はてなキーワード: 真珠湾攻撃とは
高等教育への支援が日本を復興させる、と会田誠がXで書いていた。
日本の戦後の復興は、戦後に「偶然」起きたのではない。むしろ戦争そのものが、復興のための下地を、皮肉なほど周到に準備してしまった。戦争は破壊であると同時に、国家をひとつの巨大な工場に変える。資源配分、計画、規格、物流、品質、そして何より、人間の配置と訓練。これらが「総力戦」という名のもとに、暴力的に、しかし異様な密度で組み上げられていく。技術開発とは、研究室の机上で美しく完結する知の遊戯ではない。目的が与えられ、期限が切られ、失敗のコストが極端に高い環境で、試行錯誤を反復し、設計・製造・検査・運用までを一気通貫で回す能力の総体だ。戦争は、その能力を、恐ろしい速度で社会の中に注入した。
戦時の研究開発は、単なる発明ではなく、システムの構築だった。たとえば「技術者」という語は、ひとりの天才の顔を連想させがちだが、実体は違う。設計者がいて、解析者がいて、材料の供給者がいて、加工の技能者がいて、検査の手順を作る者がいて、現場に落とし込む監督者がいる。部品表があり、図面があり、仕様があり、誤差の許容範囲があり、標準化がある。つまり、工学的知識と組織的運用が結びついて、初めて技術は社会に実装される。戦争は、その結び目を強制的に太くした。しかも、若者を大量に吸い上げ、時間を奪い、睡眠と健康を削り、失敗に対する許容を奪うことで、訓練を「圧縮」した。倫理的には呪うべき圧縮だ。しかし能力形成の観点だけを冷酷に抜き出すなら、戦争は、最悪の形で最高効率の訓練装置になり得た。
そして戦後。御存知の通り日本は完膚なきまでの敗北を喫した。当然だ。しかし瓦礫と飢えと混乱の中に、奇妙な資産が残った。焼けた街ではなく、焼け残った手だ。軍需のために鍛えられた設計思考、現場の段取り、試験と改善の習慣、そして「とにかく動かす」ための執念。戦争目的が剥ぎ取られたあと、その手は、民生に向けて仕事を始める。工場は鍋を作り、ラジオを作り、やがて車を作る。品質管理という名で統計が導入され、カイゼンという名で現場が賢くなる。輸出という名で世界と接続され、稼ぐという名で生活が安定する。高度経済成長は神話ではなく、忌まわしき制度と虐げられた技能の合成体・キメラだ。そして、その合成の触媒として、あるいは淘汰圧として、戦争という毒が、過去に撒かれていた──そう言ってしまうと、気分が悪いほどに筋が通ってしまう。敗北はしたが、敗北するためには戦わなくてはならず、戦うためには戦えなくてはいけない。奇妙なことに戦えてしまったことが呪いであると同時に祝福でもあった。真珠湾攻撃は、無条件降伏を経て、米国中を所狭しと走り回るトヨタに至った。まともな経済感覚をもっている米国人は一時期まで日本車を買うのがあたりまえだった。
だからこそ、戦後日本の次なる課題は、戦争なしに繁栄を継続することだった。ここが本丸だった。戦争が供給するのは「目的」と「緊急性」と「資源の集中」であり、その果実として新しい「産業」が結ぶのだ。平時の社会では、それらが自然に生まれない。目的は分散し、緊急性は個人の都合に解体され、資源は合意形成の手続きに溶けていく。ゆえに、平時の繁栄には、別種のエンジンが要る。暴力や強制ではなく、自発性と創造性によって、産業の餌を自分で狩りに行くエンジンだ。そこで登場したのが、大学院という高等教育の訓練装置だ、という物語をわたしたちは信じた。研究という名の訓練。論文という名の競技。専門性という名の武器。産学連携という名の橋。これらを通じて、戦争の代わりに「知」が繁栄を準備するはずだ、と。
だが、いつの間にか装置は、別の生き物を量産するようになった。保身に東奔西走するばかりの大学教員だ。大学院が、主体性の発火点ではなく、依存の温床になったとしたら、それは制度設計の敗北だ。研究費、評価指標、採用、任期、ポスト、学会、査読、ランキング。こうした外部条件が、大学教員個人の内側に「餌は上から降ってくるものだ」という反射を植え付ける。申請書の書き方は教えるが、産業という新しい鉱脈の掘り方は教えない。論文の体裁は矯正するが、社会の問題を嗅ぎ分ける鼻は鍛えない。安全な問いを選ぶ癖、失敗しない範囲での最適化、既存の潮流に寄り添うことによる生存。そうした行動は合理的だ。合理的であるがゆえに、群れは同じ方向にしか動かなくなる。
そしてSNSだ。SNSは思想の市場であると同時に、承認の自動給餌機になった。群れは、空腹そのものを叫ぶことで、誰かが餌を投げてくれると学習する。「分かってほしい」「評価してほしい」「誰かが何とかしてほしい」「政府は間違ってる」。鳴く。鳴くことが生存戦略になる。しかも鳴き声は可視化され、数値化され、増幅される。いいね、リポスト、フォロワー。これらは、栄養ではなく興奮剤だ。満腹にはならないが、空腹の感覚を麻痺させる。やがて、いつまでも上から餌を与えてくれるのを求めて、ぴいぴい鳴き続けるトッチャンボウヤのような元雛鳥の群れができあがる。外敵に襲われない巣の中で、口だけが上を向き、翼は畳まれたまま、眼球だけが光る。自分の脚で地面を蹴るという最初の行為が、いつまでも始まらない。
自分の地位が脅かされるときは自分が悪いのではなくいつも政府が悪い。省庁が悪い。国民の教育水準が、頭が悪い。外で何が起きているのか少し頭を働かせてみようともしない。誰かが群れから外れたことを言ったときは袋叩きにして火にくべる。その結果、誰もが同じことばかり言い続けている。
だが、はっきり言っておく。お前が新しい産業という餌を捕るんだよ。お前がやることになってたんだよ。餌を「作る」のでもいいし、「掘る」のでもいいし、「盗む」のでもない形で「奪い返す」のでもいい。つまり、価値を生むという行為を、制度の他人に外注するなということだ。もちろん少子高齢社会は強力すぎる逆風ではあるが、それさえも誰かのせいに陰謀論めいて帰着させる前に一度よく考えてみたらどうか。産業は勝手に湧かない。誰かが、失敗の責任を自分で引き受け、見えない需要を言語化し、未熟な技術を鍛え上げ、供給網を組み替え、法や倫理の地雷を避け、顧客の怒りと無関心の中で立ち続けた結果として、ようやく姿を現す。論文の引用数のように、キーボードを叩けば増えるものではない。獲物は森にいる。森に入った者だけが、血の匂いと風向きを知る。
お前たちは選択と集中ではなく研究者の自発的な興味や関心が大事という。
では聞くが、お前たちはお前たちが学生だった頃の自分たちに恥じることはないだろうか。
お前たちは、お前たちが知りたいと思ったことを、お前たちが知りたいと思ったかたちで、明らかにしつつあるのか。
わたしは大学の門をくぐったとき、自分が畳の上で安らかに死ねるとは思わなかった。畳の上で死ぬというのは、単に死に場所の話ではない。生が、社会と和解しているという感覚だ。努力が見返りに接続し、未来が計算可能で、家族が暮らし、老いが制度に回収されるという約束だ。だが、あのときのわたしには、その約束が見えなかった。見えなかったというより、最初から信じる気がなかった。自分は、本と論文と電線の塵芥の中で、目を開けたまま息絶えるのだと思った。研究室の片隅で、半田の匂いと紙の埃にまみれて、未完成の仮説を握ったまま、呼吸だけが止まるのだと。
なぜそんな死に方を想像したのか。たぶん、それは恐怖ではなく、ある種の誓いだったのだろう。畳の上の安寧を最初から目標にしない者だけが、森に入れると。森に入るとは、制度の外側に一歩出ることだ。誰も餌をくれない場所に行き、自分の手で何かを捕まえることだ。捕まえられなければ飢える。飢える可能性を引き受ける者だけが、捕まえる可能性を持つ。そういう単純な力学を、大学に入った頃のわたしは、たぶん予感していた。戦争をする国家という本質的な暴力装置に大学そのものを重ねて見ていた。
戦後の復興が戦争によって準備されたのだとしたら、戦後の次の繁栄は、戦争ではなく、わたしたち一人ひとりの「狩り」によって準備されなければならない。制度は餌箱ではなく、森へ向かうための靴であるべきだ。大学院は巣ではなく、飛び立つための筋肉を作る場所であるべきだ。SNSは鳴き声の競技場ではなく、狩りの情報を交換する地図であるべきだ。そうなっていないなら、装置を叩き壊すか、装置の使い方を変えるしかない。鳴くのをやめて、翼を伸ばして、地面を蹴るしかない。
最後に、あの想像に戻る。目を開けたまま息絶える、というのは、救いのない悲観ではない。目を閉じる暇も惜しんで見ていたかった、ということだ。世界の配線の仕方、言葉の連結の仕方、仮説の跳ね方、そして価値が生まれる瞬間の、あの微かな火花を。もし本当にそういう最期が来るなら、せめて塵芥の中に、誰かの餌になる小さな骨を残して死にたい。鳴き声ではなく、獲物の痕跡を。上から落ちてくる餌ではなく、自分で森から引きずってきた何かを。畳の上で死ねなくてもいい。だが、巣の中で口を開けたまま死ぬのだけは、御免だと。
お上を叩くのは簡単だ。叩いても腹は減らないからだ。制度を呪うのは気持ちがいい。呪っても給餌は止まらないからだ。君たちの批判は刃物ではない。換気扇だ。臭いを抜いて、建物を延命する装置だ。君たちは自由の名で柵を磨き、純粋の名で鎖を正当化し、公共性の名で自分の安寧を公共財にすり替える。いつまで巣の縁で鳴くのか。餌は捕れ。捕れないなら黙れ。黙れないなら巣を出ろ。——平和の繁栄は、配給では続かない。
手のひらクルリで抗議声明出せとか言ってる連中は、何言っても文句いうんだから無視でいい。
国益を優先してくれ。
考えなしの突発的行動じゃない。
アメリカにも思うところがあるんだろ。
いまアメリカに抗議声明を出したら、関税が上がるだけじゃない、核の傘だって失いかねない。
でも人がたくさん死んでる・・・。
本当に正しいのか?
黙っているのは正義なのか?
(真珠湾攻撃を思い出せ)
そうだそうだ真珠湾攻撃をやめろ
おいおいちょっと、アメリカ戦争省、このタイミングで日本が真珠湾攻撃した日に不穏な投稿してるじゃん
(Department of War:トランプ大統領の命で国防総省から9月に名称変更)
「WE WILL NEVER FORGET.
84 years ago, our country was attacked...the response from our GREATEST GENERATION solidified America as a SUPERPOWER.
Our victory in WWII honors the service members lost during this tragic attack.
”われわれは決して忘れない。
84年前、わが国は攻撃を受けた…われわれの偉大な世代の報復はアメリカを確固たる超大国とした。
第二次世界大戦におけるわれわれの勝利は、この悲劇的な攻撃で失われた兵士に敬意を表すものだ”
念のためにいっておくと、日本側の不手際で宣戦布告が遅れ、アメリカにとっては日本による卑怯な奇襲とみなされている
俺達は「攻撃してきた日本」を相手に戦ったよな!ッつうメッセージじゃん
1871年:日本「清国と初めて対等な条約結んだで! やっと近代国家扱いされたわ〜」
1894年:朝鮮「助けて〜両方(日本と清)に支配されそうや〜」
→日清戦争
→ロシア・ドイツ・フランス「遼東半島はアカンで(三国干渉)」
1910年:日本「韓国併合したで! もう朝鮮半島はワイのモンや」
1915年:日本「中国に21カ条要求突きつけるで! 満州の権益よこせや!」
→袁世凱「しゃーない…ほぼ飲んだるわ…」
1941年:日本「真珠湾攻撃したで! アメリカとも戦争や!」
1949年:中国「共産党が勝ったで! 中華人民共和国建国や!」
1950年代:日本「アメリカの顔色見ながら、とりあえず台湾と平和条約や(1952年)」
1972年:田中角栄「もう冷戦変わってきたし、中国と国交正常化したろ!」
→中国「過去の戦争はもう水に流すで! これからは仲良くやろ!」
1980〜90年代:日本「ODA(政府開発援助)めっちゃ出すで! 中国のインフラ作ったるわ!」
1989年:天安門事件 → 日本「ちょっと制裁するか…でもすぐ解除したで」
1990年代後半:中国「もう経済力ついてきたし、日本に借金してる立場ちゃうで」
2014〜:中国「南シナ海も全部ワイらのモンや! 人工島バンバン作るで!」
→日本「自由で開かれたインド太平洋や! 中国包囲網作るで!」
2018年:安倍「もうケンカやめよか…日中関係を新しい段階へ!」
2022〜:日本「経済安全保障や! 中国依存はアカン! サプライチェーン見直すで!」
→中国「日本はアメリカの犬や! 歴史問題でいつまでも謝罪しろ!」
2024〜2025年:中国「排他的経済水域にブイ置くで! 尖閣周辺に毎日船出すで!」
結論:最初は「戦争→負けて謝罪→経済で仲良く」だったのに、今は「領土・歴史・経済・安全保障」で全方位揉めとるで…
昔は日本が強くて中国が弱かったのが完全に逆転、もう戻れへん関係になってしもたわ…
(※Grokが一晩で(本当は10秒で)やってくれました。間違ってたらごめんね!)
真珠湾攻撃は入れたもんかどうか
日本側が使用した呼称は大東亜戦争であるし、太平洋戦争だと日本が何のために戦争にまで及んだのか、その意図が消し去られてしまう。
そもそも日本が戦争に及んだ話をしだすと、ペリー来航まで話が戻る。
ペリーによって江戸幕府が不平等条約を結ばされ、その後日本が開国し、詔勅もなしに条約を結んだ江戸幕府に対して倒幕運動が始まり大政奉還に至った。
その後は列強諸国に野蛮な国家だと思われ侵略の恐れがあるため、日本の近代化が一気に進んだ(憲法の制定とか)。
最終的に日本が米英と戦争するに至ったのは、世界恐慌があったことも大きい。
世界恐慌の結果日本経済は悪化したけれど、列強諸国は自国の植民地との間で取引を活発化させるブロック経済によって立て直したけれど、日本はそうはいかなかった。
アジアは隷属として列強諸国に扱われ、日本は世界恐慌で経済が悪化。その結果至ったのが、日本の満州国進出。
日本も列強諸国と同じように植民地を持つことで自国の経済を強化しようとしたが、これに米英が猛反発をした。
満州国は日本が中華民国に建国した傀儡国家。中華民国の利権が絡むことで米英に反発をされ、日本は国際連盟から脱退するにまで至った。
米英の反発、国際連盟からの脱退後も日本は満州国の領土を広げるための戦争を行っていたが、最終的に不平等条約の終了を契機に、アメリカが日本への石油の輸出を止めてしまった。
その後、日本は米との和平交渉を行ったが、米の要求が、「満州国からの即時撤退」であり、日本が飲める要求ではなかった。
そして起こったのが、1941年12月8日の真珠湾攻撃。ぎりぎりまで和平交渉を行ったが叶わず、米英との開戦。
アジアの開放および日本がアジアの盟主として機能する大東亜共栄圏を設立を目的とした大東亜戦争。
厳密に言うと大東亜戦争は日本が掲げたアジア解放を目的とした戦争すべてをさす用語で合って、日本の戦争の正当化と合わせて使われる。
一方で第二次世界大戦と太平洋戦争はニュアンスが違って、第二次世界大戦はヨーロッパの各国とアメリカ、日本、アジアすべてを合わせた戦争をさして、太平洋戦争はアメリカが使用したPacific Warが起源になる。
大東亜共栄圏は一時うまく機能していたが、徐々に米英に侵略され領土がなくなり、絶対国防圏の陥落によって本土空襲が可能になり、日本は終戦へと向かう。
1945年4月7日の鈴木貫太郎内閣発足時点で、日本は終戦へ向かうことが確定していた。
日本の終戦までは、一撃講和論が主流で、米英に一矢報いて和平交渉を有利に進めようという考えがあった。これには国体の護持、天皇制の存続など日本側の要件があったわけだが。
1945年8月ごろになると、米英中三国によってポツダム宣言が作成され、日本に対して宣言文がラジオ放送され、降伏のビラが撒かれた(ソ連は8月8に参加したので、共同宣言の受諾は四国に対してとなる)。
これには日本の国体護持や日本"軍"の無条件降伏などが書かれており、日本としてはポツダム宣言受諾して降伏することを考えていた。
一方で一部青年将校らはビラに書かれたSubject toの解釈を隷属であるとし、クーデターにまで発展している。
さらにアメリカは日本に降伏の意志があったにも関わらず、広島・長崎で原爆を投下した。
広島・長崎の大都市が一瞬で壊滅したことで、日本の降伏も早まり、8月14日時点で連合国に降伏を伝え、8月15日の正午、玉音放送をもって終戦した。
さらに話を続けるのなら、日本の政治的な話になるが、なぜ昭和天皇に戦争責任がないのか、極東国際軍事裁判(東京裁判)とは何だったのか、なぜ靖国参拝は批判されるのか...について書きたいが、日記にしては長すぎる。
だから、じいちゃん世代が言う「大東亜戦争」なんて言葉、ニュースや教科書でほとんど見たことも聞いたこともない。
「大東亜戦争」は日本からの視点、「太平洋戦争」はアメリカからの視点。
だからNHKニュースで「先の大戦」と中立的な言い方をするのは、まあ理解できる。
でも、ふと疑問に思った。
なんで「第二次世界大戦」って言わないんだろう?その方が世界標準の呼び方じゃないか?
少し調べてみたら、これが結構ややこしい話だった。
まず、政府の戦没者追悼式典なんかだと、戦争の始まりは1937年の日中戦争から、ってことになってるらしい。 そうなると、1941年の真珠湾攻撃から始まる「太平洋戦争」という呼び方とはズレが出てくる。
それに、「第二次世界大戦」と言うと、ヨーロッパ戦線も含んだ、より大きな枠組みの話になる。 NHKがニュースで伝えたいのは、あくまで日本が深く関わった戦争についてだろうから、少し範囲が広すぎるのかもしれない。
結局のところ、「大東亜戦争」「太平洋戦争」「アジア太平洋戦争」など、どの呼称も特定の立場や解釈を含んでしまう。 だから、特定の価値判断を避け、どの立場にも偏らないように「先の大戦」という言葉を選んでいる、というのが一番の理由みたいだ。
なるほどな。単に中立というだけでなく、指し示す戦争の範囲が違うとか、色々な立場に配慮した結果だったのか。言葉一つで面倒なことになるのを、うまく避けているんだなと納得した。