見据へ「いつとなく、かかる愚れ愚れしきわざ続けむや。虚仮なり。」とて言い募られたるものから随ひき。
驕れる一味、共に暗き世々を存(ながら)へ、つひに国王に背きつるも、久しからず、さだめのまへには闇の錦にて甲斐なし。はらからも勇敢なれど潰えて多く命を極め、ただタケの独りながらへり。
荒き風吹く夜、タケ、あばらやのやうなる塔の上にて立ち尽くす。「ああ、はらからは儚くなりにけり。かの激戦の只中にて残りたるは我が身なりけり。」
はからずにかつてのはらからの言葉胸にかすめる。「タケ、わぎみぞ儚くなり初めぬべき。」また他のどちも「かくの如き無謀をもって、ながらへらるるや」などといふ。息つかして去りにけり。
のちも浮かれ漂よひ続け、果てに綺麗なる殿に辿り着きけり。
宿直人は「何為むや。これホドギャ殿なり。よしなくしてえ立ち入られず」と問い詰めけり。タケは「ホドギャとはたそ。よそよそしきことなりけり」と鼻まじろきをする。宿直人をば斬り伏せ、殿の中に忍び込みけり。
いへのきみのホドギャはそれを見るに、郎従に「害せよ、害せよ!かのやじりきり誅せよ!」とげぢす。タケ、襲ひかかる者ども薙ぎ払いて、宝物手に入れるや去りぬ。
「若きときの冒険羇旅(きりょ)、けしゃうの物と戦ひもありけり。国王軍とも。人ともけしゃうの類ひともすずろなり。などかは戦ひのただ楽しかるべき。しかうして一人など甲斐なし。はらからのありてこそ、戦ひも人生も。」
自らの手中の宝物見るにうち捨て、虚ろにも「今、全て空し。同胞のなかりしかばあやなし」とて座り込みつつ、去りにし日々に禅定したり。
朝(あした)に起きれば、手の宝物をばうち溢(あぶ)し、またひとたび漕ぎ出だしけり。官軍が陣の前に立ちつつ、「これこそ別れ路、いざ華々しく行かめ。この戦ひもって死なば、黄泉にてはらからに会ひ得るか知らぬ」とぞ呟きし。林檎かじりつつ、陣への攻撃決めなむとも、にわかに腹痛に襲はれ、放りて蹲れば呻きたり。「腹ぞ…痛き…」
通りがけの田夫これを見て、恙なしやと寄りてみるに、「もだせよ」と返さるるも構はず。タケが傍にて宝物のありけるを覚える。「得難き宝なり。さりとも。」
車に乗らせ、町へと向かふ折、言ひけり。「憂ふなかれ。かの町に名医おはしはべり。犬の便秘さへ治したるほどにはべり。」タケは苦しみつつ、「なぜ宝もち去らざりぬや。やうれ、盗みつべかりしを……いづこにか連れて行かむとす」と尋ねけり。
田夫は笑ひつつ答へける、「臥したる者より銭(あし)盗みて去りぬと天帝に告げなば、さぞよろしからむや。然れど参る折、そのよしぞ聞こし召しせば、何をか仰せらるるや。」
「さなるや…」
「何と」
田夫は微笑みて「誰によりてもわぎみにこそせんいちなれ」とて聖典渡しけり。
かくありて、そののちも、幾度となく官軍が陣落とさなむとすれど、天候や体調、あるいは人の干渉に憚られ、阻まれにたり。つひに絶たむとて木に縄吊るして佇むなどもありけり。
「くびる者の心もちなむ弁へ知らぬ。今こそ…」
くくらむとするや、崖より岩ぞ転がり落ちて木をば折りたる。驚き嘆けば咳き込み、「またしても阻まれるなど、などてならむや…」倒れたる木に目を懸け、田夫より授かりたる聖典に触れり。
天帝よ、みましは真におはし侍るや?などかうは此方をぞこの世にしばしとどめ給はむ!
聖典開けど徒らなれば、めくる音のうち響くのみなるかな。
ふと眼裏にハンブンが言葉(けとば)思い起こされにけり。「天帝、見守れども助け給はず。相応の苦難を授け給ふばかりなり。」また、田夫のはかなしごとも。「あれぞ試練なりし。天帝は見守り給ふのみなり」とも。タケは覚えたりけむか、「そよや…まことにさなりけり…」と呟く。かくて聖典ぞ抱きて案じゐたりき。
「再びえあはれぬどちたち、今ここにあるべし…話しあたふべかめり」
かつてのはらからよりの教へぞ思ひ出さなむとて聖典や草子ぞ読み耽る。植物の覚え深きどちがため、植物抄、論文の類ひ尋ね取りけり。
「はらから、ものに通じたりき。過ごしたる日々思ひ出さむとて、からく関はる草子尋ね取りては読み耽けなむ」
しかうして今、タケは御者の翁となりぬ。
「はらからに再び会ひてしがな。それのみぞ生きる希望なるを、さあるべくしてほかに無し。されど、今や誰にもえ会はれず。生おぼえなるに、かんばせもえ思ひ出されず……夢にも。誰一人とて。死にても、憶えの中にても、もはやえかなはざるなり」と感じけり。
にわかに媼がタケに銃を差し付けり。かつてタケにより懸想人を害されし者なるなり。媼言ひけるに冷たく、「今なお日次ぎ思ひ出しはべり。わぎみらに害されたる懸想人。かんばせ、息通ひ、声などの覚え、昨日のやうなり。」
タケは「な外せそ。抗ふまじ。かかる暗き道閉ぢ給へ」と受けれど、媼の手震へより引金え引かれず、射られざりき。「今もなほ…」
媼は動じて見つめたり。
「わごぜのみならず。常なり。独りになりてより、かくのごとし。我をば害さなむ者、鞘よりつるぎ抜けず、弓のつる切り折れ、悉く阻まれたり。天帝、さらにどうなきを、我が人生ぞ閉ぢ給ふまじ。」
媼打ちひしがれれば、タケはかく語りき。
「今もなほ、わぎみが報いより我への罰ぞ選び給ひたる。これ天帝の思し召しなるらむ…」