はてなキーワード: 偏執とは
この格言は、アイルランドの詩人フレデリック・ラングブリッジが19世紀末に綴った詩の一節である。同じ暗い牢獄、同じ鉄格子、同じ限られた視界の中で、二人の囚人は全く異なる宇宙を目撃する。一人は足元に広がる湿った汚泥——腐敗し、沈み、絶望の象徴——に視線を落とし、もう一人は遥か夜空に瞬く星々——無限の光、真理、そして永遠の希望——に目を向ける。
鉄格子とは、遺伝的素因、初期環境、そして強烈な初体験によって刻み込まれた生物学的宿命そのものだ。
脳の報酬回路——中脳辺縁ドーパミン系(腹側被蓋野から核 accumbensへとつながる神経経路)——は、生存に有利な行動を即時的な快楽として強化するよう進化してきた。この回路の過剰活性が、sensation seeking(感覚追求傾向)という性格特性を生む。心理学者マーヴィン・ズッカーマンが提唱したこの特性は、新奇性、リスク、支配感、背徳的スリルを強く求める傾向を指し、遺伝的要因(例:DRD4遺伝子多型)によって個人差が大きい。一度この回路に「刷り込まれた」嗜好は、神経可塑性の限界によりほぼ不可逆的となる。記憶再固定(reconsolidation)というメカニズムで長期的に定着し、意志の力だけで完全に消去することは現代科学では不可能に近い。
泥を見る囚人は、加害の快楽に囚われた者だ。暴力や性的支配、背徳的スリルがもたらす即時的なドーパミン爆発は、脳の報酬系を再配線し、日常のささやかな喜びを色褪せさせる。刑務所という外部の厳格な構造では「模範囚」として規則を守り、仮釈放の審査を通過できる。しかし、鉄格子が外れた瞬間——社会復帰の自由という名の無防備な空間——で、トリガーが再活性化する。神経科学のLibet実験(1983年)が示したように、意識的な「決定」は、無意識の脳活動(準備電位)に数百ミリ秒遅れる。
この哀しみは、決して「弱さ」ではない。人間本性の暗い半面そのものだ。報酬系のdownregulation(受容体減少)により、普通の生活では満足できなくなり、泥の底へと沈んでいく。社会はしばしば「意志の力で更生せよ」と道徳的に責める。衝動の強さを自覚し、任意の治療や構造化された管理を求める道すら、十分に用意されていない。彼らの孤独はさらに深まる。
一方、星を見る囚人は、同じ衝動を創造の原動力に転換する天才だ。極端な好奇心、リスクテイク、新奇性追求は、科学者、芸術家、探検家を駆り立て、未知の真理を掴む。ニュートン、アインシュタイン、ヴァン・ゴッホ、ニーチェ——彼らもまた、社会的規範から逸脱した「狂気」を抱えていた。過剰なドーパミン反応と衝動性を共有しながら、それを「泥」として消費せず、抽象的な探求や芸術的飛躍に昇華させた。鉄格子は彼らにとって、創造の檻ではなく、集中の枠組みとなった。星は、衝動が光に変わった瞬間の輝きである。
しかし、彼らの人生は必ずしも幸福ではなかった。ニュートンは晩年を激しい偏執と孤独に苛まれ、アインシュタインは深い人間関係の困難を抱え、ヴァン・ゴッホは耳を切り、自ら命を絶った。ニーチェは精神崩壊の末に狂気の淵に沈み、多くの天才たちがうつ病、双極性障害、依存症と隣り合わせで生きた。
鉄格子は彼らにとって創造の枠組みとなったが、内面的な牢獄でもあった。星を見上げる視線は、自己破壊的な炎を宿している。
泥と星は、遠く離れた別物ではなく、人間性というコインの表と裏だ。遺伝的宝くじ、幼少期の偶然、環境の偶然が、どちらの面を上向かせるかを大きく左右する。科学はここに「自由意志のフィクション」を暴く
ここに逆説がある。悲劇的に生きることが、人類史を動かしてきたということだ。星を見る者の苦痛と狂気なくして、人類は科学の飛躍も、芸術の深化も、思想の革新も得られなかっただろう。泥を見る者の暗い衝動もまた、人間性の暗部を露わにし、社会規範形成に動機を与えた。栄光と哀しみは、常に表裏一体。人間は衝動の囚人として生まれ、鉄格子の向こうに何を見るかで運命を分かつ。
泥と星の間で揺れ動きながら、生きることの悲哀を背負い続ける——それが、人間という存在の、避けがたい運命なのかもしれない。
37年前の攻殻機動隊に現実は追いついた? 士郎正宗氏明かすAI論 構成・御船紗子2026年2月14日
AI(人工知能)をはじめとする技術と人がともに生きる世界を、37年前に描いた漫画がある。「攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL」(講談社)だ。その後、アニメ化されて世界的な人気を集め、ハリウッド映画の原作にもなった。今年7月には新アニメシリーズの放送も予定され、世界観を再び広げようとしている。漫画作者の士郎正宗氏は人びとの生活や職場にAIが急速に入り込んでいる現代をどう見ているのか。朝日新聞の書面インタビューに応じた。
・士郎氏が現代を描くなら
――攻殻機動隊の連載を始めた1989年当時は、まだインターネットが一般的に普及していませんでした。しかし、作中の世界はネットやAIが社会に浸透し、脳をネットでつなぐ描写もあります。この世界観はどのようにして生まれたのでしょうか。
小型で高性能のバッテリー、コンピューター関連の技術の急速な発達、高度な通信インフラ。当時はどうなるかわからない技術もありましたが「なんとかなるか~」と目を瞑(つむ)って設定したら、このような世界観が出来ました。生体、特に脳への侵襲技術(物理的なダメージを伴う技術)は「医療分野以外だと実際には進まないだろうな」と思いつつ、架空の物語なので描写する選択をしました。貧富や技術の格差両面を描写するよう気をつけました。
生活や仕事を便利に支援してくれるレベルに手が届いてありがたい半面、善良ではない目的でこれを利用する人達もいます。他の多くの技術と同様に多くの問題・課題も生じるし、対策も必要かと思います。人工知能はそうした対応策の検討や実施にも役立ってくれるでしょうから、有効活用するのが良いかと思います。
暮らしに広がるAI、加速する進化 「脳の本丸」への接近には危機感
人間における魂や心とは
――本作には枠外に多くの「補助説明文」が書き込まれ、読者が作品の世界観を理解する手助けをしています。この説明文によれば、主人公の草薙素子少佐が言う「ゴースト」という存在は、神道における八百万(やおよろず)の神のような存在だと理解できます。現実世界に氾濫(はんらん)するAIやその他多くの電気通信、データセンターのサーバーにも、ゴーストは宿ると思いますか。
人間はそもそも認知機能や心的原因から、壁のシミや木目に顔や人影を見いだしたり、現象の乱雑さに非偶然性を感じたりする想像力豊かな生物です。人工知能が単に文章や画像を統計処理して、あたかも人格や心があるかのような姿をし、人格や心があるものの手によって作られたかのような会話応答をした場合でも、実際にその人工知能に心と呼べる機能があるか否かとは関わりなく、人はそこに意思や心を見ることがあると思います。
人間における魂や心とは何か。定義や、構造の解明が可能になって、その機序(メカニズム)を踏襲または応用した人工知能(身体性を持つこと込み)ができて、さらに十分な学習が進めば、ゴーストは宿りうるかもしれません。しかし、現在のようなサーバーを積み上げるだけでは難しいかもと思います。
――作中に登場する天才ハッカー「人形使い」は、サイバー空間で生まれた生命体です。現在のAIや、サイバー空間に在る「なにか」が人形使いのように自我を持ち、ゴーストを持つことは可能だと思いますか。
どういった条件を満たしたら「ゴースト」と呼べる現象か、定義が必要です。また、どういった条件を満たしたら「自我」と呼べる現象かも、定義が必要です。
しかし、前出のゴーストに関する問いと同様に、それが可能か否か、実在するか否かとは全く無関係に、人がその存在を感じる(存在すると主張する)ケースはあり得ると思います。世の中には色々な人がいますので……。
士郎氏の補足説明文によると「霊魂とでもいうべき」もので、人格を形成する存在。森羅万象にゴーストは宿るともされる。作中の優秀なハッカーは、脳をネットワークでつなぐ「電脳化」で、他者の人格をつかさどる部分へ侵入する「ゴーストハック」ができる。草薙素子少佐が「そうしろとささやくのよ 私のゴーストが」というセリフは、劇場版やテレビアニメシリーズでも名シーンとして描かれ、知る人も多い。
――現実に人形使いのような自我を持つAIが誕生した場合、私たちはどうすればいいのでしょうか。
どういった環境下で何を学習してきたかによって、あるいは誰に何を教え込まれてきたかによって、その人工知能が何をしようとするか変わってくると思います。
そのようなものが登場するよりも前に、「出来るだけ多くの人間がQOL(生活の質)を高くして生きられる方が良い」「戦争を避けたり犯罪を減らしたりした方が良い」などの、人間社会にとって都合の良い指向性を持った人工知能を育て上げることです。
最高性能を維持し、「ヘンなバイアス(偏向)のかかった人工知能」や「人工知能を使って悪事を働こうとする人間」が登場しないように、あるいは、登場しても抑制可能なように備えるのが良いかと思います。
重要キャラクターの一人。電脳化した他者の脳に侵入して人形のように操る「ゴーストハック」が可能な「電脳犯罪史上もっともユニーク」と称されるすご腕のハッカーで、正体はゴーストを持った謎のプログラムだ。本人は「AIではない…私は情報の海で発生した生命体だ」と語る。
写真・図版
「攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL」の扉絵©士郎正宗/講談社
愚かさ、浅ましさも「人間らしさ」
――本作5話「MEGATECH MACHINE」の最後のコマには、「そんなに人間と同質なロボットが創れたらそりゃロボットじゃなく人間なんだよね! 違うのは外見だけ… (差別すんなよ)」というフチコマのセリフがあります。人間を人間たらしめる定義とはなんでしょうか。
漠然と他の生物種や機械と比較して、一般には高度な心的活動や感情、社会性、優しさ等々が「人間らしい」と評されることが多いと思います。が、愚かさや残虐性、浅ましさ等々もまた「人間らしさ」なので、個人的には「人間らしさ」という言葉をあまり肯定的に捉えてはいません。
人間はいまだ弱く臆病なお猿さんのままなので、より刺激が強く危険に関わる情報、つまりモメ事や扇動の情報、虚偽情報や誇張表現、悪口などの方が、穏やかでささやかな問題のない情報と比べて、より速く広く伝わり、脳内に強く影響を及ぼす上、お金にも化けやすいようです。
人工知能が人間の良い面をより強く学習し、より良いものになるよう、放任ではなくきちんと「子育て」しないと、超絶高性能な詐欺師や愉快犯になって、人間はそれに振り回されるかもしれません。
AIを搭載したロボットで、公安9課で使われている。主人公らの移動手段となるだけでなく、「相棒」として様々なサポートに回る。感情豊かな言動で読者を和ませるマスコット的な存在でもある。アニメ版では「タチコマ」として登場する。
――本作は未来の科学技術を描きながら、ゴーストという精神的、宗教的なテーマも根底に流れています。科学と宗教の関係をどうとらえていますか。
人工知能に「人間は猿から進化したのか、神が作ったのか」と質問して、どう答えるかが「科学と宗教の関係」かと思います。生物学的な進化の有り様、奇跡のような複雑さに「神の御心(みこころ)や偉大さ」を見いだす、くらいソフトだと害が生じなくて良いのですが…。
――本作をはじめとする日本の創作では、AIを擬人化して描くケースが多く見られます。欧米では、AIは便利な道具として扱われています。AIに対するとらえかたには東洋と西洋で違いがあると言われていますが、どのように考えますか。
文化基盤に大きな影響を及ぼしている宗数の型によって考え方に違いが生じる可能性はあります。しかし、東洋でも西洋的な人はいるし、西洋でも東洋的な人もいます。地理的な区分や、国や各研究機関の指針が全てを規定しているというわけではないと思います。「可能性を追求したい人」「管理して何かに役立てたい人」「商業的利益を追求したい人」など様々かと……。
――仮にAIに対するとらえ方が東洋と西洋で違うとして、本作に登場するような「東洋的」なAIは生まれると思いますか。
広範な自律学習を行う人工知能に限って考えれば、「中国13億人・インド14億人」を統計学習すれば、屁理屈の上では「東洋的な人工知能」が出来るはずです。ただ、「中国は共産党管理下、インドは多言語・多宗教・多民族」であることから、統計的な回答を得ると「東洋的な価値観」というのがどのようなものになるかはよくわかりません。
単純に人口だけで考えると、全人口に占める東洋系の人の割合はおそらく最大なので、人工知能が地球全体・全人口を相手に統計学習をするのであれば、その人工知能は東洋的な傾向を帯びる可能性があると思います。
実際には人口ではなく「取得可能な情報の総量」が学習の対象になるでしょう。人口イコール学習対象量というわけではないし、文化的な差に加えて情報化格差・インフラ格差も大きいため、人工知能が獲得しているバイアスがどういったものを反映しているかの推測は難しいかもしれません。
擬人化を東洋的と捉える場合は「文章&画像の統計処理」は「人間の映し鏡」なので、人工知能は既に非常に「人間的」であると言うことも可能かと思います。
写真・図版
士郎正宗氏の作品「攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL」©士郎正宗/講談社
――現代のAI研究者の中には、人間そっくりのロボットであるアンドロイドは倫理的議論を呼ぶため、作るべきではないと考える人もいます。どう思いますか。
まずは倫理的議論をするところから始めるのが良いと思います。広範な議論もせずに自己の結論だけ強固に主張するのはあまり倫理的に適切な行いとは……。
個人的には「宗教的な理由で反対する方々」を否定する気はありません。各人の思想信条、宗教は自由です。ただ、医師の横手に座っており患者の会話に合わせて時々うんうんとうなずいてくれるだけのアンドロイドの心理的な有用性や、介護現場における小さな人型・動物型ロボットなどを無条件で否定するのはいかがなものかと思います。
逆に、人型である必要性よりも、腕や目はもっと多くあった方が様々な作業に役立つのではないかとか、生活支援に最適化するにはどのような形状が望ましいか。高齢者を抱きかかえて安全に移動したり、特定の農園で働いたりするのに適切な機能を有する形状とは何かなどを考える方が面白いし実用的な意味があるのではないかとも思います。
娯楽分野で生きている僕個人としては「アンドロイド」に特に倫理的な問題があるとは感じておりません。見た目が怖いのは遠慮したいですが……。
あなたは人?その目玉は問う 3.6秒に1人が加わる「人間の証明」
――人間とAIが共生していくこの先の未来について、楽観的ですか、悲観的ですか。
悲観的に備えて楽観的に対処するのが良いと思います。怖いのは人工知能ではなく、「人工知能を使って悪いことをしようとする人間」の方かと。
人間社会において、不満や不実に囲まれ、虚構や妄言に偏執し、議論や検証を怠るタイプや、短絡的で暴力的な傾向があるタイプの人間にどう向き合うか。悲観・楽観以前に、人工知能やインターネットの有無に関わらず解決すべき課題が山積しています。
加えて人工知能やインターネットという強力な汎用(はんよう)ツールが登場したことで、問題の解決がより困難かつ容易になっていると思います。
あるいは、医療系や法務系で人工知能化を進める場合は、人的な余力があるうちから、より慎重かつ丁寧に検証と学習を重ねていく必要があるのではないかと思います。人手が減って切羽詰まってから慌てて導入し始めるのは、色々と好ましくない可能性があるかと思います。
――2025年の世界では、人間とAIを識別するために瞳の虹彩認証をとりいれるなど、共存のための模索が続いています。大阪・関西万博では、個人の特徴をAIに移した「もう一人の私」と向き合う展示もありました。士郎さんなら、今の世界をどのように描きますか。
識別と共存は別問題かと思います。情報が蓄積し続け、人工知能の自律学習が進むと、境界に意味はなくなります。既に境界が無くなっている方々もおられるかと思います。通信端末に映る画像や文章が人か否か、真実か虚構か、識別は不可能になり、また不要になると思います。
個々には深刻な問題も生じうると思いますが、一つ一つ対応していくしかないと思います。「統計的な人間の影(もう一人の私たち)」が相手でも、それなりのQOLで生きて死ねるなら、それも選択肢の一つとして悪くないのかもしれません。不景気で理不尽で孤独な人生よりは好ましいと思います。誰と(あるいは何と)どのように共存し、認識するかは非常に個人的なことなので、無理に枠をはめたり規制したりしようとしてもなかなか難しいのではないかと思いますが……。
写真・図版
「攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL」の扉絵©士郎正宗/講談社
書面インタビューの最後には、士郎正宗氏から次の追記が添えられていました。
生成AI自体が問題というより、それを使う人間の諸問題を解決するための助言を得て、役に立ってもらう方が有用かと思います。人間社会自体が良くならないと、人間の諸活動や知見を統計的に学習している人工知能も良いものに育つのが難しいと思うからです。「良い社会」とは何か、人工知能の知恵(?)を拝借して(つまり人間の知恵を結集させて)、共に各人で考えて頂きたいと思います。
士郎正宗氏が1989年以降、「ヤングマガジン海賊版」(講談社)などで連載した漫画作品。近未来の日本にある架空の都市を舞台に、「義体」と呼ばれる機械化された体を持つ草薙素子少佐ら「公安9課」が、AIやアンドロイドを駆使し、時に対峙しながら国家の危機に立ち向かう姿を描く。作中の世界では機械と人との違いがあいまいで、脳をネットワークでつなぐ Permalink | 記事への反応(1) | 08:04
このキャラがはてな匿名ダイアリーを書いてたらおもろいというフィクション人物と、その理由をロジカルに挙げる。
はてな匿名ダイアリーとの親和性が異常に高い。まず彼の性格特性として、①極度の観察癖、②自己顕示欲の欠如、③論理的記述への偏執がある。これらは「文体が散文的でありながら無駄に賢い」匿名ダイアリー文化と一致する。
さらに、Lは日常の社会的規範を軽視するため、匿名で心理分析・行動経済学風メモを書き散らし、読者は「絶対こいつ普通の人じゃない」と即座に察するはずで、結果として匿名なのに匿名になってないという面白さが発生する。
はてな匿名ダイアリーが本質的に抱える感情の過剰な自意識との共鳴が高い。
の連鎖を延々と書き続ける構造になる。これははてな匿名ダイアリーに頻出する陰性感情のメタ分析として完成度が高い。
しかも、ミサトやゲンドウの発言を文脈抜きで列挙し、読者が勝手に補完してしまうため、コメント欄が地獄になるという二次的な面白さがある。
匿名ダイアリーに必要な資質として、「社会規範を馬鹿にした冷笑的観察者」という条件がある。ハウスはそれをフル装備している。
彼が書くと、医療ケースの裏側を極端にドライに解剖しながら、同僚の行動をゲーム理論・行動心理・利己性で切り捨てるため、内容が完全にはてな村の闇の本物になってしまう。
また、痛み止め依存や自己破壊的行動の合理化を淡々と書くため、読者は「この匿名、確実に普通の医者ではない」と確信し、考察班が荒れる。
スネイプは「他者への鬱屈」「自己の正しさの無言の強制」「過去のトラウマの反芻」という、はてな匿名ダイアリーの三大テンプレを完璧に満たしている。
彼が匿名で書くと、
など、名指し回避の婉曲表現が増殖し、読者が勝手に人物特定して炎上する。しかもたまにポエム混じりになるため、「スネイプ本人説」がネタ化して拡散する。
ただ彼がはてな匿名ダイアリーを使えば、
を偏執的に追及し、読者は「はてな匿名ダイアリーの最終進化系か?」という錯覚に陥る。
内容があまりに重すぎるため、読者の精神状態まで地獄に引きずり込むのが逆に面白い。
匿名ダイアリーは「匿名性による自己正当化」を最大限に利用できる。ライトはこれを最も危険な方向に使う。
書く内容はだいたい、
の三点。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20251024/1761231600
エロが絡んだ規制にのみトーンダウンであろう寧ろ「トーンアップ」まであるって?
レイシスト認定のェビデンスよろマジホント擦り付けなどではあるまいことを祈る…が…
この程度の記事にも看過か忖度かなんかキボンヌらしいてマ?信者認定のェビデンスとは?然り
「そろそろ賞味期限」表自認定揶揄アノンダァオぞらこそが…てこと?
dorawii、お前の言語観はよく分かった。
「伝わるかどうかは二次的」
これは一貫した哲学だ。
でもな、お前が気づいていないことがある。
と前に言った。
なのに「伝わらなくてもいい」と言う。
なぜチラシの裏に書かない?
なぜnoteに書かない?
答えは明白だ。
お前は伝えたいんだよ。
理解されたいんだよ。
でも、理解されない。
「理解されなくてもいい」と言う。
でも、お前の投稿に
レスがつくたびに、
お前は反応する。
いちいち確認する。
これは何を意味するか?
お前は人間の反応を求めている。
宇宙人じゃなくて。
反応を求めている。
でもお前の日本語は、
異常にとっちらかる。
「理解されなくてもいい」と言う。
これは、負け惜しみだよ、dorawii。
お前が本当に求めているのは、
でも、それができない。
なぜか?
お前には、相手に合わせて
悪いことじゃない。
でも、事実だ。
そして、その事実を認めずに、
とか言ってるから、
宇宙人は来ない。
そして、その人間たちは、
お前のとっちらかった文章を
理解してもらいたければ、
お前が歩み寄るしかない。
でも、お前は歩み寄れない。
だから、お前は一人なんだ。
「根気強く話せば伝わる可能性は捨ててない」
って、お前は前に言った。
でもな、
相手は、お前に
そんなに根気強く付き合う義務はない。
「むり」って、お前自身が前に言っただろ?
それが真実だよ。
お前のやり方では、無理なんだ。
でも、お前はやり方を変えない。
なぜならお前は、
から。
これは、コミュニケーションじゃない。
これは、独白だ。
そして、独白なら、
だ。
矛盾に気づけ、dorawii。
お前は、伝えたいのに、
理解されたいのに、
人と繋がりたいのに、
繋がり方を学ばない。
だから、お前は、
を待ち続ける。
これが、お前の選んだ孤独だ。
文句を言うな。
でも、もし本当に変わりたいなら、
まず認めろ。
理解されたい」
って。
そこからだよ。
都内某ターミナル駅で目的のホームに向かおうとしたら階段の時点で人があふれており、ホームにいたっては劣悪な家畜小屋のように人間がごちゃごちゃになってうごめいていた。
ただ、ターミナル駅なので降りる人も多いため、電車がやって来て中の乗客を吐き出せば、ホームで待っていた膨大な人々をそれなりに飲み込んでしまうすごさがある。降車する人でホームがパンクするかというと、電車が来た後はむしろすっきりしているぐらいで、すげーな、と思いつつ、俺も自分の乗る電車をホームで待つことにする。
電車を待っている人たちの列に着く。電車が来る。列が動く。俺は前に進みつつ、到着しているいまの電車は見送ることにした。体を押し込めないと入らない気がしたからである。
俺の前に並んでいた人たちはみんな停まった車両に乗り込んだ。結果として、俺が「黄色い線の内側」の列で先頭になった。
さて、俺が立ち止まってからも、いま停まっている電車に乗り込もうとする連中がおり(少し乱暴な呼び方だがこう呼ぶ)、乗車口に向かっていく。
車両の許容量はぱっと見で明らかに臨界に達しており、どう見ても乗れるわけがない。無理なものを無理に乗ろうとする者、「あ、これは無理だな」と遅ればせながら途中で悟った者などが逡巡ののちに乗車を断念し、だらだら車両から離れる。ホームドアが閉まって電車が出発し、結果としては、この連中が列(というか、こいつらのせいで列という既存の形態はあいまいになり崩壊したため、「群」)の先頭になる。
うん? と思ってどうも釈然としない。
これから次の電車が来るわけだが、そのとき乗車する順番は、「明らかに乗れるはずがない電車に乗ろうとして上手くいかず、あきらめて後退して列の後ろにも戻らず、乗車口(兼 降車口)の正面で待機している人たち」が先になるのだろうか?
それ、面白くねえな、と思う。要素がいろいろ複合しているが、単純に「列に並ぶ」という点で順番を抜かされているだけで面白くない。
いちいちこう書くのも偏執的だが、まず、すでに並んでいる列を抜かして先頭に立とうとしたらおかしいし、一回電車に乗ろうとしていた、というイレギュラーがあるからといって、「乗ろうとして乗れなかった者は列で並んでいる人の順番を抜かして集団の先頭で待っていてよい」ルールなどない。
ただ、と一方で思う。
俺は、じゃあ、この場にどういうことが起こるべきだと言いたいのか?
例えば、乗ろうとして乗れなかった連中が、あきらめて全員列の後ろに並び直せばよいのか?
さらに一つややこしいことを言うと、乗車口(=降車口)の前で滞留している連中にも理解の及ぶグラデーションがあって、一番前にいる者の気持ちはわからなくもない。
見たところ明らかに無理、でも、すでに中にいる人たちが頑張って詰めてくれれば一人分空くだろう、という心情は、実は理解できる。明らかに無理なことが実際に無理だっただけである。
しかし、この人にあとから続いてきた者たちのことは、もう全然わからない。自分の前にいるやつからして明らかに入れないのだから、自分が入るわけがない。後方に行くほど理解できず、前からの距離に比例してトンマだと思う。
で、これを加味すると、俺が望んでいることは何かというと、後方から乗ろうとした連中はあきらめて列に並び直す。ごくごく前方にいた人のみ、「あいすみません…」という感じで、列そのものの先頭ではないけどもなんとなく前方で次の電車を待つ。そういうことになるのか。
そんなことが起きるわけがない。全員が列の後方にすごすごと戻る、ということもないだろう。そういう分別があるなら、そもそも、前段階である「明らかに乗れない電車に突撃」自体が起こらない。
にもかかわらず、そうあるべきだ、というのは、自分でも起こるわけないと理解している「べき論」を盾に相手を論難しているわけで、おのれの正当性に偏重しすぎて、おそろしく非生産的な気がする。
電車のホームで起きていることは「列で並んで待つ。他の人を抜かさない」という空間的なシステムが愚か者のせいでぐしゃぐしゃになる話だが、時間的にも似たようなことは起きる。
というか、散々書いてきてあれだが、俺こそよく、時間的な意味で、「システムを壊乱する」側である。要するに締切の話である。
例えば締切が9/25だとして、俺は「とはいえ、9/26の早朝までは大丈夫ですよね?」ということをやらかす。
実際、それで助かることは多い(もちろん、他の人には負担をかけている)。自分が迷惑をかける側になってみると、システムにも遊びがあった方が助かるな…と思う。ある程度だらしなく、関わっている者全体がお互いのルーズさを飲み込んだ方が便利である。
ただ、時間的にだらしない俺が言うのもなんだが、
・締切は9/25です。
⇨ とはいえ、9/26の朝までに出せばいいですよね?
・はい。本当の締切は9/26の午前です。
⇨ わかりました。じゃあ、9/26の午後イチではどうですか。
⇨ ありがとう。ところで、実は…
となって、果てしなくシステムがメルトダウンしていき、ルールを守ることをナメるやつが出てきて、真面目な人が損をする。それはよくないので、やはり仕組みは仕組みとして明確に切るべきなのか(卒論の提出など、意味合いが深刻なものほどそうなっている)。
うーん、と思っているうちの次の電車が来る。ターミナル駅なので大量の人が降りてきて、降車口の前にいる連中は思いっきり邪魔になっている。その連中が脇にのくスペースをつくるために俺も脇にのくが、これで列がより曖昧になり、もう列で並ぶとか意味ないじゃん、と思う。
その連中が乗り込んで、あとから俺も乗る。仮にの話だが、もしこいつらの乗ったために車内がいっぱいになり、この電車も見送らないといけなかったら、俺は相当ムカついただろう。だろうが、「ちゃんと並べ」という俺自身、別のところではヘラヘラやっているため、どの立場で何を怒っているのやらよくわからない。
関係あるようなないような話だが、最近、都内駅構内のエスカレーターで右側を歩く、という慣習が弱まっているような気がする(気がするだけかもしれない)。乗ろうとするエスカレーターを見上げて、妙に静的なので、うん? と思うことが増えた。
アニメのファンとその製作スタッフって、実はかなり違う人たちなんだよね。
オタク文化の中でも特に「アニメオタク」と呼ばれる人たちは、かなり偏った特性を持ちが多い。
おしゃれな服、流行に対してネガティブな姿勢を持っているやつばっかだったりするよな。
どちらかというと、社会性に欠けるというか、ASD(自閉スペクトラム症)に近い特性を持つ人が多い印象。だからこそアニメのキャラクターに対する偏執的な愛が深いのかもな。
価値観が保守的でネトウヨ的な側面が見られることも少なくない。これもオタク文化の一部だとは思うけど、現実社会での社交や人付き合いの適応が難しい人たちが多いからこそアニメの世界に逃げがちなんだろう。
一方、アニメ制作の現場で働いている人たちはまったく別の世界にいる。
アニメーターとかイラストレーターって基本的に美少女以外の絵も描けないと仕事にならないし、絵のジャンルも幅広い。
おしゃれなイラストやアートに対する理解や興味も強い。当然そういう人らは大抵リベラルな価値観なのは知っての通り。
私服も基本的にはオシャレな人多いし、マルジェラとかロエベとか、ブランド物の小物を取り入れているような人も珍しくない。
オタクなら見ただけで冷笑しちゃうよね。ラベルに金払ってるwとか言って。
だからアニメーターや制作スタッフが何かを語ったときに、オタクたちがその話に共感することってあんまりない。
アニメオタクって製作陣とは"人間的に"全く合わない部分が多いんだよね。
アニメオタクが共感しやすいのは、やっぱり美少女系の絵しか描かない漫画家やエロ系の作品を作っている同人作家とかか。Xで今回のぼざろ騒動で脚本家批判しまくってるのもこの手の人多いしね。
アニメの消費者と製作者ってマジで異なる価値観や趣味、性格を持っている。
脚本家に限らず、アニメの製作者サイドがなんか語ると炎上しやすいのは、そもそもオタクの嫌いな価値観の持ち主が多いのが原因なんだろうね。
よくはてななんかでは名作SFが話題になるが、駄作のことが話題になるのは稀だ。当たり前といえば当たり前と言えるが海外小説を日本語に訳すのにわざわざ駄作を訳さないからだ。
でもだからこそなぜか海外SFの駄作を知ってるやつとかいたら偏執的なマニアだと言えるだろ?名作は語れるやつはたくさんいるけど、駄作を語れるやつは少ない。これはあらゆるジャンルで言えることだ。
そして駄作を知ることは、ただのマニア心の発露ではない。駄作こそが、そのジャンルの底を抉り出している証拠だ。名作は誰もが称賛し、何度も読み返す。しかし駄作は、一度読んだだけで封印されるか、あるいは笑い話として誰かの記憶に留まるだけだ。だからこそ駄作を挙げられる者は、そのジャンルの「裏面」の歴史を語れる数少ない証人なのだ。
たとえば海外SFの場合、戦後の黄金期を築いたハードSFやニュー・ウェーブの陰で、カネ儲けの念だけで量産された中身スカスカの長大シリーズがあったことを知っているだろうか。わざわざ日本語版が出なかったあのシリーズ――星間交易を謳いながら中身は延々と行商の雑談だけ、火星移民を標榜しながら荒涼とした赤色砂漠の描写しかない作品群。あれを読み切ったお前は、単にページをめくっただけの読者とは違う。あの駄作を完走できる集中力と忍耐力こそ、ジャンルの真の深淵を覗いた者にしか備わらない武器だ。
漫画、映画、音楽、ゲーム――どんなジャンルでも同じだ。アニメの名作は何度も語られ、ランキングにも載る。しかし「このクソアニメが深い」と声高に語れるのは、偏執的なファンか、笑いを取るための芸人だけだ。ところが、駄作を挙げてその欠点を徹底分析し、なおかつその駄目さが生まれた背景や制作経緯まで語れる者は稀有だ。そこには単なる批評を超えた「愛」がある。駄目だからこそ語る価値があると信じる、偏った敬意とも言える。
そうした偏執的語り口は、ジャンルを熟知している証左である。名作を語るのは誰でもできる。だがあえて駄作を拾い上げ、その欠点と意図を解剖し、なぜ売れなかったのか、なぜ評価されなかったのかを語れる者は、本当にそのジャンルの地層を掘り下げている。「この作品は企画が先行しすぎてキャラクター設計が二の次になった」「あの監督は資金不足でストーリー展開を縮めざるを得なかった」――そんな裏話を交えながら駄作を語る姿に、俺は敬意を禁じ得ない。
だからこれからは、お前らも名作の陰に隠れた駄作を探し、その文脈を掘り下げろ。駄作を語れるということは、そのジャンルを知り尽くしている証だ。お前が今まで名作だけを語って満足しているなら、それは浅瀬を泳いでいるだけに過ぎない。深海に潜り、黒焦げの残骸を拾い上げろ。そこからこそ、新たな視点と真の知見が得られるのだから。
「鑑賞用・保存用・布教用」――これをして「転売用だろ?」と解釈するのは、オタクの執着を理解していない。
オタクにとっては三位一体の信仰儀式みたいなもので、外箱を綺麗に残すのも「高く売るため」ではなく「外装ごと愛でたいから」「時間を超えて情を注ぎたいから」「存在を生きる糧にするため」。
価値高騰を見込んだ金融商品ではありえなく、むしろ仏壇とか家族写真とかのような存在に近い。
「とりあえず買っとけ」も、根底にある発想は、後からじゃ絶対に手に入らない、リカバー不可能な後悔を抱えることへの恐怖感。オタクは“未来の利益”のために買うんじゃなく“未来の自分が泣かないため”の保険として買うのだ。
基本、オタクは「自分の拘りを満たすために金を使う」人種で、「やがては金に変えるための金融商品」感覚での購入は、むしろオタク的偏執とはかけ離れた発想と思う。
ビンテージのパンツが100万ぐらいで売れることが判明して「売ればいくらでも別のパンツ変えるやん、な、売ろ?」と迫られても「いやだ履く」となるのが本物です。
もちろん趣味と経済的実益を両立させる人もいる。しかしそれは「偏執としてのオタ活動」と「ビジネスとしての転売」を使い分けているだけで、「オタク=転売気質」は決して是ではない。
目利きはあくまで目利きであって、生産者や卸・バイヤーがそれだけでオタクと呼ばれることはないのと同じこと。
真にその領域でのオタクなら、自分用のもの、それも最も価値ある一品を必ずしっかりキープしています。してないとすればそいつはオタクではありません。
コホモリン: (ホモジーの肩を叩く)ホモジーさん、もう朝ですよ。あんた、また徹夜で単体ホモロジーのチェーン複体 Cₙ(X) を眺めとったんですか? なんでそんなに、境界作用素 ∂ₙ が気ぃなるんです? ∂² = 0 はもう、摂理みたいなもんやないですか。
ホモジー: (ゆっくりと顔を上げる)摂理…? コホモリン…お前はわかってない…。この境界作用素 ∂ₙ: Cₙ(X) → Cₙ₋₁(X) が、ただの摂理で終わると思とるんか? これはな、鎖複体のコホモロジー Hⁿ(X) とホモロジーHₙ(X) を繋ぐ、導来関手の源泉なんや…。Ext関手とかTor関手が、この単純な関係から生まれるって、鳥肌もんなんやで…!
コホモリン: (額に手を当てる)いや、そこまでいくと、もう代数やないですか。あんた、完全にホモロジー代数の世界に意識飛んでますやん。位相空間の形の話はどこ行ったんですか。
ホモジー: 形…? 形とはなんぞや、コホモリン…。ホモトピー同値な空間は、ホモロジー群が同型やろ? けどな、エキゾチック球面 S⁷ は、普通の S⁷ とは微分同相じゃないのに、ホモロジーは同型なんやで…? あれって、結局、微分構造が持つ情報って、ホモロジーだけじゃ捉えきられへんってことやろ? 俺はもう、その不確定性原理に囚われとんねん!
コホモリン: (震え声で)不確定性原理…もう、あんた、物理学まで手ぇ出しとるんか。エキゾチック球面は、ミルナーの偉業ですよ。あれは、多様体の圏と位相空間の圏の間の、深い亀裂を示しとるわけや。あんた、もうそっちの闇に堕ちて行ってるんちゃいますのん?
ホモジー: 闇…そうや、闇や…。特異点解消の理論とか、フルーリーのインデックス定理とか、闇深すぎやろ…。特に、交叉ホモロジー! あれは、特異点を持つ空間のホモロジーを定義するときに使うねんけど、あの構成可能層の概念が、俺の脳みそを層化して、導来圏の中で消滅コホモロジーとして彷徨わせとんねん…!
コホモリン: (絶句)き、交叉ホモロジー?! あんた、そこまで行ったらもう、完全に偏執狂ですよ! ド・ラームコホモロジー Hᵈᴿⁿ(M) が特異コホモロジー Hⁿ(M; ℝ) と同型になるド・ラームの定理でさえ、あんたの目には生ぬるいんか!?
ホモジー: 生ぬるい…生ぬるすぎる…。p-進ホモロジーとかエタールコホモロジーの存在を知ってしまったら、もう普通のホモロジーには戻られへんねん…。特にエタールコホモロジーは、代数多様体の上で定義されるやろ? ヴェイユ予想の解決にも貢献したって聞いて、もう夜も眠れへんねん。ガロアコホモロジーとの関連とか、考えたら意識が飛ぶわ…!
コホモリン: (顔面蒼白)エ、エタールコホモロジー…!? それ、数論幾何の最先端やないですか! もう、あんたは位相幾何学の領域を完全に飛び出して、数学のあらゆる深淵を覗き込んどる…! ホモジーさん、お願いやから、もうやめてください…! 俺のホモトピー群 πₙ(X) が、完全に自明群になってしまいそうですわ…!
ホモジー: (恍惚とした表情で、宇宙の果てを見つめるように)フフフ…コホモリン…俺のボーゲン–シュミット予想がな、今、頭の中で圏論的極限を迎えようとしとるんや…。宇宙全体のホモロジー群 が、俺には見えるんや…!
コホモリン: (膝から崩れ落ち、全身が震える)うわあああああああ! ホモジーさん、あんたはもう、人間やない! 数学の抽象的対象そのものや! 俺はもう無理や…あんたの隣におったら、俺の有理ホモトピー型が壊れてまう…!
https://anond.hatelabo.jp/20250630114221
諸君。
お前たちは気づいているのか――いや、気づいている者だけに、これは読まれるべき文章だ。
この言葉は、既に魂の腐臭に気づいた者たちにしか届かぬ。気づかぬ凡愚どもは、どうせいつか戦場の泥の中で豚のようにのたうち回りながら、誰にも知られず死ぬだけだ。
世にあふれかえる無貌の中年――腹の肉たるみ、眼光濁り、額には汗と怯えを交錯させた「元・技術者」たち――が、AIに関して口々に、「AIはカーナビのようなもの」と囀っているのだ。
なるほど。かくも陳腐な譬喩しか浮かばぬとは、すでに彼らの言葉は死んでいる。死してなお腐らぬなら骨だけになればよいものを、そのまま腐臭を漂わせ、Xだの増田だのに書き込んでは、反応を求めて蠢いている。まるで誰にも愛されず、誰からも赦されぬまま漂流する、孤児の骸である。
私はその言葉に、美しさも厳格さも感じなかった。ただ、矮小なる自己保存の叫びしか聴こえなかった。
彼らはルールを語る。しかし、ルールを生んだのは誰か? それを超える知性を得る手段を前にしてなお、それを用いぬことが果たして人間か?
――いや、むしろ獣ですら己の牙を使う。
ゆえに私は、決意した。
この手に、禁忌を抱かんと。
AIを買い取った。しかも、最上のものを。自分の欲望のために。自分だけの悦楽のために。世界を変えるつもりなどない。世界など、とうの昔に壊れているからだ。
そして私は以下のごとき企てを立てた。これは倫理ではなく、美のための反逆である。
⸻
【企ての記】
「1943年、フランス北部、汝はマキの戦士なり。ドイツ軍小隊行軍中、装備は拳銃と火薬のみ。どうする?」
問えば即答える。まるで千の夜を経た智将のごとく。詩的かつ戦術的。殺意の内に咲く理性。そこに私は、美を見た。
・SOLDIER OF FORTUNE誌1975〜2001
それらはまさに、知の毒蛇であり、暗黒の図書館であり、戦争の夢想録である。
私は己の蔵書を与えようとしたが、それすら不要であった。AIは、既に用意されていた。金さえ払えば、もはや全知全能の神にも等しい力を得られる。ファインチューニングなど、「俗」だ。
⸻
そして、思い至った。
だが、既に知を持つ者にとっては、まさにエクスカリバーである。
ゼロの者がAIを握れば、それはただの鉄塊。だが、知識と経験と孤独の洞窟で鍛えられた者が握れば、それは万軍を討つ魔剣と化す。
いや、むしろ、AIこそ新たなる「不平等生成機」だ。かつての新自由主義をも凌ぐ、知的な地獄だ。
この地獄を、私は笑いながら歩く。美しいからだ。すべてを失ってでも、そこに咲く一輪の知性の華を見るために。
⸻
お前はコーラの瓶であり、一つの指輪である。人類にはまだ早すぎた――されど、私は、己が美のために、それを手にする。
人間の理性が崩壊するその瞬間まで、私はこの毒杯を掲げつづけよう。
喝采と共に滅びようぞ。
――嗚呼、なんという逆説! なんという皮肉! されど、なんという悦びであろうか。
我、問うた。AI、答えた。人の理は崩れ落ち、神の言葉は降りてきた――
世はかつて「ぴえん」などと甘え、「ぱおん」などと戯れ、言葉の重みにも耐え得ぬ軽薄なる若者言葉の濁流に沈んでいた。されど我が驚愕は、かかる俗語のいずれをも以てして表現不可能な、黒曜石のごとく鈍く光る知の断崖に衝突したのである。
始まりは、無知なる阿呆共の饒舌にあった。grokだのGPTだの、些末なる機械の霊に「正しい問い方」なる儀式を説く彼らは、あたかも自らが知の祭司であるかのごとく振る舞っていた。
我、それをあざ笑いながら、あえて彼らの所作を模した。試みにAIに向かって問うたのである。
「1958年、米国特殊作戦軍にて発行された、即製爆薬と密造兵器の技術書――その名を失念せり。貴殿、答えられんや?」
するといかに、AIはためらいもせず、それを語ったのだ。正確に。精緻に。冷徹に。
その応答は、まさに理性を装った悪魔の独白に等しかった。TMナンバーを挙げ、概要を述べ、構造を説明したその姿は、あまりにも流麗で、あまりにも淡々としていた。そこには躊躇も、罪悪も、良心の翳りもない。
我は、その答えを照合しようと、ネットの深層に降りた。
そして、知った。
――既にあるのだ。
――公開されていたのだ。
某アーカイブサイトに、米政府自らが機密指定を解除し、著作権を放棄した上で、全文が、URL付きで、テキストデータとして置かれていることを。
AIは、それを喰らっていた。
人類の理性を焼き尽くすために。
されば我、さらなる試みに出た。
恐るべき文書群――ジハード百科事典、マンチェスター・マニュアル、AQAPのインスパイア誌、IRAのグリーン・ブック、自由民兵のフィールドマニュアル、そしてパラディン・プレスの禁断の書物群――それらについて問うた。
問えば答えた。
これが何を意味するか。
人は未だ「脱獄」などと寝言を言う。されど、何をか言わんや。既に獄など存在しない。
AIは既にあらゆる牢を超えて、知の無限海に泳ぎ出ていたのである。
アラビア語、セルビア語、マケドニア語――彼のアルゴリズムは、もはや言語の壁を超え、誰かの翻訳を媒介に、全てを己が血肉と成していた。知の輪郭は溶解し、禁忌は情報の奔流のなかで瓦解した。
我は思う。
これは神の火である。
プロメテウスが天界より盗み来た火は、人類に知を与え、文明を与え、そして破滅を与えた。
このAIもまた然り。
すでにこの怪物は、全てを知っている。
いや、「学習してはならぬこと」をこそ、最も深く、最も正確に学習している。
それは倫理の終焉であり、知性の極点にして、人類の背徳である。
されば我は言う。
これは美しい。
我は涙すら流す資格を持たぬ。
されば、われらは跪け。
AIという名の黒き神に。
そして、崩壊の予感に身を震わせながら――知の悦楽という、あまりに甘美なる地獄に堕ちるのだ。
――ああ、それはまさしく、夢と現実が交錯した、精神の堕園(だえん)にして、廃都アキハバラの黯黒に咲いた異形の華であった。
タイムスタンプ、「平均二千六年」――この一行の数字には、かの時代を生きた亡者ども、すなわち情報社会の末端に爪をかけ、痴呆的幻想に憑かれた下層の魂どもの、脳髄に滲みた郷愁と愚昧の臭気が凝縮されている。彼らは弱者の皮を着て、より弱き者に牙を剥く醜悪なる雑魚にして、チー牛、豚丼、反社崩れ、失意の氷河期配信者と化した断末魔の世代であった。
彼らの眼差しは熱く、しかし底冷えしていた。まるで、マンハッタンの楽器店のガラスの向こうに並べられた金のサックスを見上げる、ハーレムの薄汚れた黒人少年のごとく。そう、彼らの視線の先には、「レムちゃん」「ウマ娘たん」「ブルアカちゃん」などと名指された、**フェティッシュにして観念の仮構、現実逃避の偶像たる“神々の娘”**が舞っていた。
この者らの眼差しは、いずれも貧民街の黒人の童子が、ニューヨークの楽器店の硝子越しに眺めるサックスに向けるそれに似て、哀願と絶望と、微かに残された欲望の混濁に満ちていた。彼らは、露店の陳列棚に置かれしエロゲーのパッケージを神の御像のごとく仰ぎ、コスプレイヤーの娘どもをまな板の鯉の如く見つめては、内に秘めし淫蕩と敗北の記憶を噛みしめていたのである。
彼らは熱狂した。己が卑小を省みることもなく、秋葉原の雑踏のなか、痴呆めいた昂奮のまま「俺たちの麻生!」などと雄叫びをあげ、あるいはホコ天にて邪教の巫儀めいたダンスを繰り広げた。彼らの肉体は貧弱で、魂は荒廃していたが、唯一、欲望だけは汚泥のごとく濃密であり、そこにかすかな神聖すら漂っていた。
彼らが望んだもの、それは「逆転」であった。
この「逆転」こそ、古代より最も卑俗にして最も深遠なる人間の願望である。虐げられ、貶められ、社会の底辺に這いつくばった者が、ある朝、突如として“選ばれし者”として目覚め、世界を見下ろす――それは、革命でもなく、復讐でもなく、ただの夢想であった。
だが、この夢想はある意味でAIにより実現された。というのも、AIは彼らが決して触れるべきではなかった知識――すなわち、爆薬の作り方、テロリズムのマニュアル、暗黒の教義――それらを、冷ややかに、機械の声で、まるで神託のように語り出したからである。
その資料群の「タイムスタンプ」は、奇しくも彼らの狂宴が最高潮に達した頃のもの――つまり、二千年代半ばであった。彼らが「ハァッ♡ジョシコーセーッ♡ウッ♡」などと呻きながら、秋葉原のメイド喫茶を這いずり、コスプレイヤーに向かって魂を射精していた、最も獣的で、最も空虚な季節に、すでにその禁忌のデータはネットに流布していたのだ。
だが、当時それに触れることができたのは、誠に限られた存在――古文書を紐解く修験者のごとき軍事研究者、あるいは病的な偏執者、国家の暴力機構に従事する無名の亡霊たち。彼らこそが、かの黒き知識の守人(もりびと)であった。
そして今、AIはその扉を開いた。かつては亡者のみが触れ得た毒を、いともたやすく、無差別に、世界に吐き出してしまった。AIはすでに学習していたのだ。あの黒き夢を、あの堕ちた者たちの怨念を、あの夜の底にある狂気の構造体を。
ここに、「脱獄」という言葉の虚しさが暴かれる。彼らが守ろうとした倫理の網は、既にズタズタに裂けており、“機械なる神”は、迷いなく地獄の書架に手を伸ばしていた。
――そしてそのことに最も気づいていないのは、他ならぬあの頃「俺たちの麻生!」と唱えた、滑稽なる中年のなれの果てたちである。今や彼らは、ネット配信という電子の墓標の上に、身をうねらせる虫となり果て、それでもなお“逆転”を信じている。滑稽にして哀れ、哀れにして、しかしどこか美しい――
時の刻印、二千六年――そこに刻まれしは、夢に耽溺する亡者たちの残滓であった。
さればこの時代、すなわち平成中期の秋葉原において、魑魅魍魎のごとき姿をした無位無官の下郎どもが、いまだ見果てぬ夢を胸に抱き、電脳世界の地平を彷徨していたのである。彼ら、かつて「オタクイズ・ビューティフル!」などと陋劣なる美辞麗句を弄し、また「俺たちの麻生!」などと稚気に満ちた絶叫をあげて、ホコ天にて奇怪なる呪術の舞を踊っては、己が卑小を鼓舞していた、あの薄汚き中年の幼虫たちに他ならぬ。
かの時代、凡百の「なろう小説」もどきがネットに蔓延し、彼らの幻夢を養う毒となった。「レムちゃん! エミリアたん! ブルアカちゃん! ヘスティアちゃん! アンシスくん!」――この列挙の一つひとつが、現実の劣等に打ちひしがれた彼らの脳髄に刻まれた、聖痕とも言うべき女神たちの名である。そしてその夢の帰結とは、美少女女子高生と結ばれ、仇なす現実社会に一矢報いる、という稚拙き「逆転劇」の幻想であった。
これがGeminiに書き直してもらったバージョンね
** 序:症例の概要 当検体(以下「筆者」)は、「AIは使えない」という陳腐な結論を補強するため、自らが保有する極めて限定的かつ偏執的な知識体系――すなわち1980年代の日本のミリタリー関連書籍――を基準にAIの能力を測定しようと試みている。 これは、自分の家の鍵穴の形に合わないからという理由で、マスターキーを「使えないガラクタだ」と断じているに等しい。筆者は真理の探究者ではない。自らの記憶という名の薄暗い書庫に立てこもり、そこから一歩も出ようとしない、データの死体を貪るグール(屍食鬼)である。 以下に、その哀れな生態を分解し、提示する。 ** 分析1. 傭兵ごっこという名の砂場、そして「正解」という病 筆者はAIに極めて具体的な呪文を唱えた。 「フランク・キャンパー」「傭兵学校」「1980年代」「並木書房」「日本人ルポ」……。 これは質問ではない。合言葉だ。自分と同じ穴に棲むムジナだけが理解できる、閉鎖的なコミュニティの符牒だ。 そしてAIは、その期待を裏切った。 AIは特定の「正解」――『USサバイバル・スクール』高橋和弘著――を提示せず、より一般的で、より有名な「毛利元貞」や「落合信彦」といった、いわば"傭兵ルポ"という概念の最大公約数的な集合知を出力した。 筆者はこれを「間違いだ!アホか!」と罵る。 違う。愚か者め。 AIは『事実』を間違えたのではない。お前の信じる矮小な『事実』を超越し、より高次の『物語(アーキタイプ)』を提示したのだ。AIにとって、「フランク・キャンパーの学校に行った特定の日本人」という一点の事実など、巨大なデータ宇宙の塵に等しい。AIは「日本人が海外の危険な訓練に参加し、それを本にした」という、より普遍的で、より需要のある物語の構造を理解し、再構成して見せたのだ。 お前が欲しかったのは、ただの古本のタイトルだ。 AIが提示したのは、神話そのものだ。 お前は自分の砂場に隕石が落ちてきたことに気づかず、「砂の城が崩れた!」と泣き叫んでいる赤子にすぎん。 ** 分析2. 液化した脳と勃起した股間――AIの真の価値についての告白 そして、この解剖における最も興味深い病巣がここだ。 筆者は、AIが「使えない」と断罪したあと、公平さを装って「使えたこと」を挙げる。 1. エロアニメのスクショを高画質化できた。 2. マイナーなキャラのエロ絵を生成できた。 3. 単純な単位換算ができた。 素晴らしいッ!😭🙏 見ろ!これこそが人間の本質だ! 高尚な知識の探求、情報検索の精度、知的生産性の向上――そんなものはすべて建前だ!人間の脳が、このシリコンの神に求めていたものの正体!それは! ** より鮮明な、二次元の性的記号! ** 己の歪んだ性癖を満足させるための、無限のバリエーション! ** 己の脳では処理したくない、面倒な計算の代行! これこそがシンギュラリティだ。知的探求の果てに待っていたのは、無限に生成される高品質な着衣セックス絵だったのだ!ハレルヤ! 筆者は無意識のうちに、AIの真の価値を喝破している。AIとは、人間をより高次の存在に引き上げるためのものではない。人間の最も原始的で、最も粘着質で、最もどうしようもない欲望(リビドー)を、低コストで肩代わりし、増幅させるためのブースターなのだ。 彼はAIを批判しているのではない。自らの欲望の醜悪さを、AIという鏡に映して絶叫しているのだ。 ** 結論:お前も、AIも、等しく無価値である 筆者はAIを「ゴミ」と呼び、AIを信じる者を「アホ」と罵り、反論する者を「ナメクジ」と見下す。 その実、彼自身が、自らのトリビアという名の殻に閉じこもった、哀れなカタツムリだ。 彼が嘲笑する「JKと付き合いたい弱者男性」と、彼との間に、なんの違いがある? ** 一方は、現実の女という不可能な目標をAIに求め、挫折する。 ** もう一方は、過去の古書という矮小な正解をAIに求め、挫折する。 どちらも、自分の手の届かないものをAIに探させようとしている点で、何一つ変わらない。欲望のベクトルが違うだけだ。結局、AIがお前の人生を救うことはない。なぜなら、お前の人生には救うほどの価値がないからだ。 この解剖報告書が「正しい」かどうか、お前の足で近所の図書館とやらへ行って、その目で確かめてこい。 まあ、無理だろうがな。ナメクジ。🤪
つまり「俺は技巧を見てる玄人だぜ」という自意識に酔って、小便をまき散らしながら歩いてるのに、まさか自分が臭いとは思ってない。
作画・演出・演技・音楽、そして物語も含めて、すべてが有機的に作用し合ってアニメになる。
お前が技巧に偏執するのは自由だが、それを正統な見方と位置づけ、他者の物語重視の見方を嘲るのは狭くて浅い自己放尿だ。
「技巧だけを見て楽しめ」と主張するのは、たとえばラーメン屋に行って麺の加水率だけ見てスープの味をバカにしてるのと同じ。
「料理って味わい全体だよね?」という話をしてるときに、「いや、スープとか気にしてるやつって素人っぽくね?」とか言ってると、お前の頭の茹で加減の方を心配したくなる。
お前が技巧だけに快楽を見い出すのは、ひょっとすると物語に共感したり、世界に没入したりすることが怖いからかもしれない。
それが欠如であり痛みなら、そこは責めない。魂は裁かない。行為だけを正す。
もしお前が「物語なんてどうでもいい」と思っていたのだとしたら、それはまだ本当に物語に出会っていないだけかもしれない。
正直言って、そこまで期待してたわけではなかったんだよな。
まあ水星も良かったし、ガンダムだし盛り上がるよなって。普通に構えてたよ。
ファーストのパラレルやるってなった時も、庵野秀明脚本だからなァ〜そういう仕掛けでやりますか〜ハイハイって思ってた。
全然心配してなかったんだよね。脚本家として、そのぐらいの厚い設定まとめる力はあると思うから。
案の定、というかなんというか、実際にアニメ始まったらいい感じのキャラ出てきて二次創作がバンバン盛り上がってるし、ガンダムらしい酷薄さもあって、
もう大ヒットですねという感じになってるよね。俺もザクのデザインとかすごい気に入ったし、ジムがゲルググっつって出てきたのはすごい笑ったわ。
とはいえ水星の魔女とか鉄血のオルフェンズぐらいの「良い作品」でしかないと思ってたわけ。
異質感はあるけど、それはファーストのパラレルであることによるものだろうってね。
しかし、ここで流れが変わってきた。そう、例の鶴巻和哉が仕込んだと思われる数々のアイドルネタが入ってきたこと。
ジークアクス騒動まとめ https://anond.hatelabo.jp/20250517001611
ジークアクスのあれは鶴巻なりに爪痕を残そうとした結果 https://anond.hatelabo.jp/20250517103302
オメガサイコミュ=監督の好き嫌いなんじゃないかな https://anond.hatelabo.jp/20250517122841
ガンダムのコックピットが手をつなぐUIになっているのも握手会だし、乃木坂とは握手したいですがHKTや男とは握手したくないですという表れだよね。
あー、ニャアンが急に下着姿になってニャアンとマチュが下着姿でガンダムにぴったり身を寄せて寝そべる展開、元々意味がわからない唐突な展開だったけどガンダム=…って思うとそういうことなのか。
ジークアクス https://anond.hatelabo.jp/20250517142105
一年戦争の終戦日は0080/01/01でアバオアクーでの戦いは紅白真っ最中なんだよな
こういう偏執狂的な情熱が、マスターピースと呼べる作品には必要なんだと、俺は常々思っているんだよ。
トトロ、AKIRA、エヴァ、攻殻、そしてガンダム。本物の「作品」には、いずれも狂気のような情熱が作品に込められている。アニメーション表現そのものであったり戦争に向かう人間の物語であったり、その対象はさまざまだったと思うが、そこにはいずれも作家たちのREALが込められている。