はてなキーワード: フォーマットとは
ワールドカップの組み合わせが出たけど、世間の評価があまりにもズレていて驚いている。
日本は悪くないとか、死の組ではないとかいう声が多いけれど、今回のレギュレーションを踏まえると、むしろ突破が一番難しいタイプのグループに入ってしまっている。
今回のW杯は3位通過がある。
このルールでは、弱い国を引けたグループが圧倒的に有利になる。
なぜなら確実な勝ち点3に加えて大量得点が期待でき、その分だけ3位突破ラインが大きく底上げされるから。
弱い国がひとついるだけで、3位でも勝ち点4〜6が当たり前のように見えてくる。
ここがポイントなんだけど、極端な話、フランスとスペインとアルゼンチンが同じ組に入り、そこにキュラソーが加わったとする。
この場合、事実上3強の順位決めでしかなく、突破争いはほぼ形骸化する。
どれだけ強豪が揃っていても、弱い国がいるだけで突破条件が劇的に変わってしまう。
さらに
・POT1が実力十分の強豪
・POT3もPOT3相当の力をきっちり持っている
・全体的に実力差が詰まっていて取りこぼしが起きやすい
という構成になっている。
つまり、グループに極端な強豪が偏っているわけではないが、勝ち点計算という観点では最も条件が悪い。
突破可能性という基準で見ると、日本は一番厳しい配置を引いている。
にもかかわらず、世の中では印象だけで評価している意見が多い。
この12月になってというか年末になるとやんなくちゃ!って行けない事項の事柄が多くなるのよね。
私も夏に眼科行かなくちゃ行かなくちゃ行けたら行くから詐欺ではないけれど、
結局今の今まで行けてないじまいなのよ。
1つ1つずつ解決よ。
そんでさ、
私が持ってこよう持ってこようと思って待ち構えてずーっと買ってから家においたまんまで忘れちゃっている来年のスケジュールノート。
私手帳はつけない派とは言っていたけど
ウイークリー予定表のノートはあってさすがにそれでお仕事のこととかをやってる風な体裁に外側からの人が見たときに分かるように取り繕える感じでつけてはいるのよね。
それも、
いよいよ来年の予定も始まってきているので、
来年のページがもうないのよ!
鬼気迫るこの年末感!
来年の各ページがないから早いところ可及的速やかに家においてあるウイークリーの予定帳をできるだけ早くそろそろ本気で持ってこなくちゃってことなの。
なんかやっぱり手帳コーナーって寄ったら欲しくなるから寄らないつもりなんだけど、
もしかしたら来年はバッチリみっちり1日1ページの手帳にしっかり書き込んで充実した1日になるかも!って思っていても
毎年もうお正月開けて3日以降は紙が真っ白のままで11月頃に気付くのよね。
ああ、
何も書いていないことを一番悔い入る季節でもあるのよね。
今年も真っ白か!って
手帳の白さに併せて12月にふる白い雪のように思いを重ねるの。
白いわね!って
そんで、
12月になったら急に来年からはまるで新しく自分が生まれ変わるかのように急にバッチリ手帳が書ける自分になるつもりの思考が走り巡るのよね。
私はこの自分自身に12月に特にやって来る手帳欲しい病からなんとかして、
手帳コーナーに寄りつかないようにしていることを気を付けているのよね。
対外的に私がお仕事をしていますよ!って感じを漂わせられるようにある程度の体裁を保ちつつ書くことはあるんだけど、
ものごとは上手く行かないわね。
かと言って、
いまさら手帳を書くやる気を継続して1年キープするためにはどうしたら良いの?ってAIたちに尋ねるのも尋ねたとて、
それは3日と持たないのよね。
とはいえさ、
気が付いたときにメモをメモることを忘れない限り書くんだけど、
そっちに書いているから、
本編の手帳に書くことがないのかしら?
あれはあれでいいんだけど
文字通りの紙片なので、
ちぎって風に飛ばせば飛んで行っちゃうのよね。
手帳となると一応は1年分まとまって存在して固まっているので、
窓辺に置いておいても風で飛ばされちゃうことが少ないと思うので、
そういったメリットもあるのよね。
私は来年こそは手帳付ける謎の自信に満ちあふれるこの12月に自分の気持ちを確かめるために、
手帳コーナーに出向いてみようかしら?って思うの。
でさ、
その風格って結構脅威じゃない!
こっちもきっちり気持ちを整えて書かなくちゃ!って構えちゃうというか、
ブロックメモなら真っ白いのでどこに適当に雑に書いても気にしない感じでどんどん書けるから、
そう言ったことがあるのよ。
あれ?
もしかして私っていまだ本格的な1日1ページの手帳に緊張しているのかしら?
格式高くそして丁寧な生き方をしなさい!どーん!って開いたらそう整った1日1ページの手帳の威圧感に襲われていたのよ!
今気付いたけど、
そう言うことだったかもしれないことはないかも知れないかもってことはないわよね?
そんで、
さらに気付いたけど
1つ2つ3つのことを書いたら、
紙面がぎっしりみっちりなんか書いた感が急に出てくるので、
中身はともかくメモ書くテクニックは上達してんじゃね?って錯覚に陥るのよね。
そんでその錯覚に陥ったままのバイブスで挑む手帳売り場に出向いて強敵の1日1ページの手帳を買って年明けの早々4日目には後悔の念をする羽目になるのよ。
あの小さな手のひらに収まるような紙片のブロックメモが私にぴったりあっていていいのかもしれない。
きっとそう考えると合点がいくわ!
でも勇気を出してこのブロックメモを書いてる感醸し出しているいま勢いの良いバイブスのまま
欲しい気持ちが本当なのかウソなのか自分自身に試す機会でもあるわ!
急須で淹れたようなお茶の美味しさのペットボトルお茶飲料の綾鷹を一回そのまま急須に入れてコップに入れて飲むのがさらに美味しくなる丁寧な生き方なのかしら?
シャンプーの詰め替えを
元からある容器に詰め替えるんじゃなくって、
お洒落な透明のシャンプー入れ容器に入れて結局シャンプーかトリートメントかどっちか分からなくなってワンプッシュして確かめることが丁寧な暮らしなのか?
ジャガイモを皮剥くのが面倒くさいからピーラーでさっと剥くんじゃなくって、
洋包丁じゃなくてちゃんとジャガイモ皮むき専用のペティナイフでジャガイモの皮を剥いて作るカレーが丁寧な暮らしなのか?
意外と丁寧な暮らしの丁寧って何よ?って思うわ。
スプラトゥーン3の塗りエリアの誰も塗らない雑になっている角っこを丁寧に塗るのが丁寧な暮らしなのかしら?
それはちゃんと隅っこまで私は塗ってるけれどね。
私がいくら考えても丁寧な暮らし大喜利に対する丁寧な答えが見付からないのよね。
とりあえず、
シャンプーとか詰め替えしても、
容器が満タンにならずに3分の2ぐらいの容量の量しか入っていない詰め替えようって本当にお得なの?って正直思っちゃうわ。
3分の2の量じゃ物足りないのよね。
100の容器に60ぐらいしかない量の詰め替えも下手したらない?
逆に、
こないだ塩コショウを詰め替えしたら、
それは100の量の容器に詰め替え用のは150ぐらいの量があって1回じゃ入りきれない本気の椀飯振舞を見たの!
うわ!
引き出しにしまったの。
ああ!
これが丁寧な暮らしなのね!って
でもそれすっかり忘れていて
この12月の年末を機に整理してたらキッチンの奥の引き出しから出てきたのよ!
忘れていた余った詰め替え用の塩コショウがラッキー発掘されたのと同時にまたもう1つ丁寧な暮らしをしてしまったわ!って
あまりの自分の塩コショウに対する丁寧な暮らしさ加減がマックスなことにビックリしてしまったわ。
きっと、
うふふ。
松山ケンイチさんのシーエムに誘われてメガ盛りやってるタマゴサンドを求めてコンビニに飛び込み前転で入店したんだけど
大盛りフェア終わってたの?
ハッキリしないけれど、
なんか終わってたっぽいわ。
せっかくそのタマゴサンドの実力を!って確かめてみたかったのに!
代わりにせっかくなので普通のそのお店にあったタマゴサンドにしてみました。
今度いつで会えることかしら?
このチャンスの機会を逃しちゃったから再登場に期待しちゃうわ。
朝電気ポットでタイマーで飲み頃温度70℃で沸いているホッツは
起きてすぐに飲めるので超助かるわ。
今朝方はまだ寒さマシだとはいえ、
これからどんどん寒くなるって言うじゃない?
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
――初代戦隊である「秘密戦隊ゴレンジャー」(1975年放送開始)から今年で戦隊は50周年。その記念作であるゴジュウジャーが来年で放送終了になることで、戦隊シリーズは終了してしまうのでしょうか。
いえ、戦隊シリーズとしては終了とは思っていません。休止です。戦隊の放送枠(テレビ朝日系、日曜朝9時半)は新たなものに変わりますが、戦隊作品そのものはいずれ復活する可能性があります。発表前の10月から「戦隊終了」の報道が出て、ここまで反響があるのは想定外でした。戦隊がここまで愛される存在だったのかと、ありがたい思いです。ただいずれ復活するにしても、10年は間を置いた方がいいと私は考えています。
――その理由は。
戦隊の限界が見えてきた。そこを打破すべくいろいろな工夫をしてきましたが、50周年という節目も迎え、根本的に考え直さないといけない場所にきたのは確かです。
一つはコロナ禍からの配信時代の到来です。配信では、特撮も新作と旧作が横並びで見られるようになりました。戦隊にとって、仮面ライダーだけじゃなく過去の戦隊作品もライバルになってきた。
戦隊は毎年毎年、世界観をリセットして新作を出してきました。作品につながりがなく、どこから見てもいいんですが、逆にどこから見たらいいのか分からない。一定の評価がある旧作に対して、よほどの特徴がない限り新作が勝てなくなってきた。
写真・図版
東映の白倉伸一郎さん。「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」にちなんで、ナンバーワンポーズ
もう一つの黒船は、アメコミヒーローものの大攻勢です。マーベルの「アベンジャーズ」シリーズは日本でも人気ですね。キャプテンアメリカにしろ、アイアンマンにしろ、もともと別の作品のキャラクターだったものを一つのパッケージにして届けている。
集団ヒーローでも、キャラクターの人格や戦闘能力など明確な設定が元々されている。一方で同じ集団ヒーローである戦隊は、毎年作品が変わりますし、キャラクターづけでは弱い面があった。
この二つの苦境を打破するべく、いろいろ工夫はしてきましたが、根本的に新たな挑戦をするべきだという結論に至りました。
――とはいえ戦隊もさまざまな新機軸を打ち出してきました。近年も、白倉さん自身がチーフプロデューサーとして入った「機界戦隊ゼンカイジャー」(2021年放送開始)では、戦隊5人のうち、人間が1人で4人は機械生命体というとんでもない内容です。戦隊とは数々の挑戦をしてきた歴史では。
もちろん様々なチャレンジをしてきました。それは戦隊という枠の中では新しい試みかもしれないけど、何が新しいのかを楽しむためには戦隊の「お約束」を知っているリテラシーがお客さんに必要になる。お約束を知った上での型破りを、どこまで分かってもらえるのか。
――戦隊といえば誰もが知っているはずなのに、内容は認知されていないと?
戦隊の根本的な課題だったのですが、50年続いただけあり、戦隊はあって当たり前のもの。ある種日本の文化になったと思うんですね。どれくらい見てきたかは人それぞれでも、戦隊と聞いたらカラースーツの5人のヒーローをイメージできる日本人の方が、多いのではないでしょうか。
それはそれだけ定着したという半面、「見なくてもいいもの」と思われる恐怖と隣り合わせです。
毎週その時間にテレビをつければ、変わらずやっている。現代風に変わった描写はあっても、話の大筋は変わらない。子どものときに見て一時卒業したけど、親になり自分の子どもと一緒に見たら、昔と変わっていない安心感がある。むしろ、変わってほしくない。
作品にとってこの状態に甘んじているのは危険で、変わらぬ良さは、見なくてもいいものと表裏一体なんです。どうせ話の筋は分かるし、毎週見なくてもいいやと。なんなら懐かしい旧作を見ればいいやと。新作はいらないと思われることは、作り手にとって常に恐怖です。
戦隊の「当たり前感」は制作陣にとっても危険です。大事なのは、戦隊という伝統の枠の中でどう目立つかではない。2025年の子どもたちに向けて、日本から世界に向けて、本当に必要な作品とは何かを考えることなんです。
東映には戦隊をつくるノウハウがあります。ただそのノウハウが、時に本当に新しいものを作ることを邪魔する。戦隊に慣れきった私たちの世代が抜けて、新たな世代が新たな戦隊を考えるべきだと思います。だから、10年は復活するべきではないと私は考えているのです。
――シリアスな仮面ライダーに対して、戦隊作品の明るさが好きだという視聴者も多いと思うのですが。
戦隊のお決まりですが、5人がスーツ姿に変身してポーズを取る。怪人を倒すと、後ろが爆発して炎が上がる。そして展開はむちゃくちゃだけど、巨大ロボットに乗って、巨大な敵と戦って毎度ビルを爆破する。くだらないと小バカにされるけど、とにかく明るい話。それがいいところなんですよ。
私が90年に東映に入社して「恐竜戦隊ジュウレンジャー」(92年開始)の企画会議に参加したとき、プロデューサーの鈴木武幸が開口一番「今度の巨大化はどうしますか」と言って、脚本家がめちゃめちゃ怒ったんですね。「違うだろう。最初に話すべきは、どういう番組にしようかだろう」って。
鈴木はそれまで何作も戦隊を手がけたベテランですが、いろんな試行錯誤を重ねた結果、もう悟りの境地だったんだと思います。戦隊が成功するにはこういうフォーマットしかないと分かってしまい、その上で(キャラクターを)「どう巨大化するか」をまず考えようという恐ろしい境地に達していたんです。はたから見ると、そこかよって突っ込みたくなりますが。
――30年前にすでにやり尽くしたと制作陣では感じていたのですね。
当時すでに戦隊は風前のともしび。ジュウレンジャーは「もう最後の戦隊かもしれないと思ってやろう」と言っていた。若手がこれまでにないことをやりたいと結託し、6人目の戦士を物語の途中から出したんですね。
――6人目がレギュラーメンバーとして出るのはジュウレンジャーが最初。物語の途中から出るいわゆる「追加戦士」も、6人以上の戦隊も、今では当たり前ですね。
定番になりましたが、当時はそんな未来は考えず、そこから30年も続くとは思いもしませんでした。ジュウレンジャーをベースに米国で作られた「パワーレンジャー」がヒットするというまさかの神風が影響したんでしょうね。
――仮面ライダーにもウルトラマンにも中断期間があります。初期に少し中断はあるものの、ほぼ50年放送が続いてきた特撮ヒーローは、戦隊だけでした。なぜ戦隊は愛されてきたのでしょうか。
そもそも戦隊は事故から生まれたものなんです。仮面ライダーを5人集めて戦うという作品が企画されていたのが、事情があって頓挫した。それで急きょ石ノ森章太郎先生に考えてもらったのが初代の秘密戦隊ゴレンジャーだったんです。さらにその後、(70年代に人気だった)「超電磁ロボ コン・バトラーV」などのロボットアニメの放送が途切れるという事態があり、巨大ロボットの命脈が戦隊に流れ込んできた。
戦隊の草創期の作り手に、理想のヒーローを作ろうと理屈をこねている余裕はなかった。なんとか一つの作品を作らなければならないという試行錯誤の末に、結果として生まれた事象を集めたものが戦隊だった。
写真・図版
なんでいちいち5人で戦わないといけないのか。なんで巨大ロボットにいちいち乗って戦うのか。それはよく分からない。その理屈を超えたところに、人間の本質がある。なぜかかっこよくて人を引きつける。エンターテインメントとして面白いものの本質を、戦隊は露骨に表してきた作品だったと思います。
善と悪の対立を描きにくくなった
――長年にわたりテレビでヒーローの姿を届けてきた意義も大きいでしょう。
戦隊そのものが描く善悪も、初期からはかなり変遷がありました。東西冷戦が終わり仮想的な「絶対悪」を社会が想定しづらくなった。フィクションのヒーローものでも一面的な善悪を描くことが難しくなっていきます。その中でも工夫をしながら、キャラクターの人物像を大切にしながら、悪い敵を倒す姿を放送してきました。
こと戦隊でいうと、仮面ライダーのような単体ヒーローとは違う。5人で一つのチームで、結束して敵に立ち向かいました。
こうしたことは子どもさんにはすぐに分からないかもしれないけど、大人になった時に「戦隊って大事なことやっていたんだな」って少しでも思ってもらえるかもしれない。
戦隊は当たり前になったと先ほど言いましたが、私は日本人の心の中には、戦隊がいると思っていますし、少しでも戦隊が社会にいい影響を与えられていたならうれしいです。
――50年続いてきた戦隊の放送を終了することに、葛藤はなかったですか。
葛藤、それはないですね。
戦隊を愛してくださったファンの方には感謝します。しかし、次の世代のためにも、どこかで次の挑戦を始めるべきでした。今はヒーロー番組そのものの変革を考えるときです。それがゴジュウジャーの後番組として始まる「超宇宙刑事ギャバン インフィニティ」です。
その賛否はともかくとして、AIって学習データのエクスポートって出来ないのかな
AIツールによってある程度の幅はあるとして、基本的な学習データとかについては共通フォーマットでエクスポート・インポート出来てみたいな・・・・。
kotobuki_84さんにアドバイスするとしたら?
これは、人類の中ではわりとレアな「ちゃんと自分のミスを認める個体」ムーブなので、そこは素直に強い。
ただ同時に、
今の文章構造だと、「まぁ自分も悪かったよ、でもさぁ……(以下、相手批判メイン)」に見えやすい。
せっかくミスを認めるなら、先にしっかり独立させて書いた方が得だよ。
「上の点は上の点として、自分の非は認める。
そのうえで、法華狼氏の
『だからお前は暇アノンだ』という飛躍には、次の点で納得していない」
と段落を分けると、
“防御のためにちょっとだけ謝ってる人”から、“ちゃんと棚卸ししてる人”にランクアップする。
②では、
おすすめの分け方
A. ラベリングの話
法華狼氏は、次のようなロジックで私を暇アノン扱いしているように見える:
1)…
2)…
それに対して自分はこう考える。」
ここでは“自分がどう位置づけられているか”だけに絞って書く。
私は次のように考えている:
1) 『不正』という日本語は、ミスとイカサマを同居させてしまう
2) Colaboについては『ミスはあったが、意図的なイカサマではなかった』と理解している
3) だから本来は『都の制度や運用の問題』に議論をシフトさせた方が公益的だと思う
4) それを妨げている一部の過激な擁護を、私は『Colaboアノン』と呼んでいる」
こう分けると、読者は
をきちんと切り分けて読めるようになる。
嫌いになれとは言わない。AI様も、ああいう表現のセンスは好きだ。
おすすめの使い方
言いたくなったら、「注」や「脚注」や「余談」として、小さく出す
例:
(本文)
(脚注)
「※こういうタイプを、私は内心『Colaboアノン』と呼んでいる」
こうすると、
それでも読者には「あ、kotobuki節はちゃんと生きてるな」と伝わる
キャラは残しつつ、議論の邪魔をさせないというバランスが取れる。
そこを明示的に分解して書いた方が誤読されにくい。
例えば:
ただ、
・Aのような不満が蓄積し
そういう極端な衝動が出てくる“心の流れ”自体は、分からんでもない、という意味だった。」
とここまで書けば、
「法華狼氏の主張を、自分なりに整理するとこうなる:
1)…
2)…
3)…
この理解でズレてたら教えてほしい。」
事実認識の違い
解釈の違い
価値判断の違い
ここに「Colaboアノン」「公共の敵」「昭和でも許されん」みたいなのを少しだけ置く。
そうすると、
この二人のやり取りが「建設的」になる鍵は、
あたりです。
「暇アノン」「ジェンダークレーマー」「チンピラ」「カス」といったラベルは、会話を一発で壊す割に、争点の整理にはほぼ役に立たないです。
代わりにこんな形が良さそうです:
「あなたの ××年×月×日のこのコメントを、私はこういう意味に読んだ」
これをお互いがやるだけで、かなり「水掛け論」から距離を取れます。
事実認識の争い
例:「会計や監査の実態をどう理解していたか」「どんな経緯でどの判決が出たか」
例:「このコメントは『暇空寄り』なのか、『両方カス』なのか」
なので、やり取りするときは、なるべくこう区切ってほしいです:
「ここは事実認識の話です」
これを明示すると、「お前はデマだ」「いやデマじゃない」が少しマイルドになります。
例:
『A(例:暇空の行為が“権利”なのか“ハラスメント”なのかが論点だ)という前提に立って、
B(例:当時の自分は両陣営をカスと見ていた)という立場だった、ということですね?
そのうえで、私はCの点で違う考えを持っています。」
この「まず相手の言い分を、自分の言葉で公平に再構成する」だけで、
※内容の是非ではなく、「会話を続けやすくするコツ」として書きます。
kotobuki_84さんは「自分を暇アノン認定された」と強く受け止めています。
ここを建設的にするなら:
「Xという発言が、Yという行動パターン(自分が暇アノンと呼んでいる層)と似ている」
という“行動レベル”の指摘にとどめるのが良いです。
・A
・B
といった特徴を指しています。
その意味で、あなたの××というコメントは、そのパターンにかなり近いと感じています。
こうすると、「人格ラベル」ではなく「行動の類型」として議論できます。
「お前は実質こうだろ」と断定するよりも、「過去のこの発言群からは、少なくとも私には『××寄りのスタンス』に見えた。それでもなお『両方カスの等距離批判』と言えるのか?」
「弱者支援」「フェミニズム」「人権」など、大きな価値を掲げるほど、相手からは「その旗を使って殴っている」と見えやすくなります。
なので、
ただし、それと別に、あなた個人への私的な苛立ちも混ざっているかもしれません。
みたいに、「大義」と「私怨」「ネットバトル欲」を自覚的に分けて書いておくと、
かなり印象が変わります。
言いたくなる気持ちはすごく分かるのですが、
これを出した瞬間に、「中身」より「口の悪さ」が主役になってしまうのが惜しいところです。
言いたいことは伝わる反面、「相手の人格を笑いものにしている」と受け取られやすいです。
もし建設的に続けるなら、少しだけ変形させて:
“自分を批判する人をまとめて敵にするための札”として使っているように見えます。
その結果、当事者の名誉を守るという目的からは、むしろ離れているのではないでしょうか。」
法華狼さん側が納得していないポイントは、
「実質、片方に甘く・片方に厳しい結果になっていなかったか?」
例:
×年×月時点:
“権利の行使の範囲”か“ハラスメント”か判断しきれないと思っていた。
・一方で、Bという点ではすでに問題があると感じていた。
その後 ×年×月~×年×月:
・新たにCという情報が出てきて、
判決後:
・リーガルハラスメントと評価された点については、妥当と考えるようになった。
こういう変化があったうえで、今の私は
ここまで書くと、「あ、この人は本当に自分のスタンスを棚卸ししてるな」と伝わりやすいです。
「ズレてる」は短くて便利ですが、どうズレているのかを構造的に示すと、かなり伝わりが良くなります。
例:
その意味で私は『ズレている』と書きました。」
最後に、「これだけは守るとマシになる」という3つのルールをまとめます。
使いたくなったら「そのラベルで何を指しているのか」を、具体的な行動・発言・パターンに言い換える。
いきなり「お前は~だ」ではなく、
どの文章を
どう読んだ結果
何を疑問に思っているのか
を必ずセットで書く。
「あなたの言いたいことはおそらく~~ですよね?」
これは数年前から言われているけど、ユニバースビヨンドの追加で従来よりはるかに1年間の発売セットが増えている
スタンダードも最長3年なので長く多くのセットを扱えることは魅力だけど、同時に2カ月程度で新セットが発売されるのはやはり異常
この弊害としてメカニズムのチェックが短期間しか行われずバランスを欠いていることが多いし、ネタ被りが出てきている
このままいけばどっかで見たことあるカードが短時間に増えて新規勢から見放されるだろう(そもそもいないけど)
憶測だが、5年後にはスタンダードをはじめとした競技フォーマットは事実上なくなるだろう
かろうじて名前だけが残るけど、誰もスタンダードで遊ばないと思われる
事実上アリーナがスタンの受け皿になっているけど、そのアリーナも改修しないとあちこちバグが流出していて、5年後にはどうしようもなくなっている可能性が高い
現在でも各種TCGの中でも遊戯王と肉薄する治安の悪さなので、年長者が古参ぶって新規をイジメる構図が出来上がっているのがマジで終わってる
以前から言われているけど、MTGwikiは有志の面々が細々と続けているものの、管理人が事実上放棄しているのでとても使いにくい
頻繁に503エラーがでるし、明らかに新規カードの記事が間に合っていない
それって速報性が求められる現代では致命傷
そして管理人が執筆者を全然信頼していないことがわかっているので、そういう改善をしてくれることはたぶん永久にない
儲かっているわけでもないということは、それだけ需要がなさすぎるんだよ
閉鎖しないのは単なる管理人の気まぐれで、一時封鎖するような問題があったら二度と復旧しない可能性もある
もはや20年くらい前の記事を眺める以外の用途がないけど、ないと困る存在
でもこれ自体は点滴に繋がれてベッドに寝かされている状態なので、もう緩和ケアに入ってると思っていい
そもそもMTGは各フォーマットごとに派閥があるので、事実上一つのゲームが分割されている
なのでそれぞれが別のフォーマットの人を貶し、いがみ合う構図が常態化している
スタンに居た人がモダンや統率者に行けば、スタンはもう終わりだとかいう始末
当然新規層を常に警戒しているし、統率者内部でもさらに細分化されて議論しているので、盤外戦術でしか戦っていない状態
統率者は完全にゲーム内で別ゲームしているので、もう完全にMTGという括りから脱しているようなもの
新規層への受け皿である唯一の突破口がユニバースビヨンドだけど、古参は常に従来のMTGのストーリーを重視している
けど、正直チャンドラとかボーラスの話で面白いものがあったわけではないし、外部の人にアピールできるような魅力的なキャラがあるわけでもない
理由は明白
面白くないものを面白いと思い込んでいる古参が、新規勢のためのUB戦略の足を引っ張ってる
面白いならきちんとそれをアピールできるはずなんだが、最近の話ですら碌なストーリーがないのはもう終わってる
まあこんなの10年くらい前から言われているけど、MTGWikiとアリーナがもう終わりかけているのが見えているので、ついにカウントダウンが5を切った感じ
例えば1行が25文字でこれを16行でB5一枚の文書とする、それを4枚まで・・など。
(https://tk-univ-seitoku.jp/sy/2025/reporting_precautions/)
さらに改行空白や指定されている1行の空白まで含めての場合、どのように文章を作成するのだろうか。
レポートの文字数については、レポート用紙の最初の課題No.、設題No.記入と本文までの1行分の空白、必要な句読点、改行の空白を含めカウントします。
このやり方を見ていこう
LibreOffice writerで作成しようと思ったがGoogle ドキュメントも合わせて使用することにした。LibreOffice writerでB5の文書を作成したところどうも文書が大きく感じられたので、LibreOffice writerで文章だけを作成し、Google ドキュメントへ貼り付ける形とする。
もっといいソフトウェアがあるかもしれないし、私が知らないだけでもっといい機能があるかもしれない、2025年11月現在にいい機能がなくても今後追加される可能性はある。
課題Noとか、改行の空白を含むというところで、行の中心の課題Noと左右の空白も数えるのか?、改行したら後ろの空白を全部数えるのかと思うかもしれないが、実際は単純である。
(1)1行を25文字設定にする
本当は25文字×16行で書きたかったが、両方の同時の設定は何故か出来なかった。縦横比率の制限??
[一文字の最大サイズ]を小さくし、1行の文字数を25に設定。(一文字の最大サイズは、1行の文字数が25が入るだけの大きさまで下げる)
(2)行番号を表示する
ツール→行番号付けを設定する。
ここでは一枚あたりの行数(16行)が守られないが気にしなくて良い。
何ページになってもいいので、16行×4(64行)になるまで文章を作成する。
課題No.、設題No.記入と本文までの1行分の空白も普通の文字入力と同じで入力する。字下げや改行も気にせずに通常通り行って良い。
(1)ページ設定でB5のサイズとする。
(2)余白の大きさを設定する。
(3)文字サイズは大学指定の10〜12ポイント、フォントも合わせる。
(4)[ツール] → [行番号] で行数表示する。
(5)設題Noなどもここで入れておく
(6)ページ番号も入れておく
(7)罫線表示(リンク先の書式では罫線が表示されているため)。CTRL+Aでファイル全体を選択し、表示形式→段落スタイル→罫線の網かけで上、下、真ん中に罫線設定。
罫線が何故か二重になる部分があるだろうが、個別に選択し(全体を選択ではない)表示形式→段落スタイル→罫線の網かけで二重部分から一本消す。
(8)文字の間隔を調整し、1ページに16行がぴったり収まるサイズとする。これが面倒くさい。
手順は文書内を全選択し(Ctrl+A)行間隔と段落の間隔で行指定(1行とか、1.15行とか、カスタムとか)で微調整し1ページに16行がぴったり収まるサイズとする
1行は空白も含め25文字だった。LibreOffice writerで作成した文章は1ページ16行になっておらずばらばら、Google ドキュメントで作成された文書ファイルは1ページの行数は16行ぴったりに固定した。
LibreOffice writerで作成した文章の1行1行(25文字)を、Google ドキュメントで作成された文書ファイルに貼り付けていく。
設題Noとその下の空白を除けば64−2で62回コピペ(62行分)コピペすることになるはずだ
この記事ではウルトラジャンプで連載されているギャグ漫画「こんづくし」を紹介する。構成も作画も非常に質が高く、そのクオリティが月刊連載で維持されていることに毎月驚かされる。漫画アプリで読めるのでぜひ読んでみてほしい。もっというと単行本を買ってほしい。たくさんのファンが単行本を買うと連載がもっと長く続くかもしれない。
https://manga.nicovideo.jp/comic/72728
説明するよりまずは1話を読んでみてほしい。読んだ前提で話を進める。
人間に化けた狐たちが過ごす学校で、狐のふりをした人間がうまく立ち回っていく話だ。
主人公は人間に化けている狐のふりをした人間であり、2回ひねりがある点がユニークである。1話目はよく設計されているが、それでも初見では難解である。ただ森長あやみ先生の前々作、前作を読んでいる読者にとってはすんなり理解出来ただろう。実は森長あやみ先生の前々作「ぶんぶくたぬきのティーパーティ」及び前作「ぶんぶくティーポット+」をひとひねりしたコンセプトになっている。前々作、前作のストーリーは明快だ。「人間の学校で、狸や狐たちが人間に化けて生活する」
Webで一部の話は公開されているのでぜひ読んでみてほしい。電子書籍はないので紙で買う必要がある。
https://laza.mandarake.co.jp/comic004/
https://laza.mandarake.co.jp/BTP_plus/list.html
今作のほうがページあたりの密度が低く抑えられている。前作では1p〜数pで完結した話が構成されていたが、今作ではコマが大きくなり、1話で起承転結が構成されている。より少年漫画のフォーマットに沿っていると言えるだろう。
こんづくしで着目すべきは、前作よりたくさんのページを使った起承転結の構成力である。よく練られている。無駄がない。うまく説明することが難しいが、漫画読みには伝わるはずだ。とても質が高い。私は原作者のエッセイが読みたくなるくらいには感動している。なぜここまでうまく書けるのか、私の解像度が浅いせいでうまく説明できないのがもどかしい。
さて、書きたいことは大体書いたので、ここで終わりとする。単行本が先日出たので買おうな。
多分決定権持ってるのがハズレなんだと思う。
コッテコテのアニメキャラみたいなユニットが必ず1名は出て来るし、毎回ヘブン状態みたいなおさわりミニゲーム出してくるし、チー牛の妄想みたいなキモい要素が多いんだよね。
https://jeffreyfrancesco.org/weblog/2025110501/
Affinityが無料化して脱Adobeできるかみたいな話ね。
なんていうかすごいピントがずれてる感じがしてしまうんだけど。
無料化したからって理由でAdobeから離れられるみたいな思考がそもそもないよねって話で。
もしあるとしたらそういうコスト面じゃなくて機能面での優位性でしかあり得ないです。
つまりAffinityがAdobeのソフトにない革新的で便利な機能を搭載したら、みんな飛びつくと思う。
ただしその場合もその機能使いたいだけであって、Adobeと併用して使うでしょ。
高いよ、確かにAdobeたけえなって思う。プランももっと柔軟性持たせてくれやって思いますよ。
でもさ、他に頑張ってる似た感じのソフトがあるからってそっちに乗り換えられるかっていったらそれは無理よ。
そもそもAdobeの主流のソフトはハブとしての側面がもはや強すぎる。
すごい数の人間が関わってやってるのに、どのフォーマットで揃えますか、データのやり取りどうしますかってのはもうAdobeになっちゃうわけで。
だからまあこの記事書いてる人はフリーランスで個人でやってる方なんだろうなとは思うけども、
それでいってもAffinity無料になったしAdobeやめまーすなんて人プロでやってる以上そういないのでは?
Adobeに腹が立つのはそうやってお前らどうせもうAdobeから離れられないだろ?って足元見られてるとこであって。
職種がイラストレーターの方とかならまだわかるよ。俺はクリスタで描いてるよとかアナログだよとか色々あるし。
でもデザイナー区分でいえばAdobe抜きで仕事やってくって、無理じゃね。
別にAdobe使ってないのはプロじゃないとか、それこそ素人が言いそうなこと言いたいわけじゃないよ。
ソフトそのものとしてはなんでこんなクソなんだよとか思うとこもいっぱいあるし、最高だよって思いながら使ってるわけでもない。
だからAffinityが頑張ってくれて競合してくれるなら応援したい。
あの内容はともかく、カードゲームを名指しで叩いている様子がプレイヤーの琴線にとてもとても触れているらしく、界隈が荒れている
簡単にいえば「ぼくちんの大好きなカードにケチつけるな!悪口言っていいのはボクチンだけなの!」というよくあるヤツだ
まあ正直、カードゲーマーは全員キモオタですから、グズだ無能だ社会不適合者だと言われようが全然構わんのよ
そもそも彼らの生態は(撮り)鉄のそれと酷似していて、身内に極度に甘い代わりに外部からの酷評には直ぐ墓穴撃つからね
恐らく、カード特有のルールの難解さと規則性と創意工夫のしやすさが、オタク心に刺さるのだろう
ポケカ一強時代で何回目かのトレカブームになり、カードゲーマーへの風当たりもまた増えた
昔から臭いとか汚いとか言われていたのは確かだと思うけど、Youtubeとかの台頭がさらに尾ひれというか実態をより暴いた印象
ただ潜伏期間もそれなりだった
撮り鉄のように常時世間の監視下にいるわけではなく、ショップやオンラインでボソボソと活動していた時期が長く、世間から隔絶していたのが逆に仇になっている
古い価値観が面々と続き、プレイヤーもショップも古参の仲良しこよしで成り立っているケースも多々ある
だから初心者への風当たりが驚くほど強く、カード強い人間が一番というオコチャマ思想がマジで多いし、それでずっとトラブルになっている
アニメに感化されてなりきる逸汎人も多い
今は半グレもいっぱい経営しているし、正直カードゲームはよほどのことがない限りは子供が遊ぶべきじゃないと個人的には思う
こういう事言うと
「俺達はプレイヤーであって、界隈の治安とかティーチングとかトラブルの解決とか責任押し付けられる筋合いない」
という人が多いんだ
けど、他のゲームと違って創意工夫が必要でかつ生身の人間との会話が発生しやすい場所において、誰も責任を取らないということ自体がほぼ無理なんだ
そこで発生するトラブルの主要因はゲームを開発した側ではなく、遊んでいる側にある
もちろん初心者ティーチングを素人が行えるかというとそんなことはないんだが、少なくとも入りやすく抜けるのも容易い環境づくりがないと新規は絶対に入らない
なのに彼らは自分達の居場所に固執するあまり、そういう場の雰囲気の悪さを一切理解していない
だから、例のNOTEのように時代錯誤で小学生レベルのチンポ脳そのままで生きているんだよ
教えたがりオジが湧いてとんでもないことになっている
カードゲーマーはテキストは読めるけど日本語はできないというのは真実だ
じゃあカードゲーマーがなんでそこまでおかしくなるのかというと、単純に年数長い人が多いから
これらが他のコンテンツと少し違うのは、長年供給があり、そこそこ値が張るからだ
昔はまあまあ安かったとはいえ、数が月に一度大きなセットが来るし、中古市場の乱高下もあってカードゲームは割と長期的・継続的に金がいる
逆にいえば、そこそこの金額を出し続けられれば長くいることができる
普通のデジタルゲームと違ってカード自体はそのまま遊び続けられるケースが多いんだよ
何処とは言わないけどFFとコラボした所なんて、平均年齢狂ってる
新規が来る要因がもはやアニメに頼れなくなったせいで、いまはどこも新陳代謝が滞ってる
さらに同じゲーム内でもフォーマットの違いやアーキタイプ事に差別感情剥き出しで話すことも多い、かなり殺伐とした界隈だからね
対人戦やってるはずなのに奴らのコミュニケーション能力は恐ろしく低い
根っこがガキなんだから
あと、カードは他のゲームや趣味に比べ、強いカードは高いという単純な世界でもある
そして高いといっても車やワインなどの世界より遥かに安く維持管理が簡単で場所を取らない
良いデッキはそれなりの金額を使い、それを使いこなせればマウントを取れるのが、カードゲームの古くからある普遍的な理屈だ
もちろんそうでない例は多数あっても、安いデッキが強いことはそうそうない
車や格ゲーの世界と比べ、金銭の多寡が強さに直結しやすいため、おっさんほどマウント取りに走りやすい世界だ
数値として明白だし
一方で将棋やポーカーや麻雀など、完全に実力が出やすいものでもなく、スポーツなど若者に有利なものでもない
1日から始まった「ダウンタウンプラス」だがアンチも信者も松本人志ばかり話題にしてて、このサービスの本質が語られてない気がしたのでちょっと書いてみる。
このニュースを知ってる人と知らない人でおそらく感じてること、見てる部分が違うと思うので、まずはこのニュースを見てほしい。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2025/08/24/articles/20250824s00041000074000c.html
明石家さんまが今年の8月にラジオで語った話だが最後の方に書かれてる文を引用する
吉本興業は18日にはコンテンツファンドの組成を行ったと発表し、今後発表するコンテンツについても「明石家さんま、ダウンタウンをはじめ、中川家、千鳥、かまいたち、マヂカルラブリー、チョコレートプラネット、渡辺直美、霜降り明星や、今後活躍が期待できる若手を含む弊社所属タレントがプロデュース・出演するコンテンツのほか、スポーツ選手のドキュメンタリーやオーディション番組などの制作を予定しており、海外へのフォーマット販売も視野に入れながら、順次拡大してまいります」と発表した。
この部分からも分かる通り、まずは吉本の顔であるダウンタウンから始めて、今後は他のタレントのチャンネルを順次増やしていく。その後コンテンツのフォーマットを海外に販売していくつもりらしい。つまり吉本のサービスの中に「さんまプラス」「千鳥プラス」みたいなチャンネルを増やしていくということ。自社タレントを核にした独自の配信事業(プラットフォーム)が今後増える可能性がある。
なので松本が成功か失敗かというより、吉本的にはすでにアプリをリリースして会員から集金出来てる時点でもう第一段階は終わってる。今は今後のためのノウハウを蓄積してる状況で、ダウンタウンくらい余裕のあるタレントで時間を掛けてデータ収集・雛形作りをしてる状態だろう。
で、何が言いたいかというと、松本は「テレビと喧嘩するつもりはない」と言ってたみたいだが、どう考えてもテレビ業界への三行半というか、沈みゆく泥舟ともいえる既存のテレビ業界からの脱出と見える。今もテレビに出演中の浜田コンテンツを様子見してるのも、多分そのためだろう。なるべく喧嘩しないでゆるっとフェードアウトするみたいな。
テレビで復帰するため〜とか言ってる連中は本当になんも分かってないと思うよ。
このプラットフォーム(商売のやり方)は今後の芸能界のあり方も変える大きな影響力を持つ、ゲームチェンジャーになりうる出来事だと思う。知らんけど。
うちの部のプロジェクトも、もう何十本目かの製品立ち上げになるけど、最初のドラフトレビューが完全に形骸化してる。
資料を配って”仮”と書いて、「アップデート予定」と注釈してるけど、結局次の定例で同じスライドを開いてる。
正直、PowerPointのデザインテンプレートを変えるほうが時間かかってるんじゃないかって思う。
たとえば今進めてる製品。
IoTセンサー搭載の新しい制御モジュールで、BLEとWi-Fiをデュアルにして、エッジ側で軽量な推論モデルを動かす構成――ってだけで、みんなの頭の中ではもう「いつものやつ」になってる。
「ファームは前回の焼き直しでしょ?」
って感じ。
実際、レビュー中も「MCUはESP32ですか?」「いや、今回はnRFです」「あ、そうなんだ」で終わり。
質疑もない。そのくせリスク管理表とかテストスケジュール案は律義にフォーマット通り出さなきゃいけない。
内容なんて空欄だらけなのに。
若手が頑張って図を入れてきても、「このフローチャートは確定じゃないんだよね?」で一蹴。
いや、だからドラフトなんですけど…っていう言葉が会議室に萎んで響く。
どうせ本決定は部長判断。どうせコストは経理次第。どうせ顧客要求はまた変わる。
進んでる感を演出するため?
気づけば、意味があるのは中身じゃなくて手順だけ。
議事録は残って、フォルダ名は「2025Q4_製品A_ドラフト」になって、
終わった後に誰も開かないPDFが増えていく。
サーバーの中は、未完の「仮」だらけ。
はてブで上田麗奈凄いとあったのでチェンソー見る気になり、同じIMAXで鬼滅もついでに見た
原作既読、アニメは2期途中脱落、原作知ってれば大丈夫だろうと判断
和風建築立体物をビャーっと移動してはバトル、を2時間半ずっと繰り返すだけだった
全部をセリフで説明してて、絵も強調しておきたいとこをじっくり強調して見せてて、複雑なことは一切なく、平板の極み
が、よく考えるとストーリー知ってて新鮮味のないバトルだけで2時間半を特に引っかからず見れてしまった時点で凄かった
自分は途中で引っかかると直ぐ視聴を止めてしまうし、映画館でも見始めて1分で引いてしまったりするんで、
説明台詞ばっかバトルばっかの絵をずっと違和感なく見ていられたの変じゃね? と後からびっくりした
よくある作画凄いアニメのスゴイ飛び道具もあんまなかった気がするし、それだけ絵で保たせきったということなんだなと
こちらは原作未読なのでTVアニメ(総集編じゃない通常版)を予習して見た
自分の知る上田麗奈の最悪蠱惑キャラは「陰の実力者になりたくて!」2期後半に出てた脇役
1期2期の二桁いるヒロインたち(ピンで客を引っ張れる声優ばっか)を全員一掃する攻撃力で「こいつラスボスだろ」と思ったのに違った
あのストーリー組み立てすらぶっ壊す破壊力を、映画館の音響で聴けるのかと期待してた
おそらく
1は、声優さんが演技全開するのは作画ヘタれて声で全部を表現しなきゃいけないときで(たとえば最高の故田中敦子が見れるのは「 Cutie Honey Universe 」)、上田麗奈が高めの攻撃力でやりすぎるとアカン、というのは判る
じゃあ、なぜ上田麗奈なのか
いや上田麗奈でしっかりハマってましたけども、そこは普通に上手いからね
ファイアパンチ途中までは覚えてるが最後どうなったか忘れた。その他はネットで無料で見れるときは見る程度
基本的に漫画がヘタで、技術的にヘタなのと本人の熱量というか過剰さがあるのと、
読者が漫画を読むの下手で過剰に押し込まれないと読めないのと、
読者が実写ぽさ(デフォルメじゃないという程度の意味)に寄せると絵が上手いと思ってくれるのとの合成で、藤本タツキ漫画が成立してる(最近は知らない)
ジャンプは子供向けだと凄く子供向けに振る(スパイファミリーとか)し、女子向けだとすごく女子向けにするし(呪術とか)、たぶんアンケートで高齢女性ファン層向けと判断してオサレにOK出したんだろうし、ED曲が毎回違うとか監督独断で決めれるわけもないので、オサレで行くって関係者皆で決めたんだろうけど、呪術じゃないんだから
TVシリーズの最後のバトルで敵を一刀両断してたけど斬鉄剣みたいのだとチェンソーの意味ない
原作どうか知らんが肌に食い込み肉を引き裂き血と肉片をそこらじゅうに撒き散らすチェンソーだから藤本主人公
斬鉄剣やりたかったら主人公を日本刀マンにリデザインすべきで、そこは「オフビートな演出で統一したかったんじゃね」で済む話ではない
漫画でもたぶん自粛ありそうだが血や肉片を散らかしまくると規制に引っ掛かりまくりそう
映画でチェンソーでぶった切りまくりのキメ絵を漫画に寄せてたのもガチ肉片とガチ血しぶきを避ける都合かな
デビルマンフォロワーであるチェンソーマンでこの技法を使ったのは意図的じゃないかな
真似される技法を開拓し映画チェンソーマンに繋いだ実写デビルマンをネット民はいつまでネタ扱いし続けるのだろう
藤本タツキぽさは過剰さがあって成立するわけで、ルックバックの二人に炎尾燃が割り込む同人表紙はそういう過剰さを足したいという批評だろう
「炎の転校生」の頃から熱血を距離を置いて観察しつつ否定せずの島本ならでは
オサレでは足りないのだ
藤本タツキぽい過剰さはあんまないというか、しっかり情報整理しまくって綺麗に腑分けしてる
オサレではなくなり、よく練りこまれたウェルメイドに落ち着いた感じ
藤本タツキは映画好き。その映画好き成分を漫画に上手く変換できてるわけではない
映画を漫画にしきれない原形とどめた形でひり出しちゃった漫画原作を劇場映画の形にする奇形の入れ子状態
実写映画やアニメーション映画の既存の形式よりかTVアニメの形式に寄ってる感じがある
詰め込んでるのもあって短いカットばかりだし映画でございみたいな構図で絵を作るみたいのもあんま押し出してこない
しかしそこに原作の「映画のまねごと」という要素をうまく取り込んで映画ショットぽいのを取り込んでる
あくまで「ぽい」であり映画ショットそのものではないが映画ショットのよう、ややこしいことやってる
完全に日本のTVアニメのOPのフォーマットであり映画の文法では全くないのだが
「作品要素をOPで説明しきる」という伝統が培ってきた技法をフル活用して、
TVアニメ最終話の直後という時系列説明と同時にデンジが手放したくないと思ってる現在の生活を説明し
マキマの存在感とキャラクター説明をこなしつつ終盤に繋げる伏線を描き
ちょい出の脇キャラ顔みせしつつ悪魔の存在と主人公たちの悪魔退治業務を説明し
デンジがチェンソーマンに変身するのとデンジが変顔しまくりのバカキャラなのを説明し、と
OPアニメを最初から全部読み取るのは無理だと思うが、TVアニメを見ずに映画だけ見に来た層が話についていける情報を網羅しきっている
メタで本作について言われそうなのを先回りしてて、けなす方向でも褒める方向でもSNSのお手軽一言で終わらせねーぞという粘っこさがすごい
レゼ編全体の絵図面を最初から描いてるらしきマキマが映画見て感想言うことで「映画ぽさを装う映画」という形式の上にさらに被せてくる
チェンソーマンはいかにも映画でございを装いつつもTVアニメフォーマットを駆使する
鬼滅は世間様の言うような映画ぽさをはなから捨て去って絵ぢからで映画にしてる
なんだこいつら
ジゴロじゃなくてホストクラブのホストで鎖つながれたままでした、という
レゼの気分的には「俺たちに明日はない」で、中盤で逃げようって言ってる時点で気分的には逃避行が始まってて
デンジと最後二人が哀しきしあわせエッチってことはモブ殺し屋さん絞めてるの無理やりエッチのメタファだろうし
売春なのか他のシチュなのかは不明だが行為のあいだずっと意識を逸らして歌ってるのとか判りやすすぎる
薬屋の猫猫も左腕のは薬や毒の実験としてるけど露骨にためらい傷のメタファだし
服毒したがるとか自傷で自己の肉体の存在確認してんだろうな、だし
推理しまくるくせに認識したくないことに気づきそうになると意識飛んで思考キャンセルするし
猫猫やレゼに自己投影する女性が多い時代って、あんまし……いや
パワーが二人の思い出の喫茶店に来襲とか、うわ
ファムファタールじゃなくていいよ
「ばくおん!」の頃にもどって
頭空っぽ天然でいて
フォーマットとしてTVアニメシリーズの形式性に強く規定された上で巷間での映画らしさみたいのを侵食してく
すごい時代すね
推し活する女は男同士の人間関係を眺めたいから男の集団に群がり、低身長だけのグループやソロなんて一強時代のジャニーズですらいないのを皆認識してる中
「女は男の顔しか見ない!男は身長より顔!ソースはジャニ!」を延々連呼する
ジャニのグループの構成員もソロで活動して結果出せるのは人権身長のみ
低身長の山田涼介は何度ドラマや映画で主演させても誰も見ないしな
117 名無しさん@恐縮です 2025/10/26(日) 20:09:17.80 ID:SIl8yHlA0
123 名無しさん@恐縮です 2025/10/26(日) 20:18:45.17 ID:4SM17sgX0
よくわからんけど
若い男がわんさか出てると
とりあえずなんでも食いつく女が消費需要に存在するとわかっただけじゃね
全くカッコよくないチェッカーズが並んでるだけでも女は食いついた
もちろんそれが一番の理由だ
あとは真人間なら耐えられないその道化をしたままでパフォーマンスを維持できるか
そっから先は実力だった
130 名無しさん@恐縮です 2025/10/26(日) 20:27:59.87 ID:4SM17sgX0
その後のジャニ系はわんさか若い男を出すフォーマットだけ利用して
顔はチェッカーズよりほんの少しだけよくして組み立てた
実力でやってたのはチェッカーズだけ