はてなキーワード: からしとは
出張に来ている。
夜、爪を切るたびに、父のことを思い出す。
今、出張用に使っている爪切りは、末期がんの父を施設へ移した数日後に「これからしばらく通うことになるだろう」と思って買ったものだった。少なくともあと一か月は、父の身の回りの世話をしたいと考えていた。
ところが、その爪切りを買った当日、父は息を引き取った。
購入後、少しお腹がすいたので昼ごはんを食べ、それから施設に向かった。到着すると、父はまだ温かいまま、静かに永遠の眠りについていた。
あのとき、爪切りを買わなければ、昼ごはんを食べなければ、父の最期に立ち会えたのではないか――そんな思いが、4年たった今も胸の奥に残っている。
そこに書かれていたのは、被保護者の整体費用として公金が大量に使われていた事実だった。
1人あたり月約6.5万円、年間80万円。
自分で言うのも何だがある種の使命感を持って仕事をしてきたが、ある日腰を壊して、仕事を続けられなくなった。
一時は半分寝たきり状態で、今はある程度動けるようになったが、長時間の運動や立ち仕事、重い物を持つ事は不可能な体なので、
介護職は退職する羽目になり、飲食店での勤務や日雇いの肉体労働すらまともに就けない。
しかし介護しか経験のないオッサンがデスクワークの就ける筈も無く、書類で落とされ続けて終わり。
障害年金は「日常生活に著しい支障なし」と却下され、貯金は乏しく、ネットでできる小遣い稼ぎ程度の収入しかない。
乏しい貯金やネットで出来る小遣いレベルの仕事の収入が尽きれば生活保護しかない。
そんな中で、腰の治療のために食費を削って月2回の整体に通っている。
本当は週1~2回は通いたいが、これ以上生活費を削る余裕はないので月2回が限界。
これだけでは痛みは取れず、眠れない夜も多く、心身ともに支障をきたし体が悲鳴を上げている。
その矢先に知ったのがColaboの整体補助だった。
夜も徘徊できる、健康な体を持った少女たちに、税金で年間80万円。
ある種の使命感を持って介護の仕事を続けてきた結果が、このザマだ。
俺みたいなオッサンには何もない。
これで理不尽だと、苦しいと、その公金に使い方はどうなの?
と思う事すら、ColaboやColabo支持者ら夢アノンからしたら「女性差別」と一方的に決めつけられ、
差別者とレッテルを貼られる事で、最低限の尊厳すら陵辱される。自分は意図的に差別した事など一切ないのに。
どんなに苦しく惨めでも、男に産まれただけで、何の助けも無く、税金だけ取られては女性にばかり多く配分され、
それに対し不公平だと不満を言う事すら許されないのが、男に産まれてしまった原罪だとでも言いたいのかと思う様になった。
苦しんでる自分達の意見を踏み付け口を塞ぎ、汚名を浴びせて尊厳を陵辱出来る側の、一体何が被害者なのか。
何の助けも無く暗い未来の訪れに震えている自分が一体何を加害したと言うのか。
俺が結果的に体を壊すまで働き、何人も何十人も見送ってきたのは、ここまで断罪される程の犯罪行為、差別行為だったとでも言いたいのか?
全く以て本当にその通り。
私も書かされたことあるけど、短期間(使えるのは実質数時間)で、与えられたなんの面白さもないテーマで仕方なく書いた。
でも正直嫌すぎた。こんなものを会社の名前でネットの海に放流するなんて、読んだ側からしたら会社の評価が下がるだろう。ましてや俺の名前なんて出さないでくれ、とそのラインだけはなんとか守ったが……
マジで無意味にネットの世界を汚しただけなので、やるならせめて予算取って工数を確保して本気でやれ、そうじゃないならやめろと社内アンケートに答えておいた。
ワイは手洗いが嫌で
紙皿と紙コップと割りばしで生きている
余計な洗い物を増やさないために
コーヒーは缶コーヒーしか飲まないし、間食は売ってるものを袋からしか食べないし、昼食は仕出し弁当屋に丸投げ
料理はフライパン一つと菜箸代わりの割りばし1膳で済むものしか作らない
深く介入はしないほうがいいです
単女の団体(友達4人組)とかも男性からしたら声かけにくいと思います。
ミステリアスな雰囲気で会話は男性とだけするべきかと思います。
あ、もちろん男性が来ないときまでは女性と話してもいいと思いますが、
あまりプライベートに踏み込まないのは男女共にタブーかなと思っています。
深く知りすぎても、個人情報なので
入り込みにくいので
男女共に機会を失っているのでもったいないです。
みんな少ない時間を使ってここまできているので、
今日は猥談の気分なのか、今日はハプりたいかも人それぞれですので
そんな私は
記念したい被写体を取り入れたいために時には真逆の方向(カメラが太陽に向ふ)に向ふ場合もあるでせうが、このときは直射日光のレンズに当らないやうに注意をして頂きます。
フリガナがないので「まぎゃく」と読むかはわからないが、意味的には「正反対」の意味で使われていそうだ。
いまのところ「正反対」の意味で使われている最古の用例である。
只逆光線で太陽を前景のカメラをもつている人でシエードした事が、レンズに太陽の直射を避けて雲海にあたつた真逆の光線をうまく捉へる事が出来ました。
写真用語では太陽光の当たり方を「順光線(順光)」「斜光線(斜光)」「逆光線(逆光)」などと分類するが。
逆光をさらに「半逆光線(半逆光)」と「真逆光線(真逆光)」に分けることもあるというわけか。
検索してみるかぎり、用例としては「真逆光」が圧倒的に多いが、「真逆の光線」「光を真逆に受ける」のような例もわずかに見られる。
一気に時代が飛ぶが、こちらは「まぎゃく」とフリガナがあるので間違いない。
ネットで検索できるかぎりでは、いまのところ最も古い「真逆(まぎゃく)」であろう。
ここまでは用例が少ないので、もちろん「真逆(まぎゃく)」が広まっていたとは言えないだろう。
もしかすると、文章にならないような口語・俗語として使われていた可能性はあるが、それはわからない。
さて、1970年代に入ると一人の男が颯爽と登場する。映画評論家の松田政男である。
この人物が「正反対」の意味の「真逆」を広めたと言っても過言ではないのではないか。
コスタ・ガブラスが『Z』にひきつづいてつくった第三作『告白』は、いわば、日本の喪名の永久革命家の理念とは真逆の視点から、革命と反革命の弁証法をとらえようとした政治的茶番劇である。
往年の安部公房のテーゼ"猛獣の心に計算器の手を"とまさに真逆に、ポール・ニューマンは"ハトの心にタカの爪を"と、後行する世代を叱咤しているのである。
自動車から飛行機への発明のベクトルがひたすら上昇の方角にのみ向けられているのとまさに真逆に、グーテンベルグ以降におけるエレクトロニクス・メディアの発達は、ひたすら私たちの<内部世界>の深部に向って下降するベクトルをもっているのではないか。
エンツェンスベルガーは、エレンブルグの「作家ならば、ドゥルティの生涯のものがたりを書いてみようとは、けっして思うまい。それはあまりにも冒険小説そっくりだった」というしたり顔とはまさに真逆に、そういった意味合いでの「物語作者は、自己を否定しなければならない」が故に「集団的フィクションとしての歴史」――正確には「反歴史」を書くべく試みたのだ。
チャップリンが、常に、可哀想なヒロインのために献身するのに対し、キートンはまさに真逆、禁欲的にまで非情に、アクションの共同体を映画のなかへ制度化すべきことを他者に向って要求するのである。
そしてエイゼンシュタインは「人に秀でた人間」として、しかしトロツキーとは真逆に、スターリニスト・レジームへの自己批判を倦むことなくつづけることによって生き延びて行ったのだ。
この点いかに苦悩の色を露わにしつつ純文学を志そうと、できあがった作品が常に一つの社会現象として、つまりはエンターテインメントとして消費されてしまう石原慎太郎と、篠田正浩はまさに真逆であると言っていい。
私たちは「スティング」のあの不愉快なだまされ方とまさに真逆に、龍村らが「キャロル」に仕掛けたさわやかな詐術を愉しんでおけばいいのだから······
レーニン以前に、もとよりレーニン以上に楽観的に「生産者たちの自由で平等な協力関係の基礎のうえに新たに組織する社会は、全国家機関を、そのばあいにしかるべき場所へ移しかえる、すなわち、紡ぎ車や青銅の斧とならべて、考古博物館へ」と断定したエンゲルスの理想とはまさに真逆に、いま紡ぎ車や青銅の斧と共に博物館へ並べられているのは、彼らエンゲルスやレーニンや、その他もろもろの革命の理想である。
この密林の猟師は年齢不詳だがむろん年老いており、したがって初めキャステイングされていた三船敏郎のような精悍さとは真逆の、むしろ志村喬だとか千秋実だとか黒沢一家の長老ふうな中央アジア出身の老優が起用されていて、これがかえって野生の賢者という風格をかもし出してなかなかにいい。
そこへ行くと、日活ポルノ裁判の被告として四年間の沈黙を余儀なくされていた山口清一郎が、初めてATGと提携=製作した新作『北村透谷・わが冬の歌』は、『原子力戦争』とまさに真逆に、開かれた映像空間の造型に、一定程度の成功を収めえている。
高橋明や庄司三郎ら日活独特のポルノ男優たちが、画面のなかでいかにタフに振舞おうとも、私たち観客に対しては常に控え目な存在であるのとまさに真逆に、ここにおけるホストどもは、私たちの目の保養を邪魔立てする文字通りに目ざわりな夾雑物なのだ。
しかし、『25時の舞踏派』『貘をぶっ殺せ』『造花の枯れる季節』と一九七五年に三連作された8ミリ長編劇映画とは真逆に、このうまさは、なぜか上すべりするうまさなのである。
亀和田武は、そこで、私とはまさに真逆に、自らの石井隆論を全面展開しながら辛辣きわまりない反撃を重ねて行くのだが、先述したように、私がヨリ関心を惹かれるのは、個別作家論というよりも、その大前提たるべき情勢論なのだ。
そして、面白いのは、西欧的な父性原理に依拠する『くるみ割り人形』とはまさに真逆に、信州のフォークロアに原型をもつ物語の真相には、東洋的な阿闍世コンプレックスに由来する母性原理が、不十分ながら貫徹していることだろう。
いずれもフリガナは振られていないので、本人は「まさか」の読みで使っていた可能性もあるが、少なくとも意味的には「正反対」で間違いなかろう。
1970年代から1980年代にかけて、この「正反対」の意味の「真逆」用法は、特に映画系のライターのあいだで広まっていったようである。
もっとも地獄絵は、その猥褻さ、はなはだ幽玄的でない表現に寄って、裸や性器の露出がいやらしいこと、不自然なこと、いわば忌み嫌うべきこと、非人間的なことであることを強調しているわけで、これは、古代ギリシャをはじめヨーロッパの絵画や彫像が裸の美を強調し、裸こそ人間の自然の姿だといわんばかりに表現しているのとはちょうど真逆である。
「当然でしょ。”緑の革命“とは、発展途上国にとっては、自立とは真逆の、アメリカへの依存度をより高めさせ、アメリカ政府と、多国籍企業の世界支配システムにより深く組み込まれることでしかなかったのですからね」
松陰は、この狂を愛し、みずから狂夫たろうとしていた。だが、岸信介には、狂はない。むしろ、吉田松陰とは、真逆のように思える。
仮に、このあたりの記述が「まさか」という読みを意図していたとしても、フリガナがないので「まぎゃく」と読む人は多かっただろう。
俺は毎日働いているんだから、せめて土曜くらいはたっぷり休まなきゃなとか頭の中で言い訳。
朝から(あるいは昼から)ネットで動画視聴(海外ドラマ、スポーツ、Youtubeなど)をソファに寝転んで見続けて夕方くらいにようやくメシどうしようかなと考え始める。
ご飯だけ炊いて近所のスーパーに買い出し。だいたいリュウジのレシピとかで気になってたのをやってみたり、それすらダルい日は近所でなんか食ったりする。
料理は一人用の電気鍋とかホットプレートを使ってテーブルの上で調理することが多い。
以前はキッチンでしっかりめに作るのにハマったこともあるが、だいたい量が多すぎて持て余すのでしなくなっていった。
食器類などもキャンプで使うような道具が多くてなぜかテーブル上で完結させるようなセッティングになりつつある。
包丁使えばいいのにわざわざフォールディングナイフとかでちまちまやったりして、そのほうが楽しいから。
最近はスーパーとかでもカット野菜や一人分での材料が書いやすくなったので、そういうのでちょっとだけ料理してる気分になってる。
みりんとか料理酒みたいなものはない。砂糖と塩コショウ、ガーリックパウダー、あとはソースにケチャップマヨネース、そんくらいあればなんかそれっぽくはなる。
最近はひき肉ダイレクトに焼いたなんちゃってハンバーグみたいなのにハマってる。
このなんてことない料理と食事の時間が休みの日で一番充実してる時間だと思う。
外食で一人でメシ食うほうが寂しい気持ちになるので家で食べたほうがいい。
食べる時はできるだけどうでもいいテレビやABEMAのエンタメ番組とか見ながら食べてる。
steamの安くて面白いゲームやったり、エロ動画漁ったりしつつ夜を過ごす。
たまに急に思い立ってPCのソフトについて調べてあれこれやったりしだして、異様な集中力を発揮するときもある。
朝方近くようやく寝ないとなとベッドに潜り込む。昔の色んな思い出が勝手に蘇ってきて浸ったりする。
ここで仕事の事とか親兄弟のことが頭をよぎってしまうと寝れなくなる。この場合は寝るのを諦めてPCに向かって他事で気を紛らわせ、そのまま寝落ちする。
いい時は幸せだった思い出に浸ったり、違う世界線を妄想しながらそのまま眠る。
日曜は泥のように起きて最低限やるべきことだけなんとかこなして、あとはあーもう明日仕事かあ働きたくないなあと憂鬱に過ごす。
たまに思い立って街に出てみたりもするけど、大して使えるお金もないしなんにもすることないなと思って喫茶店だけ寄ってなにもせず帰ったりする。
それでも普段よりは歩き回ったということで満足感はあったりする。
街の中の人々を見ながら、連れ合いがいる人は色んなところに行けていいなあと思う。
海外の映画やドラマで、家の前の庭やウッドデッキに椅子出して座ってビール飲みながらだらだらしてるおっさんのシーンとかよく見るけど、
ああいうのやれたらいいんだけどなと思ったりする。
昔の元カノで一人だけ今でもたまに連絡を取る人がいて、いったいどんな暮らしをしてるのと聞かれたことがある。
元カノは結婚して子供もできて色々ありながらも充実した人生を送っている。
その彼女からしたら俺が休日一人でなにをしてるのか不思議になってしまうらしい。
これはマウントを取られてるのか?と被害妄想にかられつつ、「いやあのんびり過ごしてるよ気楽なもんだよ」と答えている。
昔アパートの一階に住んでる時にベランダに現れた野良猫に餌を上げたら、しょっちゅう顔を出すようになったことがある。
そのうち半野良みたいになって家の中にも入れるようになっていった。
ある時からぱったり来なくなった。毎日ベランダに来てないか外を見ていたがまったく現れなくなった。
どこかで事故にでもあって死んじゃったのか、それとも自分が死ぬことを感じて寄り付かなくなったのか。
最後に一回だけでも顔を出してくれよ、そんなことを思いながら二度とは会えなかった。
人間も、野良猫みたいに死ぬ時は誰にも知られず死ぬのが当たり前、みたいになってたら良かったのになと思う。
昨日録画してたFNS歌謡祭を見た。ほとんど飛ばしながらみたけどASKAが歌ってるとこだけじっくり見た。
この人は色々やばい感じになってたんじゃなかったっけと思いながら、歌声が心に響いて聞き入ってしまった。
歌詞は意味がよくわからない。でもメロディと歌声が素晴らしくてなんていい曲なんだと思った。
晴天を褒めるなら夕暮れにしろとかなんとかそんな歌。
夕焼けを眺めてきれいだねーなんつって笑い合う相手がいたらいいのになあと、
そんな事を思い出しながら日曜の夕方を過ごしている。
増田の母親は毒親だが子育て回路が壊れてる人もいると思っている
本来は子供とのコミュニケーションでホルモンバランスが調整されるのではないかと思うが
うちでは飼ってた文鳥からして、産んだ卵を毎回蹴り落としていた
まず、私の理解から言うと、マイナンバーカードがあろうがなかろうが国からしたら国民の情報は筒抜けである。マイナンバーカードがないと手続きが煩雑になるため時間もコストもかかるか、マイナンバーがあればそこを起点に紐付けられたすべてのデータを瞬時に検索できるようになる。
これがマイナンバーを用いることで起きる国の変化だろう。
金融情報を抜かれるとか、徴兵制が始まるとかいう人もいるようだけど、そんなのは特定省庁のデータだけで出来るだろうから、複数の省庁を間違った検索キーであるマイナンバーがあろうがなかろうが出来るだろう。
国民の不安を煽り散らかしてる奴らに聞きたいのはこの一点なんだよ。
「具体的にマイナンバーカードが出来ることで国は我々国民に何をすることができるようになるのか」
仮に金融データや戸籍データ、医療履歴が国に筒抜け(笑)になったとして何が困るのか?
起こりうるトラブルとしては、省庁間でデータの連携がなかったがゆえに誰も気づいておらず、国民の中にも全く周知されていない制度上禁止されていた行為が明るみに出る、くらいではないだろうか?
例えばだが、こういう世帯がこういう金融状況でこういう医療を受診したときの助成金はもっと多いまたは少ない、だから返せまたは追って支払います、が起きるとかそういうのはなんとなくあるだろうなと言う気はしている。
だけど、危機感を煽りまくるような事態が起きるのが?と言うのは甚だ疑問だ。国はやろうとするなら今の状態でも徴兵制はやるだろ。
第二次世界大戦で赤紙出してたんだからマイナンバーなんかいらないだろ。なんでこの一点で大騒ぎしてんのかさっぱりわからない。
コンピュータが人間を凌駕して計算機の域を越えて芸術活動や感情労働の領域をも代替しつつある世の中が現前しつつあるという驚き
アメリカでAI氷河期が叫ばれ、チャッピーの更新でチャッピー・ロスが発生したり、女性がAIと結婚したり男性がAIに自殺教唆されたり、AIの書いた文章が小説投稿サイトに氾濫してAIの描いた漫画がYJで受賞したりetc.
30歳の俺が子供時代に星新一のぼっこちゃんとかひとにぎりの未来で読んでいた、子供の感性からしてもあまりにも素朴な近未来の想像図は正しかったのだなと......
漢字ワークとカタカナプリントと算数プリントと計算カードと音読が毎日ある。
私からしたらこれができないのはヤバイだろっていうレベルのものなんだが、小1の息子にはそれなりの負荷らしく、やるのを嫌がる。
やればそんなに時間はかからないが、反抗的な態度をとるんだ。めんどくさいって消しゴム投げたり、大声出したりする。叱って宿題やらせてはいるが、それが毎日キツい。
やらないならやらないで良いっていう人もいると思うが、実際に学校でもやって来ない奴はやって来ないらしい。
今の時代、やらないと学校でしばかれるとかいうこともないんだよな。
だから、やらないならやらないで、定着しないまま進んでいくんだと思う。
こんな感じで毎日宿題しろよって言って何とかやらせて、つまずいてるところはフォローしてってってやらなきゃいけないものなのか?
反抗期って、やるべきことをやらせようとして、やりたくないから嫌がることが大きいんじゃないかな。
親が子供に何かをやらせようとしなければ別に子供も反抗しないだろ?
でも宿題私がやらせなかったらそのまま何もしないままYouTubeでも見てそうなんだよな。
どうしたら良いんだ。
仕事が好きなのと子供が苦手なのが掛け合わさった結果婚活に苦戦している。
忙しさの合間に婚活で出会った男性に子供はできるだけ後ろ倒しの展開が嬉しいと言うと難色を示される。
当たり前だ。私31歳だし。
順調な人生計画を描いている人間からしたら30歳超えた女から「もう少し仕事してたいです」って言われたらそもそも子供作る気がないと思われるんだろう。
既婚の友達に「最近なんかないの」って言われると居心地が悪い。
早めに恋愛市場から足抜けして刺激に飢えて、いわゆる「恋バナ」みたいなものを期待されているのがわかる。
わかるんだけど、彼氏とか彼女とかって20代の若者の為の言葉なんじゃない?って素直に思う。
周りが見えなくなるような恋愛とか30超えると恥ずかしいだけなんだよ。
貴方がたは「日に日に旦那のことが好きになってく、居心地最高!」って散々自慢してくるけど。
マッチングアプリで同年代と出会ってもお互い心の壁が中々越えられなくて、何回か会ううちに会話がただの情報交換になってく。
仕事してるほうが自分らしいのに何で無理して結婚しようとしてるんだろう。
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沢山のコメントありがとうございます。
婚活、子供の希望は「女性の希望に合わせる」もしくは無回答の方に絞ってやりとりしています。
家族像が噛み合わない相手に投資するのはお互い不幸だと思うので。
若い頃は結婚を考えたことがなかったのですが、情けない事ですがここ数年体調を崩すことが増えて一人で生き抜く自信がなくなってしまいました。
風邪の時に迷惑そうな顔をしない優しい人と楽しく暮らせないかな、子供は仕事に自信がついたタイミングで縁があればいいな位の温度で活動しています。
フィーリングが合って仲良くなって…という展開が普通で、ここで語られてるのはナンパ師が高ランク女子を口説き落とすゲームです。
コミュ障で普通の恋愛が出来なかった以上、ナンパみたいな普通じゃない方法に頼るしかないんじゃないかな
その上で