はてなキーワード: 釈然とは
新生timeleszが本格的に動き始めた中で、反転アンチと化している自称セクラバ、あるいはオリジナルメンバー個人担がツイッターのおすすめ欄に流れてくるたびに、はて?という声が脳内に響く。というのも、私がSexy Zoneそしてマリウス葉に興味を持った2014年からツイッター上で眺めていた、いまだに生き残っている古参のセクガル(死語)たちは、みな新生timeleszの一挙手一投足に盛り上がり続けているからだ。
私が観測してる古参たちの大半がオーディション発起人である菊池風磨の担当であることには留意すべきである。しかし、そもそも2014年時点で古参だったから私は眺めていたわけで、その当時の古参はデビュー前後から追っていたオタクを指す。すると、デビュー前後からオタクを抱えていたのはふまけんのみで、そこから流動化や活動休止や卒業や脱退や改名やメンバー増員を経ても尚振り落とされていないのは、シンプルに腕っぷしの強さが感じられる。そして、盛り上がり続けている古参はみな別ジャンルのオタクの顔も持っている。みんなどこからかやってきて、Sexy Zoneや担当個人の活動が少なくなったら別ジャンルへと移っていく。たまにSexy Zoneが盛り上がるタイミングで戻ってくる。それを繰り返して今に至る。何かしらの施策が打たれるまでは別ジャンルで好き勝手遊んでいるファンダムだったため、真剣さに欠けていたのは確かである。グループ活動が少ないことに嘆きながらも、それは売上しかり話題性しかりが作れてなかった結果であり、本来ならばその前からファンが挽回の姿勢を見せるべきなのであったが、じゃあ私もお暇させていただきますと言わんばかりに別ジャンルへ飛び出していく。2019年の活動があまりにも少なすぎて、宝塚、バーチャルジャニーズプロジェクト経由でなにわ男子、そして2.5次元舞台へと走っていた私がソースであり、Sexy Zoneが売れてなかった理由の一つがここにある。ただ、タイプロというコンテンツが投下されたことによって、私含め出戻ってきたセクガルは一定数存在するのではないか。そして運営側も本気となりこの機を逃すな!と供給を増やしているため今のところ離れるタイミングは無い。このまま供給さえ続いてくれれば、古参たちが別ジャンルに軸足を移すことは無いように考えられる。ただ、この供給の元となっているのは、別ジャンルでヘラついていた古参ではなく、勢いのあるタイプロ新規たちの需要なので、そこらへんが飽きてこられたら下火となり先細りするだろうという漠然とした不安はある。
そもそも、このコンテンツ過多時代において一つのジャンルだけを見つめ続けることは到底無理なのである。飽きるのは仕方がない。現timeleszのバックグラウンド的にも、Sexy Zone時代からあった他ジャンルへの接続のしやすさ、親和性の高さは維持されているように思える。Sexy Zoneを見ていれば別ジャンル先でSexy Zoneらしさを見つけられる。そして別ジャンルから帰ってきた時に広い視野でSexy Zoneを見つめられる。別ジャンルのオタクたちはハロプロや宝塚やテニミュなどなどで卒業加入制度を学んできている人間が多く、今回の加入劇を楽しんでいるように見えた。このタイプロの人気も、タイプロが初めての推し活です!という層と同じぐらい別ジャンルから来た層がいて、後者はどこかで自ジャンルに通じる部分を感じてtimeleszに引き留められているのではないか、と考えられる。結成からたった2週間で毎日ありえない燃え方をしているが、だいたいいつかどこかで見覚えのある現象だからそもそも燃やされる理由が分からない。燃やされる要因を理解したとしても、それに動じる必要がない。
一方、今までSexy Zoneにだけオタク活動をやってきた人間にとっては、受け入れられないことも多いだろうと推察される。そもそも、こんなにも魅力的なコンテンツが溢れかえっている世の中で、あの程度の活動量だけで手一杯になっていた時点で、単純にオタクとしての才能をお持ちでないのでは?と疑いの目を向けたくなるが。なので、もしtimeleszの言動やファンやアンチの意見に釈然としない感情を抱いているのなら、一旦timeleszから離れて別ジャンルに留学することをオススメしたい。オタク活動で心を病めることほど愚かなことはない。そしてふとtimeleszを目にした時、腑に落ちる瞬間があると思う。
子育て社員vs独身社員のネットでの喧嘩、いつも独身たちが「子育てしてる奴らが仕事を抜ける分の負担を背負うのは釈然としない」って主張していて、でも本当にそんな皆して負担を肩代わりしてるの?って疑問。
私も時短勤務なので確かにお願いしてしまう部分は生じる(戸締まりとか会議とか)し、子供の熱で帰ることはたまにある。けど、むしろ時短勤務で給与減ってるのが納得できないくらいには同僚より量は仕事してるんだよなあ。営業成績も常に上位だし。売上はちゃんとキープしたまま誰も手を付けないまま放置されてる雑務まで処理して時間になったらダッシュする生活、仕事は好きだし子ども育ててるのも自分の意志だからそれ自体に文句はないけど、自分の同僚が「時短のあいつの代わりに俺のほうが仕事してる」とか思ってたら腹立つな。
あと結婚とか欠片も考えてなかった頃も、別に子供のことで抜ける社員がいたところで、大変だながんばれとしか思わなかったし、代わりにその人の仕事するのも特に気にならなかった。仕事好きだし。
個人的には「合法的に名前が2つ使える」という、非常に厨二っぽい満足感をもって生活している。
免許もマイナンバーも旧姓併記がされるので、どっちの名前で生活しても通用する。
銀行口座も旧姓併記的な扱いができる(旧姓宛の振り込みをそのまま受け付けてくれるので、仕事先に言う必要がない)。
特に自分が個人事業主だからというのもあるが、仕事周りは旧姓、私生活は新姓と分けることで、気持ちの切り替えもしやすい。
妻は姓について「どっちでもいい」というスタンス。
ならば、会社勤めの妻より個人事業主の自分の方が時間の自由が利くので、名字を変える際の面倒事を受け入れやすいと思い、自分が名字を変えた。
屋号を使えば前述の「合法的に名前を2つ持つ」が実現できるし、気持ちのメリットもある。
お互い、自分の名前に特にアイデンティティを感じていないので、気楽に過ごさせてもらっている。
(それはそれとして、「同じ名字になった」現実についての愛情だの愛着だのはある)
とはいえ、本人たちが合意していても、双方の家族共に「なんで?!」という反応は受けた。
自分の両親は夫婦別姓までは想定していたっぽいが、まさか息子が名字を変えるとは思っていなかったらしく、母親が「私も名字変える!」とか言い出した時はどうしたものかと思った。
また、妻の兄弟からは「ウチに遺産なんかないぞ!」と裏で言われていたらしい。
実際のところ「なんか名前二つ使えて楽しそう」「会社勤めな妻のストレスが減るのが嬉しい」という理由がメインで名字を変えたので、そんな深読みをさせてしまったのは申し訳なく思っている。
尚、男性側が姓を変えて感じた事として、「色々な書類の名字を書き換える」事に対する同調圧力が恐らく女性のそれより緩い。
銀行口座を結婚後数年経って書き換えに行っても「あ、そうなんですね」で済む。
そんな感じで数年かけてゆるっと色々書き換えていったが、記憶にある限り「名字変わったなら早く書き換えてください」と怒られたのは確か一回だけ、それもなんかのショップの瑣末なポイントカードの時だった気がする。
裏でDBも作ってないような紙のポイントカードで怒られたのは、未だに釈然としていない。
勿論、名字を併用する面倒ごともある。
書留だか配達記録郵便だかで送られてきたが、当時まだ免許証もマイナンバーも旧姓併記版にしておらず、配達員さんに対して旧姓と同一人物であるという証明ができず、持ち帰られてしまった。
仕方ないので最寄りの免許センターで運転免許書き換えの必要書類を聞くと、「旧姓が分かる住民票」が必要と言われる。
それならと役所に住民票取りにいくと、なんと旧姓が書かれていない。
住民票に旧姓を記載するためには、本籍地に行って戸籍謄本を取ってくる必要がある。
これが分かった時点で、その日は一日たらい回しに使う事を決心し、本籍地の役所で戸籍謄本取得→現住所の役所で住民票更新→警察署で免許証に旧姓追記→郵便局で受け取り申請までを一日でやった。
…のだけど、郵便局でのこういうケースが相当なレアケースらしく、最後の郵便局で職員さんが奥に引っ込んでぜんぜん出てこない。
たぶん方々に確認したり裏で擦ったもんだしてくれたであろう結果、確か30〜40分後に更新版のクレジットカードを受け取れた。
マイナンバーカードでのコンビニ手続きがもう少し整備されると、こういう時嬉しいなと思う。
この時は、コンビニでの戸籍謄本の取得は色々面倒があり、できなかった。
あと印象に残っているのは、税務署で名字の変更申請をしようとしたとき。
曰く「そういう人はみんな旧姓のままか、しれっと名前書き換えて出してますよ」とのこと。
ちなみに名前を書き換えて出すとシステム上は別人扱いになり、過去の申告内容との紐付けはされないらしい。
(まあ管理番号があるし、それこそ今はマイナンバーも紐付くので、完全別人扱いってこともないとは思うが)
尚、最終的に何かの裏紙に旧姓と新姓を書いて、窓口の人に書き換えてもらった。
自分が自身の名字にこだわりがなく、且つそういうマイナートラブルを「なるほどそういう扱いになるんだ!楽しい!」と燃えてしまう性格なので成り立っている面はあるけれど、特に女性で「結婚したら書類は一斉に書き換えるのが当たり前」という同調圧力の中でこういったマイナートラブルに遭ったら面倒くせえだろうなとは感じる。
「家」の縛りが緩くなってきたこの時代に、夫婦別姓を望む人が多くなるのも当たり前だと思う。
なので、ここまでの話はそれはそれとして夫婦別姓もちゃっちゃとやればいいのにとは思っている。
自分の場合は「現行システム上は男性側が名字変えた方が総合的に二人のストレスが低くなって結婚生活が楽しくなる」という見込みで変えたのであって、最初から夫婦別姓が公式に選べるならどうしたか分からない。
姓を変えたければ変えればいいし、変えたくなければそのまま生活する。
よく夫婦別姓の反対意見で言われる「子供が不幸になる」という意見はシンプルに傲りだとしか思えない。
現時点で多数派である夫婦同姓の家で育った子供に「夫婦別姓をどう思うか」なんてアンケート取ったらネガティブな回答が多数派になるに決まってる。
その状況でポジティブな回答をする子供がいたら逆に達観しすぎてて怖い。
SESの契約内容から越えてしまう命令系統も黙認されているようなところだった。
プロパーと一緒に机を並べて、電話を取ればプロパーの社名を名乗る。(名刺は切らしている)
プロパーの「〇〇な感じで売れそうな機能作ってよ」というフンワリした命令をもとに、企画・設計・実装・サーバーの構築 色々やった(弊社チーム3人で頑張った)
その年のプロパーの年度末の全社会議でこの機能が売れて評価されて、フンワリした命令をした人たちが表彰されて、スピーチなどをした。
俺たちが全部やったのに
次の日、プロパーの人から「評判良かったよ」と言われたけど、釈然としないし
契約更新時期になればお決まりの単価値下げムーブをかましてくる
まあ、相手が悪いだけかもしれんが、
まず交渉する人は金額しか見ていないので、なるべく前年度と同じにしたい、あわよくば経費削減できれば良いと考えているので、値下げをまず切り出す
これはもう様式みたいなもんだ。
で、我々は「こんなに成果を出して、技術もあがったので、単価は上げたいですね」
そしたら相手は「じゃあ若い人とかにしてー」って言ってくるので
我々は「御社のシステムを分かっているのはー」っていう返しをして、ようやく単価を上げる交渉になってくる。
でもさプロパーも給与上がんないじゃん。で給与を上げるために転職しちゃうじゃん。
これと同じようなことがここでも起きていて、まあ低単価だったら別の案件にいれるわってなるので、「じゃあ若い人いれますねー」ってなって、
まあ次の年は前年ほどのパフォーマンスを出せないっていうことになる
ちなみに私はもう転職した
アメリカの少年がヨーロッパに留学に行くんだけれど、ママと仲良しで、自分の行動原理をカントの定言命法から導き出そうとしていて(すごく不正確に表現しちゃうと「普遍的な道徳に一致するように行動しろ」っていうあれ)、政治的に正しくいようとしていて、頭でっかちで、マッチョで荒っぽいことができないところにシンパシーを感じる。あんまりモテそうじゃないしね。モテる主人公の話を読んで一体何が面白いというのか。あっはっは。
しかし、読後感がいいのは、やっぱり誠実だからだ。たとえば、アパートの家主がホームレスを追い出すときに「連中は寒さを感じないんだ」と言いつつも、「こいつらはあたたかいところに寄ってくる」とも言い、そういう矛盾というか二重思考にさっと気づくところがいい。
ピーターが思うに、最悪なのは、人々がこの世の現状に合わせて詭弁を弄することだった。たとえここの管理人のように、不運な人間を追い出すしか方法がない、世の中とはそういうものだと考えるにしても、それくらいでやめておくということができない。彼らは語らないと気がすまないのだ。たとえば、マダム・プエルは酔っぱらっているクロシャール(引用者註:浮浪者)は寒さを感じないのだと言って自分を納得させていた。「あの人たちは何も感じないの。あなたや私とは違うんです」彼女は本気でそれは科学的に証明されている事実だと思っているらしい。しかし、彼らが寒さを感じないなら、どうしてここのエレベーターや玄関ホールに潜り込んでくるのか。その二つの事実を結びつけようとは思いもしないようだった。
ところで、実はこういう真っ直ぐな少年少女が現実に屈して理想を捨てたり変節したりするお話がすごく好みだったりする。真っ直ぐな青年が悪意に勝てずに差別主義者になってしまうとかも含めてね。あとは、エリート候補が挫折したりトップの座を失ったり夢を諦めたりするのも好きだった。進学校に行ったのに退学してしまうヘッセ「車輪の下」とかル・グイン「ゲド戦記 影との戦い」でゲドが影を呼び出してしまってしばらくは闊達に才能を伸ばせなくなる場面とか、アナキン・スカイウォーカーがダースベーダーへと堕ちる「スターウォーズ」のエピソード1~3とか。
そういうわけで、新海アニメの感傷マゾアニメ「秒速5センチメートル」の少年が、ラストでどういう経緯でああいう疲れた大人になってしまったのかを空想するのが好きだった時期がある。「童貞卒業は風俗だったのかな?」とか考えたりね(マジ最低!)。とはいえ「結局お前モテてんじゃん! あの子の好意に気づいてんだろ!」とも思っていたので、こう考えてしまうのもすべて個人的な怨念であろう。今となっては恥ずかしすぎる。
まずこの小説の舞台がよくわからない。密林があると言いながらトゥアレグの隊商がやってくるので、アフリカの西なのか東なのかとんと見当がつかない。日記を読み返したところ、アフリカの独裁者の視点を通じて、アメリカ人の平均的な姿や人種間対立を風刺しているらしいのだが、「別に詳しくないのにアフリカ人以外が架空のアフリカを書くってどうなの」って疑問を当時の僕は日記に書いていた(たぶんアチェベを読んだ後だからそう思ったんだろう)。それに特に必然性もなく素っ裸で暮らす少女が出てくるし、あれはいったい何だったんだ。一応、独裁者の出身の民族の伝統的な暮らしを、宮殿の中でしているという体裁ではあるが……。
独裁者ものではやっぱりアメリカを風刺した側面のあるガルシア=マルケスの「族長の秋」のほうががオススメ。今度新潮文庫で出るしね。
アップダイクは「ケンタウロス」のほうがピンときた。「ノルウェイの森」で主人公ワタナベトオルが一時期ハマっていた小説だ。これも古典のパロディというか、アメリカのしがない高校教師の生活と、ギリシア神話の神々を二重写しにしたもので、例えば体育教師とその浮気相手はアレスとアフロディテ、厳格な校長はゼウス、たまたますれ違う酔っ払いのホームレスはヘルメスと、卑小な現実とそれを再解釈する神話の無駄な壮大さ、あるいは逆に神話を卑小化する面白さがあった(どうでもいいんだが、神々がギリシア名なのにアフロディテだけ英語名のヴィーナスと翻訳する美術書を見ると、定訳なのかもしれないが、イタリア関連の文献でヴェネツィアをベニスと表記されたような、釈然としなさを感じる)。
僕は知的な作品というか、浮世絵と加歌舞伎である見立てみたいに、知っていること前提で楽しむものに心ひかれる。原作を知っている映画のほうが好きなのもそれが理由だろうな。この素材で俺をどう楽しませてくれる? みたいな。
その点「ユリシーズ」も楽しめた。ただし、以前に必読書コピペにマジレスしてから大分経つが、結局まだ「フィネガンズ・ウェイク」を読んでいない。ああいうのは気合がいる。
ダニロ・キシュ「庭、灰」はあまり記憶に残らなかった作品、その二。読んだ記憶があるのだが、デジタル化した二〇一〇年以降の日記を読み返しても読んだ記録がない。ここまで書いてきてなんだが、実は読んでいないのかもしれない。今度図書館で中身をきちんと確かめてみるつもりだ。
イタロ・カルヴィーノ「見えない都市」は飛ばした。というのも、過去に文庫で読んだからだ。こちらかは架空の都市の伝説を、マルコ・ポーロがクビライ・カンに語る体裁で、僕は幻想的なホラ話が好きなのである。ギョルゲ・ササルマン「方形の円 偽説・都市生成論」もいいぞ。最近文庫化されたし。
同じ著者ではこれ以外にも「冬の夜ひとりの旅人が」というメタフィクション幻想譚もいいし、人間が物理的に切断されてそれぞれ善悪両極端な人格になる「まっぷたつの子爵」、地上に降りず木を伝って暮らしている「木のぼり男爵」(今にして思えば荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険」に鉄塔で暮らすキャラいたな)、鎧の中が空っぽな「不在の騎士」と、児童文学っぽいのもいい。結構読んでいる。
全然関係ないけど、友人と雑談したときにガルシア=マルケスの長編を半分くらい読んだと話したら、「全然読んでないじゃん」って煽られたので笑ってしまった。彼は全部読まないと読んだうちに数えないらしい。「じゃあ何人の作家を読んだんことになるんだ」と言い返して僕は笑った。一応長編を大体読んだのは夏目漱石とドストエフスキー、トルストイくらいか? 中島敦は手帳のメモ書きまで記載した全集を読んだ。何度も言うが一生のうち一人の作家しか読めなくなるなら中島敦を選ぶ。ちなみにブローティガンを勧めてくれたのは彼だ。
続く。
似たような性悪女に彼氏取られたことある。最初は金目的というより、好意の搾取目的で近づいてくるんだよ。一人からの好意じゃ満足できないから周りにそういうキープくんが他にもいるはずだよ。たくさんの男から好意を持たれてちやほやされてる自分が気持ち良くて仕方ないの。奢りすぎて調子に乗っちゃったね。告白を責めるのは被害者ポジション取ろうとしてるから。こういうタイプは保身のためならなんでもやるし、周りを巻き込んで大ごとにしてくるよ。加害者にされて人生に実害が出るから執着しないで一刻も早く離れた方がいい。釈然としない気持ちはよくわかるけど、まともじゃないから常識が通用しないんだわ。払ったお金や時間は勉強代と思って、とにかくその女からは逃げて。次はまともな感覚を持った女性を好きになろう。以上、寝取られお節介BBAからの忠告だよ。
御前崎という地方のキャラクターで、メスケモのようなビジュアルで上半身に軍服、下半身は露出している。
それに対して沖縄の議員が、女性器を連想する名前、女性を馬鹿にしたデザインと引用RTで文句をいう。
それに対し、ネーミングは御前崎という地名から来てる、そもそもキャラクターはオスだとツッコミが入ってる。
オタクたちのツッコミは確かにわかるが、正直議員の気持ちもわかる。
だって、明らかにエロいメスケモのデザインで、Vライン強調していて、しかもオスということは
今までニッチな性壁として享受されてきた文脈をキャラクターデザインの中に多分に持つキャラが
大手を振って地方のゆるキャラとして登場するのはいかがなものかと思う。
それを、オスだから〜、性的というのはお前がシコいって思ってるからだろ!とキャッキャしてるのもなんだか釈然としない。
シコいものはシコい、けれども限られたサークルのなかで共有するのみにして、
公で使われるようなキャラクターは無味無色の朴訥としたキャラ、とTPOを分けられていた時代の方がよかった気がする。
なるほど。いいことだ。私はそう思った。
否定的な人は「分岐を否定するならもう映画でいいじゃん」と語っている。
なるほど。典型的な中身空っぽのスノビズムだな。相手にする価値がない。
そんなはずはないだろ。
選択肢排除モード否定派はもうちょいまともな論客を連れてきてくれ。
相手側のレベルが低すぎるとアウフヘーベンに至れないからこっちもいい迷惑だ。
なぜ私が選択肢廃止に肯定するのかといえば、今までのアサクリシリーズにおける選択肢のあり方に不満があるからだ。
過去作のネタバレはしたくないからどれのどれかはボカすが以下のような状況が出てくる。
「追いかけていた仇敵をぶっ殺す機会が遂に到来したぞ!どうする!」
B 殺さない。我が刃が断ち切るは生命ではなく憎しみの連鎖也。
ここでAのような選択肢を選ぶと因果が血の海に染まり相応の報いがやってくる。
Bの選択肢だとちょっと釈然とはしないが色々なあなあな感じでそこそこ平和な終わりを迎えられる。
これを「プレイヤーが自由に道を選べる自由な物語」だと捉える人はいる。
でも私はそう思わない。
なぜならAのエンディングが明らかに「お前の間違った選択によって主人公は不幸な人生を送ることになった。正義のアサシンの心を持たなかったお前のせいです。あ~あ」といった空気で展開されるからである。
は?アサシンのゲームでボスをアサシンしたことを咎めてくるなら題名を「正義マン・クリード」にでも変えろって話じゃねーんですか?だよなぁ?
でもこれが最初から選択肢一切なくていきなり「お前を許そう。俺は正義のアサシンマンだから」といきなり主人公が口にしたらその場ではクソゲークソゲー連呼するかも知れないが、エンディングで感じる不快感に比べればまだ許せるレベルだろう。
結局のところ、何が一番気に食わないかと言うと、さも当然のように「正義のアサシンとして振る舞うゲームの時間だ。ちゃんと選べよ」という態度を取られることが気に食わないのだ。
アサシンクリードは結局のところは、刃に血を吸わせることを楽しむ猟奇殺人犯ごっこのゲームなのに、いきなり真面目ぶって「いい子ちゃんクイズ」を始められるのは鬱陶しすぎる。
その選択肢の影響がその直後のムービーにだけ影響するならまだしも、何十時間も先のエンディングでいきなり「お前は本当に正義のアサシンじゃないなあ。これはその報いだよ」と言われるのでは慎重に選ぶしか無い。
でも待ってくれ?
道中でさんざん殺してきた何百人のモブキャラ達にもそれぞれの家族や人生があったのに、それに対しては何のお咎めもないとはどういうことだ?
一貫性のない倫理観に対しての強烈な違和感を感じながら、これまで殺してきたモブキャラと眼の前に居るネームドとでは命の重さが違うのだとばかりに「許そう。俺は正義マンクリードだから」といきなり偽善を振りかざせと?
繰り返すが、この選択をムービー中にキャラが勝手にやるのならば、それについては「私のコントローラーを離れた状態で勝手にやったこと。これはアニムスの記憶が見せるムービーであり、私は介入できないなら仕方ない」と割り切れる。
コントローラーを握った状態、さっきまでバシバシ殺しを繰り返してきた手でストーリー上の正解選びをやらされ、それが終わったらまた殺しを楽しむ血みどろの殺人鬼に戻れという仕組みがごっこ遊びとして実に違和感がある。
トゥルーエンドというご褒美のためにその違和感をグっと堪えさせられることに私は強烈な「不自由さ」を感じてしまうのだ。
私だって2周目はそのモードで遊ぶかも知れないし、配信者達がIFモードでどういう選択を選ぶかには興味がある。
単に私が嫌なのは「私がコントローラーを握った状態で、正解あてクイズをさせらる」ということだけだ。
私がやらされずに済むならそこには何の問題もない。
もしもここで「でも実はですね。選択肢なしモードで見れるエンディングは正解じゃないんですよ。本当の正解は攻略情報を検索して選択肢ありモードを遊んでみてくれよな」と言ってくるようならもう呆れるしかない。
その時はもうどうでもいいか、自分がコントローラーを握って辿った一本道とは別のルートにUBIの考える「正しい歴史」があるというだけならまあ許そう。
本当にただただ私がいい加減つきあいたくないのは「さあ、正義のアサシンマンタイムだ。お前の偽善を見せてくれ」という態度で選択肢を委ねられることだけなんだから。
そういう状況であえて「ヒャッハー!」するのが好きな人もいれば「うんうん。正義マンボタンは自分で押したいもんね」って人もいるのは別に否定せんよ。
私がやらずに済むという選択肢を与えてくれたことに感謝しよう。
いやどうだろう?
連綿と歴史が連なっていく設定のアサクリシリーズにエンディング分岐なる意味不明な不純物をいきなり突っ込んできたことに対しての憤りはやっぱ消えない感じはあるぞ?
死にたくなかった頃を思い出せないくらい長いこと死にたいと思っている。
まだ俺は20代で親もピンピンしているし、同世代の平均と比べてもかなり多めに教育費を使ってもらったし、病気やいじめがあるわけでもない今、急に自殺するのは親不孝にもほどがあると思うからとりあえず生きている。
あんまりにずっと死にたいと思っているものだから、自殺はずるい気がしてきているし。そういう理性的な判断でギリギリ死なないでいるのが俺の現状だ。
決定的な理由があるわけではない。ただ生活していると辛いことや苦しいことが多すぎるから早く開放されたい。死後の世界だって妄想にすぎないだろうとたかをくくっている。もしあったとして、それが現世よりも辛かったとしても、そんな不確定なことは今目の前にこびりついている辛さと天秤にかける次元にない。
昨晩、死にたい気持ちが束になって襲いかかってきた。これは月に2,3回の頻度で起こることで、ベッドの上で飛び跳ねるとか、部屋の中ででんぐり返しするとか、枕に顔をうずめて叫ぶとかしないではいられない衝動的なパニックだ。
俺はいつか自分の気が狂うと確信している。そもそも完璧主義者でプライドが恐ろしいほどに高いのに能力は低く怠惰で、しかも性格まで悪く、3秒前に見下した属性を自分が持ち合わせていることに気づいて発狂しかける。いつか必ず、ちょっと調子が悪いときに訪れた死にたさの衝動によって完全に気が狂うだろうと確信している。
気が狂うか、その前に死ぬかというところに立っている。
きっとこの文章もすでにある程度気が狂った空気を孕んでいて、人が読んだら読みにくさやキチガイの波動によって眉をひそめることもあると思う。俺はもともと文章には自信があった。賞をもらったこともあるし、周りから褒められることも多かった。だのに最近、気が狂うまでのスパンと程度が徐々に甚だしくなってきてから、まったく文章が書けなくなってしまった。どう書けば筋道立てて伝わるのかがもやがかっていてわからない。そんなふうに少しずつ死と狂気が近づいてきているのを感じるのだ。
昨晩の衝動はヤバくて、カッターで首を少しだけ切った。使いこんだ刃でもう鈍っていたし、本気で死ぬ覚悟があったわけでもないから、薄皮がぴぴぴと切れて血がちょっと滲んだだけだったが。そこに爪を立ててがりがりやった。死にたさに支配されながら、今もし死んだら部屋も整理されていない一人暮らしの人間が部屋で喉をかっきって死んでいて遺書も無いということになるから、警察も家族も何か面倒なことになりそうだと思いあたった。
こんなに衝動が年々強くなってきているのにも関わらず遺書すら無いのは由々しき問題だなと思って、とりあえず突発的に死んだときのために書いておくことにした。衝動が少し落ち着いてから書き始めたら、ろくな遺書が書けないことに気づいた。
なんの決定的な理由もないから、どう読んでみても俺の死んだ理由がわからない。「皆には些細なことが俺にはひどく辛いみたいで、ただ軟弱者なだけなんだけど、生きてみても改善も望めず、ずっとひたすらに苦しかった」という迫真の名文まで生み出された。俺の死にたい理由はこう書く以外に思いつかないのだが、家族としてはさすがに納得いかないだろう。満足いかないな、と思いながらとりあえず名前と日付を書いて、釈然としない気持ちになりながら寝落ちした。
俺は死にたい衝動と常に付き合っているが、理性の部分は必ず生きようとしている。本気で死にたいわけではないのに、本能で死にたがっている。だからせめてまともな遺書を残すというのは新しく見いだせた革新的な目標になる。こうやってギリギリのところで何か理由をつけて怖がって踏みとどまって、そうしているうちになんだかんだで長生きできたらたいへんめでたいことだ。自殺以外で死んだら、葬式というよりも皆勤賞の授賞式という形で儀式を行ってほしいものだ。
明日で終わるね
女子部に境遇の全く異なる人達が集まって同じ目標に向けて頑張ったり、ヒロインのお父さんたちが無実の罪で裁判になった時とか面白かった
ヒロインは真っ直ぐすぎたり、本人の恵まれぶりに無自覚だったりはしたけど、人生で色んな経験をしながらもっと深みのある人に変わっていくのかなと楽しみにしてた
そう思って毎日欠かさず見てきたけど、残念ながらヒロインが人間的に成長した印象はなかった
というかナチュラルな傲慢さ、苛烈さ、他人(主に男性や社会)のせいにする性格に社会的地位が加わって家でも外でもモンスターじみた人間になっててなんだかなあ…と思った
ヒロイン(役者じゃないよ、念の為)の人間性にかなり落胆させられたけど、それ以上に落胆したのはSNSの公式アカウントが極上のリーガルエンターテイメントを自称してた割に肝心の法律部分の描写は雑だったところ
ヒロインが弁護士や判事の仕事をする上で苦悩したり、苦労が報われたり…というのが見たかった
その割に周りの人達からの評価は上がるのでなんか釈然としなかった
ドラマの後半に出てきた大きな事件は史実がベースにあるから、結末(判決)よりも過程の部分をどう描くかが大事だと思ってたけど、大抵ナレーションで年月の経過が知らされて判決の場面になってしまった
判決のシーン自体はよかったけど、重厚な判決文が元から存在するんだからそりゃ良いシーンになるよね…
あと外国人差別とか性的少数者とか夫婦別姓を取り上げるのが悪いこととは言わないけど、どう差別されてきたかも問題への向き合い方も仕事の描写と同じでフンワリしてた
夫婦別姓のための事実婚のくだりなんてきちんと作成した遺言書とは思えない宣誓文みたいなのを読み上げてたので、これがキャリアを積んだ法律家2人がやることなの?と本当にガッカリした
まあなんか全体的に(モデルの方の生涯に改変を加えてでも)色々詰め込んだわりに話の膨らませ方も締めくくり方もいい加減だったので、大きな風呂敷を何枚も散らかされてるようだった
作品初期に本題だと思わされてたものを楽しみにしてたら作者が本当に描きたいものは他にあった上に主人公サイドがちょっと…な感じは昔ちょっとだけ好きになって結局脱落した「つくたべ」に似てたかもしれない
今日、初心者マークをつけたクラウン・クロスオーバーが走ってた。
その時点で「⁈」とは思った。
車線を変更してクラウンの後ろに回り、車間距離を慎重に詰めてクラクション鳴らした。
気づいてない様子だったので追い越し車線で並び前方のコンビニを指さす。
向こうはこちらに気がついたが無視されたため、後ろにつけてもう一度クラクションを鳴らした。
それでもまだ止まらなかったため、追い越してクラウンの前に出てハザードをつけた。
向こうは追い越せなかったのか路肩に止まった。
降りて話しかけようとしたが、向こうは降りず窓も開けず、どうしたもんかと立ち往生してた所でパトカーが来た。
この辺で事件か事故でもあったかと思ったが、なんと俺が目的だった。
ただ
・SUV、ましてやその車は車幅感覚の身についてない初心者が乗るもんじゃない。
・初心者マークつけてる間は家族ならまだしも友達や自分の女なんて乗せるべきじゃない。
こっちは別に強面でもない普通のおじさんだし、車だって純正の中古のアクアだ。
怖がらせるような要素なんてない。