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はてなキーワード: 黄金とは

2025-12-10

今日結構元気に出勤できた。あめちゃんのGRWMの「発狂しながら出勤しよう!」に背中を押してもらった。一日中黙々とパソコンをいじっていて、ほとんど誰とも話さず勤務時間が終わった。

食べたかたからあげクンの黄金チキン味が買えてよかった。おいしかった。黄金チキンのものが美味しいからもう少し長い期間売ってほしいと思う。

無料公開をしていた「しょせん他人事ですから」を読み進めた。久しぶりに少し集中できた。

ひとりでいる時間面白い楽しいと思えることは本当に少ない。数ヶ月前は映画館で毎週一本観に行っていてそれなりに気が紛れていたのに、いつのまにか途切れてしまった。

気分が落ちている時しか紙も増田も含めて日記を書けないので後から見返すと楽しい内容が少ない。写真に残すようなお出かけは流石に記憶に残るが、なんでもない普通の日は記憶がないから、楽しい休日の非日常と暗くてしんどい平日しかないように思ってしまう。早く気が紛れてほしい。

2025-12-08

anond:20251208133212

半村良が「小説家が、苦労して黄金・財宝を手に入れるところまでお話を書くのはなんとかなる。問題は手に入れた主人公がそれを使って何をするかを書くことだ」とかなんとか

ニチアサはキミプリ→プリオケ→アイプリの黄金軸だと思ってたんだが

プリオケ視聴率がその中でも断トツに低い事が先日話題になったんだ

その理由としては多分一つしかないと思う

だってこのアニメかなりえっちじゃん

対象年齢明らかに高い感じがするし

きっと親御さんは女児にこんなもん見せたくないに決まってる

2025-12-07

anond:20251207124833

愛は黄金を至高として、銀、銅、鉄、鉛などのランク訳がされている。

時には、黄金以上に価値のある愛として、プラチナ愛、アダマンタイト愛なども見られる。

2025-12-05

崩壊スターレイルのver3.7は失敗している

キュレネのキャラがめちゃくちゃなので。

先手を打って表明しておくと【崩壊3rdキャラクターの顔で崩壊:スターレイルに別人として実装することには特にどうとも思ってない】です。素裳やブローニャ、姫子などはうまく行っていると思います。羅刹はキャラクターの根幹に謎であることが含まれているっぽいのでそこらへんで同じ顔の人と重ねられてるところはありますが、大きなミスリードにもなったみたいですね。

本題に戻ると、マジであれなんですが3.7を大正解とすると3.0〜3.6までが失敗になっちゃうので3.7だけを失敗とすることで3.0〜3.6までを守ろうとしております。3.6までは3.5、3.6の尺の冗長さを指摘されることもありますが、かなり気に入ってるんです。

そして3.7が失敗になったのは【キュレネのキャラ付けがうまくいってないから】です。

キャラ付けっていうかね、キュレネは怒らないんですよ。負の感情の中の悲しみしかない。

千万回の中で読み聞かせに徒労感を覚えて俯くくらいです。壊滅に対する怒りが無い。運命への怒りが無い。ファイノンとまでは行かずとも、他の黄金裔たちのような怒りは無い。

怒りって、一種のみっともなさです。しかし、同時に限りない人間性の発露でもあります

何に怒るのかはその人を理解するのに役立ちます。キュレネにはそれがない。一種空虚さを覚えるほど、ただ綺麗なだけのキャラクターです。

そもそもキュレネには掘り下げがほとんど無いです。

最終的にミュリオン=キュレネ(デミウルゴス)=モモが成立したとはいえ別個に扱われていた時期が長いので統合するのに厳しい。

その掘り下げが本編で無くとも、キャラクターを理解するのにふさわしい実装のチャンスも役に立っていません。

キュレネはウエディングドレスらしきものを着ていますが、3.6までのキュレネにウエディングドレスらしきものを着る理由がありません。

3.4で提示された小さなキュレネは祭司的あるいは魔導士的な服を着ています彼女儀礼剣を用いていますし、魔導士的です。華やかなドレスに対する執着も描写されていません。

【3.6までのキュレネ像と実装に際してのキュレネ像には乖離があります。】

なぜキュレネ大きくなったのかは、最初の知性の種が開花したということで良いでしょう。直接のネタバレになるので3.7ではなく仮定したオンパロス3.8(仮題:さよならオンパロス)で実装するべきだという意見が付随しますが。

ウエディングドレスは、頑張って納得するなら、モモ読み聞かせの中に結婚式の話でもあったんじゃないですかね。

弓を持っているのは、三月なのかを見ていたからと説明がありました。三千万回の読み聞かせで聞いた他の黄金裔よりも最後輪廻しかいなかった三月なのか(なのかを批判したいわけではなく、単に回数の問題です)に影響されているのは疑問に思います

必殺技で出てくる左手薬指の指輪は、結婚ですか? 開拓者と? どんな理由で?

同じく必殺技のキュレネが口づけている星は、キュレネが口づけているからとしか理由がありませんが、新生オンパロスでしょうかね。なぜ今の∞のオンパロスではないんでしょうか。

まとめると、【キュレネはキャラクター像がぼんやりとしています。】

3.7実装プレイアブルキャラクターとしてのキュレネが、3.7序盤で出現するには奇妙な造形をしているからです。

3.8にありえた「さよならオンパロス」で実装するならまだ理解できたと思います。でも3.7実装なので……。

そういった最初出会った小さなキュレネのキャラクターから離れたプレイアブルのウエディングキュレネが出てきて、ウエディングキュレネのキーワードで3.7、ひいてはオンパロスが終幕しました。

3.0~3.6でやった洞窟囚人比喩運命への反抗といったテーマはあまり生かされなかったな、というのが感想です。

仮に3.7でやった「愛」「真我」の話を3.0~3.6のどこかに挟み込めていたら変わっていたんじゃないでしょうか。キュレネの言う「愛」は一般的な愛ではないですよね。アガペー的な愛です。そこの説明をサクっと済ませたので唐突に感じたのかもしれません。

【3.0~3.6で主役を張った他の黄金裔たちと、3.7の主役であるキュレネはテーマが違いました。】

テーマが違うので、3.6までのオンパロス編を総括するには、3.7でしか掘り下げがなくその掘り下げも違う方向に向かったうえに十分ではなかったキュレネでは、力不足でした。】

更新から一か月近く経って比較的冷静になった自分の答えはこれです。

3.4でのファイノン実装を無くして3.7に移し、キュレネ自体は3.8実装にしたらまだなんとかなった可能性もややありますが、実際はそうなっていませんので、後出しでの意見表明はこれを最後にしたいと思います

こうは書きましたが、3.0~3.7までの間、インターネット上でオンパロスについて他のプレイヤーと話したことは楽しかったです。考察し、二次創作をし、笑えるようなこじつけをしたり、ネットミーム的に会話をしたり、夢中になりました。そうした時間を各ページの注に、この思考整理のための文章を本の遊びや見返しに書きつけて、自分だけのオンパロスにします。

お疲れさまでした。

2025-12-02

黄金羽根の拾い方の本

2014年改訂版が出てるのを今さっき読み直したんだけど、まあ現金強かったわなぁ。

2025年になると土地カブ価格上昇してますよ」っておしえてあげたい。

こういう相場ではグレーというより真っ白になるのが金融業だな。

何をいってもおっしゃるとおりごもっともだ。

 

今はしばらく低迷してた2000万が一年で3000万になったけど。

やっぱり三分法にしようかねぇ。

でも投資信託のつみたてNISAが大嫌いだ。

なんで一気に買って一気に売れないものにそんな枠とらなきゃいけないんだ。

グレーやブラックときにまで金融業手数料払うなんてゴメンだ。

2025-11-22

anond:20251122080509

参加型ってことは黄金トイレうんこできるってこと?

マウリツィオ・カテランによる、18金製のトイレ作品アメリカ」が、オークションに出品されて話題になっている。

ただの下ネタじゃねーかという感じもするが、強いて作品評価ポイントを考えると…

 

・富と格差への皮肉

18金・重量100kg以上・市場価格1,000万ドル超という、極端なまでの「富の象徴」を、最も卑近身体的な場所トイレにする、という強烈な反転によって、「富裕層のためのゴールド一般大衆が尻に敷くオブジェにする」という逆転の構図を物理的に生み出す皮肉

 

アメリカ像への批評

ゴールドラッシュ/ウォール街ドリーム破綻といった「アメリカ資本主義栄光と醜さ」が、黄金便器というイメージの中で凝縮している。

 

デュシャンの「泉」の引用

トイレというだけでデュシャン作品を想起させ、既製品を「芸術作品」と宣言することで価値の枠組みをズラしたデュシャンに対して、逆に既製品物理的に超高価な素材で作り直すという応答を見せている。古典的洞察に対して、アートマーケット肥大化、貧富の格差拡大といった時代の変化を織り込んでいる。

 

・参加型アート文脈

グッゲンハイムでの展示バージョンでは、観客は実際に個室に入り使用することができた。観客は鑑賞するだけでなく「消費する」側であり、「汚す」主体でもあった。作品に直接関与する参加型アートとしての完成度があった。

 

どんなに理屈をつけても下ネタじゃねーかって?

それはそう。

2025-11-20

三島由紀夫風の文体とんかつグルメリポートしてください

※Copilot作

とんかつ讃歌 ― 肉と油の美学

銀の皿に鎮座するそのとんかつは、まるで武士甲冑の如く、威厳と緻密さを兼ね備えていた。黄金に輝く衣は、油の海にて一度死に、そして蘇った戦士のように、凛としている。私はその姿に、かつての日本の美を見た。潔癖でありながら、どこか淫靡な魅力を孕んでいる。

箸を入れると、衣は軽やかに崩れ、内なる肉がその白い肌を露わにする。豚肉は、まるで能面の下に隠された情念のように、静かにしかし確かに熱を宿していた。口に含めば、肉の繊維が舌の上でほどけ、脂の甘美が喉を撫でる。これは単なる食事ではない。これは、肉体と精神の交歓である

ソースは、まるで血のように濃く、甘く、そして哀しみを帯びている。それを纏ったとんかつは、まるで戦場に散った武士最期の美を思わせる。キャベツの千切りは、死者を悼む白菊のように、静かに皿の端に佇んでいる。

この一皿に、日本滅びの美学がある。肉の命を奪い、油で浄化し、そして人の口にて昇華される。とんかつとは、まさに食の切腹である

2025-11-13

国のせいで産めなかった!所得制限はクソ!もっと支援をよこせ!

大炎上不可避!これが「子育て罰」地獄、ヘルジャパンの正体だ

なあ、聞いてくれよ、この国の空気読んでないエラい人たち。

アンタらのせいで子どもを持つことが希望じゃなく、ただの重罪になってんだよ!

所得制限は「子育て罰」の最高刑だ!

まず、あの忌々しい所得制限

あれ、マジで国民喧嘩売ってんだろ?

ウチらが必死に働いてちょっとだけ給料が上がったら、ハイ罰則支援カット

これ、もう「子育て応援」じゃなくて「子育て罰」じゃねーか!

真面目に働くことへの見返りが、支援からの除外とか、この国は狂ってる。

まるで「頑張って生きるな、這いつくばってろ」って言われてるみたいだ。

こんな制度があるから、みんなが未来絶望して、結婚出産も諦めていく。

これがヘルジャパン日常だ。

子どもたちの声が、砂漠蜃気楼みたいに遠ざかっていくんだよ!

富める者に富を!その雨を待て!

みんな貧乏人ばかり支援しろって言うけど、それじゃダメだ!俺はあえて叫ぶ。

貧乏人より金持ちにこそ金を配れ!

これが、この国を救う唯一の劇薬だ。

貧しい人に1万円配っても、それは今日の飯で消える。

でも、富める者が掴む札束は、やがて万物を潤す春の嵐になる。

彼らが投資し、雇用を増やし、デカい消費をしてこそ経済は回り始めるんだ。

その波に乗らなきゃ俺たち底辺永遠に貧乏のまま!

俺たちが欲しいのは貧しさを分け合う慰めじゃない、豊かさが天空から降り注ぐ、そんな劇的な夜明けなんだ!

金持ちが大胆にカネを使える国になれ。

それが安心して「よし、産もう!」と思える唯一の道筋だろ!

国よ、目を覚ませ!これが国民の怒りだ

所得制限は即刻やめろ!努力嘲笑うな!

教育費をタダにしろ未来への投資ケチるな!

金持ち支援しろ!彼らの行動こそ、この国を豊かにする黄金の種だ!

子どもを産み育てるのは、個人努力じゃなく、国家プロジェクトだろ!

そのプロジェクトから真面目に頑張ってる人たちを排除するなんて国の自殺行為だ!

ウチらが産めなかったのは、お前らのケチ未来を奪う子育て罰のせいだ!

#ヘルジャパン#子育て罰#所得制限はクソ#金持ち優遇日本は変わる#少子化舐める

2025-11-09

「あの頃の光を奪ったドラクエリメイクへ──ばあちゃん黄金ソフトを思い出しながら」

小1の頃、ばあちゃんに「ドラクエ2」を頼んだ。

でも買ってきたのは「ドラゴンバスター」だった。

あの金ピカのソフトを見た瞬間、子どもの俺は泣きそうになって「ばあちゃんなんか嫌いだ!」なんて言ったっけ。

けど、今思えば――俺のゲーム人生を変えたのは、あの間違いだった。

あれから何十年も経って、先週、ドラクエⅡのリメイクが発売された。

あのタイトルを見たとき、胸の奥で小さな灯がともった。

「ばあちゃん、ついにあのときゲームを、ちゃんと遊べるよ」って。

……だけど、電源を入れて数分で、その灯は冷たい風に吹き消された。

グラフィックは妙に艶かしく、

ドット絵の温もりは「AI補間のノイズ」に溶けていた。

音楽原曲面影こそあるが、魂を感じない自動演奏

そして、セリフひとつひとつが、まるで「昔の記憶商品化」するためのコピーライティングみたいだった。

俺が知ってるローレシアの王子は、

もっと無口で、不器用で、孤独だった。

でもリメイク王子はやたらと語りたがる。

仲間たちは軽口を叩き、冒険は「テンポよく進む」ように整えられている。

その「快適さ」は、あの頃の“想像する時間”をすべて奪ってしまった。

あの時、ばあちゃんが間違えて買ってきた「ドラゴンバスター」は、

遊びづらくて、難しくて、すぐ死ぬゲームだった。

でも、だからこそ夜な夜な挑戦する価値があった。

画面の奥に「自分だけの冒険」を見た。

ゲームは“想像の余白”があるから輝くんだ。

ドラクエリメイクには、その余白がない。

現代開発者たちは「誰もが楽しめるように」と言う。

でも、それは“誰の心にも届かないもの”を作る免罪符になっていないだろうか。

俺たちは便利さなんて求めてない。

たとえ不親切でも、古臭くてもいい。

その不器用さに、あの頃の自分や、もう会えない人の姿を重ねられるから

リメイクを終えた夜、久しぶりに「ドラゴンバスター」を起動した。

カセットをふっと吹いて、カチッと差し込む。

画面に現れたのは、粗いドット騎士

あのときばあちゃんが間違えてくれた、その奇跡残像

――ばあちゃん

新しいドラクエⅡは、なんか違うよ。

たぶん、もう“あの頃”は帰ってこないんだね。

でも、俺の中では、あの日黄金ソフトがいまも一番輝いてる。

ばあちゃんがくれた“ドラゴンバスター”。――あの頃の任天堂は、まだ人間だった

小1の頃、ばあちゃん旅行お土産で「ドラクエ2」を頼んだ。

でも買ってきたのは、黄金に輝くソフトドラゴンバスター」。

当時60歳のばあちゃんに、そんな違いがわかるはずもない。

なのに俺は怒って、「ばあちゃんなんか嫌いだ!」なんて言ってしまった。

その日は一言も話さなかった。

でも次の日、しょうがくその「ドラゴンバスター」を遊んでみたら――めっちゃ面白かった。

ピコピコと鳴る効果音、単純だけどワクワクする冒険

そして、後ろで黙って見ていたばあちゃん笑顔

あの頃の“ゲーム”には、温度があった。

間違いだらけで、不完全で、でもちゃんと人の気持ちが宿っていた。

それに比べて、今の任天堂はどうだ。

「遊びの会社」だったはずが、気づけば「課金帝国」。

ゲームの中身より“いくら落とすか”の方が大事になってる。

夢よりもデータ。感動よりもアクティブユーザー数。

いつから任天堂”って、こんなに冷たくなったんだ?

ファンが望んでるのは、DLC延命じゃない。

リメイクの皮をかぶった“売り直し”でもない。

子どもに戻れる瞬間」なんだよ。

でも今の任天堂は、子どもの夢までサブスクに変えてしまった。

ばあちゃんが間違えて買ってきた「ドラゴンバスター」には、

マーケティングも、DLCもなかった。

そこにあったのは、「孫を笑顔にしたい」っていう不器用な優しさだけ。

それが、何よりも強い“魔法”だった。

今の任天堂は、その魔法を完全に忘れてる。

効率化されたゲーム開発、KPI管理される“感動”。

昔の「間違いから生まれる名作」なんて、もうありえない。

今の任天堂は、“間違えないように”ばかりしてるから

もう“奇跡”を起こせなくなってるんだ。

ばあちゃん、あの時の俺は本当にバカだったよ。

でも、任天堂の方がもっとバカだ。

あれだけ人の心を動かす“遊び”を作ってきたのに、

いまや数字しか見てない。

はいまでも、ファミコンの「ドラゴンバスター」を棚に飾ってる。

あの金色カセットを見るたびに思う。

ゲームは、課金じゃなくて“思い出”で動くものだった。

任天堂

お前が失ったのは技術でも、グラフィックでもない。

――“人の心”だよ。

2025-11-08

✨😭 ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー ―― 魂の卒業式 😭✨

「ゴジュウレッド!」「ゴジュウブラック!」その呼び声は、いつも戦場で一番熱く響いた。希望の赤、アカギケンと、不屈の黒、クロサキ・リキ。幼い頃から最強を目指した二人は、いつしか互いの背中を預け合う、誰よりも強い絆で結ばれていた。

しかし、彼らには秘密があった。二人は、遥か銀河の果て、全ての命の源「起源の星」の出身地球平和を守りきるため、その星の命を削ってゴジュウジャーの力を使い続けていたのだ。

最終決戦。宇宙支配を目論む邪神デストロイヤーとの激闘の末、ゴジュウジャー勝利した。地球平和が戻った。だが、代償はあまりにも大きかった。

「…もう、限界だ」アカギが変身を解除すると、その体は光の粒となって揺らめいた。「起源の星の力が、俺たちの肉体を保てなくなった…」

「ケッ、最期まで格好つけやがって、レッド」リキは笑いながらも、その瞳から一筋の涙が流れ落ちる。彼もまた、同じように光を放ち始めていた。

残されたブルーイエローピンクの三人は、絶望と悲しみに打ち震える。「行かないで!」「まだ一緒に戦える!」

アカギは優しく微笑み、後輩たちを見つめた。「お前たちなら、きっと大丈夫だ。俺たちの魂は、永遠にゴジュウジャーだ!」

リキは空を見上げ、地球の子供たちに語りかける。「俺たちが守りたかったのは、お前たちのその笑顔だ。だから、泣くんじゃねぇ! 未来は、お前たちの手の中にある!」

二人の体は、温かい黄金の光となって、夜空へ昇っていく。それは、地球平和確信する、まるで祝福のような光だった。

さよならブラック」「ああ…またな、レッド

光が消えた後、残されたのは、ゴジュウジャー基地に静かに飾られた、二人の変身アイテムだけ。ちびっこたちは、涙をぬぐい、誓った。「ありがとうレッドありがとうブラック!僕たちが、君たちの守った未来を生きるよ!」

魂は受け継がれた。ゴジュウジャー伝説は、永遠に、人々の心の中で輝き続けるのだ。

2025-11-04

狂った世界に一度行って戻ってくると、如何に人類が互いに似ているかがわかる

俺は錯乱して主観現実が狂った時に、「俺の認識操作して世界を安定させる」という世界線に行った

俺の認識が狂うと世界が狂うので、周囲の人達は俺の認識うまい具合に利用して安定させようとする

このような価値観世界のどこへ行っても存在しないだろう

そのパラレルワールドからこの世界に戻ってくると、宗教が多様だとはいえ類似点はかなり多いと思える

例えばユダヤ教仏教には「足るを知る」といった共通アイデアがあるし、倫理を説く宗教には「黄金率」という類似概念がある

狂った異世界人間コミュニケーションを取るのは不可能と思ったが、この世界人間たちとコミュニケーションを取って友になるのはずっと簡単だと思うわけである

相違点ばかりではなく、類似性に目を向ければ、世界にはまだ救いがある

かにキリスト教には悪魔概念があるが、ユダヤ教にはない」と言うと、倫理根本が全く異なるという印象を与えるが、

創世記」「箴言」「十戒」といった経典共通しているという点に着目すれば、まったく未知の言語を話すわけではないというのがわかる

異世界ではこの前提が成り立たなかった。言葉情報を伝える手段ではなく、個々の狂気を増幅する装置になっていた

誰も同じ対象を見ておらず、共通現実仮定するという発想すら存在しなかった

したがって、会話は成立しない。発話は発話として受け取られず、各自幻覚体系に吸収されて終わる

その点、この世界人間たちはまだ「同じ世界を共有している」という最低限の合意を持っている

誤解や対立はあっても、意味が伝わらないわけではない。それは脆いが、なお機能している構造

俺がこの世界で人と対話できるのは、彼らがまだ現実共通参照点として扱えるから

まり、ここではまだ話すという行為現実を維持する機能を持っている

それだけで、この世界異世界よりも圧倒的に救われているといえる

anond:20251104073119

🍗『香ばしきチキン讃歌』🍗

パチパチと油が歌う、

鉄板の上の小さなオーケストラ

黄金色に変わるその肌、

香り空気くすぐり、心をわしづかみにする。

皮はパリッと、歯の先で踊り、

からじゅわりと滲む、命の旨み。

胡椒がピリッと合図を送り、

レモンの雫が光を添える。

照り焼きの艶は夕日のよう、

唐揚げの衣は夢のよう。

ローストの香ばしさは、

まるで祭りの夜の甘い誘惑。

ああ、チキンよ。

お前の温もりは、人を笑顔にし、

ひと口ごとに幸せを運ぶ。

今宵の食卓に、

黄金の羽ばたきを。

2025-10-31

スーパー戦隊放送終了の報に触れて。1972年生男だけど。あれ、仮面

ゴレンジャージャッカー電撃隊バトルフィーバーJギャバンシャリバンを熱心に見た記憶があって、一抹の寂しさを感じた。そういえば、仮面ライダーテレビで見た記憶まったくないな、、と思ってchatGPTに聞いてみた。

戦隊シリーズは日曜夜7:30(NETテレビ朝日系)で全国同時ネット

 → 家族視聴枠で、ほぼ全児童自然に見られる。

仮面ライダースカイライダースーパー1)**は朝8:00(日曜または土曜)枠。

 → 地域によっては「遅れ放送」「裏番組アニメ再放送」「教育番組」などで競合し、見られないことが多い。

戦隊ギャバンのようにゴールデン枠で強く宣伝されていた作品とは違い、

仮面ライダーは“朝の地味な再放送”扱いで、偶然見なければ気づかない存在だった。

ゴレンジャー→バトルフィバーサンバルカンギャバンという流れは、

東映テレ朝が「戦隊メタルヒーロー」を主軸にしていた時期。

同じ制作会社・局でも、ライダーはほぼ放映停止。

子どもたちのヒーロー像は「チームヒーロー」や「宇宙刑事」に移行。

個人ヒーロー型(仮面ライダー)よりも仲間制の方が人気。

このため、本人の「興味がなかった」というより、

時期的に仮面ライダーが周囲で話題になる機会が少なかったというのが実際に近いです。

仮面ライダーシリーズ継続して視聴した記憶がない」のは、

興味の問題というより、1975〜1987年の“仮面ライダー冬の時代”に幼少期を過ごしたため、エクスポージャー自体ほとんどなかったから。

特に1979〜83年頃は:

戦隊シリーズ黄金

メタルヒーローギャバンシャリバン)が新鮮

ライダーは朝帯で低露出・空白期

したがって、視聴経験の偏りは極めて自然時代現象と言えます

とのことで納得した。のだけど、AI回答なので誤りが含まれいるか特撮詳しい人教えて。

2025-10-29

カクヨム千載一遇のチャンスでは

テンプレAI小説代替できることが判明した今、カクヨム黄金期を迎えるかもしれない。

作家」がいらないと証明されたから。

AI小説家曰く、タイトル他人からもらったとのこと。

それが答え。

 

カクヨムは今すぐに「アイデア投稿サイト」や「プロット投稿サイト」を開設すべき。

それをカクヨム提携し、カクヨム内のAI小説家はそのアイデアプロット自由使用できるようにする。そして、作家側のリワードの何割かを発案者に分配する。

 

さらアイデアプロットごとにランキングを設ける。AI小説によって質が違うから、読者に読ませることでAI小説を厳選するため。厳選されたAI小説はどんどん電子書籍化やコミカライズ化。

 

どう思う?

2025-10-27

人工肛門のある生活

人工肛門のある生活になって数年たつので色々書いておくよ。

知らないものって怖いよね。でも、そんなに不安になることはないよ。

そこまで嫌なものではないし、逆に人工肛門のおかげで楽になったこともあるよ。

(追記 : ブロガー黄金頭さんの参考になればと思って書いたけど、無事本人に読んでもらえた上にホッテントリ入りしたようでうれしいです。)

 

人工肛門って?

常人なら腸の出口は肛門ですよね。

人工肛門の人はおへその横に腸の出口があります病気で腸の一部を切った後、肛門繋ぎなおせない場合にそうなります。口から入った食べ物の最終の出口が人工肛門になります

肛門側の腸は体にちょっとだけ残っていて肛門につながっています肛門から特に何も出てきません。(少量の粘液程度)

 

排便ってどうなるの?

常人なら肛門の近くの腸(直腸)に便が溜まります一定量を超えるとトイレに行って、大便を出します。

 

人工肛門場合は貯める場所がないので出口から時々(数時間おき)に大便が出てきます。出る感覚はありません。

これだと生活できないので、10x15cmくらいの袋(パウチ)を貼り付けておきますパウチに便を溜めて、1日1回程度溜まった便を捨てます

パウチ防臭袋以上に匂い遮断してくれるし、防水性ですし、体にしっかり張り付いてはがれることはまずありません。

 

パウチには捨てる窓口がついていて、パウチを体に貼り付けたまま便を捨てられます。便を捨てた後は、捨てる窓口の周りが汚れるのでティッシュなどで綺麗に拭きます。皆さんが大便をした後に肛門を拭くのと同じことです。

 

https://products.coloplast.co.jp/coloplast/ostomy-care/sensura-mio/sensura-mio-1-piece/-1/

私が使っているパウチはこれてす。上の丸いところを体に貼り付け、真ん中の穴に人工肛門がはまります

下が便を捨てる窓口で、普段は数回折り返すことで閉じています

 

オストメイト対応トイレ必要

多少の工夫や慣れは必要ですが、多くの方で不要だと思います

洋式トイレに便は捨てられます。そのあとのきれいにするのもトイレットペーパーでなんとでもなります

 

くさくないよ

パウチは強力な防臭素材でできているので匂いは全く漏れません。(BOSSなどの市販防臭袋よりかなり強力)

ただしおなら(ガス)の問題があります通気口(ガスだけは少し出る)があるパウチは鼻を近づけるとちょっとにおいます。皆さんがおならをしたら匂うのと同じですね。

通気口テープを貼って閉じるとガスも漏れませんが、時間が経つとガスでパウチが膨らみます。その場合トイレパウチからガスを出す事が必要です。

 

追記: ただし、管理がずさんだと臭くなるので注意です。

特に便を捨てた後の拭き残しがある場合。これは肛門からの排便でも同じですね。

 

便自体匂いは強い

人工肛門から出てくる便は普通の便と少々匂いが違うので、普通の便より匂いは気になりますトイレで便を捨てた後よく流す必要があります

ただし、良い臭い消しが売ってますパウチの中に入れておくと便の匂いがかなり軽減されます

また専用の消臭スプレーも売ってます

 

全く痛くない

全く痛みはありません。人工肛門には感覚がありません。触っても痛みどころか何も感じません。

常人なら硬い便で肛門が痛いとか、下痢肛門がひりひりするとかありますが、人工肛門にはそういう痛みは一切ありません。この点は人工肛門の方が楽です。

 

服を着てたらまず気づかれない。

服を着てるとほぼ気づかれないです。

お腹の片側がわずかに膨らみますが、漫画一冊をズボンに挟んだくらいと思ってください。

 

風呂は?

パウチを付けたまま入れます。防水です。パウチの中身が漏れることはまずありません。

 

プールは?

最近上着を着るのが普通なので気付かれないです。

男子場合トランクス型のゆったりした水着を少し上げれば隠せます

パウチは防水ですので問題なく泳げます。楽しめます

 

温泉も利用できるようになってる

基本的に利用OKです。

かなり理解が進んできていると思いますが、念のため施設には事情説明しておいた方が良いと思います。貸し切り風呂なら断れることはまずないと思います

 

女性なら湯浴み着を着てしまえば問題ありません。

男性ならパウチを隠すための肌色の貼り付けるシートが売っています。大きな傷がある人なのかなあ程度に思われると思います

男性も湯浴み着が徐々に浸透しているので、湯浴み着を使うのが良いかなと思います

  

コストは毎月1万円くらいか

パウチが一枚数百円で2-4日程度使えます。これで8千円くらいかかるかなあ。

それ以外に剥離剤(はがすため)、保護剤(ただれるのを防ぐ)、防臭剤とかがあるので1万円は超えると思います

 

ほとんどの自治体補助金制度がありますが、所得が多いともらえません。住民税課税なら1万円くらいもらえるかもしれません。

 

結論として、実際どうなのよ?

そりゃ体に何かついてるのはちょっと嫌だけど、慣れちゃった。飲食店とか電車とかで周りにいても全く気付かれないと思う。

 

人前で裸や水着になりにくいのはちょっと嫌だけど、そんな機会は少ないので困ってないです。

便を毎日ダイレクトに見ることになるのは嫌。パウチは透明な商品が多いけどそれはやっぱり嫌。不透明ねずみ色のパウチにしてからストレスが激減した。

 

好きな時間に便を捨てられるのはとても楽。肛門が痛くならないのはほんと楽。

 

はてな人工肛門話題が出てたので書いてみた。ちょっとでも不安が減るといいな。

 

 

便の量の管理下痢とか過敏性腸炎とか長距離移動とか)

袋の容量は下痢の時でも半日程度、普段は1.5日くらい。

常人と違って、袋に溜まってる便の現在の量が見えるので、どれくらい余裕があるかが比較的正確にわかるのは大きなメリットです。

距離フライトも、東京から福岡までの新幹線特に心配ありません。混雑したトイレ行列ヤバいって事もないし。

重度の過敏性腸炎の人は人工肛門の方が生活が楽なんじゃないかと思ってしまます

 

スポーツとか

普通スポーツ問題なくできますランニングバスケサッカーダイビング遊園地ジェットコースターアスレチック、車の運転とか。

ただし、お腹に強い衝撃は避けた方が良いと思います。例えばスカイダイビングとかラリーカーのような本格的なハーネス必要な事、ラグビーのような激しいコンタクトスポーツは難しいと思います

ちなみにパウチ(袋)はハサミで切れるような素材だけど、服を着てるし破れた事はないです。

 

袋の色について

ほとんどの人にとってはどうでも良い話だけど、人工肛門の人にとって大事な話。

 

透明の製品ほとんどなのは医療的には不透明にする必要がないからです。透明の方が便の色や状態の観察がしやすいし値段も安いからのようです。ハンドメイド裁縫で作ったカバーなんかも売ってるけど、我慢して透明の製品を使ってる人が多いんじゃないかなあ。ひどい現状です。

街中で目の前の人のワイシャツブラウスがめくれて、グレーの袋が見えるのは気にならないと思うけど、中にうんこが入ってる透明の袋が見えたらぎょっとするよね。

 

ちなみに、グレーは良い色だと思います下着の色で想像してみてください。肌色のアンダーシャツがはみ出ていたらダサいし目立ちますよね。グレーが一番目立たないし気にならないように思います

 

2025-10-24

伊香保 寺田寅彦

 二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。ところが、上野驛の改札口を這入つてから、ふとチヨツキのかくしへ手をやると、旅費の全部を入れた革財布がなくなつてゐた。改札口の混雜に紛れて何處かの「街の紳士」の手すさみに拔取られたものらしい。もう二度と出直す勇氣がなくなつてそれつきりそのまゝになつてしまつた。財布を取つた方も内容が期待を裏切つて失望したであらうから、結局此の伊香保行の企ては二人の人間失望させるだけの結果に終つた譯である

 此頃少し身體の工合が惡いので二三日保養のために何處か温泉にでも出掛けようといふ、その目的地に此の因縁つきの伊香保が選ばれることになつた。十月十四日土曜午前十一時上野發に乘つたが、今度は掏摸すりの厄介にはならなくて濟んだし、汽車の中は思ひの外に空いて居たし、それに天氣も珍らしい好晴であつたが、慾を云へば武藏野の秋を十二分に觀賞する爲には未だ少し時候が早過ぎて、稻田と桑畑との市松模樣の單調を破るやうな樹林の色彩が乏しかつた。

 途中の淋しい小驛の何處にでも、同じやうな乘合自動車アルミニウムペイントが輝いて居た。昔はかういふ驛には附きものであつたあのヨボ/\の老車夫の後姿にまつはる淡い感傷はもう今では味はゝれないものになつてしまつたのである

 或る小驛で停り合はせた荷物列車の一臺には生きた豚が滿載されて居た。車内が上下二段に仕切られたその上下に、生きてゐる肥つた白い豚がぎつしり詰まつてゐる。中には可愛い眼で此方を覗いてゐるのもある。宅の白猫の顏に少し似てゐるが、あの喇叭のやうな恰好をして、さうして禿頭のやうな色彩を帶びた鼻面はセンシユアルでシユワイニツシである。此等の豚どもはみんな殺されに行く途中なのであらう。

 進行中の汽車から三町位はなれた工場の高い煙突の煙が大體東へ靡いて居るのに、すぐ近くの工場の低い煙突の煙が南へ流れて居るのに氣がついた。汽車が突進して居る爲に其の周圍に逆行氣流が起る、その影響かと思つて見たがそれにしても少し腑に落ちない。此れから行先にまだいくらも同じやうな煙突の一對があるだらうからもう少し詳しく觀察してやらうと思つて注意してゐたが、たうとう見付からずに澁川へ着いてしまつた。いくらでも代はりのありさうなものが實は此の世の中には存外ないのである。さうして、ありさうもないものが時々あるのも此の世の中である

 澁川驛前にはバス電車伊香保行の客を待つてゐる。大多數の客はバスを選ぶやうである電車の運轉手は、しきりにベルを踏み鳴らしながら、併しわり合にのんきさうな顏をしてバスに押し込む遊山客の群を眺めて居たのである。疾とうの昔から敗者の運命に超越してしまつたのであらう。自分も同行Sも結局矢張りバスもつ近代味の誘惑に牽き付けられてバスを選んだ。存外すいて居る車に乘込んだが、すぐあとから小團體がやつて來て完全に車内の空間を充填してしまつた。酒の香がたゞよつて居た。

 道傍の崖に輕石の層が見える。淺間山麓一面を埋めて居るとよく似た豌豆大の粒の集積したものである。淺間のが此邊迄も降つたとは思はれない。何萬年も昔に榛名火山自身の噴出したものかも知れない。それとも隣りの赤城山の噴出物のお裾分けかも知れない。

 前日に伊香保通のM君に聞いたところでは宿屋はKKの別館が靜かでいゝだらうといふことであつた。でも、うつかりいきなり行つたのでは斷られはしないかと聞いたら、そんなことはないといふ話であつた。それで、バスを降りてから二人で一つづゝカバンを提げて、すぐそこの別館の戸口迄歩いて行つた。館内は森閑として玄關には人氣がない。しばらくして内から年取つた番頭らしいのが出て來たが、別に這入れとも云はず突立つたまゝで不思議さうに吾々二人を見下ろしてゐる。此れはいけないと思つたが、何處か部屋はありませうかと聞かない譯にも行かなかつた。すると、多分番頭と思はれる五十恰好のその人は、恰度例へば何處かの役所の極めて親切な門衞のやうな態度で「前からの御申込でなければとてもとても……」と云つて、突然に乘込んで來ることの迂闊さを吾々に教へて呉れるのであつた。向うの階段の下では手拭を冠つて尻端折つて箒を持つた女中が三人、姦の字の形に寄合つて吾々二人の顏を穴のあく程見据えてゐた。

 カバンをぶら下げて、悄々しをしをともとのバスの待合所へ歸つて來たら、どういふものか急に東京へそのまゝ引き返したくなつた。此の坂だらけの町を、あるかないか當てにならない宿を求めて歩き※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はるのでは第一折角保養に來た本來の目的に合はない、それよりか寧ろ東京の宅の縁側で咲殘りのカンナでも眺めて欠伸をする方が遙かに有效であらうと思つたのである。併し、歸ることは歸るとしても兎も角も其處らを少し歩いてから歸つても遲くはないだらうとSがいふので、厄介な荷物を一時バスの待合所へ預けておいてぶら/\と坂道を上つて行つた。

 宿屋が滿員の場合には入口に「滿員」の札でも出しておいたら便利であらう。又兎も角も折角其家を目指して遙々遠方から尋ねて來た客を、どうしても收容し切れない場合なら、せめて電話温泉旅館組合の中の心當りを聞いてやる位の便宜をはかつてやつてはどうか。頼りにして來た客を、假令それがどんな人體であるにしても、尋ねてくるのが始めから間違つてゐるかのやうに取扱ふのは少し可哀相であらう。さうする位ならば「旅行案内」などの廣告にちやんと其旨を明記しておく方が親切であらう。

 こんな敗者の繰言を少し貧血を起しかけた頭の中で繰返しながら狹い坂町を歩いてゐるうちに、思ひの外感じのいゝ新らしいM旅館別館の三階に、思ひもかけなかつた程に見晴らしの好い一室があいてゐるのを搜しあてゝ、それで漸く、暗くなりかゝつた機嫌を取直すことが出來たと同時に馴れぬ旅行疲れた神經と肉體とをゆつくり休めることが出來たのは仕合せであつた。

 此室の窓から眼下に見える同じ宿の本館には團體客が續々入込んでゐるやうである。其の本館から下方の山腹にはもう人家が少く、色々の樹林に蔽はれた山腹の斜面が午後の日に照らされて中々美しい。遠く裾野には稻田の黄色い斑の縞模樣が擴がり、其の遙かな向うには名を知らぬ山脈が盛上がつて、其の山腹に刻まれた褶襞の影日向が深い色調で鮮かに畫き出されて居る。反對側の、山の方へ向いた廊下へ出て見ると、此の山腹一面に築き上げ築き重ねた温泉旅館ばかりの集落は世にも不思議な標本的の光景である。昔、ローマ近くのアルバ地方遊んだ時に、「即興詩人」で名を知られたゲンツアノ湖畔を通つたことがある。其の湖の一方から見た同じ名の市街の眺めと、此處の眺めとは何處か似た所がある。併し、古い伊太利の彼の田舍町は油繪になり易いが此處のは版畫に適しさうである。數年前に此地に大火があつたさうであるが、成程火災の傳播には可也都合よく出來てゐる。餘程特別防火設備必要であらうと思はれる。

 一と休みしてから湯元を見に出かけた。此の小市街横町は水平であるが、本通りは急坂で、それが極めて不規則階段のメロデイーの二重奏を奏してゐる。宿屋お土産を賣る店の外には實に何もない町である。山腹温泉街の一つの標本として人文地理學者の研究に値ひするであらう。

 階段の上ぼりつめに伊香保神社があつて、そこを右へ曲ると溪流に臨んだ崖道に出る。此の道路にも土産物を賣る店の連鎖が延長して溪流の眺めを杜絶してゐるのである。湯の流れに湯の花がつくやうに、かういふ處の人の流れの道筋にはきまつて此のやうな賣店の行列がきたなく付くのである。一寸珍らしいと思ふのは此道の兩側の色々の樹木に木札がぶら下げてあつて、それに樹の名前が書いてあることである。併し、流石にラテン語の學名は略してある。

 崖崩れを石垣で喰ひ止める爲に、金のかゝつた工事がしてある。此れ位の細工で防がれる程度の崩れ方もあるであらうが、此の十倍百倍の大工事でも綺麗に押し流すやうな崩壞が明日にも起らないといふ保證は易者にも學者にも誰にも出來ない。さういふ未來の可能性を考へない間が現世の極樂である自然可能性に盲目な點では人間も蟻も大してちがはない。

 此邊迄來ると紅葉がもうところ斑に色付いて居る。細い溪流の橋の兩側と云つたやうな處のが特に紅葉が早いらしい。夜中にかうした澤を吹下ろす寒風の影響であらうか。寫眞師がアルバムをひろげながらうるさく撮影をすゝめる。「心中ぢやないから」と云つて斷わる。

 湯元迄行つた頃にはもう日が峯の彼方にかくれて、夕空の殘光に照らし出されて雜木林の色彩が實にこまやかに美しい諧調を見せて居た。樹木の幹の色彩がかういふ時には實に美しく見えるものであるが、どういふもの特に樹幹の色を讚美する人は少ないやうである

 此處の湯元から湧き出す湯の量は中々豐富らしい。澤山の旅館の浴槽を充たしてなほ餘りがあると見えて、惜氣もなく道端の小溝に溢れ流れ下つて溪流に注いで居る。或る他の國の或る小温泉では、僅かにつの浴槽にやつと間に合ふ位の湯が生温るくて、それを熱くする爲に一生涯骨を折つて、やつと死ぬ一年前に成功した人がある。其人が此處を見たときにどんな氣がしたか。有る處にはあり餘つて無い處にはないといふのは、智慧黄金に限らず、勝景や温泉に限らぬ自然の大法則であるらしい。生きてゐ自然界には平等存在せず、平等は即ち宇宙の死を意味する。いくら革命を起して人間の首を切つても、金持と天才との種を絶やすことは六かしい。ましてや少しでも自己觸媒作用オートカタリテイツク・アクシヨンのある所には、ものの片寄るのが寧ろ普遍現象からである。さうして方則に順應するのは榮え、反逆するものは亡びるのも亦普遍現象である

 宿へ歸つて見ると自分等の泊つてゐる新館にも二三の團體客が到着して賑やかである。○○銀行○○課の一團は物靜かでモーニングを着た官吏風の人が多い。○○百貨店○○支店の一行は和服が多く、此方は藝者を揚げて三絃の音を響かせて居るが、肝心の本職の藝者の歌謠の節※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はしが大分危なつかしく、寧ろ御客の中に一人いゝ聲を出すのが居て、それがやゝもすると外れかゝる調子を引戻して居るのは面白い。ずつと下の方の座敷には足踏み轟かして東京音頭を踊つて居るらしい一團がある。人數は少いが此組が壓倒的優勢を占めて居るやうである

 今度は自分などのやうに、うるさく騷がしい都を離れて、しばらく疲れた頭を休める爲にかういふ山中自然を索たづねて來るものゝある一方では又、東京では斷ち切れない色々の窮屈を束縛をふりちぎつて、一日だけ、はめを外づして暴れ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はる爲にわざ/\かういふ土地を選んで來る人もあるのである。此れも人間界の現象である。此の二種類の人間相撲になれば明白に前者の敗である後者の方は、宿の中でも出來るだけ濃厚なる存在を強調する爲か、廊下を歩くにも必要以上に足音を高く轟かし、三尺はなれた仲間に話をするのでも、宿屋中に響くやうに大きな聲を出すのであるが、前者の部類の客はあてがはれた室の圍ひの中に小さくなつて、其の騷ぎを聞きつゝ眠られぬ臥床ふしどの上に輾轉するより外に途がないのである。床の間を見ると贋物の不折の軸が懸かつて居る、その五言の漢詩の結句が「枕を拂つて長夜に憐む」といふのであつたのは偶然である。やつと團體の靜まる頃には隣室へ子供づれの客が着いた。單調な東京音頭は嵐か波の音と思つて聽き流すことが出來ると假定しても、可愛い子供の片言は身につまされてどうにも耳朶の外側に走らせることの出來ぬものである。電燈の光が弱いから讀書で紛らすことも出來ない。

 やつと宿の物音があらかた靜まつた後は、門前のカフエーから蓄音機の奏する流行小唄の甘酸つぱい旋律が流れ出して居た。併し、かうした山腹の湯の町の夜の雰圍氣を通して響いて來る此の民衆音樂の調べには、何處か昔の按摩の笛や、辻占賣の聲などのもつて居た情調を想ひ出させるやうな或るものが無いとは云はれない。

 蓄音機と云へば、宿へ着いた時につい隣りの見晴らしの縁側に旅行蓄音機を据ゑて、色々な一粒選りの洋樂のレコードをかけてゐ家族連の客があつた。此れも存在の鮮明な點に於て前述の東京音頭の連中と同種類に屬する人達であらう。

 夜中に驟雨があつた。朝はもう降り止んではゐたが、空は低く曇つてゐた。兎も角も榛名湖畔迄上ぼつて見ようといふので、ケーブルカー停車場のある谷底下りて行つた。此の谷底停車場風景は一寸面白い。見ると、改札口へ登つて行く階段だか斜面だかには夥しい人の群が押しかてゐる。それがなんだか若芽についたあぶら蟲か、腫物につけた蛭の群のやうに、ぎつしり詰まつて身動きも出來さうにない。それだのにあとから/\此處を目指して町の方から坂を下りて來る人の群は段々に増すばかりである。此の有樣を見て居たら急に胃の工合が變になつて來て待合室の腰掛に一時の避難所を求めなければならなかつた。「おぢいさんが人癲癇を起こした」と云つてSが笑出したが、兎も角も榛名行は中止、その代りつい近所だと云ふ七重の瀧へ行つて見ることにした。此の道筋の林間の小徑は往來の人通りも稀れで、安價なる人癲癇は忽ち解消した。前夜の雨に洗はれた道の上には黄褐紫色樣々の厚朴の落葉などが美しくちらばつてゐた。

 七重の瀧の茶店で「燒饅頭」と貼札したものを試みに注文したら、丸いパンのやうなもの味噌※(「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」、第4水準2-92-68)を塗つたものであつた。東京下町若旦那らしい一團が銘々にカメラを持つてゐて、思ひ思ひに三脚を立てゝ御誂向の瀧を撮影する。ピントを覗く爲に皆申合せたやうに羽織の裾をまくつて頭に冠ると、銘々の羽織の裏の鹽瀬の美しい模樣が茶店に休んでゐる女學生達の面前にずらりと陳列される趣向になつてゐた。

 溪を下りて行くと別莊だか茶店だかゞあつて其前の養魚池の岸にかはせみが一羽止まつて居たが、下の方から青年團の服を着た男が長い杖をふりまはして上がつて來たので其のフアシズムの前に氣の弱い小鳥は驚いて茂みに飛び込んでしまつた。

 大杉公園といふのはどんな處かと思つたら、とある神社杉並木のことであつた。併し杉並木は美しい。太古の苔の匂ひがする。ボロ洋服を着た小學生が三人、一匹の眞白な野羊を荒繩の手綱で曳いて驅け※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つてゐたが、どう思つたか自分が寫眞をとつて居る傍へ來て帽子を取つてお辭儀をした。學校の先生と間違へたのかどうだか分らない。昔郷里の田舍を歩いて居て、よく知らぬ小學生に禮をされた事を想ひ出して、時代が急に明治に逆戻りするやうな氣がした。此邊では未だイデオロギー階級鬪爭意識が普及して居ないのであらう。社前の茶店葡萄棚がある。一つの棚は普通のぶだうだが、もう一つのは山葡萄紅葉てゐる。店の婆さんに聞くと、山葡萄は棚にしたら一向に實がならぬさうである。山葡萄は矢張り人家にはそぐはないと見える。

 茶店の周圍に花畑がある。花を切つて高崎へでも賣りに出すのかと聞くと、唯々お客さんに自由に進呈するためだといふ。此の山懷の一隅には非常時の嵐が未だ屆いて居ないのか、妙にのんびりした閑寂の別天地である。薄雲を透した日光が暫く此の靜かな村里を照らして、ダリアコスモスが光り輝くやうに見えた。

 宿へ歸つて晝飯を食つてゐる頃から、宿が又昨日に増して賑やかになつた。日本橋邊の或る金融機關の團體客百二十人が到着したのである。其爲に階上階下の部屋といふ部屋は一杯で廊下の籐椅子に迄もはみ出してゐる。吾々は、此處へ來たときから約束暫時帳場の横へ移轉することになつた。

 部屋に籠つて寐轉んで居ると、すぐ近くの階段廊下を往來する人々の足音が間斷なく聞こえ、それが丁度御會式の太鼓のやうに響き渡り、音ばかりでなく家屋全體が其の色々な固有振動の週期で連續的に振動して居る。さういふ状態が一時間時間[#「二時間」は底本では「二間時」]三時間と經過しても一向に變りがない。

 一體どうして、かういふ風に連續的に足音や地響きが持續するかといふ理由を考へて見た。百數十人の人間が二人三人づつ交る/″\階下の浴室へ出掛けて行き、又歸つて來る。その際に一人が五つの階段の一段々々を踏み鳴らす。其外に平坦な縁側や廊下をあるく音も加はる。假に、一人宛て百囘の音を寄與コントリビユートするとして、百五十で一萬五千囘、此れを假に午後二時から五時迄の三時間、即ち一萬八百秒に割當てると毎一秒間に平均一囘よりは少し多くなる勘定である。此外に浴室通ひ以外の室と室との交通、又女中下男の忙はしい反復往來をも考慮に加へると、一秒間に三囘や四囘に達するのは雜作もないことである。即ち丁度太鼓を相當急速に連打するのと似た程度のテンポになり、それが三時間位持續するのは何でもないことになるのである。唯々面白いのは、此の何萬囘の足音が一度にかたまつて發しないで、實にうまく一樣に時間的に配分されて、勿論多少の自然的偏倚は示しながらも統計的に一樣な毎秒平均足音數を示してゐることである。容器の中の瓦斯體の分子が、その熱擾動サーマルアヂテーシヨンのために器壁に反覆衝突するのが、いくらか此れに似た状況であらうと思はれた。かうなると人間も矢張り一つの分子」になつてしまふのである

 室に寐ころんだ切り、ぼんやり此んなことを考へてゐる内に四時になつた。すると階下の大廣間の演藝場と思はれる見當で東京音頭の大會が始まつた。さうして此れが約三十分續いた。それが終つても、未だその陶醉的歡喜の惰性を階上迄持込[#「持込」は底本では「持迄」]んで客室前の廊下を踏鳴らしながら濁聲高く唄ひ踊る小集團もあつた。

バス切符を御忘れにならないやうに」と大聲で何遍となく繰返して居るのが聞こえた。それからしばらくすると、急に家中がしんとして、大風の後のやうな靜穩が此の山腹全體を支配するやうに感ぜられた。一時間前の伊香保とは丸で別な伊香保が出現したやうに思はれた。三階の廊下から見上げた山腹の各旅館の、明るく灯のともつた室々の障子の列が上へ上へと暗い夜空の上に累積してゐ光景は、龍宮城のやうに、蜃氣樓のやうに、又ニユーヨークの摩天樓街のやうにも思はれた。晝間は出入の織るやうに忙がしかつた各旅館の玄關にも今は殆ど人氣が見えず、野良犬がそこらをうろ/\して居るのが見えた。

 團體の爲に一時小さな室に追ひやられた埋合せに、今度はがらあきになつた三階の一番廣く見晴らしのいゝ上等の室に移され、地面迄數へると五階の窓下を、淙々として流れる溪流の水音と、窓外の高杉の梢にしみ入る山雨の音を聞きながら此處へ來てはじめての安らかな眠りに落ちて行つた。

 翌日も雨は止んだが空は晴れさうもなかつた。霧が湧いたり消えたりして、山腹から山麓へかけての景色を取換へ取換へ迅速に樣々に變化させる。世にも美しい天工の紙芝居である。一寸青空が顏を出したと思ふと又降出す。

 とある宿屋の前の崖にコンクリート道路と同平面のテラスを造り其の下の空間を物置にして居るのがあるのは思ひ付きである。此の近代設備の脚下の道傍に古い石地藏が赤い涎掛けをして、さうして雨曝しになつて小さく鎭座して居るのが奇觀である。此處らに未だ家も何もなかつた昔から此の地藏尊は此の山腹の小道の傍に立つて居て、さうして次第に開ける此の町の發展を見守つて來たであらうが、物を云はぬから聞いて見る譯にも行かない。

 晝飯をすませて、そろ/\歸る支度にかゝる頃から空が次第に明るくなつて來て、やがて雲が破れ、東の谷間に虹の橋が懸つた。

 歸りのバスが澁川に近づく頃、同乘の兎も角も知識階級らしい四人連の紳士が「耳がガーンとした」とか「欠伸をしたらやつと直つた」とか云つたやうな話をして居る。山を下つて氣壓が變る爲に鼓膜の壓迫されたことを云つて居るらしい。唾を飮み込めば直るといふことを知らないと見える。小學校や中學校でこのやうな科學的常識を教はらなかつたものと思はれる。學校の教育でも時には要らぬ事を教へて要ることを教へるのを忘れて居る場合があるのかも知れない。尤も教へても教へ方が惡いか、教はる方の心掛けが惡ければ教へないのも同じになる譯ではある。

 上野へついて地下室の大阪料理で夕食を食つた。土瓶むしの土瓶のつるを持ち上げると土瓶が横に傾いて汁がこぼれた。土瓶の耳の幅が廣過ぎるのである。此處にも簡單な物理學が考慮の外に置かれてゐるのであつた。どうして、かう「科學」といふものが我が文化日本で嫌はれ敬遠されるかゞ不思議である

 雨の爲に榛名湖は見られなかつたが、併し雨のおかげでからだの休養が出來た。讀まず、書かず、電話が掛からず、手紙が來ず、人に會はずの三日間で頭の疲れが直り、從つて胃の苦情もいくらか減つたやうである。その上に、宿屋階段の連續的足音の奇現象を觀察することの出來たのは思はぬ拾ひものであつた。

 温泉には三度しかはひらなかつた。湯は黄色く濁つてゐて、それに少しぬるくて餘り氣持がよくなかつた。その上に階段を五つも下りて又上がらなければならなかつた。温泉場と階段はとかくつきものである温泉場へ來たからには義理にも度々温泉に浴しなければならないといふ譯もないが、すこしすまなかつたやうな氣がする。

 他の温泉でもさうであるが、浴槽に浸つて居ると、槽外の流しでからだを洗つて居る浴客がざあつと溜め桶の水を肩からあびる。そのしぶきが散つて此方の頭上に降りかゝるのはそれ程潔癖でないつもりの自分にも餘り愉快でない。此れも矢張り宿屋蓄音機を持ち込み、宿屋東京音頭を踊る Permalink | 記事への反応(0) | 18:19

2025-10-23

今思うと平成初期(90年代)ってエネルギッシュだったよなあ

失われた10年のはずなんだけど

JPOP黄金期でもあったし

通信自由化競争も起こったし

Windows95も出たし

ゲーム機戦争も活発だったし

毎年のように新作ガンダムが作られてエヴァも出てきたし

世相は暗かったけどなんか楽しかったような気もする

2025-10-21

黄金頭さんの病気、某語学YouTuberも患ってたけどなんか医療的なブレイクスルーがあって発見されやすくなったりしたのかな?

2025-10-19

ポケモン帝国サラミス――海に沈む“創造艦隊

紀元前480年、サラミス海峡ペルシア艦隊ギリシア連合軍に敗れた。数に勝り、富と威勢に溢れていたのはペルシアだったが、その力は狭き水路で身動きを失い、華やかな艦隊は互いに衝突し、炎上し、海に沈んだ。――それは、いまの「ポケモン」そのものではないか

 新作『Pokémon LEGENDS Z-A』。かつての革新作『アルセウス』が広げた自由発見の海は、もはや企業の都合によって狭められた「湾」へと変わってしまった。プレイヤー冒険するのは、未知なる世界ではなく、管理されたストリーミングエコノミーの中だ。推しポケモン推し地方推しデザイン――すべては計算された“感動”の配置。自由な航海はもう許されない。

 ペルシアクセルクセスは、圧倒的な物量でギリシア制圧できると信じていた。だがその思い上がりこそが、狭海での壊滅を招いた。いま任天堂ポケモン社も同じ錯覚に取り憑かれている。ブランドの厚い装甲、世界IPという巨大艦――それを頼みとしすぎたあまり、機動力も柔軟性も失った。

 「Z-A」というタイトルは、AからZへ向かう進化物語を逆行させるものだ。つまりポケモン進化はもう終焉を迎えている――自ら退化の航路を選んだということだ。かつて世界に“冒険”という風を吹かせたポケモンは、いまや自らの黄金の船体を誇示するばかりで、風を恐れ、海を恐れ、港に錨を下ろして動かない。

 だが歴史が示すように、海は決して一国のものではない。サラミスの海がギリシア勝利によって新たな時代を開いたように、ゲームの海もまた、いつの日か新しい勢力に奪われるだろう。ポケモン帝国艦隊は、いま静かに燃えながら沈みつつある――その海原を、次なる創造者たちが進む時が来ている。

 サラミスの海は今日も波立っている。あのとき沈んだのはペルシアの船だったが、次に沈むのは、ポケモンの巨大な“方舟”かもしれない。

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