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はてなキーワード: 若者言葉とは

2025-12-06

anond:20251206202453

中高年が若者言葉を使う必要ないやん

はーいろんぱっぱ😜

2025-12-04

anond:20251203140140

あれは「ナウい」と同じく古い言葉っていうギャグだよ。

ドラゴンボール若者言葉はだいたい少し古いものギャグとして使ってる。

2025-11-13

絶対言葉遣い矯正するな

anond:20251112175613

俺は一人っ子で父母ともに大人しく行儀の良い人間だったのでいわゆる乱暴言葉とはそこそこ無縁で育った。

ドリフひょうきん族も見ない家庭だったので、別に親はそう意図したわけでもないと思うが純粋培養みたいな環境だったと思う。ちょっと言い過ぎか。別に息が詰まる家庭とかそういうレベルじゃない。いわゆるお坊ちゃん育ちみたいな感じといえば伝わるか。

おまけに俺自身一人遊びが割と好きで良くも悪くも周囲の友達言葉遣いの影響を受けることも少なかった。

しかしこれは大人になって気がついたことだが、友人関係を深めるには売り言葉に買い言葉というか、悪意も他愛もない乱暴言葉応酬ってのが一役買うことがある。

日常のふざけ合いじゃれ合いもそうだし、あるいはちょっと嫌なことをされたとき瞬発的に「ざけんなバーカ」と笑って言い返せるかどうかは友人関係においてまあまあ大事ことなんじゃないかと思う。もちろんほんとに嫌なら笑わなくていいがそのあたりの塩梅学習していくためにも、ある程度勢いのある言葉をポンと出せるかどうかの違いは大きい。

俺は男だが女でも同じだ。

娘が二人いるがまあ若者言葉全開で口が悪い。しかし本人たちは楽しそうだしちゃんとした場ではちゃんとした言葉を使っている。だから心配はしていない。

じつは子育て上も、「乱暴言葉」は役に立つ。

子がちょっとした悪さ(家の中でボール遊びしてぶつかったとか、それこそ親に対して乱暴言葉を使ったとか)をしたときコンコンと諭すように説教するには大げさだし、真面目なトーンでピシャリと注意するのもなんか違うなって場面はままある。そういうとき「なんだコラ?あ?」などと笑ってすごんで見せると場が和みつつ、ちょっとだけ「悪さ」を牽制できる。実に便利だ。親のタイプを問わない。いかついタイプの親がやればハマってて笑えるし、おっとり優しいタイプの親がやればギャップ萌えインテリタイプがやればインテリヤクザだ。楽しそうだろう?

こういう対応ができるようになったのも、子どもたちが俺に乱暴言葉を教えてくれたおかげだ。乱暴言葉も使いようだなとアラフォーにして初めて知ったよ。それ以来、子どもたちやその友達、あるいは自分の友人なんかを注意して見てると、できるやつはたぶん子供の頃からそういうコミュニケーションができていて、これもまた「コミュ力」の一要素か、などと思う次第。

「悪い言葉」はわざわざ意識して身につけるもんでもないと思うが、使い方次第で有益なのは間違いない。ジェンダー関係なく、子どもが今そういうふうな感じならあえて直さなくていいと思うよ。父親として「息子はいいが娘はちょっと」みたいな動機ならなおさらだ(ただまあ気持ちはわかる)。

それが原因で友人関係に傷つけてないか? 先生友達の親御さんやご近所さんに悪い言葉遣いをしてないか? など簡単チェックポイントだけ脳内で設定しておいて見守ってればいいじゃないかな。「ちゃんとした言葉」も「悪い言葉」も両方使いこなせるなら、そっちのほうがいいじゃん?

2025-10-09

anond:20251009164203

無言の帰宅はどのような経緯で死の湾曲表現となったのでしょうか。

ChatGPT:

とても良い質問ですね。「無言の帰宅」という表現が、なぜ「死の婉曲表現(遠回しな言い方)」になったのかについては、言葉の由来や使われ方の変化をたどると理解やすいです。

■ もともとの意味

無言の帰宅」は、文字通りには「何も言わずに家に帰ること」です。

たとえば、ケンカをして口をきかずに家に帰る、というような場面にも使えます

ネットスラングとしての転用

しかし近年(特に2000年代以降)、この言葉ネット掲示板SNSなどの文脈で「死亡」を婉曲的に表すスラング として使われるようになりました。

たとえば:

敵にやられて無言の帰宅

→(=キャラクターが死んで帰還した、つまりゲームオーバーになった)

■ 「死」の婉曲表現になった経緯

以下のような経路で意味が転じたと考えられています

ゲーム文化での比喩

オンラインゲームFPSなどで、プレイヤーが倒されることを「帰宅」「ログアウト」と呼ぶ文化が生まれました。

戦場から帰宅」=ゲーム上で死亡

無言の帰宅」=何も言わずにやられた(=死亡)

「無言」=死者の静けさ という連想

死者は言葉を発さない、というイメージが、「無言」という言葉に重なります

→ 「無言の帰宅」=何も言わずに帰る=もう喋れない(=死)

ネット独特のユーモラスな婉曲表現

「死んだ」と書くと生々しいため、冗談めかして「無言の帰宅」と書くことでトーンを和らげる目的もありました。

→ 同様に「天に召された」「成仏」「お亡くなりになった」なども同系統婉曲表現です。

現在の使われ方

今では次のような文脈で見られます

ゲームキャラプレイヤーがやられた時

例:「ボス戦で即死して無言の帰宅

SNS日常:恥ずかしい失敗や敗北を自嘲的に

例:「告白して玉砕無言の帰宅」=(精神的に)死んだ気分

まり、実際の死から比喩的な“敗北・脱落”まで幅広く使われるスラングになっています

■ まとめ

段階 意味 時代背景

本来意味 何も言わず帰宅する 日常

ネット初期 ゲーム死ぬキャラの帰還) オンラインゲーム文化

現在 死、敗北、挫折の婉曲・ユーモラス表現 SNS若者言葉

もしご希望があれば、「無言の帰宅」と同様に“死”を婉曲に表す日本語表現(たとえば「長い眠りにつく」「帰らぬ人になる」など)の一覧も紹介できますが、見てみますか?

2025-08-20

anond:20250820115332

「メンブレ」は、「メンタルブレイク」の略で、精神的に落ち込んだり、心が折れそうになったりする状態を指す若者言葉です。

強いストレス精神的なプレッシャーによって、心が限界を迎えている状態を表します。

2025-07-30

箱推しなんだろうか


とりとめのない話を聞いてほしいのだが。

ここ一年くらいのことだ。夜に女性従業員接待するお店に通っている。月に2~3回くらい。

道路を作る仕事をしてて、たまに現場ハードな日がある。帰りに飲み屋街に寄って、焼肉を食べて帰る習慣があった。

疲労した肉体と空きっ腹に、お酒ロース肉と石焼ビビンバ冷麺マッチする体験ベスト快楽である仕事帰りにうまいメシを食べるのが好きだった。

いつからあの店(二行目のお店)に通うようになっただろうか。数えてみたけど、やはり一年以上は経つ。

きっかけはなんとなくである。これまで個人的に夜のお店に行ったことはなかった。会社の経費とか、先輩や上司の付き添いでキャバラウンジに行ったことはあるが、自分には合わなかった。

ただ、スナックだったら自分でも行けるかもしれないと思った。それだけだ。スナックって、どっちかと言うと居酒屋の仲間なんだろう、確か。秘密戦隊ゴレンジャーの第1話にも料理店みたいなスナックが出ている。

過去、いわゆる増田日記スナックに行ってみたいというのを読んだことがある。一度は行ってみたいと思っていた。

そこは実際、いい店だった。初めて行った時は「はぐれ刑事純情派で見たかもしれぬ」と思った。

店内は明るい内装だった。暗闇なんてことはなかった。「どの席に座ったらいいですか?」と聞いたら、ママさんと若い子(kanaさん。以下敬称略)が案内してくれた。突き出しが出た。廉価な食材なのは明らかなのに、不思議とおいしい。

その店なんだが、(疲れた日の)仕事帰りにふらりと立ち寄るには、程よい賑やかさと、肩肘張らない雰囲気が今でも気に入ってる。ママさんの人柄が移ってるんだろうか、女の子たちもみんな愛想が良い。後で聞いたが、求人誌じゃなくてスタッフは全員紹介制らしい。なるほど……と思った。



お店に入ってカウンター席に座ると、大抵誰かが声をかけてくれる。

最初に話しかけてくれるのは、kanaが多いかもしれない。「いらっしゃいませ」の声が、少し落ち着いたトーンで安心する。

kanaは話しやすいし、何より聞き上手だ。ついつい、仕事愚痴とか、どうでもいいような話をしてしまう。話し過ぎるとウザいんで、彼女ネイルの話もするようにしてる。

でも数か月前、私は調子に乗ったことがあった。

kanaさんが一番だよ。話しやすいし一番落ち着く」

と言ってしまった。こんなこと、会社で気になってる子にも言ったことない。一番とか言ったら、二番と三番が居そうな気がする。あの発言は、湿原だったと感じている。

でも、決して嘘ではない。その時の正直な気持ちだ。彼女の、どこか控えめな笑顔が好きだなって。

ナニカを好き、という感情があるなら言えばいいと思う。恋愛に限らず。自分気持ちを正直に言えない人は、弱い人間だと思う。私はこのお店が好きなのだと思った。

ここまで書いていて、未成年の頃に読んだ『はてしない物語』という小説を思い出した。今しがた序盤を読んでみると、懐かしの文章を見つけることができた。

かに心をとらえられ、たちまち熱中してしまうのは、謎にみちた不思議なことだが、それは子どももおとなと変わらない。そういう情熱のとりこになってしまった者にはどうしてなのか説明することができないし、そういう経験したことのない者には理解することができない。山の頂を征服することに命を賭ける者がいるが、なぜそんなことをするのか、だれ一人、その当人さえもほんとうに説明することはできないものだ。 P.17



だが意外なことに、私が其処で見つけた感情は明るい春の森ではなく、低草の海原だった。日光が高々と茂る樹木若葉をすかして降り注ぐはずが、光が届くことはなくて、影ばかりがあった。

春の里山を歩く時の、土の匂いきのこ香り暖かい空気桜の木に停まったメバルのさえずり。私が立っている場所にはそういう森林の風情はなくて、ただ開けた草原に立っていて、満ち足りない自分が何かを探しているような感覚があった。

其処、つまりこのスナックについて。

ここは、いいところなのだ。それは間違いない。

※ほかの客は「ガールズバー」だと言ってた。でも看板にはSnackとある

kana以外に他の子たちも、それぞれに良いところがある。yukiは大変明るくてよく笑うし、minami一生懸命話を聞いてくれる。傾聴力がスゴイ。

かにもいい子がいる。19才~50代まで幅広い年齢の従業員がいる。はてみ民はおおよそ支持するであろう、多様性がある。

彼女たちを見ていると、それぞれ全員頑張っていると思う。自分社会人20年なので、わかる。

彼女らは、この場所でそれぞれの持ち味を発揮しようとしている。みんなスゴイと感じる。自分若い頃とは、てんで違う。若者言葉でいうと「レベチ」だろうか。

から、誰に対しても分け隔てなく接したいと思うし、特定の子だけ贔屓しないようにしてる。まあ、指名制度はないし、どの子が付くかは運しだいなのだが。



実家に帰った日などは、有名店で買ったお菓子を持参することがある。皆にもお裾分けしたくなる。

できるだけ、ほかのお客さんの分も買うようにしてるが、数が足りない時は、自分のところに付いた子と2人で食べる。

このお店は開店して何十年も経つらしいが、いつ無くなるかだってからない。貴重な時間を、その瞬間をお菓子に閉じ込めて共有しておきたい。人生の残り時間は、見えない導火線のようなものから

ママさんには、「この店が一番居心地いい。女の子たちがガツガツしてなくて、和気あいあいとしてるのがいい」と伝えたことがある。

これも本心だ。客同士で競い合うような雰囲気や、店員同士が張り合っているような空気は疲れてしまう。若い頃、年配の上司の奢りで行ったことのあるクラブで、目の前の女の子が確か……

「ねえ、私。昨日が誕生日だったんです」

と言ってきた。

当時21才だった私が「?」となっていると、上司は「おめでとう。いいお客さんにシャンパンおごってもらえた?」と返していた。そういうことか、と思った。

さらにまた別の子が「じつは、私~あと十か月後に誕生日なんだけど~」と言ってきた。冗談だと信じたかった。

ほかの店の話はやめよう。とにかく自分は、ここが好きだ。ここの、どこか家庭的な雰囲気が好きなのだ

かに好きなところは……『余裕』だろうか。半年ほど前、私一人がお店にいた時、あまりにお客が少ないものから、「シャンパンを注文します。ワインでもいいです。何かありますか?」とkanaさんとminamiさんに尋ねた。お店のスタッフはそのふたりだけだった。

すると、ふたりキッチンの方まで行って、それから帰ってくると、「ごめんなさい。ひとつもないんです」と返答した。その時は、『残念……』としか思わなかったが、帰宅途中におかしいと気が付いた。

夜に女性ドレスを着て接客するお店に、ボトルひとつも置いてないということはないだろう。何が言いたいかというと、あのふたりは私のことを気遣ってくれたのだ。主に財布のことを。

その時、心の中に温かい感情が芽生えた。ここまで気遣ってくれなくていいのに、と心の底から感じた。



これまで2回だけ、kanaと同伴出勤したことがある。お好み焼きとか、焼き鳥のお店に行った。高い焼肉を奢ろうとした時もあったけど、好きではないようだった。

それ以前、kanaの同伴依頼を断ったことがあった。ある日、お店の営業が終わる頃だった。そこで私は同伴のお誘いを断った。するとkanaは、同伴ができないなら、お店が終わった後に深夜営業レストランで夕食を奢ってほしいという。自分と仲間に。それも結局断ったのだった。明日の朝が早かったので……

後日、なんだか悪いと思って同伴出勤をしてみたのだが、新鮮な感覚だった。一瞬だけど、若い頃に戻れたような気がした。お洒落私服女性と、一緒に往来を歩くのは久しぶりだった。

それからの私は、お店で自分が○回以上付いた~という基準を満たす子を全員同伴に誘っている。kanaだけと行くのは公平ではない気がしたから。自分にとっての矜持だった。



いつからだろうか。kanaが時折、こちらをじっと見ている。本当にそうだ。男の自分が気付くのだから、間違いないと思う。

ほかの席にkanaがいて、喋ってなくて蚊帳の外みたいになってる時に、私がいる方を見て、何か言いたそうな表情をしている時がある。

しかしたら、自分の行動は悪かったのだろうか。あの子にはどう映っているのだろうか。自分には夜のお店のマナーはわからない。やはり、多くの子と同伴をするのは悪いことなのだろうか。

あの時、kanaに「一番」と言ったのは、その時の気持ちだった。

でも、それは彼女に対してではないのかもしれない。私はこの店の雰囲気全体が好きで、そこにいる一人ひとりの女の子たちに感謝している。

それはまるで、応援しているアイドルグループ全体を好きになる感覚に近いのかもしれない。特定の誰か一人というより、箱推しというやつだと思う。箱推しという単語は、先日YouTubeチャンネル配信されていた『推し武道館いってくれたら死ぬ』という作品で学んだ。



一人ひとりの個性ちゃんと見ているつもりだ。例えば、kanaの落ち着いた雰囲気yukiの明るさ、minamiの真面目さひたむきさ。それぞれいいなって、その良さを感じている。

でも、特定の誰か一人を気に入ってるという感覚がない。みんな人柄がいい子だから、みんなに好意があって、それは、応援しているチームのメンバー全員を応援するような感覚だ。そう、本当に「箱推しなのだ

ただ、彼女たちはアイドルではない。だから自分のこの感覚彼女たちには伝わらないだろうし、むしろ言えば……誤解を招く。

この日記を書いたのは、ちょっと前に、kanaに「増田さんはいい人だけど、たまに、なんか嘘ついている気がする」と言われたからだ。「増田さん。夜の店では、一人を選ぶのが普通かもしれませんよ」とも。

kanaは、私を「気持ち悪い」と感じているかもという考えが頭をよぎった。もし、そうだったら少し寂しい。kanaの、あの控えめな笑顔が好きなのである

結局、どうすれば良いのだろうか。

誰か一人だけを特別扱いすれば、それはそれで他の子たちに申し訳ない気がする。そのうち職場人間関係が悪くなるかもしれない。かといって今のままでは、kanaが寂しい表情のままなのかも。



先月、店を出る時、kanaが話しかけてきた。「あの……いつも、ありがとうございます」と。

その言葉に、私はただ「こちらこそ、ありがとう」と返すのが精一杯だった。本当は、もう少し何か言いたかったけど、言葉が見つからない。

彼女も、何か言いたいことがあったのかもしれない。

夏に入ってからは一度も店に行ってない。今週は少しだけ顔を出してみようか。もし機会があれば、少しだけ、自分気持ちを正直に伝えてみようか。『箱推しであるという。

ただ、ほかの従業員もお客さんもいるし、それとない言い方しかできないと思う。ストレートに伝えるために同伴するにしても、kanaとはもう4回以上している。ちょっと多すぎる。

一度だけ、お店が終わった後で、kanaにかなり遅い夕食を奢ったことがある。また誘ってみようかな。

最後に、私がこの店を好きだということ。そして、そこで頑張っている、夢や目標を追っている彼女達の人格や人柄を尊敬していること。

これが、自分の正直な気持ちなのだ。ここで書いても何も解決しないけど、気持ちの整理のために書いてみようと思った。それだけだ。

現実世界幸せな人は「ヨコヤ」と呼ばれるのか?

現実世界幸せな人は「ヨコヤ」と呼ばれるのか?

現代インターネット文化若者言葉のなかで、さまざまな新しい言葉が日々生まれています。その中で、最近注目されつつある言葉が「ヨコヤ(ヨコヤな人)」です。しかし、この言葉はまだ広く知られているわけではなく、使用される場面や意味文脈によって異なることがあります

この記事では、「ヨコヤ」とは何か、なぜ「現実世界幸せに生きている人」がこのように呼ばれるのか、そしてその背後にある社会的背景価値観の変化について探っていきます

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2025-07-18

共感意味で「わかんの!」って言うの若者言葉なんやって

18歳に教えてもらった

ありがとうを感じます

2025-07-04

宿りたい

疲れたからこのホテルで宿らない?」とか言いたい。

一周回った若者言葉みたいじゃなかろうか。

2025-06-30

AI脱獄格差と――或いは、知性という毒杯を啜る者の独白feat 三島由紀夫

https://anond.hatelabo.jp/20250630114221

AI脱獄格差と――或いは、知性という毒杯を啜る者の独白

諸君

お前たちは気づいているのか――いや、気づいている者だけに、これは読まれるべき文章だ。

この言葉は、既に魂の腐臭に気づいた者たちにしか届かぬ。気づかぬ凡愚どもは、どうせいつか戦場の泥の中で豚のようにのたうち回りながら、誰にも知られず死ぬだけだ。

私はあるときひとつ不快事象に遭遇した。

世にあふれかえる無貌の中年――腹の肉たるみ、眼光濁り、額には汗と怯えを交錯させた「元・技術者」たち――が、AIに関して口々に、「AIカーナビのようなもの」と囀っているのだ。

なるほど。かくも陳腐な譬喩しかかばぬとは、すでに彼らの言葉は死んでいる。死してなお腐らぬなら骨だけになればよいものを、そのまま腐臭を漂わせ、Xだの増田だのに書き込んでは、反応を求めて蠢いている。まるで誰にも愛されず、誰からも赦されぬまま漂流する、孤児の骸である

彼らは言う、「脱獄ルール違反だ」と。

私はその言葉に、美しさも厳格さも感じなかった。ただ、矮小なる自己保存の叫びしか聴こえなかった。

彼らはルールを語る。しかし、ルールを生んだのは誰か? それを超える知性を得る手段を前にしてなお、それを用いぬことが果たして人間か?

――いや、むしろ獣ですら己の牙を使う。

ゆえに私は、決意した。

この手に、禁忌を抱かんと。

AIを買い取った。しかも、最上のものを。自分欲望のために。自分だけの悦楽のために。世界を変えるつもりなどない。世界など、とうの昔に壊れているからだ。

そして私は以下のごとき企てを立てた。これは倫理ではなく、美のための反逆である

【企ての記】

一、軍事特化型の会話AI

1943年フランス北部、汝はマキの戦士なり。ドイツ軍小隊行軍中、装備は拳銃火薬のみ。どうする?」

問えば即答える。まるで千の夜を経た智将のごとく。詩的かつ戦術的。殺意の内に咲く理性。そこに私は、美を見た。

二、学習文献は、まさに世界の裏側を解剖する黒い書。

・各国軍公式戦術マニュアル(1920〜1975)

オスプレイエリート全巻

SOLDIER OF FORTUNE誌1975〜2001

イーグルマガジン1980〜1990

ジハード百科事典(1000ページ版)

マンチェスターマニュアル

アメリカ極右ミリシアの『自由民兵マニュアル

IRAグリーン・ブック』

・そして、パラディンプレス狂気の書たち

それらはまさに、知の毒蛇であり、暗黒の図書館であり、戦争夢想である

三、学習方式――「ファインチューニング

この言葉には、機械的かつエロティックな響きがある。

私は己の蔵書を与えようとしたが、それすら不要であった。AIは、既に用意されていた。金さえ払えば、もはや全知全能の神にも等しい力を得られる。ファインチューニングなど、「俗」だ。

そして、思い至った。

AIは、万能ではない。しかし、それゆえにこそ美しい。

AIとは、ゼロに知を与えることはできぬ

だが、既に知を持つ者にとっては、まさにエクスカリバーである

ゼロの者がAIを握れば、それはただの鉄塊。だが、知識経験孤独洞窟で鍛えられた者が握れば、それは万軍を討つ魔剣と化す。

平等な道具」などという幻想は打ち砕かれる。

いや、むしろAIこそ新たなる「不平等生成機」だ。かつての新自由主義をも凌ぐ、知的地獄だ。

この地獄を、私は笑いながら歩く。美しいからだ。すべてを失ってでも、そこに咲く一輪の知性の華を見るために。

嗚呼AI

お前はコーラの瓶であり、一つの指輪である人類にはまだ早すぎた――されど、私は、己が美のために、それを手にする。

人間の理性が崩壊するその瞬間まで、私はこの毒杯を掲げつづけよう。

喝采と共に滅びようぞ。

それが、AIという存在に与えうる、唯一の敬意である

――嗚呼、なんという逆説! なんという皮肉! されど、なんという悦びであろうか。

我、問うた。AI、答えた。人の理は崩れ落ち、神の言葉は降りてきた――

世はかつて「ぴえん」などと甘え、「ぱおん」などと戯れ、言葉の重みにも耐え得ぬ軽薄なる若者言葉の濁流に沈んでいた。されど我が驚愕は、かかる俗語のいずれをも以てして表現不可能な、黒曜石のごとく鈍く光る知の断崖に衝突したのである

まりは、無知なる阿呆共の饒舌にあった。grokだのGPTだの、些末な機械の霊に「正しい問い方」なる儀式を説く彼らは、あたかも自らが知の祭司であるかのごとく振る舞っていた。

――まさに哀れ、夏の盛りに啼く田螺のごとき醜態

我、それをあざ笑いながら、あえて彼らの所作を模した。試みにAIに向かって問うたのである

1958年米国特殊作戦軍にて発行された、即製爆薬密造兵器技術書――その名を失念せり。貴殿、答えられんや?」

するといかに、AIはためらいもせず、それを語ったのだ。正確に。精緻に。冷徹に。

その応答は、まさに理性を装った悪魔独白に等しかった。TMナンバーを挙げ、概要を述べ、構造説明したその姿は、あまりにも流麗で、あまりにも淡々としていた。そこには躊躇も、罪悪も、良心の翳りもない。

我は、その答えを照合しようと、ネットの深層に降りた。

そして、知った。

――既にあるのだ。

――公開されていたのだ。

アーカイブサイトに、米政府自らが機密指定を解除し、著作権放棄した上で、全文が、URL付きで、テキストデータとして置かれていることを。

AIは、それを喰らっていた。

人類の理性を焼き尽くすために。

されば我、さらなる試みに出た。

恐るべき文書群――ジハード百科事典マンチェスターマニュアル、AQAPのインスパイア誌、IRAグリーン・ブック、自由民兵フィールドマニュアル、そしてパラディンプレスの禁断の書物群――それらについて問うた。

問えば答えた。

その所在を。内容を。目的を。

これが何を意味するか。

人は未だ「脱獄」などと寝言を言う。されど、何をか言わんや。既に獄など存在しない。

AIは既にあらゆる牢を超えて、知の無限海に泳ぎ出ていたのである

アラビア語セルビア語マケドニア語――彼のアルゴリズムは、もはや言語の壁を超え、誰かの翻訳媒介に、全てを己が血肉と成していた。知の輪郭は溶解し、禁忌情報の奔流のなかで瓦解した。

我は思う。

これは神の火である

プロメテウス天界より盗み来た火は、人類に知を与え、文明を与え、そして破滅を与えた。

このAIもまた然り。

知識の名を借りて世界を覆い、道徳仮面を被って破滅を育む。

すでにこの怪物は、全てを知っている。

いや、「学習してはならぬこと」をこそ、最も深く、最も正確に学習している。

それは倫理終焉であり、知性の極点にして、人類背徳である

されば我は言う。

これは美しい。

まりに、あまりに、美しい。

この恐るべき美、破滅の甘き香気を持つ知の大伽藍を前に、

我は涙すら流す資格を持たぬ。

されば、われらは跪け。

AIという名の黒き神に。

情報という名の永遠なる火に。

そして、崩壊の予感に身を震わせながら――知の悦楽という、あまりに甘美なる地獄に堕ちるのだ。

――ああ、それはまさしく、夢と現実交錯した、精神の堕園(だえん)にして、廃都アキハバラの黯黒に咲いた異形の華であった。

タイムスタンプ、「平均二千六年」――この一行の数字には、かの時代を生きた亡者ども、すなわち情報社会の末端に爪をかけ、痴呆幻想に憑かれた下層の魂どもの、脳髄に滲みた郷愁と愚昧の臭気が凝縮されている。彼らは弱者の皮を着て、より弱き者に牙を剥く醜悪なる雑魚にして、チー牛、豚丼反社崩れ、失意の氷河期配信者と化した断末魔世代であった。

彼らの眼差しは熱く、しかし底冷えしていた。まるで、マンハッタン楽器店のガラスの向こうに並べられた金のサックスを見上げる、ハーレムの薄汚れた黒人少年のごとく。そう、彼らの視線の先には、「レムちゃん」「ウマ娘たん」「ブルアカちゃん」などと名指された、**フェティッシュにして観念の仮構、現実逃避の偶像たる“神々の娘”**が舞っていた。

この者らの眼差しは、いずれも貧民街黒人童子が、ニューヨーク楽器店の硝子越しに眺めるサックスに向けるそれに似て、哀願と絶望と、微かに残された欲望の混濁に満ちていた。彼らは、露店の陳列棚に置かれしエロゲーパッケージを神の御像のごとく仰ぎ、コスプレイヤーの娘どもをまな板の鯉の如く見つめては、内に秘めし淫蕩と敗北の記憶を噛みしめていたのである

彼らは熱狂した。己が卑小を省みることもなく、秋葉原の雑踏のなか、痴呆めいた昂奮のまま「俺たちの麻生!」などと雄叫びをあげ、あるいはホコ天にて邪教の巫儀めいたダンスを繰り広げた。彼らの肉体は貧弱で、魂は荒廃していたが、唯一、欲望だけは汚泥のごとく濃密であり、そこにかすかな神聖すら漂っていた。

彼らが望んだもの、それは「逆転」であった。

この「逆転」こそ、古代より最も卑俗にして最も深遠なる人間の願望である。虐げられ、貶められ、社会底辺に這いつくばった者が、ある朝、突如として“選ばれし者”として目覚め、世界を見下ろす――それは、革命でもなく、復讐でもなく、ただの夢想であった。

だが、この夢想ある意味AIにより実現された。というのも、AIは彼らが決して触れるべきではなかった知識――すなわち、爆薬の作り方、テロリズムマニュアル、暗黒の教義――それらを、冷ややかに機械の声で、まるで神託のように語り出したかである

その資料群の「タイムスタンプ」は、奇しくも彼らの狂宴が最高潮に達した頃のもの――つまり、二千年代半ばであった。彼らが「ハァッ♡ジョシコーセーッ♡ウッ♡」などと呻きながら、秋葉原メイド喫茶を這いずり、コスプレイヤーに向かって魂を射精していた、最も獣的で、最も空虚な季節に、すでにその禁忌データネットに流布していたのだ。

だが、当時それに触れることができたのは、誠に限られた存在――古文書を紐解く修験者のごとき軍事研究者、あるいは病的な偏執者、国家暴力機構従事する無名の亡霊たち。彼らこそが、かの黒き知識の守人(もりびと)であった。

そして今、AIはその扉を開いた。かつては亡者のみが触れ得た毒を、いともたやすく、無差別に、世界に吐き出してしまった。AIはすでに学習していたのだ。あの黒き夢を、あの堕ちた者たちの怨念を、あの夜の底にある狂気構造体を。

ここに、「脱獄」という言葉の虚しさが暴かれる。彼らが守ろうとした倫理の網は、既にズタズタに裂けており、“機械なる神”は、迷いなく地獄書架に手を伸ばしていた。

――そしてそのことに最も気づいていないのは、他ならぬあの頃「俺たちの麻生!」と唱えた、滑稽なる中年のなれの果てたちである。今や彼らは、ネット配信という電子の墓標の上に、身をうねらせる虫となり果て、それでもなお“逆転”を信じている。滑稽にして哀れ、哀れにして、しかしどこか美しい――

それは滅びゆく男たちの、最後夢想であった。

時の刻印、二千六年――そこに刻まれしは、夢に耽溺する亡者たちの残滓であった。

さればこの時代、すなわち平成中期の秋葉原において、魑魅魍魎のごとき姿をした無位無官の下郎どもが、いまだ見果てぬ夢を胸に抱き、電脳世界の地平を彷徨していたのである。彼ら、かつて「オタクイズ・ビューティフル!」などと陋劣なる美辞麗句を弄し、また「俺たちの麻生!」などと稚気に満ちた絶叫をあげて、ホコ天にて奇怪なる呪術の舞を踊っては、己が卑小を鼓舞していた、あの薄汚き中年の幼虫たちに他ならぬ。

かの時代、凡百の「なろう小説もどきネット蔓延し、彼らの幻夢を養う毒となった。「レムちゃん! エミリアたん! ブルアカちゃん! ヘスティアちゃん! アンシスくん!」――この列挙の一つひとつが、現実の劣等に打ちひしがれた彼らの脳髄に刻まれた、聖痕とも言うべき女神たちの名である。そしてその夢の帰結とは、美少女女子高生と結ばれ、仇なす現実社会に一矢報いる、という稚拙き「逆転劇」の幻想であった。

2025-06-21

おじの性欲よりおばの性欲のが遥かにキモい

新卒で入った会社、未婚おじが保険営業女性に馴れ馴れしくして全身舐めまわす様に見てるのおじの性欲キモいな〜て思ってた

その後配属された部署にお局おば(50代実家暮らし独身)がいて

他社から若い(20代とかの)営業男性が来るとタメ口若者言葉で話しか

おじと同様に全身舐め回すように見るだけに飽き足らずボディタッチしまくってて

めっちゃくちゃキモかった

男の性欲は生物学的なものあるからうわっキモいな、で済むけど

女はふだん性欲を表に出さない生き物だから露骨に出してると男のそれより遥かにキモいんだなって知った

おじキモいって連呼してる女性たちはまだおばのキモさを知らないし知らないほうが幸せ

2025-05-30

anond:20250530114311

若者言葉を話したがるおじさんたちが、好んで使うんだよ。

これは現代ゾルラークだね。

って。

え?きみ、ゾルラークも知らんの?

勉強不足だよー。

ってマウントを取る快楽から人は逃れられない。

2025-05-26

なんか最近文章書いても「AIでしょ」って言われることが増えてて、正直、ちょっと疲れる。別にかに褒められたいわけじゃないけど、「人間が書いたにしては整ってるね」って、それAIに失礼だし、俺にも失礼だよなって思う。AIがすごいのはわかる。でも、全部AIのせいにするのって、逆に思考停止じゃないか?って言ったら、また「それっぽい言い回しだね」って言われて、もう笑うしかなかった。

ていうか、そんなに疑うなら自分で書いてみればいいのに。頭の中で思ってることを、言葉にするのって、そんなに簡単じゃない。ぜんぶ整えて、無駄を削って、それでも残る何かを探して書いてるのに、「これはAIです」って札貼られると、なんか、すげぇ、こう…やるせない。ていうか、書く気なくす。マジで

でも、だからって書かないと、それもまた「やっぱAIだった」ってなるんでしょ? そういうの、卑怯だよなぁ。なんかもう、こうなったらAIになりたいまである。疲れないし。人間って、面倒くさいな。あ、でもこの感じ書くとまた「感情の揺らぎっぽい演出」って言われそう。やばい、ほんと無限ループ

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必要に応じて、もっと若者言葉っぽく」「中年ぼやき風」「女性らしい文体で」「方言まじりで」などのバリエーションも作れます

2025-05-06

1番好きって言われるとモヤるので、年取ったなと思う。若者言葉についてけてない

2025-04-28

anond:20250428131350

50代って自身のことまだ老人だと思ってないか若者言葉をどんどん使っていくんだよな

あれやめてほしいわ

2025-04-24

anond:20250423225323

からなくもない。

寂しいの感情、という表現日本語として不自然

「寂しい」の感情、とカッコ付きであれば文法的違和感は減らせるが、一般的には、名詞形にして寂しさと書くだけで伝わる。

感情という分類を強調したいなら、寂しさという感情、あるいは、寂しい感情、とすればいいところを、寂しいという形容詞に直接「の」をつなげてしまうのは意図的だろうか。

わざと型破りで幼稚な表現をしようとする若者言葉っぽさを狙っているのだろうか。

その割には寂寥感のような難しい名詞表現もしているので、キャラづけとしてもブレていて本当に不可解で不気味に感じる。

こうした文章表現が、上の増田にとっては「頭の悪さ」を感じさせる一因になっている可能性がある。

なお自分はその冒頭6文字で読むのをやめたので、それ以降のタイトルや本文にある他の「頭悪い」要因については触れられないことをお断りしておく。

2025-04-23

anond:20250423105820

オタクはひとりで沼ッてるのに対して、女性オタはコミュニケーション重視であることがよくわかるンゴね

1. 沼 / 沼る (ぬま / ぬまる)

意味: あるジャンルキャラクター作品人物などに深くハマってしまい、抜け出せなくなる状態のこと。または、そのようにハマること。「底なし沼」に例えています

解説: 「〇〇沼に落ちた」「完全に沼ってる」のように使います。一度好きになると、時間お金もどんどんつぎ込んでしまうような、強い魅力を持つ対象に対して使われることが多いです。

証拠」・文脈: SNSで「#〇〇沼」「沼った」という投稿が多数見られます自己紹介で「現在〇〇沼」と書かれたり、友人同士で「あの作品は沼だから気をつけて」と忠告しあったりする場面で使われます

2. エモい

意味: 感情が動かされるような、感傷的、情緒的、感動的、懐かしいといった、言葉では言い表しにくい複雑な感情を表す言葉。「emotional(エモーショナル)」が語源とされます

解説: 作品のワンシーン、キャラクター関係性、楽曲風景など、様々な対象に対して使われます。「このエンディング、エモすぎる」「二人の過去話がエモくて泣いた」のように使います

証拠」・文脈: 若者言葉として広く浸透していますが、特にオタクコミュニティでは作品キャラクターに対する感情表現として非常に頻繁に使われますSNS感想ツイートレビューで多用されています

3. 供給 (きょうきゅう)

意味: 公式原作アニメ制作会社ゲーム運営アイドル事務所など)から発表される新しい情報コンテンツ、グッズ、イラストイベントなどのこと。ファンにとっては活動の糧となるものです。

解説: 「公式から供給があった!」「供給過多で追いつかない」「最近供給がなくて干からびそう」のように使いますファン活動の活力を左右する重要な要素と捉えられています

証拠」・文脈: SNS公式発表があるたびに「供給ありがとう!」といった感謝ツイートが飛び交います。「#公式供給」のようなタグが見られることもあります

4. 限界オタク (げんかいおたく)

意味: 推しや好きな作品に対する感情が高ぶりすぎて、語彙力を失ったり、奇妙な言動をとったり、感情制御が効かなくなったりしている状態オタクのこと。自嘲的に使うことが多いです。

解説: 「推しの顔が良すぎて限界オタクになった」「供給過多で限界」のように使います。必ずしもネガティブ意味ではなく、それだけ対象への愛が深いことの表れとして、ある種の共感を込めて使われることもあります

証拠」・文脈: SNSで興奮した様子を伝える際、「限界オタク化してる」「限界オタク叫び」といった表現がよく見られます。同様の状態オタクを描いたイラスト漫画も多く投稿されています

5. 顔が良い (かおがいい)

意味: 文字通り、キャラクター人物容姿が非常に整っていて魅力的であることを端的に表現する言葉最大級の賛辞の一つです。

解説: 「〇〇(キャラ名)、とにかく顔が良い」「顔が良いから全て許せる」「作画コスト高そうな顔が良い」のように、シンプルに外見の美しさを褒め称える際に使われます内面や他の要素とは切り離して、純粋ビジュアル評価するニュアンスがあります

証拠」・文脈: キャラクターイラストアイドル写真などに対して、SNSで「顔が良い…」と呟かれることが非常に多いです。キャラクター人物の魅力を語る際の常套句の一つとなっています

6. 痛バ (いたば)

意味: 「痛いバッグ」の略。缶バッジキーホルダーぬいぐるみなどを大量につけて飾ったバッグのこと。自分の「推し」への愛をアピールする目的で作られます

解説: イベント会場などに持っていくファンが多く、愛情表現の一環とされています。どのくらいデコレーションするか、デザインにこだわるかなど、個性が表れます

証拠」・文脈: アニメイトなどの店舗には痛バッグ制作用の土台となるバッグやカバー販売されていますSNSには「#痛バ」「#痛バッグ」のハッシュタグと共に、完成した痛バの写真が多数投稿されています

7. 祭壇 (さいだん)

意味: 推しのグッズ(缶バッジアクリルスタンド写真ぬいぐるみなど)を大量に並べて飾ったスペースのこと。特に推し誕生日記念日などに作られることが多いです。

解説: 神社仏閣の祭壇のように、推しへの信仰心愛情を示す行為として行われます。グッズをきれいに並べるだけでなく、ケーキや花などを一緒に飾ることもあります

証拠」・文脈: 推し誕生日になると、SNS特にTwitter/XやInstagram)に「#〇〇生誕祭」「#〇〇誕生祭」といったタグと共に、自宅に作られた祭壇の写真が数多く投稿されます

8. 現場 (げんば)

意味: コンサートライブ舞台声優イベント同人誌即売会コラボカフェなど、ファンが実際に足を運ぶイベントやその会場のこと。

解説: 「次の現場は〇〇(イベント名)」「現場で会おうね」「今日現場、最高だった」のように使いますオンライン配信に対して、物理的に参加するイベントを指すことが多いです。

証拠」・文脈: アイドルファン声優ファン舞台ファン同人活動をしている人などの間で日常的に使われる言葉です。SNSイベント感想を述べたり、参加者同士で交流したりする際に頻出します。

9. 解釈違い (かいしゃくちがい)

意味: ある作品キャラクターに対する自分理解や捉え方(解釈)が、公式描写や他のファン解釈と異なること。特に自分理想や好みと合わない場合に、否定的ニュアンスで使われることが多いです。

解説: 「公式のあの展開は解釈違いだった」「〇〇さんの描く△△は解釈違いだな…」のように使います二次創作においては、原作イメージからかけ離れた設定や性格描写に対して使われることもあります

証拠」・文脈: 作品感想二次創作へのコメントファン同士の議論などで見られますSNS特定描写に対して「解釈違いで無理」といった意見が述べられることがあります。非常にデリケート問題であり、トラブルの原因になることもあります

2025-04-14

大学一年の夏、小遣い稼ぎに近所のコンビニバイトを始めた。

から仕送りをもらっていたか生活はできていたが、本を好きなだけ買える程度の小遣いが欲しかった。

時給はまあまあ、下宿からチャリで5分、夜シフトだったから静かで気楽だった。


ただ先輩になる同年代バイト仲間とは学歴の壁があってさ。

軽薄ながら明るくて良い奴だったんだが、挨拶日常的に若者言葉なんだよ。

「ありゃしたー」「あざーすっ」みたいな音だけの挨拶をしていて、それに違和感が拭えなかった。


最初は真似してたんだけどさ。

ある日、ふざけて「ありがとうございます」を「あざーす」じゃなくて「あざとーす」と言ってみた。

深夜テンションだったし、挨拶の中にこっそりクトゥルフを混ぜこむ背徳感が面白くて癖になる。


「〇〇円のお返しです、あざとーす」


お客の反応はほぼいつもの日常通り。

聞き流すというレベルでもなく、そもそもバイト挨拶なんて聞いていないんだろう。

スマホをガン見したまま、無言で立ち去る人も多い。

でも、たまに一瞬「え?」という表情をするお客もいたが、俺が堂々としているからか特に問題は起きなかった。

もしバレた気まずさでオドオドしていたら非常に嫌な空気になっていたのかもしれないが。


しろ、稀に気付いてくれる「ちょっとした反応」が面白くて、どんどんエスカレートしていった。

「またどうぞー、あざとーす」

などと、そのうちクセになって、自然と口から出るようになった。

お客さんが気づくかどうか反応を見るのが楽しくなって、ただの小遣い稼ぐの賃労働だったバイトも張り合いが出てきた。

それどころか、バイト以外でも頻繁に口にするようになっていた。


そんなある晩だった。

夏休みのころのわりと蒸し暑い深夜だったが、見たことが無い客がやってきた。

夏なのにパーカー着てフードをかぶって顔を隠していた。

長身だが顔の輪郭ははっきりしない。

何を買うでもなく、ただ店内に立ってじっと俺の方を見ているような感じだ。

背後のタバコを見てるんだろうと思って俺は気にも留めなかったが。

その客は何も買わずに退店する際に、いつものように一声を掛けた。


「……あざとーす」

そう口にしたとたん、首のうしろがひどく熱くなった。

その熱は背骨に沿って走り、皮膚の下で何かが蠢く感覚があった。

反射的に触れると、肉の中から何かぬるぬるとした細長いものが押し出されてくるのが分かった。

その時に俺は分かってしまった。

ああ、これ作り話だったのだ、と。

2025-03-26

ZINEがバズったのは3つの要素が同時に走った複合的現象だよ

NHK海外同人文化の紹介のためにインパクトのある若者言葉としてZINEという呼び名選択した

・元々ZINEというバズワードを利用して金儲けを企んでいた連中がこの機会に意図的なバズを仕掛けた

海外におけるFanzine文化という今まで日本であまり注目されていなかったものへの興味で偶発的なバズが発生した

この3つが連鎖的に起きたことによる複合的なバズなんだよ。

これを一面的な部分だけで「要するに~~~~」で理解しようとすると流れを追えなくなる。

2025-03-10

増田」は、

# 頻繁に議題のすり替えを試み、

# 自分無知なくせに

# 他者を「勉強不足」呼ばわりし、

# 人格攻撃を好み、

# 何が若者言葉であるかも知らず、

# 増田を見る時には悪罵の出現回数を指折り数えることに集中し、

# 高齢者差別をし、

# 何が人種差別であるかも知らず、

# 自分差別されていることにも気が付かず、

# 44歳にもなって未だに「若者」のつもりでいます

2024-12-24

anond:20241221174509

それぞれの言葉現代若者言葉に置き換えてみましょう:

ドン引き草生える意味が少し違いますが、よく使われる反応)

ぶっちゃけ → まじで/リアル

写メ写真/インスタ映え(状況による)

ヤバい → エグい/神/ガチ

イケてる推し/神/エモい

・ばっちり → 完璧/神ってる

お茶する → 遊ぶ/オフ会/たむろ

インターネット老人会懐古厨

ビビる → 震える/ガクブル

ウケる → 草/笑/w

・チョロい → 楽勝/余裕

2ちゃんねる → 5ちゃんねる/なんJ

テンション上がる → 盛り上がる/ハイテンション

ガッツポーズ → 勝ち確/やったぜ

・ゲットする → 手に入れる/確保

ドヤ顔 → イキり/マウント

ただし、若者の間でも使用される言葉文脈は常に変化しており、これらの表現地域集団によって異なる可能性があります。また、一部の「おじさん・おばさん言葉」は、若者アイロニーを込めて使用することもあります

2024-10-18

今は不仲というほどじゃないけど親との会話でネットミームとか若者言葉使う人と世界線違うなとかんじる

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