はてなキーワード: 阿弥陀仏とは
「ナムアミダブツ」とは「阿弥陀仏に帰依します(信じ寄りすがります)」という意味だ。
なぜ信者は彼に帰依したがるかと言うと、金ピカボディに生まれ変わって必ず涅槃に至れる土地の地主が彼で、信者なら基本的に誰でも入居可能だからだ。
なのでもし彼がサービス提供を止めてしまえば当然彼に帰依する理由はなくなる。
しかし彼はインドの訳の分からんオッサンという泥から生まれた架空のキャラなので自我はなく、サービスは永遠に存在する。
一方で推し活は生身の人間、あるいはまだ続編の余地があるコンテンツに対しての信仰なので、自分の意にそぐわない考えに傾倒する可能性がいくらでもある。
必ず「最近こいつ信仰の価値無くね?」という気持ちがいつもどこかにあり安心して信じられない。
例えば阿弥陀仏が「やっぱ人間は愚かなので全員地獄に落とすね」とか言ってきたら絶対イヤだし、後で撤回してもそれ言った時点で自力で涅槃に至る釈迦ルートを選ぶよね。少なくとも同じ地獄に落ちるにしてもコイツには落とされたくはないと思う。
しかし現実には推しの変化への理解を脳が拒否し「確かに人類は滅ぶべき!アミダ様は正しかったんや!」と説得されてしまい、ゆでガエルになるまで推し続ける。
https://www.shinrankai.or.jp/b/gendai/20181101oujyouwoshinjite.htm
「往生をば遂ぐるなりと信じて」とあるから、死んだら極楽へ往けると信じることだと思うだろう。だがそれは誤りである。
なぜなら、信じる人には、必ず疑いがあるからだ。例えば「父は男だと信じている」という子供はいない。一緒に風呂に入って知っているからだ。火傷をした人が、「火は熱いと信じている」とも言わない。熱いとハッキリしているからである。
確かに世間では、信じる人は、疑っていないというのが常識だろう。しかし、疑う余地がないことは「信じる」とは言わないで、「知っている」という。信じる人には、実は疑心があるからである。
すべての人が死ぬことは間違いないが、死んだらどうなるかは、弥陀に救われるまで分からない。だから浄土へ往けるのだろうなと疑いを抑えつけて信じるしかないのだ。しかし、弥陀の誓願に助けて頂いたその時、浄土へ往生できるとハッキリするのだ。
この弥陀の誓願を親鸞聖人は、船に例えて「大悲の願船」といわれる。この船は浄土へ往っている船だから、乗せられると同時に、往生できるとハッキリするのである。これを親鸞聖人は「信知」とも「明知」ともいわれている。
本願に微塵の疑いもなくなるのが弥陀の救いだから、往生できると疑わないようにいくら信じても助からないのである。聖人の「往生をば遂ぐるなりと信じて」はツユチリの疑いなくハッキリしたことだから、現代語でいえば「往生できると明らかになり」なのである。
阿弥陀仏の本願に救われた世界ばかり書かれている『歎異抄』は、大悲の願船に乗らなければ分からないから、世間の常識では絶対に読めない。
ひねくれた見方をしますと「故人の冥福を祈ります」ということは「死後の暗闇の世界で迷っているあなたが、幸せになれますように」という意味になります。
浄土真宗では阿弥陀仏より「必ず救うぞ」「浄土に生まれさせてさとりを得させるぞ」という呼びかけがあり、それに順ってお念仏を称えます。
そのような方に向かって「あなたが暗闇の世界に生まれてしまったかもしれない」と心配して祈ることはかえって失礼にあたるのではないでしょうか。
故人の死後の幸福を祈るということは追善供養ということになります。
簡単に説明すると、善い行いをして功徳を積み、それを故人へと回向して(分け与えて)救うということです。
浄土真宗では煩悩まみれの私たちにそれは不可能であると考えます。
また、親鸞聖人は『正信念仏偈』の中で阿弥陀仏の徳を「無礙光」(何ものにもさえぎられることのない光)と讃えられています。
浄土真宗と真言宗は、いずれも日本の仏教の一派ですが、その教義、修行方法、歴史的背景などに多くの違いがあります。
浄土真宗は阿弥陀仏の慈悲に頼る他力本願の信仰を基盤とし、念仏を唱えることを中心とするシンプルな教えです。一方、真言宗は大日如来を中心とする密教の教えに基づき、複雑な儀式や修行を行い、即身成仏を目指します。これらの違いは、各宗派の修行方法や信仰の実践、歴史的背景に反映されています。
阿弥陀仏「走る~走る~俺たち~」
それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終、
まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり。さればいまだ万歳(まんざい)の人身(にんじん)をうけたりといふことをきかず、
一生過ぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体(ぎょうたい)をたもつべきや。
われや先、人や先、今日ともしらず、明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすゑの露よりもしげしといへり。
されば朝(あした)は紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となる身なり。
すでに無常の風きたぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちに閉ち、ひとつの息ながくたえぬれば、
紅顔(こうがん)むなしく変じて桃李のよそほひを失ひぬるときは六親眷属(ろくしんけんぞく)あつまりてなげきかなしめども、
さらにその甲斐あるべからず。さしてもあるべきことならねばとて、
野外におくりて夜半(よわ)の煙(けぶり)となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あはれといふもなかなかおろなり。
嫌々信者のひとりです。
先に回答されている方のおっしゃるとおり、30年ほど前に出来た新興宗教です。
開祖はサイコロ占いで訴訟を起こされた福井真尚(久世太郎)という人物です。
この教団の一番の特徴は金がかかることとその選民思想。
済度(いわゆる入会儀式)を受けるときで40万近くかかります。
その後は、会員代が月2000円、布施の月が年2回で1回最低1万円。
ですが、これはあくまで建前です。
数年で家一軒分くらい支払わされているところもありますよ。
万札以外は金じゃないと言わんばかりの対応です。
あと選民思想ですが、この教団との縁に会った人間しか救われないとしています(一応本尊が阿弥陀仏のくせに)。
他宗派の開祖(最澄やら日蓮)を持ち出してきて、実はこの人たちもこれを信じてたんだ、その証拠に云々と言った話をしょっちゅうしています。
まあ、今は自分のとこにしか本物はないと言ってるので他宗派を否定しているも同然なんですが。
ただ、東本願寺の大谷派を目の敵にしているようです(2chなんかで否定的なレスには大谷派の坊主が妬んで云々書き込まれます)。
ID:QL5MArTi(1/4)
0101 名無し@チャチャチャ 2016/08/13 14:20:42
ターゲットは金持ちばかりです(彼氏さんの所も自営業ではないですか?)。
勧誘方法がえげつなく、京都に行けば言い話が聞けるからとか仏教の真髄が聞けるとか言って直前まで名前は名乗りません。
一応その面接に受からないと京都で済度を受けれないことになっていますが、早い話洗脳しやすい人間か、肩書、家族構成等を見ているだけと考えていいと思います(最近はノルマが厳しいのか誰でもいいとなりつつあるようです)。
これは次の済度ターゲットを確認する意味あいも有ると思います。
あと取引先からや上司(社長)が勧誘してきてなかなか断れないというパターンも多いようです。
日程は2泊3日。
内容は仏教についてとやらの話(ようは自分とこの教団がいかに正当かを語る)と夜にかけて行われる儀式です。
関係者の手前抜けるわけにもいきませんから、かなりきついですよ。
仏になった証として「太陽が直視できる」「空中に仏が見える」「遺体が金色になる、腐らない」等が言われます。
実際に「太陽直視」と「空中の仏」は儀式の次の日に実践させられます。
「太陽直視」はお勧めしませんが、「空中の仏」は晴れた日の青空をポーっとみてると光の粒がたくさん動いているのが見えます(どこが仏?と言いたくなりますが)。
ID:QL5MArTi(2/4)
0102 名無し@チャチャチャ 2016/08/13 14:21:13
それと儀式のことは家族であっても他言無用、話せば救われなくなると言っています。
夜の時間帯に狭い部屋で行われるだけでも普通は不安になるものなのに、更にですからね。
意志が強い私でさえも妙な不安感に襲われましたから、意志の弱い人間なら間違いなくやられるでしょうね。
詳しいことはwikiや2chで「念仏宗」か「無量寿寺」で検索されるといいと思います。
http://jbbs.livedoor.jp/study/9581/#1
本ですと関西に蠢く懲りない面々(講談社α文庫)が詳しいかと思います。
よほど都合が悪いのかネットは嘘ばかりなので見るなと言われます。
ID:QL5MArTi(3/4)
0103 名無し@チャチャチャ 2016/08/13 14:21:41
彼氏さんも大学生なら金銭的にもまだ自立は厳しいでしょうし、相当ストレスを感じていらっしゃるでしょうね。
お二人ともまだ若いようですし、先のことはわかりませんが、この教団とは関わりにならないことを勧めます。
表向きはダライラマをはじめとした海外の仏教関係者を持ち出したり、本山完成で新聞広告を大々的に宣伝したりと、一見華やかですが、その影では数十万単位の寄進をさせられたりとかなり泣かされている人がいます。
入れあげている本人だけなら勝手にどうぞと言いますが、そのご家族や社員のことを考えると胸が痛みます。
それと確たる証拠はありませんが、どうも後ろ暗い面々とのかかわりも噂されてますし、近づかない方が無難かと思います。
追加:信者は念仏宗に関わることでなければ、普通の人、感じが良い人は結構多いと思います。
嫌々信者のひとりです。
先に回答されている方のおっしゃるとおり、30年ほど前に出来た新興宗教です。
開祖はサイコロ占いで訴訟を起こされた福井真尚(久世太郎)という人物です。
この教団の一番の特徴は金がかかることとその選民思想。
済度(いわゆる入会儀式)を受けるときで40万近くかかります。
その後は、会員代が月2000円、布施の月が年2回で1回最低1万円。
ですが、これはあくまで建前です。
数年で家一軒分くらい支払わされているところもありますよ。
万札以外は金じゃないと言わんばかりの対応です。
あと選民思想ですが、この教団との縁に会った人間しか救われないとしています(一応本尊が阿弥陀仏のくせに)。
他宗派の開祖(最澄やら日蓮)を持ち出してきて、実はこの人たちもこれを信じてたんだ、その証拠に云々と言った話をしょっちゅうしています。
まあ、今は自分のとこにしか本物はないと言ってるので他宗派を否定しているも同然なんですが。
ただ、東本願寺の大谷派を目の敵にしているようです(2chなんかで否定的なレスには大谷派の坊主が妬んで云々書き込まれます)。
ID:QL5MArTi(1/4)
0101 名無し@チャチャチャ 2016/08/13 14:20:42
ターゲットは金持ちばかりです(彼氏さんの所も自営業ではないですか?)。
勧誘方法がえげつなく、京都に行けば言い話が聞けるからとか仏教の真髄が聞けるとか言って直前まで名前は名乗りません。
一応その面接に受からないと京都で済度を受けれないことになっていますが、早い話洗脳しやすい人間か、肩書、家族構成等を見ているだけと考えていいと思います(最近はノルマが厳しいのか誰でもいいとなりつつあるようです)。
これは次の済度ターゲットを確認する意味あいも有ると思います。
あと取引先からや上司(社長)が勧誘してきてなかなか断れないというパターンも多いようです。
日程は2泊3日。
内容は仏教についてとやらの話(ようは自分とこの教団がいかに正当かを語る)と夜にかけて行われる儀式です。
関係者の手前抜けるわけにもいきませんから、かなりきついですよ。
仏になった証として「太陽が直視できる」「空中に仏が見える」「遺体が金色になる、腐らない」等が言われます。
実際に「太陽直視」と「空中の仏」は儀式の次の日に実践させられます。
「太陽直視」はお勧めしませんが、「空中の仏」は晴れた日の青空をポーっとみてると光の粒がたくさん動いているのが見えます(どこが仏?と言いたくなりますが)。
ID:QL5MArTi(2/4)
0102 名無し@チャチャチャ 2016/08/13 14:21:13
それと儀式のことは家族であっても他言無用、話せば救われなくなると言っています。
夜の時間帯に狭い部屋で行われるだけでも普通は不安になるものなのに、更にですからね。
意志が強い私でさえも妙な不安感に襲われましたから、意志の弱い人間なら間違いなくやられるでしょうね。
詳しいことはwikiや2chで「念仏宗」か「無量寿寺」で検索されるといいと思います。
http://jbbs.livedoor.jp/study/9581/#1
本ですと関西に蠢く懲りない面々(講談社α文庫)が詳しいかと思います。
よほど都合が悪いのかネットは嘘ばかりなので見るなと言われます。
ID:QL5MArTi(3/4)
0103 名無し@チャチャチャ 2016/08/13 14:21:41
彼氏さんも大学生なら金銭的にもまだ自立は厳しいでしょうし、相当ストレスを感じていらっしゃるでしょうね。
お二人ともまだ若いようですし、先のことはわかりませんが、この教団とは関わりにならないことを勧めます。
表向きはダライラマをはじめとした海外の仏教関係者を持ち出したり、本山完成で新聞広告を大々的に宣伝したりと、一見華やかですが、その影では数十万単位の寄進をさせられたりとかなり泣かされている人がいます。
入れあげている本人だけなら勝手にどうぞと言いますが、そのご家族や社員のことを考えると胸が痛みます。
それと確たる証拠はありませんが、どうも後ろ暗い面々とのかかわりも噂されてますし、近づかない方が無難かと思います。
追加:信者は念仏宗に関わることでなければ、普通の人、感じが良い人は結構多いと思います。
極楽まで届かないらしい。
念仏が。
最近は人工知能の発達でその辺のフィルタリングを大分しっかりされるようになったっておっしゃってたけど、
それでも煩悩に苦しんでる人間たちは後で良いから、その分動植物の救済しなきゃって思って動かれてるんだって。
だからね、やっぱり私達非サンスクリット語圏の外国人は私達の言葉で帰依を求めなければ、救って頂けないわけよ。
そこで私は、
を唱えることを提唱する。
南無阿弥陀仏ではなく、ね。
「〜っス」という語尾も使いながら後輩感をアピールし、仏と大先生という二重敬称で更に気をよくさせる。
これ阿弥陀に提案したのよ。どっすかって。そしたら、「恥ずかしさと無力さでいっぱいになった」って苦笑いしてた。
「南無阿弥陀仏みたいな呪文も全部拾って救うのが本来の阿弥陀仏としての存在ってとこあるじゃん?俺」
だって。
さすが阿弥陀仏ともなると言うことが違うと関心したね。
やっぱり私も死んでも付いてきたいと思ったね。
天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経(法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる[1]。天台教学は中国に発祥し、入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられた。
目次 [非表示]
1.2 四宗兼学
1.3 止観行
1.4 所依
1.5.1.1 総本山
1.5.1.2 門跡寺院
1.5.1.3 大本山
1.5.1.4 別格本山
1.5.1.5 その他の寺院
1.5.2 天台寺門宗
1.5.3 天台真盛宗
1.6 その他天台系宗派
1.7 教育機関
1.7.1 大学
1.7.3 養成機関
4 社会運動
5 脚注・出典
6 関連項目
7 外部リンク
正式名称は天台法華円宗。法華円宗、天台法華宗、あるいは、単に法華宗などとも称する。但し、最後の呼び名は日蓮教学の法華宗と混乱を招く場合があるために用いないことが多い。
初め、律宗と天台宗兼学の僧鑑真和上が来日して天台宗関連の典籍が日本に入った。次いで、伝教大師最澄(767年-822年)が延暦23年(804年)から翌年(805年)にかけて唐に渡って天台山にのぼり、天台教学を受けた。同年、日本に帰国した最澄は天台教学を広め、翌年(806年)1月に天台法華宗として認められたのが日本における天台宗のはじまりである。最澄は特に飲酒に厳しい態度を取っており、飲酒するものは私の弟子ではなく仏弟子でもないからただちに追放するよう述べている。
この時代、すでに日本には法相宗や華厳宗など南都六宗が伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。最澄は日本へ帰国後、比叡山延暦寺に戻り、後年円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)等多くの僧侶を輩出した。最澄はすべての衆生は成仏できるという法華一乗の立場を説き、奈良仏教と論争が起こる。特に法相宗の徳一との三一権実諍論は有名である。また、鑑真和上が招来した小乗戒を授ける戒壇院を独占する奈良仏教に対して、大乗戒壇を設立し、大乗戒(円頓戒)を受戒した者を天台宗の僧侶と認め、菩薩僧として12年間比叡山に籠山して学問・修行を修めるという革新的な最澄の構想は、既得権益となっていた奈良仏教と対立を深めた。当時大乗戒は俗人の戒とされ、僧侶の戒律とは考えられておらず(現在でもスリランカ上座部など南方仏教では大乗戒は戒律として認められていないのは当然であるが)、南都の学僧が反論したことは当時朝廷は奈良仏教に飽きており、法相などの旧仏教の束縛を断ち切り、新しい平安の仏教としての新興仏教を求めていたことが底流にあった。論争の末、最澄の没後に大乗戒壇の勅許が下り、名実ともに天台宗が独立した宗派として確立した。清和天皇の貞観8年(866)7月、円仁に「慈覚」、最澄に「伝教」の大師号が贈られた。宗紋は三諦星。
真言宗の密教を東密と呼ぶのに対し、天台宗の密教は台密と呼ばれる。
当初、中国の天台宗の祖といわれる智顗(天台大師)が、法華経の教義によって仏教全体を体系化した五時八教の教相判釈(略して教判という)を唱えるも、その時代はまだ密教は伝来しておらず、その教判の中には含まれていなかった。したがって中国天台宗は、密教を導入も包含もしていなかった。
しかし日本天台宗の宗祖・最澄(伝教大師)が唐に渡った時代になると、当時最新の仏教である中期密教が中国に伝えられていた。最澄は、まだ雑密しかなかった当時の日本では密教が不備であることを憂い、密教を含めた仏教のすべてを体系化しようと考え、順暁から密教の灌頂を受け持ち帰った。しかし最澄が帰国して一年後に空海(弘法大師)が唐から帰国すると、自身が唐で順暁から学んだ密教は傍系のものだと気づき、空海に礼を尽くして弟子となり密教を学ぼうとするも、次第に両者の仏教観の違いが顕れ決別した。これにより日本の天台教学における完全な密教の編入はいったんストップした。
とはいえ、最澄自身が法華経を基盤とした戒律や禅、念仏、そして密教の融合による総合仏教としての教義確立を目指していたのは紛れもない事実で、円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)などの弟子たちは最澄自身の意志を引き継ぎ密教を学び直して、最澄の悲願である天台教学を中心にした総合仏教の確立に貢献した。したがって天台密教の系譜は、円仁・円珍に始まるのではなく、最澄が源流である。また円珍は、空海の「十住心論」を五つの欠点があると指摘し「天台と真言には優劣はない」と反論もしている。
なお真言密教(東密)と天台密教(台密)の違いは、東密は大日如来を本尊とする教義を展開しているのに対し、台密はあくまで法華一乗の立場を取り、法華経の本尊である久遠実成の釈迦如来としていることである。
四宗兼学[編集]
また上記の事項から、同じ天台宗といっても、智顗が確立した法華経に依る中国の天台宗とは違い、最澄が開いた日本の天台宗は、智顗の説を受け継ぎ法華経を中心としつつも、禅や戒、念仏、密教の要素も含み、したがって延暦寺は四宗兼学の道場とも呼ばれている。井沢元彦はわかりやすい比喩として、密教の単科大学であった金剛峯寺に対して、延暦寺は仏教総合大学であったと解説している。
止観行[編集]
天台宗の修行は法華経の観心に重きをおいた「止観」を重んじる。また、現在の日本の天台宗の修行は朝題目・夕念仏という言葉に集約される。午前中は題目、つまり法華経の読誦を中心とした行法(法華懺法という)を行い、午後は阿弥陀仏を本尊とする行法(例時作法という)を行う。これは後に発展し、「念仏」という新たな仏教の展開の萌芽となった。また、遮那業として、天台密教(台密)などの加持も行い、総合仏教となることによって基盤を固めた。さらに後世には全ての存在に仏性が宿るという天台本覚思想を確立することになる。長く日本の仏教教育の中心であったため、平安末期から鎌倉時代にかけて融通念仏宗・浄土宗・浄土真宗・臨済宗・曹洞宗・日蓮宗などの新しい宗旨を唱える学僧を多く輩出することとなる。
所依[編集]
福王寺(熊本県山都町、宮司兼豪族であった中世阿蘇氏の菩提寺である)
その他天台系宗派[編集]
孝道教団
叡山学院
鎌倉時代の僧侶・一向俊聖(暦仁2年(1239年)? - 弘安10年(1287年)?、以下「一向」と表記)を祖とする宗派。
一向は筑後国草野家の出身で、はじめは浄土宗鎮西派(西山派という異説もある)の僧侶であった。後に各地を遊行回国し、踊り念仏、天道念佛を修し、道場を設けた。近江国番場蓮華寺にて立ち往生して最期を迎えたという。
以後、同寺を本山として東北、関東、尾張、近江に一向の法流と伝える寺院が分布し、教団を形成するようになった。鎌倉時代末期に書かれた『野守鏡』にはこの教団を一向宗と呼んで、後世の浄土真宗とは全く無関係の宗派として存在している事が記録されている。
一向と一遍房智真は同時期の人物であり、ともに遊行や踊り念仏を行儀とする念仏勧進聖であることから、一向の「一向宗」は一遍の「時衆」と混同されるようになっていく。『天狗草子』に記された「一向宗」は、一遍の衆を指したものである(一向俊聖の項を参考)。たしかに一向も一遍と同様に浄土宗の影響を受けて自己の教義を確立させたものであるが、全く別箇に教団を開いたものである。また、一遍と違い一向の教えは踊り念仏を行うとはいえ、念仏そのものに特別な宗教的意義を見出す事は少なかったとされている。ところが時代が降るにつれ、一向の教えが同じ踊り念仏の一遍の教えと混同され、更に親鸞の興した浄土真宗とも混ざり合うという現象が見られるようになる。特に一向の教義が早い段階で流入していた北陸地方ではその傾向が顕著であった。
浄土真宗本願寺八世の蓮如が北陸地方に活動の場を求めた時に、布教の対象としたのはこうした一向や一遍の影響を受けて同じ浄土教の土壌を有した僧侶や信者であり、蓮如はこれを「一向衆」(「一向宗」ではない)と呼んだ。蓮如布教時に、一向宗や時宗が支配層との結びつきを強め、民衆から離れ、一向宗の民衆が蓮如教団になびいた結果、一向宗と呼ばれるにふさわしかったともいわれる[1]。本願寺及び蓮如の北陸における成功の背景にはこうした近似した宗教的価値観を持った「一向衆」の存在が大きいわけであるが、同時に蓮如はこれによって親鸞の教えが歪められてしまう事を恐れた。さらに別の事由から他宗派より「一向宗」と呼称されていたこと(後述)も彼の憂慮を深めた。文明5年(1473年)に蓮如によって書かれた『帖外御文』において「夫一向宗と云、時衆方之名なり、一遍・一向是也。其源とは江州ばんばの道場是則一向宗なり」とし、一向宗が一向の教団でもあることを明記して本願寺の門徒で一向宗の名前を使ったものは破門するとまで書かれているものの、ここでも一遍と一向の宗派が混同されている。
江戸時代に入ると、江戸幕府は本末制度の徹底を図り、系譜を異にするさまざまな念仏勧進聖が、清浄光寺を総本山とする単一宗派「時宗」の管轄下に編成された。この際、一向の流派は独立した宗派とは認められず、「一向宗」の呼称を用いる事も禁じられた。『時宗要略譜』によると、時宗十二派のうち、一向派と天童派が一向の法脈を受け継ぐものとされている。一向派(かつての一向の一向宗)は再三にわたり時宗からの独立を求めたが実らなかった。
明治時代になって、中期に一向派から独立転宗を唱える者が出現し、一向派は浄土宗宗務院に「所轄帰入願」を、時宗教務院に「時宗一向派独立認可願」を提出した。しかし一向派の独立・転宗を認めてしまうと、明治以降衰退著しく、時宗寺院が少ない上に、さらに減少することになるので、時宗当局は、これを認めようとしなかった[2]
大半の寺院が時宗を離れ、一向の母体であった浄土宗に帰属するようになったのは、昭和時代に入った1943年の事であった。
浄土真宗、ことに本願寺教団を指す呼称。教団自身はこの名を自称しなかったので注意が必要である。
「一向」とは「ひたすら」「一筋」という意味であり、「一つに専念すること」を意味している。『仏説無量寿経』に「一向専念無量寿仏」と記されていることから、とくに阿弥陀仏の名号を称えることと解釈され、親鸞を宗祖とする教団(本項では「真宗教団」とする)を他の宗派から指す呼称となった。とくに浄土宗は、親鸞の教団が「浄土真宗」と自称することを嫌い、「一向宗」の称を用いた。
したがって「一向宗」は真宗教団の門徒から見て正しい呼称ではなく、また一向俊聖の「一向宗」と混同される事から望ましい呼び方でもなかった。だが、中世において同じ念仏を唱える浄土教系宗派であった両派が混同され、更に時衆などとも漠然と同一のものとして捉えられるようになっていった。蓮如は前述のように「他宗派の者が(勘違いして)一向宗と呼ぶのは仕方ないが、我々浄土真宗の門徒が一向宗を自称してはいけない」という主旨の発言をして違反者を破門するとまで述べているが、逆に言えばこれは、真宗教団の門徒ですら「一向宗」を自称する者がいた事を意味する。
こうした指導により教団内部では「一向宗」の語は正式に使われることはなくなり、「浄土真宗」または「真宗」と称するようになった。しかし、門徒たちを中心とする一揆が「一向一揆」と呼ばれるなど、真宗教団のことを教団外から「一向宗」と呼ぶ風潮は収まる事はなかった。
江戸幕府は、真宗教団を指す名称として「一向宗」を公式に用い続けた。この経緯としては、徳川家康が三河一向一揆により家中統制で苦しめられたこと、徳川将軍家が(真宗教団が「浄土真宗」を称することを望まない)浄土宗を信仰していることが挙げられる。これに対して、真宗教団側は本願寺の分裂などの影響があり、長らく具体的な対応が取られることがなかった。
これびっくりするくらい気味が悪いんだけど
鍵かけない人間って返信や引用自由にしている前提ってことを理解してないってことで、
相手も返信や引用してほしくないなら鍵かけたらいいっていうことをわかってない人間で、
それで通じ合えるってことだよね?
何言ってるのか分からんなこれじゃ、
つまり部外者に返信してほしくなかったら鍵かければいいじゃんっていう鍵の使い方を理解してないから
イチイチ頭にFF外から失礼します、みたいな前置きが必要になってるってことだよね?
単純に自分の作っている前提を理解してない、理解不足だからこんなの必要になってるんだけど、
こいつら1人や2人じゃなくて一定数いてそれがマナーですみたいな顔を全員したり顔でしてて、
本当に頭悪いのか仕様書を読めないタイプの人間なのかなと思うんだけど、
毎年毎年、要らないっつってる糞の役にも立たない安物のサラダ油をお歳暮として押し付けてきてるような、そんな感覚。
ツイッターがキチガイ用ツールになったのもこの言葉が流行りだしてからのような気がする。
どっかの同好会で初対面の人に「初対面で失礼します!」とかいって切り出してるやつ、どっからどうみてもキチガイである。
その言葉を述べるくらいならまず自己紹介から始めたらいいというのに。
自分たちが作り上げた無駄という財産にめちゃくちゃ固執している姿にはカルト教団の信者の姿ですらある。
こんな人間が説明書も読まずにサポートセンターに電話かけてくるんだからお兄さんおねえさん方は大変だなって思いました。
なんか日本のへんな感じで残ってしまっている儒教文化が悪さをしているのかな?
完全に無駄な礼儀というか物事の本質をみたらむしろ余計でしかない文化を平気で若い世代が量産しちゃうって
かなり文化的損失に値するんだけどこういうのを平気で許してマナーがいい!とか礼儀正しい!とかで広めちゃうのは本当にまずいと思う。
これがリアルでやってたとしたら若者あるあるの若気の至りで済むんだけど下手にインターネット上で広まったもんだから
若気の至りが市民権を得てしまって完全に一人歩きし始めている状態。
黒歴史に足が生えて民宿のノートみたいに歩くたびに馬鹿からのカキコがあるみたいな状態。
目上の人にご苦労様問題とかも、そもそも目上を労うのは失礼だったのに会社内の挨拶を共用で「お疲れ様です」にしたもんだから
お疲れ様ですはいいけどご苦労様は上から目線だ!みたいな意味不明論調になってしまった。
元々はどっちも完全に失礼なんだけどな。
そもそも「お勤めご苦労様でした」は会社挨拶にされたお疲れ様です以前から使われていたというのに。
だからといって目上を労っていいわけではないが、まあ、とにかくこいつらに歴史とか過去のデータとか持ち出しても
基本スピリチュアルなものからルール決めをしていってるからそういう捏造儒教センスが一番重要なのだろう。
というかFF外じゃなければ失礼じゃないのかって問題もあるんだけど、
これを使ってるアホたちにとってはとりあえず付けとけって感覚だから思考すらしてなさそうだ。
浄土真宗の開祖である親鸞の思想の根本に、悪人正機説というものがある。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
という言葉でそれは表されているが、この意味が、どうにもわかりにくい。
辞書的には、
他力をたのみとしない善人でさえ往生できる。ましてや、悪業に苦しみ、ひたすら他力をたのむ悪人が往生できないわけがない。
(デジタル大辞泉)
善人の何がいけないのか? 悪人がどうして往生できるのか? ひたすら他力をたのむというのはどういうことなのか?
……などなど。
最近、こういうことだというイメージがつかめたので、ここに紹介したい。
極楽浄土を、ゴールとする。
善人とは、自分の力を信じて、ゴールである極楽浄土へ向かおうとする人々だ。
道を地元の人に尋ね、一生懸命に走ってゴールへと向かう人々をイメージして欲しい。
ところが弥陀の本願は、この世のすべての衆生を救うことである。
涅槃の彼方に究極の慈悲の持ち主がいたとしたら、すべてを救いたいというのがその願いに違いない。
簡単な方法だ。
救われることを信じて、極楽浄土へ生まれ変わることを信じて、ただひたすら「南無阿弥陀仏(阿弥陀如来に帰依します)」と唱えればいい。
「さあ、これにお乗りなさい。之に乗れば、必ず極楽浄土へと連れて行ってあげますよ」
と呼びかけているようなものだ。
これが、親鸞の言う、
ところがこれが、難しい。
ただ楽浄土行きのバスに乗ること、乗り続けることがなぜ難しいのか?
それはなぜか?
ゴールが見えないからだ。先を見通すことがほとんどの人には出来ないのだ。
一寸先は闇ともいう。
バスから降りて、歩いている大勢の人に道を尋ねながら、ゴールと思われる方角へ向かう方が安心できるかもしれない。
それにバスに乗っていると、達成感が湧かない、苦しくない、だから自分で走って向かいたい、という人は案外多いのだ。
このような人々が「善人」と呼ばれる人々だ。
自分の努力で善行を積み、来世でより幸せになろうとする人々だ。
このような努力の結果、もちろん極楽浄土へ到達する人もいるだろう。
これが、
「善人尚もて往生をとぐ」
の意味だ。
しかし往生しない人もいるに違いない。
なぜなら、自分で極楽浄土へ向かおうとする人々の中には、途中で挫折する人々もいるし、道に迷う人々もいるからだ。
彼等は善人であろうとして、最後まで善人であり得なかった人々だ。
自分で歩こうとか、
道をよく知らないくせに道案内を買って出るような人に道を尋ねることは、愚かなことだ。
阿弥陀如来の救済を信じきり、バスに乗り続ける人間は救われる。
これが、
「況や悪人をや」
の意味ではないか。
ところが、悪人が往生するのならば、善行を積む必要はなく、罪を犯してもいいではないか。
このように考え違いをする人々がいる。
だが、それは違う。
もちろん、そのような人々も阿弥陀如来はお救いになる。
ところが、確信犯的に罪を犯す人々は、バスに乗らないどころか、ゴールへ向かおうとすらしない人々だ。
真宗の教えを知りながら悪行を重ねる人々は、言わばバスから降りた人。
彼らが極楽浄土へ向かうことはなかろう。
無論、自分の足でゴールに向かう人々にも劣るのであって、阿弥陀如来だって救いようがない。
生まれてきて、大人になって、暮らしを営んでいることに幸あれと本当に思う。碌でもない出来事が日々石ころのように転がっていて、それを道から除けるか、避けて通るか、人それぞれなんだけど、なんというかその、道があることが愛おしい。僕らはみんな生きている。生きているからすごいんだ。
世を苦行だと捉えるのが一般的な仏教の根本原理だ。聖なき衆生が業のもとに救いなく永久に続く苦行を生きる煩悩の有様を目に見える世界だとする。解脱とはメタ世界への移行でその業の世界からの脱出を意味してそれを神聖視するわけだけど、そもそもの動機は業からの逃避な訳で。ものを食って、うんこしてる身で。要は、苦行してるお坊さん方は、世の中から逃げたくて逃げたくて仕方がなかった。だから糞下流には混じり合わず、己の世界の内でしんどいことをやり続ければ報われる、というのが原始仏教。こいつらくだらねぇな、つきあってられねぇな、なんて、分かりやすいエリート意識。
しかし、苦しい世だからこそ、そこに生きることが尊いのではないか。そこで泥水をすすり、愛欲に溺れ、駆け引きを駆使しながら己と子を護り、肉を喰らって、眠りと朝日を保障する。おい、ねえ、すごくない?俺できないし。というのを愚直に見つめた男がいる。それが親鸞だ。
教義としてのオリジナリティは法然にあるのかもしれないが、親鸞は事実、泥水をすすりセックスをし、酒を飲み肉を喰らいながら、そんな俺が信じてるよ、と阿弥陀の救いを説いた。私が知る、あなたたちをこそ救わずして、何が仏か、と。
ここからは俺の独自の解釈。かつて僧という「形」のために頭を剃った愚行を「愚禿」と表わし、今現に業を一身に背負うこと=菩薩行を積んでいる目の前の人々をこそ、哀れまず慈しまず尊んで、己より行を達した者とし、敢えて同じことをした。世は、かき集めた金をつぎ込んで寺を建て、加持祈祷をさせれば徳=得の時代。そのような儀式、「計らい」は要はショートカットであり邪であるとし、業に直面しながら苦しみ生きることこそ解脱の道であり尊い行いだと、己の身をそこに投じた上で彼は知って、そして説いた。
生きよ、生きよ、生きよ。あなたたちは尊い。何が何でも生きて生き抜く中で、だからこそ届く念がある=救いがある。「南無阿弥陀仏」とは、何者をも超越した阿弥陀仏に帰依いたします、という意味だけど、きっと多分なんでもよくて、怒られるかもだけどアーメンでもきっと全然良かった。念仏なんて要するにお題目でしかない。生きよ、あなたたちは間違っていないと、そのためになんか支えが要るならとりあえず南無阿弥陀仏っていっとけ、それを親鸞は言いたかったのだと俺は思う。
結果いろいろあったんだけどね。親鸞だって所詮エリートだ。パンピーとは頭の出来が違うし、思想の落としどころも多分違う。阿弥陀の前に人は平等まではいいけど、衆を集めて暴力的人権運動が起こせまでは多分思ってなかったろうし。いやまあ、どうなんだろうそこのところはまだ腑に落ちてないんだけれども。
ああ、酔っぱらって書いてるから面倒くさくなってきた。誰か、増田にも真宗の門徒いんだろ。西でも東でもいいや、門外漢のお説に捕捉してくれ。