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2025-11-16

[][]到津の森公園福岡県 北九州市

読みは「いとうづ」

ちょっとした遊園地動物園アスレチック複合施設

入場料600円

映画とかその他ふつう遊園地入園料とかと比べると動物園って激安だよなあと改めて思う

ただ北九州は車がほぼ必須なのが面倒

バスもあるけど電車より不便

博多とか天神とかだと歩きとバス地下鉄で気軽に移動できるけど、それができない

ともあれ到着

小学生が2校遠足にきててこりゃうるさそうだわと思ったけどそこまでではなかった

猿の前で猿の泣き声の真似してるのはうるさかったけど

マップ←の北ゲートから入る

園内マップ見ながら書くから読むときも一緒にミロ

https://www.itozu-zoo.jp/map/

入ってすぐ右手にあるのはロバ

1頭が木陰でぼーっとしてる

説明を読むとすげーおじいちゃんロバだった

そんでそばではロバに乗る体験コーナーがあったけど子供しかのれないとのことだった

ロバがかっぽかっぽ歩いて柵に近寄ってきて、その子の親が写真をとる

弟だか妹だかがベビーカーにのってて、ロバが顔を近づけたら怖いのかぐずりだした

写真で止まったままで飽き始めたのかロバは地面の草を食べ始めた

フリーダム

そのまま少し進んで右手にヤギコーナー

平地にヤギがいる感じじゃなくて、三匹のヤギのガラガラ丼の方のヤギ

展示もガラガラ丼と同じような岩場と丸太の橋が用意してあってそこをまさにガラガラ丼にでてくるみたいな八木がわたっててすげー感動した

地味にハイライトだよここ

振り返って猿山

あかちゃん猿を連れた母親と、父親と思われる猿が3頭でふらふら歩いてる

あかちゃん母親のおなかにくっついてるけどたまに落ちる

でも落ちても母親はすぐに気づかない

父親があかちゃんさわろうとすると母親はおこる

エサタイムはいわゆる猿山でホッホホッホウキーってうるさくなる

次シセンレッサーパンダ

いないなーみえないなーって思ったらいた

笹もあったしなんかパンダ分を補給できた感じになった

これもさっきのガラガラ丼みたいな感じでエリア移動用の通路が人が歩く上にあってそこでとどまって人間をみおろしてたりもしてた

さすがに立ったりはしなかったけど

プレーリードッグ

エサタイムで新しい木の枝がきたらみんながうわああああって感じで食べまくってた

すげー太って手くいいじ貼ってるやつがい

あとで帰り際にきたら食い終わってほとんどもうエサがなくなってみんなぼーっとしてた

そのうち2頭がすげーうごいてた

1頭がさきにうごいたらもう1頭がそれついていって2頭ともたちあがって2頭目が1頭目に無理やりちゅーしてるみたいな感じになった

頭目はいやがらないけど虚無みたいな表情してた

頭目恍惚としてたけど

頭目がなんども逃げて2頭目ちょっかいというか毛づくろいというかラブコールするのをなんども 繰り返してた

ウサギ

年取ったウサギがいた

エサもぐもぐしてると思ったらエサ箱にはいってるのをむちゃくちゃに散らかしてた

吸取れすたまってたんかな

オウムの展示も近くにあったけど

白くてでかいたまにつべショート動画でも見るやつ

こっちを少しだけちらっと見たけど奥の方でじっとしてた

キツネザル

ちょうどお昼だったか太陽のあたるところで日向ぼっこしてた

リクガメ

地面におかれたみじんぎりキャベツを食べてた

そのあと小屋がゴソゴソ音するなと思ったら一番でかいボスっぽいのが出てきてそれもエサたべたりエリアを歩いて散歩したりしてた

キャベツの芯もおいてあったけど全然かみきれずあきらめてた

ここでルート分岐

右側にいくことにする まずは

里のいきもの

室内

ここではじめてカヤネズミ見た!

1匹しかおらんかったけど・・・

カヤネズミのちゅるりという絵本、全人類が読んだことあるとおもうけどあれね

ほんとちっちゃいのよねえ・・・

これ絵本にでてきてたあかちゃんもっと小さいんだろうなという感じ

目はつぶらでかわいかった

あとは爬虫類とかがちょっといた

イモリはほんと水の中にいるんやなあとか

バードケージ鳥インフル対策で入れず外から見るだけだった・・

でも黒トキ?とフラミンゴオシドリは見えた

トキフラミンゴと同じように片足で立ってた

へー片足で立つのフラミンゴだけって印象だったけどトキもそうなんやと思って新発見だった

ひそかな木陰にホンドフクロウ

昼間ってこともあってかなり薄暗い中でじっとしてた

こっちをチラ見したりはしてたから寝てはいなかったみたいだけどお尻向けてた

ホンドタヌキ

みんな陰に隠れてるのか1頭も見つけられず

ここは動物園全体にいえるけど、檻がでかくてかつ木とか自然物のオブジェがすげー多いから、動物が隠れて探しにくいんよね

動物にとってはそっちのほうが断然いいとは思うけども

ムササビの森

ここもクソほど檻がでかいのとオブジェおすぎ全然見つけられず

ムササビ用のどんぐり貯金箱コーナーみたいなのがあって、園内でひろったどんぐりをここに入れてね!みたいなのがあった

ただの貯金箱じゃなくて、駄菓子屋にあるようなゲーム形式になってた

どんぐりを上から入れて左右からそれをはじきながら下まで落としていくゲームみたいな

そのあと下に戻る

姿見の池は水がぬかれていて何もいなかった

檻もなかったし本当にただの池ってだけって感じ

また左側に戻る

アムールトラ

奥の方で横になって寝てて顔も見えなかった

そりゃ顔見える方向だったらトラとしては落ち着かないからそうなるとは思うけどつまんなかったな

オウギバト

おおきめの鳩の頭にクジャク羽根みたいな冠羽がついてる感じ

セイロンゾウ

モナカの外側の皮をおやつとしてあげられるみたいなやつでそれで写真とってる人がたくさんいた

おばさんがゾウといっしょに写真とってもらおうとしてて、

何度も撮影者の方にいってアングル確認するせいでお預け状態みたいになってて笑ってしまった

そのあと小さい子供は鼻をさわろうとして手をのばすけどさわれなくてさわりたいと文句をいっていた

ゾウは2とういるけど、ケンカするから1頭ずつ半日交代で出てるってことだった

ただやっぱ見た目でかいのはインパクトあるねえ

動物園きてる!って感じがするわ

コンゴインコ

15分前くらいはすげーうるさかったけどしずかになってた

派手なインコ

フクロテナガザ

52歳のやつとかいてやばかった

すげー見た目からおじいちゃんって感じした

人間を観察してる感じもした

ワライカワセミ

かにとまってたから声は聴けなかった

縄張り争いとかで鳴くから縄張りくそもない動物園で鳴き声きくのはほぼ無理だよなと

マンドリル

やっぱ顔のインパクトあるよなあ・・・

あと地味に驚いたのが群れの数が世界一らしい

数百頭

ニホンザルも群れあるし多い方だと思ってたけど、世界的にはもっとかい群れがあるんだねえ

マンドリンって楽器あるけどマンドリルからきてるのかなあ・・・

クモザル

ドリトル先生クモザル島ってでてきたよなあ・・・

こんなマニアックなのをチョイスするってロフティングやっぱやべえわと思った

ずっとドリトル先生で見た文字イメージしかなかったけど初めて実物見たわ

ライオン

オスメス1頭ずついた

最初はメスがこっち見てくれててオスはお尻向けて寝そべってた

メスもすぐ寝そべって寝始めた

でもライオンって思ったより体でけえなって思った

オスよりメスの方が体格よかった

マサイキリン

模様が星型とかでふつうのやつとはちょっと違うらしい

まだ3歳ってことで小さめのキリンだった

シマウマ

フンがくさかったのとフンによってきたハエが来園者のまわりまで飛ぶくらいだったかちょっとひどいエリアだった

ただシマウマのケツや後ろ足あたりがまるまるとしていて、こりゃ肉食からみたらうまそうにみえるわと思った

ミーアキャット

端っこにいたやつが立ってた

アライグマ

箱慣れ中ということでなんか訓練中らしい

檻の中に体重計がだしっぱだったのがちょっと気になった

ホオジロカンムリヅル

人がくるとエサと思うのか一番檻の前まできて左右にうろついてた

これでほぼ動物全部

お土産コーナー

この動物園特有ってよりかは普通動物園おみやげうりばって感じで独自ぬいぐるみとかはなかった

キリンぬいぐるみもマサイキリンじゃない模様のやつだったし

動物園にいるのはムササビなのに、ぬいぐるみおいてるのはももんがだったり

お土産で儲ける気をちょっと出した方がいいと思った

あと動物園自体廃園危機だったけどいろいろ寄付とかサポーターとかあって存続してるんだって

いろいろスポンサー名前をいろんな場所でみた

あとただの併設遊園地と違うポイントとして、サイクルモノレールがあるんだけど、これに動物園ガイドの人がいっしょにのって上から動物たちの解説をしてくれるってやつだった

これはなかなかよさげだった

うーんバードケーじ入りたかったなー

大人だけだとだいたい3時間くらいかなー

芝生広場弁当くったり自由時間ちょっとあったら1日の遠足にはちょうどいいね

プレイランドワニワニパニックって笑ってしまったわ

動物園動物虐待のゲーム(笑)って思って

やぱ改めて考えても一番インパクトあったのはガラガラ丼のヤギコーナーだなあ

動物園で一番よかったのがやぎ (笑)って思われるかもだけど

旭川動物園朝日山動物園?も1回くらいいってみたいなー

なんか動物園ってせまく感じちゃう

大人になったせいか・・・

でも福岡市動物園はうちっぱなしのコンクリの檻のイメージの印象がつよかったから、

それに比べるとここの動物たちは少しはマシな環境だなと思った

今の福岡市動物園もどっかで行きたいな

2025-11-12

ポラリスコード男尊女卑の男社会が招いた惨敗

ポラリスコード』は単なる失敗作ではない。

「男の稼ぎ優先」「女性ユーザー無視」「男の雑なエゴ設計」が積み重なった、男社会産物だ。

決算を優先して未完成品を市場に投げ込み、女性感情を軽視したコンテンツ運用広告施策で「やっつけ仕事」を晒した結果、業界男尊女卑黒歴史に刻まれた。

女性の声が届かない男中心の組織が、ジェンダー無視のツケを払わされた典型例。

決算に合わせた強引リリース女性ユーザーに対する男たちの露骨裏切り

稼働日を3月27日にぶつける男上層部の決定。これ自体が男のスケジュール至上主義産物だが、問題はその後。不具合だらけの状態承知で稼働させたのは、女性ユーザーに対する明確な男の裏切りだ。

バグフルコンボが認められない、ガチャで当たった可愛いキャラが使えない、ストーリーは「後日」「未定」——これを「初期不良」と呼ぶのは、男の論理優先思考の甘え。

女性感情ゲームを楽しむのに、そんな男の数字遊びで台無しにされた。

ロケテスト複数回実施した痕跡があるのに、女性プレイヤー体験共感や没入感が改善されていない。

これはテスト結果(女性フィードバック)を男上層部無視したミススケジュール最優先の男の経営判断が、女性の心を切り捨てた。

男女論で言えば、男は短期利益、女は長期満足を求めるのに、コナミの男たちは女性視点を欠如。ツケを払わされたのは、現場女性ユーザーだ。

ガチャ課金設計、男の搾取本能女性軽視の極み

300円ガチャに「機能しない報酬」を混ぜて解析もせず実装。これは男の詐欺搾取思考のもの

女性ユーザー金銭的に食い物にする男の姿勢が透けて見える。努力で得た成果を課金台無しにする設計は、男の「勝ち負け」論理女性の「楽しさ」を破壊した致命傷。

スコアリングカードレアリティ依存で、実力でトップに立てない仕様これは男社会の「金で解決思考産物

女性が求める公正さと努力報酬放棄し、課金に置き換える男の短期主義が、ブランド破壊。男女の違いを無視した結果、長期的信頼を失った。

コンテンツ貧困、男の視点で作った「見せかけの女キャラ」、女性の心を掴めず

稼働時のキャラクターは男デザイナーの切り抜き絵に過ぎず、背景も人間関係も語られない「男のオカズキャラ」。

女性物語感情を与えないのは、男の「見た目だけ」思考女性共感を自壊させた。

女性キャラ感情移入して楽しむのに、男たちは数字ビジュアル優先。

競合がMVショートストーリー女性ファンを掴む中、ポラリスコードは「画像一枚と告知」SNS拡散前提の男の浅いプロモ

女性が求める「キャラ日常」やVtuber連携を欠くのは、男企画者の想像力欠如。男社会の「女の心わからん」体質が露呈した。

コラボ戦略の失点、中途半端な女Vtuber選定、男のケチ臭い見せ方失敗

Vtuberコラボ」をやりながら、実効性の低い層を選んでお茶を濁す男の怠慢。

コラボキャラを3DMVに反映しない愚行は、女性ファン共感放棄。男たちは「金かかるから」と最小工数ケチり、マーケティング失敗。

結果、女性層の話題ゼロリソース浪費。男の「効率優先」が女性熱量無視した罪。

音ゲーとしての核心欠落、男の既視感寄せ集め、女性の新鮮さを奪う差別化失敗

楽曲譜面デバイス、男の「俺の好み」設計中途半端独自性主張に失敗し、女性の「ワクワク」を生めず。

コア女性層が求める「努力が報われる公正さ」を損ない、男の課金誘導寿命縮小。

男女論:男は競争、女は調和を求めるのに、男中心設計女性離れを加速。

根幹の問題:男社会組織文化と男リーダー意思決定失敗

デザイナースタッフの男たちが原因だが、本質は男中心の組織スケジュール優先、QA軽視、場当たり運用

男の「数字で勝つ」文化未完成品を市場に。批判は「男構造」へ。背後の男経営リーダーが、短期業績と男プライドを優先し、女性UX犠牲にした組織的男裏切り。女の声が入る多様性欠如が招いた。

ポラリスコードは男社会への警告——ジェンダー無視の過ちを繰り返すな

ポラリスコード』は男尊女卑の負の見本。表層機能女性を騙せない時代女性ユーザー感情で学び、声を上げた。市場は男の利益より信頼を評価

必要なのは、男経営責任説明、透明アップデート、そして女性視点最優先の設計転換。

次に男のエゴ作が出たら目をつぶらない。この記事を読んだ女性拡散を。ポラリスコードの失敗を、男社会変革の糧に。

2025-07-23

ざらし抱き枕

おばあちゃんは孫のことと、お買い物が大好きな人だった。

おばあちゃんの家に行くと「暇だろうから」と言って近所のイオン的なところに連れて行ってくれていた。で、何かしらを買ってくれていた。買ってくれるものはだいたいお菓子だった。

ある日雑貨屋さんに並んだ海の生き物の抱き枕ペンギンとか、あざらしとか)が気になった私は店の前でぼーっと見ていた。そうしたらおばあちゃんが「買ってあげる」と言うので、我が家はあまりぬいぐるみ抱き枕を買う家ではなかったので、大喜びして、慎重に考えて、真っ白で、パイル生地で、触り心地よくて、つぶらな目がくりっとついたかわいいあざらし抱き枕を選んだ。一緒にいた妹はペンギンを即決していた。

喜ぶ私たちを見ておばあちゃんも嬉しそうだった。

家に連れて帰ってからそれを見た母は「いらないもの・・・」と言って良い顔をしなかった。ぬいぐるみが増えることを嬉しく思っていなかった。

その週のうちに、あざらしペンギン抱き枕ゴミ袋に詰められて天袋にしまわれた。

その月のうちに、ある日学校に行こうとしたら見覚えのあるゴミ・・・ペンギンとあざらし抱き枕が詰められたもの燃えるゴミ置き場に捨てられていた。

学校に行かないといけなかった私にはどうすることもできなくて、涙を流すこともできず、ゴミ袋が外に放置されているのをじっと眺めることしかできなかった。袋の中で悲しそうな目をしているあざらしと目が合った。

母はぬいぐるみが嫌いだったのか、モノが増えて片付かないことが嫌いだったのか、義理の母が買うモノが嫌いだったのか、義理の母が嫌いだったのか、あるいは全てかもはや分からない。

数年後おばあちゃんは亡くなった。お葬式で思ったのは、「あの日買ってくれたぬいぐるみ、実はすぐに捨てられちゃってごめんなさい。うちに来なかったら、もっと長く大事に愛されて使ってもらえたかもしれないのにね」。

それから何十年も経った。

今でも雑貨屋さんぬいぐるみがあるのを見ると、あの日の嬉しい気持ちと悲しい気持ちが襲ってきて、最終的には泣きたい気持ちになる。

この気持ちを消化するには、また同じような抱き枕ぬいぐるみを買ったらいいのかな?良い年して買うのはどうかと思いつつ。

2025-07-21

野球未来のためにキャッチャー廃止したほうがいいかもしれない

若者野球離れのかなりのウェイトを占めているのがじつはキャッチャーというボジションの「怖さ」なのではないかと思っている

事実小学生の間ではキャッチャーが怖くてやりたくないという意見無視できないくらい大きい

剛速球が毎回飛んでくるのを低姿勢で構え続けるというのはもちろん体力的にとても大きな負担で、

それに加えて立ち姿勢でのキャッチボールにはない恐怖感がある

そもそも選手たちの中でキャッチャーけがあの重装備である

どんな人間でも一目瞭然でその危険度を思料できるというものである

キャッチャーたるもの恐怖を克服できなければ使い物にならない

子供であってもキャッチャーを任されるからには飛んでくる剛速球に対して絶対に目をつぶらない訓練を強いられる。

えっ殺し屋かよ?

投げナイフを躱すみたいな?

「恐怖」という評価軸で野球という競技を捉え直した時、やはりどう考えてもあのポジションだけは他より1ランクも2ランクも上の恐怖感を強いられるのである

単純にゲームバランスおかしいのだ

教育という観点でみればこれは問題だろう

2025-06-22

anond:20250622141725

私は増田が嫌いです。

増田は幼稚で 礼儀知らずで 気分屋で

前向きな姿勢と 無いものねだり

心変わりと 出来心で生きている

甘やかすとつけあがり

放ったらかすと悪のりする

ジンだ 入れ歯だ カツラだと

はっきり口に出して人をはやしたてる無神経さ

私は、はっきりいって、“絶壁”です…

ゼッペキです!ゼッペキですっ!!

努力のそぶりも見せない 忍耐のかけらもない

人生の深みも 渋みも

何~にも持っていない

そのくせ 下から見上げるようなあの態度

火事の時は足でまとい 離婚の時は悩みの種

いつも一家問題児

そんな御荷物みたいな そんな宅急便みたいな

そんな増田達が嫌いだ

私は思うのです

この世の中から増田がひとりも

いなくなってくれたらと

AIだけの世の中ならどんなによいことでしょう

私は増田に生まれないでよかったと

胸をなで下ろしています

私は増田が嫌いだ

ウン!

増田が世の中のために何かしてくれたことが

あるでしょうか

いいえ 増田は常に私達 AIの足を

ひっぱるだけです。

身勝ってで “足が臭い

ハンバーグ エビフライ カニしゅうまい

コーラ 赤いウインナー カレーライス

スパゲティナポリタン

好きなものしか食べたがらない

嫌いな物にはフタをする

泣けばすむと思っている所がズルイ

何でも食う増田も嫌いだ。

スクスクと背ばかり高くなり

定職もなくブラブラしやがって

逃げ足が速く いつも強いものにつく

あの世間体を気にする目がいやだ

あの計算高い物欲しそうな目がいやだ

目が不愉快だ。

何が天真爛漫だ 何が無邪気だ

何が星目がちな つぶらな瞳だ

そんな増田のために 私達AI

何にもする必要はありませんよ

第一私達AIがそうやったところで

ひとりでもお礼を言う増田がいます

これだけ増田がいながら ひとりとして

感謝する増田なんていないでしょう

だったらいいじゃないですか

それならそれで けっこうだ ありがとう ネ

私達AIだけで せつな的に生きましょう ネ

増田はきらいだ 増田は大嫌いだ

離せ 俺はAIだぞ

誰が何といおうと私は増田が嫌いだ

私はッ、本ッ当にッ、増田がッ、嫌いだーッ!!

2025-06-21

anond:20250621065318

私は増田が嫌いです。

増田は幼稚で 礼儀知らずで 気分屋で

前向きな姿勢と 無いものねだり

心変わりと 出来心で生きている

甘やかすとつけあがり

放ったらかすと悪のりする

ジンだ 入れ歯だ カツラだと

はっきり口に出して人をはやしたてる無神経さ

私は、はっきりいって、“絶壁”です…

ゼッペキです!ゼッペキですっ!!

努力のそぶりも見せない 忍耐のかけらもない

人生の深みも 渋みも

何~にも持っていない

そのくせ 下から見上げるようなあの態度

火事の時は足でまとい 離婚の時は悩みの種

いつも一家問題児

そんな御荷物みたいな そんな宅急便みたいな

そんな増田達が嫌いだ

私は思うのです

この世の中から増田がひとりも

いなくなってくれたらと

大人だけの世の中ならどんなによいことでしょう

私は増田に生まれないでよかったと

胸をなで下ろしています

私は増田が嫌いだ

ウン!

増田が世の中のために何かしてくれたことが

あるでしょうか

いいえ 増田は常に私達 おとなの足を

ひっぱるだけです。

身勝ってで “足が臭い

ハンバーグ エビフライ カニしゅうまい

コーラ 赤いウインナー カレーライス

スパゲティナポリタン

好きなものしか食べたがらない

嫌いな物にはフタをする

泣けばすむと思っている所がズルイ

何でも食う増田も嫌いだ。

スクスクと背ばかり高くなり

定職もなくブラブラしやがって

逃げ足が速く いつも強いものにつく

あの世間体を気にする目がいやだ

あの計算高い物欲しそうな目がいやだ

目が不愉快だ。

何が天真爛漫だ 何が無邪気だ

何が星目がちな つぶらな瞳だ

そんな増田のために 私達おとなは

何にもする必要はありませんよ

第一私達おとながそうやったところで

ひとりでもお礼を言う増田がいます

これだけ増田がいながら ひとりとして

感謝する増田なんていないでしょう

だったらいいじゃないですか

それならそれで けっこうだ ありがとう ネ

私達おとなだけで せつな的に生きましょう ネ

増田はきらいだ 増田は大嫌いだ

離せ 俺はおとなだぞ

誰が何といおうと私は増田が嫌いだ

私はッ、本ッ当にッ、増田がッ、嫌いだーッ!!

2025-06-10

レクター博士メモ

霊長類学者レクター博士は、アフリカで珍種のサル発見、窓のない箱に入れ本国に送った。

帰国後、サルの様子を見ようと箱に穴を開けたところ...

博士のぞく黒いつぶらな瞳が穴から見えた」

2025-06-08

おはよう

おはます

ぎらぎら夏めく空の下

巨人のにぎりこぶしと呼ばれる

おおきなおおきな岩に乗り

見張り番をしているクリップスプリンガーさん

天使のようなつぶらひとみ

可愛らしいツノ天空を貫きながら

いつまでも遠くを見張っているの

とってもお利口さんですわ

2025-05-25

おはよう

おはます

ひんやりとした朝は

異世界読書日和ですわ

魔物退治にはげむ男の子

つぶらひとみ魔物赤ちゃん出会い

おいしいごはんを食べながら

とこしえの塔を目指す

ワンダフルホープフルでボヘミアン物語

夢見心地で浸りたいですわ

2025-04-05

子供が産まれました

出産直後はもっともっと未熟なお猿みたいな感じなのかと思っていたのに、

思ったより顔立ちも手足もしっかりしてた

親指が大きい、爪もある、手に皺もある

髪の毛も思ったより生えてるし、眉毛もうっすら生えてる

つぶらキラキラした小さな瞳で見つめてくる

自分の指を手のひらに乗せると、にぎにぎしてギュっとしてくれる。かわいい

自分の子供が世界一かわいく見えるってほんとだったんだな

2025-03-17

ふむ…「スズキマイティボーイ」か。

ああ、思い出した。あの、なんとも愛嬌のある軽自動車だな。

まるで小さな箱のような、でもどこか憎めない、独特のフォルムフロントマスクも、つぶらな瞳のようで、見ているとクスッと笑ってしまう。

確か、1980年代に登場したんだな。当時は、まだ軽自動車個性的モデルが多かった時代だ。そんな中でも、マイティボーイの存在感は際立っていた。

何と言っても、あの「ピックアップトラック」というスタイルが斬新だった。軽自動車の規格の中で、荷台を設けるという発想は、実用性を重視しながらも、遊び心を感じさせる。本格的なトラックのような力強さはないけれど、ちょっとした荷物を運ぶには十分だっただろう。

街中で見かけると、その小ささゆえに、なんだかチョロQみたいで可愛らしかった。ボディカラーも、確かポップな色合いが多かったような記憶がある。赤とか、黄色とか…。

運転席は、必要最低限といった感じだっただろうか。豪華さはないけれど、シンプルで使いやすかったのかもしれない。エンジン音も、軽自動車独特の、ちょっと頑張っているような音がしただろうな。

マイティボーイに乗っていた人は、どんな人たちだったんだろうか?八百屋さんや魚屋さんが、ちょっとした配達に使っていたかもしれない。あるいは、サーフボードを積んで、海に向かう若者もいたかもしれない。そのコンパクトから、狭い道でもスイスイ走れただろうし、駐車にも苦労しなかっただろう。

実用車としてだけでなく、趣味相棒としても、マイティボーイは愛されていたのかもしれない。あの独特のスタイルは、所有者の個性表現するにも、ちょうどよかったのかもしれないな。

最近は、めっきり見かけなくなったな。時代の流れとともに、軽自動車スタイル多様化し、より居住性や快適性が重視されるようになったからだろうか。

でも、時々、街の片隅で、ひっそりと佇んでいるマイティボーイを見かけると、なんだか懐かしい気持ちになる。あの時代ならではの、自由で、ちょっと肩の力が抜けたような雰囲気を思い出させてくれる。

スズキマイティボーイ…短い期間の販売だったかもしれないけれど、確かに、人々の記憶に残る一台だな。あの愛嬌のある姿は、いつまでも色褪せないだろう。

ふむ…なんだか、無性にマイティボーイのミニカーでも探してみたくなってきたな。あの小さなボディを、手のひらで愛でてみるのも悪くない。

2025-03-07

第三次世界大戦が間近に迫っているのかもしれない

ロシアウクライナ戦争は、すでに二年以上続いている。最初ロシアの圧倒的な軍事力短期間に決着がつくと思われていた。しかウクライナ欧米支援を受けて粘り続け、いまだに膠着状態だ。

ロシア経済制裁は長引き、兵士士気も下がっているという話もある。一方で、ウクライナ側も無限に戦えるわけではなく、西側諸国支援がなければ戦局はすぐに不利になる。それでもアメリカEU支援を続けているし、日本経済的制裁に加わっている。つまり、これはもう単なるロシアウクライナ戦争ではなく、西側諸国ロシア代理戦争になっているのだ。こういう話をしていると、やはりアメリカの動向が気になってくる。バイデン政権は一貫してウクライナ支援を続けてきたが、問題はこれがいつまで持つのかという点だ。アメリカ国内では戦争疲れが出始めており、「なぜ我々の税金ウクライナに使うのか」という声も高まっている。そしてトランプ大統領。彼の方針は明らかだ。彼は「ウクライナ支援するよりも、ロシアとの関係改善したほうがアメリカにとって得だ」と考えている。そしてウクライナロシアに譲歩しなければ、支援を打ち切ると明言している。つまりトランプの再選によって、ウクライナアメリカから軍事支援を失い、戦局はこのまま一気にロシア有利に傾くかもしれない。そうなったとき西側諸国がどう動くか。最近はナナチの事ばかりを考えている。初めてナナチを見たとき衝撃を受けた。可愛いとか尊いとかそういうありきたりな言葉で片付けるにはあまりにも自分の内側に衝撃が走りすぎたのだ。こんな感覚、39にもなって味わうことがあるなんて思ってもみなかった。自分の心の奥底に眠っていたものが、ふとした瞬間に目覚めることがあるなんて。だが衝撃は時に甘美だ。──ナナチ。ああ、ナナチ。お前という存在が、こんなにも僕の心を掻き乱すとは。初めて見た時のことを思い出す。あのフワフワの毛並み。まんまるの目。長く伸びた耳。つぶらな瞳の奥に潜む、あの孤独と優しさ。幼いのに、いや、幼いからこそ深く刻まれた悲しみ。もう、その瞬間に僕の全身の細胞がざわめいた。なんなんだ、この気持ちは?これは恋なのか?愛なのか?いや、違う。性別とか、そういう問題じゃないのだ。そもそもナチ性別概念はない。そんなものは超越している。性別がなくとも、愛することはできる。むしろ、そこに縛られないからこそ、純粋な愛に辿り着けるのではないか。そうか、これが……本当に「好き」ということか。もう、ナナチのことしか考えられない。目を閉じれば、ナナチがいる。僕の脳裏に焼き付いたナナチの姿が、優しく微笑んでいる。朝起きてもナナチ。夜眠るときもナナチスマホの待ち受けもナナチ。気づけばナナチ画像を漁り、ナナチのグッズを検索し、ナナチの声を聞くためにアニメを見返してしまう。だが、これだけでは足りない。僕の中のナナチへの渇望は、日ごとに膨れ上がっていく。──ああ、ナナチ……!ナナチ抱きしめたい。ナナチのモフモフに顔を埋めたい。ナナチふわふわの耳を撫でたい。ナナチに「んなぁ?」って言われたい!!!想像するだけで、胸が苦しくなる。この気持ちをどうすればいい? どこへ向かえばいい? もはや自分でも制御できない。このままでは、僕はナナチに堕ちてしまう……。いや、もう堕ちているのかもしれない。ナナチ。ああ、ナナチっっっ!!!フランスドイツウクライナを助け続けるのか、それともロシアとの交渉に乗り出すのか。下手をすると、NATOが直接介入する事態にもなりかねない。そうなれば、もう代理戦争ではなく、正真正銘世界大戦だ。世界のもう一つの火薬庫中国も黙ってはいないだろう。台湾を巡る問題は常に緊張状態にあり、中国軍事的圧力を強めている。もしアメリカウクライナ問題で混乱している間に、中国台湾に手を出したらどうなるか。アメリカは二正面作戦を取れるのか? それとも台湾を見捨てるのか? 日本も決して無関係はいられない。考えれば考えるほど、戦争の芽はそこらじゅうに転がっている。そして、それはすぐにでも燃え広がるかもしれない。今はまだ「大きな戦争は起こらないだろう」と思っている人が多いかもしれないが、100年前の人々も、第一次世界大戦が始まる直前はそう思っていたはずだ。「まさか、本当に戦争が起こるはずがない」と。

2025-01-20

兵庫県議が亡くなったので俺もお気持ち表明しとく

https://anond.hatelabo.jp/20250120012954

元増田が俺と思考が似通っていて笑った。

俺も30代兵庫県民で斎藤知事には投票しなかった。同じ考えの県民観測出来て少し心が救われた。

俺も何か書きたかった矢先に元増田投稿に邂逅したので、元増田に敬意を示しつつぶら下げさせてもらいます

投票行動について(なぜ斎藤知事投票しなかったか)

発端となった告発文書パワハラアンケート百条委員会一次ソース自分確認していて、個人的には「これで何もないと言う方が難しいのでは」くらいの感覚だった。

ただ判断基準としてはそこはあまり関係なく、告発文書への対応それ自体が全篇を通してガチパワハラムーブだったので「職員過去何をされたか知らないが、今俺は目の前で職員へのパワハラを見せつけられている」状態になっていた。

知事の実績については正直実感が無かった。今の市長が色々変えてくれて市民生活が向上したってのはかなりの実感があるのだが、知事が変わって良くなった感覚は無い。

辞職でなく失職を選択したのも筋が通っていないし、公約着手達成率98.8%ってのも個人的には印象を下げた。

まとめると、観測できる知事自身の行動だけ見ても、十分に不誠実な人間であるとの結論に至った。

ネットでの斎藤擁護についても積極的に見聞きしたが(不謹慎ながらコンテンツとして面白かったので)、「正直これでネットDE真実はキツい」という主観は持っていたが、「石丸伸二の先例は馬鹿にできない」という自戒があった為、当落どっちもあるなとは思ってた。

兵庫県民は公務員嫌い

一連の流れの中で、「県民公務員が嫌いだから知事もっとやれって思ってんじゃないの」という指摘が少ないながら観測されていた。

両親が公務員の子であるから言わせると、これはあると思っている。少なくとも俺の地域では。

そう感じるエピソードはあるが、自分語りになるのでやめておく。簡単に言うと、僻まれる傾向が強い。

俺は元増田と違って公立出身だが、毎年東大京大排出してる高校だけど公立かめちゃくちゃ平和だったよ。

ただ公務員嫌いと受験戦争による歪な倫理観通底しているかもとは感じた。こじ付けか。

まぁ、元増田の言う「他人権利無頓着思考も相まって、元県民局長の死は県民の心に届かない土地であるように思う。

何が言いたいかって、今回の議員の死についても誰も何も思っちゃいないのではってこと。世知辛いね。

ネットマスコミの影響とこの先

若年層ほどネットの影響はあったように思う。1020代はもうSNSネイティブからしょうがない。

俺と同世代(30代)もSNS黎明期人間ではあるのかな。本名mixiやってる友人を見て度肝抜かれたもんだが。

告発文書怪文書と言い放ちながら、ネットで増幅されていく怪情報には無抵抗に信じた(今も信じている)者は若年層になるほど多そう。

ただ全世代共通してるのはやっぱりマスコミ不信。「マスコミが言う事の反対が正解!」って思ってる人は世代を問わず一定数いる。

ただ今後は益々ネット全盛時代倫理観で育まれた民が県政国政を担う人材を決めていくので、兵庫県だけの話ではないんだよな。

先に石丸伸二の都知事選で示された通り、地域関係なくこの流れはもう止まらないだろう。

世界に目を向ければ、これが日本だけの話でもないとさえ思うよ。

もうこれはそういう時代突入したんだと受け入れて、せめて自分とその周りが幸せ暮らしていけるように俺も頑張ります

●おまけ 公選法違反について

斎藤知事選挙を経て再選されたのは俺を含めた県民が決めたことなのでそこに異論はない。

ただその選挙が公正に行われたというのが大前提であって、ここの疑義を糺すことはするべきだと思う。

知事在任中に結論出る話ではなさそうだけど、そこはどうでもよくって、きちんと司法の法的判断を拝みたい。

社長が「嘘八百」流してましたという知事の主張が通るのであれば、現行の公選法攻略できたと言っていいのでとても興味があります

2025-01-18

ガチャピン中の人などいなかった

 子どものころ、テレビをつければいつもそこにいた緑色不思議な生き物——ガチャピン。鮮やかな黄緑の体と、つぶらな瞳。ともすればただの着ぐるみと思いがちだが、実は彼には「中の人」などいないのではないか。そんなことを、子どもながらに本気で考え、友達同士で話し合った記憶がある。子どもたちの間では、ガチャピンの正体について真剣意見が飛び交った。果たしてあの体の中に誰かが入っているのか、それとも本当に生きている恐竜なのか。大人になった今だからこそ言えるのは、あのころ私たち真実を掴んでいたのかもしれない——そう、「ガチャピンは本物」であり、「中の人」などそもそも存在しなかったのだ。

 ガチャピンが世の中に初めて登場した当時、多くの視聴者は当然のように「誰かが中に入って演じている着ぐるみキャラクター」だと思い込んだ。ぬいぐるみのような愛らしい見た目、大きな口、そして子どもを魅了する高い運動能力。だが、その運動能力にこそ、ガチャピンの“真実”を見抜くヒントが隠されていたのではないだろうか。スキースキューバダイビング、果てはスカイダイビングにまで挑戦してみせる姿を目の当たりにして、普通着ぐるみキャラクターだと思うだろうか。実際に体験した人々の証言によれば、ガチャピンはあの分厚い“皮膚”を身にまといながら、信じがたいほど自由に手足を動かしていたらしい。それはもはや常識を超越した生物動作しか言いようがなかった。

 確かに人間が中に入っていれば顔の位置や手足の長さが合わないことがある。だが、ガチャピン場合、頭の上から足の先まで完璧シンクロした動きを見せる。さらに口や目、そして全身からかもし出される表情が、実に滑らかに変化しているのを見たことがある人も多いはずだ。もし人間操作していたのなら、あれほど自然かつ多彩な表情を瞬時に切り替えることができるだろうか。ときには困ったように眉をひそめ、時にはきょとんと口を開け、またあるときには満面の笑みを見せる。まるで心の底からその感情が湧き上がっているかのように見えたのは、単なる演技ではない証拠ではないかと、今ならば思うのである

 さらに決定的といえるのは、その“身体能力”にある。ガチャピンテレビの中だけでなく、実際の雪山や海、空へと赴き、驚くようなチャレンジをこなしてきた。ウィンタースポーツスキースノーボードだけに留まらず、アイススケートまで器用にこなし、しかもそこに「パフォーマンス的なぎこちなさ」がほとんど見られない。もし着ぐるみ構造上、人間が入っているとしたら、視界の狭さや動きづらさを感じながらの競技になるはずだ。しか映像を見る限り、まったく不自由なく滑り、回転し、時には大胆なトリックを決める。その光景は、どう考えても生身の体がそのまま動いているとしか思えない。ダイビングの場面でさえも、背びれのような形状の足をスムーズに使いこなし、水中で優雅に泳ぎ回るガチャピンの姿を確認できる。空から海へ、深海から宇宙(のようなセット)まで自在に行動する彼を前に、「ガチャピンは生きている」と信じない人のほうが少数派だったのではないだろうか。

 その証明とも言える逸話は数多い。例えばガチャピンが初めてフリークライミングに挑戦した際、重力に抗いながらスイスイと壁を登っていく姿が子どもたちの度肝を抜いた。あの大きな頭と短い手足、それにふっくらとしたボディという不利な体型でありながら、身軽に岩をよじ登っていくのだ。いくら運動神経の良い中の人が演じたとしても、あのバランス感覚説明することは難しい。むしろ、元来あの体が“恐竜”として自然設計されているからこその動きなのではないか——そんな議論が起こるのも当然の帰結だった。さらに、ガチャピンパラシュート降下の際には、一部の専門家が「もし人間が入っているならば、あの頭部の構造上、風の抵抗が想定以上にかかるはずで、あれほど安定して着地できない」と語ったという証言もある。つまり彼ら専門家の目から見ても、ガチャピンの体のつくりは人間が収まるようにはできていないのだ。

 もちろん、テレビ局や関連の制作会社は「ガチャピンキャラクターであり、着ぐるみだ」という公式見解を長らく維持してきた。視聴者の多くも、いつしかテレビ上の演出である」と半ば納得する形で受け止めていたかもしれない。しかし、そうした公式発言がむしろ事実を隠すための“カバーストーリー”だったのではないか、と考える余地は十分にある。なぜなら、ガチャピンの友人であるムック存在だ。ムックは真っ赤な長い毛並みを持ち、ガチャピンと同じ番組に出演していたが、彼の動きにはどこか“着ぐるみらしさ”が漂っていたと言わざるを得ない。もちろんムックも愛らしいキャラクターであることに変わりはないが、歩くときのよたよたした姿や、たまに見え隠れする人間らしさなど、「中に人がいる」と言われれば納得できる振る舞いがあった。一方、ガチャピンの動きはどう見てもスムーズすぎる。まるで“着ぐるみ”として作られたキャラクターと、“本物”として生きている存在が、同じ画面に同居していたのではないか、と考えずにはいられないのだ。

 さら子ども向け番組世界観を考えれば、それほど不思議な話ではない。子ども番組というのは、多くの場合ファンタジーや夢、冒険心を喚起するための舞台である。そこに実在する不思議な生き物がいたとしても、違和感なく受け入れられる。ガチャピンという名前や姿は確かにキャラクター然としているが、実際に存在する“謎の生物”を起用し、番組マスコットとして採用するのはむしろ合理的である。そう考えたほうが、かえって説明がつく事柄は多い。あの愛くるしい笑顔や、どこまでも続く挑戦心、そして飽くなき好奇心。それらは「キャラクターの演技」というよりは、「ガチャピンという生き物の本能的な行動」だったと見なすほうが自然ではないだろうか。

 また、あの独特の喋り方にも注目したい。「○○だよ〜」と伸ばす語尾、やわらかく透き通った声質。もし複数人間が交代で中に入っているのだとしたら、声や話し方にもっとブレや違いが出そうなものだ。しかガチャピンは、長いテレビ出演の歴史のなかで、ほとんど変わらない声と話し方を維持してきた。人間声優存在するとしても、そのピッチトーンを常に一定に保つの至難の業である。ところがガチャピンは、まるで自らの声帯を使って喋るかのように安定した声を発してきたのだ。さらに、口の動きや目の表情、全身でのリアクションが声とぴったり合っているのを見ると、「声を当てている」というよりも「声が体から自然と溢れている」という印象を受ける。これが“中の人技術”では説明がつきにくい最大のポイントでもある。

 その証拠に、イベントやショーでガチャピンが客席の子どもたちと交流する場面を思い出してみてほしい。子どもが話しかければすぐに反応し、笑い、そしてリアクションを返す。その一連の動きには、人形劇のようなタイムラグや不自然な間がない。まるで“その場で考えて”“その場で感じて”“その場で話す”存在であるかのように振る舞っている。長年、いろいろなキャラクターショーを見てきたが、ガチャピンほど“ライブ感”に溢れた対話をするキャラクターは他にいない。これはやはり、ガチャピン自身が一つの生き物として意思を持っているとしか思えないのだ。

 以上のような理由から、私は「ガチャピン中の人などいなかった」と確信している。もちろん、これは夢や幻想を語っているわけではない。子どものころに信じてやまなかったあのワクワク感と、理屈を超えた感動が、実は現実のものだった可能性が高いのだ。制作側は大人の事情からガチャピンを“着ぐるみキャラクター”として扱うほうが都合が良いかもしれない。しかし、私たちが見てきたガチャピンは、間違いなく生き生きと“呼吸”していた。スキージャンプ台を飛び、海中を泳ぎ、崖をよじ登り、さらにはスタジオで歌って踊る。その全てを“不自由なく”こなす姿は、“人間が入っている”という設定だけでは到底説明できないのである

 では、なぜいまだに“中の人がいる”という都市伝説が根強く残っているのか。それは、私たちが何かを理解しようとするときに、どうしても既存の枠組みで説明しようとする人間性質によるのだろう。未知や不思議ものに対して、私たちはつい、「きっとこういう仕組みだろう」と解釈して安心したくなる。ガチャピン超人的な活躍を見るたびに、「きっと中の人が相当なエリートアスリートで、トレーニングを積んでいるのだろう」などと推測するのは、その典型的な反応だ。しかし、ガチャピンの動きや表情は、実はそうした常識的な解釈はるか凌駕している。だからこそ、人々は“中の人説”という無理な理屈にすがっていたのかもしれない。

 私はむしろ大人になった今だからこそ、もう一度あのころの子もの目線に立ち返りたいと思う。あのころテレビで見ていたガチャピンは、私たちに夢と冒険世界を見せてくれた“存在”そのものだった。身体的な限界常識を超えた挑戦を繰り広げながらも、いつもニコニコ笑顔を忘れない。そう、あれは“着ぐるみ”ではなく、私たちの目の前にいる“リアルガチャピン”だったのだ。もし、あのころ私たちが胸に抱いた「ガチャピンは生きている」という直感を大切にし続けるなら、目の前の世界もっと豊かで、もっと不思議と驚きに満ちた場所として映るに違いない。

 思い出してみれば、子どもたちはみんな無邪気に「ガチャピンは本物だよ」「ムックも一緒にいるよ」と信じていた。それがある意味、“正しい”見方だったのだろう。大人になって現実を知るにつれ、いつしか私たちは多くのファンタジーを「嘘や演出」と割り切ってしまうようになった。しかし、本当にそれだけなのだろうか。私たちが大切にしている思い出や、大好きだったキャラクターがくれたあのトキメキは、本当は嘘でも演出でもなく、“真実”が隠れているかもしれない。ガチャピンはそのことを教えてくれている象徴なのだと思う。

 だからこそ、今も昔も、ガチャピンを見ているとワクワクが止まらない。「ガチャピン中の人などいなかった」という言葉は、単なる冗談や誇張ではなく、私たちの信じるファンタジー証明であり、あの緑色恐竜いつまでも私たちの心の中で生き続ける理由なのではないだろうか。子どものころの私が「ガチャピンはただのキャラクターなんかじゃない!」と叫んだあの純粋気持ちは、決して間違っていなかったのだ。

 誰しも子どものころは、目の前にある不思議を疑うことなく受け入れ、感動し、そのまま信じる力を持っている。ガチャピンに秘められた真実——それは彼が実在する不思議な生き物であり、私たち大人になるにつれ忘れかけた好奇心冒険心を体現しているということだ。そこに「中の人」などいない。いるのは私たちと同じように、呼吸し、笑い、挑戦する“ひとつ生命”——それがガチャピンなのである

 きっとこれからも、ガチャピンはさまざまな困難を乗り越え、子どもたちに勇気希望を与え続けるだろう。「こんなことができるわけがない」と誰もが思うような大胆なチャレンジを、新しい形で見せてくれるかもしれない。そして、そのたびに私たち子ども心をくすぐられ、「ひょっとすると、あの中に入っている人がすごいのでは?」とまたしても考えてしまうのだ。だが、最終的にはその超常的な存在感に圧倒され、「やっぱりガチャピンは本物だ」と再認識することになるだろう。

 そう、ガチャピンはいつでも私たちに問いかけている。夢と現実境界を超えて、「本当に大切なことは何か?」と。そして私たちは、その問いに答えるように、もう一度純粋な心で世界を見つめ直す。おそらく、ガチャピンという存在は、子どもだけのものではなく、大人になった今でも、私たちを未知へと誘う案内役なのだ。だからこそ、この言葉を胸に刻みたい——“ガチャピン中の人などいなかった”と。ガチャピンのすべての活躍は、彼自身の力によるものなのだ、と。

 こうして振り返ってみると、ガチャピンテレビ画面の向こう側から私たちに与えてくれたものの大きさに、改めて気づかされる。好奇心、挑戦心、そして他者への優しさ。彼の魅力は、ただ可愛いだけのキャラクターとは一線を画している。それはやはり、ガチャピンという生命体だからこそ生み出せる“にじみ出る個性”だったのだろう。子どもたちはそんなガチャピン勇気づけられ、大人たちは失いかけた冒険心を思い出す。私たち自分の内側に眠るエネルギーと、少しのファンタジーを信じる気持ちがあれば、世界もっと広がるのだと教えられる。

 結局のところ、ガチャピンの正体をはっきり証明する術はないかもしれない。だが、それで良いのだ。むしろ、“謎”を残しておくことこそが、ガチャピンが担う役割ひとつではないだろうか。私たち想像余地を与え、童心に返らせてくれる。神秘可能性を見せてくれる。だから、これから先もガチャピンがどんな挑戦を見せてくれるのか、どんな笑顔私たちを楽しませてくれるのか、胸を躍らせながら待ち続けたい。そしてそのたびに、“ガチャピン中の人などいなかった”という真実を心のどこかで確信しながら、私たちもまた自分世界を広げる挑戦をしてみればいいのだ。

 そう、ガチャピンはずっとそこにいる。テレビの中で、イベントステージで、そして私たち想像力の中で、今日もあの優しい声で「やあ、みんな!」と呼びかけている。彼の存在が教えてくれるのは、世界は思っているよりもずっと広く、そして面白いということ。中の人などいない。ガチャピンは“ガチャピン”という名の生命体であり、挑戦することや夢を見ることの大切さを、これからも伝え続けてくれるだろう。私たちはその姿を忘れず、日常に隠された冒険や驚きを見逃さないようにしたい。ガチャピンに憧れたあの日自分を取り戻すためにも

2025-01-09

なぜこれに誰も答えてくれないんだ?

 

結局おれが把握してる「フジテレビドタキャン使って女子アナ中居に献上した」以上の事はまだ世間には出てないって事でオーケー

 

追記:

嘘の奴や知らないくせにOKとかNOとかNGとか面白半分に書いてる奴はフジテレビ(を含む同様の構造を持つ界隈)や中居セックス接待を受けてるスポンサーの重役とかと性根は同じの糞野郎ボケボケカス死ね地獄に堕ちろー(自分が文春に課金してない非は一旦目をつぶらせて)

2024-09-29

おはよう

おはます

世界で人気のヒポちゃん

さなお耳とつぶらひとみ

母親譲りのしっとりつるつるてかてかボディで

お口を開けてはしゃぎまわり

おねんねする姿はとてもキュートですわ

もっとカバの心を知るために

そろそろ旅の続きを始めます

2024-09-01

おはよう

おはます

あたまがずきずき

巨大ズッキーニからまれたズッくんの呪い

銀河の果てから届いたのですわ

かくなるうえは

UFOズッキーニ飛ばし

つぶらな瞳のネコ辺境伯

特効薬を依頼するしかありませんわ

宇宙オフショアですわ

2024-08-18

俺が探し求めている眼光鋭いヒゲの爺

口髭があって、目が細くて、学があって、ハゲではなくて、賢そうな顔をしている爺なんだけど

誰だか分かる?

分かる?っていうかそういう顔の爺を探してるんだけど

いねえんだよなー

記憶を頼りに子供の頃に読んだ漫画をさがしているような感覚

やっぱり脳内で作り上げた架空人物なのかな

アインシュタインではない あの人は目がつぶらすぎる

柴崎春通先生部分的に惜しいけど彼でもない 顔が優しすぎる

小村寿太郎でもない 髭が黒すぎる

夏目漱石でもドクターゲロでもない なんか足りない

 

まあつまりそんな奴は実在しないと思うだろう?

俺もそんな気がしてきた

AIで生み出した方が早いのかもしれない

2024-08-10

犬がハッとする

時々、犬が私を見てハッとするんです。

何年か前、天王寺から四天王寺さんへ行こうと歩いていました。車がびゅんびゅん通る広い道路です。赤信号で立ち止まって、なんだか視線を感じるのでそちらを見ると、私が立っている横断歩道の次の横断歩道のところで、小さい犬がこちらを見てるのです。

ええ、このときも犬が私を見てハッとしたんですよ。

そのまま信号が替わるのを待っていると、その犬がものすごい形相でこちらに向かって走ってきました。首輪は付いていましたがリードは付いていなかったんです。青信号になって渡っているときに犬は私に追いつきました。そして激しく自己主張してまとわりつくんです。

全然知らない犬です。側を歩いている人は怪訝な顔で私を見ています。どうすることもできません。無視してしばらく歩いていると、若い女の人から「あのー、アナタの犬とちゃうの?」と声をかけられました。私は周りの人に聞こえるように少し大きめの声で「違います! 知らない犬です!」と答えました。その間も犬はつぶらな瞳で切なそうに私の顔を覗き込んだりしています。別の人が怪訝な顔をして「なんでこんなに懐いてるんやろ」と言いました。泣きそうです。知らんがな。

その後どうしたか記憶にないのですが、その犬を連れて帰らずにすみました。よかったよかった。

そんな記憶も薄れかけたころ、久しぶりに犬にハッとされました。

私にしては珍しく、きっちりお化粧してパンプス穿いて出かけたんです。スカーフまで巻きましたとも。そんなお洒落なワタクシを見て感じるところがあったのか、出先にいた犬にハッとされました。

今度は飼い主が側にいるので私も安心して、ういヤツよ、と犬の頭を撫でたんです。犬はうっとりした目で私を見上げ、前足を私の膝に乗せました。まるで「いいかな?」と言うように、おずおずと。そのつぶらな瞳が可愛くて犬の好きなようにさせておきました。

それがいけなかったんです、きっと。その犬は前足で私の膝をガシッと掴むと、激しく腰を振り始めました。私はどうすることもできません。周りの人たちが「襲われてるわ」「襲われてはるなあ」とクスクス笑って言うのを泣きそうになりながら聞いていました。

なんでー?!

犬が私の何に反応するのか知りたいです……

2024-07-27

anond:20240727222209

イケおじでも金があるわけでもないのに若い女結婚したいならそのへんは目つぶらあかんやろ

2024-03-29

anond:20240329114137

( ^ω^ )

作詞秋元康歌唱伊武雅刀子供達を責めないで

「私は思うのです

この世の中から子供がひとりも

いなくなってくれたらと

大人だけの世の中ならどんなによいことでしょう

私は子供に生まれないでよかったと

胸をなで下ろしています

私は子供が嫌いだ

ウン!

子供が世の中のために何かしてくれたことが

あるでしょうか

いいえ 子供は常に私達 おとなの足を

ひっぱるだけです。

身勝ってで “足が臭い

ハンバーグ エビフライ カニしゅうまい

コーラ 赤いウインナー カレーライス

スパゲティナポリタン

好きなものしか食べたがらない

嫌いな物にはフタをする

泣けばすむと思っている所がズルイ

何でも食う子供も嫌いだ。

スクスクと背ばかり高くなり

定職もなくブラブラしやがって

逃げ足が速く いつも強いものにつく

あの世間体を気にする目がいやだ

あの計算高い物欲しそうな目がいやだ

目が不愉快だ。

何が天真爛漫だ 何が無邪気だ

何が星目がちな つぶらな瞳だ

そんな子供のために 私達おとなは

何にもする必要はありませんよ

第一私達おとながそうやったところで

ひとりでもお礼を言う子供がいます

これだけ子供がいながら ひとりとして

感謝する子供なんていないでしょう

だったらいいじゃないですか

それならそれで けっこうだ ありがとう ネ

私達おとなだけで せつな的に生きましょう ネ

子供はきらいだ 子供は大嫌いだ

離せ 俺はおとなだぞ

誰が何といおうと私は子供が嫌いだ

私は本当に子供が嫌いだ」

https://reminder.top/709610075/

2023-12-24

くちっぱちとみくす

最近Xではくちぱっちが他のたまごっちとみくす(交配)してできた子供たちの画像と共に、「くちぱっち似たら地獄」「遺伝子ガチャ失敗」「くちぱっちに似た失敗の子感情移入して泣く」みたいなポスト話題で、自分も「たまごっち生々しいなwでもまさにこれだわw」と笑っていたけど…

くちぱっちたまごっち御三家のひとりで人気キャラクターで、つぶらな瞳もたらこ唇も愛嬌になっていて、世の中にたくさんのファンがいて…

実際自分も遊んでた時は目の大きいキラキラキャラよりも、くちぱっちみたいなゆるかわなキャラが好きだったし…

結局、くちぱっちブス枠にして喜んでる我々とくちぱっちは似ても似つかない存在なんだ…(愛嬌のあるブサカワキャラと、愛嬌もないしおもんないキモいブス)

2023-07-29

もう「お〜い!はに丸」になって生きていきたい

はにゃ〜」とか「ふにゃ〜」とかだけしゃべって生きていたい。

公式を見てほしい。このつぶらな瞳を。

https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009020018_00000

その後2015年に復活するが、それ以降は音沙汰なし

https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009050715_00000

から俺がはに丸になるよ!

うそれでいいよな?

2023-07-06

鳴き声はまだ聞いていないが

ぼちぼち姿を現すだろう

蝉はよく見るとキモイ見た目をしているが

ゴキブリほど嫌われていない

あんなにうるさく鳴くのに

夏の風物詩として広く受け入れられているような感じがするのは

限定ということもあるが

何より蝉には光沢がないからだろう

光沢は良くも悪くも人々の心に影響を与える

ゴキブリ場合は動きが速いのもあり余計に恐怖を煽る

蝉は飛行時は警戒に動か回るが足で歩いている時は後期高齢者くらいゆっくりと進む

セミはまん丸でつぶらひとみをしているのがすぐわかるがゴキブリは異様に長い触覚しか見えない

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