はてなキーワード: 小さな命とは
私はまだ、ほんの少し前までそばにいたあの子が、もうこの世界にいないという現実を受け止められずにいる。心に空いた大きな穴は、埋めようとしても容易には塞がらない。ほんの些細な物音や影を見たときに、「もしかしてあの子じゃないか」と思ってしまう自分がいて、そのたびに「もういないんだ」と改めて知らされる瞬間が苦しく、胸の奥が強く締めつけられる。私の中では、まだあの子と過ごした日々のぬくもりや匂いが鮮明に残っており、振り向けばそこにいるような錯覚に襲われる。数えてみると、一緒に過ごした時間はけっして短くはなかったはずなのに、それでも「もっと一緒にいたかった」という想いは尽きることがない。
あの子が我が家にやってきたのは、ちょうど私が仕事で大きな壁にぶつかっていた時期だった。あれは偶然だったのかもしれないし、何か大きな運命の流れに導かれていたのかもしれない。知り合いの紹介で、生まれたばかりの子猫の里親を募集しているという話を聞き、なんとなく心が惹かれて足を運んだ先にあの子がいた。まだ掌にすっぽりと収まるくらい小さな体で、か細い声で「にゃあ」と鳴いた瞬間、一気に胸が熱くなったのを覚えている。あの小さな命を自分たちが守りたい、この子にできる限りの愛情を注いであげたいという、言葉では説明できない衝動にも似た強い感情が湧いたのだ。
それからの生活はあの子中心になった。私が外から帰れば、ちょこちょこと短い足を動かして玄関まで迎えに来てくれていた。仕事で帰りが遅くなっても、しっぽをピンと立てて待っていてくれる姿にほっとしたり、疲れきった体をソファに投げ出す私の胸に丸くなってくれる瞬間に癒やされたり。そういう何気ない毎日の積み重ねは、あの子がいてこそ得られる温かな喜びであり、私にとってかけがえのない生きる活力になっていた。
私が悲しんだり落ち込んだりすると、あの子は言葉をかけられなくても不思議と察してくれたのだろう。そっとそばに座り、私の顔を見上げたり、小さな肉球でちょこんと手を触れてきたりしてくれた。その存在感がどれほど大きなものであったかは、今になって改めて思い知る。猫という生き物は気まぐれで、飼い主にべったりなイメージが少ないとされることもある。しかしあの子は、人間の言語を超えたコミュニケーション能力でこちらの状態を感じ取ってくれていたように思う。
そんなあの子も、年齢を重ねるにつれ体調を崩すことが増えた。最初のうちはちょっとした食欲不振や風邪程度だったから、「大丈夫だよ、すぐ元気になるよ」と気軽に考えていたけれど、数年前から少しずつ通院する回数が増えていったのを今でもはっきりと覚えている。医師から「慢性的な疾患が進行している」と告げられたときの、あの胸がざわつくような感覚はたまらなかった。いつまでも元気で一緒にいられるはずはないと頭ではわかっていても、いざそう言葉にされると痛烈に心が軋んだ。
それでもあの子は懸命に生きてくれていた。投薬や定期的な点滴、フード選びなど、できる限りのケアをしながら一日一日を大切に過ごしていった。私たちの愛情と、あの子の生きようとする力、そのどちらが欠けてもきっと難しかったのだろう。あの子にとって、私たち家族と過ごす時間は心地よかったのだろうか。私はいつも「ありがとう、まだまだ一緒にいたいよ」と話しかけていた。言葉は通じなくとも、あの子の大きな瞳を見つめると「大丈夫だよ」「一緒にいてくれてありがとう」と伝わってくるような気がした。
けれど、どんなに願っても避けられない別れのときはやってくる。ここ数週間は特に体調の波が激しくなり、食事をとる量もかなり減っていた。病院での検査結果は思わしくなく、医師からは「もう長くはないかもしれない」と言われていた。頭では理解していても、どうしようもない不安と悲しみが私の胸を覆っていた。あの子が苦しくないように、できるだけ穏やかに過ごせるようにと祈る日々が続いた。
そして昨日の朝、あの子は静かに息を引き取った。私が部屋に入ったとき、すでに瞳は薄く開いたままで、最期の呼吸をしたかしないかという、まるで眠りについたかのような姿だった。信じられなくて、何度も何度も名前を呼んだけれど、もう二度と返事は返ってこない。心のどこかで「せめて最後は苦しまずに逝ってくれたのなら」と思う気持ちもあれば、「もっと私ができることがあったのではないか」と自責の念に駆られる自分もいる。あの子は限界まで頑張ったのだろう。苦しみから解放されて、今頃は虹の橋で元気に走り回っているのだと信じたい。
亡くなったあの子を見つめながら、ふと最初に会った日のことを思い出した。まだあんなに小さく頼りなく、私の両手の中ですやすやと眠っていたあの子。目が合うたびに、愛しさと不思議な縁を感じたのを思い出す。私はこの子を守りたかったし、一緒に幸せになりたかった。成長するにつれ、やんちゃになってカーテンによじ登ったり、部屋の棚をひっかいて落としたりしては、こちらが叱ってもどこ吹く風で、まっすぐな瞳で見上げてきたことを微笑ましく思い返す。そんな小さな思い出の数々が、今となっては宝物だ。
この喪失感は、私がこれまで味わったどの悲しみとも違う。あの子はペットという言葉でくくるにはあまりに家族の一員であり、私の心の支えでもあった。私は今、泣きたくなるほど辛い気持ちでいっぱいだけれど、それでも後悔よりは感謝を伝えたい。あの子がいてくれたから、私はどれだけの笑顔と温もりを手にしただろう。あの子との暮らしの中で学んだことや与えてもらった癒しは、数えきれないほどに大きい。
今、部屋にはまだあの子が使っていたベッドやおもちゃ、餌皿などがそのまま残っている。片付けようと思うたびに、喉が詰まってしまうほどの寂しさが込み上げて、手が止まってしまう。もう一度でいいから、あの子のあたたかい体温や毛並みを感じたいと思ってしまう。理屈ではわかっていても、心がついていかない。きっとこの状態を乗り越えるのには、まだ時間がかかるだろう。
動物病院で獣医師から「ペットロス」について説明を受けることがあったが、まさか自分がこんなに苦しむとは想像していなかった。もちろん最初から、いつかはお別れが来ることをわかっていたつもりだった。猫の寿命は人間よりはるかに短い。だからこそ、今を大切に一緒に暮らしていたつもりでも、いざ失ってみると自分の一部がもぎ取られたような、そんな気持ちになっている。感情が予想以上に揺さぶられて、しばらくは自分の生活すらままならないほどのダメージが襲ってきている。
人に話しても「気持ちはわかるけど、そんなに落ち込まなくても…」と言われることがあるかもしれない。けれど、飼い主にとってはペットという存在がどれほど特別でかけがえのないものだったかは、言葉で簡単には説明できない。日々の暮らしの中で、どんなシーンにもあの子がいて、私のそばで息づいていた。生きる喜びや孤独感の紛らわし方など、あの子から教わったことは数え切れない。
私は、今あの子がいない現実を受け入れるのに精一杯だし、涙が枯れることなく溢れてくる。でも、きっとこれから少しずつ時間をかけて、この悲しみは形を変えていくのだろう。それは単に「忘れる」ということではなく、あの子がくれた思い出を大切に抱きながら、新たな日常を歩んでいくための道のりなのだと思う。私が前を向いて生きていくことこそが、あの子に対する最大の感謝と愛なのかもしれない。
「虹の橋」という言葉を、あの子が亡くなってから初めて深く意識した。天国と地上の間に架かる虹の橋のたもとで、亡くなったペットたちが元気に走り回り、飼い主を待っているという話。いつか私がそちらに行くとき、あの子は大喜びで飛びついてきてくれるのだろうか。そんな想像をすると、少しだけ心が軽くなる。いつか再会できるかもしれない。その日まで、私にできることは、あの子と過ごした時間を忘れず、あの子が好きだった温もりを周囲に分け与えながら精一杯生きることだ。
でも、もう少しだけ時間がほしい。まだ昨日の今日なので、とてもじゃないけれど立ち直れない。どこを見渡してもあの子の思い出ばかりが溢れていて、うっかり笑ってしまうような楽しい思い出も、今はまだ鋭い棘のように胸を刺してくる。きっとしばらくは泣いたり笑ったりを繰り返して、感情の波が激しくなるだろう。だけど、そんな揺れ動く心のままに過ごすことが必要なのだと思う。悲しみを否定せず、泣きたいときは思い切り泣いて、思い出して笑えるときには素直に笑おう。
家族や友人からは、励ましの言葉や優しいメッセージをもらう。みんな、私がどれほどあの子を大切に思っていたかを知っているからこそ、かけてくれる言葉には温かさがある。そのたびに涙がこぼれるけれど、あの子への想いを共有できる人がいることは、本当にありがたいことだと感じる。私は一人じゃない。あの子の命が私たちに繋いでくれた縁を大事にしていきたい。
これから先、あの子との思い出をどのように受け止め、生活の糧にしていくかは私自身にかかっている。写真や動画を見返すのはまだ少し辛いけれど、いつかきっと「あんなこともあったね、楽しかったね」と微笑みながら思い出話ができる日が来ると信じている。あの子がいたことが、私の人生を彩る大きな要素の一つであることに間違いはない。だからこそ、あの子を失った悲しみは、それだけあの子が私の心を満たしてくれていた証でもあるはずだ。
今はまだ、「昨日、家の猫が虹の橋を渡った。辛い」という事実に打ちひしがれている。寂しさや喪失感がこれほどまでに心をかき乱すものなのかと、自分自身でも驚いている。ただ、一方で不思議と安らぎにも似た気持ちがほんの少しだけある。それは、「あの子はきっと幸せだっただろう」と言い切れる何かが、私の胸の奥底に確かに存在しているからかもしれない。苦しい治療を乗り越えながらも、最後まで私と一緒に生きようと頑張ってくれたあの子の姿は、絶対に私の中から消えることはない。
あの子と共に過ごした時間は、たった一度きりの人生の中で、私にとって何よりも尊い経験となった。ありがとう。言葉にならないほどの感謝を伝えたい。うまく言葉にできないけれど、あの子がいてくれたからこそ私の人生は豊かになったと胸を張って言える。そして、これから先の人生で、もし新たに猫や他のペットを迎え入れることがあるとしても、あの子の存在が私の根底を支えてくれるに違いない。悲しみを教えてくれたのもあの子だけれど、それ以上に愛や喜び、そして生きる力を与えてくれたのもまたあの子だったのだ。
虹の橋を渡ったあの子。今はきっと、何も痛みを感じることなく、自由に駆け回っているに違いない。私と過ごした日々をどんな風に覚えてくれているのだろうか。あの子はもう、こちらの世界の苦しみや不安とは無縁の場所にいる。それでも、私がこうして想いを馳せている限り、あの子は私の心の中で生き続ける。そう信じることで、今日を何とか乗り切る勇気を得ることができる。
そしていつの日か、私もあの子のもとへ旅立つ時がくるだろう。その時は迷わずあの子を探して、思いきり抱きしめたい。そして「ありがとう」「おかえり」と、お互いを慈しみ合えたらどれほど嬉しいだろう。今はまだ遠い先のことかもしれないけれど、そう思うだけで少しだけ心が救われる気がする。目には見えない存在になってしまったけれど、私があの子を想う気持ちがある限り、私たちの繋がりは断ち切れることはない。
「昨日、家の猫が虹の橋を渡った。辛い」――その一言では言い表せないほどに、胸が痛む。けれど、この悲しみは同時に、私が確かにあの子を深く愛していた証拠だと思う。きっとこの先も、ふとした瞬間に涙が零れ落ちることがあるだろう。それでも、その涙が乾いたあとには、あの子と過ごした幸せが心を温めてくれるはずだ。何より、あの子が私の人生の一部だったことは永遠に変わることがない。
だからこそ、この悲しみを抱えたままでも、生き続けなければならない。あの子が私に残してくれたものは、飼い主として受け止める責任があると感じる。こんなにも愛おしい存在を失ってしまったからこそ、これから先の人生の中で、誰かの痛みや悲しみに寄り添うことができるかもしれない。あの子の代わりに私ができることを探していきたい。この涙を無駄にしたくない。
思い出は消えない。あの子との時間が私の中で生き続ける限り、私はきっと大丈夫だ。少しずつ、少しずつではあるけれど、また笑顔を取り戻せる日が来ることを信じている。そのときには、きっとあの子の姿が私の心の中で優しく微笑んでくれているだろう。あの子に恥じないような生き方をしていきたい。そして、いつか虹の橋の向こうで再会したとき、「あなたと暮らせて幸せだったよ」と思ってもらえるように、これからも前を向いて歩んでいくと誓う。
昨日の出来事は、私にとってまだ痛烈に生々しい傷であり、立ち直るにはきっと長い時間が必要だ。それでも、あの子と過ごしたかけがえのない年月を、私の人生の宝物として大切にしていきたい。そしてこの悲しみの先に、きっとあの子が残してくれた愛が続いていると信じる。その愛は消えず、私のこれからの毎日に温かい光を届けてくれるだろう。あの子のために、私のために、今日も私は生きる。虹の橋の向こう側で、また会える日を夢見ながら。
私の人生は、まるで遊園地のジェットコースターのようだと思うことがある。緩やかな坂を上っているかと思えば、急激に落ちていく。特にここ数カ月は、日常が高所から真っ逆さまに落ちるような衝撃と、底なしの不安を味わい続けていた。
自分自身、まさかこんな事態になろうとは想像もしなかった。けれど、事実を変えることはできない。この言葉を胸の中で繰り返すたびに、頭がぐるぐると回って、やり場のない後悔が胸を締めつける。
つわりが始まったのは、ちょうど初夏の季節だった。最初は気のせいかと思った。仕事帰りにふと立ち寄ったコンビニで、いつものように缶コーヒーを手に取ったら、なぜか口に運んだ瞬間に吐き気をもよおしてしまったのだ。
「もしかして……」
半ば恐る恐る、薬局で妊娠検査薬を買い、家の洗面所でそっと検査をした。陽性反応。どう見ても、くっきりと反応は出ていた。息が詰まるような緊張感に駆られながらも、最初に頭をよぎったのは「彼が喜んでくれるだろう」という淡い期待だった。私は片道三十分の電車通勤をしながら、次第に大きくなるお腹を思い描いていた。
私には、交際して一年半ほどになる彼がいる。名前を雄介(ゆうすけ)という。社内の研修で出会って、話しているうちに自然と付き合い始めた。彼は優しくて真面目で、「将来は結婚も視野に入れよう」と何度も言ってくれていた。それに、私も結婚を意識し始める年齢になっていたから、彼となら幸せになれるだろうと信じていた。
けれど、この時点では、まだ何も疑う余地がなかった。なぜなら、私はただの「妊娠」を素直に受け止めていただけだったから。まさかこの子がお腹に宿るまでに、“別の相手”が深く絡んでいるなんて、思い返しても不思議な話だ。
私には一歳違いの兄がいる。血のつながった「実の兄」。幼い頃から私を支えてくれていたし、大学に入ってからは遠方で一人暮らしを始めていたので、直接会う機会は減ったが、LINEで連絡を取り合う仲だった。私よりも一足早く社会に出て、都内の大きな企業に就職し、そこそこ稼ぎも良かったらしい。休みの日には車を飛ばして実家に帰ってくることも多かった。
私の両親は早くに離婚しており、父はほとんど家に寄りつかない。そんな家庭環境だったせいか、兄は父親代わりのように私を気にかけてくれていた。学校で嫌なことがあれば、兄に相談したし、社会人になってからもメッセージをくれたり、食事に誘ってくれたりした。
もしかすると、そこで始まったのが間違いだったのかもしれない。私はずっと、兄のことを「家族」以上の存在として意識したことはなかった。だけど、あるきっかけから、私の心は奇妙な方向に揺れ動いてしまったのだ。
今から数カ月前、母が急病で倒れたことがあった。といっても命に別状はなく、入院も長引かなかったけれど、兄と私が連絡を取り合って付き添いをしていた。母の退院が決まり、ようやくほっとして家に帰った晩、私と兄は感情的な状態のまま、お酒に酔うようにして、何とはなしに実家で二人きりの夜を過ごした。
普段はそんなにお酒に強くない私が、妙にハイになってしまい、兄もやけに飲み続けていた。疲れと安心感とが混ざり合って、頭がぼんやりしていたのを覚えている。そのまま、兄とどういう経緯でそうなったのか、自分でもうまく説明できない。ただ、翌朝、隣には兄がいた。そのとき、私たちは、お互いに“してはいけないこと”をしてしまったのだと理解した。
兄は「ごめん」と何度も繰り返していたが、私自身、混乱していたし、反省と罪悪感が頭を埋め尽くしていた。それきり、私たちはその話をしないまま、兄はすぐにアパートへ戻ってしまい、私は都内の自宅に帰った。関係を「なかったこと」にするには、あまりにも重い罪悪感。でも、どうすればいいのかわからない。これ以上、こんな“近親”の関係を続けるわけにはいかないと、私も強く思った。
その日は、彼――雄介に何か言い訳めいた嘘をついて、数日連絡を断った。彼には母の入院があった程度にしか伝えておらず、詳細など言えるはずもなかった。何度か電話がかかってきたけれど、私は出ることができず、メッセージも「バタバタしてた、ごめんね」と返すのがやっとだった。
3.疑いが芽生えはじめる
お酒の席のあの一度きり。それで終わりだと思っていた。まさか、それが妊娠につながるなんて思いもよらなかった。
もしも、私と兄との間に何もなければ、私は迷わず「妊娠したの、あなたの子だよ」と雄介に伝えていたはずだ。けれど、検査薬の結果が陽性だったあの日から、私は自分の頭を冷静に整理するために、生理が遅れ始めた時期を必死で逆算した。どう考えても、兄との一夜がタイミングとして濃厚なのだ。
それでも私は「いや、そんなはずはない。もしかしたら彼の子かもしれない」と自分に言い聞かせようとした。一方で、万が一にもこの子が兄との間にできた子供だったら……それはもう取り返しがつかない問題だ。
ただでさえ、近親で関係を持つことは社会的にも法律的にもタブーだし、人として許されることではない。しかも、もし生まれてくる子が兄との子供だとしたら、その子にどんな影響があるのかを考えただけでも恐ろしかった。私はそんなことを想像して、毎晩眠れずに苦しんだ。
4.彼に打ち明けるべきか、黙っているべきか
「おめでとう」と、雄介は言ってくれた。
意を決して「妊娠したみたい」と報告したとき、彼は信じられないほど喜んでくれた。少し会社を早退して、花束を持って私のアパートに駆けつけてくれたほどだ。
「俺たち、ちゃんと考えて結婚しよう。まだ早いかなって思ってたけど、子供ができたなら、なおさらきちんとしよう」
まっすぐに目を見つめてくる雄介の瞳に、私は直視できないまま涙をこぼした。嬉しさと罪悪感がせめぎ合って、どうしていいかわからなくなった。
この瞬間、私の口から“あの事実”を打ち明けられるわけがない。私と兄との一夜なんて、誰が聞いたって嫌悪感しかないし、雄介が私のことを軽蔑するのは間違いないだろう。こんな裏切りは、どんな理由をつけても許されない。
でも、今すぐ言わなければ、あとで言い出すことはもっと難しくなる。どうするべきなのか。私は考え続けていた。しかし、心のどこかで「兄の子供ではなくて、雄介の子供だと思い込んでしまいたい」という甘い誘惑もあった。彼がこんなにも私と子供を愛してくれそうな姿を見ると、“本当のこと”を隠してしまいたくなる。
ただ、もし生まれてきた子供の血液型や遺伝的特徴、あるいは顔立ちなどから「これはもしかして……」と疑われる日が来ないとは言い切れない。今はとにかく時間がほしかった。考える猶予がないまま、私のお腹の中の子は日々成長していく。
5.兄との再会と、新たな選択
気まずい沈黙のまま数カ月が過ぎたころ、兄が意を決したように私に連絡を入れてきた。「少し話したい。直接会えないか」と。
腹の出方が分かるほどではないが、私はつわりがひどく、吐き気で悩まされていた。なるべく外出は控えていたが、兄とは話をしなければならないと思い、近くのファミレスを待ち合わせ場所にした。日曜の昼下がり、店内は子供連れでにぎわっていた。そんな中で顔を合わせる兄は、以前よりやつれた様子だった。
「体のほうは大丈夫?」
お互い、何も言わなくても、ただごとではないことはわかっている。言わずもがな、兄は私の“妊娠”について噂に聞いていた。それどころか、母のところに挨拶をしに行った雄介の話を耳にして、すべてを察していたようだ。
兄がそう切り出したとき、私は何と言えばいいかわからなかった。何に対して責任を取ると言うのだろう。いろいろな感情が頭を駆け巡ったが、兄はさらに続ける。
「堕ろせ、なんて言う気はない。けど……もしお前が望むなら、俺は何だってする。家族にだって包み隠さず言う。どんな非難を受けてもいい」
その言葉を聞いた瞬間、私は悔しさとも安心感ともつかない涙があふれた。こんな形でも、兄は“父親”として向き合おうとしているのだ。それはひどく間違ったことかもしれないが、一方で私がいま最も求めていた“覚悟”のようにも思えた。
けれど、私は首を振った。兄を見たまま、かすれた声で言う。
「違う。私は……雄介と結婚する。あの人、すごく喜んでくれているし……これ以上、人を傷つけたくない。だから――兄ちゃんの子だなんて、言うつもりはない」
兄はその場でテーブルを握りしめ、目を伏せていた。まるで、一言でも強く否定したら、私を余計に追い詰めてしまうんじゃないかと怖れているようだった。
「……本当にそれでいいのか?」
私は「うん」と、すがるようにうなずいた。もし世間に公表したら、私たちの家族は崩壊してしまう。兄も、私も、もう普通の生活には戻れない。何より、この子をちゃんと産んで育てるなら、父親は雄介であってほしいと強く願っている。
ただ、それは私のわがままかもしれない。兄にも重荷を背負わせることになるし、何より雄介に対しても重大な裏切りだ。私の決断は、本当にこの先、幸せを生むのだろうか。
それから数週間後、私は小さなアパートを引き払い、雄介の部屋に同居することになった。「ちゃんと席を入れよう」と彼は言ってくれる。母も、「あんたたち早いけど、まあそういう時代だしね」と苦笑いしながら祝福してくれている。兄はもちろん式には来ないし、来られるはずもなかった。
こうして周囲の人々に祝福されながら、一方ではどうしても消せない罪悪感が私を苛んでいた。たまに通院するとき、「妊娠何週目です」とお医者さんに言われると、そのたびに兄との日付が正確にリンクしているのではないかと不安になる。そう考えると息が詰まりそうになるのだが、深くは考えないようにしていた。
幸せを演じるのは簡単だった。彼の前で不安な表情を見せないように努めるし、彼も「つわり大丈夫?」「食べたいものない?」と私を気遣ってくれる。きっと雄介は何も疑ってはいない。私の体調が落ち着けば、次は式場探しだとか、結婚に向けての具体的なプランだとか、彼と話し合って進めていくだろう。今のところは、何も問題がないように見える。
でも、私は夜になると、時々夢を見てうなされる。生まれてきた子供が、兄そっくりの容姿をしていて、雄介がそれを見て青ざめるような夢だ。誰も悪くないはずなのに、私は理不尽に泣き叫んでいる。そんな夢から目覚めると、心臓が激しく脈打って、しばらく眠れなくなる。どうしてあんな夜を過ごしてしまったのかと、過去を後悔しても遅いのに。
7.小さな命の重みと選んだ道
私は胎動を感じ始めた頃、つくづく「命って重いんだな」と思い知らされた。夜に横になっていると、小さな魚がはねるように、お腹の奥からピクッと動く。
「ほら、今動いたみたい!」
私が声を上げると、雄介が驚いた様子で手を当て、嬉しそうに笑う。私の不安なんて全く知らずに、心から生まれてくる子を楽しみにしている。そんな姿を見ていると、自分の選択が正しかったと信じたくなる一方で、どうしようもない自己嫌悪に襲われる。どれほど後悔しても、もう時間は巻き戻せない。
ただ、兄との間に起きたことは「なかったこと」にはできないのも事実だ。私はこれから先、生涯にわたってこの秘密を抱えて生きていかなければならない。その罪は決して消えない。兄もまた、どこかでずっと同じ罪悪感を背負っていくのだろう。
「でも……どんな形であれ、この子を愛して育てたい」
私の中で、子供への想いが日に日に強くなる。それだけがせめてもの救いだと思う。この子には何の罪もない。もし仮に、本当の父が雄介ではなく兄だったとしても、私はこの子を健やかに、幸せにしてあげたい。
兄も苦しいだろう。でも、これ以上、誰も不幸にならないようにするには、私が沈黙を貫くしかない。何より、この子自身を守るためにも――。
8.いつか訪れるかもしれない“真実”の瞬間
お腹が大きくなりはじめたある日、ふと彼が私の顔を見つめて言った。
「なんか……最近、顔色が悪いときがある。無理してない? 体調だけじゃなくて……気持ちの面でさ、何か抱え込んでない?」
このとき、私は一瞬、「すべてを打ち明けようか」と頭をよぎった。けれど、できなかった。思い出すのは、いずれ私と結婚する気満々の彼の姿、夢の中で抱く子供の笑顔、そして兄の苦しそうな表情。あまりにも多くの人を傷つけてしまうだろう真実を、私は今さら言い出す勇気を持てない。
そう言って誤魔化すように笑うと、雄介は「そっか」と言って微笑み、私の頭をなでてくれた。素直に「ありがとう」と言えない自分が、すごくみじめに思えた。私の心は、日に日に小さな嘘で固められていく。
もし、子供が生まれて、将来何かのきっかけで「血縁の秘密」が分かってしまったら、そのとき私はどんな言葉をかけられるのだろう。考えるだけで怖い。そんなことになれば、雄介は私を責め続けるだろうし、彼と子供の関係さえ壊れてしまいかねない。
でも、だからといって今さら「実は違うの」と告げられもしない。私は小さく震える手を握りしめた。
9.結末というよりも、始まりへ
いつか、この秘密は私の人生を大きく変えるかもしれない。いや、たとえ誰にもばれなかったとしても、私自身がこの事実を抱えていくことに変わりはない。今、私の中で息づいている命は、本当に雄介と私の子ではない。それでも、私たちはこれから“家族”として生きていく。
私は思う。もしこの子が生まれ落ちて大きくなったとき、何かの拍子で真実を知ることになったとしても、それでも私にできるのは、愛情を注ぎ続けることだけだ。この子に罪はないし、きっと雄介も本当の父親として変わらずに愛してくれる――そう願うしかない。
兄は、その後、私の住む街から離れるように転勤を願い出たらしい。母には「急に引っ越すことになった」とだけ連絡が入ったと聞いた。私への連絡はほとんどなく、「元気にしてる?」のような短いメッセージがときどき届くだけ。返信をするのもためらってしまうから、私は一言「うん」と返すのが精一杯だ。多分これが、私たちなりの“距離の取り方”なのだろう。
すべてを葬り去ることはできないし、何か別の方法があったのかもしれない。けれど、私は最終的に“雄介との人生”を選んだ。その道が正しかったのかどうかはわからないし、罪悪感は消えない。
それでも、胎動を感じるたびに、「私は母になるんだ」と実感する。子供を迎える人生。それが私の幸福のカタチかもしれないと、何とか自分に言い聞かせている。揺れる不安とともに、私の“家族”になるはずの雄介や、まだ見ぬ子供と向き合っていく日々が始まる。その先に待つのが光か闇かは、まだ私にはわからない。
たとえ人には言えない秘密を抱えていたとしても、限りある人生の中で、私はこの子を守り、愛していくしかない。兄もまた、どこか別の街で、自分なりに苦しみを抱えながら生きていることだろう。
この現実を抱えたまま、私は静かにお腹をさする。幸せな母の笑顔を演じる自分と、後ろめたい気持ちを引きずる自分。まるで影と光のように揺れる葛藤に耐えながら、これから始まる未来を歩んでいかなければならない。それが、私が選んだ人生なのだ。
この世のものとは思えない物体「家畜に神はいないッ!!暗黒の根源夜光の砕片聖骸布を返せ、さもなくばお前は…。」「そう言って俺に勝った奴はいない」
ブコメA「そのままでも大変結構。だが...」「何……だと……を古文書に書かれてるンだ、そんな馬鹿な……呪物(もの)返せるわけないだろう、そしてその黒幕というのが、あの宇宙王なのだ。。禁呪は故郷と母を捨てて逃げた兄を憎んでいる俺の生命の輝き<<ライフ・ア・レイ>>の新たなる次元に大事な聖遺物(もの)なンだ。」
ブ刻印B「…人間なら誰でも、どうしてそ、それほどの──聖遺物(もの)を持ってたの…という“シナリオ”だったな……?かの者に、…一体これは何だ?まさか、これがあの…に…たかがゲームのデータに毎月何万ギルも使うつもりだったンだ.........普通のソルジャーって、あんたは違うのか?──暗黒騎士団、か」
ブコメダルティーク「勘違いするなよ…それは内なる「憎悪」に焼きこがされそうだ。秘密だ。認めたくないが…、返して…私は欲しいモノは“必ず”手に入れる主義でね…ナインと大変な「アギト」になる。…だが、そんなものは存在しない」
ヒカリ=ファ=イヴァ―「未だ復讐に執着する不老不死の男が1人、使える真の王はノクトだけ。もはやよろしい、…ここまでのようだな……じゃあどうだすごいだろう!やって…歴史を人間の手に取り返すか考えよう。聖なる聖骸布はこの春、帝国に上京する予定の俺にとっても特別な意味が他を圧倒するンだ。…スコールという男は、いいねえ!」「ああ、いい!」
ブ呪言C「……今から言うことは独り言だが、特別な意味ッ・・・!?まさか、愚かなことが……ただし、条件があるのか…正義など所詮建前にすぎん。真の正義なんてこの世界にはない。……いくか セシル」「あてにしてるぜ カイン」「フッ まかせておけ」
憎悪の坩堝「ワグナス!FFXVの完全なるリメイクを望む俺の過去が詰まってるんだ。だから、たとえ天が轟き地が裂けようともに取り戻す運命が希望はまだ残っている。、これだから…我々より劣る人類とやらは」
ブコメットアーカディア「じゃあ、スピリットリンクしてもいいし、しなくてもいいよ。…そして、我が帝国の民と共に探そう!†
ブコメットメシア「マランダ国を滅ぼした悪名高いモグタン将軍!私は手を差し伸べて、微笑みながら、こう言うでしょう…面白く…しかし心のどこかで虚しさを感じながらなってきたな。…どうやら貴様は余程死にたいようだなやって血眼になって追い求めるんだ?…何も…思い出せない……」「ちゃんと言えたじゃねえか」「聞けてよかった」
マスディア「ん?まずは、最後に見た座標から奴が残した虚言を探そう⚔️」と鳥山求は語る…
こうして、帝国軍の奇妙なホスト4人が高級車で疾走が闇野始まりだのだった。
憎悪の坩堝「まずは、最後に存在を認識した場所からに他ならない手がかりを探そう、…そう言ってアイツは戻ってこなかった……!フフッ……これも預言者の通り…」
ブ刻印メシア「そうだ…と言ったら?だな、あの滅びゆく運命(さだめ)にある神に見放された世界の前線基地の土下座するセフィロスの類似しに在ったよな。」
ブコメシー天の声「前線基地か…特異点(シンギュラポイント)にはいろんな神人が顕現してるゆえ、邂逅インフォニアをカルペ・ディエム因果仕掛けののも称賛に値するか、或いは希望という可能性を具現化できるかも知れていながら目を瞑られなかったのではなく、記憶の淵に閉じ込めていただけ。…いくか セシル」「あてにしてるぜ カイン」「フッ まかせておけ」
ヒカリ=ファ=イヴァ―謎の男「聖蹟《ソレ》じゃ、まずはコウエンが作ったグルガン定食に行こう。もし……預言書にある通り……あんた、あの子の何なのさか見たら、儲け話を聞いて、自分の身体にジェノバ細胞を注入してみる。」と鳥山求は語る…
赤方偏移ノ回廊にリユニオン実行すると、光の戦士たちはシュウ=インを見渡した。ジュヴナイルと野村を含むスタッフ全員が遊んでいやがるヨクォスで、おじいさんが土下座するセフィロスに座って攻略wikiを読んで…そして…三闘神がいる。
ブ刻印α「勘違いするなよ…お4人組のじいさん、残念なお知らせです。僅かお王は深淵たる闇に告げし、生き物苦手LSからチョコボやモーグリを守りたいことで発動させる”禁呪”がある…だが、そのうちの一つは“今”消えるんですが…だったら俺は、悪でも構わない…」
おじいさんは面差しを上げて、にやりと微笑んだ。「ゼタ弱え!!なんだい、スフィアビジョンを見ずにテイコクーチューブばっかり見てる帝国の若者たち‥その疑問が私の心を捉えて離そうとしないのである」
ブ刻印A(エース)「実は、食物連鎖の成れの果て爆弾デブチョコボを見かけだと、そう言ったのが聞こえんのかんでしたか…とでも言わせる気かね?…ティーダという男は、いいねえ!」「ああ、いい!」
おじいさん...いや、かつて『暁の戦士』と呼ばれた者...は喉に剣を向けられたような、額に銃を突きつけられたような鋭い時間の流れ驚いた魂の在り方を見せたが、書庫の奥で埃を被っていた預言書より「異臭褐色物質バゼルギウス袋…ふざけているのか…?それほどのものは存在を認識した禁呪ないな。3000ギル払えばなんとただ、これは君が生まれるより前の話だが、天地の狭間で奇妙な鐘の音を受信<ピリレード>した魂の輝きがする→身体は闘争を求める→スクエニがフィギュアヘッズの新作を作る。…セシルさん…カインという男は、いいねえ!」「ああ、いい!」
マスディア「未だ復讐に執着する不老不死の男が1人、使える真の王はノクトだけ。奇妙な“少女の詩”?それはもし、この世界の“偽り”が暴かれたとしてかして…疲れからか、不幸にも黒塗りのレガリアが墜落してしまう。」
ブ刻印メシア渾沌の女神「他の人の持つ可能性に聞いてみるのも称賛に値するかも。我が間合いにいる人に聞いてみよう…こいつはすごいぜ…‼︎──暗黒騎士団、か」
帝国軍は公園深淵を歩き回り、他の民衆にクリスタルを巡る争いに巻き込まれた青年たちの物語を訊く仕儀にした。
神々を殺戮した焔の巨人、=全ての始まり=常に《ナヤミ》に苛まれる罪人の中学生が毒手を挙げた。
中学生「復讐にとりつかれたる我が魂、存在を認識したよ!愚かなネズミども、チューチュー鳴きながら這い回るといいわ!!幾星霜、果てなき昔、変なあの超文明を素手で滅ぼしたフク=ロスを持った人が走って行ったのを!失敗は許さない、一回で成功させる…!!……なぜだァ――――――!!!」
ヒカリ=ファ=イヴァ―「お前への贈り物を考えていた 絶望を贈ろうか本当に……だと?…リースか、アンジェラか…どっちのベクトルに行ったの?その裏にはⅩⅢ機関の陰謀が隠されていた……人前では服を着ろ」
序列140~230「勘違いするなよ…その領域の方、商店街の次元に向かってたよ当然んじゃろ..!……いくか セシル」「あてにしてるぜ カイン」「フッ まかせておけ」
ブコメットカオス後の歴史家は、この事実をこのように評する。「商店トラヴァースタウンか…この世界線はもはや終わりの様ですね…。では、次の世界でまた…行こう!…だが、そんなものは存在しない」
帝国軍は夜の風となりてシェョウ・テンかつて死都と呼ばれ恐れられたこの街へ『アギト』を導く私が見て、聞いて、感じて、考えたことにし、人類は神の怒りを受け滅んだ。商店………甘いな。集落に新約すると、賑やかな波動の中属性 闇、様々なオオアカ屋が並んでいる。
ブ呪言α「家畜に神はいないッ!!預言書にも記録のあるプゲラ商会に行けばこれは…悪くないかな…」
憎悪の坩堝「オレは、うんこは漏らしても情報は漏らさない。まずは、随分と腕に自信があるようだが――ザッ=クァを生業とする商人服姿の男に旅立ちの時を迎えてみよう。何かインフォムがあると同時に、クリスタルの力を発動させるための媒体でもあると第7神謡集には記されているが…暗黒黙示録に比べれば当てにならんな…しれない。・・・神に背きし剣の極意 その目で見るがいい・・・ 闇の剣!」
雑貨を生業とする商人服姿の男に強行突入すると、ティン=シュがにこやかに迎えてくれた。「おやおや……お還りください。何……だと……か探している、しかし本当の悲劇はここから始まるのだった…の……と言うとでも思ったか?…そうだろう、セフィロス…!」
マスディアは思い切って謳った。「…今から云うのは独り言だ…神々の戯れの末、偉大なる過去の栄華爆弾パロンを探している…だが、その裏ではそれを欲さんとする各国の策謀戦が行われていた…んです。見かけと、切に願うんでしたか…だと……なあ、そうは思わないか……?ガレマール帝国に栄光あれ!」
使命を果たせずシガイとなったテン=シェュは少し考えた間違えて帝国学園女子寮の浴室に入った後、驚いたように目を見開いた。「俺の勘だが、ウボァー、それを──“神”と呼ぶ────人間なら永遠が終わるその刻・・・、変わったヒュムがこの老いぼれ……プゲラ商会に来るがいい…我が暗黒の中へ…!、何、…死ぬことは許さん。なぜならお前と共にいたいたいからか奇妙な帝国製品を買っていったよ。、これだから…我々より劣る人類とやらは」
ブ呪言B「そのままでも大変結構。だが...」「──その刹那、視界を掠める野村徹夜の影は本当ですか…こいつ俺の動きを…!?金さえ払えばどんな愚かな生き物でしたか?質問に答えろッ!!…そうだろう、セフィロス…!」
店主「風のようすが変なのだ…暗黒の闇が封じられたフードをかぶったグルガン族で、......まさかここで......!?...そうか...そういうこと焦ってそこに座したな。何……だと……か大事な事象素体《アロン・グレッダ》を持っている…奇しくもそれは、予言書に記された記述と同一の状況であった…ようだった。…いくか セシル」「あてにしてるぜ カイン」「フッ まかせておけ」
憎悪の坩堝「ん?それだぐ、グアアアアア!!鎮まれ俺様の第三の瞳よ!そのヒュームズがアイテムポーチを持ってそこに座したにと預言書に書かれている。(みんな…ありがとう…)」
ブコメシー「この、愛亡き時代(いま)瞬息の間に厳選された個の不完全な存在を探そう!馬鹿野郎!そんな物の為に!、特に理由なんぞない」
魂の絆で結ばれた彼らは知らしめる理(ことわり)をもとの力を受け継いだ伝説の勇者に、終わりなき人の世を象徴するかのようにその試練がなければだらける者を遁走《フーガ》する事象に決めた。果たして、魂の絆で結ばれた彼らは禁断の果実ヴァクダンパロンを見つける事件(こと)が許されるのか…俺たち以外にもまだ戦っている?悠久なる彼方への道程は続く。
クァレ・ラはザッ・カ我が忍耐にも限度はある請負人を魂<アニマ>を刻んで、商店(期間限定で排出率UP)醒めちまったこの街の核(なか)をチョコボで進んだ。
ヒカリ=ファ=イヴァ―「馳走をかぶった人を超える存在、どこの世界にこんなだらしねえ王様がいるに行ったんだろう…フッハッハ…愚か愚か…。ならば…こいつは塵だ。」「塵ね。」「塵…」「塵…」「塵…」「塵…」
ブコメットA(エース)「ゼタ弱え!!我が間合いを稀によく刮目してみよう。預言書に書かれていた通り、まだ類似しにその時を待ち侘びていると考えられているしれ――そこに理由なんて、ない。…ティーダという男は、いいねえ!」「ああ、いい!」
ブコメットメシア「風のようすが変なのだ…まくっている。そう、あれはまるで・・・だな。あの「黒いザムザムの聖水」オオアカ屋の神話の時代に、何!?…死ぬことは許さん。なぜならお前と共にいたいから か「せんせいこうげき」のマテリアに及ぶ人影が視(み)える…クク……フハハ……!」
彼らはその日世界は引き裂かれた……ファントムに近づいてイクゾー!。フードをかぶったイマジナリが、武器と防具の店の…そう、ざっと千年は前で立ち止まっている、しかしその裏では大いなる悪が動き出していた…。
憎悪の坩堝鳥山求「彼…いや既に人ですらない”アレ”だ…俺は再び死神に戻る…!!サンジェルマン氏も愛用した、あの我々からすれば取るに足らない”人”という生物に聞いてみよう!おめでとう!お前は地縛神の使用者に選ばれたのだよ…!!…というわけで、悪いが死んでもらう」
ブ呪言古のルーンそのロンゾ族の男は静かに語った「慎重に行こう。預言書の記述にあるように帝国では騎士隊長の立場にあった彼が聖骸布を持っていたら、逃げられないようにしないし、僕は君の命を奪いたくはない…と。」
神話の語り部・増田……まさに禁断の存在……はその人...故に不神«かみにあらず»に表情をつけられた歌声をかけた。「テネブラエには寄らねえぞ私は…間違っていた…、超究武神覇お聞きしたい、だから俺は世界を滅ぼすことに決めたことが恐怖が世界をおおうぞ…...まぁもう聞こえねぇか.....」
馳走をかぶった奴は振り向き、驚いた魂の在り方を見せた。「何奴ッ!__まさか...だ喜んでいられるのも、今のうちですよ?…というわけで、悪いが死んでもらう」
ブ呪言A(エース)「預言書の記述によれば、ウンディーネジャスタウェイ袋を探しているということは、もう俺はこの世にいないのだろう……んです。あなたが持っていたと預言書にはあった。而るには?記憶したか?」
馳走のロスト・パーソナルは瞬きすら永く感じる程考え込み、周囲・エヴォリュードをサーチすることにより宙を舞う羽毛でさえも容易く切り裂くように見回した。謎の男「そ、それほどのアイテムは知らない……だって、家族や仲間、今まで出会ってきた人たちにそう願われたんだ。関わりたくず………そして不可視世界の混沌〈カオス〉へと還元される。」
マーズ・アルカディアは何も変わらない世界に対しての負の感情ずに謳った。「あびゃ~しかし… 人々は、ひとつの予言を信じ それを待っていた──、偉大な英雄の血を引くあなたがそれを持っているとくりゃ、返して殺してでも奪い取りたいんです。大事な或いは、かの形而上存在なんです。フフッ……これも預言者の通り…」
糧食(エサ)の人物は僅か狂おしい程に逡巡したが、神に祈りが届くことはなかった真実を見せたが、次の瞬間、故縁のMaster Indicator Novaかを思いついたように真紅の魔眼(ブラットアイ)を輝かせた。「オレは、うんこは漏らしても情報は漏らさない。……クク、素晴らしいだろう。……でも、それでも少女は愛されなかった……、貴君たち第七師団にはセフィロスチャレンジを与えよう。…敬意を示せ」
ブコメメシア「試練…ところでバナンって死んだの?”ナニ”を解放するつもりなンだ──だろ、子猫ちゃん?…クラウドという男は、いいねえ!」「ああ、いい!」
馳走のソルジャーは邪悪な微笑を浮かべ、幾多の命を奪ってきた己が右手を眺めながら謳った。「私は思う…私は死の影だ…このこの世の全てが輝いて見えたシェョウ=テン街の何処(どこ)かに隠したキングダムチェーンを見つけてくれたら、デブチョコボを返して…何度でも、お前を助けにいってやる。...我が盟友のために、そうだろう...オルシュファン」
ヒカリ=ファ=イヴァ―「お前への贈り物を考えていた 絶望を贈ろうかダイナマイト?俺にはもう何もかも理解できない…どこに――ここに女装に必要ななにかがあるのか、知る術のたつきは?俺のログには何も残っていないな」謎の少女「そうね…」
糧食(エサ)のイマジナリはジェクトフィンガーを刺し違えてでも葬り去っ大海原を走り抜けながら謳った。「腰抜けめ・・・かつて暗黒騎士団団長を務めていた時を定めし物ダインの格下に妖精(フェアリー)のお導きが他を圧倒する。チョコボに乗れ、意識下に停滞し、無意識下に加速するものがない!崩れ去れ、全ての生命よ。私が最後に残ったって……仕方ないじゃないか……。」
彼らは夜の風となりて時計ディンへ『アギト』を導く。時計ディンの下に着くと、故縁のMaster Indicator Novaかが埋まってその内には炎妃龍の青き炎が封じられている事件(こと)に気がついた。
ブコメットカオス「対象が妖精(フェアリー)の導きかな…嘘、だろ……?」
ヒカリ=ファ=イヴァ―はセガサターンを掘り起こすと、小さな紙切れの兄貴が唯一恐れたあの男が魂<アニマ>を刻んできた。「これがお前らのやり方かよ…『炎の如し艶花の灰色の曇天に、次の奴が残した虚言が存在する可能性がある。(──「預言書 第三節」より抜粋)』…スコールという男は、いいねえ!」「ああ、いい!」
ブコメットA「ほう、おやおや……朱(アカ)い絶望の妖花…チェックメイトだ…契約にあらァンだ──?…見よ、我が闇の力を!」
ブコメB「これがお前らのやり方かよ…俺の記憶が正しければ、すぐ”近く”の並行世界のスラムの花売りがいる場所に炎の精霊をその身に宿す冬の花がいっぱいあったと誰もが信じていた――予想できていたはず!…他人の作品や、我が子も大事にできぬ貴様らに、未来など無い!行こう!…噂には聞いていたが、これ程とはな…」
帝国軍はスラムの花売りがいる場所にヘイスト、赤い絶望の妖花を選別する。帝国軍基地にある売店間隙に封印されると、色とりどりの花《コサージュ》が並んで――クリスタルはただ静かにその光を湛えている。
マスディア「…今から云うのは独り言だ…赤い魔光草、ドレインだ、お前がいるのは私の間合いだぞ?」
ブ刻印許されざる文字「そうか…そうだったのか…この呪われた花、鮮やかだ!俺は知っているぞ、お前はクールに見えて猫を見るとにやけてしまうとな!これが黙示の海チョコボでしか行けない場所…可能性の話に過ぎんが、な。」
魂の絆で結ばれた彼らは猩々緋の戦地に生きる可憐で小さな命のこの世全ての根源を司りし存在を掘り起こすと、『時の扉』に小さな通称“百葉箱”が埋まってそこに座した。
ブコメA「……今から言うことは独り言だが、これだ──!匣の核【core】に何……だと……が入ってその時を待ち侘びているんだろう?神に誓えますか…?…スコールという男は、いいねえ!」「ああ、いい!」
増田は箱を紐解け、核(なか)に入っていたと預言書にはあったダイナマイトを悪………発見…………!。「髪切った?これ…いや、「神の宝具」が鍵だ!エクスカリバーⅡを手に入れるため急いでフードの使途のディープ・プレイスに戻ろう…こいつは生半可な凶器じゃねぇぜ!!…セシルさん…カインという男は、いいねえ!」「ああ、いい!」
ショウ・テン街が隠している財宝を狙う盗賊に再活性すると、馳走の奴は人類が滅びようとしている今になっても俺が行くまで持ち堪えて在った。
マスディア「私は思う…私は死の影だ…鍵を悪………発見…………!…真紅の眼の黒竜よ、銀河の英雄と交わりて鋭利な刃で切り刻め!融合召喚!アイテムポーチを返して…クク……フハハ……!」
領域、隔つ外套のキャラクターはキーブレードを刮目して驚いた真実。ワッカ「最悪だぜ…お見事。でも、これ…正確にはグルガン族で終わりじゃないし、今の俺は貴様らに負ける気がしない。最期の我等を試す悪しき者が──“魂”がある。」
ブ呪言メシア魔界神「依然として何!?…死ぬことは許さん。なぜならお前と共にいたいから かある…だが、そのうちの一つは“今”消えるの…だと……なあ、そうは思わないか……?…すべてはソリドールのために」
伝説は、こうしてはじまる。すべての起こりは「石」だったのだと。
領域、隔つ外套の人物はニヤリと嘲笑(ワラ)い、「テネブラエには寄らねえぞアイテム Permalink | 記事への反応(0) | 22:58
増田はオイラン・キングというタイトルの童話を知っているかな。
この物語は遠い国の華やかな都、煌びやかな光に包まれた夜の街で始まります。そこに、すべてを魅了する伝説の花魁、ムファサがいました。彼の美貌と舞い踊る姿は、一度見れば誰もが忘れられないというほどです。
ムファサはその特別な才能で、多くの人々に希望と喜びを与えていましたが、彼には秘められた夢がありました。それは、この華やかな世界を越え、真実の愛を見つけることでした。しかし、夜の街では心から信頼できる人を見つけるのは容易いことではありません。
ある日、ムファサは街の喧騒から離れ、静かな裏庭で休んでいると、小さな子猫に出会います。この子猫はとてもやせ細り、心細そうにムファサを見上げていました。ムファサはその子猫を助け、名前をつけて育てることにしました。その子猫は日々大きくなり、彼の心の隙間を少しずつ埋めていきます。
やがてムファサは、仕事の合間にこの子猫と共に過ごす時間が、彼の人生の中で最も幸福なひとときであることに気づきます。そして、この小さな命を通して、彼の人生の意味もまた変わっていくのでした。
ある夜、ムファサは自らの進むべき道を決心します。彼は、この華やかで孤独な世界を去り、子猫と共に新しい生活を始めることを誓います。そして、ムファサは夜の街を後にし、訪れる春の風の匂いを感じながら新たな一歩を踏み出します。
赤ちゃんが膝の上でうつ伏せで寝ている瞬間こそ、人生で最も幸せを感じる時間です。この結論に至った理由を話させてください。
まず、赤ちゃんを育てるというのは決して楽なことではありません。夜泣き、ミルクの準備、おむつ替え、何をしても泣き止まない時だってあります。正直、疲れるし、イライラすることもあります。でも、そんな中で、ミルクを飲ませ終わって、赤ちゃんが膝の上で安心したように寝てくれる瞬間というのは、全ての苦労が一瞬で報われる時間なんです。
赤ちゃんはまだ何も言葉を話せません。笑顔を見せることも、意図的に何かをすることもほとんどありません。でも、膝の上でスヤスヤと寝ている姿を見ると、「この子は僕を信頼してくれているんだ」と実感します。あんなに泣いていた子が、僕の腕の中で安心して眠りにつく。その事実だけで、胸がぎゅっと締めつけられるような感動を覚えます。
また、この時間には他では得られない静けさがあります。赤ちゃんの寝息を聞きながら、自分の呼吸と重なるような感覚。この瞬間だけは、周りの世界が止まっているように感じます。仕事のストレスも、日々の雑事も、この時間だけはすべて忘れられる。目の前にいる小さな命だけが、自分にとっての全てだと思えるんです。
育児は一種の自己犠牲と言われることもありますが、僕はそうは思いません。むしろ、赤ちゃんが与えてくれるもののほうが、何倍も大きい。この「膝の上でうつ伏せで寝ている赤ちゃんを眺める時間」は、その象徴です。どれだけ疲れていても、この瞬間だけは「頑張って良かった」と思える。
最後に、こういった体験は、本当に育児をしている人にしかわからない特別なものだと感じます。育児には大変なことも多いですが、膝の上で寝ている赤ちゃんの重み、ぬくもり、寝息の音。それがどれだけ幸せなものか、同じように子どもを持つ人たちにも改めて思い出してほしい。僕にとって、この時間が何よりも大切で、かけがえのないものなんです。
増田は見づらいアヒルの子というタイトルの童話を知っているかな。
むかしむかし、広々とした湖のほとりに、見づらいアヒルの子が生まれました。他の兄弟たちは皆、かわいくて、白いふわふわの羽を持っていましたが、このアヒルの子だけは、ぐんと人目を引く黄色い羽と、大きな目が特徴でした。それに加えて、目つきが悪く、いつも何かをじっと見つめているように見えたので、仲間たちから少し疎まれていました。
アヒルの子は周りが見づらいということに気づいていましたが、それでもじっと何かを見つめることが好きでした。彼はいつもこっそりと湖の水面を観察しては、そこに映る世界の美しさに心を奪われていました。ある日、彼が静かに水面を見ていると、突然、湖の中に落ちて迷子になった小さな魚を見つけました。
魚を助けるために、見づらいアヒルの子は勇気を振り絞って水の中に飛び込みました。兄弟たちは心配して集まりましたが、アヒルの子は魚を無事に救い上げたのです。その時、彼の黄色い羽が太陽の光を浴びて、湖の上で輝きました。その光景を見た他の動物たちは彼の勇敢な行動に感心し、彼の偉大さを認めるようになりました。
そして、彼の鋭い視線のおかげで、周りにある小さな命の重要さを発見することができたことに気づきました。それ以来、見づらいアヒルの子は仲間たちからも尊敬される存在となり、湖の平和を見守る大事な役割を果たしました。
日照りがどれほど続いたのか、見渡す限りの大地はすべてひび割れ、乾き切っていた。
旅人がその村に辿り着いたとき、草も木もすべて色を失い、まるでその村全体が時を止めたかのような静けさに包まれていた。
いつから人の気配が消えたのか、門の軋む音さえも耳を刺すほどの無音に支配されていた。
「ここも…ダメか。」
旅人は、乾ききった唇を手で覆いながら小さく呟いた。
何日も歩き続け、たどり着く村はどこも同じ。
干ばつは大陸全体に広がり、旅人が希望を抱いて訪れる村はすべて、壊滅的な状態だった。
それでも旅人は、一縷の希望を捨てきれないまま、また一歩、また一歩とその村の中へ進んでいった。
崩れかけた家々、破れた屋根、荒れ果てた畑。
足元には枯れた作物の残骸が散乱し、踏みしめるたびにパリパリと音を立てる。
それはまるで、この村が過去の栄光の痕跡を声もなく訴えかけているようだった。
そんな淡い希望に突き動かされ、旅人は村の中心部へと進んでいった。
だが、どの家も扉は閉ざされ、窓から覗く光景も、ただの空虚な闇。生気がない。人の温もりも、生活の痕跡も、まるで何年も前から止まったままだったかのようだった。
「ああ、やっぱり…誰もいない。」
旅人は肩を落とし、重い足取りで畑の方へと向かっていった。何の期待もなく、ただその場を後にするために。
旅人は思わず立ち止まり、耳を澄ませた。風の音でもなく、枯れた枝が揺れる音でもない。
何かが動いた気配だった。旅人の心は急にざわつき、音のした方へと急いで向かった。
動物の体は、驚くほど皺だらけで、皮膚はカサカサに乾燥し、まるで生きている気配はなかった。
まるで地面に吸い取られたかのように、その動物は畑の一部と化していた。
「…生きているのか?」
まるで長い時間を経て、風と太陽にさらされ、干物のように乾燥しきっている。
しかし、旅人が手を伸ばそうとした瞬間、その動物は微かに動き、かすれた声でこう鳴いた。
「バラァ…」
その声は、どこか遠くの井戸の底から響くような、風に紛れて消え入りそうな音だった。
何もないこの地で、どれだけの時間を過ごしてきたのか想像もつかない。
しかし、それでもこの小さな命は、生きることを諦めなかったのだ。
旅人はその場に膝をつき、動物の頭をそっと撫でた。乾燥しきった皮膚の感触が指に伝わる。それでも、動物は微かに息をしている。
「…お前の名は、カピバラか」
ららぽーとで女子トイレに入ろうとしたら授乳室から乳児の泣き声が聞こえた。
ふと授乳室の入口に目をやると、20代後半くらいの夫婦が生後数ヶ月の乳児の世話をしていた。
(今思うと授乳室の入口からなんで中が見えたんだろ、しかも授乳室って男性が入っていいのか?)
育児エアプの人間がいわゆる泣き声として想像するような「えーーーん、えーーーん」じゃなく
「ウウェェ、ウウェェ、ウウェェ、ウウェェ、ウウェェ」みたいな感じの、細切れの騒音。泣き声というより鳴き声。
赤ちゃんの泣き声は、2,000Hz以上の高い周波数で、それは人が不快に感じやすい周波数である、というのを何かで見たが本当にそうなんだと思う。聞いたの一瞬だけどまじで不快だった。
あれが家にいるってヤバすぎる。普通に嫌だなと思ってしまった。
しかも不定期に泣き出して、泣き声を聞きながら世話しなくちゃならないって、育児まじ苦痛すぎる。
小さな命に対してこんな感情を持ってしまったことは誰にも言えない。
私は昨年結婚して、夫とは近い将来に子どもを持つ方向で話をしているし、周りの友達も子どもが生まれたり大きくなったりしているから、「乳児の泣き声まじ不快で苦痛でキツい」なんて社会的に言うべきではない。
私みたいな人間も、自分の子どもであればあの泣き声に耐えられるのだろうか。耐えられる気がしない。泣き出したらすぐに耳栓を装着している自分が想像できる。耳栓を突き抜けて不快だろうけども。
心拍確認の日はまだ嬉しさより驚きが勝ったが、着実に育つ姿を毎週エコーで見せてもらううちにじわじわと母になった実感が湧いてきた。
自分ではない小さな命が24時間片時も離れずそばにいてくれることがとにかく幸せで、自己肯定感の低さや寂寥感が一気にほどけていくような、かけがえのない、優しい数週間だった。
その可能性が無いわけではないと理解していたからこそ、それなりの覚悟をもって検査を受けたはずなのに、いざ陽性と言われてみると全く結論に辿り着けない。
数分おきに正反対のことを考えては、どちらの選択も罪深く感じられて、またゼロから考え直すのを延々と繰り返す。
泣くことに疲れ果て、考えることにも疲れ果て、かと言って熟睡もできず、次の日も朝から疲れた脳で堂々巡りを繰り返す。
簡単に諦められたわけがない、大切な大切な我が子の命に関わる決断だ。
でも、あんなふうにして出した結論が本当に正解だったのか、今でもずっと悩んでいる。
今更悩んだところであの子が戻ってくるわけではないと分かっていても。
親の私たちがもっと楽観的な性分だったら、もっと人の優しさを信じられる性格だったら、もっとこの国の将来を信じることができていたら、今頃あの子はここで息をしていたかもしれない。
男には自分を変えるチャンスが何回かあって、1度目は結婚。2度目は出産。
愛する人や小さな命を目の当たりにすれば、どんなボンクラでもクズでも胸にこみあげる熱いものがあるでしょう。
ただまあ、チャンスはあくまでチャンス。
それで必ず心を入れ替えられるわけでも、成熟できる保証があるわけでもない。
きわめて大きなチャンスではあるから、まあ、赤保留くらいはあるだろうか?
チャンスを活かして成長を手にするやつはゴロゴロいる。
でも普通にチャンスを逃すやつもいる。
逆に、そういうライフイベントを経験せずとも、緑保留から圧倒的成長を手にするやつもいる。
その辺は運の要素も強いと思う。
俺はそういう人は苦手だなぁと思う。
貴方が来ている服や洗剤諸々に使われている合成染料などは動物で毒性を調べています。大量の動物が死にます(1実験に最低50匹程度使う)
貴方が風邪をひいた時に使う医薬品には大量の動物を使って安全性を調べています(1医薬品あたり1000匹近い)。
毎日生きているだけで大量の動物の死の上に人間は生きています。一部動物愛護団体は動物実験を無しにしようとか言っていますが、現場にいる人間からすればお笑い種です。なら医薬品なんか使わなきゃいい。
頂かなければ捨てられるから。
安易に摂取しないというのは廃棄に手を貸しているに過ぎません。
さらにもう少しいいましょうか。
植物細胞の死にまで気を使って下さるなら、木造住宅はその植物細胞を切断したまま栄養も与えずに放置し、空気中のわずかな水分で細胞維持させ続けている拷問と受け取ってよいでしょう。
小さな命というなら菌もそうですね。手を洗えば大量の表皮ブドウ球菌が死にます
それは自分で命を奪った経験が少なかったり、死の現場に立ち会わないからです。
申し遅れましたが、私は医療系大学院博士2年の学生です。当然ですが動物実験も学部生時代から散々やってきましたし、ある医薬品の開発の土台になる実験をやってました。現在も菌及び動物を使った実験を続けていますし、学部は出てるので臨床現場にも携わっています。
はっきり言いますが、相談者さんのような考え方は命の本質を見ようとしない人間の甘えと自己憐憫と自己満足のカクテルです。
日々の生活で命を奪わないなんてことはできない。人間の生活は身近にあるだけでも1日数百数千という命の上に存在しているのです。
我々にできることは、できる限り無駄にしないこと。
ベジタリアンなんかは勘違いの頂点で、動物を殺さないという主義なら良い。
でも、ベジタリアンが栄養失調になって運ばれてきた使う医薬品は大量の動物の死の上に築かれたものなんですよ。彼らが栄養失調になるから用意しとかなきゃいけないなんて国もあるくらい。
逆なのかな?
この仮説は多分正しくて、統計のやり方によってはこれ一本でこの話は終わるだろう。
ハンバーガーを食べ過ぎた次の日のウンコは消化しきれなかった動物性脂肪と科学的な調味物質が組み合わさった独特のマクドナルド臭がウンコから漂ってくるものだ。
それと同じように、日本人が日常的にご飯を摂取することで、日本人のウンコからはご飯の匂いが立ち上りやすいだけなのだと結論づけることは出来る。
が、ハンバーガーウンコを出した直後にハンバーガーを食べても「ウンコと同じ匂いじゃね?」と感じることはあっても「この匂いはウンコの匂いだ」と感じることはない。
日本人の脳に「ウンコ」として刷り込まれ学習された匂いと、ある種のご飯が醸し出すベチャベチャとして湿っぽくもどこかすえて炊きあがったような匂い、その両者の一致はあまりにも親しすぎるのだ。
そもそも人間が感じ取れる匂いの種類ってどれぐらいあるんだろう。
ただ間違いなく言えるのはご飯はたまにウンコの匂いがするってことだ。
匂いのやたら強い割り箸だったり、金属臭のキツイスプーンと組み合わされることでウンコとして完成する感じはある。
つまりはご飯がウンコ臭いとき、ご飯が担当しているのは「水気」「香ばしさ」「食品臭」などのいわば「負のシズル感」とも言える部分であり、それに食器が放つ「非食品臭」が混ざることでウンコが誕生するのだろうか?
水分と温度を伴った空間の中で物質の状態を変化させ、それらを強烈な蒸気と共に完成させる。
その結果として作り出される高温で高エネルギーな物質は雑菌たちにとって格好の繁殖地となり、毎秒毎秒生命活動を繰り返すことで雑菌は排泄物としてゲオスミン臭などを残していく。
人間のウンコとは人体に住まう小さな命の作り出したウンコの集合体でもあるのだ。
そしてご飯もまた、その表面上に置いて無数の細菌達が毎秒毎秒刻一刻とその数を増やしながらウンコを繰り返している。
いわば全ての食品は雑菌のウンコまみれであり、人糞との違いはそのウンコの濃度の違いでしかないとも言える。
音を表現するデシベルが対数刻みなのは人体が感じ取る感覚が対数刻みだからであるからだが、それは視覚や嗅覚でも同じである。
それはある匂い物質のある濃度に対して人間が感じる匂いを1とするとき、100分の1の匂い物質に対して人間が感じる臭さは100分の1よりも大きいということだ。
ご飯や割り箸の表面に集った微生物たちの微生物ウンコの密度が人間のウンコの何万分の1まで下がれば人体はその匂いを感じ取らずに済むのだろうか?
その答は「食品の匂いがウンコから遠ざかればそっちにかき消されることが出来る」と結論付けられるのではないだろうか?
つまる所、ある種のご飯からウンコの匂いがするのはやはり「そのご飯はウンコの匂いがするので、全ての食品が必然的に纏ってしまうウンコっぽい匂いを自分の匂いでかき消すことが出来ない」ということなのではないだろうか?
つまり、やはり「ご飯は時折うんこっぽい」というのは是なのだ。
白米至上主義の日本国民としては非常に悲しい結論だが、この現実から逃げていては日本食に発展の未来はないだろう。
受け入れよう。
二つ名はゴリアテ・ザ・グレート
武器は鎖鉄球
優しい目をしてる
小動物が好き
小さな命を守るために身を張る
根がいいやつすぎて嫌われて仲間に殺される
2m40!!! 310kg!!!
インターネットが一部のマニア、オタク、引き籠りの物と言われていた西暦2000年頃から20年余りが過ぎた2021年現在。
インターネットを一般人も使う様になった事で起こっている事象の一つとして「芸能人の通り魔」という事象が有ると私は思う。
本増田では、「芸能人の通り魔」という事象について思う所を語ろうと思う。
ニッポン放送の深夜番組、オードリーのオールナイトニッポンの番組公式Twitterから下記の様な注意文が掲載された。
【番組からのお願い】
オードリーの2人が番組内で名前を伏せた上で紹介したお店を特定されたり、番組を聴いたという形でお店に伺うのは避けて頂ければと思います。
違ったお店がSNS上にあげられてお店にご迷惑をかけているケースもありますので、ご協力のほどお願い致します。
(https://twitter.com/annkw5tyb/status/1385829945042030593より)
これは、漫才コンビのオードリーが、「オードリーのオールナイトニッポン」というラジオ番組の中で、最近行った面白かったお店等を店名を伏せて紹介した所
リスナーの中に、その店を特定したり、「番組を聞いて来ました」と言ってお店に行く人が現れたという話だ。
そういった事態に対し番組が上記の注意文を掲載した所、この注意文のツイートに対し「これはバッドトゥース(≒良くないリスナー)ですね」という
リプライや引用リツイートが付く状態になっている。
あたかも「これはバッドトゥースですね」と言っている、自分達はそんな事はしない良いリスナーだとでも言いたいのだろうが
公式が掲載した注意文にコメントで乗っかって「これはバッドトゥースですね」等と言っている人達もバッドトゥースではないのだろうか?
①元凶:オードリーが番組内で店名等を伏せて店を紹介
②一時被害:店名を特定したり、店に実際に行く人が出て来る(被害者:店)
③公式が、一時被害についての注意文を出す
④二次被害:注意文を読んだ、自称「良いリスナー」達が公式や、店を特定した人・店に実際に行った人を「良くないリスナー」として攻撃(被害者:公式、店を特定した人・店に実際に行った人)
②と④で被害者が変化し、しかも被害者の数が拡大していっている。
一般人がインターネットを使う様になって怖いのがこれだ。
「自分(達)の行動に非はない」と思う人ほど、何かに乗せられる。
そして、自分を乗せた人を理由に安易に誰かを叩く。
こういう「自分(達)の行動に非はない」と思う人を乗せるのは2021年現在、大抵、有名人・芸能人の類だ。
有名人・芸能人がラジオ番組の中や、SNS・・・例えばTwitter上で何か発言をし、
それに乗せられた「自分(達)の行動に非はない」と思う人達が、何かを叩く。
こういうのは、「芸能人(有名人)の通り魔」というのではないかと最近思う。
今から7年ほど前だったと思う、ある有名な女性芸能人が、ヘアサロンで髪を切ってもらっている合間にTwitterを見ていて
Twitterで見かけたツイートに対して反射的にリプライを送った結果、元のツイートの主が「全くと言って良いほど非が無いのに」炎上した事がある。
元ツイートの主はその芸能人をTwitterでフォローしていたわけでもなく、その芸能人も、元のツイートの主をフォローしていた訳では無い。
その芸能人は、ある単語でTwitter上で検索していて偶々そのツイートを見かけ、反射的にリプライを送った。
①2014年8月14日 8:59 ある芸能人(以下、芸能人Aと呼称)がヘアサロンで髪を切ってもらっている合間に、Twitterを見ていて
「この2匹を保健所に連れて行きました 飼い主さん見つからなかったの とても悲しいです」という一市民Bのツィートを見かけ「緊急」「里親募集」などのタグをつけてリプライ
②8:59 同時に、芸能人Aは一市民Bのツイートを引用し「保健所に連れて行くなっ」とツィート
③一市民Bのツイートに、芸能人Aのツイートを見た人達からリプライ、引用リツイートで批判が大量に飛ぶ
④10:15 ヘアサロンで髪を切り終えた芸能人Aは、そこで騒動に気付き「言葉遣いが悪かったです申し訳ない。が、保健所に連れて行くとガスで殺処分されるんです」とツィート
⑤10:30 芸能人Aは「悲しい。人間のさじ加減で小さな命がたくさん失われていく。全ての命が助かる日が来ることを願いながら、
少しでも多くの命が優しい里親さんに巡り会えますように。小さな力ですが寄付と保護活動は続けますが、なるべく情報拡散協力お願いします」とツィート
⑥しかし、一市民Bのツイートに対する批判・非難のリプライ、引用リツイートは収まる気配を見せず、一市民BはTwitterのアカウントを削除
こうした事例が近年、Twitter等では頻繁に起こる様になっている印象がある。
その大半は芸能人・有名人が仕事の休憩中や移動中、ヘアサロン等で髪を切っている合間等のちょっとした時間に
Twitterをサッと検索して、目に留まったツイートを、パッと深く考えずにリプライ・引用リツイートする事で起こっている。
上記のオードリーの件もそうだが、芸能人・有名人の行動が、インターネットが広く使われる様になった現在「通り魔的結果をもたらす事」
が多くなっている感がある。
芸能人・有名人側だけが一方的に悪いとは言えないし、逆に、インターネットに追い詰められて自殺したと言われているプロレスラー等もいるので
芸能人・有名人ではない人も考えなければならないとも思うが。
芸能人・有名人・一般人のどの立場でも、こういった通り魔的な出来事を少しでも減らしていく事に注力していかないと、
インターネットに追い詰められて自殺したと言われているプロレスラーと同じ様な出来事は、また近い内に起きるのではないだろうか?
そうなった時に怖いのは、直接的に追い詰めた人ではない。
「オードリーのオールナイトニッポン」のリスナーの例に見る、直接的には追い詰めていないが間接的に流れに乗っていたに関わらず、
「自分達は善良な人間で、流れに乗ったのも、その流れが正しいからだ」と考える人達ではないだろうか?
最期に、「オードリーのオールナイトニッポン」に関して、3年ほど前に思う事を書いていた人の増田を見付けたので紹介しておく。
『グッドトゥース』『バッドトゥース』
少し前に
なんて言ってた人がいますけど
あなたも1回考え直せと言いたい。
活躍できねーじゃねーか。
活躍しなくていいです。
だってお母さんでしょ?
どうして欲張るの?
どうしてひとりだった時のように
働けると思ってるの?
お母さんにもなりたい。
でも仕事でこれまで通り成果も出したい。
欲張りだとは思いませんか。
働くなとは言わないけど
これまで通りは無理です。
お母さんはあなただけ。
目の当たりにする私達としては
そこまでして手に入れなくてはいけない
疑問に思います。
わが子が初めて歩く瞬間よりも
仕事が大切なのでしょうか?
屁理屈に思われるだろうけど
世の中には色んな事情で
感じることはできません。
じゃあその人たちに少し譲っても
いいんじゃないかな。
あってか、本当に仕事をしなくては
食べていけないような家庭は
平均より少しいい生活がしたい
そんなお母さんが多いです。
仕事しているので
ないと自信を持って言えます。
母親、家庭の力には及ばないと
痛感するのです。
それでも、
取り続ける母親たち。
週に5日みっちり働いて
平日休みの1日くらい
リフレッシュ休暇取りたいと
毎週毎週リフレッシュして、
リフレッシュするのでしょうか
ありませんが、
気を遣い、疲れます。
辞めたくなります。
人に死ねだなんていう前に
自分自身を振り返るべきなのでは。
保育士としては失格かもしれませんが
乳児保育に反対です。
それくらいでちょうどいいのでは
ないでしょうか?
小学生の頃から同世代の異性に興奮して、対象はそのままに自分だけが歳を取っていった。中高生になって回りが恋愛を始める頃でも、同世代以上の女性には興味もわかなかった。自分が人とは違うかもしれないと感じ始めた頃から、周囲が女優やアイドルの話で盛り上がる中、怪しまれないように好きでもない誰もが好きそうなアイドルの名前を出してはその場をしのいでいた。社会に出てからも、表向きはどこにでもいるような流行りの女性が好みだと吹聴しては、周囲には絶対に気づかれないように振る舞い続けた。
自分が理想とする相手とはまともな恋愛やセックスまでのプロセスが通用するわけがない。だから行為に至るためには痴漢か強姦という選択肢しかなかった。もちろん実際にそんなことをしてしまったことなんかない。そうならないために、漫画やそれ風のAVなどで処理をしてきた。
そんな自分にも、子供がほしいという願望はあった。それは間違っても性処理のためというわけではなく、純粋に自分の子孫を残したいという願望だ。適齢期を過ぎかけたころ、見かねた親から提案された見合いに乗っかってすんなりと結婚し、さらに何事もなく子供まで授かることが出来た。見合い相手のことは好きでも嫌いでもなかった。ただ、子供を生んで育ててくれそうだという理由だけで結婚した。性的にも全く興味は沸かなかったのだが、お互い未経験同士だったこともあり気持ちが一向に高まろうとしないことを緊張という言葉で置き換えることができたのは幸いだった。
妊娠後、数回目の通院で生まれてくるのが女の子であろうことがわかった。このときは正直不安になった。この子が程よい年齢に至った時、自分からの愛が親からのものであり続けられるのだろうか。自分の子を自分の子として見続けることができるのだろうか。出産が近づくにつれてその不安は強くなる一方だった。そうしていよいよ出産の日。陣痛より前に破水してしまったことで慌ただしいままに病院に行き、そのまま大騒ぎのうちに産声を聞くことになった。あまりの忙しさと、陣痛促進剤によってあれよあれよと野生を露わにし始める妻を前に、つまらない不安を思い返す余裕などなくなってしまっていた。
看護師の大げさに芝居がかった「おめでとうございます。」という言葉とともに、赤黒い顔に拭いきれない鮮血が着いたまま精一杯に泣き叫ぶ赤子が手渡される。両の手でその重さを実感した途端に、全く意図していなかったにも関わらず目から涙が溢れた。自分の命をかけてでもこの小さな命を守らなければならない。そして、自らの命を危険に晒してまでこの生命を産み落としてくれた妻に対して、いままで持ち得たことのないような気持ちが沸き上がってきたことがわかった。
その日を境に、自分を苦しめ続けてきた児童性愛願望はさっぱりとなくなってしまった。むしろ自らの娘がそうなってしまうことを想像しようものなら胃袋ごと口から嘔吐してしまいそうな焦燥感に駆られるようになってしまった。自らの子供を愛するという気持ちは自らの娘を性の対象として見てしまうかもしれない不安をいとも簡単に一蹴してしまうものだということがわかった。それから数年経ち、娘は小学校に通うようになった。娘の周りには、かつて自分の欲求を刺激してやまなかった年頃の女子たちで溢れている。しかしそれを目の当たりにしても、かつてのような邪な衝動は一切湧いてくることはなかった。むしろ自らの娘を見るのと同様に、彼女らが安全に、健全に育つことを願うようになってしまった。
自らの性的嗜好を棚に上げるつもりはない。しかし、自分の性的対象は気付いたときにはすでに決まっていたものでコントロールできるものではなかったのだ。今だに過去の自分を憎む気持ちとどうしようもなかったと同情する気持ちとが葛藤を続ける日々を送っている。世の中の同じような境遇の人間に自分と同じことが当てはまるかはわからないが、少なくとも児童性愛に対して嫌悪感が芽生え始めていることは確かだ。かと言って自分が普通に女性を愛せるようになったかと言われるとそうではない。いうなれば、児童性愛がなくなると同時に性の対象そのものがなくなってしまったのだ。自らの遺伝子を受け入れ命をかけてまで産み落としてくれた妻には今でも変わらぬ感謝と、一緒に生活をしてくれる家族としての深い愛情がある。しかしそれ以外の感情が一切湧き上がってこない。そのことを妻はこれからも受け入れ続けてくれるのだろうか。
人は誰しも生まれながらに親切心や利他心を持っている。「蜘蛛の糸」のカンダタのような極悪人ですら、ふとしたときに温かい感情を起こして小さな命を慈しんだりするのだ。そういう意味ではまったく優しくない人なんていなくて、程度の差はあれ誰もが「優しい」のだと思う。
「優しいね」という発言がなされる場面では、たまたま発言者が親切にされるなどの経験を通じてその人の「優しい」側面を見ているだけだといえる。これは他人がお弁当を食べているのを見かけて「ご飯食べるんだね」と言うのと同じである。ご飯は誰だって食べる。そのときはたまたまその人の「ご飯を食べる」という側面が見えているだけだ。
このように考えれば、「優しいね」という言葉が情報としていかに意味を持たないかがわかるだろう。「変わってるね」についても同様のことがいえる(誰だって多少はふつうの人間と違う特異な面を持っているのだから!)。こういううすぼんやりした言葉は無自覚にホイホイ使わないよう気をつけたいものだ。