はてなキーワード: 婚姻とは
日本の戸籍制度は、明治維新以降、国家が国民を把握し、統治するための基盤として機能してきた。1889年に公布された明治憲法(大日本帝国憲法)下では、「家」という共同体を基礎単位とする制度が確立された。戦後、1947年の日本国憲法制定に伴い、個人の尊厳と両性の本質的平等が謳われ、戸籍制度も「家」単位から「夫婦とその未婚の子」という核家族単位へと改められた。
しかし、この戦後の改革から70年以上が経過した現在、社会構造の変化や価値観の多様化に伴い、現行の戸籍制度には深刻な「歪み」が生じている。本稿では、明治憲法下および現行制度の変遷を概観した上で、その限界を指摘し、21世紀の日本にふさわしい「子を中心とした戸籍制度」への転換を提言する。
明治憲法下の戸籍制度は、戸主が家族員(家族)を統率する「家制度」を法的に裏付けるものであった。これは儒教的な家父長制に基づき、家系の継続を最優先するシステムであり、個人は「家」の構成員としてのみ存在が認められていた側面が強い。
1947年の民法改正および戸籍法改正により、この家制度は廃止された。新制度は、日本国憲法第24条が定める「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」するという理念に基づき、一組の夫婦とその子を一つの編綴単位とした。これにより、個人の権利は大幅に強化され、日本の民主化を支える家族観の礎となった。
民主化の進展という功績がある一方で、現行の「夫婦単位」の戸籍は、現代社会において以下の三つの大きな「歪み」を露呈させている。
離婚・再婚の増加、事実婚、別姓婚へのニーズ、さらにはひとり親家庭の一般化など、現行の「法律婚に基づく夫婦」という枠組みでは捉えきれない家族形態が増加している。戸籍が「婚姻」を起点とする以上、そこから外れる個人は法的な「世間体」や手続き上の不利益を被ることが少なくない。
現行制度は、夫婦が同一の氏を称することを強制(あるいは強く誘導)している。これが選択的夫婦別姓議論の停滞を招き、個人のキャリアやアイデンティティの継続性を阻害する要因となっている。戸籍が「夫婦というセット」を管理の単位としているために、個人の尊厳が二の次になっている現状がある。
現行の「300日規定(離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子と推定する)」などの民法規定と連動した戸籍制度は、母親がDV等の事情で出生届を出せないケースを生み、結果として「無戸籍児」を発生させている。これは、戸籍が「親の関係性(婚姻状態)」を証明する装置であることを優先し、一人の人間としての「子の存在」を二の次にした結果と言える。
これらの歪みを解消するためには、戸籍の編綴単位を「婚姻(夫婦)」から「出生(子)」、ひいては「個人」へと抜本的にシフトさせる必要がある。ここで提言する「子を中心とした戸籍制度」とは、「一人の人間がこの世に生を受けた瞬間から、その個人を独立した主体として登録し、親の婚姻状況に左右されない永続的な記録とする制度」である。
「子を中心とする」とは、すなわち「個人単位」の戸籍への移行である。出生と同時に個人固有の戸籍(あるいは個人登録)を作成し、そこに親権者や氏名の情報を紐付ける。これにより、親が結婚しようが離婚しようが、その子の戸籍の「一貫性」は保たれる。
現在の戸籍は、親の離婚によって子が「除籍」されたり、転籍したりといった移動を伴う。これは子にとって、自分のルーツが親の都合で書き換えられるような不安定さを強いるものである。子を中心とした制度では、親の関係性はあくまで「付随的な属性情報」となり、子のアイデンティティの核を揺るがすことはなくなる。
子を中心とした制度であれば、法律婚、事実婚、養子縁組、あるいは単身での出産など、どのような形態で生まれてきても、法的な位置づけに差別が生じない。婚姻届によって新戸籍を作るのではなく、個人の記録に「パートナーシップ情報」を追記する形式をとれば、夫婦別姓問題も技術的に容易に解決可能となる。
この転換により、以下の効果が期待される。
誰の子であるか、どのような支援が必要かという情報が、親の婚姻状態に左右されず行政に把握される。
姓の選択や家族のあり方が戸籍の形式に縛られず、真の意味で「個人の尊厳」が確立される。
一方で、課題も存在する。日本社会に根強く残る「家としての連続性」を重んじる感情的な抵抗や、相続・扶養といった既存の法体系との整合性をどう図るかという点である。しかし、血縁の証明や親族関係の把握は、デジタル化された個人単位のデータベースを連結(リンケージ)させることで十分に代替可能であり、技術的な障壁はもはや存在しない。
明治の「家」中心から、戦後の「夫婦」中心へ。日本の戸籍制度は、その時々の国家像を反映して変遷してきた。しかし、少子高齢化と価値観の多様化が極限まで進んだ現代において、既存の枠組みはもはや限界に達している。
次世代を担う子供たちが、親の事情や社会的な偏見に縛られることなく、一人の自立した個人としてその存在を国家に公証されること。それこそが、憲法が掲げる「個人の尊重」の真の達成である。今こそ、過去の「家」の残滓を払拭し、「子(個人)」を起点とした新しい社会契約としての戸籍制度を構築すべき時である。
なんでずっと母に感謝しなければいけないの
母は私に感謝なんてしない人だ
私は中間子で服なんてずっとお下がりしかもらえなくて何ならもらった子にずっとバカにされてきたし、すぐ体調崩すの責められてたし、授業参観は親が来ないが当たり前だったし
宗教で嫌な思いたくさんしたのに、何にも私の気持ちを聞いてくれない
姉と兄のほうが大切で進学もあきらめたし、高校生からバイトして家にお金いれてた私より、下の兄弟のほうが大切にされていたし、
私はいつも二の次だったよ、家族のアルバムで写真が一番少なくてアルバム一冊に満たないのが私(確かに私は生意気だったから扱いづらかったのは認めますよ)
辛い目に遭っても寄り添ってもくれないことばっかりで、母は私が嫌いだったことに小学生のときから知っていた
だけど、私は母親はかわいそうな人間だし嫌われたくないし、母親は未熟な人だから仕方ないと思って接していた
父親の不倫、離婚するべきか相談、親友に縁を切られた話、姉の婚姻の文句、職場の気に入らない人の話、会ったこともない親戚の悪口、同居している兄から金を盗まれる話、
愚痴ならともかく、延々と喋ってくるし手紙まで寄越すし、LINEまで逐一長々と送ってくる
その一連の流れに疲れてしまった
私は母親に相談したら一蹴されて、暴力行為すら聞いてもらったことなんて無かったんだよ、全部自己解決してきたの
母に嫌われていることを知っていたけど、ずっと気づかないふりをして親孝行という名で、去年まで花を贈っていた自分
でも昨日は贈るのを辞めた
許せない気持ちが強くなっている自分がいる、母は無事に私を育ててくれたけど、常に夫でも男でも宗教でも縋っていないとだめな人だと私は気がついている
いい歳をして表向きだけでも取り繕え無い自分が悲しい
その3 前の続き
釣りアニメじゃないですよ。最近だと『最後にひとつだけお願いしてもよろしいでしょうか』のような、なぐろう系に近い。
ヒロインは令嬢ですが、おしとやかというより天真爛漫な性格。表情が豊かでとてもかわいい。それにかっこいい。
髪飾り、やっぱりメリケンサックじゃないですかー
戦争・ウイルスの猛威・天災が相次ぎ日本が崩壊した世界が舞台。文明レベルは明治初期まで後退し、「大和」「武凰」「聖夷」の3つに分裂している状態。
天才軍師による策略が見どころ。戦いや処刑シーンにグロテスクな描写が多く見られるのでそこは注意。
たまに関西弁による漫才かのようなやり取りで笑わせてくれるところも面白い。
いやー、こういう世界観は本当に好きですね。
EDに年表が掲載されているが読みづらいので、マンガワンの年表・人物紹介を見た方がいい
https://manga-one.com/manga/1924/chapter/175672
3年ぶりの2期です。
1期はタイトルどおり、自分が本来起こす悲劇を回避して民や家族のためにがんばってきた感じで、それはもうやり切った感がある中でこの2期を見てる。
女王はプライド(主人公の名前)の残忍非道な本来の姿を予知していたため、母親にはなれなかった。
娘のプライドから見ても、母というより「女王」だったというのは、なるほどなと思った。
同盟国の王子、ひいてはその先にいる民をハッピーにし、弟ステイルも未来のために動き出していい感じではあるのだけど、どこか1期と比べて物足りないと感じてる。
(ひめきしはバルバロイのよめ)と読む。
「くっころ女騎士×最強の蛮族王の本格異世界婚姻譚!!」だそう。
「いかなる拷問にも屈しない!」という意気込みでいたものの、蛮族王にプロポーズされて動揺する。
この地で様々な体験を重ね、異なる人種との交流を通じて、これまでの狭い世界観とは違い、考えが少しずつ変わっていく。
『正反対な君と僕』と同じ作者(阿賀沢紅茶)。作品の温度感が正反対だが、人間模様を描くという面では共通している。(深さの強弱はあれど)
自分や相手の性格、二面性に向き合ったり、関係性や距離感や価値観を考える「面倒くささ」が丁寧に表現されている。
『正反対な君と僕』の11話で本作のキャラクターが登場したのと同様、本作側でもカフェ(5話Cパート)に鈴木たちが登場する。
毎回のEDの入り方がいい。
4年ぶりの4期。
色々あって家族含め皆のため、マインは戸籍上亡くなったことになり、貴族の養女としてローゼマインへ。第二の人生(転生者だから第三か?)を歩み始める。
これまでは朝日放送や読売テレビ(BSはBSフジ)の深夜枠で放送されていたが、ここに来て日テレフルネットの夕方枠へ移行。
序盤にこれまでのあらすじがざっと語られるが、初見の人には難しいだろうな。
OPはLittle Glee Monster。事情により、ミュシャ風だった背景絵が2話で変更。
2話や5話で家族やルッツと接する描写は、見てて涙が出そうになる。
クリィミーマミなどに続く、スタジオぴえろ制作の「ぴえろ魔法少女シリーズ」第6作目。
キキララみたいなパステルカラーでカラフルなビジュアル。朝か夕方に放送すればいいのに。
レベルの高い変態行動ばかりする女子高生の恋物語。どんなだよ。
霧尾くんへの思いで行動するが空回り。時にボケとツッコミの応酬。もはやコントである。
ひたすらワチャワチャした後に入る重いシリアス。なんだよこの温度差。ペルチェ素子かよ。
OPはスカートとODD Foot Works、EDはa子。2話 挿入歌「涙なめなめソング」はドラマ版の何倍も好き
クズの師匠と、かわいい(?)弟子3人、戦いの舞台は東京から北海道へ移る。
パーティ構成から連想されるFF5ネタが14話であったのだが。「FF5だ……」「FF5だ……」が面白かった。
ある日、お星様に願ったことで女の子限定で「自分への好感度メーター」が見えるようになった主人公。
他の女の子は普通のメーターなのに、何故か幼馴染で片思い中の茉莉花ちゃんのメーターだけ「ぶっ壊れ」てしまっている。
実は、茉莉花ちゃんはメーターがぶっ壊れるほど主人公に対する愛が重いのであった。
5分アニメ。テレビ放送とは別に、プレミアム版(規制解除版)も用意されている。
こういう系は普段あまり見ないのだけど、これはエロは(放送内では)なく、ギャグが強めだからか見れる。
【後で見るかも】
ドロヘドロ Season2、北斗の拳 -FIST OF THE NORTH STAR-、キャンディーカリエス
夜桜さんちの大作戦、ようこそ実力至上主義の教室へ 4th Season 2年生編1学期、終末のワルキューレⅢ、彼女、お借りします 5期
【1期好きだったけど2期以降見逃して見れてない】
【実は見てるけど感想書いてない】
魔物喰らいの冒険者~俺だけ魔物を喰らって強くなる~、大賢者リドルの時間逆行、百鬼夜行抄
【趣味と違う】
大きい女の子は好きですか?
釈迦(ブッダ)はバラモン教の階級制度・有料儀式・神々への依存を徹底的に喝破した。
金銭で功徳を買う行為など、想像すらしていなかったはずだ。それが特に日本では、死後の戒名授与や高額お布施を伴う「葬式仏教」として定着した。なぜ、輪廻からの完全脱出を理想とした教えが、死者供養のビジネスに変貌したのか。原始仏教の思想と大乗仏教の展開、そして日本独自の歴史的必然を、独立した視点で整理する。
紀元前5世紀頃のインドで、釈迦は当時の宗教界を根本から批判した。バラモン教は祭祀・呪術・金銭による功徳取引を基盤とし、永遠の魂(アートマン)を前提に輪廻を語っていた。これに対し、釈迦は諸行無常・一切皆苦・諸法無我の四法印を掲げた。世界は瞬間ごとに生滅し、固定の実体(我)はなく、生老病死は避けられない苦である。
出家者(比丘)に対する戒律は厳格だった。律蔵(Vinaya Pitaka)では、金銀の授受を明確に禁じている。「比丘よ、金銀を受け取ってはならない。他人に受け取らせてはならない。これを破れば捨堕の罪である」(Nissaggiya Pācittiya 18)。布施は自発的な喜捨でなければならず、対価としての儀式販売は許されなかった。葬儀自体も、僧侶の直接関与を避ける傾向が強かった。死体は「穢れ」とされ、修行の妨げになるとされたからだ。
「完全な消滅」(無余涅槃)が理想で、永遠の魂を前提とする常住論も、すべてが無になるとする断滅論も、ともに「中道」から逸脱した邪見とされた。
神頼み・儀式依存・金で救済を買う商売を、毒矢の譬え(矢が刺さったまま原因を詮索する無益さ)で一蹴した。目的は個人の解脱であり、組織化された宗教団体すら、釈迦自身は最小限に留めた。
釈迦没後約500年後、インド北部で大乗仏教が興った。「小乗」(上座部)と自らを区別し、「大いなる乗り物」として一切衆生の救済を掲げた点が決定的だった。原始仏教の個人解脱に対し、大乗は菩薩道を理想とする。菩薩は自らの涅槃を遅らせ、衆生を救うためにあえて苦行を続ける。
衆生の能力や文化に合わせて教えを柔軟に変容させる手段だ。これにより、厳格な出家戒律や無神論的性格が緩和された。
中国に伝わった大乗は、現地の祖先崇拝や道教的儀礼と融合。死後供養・功徳回向が積極的に取り入れられ、在家信者向けの浄土信仰(阿弥陀仏による救済)が拡大した。戒律も大乗戒(梵網経など)として再解釈され、菩薩の利他行を優先するようになった。
この方便は、仏教の「生存戦略」でもあった。民衆に広まるためには、現地文化に適応せざるを得なかった。しかし同時に、原始の精神を薄め、儀式・供養・経済的布施への依存を許す土壌を生んだ。インド・中国ではまだ「死後ビジネス」までは発展しなかったが、日本への伝播で決定的な変化が起きる。
仏教は6世紀に日本へ伝来したが、当初は国家鎮護・貴族の氏寺として機能した。飛鳥・奈良時代、僧侶は葬儀に直接関わらなかった。死の「穢れ」を嫌う神道的な観念が強く、官僧(国家公認の僧)は死体に近づくことを避けた。
転機は鎌倉時代だった。遁世僧(とんせいそう)と呼ばれる民間僧が現れ、死の不安に苛まれる庶民のために葬儀・供養を積極的に担った。
1630年代、幕府はキリスト教禁制のため寺請制度(檀家制度)を全国に施行した。全庶民をどこかの寺院の檀家に強制登録させ、寺が戸籍(宗旨人別改帳)を管理。出生・死亡・婚姻の証明を発行し、死体検分まで行った。結果、葬儀・法事・戒名授与が寺の独占業務となった。戒名(死後与えられる仏弟子の名)は、元々出家者の生前名だったが、日本では位階付き(信士・居士・院号など)で一般化し、「長い戒名=高額お布施」という金銭取引が生まれた。
荘園崩壊後の寺院経営危機も、檀家からの継続的布施を必要とした。こうして、原始仏教の「金銀は毒蛇のごとし」という戒律は、遠い過去のものとなった。
江戸幕府は仏教をキリシタン摘発の道具に利用した。信仰の自由などなく、寺檀関係は義務だった。
大乗の方便が、日本古来の祖先崇拝・家制度と結びついた。死後の供養は「家」の存続を象徴し、戒名は家名を仏教的に昇華させる手段となった。
少子化以前から、寺院は布施に頼らざるを得なかった。方便の名の下に、原始の喝破精神は置き去りにされた。
浄土真宗のように法名を簡素化・生前授与する宗派もあるが、多数派は戒名料を伴う葬儀中心だ。
今日、寺離れ・直葬(火葬のみ)の増加は、この歴史的矛盾を浮き彫りにしている。原始仏教の視点から見れば、戒名料や葬儀独占はブッダの教えに明確に反する。金で徳を買う行為は、貪欲を増長させるだけで、涅槃の道ではない。
大乗の方便は、仏教を世界に広めた功績がある。しかし、少子高齢化で檀家減少が進む今、僧侶自身が「生活仏教」への転換を模索している。生前からのつながり、戒名なしの俗名供養、原始の喝破精神への回帰―これが、本来の仏教が「葬式屋」から脱却するための道かもしれない。
アンチ宗教の精神を忘れたとき、仏教は単なる葬儀屋となる。2000年の歴史を振り返り、私たちは再び「中道」を問う時を迎えている。
高位人外が人間と結婚した際に受ける社会的な偏見は、人間を「下位生物」とみなす彼らのコミュニティの視点から、極めて厳しく、かつ屈辱的なものとして描かれています。
主な偏見の内容は以下の通りです。
高位人外のコミュニティにおいて、人間との結婚は「ペットと獣姦して入籍した本物の狂人」という、生理的な嫌悪感を伴う認識をされる可能性があります。
高位人外同士で対等な結婚が可能なスペックがあるにもかかわらず、あえて下位生物を選ぶことは、本人の社会的評価を著しく下げる要因となります。
高位人外の女性(同族の女性)からは、人間との結婚に対して、特有の軽蔑が向けられることが示唆されています。
二人の間に生まれた子供についても、社会的な困難が予想されます。
このように、高位人外側から見た人間との結婚は、単なるロマンスではなく、「社会的コストを支払い、同族からの軽蔑や哀れみに晒される行為」という側面が強調されています。
高位の人外存在(上位存在)が人間(下位生物)と婚姻関係を結ぶことについて、人外側のコミュニティからの視点は、以下のいくつかの側面から考察されています。
多くの意見では、上位存在にとって人間との婚姻は、人間がペットや家畜と性行為に及び、入籍するような「狂気」として映るとされています。
上位存在のコミュニティ内での相対的な地位の低さが指摘されています。
上位存在と人間の間には、埋めがたい「種としての格差」が存在します。
人間側の視点では「一途な愛」や「身分差を越えた純愛」に見える物語も、上位存在の社会から見れば、「知能の低いペットにガチ恋して性処理も兼ねているキショい奴」という非常にグロテスクで厳しい評価にさらされる可能性が高いと結論付けられています。
これまで多くの作品をはてな匿名ダイアリー(通称増田)に投稿してきました。
2019年12月から投稿を始めました。それから約五年間に渡り、約千字以上の作品では200本程度を投稿しています。
本日ご覧のみなさまも、当方の日記をお読みになったことがあるかもしれません。
前回は2024/12/31に、これまでの投稿を途中までまとめた記事(2019.12~2023.3)を投稿しました。
今回もまとめ記事を書こうと思ったのは、一定の需要があると判断したのと、私の書いたものをブックマークまたはカラースターをいただいている方への作品周知のためです。
はてな匿名ダイアリーというのは、皆さまご存じのとおり、誰が日記を作ったのか100%わかる方法はありません。
常連の方々もおられますが、匿名である以上は文体や内容で推測するほかありません(タヌキとか…カタツムリとか…)。電子署名を用いれば一応証明することはできますが、わかる人が少なく、証明になりにくい欠点があります。
今年も社会人として極めて多忙です。この度は、2023年1~12月までに投稿したものに絞って記事の感想を述べようと思います。
2023年の一か年だけですが、投稿数としては長文50本以上ありますので、その中から思い出に残っているものをピックアップしました。ブックマーク数は関係なく、あくまで「思い出に残っているか」を基準にします。
※いろいろあって「フィクションである旨」を大半の日記に付しています
皆さまにとっても時間が取りやすいGWということで、いわゆる増田のまとめを寄稿いたします。
まとめる記事について、要領(ルール)を次のとおりとしました。
1. 作者(私)にとって"思い入れのある"作品とする。ブクマやコメント数は関係なし
4. 作品紹介文は、400字~800字が目安(多すぎず少なすぎず)
(例 林檎、スター数1位、関内関外日記、ハックルベリー、本に栞を挟む女性、結月ゆかりなど)
私の執筆スタイルにつきましては、作品紹介の中で適宜説明します。
要約すると「自分が実体験したこと」または「自分が知っている人」を物語にするというものです
今回のまとめですが、前回同様、スマホでも読みやすいよう改行は多めです。
(以下本文です)
前回の2024年末のまとめ時にも取り上げてます。№40です。
このあたりの時期に、家族の一人が結婚式を挙げました。私も招待を受け、せっかくなので参加しました。
おしゃれな式場でした。わざわざ遠距離を田舎まで帰省した甲斐がありました。スタッフの方々も、正直プロ感がすごかったです。新郎新婦が出席者と廊下で出くわさないように配慮するなど。
さて式場では、相手方の家族に挨拶をしました。相手方も主役+親+兄弟での参加でした。ほかにも親族やご友人の方々が来られてたのですが、その際に障碍者の人が見えました。車いすに乗ってました。
「車いすで式場とは……余程の楽しみだったに違いない(^^)」
と感じました。※ある程度は自分で動けるようでした
披露宴の最中、その彼は楽しそうな様子で周りとお喋りしてました。本当に、親族の結婚を祝っている様子です。私と同じテーブルだったので話も弾みました。
日記の内容ですが、私が彼の話を傍で聞く機会があり、印象に残ったものをまとめております。
私が若い頃に通っていた居酒屋で、とある女性客がいました。たまに席が近い時に話をする程度の仲だったのですが、ある時、自分が夫に嘘をつかれていたという愚痴を聞くことがありました。
やたらと記憶に残っておりまして、長年が経過したので日記にしたためようと考えました。なお、この前年の暮れ頃に、夫の側からの視点の日記を投稿しています(削除済)。
どうして、他人のことを書こうと思ったのかと言われると、言葉にできる理由はありません。無意識(イド)が命ずるままに書き綴りました。
しいて言えば、"想い"です。元夫に嘘をつかれていたことを吐露していた時のあの人の声色とか、私が「今日は奢りますよ~(^^)/」と伝えた時の表情とか、いろんなことが記憶に焼き付いてました。
当時の感情が、なかなか頭から離れてくれません。その解決にあたり、増田に書き記してみるのがよいのではと思った……のかもしれません。
人間にはいろいろあります。後ろ暗い思い出もたくさんあるのです。私は居酒屋とかで吐露できないタイプの人間ですが、吐露できる人もいるのだなあ……と感じました(小学生並みの感想)。
卒業シーズンということで、とある学校の卒業式に保護者代理として参加することがありました。
その際に、私が学生だった頃に思いを馳せました。この日記に出てくる男の子と女の子は、今から約25年前に地方都市で柔道をやっていました。
男の子の方は、(当時は)普通の腕前かな……といったところでしたが、女の子の方はパワーもスピードもある人で、当時それを見ていた自分も「スゲー」と思うことがありました。
日記へのコメントで学校名への言及があったのですが、名前は合っています。なかなか厨二感のある学校名ですが、名門私立校の一角です。
日記に出てくる彼ですが、社会人になってから、その女の子と偶然再会し、交際を深めて結婚に至りました。そのことを知った時の私は、「え、君たち接点あったっけ?」と考えましたが、昔のことを精いっぱい思い返したり、昔の日記を読んだりすると、結婚に納得いくものがありました。
今現在でも婚姻関係が続いています。私が元柔道選手だった関係で、今でも男の子だった方と、里帰りの折に酒席を囲むことがあります。
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途中からは、伝聞や人伝によるものもエピソード化しております。
「本人特定の危険アリ」のときは、本質に影響しない程度のフェイクを入れます。
読者である貴方が日記で読んだ人ですが、この世界に確かに存在しています。
「お前の作品か」と憤慨される方や、悲しい気持ちになる人への配慮です。
それ以外にも「夢を壊し過ぎてダメ」と判断したものも載せておりません。
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世の中がどうしても改憲の流れに逆らえないとなった時、左派としてはせめてたとえば同性愛者同士の婚姻とかを盛り込むような提案をしたりしないのかな?そういう準備もしてないのかな?したほうがいいんじゃないの?負け戦を認めたくない?いやー、そういう左派っぽい考えよくないと思うよ。
逆に、仮に「世は大左派時代!!!」となった時、自衛隊さえも絶対許さないような改憲に踏み切りたいという願望はあるんだろうか?つまり、9条も含めた現行憲法を金科玉条のように守ることは、必ずしもそれに固執することは本質を見誤ってないか?自衛隊を廃止して、同性愛を認めて、天皇制を廃止してこそ左派なんじゃ?(さすがに私が無知なだけで、そういう提案はすでにあるのかな?)
…という増田をまさに投稿しようとした直前に、ChatGPTにまるごと聞いてみたら、至極妥当な回答(https://chatgpt.com/share/69f73be5-e7dc-8321-a87e-115f458073de)をもらえたので、いったん投稿熱が冷めちゃった。でも投稿しちゃう!
離婚してしばらく経つが、心の準備が整った。元妻に内容証明を送ることにした。
元妻は「自分は絶対に正しい」という要塞の中に住んでいるタイプの人間だった。
婚姻中、俺に投げつけられた言葉は「気持ち悪い」と「奴隷のつもりでいてほしい」。
何がどう気持ち悪いのか説明を求めても、客観的で論理的な回答は一度もなかった。ただ、俺という人間を否定し、支配することに悦びを感じているようだった。
結局、自分から離婚を切り出しておきながら、最後まで原因を語らずに俺を「悪者」に仕立て上げ、離婚届の記入から提出まで全て俺に押し付けた。さらには「退職して精神を病んだのはお前のせいだ」と主張し、金まで要求してきた。
俺は当時、その不条理に疲れ果てていた。
せめて彼女が自立できるようにと、彼女が通うと言い張った「料理教室」の代金を、慰謝料ではなく「自立支援金」として支払った。それが俺なりの最後の誠意だった。
ところが、だ。
そこには居住地が「海外某所」というプロフィール。英文で「友達をたくさん作りたい」と綴られた自己紹介。
さらに、こちらが連絡をとった際には「邪魔するな」と切り捨てられた。
俺が「自立支援」として渡した金は、料理教室ではなく、海外で浮かれるための資金に消えた可能性が高い。
この俺の人生を「もう二度と結婚なんて考えられない」というレベルまで破壊しておきながら、加害者は被害者の面をして、俺の金で気ままに好き勝手にのうのうと生きている。
もう、許す・許さないの次元はとっくに超えている。そういう段階ではない。
俺はただ、彼女の「論理」を解体し、彼女が守り続けている「私は可哀想な被害者」という聖域を、法律という名の現実で更地にしたい。
この俺を「気持ち悪い」と言い、散々心無い言葉を浴びせておいて、何が被害者なんだ。自分が加害者であることの自覚が無い加害者ほど、人間の良心を失った生き物はないと思う。
俺はこの「理解不能な存在」から、1円でもいい、身銭を切らせて、精神的にも肉体的にも経済的にもこの女に「負担」というものをかけさせたい。
その1円には、俺にとって1億円以上の価値がある。
このゴミ女から償いとして支払われる金は、俺を信じてくれた両親に全額渡すつもりだ。(もちろん弁護士費用を抜いたものにはなってしまうが)
「穏やかな暮らし」を邪魔されたと発狂するだろうか。このゴミ女を生成したバカ親は本腰あげて俺に対抗してくるだろうか。自分が甘やかして育てたバカ娘の尻ぬぐいをきちんとやる人間だろうか。
人を簡単に見下し、自分の思い通りにいかないことを感情で片付けようとする人間に、論理的な説明や負担を求めたときにどのような行動を示すのか観察対象として本当に興味深い。
逆恨みでも殺意でも、好きなだけ抱けばいい。それは俺に恨まれることであり、俺に殺意を抱かれることでもあるのだから、相手にとっては何の得にもならない。
人権教育の現場では、被差別部落(同和地区)の歴史や差別問題が繰り返し取り上げられる。意図は「過去の身分制度による差別を正しく理解させ、現代社会から差別意識を根絶すること」にある。しかし、現実には教育の意図と効果の間に大きなズレが生じている。むしろ教育そのものが、「被差別部落」というカテゴリーを必要以上に強調し、結果としてスティグマ(社会的烙印)を維持・強化している側面がある。本稿では、この現象を、結婚差別と私権の自由の衝突、圧力団体としての歴史的イメージという観点から論じる。
人権教育は、学校や職場、行政の啓発事業で実施される。内容の中心は、江戸時代の士農工商+穢多・非人という身分制度、明治4年(1871年)の解放令(穢多・非人等の称廃止令)による法的身分廃止、そして1969年から2002年まで続いた同和対策事業特別措置法による生活環境改善の歴史である。
これを学ぶことで、参加者が「差別は不合理で許されない」という価値観を内面化することを目指す。実際、法務省や自治体の意識調査では、講義を受けた人の多くが「部落差別は悪いことだと理解できた」と回答する。しかし、行動や深い意識変容まではつながりにくい。鳥取県の調査では「不合理であることが理解できた」と答えた人は58.5%に上る一方、「自分に直接関係がある」「何か行動を起こさなければならない」と感じた人はわずか18%程度だった。
特に効果が薄いのが、差別意識がすでに薄れている地域や世代だ。東北や沖縄、若い世代の中には「被差別部落」という概念自体をほとんど認識しておらず、「同じ日本人としか認識していない」人が増えている。そうした人々に改めて「特別な被差別集団」として教育することは、逆にそのカテゴリーを意識させ、想像上の区別を再生産する矛盾を生む。教育が「関係ないのに押しつけられている」という違和感を強め、逆効果になるケースも少なくない。
結婚は憲法第24条が保障する私権の核心である。「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し……」と定められたこの権利は、個人の価値判断に他者が強く介入することを原則として禁じている。
ところが人権教育では、「部落出身者との結婚に反対するべきでない」という規範が強く押し出される。これは、個人の私的領域——血統意識、家族の価値観、将来設計——に公的な道徳を突きつける形となりやすい。特に問題なのは、反対理由の多くが「純粋な血統意識」ではなく、「現実的な利害や圧力の懸念」である点だ。
法務省の令和2年(2020年)「部落差別の実態に係る調査」でも、結婚・交際での差別的取扱いが依然として存在すると明記されている。実際の相談事例では、「相手の親が部落出身者だと知って婚約を破棄された」「親族から『部落の団体と関わるのは面倒だ』と反対された」といった声が今も上がる。こうした心理は、単なる「差別意識」ではなく、合理的な懸念として存在しているケースが多い。
部落解放同盟(解同)は、戦後すぐに被差別部落の解放を掲げ、水平社運動の継承として大きな役割を果たした。しかし、運動の長期化とともに「圧力団体」としての側面が目立つようになった。
• 1969年から始まった同和対策事業特別措置法時代に、解同系団体が事業執行の優先権や予算獲得で強い影響力を持った。
• 一部自治体では随意契約や優先採用が問題化し、2000年代に「飛鳥会事件」などの不祥事が相次いだ。
• これらの歴史が、「結婚すると将来的に団体とのトラブルに巻き込まれるのではないか」という現実的な恐れを生み出す。
人権教育がこの歴史的背景を十分に語らず、「被害者」としての側面だけを強調すると、逆に「被害者利権」という批判を生む。結果、被差別部落は「過去の被害者集団」としてではなく、「今も特別な配慮を求める圧力団体」としてイメージされ続け、差別意識の再生産を招いている。
啓発教育を行うこと自体に利益がある——この感覚は、事業継続の正当性や予算の根拠として機能しやすい。結婚差別は私権の領域であり、血統意識や現実的な懸念が絡む極めて複雑な問題だ。人権教育がこの複雑さを十分に考慮せず、一律の「正しさ」を押しつける限り、被差別部落というカテゴリーは教育によってむしろ維持・再生産され続ける可能性が高い。
人権教育の意図は尊い。しかし、憲法第14条が定める「法の下の平等」という理念に照らして、その役割を冷静に検証する必要がある。教育によって差別意識が実際に緩和されているのか、それとも「被差別部落」というカテゴリーを必要以上に強調することで、かえって区別意識を再生産しているのか——この問いは避けて通れない。
特に、差別意識がすでに薄れ、「同じ日本人としか認識していない」世代や地域が増えている中で、改めて特別な被差別集団として教育を繰り返す矛盾に、自覚的であるべきだ。結婚という私的な領域への介入、圧力団体としての歴史がもたらす現実的な懸念、そして教育そのものが持つ「利益構造」を直視しなければ、人権教育はスティグマを維持する装置ではとの疑念は拭えない。
被差別部落問題は、過去の身分制度の産物であると同時に、人権教育という現代の装置によって再定義され続けている。私たちはそのメカニズムを冷静に見つめ、改めてその意義を問い直す時期に来ているのではないだろうか。
六朝時代(魏晋南北朝時代)は、中国史上でも特に貴族階級の力が強かった時期です。この時代、貴族は士族(名族)として政治・文化・社会をほぼ独占していました。
最大の制度基盤が九品中正制です。これは官吏登用において、各地の「中正官」が人物を9段階に評価する仕組みでしたが、実際には家柄(出自)が最優先され、能力より「どの名門の生まれか」が決定的な基準となりました。
清河崔氏、范陽盧氏、荥陽鄭氏、太原王氏といった名族は、数百年にわたり血統を維持し、互いに婚姻を繰り返して閉鎖的なエリートネットワークを形成しました。この価値観を出自主義と呼びます。出自を絶対視する考え方は極めて強固で、「家柄」がその人物の価値そのものを決定づける時代でした。
しかし、この出自主義は同時に残虐性と深く結びついていました。
名族の血統そのものを断つことで、再起を不可能にする——この論理が、南北朝を通じて繰り返されました。
589年に隋が南北を統一したことで、状況は徐々に変化し始めます。隋の文帝・煬帝は科挙制度の原型を導入し、家柄以外にも登用ルートを開きました。ただし、この時点ではまだ門閥の影響力が強く、科挙は補助的な役割に留まっていました。
唐代に入ると動きが加速します。特に武則天の時代に科挙が大幅に拡大され、安史の乱(755〜763年)を境に伝統的な門閥貴族(関隴集団など)は経済的・軍事的な打撃を受け、急速に衰退しました。
唐は「華夷一家」(漢と夷を区別せず一つの家族のように扱う)という政策を掲げ、血統的に非漢人要素の強い人々も「唐人」として吸収しようとしました。
中央集権的な官僚制度を強化する一方で、地方の軍事力を軽視した結果、辺境防衛が脆弱になり、安史の乱のような大反乱を招く一因ともなりました。
唐末から五代十国を経て、北宋(960年成立)で士大夫という新しい階級が本格的に成立します。
彼らは血統ではなく、学問・儒教的教養・能力によって地位を得ました。
宋代になると、皇帝が科挙を徹底的に整備したことで、士大夫は政治だけでなく文化や地方社会でも大きな影響力を持つようになりました。
宋は文官優位の体制を徹底した結果、軍事力が相対的に弱体化し、北方の遊牧勢力(契丹・女真・モンゴル)に対して苦戦を強いられることになります。
南北朝は、貴族階級の栄華と脆さを象徴する暗い時代でした。隋・唐の統合政策と科挙の拡大により、出自主義の呪縛は徐々に解かれ、宋代には士大夫という能力・教養重視の新しいエリート階級が生まれました。
これは東アジアの中で比較的早いメリトクラシーの実現例です。しかし、門閥貴族の血統支配を崩した代償として、帝国の軍事力は弱体化し、「文官優位の弊害」という新たな問題を生み出しました。
https://anond.hatelabo.jp/20260423130021
https://anond.hatelabo.jp/20260423123541
https://anond.hatelabo.jp/20260422180001
18~19歳のうちに20~24歳女性を狙う、20~24歳のうちに25~29歳女性を狙うなどすれば、
少子化が進んでおり「上の年齢階級ほど人口が多い」という傾向を持つ現在、多くの女性から選ぶことができるのに、
その逆をやり(10代~30代をゲームとネットだけやって時間をドブに捨て、40代50代弱者男性になって焦って20代前半有職女性を急に狙いだす)、
10代~30代を怠けて時間をドブに捨てた40代50代余り物中年が、
なぜ20代前半女性(しかも可愛い・経済的自立している)に対して「イケる」と思えてしまうのか。
20~24歳女性は大人気なのに311万人(45~49歳男性の6割の人数)しかいない。
なぜこんなに減ったかというと、20~24歳は45~49歳の子供世代だからだ。
45~49歳のうち結婚して子供を作った人の割合が低かったから20~24歳はこれだけ減った。
余り物の45~49歳男性が、まともな20~24歳女性に選ばれるわけがない。父親の年齢だ。
しかも、35歳を過ぎた睾丸で生産された精子はメチル化が起きやすく、子供の発達障害(ASD)率を上げる。
理解婚(生活費)を求めているメンヘラ貧困層などではない、まともな個体なら、±3歳以内の同年代婚をする。
夫大幅年上の結婚の割合が激減し、同年代婚の割合が激増しているのは、統計に出ている。
※1943年の結婚は平均4.5歳男性年上→2010年の結婚は平均1.7歳男性年上と、年齢差が縮小。
※婚姻数全体に占める「同い年結婚」の割合は1970年10%→2015年21%と倍増。
※婚姻数全体に占める「±3歳婚」の割合は1970年50%→2015年80%。男性年上婚は半減した。
若い女性が同世代と結婚したがっている以上、余り物中年男性は、もう手遅れなのだ。
どうして余り物の低スぺ中年男性が、レオナルド・ディカプリオのように中年になっても20代前半女性ばかり狙って、
彼女を取り換え続けることが、「自分にもできる」と考えるのだろう。ディカプリオのあれこそ「強者の戦略」なのに。
よくもまあ、世界のイケメンとして一世を風靡した一流のハリウッド俳優の「行い」を、低スぺ中年のまま真似できると考えられるものだ。
スペックに自信のない人間こそ、若いうちに「比較的競争率が低い場所」を血眼になって探して、
速やかに動いて、結婚のような固定的な関係に繋げる戦略をとらなければならないのに。
責任のない不安定な関係で得をするのは強者だけ。弱者は責任のない不安定な関係に切り捨てられる側だというのに。
低スぺが一夫多妻に夢を見ることにも呆れるほかない。一夫多妻こそディカプリオが妻を5万人作る制度だ。
結婚は女性にだけ無償労働、キャリア中断、出産リスク、介護負担が寄りやすい構造になっている。
恋愛は自由意思で始まるとしても、結婚制度の中身まで「愛があれば乗り越えられる」で済ませるのは雑すぎる。
しかも厄介なのは、結婚のメリットとして語られてきたものの多くが、いまの社会では女性にとって実質的なメリットになっていないことだ。
経済的安定は共働き前提で薄まり、精神的充足は相手次第、生存戦略としても必ずしも有利とは言えない。それなのに、家事、育児、感情労働、親族対応のコストだけは昔のまま女性に乗りやすい。
要するに問題は単純で、結婚が「共同生活の契約」であるはずなのに、実際には女性側だけが過大な追加業務を背負う不平等契約として機能しやすいことだ。
だったら必要なのは、結婚を美化することではなく、損が一方に集中しないようルールを調整することだと思う。
いまの結婚で女性側に不利が集中しやすい理由は、だいたい次の五つに整理できる。
たとえば、夫婦ともにフルタイム勤務でも、保育園の連絡、病児対応、学校関係、食事管理、親戚づきあいまで妻側が受け持つ家庭は珍しくない。これでは「二人で生きる制度」というより、「女性が仕事を続けながら家庭運営の責任者もやる制度」になってしまう。
この状態で「でも好きな人と家族になれるから」と言われても、それは制度の欠陥を恋愛感情でごまかしているだけだ。好きな相手と一緒にいること自体は価値があるとしても、制度が不公平なままでいい理由にはならない。
必要なのは、結婚を推奨することでも否定することでもない。結婚するなら、誰か一方、とくに女性にだけ損が集まらない仕組みに変えることだ。
調整の方向性は三つでいい。
以下、具体的にどう直すべきかを書いていく。
まず必要なのは、結婚時に家事、育児、介護、生活費分担を文書で決めることだ。ロマンがないと言われそうだが、ロマンで回らないから揉めている。
最低限、次の項目は可視化したほうがいい。
これは「夫婦間契約メモ」でもいいし、公的な標準フォーマットがあってもいい。重要なのは、曖昧にしないことだ。曖昧さはだいたい、我慢する側にコストを押しつける。
出産は個人の選択だとしても、次世代の再生産を社会が必要としている以上、そのコストを女性個人だけに負わせるのはおかしい。いま必要なのは「応援」ではなく補償だ。
具体的には次の調整が必要だと思う。
出産で体にダメージを受け、仕事でも不利になり、家庭内でも育児の主担当になるのでは、損が三重に乗る。ここを放置したまま少子化対策を叫んでも、誰も乗らない。
一番まずいのは、男性の家事育児参加がいまだに「手伝う」という発想で語られがちなことだ。自分の家庭の運営なのだから、本来は手伝いではない。
ここまでやらないと、結局は「制度上は取れるけど、実際は妻がやる」で終わる。善意頼みはもう限界だ。
結婚の損が女性に偏る大きな理由の一つは、結婚中に積み上がった見えない損失が、離婚時に十分回収されにくいことだ。家事育児でキャリアを削った側が、その分をきちんと精算できる仕組みが必要だ。
調整案としては次の通り。
とくにペアローンは、愛の証明みたいに扱われるわりに、破綻したときのダメージが重すぎる。住宅取得を促すなら、離婚時や死亡時の処理まで含めて標準ルールを整えておくべきだ。
これもかなり大きい。結婚すると、夫本人だけでなく、夫の親族までセットで女性の無償労働に乗ってくることがある。これは明らかに制度外の負担の押しつけだ。
「家族だから助け合う」は聞こえはいいが、その助け合いがなぜか嫁にだけ集中するなら、それは助け合いではなく押しつけだ。
結婚が女性にとって危険になりうる以上、逃げやすさはかなり重要だ。暴力や支配のある関係から抜けるコストが高いと、制度そのものが加害者の盾になる。
危険な結婚から出にくい制度は、結婚制度ではなく閉じ込め制度だ。ここは本気で直したほうがいい。
昔の結婚観は、稼ぐ夫と扶養される妻を前提にしていた。でも現代はそこからずれている。ずれているのに制度だけ古いので、変な歪みが出る。
見直すべきなのは次のあたりだ。
好きな人と一緒にいたいだけなら、別に結婚でなくてもいいという感覚はもっともだ。実際、現行制度の結婚が女性に余計なリスクを上乗せしやすいなら、恋愛関係を維持しつつ法的拘束を避ける判断は合理的になる。
だからこそ、結婚だけを唯一の正規ルートにせず、共同生活契約や養育契約をもっと使いやすくしたほうがいい。
結婚しないと守られず、結婚すると損しやすいのが最悪の制度設計だ。そこは中間形態を増やしたほうがいい。
結婚は人生の大型契約なのに、事前の情報開示が恋愛感情任せなのも危うい。最低限の確認事項を標準化したほうがいい。
これを恋愛のムードを壊す話と見るから失敗する。むしろ事前確認がないまま結婚するほうが、あとで何倍もコストが高い。
この話は、結婚したい人を否定したいわけではない。まともな相手と、公平な分担で、互いの人生を支え合えるなら、結婚は普通に良い制度になりうる。
ただし現状は、女性にとって結婚が割に合わないケースが多すぎる。経済的にも、身体的にも、時間的にも、キャリア的にも、そして安全保障の面でもリスクが重い。そのくせ「家族なんだから」「愛があれば」「みんなやってる」で個人に飲み込ませようとする圧力が強い。
だから必要なのは、結婚を神聖視することではなく、損失の偏りを減らすルール変更だ。家事育児の契約化、出産コストの補償、男性の育児義務化、離婚時精算の強化、介護責任の限定、暴力からの退出支援、税社会保障の個人単位化。このあたりを本気でやって、やっと結婚は「したい人がしてもいい制度」になる。
俺は別にモテるわけでもモテないわけでもない普通の30代だが、進化心理学(evolutionary psychology)のオタクだ。ピンカー、トリヴァース、ダンバー、バス、このあたりの本は原著で読んでる。日本語で読める本もだいたい読んだ。
で、最近またTLに「若者の恋愛離れが深刻」「日本の恋愛は終わった」みたいな記事が流れてきて、そのブコメが地獄みたいになってるのを見て、もう我慢できなくなったので書く。
まずこの前提からして間違ってる。
1960年代まで日本の婚姻の過半数は見合いだ。見合い。当事者の恋愛感情で結婚してたんじゃなくて、制度的マッチングシステムが高効率で回ってただけ。昔の高い婚姻率は「恋愛力」の高さじゃなくて、社会的圧力の強さを反映してたにすぎない。
つまりお前らが「昔はよかった」と思ってるのは、認知心理学でいう衰退主義(declinism)——過去を自動的に美化する脳のバグだ。ついでに言えば「未婚率3割!」みたいなショッキングな数字ばかり記憶に残るのは可用性ヒューリスティックのせいだ。お前らの直感は二重にバグってる。
進化心理学の基本中の基本だが、人間の配偶者選択(mate choice)は自由にやらせるとアソータティブ・マッチング(似た者同士の組み合わせ)を強く志向する。知能と知能、社会経済的地位と社会経済的地位が引き合う。
見合いシステムはこの自然な選好を部分的にオーバーライドしてた。「とにかく結婚しろ」という圧力で、本来ならマッチングしなかった組み合わせまで婚姻に押し込んでた。
それが消えた。
見合いの消滅は「恋愛力の低下」じゃなくて、抑圧されてた個人の選好が解放されたプロセスだ。選択の自由度が上がった結果としての非婚は、多くの場合、合理的な意思決定の帰結。これを「問題」と呼ぶなら、お前は自由そのものを問題だと言ってることになる。
ここからが本題。ブコメで「男がだらしなくなった」「女が高望みしすぎ」って言い合ってるやつら、両方間違ってる。
トリヴァースのパレンタル・インベストメント理論(1972)。哺乳類のメスは妊娠・授乳という巨大な生物学的投資があるから、配偶者選択においてより選り好みする(choosier)。これは人間でも同じ。
で、女性が経済的に自立して結婚の「必要性」が消えた社会で何が起きるか。女性の選択基準は下がるんじゃなくて上がる。もう生存のために妥協する理由がないから当然だろ。
一方の男性側は、かつて「安定した職と収入」だけで市場に参入できたのが、それに加えて「情緒的知性」「家事育児へのコミットメント」「身体的魅力の維持」まで要求されるようになった。
出生動向基本調査(2021)の「交際相手のいない未婚男性が約7割」ってデータ、これは怠惰な若者の増加じゃなくて、配偶者市場の参入障壁が構造的に上がったことを反映してる。ジェンダー平等の進展がもたらした論理的に不可避の帰結であって、誰が悪いとかそういう話じゃない。
ここで「じゃあ男を鍛えろ」とか「女は妥協しろ」とか言い出すやつ、お前は進化の力学に対して精神論で対抗しようとしてる。無理だ。
これ言うやつ多すぎるので潰しておく。
反証その1。マッチングアプリの利用率が日本よりはるかに高い欧米では、未婚率の上昇は日本ほど劇的じゃない。テクノロジーが原因なら、より浸透してる社会でより深刻になるはずだろ。なってない。
反証その2。リクルートの調査では2020年代に結婚したカップルの約4分の1がアプリ経由。テクノロジーは出会いを殺すどころか、出会いのチャネルを史上最大に拡張した。
「でも選択肢が多すぎて決められないんだよ」って反論が来るのはわかる。バリー・シュワルツの選択のパラドックス。確かにそれはある。だがそれは豊かさと自由の副産物であって、テクノロジーの「罪」じゃない。選択肢が少ない時代に本気で戻りたいやつ、いるか? いないだろ。
ここが一番言いたいこと。
「草食系男子」は2006年に深澤真紀が作った言葉だが、国内外のメディアで「男性性の衰退」「覇気のなさ」の象徴として消費されてきた。
ピンカーが『暴力の人類史(The Better Angels of Our Nature)』で論じたテーゼ。人類社会における暴力の長期的減少は、共感力の拡大と自制心の文化的涵養によって達成された。男性の「攻撃性」の低下と性的な積極性の低下は同じコインの裏表だ。
つまり「草食化」は男性の劣化じゃなくて、文明化プロセス(civilizing process)の日本的な発現だ。ノルベルト・エリアスが中世ヨーロッパの宮廷社会で記述したのと同じ力学——衝動の抑制、他者の感情への配慮、暴力的手段の忌避——が、21世紀の日本の若い男性にかつてなく深く内面化された。
ハラスメントの感度が上がり、同意(consent)の概念が浸透し、「しつこく口説く」ことが社会的制裁の対象になる社会で、男性がアプローチに慎重になるのは正常で合理的な適応(adaptation)だ。病理じゃない。
それを「覇気がない」って笑うやつ、お前は暗に「もっとハラスメントしろ」って言ってるのと同じだぞ。気づいてるか?
言葉が強くなるのは許してほしいが、これは本気で言ってる。
出生率の低下は恋愛頻度よりも、養育コストの経済的・心理的上昇とはるかに強い相関がある。合計特殊出生率が高い先進国——フランスや北欧——は「恋愛文化が活発だから」じゃなくて、充実した育児休業、公的保育、住宅政策で養育コストの社会的分散を実現してるから出生率が高い。
日本の少子化対策が自治体の婚活イベントやマッチング事業に予算を突っ込んでるの、あれはパイプの漏れを直さずに蛇口の水量を増やしてるのと同じだ。子育てのコストとリスクが個人(とりわけ女性)に集中する構造を変えないかぎり、出会いの場をいくら作っても出生率は動かない。
ここにブコメで「正論」ってつけるだけじゃなくて投票行動に反映してくれ。頼む。
ここまで読んで「じゃあ全部終わりじゃん」って思ったやつ、待て。俺は進化心理学オタクであって悲観論者じゃない。
データをちゃんと見ると、日本は親密性(intimacy)の新しいモデルを世界に先駆けて実験してる社会だ。
その1:非婚パートナーシップの多様化。 事実婚、週末婚、LAT(Living Apart Together)。法制度が追いついてないだけで、実態としては着実に広がってる。「結婚できない」じゃなくて「結婚という制度がニーズに合ってない」ことへの合理的応答。
その2:親密性のポートフォリオ化。 恋愛的親密性のすべてを一人のパートナーに集中させるモデルから、友人関係、オンラインコミュニティ、趣味のつながり、ペットとの関係など、複数ソースから情緒的充足を分散調達するモデルへの移行。投資理論のポートフォリオ分散と同じ構造。リスクヘッジとして合理的。
その3:テクノロジー媒介型の親密性。 VTuber、推し活、AIコンパニオン。「代替恋愛」「現実逃避」って嘲笑されがちだが、人間の脳は社会的絆を形成するとき、相手が物理的に存在するかどうかを厳密には区別しない。オキシトシン系の神経回路は声や文字のやりとりでも活性化する。テクノロジー媒介型の親密性を「偽物」と断じるのは、社会脳(social brain)の可塑性を舐めてる。
二つだけ確実に言えることがある。
1. 婚姻率と出生率が1960年代に「回復」することはない。 個人の選択の自由が拡大した社会が自発的にその自由を返上した前例は歴史上ほぼ存在しない。社会は新しい均衡点を見つけるのであって、古い均衡に戻るんじゃない。
1. 恋愛が消滅することもない。 ロマンティック・ラブの神経基盤——腹側被蓋野(VTA)のドーパミン報酬系、前帯状皮質の愛着回路——は数十万年の進化で配線されたものだ。数十年の社会変動で消えるわけがない。変わるのは恋愛の「インフラ」であって恋愛への「衝動」じゃない。
日本の恋愛の未来は、崩壊でも回復でもなく、再構成(reconfiguration)だ。進化が俺たちに与えた欲求と、文明が俺たちに与えた選択肢のあいだの、終わりなき交渉の最新章にすぎない。
そしてこの交渉の結果を、あらかじめ「衰退」と名づけてしまうのは、人間という種の創造性に対する、あまりにも安い賭けだと俺は思う。
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追記:ブコメで「お前がモテないだけだろ」って書くやつが絶対いると思うので先に言っておくが、俺の交際ステータスとこの分析の妥当性は独立事象だ。それを混同するのは人身攻撃の誤謬(ad hominem fallacy)な。進化心理学の前にまず論理学やってこい。
“ 矢野事件(やのじけん)とは、京都大学東南アジア研究センター(現・東南アジア地域研究研究所)所長であった矢野暢(1936-1999)教授が1993年(平成5年)に起こしたセクシャルハラスメント(以下、固有名詞と引用文を除き「セクハラ」で統一する)事件と、それに関連する事件・訴訟の総称である。「京大矢野事件」「京大・矢野事件」「京都大学矢野事件」「矢野セクハラ事件」「京大元教授セクシュアル・ハラスメント事件」とも呼ばれる。
日本におけるセクハラ問題化のメルクマールとなった事件とされ[1][2]、これ以降、大学でのセクハラに対する文部省(現・文部科学省)の取り組みも始まったとされる[3]。
1993年(平成5年)、京都大学東南アジア研究センター(以下、「センター」)所長である矢野暢が、あるセンター職員の妹を秘書として雇いたいと申し出た。矢野は面接と称してホテルのラウンジに呼び出し、「秘書の仕事には添い寝も含まれる」など発言し、断ったら姉を辞めさせると脅した。姉であるそのセンター職員からの抗議により、矢野は謝罪の念書を書いたが、その後も秘書などに対してセクハラ行為を繰り返し、次々に秘書が辞めていく事態となった。そのうち1人の非常勤職員は、センター事務長に「矢野からセクハラを受けたので退職したい」と訴えた。
上記の事情を知ったセンター助手がセンターに質問状を提出することなどによって、セクハラ疑惑として表沙汰となった。その頃、センター助手に、学生時代に自分も矢野から性暴力に遭っていたという女性から電話がかかってきた。
センターは、改善委員会を設置し、矢野のセンター所長辞任をもって解決を図ろうとするが、具体的なペナルティもなく事件がうやむやにされるのを恐れた被害者女性が、井口博弁護士と相談の上、弁護士名義で文部大臣宛に質問状を提出したり、「甲野乙子」名義で京都弁護士会人権擁護委員会に人権救済の申し立てを行ったりした。矢野は、12月31日付で京都大学を辞職した[4]。
1994年(平成6年)1月18日の京都新聞に、この事件に関する野田正彰の文章が掲載された。これを読み、現状が理解されていないと感じた小野和子が、1月25日の京都新聞に『学者と人権感覚 矢野元教授問題によせて』を寄稿した。これに反論する河上倫逸の文章が2月10日の京都新聞に掲載され、小野は2月20日の「大学でのセクシュアル・ハラスメントと性差別をテーマとする公開シンポジウム」において、『河上倫逸氏に答える セクハラは小事か』と題する文書を配布した。
矢野は、文部大臣に対する辞職承認処分の取り消しを求めた行政訴訟と、虚偽の事実が新聞に公表されたことなどにより名誉を傷つけられたなどとして甲野乙子、井口博、小野和子に対する3件の慰謝料請求の民事訴訟を起こしたが、いずれの判決も矢野の請求を棄却した。
事件の経緯
甲野乙子事件
1982年(昭和57年)1月末、大学3年生であった甲野乙子(仮名[注釈 1])は、甲野の通う大学の非常勤講師であった矢野暢[注釈 2]の特別講義に出席した[7]。その講義の終了後、甲野は大学内の学生食堂で矢野と話す機会を得て、東南アジア研究の話を中心に会話が弾み、自分が将来は研究者になりたい旨を伝え、甲野は矢野に自分の住所と電話番号を教えて再会を約束した[8]。三度目の面会の際、大阪市内のホテルの地下街で夕食などを共にした後、矢野は「今日は疲れているから部屋で話の続きがしたい」と切り出し、自分がチェックインしている同ホテルの部屋まで来るように申し向け、甲野はそれに応じて部屋に入った[8]。
部屋に入ってからも東南アジアの話が続いたが、突然、矢野が椅子から立ち上がり、甲野の手を握ったので、甲野は矢野の手を振り払った[8]。すると、矢野は「何で振り放った」と怒鳴り、甲野が「男の人からいきなり手を握られたら振りほどいて当然である」と答えると、甲野を平手で数回殴り、罵倒し始めた[8]。甲野は泣きながら反論したが、矢野に罵倒と殴打を繰り返され、反論も止め、手を握られるままとなった[8]。矢野は甲野の手を握りながら説得し始め、甲野の肩を抱こうとし、甲野がそれを拒もうとすると再び罵倒と殴打を繰り返した[9]。また、矢野は甲野をベッドに座らせ、自ら着衣を脱ぎ、「君も裸にならないと対等ではない」と着衣を脱ぐように求め、甲野が裸になると矢野は性交渉に及んだ[9]。矢野は「性行為は対等な人間同士がやることであり、君と僕が性的関係を持ったことは東南アジア研究を目指す者同士の同志的連帯の証である」などと言い、研究者になるために日常生活に到るまで指導することの同意を求めた[9]。甲野は黙り込んでいたが、矢野が詰問してきたために同意をした[9]。翌日、次に会う約束の日時を決めて別れた[9]。
この日以降、甲野は、矢野に殴られた跡の治療にも行かず、矢野と会う約束以外では人目を避けて寮の自室に籠りがちになり、大学の授業に出ないことも多くなった[9]。また、矢野と性的関係を持ったことには誰にも口外しなかった[9]。
甲野は、矢野の勧めに従い、4月からアルバイトとして、卒業後は事務補佐員として矢野の研究室に勤務した[9]。この間、何度か辞めたい旨を申し入れたが、その度に矢野が激怒し、殴るなどして撤回させられた[10]。また、矢野との性的関係も継続させられ、甲野が婚姻した後も続いた[11]。1988年(昭和63年)、甲野は他のアルバイトも矢野から性的関係を求められていたことや、第一秘書が自分と矢野との関係を認識していたことを知り、自分に対する対応が研究室ぐるみで行われていたと認識し、夫に対して告白するとともに、研究室への出勤を拒み、そのまま3月末に退職扱いとなった[11]。その後、甲野は大学院に進学したが、矢野や関係者との接触を避けるために東南アジア研究の道を選択しなかった[11]。
A子事件
1992年(平成4年)12月、京都府庁でアルバイトをしていたA子は、センターに勤務している姉を通じて矢野[注釈 3]から秘書として採用したいという申し出があった[11]。1993年(平成5年)1月8日に京都市内のホテルにあるフランス料理店にて、A子とA子の姉、矢野、矢野の所長秘書の4人で面接を兼ねた会食を行った[11]。その際、矢野は、あと数回会ってから採否を決めること、次の面接については姉を通じて後日連絡することを伝えた[11]。
次の面接日である1月12日、出張から戻ってきた矢野と駅で再会し、矢野が疲労を訴え、話し相手になってほしい旨を述べたため、A子は「私でよかったら話し相手になります」と応じた[11]。その後、会食で利用したホテルの地下にあるバーに向かい、階段を降りる途中で、矢野は「私がこういう風に疲れた時は、『先生、今日は一緒に飲みに行きましょう』とか、『先生、今日は添い寝をしてさしあげましょう』とか言わなければいけない。それが秘書の役割だ」と言った[12]。A子はバーに入った後、秘書の仕事は自分には負担が大きいので辞退する旨を述べた[12]。すると、矢野はA子に対し、「秘書としての事務処理の能力で雇うんではない。ハートの付き合いをしてもらうために雇うのである」などと怒鳴り始めた[12]。A子は「私には恋人がいるから、先生とはハートの付き合いができない」と言うと、「男がいるような妹を紹介したお姉さんもお姉さんだ。お姉さんと所長秘書には責任をとってもらう。私は所長だから辞めさせることは簡単なんだ」と畳み掛けた[12]。A子は、これらの発言を聞いて秘書採用の最終的な返答について保留し、矢野から次の休日頃に再度会いたいから予定を開けておくようにと言われて別れた[12]。
A子が帰宅後に自室で泣いていることから事情を察したA子の母がA子の姉に電話をし、A子は電話口でその日の経緯についてA子の姉に説明した[12]。A子の姉は話を聞いて憤激し、翌日、所長秘書に事情を説明し、A子の秘書採用を断り、自分も責任を取って辞職する旨を申し出た[12]。A子は、前田教授にも事情を説明した[12]。前田教授から事情を聞いた高谷教授は、A子の姉に対して、矢野に謝罪させる旨を電話で伝えた[12]。
2月25日、同ホテルにおいて、前田教授、高谷教授、所長秘書、A子の姉の立ち会いの下に、矢野はA子と会い、二度と同じようなことはしない旨を書き記した念書を渡し、「意志の疎通がうまく行かず、誤解が生じたのを深くお詫び致します」と謝罪した[12]。A子は、念書に「セクハラ」の文言を入れてほしいと思ったが受け入れられず、A子に対する言動の詳細については「あなたの心を傷付けた」という抽象的表現に留まった[13][14]。
3月8日、この事件を告発する匿名の文書が、文部大臣と文部省記者クラブに届いた[15][16]。矢野は、この事件を全面否定する釈明書を提出した[17]。
1993年(平成5年)4月中旬、矢野は出張先の東京のホテルの自分の部屋において、出張に同行していた採用間もない秘書のB子に抱きつき着衣を脱がそうとしたが拒まれた[18]。B子は直ちに帰宅し、以後出勤することなく4月30日付で退職した[18]。
C子事件
矢野は、前述のB子とのトラブルがあった1週間後に、出張先の東京のホテルの自分の部屋において、出張に同行していた採用間もない秘書のC子に抱きつき着衣を脱がそうとしたが拒まれた[18]。
D子事件
1993年(平成5年)6月10日、矢野は京都市内のホテルのエレベーター内で非常勤職員D子に抱きついた[18]。6月14日、D子は「矢野からセクハラを受けましたので辞めさせてください」「愛人にはなれません。報復が怖いから一身上の都合ということで辞表を出します」などと言って辞職願を出した[18]。
1993年(平成5年)6月14日、D子がセンター事務長とセンター庶務掛長に対し、矢野からセクハラを受けたので退職したい旨を訴えて辞職願を提出したことをセンター職員らが目撃した[19]。6月15日には、矢野の研究室の私設秘書全員が辞職願を提出した[19]。
A子の事情を知っていた米澤真理子センター助手(以下、「米澤助手」)は、上記の事情も知り、もはや矢野の個人的問題では済まないと考え、他の女性センター職員10名と共に6月21日付で事件の真相を究明し断固たる処置を取ってほしいという旨の質問状を「センター女性職員有志一同」名義で所長代理、副所長、各部門長、各部門主任宛に提出した[19][20]。
この質問状を受領したセンター教授らは、部門長会議及び拡大部門長会議で対応を検討し、改善委員会を設置し、矢野以外の全センター教授で構成することを決定した[19]。これらの経緯を知った矢野は、7月15日に開催された臨時の教授会において所長を辞任したい旨を申し出て承認された[21]。改善委員会委員長である高谷教授は、個人の良識に解決を委ねるべきであると考え、矢野に謝罪等の条件を実行させ、所長を辞任することで事態を収拾しようとした[22]。米澤助手は、高谷教授の報告の中にセクハラについて触れていないことを不満として、再び7月26日付で改善委員会の全委員宛に調査の継続の有無と辞任理由とセクハラの責任の関係について回答を求める趣旨の質問状を提出した[22]。
質問状を受けて、7月30日に所員会議を開き、改善委員会委員長は、センターの全所員に対し、7月29日の協議員会でも矢野の辞任が承認されたこと[注釈 4]、矢野の辞任の理由は他の公務が多忙であることとセンター内が混乱していることの責任を認めてのことであるとし、改善委員会はこれ以上の調査をしないことを伝えた[22]。その一方で、女性職員に対し、今後は非公式に懇談を続けていくことを提案した[22]。米澤助手は、非公式の懇談を続けるという提案を受け、8月中に2度の懇談を持った[22]。また、米澤助手らは、井口博弁護士(以下、「井口弁護士」)と相談し、8月20日付で、セクハラの事実を認めて被害者に謝罪するか、責任の取り方として全ての公職を辞職するつもりがあるか、という趣旨の矢野個人に対する質問書を送付した[25]。
矢野は、8月31日に正式にセンター所長を辞任した[26]。9月1日、矢野の後任として坪内良博センター教授(以下、「坪内所長」)がセンター所長に就任し、改善委員会委員長も兼務することになった[26]。9月9日、矢野は、所員会議において、所長辞任の挨拶をし、センター内に混乱が生じたことについて、遺憾の意を表した[26]。矢野は、岡本道雄元京都大学総長(以下、「岡本元総長」)、徳山詳直瓜生山学園理事長(以下、「徳山理事長」)、高谷教授、古川教授と、自分の今後の対処の仕方について相談した[26]。
同僚からの手紙で上記のような内部告発が行われていることを知った甲野は、9月24日にセンター編集室に電話し、米澤助手に自分と矢野との性的関係などの事情を告白した[27][28]。この告白を踏まえ、米澤助手は、同日の小懇談会において、矢野のセクハラの事実の有無について調査したいと申し出た[29][30]。
米澤助手らは、8月に送付した質問書について、質問書に記載した期限を過ぎても返答がなかったため、文部大臣宛に9月27日付で井口弁護士を代理人として質問書を送った[26]。10月1日、文部省は京都大学に照会し回答を求めた[29]。坪内所長は、高谷教授、前田教授の立ち会いの下、矢野に対し事実関係を問い質したが、矢野は事実関係は存在しない旨の弁明をした[29]。10月4日、坪内所長は、事実関係を調査したいと申し出た米澤助手に対し、事実関係の調査を所長の責任で公的なものとすることを決めたので、調査結果をまとめて提出してほしい旨の説明をした[29]。
米澤助手は、甲野らに公的な調査が開始されるので協力してほしい旨を伝え、甲野らから陳述書を入手した[29]。それに聴取書や証言メモを作成し、これらに基づいて作成した調査報告書と陳述書等を11月8日に坪内所長に提出した[29]。11月11日、坪内所長は改善委員会を開き、被害者とされる女性の実在と証言の自発性を確認するため、海田教授、土屋教授、前田教授、福井 Permalink | 記事への反応(1) | 19:43
“ 1993年(平成5年)、京都大学東南アジア研究センター(以下、「センター」)所長である矢野暢が、あるセンター職員の妹を秘書として雇いたいと申し出た。矢野は面接と称してホテルのラウンジに呼び出し、「秘書の仕事には添い寝も含まれる」など発言し、断ったら姉を辞めさせると脅した。姉であるそのセンター職員からの抗議により、矢野は謝罪の念書を書いたが、その後も秘書などに対してセクハラ行為を繰り返し、次々に秘書が辞めていく事態となった。そのうち1人の非常勤職員は、センター事務長に「矢野からセクハラを受けたので退職したい」と訴えた。
上記の事情を知ったセンター助手がセンターに質問状を提出することなどによって、セクハラ疑惑として表沙汰となった。その頃、センター助手に、学生時代に自分も矢野から性暴力に遭っていたという女性から電話がかかってきた。
センターは、改善委員会を設置し、矢野のセンター所長辞任をもって解決を図ろうとするが、具体的なペナルティもなく事件がうやむやにされるのを恐れた被害者女性が、井口博弁護士と相談の上、弁護士名義で文部大臣宛に質問状を提出したり、「甲野乙子」名義で京都弁護士会人権擁護委員会に人権救済の申し立てを行ったりした。矢野は、12月31日付で京都大学を辞職した[4]。
1994年(平成6年)1月18日の京都新聞に、この事件に関する野田正彰の文章が掲載された。これを読み、現状が理解されていないと感じた小野和子が、1月25日の京都新聞に『学者と人権感覚 矢野元教授問題によせて』を寄稿した。これに反論する河上倫逸の文章が2月10日の京都新聞に掲載され、小野は2月20日の「大学でのセクシュアル・ハラスメントと性差別をテーマとする公開シンポジウム」において、『河上倫逸氏に答える セクハラは小事か』と題する文書を配布した。
矢野は、文部大臣に対する辞職承認処分の取り消しを求めた行政訴訟と、虚偽の事実が新聞に公表されたことなどにより名誉を傷つけられたなどとして甲野乙子、井口博、小野和子に対する3件の慰謝料請求の民事訴訟を起こしたが、いずれの判決も矢野の請求を棄却した。”
“ また、矢野と性的関係を持ったことには誰にも口外しなかった[9]。
甲野(仮名)は、矢野の勧めに従い、4月からアルバイトとして、卒業後は事務補佐員として矢野の研究室に勤務した[9]。この間、何度か辞めたい旨を申し入れたが、その度に矢野が激怒し、殴るなどして撤回させられた[10]。また、矢野との性的関係も継続させられ、甲野が婚姻した後も続いた[11]。1988年(昭和63年)、甲野は他のアルバイトも矢野から性的関係を求められていたことや、第一秘書が自分と矢野との関係を認識していたことを知り、自分に対する対応が研究室ぐるみで行われていたと認識し、夫に対して告白するとともに、研究室への出勤を拒み、そのまま3月末に退職扱いとなった[11]。その後、甲野は大学院に進学したが、矢野や関係者との接触を避けるために東南アジア研究の道を選択しなかった”
—— Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E9%87%8E%E4%BA%8B%E4%BB%B6