はてなキーワード: 遺物とは
インターネットの普及とデジタル機器の進歩により「物知り博士」の価値が低くなった。
その中で、自前の脳を駆使して物事を説明できる人間の能力の価値は高かった。
生成AIの普及によっても、そのような影響はすでに出ている。
これまで、ある程度の分量のまともな文章を作成することは、ひとつの能力として価値を認められていたが、
今や小学生だって、AIと対話すれば、きちんとした文章を「生成」することが出来るようになってしまった。
このことは何を意味するのか?
それは、人は徐々に文章を作成する能力を失っていくということだ。
最早、誰でも労せずに文章を生成することが出来る世の中になった。
その結果として、人は文章を作成する能力を失うこととなるだろう。
インターネットの普及により、細かな知識を暗記することをやめてしまったように、
生成AIの普及により、人は文章を作成することをやめてしまう。
つまり、ますます言語を駆使して論理的思考をする人が少なくなっていくということだ。
それが何を意味するのかは言うまでもない。
私たちの、近い将来に生きる子孫たちは、かつて私たちの祖先が偉大なるローマ文明の遺物を眺めながら茫漠たる気持ちを抱いたのと同じように、われわれ現代文明の遺物たちと接することになるのだろう。
| 国/地域 | 電圧 | 周波数 | 採用理由 |
| ------- | ---- | ------- | --------------------------------------------- |
| **日本** | 100V | 50/60Hz | 明治時代にドイツ(50Hz)と USA(60Hz)から同時輸入。西日本・東日本で分かれた |
| **ラオス** | 220V | 50Hz | フランス統治時代にフランス規格(220V)を導入 |
| **インド** | 230V | 50Hz | イギリス統治時代にイギリス規格(240V)を導入 |
| **USA** | 120V | 60Hz | 独自の工業化で独自規格 |
| **中国** | 220V | 50Hz | ソビエト連邦の影響 |
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`電気の統一 = 帝国主義時代の「どの国がどこを支配していたか」の遺物`
1. **すでに全インフラが出来上がっている**
- 日本全国の電柱、配線、家庭の電気設備 = すべて 100V 基準
- 1976年に IEC(国際電気標準会議)が統一を「推奨」した
3. **既得権益の塊**
- 電力会社が変更に反対
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あなたが怒った時点で、この問題は **100年以上前から存在** しています。
`1900年:各国が勝手に規格を決める ↓ 1945年:帝国主義終わる(でも規格は残る) ↓ 1976年:IEC が統一を「推奨」(無視される) ↓ 2025年:ユーザーが海外で変圧器を買わされている`
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「三大」「教えて」「ネタがすぎるやつ」「挙げてけ」「政治」は除外
ブレーン達と円安
日米金利差から乖離するほどの円安に対処しなくてよいのか。高市政権の目玉政策は積極財政に集中しており他の経済政策に対する考え方が見えづらいため、ブレーンの考え方を参考にせざるを得ない。このセクションは経済学の空論…議論が続くが、気になるのは政権が確信犯的に円安誘導をしたいかどうかの一転だけなので、読み飛ばしてしまってもよい。日本成長戦略会議のメンバーで高市政権のブレーンと目されるクレディ・アグリコル証券の会田卓司チーフエコノミストは「積極的に財政出動すると、国債増発への思惑や将来の成長期待で金利が上昇する。その結果、海外から投資資金が入り、通貨高を招く」とするマンデル・フレミング・モデルを引用しながら「モデルが機能するには時間がかかるが、幅広く市場参加者が信じていくことで円高へと促されていく」と解説する。一方『株高不況』で知られる第一生命経済研究所の藤代宏一主席エコノミストは「そもそも財政政策の効果を検証するためのモデルであり、為替のメカニズムのモデルではない」とマンデル・フレミング・モデル円高説を一蹴する。
実際、マンデル・フレミング・モデルは歴史的にはどちらかというと財政拡張の効果の持続性を懐疑する議論であり、「だから金融緩和で脱デフレを目指した方が効果的」というリフレ派的な主張にも繋がって来たし、現代においてデフレ下であれば財政拡張がもたらす金利上昇を中央銀行が金融緩和で阻止できるので通貨高懸念も効果の短期性も問題にならない。従ってとっくに過去の遺物になっている理論であるが、たまたま今回は「物価目標を超えるインフレの中での財政拡張」であるので日銀が頼りにならず、「財政出動が長期金利上昇をもたらす」とする前半は実現した。問題は後半、つまりその長期金利上昇が海外からの投資資金の呼び込みに繋がるかどうかである。
財政拡張を受けて通貨が買われるかどうかは、財政拡張の必要性や中身への海外投資家の評価に委ねられる。一般的にそれまで財政緊縮が成長の足かせになっており需給ギャップがマイナスである場合、財政拡張は実質成長率を潜在成長率に向けて引き上げるため、通貨には見直し買いが入りやすい。一方、既に需給ギャップがプラスである国で更に政府需要を作ったところで、その需要は値上げか輸入増によって満たされざるを得ないので、インフレの加速に応じて金融引締めを行わない限り、むしろ通貨が売られる要因になりやすいのではないか。ここで本ブログがかつて取り上げたように、まだ脱デフレしていない証拠にされがちな日本のマイナスの需給ギャップがインチキであることを思い出したい。
Nikkei USDJPY and Japan US real rates
ましてや政策金利がいつまで経っても上がらないようでは、たとえ日本の長期国債の名目利回りに興味を持った海外投資家がいたとしても、為替ヘッジを付けるなり円を借りた方が合理的なので、円買い需要を喚起できない。円安はついに、日米実質金利差でも説明できない領域に突入した。
物価目標を超えるインフレの中で緩和的な金融政策を維持し、更に財政を拡張することで経済を過熱させる政策を高圧経済と呼ぶ。高圧経済と聞くとどうしても資産バブルを起こして富裕層や実業家に酒池肉林をしてもらうというイメージが先行してしまうが、もう一人のブレーンである若田部昌澄早稲田大教授はもう少し真面目な思い入れを持っている。曰く、まず経済全体の需要を作って企業に収益を稼がせてはじめて、企業に有形無形の投資をする余力が生まれるので、賃金も生産性も上がっていく、というものである。高圧経済論は我々が義務教育で学ぶシュンペーターの破壊的イノベーションによる新陳代謝論と真っ向から対立する。アベノミクスが我々の実質賃金を引き下げる代わりに雇用の頭数を増やすものだったとすれば、高圧経済は我々の実質賃金を一段と引き下げる代わりに企業に設備投資をやってもらう、というものである。生産性が上がれば潜在成長率も上がってそのうち過剰な通貨安とインフレは鎮火しそうであるが、それが実際に起きるかどうかはよく分からない。いずれにしろ、少なくともいま聞いて日本円を買いたくなるような理論ではないことだけは明らかだろう。
. リストラ加速の予兆?(企業側の本音とリスク)ボーナスは業績悪化時の「調整弁」(赤字で0支給可能)でしたが、廃止で人件費固定化→リストラが「唯一のコストカットツール」に。
2025年は日経平均5万円超の好景気なのに、黒字リストラが前年比2割増(1万人超)。
nikkei.com
企業は「人材確保・成果主義移行」を表向きに掲げつつ、社保負担減(年12回分軽減)で利益最大化を狙っています。
企業狙い
社保カット
人材確保
事例: 大和ハウス(月給大幅改定):中長期成長狙いも、Xで「リストラ前触れ」「人員整理宣言」と懸念。
ben54.jp +2
nikkei.com +1
X反応: 「ボーナス廃止=リストラ準備」「黒字でも1万人削減」「JTCの年功序列崩壊」投稿多し。NHK高給批判も「ボーナス不支給+リストラで危機乗り切り」論。
3. 全体の文脈:日本型雇用の終わりと2025年問題この動きは「失われた30年」の遺物(ボーナス=調整弁)を捨て、グローバル競争(IT/半導体人材争奪)に対応するもの。
note.com
しかし、少子高齢化(労働力-20%)で企業は「黒字リストラ元年」(2025年1万人超)を迎え、廃止が「予兆」として機能する可能性大。
nikkei.com +1
mutualy.net
結論: 手取り増は短期メリットですが、リストラ加速の予兆は本物—ボーナス廃止で企業の人件費柔軟性が失われ、業績変動時の「希望退職頼み」が常態化。詳細事例(例: 日産リストラ分析)が必要?
第1章の超詳細解説です。
(※章分けは代表的な版の構成に基づいています。版により細部がずれる場合がありますが、タタルスキーの物語の最初の区切りとして扱います。)
⸻
🟥 第1章:タタルスキーの転落と“資本主義の匂い”との最初の接触
⸻
◆ 概要
タタルスキーが ソ連から資本主義ロシアへ放り出されて生き残りに苦しむ様子が描かれる章。
彼が広告業界に足を踏み入れる“きっかけ”がここで与えられる。
物語全体の導入として、
・新世界への戸惑い
が非常に濃く提示される。
⸻
• 毎日ただなんとなく過ぎていく
彼は“旧イデオロギーの残骸”を引きずるまま、新しい価値観に適応できない。
「Vladimir Ilyich Lenin」の略 = ソ連の遺物
• それが今、何の役にも立たない
旧ソ連の精神が、資本主義ロシアで役に立たないという象徴がこの章の基調。
⸻
◆ 2. タタルスキー、知人と再会
物語の転機は突然訪れる。
タタルスキーは偶然、大学時代の知人である ゴリンスキー と再会する。
• 良い服
• 太った財布
• 余裕のある態度
を身につけている。
この再会は、タタルスキーの“観念の崩壊”をさらに加速させる。
⸻
彼が困窮していることを察すると、こう言う――
「コピーライターをやってみろ。
• とにかく広告が足りない
• 給料は今の何倍にもなる
⸻
この章のクライマックスは、タタルスキーがゴリンスキーと座る店の描写。
タタルスキーはそこではじめて、
を肌で感じる。
この「世界が広告になる」という感覚は、後半で国家レベルのメディア操作へ発展していく伏線。
⸻
• 興奮:言葉を使って金を稼げるかもしれない
タタルスキーは、
⸻
◆ 6. 第1章まとめ(象徴的整理)
項目 内容
タタルスキーはこの章で、
これが全編を貫くテーマの萌芽となる。
第1章の超詳細解説です。
(※章分けは代表的な版の構成に基づいています。版により細部がずれる場合がありますが、タタルスキーの物語の最初の区切りとして扱います。)
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🟥 第1章:タタルスキーの転落と“資本主義の匂い”との最初の接触
⸻
◆ 概要
タタルスキーが ソ連から資本主義ロシアへ放り出されて生き残りに苦しむ様子が描かれる章。
彼が広告業界に足を踏み入れる“きっかけ”がここで与えられる。
物語全体の導入として、
・新世界への戸惑い
が非常に濃く提示される。
⸻
• 毎日ただなんとなく過ぎていく
彼は“旧イデオロギーの残骸”を引きずるまま、新しい価値観に適応できない。
「Vladimir Ilyich Lenin」の略 = ソ連の遺物
• それが今、何の役にも立たない
旧ソ連の精神が、資本主義ロシアで役に立たないという象徴がこの章の基調。
⸻
◆ 2. タタルスキー、知人と再会
物語の転機は突然訪れる。
タタルスキーは偶然、大学時代の知人である ゴリンスキー と再会する。
• 良い服
• 太った財布
• 余裕のある態度
を身につけている。
この再会は、タタルスキーの“観念の崩壊”をさらに加速させる。
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彼が困窮していることを察すると、こう言う――
「コピーライターをやってみろ。
• とにかく広告が足りない
• 給料は今の何倍にもなる
⸻
この章のクライマックスは、タタルスキーがゴリンスキーと座る店の描写。
タタルスキーはそこではじめて、
を肌で感じる。
この「世界が広告になる」という感覚は、後半で国家レベルのメディア操作へ発展していく伏線。
⸻
• 興奮:言葉を使って金を稼げるかもしれない
タタルスキーは、
⸻
◆ 6. 第1章まとめ(象徴的整理)
項目 内容
タタルスキーはこの章で、
これが全編を貫くテーマの萌芽となる。
去年まで俺も、豆乳鍋は女子会向けのヘルシー鍋って完全に舐めてた。
でも一度本気でやってみたら、もう完全に戻れない。人生変わった。
これだけでベース完成。(※調製豆乳じゃないぞ!無調整で頼む!濃すぎたら水足してもOK)
あとは白菜、豚バラ、えのき、豆腐、しめじをぶち込むだけで、もうラーメン屋の背脂煮干し系を完全に超える。
しかも豆乳が乳化してドロッドロになるから、追い飯したら完全に優勝。
これが毎週続く。冬太りとか存在しない。
アレンジもたくさんあって飽きない。
• 味変でキムチ+コチュジャン → キムチ豆乳鍋(キムチ鍋の完全上位互換)
全部美味い。全部翌朝も絶好調。
豆乳鍋を知らないやつは、2025年の冬を30%しか生きてない。
なかったら今すぐスーパー行け。
だが、あれを“次世代機”なんて呼ぶのは、あまりにもおこがましい。
あんなの、十年前の設計思想をツギハギした「老朽アーキテクチャのゾンビ」だよ。
エンジンの限界を誤魔化して“効率化”なんて言ってるのは、昭和の家電と同じ発想だ。
まるでワードやエクセルのマクロ地獄を延命し続けたWindowsの焼き直しだな。
結局、Switch2がやってることは“UIのスキンを変えただけ”。
中身はレガシーの塊。
Joy-ConをBluetoothで繋いで、またジョイコンドリフトを再発させる気か?
Cellは賛否両論あったが、“過去の互換”なんていう鎖を自ら断ち切った。
そしてフルスクラッチでマルチスレッド・ストリーミングの未来を提示した。
あれこそ「次世代機」だった。
Switch2? あんなの“古い泥舟の塗り直し”に過ぎない。
任天堂は“過去資産を捨てない”ことを美徳だと思っているらしい。
AIが使用履歴を解析し、視線追跡と入力予測でゼロレイテンシを実現する――
それが本当の意味での“快適性”だ。
なのにSwitch2のUI?
「スペックじゃない、遊びだ」
――聞き飽きた言葉だ。
Switch2がやってるのは、“過去の懐古”と“子供向けマーケティング”の繰り返し。
21世紀のエンタメを自称するなら、まずOSを捨てろ。GUIを再設計しろ。
Switch2は“過去の遺物”を温め直しただけの奇形化デバイス。
十年後には、PS3が示した理念の方がずっと前衛的だったと気づくだろう。
この国のメーカーが「レガシー互換」という鎖を断ち切れない限り、
Switch2?
・AI小説がランキング上位になってることについては、当然の流れが来たとしか思ってない。
・X上では「AI小説の質ではなく量が問題なんだ」という風潮があるけど、個人的には「今さら何を言ってるんだ?」としか思えない。
・数の暴力で、テンプレ作品でランキングを埋め尽くしてきたのが今までのWEB小説界隈じゃないか。その主体が人間かAIかの違いでしかない。
・もっとも、AIの数の暴力はこれまでの比じゃないだろうけどね。
・あるプロが「読者不在の議論だ」みたいなこと言ってたけど、ピント外れだなと思った。
・ランキングで評価されてる事実がある以上、読者はAI小説を評価しているとしか言えない。それ以上AI小説を問題視するのであれば、それこそ読者不在の議論だろう。
・ぶっちゃけ、人が書いていようが、AIが書いていようが、読者にとっては知ったこっちゃないわな。
・まあ、人間の書いたものがWEB上で読まれる、というボーナスステージはめでたく終焉を迎えたというべきだろう。
・よかったね、なろう作家さんたち。いい夢見れてよかったね。
・これから始まるのはAIによる数の暴力だ。新着も、ランキングも、膨大なAI作品の中から人間が書いた作品をスクリーニングする機能は持っていない。
・まあ、なろう系ではない当方には関係のない話だ。読まれないのは今に始まったことではない。
・テンプレも、非テンプレも、平等にAIの洪水に押し流される。
・イラストに遅れて、小説にもその波が来た。それだけのことだ。
・人間の作品を読みたい層が取り得る方法は、作家読みをする他ないだろう。
・AI以前から活動している作家は、とりあえずは人間だろうから。
・つまりこれから世に出る作家が、作家読みの対象となるのは、相当難しくなるということなんだけど。
・まあそれも、WEB以前に戻ったと思えば悪くないのかもしれない。
・新人賞も物量に潰されるだろうから、世に出る作家というもの自体が、前時代の遺物になるんだろうけどね。
・言いたいことはそのくらいだ。
・人まねのテンプレで作家になれたんだ、十分いい夢が見れただろう?
・もうおやすみ。
・よかった時代は、終わったんだ。
ああ、なんと愚かな十年だったろう。
私は任天堂を信じていた。いや、信じていたというより、すがっていたのだ。
学生のころ、ひとり暮らしの下宿で初めてWiiを手にした夜を、いまでもよく覚えている。
彼の「やったー!」という声が、まるで私に向けられた祝福のように思えた。
あの瞬間、私は世界に赦されたような気がしたのだ。
ダイレクトのたびに心を震わせ、Switchを両手で抱きしめていた。
彼らはまだ「遊びの意味」を知らないのだと思った。
結婚も、恋も、金も、そんなものはくだらぬ現実の鎖にすぎない。
──本気で、そう信じていた。
Switch 2が発表された。
いや、性能の問題ではない。
あの笑顔が、あまりにも穏やかで、あまりにも“変わらない”ものだったからだ。
十年前のまま、何一つ進もうとしていなかった。
私は、ああ、取り残されたのは私だけではなかったのだと、妙に冷めた気持ちで思った。
私はゲームの電源を切った。
部屋には、静かな青い光が残っていた。
棚にはパッケージが整然と並び、まるで信仰の遺物のように私を見つめていた。
私は、あのマリオの笑い声に怯えた。
それはもう、祝福ではなく、嘲りに聞こえた。
人を責めず、人を励ます。
しかし、そのやさしさは、現実を忘れさせるための麻酔のようなものだったのだ。
「大丈夫、君のままでいい」と囁きながら、私から時間を奪っていった。
気がつけば三十代。
私には、何もなかった。
残っていたのは、壊れたジョイコンと、擦り切れた“信仰”だけだった。
任天堂は悪くない。
悪くないのだ。
悪いのは、そんな夢を本気で信じた私の方だ。
私は、優しさを都合よく信じた。
「変わらない」ことを美しいと錯覚した。
そして、現実の変化に背を向け続けた。
──どうか笑ってほしい。
だが、どうかその笑いの中に、少しばかりの哀れみを混ぜてほしい。
「やったー」と。
うおお原神サービス開始初日からやっててここまでの豪運は初かもしれん…。
初期ポジションは連続すり抜けカウント2、天井カウント0。単発でラウマ確保して以来回してない。
そこからの10連でフリンズ! ここは星5出たら75%なので予想通りとはいえここまで早引きなのは想定外。
いやでもアイノでてねーし!と思ってもう10連回したらまたもやフリンズ!ええ?
俺が年頃の女子プレーヤーなら気絶してたかもしれん。独身中年キモおじさんでよかった。
ただまあ今後の祈願に対し強く出れたはずのすり抜けカウント2は0に戻ってしまったな。
現状、ホヨバゲーで原神だけは全キャラ確保してるから、今後のために深追いはやめt…
いやでもまだアイノ0凸なんだよ! どうなってんだ!
ということでさらに50連くらい回したけどアイノは1体出ただけ。
まあ1凸でも熟知バフは配れるし、次のサポ効果は完凸なんで遠すぎるしで撤退だな。
というかアイノはおそらく少女を取ったら使わなくなる枠だろうし。
星4キャラはね、復刻2回目くらいで自然に6凸してから本格運用を考えるくらいでいいのよ。
それまでは、事前に育成がしておけるだけのデジタルフィギュア。まあアイノみたいに付着役メインなら使えるけどね。
そんでフリンズよ。いやー1凸いいね。本来2回なのが3回打てるのは気持ちいい。
まだ天賦3とかで和璞鳶と雑な遺物付けてるだけだけど十分強い気がする。
個人的にはスクロースが使えるってのがいいね。一番最初に好きになったキャラだから。
最初のクレー祈願でスクロ完凸めざしてたらクレー2凸してたんだよ。星4狙いは沼。
あとキャンディスが好きだなと思ってセノガチャ回してたらセノ2凸してたんだよ。星4狙いは沼。
後者の方が悲惨だな。キャンディスは本当に使い所が難しいキャラでカッチリハマる編成で楽しめた記憶がない。
セノ2凸も強いはずだけどセノ狙いじゃないから無餅だし一応厳選はそれなりにしたけどナヒーダ白朮フリーナでなんとか一時的に螺旋で(主にマトリックス出る時に)使った程度。
それも別に無凸アルハイゼンパでもそこまで大差はないし。ただ月感電セノは可能性ありそうだったね。
でーもー!1凸フリンズをなぜか得てしまったので少女と合わせたらやっぱこっちを使い続けるだろうな、っていう。
月感電セノは開花系をミックスできる可能性があって、いろいろ研究したら強く使える編成もありそうだけど、付着のバランス次第になるんで繊細。
でもやっぱ火力面ではナドキャラには一歩劣りそうだよなあ。素の月感電自体はそう強くないし、ナドキャラと違って高倍率月感電「扱い」ダメを出せるわけでもないから。
それはともかくフリンズ。
フリンズをなぜ取りたかったかって、戦闘とか性能とかどうでもいいんだよ。
ずーっと気になってたフィールドに転がってるランプ!
やっぱりフリンズで特殊選択肢がでて、4箇所まわったあたりで世界任務「ライトキーパーの誓い」が出た。まあ石報酬があるわけでもない、モラとかがちょっと貰えるだけのクエだから気持ち程度だけど。
あと墓石から多くを読み取れるようになったり、大声の亡霊、食べ物にこだわる亡霊に進展があったり、迷子の亡霊から世界任務「迷子の子供の語り」に派生したりと(こっちは報酬すらなし)。
アイドル界の酸いも甘いも混沌も描いた『推しの子』が、本来対象じゃない低い年齢層の子供にも受容されてて関係者が焦るみたいなニュースがだいぶ前にあったけど、
自分の子供時代も含めてだが、この約四十年以上も、『推しの子』どころではない、本来子供に見せるべきではないコンテンツを子供向けと強弁して売り付けるような商売が横行し続けているとしか思えない。
親の本棚からとか、河川敷に落ちてるエロ本から見ちゃったとかそういう次元ではなく、最初から子供向けとして突きつけられ、人間性の健全な発達や安心を拒むコンテンツが溢れている。
それも単なる暴力やセックスの話では収まらなくなってきている。最近の少女漫画ではメンタルヘルスが病んでいる状態をむしろ美化しているのが常態化している。学歴差別や格差をギャグのように描く作品もあり、それを小学生女児がこれから自分が過ごす社会の有様として受け止めながら読む、そんな光景すらある。
自分の話をすると、小さい頃から色々な漫画に触れられる環境にいた。親はむしろ漫画を気にせずどんどん読ませてくれる側だった。
だが、何というか、しっくりくるコンテンツが無かった。平成中〜後期の現行コンテンツより、帰省先の母の実家に捨てられずに残っていた昔の漫画の方が、地に足についている気がしていた。
大学で「こども文化論」科目を取った時、子供向けコンテンツの変遷を調べる機会があった。結論からいうと、70年代を境目に、子供へのアプローチが大きく変わっている。子供は育くむべきものではなく、子供もそこで消費者にすり替えられていた。
そしてそれは当然ながら子供自身が望んだことではなく、明らかに大人の商売のために作られたものだ。
もちろん昔から赤本漫画など色々な問題があったが、それはしっかりと不健全なものと理解されていた背景があり、それに対して「健全」さがしっかりと対抗できていた。今は、少年漫画も少女漫画も、その槍玉に挙げられていた赤本(技巧やページ数の限界で抑えられていた)より数十倍も酷い内容を、美麗な外見でやっている。
ここで、実在した漫画家・寺田ヒロオ――あるいは彼がモデルの、藤子不二雄Aの『まんが道』(とその続編)に出てくるテラさん――の話を思い出す。トキワ荘での良き兄貴分というよく知られたキャラクターとともに、彼は漫画界の傍流、あるいは一種のバッドエンドルートのような言及を今でも受け続けている。
彼が何をしたか、どうして多くの人の記憶に残っているのかは、検索すればサジェスト経由ですぐわかるだろう。なぜか「闇」扱いされたりしているが。
かいつまんで言うと、自分の連載と同じ漫画雑誌で連載されていた他作者の漫画「恐怖魔人ゾンビラス」(漫画内の仮称で、実際は楳図かずおか永井豪の漫画か?)に対して、編集長に「子供に悪い影響を与える、連載をやめろ」と異議を直談判し、それが受け容れられないと自らの連載を切ったエピソードなどだ。
実際にはスパッと漫画家を止めたわけではないなど、漫画的脚色はあるが、テラさんの行動は様々な方面から史実と言える。子供のための「健全な漫画コンテンツ」を求めたテラさんの行動は、漫画内の描写はもとより、ネット上でも「時代変化を理解しなかった頑固な人間」「遺物」みたいな扱いを受けている。
しかし私は、テラさんの立場の方がずっと正しく、明らかに子供に対して誠実だったと、60年も後から思わされている。
あと、付け加えると、テラさんは漫画文化に対してステレオタイプな「浄化」一辺倒な立場ではなく、大人向けとはっきりわかる形で描いたアダルトな作風の漫画は否定していない。テラさんが心を割って話せる存在が任侠・アダルト漫画家の棚下照生だったように。
子供に、身の回りの有様を伝えるときに、まともな人間なら、「人間関係は全て打算で、あらゆるものが欲望で出来ており、全てが醜い」と伝える人はいないだろう。社会にそう言う側面があっても、そこだけを切り取って子供に植え付けるのはまともな行いではない。
テラさん当時の、技巧的に発展途上の漫画・劇画ですら、子供たちの世界を暗く後ろめたいものにしていたが、当時はまだ最低限の良心かタイトルで煽る形で分かりやすくしていたのかもしれない。だが現代ではそれは一見分からない形で(ギャグやロマンスなどの体裁を取り)提供されるようにすらなっている。
はっきりいえば、思春期より前の子供には、ごく単純な、心理描写が少ない、身近な人間関係を描いた作品以外、適していないと思われる。
近所で野球をするだけ。親の手伝いをするだけ。学校で仲間と学び合うだけ。動物と戯れるだけ。「それだけ」の漫画で充分だった。
それをしなくなったのは、そして子供向けではないコンテンツが子供に蔓延したのは、子供の事情や「時代の要請」「技術の発展」なんてものではない(子供が「ハレンチ学園」や「トイレット博士」を望んだのではない)。大人の商売の都合なのだ。
うんことかちんちんとかわざと幼くさせられている少年コミックも、けばけばしい、「病み」を称揚する少女雑誌も、全部歪められた末のものだ。