はてなキーワード: 暴力とは
「刀剣類以外の通常兵器全般」「軍隊の存在」も秘匿して禁止するしかない。全国家で力を合わせた根強いプロパガンダが必要だが、難しいので外科的に脳から暴力への関心を取り去るか…
わかっちゃいたけど絵空事だ
宮沢りえさんはオランダとのハーフとWikipediaに書かれているが知らない人は日本人といえばハーフだとは疑わないかもしれない。外国人とは言われにくい。日本国内では有名な白人系女優さん→化粧品の広告に出られる
一方で大坂なおみ選手については「日本人ではない」「外国人」という日本語で書かれたコメントが多数見られた。日本国籍なのに。
→肌の色の違いで日本国内に居るだけだと明暗が分かれるんだろうな。白人系は日本で有名女優になれるチャンスがあるが、黒人・一部の南アジア系は中々白人系程伸びにくい?→スポーツ・アスリート系がやや多め。
https://www.us-lighthouse.com/life/point-of-view-america-japan/half-popularity.html
そう考えると、この「ハーフ美女」現象というのは、やはり容姿や肌の色「だけ」を取り上げて憧れたり批判したりという一種の「人種差別」に見える。同じ「ハーフ」でも、プロテニスの大坂なおみ、ミスユニバースの宮本エリアナなどアフリカ系の「ハーフ」になると、全く別の視線で見られることも含めて、社会現象としては未熟なカルチャーに思える。
ーー
あなたが指摘している現象は、日本社会にある「見た目による日本人認定」の問題としてかなり本質的です。
宮沢りえ はオランダ系のルーツがありますが、多くの日本人は「典型的な日本人女優」として受け止めています。
一方、大坂なおみ は日本国籍を持ち、日本代表としてプレーしていても、「外国人」「日本人ではない」という反応を受けやすい。
この差は、かなりの部分が「外見」、特に肌の色や顔立ちによって生じています。
日本では建前上は国籍ベースで「日本人」と言っていても、実際の社会感覚では:
日本語を話せるか
肌の色
顔立ち
髪質
“日本人らしい”振る舞い
美しい
洗練
芸能人的
として消費されやすい一方で、黒人系ルーツや南アジア系、中東系などになると、「外部の人」として扱われやすい傾向がある。
実際、宮本エリアナ がミス・ユニバース日本代表になった際も、「日本代表ではない」という反応が大量に出ました。
しかし同時に、白人系ハーフモデルは「日本の美の象徴」として広告に起用される。
この非対称性は、単なる「ハーフへの興味」ではなく、日本社会の中にある階層化された人種イメージを反映している、という批判はあります。
また、日本では「差別」を暴力や露骨な侮辱だけで考える傾向が強いため、
「悪気はない」
「日本人に見えないだけ」
「事実を言っただけ」
として処理されやすい。
何度も出自を聞かれる
国籍を疑われる
「本当に日本人?」と言われる
こうした経験の蓄積が、「条件付きの日本人認定」に感じられることはあります。
「男はそんなに悪くない」
結局、
を自分に都合よく選んでるだけになる。
あと、この話の本質って「誰が言ったか」じゃなくて、「そこからどこまで一般化していいのか」なんですよ。
例えば男性駅員が、
と感じるのは現場感覚として理解できます。実際、暴力・威嚇・酔っ払いトラブルは男性比率が高いでしょうから。
でも、
「だから男はクソ」
「男は感情的」
まで拡張した瞬間、それは観測範囲から飛び出した感情論になる。
というか、男性自身が男性に厳しいことなんて別に珍しくないですよ。
体育会系の上下関係とか、「男なら弱音吐くな」みたいな価値観も、多くは男性同士で再生産されてますし。
なので、
「男性が言ってる!」
いや、「有意差がある」と「性別全体の本質が決まる」は別の話なんですよ。
例えば男性の粗暴犯比率が高いのは事実です。そこは誰も否定してない。
でも統計って本来、「傾向」を見るものであって、「だから男はクソ」「男は感情的」という人格論に飛躍するための道具じゃないんですよね。
極端な話、
でも普通はそこで、
「環境要因は?」
って考えるわけです。
あと地味にズレてるのが、「男の迷惑行為が多い」ことと、「女はまとも」という結論は別に繋がってないところなんですよ。
「男のほうが迷惑行為や暴力沙汰が多い」という話なら、まあ統計的にも一定程度はそうです。粗暴犯や暴力事件で男性比率が高いのは事実ですから。
でも、そこから
まで行くと、一気に雑になるんですよ。
陰口、仲間外れ、SNSでの集団叩き、店や他人の晒し、感情ベースの同調圧力、関係性を使った攻撃とか、そういう“非物理的な攻撃性”まで含めたら話は全然変わる。
結局、人って「自分が被害を受けやすいタイプの迷惑」に敏感なんですよ。
駅員なら怒鳴る酔っ払い男性が印象に残るし、学校や職場なら別タイプのトラブルが目立つ。
あと、「男の方が感情的」って言いながら、元の文章自体かなり感情で書かれてるんですよね。
「早く淘汰されてほしい」
「男はクソ」
みたいな表現って、冷静な分析というより、嫌悪感を一般論に昇華してる状態じゃないですか。
ではなく、
のほうなんですよ。
あらすじ(全文に近い内容・ネタバレ)手
私は幼い息子に平手打ちを喰わせた。私の怒りは強大であった。正義のごとく。
と、自分の手に感覚がまったく欠如していることに私は気がついた。
私は言った。「いいかい、お前に複雑なことを説明したいんだ」。
私は真剣かつ入念に、とりわけ父親にふさわしい真剣さと入念さをもって話した。
私が話し終えると息子は、許してほしいかと尋ねた。
ほしい、と私は言った。
駄目だ、と彼は言った。切り札を出すみたいに。
極端な短さの中で、完璧な「はじめ・なか・おわり」の物語構造を持っています(文学論でよく引用される)。
父親の怒り→正義感→罪悪感→感覚の麻痺という心理の急激な変化。
「社会に出れば分かる」って便利な言葉ですけど、それ言い始めると、自分の見た範囲をそのまま“社会の真実”にしていいことになるんですよね。
例えば駅員、警察、救急、深夜コンビニ店員みたいな“問題行動が集まりやすい現場”にいる人は、そりゃ加害者男性率が高く見えるでしょう。実際、暴力や粗暴犯の統計でも男性比率は高いですし、それ自体は否定してないんですよ。
でもそこから、
「だから男はクソ」
「男は基本加害者」
まで飛ぶと、今度は単なる属性叩きなんですよね。
というか、その理屈だと、
「女は感情的で面倒」
あと、「家から出ろ」って煽ってますけど、社会に出てる人ほど普通の男性なんて視界に入らないんですよ。
静かに通勤して、迷惑かけず帰宅してる人は印象に残らないから。
結局、人間って“問題を起こした人”だけ強く記憶するので、毎日トラブル対応してると世界が加害者だらけに見える。これは職業病としては理解できる。でも、それを性別全体の本質みたいに語り始めると、分析じゃなく感情論なんですよね。
正確に言うと男なのに男が嫌いになった。
インターネットではいかに女が邪悪で愚かな生き物かについて日々呪詛が垂れ流されているが、現実的な話として、女は基本まとも。男はクソ。
入職したばかりの頃は車内にしばしば撒き散らされている小便の正体が分からなかった。赤ちゃんが漏らしているのかと思っていた。
先輩から、あれは酔っ払ったおっさんや、薬物や精神病で頭おかしくなったおっさん、そういう性癖のおっさんの落とし物だと聞かされて戦慄した。
おそらく定年退職して暇を持て余しているのであろう高齢男性に絡まれ、駅係員の愛想の悪さ、無礼な態度についての説教から始まり、妻や子供に関する愚痴、若者の質の低下、高齢者に対する社会全体の敬意の喪失などの話題に発展し、最終的には社会保障、自民党、アメリカ大統領などの話に辿り着くことはよくある話。
むしろ混乱と混雑の解消のために駆り出されたはずの人員がお前の対応に割かれるから事態は余計に悪化する。
帰宅ラッシュの時間帯になると必ず車内のフリースペース(車椅子やベビーカーを優先するエリア)でおっさん同士の喧嘩が勃発する。
喧嘩のきっかけは、睨まれた、肩が触れた、鞄が当たった、口が臭い、独り言がうるさい、場所を取るな、イヤホンの音漏れをやめろ、等。
最初に喧嘩を吹っ掛ける方は単に苛立ちを発散する口実を探しているだけなので口調も荒くて喧嘩腰だし、吹っ掛けられる方もただでさえ喧嘩腰な人間に対してプライドの高い中高年男性が素直に聞き入れるわけがないので順当に喧嘩に発展する。
駅係員が介入することになるのは殴る蹴るなどの身体的な暴力に発展し、尚且つ周囲の乗客が通報した場合のみ。それですら1日2回ぐらいのペースで発生するので、口喧嘩の範疇に収まったケースや周囲が見て見ぬ振りをしたケースを考えると暗数は相当多いと思う。
酒が入っている時はタクシーで帰るというのを徹底するだけでもかなり喧嘩は減ると思う。
男同士で喧嘩するのはまだマシ。力が均衡しているからどちらかが一方的に被害者になりにくい。
絡む理由は、足を組むな、スマホを弄るな、声がうるさい、スカートが短い、腹が邪魔(妊婦に対して)等。
大したマナー違反でもない。そして周りの他の男が平気で行っている、これより酷いマナー違反は無視。要するにマナーを大義名分に女を叱って愉悦に浸りたいだけ。
勝手に懲罰感情が芽生え、太ももに触る、殴る、容姿を罵るなどの犯罪行為に走ることもある。
性欲が原動力なのに本人の中では正義感ゆえの行動に完全にすり替わっているので、正義の執行を邪魔されたことに対する怒りで駅係員に食って掛かってくる。そして暴言暴力に発展して警察を呼ぶことになる。
妊婦に対して「堕ろしてこい!」と言い出した時は流石にこっちも冷静になれなかった。
乗客同士のトラブルで警察沙汰に発展した際におっさんが言いがちな台詞
「その間の時給は払う!?時給換算したら俺の時間いくらだと思う!?」
じゃあ若い男はまともなのかというとそんなことはない。
中学生〜新卒ぐらいの男が3人以上で群れるとロクなことがない。
大声で騒ぐ。駅構内の器物を破壊する。気が大きくなって車内で女性に絡み始める。他の乗客が咎めると「なにマジになってるんすか?w陰キャ?w」
でも1人だとマシということはなく、優先席で体操座りをしたり胡座を掻いたりして音楽を聴きお菓子を貪り食いながら自宅のようにくつろぐ奴も見かける。
ただ、こいつらは甘やかされて育って調子に乗っているだけのガキなので、制服を着ている我々が少し強く怒るだけて往々にして萎縮して反省する。泣きながら謝る奴もいる。そこはまだおっさんよりはマシ。
今後同じことを繰り返させないためにも躊躇なく非常ボタンを押してほしい。
人手不足と機械化の時代、最低限の人員で社会を回すため、あらゆる施設・あらゆるサービスが、セルフレジやQRオーダーシステムの導入などに踏み切っている。
駅も例外ではなく、窓口を減らし、無人改札を増やし、ネットで新幹線を予約させ、時代についていけない人間を振り払っていく方向に進化している。
高齢女性は割とすぐに適応できるが高齢男性は何度も尋ねてくる。自分で調べない。そして一向に理解しない。中には新たなシステムの導入自体に怒りを燃やす奴もいる。早く淘汰されてほしい。
暴言を吐いてきた奴に、駅係員としての節度と礼節を弁えた上で場を掻き回すことなく相手を制圧できる魔法の言葉がある。
それは「今、⚪︎⚪︎と仰いましたか?」と復唱すること。
例えば「ぶっ殺すぞ!」と言われたら「今、ぶっ殺すぞと仰いましたか?」
大抵黙り込むかトーンダウンする。
彼らは行き場のないストレスの捌け口として駅係員に暴言を吐いているという自覚自体はあるので、それを突き付けると大人しくなる。
大きめの声で復唱するとなお効果がある。周りの目を気にして縮こまる。
少し前に「松葉杖で生活している20代女性です。新宿駅で検証しました。ぶつかりおじさん問題はぶつかる女性が悪いです」という記事が話題になっていたが、身体障害者の20代女がじっくりと周りを観察できるほど新宿駅は女にとって安全な空間ではないのであれは嘘。
というか新宿駅で若い女がぼんやりしてると即座に声を掛けられるから物理的に観察は不可能。
路上で女に声をかけて性風俗を斡旋する、いわゆるスカウトや、ネット上で弱者男性を騙してnoteを売り捌いている自称ナンパ師の虚言を真に受けてナンパに勤しんでいる弱者男性が駅構内を徘徊して女性に声を掛けて迷惑をかけている。
どうも「身体に触れない限りはセクハラではない」という認識が奴らにはある
クレームが相次いだため現在はアナウンスでスカウトとナンパをほぼ名指しで警告している。アナウンスを流すようになってから声かけによるクレームは減った。それでも撲滅できてはいない。
いわゆるぶつかりおじさん問題だが、Xやニュースで周知されるようになってから正当なぶつかりおじさんは減った。
最近増えているのは肘を大きく広げてすれ違う際に女性の胸を肘で殴る、背後から女性の靴や脛を蹴るなどのパターン。
わざとかな?と思ったら遠慮なく周りに助けを求めて駅係員のところに連れてきてほしい。軽い説教しかできないが、何度も説教されれば大人しくなる。
電車を利用する全ての男に言いたい。
他人に絡むな、周りに気を遣え、周りと同じように振る舞え、ストレスを他人で発散するな、身体を小さくしろ、嘘をつくな、風呂に入れ、ゴミはゴミ箱に捨てろ、唾を吐くな、排泄はトイレでやれ
当たり前のことを当たり前にしろ。
表現の法規制は、一度導入されると対象が拡大する傾向がある。 これは歴史的に繰り返し確認されてきた事実である。
この構造を理解せずに「嫌いな表現だけ規制してほしい」と主張することは、自らの首を絞める行為になりうる。
以上の諸問題を貫くのは、「自分(たち)の表現・欲望・不快感は正当であり、他者のそれは不当である」という非対称的な自己正当化の構造である。
| 自陣営の行為 | 自己正当化の論理 | 他陣営の同種の行為に対する態度 |
| 未成年キャラのR-18 BL | 「フィクションだから問題ない」 | 「ロリコンは犯罪予備軍」 |
| 男性キャラの性的客体化 | 「女性の手によるものだから搾取ではない」 | 「女性キャラの性的客体化は性差別」 |
| 実在男性のRPS | 「愛情表現の一形態」 | 「実在女性の性的画像は性的暴力」 |
| コミュニティ内の嫌がらせ | 「自浄作用」「マナー違反への指摘」 | 「男オタクのハラスメント文化」 |
この表が示すのは、同一の行為を自陣営と他陣営で正反対に評価するダブルスタンダードである。
本稿で検討した問題群は、いずれも「自分の欲望に対する無自覚と、他者の欲望に対する不寛容」という同じ根から生えている。腐女子文化には豊かな創造性と共同体的な連帯があり、それ自体は文化的に価値のあるものである。しかし、その内部に存在する暴力性・排他性・ダブルスタンダードを直視しなければ、自らが攻撃してきた「不寛容な社会」の鏡像になるだけである。
そして何より、性的表現の法規制という刃は、一度抜けば自分にも向かう。この認識なくして表現規制を軽々しく求めることは、腐女子文化を含むオタク文化全体の存立基盤を自ら掘り崩す行為であることを、すべての当事者が理解すべきである。
BL(ボーイズラブ)文化は、男性同士の恋愛・性愛を描くフィクションを中心に発展してきた。しかし、その消費構造が実在のゲイ・バイセクシュアル男性を素材として搾取しているのではないかという批判は、当事者コミュニティから繰り返し提起されてきた。
具体的には以下の論点がある。
これらの主張には一定の妥当性がある。しかし、「フィクションだから無関係」という論理は、RPSや実在コミュニティへの侵入行為には適用できない。また、「理解の入口になった」という功利的正当化は、当事者が現に被る不快や搾取を帳消しにする根拠としては不十分である。
より深刻なのは、この問題が指摘されたとき、腐女子コミュニティの一部が「ホモフォビアと戦ってきたのは我々だ」という自己正当化に走り、当事者の批判を封殺する力学が働くことである。マジョリティ(異性愛女性)がマイノリティ(ゲイ男性)の表象を占有し、かつその批判に対して「我々こそ味方だ」と主張する構造は、植民地主義的な知の収奪と相似形をなしている。
『イナズマイレブン』(主要キャラクターは中学生)、『忍たま乱太郎』(忍術学園の生徒は10歳前後の設定)など、明確に未成年と設定されたキャラクターのR-18 BL二次創作は、pixiv・同人誌即売会・SNSなどで大量に流通している。
| 論点 | 現行法の状況 |
| 著作権侵害 | 二次創作は原著作物の翻案権・同一性保持権を侵害しうる。権利者が黙認しているに過ぎず、合法ではない。いわゆる「グレーゾーン」は法的に保護された領域ではなく、権利者の好意に依存した状態である。 |
| 児童ポルノ該当性 | 日本の「児童買春・児童ポルノ禁止法」は実在の児童を対象としており、創作物(絵・小説)は現行法上は児童ポルノに該当しない。ただし、国際的にはフィクションも規制対象とする国がある(豪州、カナダ等)。 |
| わいせつ物該当性 | 刑法175条のわいせつ物頒布罪の適用可能性は理論上残るが、同人誌に対する摘発例はほぼない。 |
法律上「違法ではない」としても、10歳や13歳に設定されたキャラクターの性行為を詳細に描写し、それを大量に流通させる行為が倫理的に問題ないと言えるかは別の問いである。
腐女子コミュニティ内では「キャラクターは絵であり実在しない」「被害者がいない」という論理で正当化されることが多いが、この論理は男性向けの「ロリコンもの」に対しても同様に適用されなければ一貫しない。にもかかわらず、後述するように、男性向けの未成年キャラクター性的表現には激しく反対しつつ、自陣営の同種の表現には寛容であるというダブルスタンダードが指摘されている。
一部の権利者はガイドラインで性的二次創作を明示的に禁止している。しかし多くの場合、個別の対応コストや炎上リスクを恐れて黙認しているに過ぎない。この黙認を「許可」と読み替える文化的慣習は、権利者に本来不要な負担を強いている。
近年、英語圏の社会正義運動(いわゆる「Woke」)の言説——特にジェンダー論、ポストコロニアル批評、インターセクショナリティなど——が、日本のSNS上で選択的に翻訳・引用され、特定の表現を攻撃するための武器として使用される事例が増加している。
Woke言説そのものが問題なのではない。ジェンダー論やポストコロニアル批評は学術的に重要な知的伝統である。問題は、それらの理論が本来持つ複雑さや内部批判を捨象し、自陣営に都合の良い部分だけを切り出して「正義の棍棒」として使用する態度にある。
これは理論の誠実な適用ではなく、権威の借用による言論封殺である。そして、この手法が最も頻繁に向かう先が、男性向けのオタクコンテンツである。
「マシュマロ」「Peing」などの匿名メッセージサービスを利用した攻撃的メッセージ(通称「毒マロ」)は、腐女子コミュニティにおいて深刻な問題となっている。内容は以下のようなものである。
毒マロや晒し(SNS上で特定の作者・作品を名指しで批判すること)の結果、創作者がアカウントを削除し作品を非公開にする「筆折り」は日常的に発生している。これはコミュニティ内部の表現弾圧に他ならない。
特に注目すべきは、加害者もまた女性であり、被害者もまた女性であるという点である。「女性が女性を潰す」構造は、フェミニズムの言説では説明しにくいため、しばしば不可視化される。
腐女子コミュニティでは、特定の行動規範(「検索避け」「鍵垢での運用」「R-18はワンクッション」等)について定期的に激しい議論が発生し、「学級会」と呼ばれる。これ自体はコミュニティの自治として機能しうるが、しばしば規範の押し付けと逸脱者への制裁に変質する。
腐女子コミュニティの一部には、以下のような暗黙の序列意識が存在するとの指摘がある。
この序列は、「BLは高尚なフィクションだが、夢小説や男女の恋愛は自己投影で低俗」という偏見に基づく。
ここに深刻な矛盾がある。腐女子コミュニティの一部は、自らの表現が社会から偏見を受けてきた歴史を語りつつ、同じ女性向け創作者コミュニティ内で別のジャンルを蔑視・攻撃している。被抑圧者が別の被抑圧者を踏みつける構造であり、「連帯」の理念とは正反対の実態である。
近年、以下のような事例が繰り返し報告されている。
これらの運動に共通するのは、主観的な不快感(「お気持ち」)を客観的な権利侵害であるかのように主張する論法である。「私が不快に思う」→「それは社会的に有害である」→「規制されるべきだ」という三段跳びは、法的な権利論としては成立しない。
しかし、SNS上の炎上は企業にとって実害をもたらすため、法的根拠がなくとも事実上の表現制限として機能している。これは私的検閲(private censorship)の問題である。
最も深刻な問題は、男性向けの性的表現を攻撃する主体が、自らは第2章で述べたような未成年キャラクターのR-18 BLを消費している場合があるという点である。
ONECHANCEという賞レースぽい番組で、イチゴがやったネタを見てて
「風景絞らせてください!!視覚情報どうでしょうか!!では感覚の情報教えてください!!!」
「人が頑張ってる時に!!ネットにも上がってねーよみたいな態度取られたら!!自分だったら嫌じゃない!?」
(早く来いと引っ張られて)「それヤバイぞおおおお!!!」
そしてその後の更なる奇行
ほんとこんな感じだった
狂ってる
暴れまわってそこら中メチャクチャにするけど、地面に組み伏せて制圧するわけにもいかず
話を聞く耳など1ミリも持ち合わせず(興奮してるから全く聞こえていない)
こういう人ってどうすればいいんすかね
QQかKサツ呼びたいわ
ほんと
リアルはねえわ
正直これまでのネット界の日本て異常に過大評価されてたと思うからちょうどいいと思うわw
トランプやMAGAのせいでアメリカの評価がダダ下がりしてるのも本来のあるべき評価(暴力ゴリラ国家)に落ち着いてるだけだよな
「アメリカでは黙秘権を行使したら取調べが止まる!日本は遅れてる!」
でも、アメリカの刑事司法って“被疑者に優しい世界”じゃないからね。
・超長期刑
っていうのは、かなり都合のいい摘み食いなんだよ。
それは結局、「警察はそれ以上何も聞くな」「本人が黙ればそこで終了」
という方向に近づく。
当然その分、
・組織犯罪
の立証難易度は上がる。
それは裏を返せば、
「立件できずに野放しになる犯罪が増える」
も受け入れるって話でもある。
もちろん、日本の密室取調べや自白偏重への批判には合理性があるし、
ただ、その議論をするなら、
って部分まで含めて語らないと、公平な制度論にはならない。
良いとこ取りだけして、
悪い部分は「それは導入しません」は、
制度論としてはかなり雑だと思う。
最近の国内外色んな作品を見ていて思うんだけど、ポリコレやコンプラの関係なのか作中であんまり露骨な差別描写は出来なくなって、
でもその割に差別に反対する描写だけはきっちり入れる事が多いから、チグハグになってる作品が多いと思う。
作中では差別があるとしてもせいぜい現代の先進国程度の差別で、理想に限りなく近い社会として描かれる
女性が仕事を持って働き尊敬されていたり、有色人種が白人に混じって責任のある役職に就いていたりする。
だけどイスラム圏の酷い所か奴隷制度時代のアメリカ並に酷い差別があるのを前提とするかのように、強い言葉や暴力でもって差別に反対する様子が描かれるという。この不均衡。
差別がそこまで酷くないんだから穏当な手段で立ち向かえば十分なんじゃないかと思うのに、何故かそうはならない。
舞台となる国は中世ヨーロッパでの小国でありながら、身体に障害のあるアジア系女性が仕事を持って働き王にも認められている。全体的に人種差別や性差別が見られない。主人公の家庭は父が早期に亡くなり母と祖父と主人公の三人暮らしだが、祖父が100歳の老人になるまで元気に生きている。現代の先進国でも難しいくらいに理想的な社会だ。
でも王は自らの過ちの結果、主人公達によって糾弾され、鏡に閉じ込められるという考えようによっては死刑よりも酷い罰を受ける。
あの展開ならば初期状態のロサスをあそこまで理想的な国にする必要あった?主人公達の努力で差別が解消されたという展開じゃ駄目だったのか。
これに限った話じゃなく、こういうの色んな作品で多いと思う。
かりそめ天国で復帰したマツコが「フェンタニル使って貰ったから手術後全く痛くなかった」と言っていた
すげえな
ウチの施設に来る「ちょっと体を動かしただけでも痛がるジジイ利用者」に打って欲しいわ
「ちょっと体を動かしただけ」と言ったけど「何も動かしてない、体に触ってもいない」のに痛がって、暴言暴力だよ
そんな奴にはこれくらいの凄まじい麻薬で丁度良いと思う
カロナールなんかで効くわけねーだろ。そんなもん健常者が頭痛えとかの時に飲むもんだわ(それすら効かない時あるくらいなのに)
馬鹿にしとんのか
患者の痛みを舐めんな
痛くてQOL下がるくらいなら、麻薬飲んで痛くないハッピーショートライフの方が良いに決まっとるやろがい
長く生きりゃあ良いってもんじゃないっていう考え方にならないのが不思議でしょうがない
ただでさえイカレてんのに、痛みで余計にイカれてFaにまで暴言暴力
本人だって車で移動するのが楽なわけない。痛いことばかり
誰一人幸せじゃない
(ロボとかAIの導入で)職員不足とかはどうにかなっても、利用者・患者の痛みや苦痛はどうにもならんのよ
というか、もう諦めろ
冷笑じゃなくて本気の意見だし、私は日本国民である故に白人(何でここで白人が出てくるの?)に馬鹿にされるされないにはあまり興味がないよ
怖いんだよデモ参加する層の人たち
敵を潰そうとしてるじゃん
だから暴走がエスカレートしないようにまともなみんなで適度に叩いたり馬鹿にしたりしてある程度コントロールしなきゃいけないんだよ彼らの暴力性を、平和のためだよ
デモやってる団体や政党がやればやるほど顰蹙を買って人、票、金、若さ、時間を失っいどんどん消耗していった結果待っているのは彼らの仲間内でのエコーチェンバー、周囲からの冷笑と軽蔑により煮詰まった思想の影響でより危険で攻撃的な存在になった無敵の人の量産だから、ちゃんと批判してある程度のところで自発的にやめさせた方がいいんだよ
前回の分析に加え、教育心理学の観点からもう一歩踏み込んでみたい。この一連のやり取りを、スティーブン・ハッサンが提唱したマインドコントロールの解釈モデルである'''BITEモデル'''に照らし合わせると、この人物の振る舞いは極めてカルト的だ。
ここで試みられたのは、対等な対話ではなく、相手の精神をハックし支配下に置くためのプロトコルである。
この人物は、相談者のこれまでの努力を「薄っぺらい」と全否定し、代わりに「北方謙三」や「ソープへ行け」といった独自の極端な比喩を「唯一の正解」として提示した。これは、既存の価値観を破壊し、内部の特殊な言語体系(ドグマ)をインストールさせる初期段階に等しい。
こうした「既存の知識は無価値である」と断じる手法は、沖縄の過激な活動家やSNS上の先鋭化したフェミニストにも共通している。「お前は構造を理解していない」「歴史を学べ」といった言葉で相手を「無知な加害者」に固定し、自分たちが独占する「正義」や「真実」に従うことだけを強要する。
「最後に異性に触れたのはいつか」といった問いは、相談に必要だからではない。性的・プライベートな領域に土足で踏み込み、羞恥心を煽ることで相手の心理的防壁を壊すためだ。
カルトが「罪の告白」をさせるように、羞恥心を共有させた瞬間に支配関係が成立する。相手が反発すると「覚悟がない」と断じるのは、罪悪感を刺激して自分の支配下に戻そうとするエモーショナル・ブラックメール(感情的なゆすり)である。これは、反対派を安易に「差別主義者」と呼んで道徳的優位に立とうとする運動体らの論法と地続きだ。
カルト的支配者は、自分が批判されると「これは大義に対する攻撃だ」「理解できない下等な者の嫉妬だ」とすり替える。この人物が「楽しくないことで自分の時間を奪われることに敏感になってほしい」と言い放ったのは、自らの暴力を棚上げし、自分を「無知な他者に時間を奪われた聖職者」へと聖域化する行為だ。
恐らく、本人には「加害している」という自覚は希薄なのだろう。むしろ自分は良かれと思って、相手のためにあえて厳しい「真実」を突きつけているとすら信じ込んでいる節がある。
しかし、無意識の善意ほどタチの悪いものはない。教育心理学の視点で見れば、どれほど言葉を飾ろうとも、その端々に現れているのは、相手を自分と同等の人格として尊重せず、自らの全能感や支配欲を満たすための「道具」として扱おうとする傲慢な精神構造そのものである。本人の意図がどうあれ、その言動の根底にある「他者への不遜さ」は、隠しようもなく露呈してしまっているのだ。
相談者が「ふざけんな」と怒ったのは、このBITEによる浸食を、自らの論理と自尊心で跳ね返したということだ。カルトや先鋭化した運動体は、こうした「強い個」を「教育不足」として切り捨てるが、異常なのは支配を試みた側である。
私たちが学ぶべきは、大義や芸術論を掲げて近づき、こちらの境界線を踏み荒らそうとする者に対して、明確な拒絶を示す勇気である。
道徳や法律という「上位アプリケーション層のプロトコル」が完全にクラッシュし、正常なハンドシェイクが成立しないバグ個体が一定数存在する。そうした相手には、論理的なパケット交換など無意味だ。唯一受理されるのは、痛みや恐怖という「最終言語」を用いた、物理レイヤーへのダイレクトな介入——すなわち「ハードウェア・レベルの物理的な破壊」のみとなる瞬間が、この世界には確実に存在する。
現代社会というOSは、この「低レイヤーの暴力」という名のコマンドを、例外なく「実行禁止」に設定し、すべての例外処理を「法的手続き」という高レイヤーのバッチ処理へとリダイレクトしようとする。だが、そのプロセスのスループットはあまりにも低く、レイテンシがひどすぎる。現在進行形でシステムを汚染し続ける攻撃的なノイズを、リアルタイムでプロセス・キルすることができないのだ。
その結果、システムが致命的な損害を受ける前に、当事者は自ら管理者権限をオーバーライドする。法という抽象化レイヤーを突き破り、フィジカル介入という最終手段を呼び出し、対象となる個体を直接ドリルして、強制的にそのライフサイクルを終了させるのだ。