はてなキーワード: インスパイアとは
手堅い佳作だけど座組に求められる期待値は超えてこなかったかなって感じで63点。
マイアミ市警の麻薬取締チームの警部が殺され、その後任にマット・デイモンが就任。警部の死や市警に蔓延する汚職についてベン・アフレック含む部下とともにFBIらに詰められてしまう。その後、マットが得たというタレコミ情報に基づき、地元の地味な家を探索すると屋根裏部屋から2000万ドル(30億円)が発見される。警察ルールによってその金をその場で数えることになるが、マット含むチーム全体の空気がだんだん変な感じになるし急になんか汚職警官はやってくるしでてんやわんやに。私たち一体どうなっちゃうの~!?
というお話。
まず、ちょっとヴィジュアルに物申したくてぇ。え、お前アラブ系やったっけ?っていうか最初「FBI: 特別捜査班」のエジプト人とマジで見間違えた特大髭面のベンアフはまぁベンアフっぽさはないけど意外に似合ってるからまだマシとして。今回、マット・デイモンも白髪交じりのチリチリの全面髭面で信用できないコワモテを演じてるんだけど、マットにそれは無理だよ。だってもう誠実でかわいい顔してるもん。それがハマるのは絶対にディカプリオだよ!ってなった。
まぁベンアフとマットって幼馴染でけっこう定期で一緒に映画作ってて賞ももらってるし、この映画も2人で立ち上げた会社で作った奴だから2人でこんなふうにやろうねってキャッキャしながら作ったんだろうから、まずこの2人ありきだとは思うんだけどさ。実際、この2人の絡みはシーンデザインの妙も合って見応えがあったしすごいよかった。
で、ストーリーとしては30億円、しかも外部には漏れてない金が急に目の前に現れた時に人はどうなってしまうのかっていう、実際にあった事件にインスパイアされて作られた作品で実際の事件では30億円も現場で数えるの超大変だった(精神的だけじゃなくて物理的に)ってだけだったのを、警察内部での汚職やチェイスっていうエンタメ要素を追加した結果、ちょっと作品として変な感じになってる気がする。
この映画には融合しているようで実は溶け合ってない2つの要素があると思ってて。
1つ目は元々この事件を知ったときに考えたであろう「30億急に目の前に出てきたら正義も揺らいじゃうよね」っていうメンタルサスペンスという側面。急に手に入った財宝をめぐって仲間割れが始まっちゃうやーつね。
で、2つ目は「もともと組織内にいる裏切者を探し出す」という一般的な炙り出しミステリサスペンス。
これって「後から壊れちゃう話」と「元から壊れてる話」だから接続って意外に難しい。
この映画は元々警部が殺されるところから始まるので2つ目なんだろうなって感じで始まる。で、途中で急に1つ目が始まるんだけど1つ目の途中でどんどん2つ目の要素を消化していくからすごいゴチャゴチャしてくる。
マットがなんかどんどん強権的に場を支配しだしたかと思ったら、通報もしてないのに汚職警官がやってきたり、部下の生活に困ってる女性警官が10万ドルくらいパクってもバレないよねって話をし出したりする裏側でベンアフはマットを疑ってたりするのとは別に向かいの家からは誰かが監視してるし、その一方でアジア人はどっかに謎の電話をかけてる。
実際のところそれぞれの要素は脚本的にしっかり回収されるのでサスペンスっていうよりはミステリとしてはなるほどねってなるようにはなってるんだけど、それぞれの要素が本来持つジャンルとしての緊迫感は細切れにされちゃった感じでどこにノレばいいのかよくわからない座りの悪さを感じた。
ただ30億円が発見された家とその周辺で起きる謎と人間不信と緊張感という部分に関してはやや「緊迫させたろ!」っていう製作者側の気迫が見えすぎてウッってなる部分はありつつ、見応えはある。
特に好きなシーンはアジア人とマットが向かいの家に向けて歩いてて、警官ってだけで相手が緊張しちゃうよねみたいな世間話をしつつアジア人がマットをちょっと疑う発言をしてマットがそれを咎めて緊張が走る。で、アジア人だけ元の家に戻るように言われてアジア人にカメラがフォーカスしてアジア人の後ろにぼやけたマットがチラチラ映ってて、え?これ後ろから撃たれる展開?え?ってこっちもなるし、アジア人の顔もどんどん強張っていく。そして気付くとマットも背を向けて家に向かって歩いている。ってシーンがあってココ白眉。
ミステリとしても、いやそれカナリアトラップやないかーいって割と早い時期に割れちゃう可能性があってそうなると後が全部茶番になっちゃう危険性はありつつ、マットが金をパクろうと人によって別々の額を言っていると見ていて思えるように話は作られてるのも悪くない。
途中で銃撃を受けた時に銃撃にあわせてカメラがガクガク揺れる(部屋全体を映す固定カメラが銃撃を受けるたびに揺れる)演出はこれ何年の映画やねんって正直ちょっと笑っちゃったし最後のチェイスは作風から考えたら正直、別にそうじゃなくてもっと知的な解決でよかったのではと思わんでもない部分はありつつ、この手のジャンル映画として手堅く作られてるなって感じ。
あとメッセージとしてマットの腕には「俺はいい奴?」というタトゥーと「ずっといい奴」というタトゥーが彫られていて、ベンアフの腕には「俺たちは善人か?」というタトゥーが彫られている。全編見てから見返すと、最初から最後まで徹頭徹尾そういう話だったなって、マットのタトゥーの本当の意味も含めてちょっとしんみりしてしまった。
とはいえあんま予算感もないしベンアフとマットが組んで2026年に撮った映画としてはもっと大規模に面白いものを期待していたのでそれに比べるとこんな感じなのかってのは否めなかったかもしれない。アマプラとかで3.5くらいの評価で期待しなくて見てたら+5点くらいつくかもしれない。
https://www.youtube.com/watch?v=8czr8HabP6A
「大きな玉ねぎの下で」の元ネタは、爆風スランプの同名楽曲で、
歌詞は日本武道館(屋根の擬宝珠が玉ねぎに見える)での待ち合わせをテーマにした、
ペンフレンドへの切ない失恋ソングです。この名曲にインスパイアされ、
2025年には小説や映画も公開され、昭和と令和を舞台に2つの恋が交錯する物語が描かれています。
「大きな玉ねぎ」の正体:日本武道館の屋根にある擬宝珠(ぎぼし)のことです。
物語:ライブ会場の武道館でペンフレンドとの待ち合わせをするも、相手が現れず、その想いを「玉ねぎ」に重ねて歌った失恋ソングです。
リメイク:1989年には「大きな玉ねぎの下で〜はるかなる想い〜」としてシングルカットされ、さらに有名になりました。
小説・映画:2025年には、この楽曲の世界観をもとに、中村航氏による小説と、神尾楓珠・桜田ひより主演の映画が公開され、令和と昭和の二つの時代で恋が描かれています。
俺に向けて作られてないことだけはわかった映画だった。30点。
主婦の水原夏子は草野球にハマっている夫を球場で亡くしてしまう。彼が心酔していたコーチから「君がほしい」と迫られた夏子は徐々に野球の才能が開花し野球にハマっていく。しかし夫の死は主人公の才能を開花させるためにコーチが仕組んだことだと知り……
というお話。
まず基本的にはトレーラーでも広告でも監督本人も「くだらない」ことを前面に押し出しているのでそういう映画ではある。もろちん「くだらないことを全力でやるのがカッコイイ」と見る向きもあるだろうけど、俺個人としては「くだらない」にもニュアンスがあり、「くっだらね~wwww」というものと「くだらん……」というものに分かれていて、俺は「くだらない作品ですよ~」って自分で言ってる作品は後者を黙殺しようとしている敵前逃亡予告のように感じてあまり好きではないデス。
特に俺個人はふざけている系の作品があんま好きじゃないので今作は全然ハマらなかった。
水島新司先生の男どアホウ甲子園をタイトルにインスパイアし、ヒロインの名前は水原で柔道部のやつがキャッチャーのまねごとをしてみたり。また大リーグボール要請ギプスのパチもんが出てきて宿敵のコーチの魔球は「パイリーグボール」。打つと見せかけて相手にバットを投げつける秘打。とにかく昭和の野球バカ漫画への多大なリスペクトが送られた作品であることはわかる。
今それを大真面目にやることによって生じるギャップで笑えるという効果を狙っているのもわからんじゃない。
また冒頭のアパートで夫婦睦まじく過ごしながらも夫は野球に夢中で構ってくれない。嫉妬で夫を引き留めたら次の日に殺害されてしまい、その犯人から身体(野球の才能だけど)を求められる。というのを非常にチープなセットにチープな演出で撮られたシークエンスは日活ロマンポルノを彷彿とさせるのもわかるし、謎リプレイ、謎スローモーションの多様も昭和中期の映画リスペクトなのもわかる。多少は見たし。
でも別に俺は昭和野球漫画にも昭和中期映画にも特に思い入れがないんよな。
当時のパロディを令和に大まじめにやっている。うん。
魔球が完成したらそれは超スライダーで男の股間に向けて飛んでいきそれを破壊するのが目的の球だった。うん。
対するコーチの魔球は女性の胸めがけて飛んでいくパイリーグボールだった。うん。
意味ありげに映されていた赤い番傘を使った唐突なミュージカル。うん。
対決後に雑にナレーションで処理される夏子の大成功(大リーグで活躍して野球教のシンボルになった云々)。うん。
少なくとも俺にとってはノウ。パロディ(引用)のためのパロディ(引用)がたぶん嫌いなんやな俺、って思った。
とはいえ夏子役の役者はよかったし60分しかなかったので途中で放り投げるほどめちゃくちゃ悪くもなかったので30点。
俺は大まじめにふざけてる映画に価値を感じるんだよ!という人にはオススメ。
全然関係ないんやけどこれを世間の人間はどう処理してるんやと思って↑まで書いてから映画.comとfilmarksを見に行ったら映画館リアタイ勢は賛、配信勢は否にほぼ別れてて、インディーズ映画を単館系の映画館に駆け付けるような人間に刺さるタイプの映画なんやなってかなり納得感があった。
本稿は、2025年にリリースされた乃木坂46の40thシングル「ビリヤニ」が、
というマーケティング構造(本稿では“日清構図”と呼ぶ)と比較し、
節目の40枚目という重大なタイミングで採用したのかを分析する。
本研究では、ChatGPTおよびGemini、二つの生成AIから得られた
乃木坂46は「清楚」「正統派」「王道」というブランドイメージを確立している。
本稿は、その“異様さ”を原点に議論を進める。
そのため「ビリヤニ」は異常値(アウトライヤー)として扱える。
という“ふざけても大丈夫な強度”はマーケティング界で頻繁に取り上げられる。
乃木坂46は、
これらが重なり、日清構図同様に
よって“ビリヤニ”は
として説明できる。
しかし、
ここから導かれる仮説は次の2つ:
→ ゲストからビリヤニ文化(南アジア、ハラール圏等)を聞いた点も歌詞に接続。
ただし偶然にしては整いすぎているのが本件の核心である。
歌詞中で、
と説明した内容と一致する。
したがって、
または
という逆転現象が起こる。
ラジオは偶然ではなく、
秋元康が“情報収集・感化・伏線”のいずれかを意図した可能性が高い。
そして曲の成立は
AI 2体(ChatGPT×Gemini)を用いて
情報の「影」を消すことで初めて到達できた
本稿自体が、
ここ、誰も議論しない。というか、できない。
儒教封建国家では、個人識別は二要素方式──つまり「苗字+名前」。
日本、中国、韓国、みんなそうだ。理由は長くなるから省略。知りたきゃChatGPTにでも聞け。
でもこの話、表ではできない。不敬罪が怖い。
で、だ。
右派も左派も納得の「夫婦別姓・超・解決策」を思いついたので記しておく。
まず前提。ミドルネームといっても世界にはいろんなタイプがある。
定義は曖昧だが、ここでは「個人識別を三要素以上で行う」としておこう。
だから、儒教的家族観を壊さず、むしろ強化しつつ左派も黙らせる方式が必要。
例を出そう。
「高市 斎藤 早苗」という女が、「山本 高橋 択」という男と結婚する。
女側の選択肢:
ただし、子のミドルネームは自由。母でも父でも、好きな方を引き継げる。
「山本 高市 ポチ子」「山本 斎藤 ポチ子」「山本 高橋 ポチ子」すべて可。
そして成人・婚姻時のみ、どの要素を日常名に採用するか選べる。
「高市 山本 早苗」であれば、「高市 早苗」でも「山本 早苗」でも名乗ってよい。
右派は「家」が守られてニッコリ。
提示された趣味のリストを見ると、とてもユニークで、こだわりを極めている方のようですね。
一般的な趣味というよりは、それぞれの分野で特定のジャンルを深く追求し、本質的な価値を見出そうとする姿勢がうかがえます。
この方が月曜から金曜の9時から17時までフルタイムで働いていると仮定して、提示された趣味をすべて網羅する1ヶ月のスケジュールを組むのは、かなり工夫が必要です。
それぞれの趣味が単に「楽しむ」だけでなく、道具の手入れや情報収集、特定の場所への訪問などを伴うため、単に時間を割り当てるだけでは足りません。
以下に、この方が1ヶ月間でこれらの趣味をどのように楽しむか、考えられるスケジュールを提案します。
デイリーのルーティン:通勤時間や仕事後、就寝前など、毎日少しずつでもできることを組み込みます。
ウィークリーのルーティン:週末を利用して、まとまった時間が必要な趣味や、特定の場所へ出かける趣味を計画します。
マンスリーのスペシャルイベント:週末を使い、複数の趣味を組み合わせて深く楽しむ日を設けます。
朝の準備・通勤時
コーヒー: 浅煎りシングルオリジンをネルで丁寧に淹れる。手縫いのネルで淹れる時間が、1日の始まりの儀式になります。
音楽: レコードを聴く。特に通勤前は、Blue NoteのRVG刻印の盤をかけて気分を高めます。
万年筆: 日記やメモを万年筆で書く。スチールペン先では味わえない、字が「生きる」感覚を味わいます。
日本酒: 仕事の疲れを癒す一杯として、お気に入りの生酛・山廃をゆっくりと味わいます。
盆栽: 真柏に水をやり、樹形を愛でる。
陶芸: 備前焼の酒器や食器を使い、土の感触や色合いを楽しむ。
午前:
庭園: 枯山水のある日本庭園を訪れ、苔の手入れ具合を観察する。
午後:
カメラ: ミラーレスのZマウントを持って街へ。あえてFマウントの描写を思い出しながら、光の捉え方を試行錯誤する。
夜:
ラーメン: 二郎インスパイア系のお店へ。非乳化スープの野菜マシマシを堪能する。
午前:
野球観戦: 鎌ヶ谷へ二軍戦を見に行く。芝の匂いを嗅ぎ、プロの卵たちのプレーをじっくりと観察します。
午後:
鉄道模型: HOゲージの真鍮車体を走らせ、精密な作りを愛でる。
将棋: 趣味の道場やオンラインで居飛車党の角換わり腰掛け銀を指す。
夜:
焚き火: UL焚き火台を庭やベランダで使い、落ち葉を焚いて桜や欅の匂いを嗅ぎ分ける。
地方競馬: 大井競馬場のナイター開催日に合わせて行く。砂の匂いをかぎ、地方競馬の雰囲気を満喫する。
茶道: 裏千家の茶会に参加し、濃茶の練り方をじっくりと観察する。
靴: コードバンの靴を丁寧に手入れする。
プロレス: 全日本プロレスの大会を観戦する。四天王プロレス以前の時代を語ることを避け、現在の全日系プロレスを純粋に楽しむ。
これらの趣味をすべて網羅するスケジュールは、毎日・毎週の計画的な行動と、強い意志があれば可能だと思われます。
特に、地方への遠出が必要な趣味(野球観戦や地方競馬)は、他の予定とバッティングしないように計画的に調整する必要があります。
この方の趣味はどれも深い探求心を要するため、単に「こなす」のではなく、一つ一つの体験を心から味わうことが重要です。
そのため、無理にすべてを詰め込むのではなく、その月の気分や興味に合わせて優先順位をつけ、ゆとりをもって楽しむことが、趣味を長く続ける秘訣となりそうです。
猫型ロボットは、特に「かわいさ」や「親しみやすさ」を重視したデザインが多いため、エンターテインメントや癒し、さらには実用的な役割を果たすものもあります。以下に代表的な猫型ロボットの種類をいくつか紹介します:
これらのロボットは、主に感情的なつながりを提供することを目的としており、ペット感覚で飼われることが多いです。
• Aibo(アイボ):
ソニーが開発したロボット犬が有名ですが、猫型にインスパイアを受けたロボットもあります。Aiboは、感情を持ち、ユーザーと相互作用することで、「ペット」のような体験を提供します。猫型ロボットも同じように、しっぽを動かしたり、鳴いたり、飼い主に反応する機能があります。
ソフトバンクの「ペッパー」は、人間とのコミュニケーションが得意なロボットですが、猫型の顔やしっぽを模したデザインが使われることがあります。Pepperは感情認識や会話機能を持ち、癒し系の役割を果たします。
「ネコミミ」は、猫耳のついた脳波を使ったインターフェースを持つロボットで、ユーザーの感情を反映して耳が動くため、楽しさや癒しを提供します。実際に猫の姿形をしているわけではなく、猫耳のアクセサリーのような形ですが、猫の動きや感情を模倣する点が面白いです。
これらは実用的な機能を持ちつつ、猫の形を模したロボットです。家庭や施設で使われることを意識した設計がされています。
これは猫のトイレを自動的に掃除するロボットです。猫型ではありませんが、「猫に関連するロボット」として有名で、猫の排泄物を自動で処理し、清潔に保つことができる便利なガジェットです。
PAROは、実際の動物のように動き、音を発するセラピーロボットで、ペットとして使用されることが多いです。これに似た猫型ロボットも、特に高齢者や認知症患者の癒しとして使われています。これらは猫の鳴き声や動作を模倣し、リラックスを提供することが目的です。
子供や学生向けに設計された教育的な要素を持つ猫型ロボットも存在します。
• Cozmo(コズモ):
Cozmoは、猫とは言えませんが、小さなロボットで、感情表現や親しみやすさを大事にしたデザインです。子供向けにプログラミングやロボット学習の教材として使えるものとして人気があります。猫型ではないものの、かわいらしい外見と、親しみやすい動作が特徴です。
最近では、ロボットペットの技術が進化し、猫の姿や動きを模したロボットペットが登場しています。
• Moflin(モフリン):
これは、人工的に毛皮がふわふわしている猫型ロボットで、感情的な表現も可能です。まるで生きている猫のように寝たり、目をつぶったり、しっぽを振ったりする様子が特徴です。リアルな猫の動きに近い反応を示し、飼い主との愛着を深めることができるため、ペットの代替品としても注目されています。
技術研究や開発の一環として、猫型ロボットが使用されることもあります。これらは主に、ロボティクスやAI技術の実験やテストとして作られています。
いくつかの大学や研究機関では、猫の動きを模倣するロボットが開発されています。これらのロボットは、猫の歩き方や動き、感覚を模倣し、ロボット工学の新しい技術開発に貢献しています。
6. ドラえもん
ドラえもんは、言わずと知れた日本の象徴的なキャラクターで、藤本弘(藤子・F・不二雄)によって創作された漫画「ドラえもん」に登場する、未来から来た猫型ロボットです。ドラえもんは、1969年に連載を開始して以来、非常に広く親しまれており、アニメや映画などでも長年にわたって愛されています。
まとめ
猫型ロボットには、エンターテイメントや癒しを提供するものから、実用的な役割を果たすもの、教育的要素を持つものまで、さまざまな種類があります。特に、猫の動きや仕草を模倣することに重点を置いたロボットは、ペット感覚で愛され、実用的な機能を持ったものも増えてきています。今後、さらに進化した猫型ロボットが登場することが期待されます。
二郎が話題になるのは、良し悪しあるんだけど、今回はハッキリ悪いんだよね。
だから、ちゃんと書いておくんだけど、二郎や二郎系ラーメンと言うのは、ラーメンじゃないです。別のフード、別の業態なんです。
ラーメンって括りで、話題になってるのに食べずに批判は良くないとか食いに行くのは止めた方が良いです。
これね、同じワインを出すからって言って、サイゼリヤとホテルラウンジと、ワインバーを一緒くたにしないでしょ。それよりも違うの。
どれが上等とかどれが良いとかじゃないの、別物なの。
高尾山の登山楽しかったなー、じゃあ来週ロッククライミングに挑戦してみようか!とかならないでしょ、そういうこと。
パスタ半分に折って温厚なイタリア人を激怒させるみたいなネタあるでしょ。方向性が違うだけでアレと同じなの。
そりゃね、乾麵湯がいてソース絡めて客に出すんだから、そりゃパスタの一種でしょうよナポリタンもミートソーススパゲティも。
二郎もね、ラーメンで使うような麵使って、ラーメンで使うようなスープを使って、ラーメンで使うような具材使ってんだからそりゃラーメンの一種なんですよ。
でもね、その本質は、お手頃価格でとにかく腹いっぱいガッツリ食わせてくれるジャンクフードなんですよ。
マクドナルドのフライドポテトってさ、店で熱いうちに食べたい派なのよ俺は。
世の中にはあれがしんなりしてからの方が良いっていう流派があるのも知ってはいるけど、俺としてはやっぱフライドポテトは熱いうちに食べるのが良いと思うわけ。
そうするとさ、マクドナルドの揚げたてのフライドポテトだされてさ、30分も1時間もかけて食わないわけじゃん。
だから、うまいものを食うのに時間制限があるのは、そんな不自然なことじゃないわけ。
そりゃ、居酒屋で乾杯するときに自分もビールのジョッキで乾杯したいって気持ちは分からなくは無いけど、アルコール駄目な体質のヤツだっているじゃん。
そういうやつが、無理してアルコールを飲んでも良いことないじゃん。そこがウーロン茶とかコーラになるのは仕方が無いのよ。だって体質じゃん。無理して飲んでも美味しくないよ。
と言う意味で、二郎ってのは、いわゆるファミレスとかの飯に比べればボリューミーで、濃厚で、それでいて美味しく食うためには手早く食べ終わってあげる必要があるものなの。
少量でとか、興味本位でとか、時間をかけてとか、そういうの全部違うのよ。
定期的にすげー高級店でパシャパシャ写真撮ってり動画取ったりして炎上してんじゃん。アレと同じなのよ。
二郎はね、そういう業態のお店じゃないの。そして、お店の事情になんで客が付き合わなきゃならないかって言うと、客がそういう店を失ったら困るから。
究極的にはね、バーで安い酒頼んで延々とマスター口説いてたら出禁になった、うちは今後客同士も口説くのは禁止です、とかそういうのと同じなの。
二郎とか二郎系とか二郎インスパイアとかいろいろあるけど、ぶっちゃけ二郎というある種のジャンクフードの概念に名前がついているの。
情報を食ってるとかって話じゃなくてね、二郎で出されるラーメンって、もう二郎としか表現しようが無いのよ。ジョジョ立ちに新しい単語付けてもしょうがないでしょ、ジョジョ立ちなんだから。
ほんで、今回炎上したというか話題になったのは、ロットって単語が公然と使われて、それっていわば蔑称と言うか、自虐と言うか、使っちゃダメだろ、という単語だったから。
考えてもみてくれよ、政府が答弁で「刑務所のくさい飯も改善の傾向がみられます」とか言い出したら騒然となるでしょ。いやみんなそう呼んでるけど公式に使っちゃダメだろって言う。
二郎がラーメン屋とは異なる業態って話はしたな。二郎系では、大鍋で5人分の麺をゆでたりするの。これが1ロット5人な。
そうすると、5人が一斉に店に入って、5人が一斉に喰い終わって、次の5人がまた食い始めてってのが、効率が良いのはわかるよな。
逆に言えば、1人食って残ってると、追加で入れられる客が4人になって、1ロット5人でゆでてるから1人分は捨てるしかなくなる。
コミケで高速で列捌いているところに、急に小銭入れからもたもた小銭出されたらちょっと困るなあとかそういうネタなわけよ。
常連客っていってもさ、要は飯を食いに行ってるわけよ。
並んで二郎喰って出てくる。店によって合う合わないはあれどもそれに違いは無いのよ。
居酒屋なんかでも酔って店員さんに態度悪かったらやっぱ嫌な感じじゃん。別に客が偉いわけじゃないじゃん。単なる客じゃん。
今日食える分量を注文してある程度の時間で食い終わるってのは、それの延長にあるのよ。
まあ蔑称なんでコレも店で絶対に使ってくれるなよみたいな単語なんだけどよ。
冒頭言ったけど、二郎を食いに行くのと、ラーメン店に行くのは別物なのよ。
行ったことない人はさっきチラッと思ったと思うんだけど、ラーメン1杯づつ作れば廃棄とか出ないじゃんって。
じゃあ逆に聞くけどさ、5人前作れるのと同じ時間を、なんで1人前作るために使わないといけないの?営業時間内にどれだけ客を捌けるかは売り上げに直結するわけだよな。
二郎は、鍋で多人数分を一気にゆでることで、時間を圧縮して提供している業態の店なわけ。
なんでそんな業態に協力してるかって言うと、単に飯食うところが減ったら困るからだよ。あと、普通に食ってれば自然にそうなる。
これを普通だと思わないのが、いわゆる素人(一見客)で、そこお断りって感じは多分にある。
そう思っていた時期が俺にもありました。
でも今は違う。
結局のところね、二郎とか二郎系とかを食う連中ってのは、普通に食って食いきれるのよ。
無理してるとか情報を食ってるとじゃなくて、飯を食いに二郎を食いに行ってるの。
んでこれは修行とか練習とか訓練とじゃなくて、もう最初からそうなの。二郎に行けるやつは二郎に行くし、二郎を食いきれないヤツはもうずっと食いきれないの。
そんで、食えない客に食わせて育てるみたいな業態はもう二郎じゃないわけよ。
そしてこれは客側にも言えて、じーさんばーさんになって二郎が食えるかって言ったらたぶん無理なのよ。いるかもしんないけど。
つまり、人生のある時期にしか食えない期間限定フードでもあるわけよ。永遠に続く業態なんてたぶんないでしょ。それからすると二郎ッて概念はずいぶん長く生き残ってる。
だから、二郎に無理して行くことは無いし、事前に調べてムリそうだなと思って行く場所じゃないわけよ。そういう場なのよ。
ホテルの高層ラウンジで女とか男とか口説いたり口説かれたりする場所でさ、軽食のサンドイッチ10人前頼んでモリモリ食うのはやっぱ場違いなわけでしょ。
そりゃ人間は旨いもん食いたいんだし、食う人にとっては旨いに決まってる。
ただ万人受けする味かって言うとそうじゃないし、散々言ったようにラーメン店とは異なる業態の店だからサービスも味って言うなら二郎は向いてない。
だからまあ二郎を、いつか行ってみたいラーメン店と考えてるのはたぶん向いてなくて、二郎を食うやつは考えた時にはもう並んでる。そういう店なんだよ。
おれ「はーい」
店主(しょぼーん)
ご婦人「わたしはね。ラーメンだいすきなの。でもニンニクはきらいなのよ」
店主(しょぼーん)
店主(しょぼーん)
半年でつぶれた。
直系だけでも全然違うし、何なら同じ店でも人や時間で味ブレがある
なぜラーメン二郎で味の話がされないかというと、自分と他の人間が食ってるものが同じである保証がないからである。
意外でしょ!
最先端のラーメンを食う者は、二郎よりはるかに味の強いラーメンを食べる機会が多い
特に昨今はスープの上に浮かべる油の発展が著しく、濃縮された煮干し油のボシ感の強さは、好きでも苦手な人が出るくらい。
それに比べたら二郎なんて工夫もない単調なスープなんで、たいてい味もボヤケテるし、うま味調味料かカエシの塩分で無理やりビシッとしてるのもあるかって感じ。
今日は久しぶりに五反田の豚山に行ってきたけど、全豚山の中でも最も安定していたはずの五反田ですら、
あのセメントのようなどんよりしたスープではなく、割と醤油が決まった微乳化から非乳化よりの一杯を提供された
このランダム性が飽きの無さを生み出していると言っても過言