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2026-01-13

自分の愛犬との車旅を強要する友人

私はアウトドアが好きで車中泊で遠くに出かける事もありますタイトルの件、私は犬を飼っていなくて今後も飼う予定はありません。

2020年パンデミック以降、リモートワークが続き都市部の1人暮らしで人との接触が無くなり、ストレスを抱えている友人も少なくなく、そんな友人Aを誘って近場の海に日帰りドライブに行ったところ、Aは久しぶりに外に出て自然の中で過ごしてリフレッシュできたと凄く喜んでくれて、私も友人の明るい顔を見て楽しい休日を過ごしました。

Aは運転してくれたか費用は出すと申し出てくれましたが、高速代ガソリン代は割り勘でランチをご馳走して貰いました。

その後もAとは年に数回、ドライブがてら日帰りハイキングに行くようになりました。

私がその様子を自分SNSに上げると同じ境遇の友人Bが「私も行きたい」と言い出しました。Bはコロナ禍に犬を飼い犬と2人暮らし。犬同伴だと行けるところが限られていて犬とキャンピングカーで旅をしてるユーチューバーにハマってるから車中泊がしたいと言われました。

はいきなり犬と車に泊まると言われて驚きましたが、私の車は普通車車中泊仕様ではないと断り同じように日帰りでドライブ提案しました。

しかしAとドライブに行ったときのように楽しい思い出にはなりませんでした。

最初はBの希望でAと行った海になりました。

海に到着すると私はBのスマホを渡され犬とBが遊ぶ動画を撮る係にされました。撮った動画確認して満足がいかないと撮り直しになる事が何度もありました。

映えスポット灯台に上がる階段は犬が歩けなくなったら飼い主が抱えて歩くと話して、Bは「mont-bellの犬用のリュックを買ったか大丈夫」とSNSでも自慢してたので問題ないと言ってましたが当日は「リュックは重いから」と持って来ませんでした。灯台観光地家族連れも多く小さな子供高齢の方でもひょいひょい歩けるイージー階段でしたは犬はすぐに動かなくなり座ってしまいましや。飼い主もキツイと言って犬を連れて灯台動画を撮ってきて欲しい犬とスマホ押し付けられました。

私は片手で犬を抱えて、片手でBの手を引き上げサポートをしながら登りきりました。

駐車場に戻ると、Bと犬はすぐに車に乗り込みました「車に乗る前に軽くでいいから犬の足拭いてね」と私が持ってきたタオルを渡しましたが「え?土禁?そんな神経質だったっけ?」と笑って取りあいません。

車の中では私との会話はなく、Bはずっと愛犬に話しかけながら動画編集に没頭し、道が分かりづらいから調べて欲しいと声をかけると「ただいま編集中でーす」、と呑気な声で言われました。運転は交代すると言いながら途中休憩で断りもなくビールを飲みました。

高速代とガソリン代を割り勘にする金額の話しを出すと「ええ!?出すの?そっちだって私の犬ちゃんと遊べたんだからいいじゃん」と出し渋ります

帰り際に「来週は別の海に行こうよ」とBから誘ってきました。

その時点で私はもうBとBの愛犬を車に乗せる気は失せていて、来週は別の予定があると断ると、「次の週は?」「車中泊流行ってるよね、キャンプ流行ってるよね、犬とキャンプ行かない?」仕事の予定がわからいからとぼやかしました。

AとBの違い。

Aは私が運転中に音楽をかけたり行き先調べてナビ代わりになってくれました。

Bは自分の犬動画編集に夢中で私との会話すらありませんでした

Aは高速代ガソリン代は割り勘、ランチを奢ってくれました。

Bは高速代しか割り勘せず自分は飲んだのにランチきっかり割り勘

Aは海の岩場を歩いたり海ハイキングができるフットワークがありました

Bも犬も岩場は歩けずハイキングも途中でいやがり

その愚痴を別の友人に聞いてもらうと「そのお友達はよっぽど楽しかったんだよ、リモートワークでおかしくなった人は多いから、たまに息抜きに付き合ってあげなよ」となだめられました。

Bとは学生時代の繋がりで数年前に共通の友人の結婚式で再会した数人とSNSの連絡先を交換して、その後何度か複数人飲みに行きました。以前から特に仲がよかった訳ではありません。お互い東京に残り独身で、それなりに収入もあり自由が利く身で旅行好きという共通点はありました。

かにBは楽しかったと思います。BのSNSには「わんちゃん気持ちよさそー」「素敵な場所のお裾分けありがとう御座います」と好意的コメントばかりでした。おまけに移動費もかからないし、自分は飲んでも食事代はキッチリ割り勘、そりゃいいだろう。

その後もBから「また車で連れてって」が続きました。

私が登山に行くと「熊が出るからもう登山はやめた方がいいよー」私が映画を観に行くと「ネトフリで見ればいいじゃん」と私の趣味ケチを付けてきては「また犬ちゃんドライブしよー」と言ってきます

そして「次いつ出かける?」が始まります。Bの希望の行き先はいつも「好きな絶景ユーチューバーが紹介してたから」「好きな犬ユーチューバーが紹介してるから」とYouTube動画リンクだけ送って来て、「どこ?」と聞くと地名場所名前YouTubeで見ればわかるからと言います

普段から山登りドライブ絶景を見ている私には、チープなYouTubeは魅力的に映らず、流行ってるから、バズってるから主体性のないBの言葉に振り回されるのもうんざりしていました。

中にはバズってたから「八ヶ岳ブルー」見にGW八ヶ岳登ろうと、高尾山すら登ったことも無くGW八ヶ岳雪山であることも調べず提案してくる事もありました。

Bと愛犬には難易度が高いか自分と愛犬が歩けるところから練習だねと代案を出しました。

「前に行きたいって言った海の近くに犬が泊まれホテルがあって、人気があってすぐ予約が埋まるから予約しといたよ。車で連れてって」

Bが予約した犬が泊まれホテルを調べると、犬用の個室風呂や犬食の用意があるなど犬のためのユーティリティが充電していてセミスイートで凄く高額でした。その事をBは説明しませんでした。

その上、平日のが安かったから平日予約した、私はリモワからPC持っていけば車の中でも仕事できるから勝手な事ばかり言います

私は犬が嫌いではないですが、衛生面が気になり犬と同泊は抵抗があるし、犬に寄り過ぎて予算が上がるのはフェアじゃない。私はリモワでなく出社するから予約する前にこちらの都合を確認するのはマナー、高速代やガソリン代の事も正直に「最低割り勘、全面的にBの要望に合わせるなら高速代ガソリン代は全額払ってくれれば付き合いやすくなる」と言いました。

Bはやはり出し渋って「車にガソリンが入ってるのは当たり前じゃん」と何故か笑いました。

そんな事が2年ほど続き、コミュニケーションを取るのが難しいから、私の車で出かける話は最低限お互いの都合を合わせるなどの配慮や気配りはして欲しい、犬を優先するなら費用折半以上は要求すると打ち明けると、Bは元々「B型から」「自分勝手」と言われる事があると反省を示し、自分でも閉鎖的なリモートワークによる精神の影響は気づき始めて、外との交流を考えて犬インフルエンサーオフ会など犬を通した交流も始めて次第に連絡がなくなりました。が、すぐ「車で連れてって」が再開します。

車でオフ会に連れて行ってくれる「犬友」もできたそうですが「犬友」の車は軽自動車で乗り心地が悪いとか、移動中に何時間も犬友や犬友の犬に気を使うのが嫌で途中で車を下りバスで移動して大変だったと、また私のところに戻って来ました。

オフ会動画を見ましたが、Bの愛犬はおとなしく、活発な犬と距離ができてしまいBが何度もなだめる繰り返しであまり楽しそうではありませんでした。別の友人が言ってた私との日帰りドライブはそれに比べると楽しかったと思います

Bはペーパードライバー自分レンタカーを借りて出かける事も試したそうですが、犬がいると運転に集中できずに断念して、やっぱり誰かの運転に頼むことにしたと言います

私がSNS投稿するたび

「いいとこだね」、「出かけるなら私と犬ちゃんも連れてって欲しかった」、「今度そこに連れてって欲しい」、「来月行かない?」と短文で小分けにして連投するコメントが着くことが増えて、煩わしくなり私はSNS更新するのをやめて返信もしなくなりました。

リモートワークでも外部とのコミュニケーションがあった時はまだマシでした。年末年始仕事休みになるとBの言動エスカレートします。

私はもう休みからまた車でどこか連れてって。

年末年始は山仲間と雪山行くから無理、圏外になるから暫く返信はできないよとメッセージを送りました。

するとBは、スノボ経験もないのにインスタで見つけた「犬連れOKイケメンアウトドアガイド」のスノボバックカントリーツアーに私の名前も入れて申し込みをしたから「車で行こうよ」、雪山行く前に予定を決めたいと言い出しました。

「私はスノボはやらないし雪道の運転もしないしこの先もやらない、犬とバックカントリーなんて素人には絶対無理からよく考えた方がいいよ。」と突き放しました。

Bの言い分がこうです。また他の犬とレベルが合わないとつまらいから「貸切プライベートツアー」にしたけど金額を聞いたら凄く高くて1人じゃ行けないから一緒に行こうよ、車があるなら行きたいっていう犬友もいるから割り勘にすれば安くなる、スタッドレス買えば?

こちらが何か返事をする前に矢継ぎ早に膨大なLINEが届き

その先は読まずに「私は雪道は運転しないし他の犬を私の車に乗せる話を一方的に進めないでね。この話しはもうこれ以上しません。返信もしません」と突き放すと「一方的じゃないじゃん、ちゃんと『付き合って』って言ってるよ、ダメって言われたら断るつもりでいたよ。一方的て言うなんて変だよ

相変わらずその時点でスノボツアー地名も出て来ませんでした。

私が返信しなければ諦めるかと思い放っておくとあっという間に未読が40、50を超える

年末に山仲間にもBの話を聞いて貰うと

・(山仲間は)自分たちはずっとお金はフェアにやってきたのが長続きしてる秘訣運転手と幹事は割り勘の頭数とは別

情報価値観を共有できない相手旅行はしない

・命を預けてる

・(山仲間は)自立している人間けが集まってよかった

で一致した。

中には

心療内科などプロに任せた方がいい、という意見もあった

イケメンガイドバックカントリーやりたいな〜♪、

幻想的で素敵〜

かっこいいよね〜

パウダースノー

犬連れOKガイド少ないんだよね〜

カッコいい人が見つかってよかった

雪山って何しに行くの?

スノーシュー?

スノーシューのが始めやすいってユーチューバーが言ってた

スノーシュー流行ってるよね

雪道運転しないなら誰か運転しくれる人いるの?

その人でもいいよ紹介して、そのひと犬好き?

イケメンガイドの犬連れアウトドアワークショップに参加した別の男の人のインスタ見つけた

男の人が多いいんだよねー

この人、犬とスノーシューやってる

スノーシュー流行ってるよね

鈴木亮平と同じ車乗ってる

スノーシューでもいいか

スノーシューなら行く?

一緒に行かないかメッセージ送ってみよっかな

結婚してるよねーやっぱりー

遡ったら家族キャンプしてた

お金持ってそう

車いつ買い換えるの?

4WDだったら雪道も行けるでしょ?

アウトドアやるなら4WDがいいって私の好きなユーチューバーが言ってたよ、

2WDはスタックするって私が好きなユーチューバーが言ってたよ

今度買い換える時は私と犬ちゃん車中泊できる車にしてね

4WD

温泉とかは犬ちゃんを車に置いてかないといけないからサブバッテリー絶対だね

永遠に続く

Bはリモートワークの閉鎖的な環境が続き、他人境界線不具合が出てしまったのではないかと思っています

登山難易度スノボ経験もないのにより難易度の高いバックカントリーをやりたいと言いだしたり、自分エリアが分からなくなってしまったのかと思います

2026-01-12

こたつの上にコーヒー+少しのゼラチン 洗濯ものを干してて、

戻ったら

コーヒーゼリーになってた😲

こたつの上なのに部屋寒すぎるぅぅぅ🥶

部屋で寝てたら、鼻呼吸するとき空気が冷たすぎて

鼻(の穴)が痛くなって目が覚めちゃったりするんだぜ

🐈ほんと我が家雪山みたいなものかニャ💦

🐶ここをキャンプ地とするッ 🐇他人事だと思って🐶酷いわね~

2026-01-06

映画トーゴーを見た

実際に起きた(とされる)英雄譚を一般サラリーマン自分はどう飲み込むべきなのかという問いを突き付けられた映画だったけどそれはそれとしてトーゴーは可愛いデフォーはシブいし映像キレイ。64点。

 

1925年アラスカジフテリアが大流行し街がピンチになるもブリザードが吹き荒れ航空機輸送は困難。しゃーなし危険陸路偏屈ノルウェー人ウィレム・デフォーハスキートーゴー率いる犬橇隊が挑む。実話に基づいた奇跡ハートフルストーリー

 

まず映像がよかった。

ブリザード中の映像なんかは流石にこれCGだなぁって思うところも多かったけどその映像自体めっちゃ自然っていうよりはうおーすげ―って感じだし、特に氷結した湾を渡る際にどんどん氷が割れていくスペクタクルは「んなわけない」と思いながらも手に足握る緊張感があった。引きのショットで見られるバカみたいなスケール雪山とその中の犬橇隊って構図はやっぱり自然のすさまじさを実感できる。

こいつずっとおじいちゃんやけど逆にずっと老けないなって思うデフォーはあの顔の持つままの意思が強く偏屈だけど情に厚い部分もある職人キャラをうまく演じていた。あの彫りの深すぎる顔と雪山がまた会うのよこれが。

んで今作の主役の一人でもあるハスキー犬のトーゴーね。子犬期はやんちゃなクソガキ感がある演技をちゃんとしてるし、成犬期になってからも人懐っこさとリーダーシップの両方兼ね備えた名犬なんだなって見ていてわかるようにちゃんと演じられていてとてもよい。他の犬たちも演技が上手でね。特に子犬期のトーゴーが大脱走するパートとか、最初脱出に頑張るトーゴーをワクワクした感じで見ていたのがだんだん飽きてきて成功したら大盛り上がりって言うのをちゃんと演技デザインされていてほんわかした。

ちなみにトーゴーは東郷平八郎からとられていてこれは日露戦争日本海海戦東郷ロシアバルチック艦隊を壊滅させて北欧がヒャッホーしていたという文脈からデフォーは今回はノルウェー出身という話なので「噛ませ犬が大逆転」の象徴としてその名前を付けた。歴史教科書でもトーゴービールとか習ったなぁと思い出しましたよ。

 

まぁ話としては元々はワクチンがある街まで大往復する予定だったのが途中でリレー形式に変わってデフォーは最も過酷で最も長距離を走ることになる。

作品としては走って何度も危機に面するもトーゴーとデフォーの絆で乗り越えていく1925年の犬橇隊と、身体が弱く陽キャすぎるトーゴーに犬橇の才能を見いだせずに何とか追い出そうとする1915年デフォーの奮闘をカットバック形式で描いていく。絆で危機を乗り越える→その絆がどうやって芽生えていったのかを映すのらせん構造になっていて緊張感を途絶えさせないいい演出だなと思いました。

ただ個人的めっちゃ気になったのが今作の大見せ場でもある氷の張った湾をショートカットする展開。行きと帰りで2回あって行きは大ピンチを潜り抜けて、帰りはウルトラデンジャラスピンチを潜り抜けそこなって最後トーゴーに過大な負荷をかけてギリ脱出するんだけど。

これさすがに蛮勇では。

もちろん今にも死にそうな病人いるから1日でも早くワクチンを届けたいのはわかる。1日のショートカットで温存できる体力もわかる。でもそれで自分たちが全滅、行きだったら「もうワクチン取りに行ける人いません」、帰りだったら「ワクチン海の底」で町が全滅しかねない状況で、他に方法がないならまだしも実在はする迂回路がある上でこの極大リスクをとる必要はあったのかとサラリーマンの俺は思ってしまったよ。

結果的トーゴーは極大の疲労ストレス身体を壊し犬橇から引退。その後、デフォーは「俺には何の覚悟もなかった」と自分の無策と逸りを悔いていたので彼自身もこの選択が正しいことだったと思っているわけではないということなんだろうけど、見ていてなんかモヤモヤしてしまった。俺も年取ったってことやな。

敢えて言うなら「その1日」の重みをもうちょっと作中でデザインできていればよかった。嫁さんが「夫は行けそうなら行く人よ!」って言ってたけど、じゃあそれは蛮勇やなってやっぱなっちゃうし。その1日が重要なんだともっとわかりやすく示してくれてれば納得感が上がったかも。

そして実話ではこの大輸送で実はトーゴーは無傷でピンピンしてるしそもそも湾は割れてないしで、何の話やってんと思わんでもないんだけどまぁそこは実話ベースフィクションから……

 

そしてその後、やたらとバルト(相撲取りではない)を敵視する視点が入って、ははぁ~んこれはバルト1995年アニメ映画、今作と同じアラスカ輸送テーマにしている)で一発当てたユニバーサルに対する今作を製作したディズニー確執だなと思ったりせんでもないが、実際のところトーゴーが正しく評価されたのは2000年代に入ってからことなので「まぁ言っとかないとな」という感じではあったんだろう。

ちなみにバルトは最終的にワクチンをもってゴールインした犬。新聞などでも大きく取り上げられ長らくこの大輸送でのヒーローとされていたが、実際に走った距離トーゴーの5分の1程度とされており最近はいろいろと見直されている。と映画内で説明があります

 

そんなこんなで「大自然の美しい映像」「犬と人間ハートフルストーリー」「犬と人間職人としての生きざま」「大スペクタクル」とこの手の作品で見たいと思える映像ほとんど見られるので、犬好きにはマストオススメネコは出てこないのでネコ好きにはマイナス

2025-12-14

よくある「山に恋人を連れて行って試す」という話の中で、「雪山」「初心者前提」というのを見つけました。これまで高尾山レベルでの議論だったのが、一気に殺意を感じる話になってきた…

雪山は本当に危険なので、無理なとき相手に嫌われてもいいから無理って言って下さい。やばい

女を疑うあまり「試す」超えて「殺す」になっちゃってるモンスター達。そんなに疑わしいならそもそも近づくなよっていう。

2025-12-07

俺の「果てしなきスカーレット

見てきた。

おもろい、おもんないと色々入り乱れてるがネタバレ込みの感想

事前情報全くなしで行ってみた。

まずハムレットぽい話から→死者の世界へ。

びっくりした。そう来たか!とワクワクさせられた。

が、いまいち「死者の世界」のルールわからん。死んでるけどそこでは生きてるようで2回目の死で「虚無」になる。

わけわからん強いドラゴンがいてる。

死んでるのにお腹すくの?

死者の世界の割にあまり現実世界に近い。

過去未来も混ざった世界で様々な世界の様々な時代の死者がいてる。

けど、なぜか言語はなぜか通じてる。

聖という現代日本看護師男と行動を共にする。

復讐相手(王)が「見果てぬ場所」てとこにいるらしくスカーレットはそこを目指す。

スカーレット「敵はぶっ殺す」聖「殺したらあかん」とぶつかるが

あんまり深刻にはぶつからず、そこはテーマではないんかとよくわからない。

スカーレット、なぜかノーヒントで「見果てぬ場所」へ向かえてしまう。

キャラバンに合流したり中ボスと戦ったりして、なんやかんやあり渋谷で踊る。この時の曲の歌詞がとても臭く「愛について教えてよ〜」作詞細田監督やった…orz

見果てぬ場所はすごい山の頂上から階段が伸びてるとこにあるらしい。

ちなみにこの山エベレスト?てくらいに高い。

いっぱいの民衆が山に集まり山を要塞化したラスボス王に襲いかかる。

すごい戦争状態でここらへんの描写はすごい。

登ってるうちに山が噴火していっぱい人が死ぬ

なんやかんやで頂上に登れた。噴火してたのに雪山のようになってて

登れたのはなぜかスカーレットと聖だけ。民衆どこいった?

そこに現れた中ボス、バトルに入るも殺されそうに。

そこに途中で戦った中ボスが助けに!(戦った後逃してあげた)

まあ来ると思ってたよ。で民衆どこいったの?

中ボス倒した後、階段ないーとなったけどよく見たらあった。

スカーレットいけーと送り出す。聖いっしょにいかんの?

階段上がったらラスボス王がいた。

殺す!殺さんといて!許す!アホが!自分許す!とかあり雷にうたれラスボス虚無化。

そしたら聖とキャラバンのみなさんが現れて、死者の国まとめてる人が「スカーレット死んでないで」

聖とお別れ、いやー、けど戻るキスー(このシーンはよかった)

スカーレット戻って国治るわー

城の外にすごい群衆50万人くらいいてそう、ここどこよ?

城の前って広場じゃ?(別の場所

民が「女王様わたしたち暮らしがよくなる政治をしてくれるの?」(ド直球でなく、もう少し言い回しなかったのか」

スカーレット 「みんなが協力してくれるならやりますー」

民「それなら協力するぜー」(もう少し言い回し…)

スカーレット 歌い出して終わり。


ストーリーのとっかかりはいいのだけど、細かいセリフの拙さが気になった。

セリフみたいなのが全然ないのよ。

セリフが直接的で説明的。詩的な素敵さがない。

細田監督原案だけだして脚本は任せた方がいいんじゃないかな。

絵、アクションは色々とよかったと思います

れいるか?という場面も多かったですが。

テーマは悪くないけど見せ方が稚拙に感じました。

2025-11-30

そういえば、大学入学時に木の絵を描かされて、後々なんか学生カウンセリング室みたいなところに呼ばれたんだけど…

行ったら、箱庭療法の箱庭があったりして、なんかそこにいるオバチャンと適当に話して終了したんだけど…😟

俺、そんなに変な絵を描いたのかな?

時期的に攻殻機動隊の1巻の頃なので、あれも模写してましたよ、木とか草とか…😟

そういえば、あの頃は個人的超能力バトルみたいなの描きたくて、

完成どころか、妄想レベルで終わっちゃったんだけど、

ロシア科学アカデミーみたいな胡散臭いところ出身女性超能力者が主人公で、みたいなネタ毎日考えてて、

とりあえず、超能力バトルが単に描きたかっただけなんだけど、武装ヘリ描いたり、

雪山とか草木描いてるだけでバテてた気がする意味ねーなおい…😟

そういうのはハリウッドでやれよ、みたいな身の丈に合わないものを描く前に日常系とかちいかわでも描いてろよ、

というか、ちいかわもアレはアレで難しいよね、線が少ないなら少ないで難しい…😟

そういえば、木を描くには描いたけど、リンゴも描け、みたいな指示だったから、

から取って付けたようにリンゴ描いちゃった気がするけど、何が問題だったんだか分からん…😟

Xのポストで、絵師に敢えて木を描かせるって何かのプレイなの?みたいに書いてる人いるけど、

俺も同じこと、大昔だけどテストとき似たようなこと考えてたんだよね、

というか、そこそこ絵が上手いレベルで、みんなでドラえもん描くみたいなの楽しいよね…😟

ガンダムザクはみんな描けるけど、ゲルググギャンビグザムなんかも怪しいよなあ…😟

2025-10-01

anond:20251001225351

冬じゃ長いな

雪山なら今からでも海外行けばなんとかなるもの

2025-07-02

anond:20250702104037

首吊るとか泥酔して雪山登山でもすりゃいいじゃん

ALSとかで自殺医療者の幇助必要な人の為に(幇助者を免責するために法整備議論があるわけで

なんでお国自殺させて貰わなきゃならんの?

アホなの?まあアホなんだろうけど

2025-06-13

anond:20250613145332

そもそも現代日本社会雪山スマホ実況して両手の指先すべて失ったヤツ以外の冒険者っていないだろ🙄

便利屋ですら不可視化されてんのに

2025-05-16

anond:20250514212400

雪山に半袖半ズボンで登るのは危険性が予見できるので明確に違います

津波警報が出てる海岸海水浴に行くようなもんです

2025-04-27

例えるなら雪山の山頂からさな雪玉を転がすような感じ

転がる雪玉が雪を巻き込み大きな玉になって被害を起こしたり

なんなら小さな雪玉が脆いところを刺激して大雪崩を起こして壊滅的な被害をもたらしたり

そういうこと

ちいさなきっかけを提供しただけ、でもそれが偶然で大炎上を巻き起こしたりしてるの

江戸川乱歩の「赤い部屋」に出てきた「人殺し自称する男」のように、自らは手を下さずともたくさんの人間精神的に傷つけたり、ネットリンチに巻き込んだりする

そういうことなのよね

2025-04-17

anond:20250417125515

雪山や海など目に負担がかかる場所で働く人はワングラスしてるよ。あとキャバ嬢

anond:20250417095358

ベーコンエピの美味しさを感じたい増田だけどそうそうそれそれってそれベーコンエビ泣く子も黙る宇宙海賊雪山で寝ちゃダメだ!諦めるなまだ助かる!まだたすかる!マダガスカル!ここ!!!ってやるやつーってなぐらい海老パンに挟まっていないけれど海老パンってジャンル案外少なくない?新ジャンル海老がまるまる丸ごとバナナみたいな形式で入っているヤツの海老パンあったら美味しいかもしれないしそれこそ毎晩エビナイト食べたいぐらいの美味さだったらまた私のルービーも捗るってもんよねな山脈に向かってヤッホー!って叫ぶわ。

2025-03-28

死んだらお前が大好きな増田が出来なくなるんだぞ!

雪山遭難したときパートナーが諦めかけたときに使ってください。

2025-03-12

はなまるうどんが好きすぎる

飲み会冠婚葬祭出張先でのちょっとしたくつろぎも知らん人への施しも雪山の極限状態での栄養補給地図の無い旅での食事も全部はなまるうどんで済ませたい 前金で

2025-02-15

雪かきは考えてやれ

世間で言われてる一人でやるなとか、携帯持ってやれとか、頭上にも注意しろとか、そういう話ではない

雪かき除雪による雪山を周囲に撒いて溶かす際の話だ

雪山壊していかないと、次の降雪時に雪のやり場が無くなったり、現状でも視認性が悪くて事故の原因になったりするので崩す行為自体積極的にやれ

問題はやり方だ

増田の周りを見ているともっと考えてやれよと思うことが多い

車道に出て車道から作業する

 → 作業物、車両双方にとって危ない以外の何物でもない。仮に監視役を付けるにしても危険には変わりないので歩道からやってくれ

車道にばらまく

 → これ自体ギリギリ許容できる(道路管理的にはよくないが) 問題交通量が多い場所でばらまいていることだ。こちらも監視しながらであれば危険回避やすくなるが

   走行車の数10m先にばらまいている姿もたびたび目にする。車に当たる危険性を考えてくれ。なお、ちゃんと注意しているといっても、雪かき除雪は重労働だ。疲れで判断が鈍ることも忘れてはいけない。

   自分も当然のことながら周囲の安全第一だ。

夕方以降にやる

 → 仕事関係などで仕方ない点もあるだろう。状況によっては別に問題はない。状況とは、夜間の気温が1℃以下にならない場合だ。小学校で習っていると思うが、水は0℃で氷になる。夜間の気温が

  下がれば雪が溶けない、または、溶けた雪が再度氷になるため、交通事故歩行者の転倒を誘発する危険性があるからだ。

  注意してほしいのは朝2時ぐらいに1℃になってそれまでに溶けるからいいだろうと考えるのは誤りである点だ。雪が溶けても乾くまでに時間がかかるため、氷になる可能性はある。

  運転手歩行者が注意しろというのは確かにその通りではあるが、あなた危険性を上げてもよい理由にはならない

これらを気を付けていただき作業を行うようにしてほしい

安全安心第一ということは常に頭の中に入れておいてほしいと思う

2025-02-12

anond:20250212131249

早めに染めると、黒毛の頂上に雪が被ったようなだけの雪山になるからギリギリがええよ。

2025-01-29

anond:20250129133100

救助する気がないとか言ってるならお前が飛び込んで救助してこい

こんなの雪山雪崩遭難を捜索するのと変わらん

2025-01-18

ガチャピン中の人などいなかった

 子どものころ、テレビをつければいつもそこにいた緑色不思議な生き物——ガチャピン。鮮やかな黄緑の体と、つぶらな瞳。ともすればただの着ぐるみと思いがちだが、実は彼には「中の人」などいないのではないか。そんなことを、子どもながらに本気で考え、友達同士で話し合った記憶がある。子どもたちの間では、ガチャピンの正体について真剣意見が飛び交った。果たしてあの体の中に誰かが入っているのか、それとも本当に生きている恐竜なのか。大人になった今だからこそ言えるのは、あのころ私たち真実を掴んでいたのかもしれない——そう、「ガチャピンは本物」であり、「中の人」などそもそも存在しなかったのだ。

 ガチャピンが世の中に初めて登場した当時、多くの視聴者は当然のように「誰かが中に入って演じている着ぐるみキャラクター」だと思い込んだ。ぬいぐるみのような愛らしい見た目、大きな口、そして子どもを魅了する高い運動能力。だが、その運動能力にこそ、ガチャピンの“真実”を見抜くヒントが隠されていたのではないだろうか。スキースキューバダイビング、果てはスカイダイビングにまで挑戦してみせる姿を目の当たりにして、普通着ぐるみキャラクターだと思うだろうか。実際に体験した人々の証言によれば、ガチャピンはあの分厚い“皮膚”を身にまといながら、信じがたいほど自由に手足を動かしていたらしい。それはもはや常識を超越した生物動作しか言いようがなかった。

 確かに人間が中に入っていれば顔の位置や手足の長さが合わないことがある。だが、ガチャピン場合、頭の上から足の先まで完璧シンクロした動きを見せる。さらに口や目、そして全身からかもし出される表情が、実に滑らかに変化しているのを見たことがある人も多いはずだ。もし人間操作していたのなら、あれほど自然かつ多彩な表情を瞬時に切り替えることができるだろうか。ときには困ったように眉をひそめ、時にはきょとんと口を開け、またあるときには満面の笑みを見せる。まるで心の底からその感情が湧き上がっているかのように見えたのは、単なる演技ではない証拠ではないかと、今ならば思うのである

 さらに決定的といえるのは、その“身体能力”にある。ガチャピンテレビの中だけでなく、実際の雪山や海、空へと赴き、驚くようなチャレンジをこなしてきた。ウィンタースポーツスキースノーボードだけに留まらず、アイススケートまで器用にこなし、しかもそこに「パフォーマンス的なぎこちなさ」がほとんど見られない。もし着ぐるみ構造上、人間が入っているとしたら、視界の狭さや動きづらさを感じながらの競技になるはずだ。しか映像を見る限り、まったく不自由なく滑り、回転し、時には大胆なトリックを決める。その光景は、どう考えても生身の体がそのまま動いているとしか思えない。ダイビングの場面でさえも、背びれのような形状の足をスムーズに使いこなし、水中で優雅に泳ぎ回るガチャピンの姿を確認できる。空から海へ、深海から宇宙(のようなセット)まで自在に行動する彼を前に、「ガチャピンは生きている」と信じない人のほうが少数派だったのではないだろうか。

 その証明とも言える逸話は数多い。例えばガチャピンが初めてフリークライミングに挑戦した際、重力に抗いながらスイスイと壁を登っていく姿が子どもたちの度肝を抜いた。あの大きな頭と短い手足、それにふっくらとしたボディという不利な体型でありながら、身軽に岩をよじ登っていくのだ。いくら運動神経の良い中の人が演じたとしても、あのバランス感覚説明することは難しい。むしろ、元来あの体が“恐竜”として自然設計されているからこその動きなのではないか——そんな議論が起こるのも当然の帰結だった。さらに、ガチャピンパラシュート降下の際には、一部の専門家が「もし人間が入っているならば、あの頭部の構造上、風の抵抗が想定以上にかかるはずで、あれほど安定して着地できない」と語ったという証言もある。つまり彼ら専門家の目から見ても、ガチャピンの体のつくりは人間が収まるようにはできていないのだ。

 もちろん、テレビ局や関連の制作会社は「ガチャピンキャラクターであり、着ぐるみだ」という公式見解を長らく維持してきた。視聴者の多くも、いつしかテレビ上の演出である」と半ば納得する形で受け止めていたかもしれない。しかし、そうした公式発言がむしろ事実を隠すための“カバーストーリー”だったのではないか、と考える余地は十分にある。なぜなら、ガチャピンの友人であるムック存在だ。ムックは真っ赤な長い毛並みを持ち、ガチャピンと同じ番組に出演していたが、彼の動きにはどこか“着ぐるみらしさ”が漂っていたと言わざるを得ない。もちろんムックも愛らしいキャラクターであることに変わりはないが、歩くときのよたよたした姿や、たまに見え隠れする人間らしさなど、「中に人がいる」と言われれば納得できる振る舞いがあった。一方、ガチャピンの動きはどう見てもスムーズすぎる。まるで“着ぐるみ”として作られたキャラクターと、“本物”として生きている存在が、同じ画面に同居していたのではないか、と考えずにはいられないのだ。

 さら子ども向け番組世界観を考えれば、それほど不思議な話ではない。子ども番組というのは、多くの場合ファンタジーや夢、冒険心を喚起するための舞台である。そこに実在する不思議な生き物がいたとしても、違和感なく受け入れられる。ガチャピンという名前や姿は確かにキャラクター然としているが、実際に存在する“謎の生物”を起用し、番組マスコットとして採用するのはむしろ合理的である。そう考えたほうが、かえって説明がつく事柄は多い。あの愛くるしい笑顔や、どこまでも続く挑戦心、そして飽くなき好奇心。それらは「キャラクターの演技」というよりは、「ガチャピンという生き物の本能的な行動」だったと見なすほうが自然ではないだろうか。

 また、あの独特の喋り方にも注目したい。「○○だよ〜」と伸ばす語尾、やわらかく透き通った声質。もし複数人間が交代で中に入っているのだとしたら、声や話し方にもっとブレや違いが出そうなものだ。しかガチャピンは、長いテレビ出演の歴史のなかで、ほとんど変わらない声と話し方を維持してきた。人間声優存在するとしても、そのピッチトーンを常に一定に保つの至難の業である。ところがガチャピンは、まるで自らの声帯を使って喋るかのように安定した声を発してきたのだ。さらに、口の動きや目の表情、全身でのリアクションが声とぴったり合っているのを見ると、「声を当てている」というよりも「声が体から自然と溢れている」という印象を受ける。これが“中の人技術”では説明がつきにくい最大のポイントでもある。

 その証拠に、イベントやショーでガチャピンが客席の子どもたちと交流する場面を思い出してみてほしい。子どもが話しかければすぐに反応し、笑い、そしてリアクションを返す。その一連の動きには、人形劇のようなタイムラグや不自然な間がない。まるで“その場で考えて”“その場で感じて”“その場で話す”存在であるかのように振る舞っている。長年、いろいろなキャラクターショーを見てきたが、ガチャピンほど“ライブ感”に溢れた対話をするキャラクターは他にいない。これはやはり、ガチャピン自身が一つの生き物として意思を持っているとしか思えないのだ。

 以上のような理由から、私は「ガチャピン中の人などいなかった」と確信している。もちろん、これは夢や幻想を語っているわけではない。子どものころに信じてやまなかったあのワクワク感と、理屈を超えた感動が、実は現実のものだった可能性が高いのだ。制作側は大人の事情からガチャピンを“着ぐるみキャラクター”として扱うほうが都合が良いかもしれない。しかし、私たちが見てきたガチャピンは、間違いなく生き生きと“呼吸”していた。スキージャンプ台を飛び、海中を泳ぎ、崖をよじ登り、さらにはスタジオで歌って踊る。その全てを“不自由なく”こなす姿は、“人間が入っている”という設定だけでは到底説明できないのである

 では、なぜいまだに“中の人がいる”という都市伝説が根強く残っているのか。それは、私たちが何かを理解しようとするときに、どうしても既存の枠組みで説明しようとする人間性質によるのだろう。未知や不思議ものに対して、私たちはつい、「きっとこういう仕組みだろう」と解釈して安心したくなる。ガチャピン超人的な活躍を見るたびに、「きっと中の人が相当なエリートアスリートで、トレーニングを積んでいるのだろう」などと推測するのは、その典型的な反応だ。しかし、ガチャピンの動きや表情は、実はそうした常識的な解釈はるか凌駕している。だからこそ、人々は“中の人説”という無理な理屈にすがっていたのかもしれない。

 私はむしろ大人になった今だからこそ、もう一度あのころの子もの目線に立ち返りたいと思う。あのころテレビで見ていたガチャピンは、私たちに夢と冒険世界を見せてくれた“存在”そのものだった。身体的な限界常識を超えた挑戦を繰り広げながらも、いつもニコニコ笑顔を忘れない。そう、あれは“着ぐるみ”ではなく、私たちの目の前にいる“リアルガチャピン”だったのだ。もし、あのころ私たちが胸に抱いた「ガチャピンは生きている」という直感を大切にし続けるなら、目の前の世界もっと豊かで、もっと不思議と驚きに満ちた場所として映るに違いない。

 思い出してみれば、子どもたちはみんな無邪気に「ガチャピンは本物だよ」「ムックも一緒にいるよ」と信じていた。それがある意味、“正しい”見方だったのだろう。大人になって現実を知るにつれ、いつしか私たちは多くのファンタジーを「嘘や演出」と割り切ってしまうようになった。しかし、本当にそれだけなのだろうか。私たちが大切にしている思い出や、大好きだったキャラクターがくれたあのトキメキは、本当は嘘でも演出でもなく、“真実”が隠れているかもしれない。ガチャピンはそのことを教えてくれている象徴なのだと思う。

 だからこそ、今も昔も、ガチャピンを見ているとワクワクが止まらない。「ガチャピン中の人などいなかった」という言葉は、単なる冗談や誇張ではなく、私たちの信じるファンタジー証明であり、あの緑色恐竜いつまでも私たちの心の中で生き続ける理由なのではないだろうか。子どものころの私が「ガチャピンはただのキャラクターなんかじゃない!」と叫んだあの純粋気持ちは、決して間違っていなかったのだ。

 誰しも子どものころは、目の前にある不思議を疑うことなく受け入れ、感動し、そのまま信じる力を持っている。ガチャピンに秘められた真実——それは彼が実在する不思議な生き物であり、私たち大人になるにつれ忘れかけた好奇心冒険心を体現しているということだ。そこに「中の人」などいない。いるのは私たちと同じように、呼吸し、笑い、挑戦する“ひとつ生命”——それがガチャピンなのである

 きっとこれからも、ガチャピンはさまざまな困難を乗り越え、子どもたちに勇気希望を与え続けるだろう。「こんなことができるわけがない」と誰もが思うような大胆なチャレンジを、新しい形で見せてくれるかもしれない。そして、そのたびに私たち子ども心をくすぐられ、「ひょっとすると、あの中に入っている人がすごいのでは?」とまたしても考えてしまうのだ。だが、最終的にはその超常的な存在感に圧倒され、「やっぱりガチャピンは本物だ」と再認識することになるだろう。

 そう、ガチャピンはいつでも私たちに問いかけている。夢と現実境界を超えて、「本当に大切なことは何か?」と。そして私たちは、その問いに答えるように、もう一度純粋な心で世界を見つめ直す。おそらく、ガチャピンという存在は、子どもだけのものではなく、大人になった今でも、私たちを未知へと誘う案内役なのだ。だからこそ、この言葉を胸に刻みたい——“ガチャピン中の人などいなかった”と。ガチャピンのすべての活躍は、彼自身の力によるものなのだ、と。

 こうして振り返ってみると、ガチャピンテレビ画面の向こう側から私たちに与えてくれたものの大きさに、改めて気づかされる。好奇心、挑戦心、そして他者への優しさ。彼の魅力は、ただ可愛いだけのキャラクターとは一線を画している。それはやはり、ガチャピンという生命体だからこそ生み出せる“にじみ出る個性”だったのだろう。子どもたちはそんなガチャピン勇気づけられ、大人たちは失いかけた冒険心を思い出す。私たち自分の内側に眠るエネルギーと、少しのファンタジーを信じる気持ちがあれば、世界もっと広がるのだと教えられる。

 結局のところ、ガチャピンの正体をはっきり証明する術はないかもしれない。だが、それで良いのだ。むしろ、“謎”を残しておくことこそが、ガチャピンが担う役割ひとつではないだろうか。私たち想像余地を与え、童心に返らせてくれる。神秘可能性を見せてくれる。だから、これから先もガチャピンがどんな挑戦を見せてくれるのか、どんな笑顔私たちを楽しませてくれるのか、胸を躍らせながら待ち続けたい。そしてそのたびに、“ガチャピン中の人などいなかった”という真実を心のどこかで確信しながら、私たちもまた自分世界を広げる挑戦をしてみればいいのだ。

 そう、ガチャピンはずっとそこにいる。テレビの中で、イベントステージで、そして私たち想像力の中で、今日もあの優しい声で「やあ、みんな!」と呼びかけている。彼の存在が教えてくれるのは、世界は思っているよりもずっと広く、そして面白いということ。中の人などいない。ガチャピンは“ガチャピン”という名の生命体であり、挑戦することや夢を見ることの大切さを、これからも伝え続けてくれるだろう。私たちはその姿を忘れず、日常に隠された冒険や驚きを見逃さないようにしたい。ガチャピンに憧れたあの日自分を取り戻すためにも

2025-01-08

社会人年末年始お絵かき振り返り

今年は微妙だった

背景を話すと、仕事しているとほとんど没頭できない。一週間に平日は1日、2日かければいいほうだし、土日も家の都合で丸一日ぶっ続けで描くという時間は取れない。

とすると、得られる成果はしょっぱい模写のみ。。いや、模写がしたいわけではないのだ。作品を作りたいのだ。

1年を通して例外が3回だけある。それは、ゴールデンウィーク夏季休暇、年末年始連休の3回。この連休は1週間がっぽり描く時間を確保できる。これでどこまで行けるかが勝負になってきている。

この長期休暇を活かす自分の中の固定戦術としては、数日をつかって模写→模写→模写→模写→模写→... と模写を繰り返しまくる。そこまでしてようやく、描ける自信とイメージが湧いてくるので、ようやくオリジナルを1枚かけるという感じ。(没入するルーチンにもう一つ工程を挟んでいたりするが、流石にこれはここでは書けないよなぁ。)

しかもこの感覚毎日リセットされるので、1日10時間かいて、ようやく最後の1時間オリジナルを描けるか描けないか。という感じ。

なぞらえれば、吹雪の中の冬の雪山登山するようなもの

山頂を目指すには、雪をかき分けて道を開く必要がある。しかし夜はふもとのベースキャンプに戻らなければならない。毎日ベースキャンプからキロもあるいて入口に到着して、それから道を開墾する。今日は5キロあるいて2キロ開墾する。次の日は開墾するまでに歩く距離が7キロにのびる。進めば進むほど開墾に使える時間は少なくなる。1週間でどこまで到達できるか?時間との勝負

そして次のシーズンではまた雪が積もっているので、開墾を0からやり直し。

1年間でチャンスはたった3回だけ。一回失敗したら次は3ヶ月先か、半年先か。

これは効率が悪い!悪すぎる。。

本題に戻ると、今年の貴重な年末年始の長期休暇のお絵かきアタックの成果は微妙だった。

具体的には構想を温めて3年くらい描き続けてる作品があって、それをこの長期休暇ですこしでも進めたかったのに結局、それには着手できず、オリジナル(模写じゃないもの)を1枚描けただけ。

枠というか、ルーチンから逸脱できずにかなり不完全燃焼に終わってしまったという感覚

敗因分析としては、年末仕事がクッッソ忙しくてコンディション上げに失敗したこと

事前のしこみ(構想をねったりとか、事前に資料を集めておいたりとか)なしに、いきなりほっぽりだされると大抵うまくいかない。

ただ、今回はそれ以前に没頭する深度が浅かった気もする。

最近残業80時間かいってたから、普通にダメージが蓄積していたのかも。

あるいは、やっぱり体力が衰えがあるのか。10時間ぶっ続けで描くのがそろそろ辛くなってきている。体勢を維持するのに胸が詰まって息が苦しいし、視力は下がる一方だし。

体力だけじゃないな。頭の方も劣化している。

むかーし見た「ドラえもん」の長編映画で、のび太の部屋の畳の下が異世界とつながるところから話がはじまるのだが、ストーリーが進むごとにだんだん異世界入口が遠くに離れていき、最終的にはただの床に戻ってしまう、というシーンがあるのだが、まさにそんな感じ。

年月を経るごとに、自分の中のイメージは色褪せていき、遠のき、現実感を失い、いま、向こうの世界とのリンクは断たれつつある。

やうやう暗くなりけり、という感じ。

2025-01-07

死体役はハードである

から死体役はハード

つらい姿勢で長時間死体役を務めるのはあるあるであり、過酷労働だ。

体力的に若い頃にしかできないと言う役者もいる。

これがモブがする仕事かというと、そうでもなく重要人物がやったりもする。

最近だと田中圭が長時間死体のまま雨に打たれて冷えて震えだすというエピソードがあったが、まあ役者あるある…というところではなかろうか。

さすがに全裸のままという状況は稀だろうが、そこは多分全裸になれることを条件にしているのだろうし。

話を聞くたびに役でも水の中で死ぬとか、雪山死ぬとかはしたくないと思う。

まあ確かに残忍なバラバラ遺体人形場合が多いが、そうでないリアリティというのも否定できない。

ベッドで死んでる役とか見ると「快適な死に方だな」と思うが、そんなのばかりでもつまらないし。

時間短縮は業界全体に意識してあげてほしいと思うものだが、今回普段死体役をしないお姉様俳優たちが大河ドラマ愚痴たことで、話が大きくなったようだ。

これを機に改善してあげてもいいのではないか

インティマシーコーディネーターの件についてだが、現在国内公認されているコーディネーターは女二人、男一人らしい。

しか過激作品はすべてコーディネーターをつけるべきだ、という風潮がでかくなってしまっている。追いついていない。まだ発展途上で、時間がかかることなのだが、上記の三人が国内で授業等をして、アメリカに行かずとも認定できるようになったそうなので、あと二年もすれば国内でも多くなるだろう。やりたい人は多そうだ。それほど今必要とされている仕事なのだ

ただ現状、コーディネーター自体がすべての現場ですべてのキャストフォローする、というのは現実的に無理で、ある役者のある場面について対応するという状況であるのだろう。

いろいろ考えるべきだと思うが、一つ思うのは誰か一人が悪だと認定しても意味がないということで、その「怒りポスト」が誰かを死に追いやるということを、我々はさんざん見てきたということだろう。

一対一の問題でない以上、慎重に発言することも、今の時代に求められるアカウントブランディング力ではないだろうか。

2024-12-07

推しの子は実写を見ろ

まあ概ね評価は出てると思うが実写レベルではゴールデンカムイレベルに持っていってる。どっちも同じ雑誌だなぁ。

さらに同じ部分といえば、ゴールデンカムイと共に作者が脚本に絡んでいることと、スタッフ原作ファンということ、またどちらも再現したいものに口出しされないために製作主幹事が賭けていることかもしれない。推しの子にいたってはアマプラ制作と思われたが東映100%出資だった。

ゴールデンカムイに関しては脚本というより北海道雄大自然(植生にこだわった結果多くが北海道ロケになった)と役者たちの「爪痕残すぞ」レベルの怪演の数々、またキャスト原作理解度の高さ、衣装小道具舞台を始めとする裏方チームの異様な熱気を感じる部分が見どころになっている。

脚本は「原作ファン」「原作をできるだけ再現すること」「その上でコンプラ時間短縮すること」「キャラを損なわないこと」に力を入れたようだ。

推しの子脚本監督もまた「原作ファンなのだゴールデンカムイと違うのは「時間が短いこと」だろう。

まずゴールデンカムイ企画というのは金でぶん殴ったような動き方をしている。山﨑賢人を雪山に8ヶ月拘束して1本の映画1シリーズドラマ撮影している。それをおそらく、何年も続けるつもりだ。異常である

推しの子場合常識的企画とも言える。

ドラマで前日端的にやって映画で締める。いつもどおりの実写で時間がない。

とすればなにが必要かと言うと、原作再構成なのだ

取捨選択だけでは補足できない。何が必要で、何が要らないのか、さらに補うものはなにかを考えて「面白いものは何か」を突き詰めなけれないけない。

これは失敗した実写をたくさん見てきた。多くは低予算で、スケジュールも短く、かつ「なぁなぁ感」があるものだ。

しか推しの子予算があるし、ブレイク前夜の若手を使って、他の作品と重ならないようスケジュール確保をした。キャラクター研究役者と深堀した。監督脚本漫画のシーンを全部記憶したそうだ。

裏付け証拠として、あのちゃんYouTubeがあるだろう。「MEMちょの気持ちを知りたくて」と撮影途中から始めたようだ。正直売れっ子なので役作り時間ないと思ってたが、しっかりしていた。故に実写のMEMちょ、滅茶苦茶いい。

キャラ解釈を守り、若手だけでは不安定な部分をベテランで固め、若手の新しい面を引き出すことができた実写は、連載原作でどうしてもブレたキャラクター性を再度固めている。

ストーリーに関しても、連載で人気や盛り上げる部分を意識するがあまりおざなりになった部分を、実写スタッフは見逃さない。作品真剣向き合った結果だし、間違っていない取捨選択をしている。

漫画は一人、編集入れても二人か三人、作画で四人程度の少人数で作るものだ。

からこその作家性を楽しめるのだが、莫大な人と金が動くときに、そこには保険必要になる。

大勢の人が一つの作品に関わると、もしかしたら作家性は薄まるのかもしれない。

しか作品を守る意味も込めて、メディア化というもの真摯映像作りが求められるのだろう。推しの子メディア化の問題真摯に向き合ったように見えた。

推しの子原作は終わりを迎えた。

この終わりはきっと原作を追っていた人だけが受け止めればいいと思う。

終わってみて、ああすればよかったねってとこは変えてしまえばいいし、それこそがメディアミックスの意義ではないのか。

誰もがガラスの仮面みたいに描き直せるわけでもないのだし、今回ドラマを見てつくづく思ったよ。

からならまだ間に合う。推しの子ドラマを見ろ。

推しの子ってめちゃくちゃ面白いんだぜ。

2024-11-30

認知症に対抗するための明晰夢

いわゆる認知症は以下のような特徴を持つ

現実認識できなくなり、妄想世界現実認識するようになる

妄想世界がどんなに現実に有り得ない展開を繰り広げても本人は気付けない

・ふとした拍子に現実世界へ戻って来る

 

これはまさに夢の特徴と同じではないか

夢はどんな突飛な展開でも夢と自認することが出来ず、朝目が覚めてから「変な夢だったなあ…」と自覚する

まり変な夢を夢と看破できるよう訓練を積めば、いざ認知症になっても「今自分は夢を見ている」と自覚して、早めに現実世界に戻って来れるはずだ

そういった夢という自覚のある夢を明晰夢と呼ぶ

明晰夢を見る訓練はまだ認知症になっていない今から積むしかない

 

今日は惜しいところまで行った

家族で引っ越さなければならなくなり、一階がモール直結で人が平気で行き来する狂った一軒家に向かった

これは夢だと気付いて、今自分マンション住まい、引っ越す必要はどこにもないと自分に言い聞かせた

しかし、一軒家を出たところで眼前に広がった鎌倉雪山海辺がとても美しく、夢から覚めたくないと思ってしまった

そこから記憶あやふやだ、きっと夢の世界を堪能してしまったのだろう

元の家に帰るために大海原を泳いだ映像がうっすら脳に残っている

 

二度寝したところ、また夢を見た

何かの試験を受ける夢だ

ここでも夢だと気付くことができ、自分最近資格試験を受けたばかりで、他に試験を受ける予定はなかったと自分に言い聞かせた

しかし夢から目覚めようとしても上手く目覚めることが出来なかった

ただ席を立ったり座ったりしただけだ

焦っているうちに場面が切り替わり、自分教室の外で荷物カバンに詰めていた

教室から脱出できてホッとしたのが良くなかったのだろう、またもやそのまま夢の世界に取り込まれしまった

高校時代同級生が何人か出てきて楽しく会話をした

 

明晰夢といえば「夢を夢と自覚した上で自由コントロールできるようになる」のがよく言われる最終目標

だけど自分は違う、夢と自覚したらすぐに現実世界に戻れるようにしたいのだ

それは夢のコントロールに比べれば非常にもったいないことで、実際にそういう惜しむ気持ちがあるからこそ、自分はまだ夢に囚われてしまうのだろう

もし逆に夢をコントロールできてしまったら、認知症に対抗するという自分目標は達成できない

ただ認知症発症した状態で目の前の妄想コントロールできるようになるだけだ

まりに居心地が良くて、かえって現実世界に戻れなくなるかもしれない

 

今日はどんな夢を見るだろうか

2024-11-20

役所デジタル化で「高齢者への対応」が問題になるが、今75歳の人はWindows95が発売された時45歳だったのになんで使えないのか?

いま75歳の人でも、Windows95の発売時は40代それから30年。なにしてたん?という気持ちになりますよね。

当時は「パソコンちょっと…」と言えば使えずとも許され「自分アナログなんで」と謎に誇らしくアピールする手合いが多かった

その手の「アナログなんで」の人が、じゃぁ綺麗な字を書けるか、絵を描けるか、手を動かして何か作れるかっていうと大抵できないんですよねぇw

雪山太郎

@yukiyama2003_2

@avr2vfr その時代だとまだ「パソコンを使える奴はキモいオタク」って印象が世間一般的にあったか

40代とかで家庭を持った人がパソコンを出来るとかって逆にマイナスイメージがあって社内的にヤバいから手を出さなかったとかあるかも

けっきょくは周りに合わせてセーブしてたってことか

怠慢とゆーよりは世間の目を優先したんだな

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