はてなキーワード: 貞潔とは
示された内容は「イスラム教の基本」として述べられていますが、同様の主張を支持する宗教的な原典(クルアーン、ハディース)や、正統なイスラム法学(フィクフ)の立場を示す学術的・公的な資料は確認できません。イスラム教学、イスラーム研究の専門書、または信頼できる解説書・学者による解説を確認しても、そのような言説は見当たりません。
イスラム教学上の実際:
イスラム法やイスラム社会において、女性が単独で外出したり、髪や肌が見える場合、それが「売春婦」と見なされるといった一般的・正統的な主張は存在しません。また、「男性が自由に取って食って良い」というような表現はイスラム法の価値観や倫理に強く反するものであり、そのような解釈を正当化する根拠は全くありません。
ネット上や差別的な風評の文脈で、この種の根拠なき主張が流布されることがあります。これらはイスラム教、またはムスリム社会への偏見や敵意から生まれた誤情報である可能性が高く、宗教研究者や公的機関からの正式な出典は存在しないと考えられます。
結論:
ご提示の内容は、イスラム教の正統的な教えや文献に裏付けられたものではなく、正式な出典は見つかりません。むしろ、誤ったイメージやデマ情報の一例であると判断されます。
ご提示のような主張に対し、「拡大解釈されているとすれば、どのような原典や元ネタがあるのか」という問いは、以下のように考えられます。
イスラム教徒(特にスンナ派主流)においては、クルアーンやハディース、及びそれに基づくイスラーム法学(フィクフ)の中で、男女問わず服装や行動の端正さ、貞潔さが繰り返し強調されています。具体的には、「女性は公の場で体の特定部分を隠す(アウラを覆う)べきである」、「長距離の旅行にはマフラム(近親の男性家族)を伴うべき」などの規定が存在します。しかし、これらはあくまで宗教的・倫理的な推奨や規制であり、違反したからといって「売春婦」と同一視したり、男性が自由に女性を凌辱して良いといった発想につながるものではありません。
クルアーンやハディース内で女性の服装規範(ヒジャーブやアウラ覆い)について述べられている箇所
女性の安全確保や社会秩序のために女性が家族男性(マフラム)と行動することを推奨する伝統的解釈
これらの規定は「女性は慎ましくあれ」「安全を考慮しろ」といった、道徳的・社会的秩序維持の趣旨であり、決して「一人で外を歩く女性は売春婦」だとか「男は自由に襲ってよい」といった極端な結論を導くものではありません。
あくまで「女性の外出行動や服装に一定の制限や推奨事項がある」という原点的教えが、悪意的・偏見的な誇張や切り出しによって、「髪や肌を露出して外出=売春婦と同義」という過激な誤解に転化されていると考えられます。
イスラームの教えそのものではなく、一部地域的な文化・慣習で「不貞な女」「身持ちが悪い女」と見なされる行動規範が存在していた可能性はあります。これらの地域的偏見や差別的な見解が、イスラーム全体の教えであるかのように誤解され、または意図的に紛れ込まされた場合、上記のような主張になってしまうことがあります。
ヨーロッパやアメリカ、あるいは他の非イスラーム社会圏などで、反イスラーム的風潮を喚起するためにイスラームに関わる規範を歪曲したプロパガンダが出回ることがあります。このような情報の中には、イスラム教の教えを断片的に取り出し、極端に拡大解釈したり、正反対の意味合いにねじ曲げて伝えることで、反感や恐怖心を煽るものが存在します。
まとめ:
原典的な元は、イスラム教の基本文献(クルアーン、ハディース)中の「女性の貞潔や行動に対する規定」あるいは「安全確保のための同行推奨」などの正当な教えが、極端な拡大解釈・歪曲によって生み出された可能性が高いです。
それに加え、一部地域の文化的偏見や反イスラーム的プロパガンダが混ざり込み、本来の教えにはない過激な結論(「単独で肌を見せて歩く女性=売春婦」など)を導き出してしまっていると考えられます。
I see that among men all things depend upon three wants and desires, of which the end is virtue, if they are rightly led by them, or the opposite if wrongly. Now these are eating and drinking, which begin at birth—every animal has a natural desire for them, and is violently excited, and rebels against him who says that he must not satisfy all his pleasures and appetites, and get rid of all the corresponding pains—and the third and greatest and sharpest want and desire breaks out last, and is the fire of sexual lust, which kindles in men every species of wantonness and madness.
私は、人間のあいだではすべてのことが三つの欲望に依拠していると見ています。それらは、正しく導かれれば徳であり、誤って導かれればその反対となります。まずは「食欲」と「飲欲」であり、これらは生まれたときから始まります。あらゆる動物が自然とその二つの欲望を備え、激しく興奮させられ、己の快楽や食欲を満たしてはいけないと言う者に逆らい、付随する苦痛からは逃れようとします。そして第三の、最も強く鋭い欲望が、最後に噴き出します。それは人々のあらゆる種類の淫気と狂気を燃え上がらせる「性欲」の炎です。
今のところこれが最古である。さすが西洋哲学の祖。「食」と「飲」が分かれているのが特徴。プラトンの著作は明治時代に翻訳されていて日本人にも知られていたと思われる。
欲界三欲
(一)飲食欲,即凡夫於種種美味之飲食,多生貪愛之心。(二)睡眠欲,即凡夫之心多暗塞,耽著於睡眠而不能勤修道業。(三)淫欲,即一切男女由互相之貪染,而起造諸種欲事。
欲界三欲
1. 飲食欲、すなわち凡夫はさまざまな美味の飲食において、多くは貪愛な心を生む。2. 睡眠欲、すなわち凡夫の心は暗く塞がり、惰眠に耽って修業に励むことができない。3. 淫欲、すなわちすべての男女は互いに貪欲に染まり、それがさまざまな欲事の原因となる。
『翻訳名義集』は中国・南宋時代に編纂された仏教系の書物。もちろん日本にも伝わっている。というかこの組み合わせが現在のスタンダードである。
いにしへの人三慾を忍ぶ事をいへり。三慾とは、飲食の欲、色の欲、睡の欲なり。
『養生訓』は江戸時代の大ベストセラー。貝原益軒は儒学者だが、この組み合わせは仏教の「三欲」と同じなので、「いにしへの人」というのは僧侶のことなのか。三欲を「抑えるべきもの」と捉えているのも仏教的である。「睡眠を減らすと健康になる」みたいなことも言っている。
『歌学提要』は幕末の歌人・香川景樹の理論をその弟子の内山真弓がまとめたものだという。
人間の根源の欲望を、食欲・性欲・表現欲に三大別して言うそのことは、江戸末期の巨匠香川景樹以来、歌界ではならいとなっている。
ということで「食欲」「性欲」「表現欲」を表しているらしい。
これはイギリス科学振興協会の当時の会長であったライアン・プレイフェアのスピーチが翻訳されたもののようだ。原文を当たると「かつての錬金術師は黄金・健康・不死のために賢者の石を研究していた」…みたいな内容だったらしい。
they hoped to attain the three sensuous conditions of human enjoyment -- gold, health, and immortality.
村上専精は僧侶だが仏教の「三欲」とは異なるのか。「生存欲」は戦時中の文章で「日本人は三大欲求の生存欲を抑えて国家に殉じるからすごい!」というふうに使われているのを見かけて面白かった。
人間の三大慾望たる衣食住
個人的に「衣食住」は欲望というより「基本的なもの」「必要なもの」というニュアンスで捉えていたのだが、井原西鶴の『世間胸算用』でも「分際相応に人間衣食住の三つの楽の外なし」と書かれているそうなので、あながち「欲望」的な捉え方でも間違いではないのか。似たようなパターンだと三大欲求を「福・禄・寿」に割り当てることもある。
美術評論家が三大欲求に「美欲」を入れるのは、歌人が「言語表現欲」を入れるのと似通っているか。
明治以降は経済発展もあってか「金銭欲(利欲・財欲)」や「名誉欲(出世欲)」を挙げることがかなり多い気がする。
もとはアメリカで1948年に刊行された小説だが、原文だと「three main pastimes」なので「三大娯楽」かな。
といった記述がある。
食欲、性欲、排泄欲の根源的意味に比べたら、人間の他の欲望である出世欲とか名誉欲とか権力欲とか支配欲とか金欲とか知識欲など、それこそ屁以下の価値しかない。
いわゆる「生理的欲求」のひとつとして食欲や睡眠欲と並べて語られる「排泄欲」だが、「三大欲求」として挙げられていることは少ない印象を受ける。ただ「性欲(射精欲)」を排泄欲の一種とみなすこともあるようだ。
本来、仲間と一緒にいたい、集団の中で自分の安定した位置を占めたいという欲求――集団欲は、食欲、性欲と並んで三大欲と言われる程のものである。
この「集団欲」を三大欲求とみなすのは戦後にかなり広まった感じがする。近年の書籍でも睡眠欲に代えて集団欲が挙がることがあるようだ。
貞潔・清貧・従順の修道三誓願は人間共通の三大欲求(肉欲・所有欲・支配欲)にかかわるものとして、生涯の一大試練と誘惑になりうる。
これはつまりカトリックの修道士が守る三誓願の対義語となるような欲望(貞潔↔肉欲 清貧↔所有欲 従順↔支配欲)を「三大欲求」と見なしているらしい。カトリックのあいだでポピュラーな解釈なのかは知らないが、三誓願そのものは3世紀末くらいまで遡るらしいので、当時からそうした発想があったとしたら面白い。
現在の一般的な認識。「金銭欲」「名誉欲」「集団欲」あたりを含めて「諸説あり」と言われていてもおかしくなかったと思うが、最終的にほとんど「食欲・睡眠欲・性欲」で固定されてしまったのは面白い現象である。
ソープに行ってきた。7月にも行ったからこれで2回目だ。それまで童貞だった。自分の心に変化があったので書いていこうと思う。
まずは「色々な見方が変わった」事。大きく分けて2つ。
①男は女とヤルするためなら割と全てがどうでも良い
そもそもソープに初めて行ったのはソープがコロナで安かったしコロナでお上から金貰ったのが切っ掛けだった。
この時点で自分の考えはおかしかった。なんせ普段2000円くらいのSteamゲームを買うか迷っているのだ。10万あれば高いの買っても1年くらい持つ。
普段吝嗇家(これはケチを格好良くした言い方だ。りんしょくかと読む)の自分がそうだ!ソープに行こう!と考えるのがまずおかしい。
ジム行って筋トレして富士山登るとかだって実行可能だった。童貞だし一回くらいと思っていたが今日二回目に行っている。行って来たのは7万の高級である。3万+7万で見事に給付金は消滅している。しかも今現在次行くことを考えている。
本当におかしなことに、全くソープに金を突っ込んだ事に後悔が湧いてこない。強いて言えば何も考えてない。気持ちよかったかと聞かれれば玉を下からペ---ロってやられるのは電流が流れるようでとても気持ち良かったしマンに射精するのもなかなか良かった。正直今までで3番目くらいに出た。
が、東方紅魔郷ノーマルをクリアした方が圧倒的に脳汁出たし河原で恋人に抱き着いた時の方がドキドキしたし皆で貧乏旅行に行った時の方が思い出としては上である。
正直快感自体にとても3万使う価値があったかと言われればそこまでではない...と理性は思っている。
とはいえ初めての時は1回出した時点で舐められながら次はもっと良いとこ行こって思ってたし、もっとお金出せばもっと凄いのかなって感じだったので7万の所に今日行った。ベテランでマットと接客に自信がある人だったっぽいけど実際とても良かった。3万と比べれば2倍以上は良かったのは間違いない。
でも7万の価値があるかと言えばやっぱりなかった。思い出、体験としての価値すべてを合わせても7万の価値はソープそれ自体にはない。少なくとも理性はそう言ってる。
しかし大金に値する価値を理性が感じてないのにワイは買ったことを後悔していない。絶対に何かおかしい。
A. ない
どう考えてもソープに7万は間違ってる。そんだけの価値絶対ない。気持ちよかったけどそこまでじゃなかった。
そして7万なにも考えずに突っ込んだのは憂慮するべきだ。だって7万もあればそれなりの勉強できるしジム一年も余裕で可能。友人に旅行をおごることすらできる。正直割と何でもできる。金の使い道として少なくとも初回はともかく今日のソープは絶対におかしい。
ソープ未経験の自分が1回目の後の自分を見たら間違いなく、次はもっと金稼げるようになってから行けというはずだ。これは間違いない。
しかし1回目2回目を通してソープに行ったのに何の後悔も反省の念も浮かんで来ない。むしろもっと生きたいとすら思ってる。今のワイは何かおかしい。今日消えた7万で色々なことが出来るはずなのに...
あるのはただ疑問のみである。理性は7万使用をおかしいと考えおり、無意識は7万使用を肯定している。明らかな矛盾である。
とりあえずわかったのはソープに行くためなら7万なんてどうでも良いという気持ちが無意識のうちに発生しているということ。
そんで7万という大金すら(実家が貧乏だったせいで7万を大金と感じている説もある)ソープ嬢のような発展性が何もない女性とヤル事の前にはどうでも良いのだから、男は女とヤル為なら本当にすべてがどうでも良くて安いものなのだろうなと思った。
喜助はことばをついだ。「お恥ずかしい事を申し上げなくてはなりませぬが、わたくしは今日まで二百文というお足を、こうしてふところに入れて持っていたことはございませぬ。...
とは鴎外の高瀬舟である。ワイ金なし。でも実際のところ金はあったようだ。結論ソープ前のワイはケチだった。とにかくケチだったようだ。
初めてソープ行くまでのワイ、今考えるとどう考えてもちょっと金使わな過ぎである。ソープにすら7万払う。いわんや生活投資をや。ワイは今かなり生活に投資している。
ソープのお値段7万をワイの無意識、脳みその動物的な部分は安いと感じているようだ。7万の無ですら安いのだから千円万円の利器を高いと感じる心が薄まった。
ソープ初回に3万使った時点でケチさがかなり薄まった。ゲームを買う金を惜しまず、衣服を買う金を惜しまず、部屋を片付ける時間を惜しまなくなっている。
というか考え方が完全に逆になっている。せっかくソープ行くんだからソープ嬢さんに失礼ないように髪切りにいくか!で4000円飛ばしている。1000円カットで十分、できれば髪切るのに金なんて使いたくないとソープ前は思ってたが今はそんなこと何も考えず金使ってる。
無の価値を多めにとる。多分そんな考え方を今してる。これからは価値がなんだかよく分からないブランド品とか、服とか、センスだけは良い何かとかも買えると思う。だって今日7万の無を買ったんだし楽勝楽勝!ソープ嬢との記憶よりは実用性がある何かを買うのにためらいはもはやない。
高い値段はそれだけで他人に財力や見る目があるみたいなのを示せるのでそれだけで価値があるし、実際高いものは質もおおむね良いものだ。理性が価値を理解できなくても、価値は存在し金は使えるし皆使っているのだ。
他人の金の使い方が少しわかった気がする。7万で無を買える無意識様にかかれば有を買うなど楽勝だ。
無の価値は多分人気投票とかブランディングとかで増えるんだろうけどここでは割愛
という訳で自分が価値を見出せるオタグッズとか実用品以外の、理性基準の価値がないものを買えるようになった。
③すべての女にはマンが付いてるし男はがっつく
ワイはいわゆるモテない男で、昔一瞬だけ居た恋人一人を除いて女性とセックスしたいとも思ってなかった(嘘である。消極的だが機会があればやる気はあった。正確にはその恋人以外のマンにがっつく程の価値を感じていなかった。その恋人のマンにはがっつきたくなかったので結果的にがっついたことがないだけである。その恋人は見るたび惚れ直すし今でも見るたび惚れ直すので正直面倒がられている。たまに会うたびに発作でデートに誘うのも断られるのも恒例と化しており、ワイも自分で面倒だと思っている。なんというかコレと決めた女だった。また会ったらそう思うと思う。他に恋人作っても視界に入れたらまた惚れるだろうから困る。)
この考え方は今日までなかったのだが、全ての女にはマンが付いている。そのパワーで7万使った事実すら無に帰すあのマン、実際気持ちいいが7万の価値は感じなかったが無意識の方はとにかくそれをもっと寄越せと叫んでいるっぽいあのマン。なんと女性には標準装備であり世界に30億程度存在する。
隙あらばワンチャン狙ったり、良い服装良い髪形にしてみたり、格好つけたりデートの度にバイト代を貢いだり相手が喜ぶような言葉をかけ続けたりして皆アレ好きねぇと思っていた。ソープ行って分かったが実際それだけの価値があると無意識の方は叫んでいるようだ
で問題はこっからなんだが、これ価値の割に世界にあふれすぎじゃないか?
その気になればレイすれば手に入るし、レイも日本じゃ少ない。実際買えるしレイする必要すらないほど世界にあふれてる。人間と付き合う動機はその頭にあると思っていたが、女と付き合う動機はマンで十分すぎるほどあるようだ。
どう考えても隙あらばワンチャン狙ったり、良い服装良い髪形にしてみたり、格好つけたりデートの度にバイト代を貢いだり、相手が喜ぶような言葉をかけ続けるだけで手に入るのは安すぎ。
7万じゃ理性君は高いと叫ぶけど無意識君の方は7万程度ならそれを問答無用で0で認識させる。
最低7万円の投資までなら0円、しかも服装とか話術とかは多数のマンに使いまわしが効く。そりゃみんな欲しがるわ。
色々な場所で女にモテる為に人間性まで捧げてる報告見るけどそれも納得。どんな事してでも手に入れようとしてる当たりに一貫性の美すら感じる。
ワイが気付いてなかっただけだが男はもっと色々なものをマンのために使えるようだし使っている。進化心理学によると人間のほとんどすべての行動は生存と生殖にかけられているらしい。予想以上にマンの価値は高い。
④思い出
一人は例の恋人、もう一人は別の高校の課外活動で同じになった子だった。ワイに好意があったらしいその子とはデートに誘われて出かけたりしたんだがワイは例の恋人と上手くいった段階でデートすることはなくなった。(先輩には別れ方?に苦言を呈された)
例の恋人とは結局川で並んで無理やりキスまでで終わってしまった。
今思い返すなら好意があったらしい子とは絶対セックスするべきだった
何というか自由な子だったので普通にやらせてくれたと思うし、当時もそう思ってた。童貞なDKなワイはそういうのは良くないなと思っていた。
例の恋人は真面目であろうとするが真面目ではいられないタイプだった。河原で無理やりキスした時は割とうれしそうだったがダメだと言われそれ以上しなかった。今だったら絶対もっとしたし彼女の真面目であろうとする性格を無視してでも彼女を喜ばせるだろう。
結論チョロいタイプだったから他の誰かに食われてると考えると腸が煮えくり返る。昨日までは彼女にダメ言われたことはしなかっただろうからこれは間違いなく大きな変化だ。今だったら彼女の持つ貞潔さへのプライドより自分の欲望を優先するし、そちらの方が良い結果になっただろう。卒業した後みんなで飲んだ時は彼女はあまりにも無防備でその時襲えばよかった。
男視点だととにかくヤレば勝ちみたいな考え方があるが口座から消えた7万を全く考慮させようとしないワイの無意識を考えるとそれはかなり正解のようだ。少なくとも世の男はそうしてるようだし、今のワイの理性の方もそれにかなり同意している。