はてなキーワード: 理解不能とは
https://anond.hatelabo.jp/20250228171018
それをやろうとして人生の前半を棒に振ったのでおすすめしない。
辛い時だけ自分を自分でなくして、必要な時だけ自分を呼び戻せればと思い高校時代にあれこれ画策したことがあったが、最終的に元の自分がわからなくなり、日常生活に齟齬が生じるようになってしまった。
きっかけは価値観が違いすぎて理解できない母親のことを、自分の人格を一時的に捨てることで理解できるかもしれないと思って始めたことだった。母は不満を罵声と暴力で解決し、そのことに私の共感や理解を求めるタイプだったが、私がたしなめると怒りの矛先を私に向けて罵声と暴力を浴びせてきた。これが辛すぎて、当時高校生の私は自身が計画的に上手くやれば回避できると思ったのだ。
自分と相容れない価値観について、口先だけでない心の底からの共感を示すために、まずは自身を真っ白にしなければならなかった。色々考えた結果、痛みを感じる一瞬はわずかに記憶や感情が飛ぶことに思い至り、母が理解不能な事を言い始めたときは手の甲を何度もきつくつねって、自身の困惑や不快感を飛ばすことから始めた。最初はうまくいかなかったが、私は習慣の力を強く信じていたので半年以上間毎日それを続け、うまく伝わるかわからないが、不快感を覚える瞬間にそれを飛ばして不快と感じた事実を薄れさせていった。何と最終的にはつねらなくても母の言動にあまり抵抗がなくなっていた。この段階までくると、あとは日常の母の言動をインストールするのみで、これは下地が真っ白になってしまうと案外簡単だった。
以前はできなかったことをできるようになった。母が他人に対して「〇〇死ねばいいのに」と平気で口にすることに対し、以前はそういう事言うのやめなよ、と窘めていたのが「わかる!生きてる価値ないよね」と秒で即答できるようになり、その理由すら詳らかに母に自ら話せるようになった。両親が夫婦喧嘩をしている時に私が皿を割ったりなどの悪いことをして両親の怒りをこちらに向け、喧嘩を止めることができるようになった。以前の自分では喧嘩を止めるために悪行に走るなど考えられないことだった。
母は私の変化に大層喜び、〇〇(私)しか理解者がいない、〇〇なら何でも話せる、わかってくれる、大人になったのねと大変満足したようだった。母は完璧な理解者を得て、毎日何時間も私を捕まえて話をした。受験勉強の時間が大幅に減ったが、そのことにも何ら抵抗がなくなり何時間でも無抵抗で話を聞いてあげられた。私はぼんやりした頭の片隅で、自身がこれを始めた動機が家庭平和であり、そのために必要なことだと理解していた。母のストレスがなくなったせいか、両親の喧嘩の頻度は激減し、表面的には私が渇望していた、極めて平和な家庭が訪れた。私の取り組みは一応の成果をあげたのだ。もはやそのことすらわからなくなりかけていたが、当時の支離滅裂な日記には「大成功」の文字がある。
私のこうした活動は家庭平和には寄与したものの、徐々に高校生活に支障をきたし始め、以前の人格ある(?)自分との齟齬が生じるようになった。まったく記憶にないのだが、私は中学の頃美術部だったのに、なぜか同級生に吹奏楽部だったと言い始めたらしい。他にも食べられなかったミニトマトが食べられるようになったり、嫌いだった先生をある日突然好きと言い始めたりしていたようで、周囲からは嘘つきとかかまちょと言われて完全に孤立し、便所飯をする生活になった。
自身が完全におかしくなっている自覚はあり、人と話してはいけないと思った。受験勉強をできず結局浪人したが、最初は宅浪を希望した。親は予備校を勧めたが人と会う生活は駄目だと思い、必要最低限の会話で済む東進の衛星予備校を選んだ。大学入学後に、双極性障害と対人恐怖症を発症し、留年をした。母親から手のひらを返したように産まなきゃよかった、一族の恥と罵倒されるのだが、それはまた別の話である。
なぜこんなことをしなければならなかったのか、ただ表面上気に入らない太客に合わせる営業マンのように上辺だけ話を合わせるのでは駄目だったのか。父は営業職であり、母に対してそのように接していたが、残念ながら全くうまくいっていなかった。合わせているだけというのは伝わるものである。そのため父は私によく「大人になって、お母さんに全部合わせるんだよ」と口癖のように言っていた。幼少期からずっとそうしてきたものの、母が求めているのは心からの共感であり、上辺だけ合わせているとすぐに察知してこちらを大声で非難してくるため、完全な共感でなければ駄目なことはわかっていた。普通にしていてはダメで、何か劇的な上手い方法を思いつかなければ解決しないと思った。私の対処法はある程度うまくいったものの、元の自分がわからなくなり、自身が狂人になってしまった。
大学時代に出会った恩師やカウンセラーの先生のおかげで、何とか自分を取り戻し、今は常人のふりをしてメーカーの研究職として働いている。病気も寛解した。でも以前ほど頭が働かないし、一番の趣味であった読書ができなくなった。集中できなくなったのもあるが、読んでいると自分が何処かに行ってしまう感覚が、まだほんの僅かだがある。
高校生だった当時、デスノートが流行っていた。夜神月が自身の記憶すらコントロールし、記憶のある自分、ない自分という2つの自分を計画に入れた頭脳戦に中二的憧れを抱いていたこともあり、うまいことやれば似たようなことができるのではと思っていたのだが自惚れだったようだ。自身の連続性を失い、自分が何者かわからなくなり、貴重な若い時間を失ってしまった。もう二度とあんなことはしたくないし、決しておすすめできない。
良いんじゃない?
増田のように結婚~子育てについて理解不能な人間入るだろうし、
さらに人間以外の生物でも番となり子を成せない個体は当たり前のようにいるんだし。
大抵の人はそうだと勝手に思っているんだけど、俺はNTR系の作品が嫌いだった。
普通に考えて自分の彼女が寝取られるようなシチュエーションが嬉しいはずがないという単純な理由だ。
それが最近になってなんとなく楽しみ方がわかってきたんだ。
彼氏にしか見せない一面、なんなら彼氏にすら見せない一面をこっちが見てやるということに背徳感的な気持ち良さを感じるんだ。
悪いことだとわかっていてもそう言った状況は正直ちょっと気持ちがいいというのは、まあ理解される心情じゃないかと思う。
でもこれを意識したからといって別に全部のNTRが楽しめるわけじゃないんだよな。
個人的には3つくらい条件がある。
胸糞悪くならないためにはこれが一番重要だと感じている。
寝取られても仕方ないという意見は嫌いなんだけど、ほんのちょっと彼女が揺れてしまうのも頷けるような人物だと幾分心の痛みが柔らぐ。
彼女からしても、不満はないけど不満がないだけってキャラクターだとちょうど良い。
やっぱり女の子には悪いことだとわかっていながらも楽しんでいてほしい。
よくあるNTRとして、彼女が脅されているようなシチュエーションがあって、最悪の場合は暴力まで振るわれている。(もちろん彼女は嫌がっている)
NTRが嫌われる理由の多くはこの要素がNTRと混同されていることにあるんじゃないかと考えている。というか少なくとも俺はそうだった。
あれはどちらかというと陵辱系に分類されると思っていて、あくまで俺はNTRの良さがわかっただけでそっちは全く理解不能だ。
かといって、ホイホイ楽しんで浮気するようなカス女では全く意味が変わってくる。
それは形式上NTRなだけであって、NTRに求めている背徳的な快感は得られない。
この"ある程度"というニュアンスがNTR作品の雰囲気を決めており、作品の良さに関わってくる部分だと思っている。
これは条件というよりその方が良いってだけなんだけど、上でも書いた通り基本的にはズルして得をしたい気持ちで読むんだから、Win-Winの関係は求めてないんだ。
まあでも基本的に胸糞悪い話になってしまうNTRにおいて、気持ち良く話をまとめるならこの方法しかないよなと思っている。
寝取らせにシフトせずに気持ち良く終わる作品があれば教えてほしい。
こう書いてみると浮気を肯定しているように思われるかもしれないけど、あくまでも対象はフィクションということには注意してほしい。
もちろん個人の性癖の話だから理解されないこともあると思うけど、ちょっとした視点の違いで嫌いだったものが楽しめるようになったという体験はなかなか面白かったので書いてみた。
PS5すら持ってないのにPSを推してるファンボーイよりも理解不能なんだよね。アサクリ擁護者
会話が噛み合わないのはPSファンボーイと同じなんだけど、なんかほぼ確でワイのがUBIゲーやってそうって思う
不自由満載なアサクリよりも Rise of the Ronin を遊んだら?
Ronin はアサクリと違っておま国ゴア表現規制されてないから、四肢欠損させることできるし、キャラクリ出来るから好きなキャラで遊べるぞ
本格的なステルスゲーではないけど暗殺プレイも出来て楽しいし、だいたいのものは破壊できるよ(御神体や祭壇や仏像以外)
シャドウズと同様に市民も攻撃出来るしな(ただし、シャドウズと違ってお尋ね者として警戒されて役人が来る)
ガノタというかファースト原理主義者というのはそういう化け物だと思っていた。
45年も前のアニメを延々と語り続けてるなんて理解不可能だし、そもそもあの崩壊した作画のアニメを見て面白がってるなんて感性が異常。
と思っていた。
最近見方が変わってきたのは君の予想通り原因はジークアクスを見たこと、それとメカ部の動画。
ジークアクスのお陰でファーストを見たくなってつい見てしまった。確かにあのいかにもなキチガイじみた作画の割に設定練られてる感じもするし、ドラマもよく出来てるなって感じで未見時の印象ほど悪いものではないと感じた。
メカ部はジオリジンの動画について言及してるのを見てなんかつい共感しちゃった。理論としてはクトゥルフ信者がダーレスの体系化に関して文句言ってるのと対して変わらないなと思ったからだ。あと、この手の続編出てくる作品でなんだかんだ言って一番最初が面白いってのは自分の感覚とも共感するところだった。
そう考えると、「なんだファースト原理主義者とか物々しい言い方してるけど、ただの厄介オタクじゃん」って気づいてしまった。
あれは「機動戦士ガンダム」ってアニメが好きなただのオタクだ。
東方信者みたいな宗教信者でもないし、SFオタクのような理解不能なクリーチャーでもない。ボカロ信者みたいないつ暴走するともしれない火薬庫でもない。
こいつらは俺より歳が上なだけのオタクでしかない。10、20代にハマったアニメを何十年も好きなだけのただのオタク。単に歳食って荒々しさが取れただけかもしれないけど。まだ現在Twitterで見かける腐女子なんかに比べると話が通じる感じがする。
まあ、ジオン軍のMSが好きって感性は理解できないけど。ガンプラ界隈はなんかまた別な闇だね。
意外に恐るるに足らずって感じに認識できたけど、他のロボットアニメにも出張ってきて場を荒らすのは勘弁して欲しいな。そこは何とかしてくれよ。
テイルズオブグレイセスfをラムダ倒すところまでクリアした。
戦闘は合わなかった。ここが評判良いみたいだけど合わなかった。
良かったなと思ったのは最初からグレードショップが使えるところが主。
「男キャラにとって女キャラの容姿がドタイプで、ほか減点ポイントがなかったので大事にする」、この説明で、男読者は納得させられるけど、女読者は納得させられない。特に願望強い女オタク。
女キャラの持つ容姿とか声とか先天的に決まってしまう性的魅力、以外の要素で男キャラは女キャラに落ちて溺愛してほしい、と思ってる。「おもしれー女」とかがその極。
私も中高生のころはそういう傾向があったけど、大人になって男性が視覚優位であることを受け入れた。視覚要素で加点法でその女に落ちる、そんで性格(性的魅力以外の有用性)で減点法で継続する。
私は一般的に美女というわけではないから私を好きな男=容姿じゃなく中身を好きになってくれたんだ!と思い込んでいたけど、男の元カノや好きな女性芸能人の容姿の傾向を見ると「あー………」となる。「グループ」が同じなんだよ。同じ容姿グループの中の、女性芸能人が最上位にいて、下のほうに私がいるってだけで、でも同じグループではある。ジェネリック。容姿じゃなく中身を、とかは幻想。女はこれが好きすぎて、「ノンケのはずの男性キャラクターが、とある男性キャラクターの中身を気に入りすぎて、俺は異性愛者なのにと葛藤しながら性的にも好きになってしまう…というBL」とかにも夢を見る。まあ、無理やぞ!だからゲイからも引かれてんだぞBLって。男キャラの内面に、男には理解不能な女特有の幻想が投影されすぎてて、納得感がないから。基本ノンケの男が例外的に男を性的に見るときっていうのは二次性徴前でロリに見えなくもない美少年とか、お直ししてるニューハーフとか、やっぱビジュアルが先行する。「おもしれー女」もBLも、女特有のセクシュアルファンタジーです。鉄板の。
モテたいと思いながらも必要な資質を身につけず、努力も怠る人間が社会的に孤立するプロセスは、以下の側面から分析できる。
研究によると「男らしさ/女らしさ」への過剰な思い込みがモテない原因となることが指摘されている。
現実逃避の悪循環。願望 → 努力コスト計算 → 代替手段選択 → スキル退化 → 更なる現実逃避。
改善可能な要素を努力対象と認識せず、自己正当化に終始する限り、人間関係の質と量は指数関数的に低下する。
特にデジタル代替手段が発達した現代社会では、モテなかった人間が意識的な努力なしに自然にモテるようになる状況は最早存在しない。
俺のEmacsライフは、もはやただのエディタを超えて、完全に生活そのものだ。
日常のあらゆる側面がEmacsに支配されていて、他のソフトウェアなんて目にも入らねぇ。
今日は、どれだけ俺がこの深淵な世界に没頭しているか、そのレベルを見せてやるぜ。
俺の.emacs.dには、数十種類どころか、もう百を超える自作パッケージが眠ってる。
特に、自分で書いたLisp関数は、日々のタスクを自動化するために欠かせねぇ。
例えば、特定のフォルダ内のMarkdownファイルを自動でHTMLに変換してブラウザで表示するスクリプトを組んじまった。
これでブログを書くたびに手間いらずで、「C-c C-v」でプレビューできる快感は、もう中毒だぜ。
(defun my-markdown-to-html () "MarkdownファイルをHTMLに変換してブラウザで表示する関数" (interactive) (let ((markdown-file (read-file-name "Markdownファイルを選択: "))) (shell-command (format "pandoc %s -o %s.html" markdown-file (file-name-sans-extension markdown-file))) (browse-url (concat (file-name-sans-extension markdown-file) ".html"))))
この関数を使えば、Markdownファイルを選んで一発でHTMLに変換し、そのままブラウザで表示できる。これがなきゃブログなんて書けないぜ。
Org-modeは俺の人生そのものだ。TODOリストやスケジュール管理だけじゃなくて、プロジェクト管理や文書作成まで全てを一元化してる。
特に、カスタムキャプションやプロパティドロップダウンメニューを駆使して情報整理に命懸けてるんだ。
さらに、Org Babel使ってRやPythonのコードを直接実行しながらデータ分析なんて日常茶飯事だ。この機能のおかげで、データサイエンスもEmacs内で完結しちまうからたまんねぇよ。
自分専用にカスタマイズしたショートカットが数百種類もあるんだぜ。
「M-p」で過去のコミットメッセージを呼び出す機能なんか、Gitとの連携が一瞬でできるから開発効率が飛躍的に向上する。
さらに、Emacsにはマクロ機能があるから、自分の操作を記録して再生することもできる。
この前、自分専用のマクロを作って、特定のフォーマットでドキュメントを一瞬で整形することができた。
これで「お前は本当に人間なのか?」って言われてもおかしくないレベルだ。
Emacs Lispを書くことが俺の日常になってる。この前、自分だけのコード補完システムを構築したばかりだ。
この機能のおかげで、特定のキーワードを入力すると関連するコードスニペットが自動的に提案される仕組みになってるから、コーディング中に思考が途切れることなくスムーズに進行するぜ。
(defun my-auto-complete () "カーソル位置に基づいてコードスニペットを提案する" (interactive) (let ((input (thing-at-point 'symbol))) (if input (let ((completion-list '("myFunction" "myVariable" "myClass"))) (setq completion-list (cl-remove-if-not (lambda (item) (string-prefix-p input item)) completion-list)) (if completion-list (message "候補: %s" (string-join completion-list ", ")) (message "候補なし"))) (message "シンボルが見つかりません"))))
この関数ではカーソル位置からシンボルを取得し、それに基づいて候補を表示する。これがあればコーディング中も迷わず進められるぜ。
Emacsユーザーとして活動している中で、多くの仲間と出会った。
彼らとの情報交換や共同開発は刺激的で、新しいアイデアが次々と生まれてくる。この循環こそが俺の成長につながっていると実感しているんだ。
最近では、自分が開発したパッケージをGitHubで公開し、フィードバックを受け取ってさらなる改善点を見つけたりもしている。
このフィードバックループがあるからこそ、自分自身も進化し続けられるんだ。
今やEmacsは単なるツールじゃなくて、俺自身の一部になってる。
というか理解不能な使い方してるやつが多すぎる
男は小便器の下の汚垂石に小便こぼす奴がいる程度であとは時々ウンコ流さない奴がいる、流せよくせえんだよ
女は便座に血こぼしてそのままだったり(故意じゃなくても流石にあとの人考えて拭けよ)、なぜか便座上げると便器の縁まで血まみれだったり、なぜか血まみれのトイレットペーパーの塊をトイレットペーパーホルダーの上に置き去りにしたり、なぜか便器の中にトイレットペーパーが5個ぐらい放り込まれてたり、何故かトイレットペーパーが便器の中にてんこもりになってたり(紙詰まりの恐れがあるから全部撤去したらただトイレットペーパーを大量に投入してるだけで、封水全部吸ってた)、洗面台に消臭ビーズ流し込んで詰まらせたり、脳みそ疑う女が多すぎる
最近、仕事よりも家庭を重視する夫が増えてきた。本当に素晴らしいことである。浮気もしない(妻以外の女性に興味を示さない)、家事を妻よりも主体的にやる、仕事も真面目にこなす、休日は家庭優先、これが当たり前の夫が身の回りでも多い。
しかし、そんな夫でも妻からめちゃくちゃ怒られている。中には人格攻撃を受けている者もいる。私は彼らの話を聞いたり、あえてその妻からも背景を聞いて考えをまとめてみた。
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女性の恋愛は「上書き保存」だと言われているが、妻の夫への不満は「名前をつけて保存」である。
普通の人間関係であれば嫌なことがあってもそのうち忘れたり、もういいかと記憶の端に追いやっていく。
ただ夫婦関係においては「もういいか」にはならない。些細なコミュニケーションエラーが発生し、客観的にはお互い様な事案であっても、妻はそれを「名前をつけて保存」していることを忘れないで欲しい。
妻の保存したデータは精神状態がポジティブな時に開くことはないが、ホルモンバランスが崩れた時に(自分自身きっかけだったり夫の不用意な言動がきっかけで)「あの時のあれ、もう一度見返すか」とフォルダから夫の悪事データを開く。さらに都合が悪いことにひとつのデータではなく複数のデータを同時に見返してしまうのだ。
※その見返すデータはもともと嫌なこととして保存されているが、ホルモンバランスが崩れた状態なのでさらにネガティブな解釈で読み込みをされる。
上記の脳の状態になっているので、妻は過去の記憶を昨日のことのように次から次へと鮮明に思い出す。その結果、青天の霹靂のような夫への問い詰め・説教へと繋がるのだ。夫側からすると「急に何を話したいのか?過去の話をなぜいま?それは既に話し合って謝罪したはず。いまの議論と関係ないのでは?」と困惑する。しかし、妻は記憶のデータフォルダを大量に開けている状態だ。過去の嫌な出来事を『再放送一気見!』したばかりなので熱量が高く、夫が「私に嫌なことをする人間」にしか見えなくなっている。つまり長い目で見れば良いことも悪いことも山あり谷ありの時系列だったり、さまざまな人間性があるということは消え失せ、夫を"悪いことしかしていない悪事の集積"でしか見れなくなるのだ。だから夫が、線や面の思考で「ここまで家事をしているのに、ここまで家族最優先で動いていたのに、妻の望みも最大限叶えてきた」と訴えかけても妻の目の前にはその献身的な夫はどこにも存在していない。目の前には「嫌がらせ・気遣い無し・自分勝手の塊、傍若無人、そういった事実が積み重なった妖怪の夫」だけが存在しているのである。その状況で妖怪夫が妻に対して正しい認識や会話の整理、論理的な対応をしたとしても妻は妖怪の言うことなので耳を貸すわけがない。
妖怪は人間でない。人間ではないので「これを言うと相手は傷つくかな?気持ちが落ち込むかな?」という相手を思いやる気持ちを妻は持たない。ただただ目の前の妖怪に"ここ最近で受けた仕打ち"の仕返しをして、妖怪を改心させようとするのだ。
もちろん夫は妖怪でないため、何を言われているか分からないし理解もできない。何なら過去の記憶にない話から最近の言動、パーソナリティを全てネガティブに捉えられて、終わりがなく長々と話されるため、当然パニックになる。大きな不満があるならば根本を解決をしたり、今後に向けて改善したいと思い提案するも妻は「そういうことではない」と全否定する。そりゃそうだ、妖怪の話を聞く人間なんてこの世には存在しない。
こうやってお互いが見えているものが全く異なるため、夫は妻のことを"理解不能の宇宙人"と捉えるしかなくなり、自分に対して敵意を持つ人になってしまうのだ。夫が妻の話を聞かないのは妻が嫌いなのではなく、宇宙人の言語が分からないのだ。
これがお互いがお互いを「話がわからない人」と罵る構造なのである。
この状態の解決策は今のところない。おそらく妻側のホルモンバランスが落ち着いてくれば妖怪だった夫が徐々に人間の姿に戻るだろう。夫は自分が妖怪になっていることを自覚し、ひたすら妖怪然として妻の話を聞いて改心すべきである。間違っても相手を宇宙人扱いにしたり、自分は妖怪ではなく人間だと言ってはならない。なぜならば妻の目の前に写っているは妖怪だからだ。
ちなみに予防策もない。日々の行動を改めようにも人間なので何かしらのコミュニケーションエラーは必ず発生してしまう。なのでこの事案は対処療法案件なのだ。
もちろん全てうまくいっている夫婦もいると思うが、大なり小なり夫婦関係が折り合わない事象が発生しているだろう。上記は夫婦の性別を入れ替えても当てはまるケースがあると思う。もしかは上司・部下の関係でも発生するかもしれない。この文章は特定の個人・属性を中傷したり軽蔑したりするのではなく、全人類がホルモンバランスによって受ける挙動を言語化したものである。3日後に私がそうなるかもしれないし、10日後にあなたがそうなるかもしれない。大切なのは起きた事象を客観視して書き起こしをして、メタ認知の共有としてリレーしていくことだと信じている。
諸君の健闘を祈る。
わたしがさ、ちょっと気に入らないこと言っただけで、あの界隈の人たちにめっちゃ叩かれたんだよね。信じられる?
弱者男性の人とかさ、ちょっと弱音吐いたり、ヘマやらかしたりしても、なんか擁護されたり、慰められたりしてんじゃん?は?って感じ。
こっちはさ、ちょっと意見しただけで、すぐさま人格否定よ。「豚まんさん」とかマジで意味不明。てかさ、あたし別に誰かに迷惑かけたわけでもないし、自分の気持ち正直に言っただけなのに。なんでそんな言われ方されなきゃいけないの?
思ったのは
これ釣り?
釣りじゃないなら、増田の読解力と物事の解釈が、良く表現しながらオブラートに包めば「独自の認知と世界観を持ち、自立精神旺盛である」
ストレートに言えば「お前論点ずらしすぎじゃね?自閉症スペクトラムかグレーゾーンなの?」
まあこっちの読解力・理解力不足があるだろう、長いから読み飛ばしたので余計にな
それにこっちの感情ぶつけてもお前他人の感情をいったん受け止めて流すことをしないタイプだろ?
結論からいうと、増田の受け止めかたを変えるほうが優先順位が高いように思う
増田は受け止め方が非常にずれており、共感性が低いように見える
夫婦の関係性によりネガティブな影響を与えるのは奥さんの反応ではなく増田の反応に思われるため
>妻は自分がしんどいときは相手もしんどくあってほしいらしい。
自分が読んだ限りではそのように受け止めることはできなかった。
問題は増田が奥さんにも自分と同じ価値観、同じ感情を(無意識に?)強要しており相手のやり方を無視している点である
奥さんは体調悪いアピールでそれとなく、そしてとうとう先日は言葉に出して明確に「心配してほしい」と訴えてきたわけだろう
なぜこれを無視する?
自分が人生で築いた価値観があるのと同じく他人はその人の人生で築いた価値観を持っている
そして結婚するということは、心に寄り添い、その相手の価値観を(中間までは)受け入れて生きていく、
そういう誓いじゃないのか?
なのになぜ増田は直訴までされてるのにその誓いの相手の訴えを拒否するのか?
失礼、興奮しすぎました
増田、よく聞け
「自分は体調が悪い時に心配されたくない」オッケー、よくわかる
ただ、人間関係で親しい間柄を保ちたければな、相手に対して「気遣っている」「配慮している」ということを
言動で示していく
必要があるんだよ。
そしてそれがマナーとして周知されているんだよ。増田はその年まで知らなかった、気づかなかったみたいだけど。
だから、誰かが体調が悪かったとすると、「大丈夫ですか?と気遣ってみせる」ことは円滑な人間関係上のマナーなんだよ
そうやって相手の内面に関心を払っています、という態度を見せることが必要なんだ
だから奥さんは一言「大丈夫?」とか「薬出そうか?」というとか、奥さんが体調を崩している時にはいつもの行動パターンは封印するとか、
それだけだ
難しいことじゃないだろ?
心配していないから態度の変化がないのと、心配していても態度の変化がないのと、他人から見たら区別つくか?
増田は他人が考えてることを読み取る超能力持ってるか?奥さんは?
持ってないだろ?
という考え方があるんだ
増田は「女性はそういう願望があるのか」という疑問があるようだが、そうだな、
男女で言えば性差はある
一般的に女性は共感性が多いため、親しい相手からは共感性を示してもらいたがる傾向がある
(女性の話の仕方は男性よりも同意や同感、共感を意味する相槌や返信が多くなり、また自分の意見を表明するときにも相手への配慮から長くなることが多い)
男性は「自分が思っているなら相手に伝わっているはず」と考え、この手間を省く傾向がある個人が女性より多い
「私が体調を崩したときにも彼氏は『大丈夫?』の一言がないのが不満です」
「私が作った料理を彼氏が食べるとき、『美味しい』とか絶対言ってくれないんです!感想を聞くとしぶしぶ、『完食してるってことは旨いって思ってるってそのぐらい言わなくてもわかれよ』 なんて言います!」
「夫は私が臨月なのに趣味の一泊ツーリングに出かけやがりました、なんでこんな仕打ちができるんでしょうか」
話飛ばすが、増田は「自分がこう思っている」と「妻はこう思っている」の違いをよくわかっていないように見受けられる
(専門用語でいう自他の境界線があいまいってやつじゃないの増田って)
「増田が」体調不良時にはこうしたい、ああしたい、自分は家族に心配かけたくない、その感情はわかる
だが奥さんは違う感情を持っていることをもっと理解しなきゃだめだ
さらにそのうえで、自分の感情は「伝えようとしなければ伝わらないこともある」ことを理解しなければ他人とは暮らせんよ
奥さんが寝込んでいる時遠出しないでいてほしいというのは不安だからだろうな
これについて書こうとしたがすでに長くなってるので、要望がない限りやめておくことにするよ
女は…っていうつもりないけど、妻は自分がしんどいときは相手もしんどくあってほしいらしい。
俺は自分が病気とかでしんどい時も、基本的に連絡事項として「熱があるよ」「病院行くよ」「感染しないよう別々で寝るよ」など報告するけど、
基本的に黙って寝るようにして心配は一切しないでほしいし、物理的にサポートが欲しいときはちゃんとお願いする(家事とか子供の送り迎え代わって欲しいとか)
でも妻は、自分が風邪引いたりしたとき、とにかく黙ってられない。体調悪いアピールがすごい。
わかった、寝てていいよ。で、代わるべき家事などがあれば代わる。これが俺の中でベストの対応だと思っていた。
が、結婚して「夫は全然心配してくれない!私のことなんてどうでもいいんでしょ!」とキレられて大喧嘩になった。
いや、心配…って…風邪じゃん。40度くらいの熱が数日下がらないとかなら心配するけど。普通の風邪の経過で、心配なんかしないだろ、普通。寝てりゃ治るじゃん。
そもそも、「心配してほしい」ってマインドが理解不能すぎて衝撃だった。
家族って「心配かけたくない」って思うもんじゃないの??俺は親にも子にも、もちろん妻にも心配かけたくないんだけど。
心配って、マジ余計なストレスじゃん。心配なんかしたところで何も状況に影響しないわけだから。自分のメンタルに悪影響があるだけ。いいことなし。
この「心配してほしい」って心理、ウチの妻が特別幼稚なのか、女性はそういう願望があるのか、どっちなのか気になる。
あと普通に俺が熱出してる時。ゲームする気すら起きないから寝るしかできない。
そういう場合でも、妻の行動は制限したくないというか、普通に仕事してもいいし休みなら外に遊びに行っていいし、好きに過ごして欲しい。
俺が辛いのと妻は無関係というか、それで妻まで辛くなったところで俺の風邪の治癒状況にはなんら影響がないので。
一方で、妻は寝込んでいるとき、俺にそばにいて欲しいという。いや、寝てるんだよ?妻。俺がどこにいようと関係なくないか。
もちろんね、他の女と遊びに行くとかは論外だよ。そういうんじゃないよ。個人的な趣味で出かけるだけ。
そうすると、「私と趣味、どっちが大事なの?」みたいな話に発展するんだけど、何でなのかマジでわからんくない?
病気で妻が辛いのは分かるよ、-100だとしよう。で、俺が遊びに行ったら俺は楽しいから+100だよね。夫婦で合わせたら+-0
で、俺が遊びに行くのを我慢して妻のそばにいたとして、まぁ-100とまでは言わずまでも、-30くらいだよね。
妻は、俺がいようがいまいが辛いのは変わらないし寝てるだけなんだから、-100だよね。夫婦合わせたら-130だよね。
最大多数の最大幸福を考えたら、どう考えても俺が遊びに行った方が幸福量が多いよね。
という話をしたら、病気でつらいのは変わらないけど、病気でつらいときに夫が遊びに行っているのは-500だと。
何でだよ!じゃあ二人でいることでどっちか病気になったら一人で病気してるより不幸が増えてるじゃん!
楽しいことだけ共有しようよ。自分が辛いときこそ相手には幸せであってほしい、それこそ真の愛じゃないかね。
でもこれってウチの妻だけなんだろうな、女は…っていうとすぐ主語デカいって怒られるから。
書いた後思ったけど、これって妻が妊娠してるときに飲み歩いてる夫、みたいな話とは一緒にしないでくれよな。
妊娠出産は夫婦の共同作業だし、それで一方的に妻が辛い思いをするのはおかしいと思うから全力でサポートしたし、
新人といっても中途採用で、年齢はアラサー、それまでにも仕事はしていたという。
業務内容はもちろん教えないといけないが、社会人であれば身に着けているはずの電話応対、メールの送受信は何の問題もないだろう、と思っていた。
しかし
・電話で「〇〇って書いてあるのはどういう意味か?」と問い合わせてきた客に「書いてあるままの意味です。」と答えて怒らせる。
・メールを取引先に送ったと思ったら、「送ります」という一文と添付ファイルだけで、署名も、宛名も入っていない。
というのを見て、おやおや、これはやばい、と思った。
メールは、宛名を入れて、自分の名前を書いて、どういう用件なのか文章を書いて、署名を入れて送るものだ、と見本を作って渡した。
電話応対も、相手が聞いてきたことがわからなかったり、自分で答えられなさそうだったら保留にして誰か周りに聞く、ということを教えた。
こんな状態だもんで、社会人マナーを教えるところから始まり、うちの部署特有の業務なんて多分ほとんど覚えられなかった。
こいつは正社員だが、どう見てもパートで来てくれているおばちゃんのほうがよほど仕事ができた。
どうやら仕事をしてもうまくいかないことが続くからか(あたりまえ体操)、
休みがちになってきたので上司からこいつの仕事をやるように言われた。
正直、半人前以下の仕事量だったので、増えたところで負担にも思わなかったのを覚えている。
そしてある日、肩代わりしていたこいつの仕事の相手先から、わりと理解のできないことを言われたので、
(うちの部署が主催する講習の案内をしたところ、複数人出席したいといわれたので、席を用意して待っていたのに、結局誰一人受けに来なくて、
なんならほかにその講習を受けたいといっていた人がいたのに、こっちの相手先に案内して席が埋まってしまったので他を泣く泣く断った案件だった。
なのに、来年も開催する講習会に出席したいといわれて、さすがに他の希望者もいるなかで今年希望者全員が欠席した相手先に確約は難しい、といったら、
どう上司に報告したらいいもんだかと考えあぐねていたところ、たまたまその日は出勤していたヤツが相手先から聞きつけたようで
「相手先困ってましたよ!なんで相手先の立場になって考えてあげられないんですか?」
と言ってきたので、なにいってんだこいつ、と思いつつ
「じゃああなたがあなたの思う回答を相手にすれば?もともとはあなたの仕事だし。」
と返したら、なにかが琴線に触れたのか
「〇〇さん(私)が対応した仕事なのになんで私が答えないといけないんですか?!おかしい!!」
とのことだった。
いや、知らんがな。
まあ、なんで自分が他人の仕事のしりぬぐいをしないといけないのか、ということで怒ったのだろうと想像つくが、
いやそもそもは私もあんたの仕事のしりぬぐいをしているんだが。
久々に出勤してきてそのしりぬぐいを目の当たりにして、感謝するどころか怒ってくる神経に、私の理解の範疇を超えてしまった。
その日、上司には、こいつの仕事の肩代わりをしてるのに怒ってきたので、もうこいつとは職務上、コミュニケーションをとることはできない、ということを伝えた。
それについては了解してくれたので、肩代わりしている仕事はそのまま続けてほしいといわれた。
暫くしたらいよいよ病休を取得することになり、視界からは消え去っていた。
これでようやく平穏が訪れたと思っていた頃、ある日、人事に呼びだされた。
目的は「こいつが病休から復帰した際の支援の参考にするため」のヒアリングがしたい、と告げられたが、いまだ病休取得中で、復帰のめども立っていないのに復帰したときの支援をする、という名目が明らかにおかしかった。
そして、やはり想像通り聞かれた内容は、職務上ではどのようにこいつと接していたか、周りの人たちがどういうふうに対応していたか、という、
こいつ自身の仕事への取り組み方が主眼ではなく、その周りの人たちの対応を聞いてくる時点で、ああ、パワハラの有無を調べる目的を隠しているんだろうな、と察した。
そしてそれを希望したのは、病休をとっているヤツであるだろうことも。
人事には、基本的にこいつとは私語をすることはまずもってなかったこと、職務上の関わりも、明らかにおかしなことをしているときや明らかに誤っていることの指摘をしたことはあるが、
それも、謎の逆ギレ案件の日を境にコミュニケーションをとることすらなかった、ということを告げた。
人事も、やっぱりそうだよな、と言っていた。
ちなみに、私以外にもパワハラ嫌疑をかけられている人はいたらしいが、勿論、パワハラはなかったという結論に落ち着いたと聞いている。
そしていま、そろそろ復職に向けてリハビリ勤務を開始するらしい。
おそらくだが、いわゆるの適応障害を発症して、抑うつ傾向にあったようだが、逆ギレのあの姿を見て、躁っぽくなる要素もあるだろうと思っている。
そのときにもしかしたらまたキレられるかもしれないし、なんなら刺されるかもしれないとひそかに怯えている。
というか、なんでこっちがおびえないといけないのかも理解不能なので、さっさと辞めさせてほしいが、こういうのはなかなか難しいらしい。
一発殴ってくれたらいっそのことそれこそ一発退場させられるのに。
とりあえず、こちらからコミュニケーションを取ることはしないままでいくのは変わらないが、なにか自衛する手段がないか考える日々である。