はてなキーワード: 改善とは
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具体的に何が原因かと書かれてないんだけど、この場合何が原因なの?
なんだろう
ぽっかり仕事が無くなったとき(今日)になにもやる気にならない
仕事抜け出してジム行きたいし公園に散歩行きたい気持ちもあるし
あるいは中期的な未来を見て急ぎじゃないけどやっておくべき仕事もいくらでもある
でも何にもやる気になれない
私自身がモラハラなので、もし今モラハラなパートナーや家族、上司に苦しんでいる人のために書いていこうと思う。
(断っておくと、私はもう既に自覚しているので改善の努力はしているしパートナーは作っても結婚はしないと決めています)
まず、私の話からする。
私はモラハラの特徴としてよく挙げられる、相手をコントロールしようとする・気分で態度が急変・外面が良いなどの特徴は全て持っている人間である。
これは元恋人、友人、家族、深く関わった人間ほぼ全てに言われていることでそれ自体は私も自覚している。
外面はいいので塾講師のバイトや大学では絶対に口には出さなかったが、当時の恋人や友人、家族にはライン超えの発言を繰り返し、相手が自分の支配下にいなければ気が済まなかった。
例えば、当時の恋人は家庭環境に恵まれておらず、父親が出て行ったため母子家庭で育っていたのだが、向こうが私を苛立たせるような発言をした時には「そんなことばっかり言ってるからお父さん出て行っちゃったんじゃない?笑」と返して深い傷をつけた。
こんなエピソードには事欠かない。よく刺されずに今日まで生きて来れたと思う。
当時の私の思考回路を振り返ってみると、とにかく相手が自分の思い通りに動かなければ気が済まず、なんとか相手を屈服させたかった。
しかし、腕力が強い男でもないし暴力に訴えるのは「完全な屈服」には繋がらないと思っていたので、とにかく相手の自己肯定感や幸せをめちゃくちゃに壊し、自分の思う通りにだけ動くようにしたいと思っていた。
自分以外に相手に頼る人間がいることが許せないので、思い返せば当時の恋人は家庭環境に恵まれていない且つ友人がいない(もしくは少ない)人ばかり選んで付き合っていたような気がする。
なぜなら、私含めほとんどの場合モラハラはプライドが高く、「自分が相手を支配するために必死になっている」ことを認めなくないため、屈服させると言っても簡単に屈服するような人間をターゲットにしたいからだ。
なので頼れる親や友達がいない人間が格好のカモになるわけである。
私の場合、弟と妹、恋人、見下せる友人、この3種が特に当時の自分の「相手を支配下に置きたい欲」の標的になっていたと思う。
なぜこういう思考になったのかは人によって違うと思うが、私は両親が言うには幼い頃から良い子だったらしい。
今から考えたら、完璧な第一子であり続けようとするプレッシャー、そして張り続けた見栄によるストレスを幼い弟妹にぶつけ続け、そして弟妹が自分に屈服するのを見た時にゾクゾクと快感が走ったのが始まりだったように思う。
モラハラは外面が良いという話にも繋がっているのだが、ほとんどの場合は“見栄”で外面を作っている。
本当に仕事ができて完璧な人間なら見栄を張る必要などないから当たり前だが、モラハラになるような人物は醜い凡人なのに完璧な外面を取り繕うとするのでそこに「ひずみ」が生まれるわけである。
それを全て自分よりも弱いものにぶつけることによって、「自分は大丈夫」「少なくともコイツよりは強くて優れている」と思い込みたいのだ。
なので外面は良ければ良いほどモラハラでぶつけられるひずみの反動は大きくなると思ってもらって差し支えない。
もっと深層心理を言えば、完璧で相手よりも圧倒的な人間であり続けないと不安なのだ。
100点を取らないと殺される、突き放される、と怯えている子供だと思ってもらって良い。モラハラは小心者なので。
ただ、100点であるフリがうまく行っている時はいい。しかし成長途中に“本物”の100点満点なんかを見てしまうとそこで何かがプッツン来れる。
そして自分よりも明らかに点数の低そうな者に目をつけ、お前は0点だが俺は100点なのだ、エライのだ、と自分に言い聞かせるわけである。
1番頭に来るのは0点だったはずの格下が実は自分よりも点数が高かった時だ。
モラハラ夫が妻の才能を潰すために周りとの関係を切らせ、家に閉じ込めるのはそういう思考だと思ってほしい。
ではモラハラは治るのか?というと残念ながら難しい。
暴力に訴えるタイプなら逆にまだ救いようがあるが、完全に言葉やマインドコントロールに走るタイプのモラハラはもう既に“自分は満点で圧倒的な存在であるはずだ”という意識が出来上がっている上に、暴力に走らないくらいには理性とプライドが高くなっているからだ。
私の場合、留学先で100点満点どころか1000点満点の世界中から集まってきた本当の天才たちにプライドを粉々に叩き潰され、且つその怒りと焦りを発散するための自分より弱い格下がおらず、どうしようもないまま数年過ごしたのがよく効いた。
私は無意識下でバイト先も塾講師や家庭教師を選び、恋人にする相手も自分より弱そうな者ばかり狙ってきたので、先生と呼ばれ格上扱いされることに慣れきっており、そのちっぽけなメッキの鎧は本物の天才の純金の剣には敵わず粉々に砕け散ったのである。
これが日本にいる時だったらなんとか見栄を張り続けて、周囲には悟られないようにしてプライドを持ち直しただろうが、残念ながらアメリカの名門大学は非情なまでに実力主義で、丸裸の状態で日本に帰国することになった。
そしてまっさらな状態でかつての自分の言動や行動を見直し、「なぜ私はあの程度の才能でいばり散らかして、周りを屈服させる存在だと自分を思い込んでいたんだろう」と急に恥ずかしくなり、今に至る。
帰国してからは塾のバイトと同時並行で皿洗いのバイトなどを初めてやり、意識的に自分を格上扱いする快適な場所(コンフォートゾーン)の外側に置いてみた。
数年かかったが弟妹には謝罪してなんとか和解し、それから付き合う恋人も「自分より格下か?」「弱味はあるか?どこを攻撃すればいいか?」ではなく逆に自分よりもはるかに格上の相手を選ぶようにした。(そうすると自分が何も言えなくなるため)
そして素晴らしい恋人と出会って今は日々そういう言い方は良くないよ、と宥められながら少しずつ意識を改革している。
もし今モラハラに悩んでいる人たちは彼らを積極的にコンフォートゾーンから追いやってほしい。
会社で上司としてぺこぺこされることに慣れきっていたモラハラ男が、退職してからは家庭に居場所がなく人が変わったようになった、という話を聞いたことがあるが、それも会社というコンフォートゾーンを追い出されたモラハラの良い例である。
それが恋人であればおだてて海外や転職に持ち込ませるのもいいし、家族ならそのモラハラ人間が格上判定している人に突き放してもらうのも良く効く。
私は今は留学の経験から落ち着いているが、ライフステージが変わり、自分のメンタルに余裕がなくなった時自分の中にまた相手を屈服させ、安心したいという欲望が出てくる可能性を常に秘めているので、この先結婚もしないし子供も持たない予定である。
世の中で苦しむ人が少しでも減るように。
これは私自身が、また私以外の業界から転職されてきた方々を見てきて、これではないかな?と思うことがあります。
それはプログラマー以外の仕事は、常に本番環境である、ということです。
たとえば営業であれば、取引先との打ち合わせも見積もりも、ひとつひとつが「本番」です。やり直しはききませんし、次の瞬間には社外の人の評価や信頼がかかっています。接客や教育、医療、建築…どの仕事もそうです。人や社会に直接つながっている以上、テスト環境など存在しません。常に結果が「本物」として記録されていくのです。
その点、プログラマーの世界は少し違います。そこには「テスト環境」があり、「デプロイ」という明確な境界があります。エラーが出ても、まずはコードの中で直せばいい。実験と修正を繰り返しながら、本番に近づけていける。失敗から学ぶ仕組みが、仕事の構造として組み込まれているのです。
もちろん、だからといってプログラマーが気楽だという話ではありません。むしろ「テストできる」ことが前提だからこそ、完璧なシミュレーションを作り上げる責任が生まれます。本番環境を一歩でも誤れば、大きなシステム障害につながることもある。
けれど、「試すことが許されている」という点で、プログラマーの仕事は他の仕事とは質的に異なる、と私は感じます。多くの職業では「やってみること」そのものがリスクになるのに、プログラマーだけは「やってみること」が日常の一部として制度化されているのです。
たとえるなら、プログラマーの仕事は「楽屋のある職業」なのだと思います。
多くの仕事は、目を開けた瞬間からステージの上に立たされるようなものです。接客業ならお客さんの前に立った時点で本番が始まっていますし、教師なら教室に入った瞬間に舞台袖はありません。間違えば生徒が戸惑い、客が離れ、取引が破談する——それらはリハーサルのない一回きりの公演です。
一方で、プログラマーは楽屋での準備が長く、ステージに出る時間は驚くほど短い。コードを書く、テストする、修正する。その多くは「誰にも見られない暗闇の中」で進んでいきます。そして、いざデプロイという名の本番を迎えるときには、すでに何十回ものリハーサルを終えているわけです。
そう考えると、プログラマーの面白さは「安心して失敗できる時間」が保証されていることかもしれません。社会の多くの仕事が「失敗しないための緊張」で成り立っているのに対し、プログラマーは「失敗を前提とした反復」で完成に近づいていく。
この違いは、単に働き方の差ではなく、「世界との関わり方の構造の違い」にまで広がっているように思うのです。
その境界線こそが、プログラマーとそれ以外の仕事を分ける根本なのかもしれません。
プログラマーの失敗は、基本的にログに残ります。誰が、いつ、どんなエラーを出したのかが正確に記録されます。でもそのログは、「修正可能な痕跡」であり、「過去をなかったことにできる記憶」です。失敗は恥ではなく、改善のためのデータとして保存される。むしろ失敗を残さない方が恐ろしい——なぜなら、それは検証も再現もできないバグだから。
一方、他の多くの仕事での失敗は、ログではなく「印象」として残ります。顧客の言葉、上司の記憶、誰かの評価。修正パッチは配信できませんし、「新しいバージョンをリリースしました」と言っても、その印象が上書きされるとは限りません。世界が自動でキャッシュをクリアしてくれることはないのです。
だからこそ、非プログラマーの人々は無意識のうちに「失敗を避ける設計」で働くようになります。完璧に準備してから発言する、波風を立てないように動く、見せ方に細心の注意を払う。彼らの本番環境には“try-catch”構文が存在しないのです。
一方で、プログラマーは「例外処理」を書くことを前提に思考する。すべての失敗を想定し、起こり得るエラーを受け止める枠組みを最初から組み込む。そこには、世界を「壊れ得るもの」として見る柔軟さと、「壊れても直せる」という信念がある。
その考え方の違いが、やがて人の思考様式や言葉の慎重さ、さらには生き方そのものにまで影響していくのではないか——そんな気がしています。
覚えておいてください。これから踏み出す世界には、「実行ボタンを押す前にコンパイルしてくれる親切な仕組み」はありません。人の言葉も、会話も、メールも、一度送ったら基本的に戻ってきません。Undoはありませんし、Gitもありません。世界は常にmasterブランチで動いています。
ですから、まずはその“冗長な曖昧さ”を恐れないでください。コードの世界ではif文で整理できたことが、現実の人間社会ではあいまいなまま動いています。それを「エラー」だと考えないでください。人間は仕様書なしで動いているシステムです。バグだらけで当たり前なのです。
現実の世界では、修正にも時間がかかりますし、再デプロイにも人の気持ちというプロセスが関わってきます。あなたが「パッチを当てました」と言っても、相手の心がそれをすぐに適用してくれるとは限りません。
ですから、焦らずに。ログを読むより、人の表情や沈黙を読む方が大切になります。
そして何より大事なのは、「テスト環境がない」という世界でどう生きるかを考えることです。
あなたの言葉は、すべて本番環境に直接デプロイされます。その恐ろしさの裏側には、同時に大きな自由もあります。本番だからこそ、本気が伝わります。人間関係も仕事も、常にリアルタイムで最適化されていくのです。
プログラマーらしい慎重さと、非プログラマー的な即興性。その両方を持てる人は、なかなか多くありません。もしあなたがその橋渡し役になれたなら、どんな職場でもきっと大きな価値を発揮できるはずです。
世界はtry-catchのないシステムです。しかし、恐れることはありません。catchできない例外に出会ったときこそ、人は成長します。これからのあなたのフィールドには、テスト環境の代わりに「出会い」と「経験」が用意されています。それもまた、悪くない環境だと思います。
俗に言われる「普通の日本人」の感覚が、自分の生きてきた「普通」と違い過ぎる
なんで彼等は共産主義やリベラルをあんなに憎んでいるんだ?理想主義が嫌いなんだ?
日本で普通の中流家庭に生まれ、普通に地域社会と関わって、普通に義務教育を受けて育ったら
差別は良くないとか隣人に優しくしましょうとか貧富の差をなくしましょうとか、そういう規範が身につくものなんじゃないの?それとも今の学校教育は違うのか?(映画『教育と愛国』は一応見た。)
現実が理想と違うのは当たり前で、理想に合わせて少しずつ改善していくものなんじゃないの?理想を掲げる事自体を否定してどうするよ?
おとなしく現行制度に従って自然分娩する女がいなくならない以上は
抜本的な改善が図られる事はないって話だろ?
何処をどうしたら自然分娩で産めとか言っているように読めるんだ?
その反対だよ
産むなって言ってるんだよ
そんなもんは最低限の規定だけで残りは資本主義に従えばいいんだよ
お前が便所ダンピングして便所が混む施設にも行くから資本主義の的に足元見られてるわけで
改善させたいならお前は出掛けるなってことだよ
言われたことのない人は、それだけでとても恵まれていると思います。
ガス型は過敏性腸症候群の診断基準にはないので、医者に言われたわけではありませんが、明確に症状があります。
それは、おならが我慢できず、自分で気付かないうちに漏れてしまうことです。
今まで何度も何度も、数えきれないほど他人から『臭い』と言われ続けてきました。
医者にも相談しました。何度も大腸内視鏡を受けましたが、腸に異常はありませんでした。
恥ずかしかったですが、『おならが我慢できず、勝手に出てしまうんです』と相談もしましたが、『そんなのありえないよ』と一蹴され、整腸剤を処方されただけで診察は終わりました。
低FODMAPや様々なサプリ、消臭パンツにも手を出しましたが、何も効果があるものはありませんでした。
働かなければ生きていけないので、就職もしましたが、徐々に臭いことが周りにバレてしまい、職を転々としています。
・おならすんなって(私に)言いなよ!と隣の席の人に先輩がアドバイス
・後輩に仕事を教える時に、私が隣にいる状況で遠くにいる先輩に『臭いです〜』と言われる
・上司との面談で『この個室にずっといるから◯◯(上司の名前)臭したらごめんね?w』と言われる
(陰でこう言われてるんだと察知)
・部署全体に聞こえる声で先輩が上司に『臭いから辞めさせろ!』と直談判
・聞こえるように『辞めろ』『いないほうがいい』と言われる
・席の後ろに香水をまかれる
数えきれないくらい、周りに迷惑をかけてしまっています。今まで関わってきた方、本当にごめんなさい。
SNSでもたまに話題になりますが、当人は気付いていて、頑張って対処していますが、改善に至っていないという人が多いと思います。
今は退職して引きこもっている状況です。
貯金も尽きてきましたが、働くのが怖いです。
また周りに迷惑をかけてしまうと思うと、外に出ることができません。
今まで、死ぬのが怖いから生きているという状況でしたが、そういうことを言っている場合ではないのかもしれません。
お願いです。
過敏性腸症候群ガス型に効く薬を開発してください。
もう周りに迷惑をかけながら生きていくのはつらいです。
ブルームバーグ https://www.bloomberg.com/jp/news/articles/2026-01-19/T931N9KK3NY900?taid=696dcc06a617fd00012fedbf&utm_campaign=trueanthem&utm_content=japan&utm_medium=social&utm_source=twitter
自国経済とビジネスを優先させるのなら、アメリカより中国を選んだ方がリスクが低いと、元ゴールドマンのカナダ首相は判断した
日本だけが投資筋を読めずに、高市首相にベットしようとしている
選挙で正されればいいが、まあ…
先日炎上していた「フィラー」について、昨日の高市首相記者会見がどうだったか見てみた
たまに「ま、」というフレーズを入れることはあったが、20分以上のプレゼンの中で5回も無かった。話自体があちこちふらついてた印象はぬぐえないが、少なくとも「あのー」「えー」をプレゼンでも多用していた石破よりはるかに聞きやすかった
こちらはさすがに「えー」「あの」などのフィラーが度々出ていた。ただしフィラーが多くなりすぎて聞きづらくならないよう、時折一拍置くなど、気を遣って話していたのが印象に残った。
おそらく高市氏はフィラー多用癖があり、それを抑えるよう訓練していた(いる)のだろう
増田も一昔前までフィラー多用癖があった。元々吃音持ちで、学生時代はそれを理由にいじめられた過去があるし、就職活動でも就職浪人してしまう原因になったくらいだ
それを少しずつプレゼン訓練によって改善し、今は年収4桁の正社員にまでなった
「フィラーをNGにすると吃音症の人が排除される」と騒いでる人が居たが、増田は昔から吃音症を理由に排除されていた側の人だったから何一つ共感出来なかった
日本経済の立て直しが一気に進んでいる。外国人犯罪ゼロ、入管行政の厳格化、帰化要件の厳格化により治安は改善。
企業の中国への依存度が下がりつつある。これからの安全保障に欠かせない地盤づくり。
トランプが起草した新しい国連では悲願の常任理事国入りができそう。これも高市外交の成果だろう。
いまトランプを一喝できるのは世界でも高市くらいじゃないか。アメリカのマスコミはトランプのハンドラーと呼ばれて尊敬されているという。
仮に彼氏はすぐに出来なかったとしても、寂しさを埋めるために肉体関係を持つ異性はその日の夜のうちに見つかる
俺が彼女と別れた後、新しい彼女を作ったり、肉体関係を持つ異性を見つけるのは難しい
下手したら一生独りになる
この非対称性が悔しくていつもなかなか別れられない
俺は元自治体職員(政令市)だが、「学校給食」を良くした首長ってめちゃくちゃ強いんだよ。
俺がいた自治体でも学校給食の改善(具体的にどういう改善かは伏せるが)を公約にした市長が当選した。
消極的だった元職(当時の現職)は保守革新市職労の全面支援があったのに惨敗。
(当時市職労の幹部だったので、市内政治勢力の8割をまとめた現職が「給食」の一点だけで市民からほとんど支持されていないのが手に取るようにわかった)
学校給食を良くすると、子育て世代、子育て世代予備軍、子育て世代の親世代からも鉄板の支持がある。
小川市長は前橋市の小中学校の給食無償化を実現した。これは凄いこと。公務中にラブホ行って誰とセックスしようがそんなことはどうでもいいのよ。
給食って市政ではそれぐらい重いのよ。
タイトルのとおり。
終わったあとに「自分は、いつまでこのライブを楽しめるんだろう」と思ってしまった。
今回のライブが最高で、楽しかったというオタクはこの記事を読まないことをおすすめする。
ただ、一人の古参オタクが歳を取ったことを認めたくなくて、ぼやいているだけというのが高いためである。
このままだと、界隈全体が緩やかに衰退するんじゃないかなと思った日記です。
■
まず前提として、自分は30代。
初音ミク歴は2007年のニコ動全盛期からで、つまり小6か中1の頃からどっぷり浸かってる。
ただ、ライブ歴は浅い。
マジカルミライが始まった2013年頃は受験や就活の時期だったし、昔は「高校生が一人で飛行機に乗って県外遠征」なんてハードルが高すぎた。
初参加は2016年の地方ツアー。そこから数年後、やっと金銭的に余裕が出てきたため、2023年からマジミラ札幌以降、2024年福岡マジミラ・地方ツアー、武道館(ミクフェス)、マジミラ仙台と通っている。
■
正直、「マジミラ」じゃない冠がついている以上、何か新しいことをやるライブだと思っていた。
結論から言うと、「焼き回しパレード」を見せられた気分だった。
今回のコンセプトがマジミラ2013年リスペクトだったのは分かる。
でも、それって「当時の感動を、今の技術で再構築する」から意味があるんじゃないのか。
(だいたい、2013年リスペクトを匂わせつつ、なんで兄さんだけ最近の曲なんだ?)
(探せばもっと当時の曲だってあるだろ!このへんの「とりあえずやっとくか感」にしか感じられなかった)
ステージを見ていて、新衣装のモデルと昔のモデルの映像の差がどうしても気になった。
解像度なのか、モデリングなのか、理由は分からないけど、チグハグな映像が流れるたびに現実に引き戻される。
モデルを変えないことが「愛」なのか?
私には「古くから参加している人に文句を言われないようにしている」ようにしか見えなかった。(言い方が悪くてごめんね)
一般のアーティストのライブと比べて、バックダンサーもいない、生身の人間がステージにいない分、視覚的な情報量が圧倒的に足りない。
我々大人がチケット代なんていくらでも払う。多少上げたっていい。
だから、「今のライブはこんなに進化しましたよ」というのを見せてほしかった。
※後から知った話だが、にじさんじのライブでは1年以上前に透過スクリーンをトロッコ移動させるものがあったらしい。
初音ミクのライブの方が「最先端」として走り出したのに、どこでこんな差が生まれてしまったのだろう。
■「今」のボカロはどこに行った?
一番キツかったのは、会場の空気だ。
アンコール、静かすぎないか?あれがライブ初参加の層が多かったからなのか、古参が「いつものね」と地蔵化していたのかはわからない。
でも、演者が休憩するタイミングが、過去の踏襲すぎて視野が狭まってないか?
ミクフェス(武道館)のときみたいに、DJ入れて繋ぐとか、飽きさせない工夫はいくらでもできるはずだ。
あんなアンコールを聞くくらいなら「休憩中」と途中札を入れてくれた方がまだマシだと感じるくらいには悲しい気持ちになった。
■
そして何より言いたいのは、「今の曲」へのリスペクトのなさだ。
ボカロは今も進化してる。YouTubeやTikTokでバズり散らかしてる新曲がいっぱいある。
ただ、まだライブでやられていない良い曲が山ほどある中で、なんでライブで流れるのは「いつもの曲」ばかりなんだ?
何度も見た曲がまた選ばれているのは、自分には「懐古」ではなく「惰性」にしか感じなかった。
いや、それならそれでいいけど、私たちは「2026年の初音ミク」を見に来てるんだよ。
新しいボカロPはどんどん生まれてる。新しい名曲も生まれてる。
それを取り込まずに、「昔はよかったね」だけで回すようになったら、それはもう新陳代謝が止まった「死」と同義なのではないか?(白熱してしまいましたね、失礼)
新曲で発表されてた「アイドル戦士」も「シアンブルー」も予習して、コール完璧にして行ったんだよ。
でも、周りの反応の薄さ。スペシャルシートですら、やや盛り上がりにかけるコールとペンラ振り。
(※スペシャルシートが外れたオタクは、涙のスタンド席だったけれど、周りでコールが聞こえることはなかった)
熱意を持って「新しいもの」を楽しもうとしている層は、どこに行ったんですか…?
懐かしい曲で盛り上がるのも悪くない。
隣に居た2010年のミクパ以来ライブに行ったことないオタクは感動していた。
そういう初見の人でもいつでも参加しやすいものであり続け、感動して帰ってもらう。それも大事だ。
ライブ、いつの間にか「惰性」と「安心できる行事」になってないか?
「いつもの曲」を聴いて、「いつもの動き」をして、「ああ、今年もミクに会えたな」と満足して帰る。
それはそれで幸せなことかもしれないけど、それって盆踊りや初詣と同じじゃない?
でも、初音ミクのライブって、そんな「伝統芸能」を守るための場所だったっけ?
テクノロジーと音楽の最先端を走って、クリエイターとただのオタクたちの架け橋を用意してくれて、度肝を抜くような「未来」を見せてくれる場所じゃなかったのか?
武道館のミクフェスにはそれがあった。ボカロPが登壇して、演奏して、DJがフロアを沸かせて、「これが今のボカロだ!ついてこれるか!」っていう熱気があった。唯一無二の体験があった。
今回のローソンライブには、その「ヒリつくような挑戦」がなかった。
※だからといってマジミラにあるかと言われたら、ギリまだあるくらい。
私はまだこれだけ文句を言いながら通う。
来月のDECO*27の単独ライブも行くし、ポケミクも行く。地方開催があれば旅行ついでに行く。
でも、もし本丸である「マジカルミライ」までもが、今回のような「安心安全な懐古イベント」であり続けるなら、わざわざ東京まで遠征するのをやめるかもしれない・・・。
「これでいいや」って思ったら、そこが衰退の始まりじゃないか?
我々には、金はあるけど、時間は有限なんだ。
とりあえず、スモーク焚きすぎてミクが見えなくなるのだけは、そろそろ改善できるんじゃないですかね…!
■追記
今回、TLがローミクライブについて、とてつもない賞賛のあらしだった。
それを見て、私は自分の感覚がズレているのか思った。 「焼き回しだ」「進化がない」と感じたのは私だけなのか? と。
ということを考えた時にひとつ考えに至った。
恐らく、今新曲を聞いている層は「プロセカ」にいるのではないかと。
今の10代〜20代前半のファンにとっての「リアルライブ」は、初音ミクのライブではなく、「セカライ」なのかもしれない。
・若者層: 「セカライ」で、自分たちの世代のヒット曲と演出を楽しむ。
・30代以上(我々): 「マジカルミライ」や「今回のライブ」で、過去の遺産を楽しむ
金払いのいい古参ファン(我々)向けにチューニングせざるを得ない。
その結果、会場は「同窓会」化し、新規が入りにくいガラパゴス化が加速していく。
私はプロセカもプレイしているし、新曲を追うために課金もしている。
けれど、私が好きなのはあくまで「初音ミク」という存在そのものだ。だからこそ、ゲームのライブではなく、マジミラに足を運び続けている。
しかし、TLの反応を見る限り、今のここのファンが求めているのは「未来」ではなく、安心できる「同窓会」なのかもしれない。
結局、いろいろ御託を並べたけれど。
周りが純粋に楽しんでいる中で、一人で腕組みして「進化がない」「未来がない」なんて文句を言っているのは、変化を受け入れられない老害の始まりなのかもしれない。
さんざん男性のスペースを奪うことや、奪われた結果逆に男性も困ることになるかもしれないとか、女性側で改善する要素あるだろと言われているのに、知らん顔して全部合理的だとか抜かすからだろ。
知的●害だろ。
女トイレ増やさないのは女性差別、合理的配慮とか頭がパーンしとるとしか言えんわ。
さんざん他人から「他からスペース奪うな」とか「自分らが改善する項目あるだろ」と指摘されても全部無視しとるし。
しかも、平等や多様性の恩恵を受けながら「枠だけを増やせ」とか「男は混んでないから損してないとか」とかわけわからんこと言うなよ。
減らされて男性が困ることもないだろうかとか想像すらできんのか?(コンビニトイレなんて男性用が共用になっているとかで、埋まってることとかよくあるわけで。)
でもって、トランス女性に譲る際には多様性拒絶して「私の安全が脅かされる」でスペース譲の拒絶してんだろ?
一貫性も想像力もなくて無茶苦茶。もうこれ完全に知的●害だろ知的●害。
福祉に通わせろ。